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作られた命



1

ピピッ…ピピッ…
食事の時間を知らせる音が響く。
天井が少し開き、チューブ付きの白いボトルが落ちてくる。
食事といっても中の液体を飲むだけのもの。
それでも食欲は満たされるので気にはならない。

私はこの建物から出たことがない。
物心ついた頃には私は既にここにいた。
白い壁、白い床、白い棚、白いベッド、白い布団、白、白、白。
私が着ている物も白い。
昔は違う色をしていた髪もいつの間にか全て白くなっていた。
私の肌もそうだ、時が経つにつれて白くなっていく。
まるで私がこの空間に溶けていくように。

「T、状態を報告しろ」
どこからともなくいつもの音が聞こえてくる。
特に抗う必要もないので私は素直に返事をする。
「身体機能異常無し、精神状態安定、室内空間に変化はありません。
以上で報告は終了します。」
「了解した。」
音が途絶えた。
報告を終えた後はただひたすら本を読む。
他に何もすることがないから。
…言語をいつ習得したのかは覚えていない。
気が付いた時には部屋に響く音の意味が理解できたし、
寝て起きる度に白い棚に取り替えられている本を読むことが出来た。

本、と一口に言ってもこの空間には様々な本が送られてくる。
歴史書のようなもの、事典のようなもの、論文のようなもの。
幅広いジャンルの本を読み、私は色々な知識を得た。
その中で、最近私の頭から離れない疑問が生まれた。
生物というのは子孫を残すことが最大の目的だという。
そして子孫を残す為には同種の別固体が必要不可欠と。
私はアメーバやウイルスの類とは違う。それは明らかだ。
だから私が生物であるならば、私と同種の別固体が存在するはず。
だがそのような存在と私は接触したことがない。

このまま生きてもおそらく私は私のような存在と
出会うことはないだろう。
だから私は子孫を残せない。
生物としての目的を持ち合わせていないのだ。
ならば私は何者なのだろうか。
ある本にはヒトとサルについての考察があったが、
彼等は似てはいるが異種なのだ。
では私も一見ヒトに似てはいるが異種だとしたら?
私は生物ではないのかもしれない。
本を読むという単純作業を続ける機械なのだろうか。
考えても考えても答えが出ない。
だから私は本を読む。
私の存在を確証してくれる知識を探す為に。

2

ふぅ…
パソコンの中に写し出された情報を一段落させ
そっと溜め息をつく。
ふと時計を見ればもう夜の3時を越えている。
いや、この研究所には夜や昼の概念はない。
眠くなったら寝て、腹がすけば食べる。
後は脇目もふらず研究。
それがここの規則だ。
時計とは何時間くらい研究したかをしる目安に過ぎない。
いつからこんな生活になってしまったのだろう?

思い起こせば、俺の主観で五年ほどまえだろうか。
世界は深刻なエネルギー不足に悩まされていた。
化石燃料は使い果たし、現在頼りにしている原子力も有限。

このままではまずい。
各先進国の首脳会談が何度も行われ、たどり着いた答えは、
天才を作り出すこと。
世界が欲したのは、新たなエネルギー源を見つけだし、
工業化、実用化することの出来る天才。
そのための研究機関がここ。
世界に名だたる学者の遺伝子を集め、
それを組み替え、操作し、新たな命を生み出す研究所だ。
俺はそこで働いている。
正直、気持ちのいい仕事じゃない。
無理矢理命を作り出し、世界に従うように育てるのだから。
利便さに慣れきった人類は不便に戻ることを拒否し…
愚行に走った。

「郷護。調子はどう?」
女性の声に名前を呼ばれた。
彼女の名前は鶴見 涼子。
俺の恩人であり、高校時代からの付き合いだ。
こんな仕事場まで同じになるとは夢にも思わなかった。
まぁこのような監禁に近い状況で気の知れた友人は
非常にありがたい。
しかし今は話をする気分ではないので、適当に返事をした。
「多少眠い。」
「郷護のことじゃないわよ。私が聞いているのは
Tのこと。責任者、郷護なんでしょ。」
責任者か…
Tと呼ばれる少女のことを考えると心が痛い。
確かに彼女は俺の意見が元で生まれた。

