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記憶



00-追憶の夢

 夢を視ている。僕は夢を視ている。それはきっと過去の記憶。
  忘れかけていた記憶の破片を視ている。忘れたかったはずなのに。まるで誰かが視せているように。
  僕が二つの光を失ったあの日。無理矢理それを思い出させる。

 6歳の冬。僕はいつものように親に買ってもらった目覚まし時計に起こされて、
  リビングに向かった。
  その時、子供ながらに感じたのは違和感だった。やけにリビングが静かなのである。
  いや、リビングだけではない。家中が静かで何処かいつもと違う。物音一つ聞こえない。
  聞こえるのは、自分の足が踏むフローリングの床が軋む音と、鼓動が加速する心臓の音だけだった。
  そこで気付いてしまった。この場所には在るべきモノが存在しない。
  昨日まであった温かみと賑やかさが失われている。僕が大好きだった生活が消えている。
  きっと、僕の両親がいなくなっている。どうしてか、そんな気がした。
  だから、悲しいという感情も忘れ、ただ立ち尽くすしかなかった。
  人間というモノは本当に絶望すると声すら上げられないのか。
  身体が金縛りにあったように動かない。

 もう希望はない。子どもだった僕にとって両親を失って残るのは、絶望だけである。

 ――そんな僕の前に一人の少女が現れた。

 僕より少し背が低く、黒いゴシック服を着た、腰まで伸びた白銀の髪が綺麗で、
  大きな紅い瞳を持った少女。美しいと言えば、美しい。
  しかし、少女の美しさは異質だった。人間では有り得ない狂気じみた美しさを感じてしまう。
  子供でも「このひとはあぶない」と判断するくらいに。
  だから僕は咄嗟に足を後ろへ蹴った。逃げる以外に選択肢はない。少女の姿が訴えている。
  鼓動が加速する。異質な美しさに本能が恐怖している。血流が逆流しそうで
  心臓が悲鳴を上げているが、気にしない。
  早く。早く。
  はやくあいつからにげろ。
  後ろを視る暇もない。あいつが何をしているかわからない。
  わからない。わからない。わからない。
  ――え? なら、僕はどうして逃げている。
「怖いからでしょう?」
  突然、上から逆さになった少女の顔が降って来た。
  人形が笑っているような口だけを開いた顔である。不気味で、気持ち悪い。
  逃げたはずなのに。わからない。

「あなたの両親は私が食べました」
  不気味な笑顔のまま、少女は言った。
  やはり、僕は間違っていなかった。この少女は狂っている。鼓動が炸裂しそうなくらい加速する。
  恐怖。少女に対して恐怖以外は生まれなかった。きっと少女は人間ではない。形だけが人間なのだ。
「でも、あなたは食べません。だって可愛いんですもの」
  少女は舌をペロリと出し、舌なめずりをした。まるで人の死を待つ死神のように。
  もう呼吸すら苦しい。喉からヒュウヒュウと空気だけが漏れる。
「そんなに怖がらなくても良いんですのよ」
  少女は天井にぶらさがったまま僕の頬を左手で撫でた。
  それだけで、ただそれだけで、刀を突き付けられたかのような戦慄が身体を走る。
  心臓が引き千切れて、血管が内側から吹き飛んでしまいそう。
「ふふ、可愛いですわね。またいつか会い……」
  最後まで聞き取れない。脳が悲鳴を上げている。耳からは金属音しか聞こえない。
  ……視界も薄れている。
  少女が、左手を離した。

01-先輩

 またあの夢を視ていた。恐怖に脳が支配される夢。
  恐怖がフラッシュバックする。気付けば、額には汗が滲み、布団を力の限り掴んでいた。
「綺雪君、綺雪君」
  聞き慣れた声がする。少し大人びた、しかしそれでいてあどけなさも残る声だ。
「どうしたの? 凄くうなされてたわよ」
  起きたばかりで、開きにくい瞼を無理矢理開けると、見慣れている栗色の髪を
  肩まで伸ばした女性がいた。
  この女性は僕が所属する文芸部の先輩である。碧のカチューシャをしていて、
  一部男子から人気もあるらしい。
  確かに顔立ちは綺麗だ。でも、いつも本を読んでいたり、性格が難解であるからかモテるという事は
  ないようである。
「いや、ちょっと悪い夢を視ていました」
「そう。なら、いいけど……あ、忘れてた。おはよう」
  笑って、言った。笑顔は普段の先輩から想像も出来ないくらい可愛いと僕は思う。
  あくまで僕がだけど。
「おはようございます」
  ……? 言って、少し違和感を感じた。ただ朝の挨拶をしただけなのにどうしてだろう。
  まだ起きたばかりで頭の回転が悪いようだ。中々理由が出てこない。

