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赤い瞳と栗色の髪



1

ミーンミンミン……。
セミの声が騒がしい。
…暑い……コンクリートが熱を発し、熱を帯びた風が頬を撫でる。
当たり前だ、今は7月下旬。暑いに決まってる。
だがつい先程まで涼しい電車に乗っていた、尚更この暑さには慣れない。
俺は七原ちか。女みたいな名前だがれっきとした男だ。
額を流れる汗を拭い、辺りを見渡す。

ここは山鈴村。
その名の通り、山しかないど田舎だ。駅に着いたというのに人っ子一人いやしない。
ここには俺の母親の妹、つまり俺にとっておばさんにあたる人がいる。
俺は夏休みを利用し、その人の家に世話になる事になった。
家で夏休みを楽しむのもよかったのだが、家にはいたくなかったのだ。
「はぁ…、ここに居ても仕方ない。行くか。」
宿泊荷物もろもろが入った鞄を持ち直し、駅から出る。

駅から出て辺りを見渡すと、一面田んぼしかなく人の姿などどこにも見当たらない。
「弱ったな、どこ行きゃいいんだ」
俺は母親から親戚の家までの道のりを聞いていなかったのだ。
朝「道はわかるの?」と聞かれた気もするが、
一刻も早く出たかった俺はその言葉を深く考えなかった…。
…いや、自分を過信していたんだ。
昔この村に俺は来た事がある。7才の頃、丁度この時期に連れてこられたのだ。
その時家は親が離婚するしないで揉めていて、親はその姿を見せたくなかったのだろう。
半ば強制的にここへ遊びに来させられた。
1人おばさんに預けられた俺は、最初は馴染めずに1人で居る事が多かったらしいが、
徐々に友達を見つけ遊びに出かけられるようになったらしい。
――――あの事件が起こるまでは。

その日俺は友達の所に行くと言って出かけ、中々帰ってこなかった。
心配になったおばさんは遊び場所を探し回ったが見つからず、ついに夜を向かえた。
事情を説明された村の大人達が色んな場所を探し回り、1人の大人が神社を探している時
普段使われていない倉庫の扉が少し開いているのを見つけた。
なんとなくそこを探してみると、血塗れになって倒れている俺を倉庫の奥で発見したらしい。
最初血塗れで倒れている俺を見て死んでると思ったみたいだけど、
俺自身は傷1つなく誰かの血が付着していただけだった。
その後意識が戻った俺に大人達が何があったのか聞いたらしいが俺は何も覚えていなかった。
記憶はその日の事だけじゃなく、この山鈴村に来た事…ここで過ごした日々の事、全てが消えていた。
あの血の事や、何故鍵がかかっている神社の倉庫で倒れていたのか、
何一つわからないまま俺は迎えに来た母親に家へと連れ戻された。
でも俺には1つだけ覚えている事がある。

赤い瞳

それが誰のものかはわからない。
ただ、血のように赤い瞳だけが俺の脳裏に焼きついている。

「帰る時の道は覚えてるから大丈夫だと思ったんだけどなぁ…」
溜息混じりにそう呟き、目的もわからないまま歩き出す。
「こうしてても仕方ねぇ、歩いてれば誰かいるだろ。」
考えるより先にまず行動、俺の悪い癖だ。昔からそれで何度痛い目にあってきたか……。

見慣れない田園風景を歩いていくと家がちらほら見えてきた。が、相変わらず人はいない。
10分…15分と歩いただろうか、古ぼけた鳥居が見えてきた。
神社だろうか…、ここなら人がいるかもしれないな。そう思い、神社に寄る事に決めた。
階段を上り、鳥居を抜ける。
そこには小さいけれど立派な神社があった。本殿の隣には家がある。神主の家だろうか。
「…もしかしなくても、ここが俺が倒れてたっていう神社か…?」
記憶を辿るものの、何も思い出すことなど出来ず。
この記憶の欠落に対する落胆も今では慣れ、気を取り直しすぐに違う事を考える。

「やっぱ誰もいないか………でも一応神社なんだし、神主とかいるかもしれないな。」
本殿の隣の家へと足を向かわせ、呼び鈴を鳴らす。
「すみませーん、誰かいませんかー。」
……誰の声も聞こえない。
「…いないのか?」
何気なく戸を開けてみる。ガラガラという音が響く。
「開いてる…。泥棒とか心配しないのかこの村は。」
その時、砂利を踏む音が背後から聞こえた。

「………何してるんですか?」

突然声をかけられびくっとし、振り向くとそこには巫女らしき少女がいた。
年は同じくらいだろうか、肩にかからない短さの髪がきちっと切り揃えられ、
漆黒の美しい髪が風になびく。
意志の強そうな瞳をこちらに向け、整った顔を警戒の色に染めている。
「私の家に何か?」
「あ、いや、これはその……あははは……」
何気なく開けた戸を乾いた笑いで誤魔化し、閉める。
「あ、怪しい者じゃないんだ。ただ道を聞きたくて…」
「それで勝手に人の家の戸を開けた、と?」
まずい……完璧不審者に思われてる…。
「…ごめんなさい……」
…空気が重い。暑さのせいか、それともこの空気のせいか、額から汗が流れる。
「……で、どこへの道を聞きたいのですか?」
「あ、ああ……七原さんの家ってわかるかな?ちょっと道がわからなくてさ…」
「七原さん…少しお待ちください。」
そう言うと少女は家へと入って行き、1分ほどで戻ってきた。
「七原さんのお家でしたら、この神社を出て左に真っ直ぐです。」
「左に真っ直ぐか、ありがとう。助かったよ。」
「いえ、お気になさらず。」
そっけなくそう言い、少女は家の壁にかけられた箒を手に取り掃除を始める。

「あー……あのさ、君ってここの巫女さん?」
「ええ、そうですけど。」
「昔ここで血塗れの男の子が見つかったって事件があったんだけど、何か知ってるかな?」
そこでやっと少女が顔を向ける。相変わらず警戒の色を向けながら。
「知りません。以前そのような事があったというのなら聞いた事がありますが、それだけです。」
「そっか……ごめんな、変な事聞いて。」
「いえ。」
空気が帰れと言っているような気がする…。恐らく気のせいではないだろう。
無理も無い、人の家を勝手に空けた不審人物だ。
心の中で溜息をつくと、少女に会釈をして神社を出た。
階段を下りる。―――突然、熱風が吹いた。
砂埃が舞い、熱い風が纏わりつく。

やっと来てくれたんだね……。
ずっと…ずぅっと待ってたよ、私のチカちゃん………。

確かに聴こえた。女の声…。
暑いはずなのに鳥肌が立つ、背筋に悪寒が走る。
忘れているはずの記憶があの声は危険だと告げる。
はっとして辺りを見渡すも誰一人居ず。さっきの声はただの幻聴だったのだと状況が告げている。
――俺は呆然としながらそこに立ち尽くすしかなかった。

2

やっと動くようになった体をなんとか動かし、教えられた通りの道を歩いていく。
…さっきの声は何だったのだろう、幻聴?それとも本当に………。
いや、そんな筈は無い。だってあそこには誰も居なかった。あの少女しか…。
…何を考えてる?あの少女は初対面だ。しかも俺の事を不審人物だと思ってる。
そんな事あるはずがない。
なによりあの子の目は赤くない。あいつじゃ…ない。

空を仰ぐ。綺麗な澄んだ青だ。雲1つ無い。
「あれは幻聴だ。ただ昔の記憶があの場所に行って疼いただけだ……そうに違いない。」
自分に言い聞かせるように何度も呟く。
心が少し落ち着いてくると、あれはやはり幻聴だったのだと、そう忘れる事にした。

目の前に2軒の家が見えてきた。
「やっと着いたか……。………ん?」
誰かがこちらにやってくる。奥の家の塀にもたれかかっていたその人物は、
俺を見つけると走りながらやってきた。
…女?女が俺に何の用だ?
「あ、あの!七原ちか君…だよね?」
「あ、ああ……そうだけど?」
「わっ、やっぱりそうだ……!」
胸の辺りまで伸びる綺麗に輝く栗色の髪を揺らしながら、
ぱっちりとした目を輝かせ花が咲いたように少女は笑う。
少し幼い顔立ちだが、先程の巫女姿の少女と同じくこの少女も美しかった。
「ちーちゃん!お帰りなさい!」
そう言うと少女はいきなり抱きついてきた。
幼い顔立ちとは裏腹に、細くくびれた腰、豊満な胸が俺の想像を掻き立てる。
「ななっ…!?い、いきなり何するんだ!!」
真っ赤な顔になりながら裏返った声でそう叫ぶ。
すると少女は身体を離し、えへへっと笑った。
「ごめんごめん、こんなに驚くとは思わなかったんだもん。」
クスクス肩を揺らし笑う。多分俺の顔は真っ赤な茹で蛸みたいになってるだろう。
自分が恥ずかしい…。
女性経験など生まれてこの方無いんだ、仕方ないだろう。
誰に言っているのかすらわからない言い訳を心の中で呟く。

「…いきなり抱きつかれたら驚くに決まってるだろ。それに…お前誰だ?
俺の事知ってるみたいだけど。」
「あ……、やっぱり私の事覚えてないんだ…。」
「仕方ないよね、記憶…ないんだから…。」
先程の笑顔は既に消え、花が萎れたような表情で俯いてしまった。
「ご、ごめん…。」
「ううん、ちーちゃんが謝る事じゃないよ。だってちーちゃんは悪くないもん。」
「ああ、でも…せっかく俺の事覚えててくれたみたいなのに…。」
そう、例え記憶を失ったとしても全て俺の責任なのだ。
自分の記憶なんだ、誰かのせいでこうなったとしても忘れたのは俺自身に他ならない。
「大丈夫だよ、これから思い出していけばいいんだし、ね?」
「え?」
「記憶だよ、思い出さなくてもいいの?」
考えた事も無かった……。いや、考えるのを無意識に拒否していたのだ。
あの瞳に関する事は全て忘れたい、だからこの村の記憶も俺は消したのだろう。
俺にはそんな恐ろしい記憶をこじ開ける勇気はなかった……多分今も…。
「…どうしたの?」
「………ごめん、あまり思い出したくないんだ…。」
「……あ………ごめんなさい……。」
また少女は俯いてしまった。
「い、いやいや、大丈夫だよ!ほら、またこれから思い出作ればいいんだしさ!」
その言葉を聴くと少女はぱぁっとまた花が咲いたような笑顔で見つめる。
「本当!?」
「本当の本当の本当の本当の本当の本当に本当!!!!」
「あ、いや、う、うん……本当……。」
少女の問い詰めに驚きながらもそう答える。
「ちーちゃん……ありがとう!!!」
にっこりとこれ以上無い程の笑顔を見せ、少女は足どり軽く走り出す。
「早くー!おいでー!」
手前の家の前で手をぶんぶん振りながら呼んでいる。
その姿に苦笑しながらも懐かしい何かがこみあげてくるのを感じ、俺は少女の元へと歩き出す。

古い一軒家、表札には『七原』と書いてある。
「さ、栄子さんも待ってるよ!」
ぐいっと引っ張られる。完全に少女のペースだ。
自分を情けなく思い自己嫌悪に陥る俺を無視し、少女は戸を開く。

「栄子さーん!ちーちゃん来たよ!」
大声で奥にいるであろう栄子さん…おばさんを呼ぶ。
ぱたぱたと廊下を走る音を響かせながらおばさんがやってきた。
「はいはい……………。あらぁ!ちか君大きくなったわねぇ〜。」
もう33だというのにおばさんは若い。
平凡な俺の母親と違い、背が高くモデル体型というのだろう…整ったプロポーションをしていて、
おまけに綺麗で美人。短くショートにした髪も相まって、ボーイッシュな印象を見るものに与える。

あの頃と変わらず綺麗なおばさんに知らず内に見惚れていた俺はふと違和感を覚えた。
…腕が痛い……少女がこちらを睨みながら腕を掴み手に力を入れている。
「………。」
「な、なんだよ…。」
「別に…何でもないよ!」
ふてくされながらそっぽを向いてしまった。ああ…爪がめり込んでくる…。俺が何したっていうんだ。
「ふふっ、ちか君って相変わらずなんだねぇ〜。」
おばさんが面白そうに言う。相変わらずというのはどういう意味だろうか。
「おばさんに見惚れるのもいいけど、惚れるなよ〜。」
「…ふざけないでください栄子さん。」
「あら、でもおばさんまだまだイケると思ってるんだけどなぁ。」
「そういう問題じゃありません!ちーちゃんとおばさんは親戚ですよ!」
「んー禁断の愛っていうのもいいわねぇ…。」
「栄子さん!!」
当の本人を置いてけぼりで何盛り上がってるんだか…。溜息をつき、2人の間に割って入る。
「ああもう、おばさんも冗談は止めて下さい。君も一々冗談に突っかからない。」
「…むぅ……。」
「あははっ、ちか君に怒られちゃったぁ♪」
心底楽しそうに笑うおばさんに対して、頬を膨らませて睨みつける少女。
一体何がこの少女をここまで怒らせたのかイマイチわからないが…。

