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子猫はどこへ消えた?



1

 最近の僕。
  日課が一つ増えました。

「ほら、ごはんだぞぉう」
  朝の六時。家の庭で。
  子猫は今日も、そこにいた。
「みぁっ」
  地面においた器にまっしぐらのその子猫は、今日も綺麗に全身白い。
  懸命にキャットフードを征服している様子を眺めながら思い出す。
  はじめて遭遇したのが確か一週間前だったか。
  リビングのカーテンを開けてふと庭を見てみると、こいつはぽつねんと座っていた。
  視線がぶつかると、なぜか嬉しそうに鳴いて、近づいてきたのだった。
  おそらく捨てられたのだろうが、それまでは随分と人間に甘やかされてきていたみたいで。
  とにかく警戒しない。すぐになつかれてしまった。
  以来、こうして毎朝ごはんをふるまうことが、日課の一つに加算されたのだが。
  それにともない、どうにも理解しがたい変化が我が家で発生してしまっている。
  などとおもっていたら、そら、足音が近づいてきた。
  背後に気配。
「あ、おはよう姉さん」
「……ん。ぉふぁ、よぅ、ん、んっ」
  ん。ん。を連発するのは僕の姉だった。そして理解しがたい変化、そのもの。
「最近ほんとはやいよね。なんでさ?」
「ん、ん……っ? や、いや、別にぃ、いいじゃん」
「いいけど、ね……」
  腰まで伸ばした髪ぼさぼさ、あきらかに睡眠が不足してるらしいとにかくまぶたをこするこする。
  絶対まだ寝ていたいはずだ。
  そもそもだ。
  この姉はとにかく寝起きが駄目なのだ。
  特に今の時期一月、このくそ寒い環境下に在っては布団の魔力もそれはそれは増大するだろうに。
  なのに起きる。しかも六時。
  六時に起きる姉、それは奇跡の体現……過言ではない。
  それが一週間も続く、その理由とは。なんだろう。
  子猫がみたいから……それは僕も最初に考えたのだが、しかし。
「ナツ。また子猫にえさやって……」
「ぁ、い、いや、だって、ねえ、可愛いし」
「全然可愛くない」
  はじまった。
  一週間前。姉に子猫の話題をふったときからこうだ。
  飼おうと言ってみれば絶対に駄目。
  じゃあごはんだけでもと言ってみれば、野良猫に関する餌づけの問題を徹底的に説教された。
  そういう行為は周辺の野良猫を集めて野良猫の固体密度を上げてしまう。
  野良猫は食料さえあればよく増える旺盛な繁殖力を持っているから異常繁殖を引き起こす。
  残した餌がカラスやネズミを集める。
  とかなんとか……。

「餌づけされてる子猫は、つまりペットとみなされるの。いい、これが引き起こす様々な問題は、
  ナツ、あんたの責任問題としてみなすこともできるの。ちゃんと周りみなさい」
「ぅ、う……わ、わかってます、はい、ごめんなさい」
  そうなんだけどなあ。
  だって毎朝来るし、来てるの見たらどうしてもほっておけないんだよなあ……。
  子猫をふりかえる。僕が説教されているあいだに食事はおわったらしい。あしをなめている。
  近づいてだきかかえる。本当に抵抗しない。
「ほら、こんなに可愛いのに、姉さんはどうしてそうぴりぴりしてるかなあ」
  ほおずり。今日も柔らかいなあ。
  子猫がくすぐったそうにからだをよじる。
「……ナツ、汚いから、それやめなさい」
「やだっ。だって柔らかいし」
「野良猫だよ。わかってるの。綺麗なのなんてみためだけで……っ」
「おお、姉さんは怖いなあ、シロスケお前もそう思うだろ?」
  勝手になづけてみた。
「ふぎゃっ」
「そうかそうか、お前も怖いか、あははっ」
「――そんなものはなしなさいって、ナツ、ねえ」
「姉さんもしつこいなあ、なにをそんなに必死で……っ」

「はなしなさいっていってるでしょっ!?」

 

 早朝にその音量は、大きすぎると、言えたと、僕はおもう。
  びっくりした。
  子猫も驚いて僕の手から逃れるとはしりさった。
  姉さんは。
  怒鳴ると同時、手を子猫にむけて伸ばした。伸ばしたのだった。
  子猫は俊敏に反応して、姉さんが触れる直前に脱出したが……。
「ね、姉さん……っ?」
  もしも反応が遅れていたら。
  姉さんは、その伸ばした手を使って、子猫になにをしたのだろうか。
  少なくとも……頭を撫でてやろうという意思は、欠片も感じられない、そんな動きだった。
  姉さんは、子猫のはしりさった方向をずっと睨んでいる。
  睨んでいた。
  真剣に怒っていると、一目で理解できる。
  やがて伸ばした手をゆっくりと戻した。いまだに五指は開いたままだったが……。
  てのひらを今度は睨む。
  ぐうとぱあの動きを数回くりかえして。
「ナツ」
  こっちをみないでしゃべりだした。
「もう餌づけは駄目だよ、絶対に。わかった」
「ぇ、でも、ぁの」
「柔らかいモノが触りたかったらお姉ちゃんの胸にしなさい」
  は、はぁ……っ!?
  姉さん、ちょ、ちょっと……なにを言ってるんだよ。
「冗談だよ。半分」
「は、半分って……っ。ぁ、いや、それよりも」
「ふぁ……むぅ。……ナツ。あたし、寝直すから、ソファで」
「ぇ、あ、そうなの?」
「……布団持ってきてよ」
  ぇえっ。
「な、なんで僕が……っ」
「やなの?」
「めんどくさいじゃんっ」
「ん……じゃあナツを布団の代用で使おうっ。じゃあお姉ちゃんと一緒に寝直そうか」
  姉さんが両手を僕にむかって広げる。
  ん、ん、となにか、せかすような声をもらしてきた。
「は、はっ!?」
  金魚みたいに口がぱくぱくしてしまう。
  な、なな、なにをこの姉さんは突然平然とそんな大胆な……っ!?
  顔に赤みがさすのが自覚できるくらい心臓が特急で血液をめぐらせている。
「ん、ふっ……。今朝もナツは素敵に可愛いわね」
「からかうなよ姉さんっ」
「冗談だよ。一割だけね……ん、ふふっ。ナツぅ、お姉ちゃん眠い、
  もう駄目、このまま寝直したら風邪もらっちゃうかも」
  ごろんと、それこそ猫のように、姉さんはソファで丸まった。
  まったく。どうやら猫は嫌いみたいなのに、仕草にはそれの片鱗を感じさせるなんて。
  姉さんはよくわからない。
  さっき、何故あんなにもあの子猫に過剰な反応を示していたのかとか……そういう所も含めて。
「わかった、持ってくるけど……勝手に部屋とか入っても、大丈夫なの?」
「お姉ちゃんのパンツ盗っちゃやだよ」
「とらないよっ!?」
  わからないけど。
  でも僕は姉さんが嫌いではなくむしろ好きだったので、だまって従うのだった。

