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魔女の逆襲



21

 早百合にとっては、しずるは敵である。自分の場所を、良樹の隣を奪った憎き女。
  あの良樹の部屋の会話を聞いたためだろうか。
良樹としずるの二人がもう一度会うと、すぐにでもベッドで事に至ってしまう。
そんな脅迫じみた妄想が早百合の頭の中に渦巻いていた。
  魔女と良樹が口を聞くのは耐えられない。いや、会話をさせてはいけない!
  そんな脅迫概念が彼女の心を支配していた。
  彼女は変わった。

 ここ数日。早百合はずっと彼女と良樹を会わせないようにしていた。
  朝、良樹が登校してくると一番に話しかけそのままHRまで話し込む。
ほとんど良樹が話を聞く形で、早百合は良樹が口を挟む隙間を与えない。
  休み時間、早百合は自分が嵌っているといって良樹やねねこ達と
ドイツ製のカードゲームをやらせる。
これも時間いっぱいまでプレイし、良樹が自分の目の届かないところには行かせない。
  昼休み、これもねねこや恒をけしかけて四人で一緒に昼食。
  体育は月一のモノだと言い張って休んだ。体操服のまま体育館のコートの中、
バレーボールでアタックを打とうと奮闘しているねねこを尻目に、窓からで男子のサッカーを眺める。
もちろん常に良樹から視線をはずさない。
  放課後、二人で帰宅する。良樹をマンションへ見送った後、すぐに家に戻り、
着替えてマンションへ戻る。
そのまま良樹が出かけないか、もしくはしずるが部屋に来ないかをマンションの前でずぅっと見張る。
そのままずっとマンションの前で門限の午後九時までずっと監視する、
  早百合はこれを数日間繰り返していた。
なにしろ。魔女は神出鬼没だ。どこからでてくるかわからない。
  早百合はできる限りの努力を使って、良樹にうざがられることの無い様に、
地味に良樹の行動を把握しようとしていた。
  早百合は良樹が魔女と接触する暇を与えないようにしていた。
  そんな早百合の努力を知ってか知らずか、しずるはここ数日間。二人の前に姿を現さなかった。
  早百合は不思議に思いつつもまぁ居ないにこしたことは無いと考え特に気にも留めずに
日々をすごしていた。
が、どうやら永遠のお別れは無かったらしい。
気がつけば、早百合のすぐ真横にしずるは立っていたのだった。

「ごめん、ちょっとトイレ」
「ん。待ってるわ」
  午後5時前。
  昇降口の前で、良樹は早百合にそう告げると駆け足でかっかっかと音を立てて走り、
階段前の男子トイレへと入っていった。
  さすがに、トイレの中までは良樹を監視できない。
早百合は良樹が入っていったトイレの前まで歩くと、壁にもたれかかる。
  トイレの前で待つ少女。傍から見たら妙な光景だと早百合は思った。男子トイレを覗いてみる。
綺麗にされた流し台と青いスリッパが数本並んでいた。
  ……まさかこの中に魔女が潜んでるなんて無いわよね。
  突然、早百合の心に不安がよぎる。ついさっきまで魔女は神出鬼没と考えたばかりだ。
男子トイレの個室から、用具室から、
貯水タンクの中から出てくる可能性も考慮しないといけない。いや、貯水タンクはさすがに無理か
。綺麗に体を折りたたまないと。いや体は折りたたむものではないが。
「……すこし侵入してみようか」
  まるで悪魔のささやきだ。早百合はそう呟く自分に胸がドキドキと鼓動し始める。いいのだろうか。
アウターゾーンこと男子トイレに侵入して。
  いや、ダメだ。良樹には負荷をかけないように地味に監視を続けていたのだ。
さすがにトイレの中まで入ると「おかしい」と良樹も思うだろう。
  やめておこう。いくら自分でも常識は持っている。
そう呟く早百合だったが、良樹の家に無断侵入したことについての常識は自ら無視した。 
……それにしても。しばらくトイレを凝視して待っていたが三分経っても出てこない。
「こんな時に大か……」
良樹は個室の中に入ったようだ。早百合はすこし脱力した。
はぁと吐いたため息が白く残ってすぐ消えた。
女の子と一緒のときに自宅以外で大をするんじゃねぇと早百合は心の中で悪態をつく。
どうやら良樹にとって早百合は本当にただの幼馴染としか見ていないらしい。
だが裏を返せばそれだけ、一緒に居てもすぐトイレで大ができるぐらい気の置けない仲か。
なんだか微妙。

 ふと、早百合は思いつく。
  いまごろ良樹は個室に入っている。じゃあ自分が今トイレの中に入っても
良樹は入ってきたのが早百合だとは気付かないんじゃないか?
  そこまで考えて早百合はもう一度ふるふると頭を振った。自分のちょっと考えてみた案を
すぐに却下する。いくらなんでもリスクが高すぎだ。やっぱり普通に待とう。
  早百合はもういちどため息をつく。
少し歩いてトイレから3メートル離れた場所にある掲示板にもたれかかった。
掲示物には保健だよりや今月の校内予定表などが貼られている。
ザラ紙特有の灰色さが掲示物の地味さを際立てている。
こういうのを見ると保健だよりの地位の低さが如実に現れているようですこし悲しくなる。
  と、
「やぁ、鞠田早百合。ひさしぶりだな」
突然、真横から耳に残るハスキーボイスで声をかけられた。
あのICレコーダーから聞いた声と同じ声。
  早百合が声の方向に振り向くと、そこには体操服にブルマ、肩に桃色ジャージをひっかけ、
左手には紙袋を担いだ魔女が右足に体重をかけて斜めに立っていた。
  しずるのふんわりと揺れる髪の毛が窓から溢れる夕日の光を浴びてきらめいて、
浮かべた表情はいつもの屈託の無い笑顔。
  その立ち振る舞いは一見ただの体育会系少女だが、
彼女のかもし出す雰囲気は魔女のごとく幻想的で退廃的だ。
「し……しずるさん」
「ひさしぶりと言っても3日ぶりぐらいかな」
  いつものようにからからと笑う魔女。とても友好的で爽やかな笑い声。
「こんにちは。しずるさん」
「こんにちは。鞠田早百合」
  早百合は頭を下げる。しずるもそれに呼応して、さっと左手を上げた。
  早百合にとってはしずるは良樹の隣を奪った敵だと認識している。
しかし、しずるにとって、早百合は自分の一番の親友だと思っていた。
これによるアドバンテージは大きい。しずるは早百合のことを良樹と同じぐらい信頼しているのだ。
そして確信しているだろう。『早百合が良樹を奪うはずなど無い』と。
  魔女の牙城(もしくは悪魔城)を崩すため、彼女の隙をつけるポイントはそこだ。
  そのポイントを消滅させてはならない。
だから、早百合は自らの憎しみを隠してしずるに友好的な態度をとっているのである。
  信頼していた親友に裏切られていると知ったら、魔女はどう思うだろうか?
  早百合は心の中で嘲笑していた。
  ふと、早百合はすぐ隣のトイレを見る。
  良樹はまだ出そうな気配が無い。よかった、大で。
もしここで良樹が大でなかったらしずると鉢合わせていた。
  しかし、油断はできない。トイレで大を済ませるまで平均の時間はたしか七分弱。
すでに良樹がトイレに入って四分。ここでトイレからすっきりした良樹が出てきてしまえば
いままでの監視体制は水の泡だ。
  なんとか、良樹が出てくるまでに誤魔化してしずるを離さないといけない。
  頼むわ。良樹の直腸っ。もうすこし難産でお願いします! 早百合は良樹の内臓に懇願した。
「どうした。こんなところで? もう放課後だぞ」
「いえ。少し」
「ふぅむ。私は昨日まで花梨山に行っていてな。つい今帰ってきたところだ」
「そうですか」
  なんで花梨山なんかに。あそこには寂れた湖しかないはずだ。何しにいったのか気になる。
だが、もしここで「何故そんなところに?」と聞いたらまた時間がかかってしまう。
  なるべく、話が長引かないように相槌をうった。
「花梨山のふもとの店で濡れ煎餅をしこたま買ってきたのだ。お土産だよ」
  そう言うと、しずるはもっていた紙袋を開けて中に手を入れる。
するりと細い指で取り出したのはきつね色の煎餅を何十にも重ねたタイプのお土産用煎餅だった。
「ありがとうございます」
「兼森良樹にも渡そうと思うが……、彼はいまどこに居る?」
「たぶん、四階の視聴覚室だと思います」
  嘘。本当はそこのトイレの個室でうんうんうなっている(ハズ)。
しかし本当のことを教えるわけにはいかない。なるべくここから離れた場所を早百合は口にしていた。
すぐ近くに良樹が居ることを自分の視線の動きに悟られないように、
トイレの方向は見ないようにしていた。
「そんなところで彼はなにをしているのだ? 彼は普段そこに用は無いはずだが」
「たぶん、大きなスクリーンで映画研究部と映画でも見てるんでしょう。
  友達に呼ばれたとか言っていました」
  なんとかしずるをこの場所から離そうと早百合はあることないことの出任せを言う。
しずるは頭にはてなマークを浮かべたように眉を寄せた。
「ふむ。そうか」
  しばらく考えるように口元に指を当てて数秒。
「では、そこに行ってみよう。君も来るか?」
  しめた。
「いいえ。私も用がありますので」
「誰か待っているのか?」

