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switch / telepathic communication



1

「……め……ん…………ね……」

彼女の声は泣き声でかすれて全部は聞き取れない。
けど必死に俺の前でひたすら涙を流して許しを請うている。
彼女が俺に謝らねばならない何をしたというのだ。
彼女は俺に謝られることなんて何もしてないはずだ。
思い出そうとしても何も頭には浮かんでこない。
必死に考えをめぐらそうとするが、どうしてか思考がうまく周らない。

――泣かないでくれよ――

そんな、しびれた思考回路の中でも俺はひたすらに泣きはらす
彼女が見ていられなくて自分の手を彼女に伸ばし頬を伝う涙を拭いとる。
それでも、目の前にいる見知った女の子は顔を歪ませたままで、
俺の手の指だけじゃ拭いきれないほどの雫が溢れ、指をわずかに伝っていた。

なあ、頼むから泣かないでくれって。
俺がお前のことを守るからさ。
絶対に傷つけさせたりしないから。
だから――――

そこで、俺の意識が途切れた。正確には現実に戻っただけだ。
先ほどまで見ていた夢から俺を引き戻したのは目覚まし時計の耳障りな音だ。
朝は弱いわけではないが、あんな夢を見た後じゃ寝覚めも悪くなるってもんだ。
なんだって、あんな夢をいまさら……
そんなことを、ぼやいても時間は待ってはくれない。
時計を見れば、時間はもう朝の八時の少し前……ちょっと寝過ごしてしまったようだ。
急がないと、あいつを待たしてしまうな、そう思いながら、
朝の支度の準備を早く済ませようと未だに残る眠気を瞬時に取り払って、
手際よく制服に着替えかばんを背負い二階から台所のある部屋へと降りていく。

「今日は遅いわね、空也朝ごはんは?」
「じゃあ、少しだけ」

台所に降りてくると母さんがいつもより起床の遅い俺に話しかけてくる。
どこの、家庭でもあるようなありふれた会話。
だけど、俺はそれに抑揚もない、とらえようによっては冷めたような口調で返す。
仕事に出かけようとする父さんにも似たような返事しかしない。
別に両親が嫌いなわけでも、仲がうまくいってないわけでもない。
ただ、俺が感情を表に出すのが得意ではないだけだ。
二人もそれをわかっていてくれて、特に何も言おうとはしない。
だでに、長年親子をやってるわけじゃないのだ。

テーブルにおいてある焼きあがったパンを口に放り込み、
お茶を使って強引に流し込む。そのまま、急いで洗面台へ。
軽く顔を洗って、歯を磨き終わった頃に玄関からのチャイムか鳴り響く。
側に置いた、鞄を肩にかけてそのまま玄関へと足早に向かっていった。

おはよ。クーちゃん」
「ああ、おはよ」

玄関を開けると、俺を待ってくれたいた彼女は満面の笑みを浮かべて俺を出迎えてくれた。
彼女、古瀬伶菜(ふるせれな)はこの俺、香月空也(かづきくうや)の幼馴染みである。
セミロングの髪は染めてはいないが、光の加減によっては栗色にも見え、
少しだけ色素が抜けている。綺麗だとかいうよりはどこか幼く、その大きく
くりっとした目がその子供っぽい容姿に拍車をかけていた。

彼女は何故かいつも一緒に学校に通ってくれている。
幼い頃からの付き合いというものは意外と心地よい。
特に何も言わなくても意志の疎通も長年の付き合いから図りやすいので、
普段から無口な俺にはかなり助かったりしている。
一緒にいるときは大抵彼女が一方的に話しかけてくる。
俺は基本的に、それに相づちをうったりふられた話しに受け答えしている。
内容は特に取りとめもない話しで、部活の内容とか学校の宿題が難しいとか、
昨日見たバラエティー番組は良かったとか本当にとりとめもない話しだ。
玲奈が楽しそうにしてると俺もすごく楽しい気分になる。

「でねでねこの前、尚美ちゃんがね……」
「オッス、クー!!」

2人で会話をしてると頭から後頭部に鋭い衝撃が走る。
紺の学生鞄を遠心力をかけるがごとく、そのまま振り回したためか威力はかなりのものだ。
一瞬、意識が飛ぶんじゃないかってくらいの激しいフルスイングに、
それを放った張本人のほうへと振り向いた。

「いやー、相変わらずお熱いこったなー!! この新婚夫婦が!!」
「……そんなんじゃないよ」
「またまたー、照れるな照れるなッ!!!」

そうカラカラ笑いながら、俺をクーと呼ぶ伶菜以外の人間こと、
こいつ相場亮介(あいばりょうすけ)は、先ほど鞄で打たれたばかりの人の頭をばしばし乱暴に叩く。

こいつは、元々こんな性格だ。
あっけらかんとしていて誰とでも溶け込めそうで気がつけばみんなに好かれているような奴。
俺とはどことなく対極的な位置にいる人種といえる。
だけど、さすがに学校ではここまで飛びぬけてはないが。
亮介も高校に入り、社会の常識というものを学んだせいか
人前ではこの性格をある程度抑えているらしい。
その、証拠に学校でこいつはバカ呼ばわりされてない。
せいぜい、テンションがやけに高いクラスメイトといったところと思われる。

「痛いっての、頭を叩くな。頭を」
「まあまあ、そんな細かいこと気にしてるようじゃ、将来立派な大人にはなれんよ。クー君」

人の頭をあいさつ代わりにぶったたき、その上こぶの出来たところを
さらに叩いて追い討ちをかけることのどこか細かいことなんだ。

「だ、大丈夫? クーちゃん」
「大丈夫……まあ、ちょっと痛いけど」
「おーおー、またまた見せ付けちゃって――ぐえっ!!」

頭をさすりながら顔をしかめている俺に伶菜が心配そうに覗き込んでくる。
心配ないと返すと、亮介の奴がいつものごとく冷やかしてくるのでそれに
肘打ちを入れて強制的に黙らせる。奴は、地面でもんどりかえって悶絶していた。
みぞおちにでも入ったのか? だけど、同情の余地はない。あいつの、自業自得だし。

こうした、朝の光景は俺にとっては酷く心地よい。
伶菜とのおしゃべりはもちろん楽しいし、亮介との掛け合いも
――たまに、本気で殴ってやりたいこともあるが――まあ、楽しい。
だけど、それも学校に近づくにつれて終わりが近づいている。
陰鬱な気分にはならないが、楽しい気にもならない。

「じゃあね、クーちゃん」
「それじゃあな!!」

伶菜と亮介は同じクラスだが俺だけは別のクラスだ。
2人は教室は3階で俺は2階、玲菜の無邪気な笑顔と亮介のおちゃらけた大げさな手振りに
こちらも軽く手を振って返し俺は自分のクラスへと向かっていった。

2人と分かれた瞬間からこの俺、香月空也の人格は一時的に停止する。
完全に停止はしない、ただ感情のバリエーションがほとんどなくなる。
学生としての日常生活としての機能はきちんと作動するがそれまでだ。
精密機械のようにただ与えられたことを黙々とこなす。
授業中はノートをとり掃除の時間は掃除をし、昼休みには昼食をとリ、終れば下校する。
事務的なこと以外は誰もこちらに話しかけてこようとはしない。
元来、無口なほうだがそれでも何かのきっかけで友達の一人や二人くらいいてもいいはずなのだが
それもない。
この、クラスの全員がまるで腫れ物をさわるかのような態度や、
触れれば傷つけられるのではという少し怖がってるようなまなざしを向けている。
まあ、別にどうでもいいことなんだけど。

放課のチャイムが鳴り俺はすぐさま帰り支度を始める。
鞄に宿題に使う教科書を詰め込み、使わないのは机の中にしまい、
いの一番に教室から出て行った。空は夕焼けに染まっていて橙色になっている。
学校から抜け出ることでようやく、いつもの自分が戻ってくる。

さて……と今日はどうしようか。家に帰ってもいいが、帰ったところで両親はいない。
会うのはもっぱら朝の時間帯だけだ。
二人とも共働きでいつも帰りは遅い。夕飯もおそらく母さんが作ったのが
ラッピングしてあるだろうし特に問題はない。玲菜はバレー部、亮介はサッカー部で今は俺一人だ。

そんなわけで今俺は近くの河川敷にいる。
着いてしばらく立つと俺が来たのを察知したのかわらわらと野良犬、猫たちが寄ってきた。
俺は手馴れた手つきで周りに群がるこいつらに餌を与える。
最初は寂しそうにしている独りぼっちの子犬に餌付けをしただけだったのだ。
だが、その噂をどこで聞きつけたのか一匹、また一匹と増え、
ついには十匹を越える大所帯となってしまったしだいである。

 

さすがにこれだけ多いと収拾をつけるのも大変だ。
元々、家族なわけじゃないし、いろんな所から集まってきたいわば他人同士。
これが昔ほどでもないがたまに喧嘩することがある。
ほら、現に今、黒と三毛の猫が餌箱の取り合いをしてるし。
そろそろ、止めに行かんとさすがに怪我するかなあ、と俺は思い始めていた。
なので、寝転がってた体を気だるげに起こし、目を向けると……

