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メイド・セレナーデ



1

 私の名前は天瀬深由梨(あませみゆり)、17歳。どこにでもいる、ごく普通の女子高生。
  ・・・だった。一ヶ月前までは。
  でも今の私は、格好を見れば分かると思うけど、所謂メイドっていうやつだ。
  山の手の大きな屋敷に住み込みで働いている。

 なぜなら・・・両親が莫大な借金を残して蒸発してしまったから。
  億に近い金額が私一人に押し付けられ、私はただ呆然としていたっけ。
  泣くも喚くも嘆くもない。ただ現実感がないだけだった。
  でも、怖い男の人たちが家にやってきた時、現実を悟らざるを得なくなった。
  卑しい笑いと舐めるような目で見られて、自分がどうされるかが分かってしまったから。
  売られる、と。

 

 ――そして、私は売られた。
  ただし、売られたのは風俗ではなく金持ちの屋敷。
  買われたのは身体ではなく労働力。
  どんな経過があったのかは分からない。
  ただ一ついえるのは、最悪の状況に置かれた私は最悪の結末を辿らずに済んだということだった。

 で、私が買われたということは買った人がいるというわけで。
  これが薄幸の美少女に一目惚れして引き取りたいと申し出たどこぞの御曹司とかだったら
  とんでもない逆玉だけど、流石にそれはないと思う。
  だけど、優しい老婦人とか気のいいおじさんとかを想像していた。
  だって、私なんて多少家事が出来る程度の女子高生でしかないわけで。
  金持ちが使用人を雇うとしたら、もっとちゃんとした、色々できるプロの人を雇うと思うじゃない?
  だから、きっと私の境遇に同情して使用人として引き取ってくれた優しい人がいるんだと思ってた。
  でも・・・期待しすぎるとロクなことがないってことを、
  私は知っておくべきだったのかもしれない。

 私を引き取ったという人の屋敷。
  緊張しながら応接間に通された私が見たのは2人の男だった。
  1人は白髪の老人。見た感じ60歳くらいに見えるけど、長身でがっちりした体つきからは
  とてもそうは見えない。
  きりっとしたタキシード姿と相まって、すっごく格好いい。
  もう1人は少年。・・・青年かな? 年は私と変わらない位に見えるけど。先の老人を傍らに、
  大きなソファに腰掛けている。
  とても綺麗に整った顔立ちで、これまで格好いいと思っていた学校の男の子も
  一瞬で霞んでしまったほど。
  今思えば酷い気の迷いだったけど、その時の私は正直言って、彼に心を奪われていた。
(もしかして、本当にシンデレラストーリーが展開しちゃうの・・・!?)
  必死に胸の鼓動を抑える私の期待はしかし、青年の声によって打ち消された。

「入って来た途端に百面相か。中々面白い女だな。頭は悪そうだが、玩具としては悪くない」
  ・・・頭が悪い? 玩具?
「天瀬深由梨だったな。俺が今日からお前の主になる、高遠遥(たかとおよう)だ。
  俺の言うことを聞くのがお前の仕事だ。
  他にもいろいろ雑事をやってもらうが・・・そこら辺内容はこいつ――セバスチャンに聞け」
  そう言って横に顎をしゃくると、控えていた老紳士が一歩前に出て、恭しく頭を下げる。
  ・・・セバスチャン、さん・・・? まさか本名じゃないよね?
  っと、それより!
「いっ、いきなり何なのよアンタ! 顔を見るなり頭が悪そうだの何だのと!」
  私は思わず噛み付く。主だ使用人だっていう以前に、何て失礼なヤツ!
  こんな男に心を奪われかけた自分が恥ずかしい!
「フッ・・・」
  しかしヤツ――遥は、唇を僅かに吊り上げて笑っただけ。
  まるで、私の反抗を面白がるように。
  それがまた、私の神経を逆撫でる。

 

 これが、私と遥の初対面。
  そして、私たちの関係を方向付ける邂逅だった。

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 それからというもの、私は遥にいいように遊ばれることになる。

