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雪桜の舞う時に



プロローグ

 春の穏やかな陽気に包まれて、桜が散る通りを欠伸しながら歩いていた。
  学園に向かうために何度も桜を見続けているので、いい加減に飽きていた。
  綺麗な物は三日辺りで飽きるというが、その通りだった。

 散ってゆく桜に悪いが、毎日毎月毎年と同じ通学路を通っていたら、
  例えそれが日常とは違った光景だとしても人間は飽きてしまうのだ。常に変化を求めてしまう。
  新学期を迎え、進級して僅か二週間の月日が経っていた。
  新しい出会いと別れの季節なのに、俺こと桧山剛(ひやま つよし)は早くも飽きてしまっていた。

 クラスメイトは去年のクラスメイトが多いし、担任も昨年度から全く変わってはいない。
  新しくなった教科書もロッカーの中に置きっぱなしにして、家で見ようとは思わなかった。
  新しい季節がやってきても、俺の周囲はそう簡単に変わることなく、
  退屈な一日は今日も際限なく続いてゆく。
  友人とくだらない雑談。
  担当教科の長々と続く授業。
  昼休みは教室で自分の手作りのお弁当を餓えた猛者から死守したり。
  午後は眠たくなったら、そのままお休み。
  放課後になったら、友人とゲーセンで流行の格闘ゲームやカラオケに出掛けたり。
  俺の日常はそう簡単に変わることなく、退屈で価値がない物だと再認識すると
  暗澹な気分になってしまう。

 だから、だろうか。
  今日の放課後は友人の誘いを断り、何もない校舎を散歩しているといつもと違った光景が
  俺の目に移ってきた。
  人気のない校舎裏で多数の学園の生徒たちに囲まれている少女の姿があった。
  険悪な空気に俺は敏感に察知するとただその光景を眺めていた。リーダー格の女子生徒に、
  金魚のフンのようにまとわりついている男子生徒二人と女子生徒三人。
  計6人が女子生徒を囲んでいた。怯えている少女が怯えた視線でリーダー格の少女を向けるが、

 彼女たちはまるでゴミとして見るような見下した視線で少女が困った姿に嘲笑していた。
  さすがにこの現状が普段から鈍い俺でも頭が回る。
  これは虐めだ。

 彼女はこいつから苛められている。
  この学園にそんな悲惨な事があったのかは知らないが、
  退屈な日常を過ごしていた裏にはこうやって誰かが不幸な目に遭っている。
  世の中には弱い者に対して、牙を向ける強者が必ずとして存在する。
  弱者を踏み付けることで己れの中の優越感に酔う。
  それはクスリをやって快楽を得るよりもとても気持ち良くて、中毒に陥ってしまうこともしばしばだ。
  この少女を苛めているグループも同じ理由で世の中にある自分たちの思い通りにならない
  不満やストレスを彼女を苛める行為により発散しようとしている。

 全く、この世界は淀んでいる。

 憂欝な気分になりがらも、少女は助けることはまず出来ない。
  俺は喧嘩もできなければ、人に対して暴力を振るう行為はあんまり好きじゃないから、
  弱すぎて相手にならない。
  更にこの手の厄介事は何の考えなしに突っ込むと後で俺自身に返ってくる。
  次の苛めのターゲットにされることだってある。弱者を躊躇なく苛める病んだ人間が
  まともな神経を持ち合わせているはずもないので、必ず報復を行なってくるだろ。
  だったら、その場から離れて見ないことにしてしまえばいい。

 簡単な事だ。

 でも、足は言うことを聞いてくれない。正にこの光景を目に焼き付けるように硬直している。
  苛めグループの男子生徒が少女に対して暴力を振るう。
  問答無用に少女の背中を踏み付けるように強烈な蹴りが何度も何度も炸裂する。
  彼女の悲鳴の声が出ると同時にいじめグループの少女たちはゲラガラとバカ笑いを浮かべる。
  更に男子生徒達が同時に踏み付ける。少女の瞳には涙目にして、
  必死に泣くことを堪えようとしている。
  確かにここで泣いてしまえば、いじめグループの子たちの苛めが更に過激化する。

 そんな淀んだ光景に俺は我慢ならなかった。
  こんな大勢で女の子を苛められたら、助けたくなる衝動に駆られてしまう。
  テンションに流されない事は大切だが、このまま傍観してしまうと俺自身が
  最悪な人間野郎になってしまうような気がした。
  だから、奮えている体に鞭を打って、声を張り上げた。

「何をやっているんだ!!」
  声の主である俺に皆の視線が集まった。少女に対しての暴力は一時中断されて、
  睨むような高圧的な男子生徒たちの圧されても、俺は更に高らかにで叫んだ。
「女の子を苛めて楽しいかのかよ!!」
「きゃはははは。今時、正義の味方気取りなんか流行らないし。なにこいつキモい」
「わたしたち、このクズを苛めているから邪魔しないでくれる」

 女子生徒たちがバカにしたように笑っていた。まあ、俺も柄じゃないことをやっているのは
  恥かしながらもわかっている。
  小さな頃は正義の味方に憧れてたりするわけだが、今の場においては苛められている少女を
  助けたいと必死になっていた。

「そんなことはどうでもいい。お前ら、その子に危害を加えるのはやめろよっ!!」
「あん? てめえ調子に乗ってんじゃねえぞ。おい、こいつもやっちまうか?」
「異議なし」
「ボコボコにしてやるぜ」
  男子生徒たちは完全に俺を獲物として鋭い目で怯えさせようと睨みつける。
  見た目は不良ではないのだが、それでも体格のいい奴ら三人に囲まれたら、
  俺は手出しすることもできずにやられてしまうだろう。
  覚悟はすでに決めていた。

 俺は俺の信念を貫くことだけ。
  一度、決めたら最後までやり遂げようとすることだけが俺の唯一の取柄だった。
  我慢強いことに頑丈にできているから、ここでボコられても一週間ぐらいで怪我は完治しそうだ。
  歩み寄ってくる男子生徒たち。
  目を瞑って、歯を食い縛る。

「やめなさいっっ!!」

 リーダー格の少女は大声で叫んだ。男子生徒たちも驚いて、声を上げた主に振り返る。
「思い出したわ。こいつ、2ーB組の桧山。あの変人内山田のツレよ」
「なんだってっ!!」
「おいおい、内山田のツレなんかに手を出したら。本当に後が恐いぞ」
「いつ、偽りの退学届けが受理されるかわかんねえぞ」
「私たちなんか風俗に売り飛ばされるかもしれないわっ!!」
  内山田の名前が出た途端に傲慢な態度が見事に消え去り、いじめグループの人間の誰もが
  青白い顔をして震えだしている。
  俺の親友は学園で有名な変人として知られているが、こんないじめグループが
  畏怖する事を平然とやってしまっているのであながち怯える理由はわからなくはない。
「皆、もう行きましょう。ゴミクズのせいで私たちが東京湾に浮かぶかもしれないし」
「ええ」
  いじめグループたちは逃げるようにこの場を立ち去ってくれた。
  残されたのは俺と酷く落ち込んだ彼女。

「大丈夫か?」
「はい、平気です」
  汚れた衣服を手で振り払って、彼女は俺を警戒するような怪訝な瞳で見つめている。
  確かに俺はいじめグループを追い払ったわけだが、俺自身が彼女に危害を加えないという保障はない。
  ましてや、見ず知らない赤の他人が関わってはいけない問題でもあった。
「あ、あのありがとうございました」
  視線を合わせずに大きな黄色のリボンで纏めている長い髪を何度も揺らす。
  その潤んだ瞳は今にも泣きそうになっている。それなりに整っている可愛らしい顔立ちだが、
  今は泥で汚れているのでその魅力が半減してしまっている。

「こんな薄汚れた私を助けてくれて本当にありがとう。でも、これ以上私と関わるのは
  やめた方がいいです」
「どうして?」
「私に関わるとあなたも苛められるから」
  少女は寂しそうに言った。

 彼女は自分の立場をよく理解している。
  一回だけ追い払ってもあいつらの苛めがなくなるわけでもない。
  無為に反抗したせいでさらなる報復が待っていることであろう。
  このまま、彼女との距離を縮めてしまえば、今度は俺が様々な嫌がらせに遭う。

「私のせいで誰かが傷つくのはもう嫌なんです」
「でも、本当にそれでいいのか?」
「いいんです。いいから、私はもう放っておいてください」
  目蓋から大粒の涙の雫が零れだしていく。
  ただ、少女は声を殺して泣いていた。さっき、苛められている時には必死にその涙を堪えようと
  我慢していたが。
  だが、人に優しくしてもらったことで涙腺が緩んでしまったようだ。
  俺は珍しくズボンの中に入れておいたハンカチを彼女の頬に差し出す。彼女は受け取って、
  癇癪を起こしながら、溢れて止まらない涙を拭いていた。

 しばらくの時間が流れる。
  彼女はようやく落ち着いてくれた。
「あの、これ洗ってお返しますね」
  ぐしょぐしょに彼女の涙で濡れてしまったハンカチ。
  まあ、俺的には別に洗ってもらわなくていいわけだが、ここは彼女の心遣いに甘えてしまおう。

「で、あなたのお名前はなんていうんですか?」
「俺は2−B組の桧山剛。あんたは?」
「私は2−E組の雪桜志穂です。同学年の人だったんですね」
「そうみたいだな」
  正直、苛められている女の子が年上か年下だと思っていたが。まさか、同学年だったとは。
  これで苛めグループの人間が同学年の隣の隣の隣の生徒になるかもしれないが、
  今回の出来事があちこちに広まらないことを果てしなく祈る。
「じゃあ、一緒に帰ろうぜ。雪桜さん」
「えっ!? でも、私といると桧山君まで苛められちゃうよ」
「多分、大丈夫。俺が内山田のツレって知っていて、同学年なら絶対に手を出すってことはありえん。
  逆にあの苛めグループの家族が東京湾に浮かんでしまう可能性が高い。
  内山田のモットーは『悪人に人権はない』らしいな」
  信じられない話だが、内山田は常人を遥かに超えた能力を持っているらしく、
  彼自身の最大の武器はこの情報社会で最も大切な『情報』と何でも頼めば、
  どんな不正入学や不正雇用ができるあちこちに人脈を作りまくった『コネ』がある。
  それらを上手く使えば世の中に恐いものはないらしい。まあ、俺にはどうでもいいが。

「というわけで帰ろうぜ雪桜さん。どっかでおいしいモノでもおごってやるから」
「あ、あ、あのいいんですか?」
  叱られた子供のように怯えた表情を浮かべて、雪桜さんが上目遣いで尋ねた。

「いいに決まっているだろ。懐はちょっと寂しくなりそうだけど、今日は雪桜さんと
  出会えた記念日ということで」
「私、そんなにお金持ってないですよ」
「心配するな。割引券使うから」
「せこいですっっ!!」

 

 二人はその後もつまらない雑談をして桜通りを歩く。
  いつもとは違った光景。新しい出会いに胸を焦がしながら、隣に雪桜さんがいる日々を夢想する。
  去年とは違う、退屈な日々の終わりをここで告げよう。

 

 でも、俺は全くわかってはいなかったんだ。
  雪桜さんが人を避ける理由。
  雪桜さんが苛められていた理由も。
  そして、俺に恋する少女の存在すらも。

 これから始まろうとする波乱に満ちた日々の事も。

第1話 『彷徨う想い』

 雪桜さんに特製あんまんを奢って、久しぶりに一日一善を実行した俺は気持ち良く
  家の帰路に着こうとしていたが、
  家の前で鬼神のように待ち尽くしている少女の姿があった。
  当然、その姿には見覚えがある。4−5年前、隣に引っ越してきて、
  同じ高校、同じクラスの同級生。東大寺 瑠依(とうだいじ るい)である。
  肩まで伸ばした髪が揺れる。肌が白くて、可憐な容姿である。ただ、黙って佇んでいれば、
  男女ともその魅力に引き込まれてしまう雰囲気を漂わせている。
  だが、よく観察してみれば、その虚像が跡形もなく崩れてしまうだろう。
  特に毎朝顔を会わせて瑠依の本性を知っているような奴なら、尚更だ。

「ううっ。あんたねぇ、一体今までどこに行っていたのよっ!!」
「瑠依を怒らせるような真似なんかしたっけ?」
「今日、私のお母さんが仕事で夜勤するから、あんたのとこで晩飯を食べるように言ったわよねっ?」
「あぐぅっ!!」
  やべぇ。素で忘れていた。
  すでに時刻は夜の七時を過ぎている。家の前でずっと待っているってことは、
  瑠依はお腹を空かしたままってことか? 剛ピンチっ!!
「あのさ、瑠依が家に来るのはすっかりと忘れてたからさ。今日の夕食は
  何にも買ってきてないんだよ」
「なんだってっ!!」

