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ツイスター



1 『最後の日常』

「妹研究会」、略して「妹研(いもけん)」なる団体に引きずりこまれて一年近く。
簸川太郎(ひのかわたろう)は、いつものように部室の隅でマンガを読んでいた。
そして、やはりいつものように部員が激論を交わしているがかかわる気はさらさらない。

「妹といえば、微乳だろ」
「馬鹿、乳はあったほうがいいに決まってるだろうが。妹とロリは違うんだよ!」
「妹がロリじゃなきゃなんだってんだよ!」
「お前、妹萌えに擬態したロリ野郎だったのか、裏切り者!」
「やめろ!ロリでもなんでもいい。妹が好きならそれでいいじゃねえか」

かかわる気が失せるのもムリはなかった。
太郎は、妹研において唯一の妹持ちだ。そして、現実の妹は彼らが抱いているような
甘い妹幻想を打ち砕いてくれる。
つまり、太郎は妹萌えなるものを理解することができない。
そんな太郎がここにいるのは、妹研の部長であり、友人である山鹿(やまが)の意向だ。
現役の妹保持者を置いておくことは妹研にとって必要なことだと信じていた山鹿に、
強引に入部させられた。
そして太郎も、ばかばかしいとは思いながら、部室にある大量のマンガを目当てに入り浸っていた。

むろん、よりよい妹について研究する妹研究会などという団体を学校が公に認めるはずもない。
ここの表の看板は、「日本文化研究会」、略して「日文研(にちぶんけん)」だ。
建前の上では、妹研究は日本文化研究の一環ということになっている。あくまでも建前だが。
こんな団体でありながら学校から立派な部室をもらい、少ないながら部費ももらっていた。
その事実に、軽音楽部を掛け持ちしている太郎は怒りを覚えないでもなかった。
しかし、こうして自分も恩恵を蒙っている身であるし、山鹿にはそれなりの恩もあった。

もともとはまともだった日文研をこんな風にしてしまったのは、山鹿だ。
部員3人の弱小同好会に入り込み、怪しげな奴らを呼び込んで部へと昇格させ、
その功績で部長になった。
そしていつのまにか、日文研を妹研にしてしまった。早い話、部を乗っ取ってしまったのだ。
やっていることは実にくだらないが、その行動力と謀略術には目を見張るものがあり、
太郎はひそかに尊敬していた。
めがねをかけた顔はそれなりに整っていて、頭もよく、背も高いのでそれなりにもてるようだった。
それでも、「妹以外とは付き合わない」というポリシーのもと、一人身を通していた。
ちなみに、山鹿は一人っ子だ。頭はいいのに馬鹿だった。

「俺、そろそろ帰るわ」

マンガを読み終えたので、帰ることにする。
部員たちの言い争いを、コロシアムの観客のように眺めていた山鹿が、振り返った。
山鹿はいつものように、ずれてもいないめがねを直しながらいった。

「明日は軽音の日だろ」

太郎が掛け持ちしている軽音楽部、略して「軽音」の活動日は、月水金の週3日だった。
今日は火曜日だ。だから、明日はそっちに行くことになるはずだった。

「すまないんだが、明日もこっちに顔を出してくれないか。大事な用があるんだ」

妹研に入れられて以来、基本的にこちらがやることに不干渉だった山鹿が、
そんなことを頼むのは珍しい。
いや、山鹿が頼みごとをすること自体が珍しい。
だから、承諾した。思えば、そこで不審に思うべきだったのだろう。もはや後の祭りなのだが。

学校帰りに、スーパーによって買い物をした。夕食の材料だ。
太郎は、妹と二人で暮らしていた。だから、食事も自分で作らなければならない。
別に、暗い事情があるわけではない。ワインの輸入業者をしている両親が、
しばらく海外に行ったきりになっているだけのことだ。
太郎も妹もついていかなかった。二人はすっかりパリが嫌いになっていたので。
太郎の置かれているこの状況を、妹研の連中は典型的なエロゲ的シチュエーションだと羨ましがった。
だからといって、むろんエロゲ的イベントに恵まれるわけでもなく、太郎は相変わらず
童貞を守っていた。
山鹿ほどではないが顔も悪くないし、頭はよくないがギターが弾けて、妹がいるので
それなりに面倒見もよかった。
そういう自分がもてないはずがないと思いながら、異性と付き合った経験もなければ、
キスをしたこともなかった。
だからといって、妹に手を出すほど飢えてもいない。
一般的な高校2年生ほどには、飢えていたが。

家に帰って、「ただいま」と声をかけるが「お帰りなさい」はない。これもまたいつものことだ。
妹である一子(いちこ)は、リビングでテレビを見ていた。

「おそい!腹減った!すぐ作れ!」

帰ってきて最初にこれだ。太郎は、うんざりする。

「だったら、自分で作って食えばいいだろ」

「何いってんの。今日は、あんたの番でしょうが」

食事は、毎日交代で作ることになっている。家事は、大体交代で行っていた。一子のいうとおり、
今日は太郎の番だ。
妹研の連中のヴァーチャル妹なら、愛する兄のために全部やってくれるのだろう。
帰ってきたときには、「お帰りなさい、お兄ちゃん」なんていって。
そもそも、実の兄を「あんた」と呼ぶような妹は、連中の脳内にはいないはずだ。
しかし、現実は厳しい。連中に見せ付けてやりたかった。
いや、山鹿なら「それはそれでいい」なんていいかねなかったが。

とにかく、とっとと着替えて食事を作ることにした。
一子が怖いわけではなかったが、むやみに怒らせる必要もない。良好な人間関係のこつは、
こちらが一歩引いてやることだ。
手早く、野菜炒めと味噌汁を作る。それから、スーパーの惣菜コーナーで買ってきた
ジャガイモコロッケを加えて今日の夕食とした。

「おい、運ぶのぐらい手伝ってくれよ」

「いや」

一子はテレビにかじりついていた。仕方がないので、一人で皿を運んだ。
食事中に会話はほとんどなく、一子は相変わらずテレビを見ながら食べていた。
別に、いつものことなので気にはならない。

「ごちそうさま」

歌番組が終わったところで、一子は立ち上がった。そのまま、二階にある自分の部屋に行こうとした。

「おい、自分が食べたやつくらい運んでくれよ」

「いや」

そういって、どたどたと階段を駆け上がってしまった。仕方がないので、一人で皿を運んだ。
妹との暮らしは、かくのごとく乾いたものだ。ぜひ妹研の連中に味わってもらいたい。

昔はこうではなかったはずだ。兄妹仲はよかったし、一子は太郎をお兄ちゃんお兄ちゃんと
慕ってくれていた。
それがいつの頃からか、そっけなくなった。いや、学校が楽しくて太郎の方が
あまり構ってやらなくなったのか。
なんだかんだいっても山鹿は面白い男だし、軽音も面白かった。
しかし、だからといって今の仕打ちはないと思うのだが。
洗い物を終えてから、風呂に入り、そして自分の部屋で音楽を聴くのが、太郎の日課だった。
父親の影響からか太郎はプログレが好きだ。今では「King Crimson」を崇拝していた。
学園祭の出し物で、「21世紀の精神分裂病者」をやるのが太郎のひそかな野望だった。

翌朝、目覚まし時計にたたき起こされる。妹研の連中のヴァーチャル妹なら、
毎朝優しく起こしてくれるのだろう。
そして、心のこもった朝食を用意してくれているに違いない。
けれど、台所においてあったのはシリアルとシリアルボールだった。見事な手抜きだった。
仕方がないので、それを食べる。物足りなかったので、ジャーに残っていたご飯で
お茶漬けを一杯食べた。
一子は、もういってしまったようだ。一子のつかったボールが、流しで水につかっていた。
それと、自分のボールと茶碗を洗って、太郎も家を出た。

登校途中で、いつものように山鹿と合流した。これもまたいつものことだ。
ただひとつ違っていたのは、山鹿が、学生かばんのほかに大きなバッグを肩から下げていたことだ。
ずいぶん、重そうだった。しかもそこから、獣の匂いが漂っていた。
突っ込むのがいやだったので我慢していたが、校門付近でとうとう耐え切れなくなった。

「なんだそれは」

「いいものだ」

山鹿はにやりと笑った。それ以上答えるつもりがないらしい。
今日の妹研にそこはかとなく不安を覚えた。
ちなみに、クラスも山鹿と一緒だ。これは、一年生の時からそうだった。
そして、放課後。
ホームルームが終わって、教室を出ようとしたところを山鹿に引き止められた。

「どこへ行く。一緒に妹研に行こうぜ」

「いや、軽音に伝言だけ残していこうと思って」

そういうと、山鹿はこちらの目を見た後、解放してくれた。

「絶対に来てくれよな。頼むから」

そこまで執拗にされると、ますます不安が募る。
それを振り払うようにして、軽音に向かった。
軽音の部室は、妹研のように校舎内にはなく、グラウンドの隅にあるプレハブを部室にしていた。
夏は、とんでもなく暑くなったが、ここならいつでも気兼ねなく大きな音を出すことができた。
ちなみに今は春で、部室内も快適だ。部屋にはまだ誰も来ていないようだった。
「今日は、日文研に顔を出します。ごめんなさい。簸川」そうホワイトボードに書き残して、
今度は妹研の方に向かった。

妹研の部室の戸をあけて、太郎は固まった。
部屋の中央に、山羊の生首がおいてあったからだ。銀色の深い大皿の上にのっている。
作り物だと自分に言い聞かせようして失敗した。はっきりとした獣臭と血臭が漂ってきたからだ。
それは今朝方、山鹿のバッグからかすかに漂っていたのと同じものに違いなかった。

「よく来てくれたな」

いつの間にか太郎の正面に立っていた山鹿が肩をたたいていった。
太郎は、それを無視して、帰ろうとした。くるりと振り返ると、そこには二人の部員が
立ちはだかっていた。
帰す気はないようだ。

「まあ、待て。動揺するのはわかるが、落ち着いて話を聞いてくれ」

山鹿のその言葉に、体を向き直した。いわれたとおり、心を落ち着かせようとした。
そうだ、部室に山羊の生首が置いてあるだけだ。最近の高校ならよくあること。
しかし、山鹿が続けた言葉を聞いて、今度こそ帰りたくなった。

「これより、妹召還の儀を執り行う」

2 『妹、爆誕』

「これより、妹召還の儀を執り行う」

そう聞いて帰りかける太郎を、山鹿が引き止めた。

「まあ、待て。とりあえず話を聞いてもらおうか」

山鹿は、太郎を手じかにあったいすに座らせると、自分もその隣に座った。

「お前も日本人なら、日本が神代の昔より妹に萌えてきたこと、そして国の繁栄を呪術によって
支えてきたという事実を知っていよう」

初耳だった。

「妹と呪術、この二つが融合して生まれたのが妹召還の秘術、
そしてそれが記されているのが、これだ」

山鹿はそういうと、古ぼけた和綴じの本を見せ付けた。
ミミズがのたくったような文字が連なっている。
新月の日に山羊の首を13人の男たちで囲み呪文を唱えれば、男たちの妹念が凝り固まって、
理想の妹が召還される。
そう書いてあるのだという。

「なるほど、まあがんばってくれ」

太郎は、そういい残して帰ろうとした。山鹿が肩を抱えて再び引き止めた。

「まあ、待て。お前にはぜひこの召還式に加わってもらいたい。お前も知ってのとおり、
われわれの妹への思いはほとんど妄想だ。
妄想は純粋だが現実への浸透力に弱く、妹を現界させるのに心もとない。
そこで、現実の妹保有者であるお前の現実的な想念が必要なのだ」

言いたいことはわかった。しかし、太郎にはそんな荒唐無稽な試みに加わるメリットなどない。
そういおうとして、周囲の殺気立った様子に気がついた。ここでできないなどといえば、
何をされるかわからないほど、濃い殺気だ。
平和な人間関係を維持するコツは、こちらが一歩引くことだということを思い出した。

「わかった。やってやるよ」

部室の中央で、山羊の首を中心に、太郎と山鹿を含む13人の男たちが車座になった。
客観的に見て、ひどくシュールな光景だった。その一員であるという事実に、
太郎は悲しくなってくる。

「では、はじめるぞ」

本当にそれ以外の準備はいらないらしい。山鹿が、例の呪文とやらを唱え始めた。

「エロ妹(いも)エッサイム、エロ妹エッサイム、われはもとめうったえたり!」

それに応えて、残りの連中が唱和した。

「いあ、いあ!」

そんなことを二時間以上も続けていると、さすがに太郎も辟易してきた。
しかし、他の連中は一貫して緊張感を保ち続けていた。
なぜその熱意をもっとまっとうなことに向けられないのかと太郎がいぶかしんでいたそのとき、
やっと変化が訪れた。
山羊の首からぼこぼこと血が湧き出し、首全体がぶるぶると震えだした。
不気味極まりない光景だった。
召還されるのが、本当に妹なのかどうか疑わしくなってくる。