 例えば、私が窓を拭いている時。
  そいつはツカツカと近づいてきて、拭き終わった窓の前に立った。
  どうしたんだろうと私が見ている前で、人差し指を窓の桟に滑らせる。
  すると、指に少しばかりの埃。姿勢はそのまま顔を傾け、私に視線を向けてきた。
  ・・・私の掃除が完璧じゃないってことか。でも多少は仕方ないじゃない。
  どこぞのアニメの継母のように嫌味を言ってくるのかと身構えた私の前で、そいつは。

「・・・フッ・・・」
「・・・ッ!!」

 鼻で笑われた・・・!?
  無表情だったのを、唇を吊り上げて嘲笑った。
  思いっきりバカにした笑みだ!
  ふっと息を吹きかけて埃を飛ばすと、ヤツは私に一瞥もくれずに部屋を出て行く。

 嫌味を言うでも、叱咤するでも、励ましにきたでもなく。
  ただおちょくりに来ただけ?

(むっ・・・ムカつくっ・・・!)
  それからというもの、ムキになって全ての窓を完璧に綺麗にした。
  まめに雑巾を替え、指で埃をチェックし、その日は窓拭きだけで終わってしまった。

 

 また、ある日私が着替えようとあてがわれた部屋に戻った時。
  『今日はこれを着ろ』というメモと共に一着のメイド服が畳んで置いてあった。
  それを手に取り広げてみて・・・私は瞬間沸騰した。
  猛ダッシュでヤツの部屋へ殴りこむ。

 バタンッ!!
「なんだ、騒々しい。それと、ノックくらいしろ」
  紅茶のポットを傍らに本を読んでいたヤツに、私は持っていたメイド服を突きつける。
「うるさいっ! それより何よこの服は! ムチャクチャスカートの丈が短いじゃない!」
  そう、ヤツが着ろと指示したメイド服は、スカートの丈が異様に短かった。
「こんなの着たら、ぱっ、ぱん・・・・・・・・・・・・。
  下着が見えちゃうじゃないの!」
「別にいいだろう。見るやつなど誰も居ない」
「あんたが居るでしょうが!」
「俺はお前のパンツになんぞ興味はない」
  そう言うと、また本に視線を落としてしまう。
  やましい心を隠してではなく、純粋に興味がなくてという感じだった。
  その澄ました態度がまたムカつくっ!
  私が怒りに肩を震わせていると、本に視線を向けたまま遥が口を開いた。
「これは命令だ。さっさと着替えて仕事に掛かれ」
  もう、引き下がるしかなかった。

 そして、言われたとおり着替えて仕事に取り掛かったわけだけど。
(やだ・・・スースーするよぅ・・・)
  短すぎるスカートで落ち着かなくて、掃除は一向にはかどらない。
  確かに、使用人が全然いないこの屋敷で誰かに見られるという心配は無いんだろうけど・・・。
  そうして暫く経つと、遥が向こうから歩いてきた。
  私は壁際に寄り、無理やりスカートを押さえつけて、中を見られまいとする。
  少しでも見ようとしたら文字通り噛み付いてやろうと睨みつける中、遥は私の前を通り過ぎ、
  私の顔を一瞥して――。

「・・・フッ・・・」
「・・・ッ!!」

 また鼻で笑われた!
  そしてそのまま通り過ぎていく。
(また、おちょくられただけ・・・!?)
  きっとそうだ。短いスカートに恥ずかしがってる私を見たかっただけなんだ。
  そのためだけに、あんな手の込んだことを。
  何てムカつく・・・!

 それにあいつ・・・私の顔しか見なかった。
(何よ・・・。そりゃあんたなんかに見せるつもりはこれっぽっちもないけどさ。
  ちょっとくらい視線を下げようって気は無かったわけ?)
  これでも容姿には多少の自信はあったのに。
  アイツから見て、私ってそんなに魅力が無いように映るのかな・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
  ってもう! 何で私が悩まなきゃいけないのよ!
  それもこれも、みんなあいつが悪いんだから!
  あのむっつり鬼畜男!

2

 ほぼ毎日、私はこんな風に遥にいぢられる。
  そして悔しいことに、やり込められるのはいつも私。
  ああっ、もうっ!! ホンっっっトーにムカつく!