「とにかく上がらせてもらいますよ。俺も疲れてるんですから。」
「あ、そうだったわね。ごめんねー、おばさん気が利かなくてさー。」
「さっ、どうぞどうぞ。若菜ちゃんも入って。」
「…はい。」
おばさんは未だ不貞腐れている若菜と呼ばれたその子に、
やれやれといった視線を送りその子に近づく。そして何やら耳元で囁いているようだ。
と、見る見る内にその子の顔が赤くなっている。…何を話してるんだ?
おばさんが顔をあげ、少女と目が合う。瞳に期待を混じらせた少女がこくこく頷く。
「…さぁ!2人とも早く入った!アイスあるよー。」
…アイスは食べたいな。疲れたから甘いものが食べたい。
「う、うん!栄子さんありがとう!」
真っ赤な顔で嬉しそうに言う少女。そんなにアイスが好きなのか…。

居間に通された俺達はおばさんの持ってきたアイス『ギリギリくん』を食べている。
昔から思ってたんだが、この『ギリギリくん』という名前はどうかと思う。
あまりにも縁起が悪すぎる。これを食べてギリギリな状態にでもなったら
どう責任を取ってくれるんだ。
と、我ながら馬鹿な事を考えながら『ギリギリくん』を口に運ぶ。
こんな事を考えているのもさっきから会話が続かないせいだろう。
頼みの綱のおばさんが居ないせいだ…。
何故かおばさんは急に買い物へと出かけてしまった。
出る時に意味深な目線を少女に送っていた気もするが…あれは何だったんだろうか。
ふと…俺は大事な事を思い出した。
「そういえばさ、ずっと聞くの忘れてたんだけど…。」
「ふぇ?どうしたのちーちゃん?」
俺は少女を指差し。
「…誰?」
「…あっ!そういえば言い忘れてたね。」
照れ笑いをしながら少女は自身を指差し。
「私は、鬼灯若菜って言うの。ちーちゃんと同じ17歳だよ。」
鬼灯はにっこり微笑む。

「へぇ、もっと年下だと思った…。」
「む、それどういう意味ぃ?私が子供っぽいって事ぉ〜。」
しまった……つい思った事を…。
「あーいや、そういうわけじゃなくて……えーと……。」
「じゃあどういう意味よぉ。」
「その………………ごめん。」
じと目で睨みつける鬼灯に耐え切れずつい謝ってしまう。

「…ま、いいけどさ。どーせ私子供っぽいしぃー。」
完全に拗ねてしまった…。初対面(俺の中で)の女の子を怒らせてしまうのは申し訳ない。
なんとかしないと…。
「あっ、いやでも鬼灯は可愛いと思うよ!うん!」
「えっ…。」
「確かに少し幼いかもしれないけど、可愛い顔してるし!胸も大きいしさ!良い身体してるようん!」
―――って、俺は何を言ってるんだ〜〜!?
…逆に地雷を踏んでしまったか……身体は関係ないだろう身体は……。これも男の性、か…。
だが言ってしまったものはもう遅い。今更撤回するのも失礼だ。
ああ………馬鹿か俺は………。

だが鬼灯は自己嫌悪に陥って固まってしまった俺の予想外の反応を示した。
「…もぅちーちゃんってばぁ……。」
…あれ?怒ってない…?
鬼灯は真っ赤になりながら嬉しそうに熱の篭った瞳で見つめてきた。
幼い外見とは裏腹に、その表情はとても17歳とは思えないほどに色っぽい。
胸が高鳴るのを抑え、そういうものにあまり慣れていない俺は目を逸らす。
「ま、まあそういう事だから……あまり気にするな。」
「うんっ!!」
とりあえず機嫌は直ったみたいでよしとするか…。

「でもね、ちーちゃん。」
「ん?」
もじもじしながら俺を見つめ。
「私の事は…、鬼灯じゃなくて…昔みたいにわかちゃんって呼んでほしい…な。」
「わか…ちゃん?」
「うん、わかちゃん。」
…それはこの歳ではさすがに恥ずかしいぞ。
「だめ…かなぁ?」
「だめというわけじゃないんだけど…。」
「じゃあ……。」
期待しながら見つめてくる。流されそうになるのをぐっと抑え。
「……若菜、でいいか?」
がくっ。
そう若菜が言った気がした。
「…うう、ちーちゃんがそう言うなら…それでいいよ…。」
明らかにしょんぼりしている。少し悪い事をしてしまったか…。

「たっだいま〜〜!」
玄関のガラガラという音と共におばさんが帰ってきた。
「今日はせっかくちか君が来てくれたんだし、ご飯腕によりをかけて作るからね。
期待してなさいよぉ。」
おばさんの手料理…久々だな。これは期待して良さそうだ。
「わ、私も手伝います!」
そう言うと若菜はおばさんの後について台所へと立つ。
意外だな…料理が出来たのか。案外しっかりしてる子なのかもしれないな。

トントントン……。グツグツグツ……。
女2人が俺の為に料理を作ってくれる……なんてシュチュエーションだ。
テレビをつけながら横目で2人を見、俺は贅沢すぎる幸せをかみ締める。
思えば今まで女っ気がなさすぎた。昔俺は女…とりわけ同い年の女の子が怖かったのだ。
男より全然ひ弱で怖い所なんてどこにもない筈なのに、何故か恐怖を感じていた。
今ではそういう事も無くなり、普通に接する事が出来るようになったが…。
今思うと、あの女の子恐怖症はこの村の記憶を無くしてから発露したように思う。
…ま、昔の事はどうでも良いんだが、そのせいで随分女と接する機会がなくなってしまった。
だから今のこの状況は嬉しいやらどうしていいのかわからないやらで照れ臭く感じる。
さっきから時間が長く感じられるのもそのせいだろう。
「…はぁ。」
俺は自分の情けなさに溜息をつく。

「ちーちゃん出来たよ!」
台所から顔を出した若菜が食事が出来た事を告げる。…何故か嬉しそうだ。
「ああ、ありがとう。」
「えへへ…。」
どんな料理なんだろうか…、期待が膨らむ。

並べられた料理はどれも手が込んでいて綺麗に盛り付けされている。
「うわぁ………美味そう…。」
「若い子が好きな洋食ってあまり作れないから和食ばかりだけどね、味の保障はするわ。」
「あのねあのね!この煮物私が作ったんだよ!ちーちゃん食べてみて!」
「じゃ…、いただきます。」
まず若菜が作ったという煮物から箸をつけ、口に運ぶ。

「ど、どうかな?」
「…………美味い!美味いよこれ。すごいじゃん若菜!」
「本当!?」
若菜は瞳を輝かせながら嬉しそうに微笑む。
意外だった、若菜がこんなに料理が上手だなんて。
程よく煮てある具は煮崩れもしていなく、味も奥まで染みている。その味がまた美味い……。
こんな料理が毎日食べられたら幸せだろうな、そう思う程の出来だ。
「こんな料理が毎日食べれたら幸せだろうな。」
俺は無意識に思った事を口にする。
と、若菜はその言葉を聴くと見る見る内に真っ赤になっていく。
「あぅぅ………褒めすぎだよぉ……。」
「そんな事ないって、本当に美味いんだから。」
「ちーちゃん…………。私ちーちゃんになら毎日……作りたいな………。」
最後の方は小さくて聴き取れなかったが、どうやら喜んでくれたみたいだ。
久々の楽しい食事はそうして終わっていった。

食事が終わると若菜は急いで帰っていった。まあ時間も時間だったしな。
その後風呂に入り、俺は就寝する部屋へと戻ってきた。なんでもこの部屋は以前俺がここに来た時に
使っていた部屋らしい。
幸いクーラーはついていたようで、熱帯夜で苦しむ事はないようだ。
「…ふぅ、今日は疲れたな…。」
布団に寝転がり、今日あった事を思い返してみる。
初めて会った巫女さんに不審な目で見られたり、若菜と再会(俺は覚えてないが)したり、
おばさんに散々若菜との事をからかわれたり。
…そしてあいつの声を…。
…………もう夜の11時だ。そろそろ寝ないと明日起きれなくなるな。
そう思い、俺はクーラーをタイマーにし、電気を消して布団に入る。

 

――――――コツ―――コツ―――コツ―――

 

…うとうとしだしてきた頃だろうか、何かが当たるような音が窓の方から聴こえる。
「……ん…………誰だ…こんな時間に………。」
寝転がりながら上体を起こし、窓の方を見る。
暗くて解り難いが、何か小さい石の様なものが窓に投げつけられているようだ。
「ったく、誰だよ。嫌がらせか…?」
重い体を起こして立ち上がり、窓に近づく。
きっと子供の仕業だろう、ガツンと言ってやる!
起こされた怒りで窓を勢いよく開ける。
「誰だ!こんな悪戯する奴は!」
暗闇に向かって怒鳴る。だがそこに居たのは子供ではなかった。…………居たのは…………。

 

――――――闇に輝く赤い瞳。

 

遂にあいつは俺の前に姿を現した。

3

何だ何だ何だ何だ何だなんだなんだなんだなんだなんだなんなんだ!!!!
あいつがどうして……どうしてここに居る!!
居る理由がない!!大体何で俺の居る場所が………部屋すらもわかったんだ!!
あんな奴俺は知らない!知らない!!知らないんだ!

奥歯が鳴る、膝が震える、窓枠を掴んだ手に汗が滲む。
動けない…今すぐこの場から逃げ出したいのに。
――何故か俺はこの瞳から逃げる事が出来ない…。

どれほどの時間が流れただろうか、30分…1時間…ずっと見詰め合っていたかのように感じる。
恐らく1分にも満たない時間だろうが…。

「――チカちゃん、久しぶりね。」

そう言ってあいつは微笑んだ……ような気がした。
あいつは丁度良い具合に木の近くに立っている。月明かりすら射さない木の陰に…。
だから表情がよく見えない。俺に分かるのはあいつがそこにいる、それだけだった。

俺が恐怖で黙っていると、あいつは構わず喋りだした。

「ふふ、大きくなったんだね。あの頃と全然違う…。顔も体も…成長したんだね…。」

「でもチカちゃんはやっぱりチカちゃん。私のチカちゃん……。」

「やっと会えた…。10年、ずっと待ってたよ。」

「チカちゃんは戻ってきてくれた。私との約束破ったわけじゃなかったんだね。」

 

――約束?

あいつと俺は何か約束をしたのか?
………覚えていない……。記憶がないのだから当たり前なのだが…。

「もう約束は破っちゃだめだよ。また破ったら……許さないから、ね?」

その言葉よりも瞳の方が恐ろしかった。
暗く冷たい瞳。何か解らないその約束とやらを破ったら、俺はどうなってしまうのだろう。
赤い瞳を見ていると恐ろしい想像しか思いつかない。

「今すぐチカちゃんの所に行って全て私の物にしたいけど…、でも今日はこれまで。」

「楽しみは長く続けた方がいいものね。」

「じゃあね、チカちゃん。明日も来るから……、待っててね。」

そう言い残し、あいつは踵を返し去っていった。
『明日も来る』
確かにそう言った。

「明日も来る…?あいつは明日もここに来るって事か!?」
絶望的な考えしか浮かばない。
あいつと毎晩対面して、正気を保てるのかどうか自信が無かった。
あの瞳を見るだけで心が乱れ、体が震える。居なくなった今も俺は動けないでいる…。

――その晩は眠る事が出来なかった。

 

携帯の目覚ましが鳴る。7時、俺がセットした時間ピッタリだ。
あれから俺は布団に戻る事が出来ても寝付くことが出来なかった。お陰で寝不足だ。
…色々考えた。あいつが何故俺に執着するのか、何故俺の記憶が消えてたのか、
何故この部屋…この家が解ったのか。
だがいくら考えても、記憶を辿ろうとしても何1つ解らない…。
朝日が眩しい…。窓から太陽の光が差し込んでくる。
と、階段をぱたぱた上る音が聴こえてきた。

「おっはよー!ちかくん起きてるかな?」
おばさんが勢いよく襖を開けた。
朝から元気だな…この人は。
「あれぇ?起きてたの? せーっかく綺麗なお姉さんが青少年の目覚めを
助けてあげようと思ったのになぁ〜。」
自分で言うかな……。まあ間違ってはいないのだけど。
「なーんか酷い顔してるわねぇ……寝不足?」
「え……そんなに酷い顔してますか?」
「うん、してるしてる。具合悪いなら今日はずっと寝てる?」
一晩ずっとあいつの事を考えていたんだ、当然といえば当然なのだろう。
心配そうに顔を覗き込むおばさん…。きっと俺を心から心配してくれているのだろう、
なんだか申し訳ない気持ちになってきた。
「大丈夫だよ、昨日色々あって少し疲れただけだから。」
そう言って笑いかける。上手く笑えている自身は無いが。
「そう…?まあちかくんがそう言うならおばさん何も言わないけどさ。」

――ドンドン

突然ドアを叩く音が聴こえた。
「ん?お客さんかな?」
おばさんはそのまま下へと降りていった。
「…俺も行くか…。腹も減ってきたし。」
このままここに居ても余計な事を考えるだけだ。少しでも気分を変えないと
本当にもたなくなってしまう。

