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水澄の蒼い空



第10話 『壊れた家族の絆』

 人間。その気になったら空だって飛べるさ!!

 

 ついに終業式が終わった。
  明日から夏休みで気分は重圧から解放されたので体は軽い。
最近の学園では気を休まる時間もなく授業も集中して受けられなかったのでこの長期的な休みは
いい休養となることであろう。
  夏休みの過ごし方を思考しながら忠生と一緒に帰っている最中であった。
  この時、忠生の頼みなんかを聞いたおかげで俺はとんでもない騒動に巻き込まれるとは
  夢にも思わなかった。
俺の人生が変わるぐらいにな。

「月。俺の一生のお願いを聞いてくれ」
「全力で拒否したいです」
「だぁぁぁ。俺のコレクションを守るためにはお前の協力が必要不可欠なんだよ」
「コレクションって……。忠生コレクション?」
「そうだ。忠生コレクション。お前も何度かお世話になっただろう?」

 その忠生コレクションとは忠生がどういう人脈を使って集めたかは知らないが、
エロ本やエロビデオの事を指す。
男の性欲に純真な情熱を燃やしている忠生は、俺達の学園では知らない奴がいない程に
その手の情報と知識には詳しく有名人であった。
変態度のおかげで女の子からモテなかったりするが、忠生コレクションがどういう訳か
危機に陥っているようだ。
  俺は真剣に忠生の話に耳を聞き入れることにした。

「今度さ、俺の家がリフォームすることになったんで。俺の部屋も改装するんだよ。
そこにはいろんな忠生コレクションが隠しているだろ? 
だからさ、信用できる奴に俺の命の結晶である忠生コレクションを預かってもらっているんだ。
ただでさえ、あの膨大な量を短期間で親にバレないように隠すのは大仕事だ」
「わかった。忠生コレクションには俺が大人の階段を登るためにいろいろ役に立ったことだし。
今回だけは忠生の味方でいてやるからな」
「さすがは心の友よ。俺はお前を信じていた」
「忠生コレクションはきっと死守するよ。この命に代えてもな」

 そんな男の友情を再び確かめ合った後、俺達は忠生の家に向かった。

 忠生の家に立ち寄った後、俺は果てしなく後悔を覚えていた。
今まで教科書を机の中に教科書を置いてあった物を鞄に詰めたおかげで荷物の重量は
俺の細腕では辛く堪える。
更に忠生から預かったエロ本やエロビデオと言った類も大量に受け取ったので、
家までの帰路は夏の日差しに照らされて重い荷物を背負って歩くことになった。

 水澄家に辿り着くと暑さのおかげで意識が朦朧としているが俺は何とか踏張って、
ここから気合いを入れ直す必要があった。
水澄家に住んでいる虹葉姉や紗桜にバレないようにエロ本とエロビデオを上手く隠す必要があった。

女の勘というのは恐ろしいものだ。

 水澄家敷地に持ち込むだけであの姉妹は敏感に察知する。
俺がかつてエロ本をこの家に持ち込んだ時は虹葉姉と紗桜の機嫌が
  なぜか少し悪かったような気がする。
まあ、その機嫌の悪い理由は、姉妹たち自身、首を傾げて自分自身に疑問を抱いているようだったが、
女の勘は激しく作用していた証拠であろう。

 ここでエロ本やエロビデオがバレるような事があれば全てが終わる。
  今まで水澄家で築いてきた信頼と信用が全て失われるのだ。
姉妹から軽蔑の視線で随時見つめられることになる。

そう、この家を出る時まで。
  ゆえにエロ本が見つかる=天草月の死に繋がる。
  俺は息を呑んで戦場の舞台に旅立った。

 

「よし。隠し場所はこれでいいかな」

 忠生コレクションの一部をベットの下に隠す。その作業を効率よくてきぱきと隠すと
  俺はようやく安堵の息を吐いた。
  隠し場所としてはもっとも見つかりやすく定番な場所に隠しているわけだが。
いつ俺の部屋に虹葉姉と紗桜が訪れるかわからない。
隠している最中に部屋を訪れてもアウトなので、本格的に隠すのは姉妹たちが眠る
深夜の時間帯に念入りに隠そう。

そこまでにこの膨大な量の忠生コレクションの隠し場所を今から考えねば。
  とりあえず、今俺がやるべきことは。
  お腹が空いた腹の音を黙らせることだな。

 下のリビングに降りると虹葉姉と紗桜がテレビを見ていた。
昼は二人ともインスタントのカップ麺を食べたらしくテーブルに片付けずに置かれていた。
俺も昼は簡単に済ませるつもりだったので、買い溜めしてあるカップ麺にお湯を注ぐ。
  この生活の憩いの場にやってきたにはちゃんとした理由がある。

 虹葉姉と紗桜を監視すること。
  女の勘らしきものを信じてはいないが。
  一応、念のために。
  何かの間違いで俺の部屋に訪れたら、女の勘で現在隠している忠生コレクションの居場所が
  簡単に突き止められる可能性は高い。
ただでさえ、ベットの下に隠しているとはいえ、部屋の違和感らしきものだけは隠せない。
無理矢理に押し込んで忠生コレクションを隠しているのでこの家に住んでいる家族なら
  気付くかもしれない。
  だから、今日は誰も俺の部屋に入れさせはしない。

「ねぇ。月君。明日から夏休みだよね」
「う、うん。そうだな」
「夏休みになるまえに月君の部屋を掃除したいんだけど」
「はい?」
  何を言っているんですか? 虹葉姉。
「普段からいろいろと迷惑をかけているから、お姉ちゃんが月君の部屋を
  ピカピカに綺麗にしてあげるよ」
「いや、しなくていい」
「まさか。兄さん。女の子には見せられない物を隠しているんじゃないでしょうね」
「あはっはは……。そんなものをこの家に持ち込んでいるはずがないじゃないか」

 しばしの沈黙が流れる。
  お湯を注いだカップラーメンが出来上がっているはずの時間の数倍ぐらい
  流れていたような気がする。
二人とも微笑を浮かべて、目だけは笑ってはいなかった。
  落ち着け。天草月。
  虹葉姉も紗桜も女性の勘が疼いているだけであって、
  その発言の意図は俺が危惧するような意味ではない。

勘違いはするな。ここで思わず俺の口からぽつりと呟いてバレるようなことはあってはならない。
  考えろ。考えるんだ。

 発想を逆転させろ!!
  部屋を掃除させるのを止めさせる方法を取らずに。

 逆に虹葉姉と紗桜に掃除させるんだ。俺の部屋は普段から綺麗に清潔を保っているので
部屋を掃除するとしてもすぐに終わる。
だったら、ここは拒まずに虹葉姉の意見を了承することで俺のエロ本持ち込み疑惑を
  なくしてしまえばいい。
  やってやる。やってやるよ。

「そんなに疑うぐらいなら俺の部屋を存分に掃除してくれ」
「ようし。月君の了承を得たことだし。お掃除頑張るよ」
「絶対に兄さんのエロ本を探してあげますからね」

 三人は含み笑いをしながら、階段を上って俺の部屋に向かった。
  ああ。カップラーメン。食べてねえよ。

「うっ。私の部屋よりちゃんと綺麗に整っているよぉ。掃除のするところが全然ないよぉ」

 よし。先に準備をいろいろとしていた俺の勝ちだ。
  後は自然を装って虹葉姉と紗桜を追い出せばいい。
  できる。俺ならきっとできるさ。

「それにしてもおかしいですね。兄さんの部屋は普段なら少しぐらい
  散らかっていると思うんですけど。
  今日は不自然なことに散り一つも見当りません」
「今朝は起きた時に時間が余ったんで自分の部屋を掃除しただけだよ」
「本当にそうなのかな。兄さん」

 疑わしい瞳で紗桜は兄である俺を見つめていた。
  虹葉姉と違って紗桜は自分が納得できない事は常に疑うという悪い癖を持っている。
  だが、それも計算の内だ。

「今日は終業式だったし。明日からの夏休みをだらけることなく、今朝方は掃除をしたんだよ。
  紗桜は兄の言葉を疑うのかな?」
「あぅっ!」

 紗桜は俺の言葉に反論できずに唇を尖らせて拗ねた表情を浮かべていた。
  普段の家事をやっている俺はきっちりと正確に行なっているからこれ以上疑う余地はない。
  ふふっ。これで完全勝利だ。
  と、思いきや。虹葉姉が穏やかな声でとんでもない事を言ってのけた。

「でも。月君は今朝方は私たちの部屋で一緒に寝ていたでしょう。
  更に私たちの部屋は月君に起こしてもらえるから時計も合わせなかったから、
  私たち今日は寝過ごして遅刻しそうになったんじゃなかったのかな? おかしくない?」

 しまった。忘れてた。
  紗桜と虹葉姉の頭を撫でている間に俺が真っ先に寝てしまうという失態を昨夜はやってしまい、
  今朝は虹葉姉の言う通り見事に寝過ごしたんだったけ。

 やばい。

 適当に嘘を吐いた途端に一気に追い詰められそうになった。

 ま……まずい。動揺するな。

 物証は抑えられていないんだ。ここは言い訳でどうにか通る。

 とにかくここは水澄家の居候、天草月としての自然な行動を取らなくては。

「ごめん。寝呆けていたようだ。さっき、部屋の掃除をしていたのは忘れていたよ」
「もう、月君の勘違いさん」
  と、舌足らずの笑顔で俺は自分の失態を笑って誤魔化した。
  虹葉姉も気にすることなく、一緒に釣られて笑ってくれている。
  だが、僅かな一場面で紗桜を見逃したのが敗因となった。
  紗桜は俺のベットの下をしゃがみ込んで手を伸ばして何かを取った。
「お姉ちゃんあったよ。兄さんが隠したエロ本が!!」
「紗桜ちゃんお手柄ね。後でお姉ちゃんがご褒美ににゃにゃしてあげるから」
  そう言って虹葉姉は隠してあった忠生コレクションを取り出す作業に没頭する。
  俺は隠してあったエロ本を見つかった事に動揺して彼女達の行動を制止することができずに
  足が震えて動くこともままならない。
  負けたのだ。女の勘というものに。
「さてと月君。この本は一体何のかな?」
「え、えっと……」
  この部屋の空気は冷たく重圧に支配される。
  大量に物証である忠生コレクションを表に出されてゆく。
  虹葉姉は冷たい微笑を浮かべながら、目は全く笑っていなかった。
「初めての姉妹丼。どんな料理なのかな月君?」
「姉妹が作ってくれる愛情たっぷりの料理なんじゃないのかな」
「姉妹イカセ4時間シリーズコレクション。何をイカせるんだろうね?」
「さあ? 何をいかせるのやら」
「憧れの義姉と義妹のコスプレショー。にゃんことわんこ。猫さんと犬さん可愛いよね?」
「うん。俺も犬と猫は大好きだよ」
  威圧感と迫力は想像を絶する以上に俺を恐怖に陥れてゆく。
  こ、殺されるかもしれん。
「姉妹恥辱・監禁された姉妹の行方は? ねぇ? 月君。どうしてさっきから
  姉妹モノばかりの本が見つかってくるのかな? かな?」
「まさか、お姉ちゃんと私をそんな風にいやらしい目で見ていたんだ。兄さん・・」
「うにゅ!」
「あうぅぅ!!」
「誤解だ。これは。そう、何かの陰謀なんだよ。俺が虹葉姉と紗桜をそんな目で見るはずないだろう」
「兄さん。思い切り動揺してますね」
「月君・・。酷いよ。私たちよりもこんないやらしい本に欲情していたなんて」
「俺は・・違う」
「月君!!」
「兄さん!!」
  闇のオーラーを背負って虹葉姉と紗桜がこちらに迫ってくる。捕まえれば、俺の死は確実だ。
  もう、俺は水澄家にいられることはできない。家族であった虹葉姉と紗桜の信頼と信用を
  裏切ってしまい、
  二人はいやらしい視線で見たことになっている。姉妹にとっては俺は軽蔑される存在で近付いたら
  妊娠されるぐらいに拒絶されているはずだ。
  だから、俺はこの家を出て行く。
  小さな頃から一緒に暮らしていた虹葉姉と紗桜。
  いつかは互いは離れ離れになることはわかっていた。
  少なくても、姉妹の傍に離れるのはまず俺からだと自覚はしていたけど。こんな別れ方をするなんて
  全く想像できてなかった。
  さようなら。虹葉姉。紗桜。
  俺は行くよ。
 