「やっと、来たな」

山鹿がそうつぶやいた。もう呪文を唱える必要はないらしい。

「さて、誰の妹になるのやら」

太郎も、さすがにそれを聞き流すことはできなかった。

「どういうことだ!誰の妹になるのかわからないのか」

「ああ、そういえばいっていなかったな。誰の妹になるのかはルーレット方式で決められる。
13人のうちの誰の妹として召還されるのかは誰にもわからん。運だ」

「ちょっと待て、それじゃあ何か。俺の妹になることもあるってか」

「そうだが、まあ13分の1の確率だ。安心しろ。・・・いや、結構高い確率か?」

それを聞いて山鹿に掴みかかろうとしたとき、山羊の首が血飛沫を上げて爆発した。
肉片や血飛沫をまともに浴びた連中が、車座を崩して逃げ惑う。幸い、太郎は無事だった。
やがて、血煙の中に人影があるのを発見した。次第に、その姿がはっきりとしてくる。
最後に現れた姿を見て、太郎は唖然とする。

「い、一子?」

その姿が、一子に酷似していたからだ。いや、そのままの姿だといってよかった。
つややかで短くそろえられた黒髪。少しつり目気味の大きな目。通った鼻筋。薄い唇。
そしてとがったあご。

「お兄ちゃん!」

そういって、少女が太郎に抱きついてきた。
そこで太郎が狼狽したのは、自分が兄にされてしまったからではない。
一子と同じ顔をしていただけに、むしろそれは自然に受け入れてしまっていた。
太郎を狼狽させたのは、少女が裸だったからだ。いくら妹と同じ顔でも、裸で抱きつかれて
平然としてはいられなかった。
わたわたとしていると、いつの間にか山鹿が立ち上がって太郎を見下ろしていた。

「そうか、簸川のものになったか。まあ、それもいいだろう」

あれほど妹に情熱を傾けていた山鹿が、自分の妹にならなかったことを冷静に受け止めているのを
太郎は意外に思った。

だが、他の連中は違ったようだ。

「おい簸川!ずるいぞ、もう妹がいるくせに!」
「世界中の妹を独り占めする気か!」
「この妹コレクターが!」

今にも、こちらに飛び掛らんとする勢いだ。その間に、山鹿が割って入った。

「やめんか、お前ら!誰の妹になっても文句はいわんと最初に誓ったろうが」

山鹿が周囲をにらみつけた。馬鹿なことはやっていても、こういうところは頼りになる。

「何、一度成功したことだ。また今度の新月の日にやればいい。それにこれは最初のケースだ。
何が起こるかわからん。
ならば、妹馴れしている簸川に任せてみるのもいいではないか」

そこまで聞いて、太郎は割り込んだ。

「ちょっと待て。実験台にするつもりか。それに、俺はこいつを妹にするなんていっちゃいないぞ!
俺にはもう妹がいるんだ、これ以上いるか!」

それを聞いて、太郎に抱きついたままだった少女が顔をあげた。目をうるうるとうるませていた。

「そんな!お兄ちゃんはわたしを妹だと認めてくれないの?」

「いや、そうじゃなくてだな」

そんな風に迫られると、毅然とした態度は取れない。
それが、少女が一子の顔をしていたからか、それとも裸で迫られたからなのかは、
太郎にもわからなかったが。

「あきらめろ簸川。受け入れてやれ。何、ほんの一ヶ月ほどだ」

「何だって?」

「そいつの寿命は、次の新月まで。つまり、一ヶ月だ。次の新月の晩を過ぎれば消えてしまう。
所詮、妄想の産物だからな」

太郎は、山鹿の言い草に腹を立てるのと同時に、自分に抱きついている少女を不憫に思った。
そして、こんな連中に任せるぐらいなら、自分で保護してやりたいと思ってしまった。
後で振り返ってみれば、これは山鹿の策だったのかもしれなかった。

ふと山鹿の背後を見ると、妹研の連中が少女の背中を、正確には少女のお尻の辺りを凝視しているのに
気付いた。
とっさに少女を後ろにかばって、自分の上着を羽織らせてやった。

「すまんな。気がつかなかった」

山鹿はどこからか取り出した服を太郎に手渡した。この学校の制服だった。

「俺たちは外に出ているから、着させてやれ」

不満の声を立てかけた部員たちを一睨みで黙らせると、そのまま彼らを引き連れて廊下へと出て行った。
太郎は、少女と二人で残された。すると、また少女が抱きついてくる。

「やっと二人きりだね、お兄ちゃん」

「ちょっと待て、何をする気だ!離れろ!服を着ろ!」

「兄と妹が二人きりになってするものなんて、ひとつしかないよ」

「馬鹿!それはどこの世界の兄妹だ。兄妹はそんなことしないんだよ!」

少女は、きょとんとした。

「そうなの?わかった」

太郎から離れると、立ち上がり、服を着始めた。太郎は、あわてて後ろを向いた。
どうやら、根本的なところで兄妹観に欠陥があるようだった。
おそらくは、妹研の連中の妄想が入り込んだ結果だろう。
もし連中の誰かの妹になっていたら。太郎はぞっとした。

「終わったよ、お兄ちゃん」

それを聞いて、体を向き直す。制服を着た少女は、ますます一子と瓜二つになっていた。

「でもね、下着がないんだ」

そういって、いきなりスカートを捲り上げた。初めて女のその部分を見て、太郎は噴出した。
顔を背けるが、目に焼きついてしまっている。うっすらと生えているやわらかそうな毛。
それが覆っている、ぴっちりとしたクレバス。

「馬鹿!スカート下ろせ、手を離せ」

そういいながら、どきどきがとまらない。
少女がスカートの裾を下ろしたのを確認して、太郎は廊下に向かって怒鳴った。

「おい山鹿!下着はどうした!」

着替えが終わったことを確認して、山鹿がばつの悪そうな顔をして入ってきた。
こんな顔をするのは珍しい。

「すまん、忘れていた。今買いに行かせる」

「いいよ、お兄ちゃんの家まででしょ。それまでだったらお兄ちゃんが守ってくれるし」

少女が、そんなことをいった。ずいぶん太い神経をしているようだった。あるいは羞恥心が薄いのか。

本人がそういうのであれば仕方がなかった。せめて、風でスカートがまくれたり
痴漢にあったりしないように守ってやろうと決意した。
そうと決まれば、ぐずぐずしていられない。この妹狂いの部屋に、ノーパンの少女を
いつまでも置いておくことはできなかった。
そのまま、つれて部室を出る。山鹿たちは残って山羊の血で汚れた部室を掃除するらしかった。
何かあれば連絡するようにと、山鹿が太郎の背中に声をかけた。

部室から出て、校門のあたりまで来て、とたんにそれまで喪失していた現実感が戻ってきた。
わけのわからない儀式に参加させられて、そこで召還した妹を押し付けられ、
自分の家に連れ帰ろうとしている。
状況に流されて、自分はとんでもないことをしようとしているのではないかと、太郎は思った。
確かに、あそこに少女を置いておくことはできなかったにせよ、うちに連れ帰るというのも
同じくらい出来かねることではないのか。
大体、本当の妹である一子にどう説明したものか、太郎には考えもつかなかった。
そんなことを考えながら家路についていたので、途中で下着を買うのを忘れていたことに、
家の前まできてやっと気付いた。

太郎がおそるおそる家に入ると、その後に少女が続く。
今日は、「ただいま」を言うこともできなかった。
奥に進むと、昨日と同じく一子はリビングでテレビを見ていた。太郎の気配に気がついて、
後ろを振り返った。
そして、太郎の後ろにいた少女の姿にも気付く。固まった。
自分とまったく同じ顔をしていたからだ。

「え、わたし?え?」

唖然としていた。その隙をついて、太郎が少女を連れて間近に近づき紹介する。

「この子は、新しい妹だ。ほんの一ヶ月の間だが、仲良くしてやってくれ」

「え?え?」

さらに混迷を深めているようだった。ムリもない。
太郎は、立て続けにお願いする。

「それから、お前の下着を貸してくれ」

それを聞いた瞬間に混迷から抜け出したのか、一子は太郎の頬を力いっぱいはたいていた。

3 『告白』

翌朝の通学路、山鹿は前方をとぼとぼと歩く太郎の背を見つけると走りよった。

「昨日の晩は妹の味を存分に味わったか?」

その声に、太郎は振り返る。ニヤニヤ笑い山鹿の顔を見ると、詰め寄った。

「お前、なんて奴を押し付けやがる!風呂に入ってれば押しかけてくるは、寝てればベッドに
裸でもぐりこんでくるは。今朝はおかげで一子の奴に変態あつかいされちまったんだぞ!」

それを聞いて、山鹿は実にうらやましそうな顔をした。
それを見て、そんな苦労を山鹿に訴えてもまったくムダであることを太郎は悟った。

昨晩、太郎ははたかれた頬を押さえつつ、一子に必死の説明をした。
しかし、「妄想から召還された妹を押し付けられた」などという説明に納得できるものなど
存在するはずがなかった。
ただ、必死の説明のうえ、その儀式の首謀者が山鹿であることを付け加えると、
一子はある程度納得したようだった。
一子と山鹿は、太郎を通して知り合っており、お互いがどういう人物かもよく知っていた。
特に、一子は山鹿の行動力と得体の知れなさをどこか尊敬しているような様子さえあった。
兄として、太郎はそれを面白く思ってはいなかったが。
山鹿の方はといえば、意外にも妹である一子に下心を抱いてはいないようだった。
それを問いただすと、「他人の妹に手を出すほど堕ちちゃいないよ」と笑った。山鹿は本気だった。
馬鹿なりに、筋の通った奴だと太郎は妙な感心をしたものだった。

そういうわけで、一子は新しい妹の出自についてはある程度納得した。
とはいえ、それと、彼女を家に置くこととはもちろん別問題だった。
一子は、当然のように反対した。一ヶ月の間であると説明しても、ムダだった。当たり前だ。
そんな気味の悪い出自の娘を家に置くことには誰だって躊躇するだろうが、
それに加えて、新妹の容姿が問題だった。
彼女は、一子と瓜二つなのだ。そして、その顔で兄である太郎に甘えまくるのだ。
それを見て、一子は鳥肌を立てていた。

結局、太郎は一子を買収することで決着をつけた。太郎にとって、それは少なくない金額だった。
しかも、「あんたが全部面倒みるんだからね!」などと、親が犬を拾ってきた子供に
言い聞かせるように念を押されてしまった。
もちろん、下着を借りることはできなかった。
昨晩のことを思い出しながら、太郎は山鹿に確認した。

「本当に、一ヶ月で終わるんだろうな!」

「ああ、次の新月の晩に消える。跡形もなくな」

最初にそれを聞いたときは、うかつにも同情してしまったのだが、今となってはその一ヶ月が
そうそうに過ぎるのを祈るだけだ。
それ以上は、とても持ちそうになかった。

「だから、今のうちに思う存分楽しんでおけ。一ヶ月で消えるんだから、中に出し放題だぞ」

そういった山鹿の頭がはたかれた。

山鹿によって妹研に所属させられてはいるが、太郎の放課後の主戦場は軽音にある。
本来、今日は活動日ではないのだが、昨日休んでしまった分を取り返そうと
軽音の方に出ることにした。
そもそも、今のような状況を生み出してくれた妹研にはしばらく顔を出そうとは思わなかった。
連中のことは忘れて一人でギターを弾きたいとプレハブの近くまで来て、
太郎は控えめなベースの音を聞きつけた。
それで、先客がだれなのかが分かった。太郎は、部室に入りながら声をかけた。

「よお、伊勢。来てたのか」

案の定、部室でベースを弾いていたのは一年生女子の伊勢東子だった。
伊勢は、めがねと広いおでこがチャームポイントの娘だ。長い髪をバンドであげて、
おでこを出していた。
世話好きで、他人に物怖じしない性格は、どこか委員長的な雰囲気だと、太郎は勝手に判断していた。

「今日は、先輩」

伊勢は、手を止めて、太郎に笑顔で応えた。
伊勢を軽音に勧誘したのは太郎だ。一見、軽音の演奏などに興味のなさそうな伊勢が、
モノ欲しそうな顔をして勧誘の張り紙を見ていたのを誘ったのだった。
最初は固辞していた伊勢を、太郎が半ば強引に引っ張りこんだともいえる。そしてそれは正しかった。
彼女は、かなりの腕前のベース弾きであり、しかもプログレファン愛好家でもあった。
それ以来、太郎は伊勢の面倒をよく見ており、伊勢も太郎によくなついていた。
このままいけば、もしかすると付き合うことになるかもしれないと、太郎は何となく考えていた。
こちらから告白する気はなかった。それは若さゆえの臆病だけではなく、伊勢のことを
本当に好きなのかどうかわからないということも理由だった。
とはいえ、「本当に好き」ということがどういうことかも太郎は分かっていないのだが。
ともかく、伊勢が太郎にとって気になる存在だということは確かだった。そしてそれは
一方的なものではなかった。

「少し、あわせてみませんか」

伊勢がそういうので、しばらく二人で合わせて弾いた。
伊勢は、太郎のギターをしっかりと支えてやり、太郎は、伊勢のベースを引っ張ってやる。
息のあった演奏に太郎は、「絶対に外にでるな」と言い聞かせて家に残してきた爆弾娘のことを
この間だけは忘れていた。
やがて演奏が終わると、伊勢は自分の肩をとんとんと叩いた。

「肩、こるのか?」

そういってしまった後で、太郎は自分のうかつさを呪った。
なぜなら、それを伊勢にいうのはセクハラぎりぎりの行為だと知っていたからだ。
伊勢のチャームポイントは、めがねとおでこだけではなかった。
最大のチャームポイントは別にあった。
それは、暴力的ともいえる胸の大きさだ。ベースを弾くのに邪魔になるほどだった。
とはいえ、太っているわけではない。むしろ、細身だった。それだけに、胸の大きさが
強調されてしまう。
そんな胸の大きさを、伊勢が気にしているのを太郎は知っていた。それなのに。