 餓えた虎の腹を空かせたままだと、周囲に危害を与えられる可能性は100%。特に俺が。
「とりあえず、買い溜めしていたカップラーメンでも食べようぜ」
「ああ、こんなことだったら。外食でおいしいもん食べておけば良かったよ」
  鍵を取り出すと、俺は殺気に圧されながらもさっさと玄関を開けた。

 俺の家は親が長期の出張でこの2−3年間は遠い地で仕事を頑張っている。
  母も親父についていったので、基本的に俺は気軽の一人暮らしなわけだが。
  隣に住んでいる瑠依のおばさんが俺の母の友人であるため、何かとその世話を頼んでいるようだ。
  その監視役として、瑠依がしょちゅう家にあがってくる。こうやって、瑠依と晩飯を食べる事も
  実は珍しくはない。
  母子家庭であるせいか瑠依のおばさんは朝早く通勤して、夜遅くまで仕事をしている。
  そのためか、独りぼっちになっている瑠依を心配して、俺と一緒に晩飯を食べさせることが多い。

 俺は異論がないが、今日みたいに忘れてしまうことはたまにある。
  そんな時の瑠依は狂暴で暴力的な一面を見せるのであった。
  黙々と差し出されたカップラーメンを静かに瑠依は食べている。
  時々、潤んだ瞳が細く鈍い眼光へと変わっているが、俺は麺を啜って気にしないことにしていた。
  リビング全体が重い重圧と殺気に包まれている。
  その発生源は言うまでもなく、瑠依から出ているものである。

「今日はカップラーメンね。本当に剛が注いでくれたお湯はおいしいわ」

 棒読み口調で表情はおだやかだが、目は全く笑ってはいない。
  その笑みですら、俺の背中に悪寒が走る程、冷たく感じる。たった、5年程度の付き合いだが、
  女の子の事は理解できなくても、瑠依の事は少しだけ理解できたと思っていたわけだが。
  前言撤回。男の子から見れば、女の子は全て宇宙人です。
  とはいえ、本当に瑠依が今日の晩飯の事を忘れていただけで、こんなにも機嫌が悪くなるのだろうか。

「仕方ないだろ。今日は瑠依が晩飯を食べに来る日じゃないと思い込んでいたから
  何にも用意はしてなかったんだよ。
  そんなに餓えているなら、俺のカップラーメンのつゆでもやるよ」
「あほかぁぁぁぁっっっ!!」
  怒りにまかせた瑠依の蹴りが、俺の顔面にまともに直撃した。

「どこをどういう風に解釈したら、そういう話になるのよ。ホントにアンタって言う人は。
  女心というものを全くわかってないわ」
「いや、わかった。お前のために残していたえびやたまごの」
「えびもたまごもいらんわボケっ!! 剛君が他の女の子と下校しているところを見て、
  ちょっと気になったとかそういうんじゃないんだからねっ!」

 このアマ、今なんて言いましたか?

「ムッ。うるさいうるさいうるさいっ!! どうでもいいでしょう。そんなこと」
  乱暴にカップラーメンの上に置いてあった箸を投げ付けて、瑠依は顔を真っ赤にしていた。

「別に俺が女の子と下校してもいいじゃん。どうして、そんなに怒るんだ?」
「ムッ」
「ムッじゃないだろう」
「う、う、うみゅう」
  どこぞの知れない動物の泣き声が愛しく聞こえた。
  顔を伏せて、赤面したまま瑠依は固まっていた。瑠依は見た目は可愛いらしくて、
  男子から人気があるけれど、 交際関係は今までなかったと聞く。更に男の免疫がないのか、
  こういう男女のお話になると真っ先に知恵熱を出してしまう。
「と、と、と、とりあえず。私はお母さんとおばさんに剛君の事を頼まれているんだよ。
  変な女の子に誑かせられているなら、当然止めるのが私の役目じゃない。
  べつに、焼きもちを焼いているわけじゃないんだからねっ」
「ああ言えば、変な理屈をこねるし」

「うるさいうるさいうるさいっ!! もう、帰る。とりあえず、あの女の子と付き合ったらダメよ」
  そう忠告すると瑠依は首から上まで赤面しながら、慌ててこのリビングを去ろうとする。
  バタンと玄関のドアが閉まる音は強烈な勢いで閉まった。

「やはり、晩飯がカップラーメンだけってのがマズかったのかな」
  それに瑠依もおかしな事を言う。あの女の子と付き合ったらダメって言われても、
  雪桜さんは乱暴でがさつの瑠依よりも何百倍も清純で笑顔が似合う女性だ。
  苛められてさえいなければ、今頃は学園中の男子が憧れる程の美人である。
  だが、今はその魅力は沈んだ陰気な表情のおかげで失われてる。
  今は捨てられた子犬が誰かに助けて欲しいと訴えているのだ。誰かが助けてあげないと
  雪桜さんをずっと悲しみの世界に捕われることとなる。
  俺が雪桜さんを助けたいと思ったのは、俺自身から出た真摯な気持ちだ。
  たとえ、瑠依が関わりをやめろと言われても、絶対に俺は言うことを聞かないだろう。
  下校の際に俺と雪桜さんと軽い自己紹介をして、雑談を楽しんだ。彼女は人と接するには
  臆病だったが、ほんの少しづつだが、俺に心を開いている。
  明日も時間があるなら、雪桜さんと話し合う機会があればいいのに。
  カップラーメンのつゆを最後まで飲み干して、俺は密かに誓いを立てるだった。

 今日、剛君の家で晩ご飯を食べるって言ったのに。。
  剛君は見事に約束を忘れていた。いつもなら、私のためにその腕を存分に奮ってくれるのに、
  今日はそれがなかった。たった、一つのカップラーメンだけを差し出すって、
  どういう神経をしているのよ。
  ここまで存外に扱われたのは私がこの家に引っ越してからも記憶がない。一体、どうしたんだろうか。

 たしかに母子家庭である私がこの家の家事をしなくちゃいけないんだけど。
  私は料理だけは全くできない。
  剛君は男の子なのに器用に美味しい料理を作れるのだ。家に両親がいない事が多くて
  自然に覚えたと言うけれど、女の子が作る手料理も上手い。
  晩飯を食べに行く時にちゃんと私のために料理を作ってくれる。それも何も言わずにせっせと
  包丁で材料を刻む大きな背中に私の胸はときめかせる。
  料理ができる間に私は皿を用意するだけ。これだけで熱々の新婚生活みたく思えるのは
  私の自惚れでしょうか。

 これが私たちの日常。
  私と剛君のかけがえない日々だったはず。
  ところが……。
  私は目撃してしまう。あの女の事を。
  顔も知らない女の子と剛君が仲良く下校している光景を。
  男子にからかわれるからって、私が一緒に頼んでも帰ってくれなかったのに。
  どこぞの骨かわからないメス猫と帰っている。

 それだけで私は腹の中が煮えるような想いをしてしまう。激しい嫉妬に駆られる。
  当然、私は二人の後を追いかけましたよ。だって、他の女の子に剛君が取られるのは嫌だもん。
  でも、二人で楽しそうに会話をしていた。
  あちこち衣服がドロ水で汚れているメスの分際で剛君と関わらないでよ。
  不細工な女の子に私の剛君が寝取られるのは我慢できません。
  自分より劣っているモノが人様の物に手を出すってことは、それなりに覚悟しておかないと
  いけませんよ。メス猫さん。

 それから、剛君とメス猫はコンビニに寄ると何かを買ってきたのでしょうか。
  メス猫は喜んで、何かを口に啣えます。
  パン? アンパン? 肉まん? メロンパン?
  何か白くて柔らかいモノを食べると大袈裟にリアクションをとります。
  遠くから偵察しているので、声は聞こえなかったけど。これだけは間違いなく聞こえた。

「これ、おいしいにゃーーーーー!! にゃにゃーー!!」

 男の本能を擽るような甘い声で剛君を誘惑している。
  ムッムッムッ……。メス猫っめっ!!
  和やかな雰囲気を作って、二人の世界へ。

 本当に今日一日を振り返ってみると不幸だったと思う。
  この街に引っ越してから、ずっと片思いの人を見ず知らずのメス猫に奪われそうになるとは。
  こう見えても、私は恥ずかしがり屋さんだから、真っ向に剛君と向き合うことができない。

 積極的にアプローチをとろうとすると、妄想するだけで顔から火が出そうになる。
  恋する少女にとっては致命的だよこれ。
  でも、ここで躊躇していたら、今日みたいにメス猫と接近を許してしまう。
  剛君を狙っているメス猫は思っている以上にいる。クラスだけで二−三人ぐらい、
  剛君に告白したメス猫もいるし。
  いつも傍にいる私にラブレターを渡してくるメス猫もいた。そんなもの、速攻で焼却場に捨てたよ。
  だって、性欲を持て余している男の子の剛君が勘違いしちゃうよ。

 この年頃は本当に発情期のメス猫が発情しまくって、本当に困る。
  恋愛と性欲の違いを全く理解していない。私なら剛君の右足左足右腕左腕胴体頭目玉顔が
  なくても、ずっと愛してあげられる。
  たとえ、お婆ちゃんになっても。
  それが私の永遠の愛。

 さてと、明日からの事を少し考えておかないといけない。
  剛君に近付くメス猫を追い払うためには、まず二人を遠ざけることが大切だ。
  一緒にしなければ、距離が縮まることがなくなるし。すれ違いは二人の仲を
  険悪するモノへと変化してゆくだろう。
  策はすでに考えてある。
  うまくゆけば、わたしと剛君が一緒にいる時間が増えて、逆にメス猫と接する時間を
  極端に減らすことができる。
  完璧な計画。
  高らかに叫びたくなるものの、すでに夜なので、せめて心の中で叫ぼう。
  きゃははははっはあっはははは。

 剛君、今日も明日も明後日も
  わたしのことだけを見てね。

第2話 『子犬と虎の狂騒曲』

 朝がやってきた。
  眩しい朝日がカーテンの隙間から光が入ってくる。
  ついでに時計がうるさく鳴っているので、乱暴に止めた。
 
  気持ちいい布団から抜け出して、居間へと向かう。
  慣れた手付きで学園指定の制服を着て、寝呆けながら買い溜めしていた食パンを一枚を口に啣える。
  一人暮らしをしているせいか、大抵の家事はめんどくさいので朝は何もせずに
  学校から帰ってきてから、家事を健気にこなそう。
  少し余裕を持って、家を出てきたので少しのんびりとしていても、
  学校に遅刻することはないだろう。
  いつもの桜通りの通学路の散ってゆく桜を眺めながら、昨日の出来事について考えてみた。

 苛められていた女の子、雪桜志穂。

 彼女と知り合う機会になったのは、俺が苛めっ子グループからさんざん蹴られている
  彼女の姿を見ていたら、
  傍観をして関わりになりたくないと思っていた俺が恥かしい存在に思えた。
  助けた後も必死に俺との距離を測ろうとしていたが、強引に俺がおごってやると誘って、
  コンビニであんまんをご馳走した。

 幸せそうにあんまんを食べる雪桜さんの蔓延なる笑顔を見てしまうと、
  誰もが恋に落ちてしまうだろう。
  俺の場合は、雪桜さんの微笑みに癒された。隣に住んでいる瑠依とは全く違う。
  あっちは、がさつで騒動しくて暴力的だ。
  瑠依も雪桜さんの半分以上の垢を飲ませてやりたいよ。

 その雪桜さんとは残念ながら、クラスが違うのでどういう風に接点を持てばいいのか、
  正直わからない。
  クラスが一緒だったら、短い休み時間にいろいろとお喋りできるのに。
  残念ながら、昼休みと放課後ぐらいしか雪桜さんに会いに行ける時間はなさそうだ。
 
  それに彼女の事は全く知らないので、会っても何を話せばいいのやら? 
  昨日も俺一人だけが無駄に喋っていたような気がする。気を悪くしてなければいいのだが。
  ならば、俺にできることは一つ。
  友人の内山田に泣きながら頼ろうっと。

 学校に着くと俺は教室に直行していた。廊下を走るなと言われんばかりについ走っていた。
  朝から無駄に体力を消費していると後から疲労がたっぷりとやってくるが。そんな事はどうでもいい。
  勢いよく2−B組のプレートが置かれている教室のドアを開く。
  その勢いで教室にいるクラスメイトの視線が俺に集まってくるが、どうでもいい。内山田の姿を探す。
  いた。
  窓際の席で友達と喋っている。なんて、ラッキーなんだ俺。
「内山田」
「つよちゃんだぁーー!!」
  俺の声に敏感に反応して嬉しそうにこっちに駆け寄ってくる。
  友達とお喋りを中断してまでやってくるなよと口に出しそうになったが、この展開には都合がいい。
「うふふふふ。つよちゃんつよちゃんつよちゃん」
「そう人の名前を連呼するな。ってか、もう少し離れてくれ。女子に誤解させるだろ」
「むっ。ボクの事を嫌いになったの?」
  麗しい瞳をうるうるさせて、上目遣いで内山田は俺を見る。