 ・・・でもよくよく考えてみると、私ってすごく恵まれた境遇にいるのかもしれない。
  億近い借金を背負わされながら、普通に生活できている。
  遥はムカつくけど、セバスさん――セバスチャンさんの呼び名ね――は親切だし、
  衣食住もきっちりしてくれてる。
  仕事――掃除を中心とした家事――はそれなりに大変だけど、
  不当にこき使われてるって感じもない。
  それに――。

 

「おや深由梨さん。お帰りなさいませ」
「あっ、セバスさん。ただいま帰りました。すぐに着替えてきますから」
  言って部屋に戻り、制服を脱ぐ。当然、通っている高校のだ。
  ――そう、私は学校に通っている。
  両親が蒸発して以来一ヶ月近く通ってなかった学校に、最近再び通い出したのだ。
  正直、もう学校に通うことは諦めていたし、行けるとも思っていなかった。
  だけど。

『ねえ、本当にいいの? 学校に行っても』
『何だ、行きたくないのか?』
『そんなことない! ・・・けど・・・』
『・・・何を遠慮してるのかは知らんが、こいつは俺の気まぐれだ。こっちは別に
  どっちでもいいんだからな。
  明日になれば気が変わるかもしれんし、言質を取るなら今のうちだぞ?』

 ・・・そうして、私は再び学校に通い出した。日中留守にする分、
  朝と夜にちゃんと仕事をするという条件で。
  ちょっときついけど、セバスさんがさりげなくフォローしてくれるし。
  借金のことは学校でも知られていたけど、私が元気に顔を出したことで、変な噂とかにはならずに
  済んだみたいだし。
  放課後はすぐ帰らなきゃいけないけど、ちゃんと休日も貰えるから友達とも少しは付き合えるし。

 使用人――それも、借金のカタに売られた女。
  それがどんな扱いを受けるのが普通なのかは知らないし、知りたくもないけど。
(私って・・・・・・普通じゃ考えられない、破格の待遇を受けてるのかも・・・)

 

「大分慣れてきたようですな」
  セバスさんの手伝いで書類の仕分けをしていると、不意に声を掛けられた。
  振り返ると、手を休めたセバスさんがニコニコと見つめている。
「少し休憩にしましょうか」
  そう言うと、ティーポットを準備して紅茶を注いでくれる。
「おいしい・・・」
  一口飲んで、自然と言葉が漏れた。私が自分で注ぐのとは段違いの腕前だ。
  それはお茶に限らず、家事、事務、料理、その他諸々・・・。
  もう、悔しいって気持ちさえ起こらないくらい完璧。
  どうしてこんなすごい人が、あんなむっつり陰険男に従ってるんだろ・・・?

「どうですかな、屋敷と学校の両立は?」
「えっと・・・ちょっときついけど大丈夫です。セバスさんが色々気を使ってくれてますし。
本当に、すみません」
  本当に、セバスさんには申し訳ないと思う。ある意味上司のような人なのに、気を遣わせて
  しまっている。
「なに、私は大したことはしておりません。それに、礼を言うなら遥様にでしょう」
  言われてぐっと口篭ってしまう。その通りだと、分かっているから。
  確かに細々とした指示はセバスさんがしてくれているけど、
  大きい枠での指示はアイツによるものだ。
  学校に行けるのも、ちゃんと休日が貰えるのも、セバスさんが何かと面倒を見てくれるのも。
  それに・・・・・・・・私を引き取ってくれたことも。
  全ては遥のお陰。判断を下すのは、あくまでも主人である遥の役目だから。 

 でも、それを口に出すのは何となく癪だ。
  まして、こんな関係になった今となっては尚更・・・。

 悩みこんでしまった私に、セバスさんが声を掛ける。
「まあ、そんなに深く考えることはありません。気を悪くされるかもしれませんが、
  遥様が気まぐれと言ったのは事実です。
  あなたが学校に行けるかどうかなど、遥様にとっては本当に些細なことでしかないのですから」

 ズキッ・・・

 どうしてか、胸が痛んだ。
  『気まぐれ』『些細なことでしかない』・・・。
  セバスさんの言葉はとても客観的で、遥本人に言われたよりも真実を
  強く伴っているのが感じられた。
  ・・・改めて言われるまでもない。気まぐれだって分かってるのに・・・どうして胸が痛んだの?
  気まぐれだって言ったアイツの言葉の裏に、私は何を期待していたの・・・?