 ぎくり。血の気が一気に引く。やはり魔女だ。一度安心させておいて確信をついてくるとは。
早百合の背中にじとりと汗がにじむ。だが、ここで無理に否定しては、魔女のことだ。
すぐ気付くだろう。気付かなくても、いらぬ時間を食ってしまう。
ここは流す。魔女の言葉に動揺したと思わせないように。
「そんなところです」
「そうか」
  成功。魔女は早百合を特に気にすることなく、くるりと背を向けると階段のほうへ歩き出した。
ふぅと、ばれないように早百合は息をつく。
「そういえば」
「はい?」
  ちょうど階段をのぼろうとしたしずるが振り向いた。
  まだなにかあるのか? 早百合はにらみそうになる目つきをなんとか抑える。
「あの鈴は大事にしてくれているかな?」
  鈴。
  ……そういえばあの鈴を自分に渡したのは魔女だった。小百合の頭に疑問が浮かぶ。
魔女は鈴が力を持った特殊な鈴だと知っていたのだろうか?
「ええ、大事にしていますよ」
  嘘ではない。いまでも鈴は私の胸ポケットのなかにしまっている。
「そうか。それはよかったよ」
「……あの鈴は……」
  早百合は口を開きかけて……良樹のことを思い出し、閉ざす。
「ん?」
「いえ。なんでもありません」
  聞きたかった。魔女が知っている限りの鈴の真実を。だが、今はダメだ。
「ふむ……。鈴、大切にな」
  魔女はなにか含んだような間をあけて黙った。
が、すぐにそれだけ言うと階段をひたりひたりと昇っていった。
  しずるの姿が見えなくなる。早百合は何度目かの安堵の息をつく。

「……………何をやってるのかしら。私は」
  氷の上に立つように、危なげに、私は踊らされている。

 りぃん。

 水温。ドアが開く音が響く。良樹がトイレから何かを解き放ったようなすがすがしい顔で出てきた。
なんかムカつく。
「おかえり」
  早百合はあえてそう言ってみた。良樹は恥ずかしそうに頭を掻く。
デリカシーの無い奴だと改めて思う。
「ごめん、待たせて。さぁ、帰ろう」
「……アンタは気楽でいいわね」
「ん? なにが?」
「こっちの話よ」
  そう言うと、早百合は良樹を無視するように早足で歩く。
良樹は首を傾げながら早足で歩き去る早百合を追いかけた。
「しずるさんが視聴覚室に居るわよ」
  背後から追ってくる良樹に早百合はぴしゃりと言った。
早百合は良樹の顔を見ないように、顔を振り向かないように、ただ真実だけを言い放つ。
「……しずるさんが?」
「行ってあげなさいよ」
「あ、うん」
  いきなりの早百合の態度に良樹は一瞬戸惑う。圧倒されたのか、それともやはり恋人だからか?
  良樹は彼女の横を通り過ぎると、先ほどしずるが昇っていった階段を
駆け足で同じように昇っていった。
  良樹の姿が消える。
「……これでいいのよ」
  早百合は胸ポケットから鈴を取り出した。燕尾色に光る鈴。早百合の精神を蝕んだ鈴。
「………」
  彼女は窓を開けると、無言でその鈴を外に投げ捨てた。
  ひゅん。
  鈴は放物線を描き、頂点で一瞬夕日の光を反射させきらりと光ると。

 りぃん。

 その音だけ残し、茂みの中へ消えた。

「……これでいいの」
  いまごろ、良樹はしずると鉢合わせているだろう。
  そして一緒に映画でも見るのかもしれない。私の口からでたでまかせのように。
  早百合は自嘲気味に口元をゆがめると、昇降口へ向かい学校を出て行った。
  寂しげな後姿は夕日の光を浴びて、なにか、儚げに見えた。

 早百合は強かった。
  何度、鈴が彼女に脅迫概念を与えても、早百合はそれを聡明さとタフな精神で克服し、
鈴の魔力から覚めてしまう。
  そんな早百合に鈴は焦ったのだろうか?
 
  早百合が鈴を捨てたその夜。
  鈴が咆哮をあげた。

22

 夕食を食べて、母親と一言二言はなした後、早百合は階段を昇る。
ぎぃしぎぃしと鳴る木の板の音を聞きながら、早百合は今日のことを考えていた。
  良樹のこと、しずるのこと。そして、自分の気持ちのこと。
  しかし、もう吹っ切った。
  もう早百合にとって、しずると良樹がもうどれほど愛し合おうが、勝手だと結論付けた。
早百合はしずるを本当には嫌いになれないし、逆も然り。
  ふぅと息を吐くと、早百合は自分の部屋のドアを開けて自室へ入る。
ベッドにうつ伏せで倒れこむと、そのまま数分間白いシーツを顔に押し付けて気持ちを整えた。
けだるげに体を起こすと、早百合はゆっくりとした動作で立ち上がり部屋の隅にある勉強机へ。
椅子に座るともういちどぎぃしと音が鳴った。小学校から使っている机。
しばらく座って何もせず虚空を眺めていた。
早いけどもう寝ようか、と早百合がもう一度立ち上がろうとした。
せつな。