 

 

 

「だめですよ。みんな、仲良くしないと」

そう言いながら、気性の荒いこいつらを何故か手なづけてる変な女が一人いた。

2

「は……?」
「はいはい、仲良くしてくださいね。あ、すいませんお邪魔して」

これはいったい? 彼女は誰? つか何してんだこの人?
こんな、数ある疑問が脳内に光のような速さで浮かんでは消えていく。
とりあえずは状況確認。
目の前には俺と同じくらいの少女がいる。
髪は黒、長い瞳も黒どうみても典型的日本人。
っても、ここは日本なんだからそれは当たり前、むしろ外人のほうが少ないだろう。
そんくらい、判れよ俺!! そんなアホなことを思うくらい、今の俺は混乱している。

「ってそうじゃなくてッ!!」
「……?」
「あんた誰!!??」
「私ですが、雪乃ですけど。神崎雪乃」
「いや、そーじゃなくて」

なんだか、会話が噛みあわない。
何だよ、まるでここに居るのが当たり前みたいな態度。
人の敷居に土足で入られたみたいな気がしてあまりいい気がしない。
向こうにはそんな悪意がないのかもしれんし、それは被害妄想ってもんだろう。
でも、見知らぬ他人が近くにいるのは正直居心地がよくない。

彼女――雪乃って人は食事を終えたら今度は犬たちと遊んでいる。
その内、一匹だけ蚊帳の外でポツンと立っている犬を見つけると、
彼女は寂しそうと思ったか、その薄茶で斑のある毛をしたどこにでも居そうな犬に近寄っていく。

「そいつには近寄んないほうがいいよ」
「どうしてですか?」
「チビは人見知りだから」
「そうなんですか? でも、大丈夫です。見ててください」

そう言うと彼女はチビにそっと頭を撫でようと手を伸ばす。
慌てて、俺はそれを止めようと制しようかと思ったが、やめてしまった。
一応、注意はしたんだしそこまで面倒見てあげるほどの義理もこちらにもない。
チビは俺が始めて餌付けをした奴――つまり、一人で寂しく一匹で佇んでいた奴だ。
名前は至極単純、始めたあったときはチビっこかったから、食いっぷりがチビチビしてたから。
今では立派な成犬となりチビとは言えない大きさになってるけど。
ちなみにこいつ、人(犬?)一倍人見知りが激しく臆病者だ。
下手に手出しすれば間違いなく噛まれる……はずなんだけど。

「〜♪」
「うそ……」

撫でてるよなあ……チビもやけに気持ちよさそうにしてるし。
完全に、リラックスモードに入ってるよ。
てか、俺並みに心を開かないこいつがこうもあっさり懐くなんて。
呆気に取られて、しばらくの間ずっと彼女を見つめてたせいかふと目があった。
彼女はどこか気恥ずかしそうにこちらを見ている。
そんな、彼女の反応も合間ってこちらまで恥ずかしくなり顔を背けてしまった。

「どうやったわけ?」
相手と視線は合わせずにボソボソと声を出す。
「え?」
「いや、チビが俺以外の人に懐くなんて滅多にないからさ。しかも、初対面で」
それに、彼女はう〜ん、と考えるそぶりを見せる。
「実は私もわかんないんですよね」
「へ?」
「体質といいますか……気づいたら、いろんな動物に好かれるようになっちゃってたみたいで」
「そうなんだ」

興味がないように答え、その後はいつもの通り。
適当にこいつらと遊んだり、うたた寝したりして時間を潰す。
彼女も俺と同じようなことをしてるが基本的に干渉はしなかった。
話したのもさっきまでの会話だけだ。
やがて、日も沈みそろそろ帰り時かと鞄を肩にかける。
彼女はまだ、帰る気配がない。

「帰んないの?」
さすがに女性を一人この夜道においてくのは気が引けるのか、
少し気になって手短に聞いてみる。
「それは、そうなんですけど……」
彼女はこちらを向いて少し困ったように苦笑すると。
「最近、ここに引っ越してきたばかりで……」
「どうやって、ここに来たかわかんなくて」
「つまり、道に迷ったと」
「はい」

だったら、こんな所で油売ってる場合じゃないだろうに。

3

「はあ……」
「あの、本当に申し訳ありません」
「ああ、別に気にしなくてもいいよ」

心の中で聞こえないように密かにため息をつく。
今日はついてないなあ、と思わずには入られない。
この状況を恭介にでも話せば間違いなくアイツは、
『うらやましいぞ、コンチクショウ!!』などといってラリアットとかを
手加減無しに俺にお見舞いするかもしれない。
下手すれば、追撃がくるかも……だが、俺はそんなに嬉しくはない。
まあ、とにかく彼女を送り届けるのが先決だ。
雪乃さんから、家までの目印になりそうなものを聞いて地元ならではの土地勘を頼りに、
そこを探しだし、彼女が見覚えのあるところまで送る。
そこまで行けば家を見つけることもなんてこともないだろう。
それで、なんとか彼女を家まで送り届けることが出来た。

「でか……」

とりあえず、そうつぶやいてみる。
とにかくデカい、何だこの家は? 簡単に言うと俺んちの軽く三倍はでかいぞ。
庭も広いし家も同じくらいに大きいし、
それになんというか庶民の人とは違う独特の敷居の高さを感じる。
無意識の内にこちらに引け目を感じさせてくれるような……とにかくそんな感じだ。

「今日は本当にありがとうございます。わざわざ、送ってまでいただいて……」
雪乃さんは礼儀正しくお礼を言ってくる。
俺はそれを見届けたらさっさと帰ろうと歩き出す。
雪乃さんは何か言いたげにこちらに目をやっていて、
それに気づいて俺も彼女のほうに目を向ける。
「あ、良かったらお茶でも飲んでいきませんか?」
「いや、別にいいよ。そっちも迷惑でしょ」
「いえ、私はそんなことないですから」
「あー、でも……」
「もしかして、ご迷惑でしょうか?」

そう言って、雪乃さんはしぼんで枯れた花のようにシュンとしてしまった。
見るからに元気もない。落ち込んでるのが目に見える。
瞳も心なしか潤んでいる気が、なんか悪いことした気分だ。

「いや、そんなことはないけど」
「本当ですか?」
「うん、まあ……」
「そうですか、それじゃ来てください♪」

彼女の表情が一瞬にして変わっている。
ニコニコしながら俺は彼女の家に招かれていた。
ってか、さっきのはもしかして嘘泣き? もしかして俺、騙された?
そんなことを考えてる合間にいつの間にか腕をつかまれ引きずられ、
家の中へと半ば半強制的にご招待されていた。
まあ、当然ながら家がでかけりゃ部屋は広い訳で……

メディア越しに見えるような装飾品だとか美術品だとかが徘徊している
セレブのような家でもないようだ。
なんだか、清々しいというか開放感があるっていうか、
普通の家からは一線を画してる感は否めそうにないけど。
パッと見て普通の家を限りなく快適に豪華にしたような様子だ。
まあ、考えてみれば家のそこらかしこに高いもんばっか置いてたら
危なっかしくてしょうがないよな。
そして、そんなところにくれば田舎から上京してきた人のごとく
キョロキョロと辺りを見回してしまう庶民の一員である俺。

「どうぞ、楽にしててください。今、お茶をいれてきますので」
「あ、いえいえ、どーぞおかまいなく」

反射的に何故か敬語を使ってしまう。
もしかしなくても、かなり緊張している。
けど、そんな緊張をはるかかなたにぶっ飛ばす音が静かな室内に鳴り響く。
ガラスが割るような耳をつんざく甲高い音。
音のしたほうへ向かってみればそこらかしこに散乱する陶磁器のかけら。
どうやら、食器を落としてしまったみたいだ、さっきの音もこのせいか。

 

「あー……その、大丈夫? 怪我してない?」
「だ、大丈夫です。その、今、片付けますので……痛ッ!」

慌てて割れたカップを片付けようとしたせいで、
雪乃さんは指を軽く切ってしまったみたいだ。
俺は割れたところを歩くのは危ないので遠回りしながら彼女に駆け寄っていく。

「えっと……ちょっと見せて」
傷口はそこまで、深いとはいえない。まあ、放っておいても明日にはふさがるとは思う。
とはいえ、子供の擦り傷程度に軽いものでもないので一応消毒くらいはしておいたほうがいいかな。
「ちょっと来て。あ、そっちは破片が散ってるかもしれないからこっちに歩いてきて。
救急箱とって来るからそれまで傷口を洗い流しておいてよ」

そう言って、彼女を台所の流し台へと誘導する。
怪我をしたときは基本的に清潔な水を使って雑菌や汚れを洗い流しておくのが良い。
よくある、つばつけときゃ治るってのは大きな間違いだ。
あれは、殺菌力もあるけど雑菌も豊富にいるのである。

「救急箱ってどこにある?」
「それなら、向こうの部屋の戸棚の上に」
「わかった」

救急箱があるっていう隣の部屋にたどり着く。
戸棚は……っとあったあった。これのことか。一番上の段と。
上の段からシンプルな木でできた箱を取り出す。
意外にもそれは別になんの代わり映えもしないただの箱だ。
ってゆうか、金持ちそうだからってこんなものにまで金をかけるわけないだろ。
そんな、偏見にみちた考えを頭から取り去り、俺は急いでこの部屋から出ていく。

