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半竜の夢



Epilogue-1

「馬鹿ね、そんな情けない顔しないでよ」
  そんなに酷い顔をしているのだろうか、自分では分からない。仮に鏡がここにあったとしても
それは変わらない、ものを見ることはもう不可能だからだ。しかしササがどんな顔をしているのかは
なんとなく分かった、苦笑しているのだろう。もうかなり長い付き合いだから、
目なんてものを使わなくてもそれくらいは声で分かる。
「あたしは大丈夫よ、優秀な番人も居るし」
  その存在を主張するように、僕の両隣に立っている二人が声を漏らした。右に居るユマは泣き声を、
左に立っているクリヤは鳴き声を。どちらも表しているのは、これからの事に対する悲しみだ。
どこまでも真っ直ぐな彼女達は、しかし辛さを表す言葉を決して口に出さない。
ただ、しゃくりあげる声がする。
「あなたたちも馬鹿ね、泣かないでよ」
  不意に、ササの気配が近付いてきた。続いてやって来るのは体温を持った圧迫感、
ササが二人をそれぞれの腕で抱いているのだろう。竜害のせいで上手く力を調節出来ない筈なのに、
不思議と快い強さになっている。隣の二人が堪えてくれているのか、
それとも何か奇跡のような力が働いているのか。
  いや、考えるのはよそう。こうなっているという事実だけで充分だ、それ以上の詮索をするのは
無粋というものだろう。何かあるといつも原因を考えていたから、
そんな癖が付いてしまったのだろう。毎回ササに注意されていたが、
今になり、治しておけば良かったと後悔した。どんな気持ちで俺にそう言っていたのか、
なんとなく分かった。

 だからこそ言える強がりもある。
「馬鹿はお前だ、泣くな馬鹿」「うわ二回も馬鹿って言った、クラウンのくせに」
「そうじゃのう、これだから半端者は」
「亞人のくせに、偉そうにしないでほしいですわ」
  いやお前ら、さりげなくササにも酷いことを言っているぞ。
  それがおかしかったのか、ササは軽く声を漏らして笑った。聞き慣れたその声は、
俺の耳によく馴染む。これから暫く聞くことは出来ないというのに、
それがまるで嘘であるかのように自然なものだ。
  だからつい聞き逃してしまいそうになる。
「ね、クラウン。また、会えるよね?」
  こんな、残酷な一言も。
「会えるさ」
  大丈夫、きっとまた会える。
  それに、ここまで来たら後戻りは出来ない。
  今まで、たくさんのものを犠牲にしてきた。
  今はもう居ない、双娘の魔物の命。
  限りなく誇り、高い竜の娘の翼。
  誰よりも弱い、賢者の娘の涙。
  俺の両眼。
  そして世界で一番優しい、半竜の娘の決意。
  ここで止めようと思ったなら、例え口に出さなくても全てに対して失礼になる。
それは、それだけは絶対に駄目だ。世界の皆が許しても、きっと俺自身が許さない。
  だから、進む。
「そこに居るか?」
「うん、ここに居るよ」
  手を伸ばして、ササの体を抱き締めた。細い髪を鋤くようにして頭を掻き抱けば、
指先に硬質な感触が当たる。彼女の特徴とも言うべき角の触感で誰よりも近い場所に居るのが分かる。
いつもならそれに触れられるのを極端に嫌がる彼女だが、今はそんな気配さえもない。
不安なのだろう、俺を痛い程に強く抱き締めてくる。

 数分。
「もうじき、星が揃いますわ」
「名残惜しいが、時間がもう殆んどない。そろそろ始めるぞ」
  もうそんな時間になってしまったのか、気付かなかった。大切な時間程、短く感じる。
それはどんな種族であっても変わらないだろう。刻限が迫ってきているというのに、
ユマもクリヤも中々離れようとしない。俺も本当なら永遠にこうしていたいと思うのだが、
今頑張らないとそれこそ永遠にこうすることが出来なくなってしまう。
  深呼吸。
  息を吐き出すことでこの場に区切りを付けて、天を仰いだ。何も見えることはないが、
それでも視線を誰にも向けないことで終わりの意思表示をすることは出来る。
「始めよう」
  この言葉を合図に、俺は後退を始めた。転ばないようにユマとクリヤが手を引いてくれている。
震えているのは俺の腕か、それとも二人の腕か。いや、多分両方だ。
  轟音。
  鼓膜を貫くような音が体をも震わせ、儀式が展開しているのを伝えてくる。
「上手く、行っているか?」
  誰にともなく語りかけたが、隣の二人が返事を返してきた。言葉ではなく、
強く手指を握ってくることで分かるのは、ササをただ信じていなければいけないという事実。
「頑張れよ」
  相手には聞こえないだろうが、呟いた。
「     」
  周囲に満ちた音のせいで何と言っているのかは分からなかったが、確かに返事が返ってきた。
気持ちは通じている、それだけで大丈夫な気がして俺は目を閉じた。
  きっと、長い眠りになる。
  けれど、寂しくなんてない。
  楽しい楽しい夢を見よう、目が覚めたときに彼女に笑って話せるような。

 ――時は、一年前に遡る

Take1

「疲れてないか?」
「うん、大丈夫。今日は調子が良いの」
  ササは笑みを浮かべながら尻尾を降る。周りに人の気配がないとはいえ、普段から注意している
俺としてはこうしたことをされると複雑な気分になる。嬉しそうな顔をして見られると、
どうにも責められないからだ。そうなるとササは本当に楽しそうに尾を震わせ、
更には翼までもを羽ばたかせた。
「こら、そこまでは駄目だ」
「う、ごめん」
  ササは頭を垂れると、尻尾と翼を服の中に収めた。俺は後ろに回ると確認をして、服の乱れを直す。
これで目的の街に入ったときも大丈夫だろう。誰もが幸福だという噂だが、
用心するに越したことはない。今までも何度かそれを信じて痛い目に遭ってきた。
「今度こそ、大丈夫だよね?」
「大丈夫にするしかないだろ、時間も殆んど無いし」
  最後の望みをかけてここまで来たのだ、これで駄目だったなんてことにはなってほしくない。
ササの『竜害』もかなり進んでいるし、他のところにはもう行けないだろう。
  この世界には大きく分けて四つの種族がある。
  一つ目は人間、力は強くないが高い知能と技術は他の追随を許さない。
特に『賢者』と呼ばれる者は、一人で一つの街を潰すことが出来るという。会ったことはないので
本当かどうかは分からないが、少なくともそういう噂が立つだけの化け物だということだ。
他の人間はそこまでではないものの、それでも強い者は多い。
  二つ目は竜と呼ばれる種族。普段は人間と変わらない姿をしているが、
体のどこかに竜の特徴を示す『竜証』と呼ばれるものがあるので分かりやすい。
こちらは人間よりも知能が劣るものの力は強く、元の姿に戻れば四つの種族の中で敵うものはない。

 三つ目は魔物、これは特殊な例で自然発生するものだ。魔法を使った余波の魔力が特定の場所に
集まると、凝り固まって産まれてくる。外見は人間同じようなものから、
動物や植物に似ているものまで様々だ。知能はそのまま外見に比例するので見分けにくいけれど
異常な程に攻撃的な性質なので、その部分では分かりやすい。
  そして四つ目は、俺やササのような『半竜』と呼ばれる存在だ。文字通り体の半分が竜、
要は竜と人間の間に産まれた者だ。人間からは『亞人』、竜からは『半端者』と呼ばれて
差別されているが、それは大した問題ではない。人間に比べたら生命力は遥かに高いし、
知能も人間程ではないがそこそこある。生きていこうと思えば、それこそ一人でも生きていけるのだ。
数は少ないが、半竜だけの集落も存在する。
  では何故俺とササは旅をしているのか。
  それは半竜にしか発症しない、『竜害』と呼ばれるもののせいだ。竜証はそもそも竜の溢れ出る力が
固まったものであるから、半分とはいえ竜の力が混ざっている俺達にも存在する。
俺の竜眼やササの竜掌などがその例だ。しかし残りの半分は人間であるせいか力を抑えきれずに
漏れてきて、普通一人一ヶ所である竜証が複数できてくる。そして最終的に竜の姿となり、
知性を失って暴れるようになってしまう。これが『竜害』だ。それを防ぐ方法を探して、
俺達は旅をしている。ササと出会って三年、世界中を歩き回った。そして一つ前に立ち寄った街で
治す方法があると聞いて、魔物以外の全ての種族が共存する街があるという噂を頼りに
こちらに来た訳だ。それだけ進んだ都市ならば、対策も進んでいるだろうという判断だ。

「あと、どのくらいかかる?」
「ちょっと待て」
  地図を見れば街まであと僅か、一刻程歩けば着くだろうか。日もまだ高いし、ササ本人は
大丈夫だと言っているけれど危ない状態であることには変わりない。これからもそれ程歩く訳では
ないものの、大事を取って休むことにした。
「今日の御飯は?」
「昨日狩った兎の肉が残ってる。後は、前の街で買った薬茶だな」
「他にないの?」
  不満そうな顔で訊いてくるが、俺の答えは一つ。
「ない」
  兎は可愛いという理由で、薬茶は不味いという理由で、ササはどちらもあまり食べようとしない。
かわいそうだと思うが贅沢は禁物だし、他に食べ物が無いのだから仕方ない。
ササの分を取り分けると露骨に眉根を寄せ、続いて諦めたように吐息した。
「街に着いたら、美味しいものが食べたい」
「はいはい、食わせるから今はこれで我慢しなさい」
  言って薬茶を口に含む。途端に口の中に苦い味が広がるが、仕方のないことだ。
これは元々飲みすぎないように敢えて嫌な味にしているらしいし、栄養価も高い。何より安い。
だからいつも買っているのだが、好きになれる日は来そうに無いと思う。
「ねえ、クラウン」
「黙れ」
「何よその全否定発言は!!」
「良いから黙れ」
  軽音。
「敵かもしれない」
  驚いた表情で、ササが音のする方向を見た。背後の森の奥、微かだが草の擦れるような音がする。
野生の動物である可能性もあるが、魔物である確率の方が高い。ここは大きな街の近くだから、
それに比例して魔法の余波も大きくなってくる。そんな場所に野生の獣は住みたがらないし、
発生した魔物がこちらを狙ってきたと考えた方が自然だろう。

 音が、次第に大きくなってくる。小さな草揺れの音は間違いなくこちらに向かってきていて、
俺達を狙っているのはもはや間違い無いだろう。加速したのか、音は荒々しいものになっている。
しかも確認出来るだけでも複数、厄介だ。
「下がってろ、ササ」
  ササにはあまり戦ってほしくないので、かばうように立った。
  来る。
  果たして出てきたのは、二匹の魔物。それだけでも大分有難い、
守りながらでも何とか戦えるだろう。下手をした場合でも一対一、少なくともササが囲まれる心配は
なくなった。
  観察する。
  相手は少女のような外見だが、それに騙されてはいけない。赤い目と額から延びた巨大な角は
間違いなく魔物である証だ。しかも人間に似た姿ということは知能も高い、
魔法を使ってきたりする可能性もある。更に二匹は瓜二つで双娘のような外見をしている、
それに起因する特殊な力を持っているかもしれない。本当に厄介な相手だ。
  片方は暗く濁った視線でこちらを見ると、
「お肉、食べさせて」
  一歩、踏み込んできた。
  俺は右手に魔力を集中させる。
「大丈夫ですの? 今助けますわ!!」
  突然、声が空から降ってきた。横目でそちらを見れば、騎士が竜に跨りこちらに向かい
高速でやってくるのが確認出来た。騎士が手に持っているのは槍だが、普通とは少し違う。
棒の先端にあるのは輝く魔力で形成された刃、見たことがないがこの地域独特の魔法なのだろう。
それを降り被りながら騎士は竜から飛んだ。
  しかし、
「届かないわよ」
  全長2.5mはある長槍だが、ササの言う通り届かないだろう。まだ距離はかなりある。
  それを聞いて、騎士が笑ったように見えた。
  そして次の瞬間、槍が変化した。