 りぃん。

「え?」
  鈴の音が響いた。あの、いつも聴いていたあの音。
  早百合はぴくりと反応した。いや、聞き間違いかもしえないと頭を振る。

 りぃん。

 しかし、もう一度。今度ははっきりと鳴った。あの鈴だ。あの、燕尾色の鈴の音。
音は近い。部屋の中から聞こえていた。
「な……なんで? なんで鈴の音が?」
  あの鈴は捨てたはず、と早百合は呟く。学校の草がぼうぼうと生えた茂みに投げたハズだ。
こんなものは必要ないと、こんなものはあってはならないと、
襲い来る情欲をかなぐり捨てて鈴を投げた。もう二度と見ることは無いと思っていた。
しかし、鳴る音の響きは間違いなくあの鈴だ。
  早百合は神経を尖らせ聴覚に意識を集中させる。
りぃん、りぃんと断続的に鳴る鈴は心臓の鼓動の脈動に似ていた。
 
りぃん、りぃん。

 耳に届く鈴の音。
机の中から響いている。まさか、早百合は思い切って、勉強机の一番上の引き出しを開けた。

 りぃんっ!

 引き出しを開けた瞬間。音はひときわ甲高い音を響かせて、止んだ。
  そして、引き出しの中には

 捨てたはずの燕尾色の鈴が、にたりと笑ったように鈍い光を照らしていた。

「……!!」
  途端、早百合の体に浮かんだのは恐怖。背筋が凍ったようにピキリと音を立てて寒気が起きる。
「な、なんでこんなところに!?」
  鈴を掴んで顔の前まで持ってくる。燕尾色に光る鈴は間違いなく早百合が今日捨てたもの。
まったく同じものだった。
  ようやく、鈴の呪縛を解いたと思った。いや、呪縛という自覚はあまり無かったが、
これを捨てれば全て解決すると思っていた。
  しかし、違う。そこまで単純ではないらしい。早百合は鈴をじっと見つめる。
鈴の円形に写る自分の姿がぐにゃりと歪んで見える。
「……なに」
  鈴が移動している。そして、すべて自分の元へと帰ってきている。
  早百合は部屋の窓を開けると、もういちど鈴を握り締めて夜の闇の中へ投げた。

 りぃん。

 闇の中へ消えていく鈴。一度だけ音が響き、そのまま消える。

「……」
  しかし、投げた後も早百合の気分は晴れなかった。
  早百合は薄々確信していた。あの鈴は程なくして戻ってくるということを。
「しずるさんに相談しないといけないわ……」
  もはや自分の手に負えそうも無い。
それよりかは、この鈴を早百合に渡した張本人、紅行院しずるに連絡するが一番の解決策だ。
彼女は何故早百合にこの呪われた鈴を差し出したのだろうか?
  彼女は何かの思惑があって早百合に渡したのか? それだったら一番の責任はしずるだ。
だが、可能性としてしずるがこの鈴の隠された魔力に気付いていないということもありえる。
が、いまは責任云々よりも解決策。この鈴をなんとかする。
そう、魔力を沈静化させなければならない。
でなければ、帰ってきた鈴はまた自分を甘い呪縛で縛り付けるだろう。
そうして得るものはなんだ?
  しずるに嫉妬して、良樹を独占し、そのまま依存して……、破滅だろう。
  早百合は、学生カバンに入っていた携帯電話を取る、
買ったばかりの携帯電話のメモリから紅行院しずるの名前を探す。
『か』行をサーチするが、二名しか並んでいない苗字の列の中に紅行院という苗字は無い。
次に『さ行』からしずるという名前を探すが、これも同じく無かった。
そこで早百合は気付いた、しずるが携帯電話を持っていないということを。
「しまったっ。忘れてたわ……」
  本当に焦っていたようだ。早百合は携帯電話を閉じてベッドへ放り投げた。
今すぐにでもしずると連絡を取りたい、が、携帯電話は持っていないし、しずるの家もわからない。
  できれば直接に会いたい。会って全てをぶちまけて相談したい。
  早百合は唇を噛んで、部屋の中を見渡した。
なにかしずると連絡を取れるようなアイテムは無いかと思ったが、
そんなものは部屋の中にあるわけが無かった。
  唯一、プリントの束が机の下にあった。これをのろしとして利用すればしずるが気付いて
来てくれるか? と一瞬だけ考える。無理だった。
  本棚から学級名簿を探してみるも、最近の学級名簿には物騒な世の中のためか住所は書いていない。
それ以前にしずるとは別のクラス。
誰か知り合い経由でコンタクトを取れないかと考えて、
「あっ!」
  早百合は身近な人物を思い出した。
「良樹っ!」
  そうだった。しずるの恋人の良樹だ。
普通ならすぐに思い至るはずだった。しかし、鈴の洗脳やらと考えて無意識のうちに
良樹との溝を作ろうとしていたのだろう。良樹の名前が出るのに時間がかかった。
  しずると一番太いつながりを持っているのは良樹に他ならない。電話で連絡はできなくても、
良樹ならなにかしらのホットラインを知っているだろうし、
もしかしたら今良樹の家へいるのかもしれない。
  早百合は息を巻くと、先ほど投げた携帯電話をつまみあげて良樹の番号を押した。
ぴぴっと鳴るプッシュ音。ディスプレイに発信中の文字が出ると、
急いだ様子で早百合はスピーカーを耳元へ押し付けた。
  刹那。

 りぃんりぃん。

「!!!」
  耳元から聞こえたのはあの、鈴の音。
  早百合の体は固まった。

 りぃん、りぃん。

 これは発信音なのか? いや、そんな設定にした覚えはないし、この音は間違いなくあの鈴だ。
  スピーカーから流れる音に早百合はきることもできず、ただ予想外の事態に体を硬直させていた。

 りぃんホりぃんシりぃんイりぃん。

「……あ、あう……」
  耳元で響き続ける鈴の音に、はじめて言葉が混じり始めた。
甲高い鈴の音の中で心の奥底にささやきかけるような低い低い声。

 りぃん ホ りぃん シ りぃん イ りぃんりぃん アノ りぃん ヒト りぃん ノ りぃん
  スベテ りぃん ガ りぃん ホシイ りぃん……。
りぃん アノヒト りぃん ノ りぃん スベテヲ りぃん ワタシ りぃん ニ りぃん ヨコセ!
  りぃん りぃん

早百合の脳髄へ響く音。
そして、暗示。低い声だが、なぜかその声は女性の声だと早百合は意識の奥で気付いた。

りぃんりぃんりぃんりぃんっっ!