1階に降り、居間へとやってきた俺はさっきの客の正体が解った。
「あっ、ちーちゃんおはよぉ〜。」
にこにこ微笑ながら若菜が手を振っている。
「若菜?朝早くからどうしたんだ?」
「あのね、朝ご飯を少し作り過ぎちゃったの…。だから持ってきたんだ。食べてくれる…かな?」
ああ成る程…。道理で1つタッパーに入ったおかずがあると思った。
「ん、ああ…。せっかく持ってきてくれたんだし、頂くよ。わざわざありがとな。」
「えへへ……。」
若菜の隣に座り、3人で朝食をとった。若菜は終始俺の顔をにこにこ見ていた気がするのだが…、
俺はそんなに酷い顔でもしていたのだろうか。

「ねえちーちゃん、この後ちょっと付き合ってくれないかな?」
朝食も済ませ、まったりとした空気に浸っていると若菜がそう切り出してきた。
「付き合ってくれって、どこか行くのか?」
「うん! せっかくこの村に来たんだから、案内してあげたいなって思ったんだけど…迷惑かなぁ?」
「いや、別にそんな事ないけど…。」
「じゃあ行こっ!」
腕を引っ張り、有無を言わさない笑顔。逆らう理由も無く、俺は外へと連れ出された。

「今日も良い天気だねぇ〜。」
「ああ、こういうのを昼寝日和って言うんだろうなぁ…。」
「もぅ!まだお昼にもなってないんだよ!昼寝なんてだーめ!」
そうは言っても俺は一睡もしてないんだ。思いっきり眠い…。
自然とあくびが出る。それを見た若菜が口を尖らせ文句を言う。さっきからその繰り返しだ。
「それになぁ、案内するって言ったけどさっきから田んぼしかないのは気のせいなのか?」
「う…。 た、田んぼだって良いじゃない!のどかな田舎ーって感じがして癒されるでしょ!」
「全然。」
「ふぇ……。」
最初は見慣れなれない自然や空気にほのぼのしたものだが、
こう同じ風景ばかりではさすがに飽きてくる。
人に会う事すらも滅多に無い。こいつはどこを案内するつもりだったのか、
考えれば考えるほどわからん。
「むぅーーーーー。じゃあじゃあどこか違う場所を案内するよぉ…。」
「そうしてくれ。あまり退屈過ぎると寝るぞ。歩きながら。」
「えええーーー!?そ、それはだめぇ…。」
「なら面白い所に案内してくれ。」
「う……うん!任せて!」
拳をぐっと握り締め、よくわからない気合を入れている。
正直あまり頼りにはならなさそうな気がする。

しばらく歩くと昨日見た光景が広がってくる。
「…おい、どこに行くんだ?」
「えへっ、内緒〜♪」
だがこの道は……。
昨日巫女さんに不審人物の烙印を押されてしまったあの神社へ向かう道ではないか。
……さすがにまた顔を合わせるのは気まずい…。どうかあの子はいませんように……。
俺は祈るような想いで若菜の後についていった。

――風に舞う漆黒の髪、意志の強い瞳をこちらに向け、昨日とは違い驚いた表情をしている。
「若菜……、どうしたの急に? それにこの人……。」
そう言い、巫女姿の少女は俺を不審な目で指差した。
はぁ、祈りは虚しく神に届かなかったという事か…。
「えっとね、この人は七原ちか君。私の大事な…友達だよ。」
今大事な、という部分を強調していたような気がするのは気のせいだろうか。
「こっちのかわいー巫女さんは、私の友達の『錨 輪』ちゃんって言うの。」
「あ…どうも…七原です。昨日はその……すみませんでした。」
「錨です。私こそ…若菜の友達とは知らずに…、こちらこそごめんなさい。」
どうやら俺に対する警戒は解いてくれたようだ。とりあえず若菜には感謝だ。
「ふぇ?もしかして2人とも知り合いなのぉ?」
俺達を見て若菜が不思議そうに尋ねる。
「ああ、昨日ちょっとな。 ここでおばさんの家までの道を教えてもらったんだ。」
まああの事は別に言わなくても良いだろう。
「そっか、ありがとね。私からもお礼を言わせて。」
「別に、私は当然の事をしただけなんだし。」
少し照れた様子で巫女姿の少女は視線を外す。
「…良かったらあがっていく?丁度お昼にしようと思ってた所だから…。」
「わっ、ホントに!?食べる食べるー!色々歩き回ったからお腹空いちゃったぁ。」
色々と言っても、殆ど何も無い場所を歩いていただけだが。
「ちーちゃん、いいよね?」
「ああ、俺も腹減ってたしな。誰かさんが何も無い所に案内するから余計に疲れたし。」
「うぅ…ごめんなさい…。」
涙ぐみ、申し訳なさそうに謝る若菜。予想通りの反応に苦笑し。
「まあいいさ、それよりあの子もう家の中に入っちゃったぞ。」
「えっ!?」
きょきょろ辺りを見回し、あの子が居ない事を確認するとまたしょんぼりした顔でがっくり俯いて。
「ほら、さっさと行くぞ。」
浮き沈みの激しい若菜が可愛らしくて頭をぽんぽんと撫でる。
案の定若菜は顔を赤く染め、恥ずかしそうだが嬉しそうに俯く。
「あぅぅ…なんか子供みたいだよぉ…。」
「だって子供だろ?」
「ひどぉい、私子供じゃないもん…!」
子供っぽい事を気にしているのだろうか。不満そうにこちらを見つめてくる。
そういう所が既に子供っぽいんだけどな。
思った事を口に出してしまいそうになるがぐっと抑え、
言い出しかけた言葉を誤魔化すように目の前の家へと歩き出す。
若菜が慌ててその後をついていく。

「いただきます。」
「いただきまーす!」
「…どうぞ。」
やっぱり夏は冷たいものが美味いな……用意された素麺を食べながら思う。
「おいしーなぁ、やっぱり夏は素麺だよねっ。」
にこにこ顔で美味しそうに食べている若菜を見ていると
いつも以上に美味しく感じてしまうから不思議だ。
「喜んでもらえて良かったわ。」
あまり感情を表に出してはいないが、満足そうな声色で呟く。
この2人は本当に仲の良い友人なんだろうな。性格は正反対だけど、見ていると仲の良さが感じられる。

「ご馳走様でした。」
「ご馳走様ー。ありがと輪ちゃん。」
うん、お腹いっぱいだ。錨には感謝しないとな。
「どういたしまして。」
そう呟き、台所へと消える。
水の音が聴こえる。洗い物をしているのだろうな。
「なぁ、あの子とは仲が良いのか?」
「うん!まあね!」
「学校が同じだったとか…か?」
「えっとね、小学校…中学が一緒だったんだ。高校は違うけどね。
  輪ちゃんって頭良いから一緒の所には入れなかったの。」
「なるほど…確かに若菜はあんま頭良さそうには見えないな。」
「ひどぉい!私だってそこそこ出来るんだからぁ!」
「はは、悪かった悪かった、すぐ怒るなよ。」
やっぱりこいつはからかうと面白いな。
「むー。」
「でも良いよな、すぐ近くに仲の良い友達がいて。」
「うんうん、すぐ遊びに行けるしね!」
「おい、あんまり邪魔はするんじゃないぞ? 巫女さんやってるみたいなんだし。」
「わかってるよぉー。」
「ホントかなぁ……。」
「ホントだもん!」
予想通りむーっと膨れた若菜だったが、いきなり眠そうにあくびをし出し。
「…ん……あれ…? なんか眠い……。」
テーブルに寄りかかり、今にも寝そうな若菜の肩に手を置くが。
「おい若菜、こんな所で寝たら…………あ、あれ……?」
突然、俺にも眠気が襲ってきた。
いくら昨日寝なかったからとはいえ、こんないきなり眠くなる事などあるのだろうか。
「何なんだ…突然…。」
あまりにも不自然な眠気に不審を感じるが、既に思考、体を支配した眠気には勝てず。
俺は若菜と同じく、テーブルに寄りかかりながら眠りに落ちるしかなかった。

――俺は知らなかった。
眠りに入る俺達を錨がずっと見ていたという事実を…。
そして…瞳が赤く染まり、獲物が罠にかかった事を喜ぶかのような笑みを浮かべていた事も…。

4

――――静かね。
目の前の2人は寝息を立てながら気持ち良さそうに眠ってる。

可愛らしいチカちゃん…。見れば見る程愛しさが募ってくるわ。

「チカちゃん……好きよ、愛してる…。」

ちゅ。
柔らかい唇。私とチカちゃんの唇が触れる。
なんて気持ち良い唇……大好きよ。
この硬い髪も、身体も、指も腕も目元も頬も鼻も肩も脚も腰も吐く息も!!!
全て全て全て全て全て!!!

でもね一番好きなのは。
優しくて暖かい…、チカちゃんの心。
あの時私を救ってくれた…。
10年間、ずっと覚えてたよ。
ううん、50年経っても、100年経っても絶対忘れない!
…私の宝物だから。

チカちゃん、私もう待てないの…。
だから……ね…。

「…ぅ…、ん…。」

ごめんね、少し横になってもらえるとやりやすいの。
…うん、これでよし。

「…はぁ…チカちゃん…。……好き…好きよ…。」

「んっ……、ちゅ…。」

舌でチカちゃんの唇をこじ開けて舌を絡ませる。
はぁ…美味しいよぉ…。沢山頂戴……もっともっと。

 

「は…ぅ…ん……。」

私の唾液とチカちゃんの唾液がとろとろに溶け合ってる……。
ふふっ、お口の周りに沢山ついちゃったね。
でも大丈夫、私がちゃんと綺麗にするからね。

「…んっ…んっ…。」

ちゃんと私の舌でお口の周りについた唾液を舐め取ってあげる。
…あぁ……私もう我慢出来なくなっちゃったよぉ……。

「これももう邪魔ね。」

唇だけで私の下着ぐちょぐちょになっちゃった。こんなにしちゃったら後片付けが大変ね。

――くちゅ。

「ぁ……はぁ…、凄いよチカちゃん……熱くて…とろとろぉ…。」

すごい…、いきなり二本も入っちゃった。チカちゃんがいるから、だね。

「あっ…、ん…く……、…ぅ…っ…!」

ねぇチカちゃん、沢山いやらしい音聞かせてあげる。

「ひゃ…っ!ぁ…っ、ふぁ……!
  きもち…い……よぉ…、んっ。チカちゃ…ん…ぁ…、は…ふぅっ。」

チカちゃんの唇…もっと頂戴!
身体も全部感じさせてぇ…!!

「チカちゃん…チカちゃん……っ…。」

 

あぁ……チカちゃんの胸に私の胸が擦れてる……気持ち良いよぉ…。
ね、音聴こえるでしょ?ぐちゅぐちゅって…すごく響いてるの。
チカちゃんとキスして、身体を感じる…それだけでおかしくなっちゃう。だってもうこんなに……。

…だめ……もう限界…かも…。
チカちゃん、私イクから……イクからね!
私の事感じて!私がイクのを感じて!
チカちゃんチカちゃんチカちゃんチカちゃんチカちゃんチカちゃんチカちゃん
チカちゃんチカちゃんチカちゃん!!!

「あっ、あっ、あっぁぁ…!!ん…っぁ…ぁあああああああ!!!」

はぁぁ………チカちゃぁん……。

「はぁ……は…ぁ………。 チカちゃん…好きぃ…。」

力…抜けちゃった……。チカちゃんの胸、借りるね。
…硬い胸板……本当に大きくなったんだね…。
チカちゃんの温もり…鼓動を感じられるなんて…、幸せ過ぎて怖い……。
でもずっとこうしていたいよ…。

 

――――ピンポーン。

 

……誰……。
…タイミング悪いわね、一体どこのどいつなのかしら。
でも安心しなさい。楽に殺してあげるから。

――っ…!

…時間…か…。
邪魔者を殺せなかったのは残念だけど仕方ないわね。
私は充分楽しんだし。それにまだまだ時間は沢山ある。
だから今だけは…輪、貴方に返してあげる。

「じゃあねチカちゃん。 また今夜……。」

 

――クスクス、アハハ――

遠くで誰かの声が聴こえる…。
…女?

「んん……。」

段々頭がはっきりしてくる。動かなかった体が動き出す。
俺は寝てたのか…?
確か素麺をご馳走になって…その後急に眠くなってきて…。

「う…。 あれ?若菜は?」

隣で眠っていたであろう若菜が居ない。
それに……俺は確かテーブルに寄りかかってたような気がするのだが…。
何故畳に横になっているんだ?