 

 

 

「〜〜!!」
「染みるだろうけど、ちょっと我慢してて。
後、乾いたから絆創膏はっといてね。ここに置いとくから」
「はい」

「割れたこれどこにおけばいい」
「えっと、それはその箱の中にでも」
「ここにある、ほうきとちり取り借りるよ」
「あ、どうぞ」

彼女の手当てをすませた俺はテキパキと割った食器の後片付けを済ます。
こっちも伊達に親が共働きで帰りが遅いわけじゃない。
自分で飯を作ることだってあるし、掃除洗濯をすることもある。
俺がやんないと家はそこらのテレビに出るような大家族の家みたいになってるだろう。
片づけが終わったら、後は彼女の手伝いをしてようやく一息つけるようになった。

「ふぅ……」

せわしなく働いたせいか疲れを取るように紅茶を口に運ぶ。
ちなみにこれ、ティーカップのような安物じゃなくてちゃんとした茶葉から取ったやつみたい。
入れ方はさっぱりわかんなかったけど、彼女に色々聞いて教えてもらった。
自分でやったのは、雪乃さんのなんだか手つきが危なっかしかったからで、
怪我でもされるとこちらが困るからだ。
紅茶なんて飲む機会なんてあんまり無い俺に味の品評なんて出来るわけもないが、
一応おいしかったと記しておく。

 

それで、あの雪乃さん? あんまり、凹まないでもらえますか?
そりゃー、あれだけ惨事を起こして、あまつさえ後始末を客人である俺なんかがやったら、
面目丸つぶれなのかもしれないけど。

 

「なんていうか、元気出せば? 別に家事が出来なくたって死ぬわけでもないし。
それに俺の場合、親がいないから仕方なくやってるからこういうことに慣れてるだけで……
普通の奴はこんなに手際がいいわけないぞ」
「ありがとうございます。でも、なんだか情けないです」

そういうと、彼女はますます枯れてしおれた花のように元気をなくしてしまう。
ああ、選択肢を間違えたか!? これじゃ、慰めにもなってない。
とにかく、この話題からは離れといたほうがいいな。また、いつ地雷を踏むとも言い切れんし。
とりあえず、何か別のことを話したほうがよさそうだ。

「あのさ……」
「はい」
「なんで、俺なんかを家に呼んだりするわけ?」

会話の内容としては完全に赤点かもしれんが、これくらいしか思いつかなかったので、
何もないよりはマシかと言ってみた。それに、興味もある。

「もちろん、送ってもらったお礼をしたいからですけど」
「それにしちゃ、無用心すぎない? 見たところこの家、今君一人しかいないようだし。
年頃の男を家に上げるなんて無防備じゃないかってことだよ」

俺の問いに少しだけ場が沈黙に包まれる。
もしかして、また選択肢を間違ったか!?と思ったが彼女は意外と普通に答えてくれた。

「もしかして、不安だったのかもしれませんね」
「不安?」
「父も母もいつも仕事ですし、引っ越したばかりで御付きの人も今日はいないんです。
少し、落ち着かないくて。誰かを家に呼んでれば気がまぎれるかな、って。
こんな、理由で申し訳ないんですけど……」

そう言って、雪乃さんは俺に苦笑してみせる。
俺はそれに特に「そっか」と生返事くらいしかしなかった。
けど、なんとなく気持ちはわかる。
誰だって、一人でいるのは寂しいもんだと思う。
もしかして、散歩に出てたのもその気持ちを紛らわせすためなのかもしれない。
人間は一人では生きていけないって、色んなところでよく言われるが
俺は生きていけないことはないと思う。
ただ、楽しくはないだろう。

「あ、もちろん入れる人はちゃんと選びますよ。
誰でも入れるってわけじゃないですから」

慌てて訂正するように付け加える雪乃さん、ふしだらな女だとでも思われたくなかったのか。
ということは、必然的に俺は彼女のお眼鏡に適ったってことになる。

「それじゃ、俺は信用できるってなんだ……」
「はい」
「どうして?」
「あなたがあの子たちと遊んでいたとき、優しそうな目をしてたから。
それに、あの子たちもあなたのことを、とても慕っているようですし
悪い人ではないかなと思ったので」
「……君はもうちょっと、人を疑うということを覚えたほうがいいね」
「そうでしょうか?」
「いや、そうだろ」

彼女の問いに即行で返事を返す。
いくらなんでも、それはないだろうと思う。
ちなみに、雪乃さんは「これでも、人を見る目はあるんですよ」等と
言ってたが、黙殺しておいた。
人事ながら悪い男に騙されそうで入らぬ心配をしそうだ。
ふと、時計を見ればもう結構な時間帯。さすがに、これ以上ここにいるのは不味いだろう。
帰ろうとする胸を伝えると、丁寧に雪乃さんは律儀にも玄関の門まで送ってくれた。

「あの……」
帰ろうとする俺に彼女はおずおずと呼びかける。
「何?」
「もし、よろしければ、また遊びに行ってもいいですか?
も、もちろん、ご迷惑でなかったらなんですけど……」
しどろもどろになりながらも彼女はこちらを伺うように尋ねた。
どこに?とは聞かなくてもわかる。けど、そんなに言うのをはばかることだろうか?
何にしてもあの物怖じしていなかった、彼女らしくないといえばそうだ。
また遊びに来てもいいか? つまり、友達になりたいってことなのかな?
俺の頭じゃそのくらいしか考えられない。

「友達になりたいってこと?」
「は、はい。もちろん、ご迷惑でなければなんですけど」
「………………いいよ」

今の俺に気兼ねなく付き合える友達といえば伶菜と亮介くらいしかいない。
友達の友達つながりも以前は合ったけど、それも今はない。
俺が皆に気を許せずに距離を縮めることが出来なかった。
他にも色々理由はあるんだけど、結局原因は俺にある。
そのせいで、二人には迷惑をかけたこともある。

 

もしかしたら、これはいい機会かもしれない。
確かに伶菜や亮介との関係は心地いい楽なものだと思う。
けど、それに甘えちゃいけない。逃げ場所にしたくないと思う自分がいる。
だから、俺は変わらなくちゃ……いや、変わりたいと思って彼女の返事に答えた。
何もしない奴が何かを成し遂げるなんてできる筈もないから。
それに、雪乃さんはそんなに悪い人じゃないと思う、少なくともあのチビが懐くくらいだし。
俺も友達になりたいと思うしいい友達にもなれると思う……自分勝手な意見かもしれないけど。

 

向こうから、こちらに歩み寄ってくれてるんだ、だったらこっちもそれを応えればいい。
勇気を出せよ、香月空也。そうして、自分にを叱咤激励する。

「多分あの時間には俺、いつも河川敷にいるだろうから。
来たくなったらいつでも遊びにくればいいよ……」

他にいうことはあるだろうか、そう思って気づいたんだがそういえば
彼女に自分の名前を名乗ってなかった気がする。

「えっと、俺の名前、香月空也っていうから。一応、自己紹介ってことで」
「それじゃ私も……神崎雪乃っていいます。よろしくお願いしますね」
「知ってるよ。ってか最初に言ってたし」
「アハハ、言われてみればそうですね」
「それじゃ、また明日……ってことかな?」
「はい、それじゃまた明日に」

そうして、俺はほぼ暗くなった夜道に自宅への岐路についていった。

 

 

「空也さん……」

 

 

どこか含みをもったように自分の名前を呼んだ雪乃にその時、空也は気づきもしなかった。

4

「空也さん……」

彼とが帰るのを見送った私は少しして自分の家の中に入った。
玄関を開けるなり目の前に仕事着のような調えられたスーツのような、
服装をした年頃年のころ四十前後の男の人が目に入る。
中年特有の頼りなさとかは感じられず、どこぞの会社の重役でもやってそうな容貌だ。
実際、彼は父の最も信頼を置く側近で今は私の世話役をやっている。。
彼は家をよく空ける両親の変わりに私の世話をしてくれていて、実の親以上に信頼している。

「雪乃さま、彼はもうお帰りですか?」
「ええ、先程お帰りいただいたわ」
「まったく、帰るなり私を部屋の隅に押しやって何事かと思えば……
  こともあろうに見ず知らずの男を招き入れて。私としては賛同しかねます」
「わかってます。相変わらず、秋唯は心配性なんですね」
「当然です。世話役を任されたからには私には、お嬢さまをお守りする義務があります。
  そうでなければ、私を信用してくださるあなたのお父上とお母上に申し訳が立ちません」

秋唯は姿勢を崩さず直立不動のまま話している。
この人は悪い人ではないんだけど、若干まじめすぎる人だ。
長い付き合いなんだから、もう少しくだけた態度をとってもいいと私は思うんだけど。