「や、やめて……」
早百合は鈴に懇願するように呟く。しかし、そんなセリフを無視するように、
スピーカー越しの鈴の声は激しさを増してゆく。

りぃん ホシイ りぃん アノヒト りぃん ホシイ りぃん ホシイ りぃん ホシイッ! りぃん

「ぁぁあうっ! ……ああぅ!!」

しかし、耳元で直接語りかける言葉はそんな早百合の意識を真っ白へと変えてゆく。
  真っ白になった早百合の脳内のキャンパスへ、鈴の音がスプレーで乱暴に塗りつぶしていく。
どす黒い色をした情欲と憎しみの色。
脳内が汚染されるたびに、早百合の心の奥から今度は情欲が湧いてくる。

「あぅえ……っ、 ぅへぇっ……、 うぅあえへぇへぇ……!」

そして、鈴の音と連動するように、下腹部の奥から快楽の疼きがはじまる。
まるで何かを抜き差しされているようにピストンで突かれるように、
鈴の音にあわせて快楽の刺激が早百合を襲う。

りぃん ヨシキ りぃん ホシイ りぃん ヨシキ りぃん ホシイ りぃん ヨシキ りぃん
  スベテガ りぃん ヨシキヨシキヨシキヨシキ!!
りぃん ニクイ りぃん マジョ りぃん しずる りぃん ニクイ りぃん ニクイ りぃん
  マジョノ りぃん スベテガ ニクイニクイニクイニクイ!!

携帯電話を片手に掴んだ早百合の表情は悦楽に病んでいた。
顔は真っ赤になり、焦点があっていない目は白目をむき、
半開きの唇からは唾液がぶしゃりと出しっぱなしだ。体も火照ったように熱くなり湯気がたちこめる。
スカートの奥なんてこの数秒の出来事でぶしゃぶしゃだ。
すべての鈴の攻撃を跳ね除けた早百合だったが、この攻撃にはなにも抵抗できなかった。
白みがかかった視界。すべてを忘れるような悦楽、脳内へ植えつけられていく暗示と鈴の音に、
早百合の脳髄はとろけだし意識はかすんでゆく。
まるで薬物。まるで麻薬。まるで、

 インストール。

 これは、鈴が、意識を、のっとり……、ワタシを、ケしテ、しょうきょシテ、うえかラ、すズが、
うヒャ、ヒャゥ、ヘウァ、ヒャぁ……。

りぃんりぃんりぃんりんりんりんりんりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりっっ!!

「えひゃぁぁぁ! よぅぉぅぃおしぃああえんきぃぅああぇぅぉぅしぃぃぃぃ
  ぁぅえじゃんぅあそかぃあじぃいぃぃ!!」

りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり
りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり
りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり
りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり
りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり
りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり………。
  ひゅるり。

 

「ヨシキ、愛してるわよぉ…、良樹ぃ、良樹ぃ。私ねぇ、良樹のことがずっとずっとずっとずっと
  中学生のときから小学生のときからあなたに会ったときからずっと好きだったの愛していたの
  思い続けていたのでもね私はね臆病でした怖がりでした良樹を好きなことを隠してました中学生、
  小学生のときからあなたの優しさが嬉しいはずなのにあなたの優しさを独占したいのに、
  あなたに思いをぶちまけることであなたとの関係がくずれることが怖かったのだからわたしは
  あなたの横にいるだけでいいと思ったあなたといちばんのともだちでいることが望みだったわ
こんな単純な気持ちに今頃になって気づくなんてわたしってば鈍感よね
  えへへでも良樹も悪いんだよ? そんな気じゃないのに私に優しくしてくれて知ってるよ
  中学生の頃あの疎遠だった頃今考えれば地獄だった頃、
  あなたと私がほとんど口をきかなくなっていたかった頃だよ
  私がいじめられていたのを良樹はなんとか庇おうと先生やクラスメイトたちに
  働きかけてくれたでしょそれも私に気付かせずに、そうやって自分の手柄を見せないように
  私を助けてくれたこと知ってるんだよ、今でも感謝してるんだよ
私の中であなたが特別な存在へとなっているのに私はあなたが恋人ができたといわれて
  初めて気付くことができたのしずるさんが現れて初めてこの想いに気付いたの
  えへへえへへへへへへへ遅いよね遅すぎるよね
私も諦めようと思ったよでも諦め切れなかったわあなたのことを愛しそうに喋る魔女や
  あなたを見ていると私はとても切なくなるの寂しくなるの憎たらしくなるの魔女のいる居場所は
  私の場所なのよと叫びたくなるの
  もう限界なのだから魔女さん紅行院しずるさん 死んで死んで死んでください消えてください
  居なくなってください臓物をぶちまけて電車のホームに轢かれてくださいオマエのような
  泥棒猫なんぞに良樹を渡すか
  そのスカした顔がイラつくんだよ憎たらしいんだよ殺したくなるんだよなにが愛しい人だよ
オマエが愛しい人なんて生ゴミを漁る卑しい卑しい鴉で十分だこの鴉女あなたが良樹とつりあうなんて
  本気で思っているのまったくそうだとしたら自意識過剰だわ良樹のことをなにも分かっていないわ
まったくお願いだから魔女さんもう一度言うけど、しつこいようだけど、
私からのお願いだけど本当に死んでくれないかしら?」

 早百合は夜の道を歩いていた。
  良樹への愛のささやきとしずるへの憎しみの言葉を呪文のように呟き、
ひたりひたりと一歩づつ良樹のマンションへと近づいていた。

23

 りぃん、りぃん。
  窓に投げた鈴を拾い上げ、早百合はにやりと笑う。
  その鈴を握り締めると早百合の体の奥から底知れぬ力が湧いてくる。
  憎しみの力、独占したいと願う欲望の力。
  鈴を握り締めると早百合は裸足のままでアスファルトの道路をひたりひたりと歩いてゆく。
  夜10時を回った住宅街はひっそりとしていて、人通りはどこにも無い。
  その中で早百合はただひたすら歩を進めていた。
早百合の感情、意識、思想全てが淘汰され、ただ己の妄執のみによって突き動かされている。
「よしきぃ、よしきぃ……」 
  住宅街を右へふらり、左へゆらり、しかし確実にその歩は良樹のマンションへと向かって動いている。
  しかし、速度はかなり遅い。

 りぃんりぃん。

 握り締めていたはずの鈴が鳴る。鈴を握り締めているのであれば、音を鳴らすわけが無い。
  音は空気の振動によって怒るもののはずだ。
しかし、何故か鈴の音は響いている。

 りぃんりぃん

 ……早百合の頭の中で。早百合の頭の中で鈴は力を誇示するように、早百合を責めたてるように、
早百合に妄言を呟くように、脳内に響く。
「あいしてるぅ……あいしてるぅ………」
  何度も、何度もはねつけた鈴の力、それによって早百合の心の中の感情全てが破壊され残った執着。
  今の早百合にあるのはそれのみなのだ。
  もし、彼女の心の中をルミネホールのように覗いてみればこのような文章が踊るはずだ。
  良樹を独占する。良樹を奪い取る。しずるを駆逐する。しずるを排除する。
  しずるをしずるをしずるを殺す殺す殺す殺す殺す殺す死ねしねしね死ね……。
  これでは大人も子供もお姉さんもやるべきではない。
「よしきぃ、よ、よ、よ、よしきぃ……よしきぃ、よしきぃ……」
  呪詛ように良樹の名前を紡いでゆく。
  もし、彼女が早々に鈴の魔力に屈していたらここまで廃人寸前ならなかっただろう。
  早百合が鈴の魔力に抵抗するたびに、鈴はその力の出力をどんどんと強くしていった。
  害虫を駆逐するために殺虫剤をかければ次はその殺虫剤につよくなる害虫が生まれるがごとく、
  早百合の抵抗が鈴の力を増幅させる結果となったのだ。
  そして、最終的に。早百合は狂った。