「揉んでやろうか?」

なぜか、太郎はそんな言葉を続けてしまっていた。おそらく、肩>胸>揉むという連想が
はたらいて口走ってしまったのだと自己分析した。
太郎はもちろん失敗したと思ったが、意外にも伊勢は笑っていった。

「本当ですか?」

そういわれてしまっては、もう揉むしかなかった。もちろん、肩をだ。
肩に手を置くと、その小ささに太郎は驚いた。まるで壊れ物を扱うように、やわやわと肩を揉んだ。
伊勢は、くすぐったそうなそぶりをしながら、時たま「んっ」などと色っぽい声を漏らした。
そのたびに太郎はびくっと一時停止する。
そんなことを続けているうちに、暑くなってきたのか伊勢が胸元をパタパタとやりだした。
普段、優等生然としている伊勢が、男が真後ろにいるのにそんなことをしだすということの不自然さに
太郎は気付かない。
ただただ、目の前の光景に釘付けになっていた。現れては隠れ、隠れては現れる胸の谷間に。
いつの間にか、肩を揉んでいた手も止まっていた。それに気付いて、太郎はうろたえた。
もはや、いいわけの聞かないセクハラ行為だ。

「じゃ、じゃあ、こんなもんで。そ、そろそろ帰ろうかな?」

そそくさと伊勢から離れると、かばんもギターも置いたまま部室を出ようとした。
その太郎の袖を、伊勢が掴んでとめた。太郎がつんのめりつつ振り返ると、伊勢は立ち上がっていた。

「先輩、意気地がないですよ?」

そういうと、いきなり太郎の唇に、自分の唇を押しつけた。
十秒ほどして太郎はこれが自分のファーストキスであることに気付き、さらに十秒ほどしてから
伊勢は唇を離した。
いつもの伊勢からは予想もつかない攻撃だった。太郎が、それを伊勢と同じ顔をした
まったく別の人物かと思ってしまったほどだ。
もちろん、そんなことはない。

「ずっと好きでした。付き合ってください」

太郎は、ほとんど自動的に「うん」といってしまう。
それは、不意打ちを食らって状況判断ができなかったせいでもあるが、元気になってしまった
ズボンの中のせいでもあった。
キスをされたときに押し付けられた胸の感触が、肯定以外の返答を禁じていた。
それを聞くと、伊勢はうれしそうに笑った。そして、顔をあげ、目を閉じた。
それがなんのサインかぐらいは、太郎も知っていた。それに応えてやる。
予想外だったのは、伊勢の舌が太郎の歯をなぞり、空いた隙間からそれを
ねじ込んできたことだけだった。
伊勢の小さめの舌が太郎の舌をちろちろとなめる。太郎もぎこちなくそれに応えた。
「女の子の舌って甘いんだなあ」などとぼんやり思いながら、太郎は応え続けた。
やがて、西日が部室に差し込んできた。

伊勢を帰り道の途中にある自宅に送ってから、
太郎はじわじわと沸き起こってくる幸福感を感じていた。
初めて女の子に告白され返事をし、初めて付き合うことになった。しかも、初めてのキス付だ。
初めてのそれは、決してロマンチックなものではなく、むしろセクシャルな快感を与えてくれた。
これからは、もっとすごい体験をすることになるだろう。
意外にも、伊勢は積極的な娘だった。もちろん、それで伊勢に幻滅したりするはずもなかった。
もしかしたら、「初めて」ではないのかもしれないと太郎は感じたが、
あの伊勢が「体験済み」という想像はむしろ興奮を掻き立ててくれた。
すごくエッチな子なのかもしれない。そう考えて、太郎は一人で勃起した。

だが、その幸福感も、自宅の前まで来てたちまちなえてしまった。
ここには、まだ名もないあの自称妹と、兄を兄とも思わない粗暴な実の妹がいる。
それを思い出してげんなりするのをこらえ玄関のドアを開けると、
太郎は実にいいにおいをかぎつけた。
今日の食事当番は、自分のはずだったがと思いながら台所に行くと、そこにいたのは一子だった。
まさか、一子が自分の代わりに食事を作るなどとは考えなかった。一瞬目を疑う。

「おかえりなさい、お兄ちゃん!」

それを聞いて、太郎はその娘が例の自称妹であると気付く。
キッチンのテーブルには、たくさんの料理が並んでいた。どうやら、彼女が作ったものらしかった。
それについて質そうとしたとき、一子が台所に飛び込んできた。
珍しく機嫌がいいらしく、笑っていた。

「すごいんだよ、次子!こんなごちそう久しぶり!」

一子のその機嫌のよさも気になったが、何より初めて聞いた言葉が気になった。

「何だ?次子って」

「だって、この子名前ないんでしょ?だから、付けたの。わたしの次の妹だから次子」

安直な命名だった。

「いいのか?お前はそれで」

「うん。お兄ちゃんの名前は太郎だし。それに一子ちゃんが付けてくれたから」

いつの間にか、仲良くなっていた。

テーブルの上には、必ずしも豪華というわけではないおかずが並んでいた。定番のおかずだった。
しかし、注目すべきはその量だった。7種類のおかずが並んでいる。
太郎が作るにしても、一子が作るにしても、いつも1品か2品が並ぶだけだった。
どうしても味気ない食卓だった。
この料理の数々を見て、一子が喜ぶのも無理はなかった。しかも、検分という名のつまみ食いを
してみたところ、実に美味だった。
太郎も、これには少し感動してしまった。
このときばかりは、「妹は料理が得意でなければならない」という妹研の連中の妄想に感謝した。
しかもそれだけでなく、次子は一子のするはずだった家事のほとんどを代わって行っていた。
もちろん、完璧な仕事ぶりだった。
それを聞いて、太郎は一子が次子に気を許している理由を理解した。

次子の方は、もともと一子に隔意はないようだった。
一子が一方的に次子を嫌っていただけであり、一子が歩み寄れば二人はうまくいく。
実際、今の二人はまるで実の姉妹のようにさえ見えた。
次子が、なべを火にかけたまま太郎に抱きつこうとすると、それを一子がとめた。

「だめだよ、次子。こいつは変態なんだから」

そういって、次子を太郎から引き離した。ますます本当の姉妹、しかも双子の妹のようだった。
もちろん、それを見て太郎が残念に思うはずもなかった。
唯一にして、最大の懸念材料だった次子と一子がうまくいき、
しかも一子が次子の暴走を止めてくれる。
願ったりかなったりの状況だった。
そして自分は伊勢に告白されたばかりなのだ。
太郎が、幸福感に酔いしれるのも無理はなかった。

4 『妹水入らず』

翌週月曜日の通学路、山鹿は前方をこの前とはうってかわって幸せそうに歩く太郎の背を
見つけると走りよった。

「どうした、とうとう禁断の味を知ってしまったのか?」

その声に太郎は振り返った。にやけていた。
その顔を正すと、山鹿の両肩に手を置き顔を寄せていった。

「いいかげん、まっとうな道に戻れ。恋愛はいいぞ。世界がばら色に見える」

「本当にどうしたんだ?おかしいぞお前」

「まあ、お前にはいっておいてもいいだろう。何を隠そう、俺は伊勢東子と付き合うことにした。
知ってるだろう、軽音の一年生。二年の間でも結構有名だからな」

少し考えて、山鹿がいった。

「ああ、あの巨乳の娘か。妹学的見地からすれば、あれはよくない。やめておけ」

「妹狂いもいい加減にしろよ。そんなんじゃあ、大人の男になれないぞ」

すでに大人の階段を上ったかのような太郎のそんな言葉を聞いて、山鹿は鼻で笑った。

「大人の男とは、女と寝た男のことか。だったら俺はそんなものにはなりたくないね。
俺は女ではなく、妹が抱きたいんだ」

そういうと、山鹿はポケットから小さな袋を太郎に投げてよこした。太郎は、あわてて受け止めた。
コンドームだった。

「大人の男なら、必要だろう。とっておけ」

「なんでお前がこんなもん持ち歩いているんだ?」

「いつどこで妹と出会ってもいいようにな。兄としての心遣いだ」

山鹿はそういって、ニヒルな笑みを浮かべた。改めていうまでもなく、山鹿は一人っ子だ。
明らかに馬鹿な気遣いだった。
そんな山鹿が妙に格好よく見えることに腹を立てつつも、太郎はありがたく頂戴することにした。
今日、それを使えることを祈って。

先週の土曜日は、一子を連れて、次子の服を買うのに潰された。
早速伊勢とデートしたいと思わないでもなかったが、次子はともかく、
一子と出かけるのは久しぶりで、太郎もまんざらではなかった。
一子と次子の二人は、まるで仲のいい双子のように腕を組んで歩いていた。
これほど似ている双子も珍しいだろう。
違いがあるといえば、若干次子の方が一子よりも柔らかい雰囲気を漂わせている程度だ。
すれ違う人たちがみな、二人を見ていた。かわいい双子が腕を組んで歩いていれば、
誰だって振り返るだろう。
一子は、そんな風に注目を浴びるのが楽しいらしく、終始ご機嫌だった。

下着と何着かの服を買った。費用は、二人の生活費として両親が用意してくれた金でまかなった。
サイズは一緒なのだから、下着はともかく服は着回せばいいと太郎は思ったのだが、
一子は次子に服を買ってやりたいようだった。
それが、自分の服を貸すのがいやなのか、単純に好意からそうしたいのかは、
太郎には分からなかった。
案外やさしい気質の一子が、太郎がそうだったように次子の一ヶ月の寿命という境遇に
同情したのかもしれなかった。

一子が次子のコーディネートをしてやる。適当な服を見繕っては、試着室の次子に渡していた。
その時点では、太郎ができることは何もない。しかし、最終決定を下すのは太郎だった。
つまり、「お兄ちゃん、これ似合う?」と聞かれ、「うん、かわいいよ」と応えることで、
購入が決定されるのだ。
一子は、それが多少面白くないようだった。
しかし、一子の選んだものに太郎から文句があるはずもなく、結局は一子が選んだもので固められると
その機嫌も直った。

太郎が一子とこんな休日を過ごすのは、本当に久しぶりのことだった。
太郎も、一子のぶっきらぼうな態度にへきへきすることはあっても、
別に彼女を嫌っていたわけではなかった。
昔のようにとはいかないまでも、少しでも仲良くできたらとは思っていた。
きっかけがなかっただけだ。
そのきっかけを、次子が作ってくれた。そして、料理が得意で、掃除も、洗濯もできる。
裸で太郎のベッドにもぐりこむのを叱ってからは、毎朝やさしく起こしてくれる。
確かに、次子は理想の妹だった。
それは、太郎にとってだけでなく、太郎と一子の二人にとってもそうだった。
もともと、二人は仲のよい兄妹だった。
それが昔の行き違いから距離が離れ、両親が海外に行ってから二人の間に立つ人間が
いなくなってしまい、よそよそしい関係が続いてしまった。
次子が来たことで、それも変わりつつあるように太郎は感じた。次子に感謝していた。

ふと気がつくと、次子を試着室に残して一人になった一子が白い帽子を見ていた。
次子に選ぶつもりなのかと思いきや、自分でかぶった。
そうして、鏡を見ながら合わせて微笑み、また店頭に戻した。
太郎はそれを見て、何となくそれを買ってやりたくなった。いつもなら、照れくさくて、
あるいは一子に拒否されるのが怖くてそんなことはできなかっただろう。
まして、今は一子の買収に使ったせいで、残りの小遣いは多いわけではなかった。
だが、今の雰囲気が太郎を踏み切らせた。

「買ってやろうか、それ」

「え?」

やはりいつもの一子なら、それがどれほど気に入ったものであっても拒んでいただろう。
だが、一子は素直にその申し出を受けた。言い出した太郎がうろたえたほど自然に。
太郎が金を払い、帽子を一子に渡した。一子は、それを照れくさそうに受け取った。
そして、それが兄から買ってもらったはじめてのものだといういうことに気付いた。
誕生日だろうが、クリスマスだろうが、太郎が一子に何かを贈ったことなど一度もなかった。
そういうものは、親からもらうものだと思っていたからだ。
しかし、何でもない日である今日、太郎は一子に初めての贈り物をした。
それもやはり、次子がもたらしてくれたものだ。

「ども」

一子が、赤い顔をうつむかせながら聞こえるか聞こえないかぐらいの声で太郎にそういった。
それを聞いて、太郎は改めて自分のしたことが恥ずかしくなり、そっぽを向いた。
だから気がつかなかった。
次子がその様子をじっと見ていたのを。

そんな、山鹿が泣いてうらやましがりそうな雰囲気を味わった次の日の日曜日には、
太郎の気分はすっかりセクシャルモードに切り替わっていた。
伊勢と、CD屋と楽器屋を回るという、軽めのデートをしたのだ。金がないので、仕方がない。
妹たちと出かけるのもそれなりに楽しいが、やはり恋人とのデートにはかなわない。
そこで、太郎は自分の個人史に残るであろう経験をした。
デートの終わりに、公園に寄り、そこで伊勢の胸を触ったのだ。