  自分の部屋の周囲を眺めてみた。退却をできる場所は姉妹たちの後ろにある窓だ。
  そこから下に降りて、水澄家を出る。
  決意はできた。
  人間。その気になったら、空も飛べるさ。
  窓に向かって猛烈にダッシュする。虹葉姉と紗桜に体当たりして二人とも倒れるが俺は
  振り返ることなく窓を開けて、空を飛ぶ。
  二階から地上に着地にすると足に強烈な重圧が襲ってきて、俺は思わず尻餅を着いた。
「うがぁ……!!」 
  強烈な痛みが襲ってきたが、俺は水澄家の庭から玄関まで夢中に痛めた足を動かした。
  逃げてやる。二人に捕まってたまるか。俺は水澄家を出ていかなきゃいけない。
  気力を振り絞って最後の力で水澄家を出る。
「月君っっっ!!」
「兄さんっっっ!!」
  虹葉姉と紗桜の悲鳴に近い声が聞こえた。
  最後に二人の声を聞けたのは嬉しかった。
  だから。

 さようなら。

第11話 『現在、逃亡中』

 エロ本を発見されて俺は傷心のまま水澄家を飛び出してきた。
追い掛けてくるだろうハンター(虹葉姉と紗桜)から逃げるために痛めた足を必死に動かして、
俺は寂れた公園に辿り着いた。
足や膝の痛みが激痛となり、ついに走ることはできないと判断して、俺はブランコに座り込んだ。
  子供の頃はよく公園とかで遊んだりしたが、成長するにつれてブランコや滑り台とかで遊ぶ機会は
なくなってしまった。
ブランコに座ることすらも一体何年ぶりだろうか。
  しばらくの間、小休憩を取っていると再び足に激痛が走った。
足を地面に立たせるだけで今まで感じたことがない痛みが襲ってくる。
まさか、二階から飛び降りた時に足を捻ったのか? 
今時の子供である俺はカルシウム摂取不足とかせいで飛び降りた際に骨折しまったのではないのか?
これはさすがにシャレにならない事態だ。
  水澄家に帰ることができない事情がある俺は骨折したかもしれない足で
どこかに家出をするのは現実的ではない。
もし、俺が救急車とかで運ばれたりするならば、虹葉姉や紗桜に居場所を知られてしまう。
しかも、今度は逃げることができない。
家に帰れば、想像を絶する拷問が待っているのに違いない。
  さあ、どうする?
  肝心な親友である忠生とは携帯を持ってくるのを忘れて連絡が取れない。
今の身動きできない状態では彼の家に辿り着くことができないし、
家を改装するとでも言っていたので泊めてもらうことは無理であろう。
  すでに万策は尽きた。
  虹葉姉と紗桜には俺が姉妹に変な性欲を持っている変態さんと誤解された時点で
俺の人生を終わりを告げたんだ。
あの家から社会に出ると俺自身がもっとも無力であること嫌程思い知らされた。
  もう、ダメだ。
  痛みを堪えるのにも限界がやってきそうだ。
ここは寂れた公園だから人通りも少ないだろうし。発見されるのはいつになるのやら。
「月ちゃん? 月ちゃんだよね?」
  公園の入り口で聞き慣れた声が聞こえてきた。

「音羽?」
「月ちゃん。どうしたの? 大企業で問答無用にリストラされた中高年みたいな
生気もない座り方をして」
「それは……」

 音羽が来てくれたのは偶然、いや、奇跡に近い。
神がくれたチャンスと言ってもいいだろう。ならば、このチャンスを逃さずに物にしてみせる。
  そのためには俺が水澄家を追い出された理由を音羽に明かしてはならない。
エロ本が見つかって逃げて来たという本当の事を話せば拒否反応を示すことであろう。

「虹葉姉と紗桜とちょっとした事で喧嘩したんだ」
「えっ!? あの女どもと?」
「うん。それで家に当分帰れそうにもないから友達の家で泊めてもらおうとしたんだけど。
歩いている途中で足を踏み外してちょっと捻ったみたいなんだ」
「月ちゃん。大丈夫なの。痛くない」
「いや、冗談抜きにやばいかも」
「わかりました。月ちゃんは私の家で面倒をみるよ」
「いいのか?」
「私の家は一人暮らしだし。だって、その方が、うふふ」

 怪しい含み笑いの笑みを零す音羽は顔を真っ赤にして嬉しそうであった。
  だが、これは計画の内だ。
  音羽と出会った途端に閃いたのは怪我が癒える間は音羽の家に厄介なろうと考えた。
幼なじみの間柄だし、音羽は俺に好意を示している。

そこで俺が怪我で身動きできない状態なら喜んで家の方に連れてもらえる可能性が高い。
  全て計算通りだ。

「音羽。悪いけど肩を貸してくれないか?」
「ええっ? ええっーー!!」
「足が痛くて一人じゃあ動けなさそうだ」
「うん。わかったよ。しっかりと掴まってね」
  音羽が肩を貸そうとすると俺は彼女の首に手をかけて、なんとか立ち上がろうとした。
足が強烈に痛むが全身の体重のいくらかは音羽のおかげで普通に立つよりは痛くはない。 

やはり、女はちょろいもんさ。

 と、俺は女性を軽視していた。
  この後に起きる騒動で女性という生物の恐怖を知ることとなる。

 音羽の家は公園から少し離れた場所にあるマンションの二階にあった。
階段を登る時の足の激痛に耐えて、ようやく音羽の家の中に入れる。
ドアを開けて音羽慌ただしいく走って行くと俺のためにシップと包帯を持ってきた。
音羽による不器用な治療が終わると俺はようやく安堵の息を吐いた。

「これでしばらくは大丈夫です。後はちゃんと病院に行って検査と痛み止めの薬をもらえば大丈夫だよ」
「ありがとう。音羽」
「えへへ。どういたしまして」
  音羽は優しく微笑すると持ってきた湿布と包帯を元通りの場所へと戻して行く。
音羽の家の中はいかにも女の子らしい生活空間に染められて部屋の広さは
一人暮らしには適度な広さであった。
そこで俺は思わず聞いてみた。
「音羽って、もしかして一人暮らしなのか?」
「そうだよ。ここに戻ってからだけど」
「おじさんとおばさんは?」
「……ずっと前に亡くなったの」
「そうか」
「ううん。そんなに気を遣わなくていいよ。一人暮らしだと言っても今日からは
月ちゃんがいてくれるから寂しくなんかないんだから」
「でも、女の子が一人暮らしなのに男が泊まろうというのも色々問題が」
「幼なじみ同士だから全然問題ないよ。大体、月君の足の怪我が癒えるまでは
私はちゃんと面倒みるって決めているもん。心配しないで」
「ああ。ありがとうな」
  音羽の共同生活に胸が躍るようなものはあるが、衣食住の内、
食だけは音羽のお世話になるわけはいかない。
忠生があのお弁当を食べて泡を吹いて倒れた時の記憶はつい最近の事だ。
これだけは最初に主張しておこう。
「でも、俺はコンビニの弁当しか食べないからな」
「えっ!? わ、私の愛情がたっぷりと詰まった稲荷寿司を食べてくれないんですか? 
誠意を込めて月ちゃんのために作ってあげようと思ったのに」
「今の俺の体でそんな毒物を体内に注入したら食中毒で間違いなくとどめを刺される自信はある」
「むっ。酷い言い草ですね。毒物なんて入れていないのに」
  音羽が拗ねるように頬を膨らませるが厳しすぎる事実を俺は無視することはできない。
虹葉姉と紗桜と同等の料理技術を持つ音羽に料理をさせるということは
俺が死ぬと同意義の意味を持つ。

「まあ、いいじゃないか」
「よくありません。月ちゃんの立派なお嫁さんになるために花嫁修業でもやりまくって、
修業を終えた時は幸せの鐘が鳴る教会で月ちゃんと永遠の愛を誓うぐらいに
美味しい料理を作ってやるんだからね。覚悟してね!!」
「逆の方向を極めないように頑張れよ……」
「逆ってなんですか。私は月ちゃんのとこの虹葉さんと紗桜さんの
ポンコツな女の子とは違うんですよ。
もう、家庭を月ちゃんに任せている最近の家事をしない
主婦のような女の子達には絶対負けませんから」
「あの二人をライバル視する時点で音羽の生活能力は退廃的のように思えるんだがな」

 虹葉姉と紗桜は普段から家事を俺に任せているおかげで俺なしでは生活できない女の子に
なってしまったことに天国にいるおじさんとおばさんに謝りたくなる。
それと同等レベルの音羽にこれから世話をされるといろんな意味で不安に思ってしまう。

「それにしても」
  気になることはただ一つ。
「どうして、音羽は虹葉姉と紗桜にライバル視しているんだ?」
「こ〜ん……」
  意表を突かれたのか音羽の表情は強張り視線を俺からずらした。
ただ、何のこともない一言で見事に部屋の空気が変わってしまった。
「月ちゃんはどうしていつも大切な事には気付かないのかな?」
「うん?」
「あの姉妹は私にとっては倒すべき天敵なんです」
「天敵ってオイ」
「鷺森家の名に懸けて必ず滅ぼしますから」
「いや、滅ぼさなくていいから」

 この調子で足が治るまで俺はここで上手くやっていけるのかと首を傾げたくなってきた。

第12話 『悪魔の囁き』

*水澄紗桜視点
  兄さんが部屋の窓から飛び出してから一週間の月日が流れました。
家は兄さんがいないおかげでまるで電灯10個分が失われたような暗さを漂わせています。
あちこちに私たちが食べ散らかしたコンビニのお弁当を片付けることもなく置かれていて、
そこからはすでに異臭を発しています。
それでも、私たちは何かをしようという気力は皆無であった。
  兄さんがいないだけでお姉ちゃんも私もこんなにダメになっちゃうなんて。
前に兄さんが門限時間を守らなかっただけで私たちの心は引き裂かれて崩壊寸前だった。

 寂しい。 寂しすぎるよ。

 お姉ちゃんは虚ろ瞳をして、私の頭を大切に撫でてくれています。
でも、内心はお姉ちゃんも私以上に寂しがり屋で兄さんの事が心配でたまらないんです
こうやって、お互いしっかりと抱きしめておかないと正気を保つことなんかできない。
私が狂わないのはお姉ちゃんのおかげです。
  でも、一週間は長い。
  せっかくの楽しみにしていた兄さんとの夏休みの時間が過ぎて行く。
私とお姉ちゃんはどれだけ楽しみにして夏休みという日を待っていたことやら。
学校で引き裂かれていた兄さんを私とお姉ちゃんとで好きなだけ独占できる時間が
どれほど愛しいことか。
  夏休みが終わることを、他の誰よりも私たちは惜しんでいる。

 なのに。

 兄さんがいない……。

 絶望が私の心を蝕んで行く。

 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 
兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 
兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 
兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 兄さん! 

 どれだけ呼んでも兄さんは私たちの前から現われてはくれない。
  目の前が真っ暗になりそうであった。

 私は兄さんがいない現実を逃避していると頭を撫でてくれていたお姉ちゃんがふと立ち上がって
食器台の方へ向かいます。
私は首を傾げながらお姉ちゃんの行動を見守っているとお姉ちゃんは乾いた笑みを浮かべて言った。
「月君が帰ってこないの」
  絶望に心酔している表情を浮かべて虚ろな瞳をして私に向かって言った。
お姉ちゃんの気持ちは痛い程わかります。
だって、兄さんがいないだけで私は自分が壊れるそうになるぐらいに狂いそうだ。
「月君はきっと監禁されているんだよ。あの泥棒猫に!!」
  泥棒猫という言葉にお姉ちゃんはどれだけの殺意を込めているのか充分に伝わってくる。
私も泥棒猫と該当する人物の指を全て切り落としたい衝動にかられる。
「だから、ね?」
  食器台から取り出してきたのは銀色の光を宿して眩しいフォークであった。

「刺しに行かなきゃ!! 刺してやるぅぅ!!」
  錯乱したお姉ちゃんを私は慌てて後ろから抑え込む。
強い力でバタバタと暴れだすお姉ちゃんを抑えるのは苦労したが、
本当はそのまま泥棒猫とこに放してやりたかった。

「うぐぅ……ぐすぐす」
  お姉ちゃんの嗚咽する声を聞くと私も泣きたくなってきた。
  兄さんがいないだけで私たちはこんなにも弱い。お姉ちゃんに甘えるように抱き締めると
また優しく頭を撫でてくれた。