 りぃん、りぃん。

 彼女は幻覚も見ていた。それは自分のベッドの中で一人見ていた妄想とおなじもの。
  自分が良樹に抱かれる姿。
それと、もうひとつ。昔の良樹と昔の自分のセピア色の映像。
  まるで8ミリカメラのように荒く暖かいあの映像。
  すべて、すべて、早百合の都合のいいように編集されて脳内で麻薬のように
  繰り返しリピートされていた。
  その映像が蘇るたびに彼女はその虚ろな目を扇形に細め、虚ろな口元から良樹の名前を呟くのだ。

 りぃん、りぃん、りぃん、りぃん……。

 り……。

 音がやんだ。
  同時に早百合の足が止まる。
「くふ、くふふ、くふ……」
  早百合は俯きっぱなしだった顔を、生唾をためるように上へ向けて
  溢れる狂気を隠そうともせず笑った。その声にもはや早百合の面影は無い。
  何か甘い砂糖菓子をを噛み潰すような笑い方をしながら早百合が視線を向けた先。
  それは良樹のマンション。
  鈴を握る力がいっそう増す。この鈴は今や早百合の体の一部。
  握り締めるごとに心臓の脈動のごとくひとつふたつと魔の力が体中に供給され循環する。
「くふふ、くふふふふ、くふふぅうぅう」
  早百合の笑い声は闇夜に響く。

 実際彼女が良樹の部屋へ押し入ってどうするつもりなのか。それはわからない。
  ただ本人も鈴も今は良樹の姿を眼前まで持ってゆくことだけに集中していた。
  マンションの入り口へ視線を戻す。粗末なガラス張りの玄関に大家さんの手遊びのように作られた
  ガーデニングが並べられている。偶然にもプランターに植えられていた種はマリーゴールドだった。
  もちろん花言葉は嫉妬である。
  しかし、早百合はそれを見てナイスタイミングだと思う思考能力が無い。
  まぁ、元のままの早百合でも花言葉なんて知らないが。
「きたわぁ……くふふっ」
握っていた手を開く。燕尾色に光る鈴が早百合の行動を喜ぶかのようにりぃんと音を鳴らした。
  早百合はそれに目を細め、もう一度力を吸収するように強く手を握り締めた。
  もうすぐだ。もうすぐで良樹の部屋へ行ける……。
  そう思うだけで早百合の脳内は薔薇色に染まり、体中が心地よい快感でうずめられる。
  鍵は胸ポケットの中に大事にしまっている。
もし良樹が入れてくれなくても無理矢理押し入るつもりだった。
  早百合がマンションの入り口へ笑いながら足を踏み入れた。
  裸足のまま踏み出した足が玄関のタイル貼りの床に触れる。ひたり、ひたり。
  と、そのとき。
「鞠田早百合」

 りぃんっ。

 いきなり両肩をつかまれ、早百合の体は強制的に止められた。
  早百合はかまわず歩き出そうとするが、
力を込められた両手に押さえつけられた体はビクともしない。
「鞠田早百合、私が分かるか?」
  早百合はぎしりぎしりと頭だけ動かし、右へちょうど90度まで首を動かして。
肩を掴んだ人間の顔を確認した。
「……し、ず、る?」
  早百合の肩を掴み、ブルマにジャージのままの服装で真剣な表情で語りかける人物。
  それは早百合に鈴を渡した張本人。紅行院しずるに他ならなかった。
「すべて私の責任だ。その鈴を返して欲しい」
  しずるは、顔の右半分だけ見える早百合に向かって沈痛なおももちで言葉を紡ぐ。
「その鈴はある陰陽の家系の女が嫉妬の果てに入水自殺したときに怨念を封じ込めながた呪いの鈴だ。
  私がなんともなしに渡すようなものではなかったのだ」
「………」
「その鈴を持ってからの君は明らかにおかしかった。鈴の魔力に弄ばれていた。
  私はそれに気付くべきだった。人のつながりに浮き足立ってそれに気付くことができなかった」
  早百合は必死そうに話すしずるの顔を右目だけでじっと眺めていた。
  いつもの斜めから見たようなスカした表情ではなく、いまにも泣き出しそうなほどの必死な表情。
そして、心の内面に語りかけるような純粋な瞳。
「……」
「その鈴は危険だ。わかるだろう、今の君にも。今の君は鈴に操られている」
「……」
「鈴を返してくれ。お願いだ」
「……しずるさん」
  見たことも無い魔女の必死な様子に、早百合の淀んだ瞳はふるふると潤む。
消え入りそうな声で早百合はしずるの名前を呼んだ。
「鞠田早百合っ」
「すいません、肩を放してください……。これでは渡すものも渡せません……」
「……わかってくれたか」
  しずるは早百合の肩に乗せた腕をはずした。
そんな細い腕からどうしてそれまでの力が出せたのだろうか。
  早百合は首を元に戻し、体ごとゆっくりと振り返る。早百合としずるのお互いが向き合った。
「さぁ、鈴を返し……」
  刹那。早百合の口元がにやりと笑った瞬間。

 

 がぁつぅんっっ!

 早百合のグゥで握られた鉄拳が、しずるの鼻頭に叩きつけられた。
  一発。ストレートに伸びた早百合の腕。手加減などいっさい無い、全力で叩きつけられたこぶし。
  早百合は虚ろな目で、撲ったしずるの顔を見つめてにぃたぁと口元をだらしなく開いた。
  闇のように真っ黒な口の中。そのまま早百合はにたにたと唇をゆがめ笑う。笑い続ける。
「……ふへへ、ふへ、殺すぅ、ころすぅぅ」
  にたにた笑い声をあげる早百合だったが……。
  突然、不快な笑い声を止めた。
「……ふん」
  早百合が鉄拳を叩き付けたしずるの顔面。それがいまだ早百合のこぶしから離れていない。
つまり早百合の握った手の甲としずるの頬はくっついたままなのである。
  そう、しずるは早百合のストレートを顔で受け止めていたのだ。
正面から堂々と早百合の拳を喰らっておきながら、しずるは倒れるはおろかよろけもせず、
  仁王立ちのまま堂々と立っていたのだ。
「……え……?」
「私がまいた種だ。一回は殴られなければ、許してもらえないだろうな」
  そして、まるで殴られたことなど蚊にでも刺されたように無関心のまま、
早百合をじっと見つめて言った。
「……こ、こ、ころすぅっ!!」
  早百合は倒れないしずるを見て発狂する。魔女の顔面は鉄板か?
  たしかに殴ったときは肉の感触はあった。だが、魔女は倒れない。
しずるの顔面へ叩き込んだ腕を引くと、きぃぃぃと軋むように歯をかみ締め、
両腕を鳥のように開くとそのままもう一度、しずるの顔面へ振り落とした。
「すまないっ! 早百合、君のためだっ」
  対するしずるは、もう早百合に普通に説得しても無駄であると気付いていたのだろう。
  用意が早かった。早百合に殴られた直後、しずるの腕はブルマの腰につけられていた
  ある防犯グッズにいつでも手を伸ばせるようにしていたのだ。
  しずるは早百合の行動……鈴の力の使い方を読んでいた。
早百合がもう一度叩きつけようと両手を振り出した瞬間、
しずるは防犯グッズに手を伸ばしそれを掴む。
バチリと光るそれを握り締め、早百合の体めがけてそれをしならせ叩いた。
  それは、警防型のスタンガンであった。
  そのスタンガンをしずるは早百合の脊髄に付属する部位、首元に叩きつける。
まるで侍の居合い抜きの様な見事な一撃。
「ひぎぃぃぃぃっ!?」
「すまない! すまない! すまない!!」
  50万ボルトの電圧が早百合の体内に走りまわった。しずるは何度も謝罪の言葉を口にしながらも
  スタンガンの攻撃の手をゆるめなかった。

