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永遠の願い



1

朝の目覚めはいつも騒がしい。
寝ぼけ眼を擦らされる、やや不機嫌な目覚め。
それもこれも、別に頼んでやってもらっているわけではないんだが、
いつもいつもそうしてくれるからなんとなくそれに乗っかってしまっているだけ、
というのが本当のところだ。
と、何がどうしてどうなっているのかといえば、簡単に言えば「朝起こしに来るやつがいる」
ということなんだが。
「おーい、孝人おきろーっ」
さっそく、俺の上から毛布を剥ぎ取るその幼なじみ。
寒さと遠くなる日々とはいえ、まだまだ朝は俺の肌に寒い空気を流した。
実際、勘弁して欲しいなどと願っていたりなんかすると、まじめに遅刻し、連帯責任で
こいつまで迷惑をかけてしまう。
「ぅぅ、あとちょっとー」
「起きないと遅刻だぞー、今日もいい天気で、空気もすがすがしいよ」
「それはおまえだけだぁ……寝る」
「寝ちゃだめだってばっ、ほーらぁ」
俺の肩を揺する。
寝間着姿の俺、そのゆったりとした布地を押し上げるものに気を留める事も無く。
……無く、か。
「ん、ぁ……晴海、時間は?」
「8時10分前」
つまり7時50分。
いつまでも粘っているのも自分が情けないので、だまって体を起こすことにした。
時間からして、メシは昼までお預けだな。
と、思ったんだが。
「はい、制服。それと、食パンをトースターで焼いておいたから、マーガリン塗っておくね。
準備ができたら取りにきて」
「ん、わかった」
まったく、そんなところまでしっかり手を回すんだから、こいつもよくやると思うよ。本当に。
制服を俺が受け取ったのを確認して、その黒光りするようなストレートヘアを翻しながら、
幼なじみ……晴海は、部屋のドアノブに手をかける。
すんなり出るものと思っていたのだが。
「孝人、見せ付けないでよ、それ」
と、小声ではあるもののまるで俺に聞いて欲しいかのように、訴えをつぶやいた。
見せつける、という言葉自体は薄い。
だが、何をどう見せ付けているのかは、わかった。
「えろえろ」
ちょっとからかい半分にいってやった。
「それはどっちよーっ!」
もっとも、未だに収まらないそれを振りかざしたままじゃ仕方ない反論か。

晴海が部屋を出て、俺も着替えてかばんを手にとり、下に降りる。
彼女が言うとおりにマーガリンを塗った食パンを受け取った。
両親が同じ職場で共働き、普通なら今ごろ家にいついているのだが、今は出張で家を空けている。
重要なこと以外は連絡を取り合わなくてもやっていけるが、時折電話をかけては俺のことを案じてる。
一人息子の安否を気遣う、どこにでもいるうっとおしいくらい愛情を注ぐ両親だ。
その両親に、一切の世話を任されているのが、目の前にいる村崎晴海である。
「はい、時間あまりないから、かじりながら行こう」
晴海はもちろんいつでも行かれる格好だ。
俺も、もっと早く起きればもっと念入りに準備できるんだが、どうも朝は苦手だ。
早起きの誓いを何度破ったことか。
結局、晴海が起こすからいいや、みたいな諦めムードになっている気がしなくもない。
髭も寝癖も、今は自分でなんとかやってるが、よく晴海にそういうとこの手入れを怠っている
ぐうたらを叱られた。
だからいつも30分くらい前から粘っているようなんだが……いつも30分は寝過ごす。
なにやってんだかと思うが、逆を言えばそれも晴海に感謝しなければいけないことか。
マーガリンが塗り終えたパンをかじりながら、二人で玄関を出て外に向かう。
晴海の言うとおり、雲ひとつ無い快晴だった。

 

足取りはいつもとさして変わらない。
時間からして、歩けば間に合うくらいだ。
「思えば、もう2年になるんだね」
「ああ」
両親の出張のことを言っているんだろう。
そういえばかなり長引いている。
連絡をとっても、あちらのほうにだいぶ気に入られたのか、うちに帰ってくるのは
夏や冬の長期休暇のときくらいで、他はもうほとんどあちらの正社員のようなもの。
まったく、熱を入れるのも勝手だが、ちょっと長すぎないか?
ああ、転校とかの話も聞いたが、それは却下した。
もっと年下ならわからんでもないが、大学受験を控えているくらいの年齢なんだからと突っぱねた。
俺が断ったのはそういう理由ではあるんだが、あの両親は何を考えてか、あっさり承諾してしまった。
なにか裏があるのかと思ったが、あの二人、晴海と俺をもっと親密にしようとか考えているような
ふしがあったから、きっとそれに違いない。
間違っても、晴海は幼なじみだ。
それ以上でもそれ以下でもない、そんな怪しい関係なんか考えたこともない。
そりゃ。
「?」
晴海の体を見て思う。
こんな抜群のスタイルと豊かな胸と、他に類のない美貌、おまけに勉強も運動も料理も出来るなんて
できすぎた幼なじみだ。
親父はもちろんだが、おふくろも晴海と俺のことは大賛成のようだった。
まったくばかげてる。
はなから晴海はただの幼なじみ。人気はあるようだが、慣れきってしまって、そもそも近すぎる。
「もうちょっと早く起きてくれればいいんだけどね」
「仕方ないだろ、こればっかりは」
「ちゃんと努力すれば誰でもできることだよ? そうだ、夜寝る前に、明日何時に起きる、
っていう誓いをきちんとたてるといいかも」
「なんだよそれ」
「早起きできるおまじない」
女の子が好きそうな話だよな。
ほとんど呆れ半分に俺はその話に耳を傾ける。
半端な気持ちで受け応えするものだから、晴海はあまりいい気がしていないようなのだが。
「もう、一緒に朝ご飯食べたいのに」
細くつぶやいた、晴海の一言がやけに引っかかる。
「そんなに朝チュンしたいのか?」
エロジョークで返す。
「な、っ。べ、べつに、孝人がそうしたいなら、考えてもいいけど」
「おいおい」
本当にジョークなんだぞ、これ。
「冗談なんだよね?」
そう疑うわりに、だいぶまじまじと考えていたようなんだけど、晴海ちゃん。
実際、晴海がその生の柔肌を俺の腕の中に預けて、いい朝ね、なんていう夢を見たことは、
別に今日に始まったことじゃないんだが。
それはたんに、ヤリたい盛りの今の俺にとって、一番身近な女が晴海なんだから仕方ないだろう。
「まあな」
「もう、そんなにエッチなことばっかりいってるともてないぞ」
「別に、モテたって好きな人に好かれなきゃ意味ないし」
「はぁ、まったくそういうとこだけ現実的なんだから」
「それが俺なんだからいいだろ」
呆れてため息をついて。
その癖に、晴海はまったく俺に突っかからなかった。
なんというか、かゆいところに手が届くような、そんなカタルシスを与えてくれる晴海。
もう、何年幼なじみをやっているんだろう。
こうして通学路に、同じ学校の制服を見るようになっても、俺と晴海が連れ立って歩いているのは、
その流れに完全に溶け込んでしまった毎日の1風景になっていた。
何人かクラスメイトを見かけて、俺たちは挨拶していく。

追い抜くとか追い越されるとかそういう歩く速度の差が如実に現れながらも、
彼らの目に映る俺たちの姿は。
「おはよう、今日も朝チュンか?」
「まあな」
「ちょ、ちょっと、否定してよぉ」
と、ちょっと悪ノリのきいたやつにからかわれたりとか。
「おはよ〜っ、二人ともラブラブだね」
「うん、孝人とは毎日仲良くやってます」
「昨日の晩こいつはげしくってさ」
「な、な」
「ふふふ」
と、笑みを浮かべられたままどこぞの女生徒に勘違いされるとかは、もう日常の恒例行事。
別に付き合っているとかそういうんじゃないんだが、学内ではなんか、
「ベストカップルランキング」の上位、どころか、首位に立ってるんじゃないか、
とまで言われたことがある。
そういうつもりはないんだが、やはりそういうふうに見られるものなんだろうな。
そうして、通学路の道のりもあとは校門を踏み越えるのみ。
8時20分に、5分ほど前。
予鈴が鳴る頃には教室に入れていた。
「はぁ、もっとゆっくり学校に来たいよ」
「別に、今のままでもいいんじゃないか?」
「もう、そういう問題じゃないの。だって……」
「ん〜?」
「あんまり足早だと、朝の空気をちゃんと味わえないよ」
晴海は俺の隣に座って、カバンの中から教科書類を机に納めながら、一息ついて愚痴っていた。
なんというか、やはりというか。
こいつの幼なじみであることが、奇跡のように思える。
俺にはできすぎた人であり、もっと釣りあうやつがいてしかりなはずなんだが。
どうしてここまで良くしてくれるんだろうな。
そろそろ、俺じゃない、別の男に卒業して、そいつに尽くさないといけないんじゃないだろうか?
そう、考えてみたこともあったりしたが、なぜかそう踏み切って、彼女を送り出す勇気がなかった。
思えば、それだけがんばっている晴海に、ちゃんとしたお礼ができていない。
彼女に何か贈ってからでも、遅くは無いんじゃないか。
と、晴海を俺から離れさせるべきか否か、そんなことを考える理由も、
今俺が机の上に取り出した手紙が理由なんだが。
「さっきのラブレター?」
「ああ」
朝、俺の下駄箱にそっと忍ばせてあった、シンプルだが、けしていたずらなどではないと
いわんばかりの、やや厚みのある封書だった。
「見てもいい?」
「おいおい、それはいくらなんでも」
「ことと次第によっては相談に乗るよ?」
「あのな」
とんだおせっかいだ。
晴海は横目に俺を気遣っているが、シチュエーション的にラブレターだとしてもだ、
これが本当にラブレターであるという保証はない。
それは開けばわかるが。
「おまえは、自分がラブレター出したのを、他の、しかもそいつが仲のいい女にも読まれていたら
どんな気分だ?」
「あー、優しいな。でも、そういうところが孝人のいいところなんだけど。あ、私は大丈夫、
それならそれでいい度胸よ、って突っ走っちゃうから」
「さいですか。じゃあ勝手にしろ」
「そうさせていただきます」
結局、晴海のチェック付きで、俺はその手紙を読むことになった。
封書の中から出てきた手紙は、きれいな手書きの便箋を2枚、折りたたませていた。

縦書きに、すらすらと綴られたそのテキストは。
「突然このようなお手紙を差し出して申し訳ありません。
私は1年の榊幸奈(さかきゆきな)と申します」
幸奈、という部分に丁寧に振り仮名していた。
几帳面というか、気配り上手というか。
まるで晴海のそれを投影しているかのようだった。いや、晴海のやつは気心しれた俺に
ここまで配慮することはない気がするのだが。
しかし、この名前は別にまったく読めないってわけでもないだろうに。

「暖かいあなたの心遣いの数々、私のためにいろいろ手を尽くしてくださったこと、
本当に心から感謝しています。
あんなに優しくしてくれた先輩の手の厚みや、背中の広さや、首の太さが今でも心に残って離れません。
よもやこのようなところで、私の意中の人を見つけられるとは思っておりませんでしたので、
本当に驚きました。
いつもお隣にいらっしゃる、村崎さんのことは存じております。IHHHというファンクラブがある
ことも知っています。
私なんか、村崎さんに比べたら、全然冴えない、草葉の陰からそっと見守っているような
ささやかな女です。
でも、あなたのことを想うと胸が締め付けられるようで、でもいつも、あなたのことばかり
考えてしまいます。
長々と、変なことばかりを書いてすみません。
できれば、単刀直入な気持ちはじかに伝えたいです。
今日の放課後、4時、屋上で1時間だけ待ちます。
ご迷惑であれば、来てくれなくてもかまいません。そのときは、バカな私が抱いた淡い想いは
きっぱりあきらめます。
でもできればどうか、あなたのお返事を聞かせてください

桧木孝人様
                        榊幸奈」

おおまじめに、百歩譲っても、この内容をラブレターでないというやつはいない。
というか、こんな手の込んだいたずら書きをするやつもいない。
いや、いたずら書きなんかしたって、俺は晴海とこの方長いこと寄り添って
生きてきているようなもの、誰が俺なんかを罠に嵌めるものか。
つまり。
これは。
正真正銘のラブレターである。
「ふうん……孝人、一人虜にしちゃったんだ」
「虜って、いってもなぁ」
いつまでもその便箋を出しておくには忍びなくて、封書しなおして机にしまう。
晴海が、何かをいいかけて、俺がそれに受け応えするか否かのタイミングで、
担任がホームルームに入ってきて、授業のタイミングになった。