……………さっき見た夢の内容と似てるな……。
あいつがその……寝てる俺にキスして……、そして……………。
い、いや、あれはただの夢だ!まさか白昼堂々人の家にまで来てそんな事するはず…。

唇に触れ、妙に生々しかった夢を思い返してみる。
柔らい唇…胸にあたる2つの柔らかいもの…誘うような高い悲鳴のような声…。
思い出す度に自分の下半身が反応してしまう。あいつだと解ってるのに……軽く自己嫌悪だ。
「あーくそっ!」
頭を振って思考を停止させる。あれはただの夢なんだ、思い出すな馬鹿野郎!
「とりあえず若菜だ!どこに居るんだあいつは。」
忽然と居なくなってしまった若菜を探す為、先程から聴こえる声の方向…玄関へと歩き出す。

そこには若菜と錨、そして顔は見えないが誰かが楽しそうに話していた。

――ギシ。
一歩踏み出すと板が軋む。やっぱ古い家なんだな。
音に気がつき、俺が起きた事に気づいたのだろう、若菜と錨がこちらを向いた。
「おはようございます。」
「おはよ!」
「すまん…寝てた。」
「――誰?」
若菜と錨が話してた人物がそう尋ねている。
「えへ、この人は私の大事な友達の『七原 ちか』くんだよ。」
「若菜ちゃんの友達? 初めまして。」
と、若菜と錨が一歩後ろに下がり、その人物が一歩前に出てその姿を現した。

黒ぶち眼鏡から覗く澄んだ瞳、短い髪を後ろで二つに結っている姿は年齢より幼さを感じさせる。
見る者を癒すような微笑を湛え、その姿はまるで天使のようだった。
――俺は久々に感じる感覚に戸惑っていた。
心が熱くなり、鼓動が早くなる。目の前の人物しか目に入らない…。
余った髪を耳にかける仕草、澄みきった心を表すかのような美しい声、全てが愛しく、胸が躍る。

「…? 私の顔に何かついてます?」
自分では気づかなかったが、俺は彼女をずっと見つめてしまっていたのだろう。
不思議そうな表情で尋ねている。
その姿もまた可愛らしい…。まるで疑う事を知らないかのような表情が更に俺の心を掴む。
「ちーちゃん大丈夫?」
「えっ、あ、ああ…。大丈夫大丈夫…。」
かなり大丈夫ではない。既に俺の心は目の前の人物の事で一杯だ。
「あ、あのさ、君の名前は…?」
「私? 私は『布袋 葵』と言います。よろしくお願いします七原さん。」
「布袋葵………可愛い名前だ…。」
「えっ、そうかな? ありがとうございます。何だか照れますね。」
照れた様子で苦笑している。
葵さんの反応1つ1つが可愛いく感じてしまう。
そんな俺を若菜が不審そうな瞳で見つめている。凄く不満そうな顔をして。
「…ちーちゃん…、何デレデレしてるの?」
「な、何言ってるんだよ。そんなわけないだろ…。」
鋭い。そんなに俺は解りやすい顔をしていたのか?
何だか急に恥ずかしくなってきた…。

「葵、あがったら?」
「ごめんね、そろそろ図書館に行かないと行けない時間なの。急に出てくれって言われちゃって。」
「えー!あおちゃんもう行っちゃうのぉ?」
「若菜我侭言わない。 頼んでた本ありがとう。大事に読ませてもらうわ。」
「どういたしまして。輪もお仕事頑張って。」
「うん。そっちも。」
「若菜もまた遊ぼうね。今度はゆっくり、皆で。」
「もっちろんだよ!また遊ぼうねー!」
「じゃあ…、七原さん、またお会いしましょう。」
そう言うとにっこり笑い、踵を返し歩き出してしまった。
「あっ!は、はい!また会いましょう!」
見惚れていたせいか若干返事が遅くなってしまったが、葵さんはそんな俺に振り返り。
「うん、また。」
優しく微笑んでくれた。
爽やかで心を躍らせるような香りを残し…葵さんは去っていった。

それから錨の家で色々雑談をしたような気がするがあまり覚えていない。
俺はずっと葵さんの事を考えていた…。
若菜や錨が楽しく話をしていた時も、こうして若菜と帰っている時でさえも。

「………。」
「………。」
沈黙。
錨の家を出てから若菜は一言も言葉を発しない。
だがその顔は明らかに疑いや不安に満ちている。
「………ちーちゃん……。」
やっと言葉を発した若菜は不安そうな声で俺を呼んだ。
「…ん?」
心ここに在らずな俺は生返事をする。
「ちーちゃん今日変だった…。あおちゃんが来てから…。」
葵さんの名前が出るとつい反応してしまい、やっと心を今に戻す。
「は、はぁ?別にそんな事ねぇよ…。」
疑いの目を向ける若菜を直視出来ず、目を逸らしながら弁解する。
「人の家だったから…ちょっと緊張してただけだって。」
「嘘。」
「嘘じゃないって。」
「嘘だよ。」
…こいつは変な所で鋭いな。

「じゃあ言ってみろよ。嘘じゃないなら本当は何だって言うんだ。」
言葉に詰まっている。困ったような、悲しそうな顔で言葉を選んでいるようだった。
「…こ、これは私の考えだから……間違ってたら絶対言ってね!」
「ああ。」
「絶対だからね!絶対絶対絶対!!」
何故か必死にその言葉を繰り返す。悲しそうな顔で…。
「……ちーちゃんはさ、もしかしてあおちゃんの事………。」
意を決し、俺を真っ直ぐに見つめながら言葉を続けていく。

「…好きになっちゃった…の?」

――図星。
俺はどう反応したら良い。肯定するか…?
だが好きだというのがバレてしまったら、もしかしたら葵さんにもバレてしまうかもしれない。
若菜を信用していないわけじゃないが、可能性はあるかもしれない。それに何より恥ずかしい。

俺が考えを廻らせていると、若菜は段々悲しそうな顔を絶望的な表情に変えていく。
「…………。」
若菜の視線が痛い。今にも泣き出しそうな瞳が責めているかのようだった。
俺はその視線から逃れたく、慌てて言葉を発する。
「ち、違うって!!い、いきなり…好きだとか、そんなの…あるわけないだろ!」
「………。」
「俺と葵さんは会ったばっかりなんだぞ!それに会話をちゃんとしたわけでもないんだ!」
「………。」
言葉が続かない。どうしたら良い…?

「……そう……だよね……。」

ん?もしかして解ってくれたのか?
「…そうだよね、ちーちゃんとあおちゃんは初対面なんだもん…。」
「そ、そうだよ!だから好きになるわけないって!」
「…うん…。あおちゃんを好きになるわけないよね…。」
何度も同じ言葉を繰り返し、まるで自分に言い聞かせているかのような
その呟きが俺の頭に響いていく。
10年前俺の記憶に残っていたあいつのように、若菜の瞳には生気が宿っていない。
そんな若菜とあいつがダブって見える…。背筋が凍るようだった。
「…ふふふ……、うん…。疑ってごめんねちーちゃん。」
「え………。 あ、ああ……いや、いいよ…。」
いつもと変わらない、花が咲いたような笑顔で笑う。
先程とは全く違う表情。さっきのは俺の気のせいだったのだろう。若菜があんな顔する筈がない。
「ねっ、今日私夕飯作るね!」
「いいのか?お前自分の家の飯は…。」
「いいの!今日は大丈夫だから。」
「それなら…好きにしたらいいんじゃねぇの。」
「えへへ、そうするー。」
嬉しそうに微笑む若菜。
それを見つめながら、俺達はオレンジ色に染まる世界を歩いていく。

――外は暗く、昨日あいつが姿を現した時間になろうとしていた。
俺は昨日と同じく、電気を消し、布団に横になる。いつもならすぐに寝入ってしまうのだが…。
…ホントにあいつは来るのか?だがあいつは来ると言っていた。

――コチコチコチ――

時計の音が響き、静寂が更に恐怖を駆り立てる。
…やっぱり来ないよな。寝よ…。
俺が寝ようと目を閉じたその時――

――――――コツ―――コツ―――コツ―――

昨日と同じ音が静寂を破る。
思わず恐怖で叫びそうになるのを堪え、聴こえないよう耳を塞ぐ。

「チカちゃん来たよぉ……、開けてぇ……。」

――――――コツ―――コツ―――コツ―――

僅かに聴こえるあいつの声が俺の頭に響く。

「居ないの?居るよね…? 居留守使っても私解るんだよ。」

――――――コツ―――コツ―――コツ―――

「ねぇ、お願い、返事をして。」

――――――コツ―――コツ―――コツ―――

「チカちゃんチカちゃんチカちゃんチカちゃんチカちゃんチカちゃんチカちゃんチカちゃん。」

――――――コツ―――コツ―――コツ―――

――――――コツ―――コツ―――コツ―――

――その夜、2時間にも亘りあいつの悲痛な声が夜の闇に響き渡った。

5

ピピピッ―――ピピピッ――――ピピピピピピピ―――

携帯の電子音で夢の世界から覚醒する。
まだ半分眠っている体を動かして、枕元の携帯に手を伸ばす。
「…もう7時か………。」
まだ眠っていたいという衝動を抑え、のそのそと立ち上がり1階へと降りる。
昨日の夜も来ていた、あいつは恐らく今日の夜も来るのだろう…。
「なんなんだよ…あいつ…。」
今でも耳に残っている、悲しそうに俺を呼ぶ声…。
…何だか悪い事をしてしまった気分だ。
そんな感情を抱いてしまう自分自身にも憂鬱が募る。…相手はあいつなのに。

「ちーちゃんおはよ!」

その元気な声と共に突然目の前に若菜の顔が迫った。
「うわあぁぁぁ!?!」
思わず情けない声を出してその場にへたりこんでしまった。
「もぅ!失礼だなぁー!」
「い、いきなり顔を近づけるな!!」
「いきなりじゃないよぉ、ずーっとちーちゃんの事呼んでたんだよ!」
「へ?そうなのか?」
「そーだよ!」
ぷにぷにした頬をぷくっと膨らませている。多分言っている事は本当なのだろう。
「そっか……ごめんな、少しぼうっとしてた…。」
「もー、せっかく朝早くから来たのにぃー。」
「…そういえば何でこんな朝っぱらからいるんだ?」
「えへへっ、朝ごはん作りに来たんだよ〜。」
何で若菜が朝ご飯を…?おばさんは居るはずだが…。
「何で若菜が作りに来るんだ?」
「それは〜……乙女のヒミツ♪」
「……まあ良いけど…。」
「えへっ、じゃあさっそくご飯食べよ!」

若菜が手伝いに来てくれたお陰で楽が出来たとおばさんは大喜びだった。
それにしても何故いきなり朝飯を作りに来たのだろうか。
まあ朝から美味い飯が食べれたんだし、些細な疑問なんて大した問題じゃないだろう。

「あのさ、若菜。」
「なぁに?」
朝飯も食べ終わり、何をするでもなく無駄な時間を過ごしている。
だが俺にはずっと気になっていた事があった。
――布袋葵。
あんな5分にも満たない、あの夢のような時間を今まで何度頭の中で再生したか…。
あの人が頭から離れない。あの仕草、声、笑顔、全てが俺の脳裏に刻まれている。
もう一度会いたい、だがあの人がどこにいるのか、俺に解る筈が無い。
…でも若菜なら…、若菜ならきっと何か知っているだろう。
小さな手がかりでも良い。だが露骨に聞けば怪しまれる。それとなく…聞き出す…!

