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千歳の華



外伝 『蘭の記憶』

ボクは最近、変な夢を見る。

夢の中でボクは、一人の剣士だった。
そして夢は必ず炎に包まれた寺院で終わる。
悲しみに張り裂けそうな心と、向ける矛先の無い強烈な嫉妬に塗れながら。

『殿、どうしてわたくしではダメなのですか?この身でも殿を、存分に愛して差し上げられるのに…』
『蘭丸よ、所詮貴様は男子。そしてこのワシも他ならぬそれなのじゃ。
女子のない戦場ではそちを抱いたが、今はただの部下に過ぎん。
  さっさと着物を纏って出てゆけ!!』

月の綺麗な、晩。
ボクの心は刀で切り刻まれるくらいの激痛に襲われる。
瞼が歪むほど苦しみ、身が捩れ、思考が歪むほどの憎悪を自分に抱く。
やりようがない。
どう足掻いても変えられぬ現在。
自分は男で、殿も男。
きっと女性のいない戦場で、この少年は抱かれたのだろう。
数多くの選択肢の一つ、として。
そして、殿と呼ばれた人物にとって少年は都合のいい性欲処理機でしかないのだ。

その光景を見つめるボクの頬を、涙が一筋伝う。
ぜんぜん知らない光景なのに、何故か心に響く。

割れそうなほど切なく、苦しく、愛しい。
思わず胸を押さえてその場にへたり込む。

『そ、ん、な…あの時殿は確かに、愛を囁いてくれましたのに…』
『その場しのぎの戯言を信じるか!!
愚か者め。汚らわしい奴隷身分であった貴様を拾ってやった恩を愛情と違えおって!!』

派手な着物を纏い、剃り上げた頭に刺青を施した、“殿”と呼ばれる壮年の男性は
持った朱塗りの杯を投げつける。
こつり…と、少年の額を割り、一滴鮮血が零れた。

『殿の舌先は、どんな銘酒よりも甘く、身に染みるお言葉は、
毒薬よりも私を痺れさせるのに…どうして!!!』

月を落としてしまいそうなほどの叫び。
それでも事態は好転しなかった。

 

『貴様も存分に理解しているだろう。儂には側室もおるし、こうして濃も控えておる。
そちはお役御免じゃ。 薄汚い平民よ、さっさと消えろ!』

壮年の男性は奥の襖を開くと、悩ましく気崩した妙齢の女性の首筋に口付ける。
その口付けに応えるように熱い吐息を女性が吐くと、悲哀に歪んだ少年の顔が、憎悪に歪んだ。

『貴様のような、汚らわしい泥棒猫が、殿を、誑かしたか…』
『あ〜ら、心外ね。元からこの人は妾のものよ。貴方こそ汚らわしい泥棒猫じゃなくてぇ?〜』

うふふ…と、蛇のように舌先をちらつかせ、男性の唇を割る。
ぬちゃ、ぐちゃと、少年を置き去りに男女の情事が始まった。

一段低いところに控える少年に、その行為を邪魔することはできない。

ただひたすらその光景を焼き付けるように瞳を見開き、割れんばかりに握り締められる拳と、
とっくに噛み切られた唇を赤く濡らして耐えている。

『蘭丸よ、もし、生まれ変わりて後、お前が女であるならば、愛してやろう』

女性に下半身を吸われ、快楽の息を漏らしながら男が言う。
その喘ぎも、自分がもたらすものではない、と少年は奥歯を鳴らす。

『輪廻を経、この狭き下天にて、儂を見つけることができたら、愛してやる』

だから失せろ、塵め――――

横目で告げる女の視線。

『くくく…貴様のような輩に、それができたらな。せいぜい待ち焦がれているがよい。
来る世の儂を。永遠に、乙女のようなまなざしでな………おおぅ?』

快楽に消えていく言葉。

『ふふふ…やはり、女は良いわ。この肉感、まるで生き物のように絡みつく…』

との、との、との…

どうしてそんな化生の体に、溺れるのですか?
そのような毒に塗れた汚らわしき体に。
私は完璧に純潔のまま殿に捧げましたのに…

それに。

忘れませぬ。

忘れませぬ。
そのお言葉、絶対に忘れませぬ。

必ず見つけ出して、愛して差し上げます。
全霊を賭して、この体の総てを用いて。

だから、だから…

――――――――――――早く前世にて、めぐり合いましょう。

 

一閃。

頭に響いてくる少年の怨念と共に、金の屏風に朱色が散る。

衝動に任せるまま、抜き身の刀で男性と女を貫いた。

月夜を受けて鈍色に輝く刀身。
愛するもの、憎むものの血を吸って怪しく蠢く。
物の怪のごとくざわめく少年の笑み。
感情が消えうせ、憎悪と思慕に取り付かれた亡霊となった少年は、
燭代の火をまいて寺を焼き尽くす。