2

1年ということは、後輩に当たるのかな。
とっても丁寧な内容だった。
あんなにいろいろ詰め込み詰め込んだのは、それだけ気持ちがあるからだ。
孝人は全然知らないけど、彼は結構女子の間では好感度が高い。
確かに、彼氏にしたい男子のランキングをつけたら、けして上位になる、っていうわけじゃない。
そういう広い支持を得るというより、大切な人のためになら一途に頑張ってくれそうな、
誠実そうなところを見ることのできた一部のこからの想いが、私も含めて熱烈なだけ。
実際付き合うと、こんなにシモネタ全開のジョークする人のどこが誠実なんだ、
って突っ込みたくなるけれど、それはあくまで彼のユーモアで、みんなが思う
その誠実そうなところは、正解なんだ。
朝だけはどうしてもだめなんだけど、時間という時間ちゃんと守ってくれるし、私のお願いは、
本当に無理のないことならちゃんと受け止めてくれる。
掃除当番はきちんとこなしてくれるし、結構校則にもうるさい。
それは単なる真面目君だけど、ノートとかきちんと取ってるし、眠くなる先生の授業でも
きちんと目を開けて聞いてる。
聞くと、「先生たちもみんながんばってるんだから、それに答えてやらないと失礼だ」っていって。
生真面目な彼は、成績こそすこぶるいいというわけではないけれど、先生方の評価はおおむね良好、
私も含めて優良な模範生だと言っていたのを聞いたことがあった。
それに。
困ってる人がいると自分がいくら大変でも、しっかり聞いてくれるんだ。
いいところ、挙げるだけできりが無い。
本当に素敵な男性なのが、桧木孝人。
彼のいいところを知ってしまったら、彼を好きにならずにはいられない。
小さい頃から、ずっと、ずっと。
孝人のお嫁さんになりたかった。
小さい頃はいつも孝人と遊んでた。
おままごとは、もちろん孝人が旦那様で、私が奥様。
孝人の両親も、私の両親も仲が良かったから、本当にむつまじい家庭をロールプレイしていたっけ。
そんな子どもの頃のお遊びの延長線上にある、本当の意味で孝人に愛される生活を夢見ていた。
孝人はエッチなことばっかり言ってからかうけど、そういうこと言われると、
たまに蜜が溢れそうになる。
恥ずかしいから、絶対ムキにならないように堪えているけれど、あんまりそういうこというと、
ほんとに湿って、滲んでくる。
あんまりからかわないでほしいけれど、それはそういう言葉が嫌なんじゃなくて、
そういう言葉で濁して欲しくないから。
夢の中で孝人に抱かれたことは1度や2度じゃない。
夢の中の孝人は私だけの孝人で、私だけを愛してくれてる。
誰かが入り込む余地がないくらい、熱く愛を交し合って。
濡れぼそった私の中でいっぱい暴れて、猛った液をためらいもなく放つの……まだちょっと早いよ、
って、いったけど、そうして欲しいって願ったのは、私で、早いって断ったのは、孝人なんだ。
彼はそういう人だから、私がリードしないとエッチもちゃんとできないかもしれない。
だって、私……
初オナニー、小学校4年生、対象、自転車のサドル、なんだ。
それからひそかに、孝人のえっちな本隠れて読んで、インターネットでそんなサイトばかり見て、
そのたびに、終わらないかもしれないくらいえんえんとオナニーしてた。
それから。孝人を受け入れてるのを夢見るようになったんだ。
そう、孝人より、絶対経験多いから。
だから、私ががんばらなくちゃ。

孝人、今日もちゃんとノート、取ってるね。
孝人、って呼ぶようになったのは、学校上がってからかな。
それまでは、たかくんって呼んでいたけれど、たかくんがそれだと照れくさいって、
名前を呼び捨ててくれっていってたんだ。
私はちょっと違和感あったけど、でも、呼び捨てするっていう意味の深さを知ってたから、
すぐに呼び方変えたんだ。
呼び捨てはとても失礼なこと。
それを認めてくれるっていう意味は、確かに私と孝人は十数年の幼なじみだからっていうことも
あるけれど、でもそれ以上に「お互い大人の入り口を踏んだ」っていう意味でもあるんだよ。
だから、孝人って呼んだら。
もう、嫁げる日も近いんだな、って実感したんだ。
孝人のお父さんもお母さんも、私がお嫁さんならきっと喜んでくれる。
私の両親も孝人をよく知ってて、孝人のご両親とも仲がいいから、親ぐるみできっと、
賛成してくれる。祝福してくれる。
だから。
「さかきゆきな」
っていう女からのラブレターは、どうか無視してほしい。
できるなら、彼を拉致してそんなところにいかせたりしちゃいけないんだ。
でも、無理。
孝人は絶対、無視なんかしない。もし無視させたら、私きっと嫌われる。
そう。孝人は、断るなら、ちゃんと会って、話を聞いて、それから話す人だから。
ね、お願いだから。
必ず断って。

だって……私の未来の旦那様なんだよ、孝人は。

そんなふうに物思いにふけりながら、書いたノートはかなりあてずっぽうだった。
あとで孝人にノート借りて、合ってるか確認しなくちゃいけなかった。
そうなったのもみんな、あのラブレターのせいなのに。
孝人は私じゃないと、だめなの。
ラブレターを出しても無駄。
だって。
私じゃないと、孝人がだめになっちゃうから……
私が尽くしていないと、孝人はもっと素敵な男性になれないから……
ね、だから。
「孝人、お昼食べよ〜」
「ああ、いいぜ」
お昼休みの孝人の真正面は、私の特等席。
彼の前の男子生徒に机を借りて孝人の机とくっつける。
もちろん、今日も孝人のお弁当は、私の手作り。
朝4時半に起きて準備して、作ったんだから。
「うはぁ、今日もまた豪勢だな」
「うん、いっぱい食べてほしいから」
「じゃあいただきます」
作りたいものがいっぱいあるっていって重箱にするなんてしない。
孝人の胃の大きさにあわせて、今日はこれ、明日はこれって献立を組んだほうが、孝人のため。
孝人、そんな気遣いをちゃんと考慮してくれるかな?
いつも、それが当たり前になってて、全然確認できない。
特においしい、とは言わないけれど、孝人は視線で私にサムズアップしている。
それを微笑ましい目で見つめ返すのがいつもの日課。
もちろん、タコさんウインナーは基本です。
「なあ」
「何?」
「ウインナー、いつも作ったら舐めてるだろ」
「え、え、そんなわけないよっ」
う……
ほんのさらっといったジョークなのに、すごくどきどきしてしまう。

「まるでフェラでもしてるみたいにさ、こう、ちゅばちゅばと」
「変な音たてないでよ〜いやらしい……」
それに平気でフェラなんて言わないでっ。
本当に恥ずかしいんだから。
「ふうん、別にいいんだけど」
と、タコさんウインナーを噛み千切って、少しずつ口に放り込んでいきます。
「良くないよ〜つやつやは火を通すときに使った油なんだからね」
「ふーん。まあそういうことにしておいてやろう」
「もーっ」
ここ最近、タコさんウインナー作ると、孝人ってこういうこと言うから。
だから、毎日毎日、どきどきして止まらない。
孝人にふさわしい人になろうって決めて、いろんな工夫を勉強にも運動にもして、
みんなが私を完全無欠の幼なじみ系通い妻って認めるくらいまで力をつけられた。
体力もついて、頭も冴えて、お料理もできて。
ちゃんと食べるものもチョイスしてきたおかげだと思う。スタイルもすごく良くなってた。
孝人にも認めてもらえた。
おかげで孝人が、私に愛してもらえてることが幸せだ、
ってみんながうらやむような人になることができた。
だから。
あとは孝人のハートをぎゅっと掴んで、私の胸の中に引き込むだけ。
だけど。
孝人のことを思うと、どうしても指が秘部をなぞるのを止められなくなってしまう。
いけない、絶対孝人はこんな私を嫌いになる。
そんな不安とのせめぎあいの中で、孝人にすまして接して、孝人といつまでも
中むつまじくいられるようにしないと。
その時間がとても貴重で、とてもうれしかったから。
少なくとも、今のままでいけば、何もなければ、孝人ととんとん拍子で結ばれたと思う。
でも。
孝人、空になったお弁当箱を閉じて、入れ物に入れて私に返した。
「今日もうまかった、ごちそうさま」
「いえいえ。明日もまたがんばるね」
「別に無理しなくてもいいんだぞ? 朝いつも早いんだろ」
「その分早寝なんだから。それに、好きでやっていることだし」
「そうはいってもな……」
「ね。明日も腕を振るうから」
なんとなく遠慮がちなことをいう孝人。
いつもなら、普通にありがとうっていってくれるのに。
どうしてこんなやりとりをしないといけないんだろう。
やっぱり、あの手紙のせい?
かわいい後輩、だと思う、きっと容姿は悪くない人だと感じて、かなりの期待、寄せてるんだ。
孝人、結構女の子に好かれてるのに、そういう自覚ないから、ましてや、ラブレターなんて、
貰ったことないから。
なんとなく浮かれ気分なのだと思う。
だから。
その人が気に入るかもしれないから。
私に覚悟を決めておけと、言っているんだ。
そんな中で、食べている自分のお弁当は、自分の味だからか、あまり味がしなかった。

3

孝人さん。
心の中でそう呼んだ。
4月の青空はやや暖かかったけれど、まだまだ、その暖気は本気ではない。
桜の木は満開を過ぎたけれど、雨が降ればまた冷える。
寒いのは苦手。
体が冷えると、そのまま冷たくなってしまいそうだった。
孝人さんの側に、いつもいる村崎先輩とのこととか、孝人さん自身のこととか、
私が知っておかなければならないたくさんのことを知りたかった。
でも、それ以上に。
孝人さんをお慕いする気持ちをはっきりと告白したかった。
好き。
こんなに心が焦がれる思いは初めて。
ずっと父に厳しく躾られてきた私は、普段は本ばかり読んでいる面白みの無い暗い女に見られてる。
だからといって、習い事とかそういうのをしているわけでもなく、
そういうのはお金持ちのすることだといわれた。
実際、うちはそこまで裕福というわけではなかったし、一家の収入を支えた父は、5年前に他界した。
だから今は、ちょっと多めの借金に負われながら、細々生活をつないでる状態。
私は今、母と、姉との3人家族。
姉はすでに結婚して家を出ていて、今は母と私だけ。
母はもう40は過ぎているのに、まだまだ若い人には負けないぞとバイタリティ全開で
頑張っているようだけれど、私目に見て、ちょっと勘弁して欲しいところは多い。
癖なのかもしれないけれど、お風呂上りに下だけ隠して上を隠さずにリビングをうろつくのは
やめてほしい。
もし孝人さんを家に呼んだときにそれをやられたら、そんな中年太りしたぶよぶよの腹、
孝人さんがヒイてしまう。
未亡人とはいえ、すでにもう独身も同じなんだから、もっときりっとして、
適当に再婚相手とどこかに行って暮らしてくれるといい。
でないと。
きっと孝人さんとの生活に支障が出るから。

 