 その翌日。
  何故か僕の目覚しはいつもより三十分も遅くにその使命を全うしたので、時刻は六時半。
  今日はごみの日だなあ、忘れないように……内心で確認しつつ
  髪をかきながらリビングに移動すると。
「あれ」
  僕の朝の日課の一つ、リビングのカーテンを開ける、がすでに実行されていた。
  フローリングに陽光がおちている。
  姉さんか……っ? 庭に移動して周囲を見るが、姉のぼさぼさ長髪は見当たらなかった。
  父さんは仕事でここしばらく家には帰っていないし、まあ見当たらなくても
  姉さんが開けたに決まっているが。
  それにしてもどこだろう。キッチンにあの姉が立っている道理はないし、じゃあトイレかな……。
  見当たらないと、そういえば。
「今日はシロスケ、いないなあ」
  姉さんが怖がらせるから、まあこれはしょうがないんだけど。
  おもっていると、ちょうど外に姉のぼさぼさ頭が見えた。
  ふらふらといかにも眠そうな足取りで庭に入ってくる。
「姉さんおはよう。こんな時間からその髪でどこいってたの?」
「ん……ぁ、ナツ。今日ごみの日だから……あたしが、出してきたの」
「姉さんがそんなめんどくさいことを自分から……っ!」
  朝っぱらから感動だった。人間は成長するんだね。
「えらい? あたしえらい? ナツぅ、ねえ、お姉ちゃんえらいでしょ、ね、ねっ」
「うん、うんっ」
「ん、んっ。ほめてほめて」
「姉さん天才、大好き姉さんっ」
「ん……んっ。なでてなでて」
「ぇえ……っ!? ま、まあいっか、ほら、よしよしよし」
  寝癖大爆発の髪に手を突っ込んだ。ふわふわ。
「ん、ん……んっ」
  すごい笑顔だった。
  本当に猫みたいだなあ……猫嫌いなくせに。
「あ、姉さんちょっと訊きたいんだけど」
「んぅ。なによぉ」
「シロスケ、俺まだ見てないんだけど、姉さんはみ――っ」
「知らない」
  ぴしゃりと、いきなり声音を変貌させて、姉さんは断言した。
「……ぁ、そ、そう?」
「うん。あんな野良猫は今日みてない。だから知らない」
「そ、そっか」
  急にはきはきしゃべりだした姉をいぶかしみつつ、僕は会話を続ける。
「やっぱりアレかなあ、昨日姉さんが怖がらせたから、もうこないのかなあ」
「いいじゃん。半端にふれあってても、よくないしね」
「そうなんだけど……まあ、公園とか散歩したら、ひょっこりあえるかもね」
「ん……それは無理だけどね」
「え?」
「んっ。や、ただの独白……ぇいっ」
「ぉわあっ!」
  抱きつかれた。
  朝っぱらからとても情けないが、心臓がばくばく動くので、僕は大変だった。
  大変だったが、姉さんは好きなので、とても悪くなかった。
  あの子猫も。
  今の僕と姉さんみたいに、他の子猫とだきあっていれば、
  少なくとも寒すぎることはないだろうと、おもった。
  ともかく。
  最近の僕。
  日課が一つ減りました。

 ところでこの朝っぱらからいちゃついている姉弟とは関係のない知識なのだが。
  今日はごみの日なのだ。
  つまりあの図体のでかいごみ収集車がやってくる。
  ごみ収集車を大きく分けると車体の後部に積込み装置がある機械式収集車と、
  容積の大きい荷箱をのせたダンプトラックがある。
  さらに、機械式収集車は、プレス式と回転板式に分かれる。
  今日、ナツの姉が出してきた黒いごみ袋を収集したのは、プレス式だった。
  プレス式は、プレスプレートによりごみを圧縮しかさを減らして積込む方式である。
  圧縮。
  つまりプレートでごみを潰す。
  潰すのだ。

 そしてこれも朝っぱらからいちゃついている姉弟とは関係のないさまつな出来事です。
  とある子猫はとても白かったのだけれど、
  今日、
  とっても紅くなった。
  それだけ。

2007/01/28 完結

 

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