実は私はあの時少しばかりの嘘をついた。
引っ越したばかりのことや、一人っきりだったのも本当だが、
付き人はほとんどいないんだけど、本当は家に私の専属の付き人の秋唯がいた。
彼には無理をいって邪魔されないように下がってもらってたのだ。
更にいえば、帰ろうと思えば自分で帰れたのに空也さんと少しでも長く居たいあまりに
道を知らないふりまでしてしまった。

「大体、あの男はお嬢さまにつりあう様とはとても思えません。
  気づかいも足りないですし、あのようなつまらない男など……」
「秋唯!」

秋唯のあまりの物言いに私は思わず声を荒げていた。
私の強気な態度を取ることなど、滅多にないので思わず秋唯は口をつぐんでしまう。

「空也さんのことを悪くいうのは例えあなたでも許しません」

秋唯は一応何も言わないけど、言いたいことがあるようだがそれを外に出さず、
むっつりした顔のまま背筋を直立のままに伸ばして立っている。

「秋唯。あなたに話したことがありましたね。彼が私のよく話しているあの人です」
「まさか!? あの男が……」

私の発言が余程意外だったのか秋唯は少しだけ驚きの表情を見せる。
普段、無表情な彼が表情に出すくらいだから相当の驚きようだろう。
私は彼のことを相当素敵な人だと話してたからそのギャップにおそらく驚いているのだろう。

そう、私は以前に空也さんとあったことがある。
向こうの方はそれを覚えていないみたいだけど。けど、覚えてなくても無理はない。
だって、二人ともまだ幼い子供の頃だったし、出会った日も本当に短かったから。
けど、私は彼のことを一瞬たりとも忘れたことはなかった。
少し、昔と雰囲気が違ってたけど優しいところはあの時と全然変わってない。
家に招いたのも空也さんだからで他の男だったら絶対に上げたりしない。
私はそんな安い女じゃない。

「私、空也さんのことが好きです。愛してます。愛されたいとも思ってます」
「そうですか」
「応援してくれますよね?」
「はい、雪乃さまが決めたことなら私が横から口を出す必要はありませんから」

秋唯はお堅い性格だけど、無理に自分の意見を押し付けるような人じゃない。
こっちの、言葉に耳を傾けてくれるし、その上で私に助言をしてくれたり、叱ってくれたりする。
だから、私もこうして信頼することができる。

「じゃあ、お願いがあるんですけど、これから私に家事を教えてくれませんか?
  あと料理も。好きな人に手料理の一つも作れないんじゃ、かっこ悪いですから」
「構いませんが……私の指導は厳しいですよ」
「もちろんです。こちらとしても望むところです」

空也さんには私と昔会ったことは黙っておこうかなあ。
向こうから思い出してもらうほうが、こっちも嬉しいし……
それよりも、明日また空也さんに会えるのかあ……嬉しいなぁ。
まだ友達だけどいずれは恋人どうしになって、私は空也さんじゃなくて空也って呼んで、
向こうも雪乃って呼んでくれて一緒に遊びに行ったりお話ししたり
それからそれから――――キャーーーーー!!!!
  明日が楽しみすぎて眠れないよぉーーーー!!!!

「ゆ、雪乃さま……」

恍惚の表情を浮かべたまま、顔を横に振るわ、手をぶんぶん振り回すわ、
千鳥足のようにふらふらと部屋を闊歩してゆくわな今まで見たことのない彼女の奇行に
どうすればいいかわからず、秋唯はその場でずっと立ちすくんでいた。

今日はいろんな意味で疲れた。そうは言っても、悪い意味での疲れじゃないけど。
どっちかっていうと心地よい疲れってやつかな。時間はもう八時過ぎ……
父さんや母さんが帰ってくるとしたら、まだまだ先かな。
その前に、溜まった洗濯物たたんでおかないと。
そんな、どうでもいいことを考えながら夜道をとぼとぼと歩いてゆく。

そんなことに考えを没頭してる最中に肩をポンポンと叩かれる。
普通の人なら十中八九振り向くのが必定。当然、俺もその例外ではない。

「やーい、引っかかったあっ♪」

振り向いた俺の右頬をつつきながら伶菜が無邪気にはしゃいでいる。
こういう子供じみたいたずらをするのがいかにも伶菜らしい。

「なんだ、部活の帰りか?」
「うん、ちょうと今終わったところ」

伶菜はやけにはつらつとした様子で答えてくれる。
部活の疲れなど傍目には感じられない。
けど、年頃の女の子が夜道を一人歩きは見ていて心配になる。
せめて、徒歩じゃなくて自転車で帰れるようにしてあげればいいのに。
そりゃ、伶菜の家は学校からそこまで遠くないけどさ。
あれ? けど、そういや家の学校って許可もらえば別に良かったような気が……

「なあ、家って申請すれば自転車通学の許可もらえなかったっけ?
  夜道に一人歩きは危ないしそっちのほうが楽だろ」
「え……でも、それは……」
「何だよ、そっちのほうが絶対いいぞ」

伶菜はどこか歯切れの悪そうに口をもごもごさせている。
俺そんなに変なこと言ってないよな、何か不満なんだ。

「だって……それじゃクーちゃんと一緒に帰れないし……」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、何でもないの。けど、クーちゃんもこんな時間に珍しいよね」
「ああ、実は色々あってさ。実は……」

そうやって、俺は今日起きたことを全部話した。
河原で雪乃さんっていう変わった人と会ったこと、
そして友達になってくれっていわれて了承したこと。
それはもう、洗いざらい全部。隠したところで別に悪いことしてるわけでもないし。
(大げさだけど)今日は、自分から一歩踏み出したようで調子に乗ってたのかもしれない。

 

「……………………」
「伶奈?」
「ねー、クーちゃん」
「ん、どうした?」
「あのね……あんまり知らない人についてくのって良くないと思うの」
「へ? なんで?」
「クーちゃんは優しいから……わからないかもしれないけど……雪乃さんって人が、
  いい人とは限らないし……もしかしたら、クーちゃんに悪いことしようとしているかもしれないよ」
「そんなふうには見えなかったけどなぁ……」
「…………もういい」
「え?」

夏で薄暗いとはいえ伶奈の顔をうかがえるほどには明るくはない。
けど、伶奈がどこか機嫌が悪くなっているのはわかった。
服の裾をつかんで擦るのは伶奈の機嫌が悪くなった証拠だ。
伶奈が俺のことをすぐに理解できるように逆も然り。俺も伶奈のことを理解することができる。

「もういいのッ! この話しはもうおしまい!」
「おしまいって……」
「いいじゃない! 私がそう言ってるんだからクーちゃんは黙っててよッ!!」

伶奈はそれっきり、まったく取り合ってはくれなかった。
これ以上、追求したって火に油。ますます事態は悪化するに違いない。
触らぬ神に祟りなしじゃないけど、嵐が過ぎ去るのを待つか。

って嵐がすぎるのを待ってたら家に着いちゃったし。

しょうがないなあ。明日、改めてまた謝っとくか。
けど、俺なんか悪いことしたっけ?

5

朝日がまぶしい……夏特有の日差しの強さで目が覚める。
そろそろ、夏休みにでも入ろうかという季節、窓からの日の光を直接浴びるのは正直つらい。
気だるい体を起こし、そのまま台所へと階段を降りていく。眠いのでいつもと違い動きは
どこか緩慢な調子だ。

「空也、今日は早いのね」
「ちょっとね、用があるから今日は早めに出るよ」
「今から?」
「ああ。昼は食堂で食べる。弁当はそのまま置いといていいよ。後で食べるから」

台所に少し乱雑に置かれている弁当のおかずの残りをつまみ食いして、
洗面台でいい加減な身だしなみを整えてから外に出る。

家に出てからほんの数メートル、伶奈の家の前にたどり着く。
さすがに、朝とはいえ夏は正直暑いので近くにある木陰に入って伶奈が出てくるのを待つ。
しばらくすると、玄関が開いたのがわかるようなドアのきしむ音。
続いて人影が出てくるのを確認したが、伶奈ではなかった。伶奈の父親だ。
彼は一瞬こちらと目が合ったが、軽く一瞥してすぐにこっちとすれ違った。
向こうは平静を装ってるつもりなのかもしれないが、見てて僅かに……けど一瞬だけ
表情が歪むのがわかった。
伶奈の両親はそこまで俺のことを快く思ってはいない。出来れば、俺みたいな奴とは
縁を切って欲しいと思っているんだろう。
もちろん、実際に面と向かって言われたわけでもないし、伶奈だってそのことを表には出さない。
けど、人の悪意ってのは言葉にしなくても何故か自然と伝わってくるものだ。
伶奈も多分それを知ってるんだろう。だから、わざわざ手間をかけてまで家まで迎えに来てくれる。
本当、伶奈にはいくら感謝しても足りないよな。

少しすると伶奈が家から出てきた。出てきたんだが、中々家の方角のほうへと歩き出さない。
昨日のことを気にしてるんじゃないかなと思ってきてみたけどどうやら当たってたようだ。

「おはよ、伶奈」
自分でもわかるくらいに明るい調子で伶奈に声を掛ける。
とはいえ、俺の明るいが一般的な基準も満たせているかどうかは疑問だが。
「お、おはよう。今日は早いね」
伶奈も挨拶を返してくる。どこか、雰囲気的にぎこちないような気がした。