あの意見は俺のこの研究所で行った最初で最後の
学者らしい仕事だろう。
あの頃はとにかくここから抜け出したかった。
やりたくもない非人道的な研究を延々とやらさるのは
苦痛でしかない。
だから俺はあの意見書を作った。
とっとと世界が臨むような存在を作り上げ、
この研究所から出して欲しい。
その一心で俺は俺のなかで完璧なものを作った。
しかし、生まれてきた少女を見た途端俺は後悔した。
俺は自分が助かる為に、
あれほど嫌だった監禁のような生活。
それより遥かに辛い生涯を、
何も知らない少女に押し付けてしまった。

深い自己嫌悪に陥った俺は、
研究になるべく関わらないようにした。
遺伝子情報の処理とデータの管理を主として働いた。
だが、そんな単純作業を続ける傍ら、
俺はなんとかしてあの少女を救えないかを考えた。
人並みではなくとも、
せめて少しでも今よりまともな生活を少女に与えたい。
高校の時に俺が涼子に救われたように、
人とのふれあい、生きる喜びを与えたい。
自分で作り出しておいて身勝手な考えだが、
俺はそれ以上の償いを見つけられなかった。
まず、他の研究員に俺の思惑がばれないように、
あの少女と直接会おうと思う。

3

「…私が聞いているのは
Tのこと。責任者、郷護なんでしょ。」
…やはり返事がこない。だんだん読めてきた。
Tのことになると必ず郷護は困った顔をする。
上手く表現出来ないが泣き出すのを我慢するような顔。
郷護はよく不安な時、こんな顔になる。
そんな時、悩みの種を見抜き、親身になって話を聞いて郷護の不安を
取り除いてあげるのが私の役目だ。私だけの役目。
というより私にしか出来ない。
郷護はとても優秀だ。
私が高校三年の頃、私は郷護と同級生になった。
日本に飛び級制が出来たのは知っていたが、私は心底驚いた。

自慢じゃ無いが私が通っていた高校は日本では有名な進学校だ。
そこに小学校の中学年程度の男の子がやってきたのだから。
しかもやってきた理由が大学受験の対策をする為。
郷護の専門分野ではとっくに超高校級なのだが英語は少し苦手らしい。
憎たらしいガキだと思うのが一般高校生だろう。
しかし私は魅せられてしまった。あの困った顔に。
高校にも給食があると思っていた郷護の昼休みの困りっぷり、
今でも眼に焼き付いている。
私がこの子を一生面倒みなくてはいけない。
まるで神の啓示のようにその言葉は私の生きるベクトルになった。

だれもかれも皆、郷護の表面の優秀さしか見ていない。
郷護の内の弱さを見て、守れるのは私だけだ。
そろそろ郷護も気付いてきているだろう。
郷護には私が必要なのだと。
私がいなくては郷護は生きていけないのだと。
だからとっととプロポーズをしてきてくれないと困るが
私の予想ではTが完成し、この研究所からでる頃くらいかな
とは思っている。
…いけない。今は思い出と未来予想をしている場合じゃない。
郷護が困っているのだから助けてあげなくては。
ふふ…私のかわいい郷護。
お姉ちゃんが今助けにいくから…安心して、ね。

4

今日もいつもどうりの食事と報告を終え、
ベッドに腰掛け本を読んでいる。
最近の本はあまり面白くない。
私の今までの知識を
少し応用したくらいの内容しか書いてないからだ。
この本にも私が知りたいことは載っていないのだろう。
そう思い始めた頃に声が聞こえた。
この声が食後の時間以外に聞こえてくるのは初めてだ。
「T、今日は少し実験をする。
今お前のところに一人の人間が向かっている。
会話したいことがあったら好きなようにしたらいい。」
それだけ言うと声は途絶えた。

こちらの返事を待たずに消えるのは失礼だと思ったが
今はそんなことどうでもよかった。
重要なことは今からここにヒトがくること。
つまり、
自身とここにやってくるヒトを直接見比べれるのだ。
先程の声はヒトとの会話も了承していた。
これほど条件が揃えば
私の疑問が解決するかもしれないのだ。
私はヒトなのか、そうでないのか。
私は生物なのか、そうでないのか。
真っ白な壁に切れ目が入り、徐々に開いていく。
私ははやる気持ちを抑え、その光景を凝視する。
贅沢をいえば「女」が来てくれると比較しやすい。