キスをしながら、思わず右手が伊勢の胸に伸びていた。
どさくさに触ったはいいが、そこからどうすべきかが分からない。
何かおかしなことをして、伊勢に嫌われるのを太郎は恐れた。
そうして太郎が固まっていると、伊勢が自分の手を太郎の右手に重ねて、自分の胸に押し込んだ。

想像していたよりも、ずっと柔らかかった。「マシュマロのよう」という陳腐な言い回しがあるが、
まさにそれだった。
バレーボールサイズのマシュマロだ。その柔らかさは、ブラウスの上からでも十分に分かった。
どこまで柔らかいのか確かめるかのように、ぎゅっと強く握ると伊勢が鼻から声を漏らした。
それは、苦痛ではなく、快楽のしるしだった。
太郎は、たまらなくなってブラウスの下に手をもぐりこませようとした。
きっと、乳首が立っているに違いない。そう思うと、いても立ってもいられなかった。
だが、伊勢が今度は太郎の手を自分の胸から引き離した。

「ここじゃダメです。人に見られるかも」

そういわれて太郎は、この場が、今は誰もいないとはいえいつ誰が来てもおかしくない
普通の公園であることを思い出した。
猿のようにところかまわず盛ってしまった自分を恥じて、太郎は顔を赤くした。

「す、すまん」

「いいんです。誰も来ないところならわたしだって」

そういわれて「家に来ないか」と誘おうとしたが、それがいかにもがっついている印象を与えそうで
太郎は躊躇した。
そんな太郎の躊躇をさっしたのかどうか、伊勢がいった。

「先輩のおうちって、プログレのレコードとかCDがたくさんあるんですよね。
明日見に行っていいですか?」

確かに、太郎の自宅には父親が置いていったコレクションが大量に保管してあった。
もちろん、それが口実に過ぎないことぐらいは太郎にもわかる。伊勢の「やる気」を感じた。
一日を置いたのは、もろもろの準備のためなのではないかとすら太郎はかんぐった。
断る理由など、あるはずもなかった。
伊勢を家まで送り、翌日のことを思っていきり立ちながら自宅に帰った。

「お兄ちゃん、お帰りなさい」

実は、玄関に迎えに出てきた次子の声を聞くまで、太郎は次子の存在を忘れていた。
一子の部屋は太郎の部屋から離れているし、基本的にはお互いに不干渉なので、
ことの最中に踏み込まれることなどないだろう。
しかし、次子は危険だった。客間を自室として使わせているが、
たびたび太郎の部屋に転がり込んでくる。
ことの最中に押しかけてくるかもしれない。
いや、下手をすると積極的な妨害を仕掛けてくるかもしれない。
次子の目を盗んで、ことに至るのはムリだろうか。だが、ペッティングくらいなら可能かもしれない。
仕方がない、それだけでもよしとするか。いや、それだけでも童貞の自分には十分な収穫だと、
太郎は自分を無理やり納得させた。

次子が太郎の腕に絡んできた。太郎の腕に、自分の胸を押し付けてくる。
その胸の感触に、ついさっき触っていた伊勢のものを思い出してしまった。勃起した。
次子の胸は、伊勢のものよりもずっと小さく見える。だが、それが着やせしているためだと
太郎は知っていた。
意外に大きいことを、召還時や、風呂場での騒動で太郎は確認していた。
今腕に感じている感触は、それが間違いないことを教えていた。
たしかに、伊勢ほどではないにしても。
そんなことを考えていると、次子が太郎の手を自分の胸に当てようとしているのに気がついて、
あわてて身を引き離した。

「なにすんだ、馬鹿!」

「触ってくれないの?お兄ちゃん」

「どこの世界に、兄に自分の胸を触らせる妹がいる!」

油断しているとすぐこれだ。

「大きい方がいいの?」

なみだ目でそう聞かれて、太郎はぎくりとした。
まさか伊勢のことを言っているはずはない。ただの偶然だろう。そう太郎は片付けた。

「い、いや、手にちょっと余るくらいのも俺は好きだぞ」

「なにいってんの、あんたはあ!」

太郎は、次子の後ろから突然現れた一子の蹴りを食らって倒れた。
それが、昨日のことだった。

5 『濡場と妹と』

月曜日は軽音の活動日だ。
だから、当然のように放課後には校庭の隅にある軽音の部室に向かうことになる。
夏が近づくにつれ、部室のあるプレハブの中はしだいに暑くなってくる。
まだ夏とはいえないが、今日のように晴れた日には、しめきっていると汗がにじんでくるほどだ。
だから、戸を開け放して練習することになる。
その開いた戸の影から、伊勢が顔をのぞかせた。

「今日は、先輩」

太郎が手を上げて応える。

「よお」

伊勢が、太郎の隣に座った。どこか、いいにおいが漂ってくる。
それだけで、太郎は自分の胸が高鳴るを感じた。
きっと、この高鳴りは、恋心というよりは性欲に引き起こされたものなのだろうと太郎は思う。
だからといって、自分は不純であるなどと卑下したりはしない。
現実とは、こんなものなんだろうと太郎は割り切っていた。
伊勢が求めるものが、純愛であったのなら太郎も罪悪感を抱いていたかもしれないが、
むしろ伊勢の方がそっち関係には積極的なのだから、遠慮する必要はなかった。

やがて、他の部員が集まりだした。
常に集まる部員は、5人しかない。他は、やめていたり幽霊部員だったりした。
部長の課してくるわりと厳しい練習に、
軽いのりで入ってきた連中が耐えられなかったのが原因だった。
毎年、入部者を絞っていたことで、もともとの人数が少ないといこともあった。
ちなみに、伊勢はその中で紅一点だった。
その伊勢を、ほかならぬ自分がゲットしたという事実は、
太郎を少なからず得意な気持ちにさせてくれる。

今日の予定は、学園祭で行うライブの曲目を決めることだった。
もちろん、太郎は「21世紀の精神分裂病者」を推した。それに、伊勢も賛同する。
この時のために、太郎は部員たちにCDを貸してやりながら、根回しを進めていた。
その太郎の行動を予見していたのか、部長が苦笑しながらいった。

「まあ、いいけどさ。難しいけど、練習してやれないこともないだろうし。でも、誰が歌う?
俺、日本人がしょっぱい発音で洋楽歌うのってなんかいやなんだよなあ」

「わたしが歌います」

伊勢がいった。そういうように、太郎が伊勢に要請していたのだった。
何を隠そう、伊勢は帰国子女だ。日英のバイリンガルだった。
わずかだが、外国人の血が混じってもいるらしかった。
それも、伊勢が性的に積極的な理由なのだろうかと、太郎は頭の隅で思った。

「でも、元歌は男だろう?しかもかなりハードな」

「大丈夫ですよ。俺、伊勢に歌わせたことありますけど新鮮でいい感じでした」

渋る部長に、太郎が後押しした。
結局、二人に押される形で部長は承諾した。太郎のさしあたっての野望がひとつかなえられたわけだ。
伊勢と顔を見合わせて、笑った。
残りの曲は、もっと簡単で聴きやすい日本の曲に決定した。

伊勢を連れて自宅に帰ると、案の定、次子が出迎えに来た。

「お帰りなさい、お兄ちゃん」

やはり、こうして帰宅のたびに出迎えてくれるというのはいいものだ。
たとえ、今日に限ってはいて欲しくなかったとしても。
次子は、太郎の横に立っている伊勢に気付き、不思議そうな顔をした。
伊勢の方は、平然としたものだ。彼女は、同級生である一子のことを知っていた。

「あ、簸川さん、お邪魔します」

「いや、ええと、一子じゃないんだ。こいつは次子っていって、まあ、一子の双子の妹で、
つまり俺の妹なんだ」

今度こそ、伊勢は驚いた。
同級生に、双子の姉妹がいればすぐに話題になっていただろうが聞いたことがないし、
そんな子が転校してきたという話も聞いたことがなかったからだ。

「ああ、事情があって学校には行かせてないんだよ」

そういうと、伊勢は次子に関して特に追求してくるそぶりもなかった。
何か、深刻な方面に誤解したのだろう。
まさか、召還された妹であるなどと説明するわけにもいかなかった太郎には、
その誤解はありがたかった。

「ご飯は今から作るから、ちょっと待っててね」

次子がそういうと、太郎の目が光った。

「そうか、じゃあお前はそっちに集中していてくれ。伊勢は俺がもてなすからかまわなくていい。
ちなみに一子は帰っているのか?」

「ううん、まだみたい」

それだけ聞くと、太郎は伊勢の手をとって自分の部屋へ向かった。

「本当に、かまわなくていいからな」

そう、次子にいい含めながら。

自分の部屋へ入ると鍵をかけた。そんな、あからさまな行為をしてしまったことを恥じながらも、
太郎は躊躇しなかった。
伊勢を抱き寄せて、キスをした。そして、昨日と同じく胸に手を当てる。
話は、帰り道で十分にした。その間中、太郎は悶々としていた。
帰ってから行うことを想像して勃起さえした。
もう、我慢はできなかった。
ブラウスをたくし上げて、その下に手をいれた。伊勢の腹の部分に手が当たり、
太郎はその暖かさを感じ、伊勢は手の冷たさを感じてびくりと反応した。
そのまま手を上げると、幾分固いものに触れる。ブラジャーだった。
さすがにそこで躊躇してしまう。伊勢から、唇を離した。

「あ、あの、その」

「手、入れてください」

伊勢が、わずかに上気した顔でいった。色っぽい表情だった。淫蕩ささえ感じさせる。
その言葉と伊勢の雰囲気に勇気を得て、太郎はブラジャーの下に手をもぐりこませた。
ブラジャーの中は、少しだけ汗ばんでいた。その生暖かく柔らかいものを揉んだ。
そのたびごとに、伊勢は「ん、ん」と熱い息を漏らした。
少しずつ手の平を押し上げてゆくと、やがて固いものに触れた。乳首だった。固くとがっていた。
太郎は、自分のモノに負けず劣らずに勃起しているそれに、ひどく興奮した。
もう手のひらは、かなり湿っていた。それが、太郎から出た汗のせいなのか、
伊勢の乳房から出たものなのかは分からない。
きっと、両方なのだろう。それなら、恥ずかしいこともないと、太郎は思った。

太郎は、キスをしながら、あまっていた左手を今度はスカートの中に入れた。
太ももに触れると、伊勢は少しびくついたが、そのままなすがままになでられた。
太郎は、そのすべすべとした感触に感激しながら、少しずつ左手を太ももの内側に寄せていった。
それを感じると、伊勢は自分から股を開いた。

伊勢は、きっとそうするだろうと太郎は予感していた。そのまま、隙間に手を差し入れる。
そうして、太ももの内側をなぞり上げながら、ショーツに覆われた股間に触れた。
そこにわずかな湿りを感じると、太郎はもうショーツの上から触ってなどいられなかった。
ショーツの下に指をねじ込んだ。伊勢が、またもびくりと動いた。太郎から唇を離して、声を上げた。
それにかまわず、太郎は割れ目に指を差し入れた。
指の先を差し入れて、太郎はそこが予想以上に潤っているのを知って驚いた。そして熱い。
粘り気のある湯の中に、指を入れているような感触だった。
太郎は、恐る恐る、指を奥へと差し入れていった。飲み込まれる。

伊勢は、痛がるようなそぶりをまったく見せていない。
ただ、目を瞑って、自分の胸と股間に意識を集中させていた。
太郎がそこを刺激するたびに、「あ、あ」と短く声を漏らした。
顔は赤く染まり、目は潤み、ひろいおでこに汗が浮かんでいた。
自分の作業に没頭していた太郎は、伊勢のそんな様子に気付いている様子はなかったが。

やがて、中指の第二間接までが、伊勢の中に飲み込まれた。
太郎がそこで指を手前へ曲げると、伊勢はひときわ大きい声を上げて太郎に抱きつき、
その胸に顔を寄せた。
そのまま、ベッドに倒れこんだ。
夢中になっていた二人は、ずっと立ったままだったのだ。
倒れた拍子に伊勢から抜けてしまった指が外気に触れて、冷たくなっていた。
太郎に覆いかぶさる形になっていた伊勢が、少しだけ体を起こし、二人の間に隙間を作った。
そして、太郎の股間にズボンの上から触れた。太郎は、そのわずかな感触で
思わず射精しそうになるのを堪えた。
そのとき。

「お兄ちゃん!あけて!」

ドアを叩く音がした。二人の体が一瞬硬直する。
そのショックで、太郎はせっかく堪えていた精を漏らしてしまっていた。
それを情けなく思う間もなく、太郎はベッドから身を起こし、
ドアの向こうに答えなければならなかった。

「い、いや、今ちょっと忙しいから」

「いいから、あけて!」

どんどんとさらにドアが叩かれた。
ここはもう、一度あけてやってから追い返して続きをするしかないと、太郎は覚悟を決めた。
伊勢の方は、すでに身なりを整えていた。すばやい。
太郎が、ひとつ深呼吸をしてドアを開けてやると、お盆にグラスを二つ載せた次子が
ニコニコしながら立っていた。