「朝ご飯が出来てるわよ」
  思わず相づちを打とうとしたが、やはり何かおかしい。
「……」
  詮索していく事にする。
  まず、ここは僕の部屋。目の前には女性。そしてその女性は先輩。
  ……いやいや、おかしいだろ。
「何故先輩が此処に!?」
  やっと違和感の答えに気付いた僕は、叫ぶように言った。
「いや、鍵が開いてたから、つい」
  昨日は鍵を掛けたはずだけど、もしかして忘れていたのか。
「つい、ですか」
  ハァと溜息をつく。鍵を掛け忘れた自分と、ついという理由で家に上がり込んだ先輩に
  呆れてしまった。
  先輩は何か問題でも、と首を傾げている。
「まあ先輩なら別に良いですけど」
  一瞬先輩の顔が朱くなった気がする。何故かはわからないけど。
「わ、私なら良いの?」
「だって物とか盗らないでしょう?」
  先輩は何故かがっくりと肩を落とし、ハァーと間延びした溜息を吐いた。
「そうね。さ、朝ご飯よ」
  僕は枕元に置いてある眼鏡を掛けて、先輩の後ろを追った。

 狭いマンションのキッチンと呼べるかすら怪しい場所に行くと、何の飾り気もないテーブルの上に
  完璧な洋食の朝ご飯が並べられていた。
  バターロールとサラダ、僕が好きなベーコンエッグ、更にはスープまである。
  こんな朝ご飯、久しぶりだ。
「す、凄いです」
  思わず口に出てしまった。
「たまには朝から栄養摂っておきなさいよ」
  言って、先輩はテーブルを挟む二つの椅子から一つに座った。
  何処となく狭苦しそうに見えなくもない。
  それでも、先輩は早く座れば、と僕に促す。
「こんなに作ってもらって、すいません」
「いいわよ。元々私が勝手に入ってきたんだし」
「いやでも……」
「はいはい。もういいから、食べていいわよ」
「い、いただきます」
  勿論だが、女性に朝ご飯を作って貰うなんて事は初めてだ。だから少し緊張する。
  とりあえず、好きなベーコンエッグから食べよう。箸を持ち、白身とベーコンがくっついた部分を
  口に放り込む。
  ……こ、これは。
  普通に美味しい。目立つ焦げもなく、白身も固すぎない。
「美味しいです!」
「そう? 毎日食べたい?」
  先輩は頬をほんのり朱に染めて目を反らす。何か今日の先輩は変だ。

 毎日食べたいか、なんて聞いてどうするつもりだろう。まあ、毎日食べさせて貰えれば嬉しいけど。
「毎日食べられるなら嬉しいですね」
「え?」
  先輩の顔がみるみる内に真っ赤になっていく。風邪でもひいたのだろうか。
  今日の先輩は学校に行ったとしても、早退した方が良いのかもしれない。
「先輩が毎日作ってくれるとしたら、僕は嬉しいですよ。あくまで僕が、ですけど」
  先輩は嫌だろうから。僕の朝ご飯を毎日作るなんて。
「あ、あー、綺雪君はね。んー、そうね」
  しどろもどろで返す先輩。自分でも何を言ってるかわからないんじゃないだろうか。
  口がパクパクと開閉を繰り返している。
  本当に今日の先輩は、変だ。そんな事を思いながら、僕は箸を進めた。

 結局あの後、あたふたした先輩と特に話す事もなく、いや先輩が話せる状況ではなく、
  ほぼ無言のまま朝ご飯を終え、着替えも済ませ、今は玄関で先輩と一緒に
  登校しようとしているところだ。

「じゃ、行きましょうか」
「え、あ、うん」
  先輩は心此処に在らずといった様子で目が泳いでいる。何をそんなに慌てる必要があるんだろう。
  何か心配な事でもあるのだろうか。
「今日の先輩変ですよ」
「そ、そんな事ないわよ。いつもと変わらないわ」
「そうですかー? あっ、トイレでも行きたいんですか?」
「何でそうなるのよっ」
  顔を近づけて突っ掛かってくる先輩。少しいつもの先輩に戻ってきてる気がする。
  僕はハハハと笑いながら、いつもの通学路を先輩と歩いているという妙な違和感を感じていた。