壁が開ききり、薄暗い空間からヒトが入ってきた。
頭のてっぺんからつま先までなめ回すように視線を動かす。
体格等で「男」だと予想する。
初対面の相手をじろじろ見るのは無礼だろうが、
ここだけは大目にみてもらいたい。
予備知識はあるが気分は正に未知との遭遇だ。
私の好奇心が身体の中で暴れているのは仕方ない。
見つめるだけで我慢しているだけ上出来なほうだと思う。
「はじめまして、俺は源 郷護っていいます。」
日本語でくるなら日本語で返すのが礼儀だろう。
「はじめまして、私の名前は…」
私の名前は…なんなんだろう。

くそっ!
私の名前はなんなんだ?
自己紹介はコミュニケーションの第一歩なのに!
それすら出来ないと思われては最悪だ。
対人関係で相手に見下されては有益な情報は得られない。
大丈夫、落ち着いて考えよう。思考速度には自信がある。
名前を言うのに1,2秒のタイムラグなら問題ないだろう。
そういえばいつも聞こえてくる声にはTと呼ばれている。
私の名前はTでいいのか?
しかしTってヒトの名前としてどうなんだ?
いや、私はヒトじゃないかもしれないんだ。
でもだ、仮に私が相手の立場だったとしたら?

私が自分の名前を言って、相手が
「私の名前はHです」
と言ってきたら?
うん。
少なくとも私はそんな奴と真面目に会話しようとは思わない。
なら話は簡単だ。
本名が駄目なら偽名を使えばいい。
相手は日本人らしいので日本人の名前が妥当だろう。
たしか少し前に日本人の書いた本を読んだ。
著者は…福沢諭吉だったな。
よし、諭吉から名前を借りて雪奈でいこう。
「はじめまして、私の名前は…福沢雪奈です」
……あれ?
男の表情ががらっと変わった。
表情の変化は感情の変化を表すらしいが、
ヒトを初めて見る私には表情は読めない。

まぁいい、男がどう思ってようが私には関係ない。
とにかく自己紹介は終わったのだ。
対人コミュニケーションは初めてだが、
私には今までに得た知識という武器がある。
男がなんと言ってこようと対応し、会話を誘導して
私の疑問を解決する方向に持っていく自身はある。
郷護と名乗った男の口が動く。
「Tと呼ばれるのは不愉快だったかな?」
……やられた。
何故か知らないが私がTと呼ばれているのをこの男は知っている。
全く予想外の展開に私の自信はいとも簡単に崩れさっていった。

自信が崩れただけならまだいい。
問題はさっきまで私が考えてたことの滑稽さだ。
私はなんて馬鹿なことをしてたのだろうか!
とっくに本名を知られてる相手に必死で自己紹介をしていた。
しかも偽名を使うという始末。
何が福沢雪奈だ!阿呆にもほどがある。
情けなくて今にも逃げ出したい。
…あぁ、そうか。
これが「恥ずかしい」という感情なんだな。
うん。記憶した。
こんな感情、二度と持つわけにはいかない。
だいたいこんなのはいつもの私ではない。
初めてヒトを前にして興奮気味。
少し落ち着かなくては。冷静に、無感情に、だ。

5

パソコンの画面越しの郷護を見ながら私は物思いにふける。

郷護と名乗る男と初めてあってから、だいぶ月日が経った。
始めのほうこそ疑いをもってかかったものだが今なら信じられる。
あの男、郷護なら信頼出来ると体全身が納得している。
止めろと言うのにしつこく雪奈と呼んでくることも許せる。
他の相手ではそうはいかないだろう。
仮にいつも聞こえていた天井からの声から呼ばれたら?
うん。
きっと私は不愉快になる。
怒りの感情を持つことは避けられないと予想する。
郷護の言葉には表現できない暖かみを感じる。