孝人さんは私の恩人だった。
階段を上り下りするのは、体力のない私にはとても重労働だった。
そこを、たくさんの本を抱いた状態で降りていったことで、足元の注意などなどを配慮できなくて、
あと数段のところで転げ落ちそうになってしまった。
我ながら、自分の分相応を省みない無謀極まりないそのときの行動を恥ずかしく思うけれど、
でもそんな投身が、彼との出会いを生んだのだと思うと、けしてそれが不運だったとは考えにくい。
足をくじいて動けなくなっていた私に気を使い、押し広げた本のヤマをまとめてくれて、
運ぶべき場所に運んで、私を保健室で手当てしてくれた。
ちょうど養護教師がいなかったので、彼が手当てをしてくれたんだけれど。
「きれいな足だね」
「そんなでもありませんよ」
「いや、数多く見てきた中でも相当上位ランクだな」
「かいかぶりです、そんなに誉められたら困ってしまいます」
湿布を当てて、包帯を巻いてくれる。
そういう器具、適当に使っていいのかと危惧したら、先輩は「役得、役得」といった。
普通そういうことはバカ正直にいうものじゃない。エロオヤジに見えてしまう。
きっと反射的に、口をついて出てしまった冗談だと思う。
でも、そんな自分の弱点すらも包み隠さずに開け広げる姿は、自分を抑えて隠してる私にとっては、
太陽のような暖かさと、まぶしい輝きをもっているよう。
孝人さん。
私を助けてくれたとき、すぐそばにいたのは、彼にべったりの幼なじみさん。
村崎晴海さんと紹介された。
晴海さんは余裕の笑みで、よろしくといっていた。
もちろん余裕だとかそういうのは私の勝手な思い込み、でも、あの人の目は私に
泥棒猫というレッテルを貼るにふさわしい、忌避のまなざしをしていた。
近寄るな、孝人さんは私のだ、おまえなんか付け入る隙間も無い。
そう、暗黙的に訴えているかのよう。
話をしていると、お二人と私は国語の担当が一緒で、その教師は自分の授業の最初の10分を
読書をする時間に当てていた。朝に読書の時間を作ることができないうちの学校の制度に、
一石を投じようとする試みらしい。
私は山の中から一冊ずつ、自分のオススメをお二人に渡した。
その本は図書館の蔵書だったが、10冊を一週間で読み終えてしまうから、
いつもいつも両手に抱えて持ち運んでいたから。
あとで、それらの本の次借りる人を彼らに変えてもらおうと思った。
私の趣味は読書と生け花で、学校にいるときはほぼリーディングマシーンになっている。
休み時間にはひまを見て本を読んでいる。
ライノベも純文学も目を通すし、推奨図書なるものも一通りチェックする。
推奨図書は押し付けがましい大人たちの理想でしかないところもあって、
私のような聖人君子ではない人間にはほぼ無縁。
せいぜい夏休みの読書感想文の課題のためにちょっと目を通すくらい。
でも、昔の文学も捨てたものじゃないから、実際そっちで感想を書くほうが多い。
もちろん、今の文章もたくさんいいところあるけれど、そっちで感想文を書くほど非常識じゃない。
最近の純文学の感想を書くとどうしても、エロスのことを外せなくなってしまうから。
そんな破廉恥な内容を送るような真似は、未成年の身でやる愚かさをよくよく理解しこれを封じる。
実際そのエロスは、官能小説ぎりぎりのラインで、どこまでも表現性を追及するような、
そういうテキストを見かけたから。
あんまり飾りすぎるとわけわからないとかそういうのあるけれど、
指で自分のをなぞるようになったのは、自慰をするエロスを見てしまったから。
最初は、ただ弄ってるのが良かっただけ、だったのに、あのとき、あの人に出会ってからは、
私の指先は彼の指先になっていた。
私があのとき、肌の温度を感じることができた、初めての父以外の男性。

桧木孝人さん。
ささやかな優しさと、ささやかなエロスと、深く深く包み込む暖かさと、どこまでも誠実なあの人は。
虜になるまでの時間をどこまでも短縮していた。
それは、ほとんど一目ぼれに近いもの。
いけない、と、何度言い聞かせたことか。
彼には村崎晴海さんがいる。晴海さんとは毎日、とても仲の良さそうな風景を見ている。
本当はまだ、付き合っていないことはみんな知っているのだけれど、
二人の仲をからかうのが好きな人たちの手で、たくさんゆがめられてしまっていて、
こんなぱっと出の知らない女が、突然孝人さんを好き、って名乗り出ようとしても、
それは完全に無いものにされてしまいそう。。
私が二人の間に割ってはいる権限は、実際あるはずがない。
ないから、夢を見て、夢を叶えたくて。
お手紙をしたためた。
だから今こうして私は、ちょっと暖かい、まだ寒いかもしれない空の下で、彼が来るのを待っている。
4時からの約束。
まだ、20分も経っていないのに、彼は時間一杯まで待つことも無く、私の目の前に現れた。
あのときと変わらない、あのときお会いしたときと変わらない、お慕いするままの姿だった。
「こんにちは、はじめまして」
丁寧にお辞儀を心がけ実践する。
「あ、どうも、はじめまして」
ちょっと、応対にとまどうようにぼそっと応じる孝人さん。
「私は後輩なんですから、肩の力抜いてください」
「それも、そうか。ってか、一度会ったことあるよな」
「はい、どこで出会ったか、覚えていますか?」
「そうだな……中庭で一緒にメシ食ったけか。ああ、それとも、図書館で
テスト勉強付き合った娘か、それとも……」
「足ひねったときに助けてくれたこですよ、先輩」
ジョークがジョークになってない。
それって、全部村崎さんとのことじゃないだろうか。
「足ひねった……ああ、あのときの」
すぐに先輩は思い出してくれた。
「はい、その節はお手数をおかけしました。ちゃんとしたお礼もできなくて申し訳ありません」
「ああいや、そんなに改まらなくても」
ちょっと堅苦しすぎるか。
私も、最敬礼の緊張を解くことにする。
「そうですね。じゃあ、私もすこし肩の力を抜かせていただきますね」
「そうしてくれ。先輩後輩ってだけでそれじゃあどっちも息詰まるだろ」
「はい」
「じゃあ、さっそく本題に入るか」
「は、はい」
本題、という単語にすぐ、ここに孝人さんを呼んだ理由が頭の中にリフレインする。
そう、告白という単語が。
はなから「ダメモト」である。
きっと、孝人さんは村崎さんのこと、好きだと思うから。
これでもしだめだったらいさぎよく身を退こう。
でも、もし猶予を与えてもらえたら……
「私、ずっと、先輩に出会ってから、先輩のことが頭の中から離れなくなってしまったんです。
先輩と付き合う日のことをずっと夢見るようになってしまったんです。
一目惚れって、実際にあるんだと、信じられませんけど、信じずにはいられませんでした。
だからその気持ちを、先輩にぶつけさせてください」
そう、この、あなたへの想いを。

「好きです。お付き合いはお友達からでもいいです。お返事は私のことを十分知ってからで
かまいませんけれど、できれば恋人として、お付き合いしたいです」

きっと、捨てられないと思うから……

4

生まれて初めて告白された。
ずっと、手紙の主に対しての返事をどうしようかと思い悩んだ。
正直、こういう形での申し出は、初めての経験でかなり戸惑っていた。
近くにいた晴海については、たしかに幼なじみ以上恋人未満の、まったりとした関係を続けている。
それがいつまでも続くとは思っていなかったが、今すぐにこれに幕を下ろしてしまうのも惜しかった。
この生活はなんだかんだいっても、近くに女っけを置いておける分、
もしそういう都合が必要なときは代わりになってもらい、なけなしの財産をおごったりした。
あいつはそういうとき、まんざらでもないような顔で俺の話に付き合うもので。
中学のころにクラスで企画した劇とかでは、それこそ門出のきっかけになるような
余計なおせっかいで、俺は晴海とキスシーンに挑まされたりした。
ファーストキスはそれこそそのときで、あいつも俺も照れくささのあまり真っ赤になって、
まるで本当に好きあい結ばれてるようだったなどと、クラスメイトは75日と続く噂話を
俺たち相手に持ちかけつづけた。
わりと俺たちが動じないことを知ったやつらは、あっさりそのからかいネタを
引っ込めたりもしたんだが。
そのころから、名目上俺たちはカップル、ということになっている。
してもいないが毎晩激しくいたしていることにもなっている。
こればかりはなんとなく面倒だから周りに話を合わせているだけであり、
結果的に晴海を守ることにもつながっていたんだよな。
だが、そろそろいいだろう。
晴海は俺を卒業する時期に近づいているんだろうし、俺も晴海をご都合主義にしつづける必要もない。
というか、それはあまりにも晴海に失礼だ。
もうそんな迷惑を、晴海にかけるわけにはいかないよな。
俺はいったんこの申し出に耳だけ傾けてみることにした。
よさそうなこであれば、多少懇意になってもいいんじゃないだろうか。
「孝人ーっ、一緒に帰ろ〜」
こいつは別に運動部とかやっているわけじゃない。俺が帰宅部だから、彼女も帰宅部なんだとか。
まったく、何でもいいからやればいいのに。
こいつが入学した当初、体験入部のとき、こぞって晴海の素質に惹かれた運動部員たちが、
勧誘の手をさしのべたことを忘れていないんだが。
それに、この容姿に料理の腕、才気溢れるところなどから、マネージャーとしても
引く手あまただったんだが。
それをいえば、まさに「帰宅部の俺専属マネージャー」になるとか言っていたような。
まあある意味冗談半分だよな。
「そうだな、でも今日はこれにまず付き合おうと思う」
その専属マネージャーに暇をやろう。
俺は、今朝受け取ったラブレターをちらつかせた。
「やっぱり、行くの?」
「話聞くだけさ。まさか浮気なんて勘違いされたら、IHHHに殺される」
IHHH、「いつでも晴海さんのほほえみ晴れやかに」、とかいうやたら気取った名前の、
晴海のファンクラブの略称だ。
誰が作ったかは知らないが、小等部から大学まで一貫教育のうちの中で、中等部から高等部にかけて
その組織を広げる団体だとかいう。
一応、俺はこいつらに公認の晴海の彼氏、になっているらしい。
さらに、俺はNo.Nothingとかいう形で名誉会員扱いになっているとか。
俺と晴海は一応中等部からこの学校に在席しているが、いつしか俺の耳にそういう言葉が
飛び込んできた。
やつらが不可侵なのは、どこかの女生徒達が晴海と俺のことを支援していて、
やつらに過分な干渉をしてくれたおかげのようなんだが。
まったく、余計なことをしてくれる。
いろいろとんでもない方向に話が進んで、実質は俺と晴海が付き合っていないことを
知っている人間のほうが少なくなっているんじゃないのか?
IHHHの連中もそうして俺を立てているのは、上層部連中はそういう事実からいつか
下げ渡してもらえる日のために、俺に媚びているだけだろう。
ばかばかしいにもほどがある。
「そうだよ。死んじゃったら私も悲しいし」
「そりゃ、俺が死ねば泣くだろうなおまえ。付き合い長いし」
「そういうこと。ちゃんと、けじめつけてね」
「まあな」
なんとなく曖昧に答えたつもりでいておいた。
IHHHの会員はこのクラスにも相当数いる。
普段なら、どうということはないんだが、俺の手にもっているこれのせいで、なんとなく空気が不穏だ。
やつらの上と下の温度差のせいか、やはり下の連中はこれがただごとではないと
警戒しているんではないだろうか。
俺はやつらになんとなく手を振ったような気持ちになって、彼女の前に立ったんだ。
そうしたら、さっそくの告白だ。

「好きです。お付き合いはお友達からでもいいです。お返事は私のことを十分知ってからで
かまいませんけれど、できれば恋人として、お付き合いしたいです」

本当にその視線は真っ直ぐだった。
表情はうっすらとしていたけれど、細身の体と、晴海に比べれば小柄が目に見えて
はっきりしている彼女は、簡単に壊れてしまいそうな骨董品だった。
ショートカットを切りまとめているのは機能性を求めて、だと思う。
瞳がことのほか艶のある輝きを浮かばせている、印象深さがあった。
何より、意志の強さのようなものを感じた。
文章は丁寧で、知性を深く感じさせてくれるものだったから、イメージはおおかた崩れていない。
それよりなにより。
晴海のようにできすぎていない、とっつきやすさと安堵を感じられた。
「唐突にそういわれてもな……」
「先輩が晴海さんとのお付き合いがあることはよくわかってます。
だから、無理なお願いをしているのは百も承知です。でも、好きで、好きでたまらなくて……」
とりあえず、彼女の思いの強さは痛いほど良く分かった。
実際のところ、よく知らない相手の告白を了承するなんてできない。
確かに、榊さんは悪いこではないだろう。
それはあの文面からして言えること。あんな配慮と生真面目さは俺としては非常に好印象だ。
だからといって、簡単な気持ちでは答えられない。
それに、まだ晴海のことだって解決のかの字すら進んでいないのだ。
あいつに百歩譲って俺を卒業することを申し出るにしても、答えを出すには
あせりすぎではないだろうか。
それに、卒業を言い渡す前提に、俺としては「今までのお礼」が必要不可欠だと思っていたから。
「あの、さ。俺ラブレターとか、女の子からの告白って、生まれて初めてなんだ。
物心ついたころにはもうあいつがいたからな」
なんか、榊さんを見つめ返すのが照れくさくて、視線を遠くに向けながら答えた。
榊さんの申し出に、実際のところ、かなり嬉しい自分がいた。
何をどうほれ込んだかは知らないけれど、俺にも、こうやって告白してくれる人がいる、
っていう事実が、喜ばしかった。
「榊さんの告白、すごく嬉しい。それについてはありがとうな」
「いえ……」
だから。
核心をはぐらかすのはまずいだろう。
今心から降って湧いた案を申し出ることにする。
「晴海とは、まだ付き合っているわけじゃないし、そろそろ俺から卒業する時期じゃないかと
思っていたから、実はいいきっかけじゃないか、みたいなことを考えた。それで」
一息、飲み込むようにする。
榊さんは、じっと俺の返答を待つように、真っ直ぐ俺を見据えている。
緊張感いっぱいのその場面、告白という真剣勝負にいつものおちゃらけは許されない。
気を引き締めて、次の言葉を紡ぎだす。
「今すぐOKを出すわけにはいかないから、答えはまず保留でいいよな」
「……はい」
やや、間を置いたものの、榊さんは素直に、俺の申し出を承諾してくれた。
うれしいことである。
「それから」
さらに続きを申し出る。
「あくまで友人のひとりとしてなら、話に付き合ってやるくらいはできるつもりだから、
気楽に話し掛けてくれていいから、な」
それを、俺の答えとして、結論づけるように思考をまとめた。
「それでいいよな」
向き直って、榊さんに発言権を譲った。
榊さん、そんな俺の返答に、じっと何かを考えるように、視線を少しだけ下に落としてから、
すぐに俺に視線を向けなおす。
けして寒すぎないはずなのに、榊さんの唇はどこか血の気がひいているようだった。
「はい。それが、先輩の答えなら、私は厳粛に受け止めます。つまりは……先輩が、
私に振り向いてくれるのを信じて、がんばっていいのですよね?」
榊さんの声が震えていた。
周りの空気は空気という役割のまま俺と榊さんに関せずにいてくれている。
陽射しは、西に傾いてうっすらと焼けていた。