「飲み物もってきたんだ。のどかわいたでしょ?」

そういわれて、太郎は興奮のあまりひどくのどが渇いていることに気がついた。
次子は、くんくんと鼻をならした。

「なんか生臭いね。何してたの?」

太郎は、それを聞いて濡れていた左手を体の後ろに隠した。

「い、いいから。飲み物渡して、お前は早く夕飯の方に戻ってくれ」

そんな太郎の言葉を聞いているのか聞いていないのか、次子が部屋に入ってきた。
ベッドに腰掛けている伊勢に、友好的な雰囲気でいった。

「飲み物はアイスティーでいいよね。伊勢さん」

 

太郎とは対照的に、伊勢は平静を保っていた。
男として、先輩として、太郎は少しばかり悔しさを感じた。
次子は、伊勢にアイスティーのグラスを渡し、太郎にはコーラのグラスを渡すと、
そのまま部屋の真ん中に腰を下ろした。
太郎が出て行くようにいおうとすると。

「伊勢さんに、紅茶の感想を聞きたいんだ。いいでしょ、お兄ちゃん」

ならばと、伊勢はごくごくと豪快にアイスティーを飲み干した。ニッコリ笑っていった。

「おいしかったです。ありがとうございました」

それを聞くと満足したのか、次子は空のグラスを受け取って部屋を出て行った。
太郎は、それを見届けてから、再びドアに鍵をかけた。
そして、自分もコーラのグラスを空にしてから、伊勢の横に腰掛けた。
このくらいの妨害で、また一回不本意な射精をしたくらいで気持ちがなえたりはしなかった。
太郎の興奮は今でも持続していた。

伊勢の腰に手を回し、乾きつつあった左手を、少し膨らんだ下腹部に沿って、
ショーツの上からもぐりこませた。
すると、先ほどは感じなかった柔らかい陰毛に触れた。
そして、割れ目の起点にある固めの突起に触れた。
それがクリトリスだと知っていた太郎は、そこを弄りはじめた。伊勢は、甘い声を漏らし始めた。
しかし、しばらくして伊勢が太郎の手を止めた。顔をしかめていた。
何か、まずいことをやってしまったのかと太郎がびくびくしていると。

「あの、わたし、その、おトイレに」

性的興奮とは違う意味で顔を赤くしながら、伊勢がいった。
太郎がショーツから手を抜きトイレの場所を教えてやると、伊勢はそそくさと部屋を出て行った。
少しあっけにとられていた太郎はそれを見送ると、自分のポケットに手をいれて
コンドームの存在を確かめた。
今日は、本当にこのままいけるかもしない。そう思って、太郎は興奮を持続させた。
トイレにしては長い時間をかけて、伊勢が戻ってきた。その顔はさっきまでとは逆に、青ざめていた。

「あ、あの、すみません、わたし、あの、帰ります!」

そういい残して、一秒たりともここにはいられないかのように、どたどたと階段を駆け下りていった。
ばたんと玄関のドアが閉められるのが聞こえた。そして、静寂が降りた。
太郎は、今度こそ本格的にあっけにとられていた。
やはり自分が何かまずいことをやってしまったんじゃないか、性急すぎたのではないかと、
5分ばかりぼんやりと考えていた。
猛烈な後悔が襲ってきた。漏らした精液の冷たさが、自分の惨めさをさらに引き立てた。
のろのろ立ち上がり、空になった自分のグラスを持って台所へ降りていった。そこには次子がいた。

「あ、お兄ちゃん。ありがと。伊勢さん、帰っちゃったんだね。
あわててたけど、どうしたのかなあ?」

次子が、かわいらしく首をかしげた。

「ああ、うん。ほんとどうしたんだろ」

太郎は、それにぼんやりと応えた。
次子は、下剤の入っていた袋をポケットにいれたまま、朗らかに微笑んだ。

「もっとゆっくりしていけばよかったのにねえ」

6 『団欒とでこ射』

伊勢に逃げられてしまった翌日、太郎は久々に妹研に顔を出していた。
毎度のように繰り広げられている妹談義に耳を貸すこともなく、
哀愁漂うメロディーを持ち込んだギターでかき鳴らしていた。
山鹿が見かねて、声をかける。

「一度失敗したくらいでどうした。お前は初めてなんだから仕様がない。おまけに相手は他人なんだ。
妹とは違うんだからな」

そんな山鹿の言葉にも、太郎は無反応だ。ただ、うつろな目でギターをかき鳴らす。
山鹿が肩をすくめたとき、部室の戸が開かれて、こんなところに来るはずのない顔がのぞいた。

「おい、簸川。客だ。うわさの伊勢さんが来たぞ」

山鹿がそういうと、太郎はすぐさま顔をあげ、戸からのぞいているのが伊勢の顔なのを確認した。
会いたかったが、会いたくないような気持ちもする。一言でいって、気まずかった。

「先輩、今、いいですか?」

伊勢がそういうので、太郎はギターを置き腰を上げた。
話があるという伊勢の後について、軽音の部室へと向かった。
無人の部室に入ると、伊勢は頭を下げた。

「昨日はすみませんでした。あの、昨日は急に体調がわるくなっちゃって」

何を言われるのかとびくびくしていた太郎は、それで救われた。
少なくとも、昨日は自分に非があったわけではないらしい。
たしかに、あの時伊勢は顔を青くしていた。風邪かなにかだったのだろうか。
どう具合が悪くなったのかについて、伊勢はそれ以上説明してはくれなかった。
今はもう大丈夫だというのだから、ムリをして聞きだす必要もないだろうと、太郎は考えた。

「じゃあ、今日は、その、うちに来れる?」

太郎は、いくらなんでもがっつきすぎだろうと自分に突っ込みつつも、
先日の寸止めのままではいられなかった。
伊勢は顔を曇らせていった。

「でも、今日もあの妹さん、家にいるんですよね」

「ああ、多分いると思うけど」

平日に、街をふらふらと出歩かれて補導でもされれば、いろいろと面倒なことになるのは明白だった。
だから、なるべく家から出ないように次子に言い含めていた。

「こんなこと、先輩にいったら悪いんですけど、わたし何かあの子が怖くて」

「怖い?」

たしかに行動に常軌を逸したところはあるが、あの天真爛漫を絵に描いたような次子が
「怖い」などといわれるのは思いもしなかった。
まだ、一子がそういわれるのは分からないでもないが。

「だって、あの子、笑ってるのに、笑ってないんです」

そういうと、伊勢は黙りこくった。
太郎には、伊勢のいいたいことがいまいちよく分からなかった。
彼女が太郎の家に行きたくないということ以外は。
だとすると伊勢の家しかないが、そこには専業主婦の母親がいるはずだった。
さすがに、相手の母親がいるのに、同じ屋根の下でその娘を抱く気にはなれなかった。
かといって、自分たちのような年頃の男女が、ラブホテルに入れるのかどうかも分からなかった。
金もなかった。
それで結局、どちらかの家で二人きりになれるときまで、初めてはお預けということになった。
太郎が、目に見えて落胆のそぶりを見せると、伊勢はクスリと笑ってキスをした。

「別に最後までしなくたって、いろいろできますから」

そういって、淫蕩に微笑む伊勢にたまらなくなった太郎は、今度は自分から唇をつけた。
舌を深く差し込み、口蓋を嘗め回し、唾液を飲ませた。
太郎の方が背が高いので、上を向く格好になった伊勢の口に、唾液が流し込まれる。
伊勢は、それをのどを鳴らして飲み込んだ。
それから太郎は、首を傾け自分の膝を折って、無理やり伊勢を見上げる格好になった。
今度は、伊勢の唾液が太郎の口に流し込まれた。やはり甘い唾液を、太郎が飲み込んだ。
そして、今度は太郎の唾液を伊勢の口に流し込む。
部室に足音が近づいてくるまで、それを繰り返した。

家に帰ると、やはり次子が迎えに出てきた。毎日の出迎えは、理想の妹の仕様なのだろうか。

「お帰りなさいお兄ちゃん」

次子は、ミニスカートの上に犬のエプロンをつけ、両手は餃子のあんで汚していた。
次子の後について台所に行くと、一子が猫のエプロンをつけ、餃子の皮にあんを包んでいた。
太郎は驚いた。
食事の準備は、ほぼ次子の仕事になっていた。
一子が次子の同居を認めるようになった理由のひとつがそれだ。
その一子が、次子の手伝いをするようになるとは、太郎も思ってもみなかった。
予想外のことはそれだけではなかった。

「ああ、お帰り兄貴」

ごく自然に、一子がそういった。太郎も、反射的に返してしまう。

「おお、ただいま」

一子はそれを聞くと、再び餃子を包む作業に戻ってしまった。
そんな風な挨拶をしたのは、久しぶりだった。だが、そうとは思えないほど自然なやり取りだった。
一子がそのことを意識していたのかどうか太郎には分からない。いや、一子にとってもそれは
無意識的な行動だったのだろう。
その証拠に、今頃になってうろたえ始めた一子が、餃子を包むのを失敗した。
多すぎるあんが、皮が飛び出てしまう。

一子の行動は、次子に触発されてのものだろうと太郎は考える。
もちろん、意識的に張り合ったなどということはありえない。一子は、次子を受け入れ、
次子と太郎の兄妹関係を認めている。
しかし、無意識的に、次子の「妹ぶり」に一子が触発されたということはありえるだろう。
あるいは、太郎と次子のやり取りを見ていて、やっと自分の兄妹関係を思い出したのか。

太郎は、リビングにかばんを放り投げると、袖を巻くりあげ、流しで手を洗った。

「俺もやるよ」

そういって、一子の横に座った。昔は、そうやって二人して母親の食事の用意を手伝ったことを
太郎は思い出した。
餃子の皮を手に取ろうとすると、次子が太郎と一子の間に割り込んできた。

「わたし、お兄ちゃんと一子ちゃんの間がいい!」

もちろん、太郎も一子もそれを拒むようなことはない。3人で並んで座って、餃子を包み始めた。

「兄貴、何よそのしょぼい中身は。ちまちま包まないでよ」

「何いってんだ馬鹿。お前は豪快に入れすぎてはみ出ちまってるじゃねえか」

「見て見て、お兄ちゃん。次子上手でしょお」

「おお、さすがだ、次子。誰かさんとは大違いだ」

「ほーんと、兄貴とは大違いだよねえ」

「いや!お兄ちゃんと一緒がいい」

そんな3流ホームドラマのような光景を繰り広げていると、3人が本当の家族のような気になってくる。
次子に情が移り始めているのを太郎は感じた。というよりも、完全に入れ込んでしまっている。
それはきっと、一子も同じだろう。
だが、次子の寿命は一ヶ月しかない。一ヶ月後にはきえてしまう。
それまでに、次子への情はもっともっと深くなってしまうだろう。それこそ本当の家族のように。
ペットだって、少しでも飼っていれば情が移ってしまうのに、ここにいるのは人の形をしていて、
しかも自分を兄と慕ってくれるのだ。
それに、太郎と一子の間を結果的にであれ取り持ってくれたという恩もある。
一ヶ月後には、自分も一子も泣くことになるかもしれない。
そう考えると、次子を押し付けられたときとはまったく違う理由で、山鹿のことを恨めしく思った。

そういった団欒とは別に、太郎は性的経験を順調に重ねていた。
部室や、公園や、カラオケボックスで。だが、いまだ最後には至っていなかった。
公園や、カラオケボックスで挿入に至りかけたことはあった。
しかし、邪魔が入ったり、主に太郎が集中できなかったりで、その手前でとまっていた。
はじめのうち、そのことに本気でいらだっていた太郎だったが、そのうちこの寸止め感も悪くはないと
思いはじめていた。
実際、最後までしたところで、それがどこまで気持ちいいのかは分からない。
体験済みの仲間に聞いても、その評価は両極端だった。
ならば、その期待を持続させたまま、いろいろと試してみるのも楽しいのではないか。
今では、学校で伊勢の手の中に射精することさえしていた。

「少しは自重しろ。服をきた猿め」

教室で山鹿にそういわれた。太郎にはとっさには何のことか分からない。

「話を聞いたぞ。お前と伊勢が学校でキスしていただの、お前が伊勢の胸を揉みしだいていただの」

それは事実だが、そんなことがうわさになっているとは思っても見なかった太郎は狼狽した。
気をつけているつもりだったのだ。もちろん、学校にばれればまずいことになる。

「安心しろ。まだうわさにはなっていない。それを見た人間がいたということだ。
一応、口は封じておいた」

その「口封じ」がどういうものかはあえて聞かなかった。山鹿なら、うまくやったのだろう。
なぜか、山鹿は頼みもしないのにこんな具合に太郎の尻拭いをしてくれることがあった。
一度や二度のことではない。太郎が妹研に入るハメになったのも、そういう恩があったからだ。
それが一子を狙っての行動ならば分からないでもないが、山鹿はそうではないという。

「気をつけろ。当局にばれたらやっかいだぞ。反省文ですめばいいが」

山鹿はそう忠告してくれた。
しかし、思春期の青い性欲がそんなことでやむはずもなかった。
二人は今も、放課後の誰もいない図書室の死角で、キスをしていた。
太郎の右手は、そこが指定地のように伊勢の胸に置かれている。
伊勢が、いったん唇を離して太郎の耳元でいった。息が熱い。