 りぃんっ。

 早百合の手から離れ、鈴が悲鳴を上げるように音色を響かせ、宙へ放り出された。
  その途端。

 どさりっ。

 早百合の体がまるで操り人形の糸が切れたように脱力し、アスファルトに倒れこむ。意識は無い。
「……やったか」
  しずるは、どくどくと鳴る自分の心臓の鼓動をなんとか抑えながら、
  全てのことが終わったことを悟る。
  このまま彼女が全てを忘れてくれればいいのに。いや、彼女は鈴により操られていただけだ。
  鈴をなんとかしなければならない。
  そういえば、鈴は?
  あたりを見渡すと、あの憎き呪いの鈴は早百合の体からいくらも離れていない場所に転がっていた。
  しずるは急いでそれを拾い上げる。あれほど凶悪に見えていた鈴も、持ち主の手から離れれば
  なんてことはない、ただの古い骨董な鈴だ。
  しかし、この鈴が早百合をこんな状態まで変えてしまったのだ。
  ううっ、としずるが唇を噛む。悔しげに、口惜しげに。
「……こんなものを考えなしに渡すなんて……私はなんて馬鹿なのだ……」
  倒れた早百合と鈴。この両方に囲まれ、マンションの玄関前で、しずるは初めて涙を流した。
  自分の侵した罪を責めながら、おんおんと声をあげて泣き出した。
  その泣き声は、何事かと良樹が部屋から降りてきて
倒れて意識をなくしている早百合としずるの惨状に気付くまで続いた。

24

 ぐわんぐわんと頭が鈍器で殴られたような感覚が残る。
ううっと頭を押さえようと手を伸ばそうとして、
早百合は自分がベッドの上で寝ていることに気付いた。
  あたたかい羽毛布団に包まれる感覚。目を開けると、いつもの自室の天井が見えた。
自分の部屋に居る……。早百合はそう自覚して、体を起こした。
  もう、真夜中なのだろう。あたりはしぃんと静かで、
  開きっぱなしのカーテンから見える住宅の光もほとんど無い。
  私はなにをしていたのだろう? 
気を失うまでの記憶を思い出そうと改めて頭を押さえる。
  と、そのとき。
「気がついたか? 鞠田早百合」
  がちゃりと自室のドアが開けられた。ドアを開けた人物は早百合の起き上がった姿を確認すると
嬉しそうに声を発した。
「勝手に入ってすまないな。君の母親に一応の許可はもらってるのだが……」
  そう言いながら、早百合へ近づいてくる女性。タオルと水差しをお盆に載せてやってきたのは、
先日も早百合の家へやってきた魔女こと紅行院しずるだった。
  いつもの体操服とブルマだが、今日はちゃんと学校指定の赤いジャージをはおり、
きちんとファスナーを上まで上げていた。何気に正装のつもりなのだろうか。
「しずるさん」
「いやはや、早く気がついてよかったよ」
  しずるはベッドに近づくと、早百合のおでこに手を伸ばす。反射的に早百合は目をつぶるが、
ぺりぺりとおでこの熱冷ましシートが剥げられただけだった。
  早百合はここで自分の額に熱冷ましシートがつけられていたことに気付いた。
自分は風邪でも引いていたのだろうか。
  記憶があいまいである。
  たしか、今日は普通に学校に行って、家に帰って、電話を使って、あれ? それから……それから?
「どうして、どうしてしずるさんが私の家に?」
「……まあ、まずは一杯」
  しずるは落ち着いた様子で水の入ったコップを差し出した。
早百合はわけも分からずそのコップを受け取り、口の中へ流し込んだ。
  相当に体が乾いていたのだろう。冷たい水はするすると胃へ流し込まれ、喉のすべりも良くなる。
やはり自分でも気付いてなかったようだが、自分は相当喉が渇いていたようだ。
「どこから話そうかな……」
  空になったコップをしずるは受け取ると、丁寧にお盆においてベッドの前にひざを落とし
床に直接座った。ちょうど目線が早百合と同じ位置になる。
「鈴のことはわかるかな?」
「鈴、ですか?」
「そうだ。私が渡した鈴だ」
  そう言って、しずるはジャージのポケットとごそごそと探ると、燕尾色に掴むそれを摘み上げる。
「これだな」
「……鈴……」
  しずるは鈴を早百合に見せ付けるように出すと、自分で腕を揺らしりぃんと鳴らしてみた。
「もう何も起こらないか?」
  しずるが聞く。早百合は首を横に振った。
  このりぃんという鈴の音が響くたびに、早百合の心の奥から感情があふれ出していたのだが、
持ち主の手を離れた鈴の音はもう早百合に効果をもたらすことはできず、
ただ古臭い音色をあげるだけだった。
「いえ、大丈夫です……」
「そうか。よかった」
  そういうと、しずるはハンカチで鈴を大事に包むとジャージのポケットにしまった。
  早百合の記憶がだんだんとはっきりとしていく。記憶の水面を隠すようにうごく水の波紋が
徐々に屈折を正していくような、そんな感覚だ。
「……わ、わたしは、わたしはなんてことを……」
  早百合の唇がわなわなと震え、心臓の動機が跳ね上がった。私は鈴の音を聞いて……嫉妬に溢れ……
良樹のマンションの前でしずるさんに向かって……。
「し、しずるさんっ。顔は、顔は大丈夫なんですか!?」
  そうだ、たしか自分はしずるの顔面をグーで殴っていた!
  自分の意思ではない。しかし、殴ったのは間違いなく自分の拳だ。
  早百合は慌てて起き上がって、しずるに肩に掴みかかった。
「平気だよ。あれぐらい」
  肩を掴んだ早百合に普通に微笑返すしずるは、本当に平気そうだった。
顔には一切の痣や青こぶが無い。

「それよりも私は君のほうが大丈夫かと聞きたいが……」
「え? どういうことですか」
「ほら、私が君に向かって、すぱんすぱん」
  そう言ってしずるは申し訳なさそうに表情をころりと変えると、
右手で棒を振り回すようなジェスチャーをした。
「え……?」
「……そこは覚えていないのか?」
  早百合が、警防型スタンガンによりべしりと叩かれたシーン。
早百合の頭の中でそのシーンは都合よく忘れていた。
  しずるはそれに気付くと、こほんと咳払い。
「まぁ、いい。説明をしよう」
「は、はい」
  しずるは自分に都合の悪い部分、改造し犬でも気絶可能(しずる比)な警棒型スタンガンで
ばしばし早百合を叩いたということをうまく隠した。