 刃の部分が膨れ、延び上がる。全長15mを越えるそれは槍ではない、恐らく竜をも両断する
黄金の大剣だ。騎士は高い怒声と共にそれを降り下ろした。
  だが、当たらない。とっさに姿勢を低くした魔物の髪を幾束か千切りながらも、
それは無惨に空を斬ってしまうだけだ。切り返しをするのは長い分だけ時間がかかる。
騎士が次の斬撃を放つまでの間、魔物が攻撃してくるには充分と言う程に長いだろう。
  俺はササを小脇に抱え飛び退いて、
「土下座?」
  困惑した。
  何故か魔物が土下座をしている。さっき斬撃を避けたのも、
もしかしたら偶然だったのかもしれない。そう思わせる程に間抜けな光景だった。
いや、油断してはいけないのだ。
こちらが隙を見せた瞬間に襲ってくる可能性も充分にある。
「本当にごめんなさい! あたしたち産まれたばっかりで、人の御飯を欲しがるのは死罪
だなんて知りませんでした! だから許して下さい! ついでにそこの美味しそうなお肉下さい!」
  ……油断しては、いけない。
  だがササは一歩踏み出すと、兎肉を二つ魔物に投げた。すると魔物は跳び上がり、
口でくわえて肉を捕獲。そのまま物凄い勢いで肉を貪り始める。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「これは、どういうことですの?」
「儂にも分からん」
  呆然とそれを眺めている俺達の隣に先程の騎士が寄ってきた。隣に居る褐色の肌の美女は
先程の竜だろうか、銀色の髪や切れ長の目が特徴的だ。胸には厚手の布を巻いただけ、
下半身も丈の長いスカートを着てているものの左右に深いスリットが入っているので一歩
踏み出す度に肉付きの良い脚が見える。足元もヒールの高いサンダルで、とことん軽装だ。
  対する騎士は、殆んど肌を露出していない。

 二人を一度見比べて、判断は一瞬。俺は竜の娘を指差し、
「そっちの勝ち!!」
「な、何をいきなり失礼な比較してますの!?」
「ふん、当然の結果じゃろう」
  激興する騎士の娘とは対照的に、竜の娘は得意気に胸を反り返らせた。
「あの、お取り込み中のところすみません。さっきのお肉は何のお肉ですか?」
  口論している二人が気になったものの、袖を引かれて振り返る。
「あぁ、それは兎の肉だよ」
「なんて残酷な!? この化け物!」
  魔物にそう言われる日が来るとは思わなかった。
「嫌なら猪や熊でも食えば良いだろ?」
「嫌ですよ。あんな怖いの仕留められません」
「じゃあ人間は?」
「そんなグロいことは無理ですよ。何物騒なこと考えてるんですか?」
「草は?」
「あんな不味いのもう食べれません」
  だから腹が減っていたのか、何も食べることが出来ないのなら仕方ないだろう。
  それにしても、
「お前ら、本当に魔物だよな?」
「そうですよ、この角と赤い目が見えないんですか?」
  ふふん、と偉そうに薄い胸を張る。
「何か、妙なのに会っちゃったね」
「そうだな」
  俺は双娘の魔物や口論している二人を見て、吐息した。

Take2

「ところでお主らここらでは見掛けんが、旅のものか?」
「え? そうだが何でンなこと聞くんだ?」
  正直この妙な連中とは早く離れたい。どうするかとササに目配せをすると苦笑して首を振った、
どうやらササも俺と同じ意見のようだ。皆に笑顔を向け、歩き出す。目的地まで
あと一刻だ、辛いかもしれないけれど、頑張ろう。
  しかし、
「お待ちなさい!!」
  強烈な足払いが掛けられ、二人で倒れ込む。振り替えれば、騎士が先程の巨大な光剣を持って
こちらを向いている。これで足払いをしたらしい、本当に峰打ちで良かった。
下手をしたら足首から下がさよならしているところだ。流石にそこまでの敵意はないらしいが、
肩をいからせながらこちらに詰め寄ってくる。首から上を覆う鋭いデザインの兜を被っているので
表情は分からないが、雰囲気からなんとなく怒っているのが分かる。
「ほら、さっきクラウンが乳で比べたからじゃない? 小さそうだもの」
  それだけで比べた訳ではないが、確かに小さそうだ。鎧で押さえられているのかもしれないが、
あの竜の娘とは歴然とした差がある。効率の良い平坦な鎧が物悲しく見えた。
「可哀想に」
「聞こえてますわよ!!」
「ヒステリーは嫌だのう」
  おかしそうに声を漏らしながら、竜の娘が歩いてきた。背後には双娘の魔物も見える。
「ヒステリーじゃありませんわよ!! それと貴方達」
「はい、何でしょうか」
  迫力に負け、思わず敬語になってしまった。
「これからギリィに行くんですの?」
  目的地の街の名前は確かにそんな名前だが、嫌な予感がしてきた。
「守護騎士として、街の中に入れる前に少し調べさせて貰います」
「なに、気張ることはない。名前と種族、目的を聞かせて貰うだけじゃ。面倒だが決まりなんでの、
おとなしく喋ってくれればそれで良い」

 体を鎧で固めた騎士と半裸の竜、中身も外見と同じようで分かりやすい。
分かりやすく説明してくれたお陰で、大体のことは分かった。変なことを聞かれるのも無さそうだし、
目的をはっきりさせている分、もしかしたら協力してくれる者も出てくるかもしれない。
  それは良い。
  利益の方が多そうなので質問される分には構わないが、この騎士が守護役だということに
目眩がした。これから移動する先が一緒だということは監視なり何なりで、
街まで一緒になることだろう。生真面目な騎士も気さくな竜の娘もどこか妙な性格をしているので、
可能ならばこれ以上関わりたくない。なので大人しく答えることにした。隣に居るササにも
素直に従うように目で合図をする。
「はい、まずは名前ですわ。申し遅れましたが、私はユマスティ・グス・リーズベルグ。
皆からもそう呼ばれておりますし、貴方達もユマで結構ですわ。そして隣の半裸姿の馬鹿は
クリヤ・フォウラ。二人でギリィの守護役を致しておりますわ」
「馬鹿ではないぞ、宜しくの」
「俺はクラウン、こっちはササ。名字はない。種族は二人とも半竜、目的は竜害治療」
  簡潔に言ってフードを脱いだ。クリヤが俺の竜証である竜眼を覗き込んでユマに何かを伝え、
ユマはそれを紙に書き込んでいる。若いながらも守護役に着くだけあって、
仕事はきちんとこなすらしい。先程までのふざけた様子は全く感じられない。
  ペンの音が止み、二人の視線がササを向いた。
「良いよ、どうせ見せなきゃいけないみたいだし」

 俺は一瞬躊躇い、しかし結局ササのフードを脱がした。全体を覆っていたものが外れたことで、
幾つもの竜証が見えてくる。最初から備わっていた竜掌に加え、側頭部から斜め下に伸びる
二対の竜角、背から伸びる一対の竜翼、視線を下にずらせば竜尾が見え、
更に下に行きブーツを脱がせれば竜脚が現れる。それを見て二人は息を飲んだ。
当然だ、竜証は全部で五ヵ所、半端な数ではない。その姿は半竜という言葉そのもの、
人間と竜の丁度中間点のような姿だ。前の街で調べた資料によると、もってあと一年程だという。
本当に時間がない。大丈夫だろうか、と願い二人を見ると、複雑そうな目でこちらを見ていた。
「駄目なのか」
「いや、そういうことでは無い。それに実際に竜害を治した者も幾らか居る。
只の、次の儀式が一年後なんじゃ。それまで耐えられるか……儂もここまで進んだ者は見た事がない」
  一年、本当に危ういところだ。しかし可能性は0ではなくなった。そのことが嬉しくて
つい笑みが溢れてきた、ササなどは涙を流しながら僕に抱き着いてくる。竜掌での腕力で
されているので苦しい、というか骨が危険な音をたてているので正直な話死にそうなのだが、
肺の空気を絞り出されているせいで声が出ない。それにこんなに嬉しそうなササを見ていると
止める気もなくなってくる。
「あぁ! クラウンさんがニヤけた表情のまま真っ青になってる! どうしよう!」
  魔物の声で我に帰ったらしいササは慌てて身を離し、顔を覗き込んできた。
表情に俺を心配するような色があるのが見え、大丈夫だとジェスチャーで答える。
俺は空気がこれ程までに美味いものだとは思わなかったと命の大切さを再確認しつつ、
魔物の娘を見た。
「助かった」
「気にしないで下さい! あたしもクラウンさん達に命を助けられました!」

 笑みを浮かべて元気に答えるが、本当に魔物らしくない。
「そう言えば忘れておったの。どうする?」
「殺ります?」
「殺るかの」
  背後で不穏な言葉が聞こえ、振り向いた。見ればユマが真剣な様子で双娘を見ている、
クリヤもそれなりに真面目な表情だ。確かにそうだろう、守護役の仕事の一つである魔物の退治は
街にとって大切なものだ。街を脅かす脅威であるそれを殺すことによって平和が成り立っている
と言っても過言じゃない。命を守護役に預け、また守ってもらっているという自覚が
あるからこそ安心して暮らすことが出来るのだ。
  しかし、
「ちょっと待てよ」
「クラウン?」
「クラウンさん!?」
  俺は魔物の前に立った。
  最初は俺がこの娘達の命を助け、先程は俺が助けられた。だから今度は再び俺が助ける番だと、
そう思ったのだ。こいつらは魔物だが、しかし悪い奴らではないと思う。
「こいつらは俺が保護をする。いざとなったら俺が殺すから、だから勘弁してやってくれ」
  数秒。
「……約束じゃぞ」
「ちょっとクリヤ!! どういうつもりですの!?」
  怒鳴るようにいうユマに面倒臭そうな顔を向け、クリヤは吐息した。
「うるさいのう、馬鹿だが悪い奴らではなかろうて」
「魔物ですのよ!?」
「だから、さっきクラウンが責任持つと言ったんじゃろ。いざとなったら儂も協力する」
「だからって」
「なに、クラウンの言葉が信じたくなっただけのことよ。何故かそんな雰囲気があるでの」
  何か言いたそうだったが、真剣な表情にユマが押し黙る。そして癖なのだろうか、
兜とガントレットの組み合わせにも関わらずユマは頭を掻いた。表情は見えないが、苛々しているのが
全身から伝わってくる。だが何も言わないのを見ると、取り敢えず認めてもらうことは
出来たのだろうか。

「やった! 生きてて良いんですね!?」
「あぁ! クラウンがニヤけた表情のまま真っ青になってる!」
  ササが双娘を引き剥がしてくれた。命とか空気って素晴らしい。
「じゃあ大丈夫みたいだし、さっさと街に行こうか」
「それは良いが、お主大丈夫なのか?」
  それは聞くな。
「ところで名前を聞いていなかったな、お前ら名前は?」
  双娘に向いて訊くと、首を傾げられた。
「それがですね、無いんですよ。産まれたばっかりだし、今まで二人きりだったんで必要が
無かったので。だから、クラウンさんが付けて下さい」
  僕は少し考え、
「チャクムとタックムだな、意味はお喋りと無口」
「で、出来ればもう少し可愛いものを!」
「ならラビシャとラグシャ。可愛いだろ、夏兎と冬兎だ」
  聞いて嬉しそうな顔をしたのも一瞬のこと、何かに気付いたように少し考える。数秒、
首を傾げて黙り込み、そして漸く意味が分かったらしくこっちを向いた。
「さっき食べたお肉じゃないですか!!」
「因みに二択な」
「酷い!!」
  一々反応が面白い娘だ、俺は嗜虐趣味という訳でもないのに、ついついおちょくりたくなってくる。
俺が面白そうにしているのを見ると、よく喋る魔物は肩を落とした。
「もうチャクムとタックムで良いです。良いよね」
  元気な魔物改めチャクムは静かな魔物改めタックムの方を向くと尋ねた。
タックムは特に不満そうな様子もなく、笑みを浮かべて頷く。そういえばタックムは今
まで全く喋っていないが、どうしたのだろうか。チャクムはうるさいくらいなのに、
そんな部分では温度差が大分違って見える。
「あ、タックムは喋ることが出来ないんですよ。その代わり、頭は凄く良いんです」
「ふーん。で、チャクムは喋ることが出来る代わりに頭が凄く悪いのね」

 こらササ、俺が思っても流石に失礼だと思って言えなかったのに。
「面白いの、お主ら」
「皆馬鹿ですわ」
  ユマとクリヤも人のことは言えないと思う。
「まぁ良い、儂は気に入った。どれ、街まで乗せていってやろうかの」
  ふと気になった。
「クリヤの竜証はどこにあるんだ?」
  眺めてみるが、それらしい部分はどこにも見当たらない。外見は完全に人間と変わらず、
鎧に身を包んだユマの方が余程非人間的に見える。
「乳じゃ」
「マジか!? どんな効果があるんだ!? 是非とも見せてくれ!!」
「クラウン?」
  背後から冷たい声がかけられ、俺は瞬間的に土下座した。全身竜の力の塊であるササに
折檻されたことは何度かあったが、その度に死にそうな思いをしたものだ。ササとは恋人という訳では
ないが、こうしたやりとりは珍しいことではない。そして出来ることならばもう痛い目には
遭いたくないので、本能が体を動かした。
「冗談じゃったが。本当は、口じゃよ。炎や氷も吹けるし、竜の姿でしか使えない竜言語魔法も
使うことの出来る優れ物じゃ」
  言って得意気に口を開く。その中にはまるで一本一本が研ぎ澄まされた刃物のような、
白く鋭い歯が並んでいた。まさしく竜口、うっかり頼みでもして股間のものを喰えられた男は
必ず地獄を見るだろう。
  恐ろしいと思って眺めていたが、瞬間、クリヤの上体がのけぞった。仰向けになっても
形が一切崩れない乳は、まさに竜の神秘。真横から見たことでその豊かな丘がはっきりと
確認出来たが、理由は恐ろしい。クリヤの顔があった空間を、どうやら杖だったらしい槍の石突きが
通過していた。
「何するんじゃ!!」
「あらごめんなさい、丁度良い穴があったものですから」
  さっきから思っていたが、この二人はコンビを組んでいる癖に仲が悪いんだろうか。

