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とある姉と弟の日常



1

 六歳のとき、父が再婚した。
  俺に義姉ができたのは、そのときからである。
  いつも母親の背中に隠れている、一つだけ年上の女の子。
  めちゃくちゃ小さくて、なんだか可愛かった。
  名前は七海。
「ちょっと内気なお姉ちゃんだけれど、仲良くしてあげてね、鋭太郎くん」
  新しいお母さんが微笑んだ。
  それから姉さんを笑わせるまで、ひどく大変だった記憶がおぼろげに残っている。
「お姉ちゃん、ほら見てみてっ。セミのお腹だよ」
「……、ぅ、う……」
「うわ、こいつおしっこしたっ! お姉ちゃん、パスっ」
「きゃあ――ぁあっ! お母さん、お母さん、エーくんがセミ投げたっ! ふえ、ぇ……っ」
  全面的に自分が悪かったなあ。
  どう接したらよいのか、わからなかったのだからしょうがない。
  いきなり義姉ができたら誰だって混乱するんだ。
  とにかく、俺のアプローチの全てが姉さんを泣かせたり不愉快に陥らせたりしたので、
  とても仲良くとは言いがたい関係が二年続いた。
  二年が経過して。
  母が死んだ。
  元々病弱だったのだという。入院して、そのまま、家には帰らなかった。
  唐突なその現実に、悲しみさえ満足に懐けない小僧の俺だったが。
  母さんに強く依存していた姉さんは、違った。
  俺の何百倍も悲しんで、泣き喚いた。それが何日も続いた。
  もう隠してくれる温かな背中はないのだ。
  これで家族で唯一、自分だけ、血が繋がっていない……そんな孤独も、在った。
  そんなこととは無関係に、俺は、姉さんに笑ってもらいたくて、言った。
「お母さん、死んじゃったから……だから代わりに、俺が、お姉ちゃんを守るから」
  ふざけてセミを投げつけてくるような馬鹿が近付いてきたら追い払ってやろうと思ったし。
  泣いていたら、自分が姉の前に立って、背中に隠してやろうと思った。
「ぅ、ぇぐ、……エーくん、でも、でもぉ、ぅ、ひ、く」
  首をぶんぶんと振っていた。
  たぶん、自分はお姉ちゃんなんだから、それは逆だろうと……悲しみながらも、
  姉さんはそれを意識してくれていたんだろう。
「いいんだよ」
  だって。
「俺が、そうしたいんだ、うんっ」

 数年が経った。
  この春から高校生の俺、西尾鋭太郎。
  その姉、西尾七海。
  建築家である父は今海外で働いている。つまりこの一戸建て住宅には現在俺と姉さんしか
  いないわけで……。
  い、いかん。変な妄想しかけた……っ。
「姉さん、おきて……朝だよ、姉さん……、ぅ」
  眉間に皺がよった。
  ここは姉の自室である。そこは多種多様なぬいぐるみが跋扈する、
  一種の異界だった……ごめん言い過ぎた。
  ともあれ。耳を塞ぎながら、俺は朝の日課を開始する。
「な、なんでこんなにうるさいのに、起きないんだ、姉さん……っ」
  それはずばり、目覚し時計を止めることだ。
  一個ではない。
  総数、二十四である。
  その形状もぬいぐるみに劣らず、様々だった。
  特にこの女の子のやつなんか珍しいよなあ。時間がきたら、
「時間ですよぉ、ぅふふふふふ」という台詞と共に何故か片手に持っているフライパンを
振り回すギミックなんて……ベルじゃなくて、どすっ、といういかにも痛そうな
肉を殴る音を採用しているし。
「なんで起きてくれないんですか……ぁ、わかりましたよ、
本当はあの女に起こしてもらいたいからでしょ……っ!」
「ひ、ひぃっ!」
  しばらく観察してたらそんな台詞を吐き出した。
  フライパンを振り回す間隔は狭まり、肉を殴る音が大きくなった。ついに笑い始めたので止めた。
「こ、こんなからくりまで用意してあったなんて……」
  いつも真っ先に止めるから気付かなかった。
  姉さん、こんなに趣味悪かったか……っ? というかどこで売ってるんだこれ。