郷護のおかげで表情から感情を読めるようにもなった。
郷護は私に嘘をつかない。
だから私は前に郷護に尋ねてみた。
「私はヒトなのか?」
そしたら郷護は困った顔をして答えた。
「本当のことを言えば、たぶん雪奈は傷付く。それでも?」
「知りたい。」
「…雪奈は人だよ。でも普通の人じゃない。」
そして郷護は色々なことを教えてくれた。
私は遺伝子操作から生まれたこと、私が作られた目的、
私を生み出したのは郷護だったこと。
郷護はとても辛そうな顔で謝ってきた。私を犠牲にしてしまったと。
しかし私は特に腹をたてることはなかった。

私は自分の境遇を呪ったことなど一度も無いからだ。
逆にだ。例え今は罪悪感を持っているにしても、
郷護が私を必要とし、己の力を出し切って私を生み出した、
という事実が嬉しかった。でも、郷護は辛そうにしている。
だから私は伝えた。
郷護が私を作ってくれて、私に会いに来てくれてよかったと。
郷護は一瞬驚いて、微笑をうかべ、ありがとうと頭をさげた。
やはり郷護はいい奴だ。
その日はそれで郷護は帰っていったが
私は郷護ともっと一緒にいたいと思い始めていた。
郷護が私の人生に光を与えてくれる。そう、思い始めた。

郷護への思いが変わって以来、
日に日に郷護のことを考える時間が増えた。
郷護が会いに来てくれるのを待ち望むようになった。
ずっと郷護といたいと願った。
しかし、私には義務がある。
世界が望む成果をあげなければならない。
その為の研究に入るとき、郷護は側にいない。
エネルギーに関しては郷護は専門外だからだ。
そのことを聞いて、私は泣きそうになった。
絶望を感じ、わめきそうになった。
それでも郷護の目の前では泣きたくなかった私は
一つの約束をすることで自我を保った。

その約束とは、
私が新エネルギーを開発し、私の役目を終えたら郷護と一緒に暮らす。
そんなことだ。
拒否されることを怖がる間もなく私の提案に了解してくれたのが嬉しかった。

その約束から数日後、私はスーツ姿の人間達に連れていかれた。
遂に新しい研究所に行くんだ。
郷護に会えなくなるのは、身を引き裂かれる程辛いが、
郷護と暮らす。
その輝かしい未来の為に今は死ぬ気で頑張ろう。
そう誓うことで気を紛らわした。

6

闇に包まれた空間。
僅かに聞こえてくる呼吸の音が部屋の静寂を際立たせる。
その中央に糸のように弱々しい光が差し込むと同時に。
パチッ
軽い火花の弾ける音に合わせ、
暗闇の部屋は嘘のように姿を消し、明かりに満ち溢れた。

「あはっ!」
…いけない。思わず笑ってしまった。
あまりにも調子良く進んでいく研究に呆気なさすら感じる。
私に与えられた使命、新エネルギーの開発。
手強かったら嫌だなとは思ったがやってみるとサクサク進む。
まず目につけたのが従来の太陽電池だ。

太陽光。ほぼ無限に降り注ぐ光を電気に変える。
まさに理想的だが今まではその変換効率とコスト。
この二つが乗り越えられなかったらしい。
しかし私は今その一つを乗り越えた。
今の実験からするとこの太陽電池は
夜の月明かりでですら発電出来るんじゃないかと思う。
この成果を郷護に話したら褒めてくれるだろうか。
私の頭をよくやったと撫でてくれるだろうか。
うん。
郷護なら褒めてくれる。それは、確実だろう。
いや、それにとどまらずだ。
こう…強く抱きしめてもらっちゃったりなんかしちゃったりして…
そのままの勢いで…

感動の再会に抱きしめ合う男女。
男の存在を全身で感じた女はふと顔を上げる。
そこにははにかんだような男の表情。
しばし見つめあい、やがて、どちらからともなく顔が近づく。
ファーストキスだ。
それは、時間にすれば数秒。
軽い、唇を合わせるだけのキス。
それでも二人には充分だ。
互いの気持ちを言葉にするまでもない。
合わせた唇から相手の感情が全て流れ込んできたから。
再び見つめあい、軽く微笑みあう。
また、唇をあわせる。
今度は深く相手を貧りあうキスだ。
先程のファーストキスが嘘かのようにお互いを激しく求めあう