「月君は私たちの事を嫌いになったのかな?」
「兄さんは今まで私たちの事を本当の姉や妹のように接してくれてたよ」
「そうだね」
「いつも私たちの事を想ってくれていた」
「でも、月君は私たちを置いて家をでちゃった」
  それは避けられない事実。
  家族の私たちを見捨てて兄さんは家を出る事実を冷酷にも受け止めよう。
兄さんの隠していたエロ本が見つけられたことで私たちに気まずい思いをさせたっていうことで
気遣って家を出なくてもいいんだよ。
  あのエロ本は全て燃やしてしまったけれど。
本の中にある裸のメス欲情するぐらいなら私たちにして欲しかった。

 私は兄さんのためならなんでもしてあげる。
  エロ本にあったような事を私は兄さんのためなら喜んでしてあげるから。
  戻ってきてよ。
  お願いだから一緒にいてよっ!!
「紗桜ちゃん?」
「私も憎いよ」

 兄さんに近付いてくる女性が。異性が。
  私の大切な物を奪って行く女たちが。
  もし、兄さんが他の女に生活を送っているのなら。
  私は喜んで殺人者となろう。
  その女に生存権は存在していない。
  鈍器で頭を潰して、潰して、原型がわからない程に殴ってやる。
  それでも私の気がおさまるはずがないので、ガソリンを流して火を付けてあげる。
生きたまま焼かれる姿は私にとっては喜びだよ。

兄さんに近付く泥棒猫が」
「うふふ。紗桜ちゃん」

 お姉ちゃんも私と同じ気持ちのようだ。更に優しく頭を撫でてくれた。それが何よりも嬉しかった。
  だから、泥棒猫から兄さんを取り戻そう。
  私たちのために。

*水澄虹葉視点

 月君が帰ってこない。
  もう、2週間にもなる。

 家族想いの月君が2週間も家に連絡をしないのは基本的にありえないことである。
私は月君のことならなんでも知っている。
ずっと暮らしていた家族だもの。

月君が私のことをわかってくれているように私も月君の事ならなんでもわかっている。
  月君は私たちと一緒でとても寂しがり屋さん。

 誰かに依存しないと厳しい世の中を生きては行けない。これも私たちと一緒。
  月君の依存する相手は当然私たちだ。
  家族という表向きの殻で偽り、本当は私たちは両想いの間柄であると私はそう思っている。

そんな月君が私たちに連絡の一つも入れてこないってことは
誰かに監禁されている可能性が高いと思った。
  月君は学園では結構モテる男の子だ。学園中のメス猫どもが私たちの月君を狙っている。

いやらしい欲情に満ちた瞳で見つめているメス猫どもが多い。
そのわかりやすい例はバレンタインデーの時だ。
月君の下駄箱にチョコを入れてくるメス猫達が多いこと。
私は紗桜ちゃんと協力してチョコをいつも焼却炉で全て燃やしている。
月君にチョコを送っていいのは私たちだけなんだから。

 だが、監禁となると話は別だ。

 想いを受け入れない男の子を監禁して自分の好みに洗脳する恋愛最上級テクニック。
もし、月君が泥棒猫に洗脳されているとするならば、家に帰ってこない理由がわかる。
手を手錠で拘束されて女の子の言う通りにしないと生存できない苛酷な状況下では
人の精神は簡単に病んでしまう。

 な、なんて羨ましい!!
  じゃなかった。

 洗脳されている人間を説得して家に帰すのは難しい。
マインドコントロールされた人間は大抵の人間の言葉に耳を貸すことはない。
それが家族から声であってもだ。
  だから、早急に対策を打ち出す必要性があったのに。私たちは今まで何をやっていたのであろうか?

 月君が泥棒猫から取り返そうとはせずにただ泣いているだけであった。
  私たちが泣いていたら、月君はきっと私たちの事を心配して帰ってくると
心のどこかで信じていたに違いない。
  なんて、滑稽な事なんだ。

 泥棒猫に捕われているなら、私たちの手で泥棒猫から取り戻さなくちゃいけない。
  それがどんな障害が待っていてもだ。

 その前に。
「紗桜ちゃん。お買い物に行くよ」
「えっ!?」
「月君を取り戻すためにいろいろと準備しなくちゃね。長期戦になるからね」
「お姉ちゃん!!」
  月君。きっと。きっと。泥棒猫から助けだします。必ず!!

第13話 『対面』

 あれから二週間の月日が流れていた。
  俺は……。
  知らない内に鷺森家の家政婦さんになっていた!!

「月ちゃん。月ちゃん。今日の夕食はなにするの?」
「今日は音羽が大好きなハンバークでも作ろうかな」
「やった。楽しみに待っているからね」
  と、音羽が穏やかな表情を浮かべて微笑していた。

 あれから。
  俺は音羽の知り合いの医者に足を診てもらい、ただの打撲程度の怪我だと診断された。
  とはいえ、足が不自由な事は確かだし立て替えてもらった治療費の恩を返すために
  一人暮らしの音羽の強い勧めもあり、

 ここで二週間を暮らすはめになった。最近の女の子の一人暮らしは物騒で男手がいることは
  充分に心強いことであろう。
  一人暮らしの孤独を埋めるのに俺程度でも何かと役に立つ。
  さすがに三日もコンビニ弁当が続くと嫌気がさしてきたので、俺は再び台所に立つ決心をし、
  水澄家で鍛え上げた料理の腕を披露すると音羽はとても喜んだ。

 だが、『あの姉妹はいつも月ちゃんの愛情たっぷりの料理食べているんですね。許せませんね』と
  たまにぼつりと呟く言葉は少し聞かなかったことにしておこう。
  そんな風に気が付いたら音羽との共同生活はもう二週間が過ぎていた。
  時が経つのは早いものである。

「月ちゃん。一緒に買物に行こうよ。駅前のスーパーで安売りやっているだって」
「よし。わかった。さっさと行こうぜ」
  俺と音羽は激戦区であるスーパーに夕食の買物を求め旅立つのであった。

 駅前のスーパーに辿り着くと俺と音羽は手を握り締めて
  激戦のためにお互いに頑張ろうと目で合図する。
  首で頷いてから前方に見えるオバさんたちが我先に商品を取り合っている現場へ直行する。
  今日の目的は『ミンチ』のつもりだったが、高級の国産牛の肉が手頃な値段で手に入るなら、
  誰だってそっちの肉に向かってしまうだろう。俺たちもついそっちの方に目が向いてしまった。

 よって、ハンバークから今日の夕食はすき焼きへと変更となる。

 売場に辿り着くとオバさんたちの雄叫びと断末魔が響いていた。
  この図をわかりやすく例えるなら、地獄絵図に残りそうなグロテスクな表現と描写が含まれている。

 隣にいた音羽が怯えた瞳をして、震えた手で俺の手を強く握り締めている。
  さすがにこの光景は言葉で言い尽せない程に恐いと思われる。

 混雑しているおかげで肉の売場は全く見えはしなかった。
  俺達は混雑に紛れて後ろから前の方々が空くのを待っていた。
  この状況で突っ込んでゆくのは自殺志願者か、命知らずのバカのどっちかだろ。

 スーパーの社員さんと救急隊員がフロアの片隅でいつでも出られる準備をしているなら。
  ここで戦いに参入すると俺こそが肉のミンチとしてスーパーの商品として売られることを
  意味をしている。

 あっ。

 オバさんの一人が鋸を持ち出して、取り合っていたオバさんの頚動脈を突き刺した。
  飛び血がこっちにかからないように祈りながら、
  俺と音羽は安売りセールの惨劇をただ見届けるしかなかった。

 数十分後。
  血があちこちと散らばった床をスーパーの店員さんが平穏な表情を浮かべて掃除をしている。
  先程鋸を持ち出したおばさんは言わずとも警察に逮捕されて、
  殺されたオバさんは救急隊員の人が死体を持ち運んでいた。
  俺と音羽は異常な光景に互いの手を握りしめ合ったまま離そうとはしなかった。
  あまりにも恐ろしい惨劇を目撃したおかげで俺の足は震えて、音羽の顔色は青白くなってきた。
「大丈夫? 君たち」
「いえ、大丈夫です」
  スーパーの店員さんが俺たちのことを心配して声を尋ねてきた。
  さすがにこんな衝撃的な光景を見せ付けられるといい意味でトラウマに残りそうだ。
「やっぱり、学生さんや初めての方にはちょっと刺激的だったかな? 
  まあ、激安セールをする時にはいつも何人かぐらいは死者が出るんだよ。
  今日はちょっと少ないけど、いつもなら怪我人も半端にならない程多いんだぜ。
  少なくても、前線で戦った人は指の一本や二本ぐらいは覚悟した方がいいよ。
  常連は卑劣な凶器を使い、商品を奪ってゆくんだから。
  それでも、無事レジまで肉を運んだ人間はたった一人しかないんだけど」
「そ、そうですか……」
  激安セールには二度と行かない。
  ってか、こんな店に二度買物するか。

 惨劇を目撃した後、俺と音羽はチキン野郎になったのか。
すき焼きからハンバークへと夕食の献立は異議もなく変更された。
あの戦場に立ち向かうなら聖杯戦争にでも参加した方がまだマシである。
  肉のミンチやハンバークに必要な材料を買い揃えてから、
  冷凍食品が置いてあるフロアに向かうために曲がり角を曲がってしまうと
  俺は新たに血が雨のように降る惨劇を予感した。
「月君っ!!」
「兄さんっ!!」
「げっ。虹葉姉と紗桜っ!!」
  買物かごにはインスタントと冷凍食品が中心にたくさん詰まれている重容量の荷物を虹葉姉と紗桜が
  二人で仲良く持ち合っている。
そして、俺は音羽と手を握りながらイチャイチャと
恋人のバカカップルに間違われてもおかしくない状況。
  姉妹の表情はどんどんと険悪になってゆく。
  エロ本騒動から約二週間ぶりの再会であった。

「私たちがどんな想いをして心配していたのに。
よりによって、泥棒猫と仲良く恋人のように買物している姿を見ると
お姉ちゃんの我慢の限界点突破だよ」
「兄さん。遺言状を書く準備は済みましたか? 
葬式なしでお墓に直接に放りこみます。これきっと恋する女の子達の総意です。
今、わたしが決めちゃいました」
  戦闘能力は俺が知っている数値を遥かに超えている。
  この逆鱗に触れたような怒り方はまだあのエロ本の事で怒っているというのか? 
  ならば、俺が死を恐れずにやれるべきことは。
「月ちゃん。行ってください!! ここは私がなんとかして時間を稼ぐよ」
「それは助かる」
「待ち合わせは私の家で落ち合いましょう」
「わかった」
  ここは音羽の言う通りに逃げるしかあるまい。
  敵前逃亡は恥じる行為だが、あの姉妹を相手にして戦う勇気はない。
  先程の肉を巡る惨劇以上の被害を軽く超えることぐらい想像できる。
  だから、逃げる。
「あっ……月君。ま、待ちなさいよ!!」
「兄さんっ!!」
  姉妹たちが悲鳴に似た罵声を浴びるが、俺は後ろを振り返ることはしない。
  だって、俺は水澄家を出たんだもん。
  もう、あの姉妹と俺の関わりは……。
  赤の他人だ。

「月ちゃんとのラブラブ同棲生活の邪魔は絶対にさせませんから」
「この泥棒猫。月君をよくも洗脳したわねっ!!」
「ふっ。愛の力は家族の絆に勝ちます」
  三人の白熱した視線だけで行なわれる戦いは先程の安売り激戦よりも
  血生臭い戦いが見れるかもしれないが、
  命が欲しいので関わる気はなかった。

第14話『鷺森家、突入作戦 前編』

 安息の地、鷺森家に帰ってくると俺は思わず安堵の息を吐いた。
せっかく、治りかけた足を無理矢理動かして戻ってきた頃にはあちこちの筋肉が悲鳴をあげている。
俺は居間で乱れた呼吸を取り戻して、頭が冷静になるまで落ち着くまで待った。

 そこから様々な展開を模索して思考する。
  すでに俺が音羽と一緒に同居生活を送っているのは虹葉姉と紗桜にバレた。
いや、スーパーの中で会う以前から俺と音羽が一緒に暮らしている事をほぼ確信していた。
それくらいに考えなくては駄目だ。俺を捕まえるために準備を万端に用意したと言えるだろう。

 虹葉姉と紗桜が踏み込む前に音羽との同居の証拠を隠滅しておく必要がある。
更に音羽の口をどう封じるか。
  姉妹との対抗心からあることないことを言われるかもしれない。
嘘か真実はともかく、油に水を注ぐ行為は俺に全て返ってくるのだ。だったら、どうする?
  方法はなくはないが、音羽が家にいない以上はどうしようもない。
  帰ってきたら、殺すか?