 クリヤはユマを不機嫌そうな目で見ると、こちらを向いた。
「ま、こんな馬鹿だけを乗せるのも嫌だしの。黙って乗ってくれ」
「乗り心地は悪いですけども」
  再びユマを睨みながら、クリヤは竜化の呪文を唱えた。その体が光の玉に包まれ、
次第に姿が確認出来なくなる。それは瞬間的に巨大化し、光が弾けると巨大な竜の姿が明らかになる。
元の姿の方が楽なのか気持ち良さそうに鳴き、尾と翼を震わせた。
『乗ってくれ』
  思念を伝える声が頭の中に直接伝わってくる。俺達全員が乗ったのを確認すると、
翼を大きく広げて空気を打つ。周囲の木々が揺れる音を背景に、クリヤは飛び立った。
  視界が高く、当たる風が気持ち良い。乗り心地もユマが言う程には悪くない。
『どうじゃ?』
「ん、悪くない」
『そうじゃろ? それなのにユマときたら。それと喜べ、父上以外の男を載せたのはお主
が初めてじゃ。誇りに思うが良い』
「男っ気がないだけですわ」
『お主も同じじゃろうが』
  唸るような声を発しながら、クリヤは強く尻尾を降る。
「クラウン」
  突然、冷たいササの声が聞こえた。続いて、襟首を掴まれる。
「竜化して」
「は?」
「良いからしなさい」
  直後、体が中に躍る。
  落ちては不味いと俺は竜化し、はばたいて姿勢を整える。背中に軽い衝撃が来て、
ササが飛び乗ってきたのだと分かった。続いてチャクムとタックムも飛ぼうとするが、
ササに威嚇されたのだろうか。脅えたような顔をして乗り出しかけた身を引っ込めた。
『お主ら、本当に面白いのう』
「普通じゃないですわ」
「ササさんったら、投げるなんて凄いです」
  強い風のせいで声が流されるが、竜の聴覚でははっきりと聞こえた。他人事だと思って
言っているのだろうが、こちらは本当にしぬところだったのだ。笑い事ではない。
「やっぱりクラウンの乗り心地が一番ね」
  抱きつくように首にかかる腕でササが居るのを感じながら、俺は低く唸った。

Sideササ

 もうこの町に来てから、一ヶ月が経った。半竜ということで迫害されてきたあたし達は
当然手に職があるという訳がなく、しかしお金がなくては生活も出来ないので何でも屋をやっている。
店の名前『極楽日記』というのは、クラウンが付けたものだ。
  極楽鳥のように全てを包み込むように、と言っていた。
  言葉の示す通りに、この店は種族別に分かれた三つの集落の丁度中心になっている場所に
建っているのを使わせてもらっている。そのお陰か殆んど同じ割合で依頼人が来るし、
それぞれの様々な文化を見ることも出来ている。今までそんな余裕も無かったので知らなかったが、
ここに落ち着いたことで、伝聞以外でそれぞれの生活特徴を知った。
それだけではない、殆んど例外的に魔物の娘を置いているので全ての種族がここに居ることになる。
最初はどうなるかと思ったけれどチャクムが言った通りタックムは本当に頭が良いらしく、
すぐに人に化ける術を覚えて普通に過ごしている。二人の正体が知れると面倒なので
店番には出せないものの、それでも一生懸命働いてくれている。チャクムがたまに失敗をするものの
タックムはそれをしっかりとフォローしているので、
こうして呑気にカウンターに座っていられるのだ。
  良いことばかりだ。
  ただ、不満がないこともない。チャクムとタックムは店に置いて貰っているという立場なのに、
不必要なくらいにクラウンにべたべたとまとわり着いて回っている。命の恩人、
という理由て言い訳してくるが、だったら尚更敬意を払って線引きをしてほしいと思う。
それだけじゃない、客の殆んどが女であることも苛々の原因の一つだ。
女の力では大変だと言ってくるが、黙って旦那や兄弟にでも手伝ってもらえば良いと思う。
クラウンは仕事だと言うし、そもそもそれが生活費になっているから仕方のないことだとは
思うけれども、だからといって他の女のところに行くのは嫌なのだ。
  他にも不満があるが、それはあまり言いたくない。

 溜息を吐いて甘茶をすすり、干し菓子をかじる。貧乏な旅の途中では滅多に味わうことが
出来なかった甘い味が口の中に広がり、とても幸せな気分になってくる。
日頃の不満が消える、数少ない時間だ。珍しく暇だということもあり、
このまま時が止まってしまえば良いとさえ思えてくる。後は、クラウンさえ居れば完璧だ。
今日も仕事だが依頼は簡単なものだし、竜害について調べている図書館も今日は定休日の筈なので、
じきに帰ってくるだろう。早く帰ってきてほしい、と思いながら扉を睨む。
  数秒。
  視線を送り続けるが、それがどうしようもなく間抜けな行為に思えてきたので止めた。
だが再び目を干し菓子に向けたところで扉に付けている鈴が鳴り、慌ててそちらに視線を向け直した。
もしかしたら、もうクラウンが帰ってきたのかもしれない。
  期待は外れた。
  視界に入るのは初めて見る顔の二人の女性、正確に言えば女性と幼女の組み合わせだ。
「初めまして、貴方がここの店長さんですか?」
  女性が、笑みを向けてくる。
「あ、いや。あたしは違います。店長は今仕事で出ていますので、用件があったら
あたしから伝えておきます。急ぎでないのでしたら待ちますか? もうすぐ帰ると思いますが」
「いやいや、良いんじゃ。ちょっと見に来ただけだからのう」
  幼女が言った。
  だったらさっさと帰れ、と思った。決して口にはしないし顔にも出さないが、
女の客は正直居るだけで腹が立ってくる。東の島国では嫌な客には塩を撒けと言うらしいが、
まだ生温いと思う。どうせなら岩塩で頭をかち割ってやろう、
そんな穏便でない考えが脳裏をよぎった。東の国でも最初はそうだったに違いない。
「本当に、変わってませんのね」
「そうじゃのう、あいつが居た頃を思い出す」

 あたしの内心とは正反対に、二人は穏やかな目をして店内を眺めている。
「そういえば、お土産を持ってきましたの」
「遠慮せずに受け取ってくれ」
  手渡されたものは鳥籠、中には極楽鳥が入っていた。あたしは久し振りに見たそれに、
一瞬目を奪われてしまった。何度見ても綺麗だと思う。
  極楽鳥の一番の特徴は嘴と左右の風切り羽、尻尾と両眼だ。
それは無限大の色を持っていると言われ、見る角度によって様々に色が変わってくる。
極楽を見てきたとされるこの鳥の先祖は、その美しさを伝える為にこうした色になったという。
この店の名前を付けた理由も、そうした伝説にあやかったものだ。
「美味そうじゃろう?」
  幼女の発言に、思わず耳を疑った。
「止めて下さいまし。貴方が言うと、冗談に聞こえませんわ」
  やはり冗談だったのだろう、幼女は悪どい笑みを浮かべながら笑い声を漏らした。
  それを見て、どこか既視感を覚えた。ごく最近、しかも頻繁に見ているような気がしてならず、
記憶を必死に辿る。しかし脳が邪魔をしているのか、なかなか思い出せない。
「あ、申し遅れました。私の名前はマルスティ、ユマの父です」
「儂はキルマ、クリヤの母じゃ」
  様々な意味で驚いた。
  てっきり女性だと思っていたこの人が実は男だったり、母だというのに外見が幼女の姿だったり、
意見を言いたいところは沢山ある。それが顔に出てしまっていたのか、
二人はおかしそうに声を漏らした。悪い人達ではないと思うが、何とも掴みどころがない。
「誤解させたみたいですみませんね。私は早くに妻を亡くしてしまって、
父と母を兼ねて頑張ってきたもので。何故かここ数年はあまり口を聞いてくれなくなりましたが」

 両親が居ないあたしにはよく分からないけれど、確かに少し嫌かもしれない。
父がカマ野郎だったら、それは会話も減ってくるだろう。
あたしから見ればクラウンがそういった立場になるのだろうか。
クラウンがそうなった姿を想像し、途端に嫌な気分になった。
「ほれ、だから昔に女装は止めろと言ったじゃろうが。このお嬢さんも複雑な顔をしとる」
  クリヤの母であるからには絶対にあたしよりも二回りは年上であることは分かっているけれど、
外見が幼女である人にお嬢さんと言われると複雑な気分になる。守護役の親だということは
先代の守護役、今は集落の長である筈なのに、こんなふざけた人達だとは思いたくなかった。
それでもこの町は平和なのだから、不思議だと思う。
  あたしは一気に脱力して、二人を睨んだ。
「帰って下さい」
「噂通り、物怖じしない娘だのう」
「あ、一つ依頼を思い付きましたわ」
  軽く手を打ち、こちらを輝いた瞳で見つめてくる。
「私達の娘のことなのですが」
「嫌です」
「言う前からですの!?」
  あいつら絡みのことは、正直嫌だ。嫌いではないのだけれども、店に度々やってきては
クラウンにちょっかいを出したり、店内だというのに喧嘩をしたりと問題ばかりを起こすのだ。
それが暮らしていく中で、一番の不満だ。思い出したくなかったことを思い出し、
あたしは溜息を吐いた。今日は平和だったというのに、何故居ないところでもこんな気分に
ならなければいけないのだろうか。
「まぁ、話だけでも聞いとくれ。こいつは変態じゃが、馬鹿ではない」
  知性のある変態ということだろうか、一番厄介だ。
「私達の娘は、普段は喧嘩ばかりなのです」
「知ってます」
  勝手に喋りだしたので、取り敢えず合いの手を入れた。

「ユマもクリヤちゃんも昔から気が強くて、ことあるごとに衝突していたんです。
それが決定的になったのは、あの娘達が七つの頃でした」
「懐かしいのう。ブチ切れたクリヤが思わず竜化をしての、ユマに襲いかかったんじゃ」
「しかしユマもユマで、当時覚えたてだった光剣でクリヤちゃんをしばき倒してしまって」
「うむ。峰打ちで本当に良かった」
  随分と過激な子供の喧嘩もあったものだ。
  しかしそれをあたしに聞かせて、一体どうしろと言うのだろうか。
「それで、是非二人を仲良しにしてほしいのです」
「儂からも頼む」
  頼まれても、これは無理なのではないかと思う。
最近知ったことだが、二人はもう20歳にもなるらしい。
小さい頃から続き7歳に決定的になったらしい溝は、つい一ヶ月程前に知り合ったばかりの
あたし達にはどうすることも出来ないだろう。十数年も続いたものを綺麗に流そうとするならば、
それはもう奇跡にでも頼りにするしかないと思う。あの二人が相手なのならば、それは尚更のことだ。
「すいません、それは……」
「クラウン、居るかの?」
  無理です、と言う前に店の入口が開いた。入ってくるのは褐色の肌を大胆にも露出した竜の娘、
話の渦中の人であるクリヤだった。手には菓子が入った袋があり、機嫌良さそうに開いた口からは
並んでいる牙が見える。
「クラウンは今、仕事で居ないわよ。さっさと荷物を置いて帰りなさい」

 言ったところで気が付き、キルマさんの方を向いた。いつものように言ってしまったが
不味いのではないだろうか。聞くところによると、親は子供を悪く扱われると気分が悪くなるらしい、
それはどんなにふざけた人でも変わらないという。あたしもクラウンをそれに当てはめて考えれば、
結果は同じものだった。
  しかしキルマさんは笑みのまま、特にそんな様子はない。
「気にせんでも良い、寧ろ今の非はこの馬鹿娘にある。それよりもさっきの依頼じゃが」
「だから、それは……」
「クラウン、居ますの?」
  今度も、無理ですと言えなかった。先程と同じパターンで店に入ってきたユマが
あたしの言葉を阻止したからだ。手に持っているのはお茶の葉が入った包み、
ここまで良い匂いが漂ってくる。クリヤのお菓子と組み合わせれば、さぞ良いことになるだろう。
  だからユマを睨み、
「クラウンは今、仕事で居ないわよ。さっさと荷物を置いて帰りなさい」
「ササ、お主さっき儂にしたことと同じ行動だのう」
  クリヤが何か言ってくるが、気にしない。
「それで、さっきの依頼じゃがの」
  これからの展開も予想がついている。しかし諦めてはならないと、あたしは溜息を吐きながらも
キルマさんとマルスティさんを見た。
「ですから、それは……」
「ただいま」
  予想通り入口を開けたクラウンに、あたしは鳥籠を投げつけた。
極楽鳥にはかなり迷惑だったかもしれないけれども、このお土産があって良かったと思った。