 ちなみに、彼は男である。

 ただし、その表面は立派な女の子の姿をしている。
  男のくせに女の子のような白くてスベスベな肌。女の子よりも可愛らしい容姿をして、
  黒く清楚な長い髪を白いリボンを結んでいる。
  声も声変わりしていないのか、穏やかなでアニメ声だ。
  更に変わったことに学園指定の男子生徒の服を嫌がり、女子生徒の服を着用している。
  もし、何も知らない人間が内山田を見てしまうと可憐な少女だと勘違いしてしまうだろう。
  俺も時々、その仕草にドキッとしてしまうことはある。
  ともあれ、その誰も同じようにテンションよく接するので男女問わずに人気は高い。
  恐らく、この学園で知らない人間がいないぐらいに。

 本名は、内山田 紺太(うちやまだ こんた)って名前なのに。
  ちなみに名字はギリギリOKだが、名前で呼ぶとキレる。

「嫌いもクソもあるか。俺はお前に頼み込み事があるんだよ」
「へえ、なになに? 担任のお見合いの失敗談なら無料で提供するよ」
「さすがにそんな情報が無料で手に入るのって、先生に悪いような気がする」
  ちなみに婚期を焦っている担任のお見合いは50敗。ある意味、王道に乗りました。
  ギネスの記録に載りそうで恐い。
「だったら、なんだよー」
「雪桜志穂って子について知りたいんだけど」
「がっぴょうぴょうーーーーーーんんんんーーーー!!」
  ああ。何か壊れましたよ。この人。
「ボクというものがありながら、つよちゃんは他の女のとこに走るの!!」
「その周囲の誤解を煽るような事は言うな」

 

「だって、そうでしょう。ボクの初恋はつよちゃんなんだから。
  ボク、つよちゃんにとって、なんなのよっ!!
  ねぇ? つよちゃんにとって、ボクはなんなの
  単なる、お友達なの?
  つよちゃんからキスしてきたことないじゃないっ!!
  抱き締められたこともないじゃない。
  あの桃源郷の出来事はボクの精一杯の勇気だったんだよ。
  でも、つよちゃんは何も応えてくれなかった。
  そう、最後まで。
  今ここでボクの事が好きなのか、このクラスメイトの目の前ではっきりと答えて。
  嫌いなら嫌いって、はっきり言ってよ……っ!!
  ボクに気のあるそぶりを見せないでよっ!!
  そうしないとボク、つよちゃんのこと、
  いつまでも想い続けちゃうじゃない……っ!! 
  苦しいんだから……っ!! 
  想い続けているのは、とっても苦しいんだから……っ!!」

 クラスメイトたちの視線が俺を再び襲う。
  この修羅場もどきは一体どうやって乗り越えてゆけばいいんだ。
  明きからに面白半分で天然ボケを装っている内山田に殺意を覚えるが、
  雪桜さんのために耐えるしかあるまい。
「だから、男と付き合う趣味はないってのっ!!」
「うわーん。つよちゃんに玩ばれたよっっ!!」
  嘘泣きをしながら、女子生徒グループのいるところに突き走ってゆく。
  何か女子生徒たちに慰められているし。うわっ。俺は深々と嘆息をしていた。
  こんな友人に頼ろうとしていたのが間違いだったことに今更気付いたのだ。

 貴重な朝の時間は精神的疲労と体力的疲労を抱えたまま、非情にもホームルームを
  報せるチャイムが鳴った。
  ちくしょう。
  退屈な授業は過ぎてゆくと、俺が居眠りしている間に昼休みとなっていた。
  おお、時間が過ぎてゆくのがこんなに嬉しいと思ったことはない。
  朝から楽しみにしていた雪桜さんと親友になろうという俺の密かな野望を実行計画を開始する。
  餓えた腹の音を気にせずに椅子から立ち上がろうとしていた時だった。
  瑠依が少し不機嫌なツラを見せながら、俺を起きるのを待っていたのか。ずっと、立ち尽くしていた。

「剛君。一緒に食堂でお昼食べない?」
「えっ?」
  昨夜のカップラーメン事件の事を思い出される。
  ああ見えても、食物の恨みは恐ろしい惨劇を生む。
  人懐っこい笑顔を浮かべている瑠依は何かを企んでいるように見えてしまう。
  まさか、食堂のフルコースを頼んで、その代金の全てを俺に奢らせるつもりか?
  危険だ。危険じゃよ。
「いや。もう、すでに先客がいるんで。ごめんな」
「そうなんだ」
  餓えた虎を寂しそうに去ってゆく。ふふっ。その手には乗ってたまるか。
  先客がいるっていうのは嘘だが、雪桜さんと一緒に昼休みを食事をしたいから仕方ない。
  早く安全圏まで非難せねば。
  雪桜さんのいるのは2−E組だな。
  とりあえず、なんて言って誘えばいいんだ。

 思っている以上にチキン野郎なのか、2−E組の前に行くと足が立ちすくんでいる。
  緊張してカチンコチンと固まっていた。女の子と一緒にお昼を食べようと誘うだけで
  これだけ神経を使うのは思ってもいなかったよ。
  お目当ての人物を廊下側の窓からこっそりと探していた。
  どうか、教室にいますように神様に祈るような気持ちで視点を左右に動かす。
  いたっ!!

 机で一人で寂しそうに座っている雪桜さん。
  他の2−E組の生徒は仲良しグループを結成して、その輪から外れた場所に雪桜さんはいた。
  お昼はもう食べたのかどうかわからないが、たった一人でいるのは本当に哀しそうに見えた。
  ああ、淀んでいる。誰でもいいから、雪桜さんを輪に入れてやれよ。クラスメイトだろ?
  少し憤慨に思ってしまったが。
  俺は勇気を持って、他のクラスに入り込んで、雪桜さんの席に向かって歩く。
「よう、一緒にお昼食べないか?」
「えっ?」
  雪桜さんが大袈裟に動揺していた。そのオドオドした態度が妙に可愛いく見えてしまう。
「ど、どうしてわたしなんかを」
「そりゃ、雪桜さんと一緒にお昼を食べたいからだよ。昨日はちゃんとしたお話もできなかった
  から、昼休みぐらいのんびりとお話をしながら」
「ううっ。こんな、私を誘ってくれるなんて……」
  嬉しそうな表情を浮かべる雪桜さんの姿を見れただけで、本当に誘って良かったと思ってる。
  さっきから気になっているのはここのクラスメイトたちの視線が俺たちに集まっているような
  気もしなくはないが、すでに視線を浴びているのは慣れてしまった。
「じゃあ、食堂でも行こうか。雪桜さんはお弁当?」
「あ、あ、の。それがですね」
  顔を真っ赤にしながら、雪桜さんは困ったそうに言った。
「とりあえず、屋上に行きませんか?」

 春の穏やかな風が吹いている。二人を祝福するかのように吹いていた。
  昼休みの時間だとはいえ、何もない退屈なこの場所には生徒たちの姿は見えなかった。
  そう、今ここにいるのは俺と雪桜さんの二人のみ。
  雪桜さんがここに呼び出したってことに少なからず、何かを期待してしまう俺がいる。 
  だが、雪桜さんの口から出た言葉は俺が予想すらしていなかったことだ。
「そのごめんなさい。わたし、お弁当がないんです。ううん。正確には、
  昼食を買うお金がないんです」
「それはどういう意味なんだ?」
「私の家はとても貧乏なんです。お母さん一人の収入でなんとか食べていける状態で。
  学園に通っていられるのも、お母さんが朝から晩まで私のために働いてくれるおかげなんです。
  桧山さんにこんなことをお話をしても仕方ないんだけど、貧乏な私とこれ以上関わると
  あなたも不幸にしています」
「そんなことで今更、雪桜さんとの付き合い方を変えるなんてしないよ。
  貧乏だろうが、昼食が食べられなくても、雪桜さんとお話をしたかったんだよ」
「ありがとう。でも、ごめんなさい」
  軽く会釈をして、立ち去ろうとする雪桜さんから腹の音がグーと鳴っていた。
  意外にも雪桜さん自身は予知もしなかったことだろう。本当にお腹を空かせているなら、
  俺に言ってくれればいいのに。

「にゃあ。これはですね」
「食堂でパンを買ってくるよ。二人で仲良く分けようぜ」
「あぅぅぅぅ。すみません」
  白い肌の面積がなくなるぐらいに顔を赤面している雪桜さんのために俺は急いで
  食堂に向かうことにしよう。
  昼休みからしばらくの時間が流れていたので、おいしいパンはすでに売り切れていた。
  人気もなく売れ残っていたマズいと評判のコッペパンを二つと飲み物を買ってきた。
  元気よく駆け出したのはいいのに、こんなモノを雪桜さんを与えてしまうのはよくはない。
「雪桜さん。ごめんなさい。コッペパンしか用意できなかった」
「ふにゃー!! コッペパンってご馳走じゃないですか。うわっっ。
  本当にコレ食べていいんですか?」
「ええ、どうぞ」
「わーい」
  あのクソ不味いパンをご馳走と言う雪桜さんは美味しそうに食べる。
  一体、普段の雪桜さんの食生活はどんなものかと謎に思ってしまうが、
  成長期の女の子としてはもっと栄養を摂った方が良くはないか? 
  少しやつれている雪桜さんはいかにも病人のように手首が細く、顔も生気がない。
  半分、死人のようなものだ。
  こりゃ、明日からは俺がお弁当を作ってやらないと。

第3話 『深い鼓動の先に』

  二人で仲良く昼食をとっている和やかな光景を盗み見をしている私の胸は混沌の空のように
  深い奈落の底に墜ちていた。
  私というものがありながら、剛君は他の女とた、楽しく過ごしているという現実を
  全く受け入れることはできなかった。
  だって、引っ越してきてからいつも一緒じゃなかったけど、クラスメイトの女子よりも
  ずっと近い場所にいる私が昼食を食べようと誘っているのに。
  どうして? どうしてなの? あんなコッペパンが美味しいとかほざいている
  天然ボケ娘と食べているの?
  先客がいるから、断られた。
  私よりも、あんな小娘の方がいいんだ。
  剛君、剛君。
  ダメだよ。
  私以外の女の子に手を付けるなんて。
  絶対にそんな事は許さない。
  私から剛君を奪おうとする、雪桜というクズ女の情報をまず先に入手せねば。
  それに、放課後は二人を引き離す策が発動するんだし。この恋の勝負は私の方が断然に有利だ。
  奥底から溢れだす笑いを抑えながら、さっさと放課後になるように私は祈った。

 長々と続く授業の終了を報せるチャイムの音が学校中に響き渡ると俺はノ−トと教科書を
  机の中にしまいこんで、安堵の息を吐いた。
  これで今日一日何事もなく学校は終わってゆくはずだった。
  授業終了直後に瑠依がやってくるまでは。
「剛君にお願いがあるんだけど……」
  恋する乙女のようにもじもじと掌と掌を合わせて、瑠依は言った。
「今から文化祭のためにいろいろと動かないといけないの。一応、風紀委員も生徒会の雑用として、
  校内の見回りの強化と変なモノを作っているのかクラス毎にチェックしないといけないの。
  他の部や内山田君の様子まで探らないといけないから、剛君の猫の手でも借りたいの?」
「俺、かなり無関係じゃん……」
「そんな態度でいいのかな……。先月の担任のお見合い騒動で賭博していたことをバラすよ。
  大締めでたくさん儲けたことも徹底的にバラすから」
「なんだってっっ!!」
「更に校長先生や教頭先生のカツラ疑惑を新聞部に無理矢理記事にしようとしたこととか。
  保健の先生が男子生徒を誘惑して、童貞を奪い捲っている噂を流した張本人だったこともね」
  う、うみゅ。
  餓えた虎め。カップラーメンの恨みはそこまで根を持っていたのか。
「わかった。その、風紀委員の猫として、俺は新たなフロンティアとして羽撃くことにするから。
  お願いだから、バラさないで」
「わかればよろしい」
  恐ろしい虎はその返事で満足したのか、残酷な笑みを浮かべていた。
  勝利の余韻に触れているところ悪いのだが、俺は雪桜さんのお約束がある。
  放課後にお話をする機会をせっかくに作ったのにね。
「ちょっとだけ時間をくれ。放課後、友人と遊ぶ約束をしていたんだ。瑠依の風紀委員の活動は、
  友人に断ってからでもいいだろ」
「ゆ、ゆ、友人ねぇ。剛君って、誰と遊ぼうとしていたのかな」
  冷たい殺気を解き放ち、怒気を篭もらせた声で瑠依は俺をジト目で見る。昨日の瑠依よりも
  数倍以上の戦闘能力を感じてしまう。さすがは鬼の風紀委員たちを統べる女。
「別に誰だっていいだろ」
「よくないよ。変な人に誑かせたら、おじさんやおばさんになんて言えばいいのよ」
「いや、まともな人だから」
「まさか、女の子と逢引きしているんじゃあ? そんな事になったら、その女の子を精神科と
  カウンセラーに通わせて、あなたに傷つけられた心の痛みを癒さないと」
「俺はそんな鬼畜じゃありません」
  こいつは一体俺の事をどういう風に思っているんだ? 瑠依と付き合いは充分に長いが
  いつも扱いが非道いように思う。
「まあ。その女の子には当分行けないってちゃんと言った方がいいよ。
  私は遠いとこから見ててあげるから」
「へいへい」
  適当に相槌を打っていると担任が急いで教室に入ってきた。
  これから、始まる帰りのホームルームは当然、担任の見合い報告記者会見へと変貌してゆくのだ。