「昨日会った葵さん…だけどさ、仲良いのか?」
「うん。輪ちゃんとあおちゃんは私の大事な親友だもん。」
「親友か……、いつからなんだ?」
「小学生の頃から…だね。 この村には小学校があるんだけど、
  田舎だから子供の数がすごく少ないの。
私達の頃は同年代っていったら、輪ちゃんとあおちゃん抜かしたら後は男の子だけで…、
それでいつの間にか一緒に遊ぶようになったって感じなの。」
「へぇ、じゃあずっと一緒だったって事か。」
「当然! 悲しい時も楽しい時もずっとずっと一緒!これからも一緒…私はそう信じてるよ。」
本当に心から信頼しきっているかのような笑顔。
きっと俺には解らない固い絆がその笑顔を引き出しているのだろう。
そう思える相手がいるというのはとても幸せな事だ…。
「…良いよな、そういうのってさ。」
「えへへ…、まあね。」
はにかみながら自信たっぷりにそう言う若菜はとても可愛かった。
…と、違う違う!葵さんの事を聞かないと!
「えーっと…、最近は3人で遊ぶ事とかって無いのか?」
「そうだねぇ、輪ちゃんは神社があるし、あおちゃんはバイト始めちゃったし…。」
「バイト…!?バイトってな、何の?」
「あおちゃんは図書館でバイトしてるんだよぉ〜。
  昔から本が好きだったから、あおちゃんらしい仕事場なんだぁ。」
「そ、その図書館って……近くにあるのか?」
「ううん、バスに乗って…1時間かな? 終点まで乗らないといけないから。」
「そっか……。」
図書館………。葵さんが居るとは限らない。けど、行く価値はある!
そうと決まれば俺のすべき事はただ1つ。
「ありがとう若菜!」
感謝の気持ちを籠め、思いっきし若菜の頭をわしわし撫でる。
「わっ、わわぁっ!?」
「じゃあな!行ってくる!!」
「ふえっ!?」
突然の俺の奇功に若菜が困惑した表情を浮かべているが、そんなものは無視だ。
俺は急いで家を出た。

出る時に一瞬見えた若菜の表情なんて気にも留めずに―――

 

――――10分後。

……ここ、どこだ?
辺りを見渡す。田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ田んぼ。
小さな古い家はぽつぽつと見えるが、目当てのバス停は影も形も無い。
…失敗した。若菜に聞けば良かった。
「考えなしにも程があるよな……。」
自分の馬鹿さ加減を呪うしかない。
俺は深い深い溜息をついた。

「…七原…ちかさん?」

俺を呼ぶ静かな声に振り向く。
そこには案の定、巫女姿の少女。
「あれ?錨…?」
「七原ちかさん、こんな所で何をしているのですか?」
道の真ん中に突っ立って途方に暮れている俺を不思議そうな表情で見つめている。
「ちょっとバス停を探してたんだけど……どこにあるのか若菜に聞くの忘れちまって。」
ははは…、と力なく笑う。ホント、情けない。
「…バス停でしたら、私が案内しましょうか?」
「なんだって!?」
錨の提案に思わず大きな声を出してしまった。
突然大きな声を出され、少し眉を顰めるが。
「嫌なら無理にとは言いませんけど。」
「い、いや!行く行く!! 是非案内してください!!」

錨と並び、同じような景色が続く道を歩いていく。
もし錨に会わなければ俺はどうなっていた事か…、感謝しないとな。
「ありがとな、忙しいのに案内してもらって。」
「別に、忙しいわけじゃないです。 野菜を貰ってきただけ。」
そういえば手にビニール袋を下げている。
「野菜ってやっぱり採れたてなのか?」
「ええ。」
「おおっ、新鮮な野菜が手に入るなんて凄いな!」
「そんな事ないです。ここでは普通の事ですから。」
「ここでは、な。 俺はこの村の人間じゃないから、少し羨ましいよ。」
「…私は学校行く時くらいしかこの村から出ないから…他の所の事はよく解らない。」
「学校だけなのか!?」
学校だけっていったら、殆どこの村から出ていないって事じゃないか。
「私はここを捨てられないから…。 それに…………。」
「それに?」
一呼吸置いて、寂しさと悲しさが入り混じったような表情を浮かべて錨は続けた。

 

「…約束だから…、あの方との……。」

――風が舞う。
髪が風に舞い、表情は解らないが悲しい声が響いた。
「あの方って…?」
「…言えない。言ってはいけないから。」
「そういう事なら…まあ気になるけど、聞かないでおくよ。」
多少気にはなるが、言えない事をあれこれ詮索するのは失礼だろう。
  それに錨はどんなに聞いても言わないような気がする。
悲しそうな瞳を見ていれば…、何か事情があるだろう事は俺にだって解るから。

「バス停、着きましたよ。」
「え?あ、ホントだ。」
どうやらバス停に着いたようだ。 さっそく時刻表を見る。
「え…っと……、………どうやら後10分で来るみたいだ。」
一時間に来るか来ないかの運行状況なのに、
このタイミングの良さは神に恵まれているとしか思えない。
俺は胸を撫で下ろし、ペンキが所々剥がれ落ちた古びたベンチに腰を下ろす。
「じゃあ私はこれで。」
「ああ、本当にありがとう。お陰で助かったよ。」
「どういたしまして。」
そう言うと、錨は何事も無かったかのようにその場を後にした。

しばらくすると予定通りバスが来て、1時間かけて多少大きな町でバスを降りた。
途中人に道を尋ねたりして、ようやく目的地へと着いた。
中へ入ると、涼しい空気が俺の体を撫で、本の匂いが広がってきた。
「ここ…だよな?」
受付を覗いてみると…………。

―――――居た。

葵さんは隣に居る同僚らしき人と楽しそうに何か話している。
俺は高鳴る胸を抑えながら、受付へと歩き出す。

「あ、あのっ…!」
「はい?本の返却ですか?」
会話を中断して、眼鏡から覗く瞳をこちらに向ける。
「…あれ? 貴方確か………。」
「ど、どうも。七原です…。」
まさか忘れられてる…?そんな嫌な予感が脳裏によぎる。
「ああっ!七原さんですね。 こんにちは。」
そう言って、優しく微笑みかける葵さん。
…俺は心臓の音が一際高鳴るのを感じた。

6

「どうしましょう。…お勧め……う〜ん……。」
葵さんは腰を屈めて、難しそうな本が詰め込まれた本棚と睨めっこをしている。
「ああ…別にそんな真剣に選ばなくても……。」
「気にしないでください。 こうして選んでる時間も楽しいですから。」

人気の少ない図書館で2人で本を探す。なんて幸せな状況なんだ…。
5分程前、普段本なんか読まない俺はどんな本を借りればいいのか解らず、図書館をウロウロしていた。
もちろん葵さんが見える場所で。
葵さんはそんな俺を見かねて、「お勧めの一冊を見つけてあげる」と受付を同僚の人に任せて
わざわざ来てくれたのだ。

「あの、葵さん。」
「何ですか?」
腰を屈めたまま俺を見、眼鏡から覗く瞳に心を射抜かれる。
葵さんの上目遣い……なんて可愛いんだ……。
「七原さん…?」
「えっ、あ、ごめんなさい!」
「どうかしたんですか?変ですよ?」
クスッと笑う。
「すみません………。 えっと、葵さんは俺の相手なんかしててもいいんですか…?」
「と、いいますと?」
「仕事中なのに……何だか申し訳なくて…。」
確かにこの状況は物凄く嬉しい。
だが葵さんは仕事中だ。俺に構っていて上司に叱られるなんて事があったら……、
俺は葵さんに顔向けできなくなってしまう。
そんな俺の心を知ってか知らずか、ふふっと笑った後。
「心配には及びません。 この図書館ってあまり人来ないし、
それに案内するのも仕事の1つなんですよ。」
柔らかく微笑み、本棚に視線を戻した。
「…ありがとうございます。」
優しい人だ。 好きになって良かった、心からそう思う。

「で、七原さんはどういう本が好きなんですか?」
「え?」
「本ですよ。 このまま闇雲に探していたら日が暮れちゃいます。」
俺としては葵さんと一緒に居られればそれでもいいのだが。
「実は俺、本はあまり読まないんです。 だから葵さんが好きな本を読んでみたいなと…。」
「私の好きな本ですか?」
「葵さんはどういったものが好きなんですか?」
「そうですね…。」
人差し指を口元に当てて、少し間を置いて続ける。
「一番好きなものっていうと、色々あって難しいけど。
思い入れのある本なら…ありますよ。」
「あ、そういうの良いですね! どんな本なんですか?」
「七原さんのお気にめすようなものじゃないかもしれないですよ?」
「いや!俺は葵さんの好きなものが見たいんです!」
葵さんが好きなものなら例え官能小説でも経済本でも何だっていい!
真剣な俺の言葉を聞き、葵さんはどう受け取っていいのか困った様子で頬を軽く染めて目を逸らし。
「じゃ、じゃあ…。」
コホンと咳払いし、気を取り直して続ける。
「私、元々山鈴村の人間じゃないんです。小学生の頃に引越ししてきて、
  最初は全然馴染めなかったんです。
あの村じゃ私は余所者だったし、遊んでくれる子も居なくて…。」
懐かしそうにぽつぽつ言葉を続けて。
「でもそんな時に、輪と若菜が私に話しかけてくれて…。」
その時の事を思い出したのだろう、嬉しそうに微笑む
「でね、私が本が好きだって聞くと、輪が絵本をプレゼントしてくれたの。」
「絵本ですか。」
「山鈴村に伝わる神様のお話なんです。 私にとってその本は宝物。
  今も大事にとってあるんですよ。」
「へぇ…。それ、是非見てみたいです。」
「良いんですか?」
「はい、葵さんの思い出の本なんですから文句なんて全然ありません!」
「そ、そうですか…。 じゃあ絵本コーナーに行きましょうか。」
葵さんは困惑と恥ずかしさが混じった複雑な顔で微笑み、絵本コーナーへと足早に歩き出す。

絵本コーナーだというのに子供の姿はあまりなく、葵さんの言った「人があまり来ない」という言葉は
気を遣ったわけではなく、本当の事だったようだ。
本がある場所を熟知しているのだろう、葵さんはある本棚の前で腰を屈めて目当ての本を探す。
だがその顔は見る見る内に沈んだものになっていった。
「…うーん…?」
「どうしたんですか?」
「無い…みたいです。借りられちゃったのかな…。」
残念そうな表情で「ごめんなさい。」と言った後、すぐに何かに気づいたかのような顔に変わり。
「もしかしたら…。」
「?」
不思議顔の俺ににっこり微笑み。
「ちょっとこちらに来てください。」
「あ、はい。」
言われるまま、俺は葵さんの後についていく。

本棚には古そうな本が並び、窓際だというのに薄暗い。
葵さんは何かを探している様子でキョロキョロ周りを見渡している。
と、薄暗い場所だというのに窓際に図書館でお馴染みの机が。
それだけなら別に普通の図書館の風景なのだが、その机の上には本が散乱し、
1人の男が机に突っ伏して眠っている。
「あ、居た!」
葵さんはその男に駆け寄り、体を揺さぶって起こそうとする。
…う、羨ましい…! 葵さんに起こしてもらえるなんて幸せ過ぎる!!
俺だってあんな風に可愛らしく起こされてみたい!
『朝ですよ、起きてください。』
とか言いながら可愛い手で俺を揺さぶるんだろうな…。そして中々起きない俺に痺れを切らして。
『起きないんでしたら……こうですよ。』
とか言いながら俺の唇にその柔らかい唇を…………。
「七原さん? どうしました?」
甘い妄想に浸っていた俺は葵さんの声で現実に引き戻される。
顔を覗き込まれ、今まで浸っていた妄想を誤魔化すかのように慌てて目を逸らす。
「ご、ごめんなさい!」
「はい?」
こんな可愛い葵さんを妄想の道具に使ってしまうとは…俺はなんて罰当たりなんだ!!
「とにかくごめん!!」
「えっと……、何が…?」
なにがなんだかといった様子で困った笑みを浮かべている。
そんな葵さんの様子に気づいて、やっと俺は我に返った。

「あ……すみません……少し取り乱しました…。」
「い、いえいえ、気にしてませんから…。 大丈夫ですか?」
「はい…、大丈夫です…。」
「それならいいんですけど。」

「…あのさ、人の事起こしておいて放置はないんじゃないか?」

葵さんの背後から不機嫌そうな男の声が聞こえた。
先程葵さんに起こされていた羨ましい男が起きたようだ。
歳は同じ位だと思うが不健康そうな顔に不機嫌なオーラを身に纏い、
背が高いのも相まって他人を寄せ付けないかのような男だ。
メガネを指でかけ直して俺達…主に俺をジロジロ見ている。
「寝てたのにごめんねぇ…。」
「あっ…すみません。」
その男の雰囲気にのまれ、俺もつい謝ってしまう。
男は口元をニヤッと緩め、意味深な目で葵さんを見つめ。
「ふーん……、やっと彼氏が出来たみたいだな。」

「「はぁ!?」」

男のとんでもない発言に俺と葵さんは揃って声を上げ、顔を真っ赤にする。
いきなり何だこの男は!?
い、いや、葵さんとそう見えたのは物凄く嬉しいが…。
「こら!人をからかって遊ばないの!」
真っ赤になりながらも葵さんはその男に反論する。
「違ったか?」
俺達の反応を見て解るだろうに、男はわざとらしく言う。
「あ、当たり前でしょ!私達はただのお友達なんだから!」
…お友達………わかってはいたが、そうハッキリ言われると…へこむなぁ…。
「友達ねぇ…、見ない顔だけど…。」
「村の外から来た人だから。」
「ふーん、君も物好きだねぇ。あんな何も無い所に来るなんてさ。」
物珍しそうに俺をジロジロ見ている。
女の子に見られるのなら良いが、男にジロジロ見られるのは複雑な気分だ。
「親戚の家に遊びに来たんですよ。 物好きで結構です。」
男の態度に、つい棘のある言い方をしてしまったが、気にしないようにしよう。
「あーはいはい、悪かったよ。別に悪い意味で言ったんじゃねぇから。」
「桃くんが誤解されるような言い方するからいけないんだよ。」
葵さんは男に指を突きたてて釘を刺す。

「七原くん、ごめんね。」
「いいえ!葵さんが謝る事では…。」
「ありがとう。この人も悪気があるわけじゃないから。 ただこういう人なだけで…。」
困ったような顔をして微笑みながら「だからあまり怒らないであげてくださいね。」と、付け加える。
「おいおい、黙って聞いてれば散々な言われ様だな。」
「本当の事でしょ? 桃くんはいつもいっつもそうなんだから。」
男に注意する葵さんはまるでお母さんのようだ。