02-冷気

 そろそろ冬に近いのだろう。道には所々落ち葉が落ちている。
  今は過ごしやすい気温だが、冬になれば冷えた空気に身体を縮めてしまいそうだ。
  雪も降るかもしれない。何たって冬は寒いんだから。
  水たまりも凍ってしまうくらい冷たいんだから。
「そろそろ冬ですかねぇ」
  沈黙が続いたのでとりあえず思っていたことを口にした。
  先輩と何も話さずに歩くのは何か気恥ずかしい。
  どう言おうと異性同士で登校している事に変わりはない。
「そうね。寒いのは私苦手だけど。綺雪君は?」
  先輩は顔を動かさず前を見たまま言った。
「苦手というより怖い、ですね」
  ハハ、と笑って頭をかく。自分でも馬鹿な感覚だと思っている。
  冬が怖い、いや、寒さが怖いなんて。
「冬が怖いって訳解らないわよ」
「まあ、そうですよね。自分でも解らないです。どうしてなのか」
  言ってハァと息を吐いてみる。まだ白い息になるくらいの寒さではないようだ。
  だが一瞬、ふわりと冷たい空気が肌を撫でた。

「それはあなたが冬に厭な記憶を持っているからではなくて?」

 冷気を纏ったような少女が、いつの間にか横を歩いている。空気が冷たい。
  背は俺の肩くらいまでしかないのに妙な威圧感、いや寒気がする。
  何処かで感じたことのある感覚がする。
  胸辺りまで伸びた透き通る水色の髪の毛は綺麗な雪の結晶を想像させる。
  とても冷たい印象を感じてしまう。
  碧く澄んだ瞳からは水晶のような輝き。無機物の美しさを放っていた。
  そう、少女はまるで人形のよう。

 ――寒い。

「……」
  僕は少女に何も言葉を返せなかった。あると言えば、ある。
  しかし、この少女からはあの日の事しか連想されないのだ。
  言ってしまうと何かいけない気がする。これは恐怖なのか。
  どうしてもこの少女に話してはいけない理由がある。
  理由は解らない。でも、その瞳すら合わしてはいけない。
「誰よ、あなた」
  僕の横で今まで何も言わずにいた先輩が言った。
  どことなく口調に棘があり、目も少し吊り上がっている。
  少し、恐い。
「私ですか?」
  少女は先輩の方へと顔を向けると首を傾げた。
「そうよ。他にいないじゃない」
  やはり何か怒っているようだ。
「名乗る程の者ではありませんわ」
  時代劇のような台詞を吐くと、少女は僕達の進行方向の向こうへと行ってしまった。
「ちょっと待ちなさいよ!」
  先輩が止めようとするが、少女は振り向かずに歩いていく。何だったんだろうか。
  どことなく寒さはなくなっている。うん、日本はまだ温かい。
「あの子誰?」
  妙に低い先輩の声を聞き、顔を向ける。
  そこには、瞳に輝きがなく、ただこちらを視ている見た事のない先輩の顔があった。
  怖い。いつもの先輩じゃない。
「ねぇ、あの子誰?」
  声が更に低くなった。死霊の呪詛にも聞こえるそれは恐怖以外感じない。
  眼は笑っていないのに、口の端が吊り上がっている。
「し、知りませんよ」
  言ってすぐ俺は顔を前に向けた。これ以上あんな先輩の顔、見ていられる自信がない。
「本当に?」
「は、はい」
「そう。今は信じてあげる」
  ニコリと笑う先輩。今日の先輩は朝から何かおかしい。朱くなったり、怖い顔をしたり。
  でも、どうしてだろうか。それなのにいつもの顔をされると何も言えなくなる。
「……」
  何も返せなかった僕は、止めていた足を学校の方へと進めていく。
  先輩も後を追うように僕の後ろを歩いた。
  今はどんな顔をしているのだろうか……。

 少しばかり歩くと、僕達と同じ制服を着た学生がちらほらと見えてきた。そろそろ学校が近い。
  さっきからここまで何となく気まずいので先輩とは一言も喋っていない。いや、喋れていない。
  後ろから黒いオーラのようなモノを感じるのだ。今の先輩に話しかけるのは到底不可能である。
  ましてや僕みたいな臆病者は絶対に。
  何故不機嫌なのかすら解らない。さっき会った少女が原因か……?
  いや、少女は怒らせる程態度は悪くなかった。むしろお嬢様のような気品溢れるものだった。
  そんな問答を頭の中でぐるぐると巡らせていると、校門まで来てしまった。
「あ、じゃあね先輩」
  靴箱に靴を入れ忘れんばかりの勢いで先輩から逃げ出した。
  後ろも振り向かず、走っては怪しまれるので早歩きでスタスタと教室を目指す。
  本当に、今日の先輩は変だ――。