 2ーE組に向かってみるとすでに帰りのホームルームは終わっていた。
  うちのホームルームは担任の記者会見を終わった直後に、緊急株主総会もどきが始まったおかげで
  少し遅くなってしまった。
  何か担任の黒岩先生が初めて見合い相手の二回目の待ち合わせ日が決まったことで、
  クラスの連中が大騒ぎしていた。
  これで黒岩先生が結婚してしまうと、株が暴落するので、あれこれと妨害工作を練っていた。
(本人の目の前で)
  ともあれ、俺はクラスの中から一人ぼっちで待っている雪桜さんに
  お断わりの話をしないといかない。
  後ろには恐ろしい虎が狂暴な牙を出して、見張っているので、もう後には引けない。
「あっ。桧山君」
「待ったか?」
「ううん、待ってないよ。今日もどこかに連れていってくれるの?」
  天使のような微笑みに俺の良心が酷く傷んだ。
  この笑顔を裏切る事を言う俺をどうかお許しください。
「ごめんなさい。ちょっと急用が入った。当分の間、風紀委員の手伝いをやるはめになった」
「そうなんだ」
「その代わり、昼休みは一緒に食おうぜ。明日はちゃんとお弁当を作ってきてあげるから」
「はぅ。いいんですか?」
「当然だろ」
  オドオドした子犬のように雪桜さんは上目遣いで俺を見て。また微笑んだ。
  この人の笑顔はいつも俺の落ち込んだ心の闇を癒してくれる。
「剛君。もういいでしょう。早くしないと風紀委員の集会に遅れるよ」
「わかってるって」
  せっかくいいムードだったのに背後の虎が邪魔するように吠えてきた。
  雪桜さんと瑠依の視線が一瞬合ったように思えたが、
  何事もなく雪桜さんの存在がなかったように瑠依はせっせと俺の腕を自分の腕に組ませる。
  あの、胸に当たっているんですけど?
  柔らかな感触に感動を覚えつつ、俺たちは2−E組を後にした。
  ただ、退出しようとした時の雪桜さんが寂しそうな表情を浮かべていたように思えるけど。
  気のせいかな?

 風紀委員の活動は極に単純な任務であった。
  校則違反をしている奴がいれば、この竹刀で成敗しろと。
  この虎が統べる風紀委員の猛者どもは人外を超えた気迫で忠実に校則の最初から最後まで
  読み上げる姿は某本店の研修活動に似ている。
「今回の目的は文化祭における破壊工作及びテロ活動を企んでいる内山田派を今度こそ
  一網打尽にして、退学に追い込みましょう。正義は我にアリ。
  白き風紀委員たちよ。黒き素行の悪い生徒たちの明日を狩れ。
  委員会は以上で終了します」
  瑠依の歴史に残るかもしれない名演説に風紀委員一同で教室は拍手で包まれた。
  臨時の風紀委員も大袈裟に盛り上げるために微力ながらも協力してやろう。
「ブラボーブラボーーーー!! お前ら最高だっっ!! 特に竹刀を持っている姿は
  正直に痛いぜーーー!!」
  拍手が一同に鳴り止んで、風紀委員たちは俺の睨むような視線が集まってくる。
  うん。見事に地雷を踏んだね。パパ。
「じ、じ、じゃあ解散しますっっっつ!!」
  虎の一言で委員会は終了。ありがとう、虎。命の恩人だ。
  こうして、初めての風紀委員会は臨時委員として全員に顔と名前を知られることになりました。
  めでたしめでたし。

 委員会終了後、一緒に帰っていると俺は瑠依に当然のごとく叱咤されていた。
  あの場を盛り上げるために男として売れない芸人さんの魂を受け継ぐ者として
  懸命に頑張っていたというのに。
  瑠依はムスっと不機嫌モードになって、俺は気を遣ってつまらないジョークを連発していたが。
「剛君が風紀委員の皆の暴言について怒っているわけじゃないよ。あっ。でも。忠告しておくと、
  竹刀の件については命が欲しかったら今後一切何も言わない方がいいよ」
「肝にめんじておきます」
  権力を持っている虎の子分たちに喧嘩を売る勇気は俺にはありません。
  キングオブヘタレと言われようが、命よりも大切な物はない。
「そういえば、あの2−E組の女の子は剛君の何?」
「何って言われてもな……」
  雪桜さんと知り合ったのは昨日であって、友達や親友とかそんな親しい関係に発展していると
  俺は思えなかったので曖昧に答えるしかなかろう。
  だが、瑠依は顔を赤面させて速口言葉を連発してきた。
「友達、恋人、婚約、親友、愛人、二人の間には愛はあるの? すでに出来上がっているの?
  付き合っているの?」
「黙秘権を行使します」
「ええっっ!! やっぱり、嫌らしい関係なんだ」
  もう、人の話を聞く気はないだろオマエ。
  いろいろと雪桜さんと俺の間について、詮索してくる瑠依を欝陶しく思いながら。
  今日の晩飯の献立を考えていた。
「もしかして、私が想像していた以上に二人の仲が進んでるのかな。やばいよ。
  剛君は超がつくほど奥手なのに……。うわっっ」
「うん? 何か言った」
「なんでもないからね。気にしないで」
  更に頬を上気している瑠依は風邪でもひいたんじゃないのかってぐらいに赤くなっていた。
  隣人に住んでいて、いろいろと世話を焼いてくれている女の子の体の調子を悪くなると
  さすがは気になってしまう。
「本当に大丈夫か?」
  優しく額に俺の手を当てる。熱はないと思うんだけど、体温は更に上がっているように思える。
  顔はぷっくらの赤く染まっている。
「つ、つ、つ、剛君。お、お、女の子に無断で体を触るとせ、セクハラだよっ!」
「これは必要な処置だし、セクハラじゃないでしょ」
「う、う、うみゅっ……」
  まともな正論に瑠依は言い返すこともできずに顔を真っ赤にしたまま、
  帰り道を一人で先に歩こうとする。俺はその後を黙ってついてゆく。
  怒らせた瑠依の処置は簡単だ。帰ったら、おいしい料理をご馳走してやろう。
  今まで機嫌が悪い時はこれで餓えた虎を飼い馴らしていたんだから。
  今日も上手くゆくだろう。
  ついでにスーパーに寄って、雪桜さんのためにお弁当のおかずも買ってやろう。
  雪桜さんの好みは全然知らないけど、その辺は今日は適当にして、
  明日から雪桜さんの舌に合う料理を作らねばならない。
  放課後には風紀委員の活動もあることだし、これからはいろいろと忙しくなるぞ。

 それにしても、四月から九月に行なわれる文化祭のための見回りの強化を行なうって
  少しおかしいような気もするが。
  まあ、うちの学校は変人が多いし。今から取り締まりを強化しないといけないのかな。

 と、この時は瑠依が仕掛けた策だと俺は全く気付いていなかった。

第4話 『一輪の花』

  ○月○日
  今日から新学期です。
  新しい春の季節と訪れと共に桜が舞うこの道を歩くだけで生きているという充実を感じられます。
  たとえ、進級した新しいクラスでどんな苛めが待っていても、私は必死に耐えないといけません。
  お母さんが頑張って働いて学校に行かせてもらっているだもん。
  この学園を精一杯頑張って卒業しよう。辛いことがたくさん待っているかもしれないけど、
  そんなことに負けないように絶対に泣かないでおこう。

 ○月○日
  今朝、学校に行ってみると私の席だけがなくなっていた。
  昨日まであった席の場所には大量のゴミを置かれていた。
  さすがに清々しい朝からこんな嫌がらせをするとさすがの私も落ち込みます。
  適当に箒でゴミを掃いて、机と椅子を担任の先生に頼んで、新たに用意してもらいました。
  一人でせっせと運んでいると後ろから蹴られ体勢を崩して転倒しましたが、
  なんとか私はバカみたいに微笑んで何事もなかったように教室まで運びました。
  にははは。
  笑ってないと、本当に泣いちゃうよ。

 ○月○日
  このクラスにおける私の位置付けは格好のいじめのターゲットとして認識されているようだ。
  それはそうであろう。
  私は薄汚れている血を引いている。それだけで苛められる理由としては立派なものだ。
  去年、私を苛めていたリーダ格といじめグループの数人が同じクラスにいるので、
  私がどういう風に苛められていたのかすでにこのクラスに知れ渡っているだろう。
  主犯格がこのクラスの中心的人物としてなりおおせてしまった。人を惹きつける
  カリスマみたいなものがあります。
  そのおかげで私はクラス中から苛められつつあります。私に関わろうとする人はいなくなり、
  話し掛けようとしても無視されます。
  あーあー。
  学校に行くのは嫌になってきたよ。

 ○月○日
  まるでドラマのような出来事がありました。
  こんな薄汚れた者の血を引いている私を助けてくれるような正義の味方が颯爽に現われたのです。
  その人の名前は、桧山剛さん。
  男子生徒たちから暴行されている私を助けようとしてくれた人。
  私の存在を無視せずに優しく慰めてくれる人。誰かに優しくしてもらったのは、
  本当に久しぶりで桧山さんの前で嬉しくて泣いてしまいました。だって、本当に嬉しかったもん。
  その後、桧山さんが何かをごちそうするとコンビニまで一緒に行って、
  特製のあんまんをご馳走になりました。
  大きめなあんこの粒と口の中を広がる甘さは頬がとろけるぐらいに美味しかった。
  おかげで、人前、いえ、桧山さんの前でとんだ失態を見せてしまいました。

 これ、おいしいにゃーーーーー!! にゃにゃーー!!

 って叫んじゃったよ。今を思い出すと顔を真っ赤にして、穴に入りたいですよ。
  でも、桧山さんは私の事について何も知らないから、ああやって普通の女の子と同様に
  接してくれるんですよね? 
  もし、私の家の境遇、私が薄汚れている理由を知ってしまえば、他の人と同じように
  離れていきますよ。きっと。

 ○月○日
  夢のような一日から覚めて、絶望だけの一日が始まろうとしていた。
  桧山さんと一緒にいたいという気持ちが強くなってしまっているのに、
  私は桧山さんに拒絶されるのがとても恐かった。
  だから、昨日の出来事は私にとっては夢。神様がほんの一時だけ見せた、楽しい夢だから。
  私は桧山さんの事を忘れなければならなかった。
  苛めグループからの仕返しがあると予測していたというのに、今日はまだ何もありません。
  そのまま、ずるずると昼休みの時間になってゆく。私は昼食を摂らずにただ一人ぽつんと
  自分の席に座っていました。
  だって、昼食を食べるお金がないもん。
  そんな風にお腹が空いているのに何事もなく平静を保っている私に
  待ち望んでいた来訪者が現われます。
  当然、私の桧山さんです。
  桧山さんが一緒にお昼を食べようと誘ってくれた時は涙が出そうになる程に嬉しかった。
  それに胸の鼓動が熱くなっていくのがわかります。
  お弁当を持ってきたのと聞かれた時はほんの少し焦りました。
  わたしが貧乏な子でお昼にお弁当を作れる経済的な余裕がない事。
  そんな恥かしい事を知られたくなかったけど、桧山さんに怪しまれるのも嫌だったので、
  正直に告白しました。
  私の家が貧乏で、お母さんが朝から晩まで働いてなんとか生活をしていること。
  お昼を食べるお金もないから、いつもお腹を空かしたままでいること。
  これ以上、貧乏な私いても、桧山さんには何の利点もないこと。普通の人なら、
  私が貧乏というだけで去ってゆきます。
  でも、桧山さんは違いました。
  私がどのような境遇や貧乏でも関係ない。私とただ一緒にお話をしたかった。
  普通の人にとっては何でもないことでも、私にとっては本当にかけがえない物だった。
  たった一人でいることはどれだけ寂しいことなのか充分に理解している。
  当たり前の事を望んでくれている桧山さんに抱き付きたい焦燥にかられますが。
  私といると不幸になるのはすでにわかりきったことです。
  薄汚れている血を引いている私が傍にいれば、大多数の人間から迫害を受けることになります。
  桧山さんえをこっちの世界に引き連れちゃダメなんです。
  黙って立ち去ろうとすると、私の豪勢な腹の音を聞かせてしまいました。
  ううっ。今日も桧山さんに恥かしいところをみせちゃいました。
  心配した桧山さんが食堂までコッペパンを買ってきてくれた。
  私はコッペパンを恐る恐る頂くとあまりのおいしさに再び大声で騒いでしまう。
  これで桧山さんに恥かしいところを見せるのは何回目だろうか? 
  でも、コッペパンありがとう桧山さん。

 放課後に一緒に遊ぶ約束をしたので、私はずっと教室で待っていました。
  ようやく、桧山さんが訪れると今日の約束はなかったことにして欲しいと頼まれました。
  風紀委員のお仕事じゃあ、仕方ありませんね。でも、問題は私たちの間に入ってきた女。
  私の桧山さんに馴々しく『剛君』と名前で呼んでいました。
  視線が合うと、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。女にしかわからない挑戦的な眼差しで
  見下していました。
  更に私に見せ付けるように桧山さんの腕を組んで、必要以上に体を引き付けている。
 
  桧山さんにとって、あの女は友達、恋人、どっちなんですか? 
  そこには愛があるんですか?
  優しい桧山さんがお情けでそういうフリをしているんですよね。

 桧山さんは私にとって何なの?