「ふぅ…。 じゃあ改めて紹介するね。 この人は『須館桃太』くん。
  一応これでも山鈴村の村長の息子さんなんだけど……。」
とても村長の息子とは思えない。
「けどって何だ、けどって。」
不満そうか声で言うが、事実その通りだ。
「えっと、よろしく…。七原ちかです。」
と、俺の名前を聞くと須館はなにやら怪訝そうな顔をする。
「七原ちか…。」
俺の名前を呟きながら何かを考えているようだ。
「俺が何か?」
「…君さ、以前山鈴村に来なかった?」
「? 昔…遊びに行った事はある。あまり覚えてないけど。」
「やっぱり…そうか…!」
そう言うと須館は嬉しそうな顔でいきなり俺に抱きついてきた。
「!!?!??!?」
男に抱きつかれるなんて気持ち悪い!しかも葵さんの前で…。
葵さんを見ると、頬を染め目を見開いて驚きながら固まっている。
ああ…葵さんに誤解されてしまう!
「元気だったかチカ!! 立派になったなぁ!」
「は、はぁ!? わけわかんない事言ってないでさっさと離れろーー!」
肩を掴んでぐいーっと離そうとするが、須館はがっしりしがみ付いて離れない。
「おいおい、折角親友と再開出来たっていうのにつれないじゃないか。」
「誰が親友だ!俺はお前なんか知らないぞ!」
須館は「はぁ。」と溜息をついてやっと離れてくれた。
「記憶が無いっていうのは本当だったんだな。」
「な、何でそんな事知って…!?」
「これでも一応村長の息子だからな。それにお前とはよく遊んでたし、俺も色々調べたんだよ。」
どうやらふざけているわけでも、からかっているわけでもなさそうだ。
須館が俺の過去を知っている事に若干の驚きを覚える。だが次の言葉で俺は更に驚く事になる。

「赤い瞳のせい、なんだろ? 記憶がないの。」

何故…そんな事を…!?
俺は驚きのあまり言葉を発する事が出来なかった。
だってその事は誰にも言っていない筈。
昔村の大人達やおばさん、母親に何があったのか聞かれたが、
俺はあの赤い瞳の事は何も言わなかった。
言葉にするのが恐ろしかったから…だから誰にも言っていない筈…。
それなのに何故こいつは知っているんだ?
何も言えずに固まっている俺を見て、須館は確信したように頷き。
「図星、みたいだな。」
「な、何で……。」
「ん?」
「何でお前がそんな事………誰にも言ってない筈なのに…。」
「極少数の奴等なら知ってる事だ。 お前、発見された時「赤い瞳…。」って
  何度も呟いてたらしいぞ。」
そうだったのか…。それなら知っていてもおかしくはない。
「だからお前の記憶が無い事は『山神様の仕業だ。』って、年寄り連中は言ってたな。
  まあそう考えるのも無理は無いけどな。」
「山神様? 何だそれ?」
「山鈴村の神様みたいなもんだよ。 村の神社で祀ってるのが山神様だ。」
あいつが…神様だっていうのか…?
毎晩来るあいつはとてもじゃないが神様には見えない。
「でも山神様っていうのと赤い瞳、何の関係があるって言うんだよ…。」
「山神様はな、赤い瞳をしていて、村に災いをもたらす者を祟るって言い伝えられてるんだよ。」
「赤い…瞳……なのか…?」
「ああ、村にあった文献を読んでも、年寄り連中の話を聞いても、必ず山神様は赤い瞳なんだ。」
ただの偶然にしては出来すぎているし…、須館の言う事は正しい…のか?
でも俺には解らない。神様だとしたら何で俺にあんなストーカー紛いの事をしたり、
俺の記憶を奪ったりしたのだろうか。
言い伝え通りに俺が村に災いをもたらすからなのか?
でも最初に被害に合ったのは7歳の頃だ。ただの子供に災いなんて起こせる筈ない。
「まあ…あまり1人で考え込むなよ。 何なら俺が調べるの手伝ってやるから。」
そう言って肩に手を置き、不健康そうな顔とは不釣合いな力強い瞳で頷く。
その姿に懐かしさを覚え、考え込んでいた心が軽くなったような気がした。
「…須館…、頼む。ありがとう…。」
「気にすんなって。俺も個人的に調べてた事でもあるし、ついでってやつだ。」
感謝の言葉が照れくさかったのだろうか。はにかみながら笑う。
「それと、俺の事は須館じゃなくて昔みたいに『桃太』って呼んでくれよ。」
「あ、ああ。解った。」
「よしっ、それでこそ俺の親友だ。」
満足そうに頷く。

「―――あのぉ……、話が見えてこないんですけど…。」
俺達の話をずっと黙って聞いていた葵さんが申し訳なそうに口を開く。
俺は話に夢中になって葵さんの事をすっかり忘れていたのだ。
「ご、ごめんなさい!」
とりあえず謝るしかない。
「あ、気にしないでください。 私こそ話の腰を折っちゃって…ごめんなさい。」
「そんな事ありません!話はもう終わりました!」
「そ、そう?」
「はい! だから葵さんにもちゃんと説明します!」
葵さんになら言ってもいいだろう。別に隠すような事でもないしな。

俺達は葵さんに事情を説明した。
俺が7歳の頃村に来て記憶を失った事。
その時に覚えていたのが赤い瞳だけだった事。

―――今現在起こっている事を除いて、全てを…。

今起こっている事を話してしまったら2人にも危害が及ぶかもしれない。
相手は神様と呼ばれるような奴だ。何をするか解らない。
目的は俺なのだし…、出来る限り、自分で何とかしないといけないんだと思う。

「そっかぁ……七原くん、そんな事があったんだね。」
「はい。でも気にしないでください。 別に今困っているとか、そういうんじゃないんで。」
葵さんを安心させる為に笑う。巻き込むわけにはいかない…、そう思いながら。
「とにかく、何でお前がそんな目に合ったのか調べないとな。」
桃太は顎手を当てて。
「記憶が無いんだから、もちろん何も覚えてない…。となると……まず調べるべき事は、山神様の事だよな。」
「桃太、頼めるか?」
「もちろん。良い機会だから徹底的に調べてやる。」
「でも俺山神様がどういう神様なのかよく知らないんだよな。」
「あ、それなら…。」
葵さんは本が散乱している机を探して、一冊の本を俺に手渡した。
「これ、私がお勧めした本。子供用だから解りやすいと思う。」
『やまがみさまのぞう』
可愛らしい絵が表紙の絵本だ。

「桃くん、本は読んだらちゃんと元の場所に戻してね。」
「悪い悪い、すっかり忘れてた。」
あははっと笑う桃太を、葵さんはしょうがないなといった表情で見つめて溜息をつき。
「これは子供向けだから、あまり役に立ちそうなものは書いてないと思うけど…。」
「いえ!例えそうだとしてもちゃんと読みます!葵さんが薦めてくれたものですから!」
「う、うん…。」
困ったような顔で頬を染める葵さん。
そんな葵さんに見惚れながら本を受け取ろうと手を伸ばし、本を掴んだのはいいのだが……
葵さんの手と俺の手が触れた。
触れた瞬間、俺達は茹蛸のように真っ赤になって急いで手を離す。
だが2人同時に手を離せば当然本は下に落ちる。
「「あ…。」」
「そこ、いちゃつくなら他でやれよ。」
「いちゃついてなんかいないわよ!」
「いちゃついてない!」
声を重ね、真っ赤な顔で俺たちは反論する。
桃太はニヤっと笑い。
「はいはい、わかったわかった。 じゃあストロベリってる、に変えてやる。」
俺と葵さんはは更に顔を赤くし、何度も反論する。
俺達はそんなやりとりを葵さんが仕事に戻るまで何度も続けていた。

がらんとしたバスには俺と葵さんと桃太しか乗っていない。
乗った時はそれなりに人はいたのだが、すぐに皆降りてしまった。
だが寂しくはない。
葵さんと桃太が居る…。
あいつの事も…1人ではない。毎晩来ている事は言えないが、今までのように1人というわけではない。
そう思うと夜も怖くはない。改めて2人には感謝したい。
そんな事を考えながら、バスは止まった。
俺達はバスを降り、オレンジ色に染まった世界に足を踏み入れる。
「2人とも、今日はありがとな。」
「ううん、こっちこそ図書館に来てくれてありがとう。またお話しようね。」
「親友の頼みを聞くのが男だからな。当然の事だ。」
「うん…。」
「明日も俺は図書館に行くが、お前はどうする?」
答えは決まっている。あいつの事も知りたいし…なにより葵さんがいるのなら。
「行く。必ず。」
「よしっ、じゃあ頑張って調べてくるか!」
「ああ、頼むな。」
「任せとけ。 じゃあな、2人とも。」
「うん、じゃあまた明日。」
「また明日な。」
俺と葵さんに手を振り、桃太は帰っていった。

「じゃあ…私はこれで。また明日。」
葵さんはそう言って微笑み、歩き出す。
「あ………、葵さん!!」
突然大きな声で呼び止める俺に驚きながら振り返り。
「どうしたんですか?」
同じ図書館に行くのなら………。
「あの……、明日、一緒に行きませんか!」
「え?」
「明日、一緒に図書館に行きましょう!」
「あ……えっと………。」
このオレンジ色の世界でもわかる程、葵さんの顔は赤く染まっている。
何やら挙動不審に「えっと…えっと…。」という言葉を繰り替えす。
「も、もし嫌なら…別にいいので…。」
「あっ、いえ、そういうわけじゃ…。」
葵さんは俯いて、そして顔をあげて。
「…わ、わかりました。 明日、一緒に行きましょう。」
その言葉で俺の心と体は一気に軽くなる。
「は、はい!!!是非!!」
「待ち合わせは…ここに8時でいいですか? 私、その位の時間にここに着くので。」
「わかりました!絶対遅れないようにします!」
「じゃ、じゃあ……また明日、ここで…。」
「はい!おやすみなさい!」
小さく手を振って、葵さんは今度こそ帰っていった。

俺は1人、幸せを噛み締めていた。
だってあの葵さんとあんなに仲良くなれて…お勧めの本まで貸してもらえて…
しかも明日は一緒に図書館に行く約束まで!
幸せすぎる……。頬を抓ってみる。
…痛い。これは現実だ。夢でも妄想でもない。
「葵さん…。」
俺は愛しい人の名前を呟いた。

その時、背後から視線を感じて俺は現実へと引き戻された。

 

 

「ちーちゃん………こんな時間まで何してたの…。」

思わずぞっとするような冷たい声に驚き、俺は後ろを振り返る。
夕日の逆行で表情はよく見えないが。
綺麗な栗色の髪はぼさぼさで、よく見ると右の拳からは血が滲み、
それを気にする様子もなく立ち尽くす若菜が居た。

「わ、若菜か。驚かすなよ…。」

若菜だという事に安堵するが、若菜の様子に違和感を感じる。
靴を…履いていないのだ。

「お、おい、靴忘れてるぞ。 もしかして裸足でここまで来たのか!?」

だが若菜は答えない。

「若菜…?」

沈黙が過ぎ、やっと若菜が口を開いた。

「どこに…行ってたの?」

 

どこまでも冷ややかで冷たい声がオレンジ色の世界に響き渡った。

6.5

可愛いぬいぐるみ、可愛い家具、私のお気に入りの部屋。
いつもの私だったら帰るとぬいぐるみ達にただいまを言うけど。
今の私にはそんな余裕は無い。

ちーちゃんが出て行っちゃった…。
何で?
今日の私の予定ではちーちゃんとずっと一緒に居る予定だったのに。
昨日何度も何度もどうやって過ごすか考えて、
退屈させない所に連れて行ってあげようと思ってたのに。

………あおちゃん……。
あおちゃんの事を聞いてから、ちーちゃんは出て行ってしまった。
私の勘が正しければ、多分図書館に行ったんだと思う…。
ちーちゃんはわかりやすい人だから。

あおちゃんは優しくて可愛くて、私の大切な友達。
何年も一緒に居て笑いあって、泣いたり喧嘩したり、その度に絆を深めてきた大切な友達。
でもね、だからといってちーちゃんは渡せないの。
それとこれとは話が別だから。ちーちゃんは私の全てだから。
でも…、あおちゃんは本当に良い人……。
私なんか足元にも及ばないくらい…いい家庭に育って、愛情貰って。
それを誰にでも与えられる、凄い人。

…だから…やっぱり………ちーちゃんはあおちゃんの事…………。

 

ううん!!そんな筈ない!!!
昨日沢山考えたじゃない!!ちーちゃんがあおちゃんを好きになる筈無いって!!!!
あおちゃんは確かに可愛いよ。でも可愛さなら私だって負けてない。
ううん、私のほうが絶対可愛い!!!
体型だってあおちゃんより細いし、胸だってこんなに大きいもの。
良い子だけど、二三言葉を交わしただけのちーちゃんが好きになる筈無い!
それにちーちゃんは昔言ってくれた。

「わかちゃんを僕のお嫁さんにしてあげるね。」

その言葉を聞いた時、私がどれ程救われて…今まで励まされてきたか…。
私はこの言葉を信じてる。
例えちーちゃんの記憶がなくなったとしても、約束は必ず果たしてくれる。
ちーちゃんは私の王子様だもの…。
ここまで生きてこれたのも、耐えてこれたのも…全てちーちゃんのおかげ。
ちーちゃんのお嫁さんになるんだもの、なんにだって耐えられる。
ふふふ………私はお姫様…、こわーいこわーい魔法使いに捕らわれたお姫様。
王子様の行く手には様々な障害が待ち構えてるけど、
それら全てを振り切って王子様はお姫様を迎えにきてくれるの。

だからただの障害であるあおちゃんに、ちーちゃんが心奪われる筈なんてないの。

そんな事あっちゃいけないの。

ちーちゃんは私だけのモノなんだから。

あの時、お嫁さんにしてくれるって言ってくれた時から。

私はちーちゃんのモノ。

ちーちゃんは私のモノ。

それなのに………それなのにどうして……?