『殿、こうすればすぐに来る世にて出会えますね!!この憎きアマも生まれ変わるとなると、
腹立たしいですが、これ以上見ていられません。
  私以外の者を抱いて、熱く零す殿の姿、打ちつけられる猛々しい迸り。
  総て私のものです。総て!!!忘れませんよ、殿!!
  必ず生まれ変わりて後は、殿と添い遂げまする。
  汚らわしい泥棒猫を焼き殺し、殿に近づく連中をこの刃で貫いて!!
だから、今度こそ必ず愛してくださいまし!!
  この私を!!他ならぬ、女子として生まれ変わりた私を!!!』

灼熱の渦が三人を飲み込んでいく。
炎をより赤い海に沈む二人は、即死なのだろう。言葉もない。

だが、どこまでも続く果てしない怨念と、歓喜に塗れた少年は、灼熱の業火を身に受けても、
狂笑を止めない。
昼夜過ぎても猛り続けた後、灰燼となったその寺院でも、少年は笑ったまま朽ちていた。

とっくに焼け焦げた大事な者の欠片を、膨らみのない胸を抱えて。

 

「――――――――はっ」

寝苦しさに、ボクは目を醒ます。
何度この夢を見ただろうか。
少なくともボクは愛するものに恵まれているというのに、これ以上何を求めているのだろう。
ボクの隣で寝息を立てるノブくんを見下ろす。

眠っているノブくんは、当然だけど大人しい。
起きているとすぐに別の女の子に目を遣るから、
もしかしたら寝ているときのノブくんのほうがかわいいかも。

すっ――――と、ノブくんの首筋に手を遣る。
刻まれたキスマーク。
勿論ボクがつけた。
ボクの、ボクだけのもの。
どんなに別の人を見ても、ノブくんは必ずボクのところに戻ってくる。
何度でも、どんな運命に巻き込まれても。

「ノブくん…」

額に舌を這わす。

「ねぇ、ノブくん。ボクたちの初めての出会い、憶えてる?」

 

 

ボクは憶えてるよ。
忘れてなんかいないし、これからも絶対に忘れない。十年、百年経っても。
輪廻がボクの記憶をぐちゃぐちゃに引き裂いても、絶対に忘れることなんかない。

だって、ボクにとってノブくんはかけがえのない、

たった一人の■なんだから――――

 

あれは五年前だよね、ノブくん。







ボクは周りの女の子が次々と女の子らしくなっていく中で、取り残されたみたいに幼かった。
初潮は無事に迎えても、胸やお尻はちっとも膨らまない。
それどころか、お父さんが有名な剣道家で物心つく前から竹刀を握っていたせいか、
体は筋張って、柔らかいはずの掌は石みたいに硬くなっちゃったんだ。
それに、この『ボク』っていう一人称も相まって、文字通りボクは周りから浮き立ってしまった。
男の子にはオトコ女ってバカにされ、剣ばかり握っていたせいで女の子の話の輪には入れない。
中学校に入っても、ボクはずっと一人だったんだ。

お父さんが部活の連中と馴れ合うと心が弱くなるなんていうから、
放課後もまっすぐ家に帰って道場に篭りっきり。
周囲が色恋に沸き立つ中、ボクは閉ざされた空間でずっと自身と戦っていた。
それでもボクには剣しかなかったから、打ち込むしかなかった。
手が擦り切れるまで腕を振るい、髪の毛が汗で硬くなるまで走りこむ…
鏡に映った自分を見て、何度絶望したかなぁ?とても数え切れないよ、ノブくん。
唯一映し出された姿が少女のものだと認識できる長い髪の毛は顔を覆い隠し、
ずっと室内で鍛錬しているせいか、肌ばかり白い。
身長は伸びないし、肉付きの薄い二の腕には柔らかな女の子らしさより、生傷ばかりが刻まれていく。
でもボク、がんばったんだ、がんばったんだよ。
お母さんが早く死んじゃったから、お父さんに嫌われたらボクは一人きりになっちゃうから、
期待に沿えるように、全力でがんばった。

だけど、ある日――――

『蘭!!お前最近たるんどるぞ!!朝は弱くなるし、一ヶ月のうち数日は熱を出して寝込む。
  お前は儂のたった一人の後継者なんだ。あれが亡くなってしまったから、
もうお前しか居ないんだ!』

お父さんはいつものようにボクを罵倒する。
彼も生まれたときから剣一筋だった。
だから女の子の事情なんてわからないんだろう。
自分が刻み込んだ訓練の作用で見た目に表れてなくても、中身は女の子なんだよ?
熱を出すのだってアレが重いだけだし、朝が弱くなるのは、お母さんの――――

『言い訳ををするか!!この愚か者。ふん…せっかく儂が歳を食ってから授かった子だというのに、
どうして女子なのだ!! 男子なら…この程度で根をあげることなどないのに…』

ボクが言い返そうとするより早く、父は初めて見せた弱い声で、そうぼやいた。
小さな声だったけど、ボクの耳にはしっかり届いた。

“どうして、お前は、オンナなんだ??”