「それに、もしあの日。
  例えば雨が降っていて遥様が『出かけるのは気が乗らない』などと仰っていたら。
  あなたを引き取ることは勿論、存在を知ることさえなかったのかもしれない」

 ズキンッ・・・

 また・・・。何でよっ・・・。
  これじゃ、私が傷ついてるみたいじゃない・・・!

「あなたの――あなたのご両親の借金もまた、遥様にとってはどうでもいい話です。
  たまたま珍しい境遇の少女が目に付いて、試しに手を出してみたというだけのこと」

 ズキンッ・・・!

「うぁっ・・・!」
  胸が痛い。あまりに痛くて、胸を押さえたまま俯いてしまう。
  なんでよっ・・・! 私を引き取ったのだってどうせ気まぐれだって、
  分かってたことでしょ・・・!?
  なのに、なんで・・・!

 

「ですが」
  私の思考を遮るように、セバスさんが大きな声を上げる。
「遥様は最近、毎日を楽しそうに過ごしておられる。幼少時からお仕えしておりますが、
  そのような遥様は私も滅多に見たことはない。
  ・・・貴女が来られてからですな、深由梨さん」
「えっ・・・」
  いつの間にか冷徹にさえなっていたセバスさんの言葉は、
  またいつの間にか穏やかなものに戻っていた。
  そして、私を優しく見つめている・・・。
  泣きそうな顔になっていることが急激に自覚されて、私は慌てて笑顔を作った。
「滅多にないって、あの陰険男がですか?」
  言ってから、あっ、と口を塞ぐ。が、後の祭り。

(セバスさんの前でアイツを陰険呼ばわりはまずいよね・・・?)
  しかしセバスさんは気にした様子もなく、言葉を続ける。
「ええ。遥様は傍に人を置くことを好みません。こんな大きな屋敷に使用人は私一人・・・
  おかしいと思いませんでしたか?」
  それは・・・確かにそうだ。
「稀に業者を呼んで大掃除などをするのを除けば、雑事は全て私がやっておりました。
  時折気まぐれで人を雇うこともありましたが、皆すぐに逃げていきました。
  遥様が怖いと言って・・・」
「怖い? アイツのちょっかいがですか?
  ムカつくことはあっても、怖いって感じるほどのことじゃないと思いますけど・・・」
  私の言葉に、セバスさんは笑って頭を振る。
「遥様がこのように他人を気に掛けるのは、貴女が初めてですよ。
  実際これまで、遥様は使用人の誰も気に掛けることはありませんでした。
  ですが、それがかえって威圧になっていたのかもしれませんね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 何だか、信じられない話だ。
  そりゃ、偶に人を小バカにする笑みを浮かべる以外は全くの無表情だけど、
  怖いなんて感じることはないのに・・・。

「話が大きく逸れましたね・・・。昔語りに入るとは、私も年なのかもしれません。
  まあ要するに、これからも頑張ってくださいということです。
  では、仕事を再開しましょうか」
  そう言って、セバスさんは再び書類整理に移った。

 

『遥様がこのように他人を気に掛けるのは、貴女が初めてですよ』

 今の言葉を思い出すと、自然に頬が緩んでくるのを感じる。
(私が、初めて・・・・・・)
  ・・・はっ!?
  私ったら何をニヤニヤと!?
  ち、違う! 違うんだから! 別に嬉しくなんかない!