「そのつもりだ。もっとも、振り向くかどうかはそちら次第だが」
「はいっ……」
榊さんの目に、力強さのようなものが宿ったような気がした。
答えとして成り立っているかは不安ではあるが、これでいいんだよな。
ある意味俺は、榊さんに期待していたから……
「私、絶対先輩を振り向かせてみせます!」
「ああ、まあせいぜいがんばりな」
俺は待ち構える門番、榊さんは攻め込む侵略者か。
はたして、彼女はこの牙城を落とすことができるだろうか?
俺は、果たした約束を終えた充足感と共に、その場を立ち去ろうとした。
「あの」
その俺を、呼び止める榊さん。
「何?」
振り返って、その要件を待つと。
「二つだけ、我が侭聞いてもらっていいですか?」
「ああ、俺にできることなら」
「ありがとうございます。ひとつめは……先輩のこと、孝人さんと呼んでいいですか?」
「ああ、好きにしてくれ」
「はい、それともうひとつは、携帯の番号とメアド、教えてもらっていいですか?」
「もちろん。俺のでいいならいくらでも」
「いくらでもって、いくつか持っているんですか?」
「いや、ひとつだけだ」
会話のノリがあらぬ方向に飛びかけたが、彼女の申し出はほとんど無理の無いささやかなものだった。
番号を教え、取り出した俺自身の携帯に自分のメアドを表示させ、彼女に写させた。
ひとつひとつの英数字を目でおい、間違いの無いことを確かめながら入力する榊さん。
確認作業として、メールを送り、着信を残す。
どちらも差し障り無く事が終わった。
「ありがとうございます。さっそく今晩、メールしますね」
丁寧にお礼のお辞儀をする榊さんを置いてひとり、屋上を後にする。
榊さんがついてこずに俺を見送ったのは、何かの配慮なんだろうと思っていたのだが。
ふと振り向いて、屋上の出入り口のほうに視線を送ると。
そこには。
ずっと見知った幼なじみが、じっと息を潜めて俺たちの様子をうかがっていた。
別に、後ろめたいことなんか一切していない。
それなのに。
こいつの見つめる目はどこか、俺を悪人呼ばわりするようなじとっとしたきつさを含んでいた。
「見てたのか?」
あくまで、その意味を聞かずに、いつもどおりのつもりで聞く。
「気になったから」
「見たとおりのこだ」
まだ二人だけの話をするには、榊さんと距離が近すぎる。
俺は榊さんに手を振って、晴海の両肩を掴んで押しながら、その場を早々に立ち去った。
このことを突っ込まれる可能性はあるだろうが、それはまたおいおい、
メールかなにかでやり取りすればいいだろう。
そのまま、俺は彼女の視線の訳を聞かないまま、結局はいつもどおり、
他愛の無いやり取りをつづけながら、晴海と帰宅することになった。
今日の夕焼けは、やけに綺麗に見えた。

5

憂鬱だった。
孝人はどうして、あんな答えを出したんだろう?
断るならちゃんと断る言葉を言わないといけないのに、
なんだか気を持たせるような言い方をしていた。
確かに、幸奈さんは、いい人だと思う。私から見ても、人格的な面はとても素敵な人だと思う。
だから孝人はちょっと気になっているのかもしれない。
ラブレター、初めてだもんね。
なんとなく、気分的にそういうのに乗せられてるだけ、だよね。
うん、そう信じよう。
でないと……私のほうがだめになりそうだから。
帰り道の途中、並んで歩く間、孝人はあの手紙のことについてひとことも触れようとしなかった。
私に気を使ってなのか、それともなにか後ろめたいのか。
なんだかとてもぎこちない様子で、場をどうにか別のほう、別のほうへやっているように思えた。
私はあえてそのことについて質問を避けた。何か理由があるのだからと。
普段の会話を繰り返して、私たちは夕食の買い物をして、孝人の家についた。
まず、家の住人である孝人が先に入り、それから私が入る。
普通なら「お邪魔します」と入るんだろうけれど、私はいつもこう言ってる。
「ただいま〜」
「おかえり」
そうやって、孝人が私を迎え入れてくれる。
「今日はいいお肉があって良かったよ。すぐ準備するね」
「ああ、わかった。荷物置いて着替えてくる」
孝人が、そういって二階に上がっていく。
私も備え付けのエプロンに袖を通して、さっそく買ってきた品物をいくつか見繕って、
夕食の準備に取り掛かる。
いつもいつも、孝人と私がしてきた営み。
まるで円満した夫婦のようなやりとり。
何気ない一日一日が、大事にする日が過ぎていく中で、今日あのようなことが起きた。
告白。
孝人にそのままの思いをぶつけてきた。
幸奈さん、本当に真っ直ぐ孝人を見つめていた。
あの文章を書けるだけあるとおりに、非常に物腰の丁寧そうな人だった。
いいところのお嬢さんか、しつけのしっかりした親御さんに育ててもらったんだと思う。
それに、肝が据わってた。
私が、孝人のことをがっちりつなぎとめて、周りも私と孝人のことを持ち上げているにも関わらず、
飛び込んできたんだから。
包丁が快音を立てて、キャベツを切り刻む。
出張している孝人の親御さんからの仕送りはそれほど多くない。食費は月に2万くらい。
少なくないわけでもないけれど、工夫しないと贅沢な気分というには程遠い。
そういえば、孝人が野菜も肉もなんでも食べられるのは、私の料理のたまものなのかな?
嫌いなものといえば、まあ普通日本人が食べるはずも無いゲテモノくらい。
そう考えると、私も好き嫌いはないから、食べるものについての激突はないかな。
今日はちょっと奮発気味、トンカツなんだけれど、これは彼も私も大好きな一品。
太らないのは、もちろん献立表を1週ごとに組み立てて、カロリーコントロールしているから。
最近はカロリーの低い揚げ油とかもあるし、その点で困りにくくなった。
それに、「キャベツは全部食べる」のが習慣づいている私たちには、胃もたれも無縁の世界。
衣をつけ、適温の油にそっと入れ、じっくり火を通して揚げる。
盛り付けて、簡易なトンカツ御膳を仕上げる頃に、彼が降りてくる。

「いい匂いすると思ったらトンカツかー、あの肉一気に使っちまったのか?」
「今日はそういう予定だったからね。本当は、朝食から調節したかったんだけど……
孝人、明日は早く起きようね」
「できたらな」
「お願いします」
深くお辞儀する。
本当に、孝人と朝ご飯食べたい。
どうしていつも、起こしても起こしても起きなくて、寝坊しちゃうかな?
毛布の中に一緒にもぐりこむとか考えたけれど、実行する前に心臓が破裂しそうになったからやめた。
孝人に知られたらはしたなさすぎることしてるのに、いざ孝人にああいう場面で触れられないのは
どうしてだろう。
「まあ、いつかMF(モーニングフェラ)してくれるの楽しみにしてるぞ」
「な、ば、ばかぁっ、そんなえっちな起こし方するわけないでしょっ!」
「はいはい、出す場所はそっちに任せるから」
「うー変なこといわないでよ〜」
できたら苦労しないのに。
でも、でも。
孝人のを、孝人の熱い先を、口の奥でそっとぴちゃぴちゃと音を立てて、
私のピンクに擦らせてあげたら……
口の中いっぱいに、孝人の熱いのが広がって……
……ぁ、やばぁ、あそこが熱くなってきてるっ。
「それはともかく、うまそうだな」
「うん、座って座って」
向かい合うように、私と孝人は席について、キャベツの上に鎮座し、
数分割されたトンカツを前に、ソースやからしをやり取りしながら。
「「いただきます」」
夕食にはいった。
孝人は私服、まだ春服には早いのか、まだまだ冬物の厚手の服を着ている。
私はエプロンのまま、自分の作った料理の味を確かめるように口に運ぶ。
「しかし、なんでまたトンカツなんだ? なんかいいことあったか?」
「いいこと半分、悪いこと半分かな」
「なんだよそれ、じゃああんまり変わらないじゃないか」
「別に深い意味はないよ。でも、今日は別の意味で特別かな」
「別の意味?」
「……ううん、なんでもない」
幸奈さんのことなのっ。
と思い切り言ってしまいそうになったけれど、
口の中で咀嚼しているトンカツと一緒に飲み込んじゃう。
孝人は優しくて誠実な人だから、けじめをつけにくい今回のことを、あんなふうに答えたんだと思う。
きっともうしばらくは今の生活を続けられると思うから、でたらめに不安がることじゃないはず。
ただ、幸奈さん、孝人の携帯との連絡を取れるようにしていた。
どんなこと、話すんだろう?
孝人と何を、やりとりするんだろう?
「ねえ、孝人、今日のノート見せてもらえるかな?」
「ノート? 晴海はちゃんと取ってるんじゃないの?」
「……それが、ちょっと今日は自信がなくて」
「なんでまた。晴海らしくもないな。まあいいや、めしの後、貸してやるよ」
「ありがとう。その分宿題お手伝いするから」
「古文のあれか?」
通称宿題狂。睡眠電波発生装置とまで言われている。
私も、うつらうつらして、危なくなる。
でも孝人はけして眠らずにきっちりノートを取る。
でも、宿題については量が量だから、まず孝人の分を手伝うのが日課になっていた。
「いいのかよ、いつもいつも」
「私が好きでやっているんだから、気にしないの」
2重にやれば力もつくしね。
ただ、孝人の足を引っ張っているかもしれないんだけれど……
「じゃあお願いするかな」
「お願いされちゃいます」
快く、私に任せてくれた。
なんだか、そういうひとつひとつの「あたりまえ」が、いつも以上に嬉しいのは、
きっと幸奈さんとの出来事のせい。
トンカツは我ながら上出来だったけれど、幸奈さんのことのせいか、
半分味がしなかった気がした。

 

洗い物をしている私のそばに、孝人が今日の授業のノートをいくつか見せてくれた。
数学、古文、英語、生物。
今日、手につかなかったのは1時間目の数学だった。
それ以外はどうにかついていけたから、それを孝人から受け取って、孝人はお風呂場に行く。
洗い物を終えて、テーブル拭いて。
一通りの後片付けを終えると、今日の私の役割は終わり。
あとはちょっとした勉強会をして、解散するだけ。
孝人がお風呂に入っている間に数学のノートを見て、自分のノートと比較する。
孝人は律儀に細やかに取る分、やや字が荒く汚いけれど、
そんな暗号みたいな文字も全部解読できる。
長い年月の賜物として自然に身についた力だった。
ひとつひとつチェックすると、いかに私が考え事で失念してきたかわかる、
見られたら恥ずかしいことこの上ない自分のノートが見て取れる。
その足りない部分を少しずつ補いながら、孝人のノートという参考書を書き写していく。
孝人の、字。
孝人の写したノート。
孝人が使っているノート。
シャワーの音がかすかに聞こえる気がする。
帰ったら私もお風呂をいただこう。
彼のノートは、どんなものにも負けない深みがあって、それでいて彼の余韻が残っていて。
必要な部分を写し終える作業は30分を待たずに終わり。
私は彼の大切なノートを閉じると、その表表紙にそっと、唇を、近づける。
思わずしようとした衝動に心臓が高鳴りを止めない。
少しずつ、距離を近づけて、ノートの厚紙に、私の唇がそっと、触れた。
ありがとう……だいすき。
孝人の気持ちをいっぱい受け取ったよ。
だから……
「ふぁぁ、いい風呂だった」
「ふぎゃっ!?」
孝人が早風呂を上がってきた。
あわてて平常を見せるように、すぐ唇をノートから離して、湯上がりの孝人の方をむき、なおる……
湯によって紅潮した顔と、ドライヤーでとりあえず乾かした髪と、
ふやけた感じの肌がそれを思わせる。
服は家で着るようなラフなものになっている。
孝人は寝間着を着たりはしないタイプの人だった。
「どうした?」
「ううん、なんでも、なんでもないの。はい、ノートありがとう」
「ああ、まあ役に立てるとは思わなかったけどな。じゃあ早速始めようか」
「うん、やろー」
ひやひや、というより、かっかした状態の私は、その日の勉強会のさながらに挟む
エッチなジョークもあって、ろくに頭の中に入らなかった。