 

 

 

「昨日はごめんな……」
「え?」
「いや、昨日なんか怒らせちゃったからさ……その……なんか悪いことしたかな……ってさ」

学校に通う途中に言おうと思っていたことをなんとか切り出す。
途切れ途切れになんとか話すけどやっぱり落ち着かない。
伶奈がいつもと感じが違うとこうまでこっちの調子が狂ってしまう。
バツが悪そうに小さくうなりながら四苦八苦していたら可笑しいのを我慢して押し殺したような
笑い声が聞こえてきた。
声を聞いて伶奈のほうを見ると微笑んでいるような微笑を浮かべている。
さっきまでのとは全然違い、場の空気がなんだか軽くなったような気がした。

「ううん、私のほうこそ昨日はゴメンね。急に怒っちゃったりして」

伶奈の言葉に何でもないように「気にしてないよ」と話すと、
伶奈は安心したのか子供っぽい笑顔を見せながら自然と比較的足取りも軽くなっていた。

 

「ふ〜ん、そんなことがあったんだ。へぇ〜」
「尚美ちゃん。もしかして、真面目に聞いてない?」
「いや、大好きな幼馴染みのノロケ話を聞かされてもね。アタシにどうしろと……」

学校の昼休み屋上で私と一緒にお弁当を食べているのは親友である尚美ちゃん。
私と同じバレー部で一年の頃からの付き合いだ。私は背もあまり高くないけど、
尚美ちゃんはそれとは逆で180cmを越すほど背が高くてスタイルもとても良く、
出るところは出ててしまるところはしまっているモデルのような人で、
加えて運動面でもスポーツ万能。
バレー部の名物アタッカーとして全国でも名をはせた実力者で今年の秋からの新キャプテンのポストは
既に彼女に収まっている。
竹を割ったようなさっぱりした性格で男性にも人気があるけど、女性にも人気があるらしい。
いかにも、もてそうなんだけど今のところ浮いた噂は耳にしない。

尚美ちゃんには私がクーちゃんのことを好きだってことを知っている。
そもそも、私とクーちゃんが幼馴染みだってこと自体知ってる人はそんなにいない。
朝だって部活の朝練のために結構早めに登校するのでそこまで人目につかないし、
帰りは一緒に帰らないし、
何よりもクーちゃん自身が私や亮ちゃんとの関係をひたすらに隠したがっている。
クーちゃんに聞くと私達に迷惑がかからないようにと……きっと、あの事件のことを
気にしてるんだと思う。

 

「ノロケなんて……そんなんじゃないよ。」
「ニヤニヤしながらご満悦に語るあれのどこがノロケじゃないと。
そんなに好きならいっそのこと告白しちゃえば……向こうだって案外素直にOK出してくれるかもよ」
「こ、告白ッ……!!」

尚美ちゃんの言葉に私は顔を真っ赤にさせたまま数秒間固まってしまった。
向こうはそれを見て呆れたようなため息をはいている。

「だってさ、少なくとも嫌われてはないんだし、充分勝算はあると思うよ。
今んとこそのクーちゃんと仲良い女の子っていったらあんたくらいなんでしょ?」
「だって……」

私も尚美ちゃんの言うことは一理あるとは思うけど、だから即告白できるほど度胸はさすがにない。
それに、私は甘いとは思いながらも向こうから告白してくれないかな、などという
淡い期待を持っていたりする。
こっちから、告白すると告白されたからOKした、みたいな気がしないでもないから。
もちろん、これは私の考えすぎなんだけど……それでも夢を見たいと思ってしまったりする。

 

「そんなに、不安ならいっそのこと押し倒しちゃえば。
こっちから誘えば向こうから襲ってくれるって。既成事実作ったら向こうも責任とるでしょ」
「く、クーちゃんはそんなにエッチじゃないよ!!」
「甘いわね」
やけに真剣に、しかも芝居ががったような堂々とした態度でさっきまで弁当をつついていた箸を
伶奈に向けて尚美は話を進める。
「男! しかも、思春期真っ盛りの高校生ってのは十中八九スケベなもんなのよ。
いくら、紳士ぶってても所詮は羊の皮をかぶった狼。あんたの、クーちゃんも家を探せば
絶対にエロ本の一つや二つは出てくるよ。
まあ、それが全てとは言わないけどね。けど、そういう気持ちがある以上嫌ってない女の子から
誘いを受けたら意外とすんなりいくかもよ。
あんたは可愛いんだからさ。もっと、自信を持っていけばいいのよ。あたしが保障する」
「彼氏いない尚美ちゃんに保障されてもなあ……」
「なんか、いったぁ〜」
「い、痛いって! ごめんなさい! さっきのは謝るから許してぇ〜!!」
「ま、アタシもこれは姉貴の受け売りなんだけどね」

そう言って尚美ちゃんは私の頬をつねっていた手を離してくれた。
手加減してないんじゃないかってくらい強くやられてまたつねられたところがジンジンと痛んでいる。
つねる手を離した尚美ちゃんはいつものように食事の続きを始めていた。
こういう、切り替えの早さが彼女の彼女たる所以だろう。

「けどさあ……」
尚美ちゃんは口の食べ物をもぐもぐと咀嚼しながら話す。
食べながら話すのは行儀が悪いと思うんだけどいつもやってるわけじゃないし、
あえて注意するのもおせっかいかと思って言わずにおいた。
「あれのどこがいいわけ? 学校でもろくな噂だってないし、見た感じ暗いし何考えてんのか
わかんないし。
アンタだったらもっと良い男を見つけてもいいもんだと思うんだけど……」
「そんなことないよ」

私はいたって平静に尚美ちゃんの言うことに受け答えする。
単純な疑問として彼女は私に聞いているのだろうと思ってそこまで腹が立ちはしなかった。
尚美ちゃんはあからさまに人を中傷する人ではないのは知ってるし、
性格上回りくどい言い回しを避けてストレートに聞いてくれるのは彼女の長所の一つでもあるから。

「クーちゃんは本当はすごく優しいんだよ」

 

確かにクーちゃんは人と打ち解けるのはお世辞にも上手とはいえない。
無口で無表情、確かに尚美ちゃんの言うとおりそれは本当のことだと思う。
けど、それを怖いとか不気味だとかいうのは大きな間違いだと思う。クーちゃんは本当は
すごく優しくて誠実な人柄を持ってる。
今日だってそうだ。私が昨日あんなふうに怒鳴って気まずくなったことを気づかって
わざわざ迎えに来てくれた。
クーちゃんの言ってたことは、はたから見ればそんなに悪いことじゃない。
たまたま、出会った女の子と知り合いになった……それだけのことだ。
なのに、私はそれに嫉妬して八つ当たりしてしまった。本当に悪いのは私のほうなのに。
他にもクーちゃんの優しいところは数えればきりがない。
私をからかう男の子から守ってくれたこともあったし、お父さんと喧嘩して家出したときとかも、
クーちゃんは何も言わずに自分の親にも内緒でかくまってくれたりした。
それで、見つかったときに二人そろってこっぴどくしかられたりしたのも今となっては良い思い出だ。

クーちゃんのことを一番良く知ってるのは私だし、クーちゃんも誰よりも私のことを理解している。
だから、私達はお互いに通じ合ってるの。そして、通じ合ってる二人は結ばれるはずなの。
きっと、私たち結婚すればお似合いだと思うの。だって、誰よりもお互いを理解した仲なんだよ?
待ってるんだよ? クーちゃんが私に告白してくれるのを? 私と一緒になってくれるのを……
なのに……なんで、他の女の子との話なんかを私の前でするのかなあ?
私の知ってるクーちゃんは積極的に女の子と親しくなれるような人じゃなかったんだけど。

…………………………わかった

 

 

あの女のせいだね。きっと、クーちゃんをあの女がたぶらかしたんだ、きっと……
クーちゃんは優しくてお人よしだから人から受けた厚意は、きちんと厚意で返す人だから。
けど、クーちゃん? その子の厚意が本当に善意から来るものとは限らないんだよ。
汚らわしい体と心で誘惑してクーちゃんをたぶらかそうとしてる泥棒猫かもしれないんだよ?
私たちの仲を裂こうとしているかもしれないんだよ?