 いや、音羽を殺して殺人者として流浪の旅を送るぐらいならば。
この家を出て、他の家に寄生する方が簡単だ。
別に音羽以外の友人や女の子の家なら充分に代わりはいくらでもある。

 鷺森家の居間でずっと考え込んでいると玄関のドアが開くこと音が聞こえてきた。
先程のスーパーの邂逅で俺が逃げる時間を稼ぐために音羽は姉妹と交戦していた可能性もある。
よって、このドアを開いた主が音羽である保障はない。
ゆえに俺は充分に警戒してこっちにやってくる者の足音に神経を尖らせた。

「つ、月ちゃん。ただいまだよ〜」
  疲れきった表情を浮かべて音羽が足元がふらつきながら居間に入ってきた。
怪我や目立つ外傷はないため、姉妹と交戦していたわけではなくて、
俺と同様に逃げるために全速力で走ってきたのだろう。
「はぁはぁ。あの人たち、しつこく私と月ちゃんの関係を聞いていたよ」
「で、なんて答えたんだ?」
「月ちゃんとはすでに結婚を前提に同棲生活を送っているので、
すでに扶養家族でもない方が口を挟む問題じゃないから関わるなって言ってやったよ。
ねぇ。誉めて月ちゃん」
「あほかぁぁぁぁぁっぁぁぁぁーーー!!」
  音羽に向かって頭を思い切りどついた。
「これ、立派なDVだよ。月ちゃん」
「音羽は幼い頃の虹葉姉と紗桜しか知らないからそんなことを言えるんだよ。
今の二人はそんな幼稚園児でもわかる嘘を信じて、俺に近付いた女の子から引き離すんだよ」
「話を聞いている限りではあの女どもを滅ぼしてしまえば、私たちの愛に満ちた同棲生活が始まり、
そして、愛し合った二人は幸せの鐘の鳴る結婚式で永遠の愛を誓うキスをする
って解釈していいですか?」

「遠回しに音羽が危ないって言っているんでしょぉぉぉお!!」
  俺は呆れながらも再び音羽の頭をチョップで数打かました。
  笑いながら言える冗談のレベルはとうに過ぎ去っているのだ。
俺が門限時間に帰らないだけで空鍋をかますような姉妹たちが
まともな神経をしているはずないだろうが。
  思い返すと一昨年の学習塾に通っていた時にいた隣の席の女の子と一緒に勉強していただけで
相手の女の子に多数の嫌がらせを行い、病室のベットの上で廃人になった事は記憶に新しい事だ。
  もし、同居している音羽に虹葉姉と紗桜が一体何をやらかすのか想像できない。
  誰かが傷つけられるのはもう嫌だ。
せめて、何の罪もない音羽だけは利用してこの事態を乗り越えることにしよう。
「そうなの?」
「明日には必ず虹葉姉と紗桜がこの家に訪れる。俺をここから奪い返すためにな」
「それはさすがに横暴すぎますよ。愛する二人を引き離すなんて神様が許しません」
「だから、俺はこの家から出ていこうと思うんだ」
「愛する二人は幸せになります」
「出ていこうと思うんだ」
「愛する二人は幸せになりますよ」
「誰も出るはずがないのに糸電話で『もしもし』『もしもし』って言って、
お土産のおたべをゴミ箱を捨てる女の子のことをどう思う?」
「愛する二人は幸せにならなきゃいけないんです」
  すでに聞く耳も持たずと音羽は同じ台詞を微妙に変えて応答する。
これ以上同じことを繰り返すのも阿呆らしいので俺はスーパーから音羽の好物であるモノを
万引きしていた。
こいつで目を覚ますはずだ。
「音羽。ほらほら、音羽の大好きな油揚げだよ。さっき買ってきた油揚げは油揚げを揚げて
数十年の名人が揚げた一級品だよ」
「こんこん!! こんこん!!」
  俺の手から素早く奪い取って油揚げを美味しそうに噛り付いた。
  俺の存在はすでに忘れ去り無我夢中に油揚げに没頭している。逆効果だったかなこりゃ?
  呆れて嘆息を吐いているとタイミングよく電話が鳴り響いた。

 俺は電話の受話器を面倒臭そうに取った……。
「もしもし、鷺森です」
「月君? 月君だよね?」
「人違いですよ」
「数年以上暮らしている弟の声を聞き間違える程、お姉ちゃんは間抜けじゃあありませんよ」
「で、虹葉姉は何の用で鷺森家に電話をかけてきたんだ」
「決まっているでしょう。溺愛している月君が泥棒猫に監禁されているから、
取り戻すために宣告したんだよ」
「そうですかぁ」
  予想通りの行動に俺は思わず力が抜けて受話器を落としそうになるが、
虹葉姉は今まで聞いた事がない声で語りかけてくる。
「月君は泥棒猫に洗脳されているから自分が今どういう状態にはっきりと把握できないんだよ。
  だから、私たちが必ず泥棒猫から月君を取り返します」
「でも、俺は水澄家に戻る気はないよ」
  エロ本を発覚されてその事について説教されるぐらいなら、俺は間違いなく死を選ぶ。
  んな恥ずかしい想いをしたら、生きられないっての……。
「どうしてぇ……どうして。月君はお姉ちゃん達の事を嫌いになっちゃったの?」
「嫌い云々の前に俺が何故、家に出るはめになったのかよく考えてみろと言いたいが。
  どうしても、俺を水澄家に引き戻したいなら力ずくでやってみろ」
「ええっ!? いいの?」
  その喜ばしい声は何なんだと問い詰めたいたかったが、虹葉姉と紗桜が俺を取り戻すために
いろいろと準備をしている裏付けは取れた。
「明日の正午。決着を付けよう」
「うん。わかったよ」

 虹葉姉と紗桜の策は読めている。
  月君の策は読めているわ。

 俺が必ず。
  私たちが必ず。

 勝つ!!

「では明日な」
「またね」
  電話の受話器を元に戻すと俺は速攻に音羽の肩を掴んで思い切り揺らした。
  今まで油揚げを食べていたのでどうにか現実に戻ってこないとこちらの策が狂ってしまう。
「こんこんこん。どうしたの月ちゃん」
「お願いがあるんだ。今から用意して欲しいものがある。これがないと全てが狂ってしまうんだ」
「わかった。音羽さんに任せなさい!!」
「実は……」
  用意して欲しいものリストを音羽に紙切れに書いて見せた。
「こ、こ、こ、これ本当に用意するの? 本気なの?」
「ああ。本気の本気だ。俺が負けると強制的に水澄家に戻されるんだ。
だったら、やるしかないんだよ!!」
「わ、わかりました。月ちゃんの覚悟は私への愛は見事に受け取りましたから!!」
  そこに愛はないんだけどね。

第15話『鷺森家篭城戦』

*鷺森音羽視点
  ついに勝負の時がやってきました。
月ちゃんに頼まれたお買い物はちゃんと買い揃えて渡しておきました。
彼が言うにはその買物の中身こそが勝敗を決すると自信満々で言ってましたが、
私的には月ちゃんの頭の中身が全く理解できませんが。

 そんなことはどうでもいいんです。
  やっと、月ちゃんと平和なラブラブ同棲生活を邪魔する憎き姉妹君から月ちゃんを守るために
手段は選んでいられない。
月ちゃんが立案した作戦通りに物事を進めれば、きっと勝てるんです。
勝てるんだよね? ねえ?
  時間は月ちゃんが約束した勝負の時刻を正午を迎えました。

これからの時間帯は時刻は全く油断することができません。
緊張して体を思わず強張っていますが、敵はどんな手段で私から月ちゃんを奪って行くのか
全然わかりません。
ゆえに私は衣服にいろいろと凶器を忍び込ませているんですよ。
昨日、一生懸命に研いだ包丁は切れ味が良くなっていますし、
これであの姉妹を刺しまくる姿を想像するとヤバイ世界にイッちゃいそうです。

 妄想を膨らせている途中にインターホンが鳴り響きました。
  場の空気は一気に凍り付きました。
  あ、あの悪魔たちが私と月ちゃんの愛の巣に踏み入れようとしているのです。
  私は慎重にドアを開けると見慣れない女性が片手に物を持って立っていました。

「注文したピザの方をお届けにあがりました」
  ピザ? そんなものは頼んだ覚えはないのですが。
「お代は結構です。ちゃんと水澄虹葉様の依頼で鷺森音羽様の自宅に届けるように
  依頼されているので。
  どうか、受け取ってくださいね?」
「あ、あのやっぱりいいです。知らない他人から送られたピザはちょっと不気味で」
「いいえ、こちらもお仕事なので冷めないうちにピザを超特急で召し上がってくださいませ。
それでは。ご利用のありがとうございました」

 某ピザの会社の制服を着た女性が元気よく階段の方に向かって走っていた。
  渡されたピザを私は茫然と受け取ってしまいましたが、あの水澄虹葉から送られたピザは
  怪しくて食べられたものじゃないわよ。
  私は玄関から居間へ洗濯が干している窓際に行き、先程渡されたピザを思い切り投げました。
  下は荒れ地で何もありませんが、数秒もしない内に野良猫たちが集まってきました。

 そう、下は野良猫達の住みかであり、住人たちがよく野良猫たちのために餌を投げ付けたりするので
  猫たちが餌をくれたと集団で飛び出してきます。投げ捨てたピザを猫たちが美味しそうに
  食べていました。
  が。
  一分も経たない内に数匹の猫たちがパタパタと音を立てて倒れていきます。

 あの女。
  やっぱり、ピザに猛毒を仕込んでいましたね。
  何の罪もない猫さんたちをあんな風に無残に殺すとは。

 私は水澄姉妹を許すことができません。
  強い決意を胸に秘めて、リビングの方に戻ってくるとまたインタ−ホンが鳴りました。

 今度はどのような手段で私たちの引き離すのか。ちょっと恐いです。
  ドアを開くとさっきとは違う女性が立っていました。
  シスターのような黒衣を纏った女性が両手を握り締めて言いました。

 

「あなたは神を信じますか?」
「はい?」
「愛しい愛しい弟君好き好き属性を持つ女性たちための創世された新設の宗教法人です。
今、私たちの同士に入れば、信じられない特典があなたを待っているんです」
「あの宗教と勧誘はお断わりしているんですが」
「甘い。甘いですね。この世の中は一体何億人の女性が弟君の事を好きだと思っているんですか。
  私が勝手に決めた統計では99%が弟君がいないと生きることができないと
  立派な結果が出ているんですよ」
「いや、あなたが勝手に決めたなら全然信用できないんです」
「さて、肝心な特典の方ですが」
  華麗にスルーかよ!!
「今なら私たちの宗教に入ってくる方は特典として月君の幼い頃から今の月君まで
  アルバムが99冊が付いてきますよ!!」
「入ります!!」
  即答であった。
  月ちゃんの小さい頃から今まで成長した部分までアルバムが見れるなんてとても幸せだよ。
  一生の宝物にしますっ!!
「ではこちらの書類の方にサインお願いします」
  用意された書類を受け取って私は思わずサインしようと思ったが、書類の内容が目に入った途端に
  私は目が覚めてしまった。
「これ、連帯保証人に関する正式な書類じゃないですか?」
「大丈夫です。あなたの人生が借金地獄に落ちてしまっても、私はあんまり気にしませんから。
  頑張って風俗とかで汚いお金を一杯稼いでくださいね」
「落ちてたまるか!!」
「残念です。ぜひ、泥棒猫に落ちて欲しかったんですが。本当に残念です」
  そのシスターは残念そうに唇を尖らせて拗ねていていた。さすがに目の前の人物はここまで来れば
  バカにでもわかる。
「虹葉さんっっ!!」
「うにゃ。どうしたのかな」
「こんな姑息な手で私が騙されると本当に思っていたんですか?」
「月君のアルバムで思わず書類にサインしそうになったくせに。にゃにゃ」
「ええい。黙れ黙れ。月ちゃんと愛の巣は誰にも邪魔させないんだから。
  とっと帰って、敗北の味を存分に味わいなさい!!」
「まあ、一度は退却させてもらうけど。今度は紗桜ちゃんと一緒に突撃するからね。
  その時があなたの最後よ!! 月君っっ!! 聞こえるっっ!!
  すぐに月君の洗脳を解いてあげるからねっっ!! 
  それまでちょっと待っててよ!!」

 シスターのコスプレした悪魔が先程のピザ宅配便の女性と同じように階段の方へ走り去った。
  次はどんな手でやってくるのか。月ちゃん、本当に月ちゃんのあれは役に立つの?