 日記をようやく書き上げると幸福感に包まれると同時に不安になった。
  今日一日の出来事を日記に書いている時ですら、あの女の存在が頭を霞む。
  あの女の瞳は桧山さんに恋をしている目だ。
  その端正なる顔立ちから予想できない程に異常な独占欲を持っている。
  桧山さんに寄ってくる女の子たちを徹底的に追い払う女の執念。
  これ以上に私と桧山さんが親しくならないように、あの女はあらゆる手段で二人を引き離すはず。
  ならば、わたしはどうすればいいのだろう?
  苛められている私に強敵に抗う手段は皆無だ。
  恋する少女の果てしない想いに打ち勝つ事は私には無理。
  私にとって、桧山さんはただのお友達でもなくて、ただ私を同情を寄せてくれる人に過ぎない。
  それは彼にもよくわかっているはずだ。薄汚れている私に好意を寄せてくれている人間は
  この世にいるはずがないのだ。

 でも、一人でいるのは寂しいんだよ。

 人間が一人きりで生きることはできっこない。

 裏切られるとわかっていても、心はあなたを求めてしまう。

 桧山さん。

 あなたの事を好きになってもいいですか?

 私の想いが桧山さんを苦しめることになっても、私はあなたの事を想い続けてしまいますよ。
  だから、あの女に桧山さんを絶対に渡さない。

 離れない。

 ずっと、一緒にいるよ。

 あの人は私のものだから。

第5話 『餌付けニャンニャン』

 明け方の悪夢が夢だったのかのように、桧山家に静かな朝が訪れる。
  朝の5時に起床して、お弁当作りのために俺は台所で材料を刻んでいた。
  両親が家にいないことが多かったので、家事は慣れている。
  それなりに料理の上達できたのも、瑠依がしょちゅう晩飯を食べに来てくれた頃だろうか。
 
  誰かに料理を食べさせることを前提にして料理を作ると瑠依の好みの味や味付けに神経を使う。
  塩加減にも、気を遣わないといけないし、調味料の使いすぎもよくない。
  ただ、淡々と集中して作業をテキパキと地味に毎日繰り返したからこそ、今がある。
  でも、雪桜さんのためにお弁当を作るという意味では俺の手は僅かに震えていた。
  それは当然である。虎に喰わせる飯は残飯でも良いのだが、栄養不足で常にお腹を空かせている
  雪桜さんに家の残りをそのまま詰め合せてしまうわけにはいかない。
 
  なんとか、雪桜さんに好きそうなおかずをぶちこんで、今日は様子を見ないとな。
  いい匂いが台所中に充満すると、すでに朝の7時頃になっていた。
  俺は出来上がったおかずをお弁当に盛っていると玄関のドアがカランと鐘の音が鳴った。
  騒動しい足音を立てて、問答無用にこの家にやってこれるのは一人しかいない。
  隣に住んでいる餓えた虎が桧山家の食卓から食料を奪いにやってきたのである。

「おはよう。剛君」
「ああ。おはよう」
  瑠依の蔓延なる笑顔の挨拶も気にすることもなく、俺は目の前の作業に没頭する。
  瑠依は我が家同然にソファーに座って、テレビのスイッチを点けた。
  たまに瑠依が早朝からやってくるのも珍しくない。
  母親が朝食を作ってくれない時や気が向いた時とかにやってくる。
「剛君、お腹が空いたよ。早く、ごはんごはん」
「今、お弁当を盛り付けてるから、自分でその辺に残ったおかずでも食べてろ」
「へぇ、剛君がお弁当を作っているんだ。珍しいな」
「そりゃ、雪桜さんの分も作っているから、ついでに自分の分を作っているんだよ」
「えっ!?」
  瑠依が信じられないという表情を浮かべて、俺がいるキッチンにまでやってきた。
「雪桜さんのお弁当を作ってるの?」
「ああ。そうだよ」
「どうして、剛君が雪桜さんのお弁当を作らないといけないの?
  もしかして、無理矢理頼まれたんでしょう? だったら、私が強く断ってくるよ」
「バカ。そういうんじゃないよ。俺が好き勝手に作っているんだ。
  雪桜さんは普段からロクな物を食べてなさそうだし」
「だからって、おかしいよ剛君」

 こいつ、一体何に怒っているのかさっぱりとわからない。
  雪桜さんにお弁当を作ることに瑠依は憤慨している。
  これはさすがにお隣さんだからって、俺の交友関係にまで口を出してくるのはちょっと困る。
「別にいいだろ。瑠依には関係ないんだし」
「関係がない……?」
  俺が突き放すような口調で告げると、瑠依は茫然とその場に硬直して立ち尽くしている。
  無視して、弁当の盛り付けの作業を続けていると罵声が飛んだ。
「関係あるもんっっ!!」
  顔が紅潮して、そのつぶらな瞳を細くして睨むように瑠依は俺を見つめていた。
「私以外の女の子に優しくしないでよっっ!! ねえ、剛君。お願いだから、私だけを見てよ」
  テーブルに乗っているお弁当を乱暴に振り払って、お弁当は鈍い放物線を描いて
  ゆっくりと墜ちてゆく。
  豹変した瑠依の態度に驚愕してしまっている。
「うるさいうるさいうるさい。剛君のバカぁぁぁっっ!!」
  そう言って瑠依は立ち去ってゆく。残されたのは全く状況がわかっていない俺と
  床に落ちているお弁当だけであった。
「作り直している時間もないから、雪桜さんの分だけでいいか。
  俺は購買でパンとか買えばいいんだから」
  何事もなく俺はキッチンの後片付けに没頭する。
  瑠依の急な豹変は全く気にもしていない。俺が女の子にお弁当を作って、
  あいつが嫉妬するのは少しおかしい。
  そろそろ、あいつには俺離れが必要な時期かもしれんな。

 

 予想外だった。
  あんな風に自分を取り乱すことなんて予想すらしなかった。
  朝から夜までべったりと剛君の傍に離れないようにしようと思っていたのに。
  それが朝の出来事で思わず私の溜まっている想いを剛君にぶつけてしまった。
  もっと、私を見て欲しい。私だけに優しくして欲しい。それだけで良かったのに。
  剛君が雪桜志穂という女のお弁当を笑顔で作っている姿を見かけてしまったら、
  胸の内に溢れる醜い心が増幅した。

 これは、嫉妬ではなくて。殺意に等しい。

 私以外の女の子にお弁当を作るなんて、絶対に嫌。
  どうして、あの女にだけ優しくするのかな剛君。
  私がこれだけあなたのことを想っているんですよ。剛君にだけ私を独占して欲しいのに。
  所属している風紀委員の権力でメス猫の所在を徹底的に調べた。
  職員室にある個人的な情報から、在席している生徒たちの評価や評判。
  恐らく、手に入る限りの情報を集めた。

 それでわかったのはね。
  雪桜志穂というメス猫はクラスから嫌われ者であり、苛められている女の子。
  私も同学年の女子生徒が苛められている話を耳にしたことはあるが、まさかメス猫だったとは。
  苛めグループも先生たちにバレないように焼きを入れていることだし、剛君に近付かなければ、
  剛君から遠く引き離す程度で我慢しようと思っていたのに。
  今朝の一件で考え方を大きく変えた。
  メス猫が剛君に同情を引いて、誘惑する前にメス猫をとことん不幸な目に遭わせてやる。
  幸いなことにメス猫が苛めているリーダー格の少女とは私の友人だし、
  頼めば追い詰めてくれるだろう。

 ううん。

 苛めグループだけじゃあ物足りないよ。私の剛君を奪おうとする人間には
  学校に来られないようにぶちのめしてやる。
  クラス中から総苛めとかどうかな。てへっ。

 ふふふっっ。

 もう少しだよ。

 剛君に言い寄ってくる女は学校の風紀を護る私が追い払いますから。
  彼女はメス猫というよりは、ドラ猫に命名を変えた方がいいかもね。
  さてと学校に行って、友人たちに頼みまくりますか。

 屋上で俺と雪桜さんは仲良くランチタイムをとっていた。
  全くひと気のないこの場所は俺達以外に人がいないので貸切状態である。
  今朝の騒動で俺の分のお弁当は瑠依にメチャクチャにされたので、購買で適当に買ってきた。

「うわっ……。お弁当です。お弁当ですよ。桧山さんっっ!!」

 嬉しそうにはしゃいでる雪桜さんの笑顔を浮かべるだけで俺の朝の苦労とか、
  昼の激しい弱肉強食の争いを勝ち抜いて来たかいがある。
  俺も雪桜さんが横に並んで、買ってきたお昼を頂こうか。
  あの猛者達のおかげでまたまたコッペパンなんていうのを買ってきましたが、
  俺は負け犬野郎だから仕方ない。
  不味いコッペパンを食べようと口を開けようとするが、
  隣の雪桜さんが凝視しているので食べ辛い。

「桧山さんはお弁当じゃないんですか?」
「今朝は一人分で精一杯だったんだ」
  見え見えの嘘をついてみるが、雪桜さんは太陽の笑顔から北極の女王のように沈んでゆく。
「あ、あ、あの桧山さんが作ったお弁当だけど、できれば半分ぐらい食べませんか?」
「いや、いいよ。雪桜さんのために作ったんだから」
「はーい。あ〜ん」
「聞いちゃいねぇよオイ」

 雪桜さんが差し出された玉子焼き(自分で作った)を俺はしぶしぶ承知して、食べた。
  自分で作った味は充分に舌が覚えているはずなのだが、雪桜さんの箸で食べさされると
  愛情と間接キスをしている異常な胸のわだかまりのおかげで口の中に幸せが徐々に広がってゆく。
  こんな経験は本当に初めてだった。女の子に食べさせてもらうってことは
  俺の生きていた生涯にとってかけがえないのモノになるだろう。

「あ、あ、あ、あの。私にも食べさせてください」

 なんですとっっ!?
  白い肌を真っ赤に染めて、雪桜さんは恥かしそうにもじもじしながら目を瞑った。
  俺に口を差し出しているってことはまるでキスをしてくれと言わんばかりの
  甘い雰囲気になってしまっている。
  俺は震えた手付きでミートボールを掴むと恥かしい台詞を口にした。
「は、は〜い。あ〜ん」
  雪桜さんの小さな口に食べさすと、彼女はよく噛んで飲み込んだ。
  自分の手にほっぺたに当てると至福の表情を浮かべた。
「うにゃーーーー!! 桧山さんが作ってくれたミートボールおいしいにゃーー!!」

 そのミートボールは俺が作ったわけではなくて、
  冷凍から解凍して電子レンジで温めた物なんだけど。
  そういう突っ込みを入れる気にはなれなかった。
  雪桜さんの笑顔をずっと眺めていたかった。
  彼女の笑顔を見れば、俺の気持ちも穏やかになってゆくから。

「じゃあ、今度は桧山さんが私に食べさせてください。交互に食べてゆけば、
  お弁当も半分個になりますよ」 
  今度から、二人分のお弁当を作ろうとお昼に輝いているお星様に誓おう。
  昼休みはまだまだ長い。果たして、俺は正気を保っていられるだろうか?