あの泥棒猫は名前を雪乃とかいった。
あの女が、私からクーちゃんを奪ってゆく――――
ぶっきらぼうなんだけど、時折見せるクーちゃんのあの笑顔を奪っていく。
想像するだけで吐き気がする。憎悪が沸く。殺意が芽生える。どろどろとしたこの気持ちが
際限なく溢れてくる。

許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない
許さない許さない許さない
許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない
許さない許さない許さない
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね

 

――……な……伶奈!!――

 

尚美ちゃんの言葉で私は現実に呼び戻された。
やけに心配そうに顔を覗き込んでいる。どうしたのかと私はしばらく彼女の顔を眺めていたが、
彼女の視線を追って目線を下に向けてみると理由がわかった。
私のお弁当がぐちゃぐちゃになってきた。右手には片方だけ先っぽが折れたお箸が……
おかずの出汁巻き卵なんかはまるでミキサーで粉々にすりつぶしたみたいになって、
もはや固形物というよりもどろどろしていてゲル状の物質みたいになっていた。
折れたお箸を見て察するに私がつぶしてしまったみたいだ。

「びっくりしたよ。急に黙り込んだと思ったら急にこれなんだもん」
「ご、ごめんね……ちょっと、やなこと思い出しちゃって……け、けどもう大丈夫だから……」
「ホントに〜!? なんか、あるんだったら相談に乗るよ?」
「本当に大丈夫だから。 けど、ありがと。もし、悩み事が出来たりしたら尚美ちゃんに
真っ先に相談するね」
「それは、随分と友達冥利につきるわね。まあ、今日みたいなノロケ話しはご辞退させて
いただきますけど……」

私はそれに軽く苦笑しながら、弁当箱を片付ける。
さすがに、こんなのを食べる気にはなれないし。中身はほとんど食べちゃって残ってないわけだし。
また、やっちゃった。最近はうまく押さえてたつもりなんだけど。
私のやったさっきの奇行を尚美ちゃんがさほど気にしていなくて正直ほっとしている。
クーちゃんのことになるといつも感情のブレーキが利かなくなる。
今まではクーちゃんに嫉妬する機会なんてほとんどなかった。
クーちゃんは他の女の子と話すことなんて滅多になかったし、したとしても事務的な内容程度で
意にも介さないものだった。
だから、今まではなんとか家に帰るまでなんとかこの衝動を我慢して耐えることができた。
なのに、昨日、今日とこの姿を誰かに見せるという失敗を二度も続けて繰り返している。

いつからこうなったのかはわからない。最近だった気もするし、ずっと昔からだった気もする。
けど、とにかく言えることはこんな姿クーちゃんはもちろん、尚美ちゃんにも亮ちゃんにも
部活の友達にも出来るだけ見られたくはない。
自分でもこんなのは異常だってわかってるから。だって、酷いときは亮ちゃんにまで嫉妬してしまう。
亮ちゃんはクーちゃんの大事な親友のはずなのに。
やっぱり、あの女がクーちゃんの周りにいるのは良くないよね。
雪乃って泥棒猫がクーちゃんの近くに居るってだけで気が狂っちゃいそうだよ。
私だってつらいし、クーちゃんにも良くないと思うし…………なんとかしないと。
けど、私だって部活があるし四六時中一緒にはいられないし……

 

 

あの玉子焼きみたいにぐちゃぐちゃにつぶせたら楽なのになあ……

6

「……でここの文章は……」

教壇に立つ国語教師がスラスラと手馴れた手つきで単語を黒板に羅列していく。
古文、漢文はともかく現代文のような授業は個人的に文学的なセンスで
成績が決まってるようなきがしてならない。
ただの授業の場合はいい。それなりに、先生が勝手に解説付きで説明を入れてくれるし、
それを要点をある程度メモしてテスト前に復習でもすれば、赤点を取るようなことは滅多にない。
けど、これが全国模試のようになると勝手が違ってくる。
はっきり言って、著者の言いたいことを読み取り、
テスト用紙から与えられた問題を解くなど答えが理詰めでわかる理数科目ならともかく、
人によって答えが多種多様に分かれる文学ではおかしな話だと思う。

こんな、どうでもいい話しを考えられるのも俺が
今感情のスイッチを入れっぱなしにしている賜物である。
いつもは、こんなどうでもいい雑念を頭に入れ込んだりはしない。
スイッチをオフにしてると、どうでもいい思考は必然的に削除される。
例えるなら、パソコンのハードのようなもの。
余分なものを取捨選択しそれを思うがままに捨てられる。
本当に機械のように合理化・システム化されてしまう。

 

よって、考え事とかをするのにそういう状態は好ましくないと思い、
感情のスイッチを一時的に入れたままにしてるわけだ。
どうせ、もうすぐ夏休みでテストも終わってしまったし、この授業は範囲に出るわけでもない。
上の空で聞いてても特に問題もないだろう。
その考えごとの内容なのだが今日の放課後をどうしようかという算段をつけているところだ。
なんていうか、昨日は結構流れに任せたというか勢いに乗ったというか……
簡単にいうと気軽に遊びに来れば言いなんていっときながら本当に来たらどうすればいいんだろうか?
などとそんな漠然と不安になってる次第である。
口下手な俺でもうまく相手と打ち解けれる方法とか……ってあるわけないか。

 

 

そんなこんなで何の考えもしないままいつものように河川敷のところで
いつものように時間をつぶしていると前に会ったときと同じくらいの時間に雪乃さんはやってきた。
普段通りに振舞ってみたつもりで、まあ会話も相手の話しはそれなりに受け答えしたつもりだ。
聞けば雪乃さんはつい一週間前ほどにこの町に引っ越してきたらしく、
夏休み明けから隣町の随分と有名な女子高である桜花学園に通う予定らしい。
亮介情報によるとあそこは花も恥らう淑女のような女性を教育する場だとかなんだとか……
まあ、詳しく聞いたわけでもないので俺もよく知らないけど、
なんとなく彼女のイメージに合ってる気がする

改めて雪乃さんを見ると彼女は本当に綺麗な女性だと思う。
腰まで伸びたさわり心地がよさそうな(無論さわってなどないが)黒髪に、
少女のようなおどけなさの中にも、少しだけ大人が出しそうな魅力を合間に見せていて、
心なしか自分よりも少し年上にも見えた。

「空也さん……?」
「へ……ってわっ!?」

呼ばれて気づいたんだが彼女が俺の目の前まで顔を近づけていた。
いきなりのことに慌てて半歩ほど後ろに飛びのいてしまう。

「な、何だよ。ビックリするじゃないか!?」
「そんなこと言われても、さっきから空也さんずっと上の空なんですもん。
声を掛けても何も返事してくれませんし……」
「そうだったの? ……ごめん」
「もしかして、私に見惚れてました?」
「は? な、なんでそんなこと聞くわけさ!?」
「だって、今まで私のほうずっと見てましたもん」
「な、な、な!!」

それは、本当なのか!? 俺は彼女のことをずっと見つめていたってわけか!?
それじゃー、雪乃さんも声かけてくるわけだ。正直言って穴があったら入りたい。
向こうは顔を真っ赤にさせてたまま下を向いている。
一瞬、向こうも同じように赤面してるかと思ったが違った。
笑いを必死にこらえてるのか口から小さなうめき声のような聞こえる。
それが面白くないのか俺は少し、ムッとしてしまった。

 

「何だよ、別に笑うことないじゃんか」

拗ねた子供のようにそっぽを向いて言う俺。

「ぷっ……うくく……あははははははははは。だって、空也さんすごく面白いんですもん。
  冗談で言ったのに間に受けて顔を赤くして……すっごく、空也さん可愛いです。あはははは」
「冗談ってどこがさ?」
「『私のほう見てた』ってとこからですよ」
「ってことは俺、別に君のことを見てたわけじゃなかったわけだ」
「はい……でも……」
「でも、何さ?」
「赤くなったってことは図星だったってことですよね?」

意地悪な笑みを浮かべながら彼女に言われ俺は本当に穴に入りたくなった。
さっきまで、雪乃さんのことを大人っぽいとか思ってたけど前言撤回したい。
よく言えば天真爛漫、悪く言えば子悪魔な人だ。
小悪魔の耳や尻尾とかつければさぞかし似合いそうだ。
思わず、そんな皮肉が浮かんでしまう。
彼女はなんだか俺が今まで会ってきた人とは違うタイプの人のような気がする。
伶奈のように落ち着いた穏やかな雰囲気でもなく亮介のように無駄に元気でもなく、
飾らず気取らずありのままの自然体、思いっきり笑ったり、泣いたり、怒ったり、
と感情が豊かな人だと思う。
それは、いつの間にか他の人にも移ってしまい知らずに周りを引き付けるような人に思えた。
俺とはどこまでも正反対で対照的。それに、俺はわずかばかりの羨ましさと嫉妬心を感じてしまった。

7

夏休み直前の最後のHR、教団に立つ先生はいつものように夏休みにおける
心構えについての高説をいつものように長々と続けている。
私たちにとっては、毎年ごとに聞かされ、耳にたこが出来そうなくらいの
注意事項なんだけどそれは先生の立場上しょうがないことなんだろうと思い、
クラスのみんなは暑い中でも終わりのチャイムを心待ちにしていた。
無論、私もそのうちの一人だ。

「起立――礼!」

このクラスの学級委員が終礼の合図を終えると同時に私は
前もって帰宅の準備をしておいた鞄を持つと足早に教室を出て行く。

「おい、伶奈。部活にはいかねーのか?」

比較的席が近い亮ちゃんが私に呼びかけてくる。
部は違っても部室は同じ部室棟にあるからお互い用事がないかぎり一緒に行くので
それに気づいたのだろう。

「うん、今日はちょっと用事があるの。ごめんね、先に行ってて」
「おお、わかった」

亮ちゃんは同じクラスの部活メンバーと談笑しながらこっちに手をひらひらと振っている。
私に少し遅れて準備を済ませて尚美ちゃんもこちらに駆け足で走りよってきた。

「あたしも伶奈とちょいと用事があるからね。悪いけど亮、アンタあたしたちの部活に
  休むってこと連絡しておいてくれない。ほんのちょっとだけだからさ」
「ん。まあ、構わないぜ。にしても、お前ら二人がそろって用事ってのも珍しいな。
  バックれて買い食いでもやる気か?」
「乙女に対してその口の利き方は何よ? アンタはもうちょいデリカシーってものを知りなさい」
「はは、悪ぃ悪ぃ」