 ――だけど、胸の痛みが綺麗さっぱり消えているのは否定できない事実で。
  結局その日は、ともすれば緩みそうになる頬を引き締めるのに必死で、仕事もはかどらなかった。

 

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 屋敷での仕事も大分慣れてきた。
  今日も私は屋敷の掃除に精を出す。
  休日だから休んでもいいんだけど、今日は普段出来ない所まで掃除しようと決めていたからだ。
  3人の朝食を終えると、遥は自室に引っ込み、セバスさんは出かけてしまった。
  そして私は食器を洗い終えると、メイド服に着替える。
  このエプロンドレスもカチューシャも、最近は制服よりも着慣れた感じがしてる。
  不思議と働かなくちゃって気持ちになるのよね。そして、それがちっともイヤじゃない。
(メイド服の魔力なのかしら・・・。ご奉仕しなくちゃっていう)
  ご奉仕、ね。ご奉仕・・・・・・・・・・・・って、別に遥にってわけじゃないのよ!?
  そう、ここは私も住んでる場所だから! 綺麗にしたいって思うのは当たり前なわけで!
  遊びに行こうっていう友達の誘いを断ったのに、遥は全く関係ないんだから!

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
  何故か掃除前から息が上がってしまった。
  まったく、これも全部あのむっつり男の所為だ。
  それでも機嫌は妙に良くて、私は今日の段取りを考えていく。
  一部屋が無駄に大きいから、いつも大雑把な掃除しか出来ないのが歯痒かった。
  だから今日は、いつも掃除してる部屋を重点的にフォローしていくことにした。
  途中で遥の部屋も回ることになるだろうから、邪魔だって言って追い出しちゃおう。
  いつも私をおちょくることへのささやかな仕返しだ。遥のヤツ、どんな顔をするかな?
  きっと本を片手に不機嫌そうな顔をするんだろうけど。
  いつも無表情だから、それがどんな表情なのかを想像するだけでも楽しい。

「♪〜〜♪〜〜♪〜〜♪〜〜」
  鼻歌交じりに一部屋ずつ回っていく。
  窓に差し込む光がカーテンを白く輝かせていて、絶好の洗濯日和って感じ。
  そうだ、いい天気だしベッドシーツを干すのもいいかもしれない。
  この屋敷のことだから、どうせそういうのも専門の業者にやらせてるんだろうけど。
  庶民的だけど、やっぱり太陽の光をいっぱい吸ったお布団っていうのは格別だし。
  今日は遥に、庶民の良さを思い知らせてあげるとしよう。
  そんな風に思いながら、次の部屋へ行こうとロビーを横切った時。

 ピンポーン・・・

 と、玄関から聞こえた。
  ここでは初めて聞く音だけど、流石に分かる。来客を告げるベルだ。
  広い屋敷内に響き渡らせるためか凄い音量だったけど、音自体は普通の家と変わらないみたい。
「は〜〜い!」
  聞こえないのは分かっていたけど、つい返事をしてしまった。
  階段を降りきって扉に手を掛けようとして、はっと気づく。
(私・・・出ちゃってもいいのかな?)
  お屋敷の事情とか交友とか全く知らない私では、応対できない可能性が高い。
  でもセバスさんが居ない以上、私が出るしかない。
  大丈夫だよね、どうしようもなければ遥を呼びに行けばいいんだし。
  そう思って、無駄に重い扉を押し開いた。
  扉の向こうに立っていたのは1人の少女。

 切りそろえられた前髪と、胸の辺りまである艶やかな黒髪。
  小柄で、同性の私から見ても可憐で、まるで日本人形のよう。
  私より少し年下くらいだろうか。

「あの・・・・・・・・・遥お兄様はいらっしゃいますか?」

 そう言って、頬をほんのりと桜色に染めた少女を見て。
  ――ピシッ、というひび割れた音が、身体の何処かから聞こえた気がした。

3

「深由梨? 来客か?」
  背後からの声に振り返ると、ティーセットの載ったトレイを手に遥が立っていた。
  おかわりの補充に降りて来たのだろうか。休日でもそのくらいはやってあげるから、
  呼んでくれればいいのに・・・。
  トレイを傍らの棚に置き遥が近づいてくると、少女の気配が変わったのが
  背後からでもはっきりと分かった。

「お兄様ぁっ!!」
「きゃっ!?」

 少女は遥の姿を見るや否や駆け出した。
  間に立っている私に肩が勢い良くぶつかって、よろめかされる。
  なのに当のぶつかった本人は、駆け出した勢いそのままに遥に抱きついているところだった。
  気づいてないのか私のことなどどうでもいいのか、謝ることは勿論、振り返りもしない。
  呆然としたのも一瞬のこと、すぐに沸々と怒りが湧いてくる。

(ちょっ・・・何なのよこの子は! おしとやかそうに見えて、何て礼儀知らずなの!
  それに遥も遥よ! この礼儀知らずに何とか言ったらどうなのよ!
  どうせ可愛い女の子に抱きつかれてまんざらでもないって気持ちなんでしょ!
  あんたって本質的に、ムッツリ鬼畜スケベだし!)