ピピピピッ…ピピピピッ

……………………
少しうるさめの電子音に私は我に帰った。
なんだ。これからがいいところだったのに。
せっかくの郷護との再会シミュレーションを邪魔されて
少し不機嫌になりつつ私は時計に目をやった。

午後十一時

一気に思考が切り替わる。こうしてはいられない。
急ぎパソコンの電源をいれキーボードを叩く。
目的はとある人工衛生の管理システムのハッキングだ。
手早くシステム内に侵入し焦点をある家のテラスに合わせ、
一気にズームアップ。
衛生のカメラで撮られた映像が画面に送られてくる。

いた。郷護だ。
いつもどうりの時間にいつもの場所で本を読んでいる。
何故外にでて本を読むのかはわからないが
そのおかげで私はこうして郷護を見ることができる。
郷護のこの癖を発見したのは一ヶ月くらい前。
それまでは安定して郷護を見れなかった。
そのため精神的に辛いものがあったが
今ではこの就寝前の郷護観察に大分助けられている。

ふと郷護が顔をあげた。
家の中を驚いたような表情で見た数秒後、
テラスに何かが飛び出してきた。
そのまま郷護の腕に絡み付く。
突然の乱入者に目をこらすとそいつは……………女だ。

………………………………………………………………
………………………………………………………………
何がなんだかわからない。
お前は……誰だ。
なぜ…郷護の隣にいる。
そこで何をしている。

どす黒い感情が溢れ出してくる。
殺意にも似た言いようのない怒りが込み上げる。
なんなんだ?その顔は?
「あぁ…幸せぇ。」とでも言いたげなその顔は?
喧嘩を売っているとしか思えない。

女が顔をあげた。
郷護の首に両手をまわし、顔を近づけそのまま………キス…を…………
そうか……コイツ、自殺願望があるんだ…

「なら、手伝ってあげる。」

ガシャン

私はおもむろににパソコンを突き飛ばす。
机から落ちたパソコンに向かってキーボードを振り下ろす。

ガシャン! ガシャン! ガシャン! ガシャン! ガシャン! ガシャン! ガシャン!
ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン!
ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン! ガン!

まだ足りない、まだ足りない、まだ足りない
ディスプレイが砕け、火花を撒き散らそうとも叩き続ける。
殺してやる、あの女、郷護を、汚した、私の、光を、汚した。

7

……接続中、しばらくお待ち下さい………
……回線が繋がりました。

「Tか、そちらからアクセスしてくるとは珍しいな。」
「報告。新エネルギー系の開発において現在完成度約六割。」
「そうか、順調そうで何よりだ。」
「更なる開発に則し、支援が必要と判断。」
「……出来る限り要望に応えよう。具体的には?」
「源郷護氏の開発プロジェクトへの参加。」
「源氏の専門は生化学だが?人的資材の支援なら他に…」
「生化学による視点からの研究でコスト削減の飛躍的進歩を予想。
源氏の参加が最善と判断。」
「了解した。迅速に対応しよう。」

……………プツン
「…ふぅ。」
回線を落とし一息つく。
意外と簡単に事は済んだ。私の能力はそれなりに信頼されているのだろう。
まぁ、郷護以外の存在に信頼されても嬉しくはないが。
だいたい私と郷護以外の人間なんて無能もいいところだ。
郷護に纏わり付いていたあの害虫…
即刻削除してやろうとして軍事衛星に侵入したのに、まともな攻撃手段がありゃしない。
命中精度の低いミサイルが何の役に立つのか。
人間一人を正確に撃ち抜くレーザーくらい用意しておいて欲しいものだ。
まったく、軍事大国が聞いて呆れる。

私が直々に出向いて害虫駆除をしてやろうかと考えたところで閃いた。
郷護のほうをあの害虫うごめく危険地帯から救い出せばいいのだ。
私の研究室に郷護を避難させてあげれば全ては解決。
郷護に寄生していた汚物は宿り主を失って嘆いてればよい。
決して邪魔の入らない研究室で二人の初めての共同作業。
開発もはかどるだろう。
新エネルギー系の完成が早まれば世界も幸せ。
郷護が傍にいて私も幸せ。
私が傍にいて郷護も幸せ。
なんて見事な幸せのスパイラル。
こうして世界は平和になった。