 

積み重ねて、積み重ねて、あふれないようにしていた感情が堰を切る瞬間というのは、
とても呆気なかった。
心の表面がパリパリと剥がれ落ちて、黒い、黒い感情が、全身に染みこんで行く。
ボクは唯一信じて、頼るべきものに、裏切られてしまったのだ。
女であることに負い目はあった。
でも、それは努力でなんとかなると思っていた。
だがそんな思いさえ、お父さんは砕いた。

こナゴなニ、完プなきまデに、ウチ砕いタ…

『――――っ!!』

気づけば竹刀を叩きつけ、ボクは走った。
お母さんが死んでから大きさが揃わない砂利の敷き詰められた庭を裸足で駆け抜け、
暮れなずむ路地へ当てもなく飛び出した。

息が切れる。

でも、それ以上に胸が痛い。

ボクは、きっと何か理由があって女の子に生まれてきたのに、それを否定したあの人を赦せない。
何かとてつもなく大事なもののためにこの体を選んだはずなのに、どうして“お父さんごとき”に
否定されなくてはならないのだろうか??

胸の痛みを押さえつけ、走った。

締まりかけた踏切をすりぬけ、クラクションの五月雨をかいくぐり、走った。

気づけば、知らない道路の真ん中にいた。

真っ赤に沈み行く夕日を飲み込んでしまったような大きな川。
その河川敷に、ボクはへたり込んだ。

乾いて血の気が広がる口を、唾を飲み込んで潤し、綺麗にそろえられた芝生に胴衣のままに寝転ぶ。
胸はまだ痛い。
壊れそうなくらいに痛い。
どうして、どうして、お父さんは、否定するの?ボクは、女の子なのに。

涙にふたをするように、ボクは手で顔を隠して嗚咽した。
今までの鬱屈が燃え広がり、収まることを知らないままボクは泣き続けた。




もうあの家には帰れない。
剣を握らないボクにお父さんは興味がない。
じゃあ、どうすれば――――?

『うっ、ひぐっ…』

枯れたと思っても、次々とあふれて滲み出す。

帰る場所がないなら、もう死んじゃおう…

思って、手の甲で涙をぬぐったその瞬間――――

 

『なーに泣いてんの??』

どさっ、っと隣で物音がしたかと思うと、涙で滲んだ世界に、救世主が舞い降りた。

正確には、一人の男の子だった。
金色の髪の毛を逆立てて、眉毛を短く切りそろえ、整った顔に片方の口の端を吊り上げる
特徴的な笑みを浮かべている。
テレビでよく映される、不良少年。
それを絵に描いたような男の子だったけど、ボクには彼がどうしようもなく尊く映った。

まるで長年待ち続けた思い人に邂逅するような――

世間から廃棄される絶望から救い上げるような――

そんな暖かい掌を差し出しながら、金髪の男の子はボクの顔をとても楽しそうに覗き込んでいた。

『あっ…その…』

ボクはほとんど男の子と話したことが無い。
だから挙動不審になってしまうのは仕方がなかった。
それに、目の前の男の子がトクベツに見えてしまったのだから当たり前だ。
ぐしぐしと顔を真っ赤にして、ボクは必死に涙をぬぐった。
こんなところを見られたら、“また”嫌われてしまうような気がしたから。

『あれ、女の子だ』

ボクがやっとのことでその人の顔を上目でうかがうと、少年は驚いた風にそういった。
それは、歓喜だったのだろうか。もしそうだとしたら、ボクはうれしい。

『あの、ゴメン、なさい…』
『なんで謝るのぉ〜?それにそうやって顔伏せてたら、お前の顔が見えないじゃん』

少年はとっさに顔を隠そうとしたボクの手首を掴むと、額が触れ合いそうな距離で視線を合わせた。
黒い、大きな瞳だった。
自信に満ち溢れた、それでいてとても優しい――

どくん…っと、胸が大きく高鳴る。
時を越えて沈黙していた時計が動き出すような、春を思わせる萌動で、大きく脈うった。

『やっぱ、カワイイ。お前、髪の毛垂らしてるより、こうやってるほうがカワイイぞ』

そう言って笑みを深くすると、少年はボクの前髪を上げ、
手首にまいていた黒いヘアゴムで束ね上げた。

『う〜ん。これっじゃあ変か〜じゃあ、前髪そろえてポニーにするのはどうだ?』

ああでもう、こうでもない…と。
ボクを置き去りに、思考錯誤を始める。
眉根を寄せたり唇を尖らせたり、ボクが見たことのないとてもやんちゃな男の子の顔で、
少年は髪をいじくっている。

