懐かしい夢の残骸を見た。過去は変えることができない残酷な思い出の欠けら。
記憶の忘却の彼方に置き去っても、夢として蘇る。悪夢に近い過去の再演は目が覚めると
いつも驚くことに忘れ去っている。
ただ、胸に密かに潜む痛みだけは別として。
天草月は残念の事に夏休みの課題を仕上げるために不眠不休で四日ばかり遅れて
提出することが出来たが、長期に渡っての監禁のおかげで体がやつれてしまっていた。
それに気付かずに徹夜で課題を仕上げると体にどれだけの負担をかけてしまっていたのか、
全く考えていなかった。
課題を提出した後に学校で意識を失って病院に搬送された。栄養失調、体力的な問題うんぬんで
医者による学校の登校をドクターストップを喰らうはめになるとは。
体を壊した俺が学校に通うことができずに
強制的に一ヵ月の入院をすることになっていた。
すでに学生にとって貴重な一ヵ月が過ぎた辺りには夏の季節が過ぎ去り、
秋の紅葉が病院の窓から見える木葉から確認できた。
今月の中旬には中間テストがあり、それを受けないと俺は留年するという恐怖に怯えていた。
仮にも留年して、紗桜と同じクラスになると兄の威厳が失われる可能性すらもある。
それだけは避けねばならない。
これからは絶対に冬子さんの前では女装すると北斗七星に誓いながらも、
病院ですることがないので待合室に置かれている贅沢な大型液晶テレビで暇を潰すことにした。
階段を降りると入院患者や外来の方。医者や看護士の皆様が忙しそうに働いていた。
俺は虹葉姉から用意してもらった犬と猫柄のパジャマを身に纏いテレビが置かれている場所に向かい
席に大人しく座った。
今、流れているのは最近のニュースであった。
「今年の夏休み明けの学生の死亡者は一万6000人という前年より増しという
驚異的な数字が出ました。
これは嫉妬した女性が男性を突き刺した被害者男子生徒の数です。
更に女性の被害者は一万人という冗談で済ませられない数字となっております。
これは女性が女性を殺す被害者です。主な原因は狙っていた男子生徒をと付き合い、
それに嫉妬した女性の脳内思考で泥棒猫さえ排除してしまえば想い人が私の事を見てくれるという
根拠のない心理的な状況で
実行するケースが殆どです。
最近、新たな傾向としては。
姉妹の家に同居している義理の弟か兄を巡っての修羅場が全国各地で勃発しております。
姉がフォークで妹の目を突き刺したり、妹が兄の大事な性器を真っ二つにしたりと
残虐的な行為が見られます。これに政府は……」
そのニュースに俺は少しだけ驚愕していた。姉妹が一人の男を、
しかも家族として暮らしている男の子を取り合って修羅場というのがどうも他人事とは思えなかった。
「なんて世の中だ」
景気が低迷しているとか、学力が低下しているとか、某国の自爆テロなんか全然問題にならない程、
この国は堕ちるとこまで行っているんじゃないのかと俺は不安を抱いた。
社会問題うんぬんと考えている時に時計を見た。すでに夕刻。
この時間帯になると俺の入院している部屋はもっとも騒がしくなる時間帯だ。
昼間に学校があることを俺は幸せに望む。
虹葉姉と紗桜と音羽が人の迷惑を考えずに訪問している時間だからだ。
自分の病室に入ってくると俺のベットには虹葉姉の姿がまずそこにあった。
「月君がいつも寝ている布団。月君の温もりが気持ちいいよ」
あろうことか、以前と同じ過ちを繰り返している時点で
俺は思わずため息を吐くことができなかった。
すぐに目を離すと弟の所持品や布団に忍び込む悪い癖が虹葉姉、いや、姉妹にあるのだろう。
こういう細かいことをいちいち気にしていれば、水澄家に暮らしていくことは難しい。
俺は虹葉姉の肩を優しく叩いて、あっちの世界に引き戻す。
「に、にゃんと? 月君。いつ、帰ってきたの?」
「今帰ってきたんだよ」
「そ、そうですか。わ、私は別に何もし、してないんだからね」
虹葉は顔を赤面させて頭から白い煙が立っていた。