帰る頃には、もう9時になっていた。
門限はたいてい10時くらいっていう親御さんの中の二人がうちにあたるけれど、
孝人の家に泊まる分には朝帰りでもいいという。
それは、まあ、エッチして朝に鳥のさえずりを聞いて、裸の体をシーツに巻いて眼を覚ますのは、
どきどきしながらもあこがれるけれど。
まだ、そんな関係じゃないし……
道の半分まで、孝人は送ってくれた。
実際は勉強会は帰ってきてすぐにやるんだけれど、今日は幸奈さんのことで、遅かったから。
そう、幸奈さんのせい。
でも今は、幸奈さんのおかげかな?
そういえば、勉強してる最中にしきりに孝人の携帯にメール入れてたっけ。
気が散るから、お返事は後にするようにと釘をさした。
多分、これから幸奈さんとのメールにいそしむんだと思う。
やや暗い道のりを、本当に200メートルと離れていない私の自宅に到着する。
いつものことだからと、家の門は開いていて。
私はすんなり、入ることができた。

 

制服の結わえを直に解いてお風呂に入る。
着替えは一応、もってきた。
孝人、私の体のことどう思っているんだろう?
いつもいつもエッチなジョークいうのは全然それに関わらないと思うけれど。
でも、ときどき、孝人が私の胸見てたりする。
興味湧くのかな?
なんとなく掌に納めてみる。だいぶ、手に余るかな。
本気で巨乳って人にはさすがに及ばないけれど、でも大きめだという自信は、ある。
結構、うらやましがられたりも、する。
それに、そこそこ身長はあっても、孝人の目線を越える前に止まってくれた。
孝人の背を越えなかったのは良かった。
体の面では、幸奈さんは申し訳ないけれど、孝人には物足りないと思う。
でも、そういう可愛い感じのスタイルのほうが、孝人は好きなのかな?
そうだとすると、もう戻れない。
彼のために組み立ててきたものが、無意味になってしまう。
本当はどうなんだろう?
やっぱり、孝人って、幸奈さんのほうが好みなんだ。
私が近くにいすぎて、こういうスタイルを見慣れちゃったのかもしれない。
やだ、いやだ。孝人が幸奈さんを抱いてる姿が一瞬頭によぎった。
おぞましい、嫌過ぎる、考えたくない。
どうして、孝人の前に現れたの……孝人は私とじゃないとだめなのに。
孝人の幸せを作れるのは私だけなのに。
孝人が人生を組み立てていけるのは、私と一緒にいるときだけなのに。
そう。この胸も、掌に納まりきらない、おおきく張ってる……っぁ、乳房も。
ずっと、あなただけを待ち望みつづけてきた、ん、っ、この蜜内も。
私を除くなら、あなた以外の人には触らせたくない。
孝人だから、孝人にきてほしいから。
『ウインナー、いつも作ったら舐めてるだろ?
  まるでフェラしているようにこう、ちゅぱちゅぱと』
あなたのなら、いくらでも口に含めるよ……白い液、出ても、あなたのならきっと美味しいから。
『MF(モーニングフェラ)してくれるのを楽しみにしているぞ』
いつでも、いいよ……孝人が本当にそうして欲しいなら。
『そんなに朝チュンしたいか?』
したいよ……毎日夢に見るんだよ。
私がおはようって、朝に弱いあなたを呼び覚ますの。
ぁぁ、その前の晩に、この中を、あなたの熱いのが、じゅぷじゅぷいって前後して、
出し入れして、密着するたびに、クリが擦られるの……ふぁぁっ。
あ、っ、いいよ、孝人のなら、どんな日でも、一番奥にいっぱい欲しい……
きて、きてぇ、孝人ぉ……っ。
「ふぁ、ぁあ、ぁ……っ!」
ぁ、ぁ……だめ、今日も、イッちゃった……
つい、掌で体を撫で回しながら孝人を考えていたせい。
私はいつの間にか自慰にふけっていた。
アソコが愛液に濡れぼそって、伝ってタイルにこぼれていた。
湯船に浸かってもいないうちから、体の奥がでたらめに熱くなって、孝人のこと考えて。
夢の中なら、願うだけなら、いつでもここに孝人がいるのに。
とても遠くに、遠い場所に孝人が行ってしまうような、絶望的な不安が
心を押しつぶしてしまいそうで。
私は何も無い場所を抱いていた。
自然に涙が頬を伝い流れていた。

 

お風呂を出て、乾燥中の髪をまとめてタオルに包みながら、孝人にメールする。

「To:孝人
  From:晴海
 
  明日7時に起こしにいくからね。
  明日こそ一緒に朝ご飯食べよー」

ごくごく簡単に、いつもどおりのことだけれど、でも大事な、孝人のことをつなぎとめるメール。
私は返事を楽しみにしながら、勉強の追い込みに取り掛かることにした。
それでも1時間くらい。時間はあまりないから、すぐに眠くなって寝付いてしまったけれど。
孝人は私が眠る前にこんなやりとりをメールでしてくれた。

「To:晴海 From:孝人  ああ、俺が起きれたらな
  To:孝人 From:晴海  起きれたらじゃなくて起きるの。がんばって、孝人にならできるから
  To:晴海 From:孝人  良く言うよ。まあ、適当にがんばれ。MFは選択肢のうちに入れといてくれ
  To:孝人 From:晴海  えっちな起こし方は即刻却下だよ……/// とにかく、今日はこれで寝ます、 おやすみなさい
  To:晴海 From:孝人  おやすみ。また明日な」

本当に、いつもどおりのやりとり。
ちょっとだけ変化があった日の終わりだったけれど。

孝人の返信までの時間がなんとなく、長かったような気がした。

6

アドレスが私の携帯に控えられた。
あの人の、大好きなあの人の連絡先。大事な、つなぎ目。
連絡を取っていいという許可は、彼がまだがっちり晴海さんに縛られていない証拠。
晴海さんもけして、彼をがんじがらめにしていない証拠。
それが何を意味するかは言うまでも無い。
私が孝人さんの恋人候補になってもいいということ。
いずれ、孝人さんの正式な恋人になってもいいということ。
私という女がどこまで孝人さんを惹く事ができるかはわからないけれど、孝人さんに、
晴海さん以外にも素敵な女性がいる証明を、私が先駆けて行い、いずれ孝人さんの一番になれたら。
どんなに素敵だろう。
孝人さん。
孝人さん……。
名前を心の中に響かせるだけで幸せな気持ちになれる。
孝人さん。
私が告白しているときに、後ろでじっと見ていた晴海さんと一緒に帰った。
今はまだ、私は部外者で、孝人さんのすぐ隣を歩く権利はないけれど、でも、晴海さんが
がっちりと確保したその隣の席には、いつか私が就けるかもしれないんだ。
一応、今はあなたにその場所を譲っておきますけれど……
孝人さんの恋人の権利は、私が貰い受けます。
こればかりは、どんな相手であっても容赦するわけには参りませんから。
じっと見送る私の目に、忌避するような晴海さんの視線が突き刺す。
そう、見えただけだと思うけれど、でも、
あれは明らかに私という存在を疎ましいと思っている人の目。
晴海さん、悪ノリにつきあわされているだけかと思ったんだけれど、間違いなく、
彼女は孝人さんのことが好きだ。
女の勘、という言葉も当てはまるし、いろいろな状況証拠を照らし合わせても言える。
とにかく、手をこまねいているわけにはいかなかった。
さっそく手をうたなければ、手遅れになってしまうかもしれなかったから。
私は、二人が視界からいなくなるのを確認して、荷物をまとめて帰宅する。
5時に家で用事があるといって、部活のほうはちょっと早引きさせてもらったんだ。
別にサボりについてとやかくは言われないし、むしろ孝人さんへの告白なら、
物笑いの種として取り上げられてフイになる。
それはそれで不愉快ではあるけれど。

でも。

私は今日、孝人さんと結ばれるための、大事な大事な楔を打つことができた。
あとはここから、私を示しつづけるだけ。
帰宅の足取りは軽くなく重くなく。
そのかわり、心の弾みを止める事はできなかった。

家には、自分で持つ合鍵で開けて入る。
母は夜8時にならなければ帰ってこない。いつもは、夕食用のお金を置いていってくれる。
昔はちゃんとみんなで食べていたけれど、やや重い借金と、私の進学は母に重労働を課していた。
自炊すればいい、とはよく言われるけれど。
私は……恥ずかしいながら料理が全然ダメなのだ。
母や姉がみんなやってしまっていたから、私は台所からいつも蚊帳の外だった。
当たり前だが、それでは料理の”り”の字も覚えられはしない。
人を好きになっても、女の武器たりえるひとつを生かすことが出来ないのはあまりにも苦しかった。
孝人さんにとってはきっと、そういう料理能力は絶対的なもののはずだ。
毎日食べている孝人さんのお弁当はきっと、晴海さんが作っているものに違いない。
それは、孝人さんのために晴海さんが腕を振るっている賜物であり、きっと絶品である。
つまり、孝人さんの胃袋をゲットするためにとお弁当を作る作戦では、晴海さんに勝てるわけ無い。
真心があればいいなんていうけれど、食べられるものを作れるかすら不安な私には、
とりあえず控えるべき選択肢。
家庭的であるアピールをふさがれたのでは、5割方だめだめじゃないか。
とにかく、そんな策を弄するよりも、孝人さんに連絡をとってみよう。
私は携帯を取り出して、孝人さんに手早くメールを打った。
「To:孝人さん From:幸奈  今家に帰りました。孝人さんは今どうしていますか?」
初めてのメールを出す。
それだけで緊張が心臓を躍らせる。
孝人さん……お返事、返してくれるでしょうか。
私は送信の操作をした。
ほどなくして送信完了の報告が携帯画面に表示される。
あとは孝人さんからのお返事を待つだけ。
メモと一緒に置かれた500円を手に、近くのスーパーに食事の買出しに出かけた。

ここでなんでコンビニじゃないのか、という質問は却下する。
まだ6時そこそこの時間で、何もコンビニでなければ食べ物が買えないというわけじゃない。
母が、「コンビニは高いから」といって、私にこちらで買うことを強く勧めた。
別にそんなに変わんないんじゃないの? と思っていたのだけれど。
コストはほぼコンビニの3分の2、それでいて、どこか新鮮味のある軽食がそろう。
飲み物のコーナーもコンビニのそれの3倍はある。
選択幅はコンビニの比ではないのだ。
この宝の山を生かさずにはいられないでしょう。
私は、並べられた飲み物や軽食類を一通り物色し、500円の中で収まる範囲で計算して
かごにほうりこむ。
わりと簡単に金額を満たしてしまったかごの中、やっぱり貧相。
でも、普段小食な私には丁度いいくらいだった。
さっそく、会計に持っていこうと思っていたところ。
ふと、生鮮品を売っている場所付近を連れ立って歩いてる、二人組を見つけた。
赤い色になんとなく見えるそのスペース、ミオグロビンの世界の中で、
ひとつひとつその質を見定めている。
それだけなら、ただ普通に夕食を買いに来ている連れ合い。
ただ、そうしている二人が誰と誰かによって、どうしても気にしなければならないときも、ある。
女の人は村崎晴海さん。
男の人は、かっこいい桧木孝人さん。
どうしてだろう。
今の彼には、どんなイケメンもかすんでしまう。
あんなに素敵な人だなんて思ってもみない。
一気に心臓が高鳴る。
孝人さん。孝人さん。
孝人さん。孝人さん。
孝人さん。孝人さん。
名前を反復するだけで、ぼうっと、でも身をひそめて気づかれないようにしながら眺めるだけで。
心の中の領域がすべて孝人さんになってしまう。
隣の誰かさんは目に見えてない。
孝人さんだけ私の視界の中にいる。
私の初恋のひと。恥ずかしいけどこんな年でやっと初恋。
それまで本ばかり、花を生けてばかりいた私の、帰るべき原初、番いとなるべき人。
だから、だからこそ。
私はすぐ隣で幸せそうにしているあのカマトト女を遠ざけなければいけない。
IHHHなんて組織ができるのも、孝人さんが心を許しているのも、あの女の本性を知らないから。
私に向けた視線の意味、私が孝人さんに助けられたときの彼女の威圧。
全部、全部あの女の本当の姿。
でも、個人的な恨みがあるわけじゃない。村崎さんのいいところだって、知ってる。
孝人さんと村崎さんは長年の幼なじみ、
いろんな勝手をすべてわかりあっているから、信頼しあってる。
たぶんそんな村崎さんの本性すらも受け入れてる。
勝ち目、ないかもしれない。
あんなに肩寄せ合っても、二人とも平然としてる。あたりまえのようにやりとりしている。
あ、今ひとつ選んだみたい。
会計するためにこっちに近づいてる。
私は二人が歩いてくるである方向に対し、陳列棚をうまくかいくぐって見つからないように
対称軸を歩いた。
案の定見つかることなく彼らをやりすごした。
気づかれていない、はず。