*水澄紗桜視点

「お姉ちゃんのシスターのコスプレ姿でも兄さんは鷺森家から出て来なかったの?」
「うん。紗桜ちゃんの宅配ピザに猛毒を仕掛けて、泥棒猫と月君が苦しんでいる時に
救急車を呼ぶ本来の作戦もダメだったよ。
  宗教勧誘をするシスターが食中毒で苦しんでいる二人を助けるという美談付きが
  本来のシナリオだったのに一気に狂ったね」
  そう、それが本来の作戦だった。
  私が宅配便のビザの従業員を偽り、そのピザに猛毒を仕込んで知能指数が薄い鷺森先輩が食べて
  倒れて、たまたま偶然にやってきたシスターの格好したお姉ちゃんが家の状況がおかしいと
  勝手に家に忍び込んで救急車を呼ぶというのが本筋であった。
 
このシナリオなら兄さんを病院で看病させて、鷺森先輩は当分の間は私たちの手を出すことができない
  最高の状況だったのに。
  こうもあっさりと見破られてしまった。
  泥棒猫の存在に嫉妬してしまうが、まだ手段はいくらでもある。

「お姉ちゃん。今日中に絶対に兄さんを取り戻しましょうね」
「うん。今日こそ月君は私たちのモノにするんだから!!」

 堅い決意。姉妹の絆を再び確かめる。
  本来のシナリオが狂っているというなら。
  後はガチンコ勝負。

「紗桜ちゃん。プランBからプランCに変更するわよ。

 作戦名は『ジェノサイド泥棒猫』をここに発動します。
  着替えと演出をもう一度頭の方によ〜く入れといてね」

「わかったよ」

「今の状況をよく説明するよ。
  私たちの謀略が見事に憎き泥棒猫の手により破られてしまいましたが、
  これらの作戦が失敗しても特に問題はありませんが、私たちの嫌がらせに我慢ならない泥棒猫が
  私たちを怪しい変質者として警察に突き出すのも時間の問題です。
  だから、どうしても。鷺森家に月君がいる証拠を突き止めることが私たちにとっての勝利の鍵です。
  もし、月君が泥棒猫と同居している事実があるならば、
  私たちは月君が何週間も家に帰ってこないと警察に泥棒猫が拉致監禁していると被害届けを提出して
  月君を保護してもらう。
  そのためには、不法侵入してまで月君がいる事実を突き止める。
  証拠を作る。そして、通報する。この3つを決めないと次はありません」

「わかりました。お姉ちゃん。今こそ二週間準備していた物を役に立つ時が……」
「紗桜ちゃん。一緒に頑張ろうね。恥ずかしくても月君のためなら」

 

『なんでもできる』
  お姉ちゃんと私の声が綺麗に揃いました。互いの結束は限界点突破のようです。
  そして、出撃の言葉も一緒に揃えましょう。

『敵は鷺森家にありっ!!」

 兄さんを奪い返すため、私たち姉妹は一世一代の大勝負に全てを懸けます。

*水澄虹葉

 憎き泥棒猫の家にBダッシュで猛然と走ると私はインターホンを思い切り拳で殴るように
  押してあげました。
  これで器物損害になるなら、この国の法律が間違っているんです。
  どこの世界に大好きな月君を奪い去った泥棒猫の住みかを守るような法律があるんですか。
  どこかの国では正義のために大使館に石を投げたり火炎瓶を投げつけたりしても
  誰も捕まらないじゃないですか。
  それと同じことです。月君を取り戻すという立派な大儀の前ではどんな罪も許されるんだから。
  ドアが開かれると予想していた通りに平穏そうで少し困った風な表情を浮かべた泥棒猫が
  やってきました。
  彼女は勝ち誇った笑みを浮かべて言いました。

「今度は意味のわからないコスプレをしないんですね」
「ええ。今度は表から堂々と月君を頂きに参りました。そこをどいてくれませんか?」
「残念ながら言っている意味がわかりません。月ちゃんは私の家にいると思っているんですか?
  それは大間違いですよ。
  月ちゃんとは夏休み以降会っていませんし。この前の買物はたまたま激安セールで
  一緒になっただけです。
  その後の電話も私の家に月ちゃんが遊びに来たのでたまたま出てくれたに過ぎません。
電話の後、すぐに月ちゃんは帰りましたよ」
「うっ……そんな言い訳が通ると思っているの?」
「ええ。あなたたちには通ると思っていませんが。確かめる術はないでしょう?」
「ふっふっふっふっ……。そういう細かな事はどうでもいいのよ。
  あなたの家をちょっと調べさせてもらうわよ」
「許されると思っているんですか。そんな勝手な事が」
「私には心強い味方がいるんだから」
  私は天井に向かって、心強い味方を名前を叫ぶ。

「助けてーーーぇ! ツキツキ・サクラーーーーーー!!」

 痛い程の沈黙の時間が流れた。
  しばしの時間が流れると打ち合せ通りに何か火薬の弾を投げ付けて様々な色彩の煙立ち篭める。

「よ……呼ばれてやってきました。ワンワンワンワンワンですぅぅ!!」

 煙がなくなると綺麗なポーズをとって紗桜ちゃん、
  いえサクラちゃんが華麗に登場していました。その格好は先程の宅配ピザの制服みたいに
  地味ではありません。
  フリルがいっぱいついてる。リボンもたくさんついている。
  そして、短いスカートの丈の後ろに犬の尻尾が左右に嬉しそうに振っている。
  頭の上にはお約束の犬耳を付けました。
  そして、右手にはピンク色の玩具の宝石がついた杖を握り締めている。
  恥ずかしそうに赤面しているサクラちゃんが泥棒猫に向かって、改めて名乗り上げた。
「人の大事な兄さんを奪う泥棒猫には、このワンワンプリンセス・ツキツキ・サクラが
  徹底的におしおきするんだからぁ!!」
  サクラちゃんラブリぃですぅ!!
  泥棒猫は圧倒的な戦力の前に声も出ないようです。
「月ちゃん。私にどうしろと?」
  そこで驚いたらダメですよ。更に。
「ちょっと男性恐怖症で話し掛けられると泣いてしまうツキツキ・サクラにも強い味方がいるんです。
  いつも私が困っている時に助けてくれるお姉ちゃんです。
  さあ、皆で呼んでみよう!!
  ツキツキ・ナノハーーーーーーーーーーー!!」

 名前を呼ばれた途端に私は隠し持っていた火薬の弾を投げ付けて、
  その一瞬の内に着ている衣服を投げ捨てた。
  服装はサクラちゃんとあんまり変化はない。
  ただ、違うのは頭には猫耳。そして、スカートの短い丈の後ろには左右に振っているのは
  猫の尻尾です。

「呼ばれてにゃにゃにゃにゃですぅーー!!」

 華麗にグルっと回ってから、何回も練習した通りにポーズをしっかりと決めます。

「泥棒猫を虐殺するなら、私を呼べ。にゃにゃプリンセス・ツキツキ・ナノハーー!! 参上!!」
「二人合わせて、ワンニャン姉妹!!」

 私と紗桜ちゃんの背後に華麗な爆発音が鳴り響いた。
  さっき、泥棒猫の家を訪問した時に仕掛けておいて良かった。

 

「さあ、月君を返してもらいましょうか?」
「兄さんがいることはわかっているんだからね」
「本当にいないんですけどね。ねぇ?」
  意味ありげに泥棒猫がドアの後ろに視線を向けると閉められていたドアが開いた。
そこには、私たち予想を超えた展開が待っていた。
「どうしたんですか? 表がちょっと騒がしいんですが」
  現われたのは、私たちの月君ではなくて。私たちと同じぐらい女の子が
  ゆっくりとこちらの方に歩いてやってきました。
「あらあら。お客さま?」
「そうなんだよ。月花ちゃん。私の同級生のお姉さんと妹さんが月ちゃんがここにいるって
  さっきから騒いでいるの」
  あれ? あれれ?
  私たちの推理では月君がこの家に泥棒猫と同居しているはず? ええっ?
「初めまして。音羽お姉さまの妹の鷺森月花(さきもり げっか)と申します。
  よろしくお願いしますね」
  天使の微笑で鷺森月花さんは私たちに穏やかな雰囲気に包む。
  可愛らしいピンク色のフリルが付いた服を身に纏い。
  腰まで届く長い髪を赤色のリボンで纏めている。雪のように透き通る白い肌に整った顔立ち。
  同性の私から見ても、立派な美少女が私たちの前に現われるなんて。
  一体。どこの誰が予想できたと言えようか。
「お姉さま。ここではあれですし。家にあがってもらったらどうですか?
  私が美味しい紅茶を入れますから」

 こうして、私たちは敵地に招かれた。果たして、月君を取り戻すことができるのかな。
  自信がありませんよぉぉ。

第16話 『勝敗』

 ふはっはははっはははっっはははっははははは。
  笑いを堪えるのがこんなに辛いと思ってもみなかった。
 
  計画通り!!

 嫉妬に狂った虹葉姉と紗桜がどういった手段で鷺森家に仕掛けてくるのは大体読めていた。
宅配ピザに毒物を仕掛けて俺と音羽が二人とも食べてしまい、食中毒を引き起こすのが
二人の本来の策だったんだろうが。
俺はすでにその怪しい宅配ピザの従業員が紗桜か虹葉姉だとすでに見抜いていた。
シスター役の虹葉姉が宗教勧誘を装い、救急車を呼んで病室で過剰な看病で俺を
病室に閉じ込めようとする。
いや、天草月を監禁して外部との接触を遮断することがことが目的なのだろう。

 それが虹葉姉と紗桜の策。

 異常な家族愛が求めるのは束縛されて依存だけの生活。
そこには、二人以外の異性の存在は許さず、ただ激しい独占欲で俺の存在を
檻のように閉じ込めてしまう。

 これは聖戦。
  天草月と水澄虹葉や水澄紗桜による自由と束縛を懸けた戦いなのだ。
  きっかけはエロ本に過ぎなかったが。
  三人が抑え切った抑圧が一気に噴射したのだ。

家族であることに疲れ、単純に男と女の依存関係の枠に収まることを本能的に行動している。
ゆえに俺はそこから抜け出して自由の一歩を踏み出す必要があった。
  姉妹に対する気持ちが愛や恋という感情が芽生えているかどうかがわからない。
  ただ、これは俺の我侭。
  今まで築いてきた家族の再確認。俺は彼女たちに恋をしているのか?
  それが知りたい。

 ただ、虹葉姉と紗桜に勝利しないと待っているのは永遠に堕落した生活が待っているのだ。
今までの惰性した生活を送る。
それはもう嫌だ。

 本来の策が失敗した以上、姉妹は俺が鷺森家に同居している証拠を音羽や俺に突き付けるだけで
確実に勝利する。
だから、二週間以上じっくりと時間をかけてコスプレ衣裳を仕上げて来たのだろう。
その姿で俺が思わずツッコミを入れてしまうことを期待して。
  更に呆れた音羽の隙を突いて、無理矢理不法侵入して俺がこの家にいる痕跡と
証拠さえ掴んでしまえば、姉妹特権で俺をおしおきする権利が与えられる。
家に帰れば、その題目で思う存分に操られるだろう。

 だが、甘い。

 まさか、俺が直接自分自身に細工を仕掛けるなんて虹葉姉と紗桜も予想していなかっただろう。
  虹葉姉と紗桜がコスプレ衣裳を身に纏うことはすでに予想していた。
俺は姉妹の俺に対する依存心を把握し挑発的な態度を取ることで思う存分に煽った。
自分が音羽に洗脳されて監禁されている。
絶対に助けなくてはという彼女たちの都合の良い被害者像が作られる。
その焦燥に駆られた感情が法に触れようが俺のためになら、
どんなことをしてもいいという結論に導かれる。
  ゆえに音羽の隙を付くためにあの演出と衣裳は必要不可欠であるが、
ここにイレギュラーが潜んでいたらどうなるか? 
姉妹たちが予想していなかった第三者の登場。
  それは、鷺森家に暮らしていた第三者の存在が天草月の存在を全て覆ってくれる。

 それが鷺森月花の存在である。

 昨日、俺が音羽に買物を頼んだのは女性用の洋服と下着であった。
  後はかつらや脱毛パックや乳液や美肌クリームや化粧道具etc。

 つまり、俺は鷺森音羽の妹、架空の人物である鷺森月花を演じることによって、
天草月が鷺森家に同居している痕跡と証拠を全て消し去っている。
すでに本来の俺の痕跡はできる限り隠滅し、姉妹の目の前にいるのは俺が演じている鷺森月花が
暮らしていると主張すれば姉妹は鷺森家に俺がいることを諦めるはず。