Take3

 今日は久し振りに仕事が入っておらず、図書館も休みなので遊びに出ることになった。
天気も良く、風が涼しく過ごしやすい。普段店番を頼んでいるせいで閉じ籠りがちな
ササからしてみたら、1日外に居られるというのは嬉しいのだろう。基本的には建物の中より
外で体を動かすのが好きな娘だ、竜害のせいで体が弱っていても基本的な部分は簡単には
変わらないものだ。それどころか普段体を動かすのを禁止されている分、
余計に活動的になっているのかもしれない。そんな訳で、ササは始終上機嫌だ。
「次はどこに行く?」
  竜尾を楽しそうに揺らしながら、こちらを見上げてくる。
「はい、そろそろお腹が好いたので何か食べたいです!!」
  元気に手を上げて自己主張をするチャクムの方へ視線を向けると同時、
まるで地獄の底から鳴り響いているような豪快な音が聞こえてきた。そろそろどころか、
こいつは物凄く腹が減っているらしい。いつものことだ。
元気に動くのは良いが、必要以上に元気なので腹の減りも激しいのだ。
タックムも喋らないだけで意外と活動的なので、二人揃って大量の飯を食う。
お陰で我が家の食費は半端じゃない額になっているのだ。この小柄で細い体のどこに入るのか
不思議だったのだが、先日チャクムが分かりやすく図で説明してくれた。
個体差があるので他の魔物はどうなのかは分からないらしいが、どうやら二人は
食物自体を摂取するのではなく、その中にある魔力を食べるらしい。
魔物は魔法の余剰魔力や残留魔力が固まって出来たものだから、納得といえば納得かもしれない。
因みに人を襲うのも、そうした体質が関係しているのだろう、とチャクムが教えてくれた。
人や動物の体は魔力が前進に満ちているから、それを吸収する為に襲って食べようとする。
俺達が肉や野菜を食べようとするのと同じような感覚かもしれない。
水分や金属を食って生きていくことが不可能なことと同じ理屈だ、腹は満たせても栄養が取れない。

 何とか出来ないものかな、と考えて歩いていると、大きな雄叫びが聞こえてきた。
「あれ、クリヤさん?」
「何してるのかしら?」
  見ればクリヤが、女性と口論をしているようだった。相手に見覚えはないが、
どこかで聞いたことがあるような声と口調。もしかしてユマだろうか、鎧を脱いでいる姿を見るのは
初めてだが、なかなか整った顔立ちをしている。疲れているのか仕事柄なのか、
目元がやけに鋭いことを除けば親父さんに瓜二つの顔だ。彼女は父親に似たのだろう。
「と、止めた方が良いんじゃないですか!?」
「いつもの喧嘩でしょ? 放っときなさいよ」
  慌てているチャクムとは対照的に、ササは呆れたような顔で二人を眺めていた。
確かに珍しいことではないが、この四人の中で魔物が一番平和主義というのはどうなのだろうか。
因みにチャクムは興味深そうに二人の喧嘩を眺めていた。但しこいつの場合は
喧嘩に興味があるのではなく、その際に使われる魔法に好奇心が向いている。
勉強家であるチャクムはいつの間にか、多数の魔法が使えるようになっていた。
喧嘩を見て覚えているので自然と使えるものも戦闘用のものばかりに片寄っているのだが、
それを上手く応用して生活に役立ててくれているから大したものだと思う。
片方が争いを嫌っていたり、片方が勉強家だったり、つくづく魔物らしくない。
そこらの奴よりも、よほど立派に出来ている。
  それとは正反対に喧嘩を続けていたユマとクリヤだが、とうとう二人とも我慢の限界に来たらしい。
ユマのヒステリーはいつものことだが、クリヤまでもが激昂するなど
余程のことでもあったのだろうか。二人の溢れ出る魔力に怯えてしまって、
チャクムなどは俺の背後に隠れてしまった。ササも竜の血が高まってきたらしく、
タックムに支えられている。

 このままでは不味い。
「叩きのめしてやりますわ!!」
「やってみい!!」
  叫び、ユマは左右の袖口から二本ずつ棒を取り出すと、高速で組み立てた。
現れたのは見慣れた形、全長2mを越える十字架の形をした長杖だ。頭上で数度回転させると、
長い金髪を翻して槍のような構えをとった。
  対するクリヤは身を大きくのけぞらせ、天に向かって吠えた。先程の雄叫びよりも更に強い、
周囲の空間をも揺るがす響き。通常の声帯では発音することが不可能な竜の声は、
彼女特有の竜証である竜口によるものだ。人の姿でありながら異なる言葉を用いて、
敵を滅ぼそうとする。それは竜の姿に戻ったときよりも、なまじ恐ろしいものに思えた。
  不意に、肌に熱を感じた。
「マジかよ?」
  思い出すのは、クリヤの竜証の説明を聞いたときのこと。彼女はこの口があれば、
人の姿でも竜言語魔法を使うことが出来ると言っていた。炎を吐くことも出来ると言っていたけれど、
前進を焦がすような熱は普通の炎ではないものだ。大きく開かれた口の中にある火球は赤を通り越して
黒く輝いており、その熱は空気を焼いて風を起こしている。
「竜の炎、受けてみい!!」
  吐いた。
  長い尾を引いて吹き出された火球は瞬時に巨大化し、ユマへ飛来する。
「温い、温いですわ!!」
  身を一瞬だけ縮め、それをバネのようにしてユマは跳躍した。
  避けるのではなく、前へ。
  炎に向かうという方向性を持って己の身を跳ね飛ばし、長杖の先端を突き込んでゆく。
動きは単純なものだがそれ故に力の方向性も収束しており、指向性のある一撃となる。
  直後。
「突て、我が力よ!!」
  ユマの声に応えるように長杖の先端に魔力が展開し、それは白く輝く刃となった。
魔力で形成された白刃は命令通りに炎を突ち、更には膨張して巨大な熱量の塊を霧散させる。
竜の力が砕けたことで轟音が響き、大気が荒れ狂った。

 しかし、ユマの力はそこで終わらない。
  一点突破という意味を持つそれは、攻撃を退けてもまだ力を残していた。
再度地を蹴り突進を加速させ、クリヤの元へ突っ込んでゆく。先端に収束させても強すぎる力のせいで
大気に余剰魔力の光が舞い、それを見に纏ってユマは突き進む。
その姿は、まるで彼女が槍になったのかと錯覚する程だ。いや、彼女は槍そのものだ。
  衝撃。
  何かが噛み合う音と共に風が吹き、土煙が舞い上がる。
「温いのは、どっちかのう?」 煙が晴れると、信じがたい光景が視界に飛び込んできた。
「こんなもの、腹の足しにもならんわい」
  勢い良く突き込まれた光槍の先端を、クリヤは口で受け止めていた。
そのままクリヤが身を勢い良く捻ると、光槍が硬い音をたてて半ば辺りで折れた。
「違う」
  ユマが見せたのは、焦りではなく笑みの表情。
  これは元々複数の棒を繋げたもので、当然ジョイント部分は存在する。ユマの行動は、
それを利用したものだ。つまりクリヤに折られたのではなく、ユマ自身が折った。
正確に言うのならば、その連結していた部分を自分で外したのだ。
  体に力を入れていたのならば、すかしを受ければ力は行き場を失って姿勢が崩れる。
「謝りなさい」
  ユマは柄を両手で持つと腰を落とし、柄を外したときの身の捻りを利用して振り抜いた。
普通ならば当たることは殆んどない大振りの一撃だが、クリヤはバランスを崩している。
避けられそうもない状態だったが、しかし強引に身を投げてそれを回避した。
光刃を展開していなかったことと、得物の長さが1m程になっていたのが原因だ。
  ステップを踏みながら距離を取るとクリヤは跳躍、再び竜の雄叫びをあげる。

「お馬鹿さん、どんなに力が強くても空中では意味がありませんわ!!」
  ユマは柄の先に光刃を展開、5mもある大剣を作り振り被る。このままでは一刀両断に
なってしまうだろう。だが俺は、クリヤの狙いに気が付いていた。今の雄叫びは多分偽物、
相手を欺く為のものだろう。強い攻撃の際にはこうすると知っている相手にこそ、効果があるものだ。
幼馴染みであり、共に守護役として戦っているユマだからこそ、引っ掛かりやすいフェイントだろう。
戦い方を知っているからこそ、騙される。
  ユマが光剣を振り下ろすのと同時に、クリヤは炎を吐いた。但し竜言語魔法ではなく、普通の炎。
それ自体は刃にかき消されるが、それで問題ない。大事なのは炎を吐いたことにより起こる、
空中での移動だ。それによりクリヤの体は後方に飛び、
ユマの一撃を避け改めて行動することが出来る。
先程手に入れた長杖の上半分を持ち、不適な笑みを見せた。
「天誅!!」
  落下の勢いを味方に付け、それを振り降ろす。ユマは光剣を振り下ろしたばかりの姿勢で
身を前に傾けており、頭を垂れる罪人のようになっていた。杖の向かう先は無防備にも晒された首筋、
吸い込まれるように一直線に振ってくる。
  これは流石に不味いだろう、死んでしまう。
  俺はユマの襟口を掴むと放り投げつつユマの杖を奪い取り、クリヤの打撃を受け止めた。
馬鹿みたいに強い威力だが、相手が俺に変わり手加減してくれたのだろう。辛うじてだが、
姿勢を崩すこともなく防ぐことが出来たのだから。
「ふん、命拾いしたな」
「わざと、ですわよ」
  そう言うと、クリヤは鼻で笑った。
「おい、流石にやりすぎだろ」
「おお、クラウン。すまんかったの。怪我はないか?」

 漸くこちらに気が付いたらしく、笑みを向けてきた。いつも通りの表情を見ていると、
つい数秒前まで殺し合いをしていた者と同一だとは思えなくなる。
  しかし、これ程までに仲が悪いのだ。二人の親に仲良くさせろと依頼を受けたのだが、
これではまだまだ無理かもしれない。今の争いは、仲が悪いとかそんな次元ではなかった。
しかも喧嘩を止めるにも、守護役同士の争いなので命がかかっている。これからのことを考えると、
思わず溜息が溢れてきた。
「クラウン、大丈夫?」
「おかげさまで」
  チャクムとタックムに支えられながら歩いてきたササに、苦笑を向ける。
「それより、今の喧嘩を見て凄いことを思い付いたの。チャクム、口開けて」
「何ですか?」
  不思議そうに口を開くチャクムの顔に手をかざすと、ササは笑顔でタックムに耳打ちをする。
タックムは首を捻りながらチャクムの顔に手をかざすと、ササを見上げた。
「チャクム、せーので飲み込むのよ」
  間抜けに口を開き、頷いた。
「せーの!!」
  直後。
  タックムはいきなり、光弾を打ち込んだ。当然飲み込める筈もなく、チャクムは口から
白い煙を吐き、白眼を剥いて気絶する。あまりにも酷い光景に、言葉が何も出てこない。
ササは一体何を考えているのだろうか、クリヤ達の喧嘩とは違う意味で恐ろしい。
「やっぱり駄目だったかぁ」
  やっぱり、って何だよ。
  ササは苦笑を浮かべ、チャクムを見た。
「いやね、チャクムとタックムは魔力を食べるっていうから、おにぎり感覚で食べれると思ったのよ。
この魔法って魔力の塊だし、それに上手くいけば食費も浮くしね」
  何て無茶な。
  可哀想なチャクムの頭を撫でると、俺は治癒魔法をかけてやった。

Sideクリヤ

 クラウンは軽く伸びをすると、ユマに手を差し延べた。
  しかし、
「結構ですわ」
  それを払い、自分で立ち上がる。
儂がされた訳では無いが、礼儀知らずなこいつの態度に腹が立った。
こいつは昔からそうだった、何があろうとも他人の手を借りようとせずに
全て自分で解決をしようとする。まあ、儂もそうなので人のことは言えんが、
見ていると腹が立って仕方がない。それに先程の喧嘩の原因もそれだった。
最近は魔物が増えてきたから対策を話し合っていたというのに、
こいつは自分一人でも充分などと抜かし、怒鳴りつけてきた。
それだけならいつもと同じだから構わなかったが、魔物の見方をする女などと言われては
後に引けなかった。確かにクラウンがチャクムとタックムを引き取ると言ったときには賛同もしたが、
守護役として働いている自覚を持っていない訳でも、忘れた訳でもない。
それに、その後でユマは……いかん、思い出したら余計に腹が立ってきた。
「クリヤ、この後暇か?」
  いきなり振り向かれ、問われて一瞬言葉を失った。
「ユマも、今日は休みだろ? 鎧着てないし」
  言われて今頃気付いたのか、ユマは頬を赤く染めて下を向いた。
普段から常に鎧を着ていると思われたのが恥ずかしかったのか、
野暮ったい私服の姿を見られたのが嫌だったか儂には分からんが、
どちらにせよ成人した女が簡単に見せて良いものではない。