嫌だ。
なぜ一瞬弱気になったんだろう?
孝人さんに、好きでいていいことを認めてもらえたときに、私はもう戻りたくないって、
あなたにとって一番になりたいって、どんなに村崎さんが妨害したって、絶対負けたくないって
誓ったのに。
後戻りしたくない。
私は私に正直になる。孝人さんと両思いになるって決めたんだ。
だから、だから。
でも、そうするとどうやって孝人さんを振り向かせよう?
村崎さんのがっちりとしたガードを考えると、下手に小細工なんか仕掛けたって通じるはずが無い。
むしろ、孝人さんに笑い話のネタにされてしまいはしないだろうか。
だったら話は早い。
メールアドレスは控えたんだから、さっそくお誘いすればいいんだ。
学校でのアドバンテージは村崎さんに圧倒的に有利、現状無理に学校でやりあう必要ない。
明後日は土曜日、その次は日曜日。
孝人さんにそのどちらかの日を空けてもらって、デートを持ちかけよう。
でーと。
そう、でーとです。
でーと……でーとって、二人でいろんなところにいって、お話したり、お食事したり、
夜の街でいい景色を見て、それから、それから……
って、いざ、そういうお話をするという段になって、私はデートという単語について、
その意味を100回反復して考えをめぐらせていた。
会計を済ませ、すっかり暗くなった夜の道を足早に急いで。
普通ならひったくり注意とか乱暴する人に注意とかそういうのを気遣わないといけないけど、
あいにく今の私は身なりにほとんど気を使っていない普段着で見栄えも悪く、
背は低くても年に見合わない半端なスタイルはロリ趣味の変態も寄せ付けず、
そんな貧相さが悲しい私。
つまりはろくに気にしないで夜道を一人家に帰った。
空腹を買ったもので済ませながら、自分なりにプランとかプランとかを考える。
何をどういうふうにすればいいんだろう。
どんなことをすればいいんだろう?
男性というものを知らずに生きていた私、最大に悩むとき、携帯を取り出してみる。
孝人さんに相談してみようか?
どんなところに、いけばいいのか。
すでに包みだけを残した食料の抜け殻を捨てて、ソファに腰掛けて携帯を手にとる。
「To:孝人さん From:幸奈  今お忙しいですか? お時間が空いたときに、
お返事をいただけるとうれしいです」
さっきのメールから、ずっと返事がこないのはきっとあの女がべったりだからだ。
村崎さんが孝人さんのお返事活動をシャットアウトしているためだ。
だからそっと、孝人さんの携帯に私の履歴を忍ばせた。
たぶん完璧。
今のうちに、私はお風呂に入ってしまうことにした。

9時、図書館で借りてきた本に目を通しても、まったく落ち着けないでいた。
孝人さんのお返事、まだかな。
孝人さんのお返事、まだかな。
村崎さん、まだ帰らないのかな?
落ち着けるわけがない。孝人さんのことを待つ時間がこんなにも胸をしめつけるようだなんて。
どうして私じゃないんだろう。
孝人さんの側に今いるのは私で、私は孝人さんに思いを伝えていて。
好き。
孝人さんが好き。
確かめるまでも無いくらいせつない想い。
寝間着を纏っている。それほどサイズのない胸を覆うブラは外してある、
ほんとうにゆったりとした衣類。
待ちきれないまま部屋に戻ろうとしたときに。
「ただいまー」
長いこと仕事して、着込んだスーツがややくたびれている母がご帰還だ。

「お帰り。お風呂は私が入ったばかりだからまだ暖かいよ」
「うん、わかったー、じゃあさっそくいただくわ」
「ごゆっくり」
「いつも500円玉でごめんね、最近どうも忙しくて」
「いい、お母さんの苦労はわかってるから」
「悪いねえ。わたしゃこんな孝行娘を持ってほんと幸せだよ。あとはいいお婿さんだけか、
ちょっとそうなると寂しいけど……」
「そうなったらそのもてあます体、いい男引っ掛けて満たせばいいでしょ、私は困らないよ」
「幸奈ったら、そんなこと親に言うもんじゃないわよ。まあでも……最近の幸奈を見てると
負けられないわ」
「でもお父さんのこともたまには思い出してあげて」
「そんなの当たり前よ。あんな人はそうそう現れてくれないわ」
「それならいい。お休み、お母さん」
「はい。また今度お酒付き合ってよ」
「私未成年なんだけど……」
「17、8はもう大人よ」
「無茶苦茶すぎるって」
この、疲れているとも思えないハイテンションママがうちの母親。
ちょっと中年太りが目立ってきて、くびれラインもだいぶだらしなくなってきた、
お風呂上りは上半身裸の厚顔無恥な母。
胸がちょっと大きいのはうらやましいけど。
二階に上がる階段のさなか、私のポケットを振動する、孝人さんからの連絡に。
真上へ突き進む足は、軽く自分の部屋へ飛び込んでいた。

「To:幸奈 From:孝人さん  ごめん、今まで晴海と勉強会していた。今からなら大丈夫だ」

来た。
来た、来た、きたーっ!
孝人さんのメール、孝人さんからのお返事。
思わず携帯を抱いて小躍りしてしまった。
っと、来たメールにはお返事を返さないと。
私はすぐに孝人さんへメールを打つために指をキーへ走らせていた。

「To:孝人さん From:幸奈  ありがとうございます。孝人さんのお返事、とてもうれしいです」
「To:幸奈 From:孝人さん  大げさだな。そんな大した事じゃないって」
「To:孝人さん From:幸奈  好きな人からメールをもらえたんですから、
思わずおどってしまいました」
「To:幸奈 From:孝人さん  おいおい^−^; それはともかく、榊さんが貸してくれた、
車輪の国、向日葵の夏”だっけ?」
「To:孝人さん From:幸奈  なんのタイトルですか。ヘルマン・ヘッセの”車輪の下”ですよ。
ドラマで取り上げられてたから読んでみたんです。
古文の先生の10分読書の時間に使ってください」
その先生は今うちで現国の担当をしてる人。
宿題狂・睡眠電波発生装置の通称は全学年共通らしい。
「To:幸奈 From:孝人さん  ああ、そうするよ。車輪の国はこないだ借りたエロゲだった」
孝人さん、そういうのプレイする人だったんですか。
年頃の男性だからって、女の子との会話に出すものじゃないですよ。
「To:孝人さん From:幸奈  孝人さんそういう人だったんですか?」
「To:幸奈 From:孝人さん  別に隠したって仕方ないだろ。実際泣けたぞ」
「To:孝人さん From:幸奈  それはまあ、そうですけど……ちょっとヒキました。
でも幻滅してませんからご安心を」
「To:幸奈 From:孝人さん  悪い悪い、タブーにしとくよ。つーか、ヒクとかはっきりいうか普通」
「To:孝人さん From:幸奈  孝人さんと同じです。孝人さんの前ではすべて正直になりたいんです」
「To:幸奈 From:孝人さん  恋愛ってそういうもんなのか?」
「To:孝人さん From:幸奈  はい。怖いものが怖くないんです」
「To:幸奈 From:孝人さん  ほう、俺、恋愛って正直よくわかんなくてさ」
「To:孝人さん From:幸奈  すべてがその人のためにと、思える人に対しての
想いではないでしょうか?」
「To:幸奈 From:孝人さん  ふうん、榊さんって大人だな」
「To:孝人さん From:幸奈  そんなこと無いですよ。いっこ下ですし、胸も小さいし、背も低いし」
「To:幸奈 From:孝人さん  可愛いのにもったいない」
「To:孝人さん From:幸奈  孝人さんに会うまでは目立たない女でしたから。
でも、孝人さんに恋した私は生まれ変われそうです」
「To:幸奈 From:孝人さん  おいおい」
「To:孝人さん From:幸奈  恋した女は強いんですよ。どんな障害にも負ける気がしません」

だいぶ強気の発言をしてしまった。
その割に、今の私は膝がくがくしてる。
とても大切なことを切り出せないでいて、なにが障害にも負ける気がしないだ。
デートに、誘う。
誘わなきゃ。
「To:幸奈 From:孝人さん  大きく出たな。まあつぶされないようにがんばれよ」
「To:孝人さん From:幸奈  そうさせていただきます。ところで、次の土曜日か日曜日、
空いていますか?」
切り出せた。
でも、携帯持つ手が震えてる。
嘘みたい。ただ、孝人さんに、お誘いの言葉を言えばいいだけなのに、真正面に孝人さんが
いるわけじゃないのに。
どうしてこんなに緊張しているんだろう。
普通、携帯だとこんなお誘い、どうってことないはずなのに。
そのはねる鼓動を抑えきれない。
「To:幸奈 From:孝人さん  空いてるって言えば空いてるな、両方とも」
予定、空いてた。
村崎さんのこととか大丈夫なんだろうか。
ちょっと心配になってくるけれど、もしそのことで何か変化が起こるとするなら、
私はこの奇跡に自分をすべてかけるつもりでいた。
「To:孝人さん From:幸奈  じゃあ、その2日で、どこか遊びに行きませんか?」
「To:幸奈 From:孝人さん  それはデートのお誘い、と見ていいよな?」
でーと、の、おさそい。
そう、これはデートのお誘い。
「To:孝人さん From:幸奈  はい、それで、その……私、デートってしたことないから、
どこに行けばいいかわからないんです。いいところ知ってますか?」
こんなことをお誘いする相手に聞くなんて恥ずかしいけれど、そこはそこ、
男性である彼にエスコートしてもらってしまおう。
それはちょっと、甘えなのかな?
「To:幸奈 From:孝人さん  いいところっていってもなぁ、別に特別行きたいところがないなら、
商店街歩き回ったり公園いってのんびりしていてもいいんじゃないか?」
「To:孝人さん From:幸奈  そういうわけにはいきませんっ、せっかくのデートなのに」
「To:幸奈 From:孝人さん  わかった。じゃあ最初は、榊さん本好きそうだから、
図書館いったり、本屋で本買って公園で開いたりとかいいんじゃないか?」
「To:孝人さん From:幸奈  でもそれだと、夢中になって孝人さんを置いてけぼりに
してしまいそうです」
「To:幸奈 From:孝人さん  気にするなって。そういうのはレディファーストだろ」

うわぁ……
改めて孝人さんの紳士的な対応にほれ込んでしまう。
私のことを、どうでもいいと思っている人の態度じゃない。
ものすごく、大事にしてもらっているかのよう。
「To:孝人さん From:幸奈  はい、ありがとうございます。2日分なので、
もっといっぱいいろんなところに行きましょう」
「To:幸奈 From:孝人さん  そうだな。それこそ街すべてを制圧する気で歩き回るのもいいな」
「To:孝人さん From:幸奈  どこまでもお供します」
孝人さんのこと、2日も、独占できる。
なんかその事実だけで気持ちが浮ついていて、とても大事なことを忘れているような気がしたが、
ややディレイがかった孝人さんからのお返事とともに、無視した。
「To:幸奈 From:孝人さん  じゃあ、土曜日朝9時に、駅前で待ち合わせでいいか?」
「To:孝人さん From:幸奈  はい、それでかまいません」
時間や、場所や、それ以外の打ち合わせを済ませて。
「To:幸奈 From:孝人さん  そういや……2日連続なんだよな。やけに積極的すぎないか?」
「To:孝人さん From:幸奈  そんなつもりはありませんよ、1日終わるごとに帰宅です」
「To:幸奈 From:孝人さん  そりゃそうだよな。どこかに泊まるかと思った」
どこかに泊まる、という単語の意味、すぐにその勘違いに気づいた。
私、大馬鹿だ。
土曜日だけ、あるいは日曜日だけでもいいのに、ついつい孝人さんと一緒にいたくて、
2日とってしまったのだ。
そこに他意はないのに、一瞬ある状況が頭に思い描かれてしまった。