「ま、まあ、時折見せるミステリアスな所も姉さんの魅力なんだが……ああ、素敵だ」
  きっと俺が理解できないだけで、この目覚し時計も高尚なモノなんだよね。姉さん……。うっとり。
  などと、俺がフライパン女の時計を微笑みながら眺めていると。
「エーくんっ!」
「ぉわあっ!」
  背後から怒声。びっくりして持っていた時計を床に落としてしまう。
「ね、姉さん……お、おはよう、」
  振り返った。
  何故か怒っている姉さんが、ベッドで上半身だけ起こしたまま、俺を睨んでいる。
「ぁ、じゃあさっそく寝癖直そうか。時間もあんまりないし、えっと、くし、くしはどこかなぁ」
  姉さん髪長いから大変だよね、ははは。
「その時計」
  遮って、姉さんの綺麗な指先が、床に転がる奇妙な目覚し時計を示す。
「あ、ああ、ごめん、ちょっと好奇心がうずいてちょこっと触っちゃった……
  ごめん、駄目だったっ?」
「そうじゃなくて」
  まっすぐ、俺を見て。
「なんか、見惚れてたから……、その」
  途端、視線をそらして、もごもごと聞き取れない声をこぼす。
  うん……っ? はっ! そうか、感想が聞きたいんだな。わたしが選んだこの時計、どうかなっ?
  そう聞きたいんだな、姉さん。
「ぁ、えっと……か、可愛いよね、これっ!」
  拾い上げて、俺は言った。
  びきっ。石化の擬音。
「可愛い……っ?」 (私よりも……っ?)
「ぅ、うんっ! こ、この、フライパンとか、その、家庭的で、なんかいいよね、惚れるよねっ!」
  (言い過ぎるくらいに褒めれば姉さんの機嫌も直るはず……っ!)
「ほ、ほほ、惚れるっ!?」 (こ、この私を差し置いて、そんな時計風情に……っ!?)
「も、もも、もちろん、それくらい魅力的さっ!」
  (正直最初に見たときはひいたけど……言えない)
  ぐっと、親指など立ててみる。
  あれ……っ?
  ね、姉さん、なんで、こう、俯いてぷるぷる震えてるんでしょうか……っ?
「エーくん」
「は、はいっ!」
「それいらない。捨てて、今すぐ、窓から」
「えっ!? あの、その、誰かに当たったら大変だから、それは……っ」
「――いいから捨てろよ童貞」
「っ!?」
  姉さんっ!? どこっ!? あの優しかった姉さんは……っ!?
  まあ……姉さんは日常的に俺にはよくわからない理由できれるんだけどな。
「お姉ちゃんの、命令……聞けないの、かなっ?」
「き、きき、きつつききき聞きますはい捨てますそれせぇ――いっ!」
  そうして今朝、その時計を俺は新庄よろしくレーザービームで投げ捨てた。
  その後。
  寝癖を直しているときも、朝食のときも、姉さんは……不機嫌なままだった。
  俺が悪いのか……っ?
  わからない、誰か教えてくれ、姉さんには笑顔が一番似合ってるんだ……うっとり。