 まさか、兄と弟と慕っている男の子が女装しているとは想像すらも及びつかないだろう。
いや、可能性があるとしても真っ先に否定するはずだ。

 甘い。甘すぎる。

 花山田忠夫に遥かに劣る。

 しかし、ここに勝つチャンスがあった。
  いや、負けない方法がある。

 花山田忠夫なら相手が女装しているいないにも関わらず、
女の子相手なら初対面でも胸を掴んでセクハラ行為をする。
その時点でブラジャーに仕込んでいるパッドの多さで相手が男女がはっきりと確定する。

 別に初対面でもいいじゃないか。
  相手にセクハラをかましても。

 だが、鷺森月花の存在が表舞台に出れば、俺の勝利は確定済み。
後は鷺森月花を綺麗に演じるだけで俺は勝てる。

 これで束縛された生活にさようならだ。

「音羽お姉さま、虹葉さん、紗桜さん、紅茶を持ってきました」

 長年の女の子と共同生活を送っていると自然に女の子の言葉遣いの一つや二つぐらい覚えられるさ。
テーブルに置いてあるコップに紅茶を注ぐと俺も三人同様に椅子に座った。
虹葉姉と紗桜から冷たい視線が俺に注がれているが特に問題ない。
  天草月はここにはいない。
例え、気付いていたとしても証拠がなくてはただの言い争いになるだけだ。

「いい加減に家の月君を返してくれませんか? もう、二週間も家に帰ってきてないんですよ。
泥棒猫が月君を拉致して洗脳したに違いなんです」
「一体何の証拠があって言っているのか。私にはさっぱりとわかりませんよ。
月ちゃんとは昨日偶然にスーパーで出会って買物しただけですよ。
その後にちょっとだけ月ちゃんが私の家に寄っただけです。
被害妄想もここまで来れば立派なヤンデレですよ」

 いいぞ。音羽。
  家主である音羽が天草月がいないとちゃんと主張すれば、
黒も真っ白な事実に塗り替えることができる。
虹葉姉は悔しい顔をして唇を尖らせて拗ねていた。猫耳も怒ったように左右にピクピクと動いている。

「そもそも、どうして月ちゃんが家出しなきゃいけないんですか?
  あなたたちが追い出そうと工作しようとしたんじゃないの?」
「月君は……私たちにエロ本を見つけられたことで。居づらくなって家を出てしまったんですぅ!!」
「エ、エ、エロ本っっ!!」

 音羽が思わずジト目でこちらを睨んでいた。
そういや、音羽がどうして水澄家に出る経緯を説明していなかった。
とはいえ、説明すると間違いなく追い出されるからな。

「そのエロ本のジャンルはほとんど姉妹恥辱だったの」
「へぇ……。姉妹恥辱ねぇ……。それは月ちゃんのとんだ変態さんですねぇ」

 声に怒気を篭もらせた音羽はさっきよりも鋭い細い瞳で睨んでいた。
会話の内容次第では虹葉姉側に寝返りするかもしれない。

「そうです。月君は変態なんです」

 少し嬉しそうに頬を赤く染めて虹葉姉は妄想に浸っていた。が、そんなことはどうでもいい。
「兄さんの趣味には困りましたね。えへへ」
  犬耳の紗桜も嬉しそうに尻尾が振っている。更に音羽の不機嫌は増すばかりだし。
もしかして、俺は追い詰められているのか?
「月ちゃんの異常な趣味はともかく。私は今妹の月花ちゃんと二人暮しなんですよ。
遠方から姉を慕って遊びにやってきたんです。
  あまり、妹の前でそういう会話をやめて欲しいんだけど」
「そうです。身内の方の恥話を女性が高らかに話すことではありません。
男性の方には発情期というものがあり、そういう本を読むことで性欲を発散しているのですから。
  悪く言うものではありませんよ」

  自分のフォローを女性を演じている月花でしているのは何か違和感を感じるのだが。
これはこれで新鮮。面白っ!
  月花の説教じみた言葉に虹葉姉と紗桜の敵意がこちらに向く。
彼女たちからすると俺は月を匿う敵だと認識しているだろう。
音羽が自白しない限りは俺の正体が発覚する恐れはない。
  だが、その視線が向けられる意味は俺が思っていたとは違った。

「に、兄さん? 兄さんの匂いがする」
  はい?

「そういえば、月君の匂いが月花さんからするよね」
  待て待て待て待て待て待て。そんなものはありえない。
  体臭なんかで個人を判別できるのは訓練された警察犬ぐらいしかないだろ。
「あはははっ。何を言っているのでしょうか?」
「兄さんの小さな頃から兄さんの下着の匂いを嗅いでいるんですよ。
その私が大好きな兄さんの匂いを気付かないと思いますか?」
  いや、明らかにおかしいから。普通の女の子はそんな年頃から男の子の事を意識しないっての。
「つまり、あなたが月君ですね!!」
「何のことかしら?」

 行儀悪く椅子から立ち上がって俺を名指しに指を差す。
俺は優しい微笑を零しながら、内心焦っていた。音羽の協力により完璧に女装したつもりであった。
かつらを被って、女性の服を着衣し、女の子言葉で喋っていれば誰でも簡単に騙せると目論んでいた。
だが、現実はそう甘くない。
  たかだが、俺の体臭ごときで簡単に姿を見破られるとは。ありえない。
絶対にありえるはずないだろうが。
だが、思う。数年以上俺の下着の匂いを嗅いできた姉妹は警察犬よりも鼻がきくじゃないのかと?
  とりあえず、落ち着け。
  ここで演じるべきなのは鷺森音羽の妹、鷺森月花だ。

「そんな匂いごときで私を天草月さんだと決め付けるのはちょっと言い掛りにも
  程があるんじゃないですか? 
裁判所に人の体臭を証拠として提出するには様々な化学的な分析が必要ですよ」
「でも、兄さんの匂いだもん。絶対に間違わないだもん」
  少し半泣きになって紗桜が上目遣いで俺を見つめる。うっ。胸に突き刺さる痛みは俺の良心か。
「月君」
  虹葉姉が俺の手を握って自分の胸に当てる。真剣な眼差しで俺を見つめると優しく笑って言った。
「 捕 ま え た っ !!」
  なぬっ!!
  それは一瞬の事だった。俺の手を離して虹葉姉は俺の背中に腕を抱き締めるように包んだ。
予想外のことに俺は反応が少しだけ遅れた時はもう手遅れであった。
  虹葉姉のどこにそんな力をあるかはわからないが、抱き締められた腕力はそう簡単に
  引き剥がすこともできずに胸に柔らかい感触が当てられる。

「あっ。ずるいっっ。私もするぅ」

 俺の背中から紗桜が抱き締めてきた。姉妹に裏表抱き締められた俺は逃げる場所なんて存在せずに
  二人の温もりに心が癒されていた。

「月花さんが月君なら別に証拠とか関係ないもんね。強制的に月君を連れ戻せばいいんだから。
  後の細かいことはどうでもいいよ」
  虹葉姉と紗桜の非常識さに呆れながらも俺自身の甘さに後悔する。
  いや、普通さ。俺が女装している事を虹葉姉と紗桜が天才的な推理で見破ったりさ。
そういう、お約束的展開がすっきりと抜けてるのはどうよ?
「にゃあ。にゃあ」
「く〜ん。く〜ん」

 猫と犬がすでに本来の目的を忘れて俺の肉体に甘えるように顔を寄せていた。

「つ・き・ち・ゃ・ん。これは一体どう言ったことかな?」
「俺にもわからん」

 音羽の凄まじい迫力に俺は首を傾げるぐらいしかできなかった。

 こうして、俺の家出の日々に終わりを告げた。

第17話 『閑話休題』

 エロ本騒動はお約束を破るという意味のわからない展開で終わりを告げた。
虹葉姉と紗桜が抱きしめている姿に嫉妬した音羽がブチ切れて強制的に鷺森家を追い出された俺は
着替える間もなく、両腕をぎっちしと掴んでいる姉妹から逃げられずに女装の姿で帰路を歩いた。
音羽によって丁寧に細工している女装は街中を歩いてもバレることもなく、
虹葉姉と紗桜に連行されている姿だけがちらちらと庶民たちの注目を浴びた。
  二週間ぶりに懐かしい水澄家に帰宅すると俺は想像以上に驚いていた。
廊下には生ゴミや燃えないゴミの袋が集められて、異臭を漂わせていた。
どうやら、ゴミの日にゴミを出さなかったせいか、二週間分のゴミが溜まっているようだ。
更にリビングに辿り着くと変な電波ソングが垂れ流されていた。

 つ、つ、つ、つきるるん つきるるん

 素直に監禁したいと言えない貴女も勇気を出して
  恋のまじない 鋸で首の頚動脈切断 溢れだす血で癒してあげる

 

 大型液晶テレビには先程の鷺森家で起こった出来事が電波ソングと共に編集されて
映像として流されている。
コスプレ姿の虹葉姉と紗桜はもちろん。女装した俺の姿ですらちゃんと流れてやがる。
「あっ。お帰りなさい」
  聞き慣れた声の主がキッチンの方から現われてきた。
  水澄家の最強の支配者が笑顔を零して言った。
「今日の夕ご飯は私がご馳走しますよ。昨日の駅前のスーパの激安セールで美味しい肉が
  超格安で手に入ったのよ。
もう、これは私で一人で食べるよりも皆で食べた方が絶対に美味しいよ」
  昨日の駅前の激安セールってあれか? 
  血の雨が文字通りに降るという激安セール。おばはん一人が死亡。
店員の話では肉を無事に買うことができるのはたった一人しかいないと。
他は五体満足のどれが破損するという話だったのだが。
  まさか、冬子さんが……。
「で、この大型液晶テレビはどうしたんですか?
  俺が水澄家に出る前はこんなもん存在してなかったし」
「お前らの両親の遺産を勝手に使った」
「立派な横領罪だろ!!」
「問題ありません。問題があるのは月さんあなたじゃないんですか?」
  柔らかなほほ笑みが消えて、真っすぐに俺を睨み付けた。
冬子さんが珍しく本気で怒っているようだ。
突如、変貌した冬子さんに俺はおろか、虹葉姉や紗桜も口を挟む事ができなかった。
「この子たちを二週間も放置していたなんて!!
  虹葉ちゃんと紗桜ちゃんの精神が壊れる可能性はちゃんと指摘しましたよね。
月さんには厳重に二人の世話をお願いしたはずです。
すでに冗談とパロネタで済まされる問題じゃないんです」
「す、すみませんでした」
「特にその女装!! どうして、男の子なのに化粧しただけでそんなにいい肌をしているのよ。
2○ピー歳の私に対する嫌がらせですか? 嫌がらせですよね。だったら、
文句なしに私は月さんに厳罰な処置を執行する義務があります。保護者代理としてね」
「さ、さすがに我が家に帰ってきた兄さんにそれはちょっと……」
「文句あるんですか? 紗桜ちゃん」
「い、いえないです。特になしです」
  冬子さんの剣幕に圧されて紗桜は慌てて俺の弁護を撤回する。
あまりにも気弱な子犬は野性の本能に従い危険な強者には絶対的な服従しているように見えた。
「待ってください。どんな、どんな、おしおきを月君にするの?」
「女装して喜んでいる変態月君を
  手足を縛り、長期間自宅で監禁」
  マジですか?
「じゃあ、監視役はお姉ちゃんがやってあげるからね!!」
  嬉しそうに喜んで虹葉姉はコスプレ衣裳の尻尾を振っていた。
弟である俺を庇うという気持ちよりも俺を監視する事の方が大切らしい。
「やるなら今からです。さっさと準備しましょう」
  残された夏休みは家で強制的に監禁ですか?