それは暁の陽光。
カーテンの隙間から、時間をゆっくり過ごした二人を照らし、その朝の訪れを知らせた。
柔らかなシーツと羽毛のマットの上に、染み付いたいくつかの点。
どちらかが起こしたかは知らないけれど、まだ体に残る余韻は、昨晩の情事の名残。

う、あ、あぁぁぁっ。
ちがう、ちがうちがうちがうっ。
孝人さんとはそういうことしたくて誘ったんじゃない。
確かに、初めては、私の処女は孝人さんにもらってほしい。
孝人さん以外の人とセックスしたくない。
でも、2日がけなんて誘ったら、初夜も前提みたいじゃないか。
でも……
孝人さんの腕の中、暖かそう。やや冷え気味な体を抱きしめるように、
そのときのことをさらに細かく思い描いてしまう。
腕に抱かれると、孝人さんを思い描いてしまって。
孝人さんがそっと、私の大事なところに指を忍ばせて。
「To:孝人さん From:幸奈  でも、孝人さんがいいなら……」
そう打ち込みかけて、すぐにクリアキーを押して消した。
そんなこと言えるわけが無い。女からこんなこと誘ったら、
ましてやまだ付き合っているわけでもないのに話を持ちかけたら、淫乱女だと嫌われてしまう。
できるなら、孝人さんから誘ってもらえるくらいになりたい。
「To:孝人さん From:幸奈  じゃあ、楽しみにしています」
ふと時間を見る。
時計の指す時間は11時を回っていた。
こんなやりとりだけなのに、時間が過ぎるのを忘れてしまう。
そっと私は、追記して送信する。
「To:孝人さん From:幸奈  じゃあ、楽しみにしています。そろそろ寝ます、おやすみなさい」
「To:幸奈 From:孝人さん  お休み」
孝人さんに、そう断って、メールのやり取りを閉じた。
携帯を二つに閉じて、そっと勉強机の上に置いて、ベッドにもぐりこむ。
冷えとかそういうのは気にしないでいられるレベルで、そっと目を閉じて、
眠りを呼び込もうとしたけれど。
デートの約束の成功に興奮した上、思わず孝人さんに抱かれる想像をしたのが頭から離れなくて、
しばらく悶々とした状態を引きずったまま、私は眠れぬ夜を過ごした。
村崎さんからほんの少しの間だけ、孝人さんを自分側に引きつけておける日のことを考えて。
そっと、指を舐めて。
ささやかに、自分を抑えこむ為に、自らの蜜の核を、指先で撫でて慰めた……

7

俺はとんでもないことをしてはいないだろうか?
そう考えるのは何も榊さんの約束を受け入れたという事実だけで語れるものじゃない。
別に、本当に後ろめたいことをしているわけじゃない。
榊さんを知らずに、答えを出すわけにいかないだろう。
もっとも、無理に榊さんなんかを知らずに晴海と本当に付き合う、などという選択肢は、
ずっと昔に考えたことのある妄想だ。
いざ、晴海と恋愛関係になる、という展開が、どうも頭の中にシミュレートされない。
いつもの俺たちの間柄が単に延長されるだけ、ではないか。
晴海はただ俺を案じて、俺のためにがんばるだけ。
そう、今日もまた、朝の弱い俺の目覚ましに、枕元に立つのだ。
「孝人ーっ、おきろーっ」
ばさっと、何かが捲れあがる音がする。
外は夜明けを通りすぎた明るい陽射しに照らされていた。
俺の上に通る冷ややかな風、それが晴海によって奪い取られた、俺の毛布たちと入れ代わりに
吹き込んだもの。
また今日も一日が始まる。苦手な朝の一風景と共に。
「っ……」
「孝人ー起きてよ、ねぇ〜」
今日は昨日よりは暖かい。だが、毛布を奪われて対応しきれない体は冷えた空気に体温を奪われる。
すぐそばに感じる気配は、とてもなじんだ人のもの。
「ぅぅ〜」
「早く起きようよ〜ね〜え〜」
手が俺の肩に当てられて、耳元に呼びかける声はけして大きなものじゃない。
だが、奪われた体温は俺の眠りを軽く妨げてくれて、意識はぼんやりと声の主を確認しようと
覚醒に向かいだす。
声の主は俺のことを覗き込みながら、しきりに俺の覚醒を確実なものにしようと肩を揺すった。
「おきたかなぁ?」
「ん、あぁ」
俺が目を覚まして、今日もまた普段と、いや、ちょっといつもと違う一日が始まる。
晴海のやつのテンションもいつもどおり。俺もいつもどおり着替えて、
焼いたパンを受け取って登校する。
時間はどうしても遅くなってしまい、晴海はまたぼやいて俺に早起きをうながす。
最近は晴海も無駄を知ってか朝食を作りおかなくなった。昔は俺が起きて
一緒に食べられるものと信じて作って待っていたようだが、ここのところはそれもない。
あたりまえといえばあたりまえか。
単純に食費がもったいないんだからな。
そういうところは申し訳ない気持ちがあるのだが、どうしても朝は早起きできない。
まったく、余計なところまで気を回すんだからな……
着替えと、今日はおにぎりか。
「今日こそはと思ってたのに。どうしてもだめなのかな」
制服を差し出して、そう申し出る晴海。
別に何か違うことがあるとかないとかいうわけではないが、
どこか力の入り具合がいつもと違う気がする。
制服を受けとり、ラップに包まれたおにぎりを適当にベッドにほうると、
おもむろに着替え始める。
衣類をベッドに投げ出しながら、下に手をかける。
「んー?」
「ぁ……」
あえて、突っ込まないでいるつもりだったが。
晴海はじっと俺を見つめたまま硬直してしまっていた。
「俺の生着替え見て楽しいか?」
「た、っ、ち、違うのっ! 何も言わずに脱ぎだすから、その」
「じゃあ見てていいぜ」
「そ、そんな、見てるのだめっ!」
と、晴海はあわてて俺の部屋を飛び出した。
見て減ったりするものでもないんだけどな。
そんないつものやりとりは、いつもの晴海がそこにいる、という事実だけを残していた。

なんの変化もない。
いつもの晴海だった。
俺はそんな晴海のテンションに、一切の厄介ごとを放り投げて彼女との登校に望む。
「よう、今日もラブラブだな」
「ああ、おまえらもさっさと落ち着けよ。一生童貞は寂しいぞ?」
「ちょ、ちょっとぉっ」
まあ、からかう男のひとりやふたりはいる。
晴海はそんなふうにからかっていくやつらに対していちいち赤面して真剣に答える。
そんないつもの風景が通り過ぎていく。
本当にのんびりとした歩みだ。
それだけは、いつもと全く変わらない成り行き。
俺は、そっと晴海を横目で見て、完全に茹であがってしまった頬を見つめながら、
今日起こり得るあらゆる可能性についてのことを考えていた。
そのひとつ。
ふと見かけた、小柄で華奢な少女の後姿。
昨日真正面に俺を見据えて、振り絞った勇気をぶつけてきた当事者である。
「おはよう」
何気に俺たちのほうが歩くのが速いのか、それとも、わざと遅く歩いていたのか。
同じ方向に学校に向かっていた。
昨日のあの告白がなければ、見過ごしていたであろう目立たない存在。
「おはようございます、孝人さん」
振り返って彼女は答えた。
「ああ、いつもこっちからなんだ?」
「はい、孝人さんはいつもこの時間なんですね」
榊さんの姿を見かけるなり、なんとなく声がうわずっているように思えたのは、気のせいだろう。
いつの間にか、榊さんが自分の左隣、つまり晴海のいる右隣とは反対側に肩を寄せていたのには、
割とすぐに気づいたが、あえてそれを咎める気にはなれなかった。
「ああ、あんまり朝は得意じゃないから、朝飯はパン1枚かおにぎり1個だ」
「お腹すきませんか?」
「そりゃ、すくさ。でも朝の甘いひとときに比べればそんなの小さい問題だって」
「朝の、甘い……」
「孝人……っ」
別に意識していないで口走った一言によって、榊さんも晴海も、とんだ勘違いをしているような。
何がどういけなかったのかを噛みしめるように思い出すが、
そんなエロトークに発展するようなことを言った覚えはなかった。
晴海が、ずっと俺の袖を掴んでいた。
くいくいと、ひっぱりながら。
ちょっと気まずくなってきた気がする。というか、今は晴海と一緒にいるときだろう、孝人。
IHHHを恐れるとかそういうわけではないが、晴海と二人でいる手前、
長いこと榊さんを留めておくのは気分がよくない。
「っと、これについてはまた後でな。急ぐぞ晴海」
「え、あ、うん、じゃあまた後でね榊さん」
「はい……」
晴海の手を引っ張り、俺は榊さんからはるか前方へ晴海とともに前進するために、
駆け足気味に歩みを進める。
榊さんの視線がやや気になるが、晴海の手前、八方美人でいることはできなかった。

昔から、晴海は俺が他の女の子と話すと不機嫌になった。
何の事はない、行事やなんかの必要事項を申し出られるにしても、
女の子からの話は大抵は晴海を介して俺に通達される。
何もそこまでやることはないんじゃないかと思ったのだが、晴海は
「いつも冗談ぶってるくせに、相方のヤキモチは考えないんですかー?」
と、嫌味半分に突っ返してくる。
最初はむすっとした晴海がかわいくて遊び半分に女の子に話し掛けまくったことがあったが、
ジョークと受け止めてもらえずにその日の夕食が地獄絵図になったことは、今でも忘れない。
あれから晴海も少しは俺が別の女の子と話すことも許容してくれてはいるようだが、
世話になっている手前、あまり晴海の目の前で浮かれた感情に正直になるのも気が引けた。
教室で、隣同士の席に座った俺と晴海。
1時間目は確か古文だったか。
実は、榊さんに声をかけたあと、教室に入ってくるまで、俺は晴海との会話を
完全に途切れさせてしまっていた。
しばらく、正面を向いたままぼうっと黒板を見ていた俺。
晴海はそのときどんなことを考えていたのかわからないままだったが。
授業の始まる本当に直前に、晴海が声をかけてきた。
「ねえ、孝人」
「なんだ?」
「今日のお昼……榊さんを呼んでいい?」
唐突だった。
晴海からの申し出だった。
明らかにそれは、今までの晴海からは考えにくい思い切りだった。
「ああ、俺はかまわないけど。3Pの相談?」
「……孝人、今日のご飯を炭にしちゃうよ?」
「悪い、笑えない冗談だな」
榊さんもまじえてのジョークに、晴海の青筋が見えた気がした。
言葉自体は、いつもの晴海のおっとり感のある口調なのだが、
その奥の闇は底知れず深く暗く恐ろしかった。
「そういうんじゃなくて。榊さんにちゃんとご挨拶して、いろいろ話しておきたいことがあるの」
「はいはい、それなら榊さんに俺が話し掛けたときに言えばよかっただろ?」
「その前に孝人先いっちゃったじゃない」
「あ、そうか……」
「ね、連絡とってもらえないかな?」
その闇がだんだんと遠のいていく。
晴海のいつもの穏やかさが戻ってくる気がした。
いつもながら、晴海に頼まれごとされるのは嫌な気がしない。
それは、なんだかんだで晴海のことを可愛いと思うからなのかもしれない。
恋愛とかそういうんじゃない、気に入っているという言葉が一番近い用法だと思われる。
俺は授業が始まる本当にぎりぎりのタイミングで、榊さんにメールを送信した。
送信ボタンを、押す。
すぐ横に、人の気配。
「桧木、授業始まるから、携帯しまえ」
「……っ」
古文の担当、宿題狂。睡眠電波発生装置。
その、容姿はというと。

長身、メガネ、セミロング。
胸は晴海のほうがあるだろうが、プロポーションなら負けていないだろう。
その容赦のない成績付けから、白夜叉と呼ばれてもいるこの学校の名物教諭。
広川州麻(ひろかわ すま)先生だった。

容姿から、彼女に気のある男性教諭のうわさは耐えない。
もっとも、州麻先生自身は潔癖気丈な人らしく、
そのガードの固さを崩せた男の話は聞いたことがない。
実際その授業に望む姿勢はさまざまに新しい教育方針を取り入れるなど斬新を狙っているが、
逆に本腰を入れるべき授業内容の退屈さには一切触れない。
単調な口調で淡々と黒板を埋めていくため、眠気に負ける戦死者は後をたたない。
それについて、州麻先生はひとことも咎めずに授業を進める。
それが生徒たちに休眠の時間を与えているのかと誰もが推測するのだが、
戦死する回数が多い人間の成績が3を上回る話を聞かない。
テストで90点台を取りながらも眠りの常習犯なやつが、容赦なく3を食らった話がある。
つまり……静かな先生ほど恐ろしいものはないということだ。
それについては、俺は無縁だと思う。
州麻先生の熱心さを無碍にするわけにはいかないから。