 それは置いておくとして、どうするかのう。
  今日の残っている仕事といえば、急に魔物が現れでもしない限りは簡単な報告書だけ、
提出する相手も母上だから家に帰った後でも大丈夫じゃな。それにクラウンからの誘いも珍しいし、
蹴るのも惜しい。恋人ではないと言ってはいるが、ササの為に普段から忙しく働いているこいつと
何かをする機会は殆んど無い。
  それに、過去に何をしていたのかも少し興味が沸いた。
  最後の打ち降ろしによる一撃、あれを止めることが出来たのは信じられなかった。
勿論寸止めするつもりで力を少し抜いていたが、それでも手を抜くことはしなかった。
だから受け止めることは愚か、普通なら割り込むことも出来なかった筈だ。
竜眼の力は基本的に見切りと遠視、だがそれだけで解決出来るものではない。
それは空を駆けるときに使う力で、ここまで出来るものではないからだ。それに、色も気になった。
普通の竜眼は深い緑か青の筈だが、クラウンの眼は鮮やかな真紅に染まっている。
  まるで、血の色のような。
「それじゃ儂は、奢らせて貰うとするかのう」
  言ってユマを見ると、目を反らされた。
「仕方ありませんわ、予定も無いですし奢らせて頂きます」
  素直なのか捻くれているのか、長い付き合いじゃがたまに分からなくなるのう。
「それじゃ、どこに行く?」
「『バンズヤン』で良いだろ、安くて美味い。量もある」

 言いながらチャクムを背負うクラウンを見て、少し羨ましくなる。クラウンがではなくチャクムが。
儂も幼い頃、父上がまだ生きていた頃はユマと喧嘩をした後、力尽きた体を背負われていた。
厳しい注意とは逆に背中は優しく心地良くて、儂も父上に文句を言っていたが
内心は嬉しさで一杯だった。そう言えばクラウンと初めて会った日も最後は
皆で竜化をしたクラウンの背に乗ったが、あれが快かったのも思い出を重ねていたかもしれない。
  思い出しながらクラウンを見つめていると、ササに睨まれた。
ユマとは正反対で何とも分かりやすい、
会ってまだ幾らも経っていないのに何を考えているのかすぐに分かる。
「心配せんでも良い、取ったりなどせんよ」
  思えば、初めて会った日からササは皆に嫉妬をしていたような気がする。
「なんとなく気になったんじゃが、二人はどんな感じで出会ったんじゃ?」
  儂とユマが幼馴染みだということは母上達から聞いているらしいが、
こいつらの関係をはっきりと聞かされた覚えが無い。
ササの竜害を何とかする為に二人で旅をしていたのはここに入るときに聞かれたが、
それ以前の根本的な部分は全く知らない。書類の上では、只の二人組ということになっている。
夫婦でもなければ、兄妹でもない。クラウン本人が恋人でもないと言っている以上は
その線も無いと思うが、ならば何故こんなにも一生懸命にササを助けようとしているのか。

 集落などを組んでいるならば話は別だが、半竜はまず他人を気にしない。正確な表現をするのなら、
気にする余裕など存在しない。人間からも竜からも迫害を受けることが多く、
それを嫌がって野宿をすれば魔物に襲われる可能性がある。
そうなった場合でも誰かが助けてくれる筈もなくて、自分一人の身で退けなければいけない。
旅をしていたからには、クラウンも例外である筈はないと思うが、しかし実際の行動は違う。
  何が、あったのかのう。
「それは私も知りたいですわね」
  儂とユマに見られ、少しクラウンを見た後でササは頷いた。
「あのね、私は昔用心棒をしてたのよ。学校にも行けなかったしまともに働けなかったし、
竜害が発症するのを覚悟でね。それしか生きる方法無かったし」
  いきなり重い話だのう。
  隣を見ればユマも真剣な顔をしているが、ササは気遣いをしたのか苦笑を浮かべ、
顔の前で軽く手を振った。空気を悪くしたくないらしく、儂もそれは同じなので先を促す。
「それでね、ガリヤ地方を旅してたときに山賊に出会した訳。大変だったわよ、
合わせて三十人は居たのかな? もっと居たかもしんない。追われたあたしは必死に逃げたの」
  成程、あっちの方は異種族反対派の人間が多いし、本当に大変だったのだろう。
半竜や魔物は元より、竜族をも迫害をするらしいと聞いている。何故このギリィの町のように
皆仲良く出来ないのかと疑問に思うが、儂らには理解出来ないものがあるのかもしれない。
昔から言われている問題、竜族と人間の差だ。

「それでね、逃げてたらクラウンと鉢合わせして」
「何を話してるんだ?」
「クラウンと初めて会ったときの話。懐かしいわね、あのときクラウンも逃げてたのよね」
  二人には悪いと思うが、その光景を想像して思わず吹き出しそうになった。
二人で大群に追われて逃げながら、正面衝突。本人達は必死だったとは思うが、
何とも間抜けな光景に思える。しかし、普通に出会うよりは余程こいつららしいと思った。
「あのときのササの台詞も面白かったな。自分も追われているのに、
『追われてるのね。どう? 今なら安く助けてあげるわよ?』だもんな」
「馬鹿ですわね」
  ユマは苦笑を浮かべて、しかし楽しそうに言った。
「その後で二人で協力して山賊をシメて、あたしの竜害をクラウンが見付けて」
  助けてやるって言って、と言い頬を染めてササは俯いた。
何とも奇妙な出会い方だが、羨ましくなる。
儂はこの町から仕事以外で出たことはないから、そんな体験をすることはまず有り得ない。
出会う相手といえば、クラウン達のような旅人といった僅かな例外を除けば魔物だけだ。
それも一瞬で終わってしまう程の、つまらない縁にしかならない。
「ササは、恵まれておるのう」
「うん、あたしもそう思う」
  本当の意味は分からなかっただろうが、笑みを返された。
  そんな意味でも、恵まれておる。

 心の中で呟いて、『バンズヤン』に入る。中は相変わらず人が少ないが、流行ってない訳ではない。
ここは半竜の集落にある店なので、人間や竜の集落に比べて人口が少ない。
三つの集落が隣接してギリィの町が成り立っているが、仕事以外では基本的に他の集落に行くことが
少ないからだ。集落同士の仲は良いが、文化や精神的な違い、という差がそうさせる。
儂は気にしないが、そういったものは確実に存在すると実感した。
  店主殿に挨拶すると、気が付いた。
  竜角が生えてるのう。
  先日は竜翼だけだったが、これが生えてきたということは竜害が発症したということだ。
これも半竜だけの持つ他の種族との違い、そして決して立ち入ることが出来ない差だ。
  席に着くと、クラウンが目を細めて儂とユマを見つめてきた。
「さっきは何で喧嘩してたんだ?」
  食事に誘われたのも珍しいが、こうして尋ねてくるのはもっと珍しい。
普段はどんなにユマと喧嘩をしても訊いてこないのに突っ込んでくるということは、
母上達から何か言われたといったところか。
こんな気遣いをするのは良いことだと思うが、しかし儂にも絶対に譲れないものがある。
「こいつが悪いんじゃ」
「へぇ、何をした?」
  赤い竜眼の効果なのか、一瞬言葉に詰まった。
「こいつが、儂を侮辱した。儂だけではない、竜族全てを侮辱した」
  いかん、また腹が立ってきた。
「この馬鹿は言うに事欠いて、儂をトカゲ女と言ったのじゃ!!」

 誇り高き竜の姿をトカゲなんぞと言われたときの怒りといったら無いだろう。
「貴方こそ、私をサル女と言ったじゃありませんか!!」
「ふん、人間なぞサルと同じじゃ!!」
  いや、躾ればまともになる分サルの方が幾らかマシかもしれんのう。
「ちょっと、アンタ達」
「黙れ半端者!!」
「亞人は黙って頂けませんこと?」
  ササのこめかみから、何かが切れたような音がした。
「何よ!! 半竜の何が悪いのよ!!」
  どいつもこいつも煩い、皆まとめて消し炭してやろうか。
  口の中に炎を溜め、
  直後。
「黙れ」
  口の中に強烈な苦味が走った、クラウンが強制的に薬茶を流し込んできたせいだ。
この不味さは絶対に好きになれないが、今はこれのお陰で少し頭が冷めた。
何をしておるのか、と思う。守護役でありながら、我を忘れて町を破壊しそうになって。
「落ち着け、良い女は絶対に怒らないもんだ」
  良い女、か。
「すまなんだの、礼を言う」
「気にするな」
  言ってクラウンは薬茶を口に含み、笑みを見せた。
  それにしても、何故こいつはんな不味いものをを美味そうに飲めるのかのう。
以前から不思議に思うとったが、これも赤い竜眼の効果じゃろうか。

Take4

夕食後、食器を洗い終え寝室に入ると、ササが髪を半端に濡らした状態でベッドに腰掛けていた。
手元にあるのは破れ千切れてしまったタオル、どうやらやってしまったらしい。
竜掌、正確には肘から先なのだが、それは竜の腕力を持つ。爪も鋭く、タオルがぼろぼろになるのは
もはや殆んど毎回のことだ。昔はそれ程でもなかったと思うのだが、
最近は特に手加減が出来なくなってきているらしい。竜害の進行が早くなってきているせいだろう、
そのことを思って軽く辛い気分になった。これで残りの十ヶ月も保つのだろうか。
こちらを向いたササと目が合うと、俺は笑みを浮かべた。
「じっとしてろ」
「うん」
タンスから新しいタオルを取り出すと、背後に回り頭に被せた。
そしてなるべく竜角に触らないように髪を拭いてゆく。
触られるのを本人が嫌がるから、という理由もあるが、基本的には体の為だ。
竜角の能力は空間からの魔力の供給、ササはそれを行うことで魔力を補給して
辛うじて健康を保っている状態だからだ。
そのため、万が一傷が付いたりなどしてしまったら大変なことになる。
長い髪を包み込むようにして丁寧に水気を取ってやっていると、
機嫌が良いのか竜尾や竜翼を動かし始めた。体に当たってくるので少しうっとおしいが、
元気な姿を見ることの喜びの方が大きいので黙って行為を続けてゆく。
「ねぇ、クラウン?」
「何だ?」
「大好きよ」
体を反転させて、唇を重ねてきた。

これは珍しいことではないが、少し違和感を覚える。声は楽しく弾んでいるが瞳は真剣そのもので、
それなのに全体的な表情を見ると悲しそうに見える。全てが噛み合っていない状態で、
いつものササらしさというものが全く存在しない。
雰囲気でいえば、出会ったばかりの頃のようなものがある。
絶望して、運命を酷く呪っているような、孤独な者のものだ。
「どうした?」
「ん、クラウンが最近構ってくれないから」
そうだろうか、と少し考え、そうだった、と結論する。
だが生きていく為には仕方ないことだと思う。
まずは竜害の治療が先だし、飯を食わないで生きていける訳も無いから、
働くのは止むを得ない。無理を通せば道理が引っ込む、それは当然のことだ。
だが気持ちが分からない訳でもなかった。ササとはまだ恋人と胸を張って言えない関係で、
しかも竜害の問題が解決するまで答えはは保留ということになっている。
答えも貰うことが出来ず、最近は仕事が忙しかった。嫉妬心が強いササからしてみたら
女性の依頼人の割合が多かったことに苛ついていただろうし、細かったのかもしれない。
「ずまんな」
「うん。それにね」
どうした、と尋ねる前にササはシャツのボタンに手をかけた。
手が普通と少し違うので大変そうだが、既に大分慣れたのだろう。
最初は苦戦をしながらもボタンを外して、襟が広げられると、
見たくなかったものが視界に飛び込んできた。