「ぁいてっ!」
  後頭部に何かが激突した。
「ぃ、つぅ……ああっ! もう、朝っぱらからなんだよ、いったい……、ぃ……っ?」
  地面に転がるそれを、少年は拾った。
  同時、絶句した。
「時間ですよぉ、ぅふふふふふ」
  目覚しらしきその時計は。
  とても、似ていたのだ。
  フライパンと、肉を、殴る、音。
「は、はは、よ、よくできてるなあこれ、はは、ははっ」
「――なにがよくできてるんですかっ?」
「っ!?」
  その声が。
  耳元で、聞こえる。
「ああっ! エ、エースケくん、それってまさか私の……っ!?」
「ぁ、いや、その、なんか空からいきなり飛んで来まして……
というかアンタいつ俺の背後に――っ!?」
「縮地です」
「真面目に答えてくださいよっ!」
「恋する乙女はたいがいなんだってできるんです。そんなことよりもっ!
  も、もう……そんなモノを作らなくても、言ってくれれば私が毎朝起こしてあげるのに……ぇへへ」
「だから空から飛んできたって言ってるでしょうっ!?」
  ずいっ。
「ちょっとエー兄っ! なによそれ、ちゃんと説明してくれるんでしょうねっ!?」
「ゆ、有華っ! お前いつ電柱の背後に……っ!?」
「縮地だよっ」
「だからてめえもちゃんと真面目に答え――っ」
「ずるいずるいっ! あたしのも作れっ! 作ってっ!」
「ぐ、げぇ……っ、く、首を、絞めるな、死ぬ、死ぬぅ……っ!」
「今時糸鋸で両手切断するヒロインのグッズなんて流行りませんよ、有華さん。
――つまり私がヒロインですので消えてくださいさっさと」
  ぶちっ。
「――フライパンの使い方もわからない痴呆よりはマシよ。お前こそ失せろ。光の速度で」
  ぶちっ。
  お互い、何かがきれた。
「殴り殺しますよこの害虫」
「上等だよ糞女、ほら、さっさと遺書書け。それぐらいは待ってやる」
「――それはこっちの台詞です。さっさと始末してエースケくんはいただきますから、ぁは、
ははははははっ。ちょっと待っててくださいね、エースケくん」
「三分待ってねエー兄っ。ちょっと地面が汚れちゃうかもしれないけど……ふふ、ふ、エー兄は、
  あたしが、守るから」
「も、もう嫌だ……誰か助けてくれ……っ!」
  そんなほのぼのと、幸福な光景が。
  今日も、蒼穹の下、広がっている……。南無。

「ごめんね」
  登校中、何故か姉さんは俺に謝った。
  俺としては。
「は――っ?」
  というすっとぼけた声でかえすしか、ない。
「ぇ、えっ!? なに、なんで姉さんが謝るのっ!?」
「な、なんでって、その……」
  むしろ謝るべきは俺だろう。
  原因はいまだ不明だが、俺の行動が姉さんを朝っぱらから不愉快にさせたのは事実なのだし。
「わたしがなんで怒ったのか、エーくん、さっぱりわからなかったでしょ」
「うん。まったく。これっぽっちも」
「……、……」
  睨まれた。怖かった。
「ご、ごご、ごめんなさいっ」
「――エーくんがっ!」
  普段小声である姉さんだったが、ここは怒鳴るように大きな声で。
「わ……たしに、おはようって、言わないで、あの時計、ずっと、見てたから……っ」
  ふ。
  ぇ……っ?
「そしたら、なんか、苛々して……っ」
「ぅ、うん」
  姉さん、顔真っ赤だ。
「そ、それが……理由、だから、その……っ、つまりわたしは、エーくんの、こと――っ」
「うぉ――いっ! おはよう、エータっ!」
  どがっ。
  後頭部をはたかれる。
「ぃ、た……っ! ああ、なんだ、七恵か」
  振り返ると、同じクラスの少女がいた。
「なんだとはなんだよぉ」
「朝っぱらから無駄に元気な女だ……今俺は姉さんと話しているんだ、
  すまん、君の相手をしている暇は残念ながらない、欠片も」
「エータは朝っぱらからよくそんなに口が回るね……」
  すごいだろう。
「まあ聞いてよ、ここ来る途中でね、喧嘩見ちゃったっ! 喧嘩」
「それぐらいではしゃぐとは……おめでたいな君は」
「君って呼ぶなっ! 女同士だよ、しかもすごいの、平手じゃなくて拳ねっ!」
「えっ!? マジかっ! すごいなあ……っ」
「なんかあたしらと同じくらいの男の子が泣きながら止めようとしてたよ」
「へえ……あれかな、痴情のもつれ、とか」
「わかんないけど。なんか二人とも眼が嫌な感じに濁ってたし……、ぃ……っ」
  そこまで快活に喋っていた七恵だったが、途端に会話を中断する。
「なんだ、どうかしたか」
「ぁ、いや、その……ぁ、あたし、先行くねっ、じゃあっ!」
  そのまま。走り去った。
「なんなんだいったい……っ? あ、ごめん姉さん、なんの話だったっけ」
「……、……」
  あ、あれっ?
  また睨まれてるぞ、俺。
「――もう、いいっ。エーくんの馬鹿」
「え、ちょ、ちょっと待って、姉さん、姉さん待ってちょっと歩くの速過ぎる……っ!」
  結局姉さんの機嫌は斜めのまま。
  今日も、俺らの日常は、過ぎていく。

2006/12/12 To be continued.....

 

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