どうしてちーちゃんは私を置いて行ってしまったの…?

おかしいよ、ありえないよ…。

王子様は常にお姫様を大事にしてくれるんだよ?

あおちゃんはお姫様じゃない。私こそがお姫様、ちーちゃんに優しくされるのは私だけ!!!!

私だけなの!!!!!!

 

ドン!

拳に鈍い痛みが走る。
それでも私は床に何度も拳を打ち付ける。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん
私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん
私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん私だけのちーちゃん。

渡さない。絶対渡さない。奪われてしまったらみんな壊してやる。
私が我慢してきたもの全て壊してやる。大切なものも友達も愛している人も私自身も全て壊してやる。
心が向こうに向いたのなら強引にでも、壊してでもこっちを向かせる。だって私だけのものだから。
最初に好きになったのは私だから。だから私だけのものなの。
王子様が道に迷ったのならお姫様が道を照らしてあげなきゃ。
王子様と結ばれるのはその辺の雑草じゃない。お姫様だけなの。
王子様を幸せに出来るのはお姫様だけ。だから私が道を照らしてあげる。
大丈夫だよちーちゃん、全部私の言う通りにすればいいんだからね。

あはっ………だから平気…。
今は少し迷ってるだけ。私がわからせてあげないと。
ちーちゃんには私しかいないんだよ。
私が一番ちーちゃんを愛しているんだよ。

あーあ……床、ちょっとへこんじゃった。それに血までついてる。
…バレたらまた……。
ううん、でもそんな事よりちーちゃんにわからせてあげるのが先!
例えあの人に酷い事されても構わない。
ちーちゃんこそが私の優先すべき事。
もう夕方になっちゃってるし、そろそろちーちゃんも帰ってくるよね。
ふふ迎えに行ってあげないとね。 そしてわからせてあげる………。

だから…今行くね。

7

滲み出る汗が、生温い風でさらに気持ち悪く体にまとわりつく。
じっとりと俺を見つめる瞳が更に汗を滲み出させる。
やけに静かだ。
まるでこの世界には俺と若菜しか居ないみたいだ。

「もう一度聞くよ。 どこに、行ってたの?」
俺の心を見透かすかのような瞳を向けながら、もう一度同じ事を聞く。
「どこって……散歩だよ…、散歩。」
俺は当然嘘をつく。
図書館に行ったとバレたら葵さん目当てで行った事もバレてしまいそうな気がした。
そうすれば自然と俺が葵さんに抱いている好意にも気づかれてしまうかもしれない。
それは嫌だった。
俺はそういうのには慣れてない。バレたら多分、すごく恥ずかしい。
だから知られるわけにはいかない。
だが若菜は俺の言葉を聞いてもなお、同じ事を呟く。

「どこに、行ってたの?」

その言葉が重く、響く。
「だから散歩に………。」
「嘘!!!!!」
空気まで振るわせるかのような怒声。
若菜がそんな声を出したという事に驚いたと同時に、嘘をついた罪悪感が疼く。
「嘘つかないで!!!ちゃんとわかってるんだよ、ちーちゃんの事ならわかるんだから!!」

「だから、ちゃんと言って?」
まるで子供に言い聞かせるかのような、優しい声。
それが逆に恐ろしかった。
俺が黙っていると、若菜が近づいてきた。
逆光でわからなかった若菜の表情が段々見えてくる。
口元に微笑を浮かべながらも、目は決して笑っていない。むしろ悲しそうに見えた…。
昔、俺はこんな表情を見た事があるような気がする。
今にも泣きそうな赤い瞳―――。
記憶に無い筈なのに、目の前の若菜と重なる。
「言わないなら、私が当てようか?」

知っている。
俺が図書館に行った事は恐らくわかっているのだろう。
言い方に確信めいたものを感じた。
そして俺の予想は当然のごとく当たる。
「図書館に行ってたんだよね?」
やっぱり、若菜は知っていた。
少し考えればわかる事なのかもしれない。だが俺には恐ろしく感じた。
全てを見透かされているかのようで、俺は肯定すらも出来ず、ただ黙るしか出来なかった。
「ちーちゃん……答えて、どうして図書館なんかに行ったの…?」
「………夏休みは長いだろ? だから本を借りてきて読もうかと思って。
俺本とかって結構好きなんだよ。こう見えてもさ、ははは…。
ただそれだけだって。特に意味はない。暇潰しに本を借りに行っただけだ。
そんな事より足大丈夫なのか?裸足で歩いてくるなんて無茶だぞ。手まで怪我してるじゃないか。
ほら、送っていくから早く帰ろうぜ。」
早くこの話題を終わらせたかった。
これ以上話しているといずれ俺の気持ちにも気づかれてしまいそうだと思ったし、
何より今の若菜をずっと見ていたくはなかった。
だが若菜は答えない。ただ、俺を悲しそうな瞳で見つめる。
「嘘、つかないでよ。」
悲しそうな声で小さく呟く。
「ちーちゃんの嘘ってね、わかりやすいんだよ。自分でわからない?」
「……………ごめん。」
自分本位で嘘をついた事が結果的に若菜を悲しませてしまった。
俺は自分の浅はかさを反省する。
若菜はそんな俺を未だ悲しそうな瞳で見ている。
「…どうしてなの?どうして私を置いていくの?」
やっぱり、言うべきなのかもしれない…。
全て、本当の事を。
これ以上若菜を悲しませてしまったら可哀想だ。
恥ずかしがっている場合じゃない。だから俺は………。

「俺は1人で行きたかったんだ…。 葵さんに、会いたかったから…。」

「ちーちゃん……?」
若菜は信じられないといった様子で顔を歪ませる。
「嫌……それってまるであおちゃんの事………。」

「…そうだよ、俺は葵さんが好きだ。」

最初からこう言えば良かったんだ。
これならきっと若菜もわかってくれる。そう、俺は思った。
だが若菜は…。

「嫌………嫌…………そんなの……認めない!!!!!!」
そう叫び、俺に掴みかかる。
「やだよ!やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!!!」
「お、おい!落ち着け!」
俺は慌てて若菜の肩を抱く。
「ちーちゃん違うよ!ちーちゃんが好きになっていいのはあおちゃんじゃないんだよ!!」
「な、何言って……?」
「ちーちゃん、昔言ってくれたんだよ。私の事お嫁さんにしてあげるって!」
「俺が…?」
全然覚えていない…。
まあ村の記憶は全て消えてしまったのだから、覚えているはずなんかないんだが…。
「ねぇ、どうして忘れちゃうの? でもね、忘れてもちーちゃんは確かに言ったんだよ。
  だから責任とってよ!!」
「責任って、何だよ。そんな事言われても俺…。」
「責任とってよ! ちーちゃんがあんな事言ったから私は今まで生きてきたんだよ!
  沢山苦しんで、死にたくて、それでも生きてきたのはちーちゃんのせいなんだよ!!
  ちーちゃんの責任なの!!!」
「若菜…。」
若菜の絶望的な表情は俺の心を締め付ける。
今まで意識していなかったが、恐らく若菜は俺の事を……。
だがその気持ちには応えられない。
今俺が好きなのは葵さんだから…。
「…若菜…、ごめん…。」
「謝らないで!!謝るなら責任とってよ!!!」
「でも俺は…!俺が好きなのは!」
「いやぁぁーーー!!聞きたくない!!!」
そう叫びながら耳を塞ぐ。
「どうしてよ!!どうしてあおちゃんなの!!」
「俺にだってわからないよ!でも……一目見た時から…!」
俺を真っ直ぐ見つめる瞳から涙が零れ落ちる。
「あおちゃんは私の友達だよ…? 私、友達を恨んだりしたくないよ…。」
「若菜……。」
「ちーちゃんが好きになっていいのは私だけ。私が一番最初に好きになったんだよ?」
「でも…俺…。」
「わかってよ、ちーちゃんには私だけなんだよ?」
若菜は俺の首に腕を回す。
「それとも身体でわからせてあげようか? ちーちゃんになら私、いいんだよ?」
そう言い、吐息がかかる程顔を近づける。
若菜の整った顔が目の前に迫る。
「あおちゃんより私の方がちーちゃんを愛してる。幸せにしてあげる。だから…ね?」
流されそうになるのを必死に堪え、若菜の腕を掴んで断ち切るかのように思いっきり体を離す。

「ちーちゃん?」
驚いた表情の若菜に罪悪感を覚える。
が、流されていたらもっと罪悪感でいっぱいになっていただろう。
「若菜、俺は若菜の気持ちには応えられない。葵さんが好きなんだ。その気持ちは変わらない。」
若菜は涙を流しながらいやいやと首を振る。
「なんでぇ………どうしてわかってくれないのぉ………。」
「…ごめん…。」
若菜はしばらくの間同じ事を繰り返しながら泣いていた、が…。
「…ふふ……。」
「若菜…?」
「壊してやる……。」
「壊す…?」
「壊してあげるよ、全て…。私も、ちーちゃんも、あおちゃんも……みんなみーんな!」
「お、おい…。」
「だってさ、ちーちゃんはあおちゃんが好きなんでしょ?そんなの間違ってるもん。」
「間違ってるはずないだろ!そんなの若菜に決められる事じゃ…。」
「私が決めるの!! 私とちーちゃんは結ばれないといけないの!!!」
若菜は当然の事を言うかのように断言する。
「おい!正気に戻れ!」
俺は若菜の腕を掴み、真っ直ぐに見つめる。
「壊すなんて言うな!みんな悲しむ。俺も…若菜にそんな事はしてもらいたくないんだ!」
「でも、ちーちゃんがあおちゃんを好きなんて…耐えられないよ!!!」
「そんなの……、お前はまだこれからだろ!俺以外にも男は沢山いる!
  いつかお前にもいい人が見つかる!」
「いない!!!!ちーちゃん以上の男なんていないの!!!!」
「若菜!!」
俺は力を篭める。
「……ちーちゃんじゃなきゃだめなの……。私を救えるのはちーちゃんだけ………。」
若菜は地面に膝をつき、嗚咽を漏らしながら泣き続ける。
俺は何も出来ない……、ただここに居るだけしか出来ない。

どれ程の時間が経っただろうか。
夕日も沈み、電灯の頼りない光が闇を照らし出す。
若菜は泣き止んではいるが、先程と変わらず膝を付いて俯いている。
何を想うのか……俺には想像もつかない。

「ちーちゃん……。」

消え入りそうな小さな声だが、若菜がやっと声を発した。

「ん?」
「ちーちゃん……ごめん…なさい…。」
「…お前は謝るような事なんか何もしてないよ。」
俺は膝を折り、慰めるかのように若菜の頭を撫でる。
「…うん…。」
しばらくそうしていると、若菜は顔をあげる。
思わず撫でていた手を離す。
目の辺りは赤く腫れ、その姿が痛々しい。
「ねぇ、帰ろっか?」
「…ああ。帰ろう。」
俺の返事を聞き、若菜はいつも通りの花が咲いたような笑顔を浮かべる。

 

俺は、若菜の異変はこれで終わりだと思っていた。
もう大丈夫だと、あの笑顔を見てそう思っていた。

―――もし、俺がそう思わず、若菜に注意を向けていたら……あんな事にはならなかっただろう。

 

そう遠くない未来、俺はこの判断が間違っていた事を知る。

8

『やまがみさまのぞう』

本は薄く、表紙には像が描かれている。
そしてその瞳は赤い。

「せっかく借りたんだし、見てみるか…。」
俺はページを開き読み始める。

―――物語はこうだ。

村のある子供が病気をした。
その事に頭を悩ませていたおじいさんの元に山神様が降りてきてこう言った。
自分の像を作る代わりに子供の病気を取り払ってあげましょう。
それを聞いたおじいさんはさっそく像を作った。
そして出来上がった像に山神様が宿り、約束通り子供の病気は治って2人は末永く幸せに暮らした。

といった話らしい。
…特にピンとくるものもなく、ただの絵本という感想しかない。
「はぁ、やっぱ何もわかるわけないよな。」
元からただの絵本に手がかりなんてあるとは思っていなかったが、
それでもほんの少し憂鬱な気分になる。
…手がかりなら、直接本人に聞けばいいだろうけど…。
………俺に出来るだろうか?
あの赤い瞳と対峙した時の事を思い出す。
―――背筋に寒いものが走る。
…正直に言えば怖い。
でも今日桃太と話をして、心の奥底にしまっていた真実を知りたいという気持ちに気づいてしまった。
葵さんは本を貸してくれて、俺の為に山神様の事を教えてくれた。
桃太は俺の為にわざわざ調べてくれている。
…俺だけ何もしないというのは、2人に失礼だ。