逆鱗。
喉元に、新たな竜証が輝いていた。これで合計6つ目の竜証が現れたことになる。
今も人間に近い状態を維持していられること、それ自体が奇跡のようなものだ。普通ならば、
竜証は6つも出てこない。その前に竜害が本人の意思を食い破り、暴走している。
俺の、母親のように。
思い出しかけた記憶を振り払い、ササの肩を掴んだ。
「どうしたんだ、それ?いつからだ?」
「今朝、起きたら出てた」
何てことだ。
悲しいが、同時に腹が立ってくる。
ササに対してではなく、今まで気付くことが出来なかった自分にだ。
今日一日側に居たというのに、何も察してやれなかった。
油断していた、とは違うと思う。ただ単に、見ていなかっただけだ。
まだ大丈夫だとタカを拘っていて、その結果がこれだ。
もう少し見ていれば良かったと、後悔の念が胸を締め付けてくる。
「言い出したあたしの台詞じゃないと思うけど、そんなに思い積めないでよ。
大丈夫よ、まだ体にはそんなに影響無いし。それに、今はあたしのこと考えてくれてるじゃない」
慌てた様子でまくしたて、顔の前で大袈裟に手を振る。
でも、と言う前に再びササは唇を重ねてきた。
「悪いこと考えなくても良いから、その分愛して」
「……すまん」
「ほら、また謝ってる!!」
憤った後で小さく笑い、三度目の口付けをする。互いの背に腕を伸ばして、
舌を絡めて唾液の交換をした。小さく喉を鳴らして唇を離すと、俺とササの唇の間に細い端が架る。

そしてベッドから降りてしゃがみ込むと、股間に顔を埋めてきた。口でくわえてズボンを下ろし、
俺のものを取り出すと舐め上げてくる。柔らかな舌と唇の感触で、竿は瞬間的に固くなった。
ササは目を細めると、それに吸い付いてくる。だが何回か顔を動かした後で急に動きを止めると、
不意に引き抜いて俺を見上げてきた。
「ごめんね?」
「ん?」
「ほら、色々してあげたいんだけど。あたしってクリヤみたいに胸が大きい訳でもないし、
ユマみたいに綺麗な肌でもないし。手に至ってはこんなじゃない?」
こんな、と言いながら竜掌を軽く開閉させた。確かに、これでは握ることも出来ない。
下手に掴んで上下に扱いてしまったら、その瞬間に根元から千切れてしまうだろう。
胸も小さくはないが、挟んで動かすのは物理的に不可能な大きさだ。
形は綺麗だし、チャクムやタックム、ユマと比べると大きいので悪いとは思わない。
それに個人的に、大事なのは色や質感、柔らかさだと思っているので、
焼きたてのパンのように柔軟なササの胸は俺の視点から見てみたら非常に良いものに思えてくる。
体とのバランスも丁度良いくらいだし、どこにも悪い部分などないというのが俺の正直な感想だ。
「クラウン、口から乳理論が漏れてるわよ?」
いかん、つい。
「ま、良いけどね。誉めて貰えるのは嬉しいし」

ならば、もう少し誉めようと思いササの体を抱き上げてベッドに横たわらせた。
ササは体の構造上仰向けになることが不可能なので、横向きで抱き合う姿勢になる。
俺は一度唇を重ねると、舌を首筋に滑らせた。鎖骨を通り、胸の先端に辿り着くと
既に固くなっているのが分かった。自己主張をする桃色の先端を唇で挟み、表面をなぞり愛撫する。
この方法が一番気持ち良いらしく、視線を軽く上げると目を閉じて耐えているササの顔が見えた。
抱きついてくることも出来ず、シーツを握ることも出来ない状態なので、
碌な抵抗も出来ずにひたすら耐えていた。
股間に手を伸ばしてみると、ざらついた固い感触がある。
今度はそちらに目を向けると、恥ずかしいのか、竜尾を太股で挟むようにして前方に回し、
股間を覆っていた。今までも何回も見たり触ったり舐めたりとしているので今更だと思うのだが、
抵抗はやたらと強く、引き剥がそうと思っても中々外すことが出来ない。
元々は竜の力の結晶だ、人間の姿では太刀打ち出来ないのも無理はないのかもしれないが
『愛して』と言われた以上は最後まで頑張るのが男というものだろう。
それに、ササに俺をしっかり頼って貰いたいという意地のようなものもある。
次からは、安心して俺に全てを話せるように。
しかし困った、どうやっても動かすことが出来ない。
「ん?」
見ていて、一つ気が付いた。
「ちんこみたいだな」
「え!?ちょっと、変なこと言わないでよ!?」

おう、扉を開く魔法の言葉はこれだったか。
ササは驚きの表情を浮かべ頬を赤く染めると、慌てて太股の間から竜尾を引き抜いた。
俺はそこに手指を伸ばしたが、
「もう、濡れてる?」
「言わないで!!」
殺気に思わず腰を引くと、先程まで俺のちんこがあった空間を竜尾が薙いだ。
あまりに酷い仕打ちに血の気が物理的に引き、ちんこも少し固さを失って平常時の大きさに
戻ろうとしていた。考えるだけでも恐ろしい、もし腰を引くタイミングが一瞬でも遅れていたら、
男としての生命が終わっていた筈だ。上手くいっても、暫くはカマ野郎になっていた。
「ご、こめん」
「気にするな、入れるぞ」
「え、いきなり?」
確かに何のムードも無い状態で入れるのは良くないかもしれない。こんな空気でササとするのは
毎回のことだが、少しくらいは雰囲気を演出しても良いだろう。
例えば、音楽を背景に入れるのはどうだろうか。だとすれば楽器は今手元に無いから、歌だろうか。
「ササ、何か歌ってほしい曲とかあるか?」
「え?」
ササは少し黙り、
「クラウンの故郷の曲、とかは?」
それは、どうだろうか。
俺の顔を見ると、ササは不安そうな表情を浮かべた。
「念の為に訊くけど、曲名は?」
「『猪追い歌』、狩りが盛んだったんだ」
「随分アグレッシブな村だったのね」

思い出すと、少し懐かしくなる。里を追われた半竜が集まって出来た村だったが、
皆が楽しく強く生きようとしていた。猪追い歌も、その前向きな気持ちの現れだった。
歌詞は方向性が間違っている感じで積極的だったが、少なくとも俺の故郷の歌だ。
「でも、良いわ。何も言わなくて良いから」
俺は黙ってササの乳を揉んだ。
「何か、それもやだ」
「じゃあ改めて、入れるぞ」
体に負担がかからないようにうつ伏せにすると、ササを割れ目に竿を当てがい、
一気に奥まで貫いた。
刺激が辛かったのか竜尾で俺の胸板を連打してくるが、眼前で揺れる竜翼を噛むと大人しくなった。
特に内側が敏感らしく、強めに歯を立てると背を反らし、膣内の締め付けが強いものになる。
快感に呑まれないように意識をしながら腰を動かし、子宮の入口をこじるように突いてやる。
布を引き裂く音がして、目を向ければシーツが僅かに引き裂かれていた。
ササ本人も意識してない行動だろう、耐えるようにシーツを掴んで、
肩を上下に揺らしながら荒い吐息を溢していた。
「う、出る」
「うん、今日は、大丈夫、だから」
最後まで聞かずに、一番深いところで放出した。
引き抜くと、痙攣している割れ目から粘度の強い白濁液が糸を引いて垂れてくる。
シーツに染みが出来るが、裂かれているので変えようと思っていたし、問題はない。
ただ、少し心配になった。
「やっておいて何だが、体は大丈夫か?」
「心配しないでよ」
照れているのか、うつ伏せのままのササが竜尾で軽く叩いてきた。

8

「ただいま帰りましたわ」
  やたらと広い家は、声がよく響く。それが寂しさを強調しているような感じがするので、
私はこの家があまり好きじゃない。どこまでも続くように錯覚させる長い廊下や、
今にも押し潰してきそうに見える壁などは特に嫌いだった。
それは私が幼い頃から全く変わっていない、けれど特に気にすることでもなかった。
  昔はお母様や皆が居て、
「今は、慣れてしまって」
  少し進むとお父様が料理をしていた。後ろ姿はまるで女性、昔は大きく見えていた背中が
小さく見えるのは、私が成長したからという理由だけではないだろう。
年甲斐もなく女の格好をしているお父様は、
長年女装をしているだけあって本物の女性よりも女らしい。
その女らしい雰囲気が、より背中を細く小さく見せているのだと思う。
「お父様、何を作ってらっしゃるの?」
「ん? ザックラースって地域のお菓子ですわ。とても体に良いらしいの」
  喋り方もまるで女性、私の喋り方もお父様から引き継いだものだ。顔立ちは昔絵で見たお母様よりも
お父様の方に似ているし、この金髪もお父様から引き継いだもの。
殆んどがお父様から受け継いだもので、逆にお母様に似ている部分は少ない。
せいぜい足りない胸くらいだろう、とお父様は冗談混じりに言う。
それ程までに、似てない母子だったらしい。

 しかし、愛情は人一倍だったそうだ。お母様とは物心が付く前に死別してしまったので
よく覚えていないけれど、お母様は大層私を可愛がってくれたらしい。
だから私は自分に似ているお父様よりも、全然似ていないお母様に懐いていたそうだ。
だからなのだろう、お父様が女装を始めたのは。
はっきりと理由を訊いたことは無いけれど、私が寂しい思いをしなくても良いように
父親であるよりも母親を選んだのだと思う。
  それに、苦笑が浮かんだ。
「どうしました?」
「何でもないです、少し汗を流してきますわ」
  部屋に行き鎧を着て、窓から外に出る。私の部屋は絶壁に面しているので、
小さな頃は見下ろすのも怖かった。しかし今では、良い準備運動の場所になっているから不思議だ。
  空中に身を踊らせながら、暫く風を体で味わう。僅か十秒間にも満たない空中浮遊は、
小さな楽しみとなっていた。竜属と違って私達人間は空を飛ぶことは出来ないけれども、
このようにして束の間の空を楽しめる。これは準備運動でありながら、
それと同時に私の数少ない楽しみの一つでもあった。
「でも、短いものですわね」
  夜の闇の中でも、下方の地面が見えてきた。そろそろ潮時、小さな楽しみが終わることに
寂しさを覚えながら吐息をする。クリヤは憎たらしいけれど、空を飛ぶときは悪くないと思う。
空と風が好きな私が自由に舞うことが出来るのは、今とクリヤの背中に乗るときだからだ。
それだけは感謝したい。しても良いと思う。

「そろそろですわね」
  地上が近付き、私は長杖の先に光の刃を形成した。
  投げる。
  轟音と共に吹き上がる風を受けながら体の向きを調節して、落下の力を殺しながら少し
ずつ降りてゆく。今日は調子が良く、衝撃も殆んど無く着地出来た。
「今日は、土にしましょうか」
  長杖を地面に突き立て、集中する。イメージは巨大な人形、光の刃を形成する応用で地
に魔力を流し込み、立体を作り上げてゆく。数は4つ程、なるべく体は固い方が良い。
  出来た。
  完成と同時に襲いかかってくる土人形から間を置く為に後方に跳躍、
一瞬の後には私が立っていた場所に巨大な土の拳が突き立っていた。
調子が良すぎて、土人形の性能も高く
なりすぎているらしい。いつもよりも動作が機敏で、しかも迷いが無い。
「上等ですわ」
  自分で作り出した土人形を相手に何を言っているのかと思うけれど、すぐに思考を切り変えた。
どうせ誰も聞いていないのだから、恥も何もない。
「いきますわよ」
  なるべく土人形の視界に入らないように低い姿勢で駆け、長杖の先に光刃を作り出して
一番近くの足を狙う。砕く必要はない、突き立てるだけでも充分に役目を果たしてくれる。
  光槍によってバランスを崩した土人形は片膝を着き、私はその体を駆け上った。
指先に魔力を集中させて光弾を作ると顔面に撃ち込み、肩に蹴りを当てて即座に飛び退く。
次の瞬間には私を狙った二体目の土人形の拳が、一体目の土人形の顔を砕いていた。

 残り、三体。
  着地すると光槍の絵を掴んで、全力で振り回す。巨大な土塊となった土人形を打撃部にした
ハンマーは、質量の塊となって二体目の体を打ち砕く。同等の質量と硬度を持つ打撃を与えられて
二つの体は粉々になり、周囲に土砂の雨を降らせた。
  残り、二体。
  土砂に姿を隠しながら、光槍の刃を伸ばしてゆく。出来上がるのは全長10m超過の大剣、
初めてクリヤが竜化をして襲いかかってきたときにも使った、思い入れのある攻撃魔法だ。
刃の光に反応してこちらに向かってきた土人形に向けて、私はそれを全力で振り抜いた。
  手応えは無い。
  破壊力よりも切れ味に重点を置いた刃は、空振りとさえ思える程に抵抗もなく土人形を両断する。
左右対照に分かれた土人形は、地響きをたてながら崩れ落ちた。
  残りは一体、これは余裕だ。
  大剣を光槍に戻すと、体をしならせて撃ち投げる。砲弾よりも鋭く、矢よりも大きな、
大型の杭だ。一点突破の力を持ったそれは、クリヤの竜炎をも貫通する威力を持っている。
光槍は狙い通り吸い込まれるように土人形の顔面に向かい、その役割を果たした。一瞬で
頭部が粉々に砕け、機能を失った巨大な土塊は仰向けに倒れ込む。
  残りは、0。
  思ったよりも短い時間で終わり、笑みが溢れた。やはり昼間のは調子が悪かっただけだ、
今クリヤと勝負をしたら、例え竜の姿で来られても勝てるような気がする。
実力はある、随分と情けない姿を晒してしまったけれど、あれはきっと何かの間違いだったのだ。