「口でしてあげましょうか、先輩」

伊勢は、太郎の返事も聞かずに腰を下ろすと、ズボンのチャックを下ろした。
そして、トランクスの隙間から太郎のいきり立ったペニスを引き出した。
すでにカウパー腺液で濡れているそれに顔を近づける。伊勢の息を感じて、震えた。
そのまま、ゆっくりと口に含んだ。唇の感触だけで、太郎は背筋を振るわせた。
伊勢が、口の中で、ちろちろと舌を動かし、先端を刺激した。
フェラチオを初めて体験した太郎は、それだけで達しそうになった。何とか堪える。
気を散らそうとして窓の外を見ると、野球部員たちがグラウンドを走っていた。
その学校の日常と、その横で繰り広げている自分たちの行為とのギャップに、
太郎はめまいを覚えそうになる。
伊勢の舌が、裏筋を這い、そのまま先端にいたって、その先で鈴口を開こうとした。
そこまでで、太郎には限界だった。思わず漏らしそうになって、あわてて引き抜く。
結局、それは失敗だった。
精液は、伊勢のチャームポイントだったおでこを白く汚した。その下のめがねも汚す。
太郎は唖然として、伊勢の頬を伝った精液が、その胸に落ちるのを見ていた。

それから、太郎は謝りながら後始末を手伝っていた。

「わたし、エッチな娘だと思いますか?やっぱり変でしょうか」

濡れたハンカチで、おでこをぬぐいながら伊勢がいった。
女の子がエッチで、男に文句があろうはずもない。

「いや、俺は好きだな、エッチな娘は」

太郎は、間髪いれずに応えた。伊勢は、それを聞くと薄く笑ったが、
すぐに表情を暗くして目を伏せた。

「最近、なんかおかしいんです」

7 『インヴィジブル・ストーカー』

伊勢の周辺で異変が起きはじめたのは、ここ最近のことだった。
そう、太郎と付き合い始めてからのことだ。

伊勢の家は、太郎の帰り道からすこし外れたところにあった。
途中までは一緒に帰り、家まで5分ほどのところで分かれて一人になる。
その日は、軽音の活動日で帰りが遅くなっていた。
太郎と付き合い始めてから、別に淫行にふけっていただけではない。
学園祭のライブに向けて、まじめに練習もしていた。太郎の彼女として、
それを成功させてやりたかった。
何より、一人のロック好きとしてやりがいのある企画だった。

一人になって、伊勢は後ろに誰かがいるのを感じた。
それだけならば、何も不思議なことはない。
今の時間帯なら、この道を誰が歩いていてもおかしくはない。
おかしいのは、後ろを振り返ってみても、誰の姿もないということだった。
そこにいたのは夕日に照らされた自分の影だけだ。だが、気配があった。
誰もいないのに、誰かがいる。
勘違い、気のしすぎだと思おうとした。だが、うなじに感じる視線は、
とても気のせいだとは思えなかった。
自然と足が速くなる。家までは、すぐのはずだ。
しかし、このときは家に着くまでがやたらと長く感じた。
自分の家の門が見えると、もう我慢できなかった。伊勢は、走り出した。
すると、視線の主も走り出した。もちろん、伊勢にそれは見えていない。ただ、そう感じた。
ほとんど全力疾走で家までたどり着き、ドアを開け、玄関に飛び込んだ。
すぐさま、鍵をかける。そのとき。

どん!!

ドアに何かがぶつかる音がした。
その衝撃が、ドアに寄りかかっていた伊勢に伝わった。伊勢の心臓が飛び跳ねる。
どくどくと、ものすごい音を立てて、鼓動が鳴った。のどがからからに渇いている。
それっきり、静寂が降りた。

「おかえり、どうしたの?」

玄関に現れた母親の声を聞いて、伊勢はずるずると背中をドアにつけたまま腰を落とした。
しばらく、口がきけないほど、伊勢はショックを受けていた。
やがて落ち着いてから、事情を話した。それを聞いて、母親がドアの外を確認するという。
伊勢は、それを止めようとした。しかし、いささか豪胆なところのある母親は
玄関にかけてあった靴べらを手にドアを開けてしまった。
ドアの外を確認した母親が、悲鳴を上げた。
からすの死体だった。どうやら、ドアに衝突して死んだらしい。
母親は、縁起の悪いことだとぶつくさ言っている。
では、自分を追いかけていたのはからすだったとでもいうのだろうか?伊勢は、呆然とした。

奇妙なことは、それ以降も続いた。
伊勢の、毎朝の日課は朝配達される牛乳と新聞をとりに出ることだった。
ある朝、パジャマを着たままの伊勢がいつものようにとりに出て、
家に持ち帰ろうとして異変に気付いた。
牛乳のふたが、少し開いていた。
ぞっとした。
単なる、牛乳屋のミスかもしれない。だが、これまでこんなことは一度もなかった。
それに、ビニールの部分を一度はがしてから、かぶせた痕跡がある。
配達された後に、誰かがふたを開けたに違いなかった。
誰かが。
何を入れたにせよ、細工にしてはずさんだった。これなら、何かされたことは一目瞭然だ。
気がつかずに飲んでしまうということは、よほど無頓着な人間でない限り、おそらくないだろう。
だとすれば、これは警告だ。今なら、こんなみえみえのわなで勘弁してやるという。
いや、やはりただの悪戯かもしれない。伊勢は、そう言い聞かせた。
自分にはこんな脅しを受けるような心当たりはない。恨みを買うようなことをした覚えはなかった。
だから、疑心暗鬼になるのはやめよう。
ただ、その牛乳を飲むのはやめた。

次の日の朝、今度は新聞受けがむちゃくちゃに壊されていた。
これには父親も憤ったが、警察に届け出るほどではないだろうと、新しい新聞受けを買ってきた。
伊勢には、一連の出来事が、悪意を持った誰か一人の手によって引き起こされているのだと
思えてならなかった。
ただ、その悪意が、自分に向けられているのか、あるいは家族の誰かに向けられているのかは
分からない。
自分には身に覚えがない。母親も誰かに恨まれるような人間ではない。
では、父親の仕事の関係なのではないかと疑った。
父親は、地方銀行の支店長だった。娘の自分に話したことはないが、
おそらく融資先の人間などからうらまれることもあるだろう。
だとすれば、父親に向けられた悪意のとばっちりを受けているのだろうか。
すべては、推測に過ぎなかった。ただ不安だけが募った。

不安が募ると、なぜか性欲が増した。
これは、誰でもそうなのか、自分だけがそうなのか伊勢は分からなかった。
不安を、性欲によって打ち消そうとしているのかもしれない。伊勢はそう思った。

昼休み、部室の片隅、その戸棚の影で、伊勢は自分のスカートを持ち上げていた。
その前で、太郎がかがんでいる。
誰かが来て部室の戸を開けても、自分たちは見えないはずだった。
それでも、いつ人が入ってくるかと二人ともびくびくしていた。
それがかえって、不謹慎な快楽をあおっていた。

「濡れてるよ、伊勢」

本当はまだ、表から目に見えるほど濡れてなどいなかった。太郎はでまかせをいった。
だが、それを間に受けた伊勢が、恥ずかしそうに身をよじった。

「いやあ」

すると、薄いショーツにじわりとしみが広がった。

「スカート、持ったままでいろよ」

太郎はそういうと、ショーツに手をかけてゆっくりと下ろした。
伊勢のそれを目にしたのは初めてだった。いや、こんな風に女の性器を凝視したのは初めてだった。
以前に、ちらりと見た次子のものとは違っていた。
次子の時にはぴったりと閉じていた小陰唇が、厚い花びらを持った花のように広がっていた。
その内側は、蜜でたっぷりと濡れている。いや、あふれた蜜が花びらも濡らしていた。
おそろしく、淫猥な光景だった。太郎は、自分の頭がくらくらするのを感じた。

「本当にスケベなんだな、伊勢は」

「そんなあ。いわないでください」

媚を含んだ声でそういった。太郎が伊勢の顔を見ることができていたら、
その淫蕩な表情に驚いたかもしれない。
だが、あいにく伊勢の胸が邪魔をして下からはその表情を確認することはできなかった。

「だって、伊勢初めてじゃないんだろう?最初はいつ誰とやったんだ?」

この場の異常な空気が、太郎にそんなことまでいわせていた。
いつもなら、そんなこと口に出せたはずもなかった。
だが、伊勢の淫蕩さと従順さが、太郎をどこかサディスティックにしていた。
あるいは、自分より先に伊勢を抱いた誰かに嫉妬したのかもしれなかった。

「ああ、ごめんなさい、せんぱい。でもすきなのは、すきなのはせんぱいなんですう」

そういいながら、腰を揺らした。割れ目から飛び出た舌がぷるぷると震えた。
太郎に応えながら、伊勢もどこかマゾヒスティックな快楽を感じている。
その証拠に、花びらの奥から蜜があふれていた。

「いいから、いえよ」

太郎は、かすれた声でそういいながら、人差し指と中指を伊勢の中に差し込んだ。
そして強めに、かき回した。
伊勢は、崩れ落ちそうになった体を、太郎の肩に手を置いて支えた。

「い、いいます。14、14のとき、せんせいに、ああ、せんせいにされたんですう」

14歳といえば、伊勢がまだアメリカにいたときだ。
優等生然としているが、帰国子女なんだから進んでいるはずだという男子たちの勝手な妄想が
当たっていたことになる。
まさか、教師と関係を持っていたとは誰も思ってはいなかったろうが。

「他には。他には誰とやったんだよ」

太郎が、いっそう激しく伊勢の中をかき回した。膝のところでとまっているショーツの上に
ぼたぼたと愛液が滴り落ちる。

「それだけ、それだけです」

「本当か」

「ほんとう、です、わたし、もう、せんぱい、しか、もう、だめ」

伊勢は、そういいながら体を震わせ、太郎の指を締め付けた。息がとまっているように見えた。
やがて、体を弛緩させると、腰を落とした。荒い息をつきながら、太郎の首に腕を回して
自分の体を支えた。
その身じろぎで射精してしまった太郎は、先までの自分を振り返るだけの冷静さを取り戻した。
とたんに自己嫌悪に陥る。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

「あの、すまん。調子に乗ってしまって」

ばつの悪そうな顔をしてそう謝ると、伊勢は太郎の耳元でいった。

「いえ、いいんです。わたしも、気持ちよかったし」

こんな風に乱れたのは、今朝の出来事が原因だろうと伊勢は思った。
通学中、あるマンションの前を通りがかったときだった。
目の前に何か大きなものが音を立てて落下した。
叩きつけられたそれは、一度大きくバウンドして地面に横たわった。
三輪車だった。
後一歩前に出ていれば、確実に当たっていた。そして当たればただではすまなかっただろう。
死んでいたかもしれない。伊勢は、背筋が凍るのを感じた。
子供の悪戯かもしれない。あるいは住人の不注意かもしれない。普通ならそう考える。
だが、伊勢は最近の不審な出来事と、このことを切り離して考えることができなかった。
それらを結びつけるのは勘だけだったが、今はそれがどんな合理的な説明よりも確かなものに感じた。
そして、それが確かならば、狙われているのは自分だということも同じく確かなことだった。
しかし、これが自分だけにしか持ち得ない確信だということも、伊勢にはよく分かっていた。
誰にいっても、そこに明白な連関を見出すことはできないだろう。警察にいってもきっと無駄だ。
そして実際に、すべては単なる偶然の出来事であったのかもしれないのだ。
いや、そうであってほしい。
誰かに相談した時点で、自分の懸念が本当のことになってしまうのではないかという
非合理な恐れを抱いた。
伊勢は、自分の確信をその願望だけで押し殺した。

その日、伊勢が帰宅すると、机の上にはねじ切られた犬の首が置かれていた。
何の冗談か、おもちゃのめがねがかけられている。
陰惨で、しかも滑稽なその光景に、思わず伊勢は笑いだしていた。

8 『招かれざる客人』

自分の机の上に、めがねをかけた犬の首が置かれていたということ。
それは、単なる嫌がらせ以上のものだ。それが意味するところを、伊勢は正確に理解していた。
この首は、自分の首に見立てられている。つまり、ほとんど殺人予告のようなものだった。
それだけではない。
これをやった犯人は、伊勢の部屋に誰にも気付かれずに侵入していた。
家には、母親がいたにもかかわらず。
そういうノウハウを持った人間の仕業だということだ。

ここにいたって、さすがに伊勢も、伊勢の家族も警察に通報する気になった。
ストーカー防止法ができて以来、この手の嫌がらせや家宅侵入を警察も深刻に扱うように
なったはずだと聞いていた。
しかしそれを期待していた伊勢の家族は、いささか拍子抜けした。
犯人の侵入経路も分からず、指紋も取れないことが分かると、
警官はいくつかの注意をしただけで帰ってしまった。
いわく、戸締りをしっかりすること、何かあったらすぐに電話すること、
そして周辺の巡回を増やすということ。
これが、殺人予告に等しいものだと訴えてみても、警官は過剰な反応だと取り合ってくれなかった。
逆に、このような仕打ちに身に覚えがないのかをしつこく聞かれた。
それがまるで、伊勢の側に何か非があったのではないかといわれているようで不快に思った。