 夏休みの最後の日まで紐に縛られて冗談なく監禁されていた。
しかも、女装した格好でだ。冬子さんの怒りは思っている以上に相当怒っていたのだろう。
女装している男性の方が自分よりも綺麗な肌をしており、
それを認めるのは女性として致命的なものである。
現実逃避のために俺を部屋に監禁して欝憤を解消させる気持ちを理解できないわけはない。
ただ、監禁されていたとしても、虹葉姉と紗桜がちゃんと監視の役割をちゃんと果たしているおかげで
孤独な気持ちにならなかった事だけが幸いか。
「月さん。もう、夏休みの最後の日です。明日からは新学期ですから、
月さんの監禁は今日で終わりにしましょう」
「ええ……。いい加減に終わらないと俺の体力と精神力が持ちません」
  長期による監禁で俺はやつれてしまっている。体重も格段に痩せ細っていた。
まあ、食事は虹葉姉と紗桜からあ〜んって感じで口を開けて無理矢理食べさせられていたおかげで
餓死する事はなかったが。
「わかりました。解放しましょう。最後に月さんには偉大なる黄金伝説に挑戦してもらいます。
  いいですね」
「なんですかそれ」
「夏休みの課題を一日で終わらせなさい!!」
  あっ……。
  それは今まで記憶の忘却の彼方に置き忘れていた事実。
「夏休みの課題は終わってねぇ!」
  終業式の日に水澄家を飛び出し、二週間の期間を鷺森家にお世話になってから。
冬子さん主導による監禁生活の間に夏休みの課題を仕上げる時間はあったのか? 
いや、もちろんない。夏休みの課題は全く手を付けていなかったのだ。
  その事を思い出すだけで俺は顔を真っ青になっていくのが自分でもわかる。
「や、やばい。どうしよう」
「じゃあ。私はこれで帰りましょう。虹葉ちゃんも紗桜ちゃんも明日から新学期だけど
  月さんの事をよろしくお願いしますね。
目を離すと一体何をやらかすのかわかりませんから」
「はい。月君の面倒は私にど〜んと任せてください!!」
「かったるいけど。私も兄さんの面倒はしっかりみます」
  三人の嫌味たっぷりな会話を耳に入らずに俺は必死に夏休みの課題を仕上げるために
拘束している紐を自分の口で切り裂いてやろうと頑張っていた。

 こうして、俺の夏休みは最大の負債を抱えて終わりを告げるのであった。

第18話 『暗黒の果てに』

 本当の両親は俺が小さな頃に交通事故で死亡した。
もう、顔や声など幼い頃の記憶は思い出すことができずにいた。
ただ、覚えていることがあると言うならば、あの日は天草月の誕生日であったことだ。
両親が子供の誕生日プレゼントを買ってくると出掛けて、俺は楽しみに待っていた。
が、両親は夜遅くになっても帰ってくることはなくて、
俺はただ一人暗闇の果てを恐れながら待っていた。

不安を抱き、風に運ばれる物音にひたすら驚き、誕生日に作った豪勢な料理に手を付けずにいた。
襲いかかってくる飢えに耐えながらも、
食べるときは両親と皆一緒でという気持ちのおかげで意地になっていた。
  その日、両親が帰ってくることはなかった。
  誕生日から五日も経っていたのに両親は帰ってこなかった。
一人で家を留守番するのは何よりも恐かった。

特に夜という暗闇は人の本能的な恐怖を刺激する。
余りにも壮絶な不安は子供の幼稚な想像すらも具現化するぐらいに恐かったのだ。
自分がここで寝てしまうと両親は二度と帰ってこないのではないのかと。
  だから、俺は五日も一睡することなく両親の帰りはひたすら待った。
  そして、七日。
  玄関から現われたのは両親の親友である、後に俺を引き取るおじさん夫婦であった。

 おじさん夫婦は両親の交通事故に遭って亡くなった事を知ったのは両親が亡くなってから六日後。
交通事故で死亡した両親は原型を留めず程に潰されていたらしい。
身内ですら判別も難しい死体は数日間も身元不明で連絡がつかなかった。
更に仕事の先の人間関係の希薄さのおかげで両親の死は書類上で片付けられていた。

残された息子の存在に気を留める人間はいなかった。
  おじさん夫婦が両親と会う約束をしていなかったら、まず気付かなかったらしい。
家に電話をかけても、俺が電話の音を恐がって出なかったおかげで繋がらなかったしな。

誰がやってきた安心した俺はおじさん夫婦の前で意識を失ってしまった。
子供には耐えられない精神的な負荷と疲労がかかっていたおかげで俺は即刻病院に運ばれた。
入院している間に信じられない事だが親権問題が解決し、
俺はおじさん夫婦に引き取られる事となっていた。
両親の死を信じられなかった俺は強く拒んでいたが、現実を認めろとおじさんの罵声を浴びて、
思わず涙を零してしまった。
両親が死んだ人間と認識することで悲しみが胸から溢れてきた。
止まらない涙の粒と共に大切な温もりを失ってゆくのがわかった。

 病院から退院すると俺はおじさん夫婦の家に引き取られた。
その家には俺と一つ上と一つ下の女の子がいるとおじさんが親バカ同然に自宅に着くまで
自慢話をたっぷりと聞かされた。
それだけおじさんが娘の事を大切に想っているのかわかった。
まあ、そんな自慢話を聞かされていたおかげで俺はその女の子達に出会うのが
ほんのわずかだけど楽しみにしていた。

 水澄家に辿り着くと前の自分の家よりも広い一軒家に驚いた。
俺の家は父さんの稼ぎが悪かったおかげでちょっと小さめの家しか建てられなかったが。
そこにはいつも明るい談笑と心を安らげる居場所があった。
この水澄家もそんな場所になればいいなぁとちょっとした期待をもっていた。
  おばさんの後ろに隠れている女の子たちは恥ずかしそうにスカートの裾を引っ張って警戒していた。
初対面である人間の前では緊張するのは仕方ない事だと言えよう。
  これが虹葉姉と紗桜の出会いだった。
  俺は優しく微笑んで自分の名前と今日からお世話になりますと言った。

「は、はじめまして。水澄虹葉です」
「あ…あぅ……。紗桜」
  顔を赤面させて、二人は笑顔を浮かべて言った。

 水澄家の家族と暮らしている内に俺は以前の自分を取り戻していった。
でも、一つだけ悲しいことがあるとするならば、虹葉姉と紗桜が最初に会話した時以来、
全く話をしたことがないぐらいだろうか。
  生活を送っている度に彼女たちが天然の恥ずかしがり屋で
大の男嫌いだとわかったときは自分がこの家にいることが
本当は迷惑じゃないのかと悩んだりもしたが。

挨拶するとちゃんと返事を返してくれるし、俺が一人で部屋で遊んでいる時は
部屋の隙間から覗き見もしているわけだから、全く嫌われているわけではなさそうだ。
単に男嫌いな姉妹たちは同居人になってしまった男の子である俺の接し方がわからないだけだろう。
  焦ることなくゆっくりと姉妹達と接して行けばいい。
  仲良くなるまでは孤独で寂しいけれど、水澄家に居候している間は一人じゃないから。

 その間に隣に暮らしている音羽とほんのきっかけで知り合って友達同士になれた。
虹葉姉と紗桜に避けられている間は音羽とずっと遊んでいた。
彼女には俺の境遇を隠さずに全て話した。両親が交通事故で亡くなっていること。

水澄家に引き取られた事も。音羽は全て受け入れて、俺と友達になってくれた。
  だから、あの別れ夜の時も彼女との再会の約束をして別れた。
  再び、出会える日を待ち望んで。

 それから数年の時が流れた。

 犬の一件以来、本当の姉弟妹になった俺達は毎晩遅くまで働いているおじさん夫婦のために
何か記念にプレゼントしようと考えた。たまたま、虹葉姉が商店街の福引きで特賞を当てた。
温泉旅行一泊二日と豪華な商品に俺達は立派な恩返しができると喜び合って
躊躇なくおじさん夫婦にプレゼントした。
  子供たちのプレゼントに大いに喜んでくれたおじさん夫婦は有給をとって、
温泉旅行の旅に出掛けた。
  事件が起こったのは、おじさん夫婦が今から帰ると宿泊先から電話を自宅にかけた後の帰り道。
おじさん夫婦が乗り合わせた飛行機が墜落した。
どこぞの名前も知らない山の麓に飛行機は手抜きの整備不良で墜落していた。

そのニュースが特別報道で番組が垂れ流している時はあの飛行機に
おじさん夫婦たちが乗っていなくて良かったなと三人が談笑し合うが、念のために乗客名簿を
確認していると嘘だと疑いたくなるようなおじさん夫婦の名前がテロップで流れていた。
  俺達にとって衝撃的だった。
  数時間前の電話で元気よく楽しんでいると会話していたのに、その人間はもうこの世にはいない。

 そう、嫌な脳裏がよぎった。

 両親が帰ってこなかった、暗闇の夜を思い出す。
親しい人間が一瞬の内に消えてしまうことを俺はよく理解していた。
心の損失した激しい痛みが夜と共に思い出すトラウマだ。 

姉妹たちを慰めながら、俺達は墜落した山へと急いで向かう。
もしかしたら、生きているかもしれないという希望を抱いてしまうが、現実はそう甘くない。
  事故の現場に辿り着くと悲惨な光景が嫌でも目に入ってきた。

瓦礫の山となった機械の物体と黒焦げた山林の荒れた姿を見てしまうだけで、
厳しい現実を受け入れるしかなかった。
それでも、諦めたくはないと近所の病院に搬送されている場所に向かおうとした。
だが、政府の発表によると乗客は生存者なし。
死亡者420人と報道されたおかげで俺達はおじさん夫婦が生きてないことを
ようやく認めざるおえなかった。

 おじさん夫婦の葬儀は二人の死体が発見されることなく行なわれた。
葬儀に参加する人間たちから聞こえる心のない噂話は耳が腐るぐらいに俺達の心を無神経に傷つける。

あの子達が温泉旅行をプレゼントしなければ死ななくて済んだのに。
更に居候の俺にまで悪口があちこちと聞こえてきた。血も縁もないあの子は引き取りたくないわ。
きっと孤児院行きよね。
  確かに俺を養ってくれた保護者代わりのおじさん夫婦が亡くなるすれば、

俺は未成年だし誰も引き取る意志がなければ孤児院に強制的に行かせることになる。
すでに血の繋がった親戚連中から見捨てられている俺は孤児院に行く以外の選択肢はない。
でも、家族のように暮らしていた虹葉姉と紗桜が傷ついて泣いているというのに
水澄家を離れるだけは絶対に嫌だった。

 葬儀が終わると俺はずっと泣いている虹葉姉と紗桜を抱きしめて、優しく髪を撫でた。

男の子だから泣いてはいけないと思っていたが、緊張の糸が切れると抑え切っていた物が溢れた。

瞳から溢れる涙の粒は両親を失った時と同じ痛みを胸に受ける。

 

おじさん夫婦に引き取ってもらわなければ、俺は生きることができなかった。
  虹葉姉と紗桜がいつも隣に居てもらえなかったら、俺は笑うことができない。
  おじさん夫婦に恩返しすることができずに逝ってしまった。
二人のために出来ることは考えなくてもわかっている。

 虹葉姉と紗桜の傍にいて、支えてやることだ。
  二人とも強がって意地っ張りだけど、本当はとても寂しがり屋で儚く弱い。
  だから。
  二人が互いに好きな男の人を見つけて幸せになるまでは。
  俺がずっと二人を守ってやる。
  これがおじさん夫婦に対する俺の恩返しだ。

 祖母や冬子さんの暗躍により、保護者や保護者代理人になることで
俺と虹葉姉と紗桜は水澄家で離れ離れにならずに暮らすことができた。
でも、両親を間接的に殺してしまったことを悔やんで二人は心に深い傷を受けていた。
精神科に通院してもそう簡単に治るようなものではないらしい。
 
俺と冬子さんは出来る限り姉妹のために家にずっと居た。
特に俺の存在は長年家族として暮らしていたせいか、
二人の俺に対する依存心は医者に精神を安定させるために役に立っているとらしい。
二人を守る決心がある俺は自分の学園生活を犠牲にして、虹葉姉と紗桜のために寄り道せずに帰る。
俺が傍にいることで精神的な支えになるためにはどれだけ犠牲にしても構わなかった。

おじさん夫婦が亡くなる前は思春期のおかげで姉妹とは少し距離を離していた。
まあ、女の子と触れ合う事が格好悪いとか思っていた頃である。
  束縛された環境を一度でも嫌と思わなかったのは、
俺がいるだけで虹葉姉と紗桜の幸せそうな笑顔が見られるおかげだった。
その笑顔のおかげで俺の心の空虚を全て埋め尽くしてしまい、胸がとても温かい気分になれるからだ。

 そんな毎日を過ごすしていくと徐々に二人の心の傷は癒されてゆく。
堪え難い痛みは時が過ぎ去って行くことで癒すことができる。
それがどれだけ大切な愛しい人間が亡くなっても、人は痛みを忘れることができる。
悲しい気持ち、楽しい気持ちさえも。

 やがて、俺達は大人になり、互い互いが離れることになるだろう。

 その時に見る、蒼い空はどんな空なんだろうか?