「それと、お礼を言ってませんでしたわね」
  あのときは意地をつい張ってしまったけれど、クラウンにも詫びないといけない。
あの人は馬鹿だけれど、それなりに良い部分も沢山ある。それに、クリヤ以外で初めて出来た友達だ。
つまらないことで失ってしまうのは、望むところではない。
  軽音。
  枯れ枝を踏む音に振り向けば、暗闇の中に人影が見えた。細かな部分は分からないが、
この辺りで赤く輝く瞳はクラウンだけだ。チャクムとタックムは常に二人で行動しているから
違うだろうし、意外と厳しい躾をされているので夜に外には出ないだろう。
  近付いてくる彼にどう話を切り出そうか考え、結局素直に話すことに決めた。
少しだけ照れがあるが、他には誰も居ないので気にはならない。
二人きりという状況が僅かに胸を高鳴らせ、その鼓動が私を後押しさせる。
「あの……」
「伏せろ!!」
  聞き慣れた言葉に体が反応し、私は身を低くした。
「焼けろ、化け物め!!」
  直後。
  言葉の意味を表す熱量の塊が私の上を通過して、クラウンの元へと撃ち込まれる。
竜炎は空間を焼きながら彼へと飛来し、一瞬後には前方を火の海へと変えた。彼は火達磨と化
して苦悶の声をあげながら、低い音をたてて倒れ込む。
「油断しおって、馬鹿者め!!」
「ば、馬鹿は貴方でしょう!? クラウンは確かに馬鹿だけれど、焼け死ぬ程では……」
「あれのどこがクラウンじゃ?」
  炎に照らされて、クラウンだと思っていたものの姿が現れる。人に近い形をしているが、
それは人ではなかった。長い体毛に覆われた筋肉質な体、鋭い爪の生えた巨大な拳。
体が焼けているにも関わらず、瞳は炎とは違う、血のような赤色に輝いていた。
  魔物だった。
「儂が居たから良かったものの、このままでは食い殺されるところじゃったぞ?」
「お、大きなお世話ですわ。この程度、私一人でも」
「武器も無いのにか?」
  溜息を吐きながら、クリヤが長杖を投げ渡してくる。それきり何も言えなくなり、
私は黙り込んでしまった。確かに今のは私の落ち度だ、今だってお礼を言うべきなのだ。

 でも、口が動かない。
「ユマよ、無理に礼は言わんでも良い。さっきの言葉も詫びよう。しかし、どうした?」
  何がだろうか。
「普段なら簡単に気付くじゃろうが、まさか、クラウンのことで何か悩んでいたか?」
「まさか」
  本当はクリヤの言う通りだったけれど、つい意地を張ってしまった。そんな自分が少し、いや、
かなり嫌になる。昔からそうだ、つい誰にでも意地を張り、強がりをしてしまう。
無意味に虚勢を張ってしまうのは悪い癖だと分かっているのに、どうしても直せない。
「それに、クラウンにはササが居るでしょう?」
  何故か、少し心が痛んだ。
  分かっている、恋人ではないと当人達は言っているけれど、誰の目から見てもあの二人は
恋人のような関係だ。私が割り込む隙など、どこにも有りはしない。
そのくらい強い絆で結ばれている、まさにお似合いという言葉の具現化のようなものだ。
  割り込む?
  自分で考えたものなのに、急に血が冷たくなったような気がした。
先程までクラウンに対して持っていた気持ちが消え失せて、
逆に自己嫌悪のような気持ちが沸いてくる。一体私は何を考えていたのだろうか、
冷たさが増してゆくばかりで、自分の心のことなのに訳が分からなくなってくる。
今までに無かった感情だ、それが上手く理解出来ない。
「クラウン」
  名前を呟き、考える。
「クラウン、クラウン、クラウン」
  何だか胸が、熱くなる。
「ササ」
  この名前を呟いた瞬間、再び心が冷めた。
冷たいだけではない、暗く、重く、鋼の質量と固さで私の心を締め付けてくる。
どこかで感じた想い、忘れたことが無い筈なのに思い出すことが出来ない。
いつも心にあるこれを、何と表現するのだったか。
「ユマよ、あまり思い詰めるでないぞ?」
「何の、ことでしょうか?」
  クリヤは私の肩を軽く叩き、歩み去った。

9

 今日も何も手掛りが掴めず、落胆して家に戻る。もうこの街に来てから二ヶ月にもなる、
簡単に見付かれば苦労しないのは分かっているがヒントくらいは見付かっても良さそうなものなのに。
しかし竜害の治療法は已然として見付からないまま、その事実が心を焦がす。
今もササは苦しんでいる、もう大分末期なのだ。次の治療儀式まで後十ヶ月もある、
だがもう竜証は六つもあるのだ。それまで保つかどうか、楽観出来るような状況ではない。
  肩を落として玄関の扉を開くと、面白そうに本を読んでいるササの姿が見えた。
「あ、おかえり。これね、ユマが持ってきてくれたんだけど凄く面白いの」
  タイトルは『ギリィの成り立ち』で、内容は見なくても大体分かる。
恐らく、この街が出来るまでの過程を綴ったものだろう。俺達半竜の立場からしてみれば、
誰にも迫害されない街が出来た理由というものは非常に興味深いものだ。
「このギリィって名前、街を作った人の名前なんだって。この人も半竜らしいよ」
「後で読ませてくれ、それまで楽しみにしたい」
「あ、そんな読み方もあるんだね、そう言えば」
  感心したような顔をして、ササは何度も頷く。
読書歴が極端に浅いササにとって、本の読み方が複数有るというのは新鮮だったのだろう。
だから、貪欲に本を読んでいるのかもしれない。
今まで出来なかったことを、普通という行為にするために。

 初めて会ったとき、ササは文字を読めも書けもしなかった。半竜という立場上、
それは大して珍しいことではない。基本的に竜族からも人間からも嫌われているので、
文化的なものに触れる機会は滅多に無い。言葉などは自然と他人の会話から覚えることが出来るし、
生活の手段も生きていれば身に付いてくるものだ。それで不自由はしないし、
そのことを気にする余裕など殆んど有りはしないのだ。
ササに字の読み書きを教えることが出来た俺のような奴の方が珍しく、
出会っていなかったら一生文字を読まずにいたかもしれない。
「あ、それと何か手紙を渡されたよ。何か大事な話みたい」
  手紙には、今夜協議会場にまで来て欲しいとだけ書いてあった。最後にマルスティさん、
つまりはユマの親父さんとキルマさん、クリヤのお袋さんの署名がしてある。
筆跡も以前見たものと同じだから本人からのものであることに疑問は感じないが、時間が何とも妙だ。
  何か、人に聞かれたくない話でもあるのだろうか。
  そのパターンのとき、意味は二種類ある。後ろめたいことがあるときと、
その内容自体を漏らしてはいけないときだ。どちらにせよ、良いものではない。
  だがそれぞれの集落の長からの直々の呼び出しだ、無視をする訳にもいかないだろう。
それに旅の者である俺達を置いてくれているのに、そんな自分勝手をしたらバツが悪い。
追い出そうとするような器の小さい人でないことは分かっているが、
だからこそあの人達を蔑ろにするのは心が痛む。面倒臭いが、応じるしかないだろう。

「ほら、ミリアおいで」
  キルマさん達にプレゼントされた極楽鳥を肩に乗せると、ササに振り返り、
「すまん、少し出てくる。飯はタックムに作って貰ってくれ」
「うん、早めに帰ってきてね」
  再び本に目を落としたササに笑みを向け、協議会場に向かう。『極楽日記』も協議会場も
三つの集落の中心に近い場所だ、歩いても幾らもかからないのだが今は逆にそれが辛く思えてしまう。
思考をまとめる時間が足りない、助けを求めてミリアを見ても何も考えていないような
玉虫色の瞳で見つめ返されるだけだ。どうしたものか。
「これ、そんなに暗い顔をするな」
「幸せが逃げますよ」
「つってもだな、気が重いって言うか」
  待て、今の声は誰のものだ。
  振り向くと、マルスティさんとキルマさんが立っていた。どうやら色々と考えている間に
到着してしまったらしい。まだ何も覚悟が決まっていないというのに、残酷な話だ。
  中に通されて二人に付いて行くと、広い会議場に出た。無数の椅子が墓標のように並び、
それが俺を圧倒してくる。あと四ヶ月もしたらギリィの誕生を祝う祭りが開かれるのだと
以前ユマに教わったような気がする。そうなれば、ここは満席になるだろう。
その光景を想像して、軽く身震いをする。人の意思と言葉は、単なる熱量の塊ではない。
「ま、適当に座っとくれ」

 手近な椅子に腰を降ろすと、二人はじっと俺の目を見つめてきた。顔を見るのではなく
目を見るということは、俺の場合は竜証である竜眼を見られることでもある。
二人とも、それが分かっていて敢えてそうしているのだろう。むず痒さを覚え、適当に目を反らす。
「のう、クラウンよ。真面目な話をするぞ」
  何だろうか。
「何でマルスティさんが娘の前で『ですわよ』とかカマ言葉を使っているのか、とか」
「違います」
  冗談は通じない状況らしい。
  キルマさんは咳払いを一つ、
「お主、ユマと儂の娘をどう思っておる?」
「クリヤは乳も大きいし全体的にエロい雰囲気で、しかも普段から半裸状態なので俺的に見れば
堪らないものがあります。ユマも乳は小さいですが肌も白くてスタイルが良いので
またクリヤとは違った良さが有って何だか抜群風味ですよ!?」
「今は真面目な話をしているのですよ?」
「お、俺は超真面目ですよ!!」
  目を反らされた。これで大丈夫なのかという話声が聞こえてくるが、今の発言にどこか問題でも
有ったのだろうか。俺は真剣に二人の評価をして、それぞれの良い部分を言ったつもりだったが
少々気に食わない部分があったらしい。こちらにちらりと向けられる半目は猜疑心を
多分に含んだもので、クリヤやユマがたまに向けてくるものと瓜二つだ。
「ではクラウン君、娘を嫁にと言ったらどう思いますか?」
「それは無いですよ、だって子供は」
「半竜になるからのう」
  あまりにも率直な物言いに、一瞬、言葉を失った。

 キルマさんが言ったのが、その理由だ。ササが居るとかという話の以前に、
俺は人間や竜族の者を嫁にするつもりは無い。余計な重荷を背負う者は、一人でも少ない方が良い。
  人と竜が交わって出来た子供は半竜になる、だがそこで話が終わる訳ではない。
半竜と交わって出来た子供は、例え片方の親が人間や竜族でも必ず半竜になってしまう。
これが俺達半竜が他の者に迫害をされる一番の理由だ。集団として馴染むのは良いが、
その部分から先、子を成すという所まで来ると問題が発生する。
種の境目を考えずに子作りを進めてゆけば、この世界の者は全てが半竜になってしまうのだ。
つまり竜族と人間が全滅することになる。それだけではない、半竜には竜害という問題もある。
この街で行われる竜害治療の儀式がどのようなものかは分からないが、それなりにリスクもある筈で、
他の街に広がっていないことを考えると簡単に出来るようなものではないと結論出来る。
そうしたものの積み重ねで、最後は全員死んでしまうだろう。
  だから半竜は忌み嫌われる、迫害を受ける。
「それでは次の問題です、今の状況で何か違和感を感じませんか?」
「一人、足りないことですね」
  二人は頷いた。
  これは問われるまでもなく、以前から不自然に感じていたことだ。本来居るべき筈の者なのに、
見当たらない人が居た。半竜の集落の長、その人は今の場所に居なければ駄目な筈なのに、
何故か居合わせていない。それどころか、今まで一度も見たことが無い。
仕事で人間の集落に行ったり竜族の集落に行ったりするが、二人の顔を覚えてからは
意識して人を見るようになり、姿を度々確認することがあった。
だが俺の住んでいる半竜の集落の中ですらも、こちらの長を見ることは無かったのだ。
注意をして見てみても、それらしい人物に会ったことはない。そこだけ穴が空いている。