身に覚えがあるとすれば、それは太郎に関することだろうと伊勢は考えていた。
異変が生じはじめた時期に自分に変化があったとすれば、そのことだけだったからだ。
ただ、それを訴えるのははばかられた。
確証はなかったし、太郎に迷惑をかけるかもしれなかった。
何より、そのことで太郎から引き離されてしまうことを恐れた。
いや、恐れただけでなく、憤った。
もしそうなれば、それはストーカーの思い通りにことが運んだということではないか。
そんなことが許せるはずもなかった。
それに、おそらく犯人は女だ。太郎に横恋慕している女の仕業だ。
ならば、気をつけてさえいれば、みすみすやられることもないだろうと思った。
いや、返り討ちにすることさえできるかもしれない。
伊勢は、スタンガンを持ちあるくことにした。
それを忍ばせながら、いつもどおりの日常を送ってやろうと伊勢は決心した。
それが、卑劣なストーカーに対する抵抗だと思った。

だが、いったいその女というのは誰なのか。
太郎の交友関係は、大まかに把握しているだけだったが、それがあまり広くはないことを
伊勢は知っていた。
親友と呼べるのは、おそらく山鹿一人だろう。それは、山鹿にしても一緒だったのだが。
それから、同じ軽音に所属している友人たちがいた。妹研の部員たちとの付き合いは薄い。
それらはすべて、男同士の付き合いだった。
軽音には、女は伊勢しかいないし、同じクラスに特別仲のよい女友達がいるというのも
聞いたことがなかった。
いや、相手は異常者だ。太郎には関係なく、一方的な愛情を抱いている見知らぬ女が
犯人なのかもしれない。
そうだとすれば、太郎の身の回りから犯人を推測するのは難しいだろう。

そこで、自分以外で太郎の回りにいる近しい女のことを伊勢は思い出した。
二人の妹のことだ。

一子のことは、クラスは違うがよく知っていた。彼女がこんな陰湿なことをするとは思えなかった。
いささか粗野なところがあるが、さっぱりした性格をしていると、伊勢は分析していた。
それに、動機がない。彼女は、兄の太郎とあまり仲がよくはないと聞いていた。

太郎には、もうひとりの妹、次子がいる。
伊勢は、先日、太郎の家で初めて会った彼女のことを考えた。
そして、次子が自分に向けた目のことを思い出した。
あのとき、次子は終始にこやかに笑っていた。少なくとも、太郎に見せていた表情には嘘はなかった。
だが、自分に向けた目の奥は、まったく笑っていなかった。
アイスティーを勧められてすぐさま飲み干したのは、彼女を早く追い出したかったのと、
自分の内心の動揺を抑えるためだった。
単に、客のために作り笑いをしていたというだけなら、その目の奥にあったのは無表情のはずだろう。
だが、実際に目の奥にあったのは、激しい感情の揺らぎだった。あれは、何だったのだろう。
赤い感情だった。
少なくとも、それがよいものではないということだけは、伊勢にもはっきりと分かった。
そんな目を向けられて、動揺してしまったのだ。
思えば、アイスティーを飲んでしばらくして急に腹が痛くなったのも、偶然ではない気がしてきた。
もしかしたら、一服盛られたのではないか。

しかし、次子が犯人だとして、なぜ彼女がそんなことをするのか。
確かに、ずいぶんと兄である太郎を慕っている様子だった。
だが、それだけで兄の彼女である自分を殺そうとまでするだろうか。それはもはや、兄妹愛だけでは
説明がつかない。
では、次子は太郎を女として愛しているとでもいうのだろうか。そんなことがありうるのだろうか。
伊勢は一人っ子だった。妹が兄に寄せる思いがどんなものなのかは分からない。
しかし、妹が兄を女として愛するということがタブーだということは知っていた。
普通に育っていれば、そんなことにはならないということも。
伊勢は、次子が学校に行っていないという太郎の説明を思い出した。
それ以上詳しく聞くことははばかられたのだが、それは次子が普通に育っているのではないことを
意味している。
では、やはり次子は異常なのだろうか。それで、兄を愛してしまい、
こんな行為に走ってしまったのだろうか。

すべては推測だった。そうである以上、このことを軽々しくおおっぴらにすることはできない。
次子は、ストーカーであるかもしれないが、太郎の妹でもあるのだ。
伊勢の推測が正しかろうと間違っていようと、太郎は大いに悲しむだろう。
いや、太郎のためにも自分の推測が間違っているようにと伊勢は祈った。
ともかく、今は可能な限り気をつけることだ。
なるべく一人にならないようにし、スタンガンをいつでも持ち歩く。

太郎は、伊勢が最近憔悴した顔を見せるようになったことに気付いていた。
たずねてみても、ただ眠れないのだというだけで、核心についてははぐらかされていた。
そんな時、伊勢はいつもキスをねだってごまかした。二人きりの時には。

今、太郎と伊勢は二人きりではない。軽音の他の部員たちと一緒に練習をしていた。
太郎を含めた皆は、伊勢の様子を心配して帰るように勧めたが、伊勢はここにいたがった。
家に帰れば、また何かが待っているかもしれない。そう考えると、家には帰りたくなかった。
ここならば、皆がいる。何より、太郎がいた。家にいるよりも、ずっと安心した。

「歌、どんどんよくなるな」

休憩中、太郎がそういうと、伊勢は照れくさそうに笑った。

「ああ、こんなに上手いとは知らなかった。これからは全部伊勢に歌ってもらおうか」

部長が、重ねていった。実際に伊勢は、歌が上手かった。玄人はだしといえる。
伊勢も、生の演奏をバックに歌うのがこれほど気持ちいいとも知らなかった。
今、このときだけは、本当に楽しかった。歌っている間は、最近のおかしなことも不安も
すべて忘れていられた。
だが、それもつかの間の平安に過ぎなかった。

部室の戸が、開いた。誰何の間もなく、訪問者が中に飛び込んできた。

「お兄ちゃん、来ちゃった」

ニコニコと、思わずこちらもうれしくなってくるような笑顔を振りまいているのは、次子だ。
この学校の制服を着ていた。

「おい!お前どうして」

「だって、お家にいるの退屈なんだもん。街はダメでも、学校はいいでしょ。制服着てきたんだから」

あわてる太郎に対して、次子の方はあっけらかんとしたものだ。

「ねえ、お兄ちゃんいいでしょお。お兄ちゃんがギター弾くところ見たいの。絶対、邪魔しないから。
お願い!お願い!」

ぴょんぴょんはねながらそう懇願されると、太郎も強くは出ることができない。

「お、おい、一子ちゃん、いったいどうしたんだ?」

その娘を一子だと誤解した部長が、そのはしゃぎぶりに困惑した様子でいった。
太郎は、伊勢にしたのと同じ説明を部長以下、部員たちに繰り返した。
すなわち、この娘は一子の双子の妹で次子といい、事情があって今は学校に通っていないことを。

「別に見学するぐらいいいだろ。家でひとりじゃあ退屈だろうし。
でもお前、こんなかわいい妹が二人もいるのかよ。神は不公平だ」

まるで、妹研の連中のようなことをいいながら、部長が次子の見学を認めた。
顔を伏せていてその表情が読めない伊勢以外、皆それに不満はないようだった。

「わかった。でもおとなしくしてるんだぞ」

「ありがとー、お兄ちゃん」

次子がそういって太郎に抱きついてくる。

「おい、やめろ、みんな見てるじゃねえか」

そういいながら、太郎もまんざらではなさそうな顔をしていた。
恥ずかしいのは確かだが、これほどまっすぐな好意を向けられてうれしくない人間などいない。
部員たちも、それを笑いながら見ている。
バカップルならいざしらず、仲のよい兄妹同士のじゃれあいは、彼らの目にもほほえましく見えた。
次子は、太郎に抱きついたまま、振り返っていった。

「伊勢さんが歌うんでしょ。楽しみだなあ」

朗らかに笑っていた。太郎にはそう見えた。

9 『伊勢、イク』

練習を再開すると、伊勢はへまばかりをやった。
出だしを間違える、音程をはずす、歌詞を間違える。
その様子を、いすに腰掛けて伊勢の正面に陣取っていた次子が、じっと眺めていた。

「やっぱり、体調がよくないんじゃないか」

太郎が伊勢を慮ると、申し訳なさそうにいった。

「すみません、なんだか少し」

「大丈夫?休んだほうがいいんじゃない?」

次子がそう聞くと、伊勢はびくりと体をふるわせた。

「ああ、休んだほうがいいって。帰るのがきつかったら保健室行くか?」

「はい、すみません。少し休んできます」

それを聞いた太郎が、腰を上げていった。

「心配なんで、しばらく付き添ってます。いいですか」

「ああ、こっちは勝手にお開きにするから。そのまま帰っていいぞ。
彼氏らしくしっかりエスコートしてやれ」

部長がそういうと、次子が笑っていった。

「そっかあ。お兄ちゃんと伊勢さんって付き合ってるんだあ。
だったら、いつかお姉ちゃんになるのかなあ」

太郎は、照れくさそうに顔を赤くした。

「馬鹿。お前は先に帰ってろ。おい、伊勢行こうぜ」

太郎は、伊勢の手をとって部室からそそくさと抜け出した。伊勢は顔を伏せていて、
その表情は読めない。
保健室に向かう途中、伊勢は一言もしゃべらなかった。太郎も、体がつらいのだろうと思って、
会話は振らない。
結局、無言のまま保健室にたどり着いた。

保健室は無人だった。ベッドを使っている生徒はいない。会議にでも出ているのか、
養護教諭もいなかった。
体を横にして休むだけなのでそれで問題はない。
ベッドの吟味をした太郎が背後の伊勢を振り返ると、なぜか伊勢は保健室の戸に
鍵をかけているところだった。

「おい、何して」

伊勢は太郎の方に向き直ると、そのまま抱きついてきた。
不意打ちに、太郎はベッドに倒れこんでしまう。
伊勢が、何を求めているのかぐらいはすぐに分かった。だが、伊勢は体調が悪く、ここは保健室だ。
いくら鍵がかかっているとはいえ、いつ誰が来るか分からない。見つかればただではすまない。
「だからここはまずい」、そういおうとした太郎の口を、伊勢が自分の口でふさいだ。
情熱的に、いやほとんど暴力的に舌をねじ込んでくる。
いつものように、伊勢が自分の唾液を流し込んだ。いや、いつもよりたくさんの唾液が流し込まれる。
それだけで、太郎は自分の理性に霞がかかってくるのを感じた。

「お願いです、抱いてください、我慢できません、お願いです」

伊勢がまるで熱に浮かされたような顔でそういうのを聞くと、太郎の理性は完全にたがが外れた。
下から伊勢を抱きしめると、体勢を入れ替えた。
口付けしながら、ブラウスのボタンをはずそうとする。
あせりからかなかなかはずせないボタンにいらだった太郎は、
それをあきらめてスカートに手を入れた。
ショーツに手をかけて引き下ろそうとする。伊勢が自分から腰を上げてそれを助けた。
それだけなく、自分でブラウスのボタンをはずし、ブラジャーのフロントホックをはずして
自分の胸をあらわにした。
豊満で真っ白な二つの乳房が現れる。
真ん中にはじゃっかん大きめの乳りんと乳首が紅色を添えている。すでに乳首は立っていた。
それを見た太郎は、ショーツを下ろしながら、乳首に口をつけ吸った。
伊勢は、片足を折り曲げてショーツを足首からはずしながら、
胸への愛撫に声を上げるのをこらえる。
それくらいの分別は残っていた。
伊勢は、太郎の頭を抱き寄せると、耳元でいった。

「もう、いいですから、はやく、ください」

正直、太郎はもっとじっくり愛撫を楽しみたかったが、
ここが保健室でゆっくりはしていられないことを思い出した。
あわてて、ベルトをはずし、ズボンをトランクスと一緒にずり下げる。
そして、洗濯するときにポケットから出して家においてきてしまったコンドームのことを思い出した。
太郎の動きが止まる。さすがになしではまずいだろう。

「大丈夫ですから、今日は、そのままで」

大丈夫な日というのがあることは、太郎も知っていた。それがどのくらいあてになるのかは
知らなかったが。
ともかく、ここで止めることはできなかった。たとえ、妊娠することが分かっていたとしても
止めることができたかどうか分からない。
太郎は、一気に挿入しようとした。失敗した。伊勢の性器の表面が、裏筋をなぞった。
もう一度挿入しようとして、やはり失敗した。太郎はあせる。そしてまた失敗する。
すると、伊勢が太郎のペニスに右手を添えて、しかるべきところに導いた。亀頭が、入り口に触れた。
これまでの予行演習がなければ、その感触だけで達していただろう。
そのまま、一気に奥まで押し入る。亀頭から根元までを、膣壁がなぞった。
最後まで入れると、収縮した膣の筋肉に圧迫された。

「うごいて、うごいてください」

伊勢の求めに、腰を前後させることで応えた。太郎が腰を振るたびに、伊勢の中が収縮する。
中で抱きしめられているようだった。
伊勢は、両足を太郎の腰に巻きつけている。そして太郎の動きに合わせて、
自分もその下で腰を揺らしていた。
保健室の中で聞こえるのは、二人の荒い息の音と、ベッドのきしむ音だけだ。
いや、グラウンドから部活の練習をしている生徒の掛け声が、かすかに響いている。
いつの間にか、夕焼けが窓ガラスを赤く染めていた。

やがて限界の来た太郎が、伊勢の中に精を放った。
その快楽に、太郎は思わずうなり声を上げる。それを感じた伊勢も、小さく声を上げた。
太郎の体を、下からぎゅっと抱きしめ、腰を密着させた。まるで、すべてを自分のうちに
取り込もうとするかのように。
射精がとまると、太郎の体が弛緩した。
伊勢は、大きく息をついた。
オーガズムを得ることはできなかった。性急すぎた。
しかし、精神的に深い満足感を得る。圧倒的な安心感。
このまま、二人で抱き合ったまま眠り込みたい衝動に駆られた。