第6話 『いじめられるもの』

 久しぶりに私は幸せな気分になった。
  桧山さんが作ってくれたお弁当は天下を揺るがす美味さを秘めていた。
  思わず、私はリアクションで猫耳や尻尾まで出してしまいそうでしたか、
  何とかいつものにゃにゃーで済ませたので良かったと思います。
  感受性が高いとは言え、変なものに変化するのは良くないよ。
  放課後になると、私はさっさと帰宅をします。私を苛めている奴らに捕まってしまうと
  酷い目に遭わされるからです。
  帰りのホームルーム終了になると脱兎のように急いで下駄箱の方に向かいます。

 今日はあんな幸せなことがあったんだもの。ゴミ以下のカスカス連中に苛められて、
  不幸な日に書き換えられるのはゴメンです。
  桧山さんの至福の日々を今すぐ日記に書き込むためにも、私は疾走をしようとした途端に
  強い力で腕を掴まれた。 
  後ろを振り返ってみると、常に私を苛めていた主犯格の女子生徒が穢らしい笑顔を浮かべていた。
  その後は、いつものようにひと気のない校舎裏にまで強制的に連れて行かれてた。
  抗おうとしても、体格のいい男子生徒達にがっちしと腕を掴まれては
  かわよい女の子である私ではどうにもすることはできません。
  ただ、野蛮な暴力を振るわれるのはずっと待つだけ。

「あなた、あの2−B組の桧山と仲がいいんですってね」
「あんたなんかには関係ありません」
「もしかして、桧山が助けてくれたことを勘違いして想いを寄せているなら、
  おとなしくあきらめた方がいいわ」
「それは一体どういう意味ですかっっ!?」

 桧山さんと私の仲を切り裂こうとする主犯格の少女に殺意が沸騰した。
  私が唯一心を許せる相手に出会えたのにその全てを否定される同情で憐れむように
  私を見下す視線が何よりも許せませんでした。

「だって、桧山にはとても可愛い彼女がいるんだもん。
  あなたみたいな貧乏人が本当に好かれていると本当に思っていたのかしら?」

「えっ?」

 桧山さんに彼女?

 えっ?

 あれっ?

 そんなっ……

「そんなことあるわけありませんっっっっ!!」

「だったら、2−B組の東大寺瑠依に聞いてみればいいわ。桧山と付き合っているのかってね。
  彼女も困っているらしいわよ。
  彼氏が最近変なドラ猫に餌をあげているから、そのドラ猫が勘違いして
  懐いてくるかもしれないだって」
「う、う、そ、だ」

 桧山さんは何の取り柄もない私に一杯優しくしてくれた……。
  桧山さんのはにかむ笑顔が私の傷んだ心をいつも癒してくれた。
  ううん。私なんかを好きになってくれるはずがないのはわかっている。
  わかっているんだけど、感情は全く納得できませんよ。
  だって、私は桧山さんのことが、剛さんの事がこんなにも好きになってしまっていた。

 中学校の頃から苛められている私を助けてくれたのは彼だけだった。
  それからも、健気に私の事を心配してくれたのも桧山さん。一緒にいてくれたのも、桧山さん。
  そんな彼に惹かれるのは当然じゃありませんかっっっ!!
  桧山さんに彼女がいようといないが関係ない。
  この純粋で儚い想いだけはきっと私が勝ち得たものなんです。
  だから、こんな奴らに負けない。

「あはははっはははははははっはっはははははは」

「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」

 崩れてゆく理性のリミットが外れると私は限りない声で吠えるように叫んでいた。
  普段苛めているグループの人間たちなんかまるで恐くなかった。
  恐いのは桧山さんに捨てられること。
  ただ、それだけであった。

「あ、あなたねぇっっ。私たちにそんな偉そうな態度を取っていいと思ってんの? 
  子分A、子分B。懲らしめてあげなさいっっ!!」
  甲高い声と同時に男子生徒達は暴力を振り上げる。
  強烈な拳で顔を殴られ、躊躇なく私は彼らのサンドバック化する。
  私がやられる姿を女子生徒は楽しそうに笑っていた。
  私はただ我慢をしていた。
  早く終わりますようにとただ祈ることで痛みから逃げるのがいつもの私だった。

 けど、違う。

 桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。
  桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。
  桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。
  桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。
  桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。桧山さん。

 念仏のように彼の名前を繰り返して呟く。名前を呼ぶだけで胸が暖かい気持ちになってゆく。
  幸せになれる。
  無限に続く暴力にも、私は耐えることができるっ!

 気を失った私に飽きてしまったのか、苛めグループたちはすでに去っていた。
  校舎裏で放置された私は衣服についた土を降り払うとあちこち痛めた箇所を手で押さえた。
  紫色のアザになっているところが多数あるものの、どうにか家に帰ってられそうである。
  結局、今日一日の最後も不幸になってしまった。
  あははははっ。一体何をやっているんでしょうね。
  泣きたい気持ちを抑えて、私は立ち上がろうとした時。
  普段は誰もやってこないひと気に生徒の姿を見かけました。
  それも、桧山さんとあの女がこっちに歩んできます。
  ど、ど、どうしようっっ!!
  こんなボロボロな姿を好きな男の子に絶対見せたくもないし、
  傷心しきっている私をライバルのあの女に見せるわけにもいかなかった。
  その辺にある茂みに隠れよう。
  痛む体に鞭を打って、私は二人がここに来ないように祈ります。
  でも、私の願いを聞き入れる神様は残酷にもいなかった。

 瑠依の風紀委員の見回りに付き合って、放課後はいろんな場所に連れ回されて
  校舎裏までやってきた。
  瑠依は常に機嫌が良いのか鼻歌混じりで俺の先頭を歩いていた。
  この場所に来ると思い出すのは雪桜さんと初めて出会ったことを思い出す。
  苛められた雪桜さんを俺が苛めグループから助けようとしたあの時のことを。
  あれから、雪桜さんは奴らに苛められているんだろうか
  せっかく、放課後はできるだけ一緒にいることで雪桜さんを苛めから助けようと思っていたのに。
  瑠依の風紀委員の臨時の手伝いを脅迫まがいに頼まれたおかげで。
  心配事は増える一方だってのに。
「剛君」
「ん?」
  瑠依が振り返って先程の機嫌のよい表情から一変して、真剣な眼差しで俺を見つめていた。
「妹さんが、彩乃ちゃんがあの事件に巻き込まれて、もう5年だよね」
「あ、ああ。そうだな」
  それはとある事件で亡くなった妹の名前だった。
  亡くなった妹の事件の事を想うと、胸が鋭く突き刺さるように痛む。
  事件自体は風化しているが、失った存在は時間だけでは癒せない。
  だが、瑠依は何で今更そんな昔の事を話すのか理解できなかった。
「もう、5年も経ってしまったんだね。桜を見るたびにそう思わない?」
「5年ね」
  そう、5年も経ってしまったのだ。

 事件は5年前の春の季節に遡る。

 赤いランドセルを背負って大喜びしていた彩乃が事故に巻き込まれて亡くなってしまった。
  突然の報せに俺達家族や学校関係者が唖然とする事件が起きたのだ。
  小学校に入学したばかり新入生たちが集団下校している最中に猛スピードでトラックが
  突っ込んできた。
  歩道を歩いていた新入生達は無残に牽かれて、周囲は赤の景色へと染まってゆく。
  トラックの運転手は巻き込まれなかった新入生たちの群れにトラックで突っ込んだ。

 生存者を亡き者にして自分がやった犯行を隠すためか、
  何度も何度も新入生たちの死体を行き来して完全に息の根を止めるために繰り返した。
  隠蔽工作に集中していたためか、犯行途中に警察官達に囲まれて緊急逮捕された。
  この事件は当時マスコミやTVに騒がれて大事件へと変貌してゆく。

 無差別殺人事件の犯人である赤坂尚志被告は当然死刑を求刑されて、今でも裁判が続いている。

 事件の犠牲者として、桧山彩乃は慰霊碑に名前が刻み込まれている。
  妹が悲惨な事件に遭ってからはうちの家族は変わった。
  事件の事を忘れたいのか、彩乃がいたことを忘れてしまいたいのか、
  両親は仕事に没頭して家に帰ることが心底嫌がっているのだ。
  消えない心の傷を受けているのは両親や俺だけではないというのに。
  実の妹のように可愛がっていた瑠依もこの事件でどれ程のショックを受けたのか。
  でも、両親が忘れたいという気持ちを分からなくもない。

 俺は事件の事を小学校で話題になると何の考えもなしに突っ走っていた。
  彩乃が無事であるように祈りながら事故が遭った現場に無我夢中で辿り着いた先には。
  悪夢のような光景が待っていた。
  歩道だった場所には多数の新入生達の屍が赤い液体のアスファルトの上で倒れていた。
  人間の血というのは、これほどまでに赤かったのか?

 ここに倒れている人間であるモノはもう生きてはいないと小学生であった俺は悟った。
  警察官達に手錠の鎖で腕を縛られて連行されている中年のおじさんが俺の方を見つめて、
  にやりと微笑んだ。
  そいつがこの惨劇を起こした張本人だと気付くのはTVでニュ−スを犯人の顔を見てからであった。
 
  ただ、元気な妹の姿を探そうとしても事故現場には警察が到着しているから入れない。
  いや、悲惨な光景を目にしたおかげで俺は足が震えて探し出すことなんかできなかった。
  淀んでいる。
  赤く染まったモノ。
  理不尽な妹の死も犯人の殺戮も。
  何もかも淀んでいた。
 

 俺も両親同様に妹の彩乃の死を忘れたくて、最初からいないように扱った。
  自分は一人っ子だと無理矢理思い込みながらも、あの時の鮮血の光景が悪夢のように甦ってくる。
  それは現在進行中で続いているおかげで朝の目覚めはとことん悪い。

 だが、瑠依は今更そのような話を持ち掛けた意図は全くわからないが、
  彼女にとっても彩乃の死は衝撃的だったはずだ。
  なのに瑠依は真剣な表情で俺を見つめ続けてる。
  俺は瑠依から発する言葉に息を呑む。

「もう過去から解放されてもいいんじゃない?」

 蔓延なる笑顔を浮かべて振り返った際にスカートが揺れた。
  いつもの狂暴さが嘘のように虎の頬は真っ赤に染まってる。
  恥ずかしがり屋の瑠依が異性に対する免疫がないので、
  木の下で告白というベタな展開を狙っているなら、
  俺は躊躇なく屋上から飛び降りるぞ。

「剛君が5年間どれだけ苦しんでいたのかはいつも隣にいた私がよく知っているつもりだよ。
  だから、剛君は剛君の幸せを掴んでいいんだよ」
「瑠依……」
「今朝のお弁当の事はごめんなさい。私は雪桜さんに嫉妬していたかも。
  ううん、剛君が他の女の子と優しく接しているだけで嫉妬していた」
  瑠依の拳が力強く握り締められ、何から堪えるように顔は俯いて
  前髪が表情を隠すように覆っていた。
「本当に情けないよね。いつも一緒に剛君が隣にいてくれるって勘違いしていた。
  いつかは二人とも離れ離れになるのに。
  それに気付いたら、私の嫉妬なんかただの傲慢で剛君を締め付けるだけ存在になっていた」
「それはちょっと違うと思うぞ。瑠依の事は重荷にもなってないし、
  瑠依の嫉妬なんかまだまだ可愛い方だぞ」
「うん。ありがとう。でも、私は剛君が幸せになって欲しいから。
  雪桜さんと付き合う方が剛君にとってはいいんだよ」
「いや、待て。雪桜さんとはそういう関係じゃないって」
「私。わかってるから。剛君を選んだあの人ならきっと幸せになれると思うよ」

 いや、聞けよ。人の話。

「放課後の風紀委員の活動も今日で終わりにしといてあげる。
  ゆっくりと雪桜さんとの時間を楽しめばいいの」

 そう言い告げると瑠依は逃げるように疾走してゆく。
  追い掛けようと思ったが、俺と瑠依の曖昧な関係は終わってしまっているのだ。
  その決意をした瑠依の意気込みを裏切る行為だけは、俺はしたくなかった。

 ただ、気になったのは……。
  逃げ去ってゆく瑠依がどこか微笑んでいたのは気のせいだろうか?
  不気味すぎる。

第7話 『SUCCESSFUL MISSION』

 虎から解放されてから、幾つかの月日が流れた。
  瑠依との関係は今まで通りに晩飯を食べに来る程度で曖昧な関係はすでに終わっている。
  そのせいか、ここ最近は家に食べに来る日数が極端に減っている。
  この前は1週間に4日来ていたのに、今となっては週に一回ぐらいしか
  俺の家に訪れないようになった。
  少し寂しいような気もするが仕方ないことだ。俺がいつまでも瑠依の傍にいることはできない。

 もし、彼氏とかできれば何もかも今まで通りにやっていけないので、
  俺達の近すぎて遠い関係はいつ破綻するのかわからないあやふな物だったということだ。
  雪桜さんとの関係は恋人未満友人の関係が続いている。
  付き合っているとか交際したとこまでは進展してはいない。
  別にそういう訳で雪桜さんに近付こうとは考えたことがなかった。
  昼休みに俺の特製のお弁当をご馳走したり、放課後には一緒に商店街やゲームセンタとかに
  寄っている。