 しずるが体勢を改めた。そして真剣に早百合に向き合うと、しずるに鈴の真相を話し出した。
  この鈴はある陰陽系の女が持っていた鈴らしい。
  その女には幼い頃からの友人が居た。
  その友人は男で人当たりもよく、女は幼い頃から男のことを想っていた。
  成長するに従い、女のその男に対する愛情はどんどんと肥大していき、
  男もそれに合わせるように女を愛し、なるべくして二人は恋人同士となったのだ。
  しかし、人の心の色とは変わりやすいもの。
結婚の約束までもしていたはずの男は、ある日、陰陽系の女とは違う、別の女に恋をしたのだ。
  男は陰陽系の女に一切の興味をなくし、新しくできた女に夢中になった。
それでも、陰陽系の女はなんとか寄りを戻そうと男を慕い続けた。
  しかし、そんな日が続き、最終的には陰陽系の女は男に全て拒絶させられた。
新しくできた女との新しい生活をはじめようとする男を見て、女はしぶしぶながら身を引いたのだ。
そして、女は結婚の約束も、幼い頃からの絆もすべて破棄させられた。
  陰陽系の女は絶望した。絶望し、絶望し、己のふがいなさと男への執着、
そしてその男の新しい女への恨みの言葉の遺書を残し、ある海へ入水自殺した。
  自殺した際に掴んでいた鈴。これは男が女が死んだことを知らされ、
警察から遺品として渡されたものだった。
全裸になって砂浜に流れ着いたところに発見された死体はこれだけ、後生大事に掴んでいた。
  この鈴は元々陰陽系の女のものだったが、幼い頃男に女が手渡していたために、
  鈴は男の手へとまわったのだ。
  それから一年。男と新しい女、そして家族。男と親しい人間。全て死んだ。原因は他殺。
  突然錯乱状態になった女がナタを振り回し始め、男・家族・そして自分自身の体も
  すべて切り刻んだのだ。
  その後、男の家は解体され、遺品は全て様々な寺の各所へと弔いのため移され、
鈴だけはなんの因果かしずるの祖父の手に渡った。
その祖父が鈴をとある親戚に渡し、その親戚が違う親戚に渡し、さらにその親戚が親戚に渡し……
この鈴のパストレードが何十年も続いた。
そして、祖父も帰らぬ人となりこの鈴に関することがほとんど風化した状態に鈴が
紅行院の元へ帰って来る。
それが、最終的に曲がりまがってしずるの手に渡り、
呪いの噂もしらないまま早百合に手渡したのだった。

「私も昨日調べて、初めて知ったことだった。この鈴は他人に対する嫉妬心を増幅させ、
  人を内側から破滅させる呪いの品だったのだ」
  しずるの引き締った声に、早百合はぐっと唇を噛む。
まるで嘘のようなオカルト話だが、実際に操られしずるに殴りかかっていた自分がいい証拠である。
「そんな……」
「君が良樹のことを少なからず愛していたことは私もうすうす感づいていた」
「え」
「いやいや、戸惑う表情を見せないでくれ。どちらかといえば、いままで近くに居た人間が
  急に遠くの存在になるような、恋愛ともいえない微々たるものだと思う。
  ちょうど、姉弟の片方が結婚する時みたいなもの……」
  しずるは、そこまで言って早百合のすこし困惑した表情に気付き、
「私がきみの気持ちを代弁するべきではないのだが」と付け足した。
「……いえ、それは、その考えであってると思います」
「うむ、しかし。そんな些細な感情の揺らぎを鈴は大きくする。
  人との劣等感や差別意識、どんな些細なものも鈴は増幅させるのだ」
「……」
  早百合は妄想と絶望がいりまじったあの夜のことを思い出していた。
自分の歪んだ理想と歪んだ現実、鈴はその双方を見せて感情を煽っていた。
「そして、鈴は人を操り、攻撃させようとする。自分に劣等感を与えようとするものに、
  自分が……自分が嫉妬している相手に」
「……そうですか」
  早百合が呟く。しずるの調べてきたこと、それは全て事実だろう。早百合はそう確信している。
まさに自分が体験したから……という理由もあるが、
やはり真剣に話すしずるの感情に打たれているのだ。

 早百合が考えをめぐらして窓の外を眺める。暗い夜。
少し離れた先に良樹のマンションがあるはずだ。良樹はこのことを知っているのだろうか。
ふと早百合は思った。
「鞠田早百合」
窓の外に視線を漂わせていると、もう一度、自分の名前が呼ばれる。
早百合は視線をしずるの元へ戻した。
  自室の床、ベッドの前、早百合の目の前で。しずるは、魔女は、早百合に土下座をしていた。
  手を床に伏せ、自らの額を接着剤でくっつけるようにぴたりと密着し、
早百合に向かって頭を下げていた。
「ちょっと、しずるさんっ!」
「すまない」
  土下座したしずるの見えない口元から出されたのは、謝罪の言葉。
重く早百合にのしかかる、低い低いしずるの声。
「君を危険な目に合わせてしまった。本当にすまない」
  綺麗な、綺麗な土下座だった。いや、綺麗な土下座なんていままで見たことは無いが、
しずるの真剣な謝罪の気持ちだった。
「しずるさんっ。顔を上げてください」
「君をこんな事件に巻き込んでしまった私は、本当なら一切これから君と良樹、
  それや君たちのクラスの者たちと顔も目も合わさず縁を断ち切るべきだ」
「いや、巻き込むって……そもそも元凶は私です」
「いや、鈴を渡したのは私だ。それ以前に、そもそも私と良樹が付き合うべきではなかった」
「……」
「いままで、なにも人とのつながりを持たずに居た私が、なんの努力もせずに良樹を手にいれ、
  起こした結果がコレだ……。私の罪はとても重い。
馬で市内を引き回されること請け合いだろう。いや、引き回された挙句ミンチにされて豚の餌にされて
家畜の肥えとなってもまだ晴れることの無い罪だ」
  それはさすがに重すぎだ。
「待ってくださいっ。しずるさんっ!」
  土下座をしたまま、さらに自分を責める言葉を紡ごうとしたしずるを、
早百合は肩を掴み引き起こす。
  顔を上げられたしずるの顔は普段のにやにやとした微笑みからは考えられないほど、
悲しみに歪んでいた。頬に小さな水滴が垂れていた。涙だ。
「……」
  早百合はその涙に顔を寄せて、ぺろりと涙を舐めた。
「ひっ」
  舌が触れた瞬間。しずるが小さく悲鳴を上げた。魔女もこんな声を出すのかと早百合はすこし、
和やかな気分になる。涙は伯方の海かと思うくらいしょっぱかったが。
「しずるさん。私が泣いたとき、私の涙を舐めてくださいましたよね? そのお返しです」
  ぺろり、ぺろり。
「ひっ、ひっ、ひぃっ」
  もう一度、落ちる涙を掬うように早百合は涙を舐めた。
その度にしずるの肩がぶるりと振るえ小さく悲鳴を上げる。
  大人っぽかったしずるの顔が、舌が触れる度に幼い少女のようにいやんとくすぐったそうに
表情を変える。ころころと変わるしずるの顔。なにか楽しい。
「や、やめっ。ひぃっ」
  真夜中の部屋の中で、二人はまるで恋人のように顔を寄せ合っていた。
早百合はしずるの流れる涙をひとつひとつ舐めとってゆく。
そして、最初はくすぐったがっていたしずるも、時間が経つにつれ、
それを受ける様に顔を早百合の口元に寄せた。
  一瞬だけ、お互いの唇が触れあった。
しずるの薄いピンク色の唇と早百合のぷるんとした唇が重なる。
「……」
「……」
  唇が離れる。見つめあい潤んだ瞳がお互いの瞳の光を交換し合う。
  もう一度、二人は唇を重ねた。一分間。二人は目を閉じて唇を重ねていた。