もちろん、保健室でそんなことはできない。すぐに身支度を整える必要があった。
スカートをはいたままだったので、ベッドはほとんど汚れていない。
ペニスを抜いたときにあふれた精液を、スカートの裏で受け止めた。
それをティッシュとハンカチでぬぐう。
多少汚れてしまったところは、水をかけてごまかす。窓を開け、薬をこぼして、匂いもごまかす。
これでごまかしきれているのかどうかは分からない。
ともかく、できるだけの隠ぺい工作をして二人は保健室を飛び出した。
伊勢の体調は、もうすっかりよくなっているようだった。
廊下を歩く伊勢の顔は、晴れ晴れとしている。

「結局、学校でしちゃいましたね。もっと早くしちゃえばよかったかも」

「あ、ああ、そう、かな」

太郎は、いきなりの童貞喪失にまだ現実感を取り戻していなかった。
後始末もほとんど伊勢がやっていた。
先輩として情けなく思わないでもないが、これがはじめてだったのだから仕様がない。
これから追いつけばいいことだった。
きっと、これから数え切れないくらい体を重ねるだろう。

伊勢は、太郎に家まで送ってもらう。玄関先でキスをした。

「今日は、ありがとうございました」

伊勢がそういうと、太郎はあいまいに笑った。手を振り合いながら、分かれた。
一人になる。鍵を開けた。ここ最近は、常時鍵をかけたままにしている。

「ただいま」

家には人の気配がなかった。廊下は薄暗く、静まりかえっている。
玄関には、母親の靴がない。買い物にでも出ているのか。
都合がよかった。早く着替えて、制服を洗濯しておく必要があった。
鍵を閉めて、家に上がる。
一人だが、心細くはない。まだ、太郎との一体感の余韻があった。

初めて太郎とセックスしたせいか、勇気が沸いてくるのを感じる。
伊勢は今日改めて次子と会って、ストーカーの正体に確信を持った。
やはり、次子以外にいないと思えた。
誰にも分からないかもしれないが、自分には分かる。
この確信さえあれば、やることはひとつだった。太郎に訴えるのだ。
太郎を煩わせるのは心苦しいが、自分は彼女なのだ。守ってもらう権利がある。
太郎も、自分のことを信じてくれるだろう。当然、自分の味方になってくれるだろう。
今日、体を交えたことで、そう思うことができるようになった。太郎を信じられる。

実の妹が自分の恋人に嫌がらせをしていたと知って、太郎はどう思うだろうか。
もちろん、怒るだろう。男なら、妹より恋人を大切にするはずだ。
恋人は抱けるが、妹を抱くことはできない。
太郎くらいの年代の男が、女を抱く快楽を手放すことはできないだろうと、伊勢は思っていた。
自分を背後にかばった太郎の目の前で、次子が泣き崩れるさまを想像し、胸のすく思いをする。
自分の兄に懸想する、不潔な女だ。同情の余地はなかった。
太郎だって、そんな妹を気味悪く思うに違いなかった。伊勢の知る限り、太郎は普通の人間だった。
太郎の目の前で、思うさま蔑んでやりたい。
伊勢は、その想像だけで、ほとんど性感にも似た快楽を感じた。

階段をのぼり、自分の部屋に入る。やはり、鍵を閉めることを忘れない。
そして、ドアノブに手をかけたまま伊勢は硬直した。

背後に誰かの気配を感じたからだ。

部屋に入ったときには、誰もいなかったはずだ。
薄暗かったが、誰かがいれば見逃すはずはない。狭い部屋だ。
だが、背中に誰かがいる。気配だけではなかった。
息遣いまでもが聞こえてくる。首筋にその息がかかっているのを感じる。
それだけ、間近にいる。それこそ、背中に張り付くようにして。
のどが渇く。水が欲しい。
台所に下りれば、水が飲める。そうだ、このまま振り返らずに部屋を出て行こうか。

いや、ダメだ。ここで正体を見極めてやる。伊勢は、先ほどの勇気を取り戻す。
振り返るのと同時に、かばんを叩きつけてやろう。思い切り。
そして、ひるんだ隙に、かばんからスタンガンを取り出して押し付けてやる。
威力は最大に設定してあった。相手が伊勢の考えている人間なら気絶させられるだろう。
そのまま警察に突き出してやる。
伊勢はそう決意して、振り向いた。

いや、振り向こうとした。
実際には、強制的に振り向かせられていた。背後のものの手によって。
そして伊勢は、自分の真後ろにあるはずの相手の顔を、なぜか真正面に見た。
その正体を瞳に焼き付ける。
しかし、それを誰かに伝える機会は永劫訪れないだろう。

伊勢の首は、きっかり180度回転していたからだ。

10 『惨劇の裏で』

伊勢と別れてから一人で歩いていた太郎は、いつの間にか自分の横を
誰かが歩いているのに気がついた。
一子だった。太郎と同じく、学校帰りのようだった。

「あ、あれ、なんで」

「やあっと気が付いた。呆けちゃったの?狂牛病?」

一子が憎まれ口を叩く。だが今は、腹も立たない。
初体験の余韻がまだ体に残っていた。むしろ、顔がにやけてしまう。

「何笑ってんの、気持ち悪う」

「い、いや、ちょっとな」

さすがに本当のことはいえない。太郎はごまかした。
一子も、それ以上追求しては来なかった。そのまま、無言で太郎の横を歩く。
太郎は、せきをひとつして気を取り直そうとする。

「ブラバンの練習か?」

尋ねると、一子はそっけなく返した。

「まあね」

一子は、ブラスバンド部に所属していた。中学生のときから一貫してだ。
そして、やはり一貫してクラリネットを吹いていた。
太郎も中学生のときにはブラスバンド部に所属し、クラリネットを吹いていた。
つまり、同じ部に所属し、同じ楽器を吹いていた。ちなみに、太郎はパートリーダーをやっていた。
あの頃、一子は必ずしもクラリネットが上手だとはいえなかった。生来、あまり器用ではないのだ。
一年先輩であることを差し引いても、太郎の方がずっと上手かった。
そんな一子の練習に、遅くまで付き合ってやったことがあるのを思い出した。
太郎の方はといえば、ギターに専念してからはクラリネットにはまったくといっていいほど
触れていなかった。
そこに、一子に対して多少後ろめたいところがないわけでもなかった。

「どうだ、最近調子は」

「別に、普通」

一子は、前を向いたままでやはりそっけなくいった。連れない態度だが、逃げ出したり、
無視しないだけ、ましとはいえた。
そのまま、しばらく無言で歩き続ける。二つの長い影が、道路に並んでいた。
その沈黙に耐えかねた太郎が適当なことをいってお茶を濁そうとすると、
それに先んじて一子がいった。

「なんで入んなかったわけ?ブラバン」

釣り目がちの大きな目が、太郎に向けられている。
予想外の問いかけだった。理由はいうまでもないと思っていたし、今更の問いだった。

「あんた、わたしなんかよりずっとクラ上手かったのに」

「いや、別に、まあ、バンドやりたかったし」

実際、中学生の時に高校に軽音部があることを知ってからずっと、
進学したらそこに入ろうと決めていた。
今振り返っても、その選択は間違いではなかった。これまでの軽音での活動は充実していたし、
おまけにそこで彼女まで手に入れた。
軽音にいなければ、伊勢との接点などなかっただろう。
だが、その説明では一子は納得しなかったようだ。

「それは知ってるけど、掛け持ちすればよかったじゃない。
今だって日文研とは掛け持ちしてるんでしょ」

日文研、いや妹研とブラスバンド部を掛け持ちするのは、まったく意味が違うと太郎はいいたかった。
妹研は溜まり場みたいなものだが、ブラスバンド部はそういうわけにはいかない。
そもそも、妹研に入っているのは、山鹿に強引に引き込まれただけだと太郎は思っている。
しかし、太郎がそう釈明する前に、一子が畳み掛けた。

「わたしと一緒にやるのがいやだったわけ?山鹿さんがよかったわけ?」

太郎は、まったくわけの分からないことをいわれて困惑した。

「そりゃまあ、あんたはギター弾いて、山鹿さんと馬鹿やってればそれで楽しいんだもんね」

「別に、そんなこと」

太郎は、それだけしかいえない。とにかく、自分と山鹿をペアにするのは止めて欲しかった。
山鹿との仲は腐れ縁だと、太郎は思っていた。腐りすぎていて、いまさら絶つこともできない。

「それとも、わたしに気をつかったわけ?」

一子が、いささか皮肉めいた調子でいった。
入学した時分、ブラスバンド部への入部を誘われながら断っていたとき、
そういう気持ちがまったくなかったわけではないと太郎は思い出す。
中学の頃から一子が太郎と演奏に関して比較されていたのを知っていた。
とはいえ、それがフェアな比較かどうかは分からない。
太郎の世代、部は全国大会で銀賞をとった。
その功績はもちろん大会に出場した全員に帰されるべきだったが、なぜか太郎のクラリネットが
それに多大な寄与をしたということになっていた。
つまり、太郎のソロのおかげで銀がとれたというわけだ。真相は分からない。
ただ、少なくとも太郎を除く部員たちはそう認識していた。それは、一子も同様だ。
その太郎の世代が引退してから、一子の世代はこれといった成績を上げることができなかった。
その責任を転嫁されたわけではないだろうが、周りから、一子が太郎ほど上手ければという目で
見られていたのは一子にも分かった。
いや、太郎が引退する前からそういう雰囲気がなかったわけではない。
太郎も、それに気付いてはいた。
しかし、一子は持ち前の根性でそれに耐え、ひたすら練習し、今では次期パートリーダーだと
目されている。
太郎は、そういった現状に詳しいわけではない。ただ、人一倍努力していることだけは知っていた。
それだけに、いまさら突っかかってくる一子が不思議だった。

「なんだよ、もしかして俺に入って欲しかったのか?」

太郎が冗談めかしていうと、一子が顔を赤くして怒鳴り返した。

「馬鹿!んなことあるわけないでしょ!脳みそトコロテンになったんじゃないのっ?!」

そのまま、すたすたと歩みを速めて太郎を置いていってしまう。

「おい、冗談だろ、何まじになってんだ」

太郎が追いかける。

「ついて来ないでよ!」

「馬鹿、方向が一緒だろうが」

「じゃあ、離れてよ」

「なんでだよ」

それ以降は無言のまま、早足で競うように家まで帰ることになった。

なぜか始めてしまった競歩を終えて家に帰ったが、いつもあるはずの次子の出迎えがない。
玄関に靴もサンダルも置いてあるので、出かけたわけではない。台所にもいない。
廊下の奥からシャワーの音が聞こえてきた。風呂に入っているらしい。
こんな時間に珍しい。次子が風呂に入るのは、いつも夕食後だった。
風呂場の前まで来て、次子に呼びかける。

「おーい、飯のしたくまだかー?」

次子が、シャワーを止めて答えた。

「あ、お帰りなさいお兄ちゃん。ごめんね、まだなの。材料は冷蔵庫にあるから、
あがったらすぐやるから」

「あー、いい、いい。ゆっくり入ってろ。飯は俺がやっとく」

「ほんとー?わたし、お兄ちゃんに作ってもらうの初めてだよねえ。楽しみっ!」

ガラス戸を通しても、次子の楽しそうな様子が伝わってくる。こんなことがうれしくて
たまらないという具合だった。
飛び跳ねる音さえ聞こえてくる。

「おい、転ぶなよ」

つくづく幸せな奴だと、太郎は苦笑した。
だが、そこに救われてもいる。何せ、次子はしばらくすれば消えてしまう運命だ。
絶望に沈んでいてもおかしくはない。
深く考えているのかいないのか、明るく振舞ってくれている。ありがたかった。
自分の部屋に戻って、部屋着に着替える。情事の後なのだから、
正直すぐにでもシャワーを浴びたかったが、先客がいるのだから仕方がない。
太郎が台所に入ると、そこにはまだ制服のままの一子がいた。
冷蔵庫を開けて、牛乳をパックに直接口をつけて飲んでいる。

「こら、グラスをつかえ、グラスを」

「いいじゃない、別に」

毎度言い聞かせているが、いうことを聞く気配はない。太郎も、そろそろあきらめかけていた。
一子を押しのけて冷蔵庫の中を見ると、一通りの材料がそろっていた。ひき肉とたまねぎがある。

「ハンバーグだな」

太郎は、つぶやいた。

「何、今日はあんたが作るの?」

「ああ、たまにはな。我慢しろ」

「兄貴がハンバーグ作るとソースが適当だよね。ケチャップにマヨネーズ混ぜてるだけでしょ、あれ」

早速、クレームがついた。

「じゃあ、ソースはお前がやれ」

「いいよ」

まさか、素直に受け入れられるとは思わなかった太郎は驚く。
確かに、最近の一子は角がとれてきていたが、そのときにはいつも次子が間に立っていた。
今は、この場に二人しかいない。
一子を見ると、そしらぬ顔をして手にした牛乳パックに口をつけていた。のどを鳴らして飲んでいる。
遠くからは、パトカーのサイレンの音が聞こえていた。

To be continued.....

 

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