余程、弟相手に今の光景が目撃されたのが恥ずかしかったのだろう。
「紗桜は来てないの?」
「うーんとね。紗桜ちゃん。運悪く文化祭の実行委員に選ばれて、今日は委員会で遅くなるんだって。
本当はすぐに病院に向かうつもりだったんだけど、さすがに日常生活を疎かにしてまで
月君の見舞いはしちゃだめって、私がき〜つ〜く言っておきました」
「で、本音は?」
「紗桜ちゃんがいない間は私が月君独り占め。てへ。嬉しいな」
気まずい空気が一瞬だけ流れる。
いつものパターンだ。これが逆に紗桜だったら、同じ事を言うに違いない。所詮は姉妹。
行動パタ−ンは似てしまうことがお約束なのだ。だが、俺は夏休みに起きた体験を思い出すと、
ブラコン姉妹による暴走で俺は精神的にも体力的にも限界まで追い詰められてしまった。
同じあやまちを繰り返すつもりはない。
俺はベットの近くに置かれているナ−スコールを持つとボタンを押した。
「天草さん。どうかしましたか?」
「ちょっと頭のおかしい女子学生が……わけのわからないことを」
「変質者ですね。はい。わかりました」
若い看護士さんが俺の必死の演技に動かされて焦った口調で応えてくれた。
虹葉姉はぽかんと開いた口が塞がらなかった。
「変質者って、もしかして、お、お姉ちゃんのことなの?」
「リベンジです。少しは反省してくださいお姉さま」
「うにゃ〜。お姉ちゃんは月君に恨まれるような事はやってないよぉぉ」
「体を壊した可愛い弟の休息に俺の胃痛の原因になっている人が見舞いに来るなぁぁ。
病院の検査であなたは本当に10代の体ですか? って聞かれた時はちょっと死にたくなったぞ。
誰かに黒いオーラーを浴び続けると体によくないって、医者が断言していたぞ」
「う、うにゃにゃ。そんなことないよ」
思わず、動揺している虹葉姉の頬から冷たい汗が流れているのを見た。
やはり、確信犯なんだろうか。
「虹葉姉と紗桜は見舞いの立ち入り禁止!! 病院患者と美少女姉妹が見舞いにやってこない
男性患者の総意です。今、決めちゃました」
「月君と一緒に喋るのが私の生き甲斐なのに。お姉ちゃんの楽しみを奪うつもりなの?」
「ふふっ。俺は一夏の経験で悟ったんだ。あえて、修羅場を避けるよりも戦うと。
顔を上げて、戦う覚悟をした俺は最後まで絶対に引かないっての」
冬子さんの監禁で完全に精神と体を病み、一ヵ月も入院しておかげで学業の方は疎かになっており、
単位も危ないと新担任は言う。
ちなみに前担任のメガネは夏休み中に別れた奥さんが無理矢理復縁を迫ってきたので
男らしく『もう、束縛される生活は嫌なんだ』と叫んだ途端に。
奥さんに心臓を隠し持ってきた包丁で刺されてお亡くなりになった。
別にこれは珍しい事でも何でもない。
夏休みが終わり新学期を迎えるために学校に登校すると自分のクラスは2〜3人ぐらい花瓶が
机の上に置かれていた。
恐らく、ストーカーかヤンデレのどちらかに恋人になってくださいと迫られて、
断られた途端に殺されるケースが多発しているのであろう。
他のクラスでは花瓶がクラス半分以上も置いてあった実話もある。
「天草さん。変質者はそちらのお姉さんですね。今すぐに確保して病院の外にまで追い出します」
看護士のお姉さん方数人が虹葉姉の両腕を見事にぎっちしと掴んで連行してゆく。
「ひ、酷いよ月君。うぇ〜ん」
反抗しようとジタバタ暴れていると看護士さんが面倒臭そうに鎮痛剤らしきモノを
虹葉姉の腕に注射する。
そして、問答無用に連れて行かれた。
「ふぅ。虹葉姉ももう少しだけ距離を置いて欲しいもんだよ」
弟にべったりな姉と兄に依存と溺愛している妹を家族に持つと一日一日が
命懸けのガチンコ勝負である。
少し嘆息してから、買い溜めしてある缶コーヒーを片手に憂欝な気分でいると
次の来訪者が現れた。
「月ちゃん。今日も見舞いにやってきたんだけど、さっき、あなたのお姉さんが看護士の皆さんに
神輿にされて連れていかれたよ」
「音羽。あれはきっと変質者だからあんまり気にしなくてもいい」