4

 心なし早く教室に着いた僕は自分の席に座って先輩から薦められた小説を読んでいた。
  内容は一人の男性を三人の女性が取り合うという三角関係ならぬ四角関係の修羅場がテーマの
  ドロドロした恋愛物である。
  好きな人の為に尽くしたりするのは解るが、これに書いてあるのは嫉妬に狂って恋敵を殺したり、
  愛し過ぎて殺しそうになったり、と

いうものでその辺はよく理解出来ない。
  しかし、怖いながらも結局は読んでしまい、今もスラスラと読み進めている。
  ストーリーも悪くはないし、登場人物も特徴的で全体的に入り込みやすく、
先輩が薦めたのも解る気がした。
「朝から……読書……?」
  そんな読書に集中している最中、本を置いている机が声を発した。

 ……なんて怪奇現象が朝から起こることはなく、クラスメイトの黒野さんが机に手を引っ掛けて
丁度目が合うのを本で遮られた

位置でしゃがんでいる。
  本を倒し、目を合わせると、目を丸くしてこんな事を言った。
「に……今日も先輩と?」
「うん、そうだけど」
  明後日の方向に目を向けて少し考える黒野さん。
「たまにはあたしと登校するのも……あり?」
  うにゃ、と首を傾げてきたが、僕と一緒に登校しても楽しくはないのは確かである。
  ここはうっすら、やんわり断るべきだろう。
「いや、聞かれても」
「……なし?」
  眉毛がハの字になって、しゅんとする黒野さん。
  あぁ、何か可愛いけど、どうしよう。
「いや、うーん、なしって訳でもないけど」
  猫のような愛くるしさに負けて思わず言ってしまった。
「みみ! なら、明日迎えに行く……家何処?」
  黒野さんは大きな瞳を輝かせて言った。暗闇を照らせるくらいの勢いである。
  朝から僕と一緒になるのは期待しない方が良いと思うのだが……何故こんなに嬉しそうなんだろう。
  本気で僕と学校に行くつもりなのだろうか。
「本当に一緒に行くの?」
「やっぱりなし……?」
「いや別に僕は良いんだけど」
  既に断る気など消えていた。
「なら、良い……早く教えて」
  ここで軽く教えてしまっても良いのだろうか。誰かに教えるなと警告されているような気がする。
  そんな声、聞こえるはずないんだけど。
「早く」
  黒野さんが急かしてこう言ったからか、丸い目を輝かせたからか、
僕は聞こえもしない警告を無視することにした。何だかんだ言っ

て朝から女の子と登校するということに僕は少なからず期待しているのだ。
  だからこそ、マタニティブルーのような不安によって教えるなという空耳が聞こえたのだろう。
「うん」
  何処から用意したのか分からないが、僕は机の上に乗ったメモにまあいいかとペンを走らせた。
  しかし、住所を書くより地図を描いた方が分かりやすいと思うけど……。
  公立だから家は必然的に近いし。
  そんな疑問を浮かべながら、住所を書いた紙を黒野さんに渡した。
「明日から……よろしく」
  僕が返答するのも待たず、黒野さんは八重歯を見せて自分の席に行ってしまった。
  僕はチラリと見えた八重歯を記憶に残し、担任が入ってきたところで思考を止めることにした。

 

 そして今は午前の授業中。僕は先輩の事を考えている。
  朝の先輩は何処かおかしかった。いつも先輩を見ている僕だから、
  いや、誰が見てもおかしいと思ったはずだ。
  あの豹変振りは別人になったのかと思わせるくらいだった。
  でもその瞬間は一瞬で終わり、すぐにいつもの先輩に戻った。
  何が原因だったのだろう。水色の少女? それとも僕?
  どうして先輩はあんな怖い目を僕に向けたのか。解らない。
  放課後の文芸部室で訊いてみようとは思うが、きっと無理だ。
今日の先輩に喋りかける勇気など僕にはない。
  それに訊くほどのことではない。そう決めつけたい。あんな先輩は今日だけだ。
  そう、決めつけたい。
  自分の席から見える窓の外では、冬の始まりを知らせる枯れ葉がひらひらと舞っていた。

 昼休み。珍しく先輩が僕を訪ねてきた。
  他の学年の生徒が他の学年の教室に入ってくることは別段珍しい事ではない。
  クラスメイト達は特に先輩に注目することもなく、