「彼女、数えて23代目の長ですが、その人は既にこの世に存在しません。
それ以来、半竜の長は空席のままなのです。この意味は分かりますか?」
  居るべき者にしか、その座を与えてはいけないということだろう。そのくらいは分かる。
だが俺が呼び出された、ということに疑問を感じた。つい最近ギリィに入ったばかりの俺が
長に指名されている、そうとしか考えられないからだ。元々こちらに住んでいる半竜も数多く居るし、
寧ろそちらに長の役目を負ってもらうのが当然の筈なのに。それなのに、
何故俺が長に選ばれなければいけないのだろうか。あまりにも、不自然だ。
「最後まで分かったみたいですね。そう、貴方を長に指名します」
「待って下さい、何で」
「『時語り』というものを、知っておるか?」
  聞いたことはある。この世界は何度も同じ歴史が繰り返されていて、
それは時の記憶というものに刻み込まれているのだという。その時の記憶を読むことが出来る者を
『時語り』と呼ぶらしいが、これも『賢者』と同様に眉唾ものの話だと思っていた。
「先代は『時語り』での、そのせいか捻くれ者で……いかん、思い出したら腹が立った。
後で墓に落書きでもしてやろう。それでの、そのマァサという名の馬鹿は、
死に際に一言残していったんじゃ。赤い竜眼の馬鹿が来るから、そいつを長にしろ、と」
  馬鹿はどうか分からないが、確かに赤い竜眼を持つ半竜は俺くらいの者だろう。
今まで他に竜眼を持つ奴を何人か見てきたけれど、赤いものを持つのは俺だけだ。
そもそも俺の目が赤いのは生まれが特殊だからで、
そうそう同じような者が出てくることは滅多に無い。
「マァサが言うには、成すが儘にということじゃ。結果は変わらんから本人の意識で
過程を好きにしろ、ということらしいが、どうする? まぁ、儂は無理強いをする気は無い」
「彼女には何が見えていたんでしょうねぇ?」
  成すが儘に、か。
  俺が返答をする前に、二人は会議場を出ていった。

Take7

 目覚めの悪い夢を見た気がする。
  ベッドから出て居間に行くと、台所から軽快な包丁の音が聞こえてくる。
タックム達が朝食の用意をしていて、何かと無器用なチャクムは皿を並べていた。
今日の当番は確か俺の筈だったのに、何故二人が料理をしているのかと疑問に思った。
窓の外を見ても太陽はまだそれ程高くない、寝坊ではないようだ。
「あっ、おはようございます!! もうすぐ出来るんで、ササさん起こしてきて下さい!!」
  手際良く皿を人数分テーブルに置きながら、チャクムは笑みを向けてくる。
食器棚へとターンする際にスカートと髪が翻り、陽光を反射して輝いた。
「何でお前らが作ってるんだ?」
「あ、いやー、何か昨日帰ってきてからお疲れだったみたいなので。迷惑でしたか?」
  普段のハイテンションからは想像も着かない程、気不味そうな顔をして頬を掻く。
器に野菜の煮込みを盛っているタックムも、どこか俺を心配しているような視線を向けてきた。
自覚は無かったが、そんなに疲れた顔をしていたのだろうか。
確かに、キルマさん達から聞かされた話は驚くものだった。
一晩経った今だって、きちんと話の整理が出来ていない。
「何か、あったんですか?」
「それがな」
  言おうかと思い、しかし止めた。俺が集落長になるというものは、身内であるこいつらにも
深く関わってくる話だ。一人で決めるつもりは無いが、せめて自分の中である程度の結論が
出てからの方が良いと考える。下手に話して話が妙な方向に行くよりも、そちらの方が建設的だ。
特にササがどうなるか分からない今は。

 取り敢えず二人の頭を撫で、ササを起こしに行こうとすると、
玄関の扉をノックする音が聞こえてきた。こんなに朝早くから誰だろうか、
と思いながらそちらに向かう。
クリヤ達ならば問題無いが、それ以外の相手だったらチャクム達を向かわせる訳にはいかない。
普段は魔力の消耗を抑える為に、魔物状態のままだからだ。壁に角が刺さって慌てるドジな姿を
先日目撃してしまったので、仮に変身が完璧でも完全に安心は出来ない。
タックム達が魔物だとバレてしまったら二人とも殺されてしまうし、
俺もササも、ギリィから出ていかなければならなくなる。
今追い出されたら、それこそ一巻の終わりだ。
  悪い考えだ、と思いながら玄関を開く。朝早くの来訪者はクリヤとユマだった。
二人が揃って来るのは珍しいことではないが、二人が同様に難しい表情をしているのは珍しい。
  その表情の理由に、俺は心当たりがあった。
「集落長の話か?」
  頷く二人に居間に行くように促し、俺はササを起こしに向かう。逆鱗が出来ているのを見たときは
心配になったが、最近は比較的体の調子も良いらしい。勿論健康な者と比べてみれば酷い状態だが、
楽しそうに家事を行ったり本を読んでいたりする姿を見ていると、
このまま余裕で儀式の日まで持つのではないかと錯覚させられそうになる位だ。
さっき俺が起きたときだって、隣で安らかな寝息をたてていたのだから。
  寝室の扉を開くと、ササはもう起きていた。着替えを済ませて髪を鋤いている。
「あ、おはよ」
「おう、おはよう。メシが出来てるから、食うぞ。それと、大事な話がある」

 首を傾げるササを背負いながら、居間に向かう。
過保護かもしれないが、近くに居れる時間はなるべく体にかかる負担を肩代わりしてやりたい。
ササも楽しそうに鼻唄を歌って俺の首に腕を絡めてきた。
こちらに完全に体重を預ける姿勢なので、背中で胸が潰れたり掌に尻の感触が当たっていたりと
中々楽しい状況だ。
「や、そこは駄目」
  尻の肉を揉むのは良いが、穴の方をいじるのは禁止らしい。子作りのときの関係で
半竜が生まれないように尻ですることは割合ポピュラーだが、俺以外を相手にしたことがないササは
抵抗があるらしい。びくりと体を強張らせ、抱きつく力を強くしてくる。
その様子が可愛くて、何度も尻の穴をこじっていると、
「良い加減にしなさい」
  首を絞められた。
  居間に入ると、家の主である俺を差し置いてユマとクリヤが勝手にメシを食っていた。
濃い出汁の匂いが美味そうなタレを遠慮なくおかずに垂らしクリヤは豪快に、
ユマは優雅に口に運んでいる。俺の記憶が正しければ、こいつらは俺が集落長になることについて
話をしに来たのではなかったのだろうか。少なくとも、メシが目的ではなかった筈なのに。
「あ、ササさんもおはようございます。お先に頂いておりますわ。
このタレ、後で作り方を教えて貰えます? とても気に入りました」
「いや、それはチャクムが作ったやつだから。料理するの下手なんだけど、
味付けは凄く上手いのよね。正直、これより美味しいのは食べたことないわ」

「おぉ、凄いのう。片方は頭が良くて、片方は料理の味付け上手か。
増々魔物にしておくのが勿体無いのう。どれ、今度儂にも教えてくれんか?
  最近は母上の好き嫌いが酷くて」
  誉められて照れ臭そうに笑いながらチャクムは頭を掻こうとしたが、手に角が刺さったらしく
小さく悲鳴をあげた。全くどこまでも締まらない奴だ。そこが長所だが。
「で、あんたら何しに来たの」
「おぉ、忘れておった」
  忘れたら駄目だろう、仮にもギリィの未来がかかった話なんだから。食欲の前に失せるなど、
あってはいけない話だ。ギリィが平和だという証明でもあるが、
二人とも実か馬鹿なのではないかという疑問もある。以前から薄々感じていたことだ。
  だが一瞬で表情を真面目なものに変えると、主観的な意見を交えながら
昨日俺がされたものと同じような話を開始した。
野菜の煮込みを食いながらである、という状態なので、やはりどこか馬鹿っぽいと言うか
真剣味が足りなく見えるのが難点だ。椅子に座ってパンをかじりながら、ササも真剣に聞いている。
チャクムとタックムは、何故か目を輝かせて何度も相槌を打っていた。
俺はと言えば、どうするのかを考え中だ。
  話が終わるとチャクムは立ち上がり、
「つまり経過をすっ飛ばして言うと、クラウンさんが偉くなって美味しいものが食べ放題で
ウッハウハの大満足エブリディ状態なんですね!? 良いじゃないですか!!」
「それは無いですわ。意外と普通のお給料ですの」

 イェイとハイタッチをしていたチャクムとタックムは、ユマの一言で分かりやすく肩を落とし、
同時に溜息を吐いた。勝手にしたものではあるが期待が大きかっただけに、
その悲しみは大きいものだったらしい。個人的には精一杯の努力はしているつもりなのだが、
好き放題食べさせられなくて何だか申し訳なく思う。
「それで、どうするの?」
  ササの言葉に俺は頷きを一つ、
「やってみようか、と思う」
  騙された訳でも流された訳でもない、ただ俺に出来るならやってみようかと思ったのだ。
『時詠み』の言葉がどうとかじゃない、嘘だと思っている訳ではないが、
少しでもササに良くなってほしいと思ったからだ。
負担はそれなりに増えるのだろうが、集落長になればなったで、
その分のメリットは少なからず有る筈だ。
  沈黙。
  数秒の無言の後で、ユマが笑みを見せた。
「これから、毎日一緒に仕事ですのね」
  気が滅入りますわ、と言いながらも頬は緩みっ放しで、
隣のクリヤは何か化物でも見たような顔をしてそれを見つめていた。俺も意外に思った。
いつも酷く不機嫌そうな表情を浮かべていて、笑みを見せるときもどこかしら影があったような
感じがしていのに、こんな表情も浮かべることが出来るのか、と。
とろけるような熱を瞳に湛え、はしたなくも鼻唄まで歌いだす彼女の姿は、正直に綺麗だと思った。
  そんなに嬉しいのか、と俺も笑みを浮かべそうになり、
「待ちなさいよ」

 鈍音。
  テーブルを叩き、地の底から響くような低い声でササが呟いた。
  驚きに振り向いた俺が見たものは、これまでに一度も見たことの無いような酷く歪んだ形相だった。
俺の竜眼にも引けを取らない程に眉根を寄せた、鋭く凶悪な目付き。
口唇は震えながら捲り上がり、牙を見せる表情を作っている。噛み締めた奥歯は悲鳴が上がり、
強く握られた竜掌は鋭い爪が食い込んで鮮血を垂らしている。
  怒っている、なんてものじゃない。
  激昂している。
「これ以上クラウンを働かせて、あたしから離して、次はどうするつもりなのよ?」
「おい、落ち着かんか。竜害が加速するぞ?」
  うるさい、と睨んで、血に染まった爪を突き出した。赤い雫が先端から伝って落ちて、
テーブルの上に赤い染みを作る。怒りで昂ぶった魔力を多分に含んだそれは表面を焦がし、
鼻に付く臭いが辺りに漂った。爪を向けられたクリヤも事の深刻さに気付いたのか、
俺に困惑した視線を送ってくる。だが俺とて、解決方法が思い付く訳ではない。
嫉妬深いササの相手を何年も続けてきたので、ある程度のラインまでならは対処の方法を心得ている。
だが、ここまで来ているのは初めてなのだ。
「すまん。謝るから、まずは手をどけてくれんか?」
「そう言って油断させて、後でクラウンを取るつもりなんでしょ!?」

 傍目から見れば、言い掛かり以外の何物でもないと思うだろう。だが俺は知っている。
度合いが違うとはいえ、普段は温厚で、何だかんだ言いながらチャクムとタックムの世話をするような
優しいササが怒るときの原因はいつも一つだ。俺と離れるかもしれない、
と不安と恐怖を掛けたことによる暴走だ。
「ササさん、お、落ち着いて下さい」
「あんたが一番怪しいのよ!! クラウンが集落長をやるって言った途端にヘラヘラして、
笑って笑って、だらしなく牝犬のような顔をして!! もう皆嫌い!! 大嫌い!! 死ねば」
「駄目です!!」
  余程怖かったのだろう、涙目になりながらチャクムが立ち上がった。恐怖に小さな体は震え、
力のあまり入っていないように見える腕で辛うじて体を支えているような状態だ。
それでも一歩、また一歩と歩き、ササとの距離を詰めてゆく。
「あたしは馬鹿だから、細かいのとか分かりません!! でもクラウンさんは悩んで悩んで、
きっとササさんのことを考えて、それで一生懸命苦しんで、それで決めた筈なんです!!」
  だから、と大きく息を吸って、
「そんなに、そんなに我儘言わないで下さい!!」
  そして何を思ったのか、おもむろに竜角に噛みついた。頬をすぼめた途端にササの体が崩れ落ち、
大きな音をたてて床に打ち付けられる。目を閉じたまま、その体はぴくりとも動かなかった。
チャクムを見ると、悲しそうな瞳で見つめ返される。
「大丈夫です、ちょっと魔力を貰っただけですから死んでません」
  タックムを見ると、頷きが来る。ササの唇に耳を近付ければ、確かに呼吸があった。
「悪い、やっぱりさっきのは保留にしといてくれ。明後日には答えを出す」
  ユマとクリヤ、二人揃って複雑そうな表情で頷いた。

2007/04/17 To be continued

 

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