第19話 『始まる予感』

 懐かしい夢の残骸を見た。過去は変えることができない残酷な思い出の欠けら。
記憶の忘却の彼方に置き去っても、夢として蘇る。悪夢に近い過去の再演は目が覚めると
いつも驚くことに忘れ去っている。
ただ、胸に密かに潜む痛みだけは別として。
  天草月は残念の事に夏休みの課題を仕上げるために不眠不休で四日ばかり遅れて
提出することが出来たが、長期に渡っての監禁のおかげで体がやつれてしまっていた。

それに気付かずに徹夜で課題を仕上げると体にどれだけの負担をかけてしまっていたのか、
全く考えていなかった。
課題を提出した後に学校で意識を失って病院に搬送された。栄養失調、体力的な問題うんぬんで
医者による学校の登校をドクターストップを喰らうはめになるとは。
体を壊した俺が学校に通うことができずに
強制的に一ヵ月の入院をすることになっていた。

 すでに学生にとって貴重な一ヵ月が過ぎた辺りには夏の季節が過ぎ去り、
秋の紅葉が病院の窓から見える木葉から確認できた。

今月の中旬には中間テストがあり、それを受けないと俺は留年するという恐怖に怯えていた。
仮にも留年して、紗桜と同じクラスになると兄の威厳が失われる可能性すらもある。
それだけは避けねばならない。
  これからは絶対に冬子さんの前では女装すると北斗七星に誓いながらも、
病院ですることがないので待合室に置かれている贅沢な大型液晶テレビで暇を潰すことにした。
  階段を降りると入院患者や外来の方。医者や看護士の皆様が忙しそうに働いていた。
俺は虹葉姉から用意してもらった犬と猫柄のパジャマを身に纏いテレビが置かれている場所に向かい
席に大人しく座った。
  今、流れているのは最近のニュースであった。

「今年の夏休み明けの学生の死亡者は一万6000人という前年より増しという
  驚異的な数字が出ました。
  これは嫉妬した女性が男性を突き刺した被害者男子生徒の数です。
  更に女性の被害者は一万人という冗談で済ませられない数字となっております。
  これは女性が女性を殺す被害者です。主な原因は狙っていた男子生徒をと付き合い、
  それに嫉妬した女性の脳内思考で泥棒猫さえ排除してしまえば想い人が私の事を見てくれるという
  根拠のない心理的な状況で
  実行するケースが殆どです。
  最近、新たな傾向としては。
  姉妹の家に同居している義理の弟か兄を巡っての修羅場が全国各地で勃発しております。
  姉がフォークで妹の目を突き刺したり、妹が兄の大事な性器を真っ二つにしたりと
  残虐的な行為が見られます。これに政府は……」

 そのニュースに俺は少しだけ驚愕していた。姉妹が一人の男を、
しかも家族として暮らしている男の子を取り合って修羅場というのがどうも他人事とは思えなかった。

「なんて世の中だ」

 景気が低迷しているとか、学力が低下しているとか、某国の自爆テロなんか全然問題にならない程、
この国は堕ちるとこまで行っているんじゃないのかと俺は不安を抱いた。

 

 社会問題うんぬんと考えている時に時計を見た。すでに夕刻。
この時間帯になると俺の入院している部屋はもっとも騒がしくなる時間帯だ。
昼間に学校があることを俺は幸せに望む。
虹葉姉と紗桜と音羽が人の迷惑を考えずに訪問している時間だからだ。
  自分の病室に入ってくると俺のベットには虹葉姉の姿がまずそこにあった。

「月君がいつも寝ている布団。月君の温もりが気持ちいいよ」
  あろうことか、以前と同じ過ちを繰り返している時点で
俺は思わずため息を吐くことができなかった。
すぐに目を離すと弟の所持品や布団に忍び込む悪い癖が虹葉姉、いや、姉妹にあるのだろう。
こういう細かいことをいちいち気にしていれば、水澄家に暮らしていくことは難しい。
  俺は虹葉姉の肩を優しく叩いて、あっちの世界に引き戻す。
「に、にゃんと? 月君。いつ、帰ってきたの?」
「今帰ってきたんだよ」
「そ、そうですか。わ、私は別に何もし、してないんだからね」
  虹葉は顔を赤面させて頭から白い煙が立っていた。
余程、弟相手に今の光景が目撃されたのが恥ずかしかったのだろう。
「紗桜は来てないの?」
「うーんとね。紗桜ちゃん。運悪く文化祭の実行委員に選ばれて、今日は委員会で遅くなるんだって。
  本当はすぐに病院に向かうつもりだったんだけど、さすがに日常生活を疎かにしてまで
  月君の見舞いはしちゃだめって、私がき〜つ〜く言っておきました」
「で、本音は?」
「紗桜ちゃんがいない間は私が月君独り占め。てへ。嬉しいな」
  気まずい空気が一瞬だけ流れる。
  いつものパターンだ。これが逆に紗桜だったら、同じ事を言うに違いない。所詮は姉妹。
行動パタ−ンは似てしまうことがお約束なのだ。だが、俺は夏休みに起きた体験を思い出すと、
ブラコン姉妹による暴走で俺は精神的にも体力的にも限界まで追い詰められてしまった。
同じあやまちを繰り返すつもりはない。
  俺はベットの近くに置かれているナ−スコールを持つとボタンを押した。

「天草さん。どうかしましたか?」
「ちょっと頭のおかしい女子学生が……わけのわからないことを」
「変質者ですね。はい。わかりました」
  若い看護士さんが俺の必死の演技に動かされて焦った口調で応えてくれた。
虹葉姉はぽかんと開いた口が塞がらなかった。
「変質者って、もしかして、お、お姉ちゃんのことなの?」
「リベンジです。少しは反省してくださいお姉さま」
「うにゃ〜。お姉ちゃんは月君に恨まれるような事はやってないよぉぉ」
「体を壊した可愛い弟の休息に俺の胃痛の原因になっている人が見舞いに来るなぁぁ。

 病院の検査であなたは本当に10代の体ですか? って聞かれた時はちょっと死にたくなったぞ。
  誰かに黒いオーラーを浴び続けると体によくないって、医者が断言していたぞ」

「う、うにゃにゃ。そんなことないよ」
  思わず、動揺している虹葉姉の頬から冷たい汗が流れているのを見た。
やはり、確信犯なんだろうか。
「虹葉姉と紗桜は見舞いの立ち入り禁止!! 病院患者と美少女姉妹が見舞いにやってこない
  男性患者の総意です。今、決めちゃました」
「月君と一緒に喋るのが私の生き甲斐なのに。お姉ちゃんの楽しみを奪うつもりなの?」

「ふふっ。俺は一夏の経験で悟ったんだ。あえて、修羅場を避けるよりも戦うと。
  顔を上げて、戦う覚悟をした俺は最後まで絶対に引かないっての」

 冬子さんの監禁で完全に精神と体を病み、一ヵ月も入院しておかげで学業の方は疎かになっており、
単位も危ないと新担任は言う。
  ちなみに前担任のメガネは夏休み中に別れた奥さんが無理矢理復縁を迫ってきたので
  男らしく『もう、束縛される生活は嫌なんだ』と叫んだ途端に。
奥さんに心臓を隠し持ってきた包丁で刺されてお亡くなりになった。
  別にこれは珍しい事でも何でもない。
  夏休みが終わり新学期を迎えるために学校に登校すると自分のクラスは2〜3人ぐらい花瓶が
机の上に置かれていた。
  恐らく、ストーカーかヤンデレのどちらかに恋人になってくださいと迫られて、
断られた途端に殺されるケースが多発しているのであろう。
  他のクラスでは花瓶がクラス半分以上も置いてあった実話もある。

「天草さん。変質者はそちらのお姉さんですね。今すぐに確保して病院の外にまで追い出します」

 看護士のお姉さん方数人が虹葉姉の両腕を見事にぎっちしと掴んで連行してゆく。

「ひ、酷いよ月君。うぇ〜ん」
  反抗しようとジタバタ暴れていると看護士さんが面倒臭そうに鎮痛剤らしきモノを
虹葉姉の腕に注射する。
  そして、問答無用に連れて行かれた。

「ふぅ。虹葉姉ももう少しだけ距離を置いて欲しいもんだよ」

 弟にべったりな姉と兄に依存と溺愛している妹を家族に持つと一日一日が
命懸けのガチンコ勝負である。
  少し嘆息してから、買い溜めしてある缶コーヒーを片手に憂欝な気分でいると
次の来訪者が現れた。

「月ちゃん。今日も見舞いにやってきたんだけど、さっき、あなたのお姉さんが看護士の皆さんに
  神輿にされて連れていかれたよ」
「音羽。あれはきっと変質者だからあんまり気にしなくてもいい」
  身内の恥を音羽に説明するのも恥ずかしいすぎる。
「あれぇ。紗桜ちゃんはどうしたの? いつもなら、この時間になると私を妨害するために
  水澄姉妹がきっちりとガードしているはずだけど」
「紗桜なら文化祭の実行委員に選ばれて今日はその委員会に出席するので来られないってことを
  虹葉姉が言っていた」
「へぇ。そうなんだ」
  音羽は嬉しそうに微笑んでいる。その笑みが俺にとっては嫌な予感が脳裏をよぎったと言えば、
  彼女にとってはとても不謹慎な事なので口には出さないが。

「じゃあ。ようやく、私は月ちゃんに宣戦布告することができる」

「はい?」
「今日は邪魔な水澄姉妹がいないおかげで月ちゃんをたっぷりと独占できるんだけど。
  もう、私は嫌なの。何も変化がないってことは月ちゃんと私の関係が全く進んでいないことだもん。
  だから、私はここに宣戦布告する」

 音羽。どうした、何かおかしい物を食べてしまったのか。
  ここは病院だからすぐに医者を呼んでやるよと言いたかったが。音羽の様子がいつもと違い、
その眼差しは俺に真っすぐに向けられている。

「私は月ちゃんに復讐する。その復讐は私と月ちゃんが恋人同士になって、
  幸せな生活を送る事なんだよ。言っている意味がわかる?」
「はあ? なんだけど」

 音羽は睨み付ける視線は俺に向けられていた。
  再会してから、ずっと仲のいい幼なじみとしてこれまでやってきたはずだった。
  それが突然に復讐すると言われても俺はただ狼狽えるしかできない。

「月ちゃんは全く覚えていないんだよね。まだ、小さかった頃だったし。
  私が引っ越しする原因になったのはお父さんが友人の保証人になって、
  多額の借金を背負ってしまったから。
  でも、お父さんは保証人の書類には全くサインも印鑑は捺さないと
  私とお母さんにきっちりと言った。
  だから、私はお父さんが保証人になったとは今では考えられない」

 俺は思わず缶コーヒーを力なく落としてしまった。
連帯保証人関連の記憶で思い出される事はただ一つ。

「ガキの頃に音羽の家で遊んだ連帯保証人ごっこか」
「そうよ。それが鷺森家の不幸、私のどん底人生の始まりだった」
  音羽が俯いて長い髪が彼女の表情を隠す。
  あの遊びが原因で彼女は父親や母親を失い、俺と同じく独りぼっちになってしまったのだ。

「まさか、夢にも思ってもいなかったわ。月ちゃんと私がお父さんの机にあった
  連帯保証人に関する書類を見つけて、書き込んだ内容がほぼ正確で判子を押した状態で
  お父さんの友人が尋ねてくるなんて。
  私達は疑うことなくその友人に書類を渡しちゃった……」

「そ、そうだったのか……」
「私と月ちゃんがお父さんとお母さんを死なせてしまったんだよ」
「おじさんとおばさんはどうして死んだんだ」

「お父さんとお母さんは私のために借金を返済するために自殺したの。
  死んだ後に入ってくる多額の生命保険金で借金を返して、私が人間らしい生活を送れるように。
  でも、私は借金を返済しなかった。
  だって、親の借金は親の借金だもの。親の遺産を相続せずに遺産放棄してしまえば私は
  借金を支払う必要はなくなる。
  更にちゃっかりと親の生命保険金をしっかりと頂いたよ。
  だって、生命保険金は受取人が指定していた場合は遺産にはならないから。
  受取人の私にはきちんと貰える権利があったの。
  そのお金のおかげで私は今のように自由に生活を送っているけど、心の中ではどこか寂しかった」

 過去のことを思い出しているのか、音羽の目蓋から涙が頬を伝って流れてゆく。
  感情的になっているのか、体が小刻みに震えている。

「だから、月ちゃんに復讐する。きちんと責任を取ってもらうの。

 ううん……私の所有物になってよ。そうじゃないと私の心はいつまでも
  穴が空いたままになっちゃうよ」

「音羽……」
「月ちゃんは誰にも渡せないんだから……。

 水澄姉妹には絶対に指一本だって触れさせないんだから。うふふふふふふっっっっ」
 
  俺は言わずともナースコールのボタンを押した。いや、普通に押すだろ。

To be continued....

 

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