…それにしてもこの研究室に郷護が来るなんて夢みたいだ。
狭い密室で男女が二人きり。
何が起こるかは自明の理。
むろん、郷護は初めはそんなこと意識しないであろう。
しかし、何度も言うようにこの研究室は決して広くない。
作業中に二人の身体が触れ合うのは必至の事態。
数回の接触では動じない郷護も、
度重なる肌と肌とのコミュニケーションにより次第に私の「女」を意識する。
タイミングを計り郷護の胸にもたれ掛かる私。
潤んだ瞳で訴える。
「…郷護にだったら……私……」
郷護は私を押し倒す。
二人はそのまま夢の世界へ……

あぁ!!郷護、早く来い!一刻も早く私の胸に飛び込んで来てくれ!!!
私がお前を奪ってやる!大丈夫。怖がらなくていいからね。
…………………………………うん?
違う。違うぞ私。何を考えている。
胸に抱き抱えられるのは私であって、抱き抱える役目なのが郷護だ。
奪うのは郷護。奪われるのは私。
そこは間違えてはいけない。
盛り上がってくると冷静な思考が出来なくなるのは駄目だな。
郷護が生んだ世界一の頭脳を持つ私なんだから、
興奮して暴走するのは郷護の名を汚してしまう行為だ。
これからは気をつけるとしよう。

8

「…私はたしか源郷護氏に連絡を入れたはずだが。
何故君がくるのかね、鶴見君。」
「代理人です、局長。郷護は現在多忙ですので。」
「忙しいのもわかるが、彼に直接来てもらわねば意味が無い。
研究室入りしてもらうのは彼自身なのだから。」
「局長、その件についてですが反対です。」
「反対?」
「言葉通りの意味です。郷護の参加は有り得ないということです。」
「……理由を聞かせてもらえるかな。」
「ハイリスク、ローリターンであるからです。」
「リスクとは?」
「人造人間の危険性です。いつ暴走するかわかりません。」

「君はそう言うが、その可能性は低いんじゃないか?
源氏は何度かTと接触してはいるが彼はこう言っていたよ。
あの子に危険は無い、人間の子供と変わらない、とね。」
「欲目ですよ。自分の製品を危険だと言う制作者がどこにいるんですか。
現にあれは既に一度パソコンを大破させているんですよ。
いつその矛先が人間に向かうか…」
「鶴見君、聞いたところによると君は源氏とは長い付き合いだそうだ。
君の判断にこそ私情が絡んでいるのではないかな?
わずかな危険性を強調し過ぎているように聞こえる。」

「…局長、パソコンはいくらでも代わりがききます。
しかし人間はそうはいきません。
ましてや郷護はこの世界に必要とされている人材です。
万が一の時にはもう取り返しがつかないんですよ。」
「しかしだな、開発を順調に進めるためにも
Tの意見を聞き入れるべきではないかね。」
「功を焦ってもろくな事はありません。現時点で既にこれ以上無い開発速度です。
何も危険を犯してまで郷護を参加させることはありません。
何回も言うようですが、あれは」
「パソコンを大破させている、か。
Tは実験の一つとして報告しているがね。」

「だからこそ危険なんです!!
局長はあれに倫理観が備わってるとお思いですか?
物と人間の区別がつくとお思いですか?
実験と称し、パソコンを破壊する。そしてそれは容認された。
新しいパソコンも配備された。
壊したって代わりがやってくる。
そんな環境で人間だけには手を出さないとお思いですか?
作られた命に、本当の命の価値がわかるでしょうか。
忘れないで下さい。
あれは人造人間、怪物なんです。
外見が似通っていても、人間じゃありません。
人間の常識など通用しませんよ。
いつ我々に牙を向いてもおかしくありません。」

「君もしつこいな。話も飛躍的だ。少し落ち着いたほうがよい。
今回、源氏の参加は見送る。今日はそれでお帰り願いたい。」
「ありがとうございます。
ですが、忘れないで下さい。
今は役に立っていても、あれは人類にとって脅威であることを。
それでは、失礼致しました。」