 唇を離す。目を開けると先ほどまで唇を重ねていた相手の顔が見える。
目元は潤み、頬は赤く染まっている。
しかし、なにか先ほどとは違う意味で戸惑った表情だった。
  そのまま沈黙が数秒続き、しずるが口を割る。

「……なんで、キスしたんだ私たちは?」
「……たぶん……その場のノリで」
  早百合も戸惑ったように顔を赤くして答える。
「……私は貞操概念が強いほうだと思っていたのだが……」
「……私も、ファーストキスが女の子かとは思いませんでした」
「……」
「……」
「………ぷっ」
「………ふふっ」
「「あはははははは」」

 お互い、噴出し笑みを浮かべて、笑いあった。
  笑って笑って、これまでのすべての罪を洗い流すかのように、笑いあった。
  真夜中。良樹がなにも知らずにマンションで一人寝ているころ。
  早百合としずるの二人は大きく笑い声を上げて、笑いあって、
もういちどお互いの存在を慈しむように抱き合った。抱き合って二人でわんわんと泣きあった。

Epilogue

 玄関でシューズをつま先をとんとんと叩いてかかとを滑り込ませる。
「今日は、早く帰るからなんか言ってくれたら買って帰るよー」
  早百合が台所に向かって叫ぶと、エプロン姿の母親が台所から顔を出す。
牛乳ーという言葉を聞き、早百合は大きく「はーい」と返すと、玄関のドアを開けた。
  いつもの早百合の朝だ。
  外は明るい。そろそろ2月も中旬を過ぎ、暖かな日差しでぽかぽかと気持ちいい。
  そのまますこし歩き十字路を曲がると、良樹のマンションの前まで来る。
マンションの前に、男女二人の姿が見えた。しずると良樹の二人だ。
「おはよう」
  早百合がそう挨拶すると、しずるは目を細めて笑った。
「おはよう早百合」
「おはよう」
  良樹も笑顔で返す。
  いつものように、早百合の到着を待っていてくれたことに嬉しかった。
挨拶を済ませるとそのまま三人並んで通学路を歩き出す。
  しずるが話し出し、早百合が相槌を打って、良樹が笑う。
仲良し三人組と言ったら幼稚臭いが、まさにこの言葉が似合うグループだった。
「おはようございますー」
「おお、おはよう」
  後から体育会系の一年生が追い越していった。追い越す直前にしずるに挨拶していく。
「あの子、誰ですか?」
「ああ、あの子は最近仲良くなった七宮姉妹の妹だな。
  うちの学校に双子がいるなんて驚いて思わず声をかけてしまった」
「しずるさんらしいな」
  そういって、からからと笑いあう。
  しずるは最近、きちんと授業に出席するようになった。
学校でも指定のスカートとブレザーを着るようになり、授業も真面目に受けている(らしい)。
  それにともない交友範囲も広げていったようだ。
以前まで魔女と言えば近寄りがたい変人……といったイメージだったのだが、
しずるのもともとの人柄か、ここ二週間ほどで魔女のイメージは180度変化し、
  いまでは、次期の生徒会長になるんじゃないかと言われるほど人望を集めていた。
魔女は死んだ。最近しずるがよく言う口癖である。良樹も以前までは魔女と付き合っていることで
何かしらの中傷は受けていたが、魔女の評価が上がるに連れていまでは誰もがうらやむ、
人気の人物となった。
  女の子に告白されることも増えたらしい。
しかし、すべて断っている。もちろん、恋人のしずるが居るからだ。 
「そういえば、私にも弟が居てな」
「おとうと?」
  早百合は良樹と目を合わせた。良樹は初耳だ、と呟く。
「ああ、隣の市に住んでいる可愛い弟なのだ。そういえばしばらくあってないなと思った」
「会いに行ってあげたらどうです」
「ふむ、そうだな。久しぶりであるし……。
  明日でも良樹のおもしろ話をたくさん持って行ってみるか」
「僕のおもしろ話!?」
「あははっ、なにかしたの? 良樹」
「知るか!」
  あはは、と談笑しあう。
早百合はコレまで起きた鈴のことや、魔女への憎しみ、全てを忘れて笑った。
「早百合。そういや今日なんか先生に呼ばれてなかった?」
  良樹がふと思い出したように、早百合に言う。
「あ、そうだった。たしか、なんか出さなきゃいけないプリントを出して無くて、言われてたんだ」
「そうか。先に行っておいた方がいいんじゃないか?」
  しずるが頭をかいて続ける。早百合は「うん、そうだね」と返事をすると、
シューズのつま先をもういちど地面でとんとんと叩いた。
「じゃあしずるさん、今日のお昼にね」
「ああ、またな」
  しずると早百合のクラスは別だ。
だから、大体二人が落ち合うのは登下校のときと昼休みだけだった。
「それじゃあっ」
「後でなー」
  早百合は走り出し、一度だけ二人に振り返ると笑顔で手を振る。
しずると良樹の二人もそれに呼応して手を振り返し、早百合は前方へ視線を戻して走り出した。
  走っている早百合は楽しげだった。
  良樹が居て、しずるが居て、自分が居て、こんな楽しい友達関係。こんな楽しい学校生活。
  幸せだった。とてつもなく幸せだった。これまでにない充実感を感じながら、
  早百合は学校へ走っていた。

 

「さてと、良樹」
「なんだい、しずるさん」
「話がある」
「な、なに……?」
「つい昨日、女子から告白されたそうだな」
「み……見てたの? たしかその時は早百合と一緒に甘党ベッキーに行ってたんじゃ……」
「ふん、美女から告白されてニヤニヤしとったな」
「ニヤニヤしてないよ」
「そして、女の子に一度だけ抱きしめてくださいといわれて簡単に抱きつかせた」
「なんで、見たことのように知ってんの……?」
「それともうひとつ、先ほど後輩の女が通りかかったとき、後輩の尻をしばらく眺めていた」
「な、眺めてないって!」
「嘘付け。視線は揺れる尻に釘付けだったぞ?」
「そんなわけないよ」
「私にはわかるよ」
「なんでさ!」
「まぁよい、今日は良樹の家でお仕置きだな」
「な、なにするの?」
「君が昨日買ってきたばかりのタンスの裏に隠されたやらしい本をすべて焼却する」
「え、ええー!?」
「私が居るのだ。必要ないだろ?」
「………なんで?」
「なにがだ?」
「なんで、しずるさんは僕のことを全部全部把握してるの……?
  いつもいつも、変な本買ってもすぐ見つけるし、どの女の子に話しかけたか全部知ってるし……」
「ふん……それはな」

 りぃん。

「愛の魔法だ」

 しずるの制服のポケットの中に仕舞われた燕尾色に光る鈴がりぃんと音をなった。
  鈴の魔力を見事に使いこなすしずるが織り成す愛の物語はまだ始まったばかりだ。
(終わり)

2007/03/03 完結

 

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