軽口を叩き合い、私は尚美ちゃんが私に並んだのを見ると一目散に校門へと向かった。
校門に着くと、近くの木陰に止まって呼吸を整えようと数回深呼吸をするけど、
心臓は早鐘のように激しく音を鳴らして未だにやむ気配は無い。
だって、これから私はクーちゃんに、デ、デ、デぇトのお誘いをするんだから。

 

 

 

 

ことの発端はいつものように、昼休みに屋上で尚美ちゃんとお弁当を食べていたときだ。
私は、ひょんなことから最近クーちゃんに親しい女友達が出来たらしいということを伝えてしまった。
尚美ちゃんはそれに、「そんなに、不安なら本当に告白しちゃえば?」と返してくれた。
私もそのことはうすうす考えていたのかもしれない。
その上で、最後の後押しをしてもらいたくて、相談した節もあると思う。

 

私はこのいつまで立ってもやまない動悸を抑えようと努力してみるが、
やっぱり体は火でも噴いてるように熱くて緊張しているのが自分でもわかる。
私はそのときデートを申し込むときの期待と不安の混じった気持ちで
いっぱいいっぱいだったんだと思う。
だから、クーちゃんが私がいるのを見て気づいておきながらそれを素通りしていったのに
私は気づかなかった。
付き添いで私から少しはなれたところで様子を見ていた尚美ちゃんが呼びかけてくれたことで
私はそれにようやく気づいた。

 

 

 

「ま、待って。待ってよ。クーちゃん」
「伶奈……」
「ねえ、一緒に帰らない?」
「ああ、いいけど部活はどうしたんだ?」
「今日は用事があって、休みをもらったの。
  折角だから一緒に帰ろうと思って……もしかして、迷惑だった?」

私の問いにクーちゃんはすぐに首を縦に振ってくれた。
だけど、今日のクーちゃんは少しおかしかった。
なんというか、雰囲気がいつもよりもよそよそしく感じのだ。
いつもはもっと落ち着いてるはずなのに、なんだか異様に周りを気にしてるのか視線が泳いでる。
どうして、そうまで周りを気にするんだろうか。

――まさか――

 

 

私の脳裏に嫌な予感が染み渡る。
もしかして、あの女とクーちゃんはもうそういう関係になってて
私と二人でいることに罪悪感を感じてる……
まさかまさかまさか、ありえない。クーちゃんがあの女との話しをしてからまだ三日しか立ってない。
いくらなんでも、そんな早く……けど、クーちゃんとあの女との出会いは
どこか不自然なところもあった。
もしかして、向こうは意図的に近づいてたんじゃ――いや、でもッ!!

私は次々と浮かぶ嫌なイメージを取り払い自分が今日やるべきことを改めて心の中で確認する。
深く考えるのはよそう、そもそも今日の目的はクーちゃんをデートに誘うことだ。
きっと、クーちゃんはOKしてくれる。私のこんな下らない考えなんかすぐに吹き飛ばしてくれる。

「ねぇ、クーちゃん……」
「ん、何?」

顔を上げて隣のクーちゃんを見ればいつもの彼に戻っている。
さっきの顔がむしろ見間違いと思えるほどに……やっぱりさっきのは私の杞憂で、
緊張と焦りのあまりそう見えてしまっただけなんだ。

「今週の日曜……クーちゃんは暇?」
「え……」
「その、もし暇ならね。その日って花火大会があるじゃない。
  よ、良かったらあ、あの一緒に行かない?」

言えた!! ちゃんと言えた!!
返事がくるまで私は心臓が止まるんじゃないかってくらいどきどきしてたと思う。
きっと、一緒に行ってくれるはず、とそう強く願って。

 

 

 

 

――え?――

 

 

「ごめん、伶奈」

 

 

――嘘 嘘 嘘!!!???――

 

 

「その日は用事があって……いっしょに行けないんだ」

 

 

その後は、何を言ってるのか私は何も覚えてない。
クーちゃんの言葉は私の胸をえぐり、その傷からは心の奥底に閉じ込めていた
どす黒いナニかがあふれ出す。
今までの考えてた嫌なことだとかがこれでもかというくらいに鮮明によみがえり私の心を犯してくる。
気づけば私は自分の家の前にいた。どうやって、帰ってきたのか記憶はまったくない。
ただ、私の中から出てくるあのどす黒いものに翻弄されるばかりで……

 

「あの女の……せいなのかな……」

 

私は離れていくクーちゃんの背中にそうつぶやいてしばらくの間立ち尽くしていた。

8

笛を鳴らすような高い音の後に何かが爆ぜるような火薬の音。
人を魅了する綺麗な色とりどりの色彩の花火の視覚的な映像の後にその音が聞こえてきた。
一年の行事の中でも一番有名でどこでもやってそうなイベントだ。
参加している人はときには恋人同士だったり親子連れだったり、
遊びに来ている友達同士だったりその老若男女様々だ。
その中で俺一人だけがその喧騒から外れて祭りの様子を外から見ていた。

向こうのイベントの本会場であるところからずいぶん離れているのでここの人は、
まばらというか俺一人くらいしかいない。けど、あくまで一人だが。
傍にはチビがいる。今日はこいつしかいない。
元々、向こうは自由気ままな野良だからいつも来てくれるわけではない。
別に飼いならしてるわけじゃないし、こちらとしてもそれほど干渉しているわけでもないのだ。

その中の一匹であるチビが、頬をすり寄せて機嫌のよさそうな声を出しながら、
あぐらをかいて座っている俺のひざに乗っかってくる。
こいつは一応、名前も付けてるし飼ってるという定義のうちに入るのかもしれないな。
頭をなでる。すると、気持ちよさそうに目を細める。
あらかじめ、買っておいたビーフジャーキーをやるとうまそうにほおばって口を動かしている。
まるで悩みも邪心もなさそうなその目をみるとなんだかこちらまで気分が安らいできそうだ。

 

「いいよなあ。お前は気楽そうで……」

ため息をつきながらチビを両手で抱えあげる。
重い……始めてあった時とは比べようもないくらいでかくなったもんだ。
なのに、仕草は子供っぽくて加えて甘えたがりだ。
未だにこいつが立派な大人だとは思えない。そんなに、誰かに頼ってるようじゃ
一人になった時に困るんじゃないか。
そう、思った瞬間思考を一瞬止めた。さっきまでの考えはまるっきり自分自身に
いえそうな気がしたからだ。
軽く欝になりそうになってると、チビが俺の手を舐めてる。
ザラザラした舌触りだと思いながらも慰めてもらってる気がして又、頭を撫でてやった。

 

 

 

 

 

今ごろ伶奈や亮介はどうしてるだろう?
友達を誘って遊びに繰り出してるのだろうか? あるいは彼氏、彼女か……
あの時、伶奈に誘ってもらったのはすごく嬉しかった。本当なら即答したかった。
けど、ついその場限りの嘘でごまかしてしまった。本当は用事なんてまったくないのにだ。
断った時の伶奈の落胆した顔が今でも頭から離れない。あれで、本当に良かったんだろうか?
いや、これでいいはずなんだ。俺と一緒にいるのを誰かに見られたりでもしたら迷惑をかけてしまう。
全ての人が悪くいうとは思わないけど必ずありもしないことを噂する奴らはいるはずだ。

「だから、これでいいんだよ……これで」
「何がですか?」
「何がって……っ!?」

気づけばいつの間にか雪乃さんが隣に立っている。
花火大会がある日だが彼女はいつもの私服姿で浴衣は着ていない。
無論、それが悪いわけではないんだが。

「また、道に迷ったわけ。花火大会だったら向こうでやってるよ。ここはただの空き地」

無愛想な仏頂面で花火が鳴り響いてる方向を指差す。
そんなこちらの態度にも向こうは笑顔を崩さない。

「いえ、今日は道に迷ったわけではないですから」
「だったら、なんでこんな所にいるわけさ? 遊びに行くんだろ」
「ええ、空也さんをお誘いしてから行こうかと思って」

平然といいのけるもんだから、彼女のほうに振り向いてしばしの間、彼女を見つめていた。

「俺は行かないよ」

短く、簡潔にでもこっちの意思ははっきりと示すように言った。
すると、今まで変化を見せなかった彼女の表情に初めて変化が見れた。
予想外の返答に驚いてるように俺には見えた。

「どうしてですか?」

雪乃さんは優しげな声色で質問してくる。
まるで、いたずらをした子供に理由を聞くかのようだ。

「別にいいだろ。そんなこと」
「よくないですよ」
「君には関係ないだろ」
「あるじゃないですか。いまこうして、お誘いを断られてるわけですし」

 