 ただ、それだけだ。
  でも、雪桜さんは出会った当時に比べて、とても明るくなった。
  以前のような陰気な少女を思わせるな雰囲気が見事に消え去っている。
  これも頑張って俺がお弁当を作って、栄養を付けたおかげかな。
  そんな去年と変わった日常を過ごして、季節は7月を迎える。

 期末テストという悪夢のような期間を無事に通り過ごして俺はようやく安堵の息をつく。
  補習で夏休みを無駄にするってのはできる勘弁したいものだ。
「とりあえず、礼を言っておくぜ内山田」
「あはっはははっっ。愛するつよちゃんのためなら、学校に忍び込んでテスト用紙を盗むぐらい
  朝飯前だよ」
  友人である内山田は可愛い仕草で微笑する。窃盗発言を教室で高らかに叫んでいても、
  他のクラスメイト達は別に驚かないだろう。
  その事を尋ねる勇気も持たないのだから仕方ない。

「これで担任のお見合いを成功させる秘訣っていうわけわからんレポートを
  出す必要がなくなるからな」
「本当だよね。今、黒岩先生の見合いが連敗新記録を樹立しているおかげで株も安定しているけど、
  いい加減にあきらめて出家したらいいのに」
「いやいや。黒岩先生の事だから、しっとマスクの仮面を被ってカップルを妨害する
  偉大な人間になっているかもしれないぞ」
「あはははあっ。そんなことになったら、黒岩先生が何組のカップルを破綻させるのかが
  賭けの対象になっちゃうよ」

 まあ、実際にそんな事になったら、こいつは喜んで黒岩先生に校内のカップルの情報を
  躊躇なく売り渡すんだろうな。
  この腹黒女男めっ。

「でも、先のことを考えて黒岩先生が変貌するまえに手を打っておく必要があるわね。
  例えば、わたしとつよちゃんが今期最高のカップルだと学校中に広めて、
  黒岩先生の様子を見れば、わたしたちのことをうらやましそうに見ているなら。
  コンディション・レッド発令!。対モビルスーツ戦闘。パイロットはただちにコクピットに
  待機してください。って感じ?」
「あの誰と誰がカップルって?」
「嫌だな。わたしとつよちゃんに決まっているじゃない」
「なんやてっっ!!」
「瑠依ちゃんには悪いけど、すでに結婚式場は予約しているの」

 この女男は今ここで始末したほうが世の中のためになるかもしれん。

「さてと、わたしはウェディングドレスを買いにいくから先に帰るね」
「とっと、帰ってくださいお願いします」

 立ち去る内山田に一言。
  男がウェディングドレスを買いにいってどうするんだよっっ!!
  もはや、狂気の沙汰ではない。

 内山田の存在に怯えながらも、俺は癒されるオアシスへと直行した。
  言うまでもなく、雪桜さんのいるクラスだ。
  期末テスト終了おめでとう記念の打ち上げパーティを含めて、雪桜さんと遊ぶ約束をしているのだ。
  以前なら、他の女の子とこうやって遊ぶことなんて滅多になかったような気がする。

 そう、虎が何かと理由を付けて妨害してきたからである。
  女の子にちょっかいを出すだけでとても不機嫌になってしまい、
  家の米の貯蔵量を大量に減らすという大技を見事に成し遂げるのだ。
  生活費と俺の小遣いの減額を恐れた俺は虎の機嫌を損ねないようにいろいろと努力の日々が続いたが。

 あの出来事を経て虎の許しが出たので、俺は自由の身になった。
  雪桜さんのクラスに辿り着くとすでにクラスルームは終了して、
  雪桜さんは自分の席でぽつんと待ってくれていた。
  髪留めに使われている大きな黄色なリボンが嬉しそうに左右にパタパタと動いているように
  見えるのは錯覚だろうか。
  子犬が愛しいご主人様を待っているように思えた。
「雪桜さん。待った?」
「いえ、全然。待ってないですよ」
「じゃあ、行こうか」
「はい」
  雪桜さんの笑顔は俺にとっては真夏の太陽よりも眩しかった。

 学園を出ると近くにある商店街を俺と雪桜さんと仲良く手を繋いで歩いていた。
  勘違いして欲しくないのだが、雪桜さんとは付き合っていない。彼女彼氏の関係ではない。
  ただ。
「桧山さん。手を繋いでください」

 と、つぶらな瞳で上目遣いで見つめられるとどんな頑強で堅い男でも手を繋ぎたくなるのが
  男の業である。
  この俺ですら、お持ち帰りしたくなるぐらいに心が揺れてしまっていた。
  そんな風に衝動を抑えながら、雪桜さんと俺はゲームセンタ−やショッピングセンタ−などに
  立ち寄っては買物やゲームを楽しんでいた。
  充分に楽しい時間であったが、雪桜さんの一言で俺は地獄の底に落とされていた。
「あの私、胸が大きくなってしまったので新しいブラジャーを買わなければ
  ならなかったんですけど。桧山さんも一緒に付き合ってくれますよね?」
「なんですと」

 ランジェリーショップへと強制的に誘導されている事に全く気付かなかった俺は
  その言葉に驚愕していた。
  ランジェリ−ショップとは、男が踏み入れることができない禁断の領域。
  男一人で入ることは法律的に制限されてはいないが、女性陣から冷たい目で見られて
  変態扱いされるのがオチだ。
  ここに立っているだけでも警察で通報されそうで恐いというのに。
  雪桜さんはトマトのように頬を真っ赤に染めて、更に衝撃的な一言を言う。
「桧山さんに選んで欲しいんです」
  首まで真っ赤にして、オドオドしている健気の姿はぜひお持ち帰りしたい。
  って驚くところはそこじゃないぞ俺。

「だ、だめですか?」
  無表情で硬直している俺の反応がないのか、真っ赤に染まった顔から泣きそうに目に涙を溜めてゆく。
  もし、丁寧に断ったとしても雪桜さんは泣きだしてしまいそうだ。
  ランジェリーショップの前で女の子を泣かす俺の存在は世間的では大人しい女の子に
  派手な下着をはけと強要している最低男と位置付けされておかしくはない。
  それだけは避けねばならない。人として。
「わ、わかったよ。とことん付き合うよ」
「わ〜い。桧山さん。ありがとうございます。じゃあ、行きましょうか」
  逃げられないように雪桜さんは俺の腕にぎっちしと組んでランジェリーショップに突入する。

 店内にはもちろん男性などいなかった。年頃の女の子やご婦人など言うまでもなく
  女性しかいなかった。
  様々な種類の下着が置かれているので、目の移る場所には本当に困る。
  雪桜さんのお目当てのブラジャー売場に辿り着いた。
  俺は周囲の突き刺さる冷たい女性陣の視線を無視をして、雪桜さんが楽しそうに
  ブラジャーの売場で選んでいる姿を見ていた。
  後ろを振り返ると恐いので、現実逃避をしないと精神が壊れそうだ。
「桧山さん。これどうですか?」
  差し出されたのはピンク色のブラジャーで、サイズは少し大きめである。
  あの小柄な雪桜さんは結構胸があるんだといけない妄想を考えていると。

「ひーやーまーさん?」
「ううん。いいんじゃないか……?」
  可愛らしく延びた声が発する意味は『嫌らしいことを考えないでください』であろう。 
  一体何をどういう風にコメントしたらいいんだろうか。女性の下着に関する知識なんて
  持っているはずもない。
  だが、雪桜さんは蔓延なる笑顔を浮かべていた。
「そ、そうですかぁ」
  嬉しそうに頬が弛んでいる雪桜さんはえへへと笑っていた。
  その天使の姿を拝見するだけでこのような地獄にいることすらも忘れさせて癒してくれるのだ。

「念のために試着してきますね」

 ブラジャー売場のすぐ近くにある試着室に駆け込むと禁断のカーテンを閉めて外部から遮断される。
  ぽつんと残された俺は雪桜さんが出てくるまでにその辺で暇を潰そうと思った途端に
  ここがランジェリーショップだと思い出される。
  完全に無視していたと思っていた女性達の冷たい視線が次々と突き刺さってゆく。
  社員と思われる人達が睨んでいるが、さすがに問題を起こしていない俺に制止する声はない。
  ただ、何か問題を起こしたらすぐに警察を呼びますよという意思表示は
  内山田に期末テストの用紙を盗んでもらわないとこの夏を乗り越えることができない学力の
  俺でもわかった。
  長い長い沈黙が流れる。
  疑惑の判定よりも心の抗議の声が多そうだ。
  居心地の悪い場所から抜け出したいが、雪桜さんの事を考えると逃げるという選択肢はない。

「桧山さん。ちょっと来てください」
  この地獄から抜け出す天使の声が聞こえると俺は躊躇なく雪桜さんがいる試着室に向かった。
  雪桜さんが困っているとならば、そこが幻の大地や平行世界の果てでも
  真っ先に飛んでゆくことだろう。
  カーテンの隙間から手を差し出して、早く来てくださいと手を勢いよく振っているのは
  滑稽のように思えるが、そこが雪桜さんの可愛いところである。
「どうしたんですか?」
  返事が返ってくる間もなく、俺は胸倉を掴まれて無理矢理に試着室へと連れ込まれる。
  状況を判断できない俺は雪桜さんの顔を見た。ランジェリーショップに誘い込む以上に
  顔を赤面させている。

 本当にどういう状態になっているんだ?
  と冷静に状況を把握した途端に俺は背筋に冷たい汗が流れたのを確認した。
  学園の制服を半脱ぎしている状態の雪桜さんが俺にぎっちしとしがみついて抱きしめているのだ。
  雪桜さんの胸元にははだけた白いブラジャーから胸の谷間がしっかりと見えている。

 更に俺の体に押しつけるように抱き締めているので柔らかい膨らみを先程から感じているのだ。
  まさに天国はこの試着室にあった。
  と、単純に喜べる状況ではない。あの大人しい雪桜さんが過激な行動を取るなんて考えられないのだ。

「雪桜さん、どうしてこんなことを?」
「しっ。静かにしてください。大声を出したら人が来ちゃいますよ」

 狭い試着室の中で男女が抱き合っている姿を赤の他人に目撃させるわけにはいかない。
  雪桜さんが少しだけ悲鳴の声をあげるだけで俺が変質者として、
  その場で逮捕される可能性が一番高いのだ。
「えへへへ。桧山さんといっしょ」
  小悪魔的笑顔を浮かべる雪桜さんの可愛いさに俺は昇天しそうになった。
「キスしてください」
「なんですと?」
「私とするのは嫌なんですか?」

 喜んでキスさせていただきます。じゃなくて。恋人関係じゃないのにそんな行為は
  雪桜を汚す行為に等しいものである。
  俺は喉から手が出るほど雪桜さんの好意に甘えたかったが残念ながら辞退するしかないだろう。
「そういうわけじゃないんだけど」
「人呼びますよー」
  俺には選択権とか拒否権は存在していなかった。
「わかった。キスするから呼ばないでくれ」
「じゃあ、お願いしますね」

 雪桜さんは目を瞑って、唇を差し出てくる。
  その唇は小刻みに震えているが、俺の胸の鼓動もドクンと高鳴っている。
  ただ触れるだけの稚拙なキス。
  それでも、二人にとっては大切な初めてキスであった。

 試着室から出てから、真っ向にランジェリーショップを逃げるように抜け出した。
  雪桜さんは顔を真っ赤にして、俺に視線を合わすこともなく。
  今日はありがとうと言って帰っていた。恥ずかしいのは俺も同じであった。
  雪桜さんを女性として意識し始めている。
  彼女に男女の関係を求めているのだ。
  キスの事を思い出すだけで、頬が弛んでしまう。
  今年の夏は楽しい夏になると俺はこの時は思っていた。

 でも、世の中はそう思い通りに行くはずがないと……。
  後で思い知らされることになる。

第8話 『moment』

 キスされた日の夕食は珍しく瑠依が食べにやってきた。
  俺は二人分の料理を作り、食卓に並べた。
  相変わらず簡単な調理だが、瑠依は文句なく黙々と食べていた。
  会話もなく、静かな時間が流れてゆく。
  俺も雪桜さんにキスした事ばかり考えていたおかげで自分で作った料理の味が
  どんな味だったかは記憶にはない。
  どうして、雪桜さんがこんな俺相手にキスをしたのかという一点に尽きる。
  そんなことばかり考えていても、女の子の心や行動を、鈍い俺がわかるはずがなかった。
  目の前にいる、一応女の子をやっている瑠依以外は。

「なあ。瑠依。女の子からキスを誘ってくるってどういう意味なのか知っているか?」
「ゴホゴホっ」
  思わず食べている物を吹き出した瑠依は俺がコップに注いだ麦茶を慌てて飲んでから、
  一息を吐いてから言った。
「女の子とキスっっっっ!! 誰よ。私の剛君にキスしようとした不届き者はっっ!!
  成敗してくれるわっっ!!」
  発狂した虎は顔を紅潮させて、殺気を周囲に展開させる。瑠依が久々にマジギレしていた。
「キスされたのは俺じゃない。俺の友人だよ(思いきり仮定だが)」
「本当に本当に本当に本当に本当なの?」
「本当だから。頼むから落ち着いてくれ」