 もし本当に鼻の下でも伸ばしていたら引っ叩いてやろうと、鼻息も荒く視線を上げた私の――。

「え・・・・・・?」

 ――私の怒りは一瞬で霧散させられた。
  遥が・・・・・・遥が優しく微笑んでいたから。
  私に向ける嫌味で意地悪な邪笑とはとは明らかに違う。
  『お兄様』と呼ばれるに相応しい穏やかな微笑を浮かべ、少女の髪を梳くように優しく撫でていた。

(何よ・・・・・・何なのよ・・・)

 あんたのそんな顔、私は知らない。
  私が何かミスした時は、唇を吊り上げての小バカにした笑み。
  セバスさんも褒めるくらいよく出来た時でも、挑発するような意地の悪い笑み。
  ムカつく笑いでも、そんな風に笑いかけるのは私に対してだけだけだったのに。

「彩、一体どうしたんだ。今日は来る予定の日じゃないだろう。
  それに、お前一人で来たのか?」
  遥の涼やかな声が、私以外の女の名を呼ぶ。呼び捨てで、優しい表情で。

(聞きたくない)

「だって、何だか無性にお兄様に会いたくなって・・・。
  今日はお休みだし、構わないでしょう?」
  遥の声に答える彩という少女。鈴の鳴るような、とはきっとこんな声を指すんだろう。
  ここからじゃ背中しか見えないけど、彼女がどんな表情をしているかは手に取るように
  分かってしまう。

(分かりたくない)

 仕方ないなという感じに苦笑していた遥がようやく顔を上げ、私に視線を合わせる。
  まるで、私がずっと見ていたことにやっと気づいた、とでもいうように。
  微笑みだった表情も、私の方を見た時にはいつもの無表情に戻っていた。
(・・・何よ)
  そんな私の内心も知らず、遥が口を開いた。
「深由梨、お前は初めてになるから紹介しておく。
  俺の従兄妹で、園倉彩(そのくらあや)。
  彩、こいつは最近雇った俺のメイドで天瀬深由梨だ」

 互いに互いを紹介され、私と彩――こんな女、呼び捨てで十分よ!――は自然と向かい合う。
  向けられた困惑の視線は、遥の紹介後にはあからさまな敵意に変わっていた。
  ふん、私がそのくらいで怯むと思ってるの?
  あいつが私を『俺のメイド』と評したのがよっぽど気に入らなかったみたいね。
  遥が見ている手前睨み返すわけにはいかないけど、せめて平然とした態度を取ることで対抗する。
  こんな、初見からして気に入らない相手になんか負けたくない。

 だけど。

「ともかく俺の部屋に行こう。彩、行くぞ」
  そう言って、遥が歩き出す。
  ・・・そうだ、私はメイドで彩は客人。
  私が働いている間、遥が彼女と部屋で談笑するのは当たり前のことだ。
  くやしいけど、引き下がらざるをえないの・・・?
  ううん、何とか食らいつかなきゃ。
  私は、遥が置いた紅茶のトレイに目を付けた。
  メイドがお茶を運んでいくのは不自然でもなんでもない。
  そう思って足を踏み出そうとした私の内心を見透かしたかのように、彩が先んじて動いた。
  ティートレイを素早く持つと、小走りで遥を追いかける。
「お兄様、相変わらず紅茶が好きなんですね。今日はちょっといい銘柄を持って参りましたの。
  お部屋でご一緒しましょう。私が淹れて差し上げますわ」
「ああ、いつも悪いな。お前の紅茶を入れる腕前も大分上がってきたし、楽しみだ」
「ふふ、でもお兄様やセバスチャンにはまだまだ及びません。
  でも、我が家のメイドたちよりは上手に淹れられるようになりましたのよ?
  素人同然の使用人よりは、きっとお兄様を満足させてご覧に入れます」
  遥に寄り添って階段を上る彩が、一瞬私を見下したような気がした。
  嘲うように。