身内の恥を音羽に説明するのも恥ずかしいすぎる。
「あれぇ。紗桜ちゃんはどうしたの? いつもなら、この時間になると私を妨害するために
水澄姉妹がきっちりとガードしているはずだけど」
「紗桜なら文化祭の実行委員に選ばれて今日はその委員会に出席するので来られないってことを
虹葉姉が言っていた」
「へぇ。そうなんだ」
音羽は嬉しそうに微笑んでいる。その笑みが俺にとっては嫌な予感が脳裏をよぎったと言えば、
彼女にとってはとても不謹慎な事なので口には出さないが。
「じゃあ。ようやく、私は月ちゃんに宣戦布告することができる」
「はい?」
「今日は邪魔な水澄姉妹がいないおかげで月ちゃんをたっぷりと独占できるんだけど。
もう、私は嫌なの。何も変化がないってことは月ちゃんと私の関係が全く進んでいないことだもん。
だから、私はここに宣戦布告する」
音羽。どうした、何かおかしい物を食べてしまったのか。
ここは病院だからすぐに医者を呼んでやるよと言いたかったが。音羽の様子がいつもと違い、
その眼差しは俺に真っすぐに向けられている。
「私は月ちゃんに復讐する。その復讐は私と月ちゃんが恋人同士になって、
幸せな生活を送る事なんだよ。言っている意味がわかる?」
「はあ? なんだけど」
音羽は睨み付ける視線は俺に向けられていた。
再会してから、ずっと仲のいい幼なじみとしてこれまでやってきたはずだった。
それが突然に復讐すると言われても俺はただ狼狽えるしかできない。
「月ちゃんは全く覚えていないんだよね。まだ、小さかった頃だったし。
私が引っ越しする原因になったのはお父さんが友人の保証人になって、
多額の借金を背負ってしまったから。
でも、お父さんは保証人の書類には全くサインも印鑑は捺さないと
私とお母さんにきっちりと言った。
だから、私はお父さんが保証人になったとは今では考えられない」
俺は思わず缶コーヒーを力なく落としてしまった。
連帯保証人関連の記憶で思い出される事はただ一つ。
「ガキの頃に音羽の家で遊んだ連帯保証人ごっこか」
「そうよ。それが鷺森家の不幸、私のどん底人生の始まりだった」
音羽が俯いて長い髪が彼女の表情を隠す。
あの遊びが原因で彼女は父親や母親を失い、俺と同じく独りぼっちになってしまったのだ。
「まさか、夢にも思ってもいなかったわ。月ちゃんと私がお父さんの机にあった
連帯保証人に関する書類を見つけて、書き込んだ内容がほぼ正確で判子を押した状態で
お父さんの友人が尋ねてくるなんて。
私達は疑うことなくその友人に書類を渡しちゃった……」
「そ、そうだったのか……」
「私と月ちゃんがお父さんとお母さんを死なせてしまったんだよ」
「おじさんとおばさんはどうして死んだんだ」
「お父さんとお母さんは私のために借金を返済するために自殺したの。
死んだ後に入ってくる多額の生命保険金で借金を返して、私が人間らしい生活を送れるように。
でも、私は借金を返済しなかった。
だって、親の借金は親の借金だもの。親の遺産を相続せずに遺産放棄してしまえば私は
借金を支払う必要はなくなる。
更にちゃっかりと親の生命保険金をしっかりと頂いたよ。
だって、生命保険金は受取人が指定していた場合は遺産にはならないから。
受取人の私にはきちんと貰える権利があったの。
そのお金のおかげで私は今のように自由に生活を送っているけど、心の中ではどこか寂しかった」
過去のことを思い出しているのか、音羽の目蓋から涙が頬を伝って流れてゆく。
感情的になっているのか、体が小刻みに震えている。
「だから、月ちゃんに復讐する。きちんと責任を取ってもらうの。
ううん……私の所有物になってよ。そうじゃないと私の心はいつまでも
穴が空いたままになっちゃうよ」
「音羽……」
「月ちゃんは誰にも渡せないんだから……。
水澄姉妹には絶対に指一本だって触れさせないんだから。うふふふふふふっっっっ」
俺は言わずともナースコールのボタンを押した。いや、普通に押すだろ。 |