 これで雪桜さんにキスしましたと真実を語ったら、この台所にある全ての皿を投げ尽くすだろう。
  虎による器物損害後の後片付けをすることになる俺は事を穏便に済ませたかった。

「友人が付き合ってもいない女の子と密室の中に誘い込まれて、キスしろと強要されたんだ。
  その時の女の子の気持ちは一体どういう意図があったんだろうな」
「決まっているじゃない。その女の子はいつまでも告白してくれないヘタレ友人に
  自分の気持ちを伝えるためにキスを強要したんだわ。
  だって、好きでもない男の子とキスをしたがる女の子なんてこの世のなかのどこを探しても
  いるはずないもん」

 確かに虎の言う通りである。女の子にとってキスはとても大切なモノ
(一般的常識概念に基づいて)である。
  どうでもいい男にキスしようとする女の子はこの世のどこを探してもいるはずがないのだ。

「本当にそれだけなのか?」
「一応、女の子をやっている私の言葉を疑うつもり?」

 瑠伊は冷笑を浮かべながら、怒りのオーラを体中から発散させ始めていた。
  虎の威嚇に怯えてしまった俺は食べ終わっていた食器を片付けるために流し場に持っていく。
  数秒たりとも、あの場所にいれば俺自身の寿命が何年かぐらい縮んでしまうし。
「瑠依の前では当分の間はキスの件に触れない方がいいな」

 妙に機嫌が悪くなった虎がウチの炊飯器からご飯を器に入れ移している。
  これでもう何杯目なんだろうか? 
  瑠依がご機嫌ななめの時にヤケ喰いに走るのだ。後のことを考えずに自分の体重を増加させて、
  今度は人を巻き込んでダイエットするからなおタチが悪い。
  だが、反抗して虎の牙に噛まれるわけにもいかず、すでに長年の経験から何もせずに
  傍観していれば自分に危害を加えられることがないのを知っているので。
  とりあえず、俺は黙っておくことに決めた。

「剛君。おかわりっ!!」

 今夜も虎の雄叫びは豪勢に吠え続ける。

 

 剛君は嘘を吐いている。
  彼程、嘘を吐くのが下手な人間はいないだろう。
  今まで剛君に近付いてくる女の子は私が全て追い払ってきたのだ。
  私以外の女の子には免疫がない剛君が友人の話だとはいえ、私の前で、そ、そ、そ、そ、
  そのキスの話をするのだろうか? 
  嫌らしいエロ本も私が部屋を週末事に隅の隅々までチェックして、
  没収した本を焼却処分にしているのだ。
  私がその手の会話に弱いことは剛君なら知っているのに。
  楽しい夕食の時間にその話題を出すってことは、友人がというのはもちろん嘘で。
  剛君の身に起きた事だと推測できる。
  簡略すると泥棒猫が剛君を誘惑して無理矢理キスする状況に追い込んだ。
  剛君も年頃の男の子だもん。女の子に迫られたら、その場の勢いでキスしてしまうだろう。

 悪夢。

 これは悪夢なのだ。

 だって、私ですら剛君の唇を奪ったことがないんだよ。

 どこぞの馬の骨女が剛君にキスをしたっ?

 そんなことが許されていいはずがないんだよっっ!!

 勉強机に置いてある携帯に着メロの音が鳴った。
  どうやら、メールらしい。
  私は今届いたメールを開くと風紀委員から報告が詳細に書き込まれていた。
  もしものために剛君の放課後の行動を私の忠実な風紀委員たちに見張ってもらっている。
  これも剛君が頭のおかしい女どもから守るために仕方ないことだと思っている。
  風紀委員から毎日メールを送るように指示しているのですでに日常になってしまっていた。
  送られた内容は私の胸を締め付けられている、あの泥棒猫と剛君の一日の行動。
  私が剛君を解放してから、あの泥棒猫と剛君が放課後の時間を利用して
  遊びに行っている報告を受けた時は何とか我慢することが出来たけど。
  今回は違った。

「剛君があの女とランジェリーショップにっっっ!!」
 
  許さない。許さないよ。
  殺すわよっ!!

 私の我慢の限界はようやく限界点突破まで行ってしまった。
  ならば、あの泥棒猫を天国から地獄へと突き落とそう。
  それだけのカードは私は持っているのだ。

 ねえ。
  雪桜志穂。
  このカードが発動すれば、あなたは終わる。

 私が剛君を解放したフリをしたのも、あなたの存在を今まで容認していたのも。
  全てはあなたを絶望の底に突き落とすためだった。

 舞台は整った。
  あなたが足掻く姿を見物しながら、雪桜志穂の破滅を見届けよう。

 
「あっ。もしもし、雫。明日、お願いしたいことがあるんだけど」

 ふふふ。
  明日が楽しみだよ。

第9話 『幸福が終わり、世界の終わりがはじまった』

 昼休みの屋上にて。
  俺こと、桧山剛は女の子から呼び出されていた。
  もちろん、告白されるような状況ではないことはわかっている。だって、その女の子は。
  雪桜さんを苛めていた主犯格だから。
  長い金髪の髪をストレートに伸ばしている白い肌の少女は悠然と風を気持ち良さそうに受けていた。
  この容姿ならどんな男でも容易く彼女の虜にしてしまう魔性を感じられる。

「私は雨霧雫と言います。初めましてというべきでしょうか? 桧山君?」
「あんたは雪桜さんを苛めていた主犯格だろ」
「ええ。そうだったわね」

 今朝、登校していた時に下駄箱の中に手紙が置かれていた。
  内容は雪桜志穂に関する件について話したいと言ったものであった。
  クラスから苛められている雪桜さんに友達がいるはずもないので、仲良くしている俺に
  警告するために苛めグループの呼び出しだと考えた。
  実際に来てみたらビンゴだったので雨霧雫に警戒しながらも慎重に言葉を選んで、俺は言った。

「一体、何の用なんだ?」
「だから、手紙に書かれている通りに雪桜志穂に関する件について話したいと言っているでしょう?
  もう、桧山君はせっかちだよね」
「だったら、さっさと話せよ」
「桧山君は雪桜志穂の境遇に同情しているから、いつも一緒にいようとしているよね?」
  雨霧雫の言葉に胸が突き刺さるような痛みを感じていた。
  そう、俺が今までやってきた事は単純に言い換えるなら『同情』という二文字で
  済んでしまうことなんだ。

「でも、雪桜が同情される価値もない女だったらどうする?」

 はあ? この女は一体何を言おうとしているのだ。
  俺の中では女神にまで祭り上げられている雪桜さんを侮辱するような事を言う奴は
  八つ裂きにされてもおかしくはない。

「桧山君も無関係じゃないわ。だって、私達とあなたの接点は小学生無差別殺傷事件の被害者家族
  なんだから。
  わかりやすく言いましょうか?
  雪桜志穂は、あの事件の殺人犯『赤坂尚志』の娘。

 赤坂志穂なんだから」

「なんだってっっ!!??」
「私たちはあの赤坂志穂の父親によって、大切な家族を奪われてしまったのよ。
  殺人犯の娘がのうのうと平和に暮らしているのが憎かった。
  だから、苛めたの。この世界に赤坂志穂の居場所がないと徹底的に教えるためにね」
「そんなは嘘だろ?」
  もちろん、俺はこの女の言葉なんか信じたくはなかった。
  だが、出会った頃の雪桜さんの言動を思い出すと謎解きパズルの最後が頭の中で綺麗に埋まってゆく。

 雪桜さんが人を避ける理由。

 雪桜さんが苛められていた理由。

 雪桜志穂が殺人犯の娘、『赤坂志穂』だったからだ。

「嘘じゃないわよ。私は中学校時代はあの雪桜志穂と同じ中学だったんだから。
  それに桧山君もあの殺人犯に妹を殺されたんでしょう?
  どうして、あの女が家族を殺した男の娘だと気付かなかったの?」
「それは……」
「雪桜志穂を苛めているグループの連中は赤坂尚志によって、可愛い弟や妹を殺されたの。
  あの事件のおかげでどれほどの幸せだった家庭が崩壊したのか、被害者家族の桧山君が
  わからないはずないでしょう!! 
  私のお母さんはマスコミの過熱した取材と息子を失った悲しみで極度の欝病になってしまったわ。
  何度、自殺未遂したのかすらわからない。
  グループにいる連中なんか、父親が極度ストレスに耐えられず、厳しい現実から逃げるために
  酒で気を紛らわす毎日を送ってる。
  アルコール依存症になって、働きもせずにお酒が飲むお金がなくなると家族に暴力を振るうのよ。
  その子の体があちこちが痛々しい痣を付けられてるのも。
  全ては赤坂尚志のせいなのよ!!」 

 感情的になった雨霧雫が流れる濁流のように零してゆく。
  今まで送ってきた人生を現すように彼女の取り乱し方は普通ではなかった。

「だから、その娘の『赤坂志穂』がのほほんと暮らしているのが私たちは気に入らないの。
  赤坂尚志は司法で裁きを受ける。だったら、私たちが殺人犯に復讐するために『赤坂志穂』を
  地獄の底に突き落とす。
  そのためには苦しんで苦しんで死んで欲しいと私たちは思っているんだよ」

 憎悪の瞳が真っすぐに俺を見つめている。黒く濁りながらもはっきりと強い意志に
  背中に悪寒が走った。

「でも、雪桜さんには何の罪はないじゃないか?」
「桧山君が雪桜志穂が実は赤坂尚志の娘、赤坂志穂だと知った今。
  同じ事が果たして言えるのでしょうか? 
  あなたの妹を殺した殺人犯の娘と仲良くしていたら、無惨に殺された妹さんが喜ぶと思うの?」
「ぐっ……」

 雨霧雫の言う通りであった。
  真っ赤に染まったアスファルトと無惨に散らばっている小学生の遺体の数々。
  その中には彩乃だって含まれていたはずなんだ。
  まだ、小学生だった彩乃があんな風に殺されていいはずがなかった。
  楽しいこと、悲しいこと、辛かったこと。自分で勝ち得た物。
  桧山彩乃はそれらを体験もせずに、あれほど楽しみにしていた小学校を一ヵ月足らずも通えずに
  死んでしまった。

 それから、俺の家族は狂った。

 家に帰ることがない父親と母親の帰り待つ俺は、彩乃が生きていた頃の家族の温もりを求めても
  二度と手に入ることがなかった。
  彩乃はいなかった人として扱われて、私物や彩乃がいた証を両親は全て捨て去ったのだ。
  悲しみから逃げ去るために。
  そう考えて行くと過去に置き去ったはずの怒りと憎しみが胸元に宿るような気がしていた。
  赤坂尚志が憎い。殺したいほど、憎い。その衝動が簡単に抑えきれない。
  このような気持ちで雪桜さんに会う、いや、今まで通りの付き合いは不可能だ。
  この理不尽な感情は雪桜さんを憎んでしまう。赤坂尚志の血縁者である、赤坂志穂まで
  殺したい気持ちになってくる。

「まだ、綺麗事を言うつもりかしら?」
「うるさい。俺はアンタ達とは違うんだ!!」

 何もかもわかりきった卑しい声が俺の心を狂わせてゆく。
  雪桜さんを憎めと。憎まないと、それはあの事件で死んでしまった被害者達にとっての裏切りだと。
  そうやって、雨霧雫は常に叫び続けてきた。最初から決められていた結論に俺を懐柔するために
  この屋上を呼び出されたと気付くのが遅かった。

「フフフッ。一体何が私たちと違うと言うのですか? 雪桜志穂を苛めている私たちと
  雪桜志穂に憎いと思い始めている桧山君と何が違うのかな」
「俺は……」
「私たちのグループに入りませんか? 同じ仇敵を持つ桧山君なら歓迎されると思いますよ。
  そして、赤坂尚志に復讐しましょう。あの女をとことん不幸な目に遭わせることが
  亡くなったあの子達の供養になりますよ」
「なるわけねぇだろうがっっ!!」
「返事は保留ということにしておきますね」
  ちょうどその言葉が言い終わる時に昼休みの終わりを告げるチャイムの音が鳴り響いた。
「では。またお会いしましょう」
  悠然と振り返る背中に飛び蹴りを喰らわせたい気分になったが、俺は何とか踏み止まった。 
  雪桜さんを苛めるグループに入るつもりはないが、これ以上彼女と付き合う時間を持つことは
  ないだろう。
「雪桜さんに思い切って話すしかないか」
  これまでの友人関係を白紙にすることを。

 

 その話を境に雪桜さんが壊れてゆくことになろうとは
  俺はこの時は思いもよらなかった。

2006/08/28 To be continued.....

 

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