各々昼食に集中したり、恋のお話でお茶を濁しまくったりしていた。
  しかし、僕はというと突然の来訪に少し驚いている。朝の事で怯えてる訳ではない。
  カチューシャを付けた文芸部の先輩が僕を訪ねてくることは今までなかったのだ。全く、一度も。
  それなのに何故?
「ちょっと話があるんだけど、良い?」
  僕の席までやって来た先輩は、座っている僕を見下ろし、そう言った。
  別に断る理由はない。しかし、若干の恐怖感がある。
「話って何ですか?」
「たまには昼休みから綺雪君と話しても良いかなって」
  ね? とウィンクする先輩。今気付いたが、手には焼きそばパンと牛乳を持っている。
  昼食で焼きそばパンってベタ……。しかも、牛乳って。
  いや、もしかして。もしかすると、今日は僕の家に来てたせいで弁当を作れなかったとか。
  もしそうだとすると、悪いことしちゃったな。
「そうですか。良いですけど、先輩今日だけ弁当じゃないって事はないですよね?」 
「え? 何でわかったの? そうなのよ、今日だけ行ったこともない購買部でお昼を買ってきたの」
  やっぱりそうだったか――!
「それって今日朝からわざわざ僕の家に来たからですよね?
  すいません。お金出します」
「え、え? 違うの、アレは私がしたくてしたことだから良いの。気にしないで」
「いや、でも……」
「後輩はそんなに気にしなくて良いの。さぁ、屋上にでも行きましょ」
「え」
  何も言えず、先輩に手を引っ張られながら僕は教室を後にした。
背中に寒気を感じた気がしたが、きっと気のせいだろう。

「あの女――」

 

 屋上に連れて来られたのは良いが、何の話をするつもりなんだろう。
  先輩は僕に背を向けて焼きそばパンを頬張っている。
話があるのに背を向けては意味がないような気がするが、意図的にやって

いるのだろうか。
「あの……先輩?」
  黙秘権を行使し続ける背中に問い掛けてみる。
「……」
  もぐもぐと咀嚼している様子だけが僕には伝わった。
要するに先輩は僕を連れてきておきながら、僕を無視しているのだ。
  一体何がしたいんだ?
「よし、ごちそうさま」
  急に先輩がくるりと振り返って手を合わせた。表情はにこやかである。
  屋上に来てから初めて発した先輩の言葉に思わず僕は問う。
「何で食べ終わるまで喋らなかったんですか?」
「だって食べながら口を開けたら汚いじゃない。そういうの綺雪君には見られたくないの」
  頬を朱に染めながらそんなことを言った先輩を見て僕は驚いた。
  今まで無視してきた先輩の女性らしさを感じてしまったのだ。
  先輩がいきなりお淑やかになられるとまずい。僕はそれを頭の中心に置いておくことにした。
「は、はぁ……」
「でも、全く喋らないのは変だよね。ごめん」
「そういう意図があるなら別に良いですが」
「じゃあ、どんな意図なら悪かった?」
「そうですね。屋上に呼び出して決闘するという伏線の為とかなら悪いです」
  女性としての先輩を無理矢理頭から追い出す為に冗談めいたことを言う。
  意識するな。いつもの先輩だ。そう、文芸部の先輩だ。
「じゃあ、愛の告白なら?」
  さっきより頬を朱くして先輩は訊く。
  いや、まさか。先輩が僕に告白なんて有り得ない。何せ先輩は男っ気がないし、じゃなくて、
  男に興味がないはずで……アレ?
  意識するな。意識してはダメだ。
「あ、ありえませんよ。そんなこと」
  狼狽えて声が上擦ってしまった。今の僕の声を録音していた人がいるなら、
  宇宙の果てまで追いかけることになるだろう。
  ていうか、顔が熱い。もしかして顔が朱くなってるかもしれない。変な汗も出てるし。
「イフ、イフの話よ。もしそうだとしたらそれは良いの? 悪いの?」
  接近。先輩が顔を近づけてくる。ゆっくりゆっくり、獲物を逃さんとする肉食獣のように。
  息もかかりそうなくらい近い。心なし先輩が野性的な顔つきになってきてるような……。
  いや、妖美な艶美な――。
「う、え、えへへ?」
  訳が解らなくなっていた。変な笑い声を出して誤魔化すことしか僕には出来ない。
  僕は先輩が好きなのか? 好きではないのか?  そんな形式上簡単な質問に答えられない。
  どうして。
「イフよ。イフの話。早く答えなさい」
  目がマジです、先輩。良いって言えば、このあとキスでもしそうな勢いです。
  僕はぐるぐると回り出した視界に危機を感じつつ、更に顔が朱くなるのを感じた。

2007/03/12 To be continued.....

 

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