しばらく、こんなくだらない問答が続いた。
こっちが、ああ言えば向こうがこう言い、むこうが言えばこっちが。
そんな、具合にお互いが一歩も引かないもんだから子供の喧嘩みたいにくだらなく、
いつまでも続いた。

「訳を言ってくれないと納得できませんよ」

彼女は今までの穏やかな様子を少しだけ強い口調に変えてきた。
とはいえ、怒鳴るような高圧的な態度ではなく柔らかな物腰で凛とした風になっただけだが。
こっちも、いい加減イライラしてきて結構限界に近かったのだろう。
だから、つい向こうの問いに投げやりに返答してしまった。

「人殺しだから」

小さく今にも消え入りそうな声だったから「ぇ?」と雪乃さんは聞こえずにそんな声を漏らした。

「俺、人殺しなんだよ」

そういうと、俺は力が抜けたように草原にしゃがみ込んだ。
雪乃さんはそれを見て、俺の隣に寄り添うように隣に座った。

「だから、俺なんかと関わってその人が阻害されてくのを見るのが嫌なんだよ。
ついでにいうと、人前で友達と一緒にいるのも正直言って怖い。
誰かが俺や周りの人の陰口を言ってるんじゃないかってね……」

自嘲するように口元だけ笑みを浮かべると雪乃さんがいる方向とは逆に
そっぽを向くように目をそらした。
正確に言えば相手は死んではいない。それに、それまでの経緯からすれば……
少なくとも過剰防衛くらいにはなるかもしれない。
とはいえ、それは結果論であってたまたま偶然向こうに運があっただけだ。
だから、あの事件の中での俺は間違いなく、人殺しだと思う。

いずれは話さなくちゃいけないことだ。
それに黙ってたところで遅かれ早かれ周りの噂を聞いて知るし、
これはむしろ早く言うことが出来てこっちとしても気が楽になった。
中途半端に親しくなったりして、知られたときに拒絶されたりしたくないから。

 

 

 

「話しはわかりました。けど、私には関係ないことです」
「は?」
「早く行きましょう。花火、終わっちゃいますよ」

雪乃さんはそうして俺の手をグイグイと引っ張ってきた。
慌ててその手を乱暴に振り払う。その拍子に俺は彼女から数歩後ずさってしまった。

「俺の話し、ちゃんと聞いてたわけ?」
「はい、もちろん」

「なら、なんで」と言葉を続けようとすると彼女は俺の口を手でふさいできた。
そして、いつものごとくにっこりとスマイルを浮かべ、そこには俺に対する嫌悪も怯えもなくて、
むしろこっちが拍子抜けしそうになった。

「私、空也さんが理由もなくそんなことするはずないと思ってますから」
「はぁ!? 理由があろうとなかろうと変わんないだろ」
「だから、言ったじゃないですか。関係ないって。もし、それで私が何かの不利益を得たって、
それは貴方の責任じゃありませんよ。空也さんを信じた私に見る目が
なかっただけのことですから……」

あまりに、サラッと何でもないことのように涼しげに言葉を放つ彼女に俺は絶句する。
何故、そこまで俺に肩入れするんだろうか? それが不思議でならなかった。
いや、不気味とさえ思ってたかもしれない。
長い付き合いの友達ならわからなくもない。けど、彼女は違う最近知り合ったばかりで
俺のことなんか全然知らない赤の他人に近いといえなくもない

「わけ、わかんねえ……」

だから、気づけば俺はそうつぶやいていた。
それが、彼女を傷つけるような言葉なんじゃないかと気づくことすらせずに。

「わけ、わかんねえっての!なんで、そんな俺に構うんだよ!
会ったばっかで俺のことなんか全然知らないくせに。人殺しだって聞いても、
なんでそんなに平然としてられんだよッ!いったい、何考えてんだよ、アンタはッ!!」

肩でゼイゼイと息をしながら大声で怒鳴ってしまったが、どうみてもこれは八つ当たりだ。
そもそも、なんで彼女が責められなきゃならないんだ。むしろ、俺は感謝するべきなのに。
なんで、こんな癇癪を起こしてしまったんだろう。
理由はわかってる、怖いんだ。人と付き合うことが。
心の内に踏み込んで欲しくない、自分の心の奥底に潜む醜い部分を見られたくない。
それを見て、嫌われたくない。幻滅されたくない。自らの定めた一定のラインから
それより奥へ入らないで欲しい。
まったくもって、自分勝手な話しだ。そんなことしか考えられない自分が嫌になってくる。
けど、そんな心配は必要なくなるだろう。こっちは、こともあろうに向こうを変人扱いだ。
彼女はどうするんだろうか? 泣いて去っていくのか、
はたまた怒って俺にビンタの一つでもいれるのか。
どちらかが来るのを意を決して待ってるんだが、彼女は一瞬驚いた風に見せただけで
とても落ち着いていた。

 

「そのうち、わかります」

雪乃さんは、そう言うとゆっくりと歩いて俺の前に立つと手をとって歩き出した。
予想外のことに虚をつかれ、腕を引っ張りながら歩く彼女に併せて数歩ばかり歩を進める。

「私ね昔、貴方に助けてもらったことがあるんですよ」

覚えのないことに、「え?」と思わず声が口から出る。
俺を見る彼女の目はさっきまでの機嫌の良さそうな満面の笑みとは違って
美術品に出てくる女神像のような安らか微笑だった。
といってもそれは直ぐにいつもの笑顔に戻ったわけなんだが。

「ですから……お返しがしたいんです。
そもそも、私誰にでも優しくするほど人がいいわけじゃないですから」
「は……え…ちょっと……」
「空也さんだから……いちいち世話をやくんですから」
「俺が……助けた……君を……!?」
「はい、こう言ったらなんですけど今の私があるのって空也さんのおかげなんですよ」
「いつ、どこで?」
「それは、秘密です。私から言ってもいいんですけど、やっぱり空也さんから思い出してくれたほうが
嬉しいじゃないですか」

雪乃さんは俺の手を取りながらグイグイ強引に引っ張っていく。
とはいえ、所詮は女性の力。その気になれば、振り払うことは出来たけど、俺はそうしなかった。
俺にこうまでして関わってくるその理由を聞いたせいか、不思議な安心感みたいなものを感じていた。

「ほら、早く行きましょうよ。こんな所で一人寂しく花火鑑賞なんて辛気臭すぎますよ。
折角のお祭りなんですし、もっと楽しみましょう。それとも、私が一緒じゃ不満ですか?」

いたずらっぽく笑う彼女はやはり可愛いかった。そこからの記憶はしばらくの間、曖昧なままだ。
色んなことが起きたせいで俺自身何が何だがわからずボケッとしていたのかもしれない。
そして、気づけば花火大会の会場へと連れてこられていた。
そこからは、完全に彼女のペースだった。会場のあらゆる露店を周っていき
一通り見終わると足跡で作られた丸太みたいな、木のいすに俺は座り込んだ。
誰かとこういう大きな行事に出るのは本当に久しぶりで一緒にいるだけながら意外にも俺は
雪乃さんといるのを楽しんでいた。

 

「はい、どうぞ♪」

遅れてきた雪乃さんは俺の隣に座り込むと、両手に持ってた二つのクレープの内一つを
俺に手渡してくれた。
それを、受け取って一口かじる。トッピングはどうやらチョコレートみたいだ。
未だに心ここにあらずの俺はどんどん打ち上げられる綺麗な花火を見上げながら
黙々とクレープを食べる。
気づけば半分ほど既に食べ終わっていた。

「どうしたんですか? さっきから、ずっと黙り込んで」
「いや、なんだか夢を見てるみたいだなあ……って」
「夢?」
「なんていうかさ、今日こんな風に誰かと遊ぶなんて思いもしてなかったし。
実感がわかないっていうか……まるで、夢見たいだなー、って……
っ痛ッ! 痛い痛い。急に何すんのさ」

雪乃さんは俺の言ったことがわからなかったのか首をかしげてキョトンとしていた。
自分でも、言ってることがあまりにも突拍子がなかったので慌てて言い直した。
そしたら、いきなり人の頬を思いっきりつねられた。

「これでも、夢だと思います?」
「痛たたたッ! わかったから離してよ。本当に痛いんだって!」
「ねっ。痛いってことは夢じゃないでしょ」
「ったく……それだけのために、ここまでする?」

いたずらっぽく笑いながらも彼女は抓る手を緩めようとしなかったので
手を離してもらった後でもまだ抓られたところがヒリヒリする。
そんな風に軽口を叩きながらも、俺は少しだけおかしくなって笑っていた。
声には出してなかったし、自分でも気づいてなかったので彼女に指摘されるまで気づかなかった。
それに気づくと俺はなおさら、可笑しくなって笑ってしまった。
雪乃さんもそれを見て一緒に笑ってくれた。
俺はそのとき、少し浮かれてたのかもしれない。だって……

「クーちゃん……その人……だれ?」

伶奈に声を掛けられるまで、俺の直ぐ後ろにいたことに気づけなかったのだから。

2007/01/19 To be continued.....

 

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