『あの……』
『ん?なんだ?』
『髪の毛…』
『あ゛…』

 

 

言ったときには、もう遅かった。
ボクの長い髪の毛はあちこち跳ね上がり、とても人前に出られる様ではなくなっていた。

『わりぃ…』
『……』

気まずい沈黙が落ちた。
でも、少年は笑みを絶やさずにこういった。

『あんなところで泣いていたってことは、お前家出少女だろ?
髪のこともあるし、今晩はうちに泊まれよ。
  まぁ、ウチっても、親戚のオッサンの家だけどな』

ニッ、っと白い歯を見せる。
ボクにはどうしようもなく眩しかった。
ネクラで、誰にも相手にされず、唯一すがるべき父にも見捨てられた僕にとって、
彼の笑顔は本当に太陽のようだった。

『あぁ、イトコのねーちゃんも居るから安心な!!ちーっとばっかし怖くて蛇みたいだけど、
美人でいい女だぜ』
『あ…うん…』

成り行きで返事をしてしまったが、ボクは内心安らぎを覚えていた。

だって――――

再度差し出された手は、とても暖かく、ボクを優しく包み込んでくれたんだから。

『言い忘れたぜ、俺、信長。お前は?』
『ボク、森、蘭…』
『へぇ〜信長に蘭か。なんか初めて会った気がしないよな』

その笑顔はとても美しく、気高く、ボクを溶かしていく。
ふやけてしまいそうな指先、熱く高鳴る鼓動。

繋いだ手は、離さない。

ちょっと指先に力が篭ると、ノブくんは驚いたように立ち止まる。
そして更に眩しい笑顔で、こう言う。

『お前、やっぱカワイイじゃん。俺の彼女にしてやるよ』

 

ボクは、

――そんなノブくんの横顔を、絶対に忘れないからね。

立ち返ってみると、
きっと当時のノブくんにとって、ボクは扱いやすい女の一人でしかなかったんだろう。
そう考えると寂しいけど、仕方ないよ。
ノブくんは現に他の女の子に興味いっぱいみたいだから。

 

 

だけど、どうしてもノブくんが別の女のこと仲良くしてると、燃えるように胸が熱くなるの。

その泥棒猫と一緒に、ノブくんの胸を貫きたくなっちゃうの。
でも、我慢だよ。
ノブくんを絶対に放したくないし、ボクはもうノブくん無しじゃ生きていけない。

重い女でゴメンね、ノブくん。
たまたまひっかけた女がこんなんで、ゴメンね。

ノブくんの寝汗を舌でぬぐってあげる。
しょっぱい汗の代わりに唾液を塗りつけて擬似マーキングだよ。
こうすれば、別のメスが――――

「ううん…濃、ねぇちゃん、ダメだって…蘭にバレたら、殺され…」

――――――――べきり。

ノブくんの額に吸い込まれそうになった指先を、咄嗟にエアコンのリモコンに置き換える。
変わりに液晶がひしゃげてボタンが飛び出し、電池が割れる。






「……………………あのひと、まだノブくんにちょっかい出してたんだ…」

 

懲りないなぁ、ホントに懲りないよ、ノブくんも、あの女も。

「「――――――また貫かれなければ気が済まぬか…」」

暗闇に悲鳴が響き渡った。








 

朝日が眩しい。
今日もいい日だね、ノブくん。
一緒に登校できないのが残念だけど、帰ったらちゃんとお世話してあげるからね。

「おはよ〜〜〜蘭!!」

後ろから元気な声がかかった。
この調子、瑠璃ちゃんだね。

「おはよう、瑠璃ちゃん、それに藤原くんも」
「おっす…」

藤原くんはまたげっそりしてる。なんでかな?
この人たちはボクの数少ないお友達。
瑠璃ちゃんとは色々気が合うんだ。
浮気性の彼氏を持つとお互い大変だよね。

「あれ、信長は?」

藤原くんのどうでもよさそうな声。
浮気亭主も揃って仲がいいのです。
こればっかりは困った。

でも、今日はちょっぴり機嫌がいいので、ボクは元気よく応えた。

「昨日寝言で女の人の名前を呼んだから、椅子で殴りまくったの。
そしたら動かなくなっちゃったから、ベッドに縛り付けて監禁しちゃった☆」

恐怖に引きつる藤原くん。
何か思いついたようにハイライトの消えた瞳でステキな笑顔を浮かべながら、
彼を見つめる瑠璃ちゃん。

世の中は今日も平和です。
だから、

 

『ずっと一緒だよ(です)、信長ちゃん(さま)』

2006/01/01 完結

 

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