携帯を開き、時刻を確認する。
「そろそろ時間…か。」
目を閉じ、覚悟を決める。
立ち上がり、窓へと近づく。
と―――。

 

コツ――――

来た。
心臓の音がやけに大きく聞こえる。
俺は大きく深呼吸をし、思いっきり窓を開けた。

以前見た時と同じ、闇に浮かぶ赤い瞳。

心拍数が上がる。
目を逸らしたくなるのを必死で抑え、俺は赤い瞳を見据える。

「チカちゃん…。」
嬉しそうな声で俺を呼ぶ。
「やっと、あけてくれたんだね。」
あいつは微笑んでいるような…気がする。
「…聞きたい事がある。」
「何? 答えられる事なら何でも答えてあげるよ。」
「お前は…何者だ?」
俺はずっと心の奥にしまっていた言葉を口にする。
「どういう事かな…?」
「俺とお前は昔会ってるみたいだけど、俺にはその時の記憶がない…。
  だからお前が誰なのか、わからないんだ。」
熱い風が部屋に入り込んでくる。
あいつは微動だにしない。何も言ってこない。
もしかして怒らせたか…?
だがそんな俺の予想とは別の反応が返ってきた。
「……そっか……、ごめんね、私…そんな気はなかったのよ…。」
今にも消え入りそうな声であいつは呟いた。
そんなあいつの様子に、俺はほんの少しだけ、胸が痛んだ。
「あ…別にその事を怒ろうなんて思ってるわけじゃないから…。
ただ教えて欲しいんだ、あの時、何があったのか…。」
言った後、少し後悔した。
今の俺に恐ろしい記憶を聞くだけの覚悟があるのかどうか、あまり自信が無い。
でも今更こんな事後悔していても仕方が無い、後の祭りだ。
俺は期待と恐怖で高鳴る胸を抑えるかのように、胸に手を当てる。
「…ごめんね、それは言えない…。」
「言えない事なのか…?」
「うん、言えない。チカちゃんの記憶を消してしまったのに、こんな事言える資格ないけど。」
「そうか……わかった。」
俺はこれ以上追求する事は出来なかった。
多分、あいつは言わないと思うし…。勇気もなかった。

「じゃあ質問を変える。お前は『山神様』なのか?」
「そうよ。」
即答。
予想していた事だけど、改めて本人の口から言われると…わかっていても驚いてしまう。
「でもすごいね、どうしてわかったの?記憶、ないのに。」
「ある人が教えてくれた。お前の赤い瞳は山神様のものだって…。」
「ふぅん……誰だろうね、そんな余計な事言う人。」
「それは言えない。」
桃太に迷惑をかけるわけにはいかないからな。
「じゃあ当ててあげる。」
「え…?」
当てる?何で…そんな事…。
「須館家の人間でしょ。」
「な……っ…!?」
「当たりみたいね。 …やっぱり、須館家の人間…。」
憎らしい、そんな想いを篭めたかのような、暗く冷たい声が闇に響く。
「チカちゃん、須館家の人間に関わっちゃダメ。あいつ等は…最低の人間。
  チカちゃんみたいな優しい人は関わっちゃいけないの。」
「お、お前に何がわかるんだよ。変な奴だったけど…でもそんな悪い奴じゃ…。」
「ダメよ!!あいつ等には関わらないで!!!」
いつになくあいつが取り乱している。
何か、須館家とあったのだろうか。
「…どうしてそこまで須館家を嫌うんだ?」
「それは………チカちゃんには関係のない事よ…。」
そう言い、あいつは口を閉ざした。
よくわからないけど、俺が聞きたいのはこんな事じゃない。
「えっと……、話を戻すけど、お前は山神様なんだよな?って事は神様なんだよな?
それなのに何で今ここにいて、俺に執着するんだ?」
「そんなの、簡単よ。 私がチカちゃんを好きで、チカちゃんは私のものだから。
  だから私はここにいるの。」
俺があいつのもの!?
だからここにいるって、わけがわからないぞ!
「記憶をなくしちゃったから覚えてないかもしれないけどね、
  チカちゃんは私とずっと一緒にいてくれるって約束してくれたのよ。」
「だ、だからって…何で俺がお前のものに…。」
「だって、チカちゃんは私のものになってくれるって言ってくれたのよ。」
…10年前の俺を殴りたい。これ程自分に憤った事はなかった。
「今こんな事言われても混乱しちゃうよね、でも大丈夫。」
「どういう意味だ?」

「もうすぐ、手に入れるから。貴方を抱きしめる腕も、包み込める身体も、全てを…。
そうしたら、ちゃんと迎えに行く。チカちゃんと私なら上手くやっていけると思うの。」
ふふっと無邪気に、まるで子供のように笑う。
赤い瞳と、その声が対照的で、今まで恐怖の対象でしかなかったあいつが本当はどういう存在なのか、
俺にはわからなくなっていた。
でもあいつのものになるわけにはいかない。その気持ちは変わらない。
「…悪いけど、俺はお前のものになるつもりはない。」
「今はそう思っていてもいいよ、だって記憶ないんだもの。」
…全く動じない。
「お、お前だって俺じゃなくても別に……。」
「ううん、チカちゃんじゃないとダメ。私にとってチカちゃんは全てなのよ。」
この言葉を聞くのは今日で二度目だ。
今までモテた事すらないのに何なんだ今日は。
「だから約束して。絶対に…他の女のものになってはダメ…。」
それって、誰とも付き合うなって事か?
冗談じゃない。俺にだって一応恋人欲しいとか、そういう願望はあるんだ。
「そんなの約束出来るわけないだろ。大体、お前に言われる事じゃない。」
「ダメよ、ダメ。 チカちゃんを幸せにできるのは私だけ。他の女なんかが幸せに出来る筈ないわ。」
反論は許さないと言わんばかりの強い口調。
「チカちゃんは必ず私のものにする。絶対に。 邪魔する奴がいたら排除してあげる。
  私の存在理由をどこかの雌豚に奪われて堪るものですか。
  そんな事絶対許さない………許さない…。」
恐ろしいほどの冷たい声。
俺はその口調に飲まれ、何も言い返すことが出来なかった。
「…じゃあ、また明日も来るからね。待っててチカちゃん。
例え昨日みたいに出てくれなくても、私は来るから…。」
そしてあいつは踵を返し………。
と、こちらを振り返った。
「そうだ。忘れてると思うから言っておく。私の名前――」
「名前…。」
「私は、『鈴』。覚えておいて、チカちゃん。」
そう言い残し、今度は振り返る事なく去っていった。

「鈴…。」
その名前は俺の心の奥を疼かせる。
何かはわからないけど、懐かしいような…怖いような…、でも不思議と不快感はない。
赤い瞳に対する恐怖心が大分薄れてきているのが自分でも解る。
今日話が出来たのはよかったのかもしれない。
まあ毎晩来られるのは迷惑だが…。
「…とりあえず寝るか。明日は遅刻したらやばい。」
携帯を見てみると、もう0時を過ぎている。
明日は早い。考え事は明日だ!

俺は布団に潜り、眠りについた。

9

女の子が泣いている。

綺麗な黒髪をおかっぱにした女の子。

普段はとても可愛いのに、泣いたら可愛い顔が台無しだ。
泣いて欲しくない、悲しんで欲しくない、笑ってもらいたい。

ああ…やっと泣き止んでくれた。
いつものように綺麗で、可愛い笑顔。

もうこの子の泣いてる姿は見たくない。
ずっと一緒にいて悲しい事から守ってあげないと。

この綺麗な赤い瞳をずっと……。

―――――ピピピ―――ピピピ―――

なんの…音だ…。
音…………目覚まし…………目覚まし!?
「うわぁーー!!」
俺は寝起きだという事も忘れて飛び起きた。
慌てて時計を見る。
…6時半…。どうやら寝坊は避けられたみたいだ。
「よかった…。」
ほっと胸を撫で下ろす。

すっかり目が覚めた俺は身支度を済ませ、階段を下りていく。
居間には昨日と同じように若菜がちょこんと座っていた。
「おはよぉ、ちーちゃん。」
にっこり微笑む姿は昨日とは別人だ。
「ああ…おはよう。」
やっぱりもう大丈夫なんだよな。
そう納得する程、若菜の笑顔は穏やかだった。

おばさんは仕事があるからと、朝食を取るとすぐに出かけて行った。
「ちーちゃんちーちゃん!」
「どうした?」
「今日のご飯どうだったぁ?」
「どうって…美味しかったけど?」
「どんな風に!」
「えー…うーん……。」
美味しいものは美味しいとしか言いようがないんだがなぁ…。
笑顔の若菜にそんな事言える筈もなく、俺は黙り込んでしまった。
そんな俺を見て若菜は笑顔を崩す。
「…美味しくなかったのかな…。」
「いやそうじゃないって!」
「じゃあどこが美味しかったのか言って!」
「…………あー……あれだ、今日の玉子焼きは絶妙な味加減だったぞ!」
「えへへ、ホントぉ?」
「ああ、ホントだって。」
「じゃあ明日も食べたい?」
「ああ、こんな美味しい飯ならいつでも食べたいに決まってるだろ。」
「やったぁ!ちーちゃんに褒められちゃったぁ〜♪」
そう言うと、初めて会った時のように幼い外見とは裏腹な豊満な身体を押し付け、抱きついてきた。
やっぱ胸でかいよなぁ………って、そんな事考えてる場合じゃない!
俺は顔を赤く染めながら若菜を引き剥がす。
「は、離れろ!なにしてんだ!」
「や〜だ♪」
ぎゅっと、更にきつく抱きしめてきた。
「やめろって!」
これ以上この感触に理性が耐えられるか自信がない。
俺は腕に力を入れ、力任せに引き離す。
引き離された若菜は不満そうに頬を膨らませる。
「もー、そんなに嫌なのぉ?」
「そういう問題じゃないだろ!」
「ちーちゃん照れてるのぉ?」
「う゛……。」
図星をつかれ、更に顔を赤く染める。
「あはっ、ちーちゃんかわい〜♪」
「う、うるさい!」
若菜に弄ばれるとは…不覚だ。
これ以上心を見透かされないよう目を逸らす。
――と、時計が目に付く。
時刻は7時45分。
7時45分……………!!?!?!
若菜と遊んでる場合じゃない!!
俺は急いで立ち上がり、鞄をとり、玄関へと駆け出そうとする。

「待って!!」
突然、若菜が声を張り上げ、俺の足を止める。
「若菜…?どうした?」
ぐいっ。
強い力がかかり、俺の腕が若菜の腕に収まる。
「ちーちゃん、昨日ね、私少しだけ髪切ったんだよ。わかる?」
ぎゅ。
「ちーちゃん、昨日のテレビ見た?ちーちゃんはどんなの見るのかな?」
ぎゅぅ
「ちーちゃん、私の学校の英語の先生ってカツラなんだよぉ。
  ホントにカツラつける人っているんだねぇ。」
ぎゅぅぅぅ。
「ちーちゃん、カキ氷食べたいと思わない?私の家カキ氷機あるんだ、今度持ってこようかぁ?」
ぎゅぅぅぅぅっ。

「ちーちゃん明日何食べたい?ちーちゃん勉強得意?ちーちゃん都会って何か面白いものあるの?
  ちーちゃん芸能人とかに会った事あるの?ちーちゃん普段どんな所で遊んでるの?
  ちーちゃんちーちゃんちーちゃんちーちゃんちーちゃんちーちゃんちーちゃん
  ちーちゃんちーちゃん。」
ぎゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ。

いつものように微笑んでいるが、瞳は決して笑っていない。
痛む腕とその表情が、昨日の若菜を彷彿とさせる。
だが今の俺にはそんな事を考えている余裕がない、時間は刻一刻と時を刻む。
段々俺の心に焦りと苛立ちが広がっていく。
「若菜ごめん…。俺行かないといけないんだ!」
強引に若菜の腕を振り解き、俺は振り返らず玄関に駆け出す。
早く行かないと!葵さんが待っている…!
若菜の事なんか全く構わず、そのまま玄関を出る。

「行かないで!!!!いやぁ!!ちーちゃん!!!」

熱い夏の風と共に聴こえてくる若菜の叫びを無視し、足を速める。
罪悪感で胸が痛む。
だが今それに構っていられる余裕の無い俺は、その罪悪感を無視し続け、全速力で駈けていく。

 

 

誰も居なくなった玄関。
栗色の髪の少女がぽつんと座り込んでいる。
その瞳は何も映さず、ただ小さな呟きが漏れるだけだった。

「許さないよ…、私からちーちゃんを取るなんて許さない…。絶対…近づけさせない…。」

少女は口元をにやりと歪め、小さな狂気を宿したかのような暗い瞳で玄関を見つめ続けていた――――

2007/03/26 To be continued.....

 

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