 

 その時、私は知った。
  意地悪な遥の笑みが、その実どんなに優しいものだったのかを。
  挑発するような、バカにするようなあの笑みが、どんなに愛嬌と茶目っ気のあるものだったのかを。
  そして、他人を嘲る悪意ある笑みというものの真の姿を。

 でも、私は立ち尽くしたまま何も出来なくて。
  遠くなっていく2人の姿を、ただ見送ることしか出来なかった。

 

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 もう掃除を続ける気も起きなくて、部屋に戻った私はベッドに身を投げ出した。
  メイド服が皺になってしまうのを気にする気力もない。
(バカみたいだな、私・・・。一体何を舞い上がってたんだろ・・・)
  遥が私のことを特別に見てくれてると思ってた。
  意地悪なのも、照れ隠しからだと思ってた。
  でも、彩に向けるような優しい眼差しをくれたことは一度も無い。

 ・・・なんて滑稽なんだろう。

 彩を見る遥の目は優しかった。
  その心までは分からないけど、少なくとも彼女が遥にとって大切なのは間違いない。
  そして、彩の遥を見る目。
  同じ女の私には分かる。彼女が遥に、どんな気持ちを抱いているか。
(従兄妹って・・・・・・結婚できるんだよね・・・)
  不意に頭に浮かんだその考えを、ブンブンと振って追い出す。
  いきなり何を考えるのよ、私は・・・!

 そうよ、遥が誰とどうなろうが私には関係ない。
  私はこの屋敷のメイドで、それ以上でもそれ以下でもない。
  必要な仕事だけこなしていればいい。
  おいしいご飯と暖かいベッドがあって、学校にも変わりなく通える・・・それ以上何かを望むなんて
  バチ当たりもいい所だもの。

 私にも優しく微笑んでほしいなんて・・・
  私にだけ微笑んでほしいなんて・・・
  優しいところも意地悪なところも全て、向けるのは私だけにしてほしいなんて・・・

(そんなこと、思ってないんだから・・・)

 






「んん・・・」
  頭がボンヤリする。どうやら寝ていたらしい。
  外は暗くなっていて、かなりの時間眠っていたことを示していた。

「酷い顔・・・」
  顔を洗おうと鏡を見ての、私の第一声はこれだった。
  でも、それも無理はない。
  メイド服は皺くちゃだし、元気が取り柄なのに表情は暗く沈んでいる。
  そして、目元は赤くなっていた。
「泣いてたのかな、私・・・」
  嫌な夢でも見たんだろうか。だとしたら、内容を覚えてなくて幸いだ。
  ・・・きっと。

「晩ご飯の準備、しなくちゃ・・・」
  休日でも、夕食の用意は基本的に私の役目だ。
  セバスさんは遅くなるって言ってたから、私と遥の2人分―――じゃないかもしれない。
(あの彩って子、まだいるのかな・・・)
  だとしたら、3人分用意しなきゃいけないのかな。
  ・・・イヤだな、きっと彩は私を嘲る。
  人並みには美味しい料理は作れるけど、あくまで人並みの腕前しかない。
  きっとあの子の家もお金持ちだし舌も肥えてるだろうから、
  私の腕では負け惜しみを引っ張り出すこともできないだろう。
  そんな彼女に、遥はどう反応するのか・・・。
  ・・・考えたく、ない。

(もう、今日は寝ちゃおうかな・・・)
  そんなメイドにあるまじきことを考えた時。

 バタンっ・・・

 ノックもなしに、部屋の扉が開け放たれる。
「・・・・・・・・・・・」
  そこに立っていたのは遥だった。
  いつものやや高圧的な視線に、僅かばかりの不機嫌な色を乗せて。

2006/11/12 To be continued.....

 

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