(…考え過ぎだよ。
しっかりと管理しさえすれば、Tは人類に不可欠な存在になる。
誰しもが多かれ少なかれTの恩恵を受けることになる。
Tは、人類が発明した最高の道具だ。
船、自動車、テレビ、飛行機、パソコン……何よりも優れた道具だよ、単なるね)

9

わくわくする。どきどきする。むずむずする。そわそわする。
心が私の中を飛び回っている。いや、跳ね回っている。
とにかく、落ち着かない。
郷護に会える。幾日振りだろうか。
…三ヶ月と一週間と四日振りか。
本来はもう少し我慢するはずだった。
私の研究、開発が終了し世界の問題が解決する。
その後に郷護と暮らす。
これが最初のプラン。というより郷護との約束だった。
だから後一、二ヶ月先であったビッグイベントが急に目の前に来たこの状況、
舞い上がってしまってもしょうがない。
うん、しょうがない。誰も私を責められない。

あぁ…それでもしかし、だがやっぱり、郷護に会えるその時が、
近づくにつれこの心、氷のように緊張し、光輝くその姿、
迎えるために気の利いた、言葉の一つも出てこない。

…私の知識、能力は自然科学系に特化している。
文学的知識不足がこんな形で私に襲い掛かるとは。
私のこの溢れんばかりの想いが、郷護に伝えられない。
こんな苦悩があるだろうか。言葉とはなんと不自由なものだ。
いっそのこと言葉なんて媒体に頼らずに私の意識を電子情報化して、
郷護の頭ダイレクトにこの想いを原液のまま流し込むことが出来たら素晴らしいのに。

…待てよ。
出来ないこともないんじゃないか。
心なんてのは結局脳で作られるものであって、
脳で作られる情報は電気信号なんだから……問題はその出入力だな。
どーやって電気信号を取り出し、違うものへと移し替えるか。
うん。興味深いな。
次の研究対象は決まった。意識の移動だ。
移動先をロボットにすれば寿命が半永久なんてのも実現できるじゃないか。
世界中がドラ〇もんになる日も遠くないな。
そのうち夢のポケットだって開発してやろうじゃないか。
その次に作「ピーーッ回線が繋がりました」
…遂に来たか。

「連絡、待望していた。源郷護の参加の具体的日時を請う。」
「源氏の参加は不許可となった。」

…おかしいな。私の耳が悪いのか。このパソコンが悪いのか。
「正確に聞き取れなかった。申し訳ないが再度聞かせてもらいたい。」
「要請は却下された。源氏が今回の開発に携わることは無い。」

訳が、わからない。

「……理由は?」
「伝える必要は無い。」
「必要は……無い?」
「現状のまま開発を行ってもらう。我々は君の能力に期待している。」
「その…その決定は郷護本人の意思なのか?」
「連絡は以上だ。」
「おい!!待て!質問に答えろ!」

――――――――――――――――――――――――――――――――――

……一方的に回線を切断された。
なんだろう。この感覚。
釈然としない苛立ちに心の形がいびつになっていく、この感覚。
少し前にも感じた、あの感覚に似ている。
郷護に寄生したクズ虫を見た時。
目の前が灰色になり破壊衝動に身体が呑まれるあの感覚。

何故私はこんな気持ちに?
郷護が私の頼みを拒絶したから?
違う。
郷護はそんなことをしない。するはずがない。
では、
絶対に有り得ないはずのことが起きたから私は混乱しているのだろうか。
…違う。

違う。そうじゃないんだ。
私は……この感覚は、そう、殺意。
邪魔な奴らを消し去りたい、ただその一心。
たぶん、私は理解していた。連絡を聞いたその瞬間に。
邪魔をした奴がいる、と。
私が郷護に合うことを阻止する存在がある。
クズ虫の寄生から一刻も早く郷護を救い出さねばならないのに、
私と郷護を引き離す奴がいる。
…………赦さない、絶対に絶対に絶対に赦さない。
そんな奴はあのクズ虫と何も変わらない。
郷護を汚す虫、私を邪魔するバカ。
まとめて消してやる。
逃げ切れるなんて思うなよ。

2007/08/24 To be continued.....

 

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