そんなこんなの名物教諭の授業も滞りなく終了し、
1時間目から眠りに落ちた多くの戦死者たちに哀悼の意を表した。
授業はひとつひとつ予定通りに行なわれて、お昼休みに入る。
晴海の要請による、榊さんの呼び出しについては。
「こちらこそ、喜んで承ります。場所は孝人さんが決めてください」
と二つ返事で了解を得ることが出来た。
木を隠すなら森の中ということわざにならい、俺と晴海は榊さんを屋上に呼んで、
昼食タイムに入ることにした。

8

屋上にはまばらにお昼休みを過ごす人影があった。
この学校の屋上は跳ね返りのある高めのフェンスが作られていて、
誤って落ちることはもちろん、登って自殺を試みることもできないようになっている。
その代わりにコンクリート張りのそこには吹きさらしのベンチが点々と設置されていて、
お昼をいただくにはもってこいのロケーションになっていた。
たまに晴海とここに来て食べることもあったりしたが、あと1年で卒業し、
お互い大学生になるのだと思うと少々感慨深いものがある。
学校の成績優秀者として首都の一流大を目指す、などという気概は俺にはなく、適当に晴海と、
この学校が所属する大学へ進学するつもりでいたから、進路で悩むようなことはない。
晴海こそ、首都の大学受験すればいいものを、「孝人と離れ離れになったら誰が世話焼くのー?」
と、姉か母にでもなったかのような過干渉ぶりを見せた。
うっとおしい、などと思ったことはない。
正直、当たり前のようになっていることに単に身を任せているだけだ。

晴海と肩を並べ、時間が過ぎ、榊さんが来るのを待つ。
こいつは、なぜ榊さんとお昼を食べたいなどと言い出したんだろう。
俺と二人だけがいい、静かだからそのほうが、などといってはばからなかったやつが。
「孝人、今日のお弁当は鮭の切り身とほうれん草のおひたしと……」
弁当のメニューを逐一報告しながら、包みを解き、弁当の蓋を開けて中身を見せる。
「大学芋に、味のりご飯〜」
その海苔は、蓋につかないようにするために上からラップを乗せられていて、
晴海がそれを取り除くと、水気を吸ってご飯に張り付いた味海苔がお目見えする。
素朴ながら、晴海らしいひとつひとつの工夫の感じられる献立だった。
魚、野菜、イモ類、米、海藻。
イモにもご飯にも黒ごまを振ってあり、ご飯の真ん中には梅干が鎮座している。
数える間もなく、晴海の詰め込んだ気持ち一杯の弁当だった。
「昨日はとんかつだったから、今日はお魚中心でいってみようと思うんだ」
「今日はまたうまそうだな。いただきます」
「はい、どうぞ」
自分の分に、箸をつけようと、手にもつべきそれを探した。
いつもなら、俺の分の弁当箱のあたりにあるはずのそれ。
だが、今日はそれらしいものは見当たらない。
「晴海」
探しながら呼びつけるように名を告げた。
「なになに?」
「箸がないぞ」
晴海の顔を見る。見慣れた端正な表情だ。
「あ……ごめん、忘れてた」
「ごめんじゃないだろ、箸がなかったらどうやって……」
「困ったな、どうしよう」
どうやら本当に失念していたようだ。
何か変な考え事をしていたのか? 晴海らしくもない。
いや、彼女がらしくなくなっているのは、きっと榊さんの関連があったからだと思うのだが。
昨日から、ずっと榊さんのことで晴海が機嫌が悪そうだったから。
まだその榊さんはこない。
晴海のやつ、何をそんなに気を揉んでいるんだ。
晴海は晴海で、榊さんとは関係ないだろうが。
「どうしようっていってもな……」
「私の分だけあってもだめだよね。うーん」
「うーんとかいってもどうにもならないぞ。
あれだ、売店に割り箸あると思うからちょっと言ってくる」
「ちょっと待って……待って、大丈夫だから」
俺が席を立って晴海から離れようとしたとき、晴海に腕を捕まれる。
「何がどう大丈夫なんだ? 何かいい案でも浮かんだか?」
「……私の箸で、食べさせてあげるから」

「はぁ?」
食べさせる、といった。
その単語をちょっとだけ頭の中でぐるぐるぐると回して、すぐにその意味を感づいた。
「間接ディープキスだな」
「っ、ち、違う、かんせつ、キスなのはそうだけど、ディープじゃないよ……」
「あれだろ、口に入れてもらったときに、少し先を舐めるかもしれないし」
「やぁぁ、そんな変なことしないで……」
「恥ずかしいなら別に無理しなくていいんだぞ」
晴海の隣に座りなおす。
今の晴海は、見て分かるほど顔を紅潮させていた。
自分で申し出て自分で自爆しているんだから世話ない。
まったく、こいつはどこからエロネタの材料を持ってくるんだか。
こつこつと肩と肩が触れあい、晴海が自分の分を寄せて、
俺の分を自分の膝に乗せ、箸をその右手に持った。
「む、無理じゃない。無理じゃないから、え、えと、孝人、まず、何から食べたい?」
「何からって言ってもな。晴海本当に大丈夫なのか?」
「は、恥ずかしいより、孝人が困っているほうが辛いから、だから、早く食べたいもの、言ってよ」
晴海を左肩に感じる。
肌が触れ合うことって、今までもけしてないわけじゃなかったが、
改めてこうして触れ合っているのは、どこか緊張してしまう。
それ以上に、晴海が今やろうとしているのは、恋人たち御用達の、「あーんパク」である。
それがどれほど周りの目を引くのかを想像するだけで、この場を立たずにはいられなくなる。
どうあっても、かわせない、逃れられないこの状況。
甘んじて、受け入れるしかないのだろうか。
そう、半ば諦めかけていた俺たちの目の前に。
「孝人さん、お待たせしました」
約束の少女、榊幸奈は、プラスチックのパックを左手に、飲み物のパックを右手に現れた。

彼女が近づいてくる足音すら気づくことができなかった。
箸のことで揉めていた俺たちは、声をかけられてふと彼女の姿を見上げる。
「あ、ああ、榊さん、来てくれてありがとう」
「いえ……来たくて来たんですから、お礼はいりません。それより、お隣よろしいでしょうか」
「ん、いいぞ」
「ええどうぞどうぞ、はい、榊さんはこっちへ」
と、俺が榊さんを招きいれようとしたとたんに、
晴海が俺の隣側のベンチの隙間を無くすかのように無理矢理端へ追いやった。
抵抗するつもりもなくそのまま俺は晴海の意図のままに位置をずらされた。
なんとなく窮屈なのは、この際省こう。
晴海の尻に押しやられている事実が、どこか得をしたように感じるのは、この際考えないでおこう。
「あの……」
「用事があって呼んだのは私なんだから、こっちじゃないと孝人に迷惑かけるよ?」
迷惑をかけるという言葉の意味がいまいちつかめない。
晴海を見れば、どこかあせっているようにも思え、
また、剥き出しの何かどす黒いものを思わせるようだった。
榊さんに対して何もそこまですることないんじゃないか。
晴海はどういった気持ちで俺を見ているか知らないが、
そこまで榊さんに嫌悪を見せることないだろう。
「俺は全然迷惑しないんだが」
「孝人ってば、無理はだめだよ」
「別に無理なんかしてないぞ」
「そんなこと言って。これから榊さんとの話がどうなるかわかる癖に」
「そりゃ大体予想はつくがな。まあ、そこまでいうなら、今俺の座ってるところに榊さん譲る。
俺は二人の前でメシ食えばいいだけだろ」
「……むー」
「席次は決まりましたか?」
晴海とのなんとなく馬鹿馬鹿しいやり取りを、榊さんはずっと静観していた。
表情こそ豊かなものではないのだが、俺たちのやり取りについては
それほど感情を揺らしているようではなかった。
何者にも動じず、晴海のようにあわてもせず。
俺は、席を立ってそこに榊さんを招いて、二人の真正面に腰をおろした。

 

晴海と榊さんが隣り合わせ、俺はその二人を鑑賞する。
晴海は完全さをその身で証明するような、華やかさと穏やかさを両立させていた。
榊さんは、小柄な中に知的な気品に溢れ、それでいて静かな水の流れを思わせた。
「孝人、このお箸使って。私の分は後で……」
「孝人さん、この割り箸どうぞ使ってください。まだ口をつけていないので、
間接キスにはなりませんよ」
「……っ!?」
「あー、それなら榊さんのほうがいいか。
晴海のは、いつも晴海が使ってるから本気で間接ディープキスになりかねない」
と、榊さんの差し出した、まだ割っていない割り箸を受け取る。
みしっ、と、箸がこすれ合うような音が晴海の手の中で鳴ったのを聞こえたが、
とりあえず考えないことに。
「でもこれじゃ、榊さん食えないだろ?」
「いえ、私はお寿司のセットパックなので、素手でも大丈夫です」
「寿司って、うちの学校じゃ学食でも売店でも扱っていなかったような……」
「すぐそこのスーパーに行って買ってきたから、遅くなったんです。
ちょっと出遅れて、パンが売り切れだったので……屋上というお約束なので、
学食を食べるわけにもいきませんし」
もっともらしい理屈である。
「榊さん、いくら近くにスーパーがあるからって、お昼休みに買いに行くのは怒られるよ?」
晴海が隣に、けん制するように視線をやりながら突付いた。
「そうだぞ、それはあまり、認められたものじゃないな」
なんとなく便乗する形ではあるが……だが、俺はすぐその棘を引っ込めないといけない気がした。
「まあそのおかげで箸が手に入ったから、今回だけは大目に見るか。ありがとう榊さん」
「いえ、ケガの功名ですから。校則違反のような真似をしてまで遅れてすみません」
「気にすることないない。とにかく食おうぜ」
目の前に晴海の弁当をお預けされていたのだ。
鳴る空腹を押さえ込むのはもう限界だった。
榊さんの渡してくれた割り箸ではあるが、榊さんのものではない。
そう信じて、俺は晴海の手作りにやっと、ありつくことを許された。
俺が箸を進める間、晴海は何かを押し殺すようなため息をついてから、榊さんに向き直った。
「改めて自己紹介します。私は孝人の幼なじみで、村崎晴海といいます」
「はい、ご存知でしょうけれど、榊幸奈です」
「失礼かと思ったけれど、あなたのことはだいたい見たり、孝人から聞いたりした。
勉強すごくできるっていうお話を伺ったよ」
敬語とそうでないのが混じってるのは、晴海らしいか。
俺としては、晴海が榊さんと仲良くやってくれるのはとても喜ばしいことなんだが、
それを表面上で感じるだけでは、今の晴海の毒々しい雰囲気は語れない。
緊張の裏に、少しずつ晴海の穏やかさが消えていくように思えた。
「かいかぶりです。全国レベルで考えれば私なんか」
全国レベルで考える、という言葉の地点で次元の違う世界にいるような話だった。
俺も晴海も、ここの大学に通うことを決めているから無理に受ける必要はないんだが、
なまらせてはいけないという晴海たっての願いで全国模試を受けに行ったことがある。
マークシート式のそれは俺たちが想像しているよりもはるかに難易度を洗練した問題が揃っており、
俺はもちろん、学年でも上位の成績の晴海ですら、だいぶ打ちのめされてしまった。
「もしかしたら今度教えてもらっちゃうほうになるかも」
「ありえませんよ、上級生に教えるなんて……」
「どうかな、勉強のできるできないは学年じゃないよ」
なんだか、話を仲良く併せられそうな雰囲気になっていた。
少なくとも表面上は、晴海は榊さんに親しげな様相を見せているように見える。
俺としても、なんとなく安心した。
最初は、晴海が彼女を呼んだときは、とてもこのような形で話が始まるとは思えなかったから。
今の二人は、緑の丘を静かに吹き流れる風のようだった。

「まあ榊さんの力がいるときはまた声かけるさ。下級生に負けるのは忍びないが、榊さんじゃな」
「孝人さんまで……」
「む、孝人ー、そういえば聞きたかったんだけど、いつのまにさん付けおーけーしたのかな?」
もっともそれは、嵐の前の静けさだったのかもしれないが。
晴海の表情に、わずかな歪みを感知する。
「別に呼び方くらいどうだっていいだろ?」
「それはそうだけど……」
もちろん、それは言いがかり、という言葉が当てはまるようなことなのではあるのだが。
晴海はすんなりとそれで矛を収めた。
「まあいつもうまい弁当作ってもらってることの感謝で、見逃してやってくれるか?」
「それはなんか論点ずれてるよー? でもまぁ、いっかぁ」
「お二人とも仲いいですね」
ずっと俺たちの間を見ているだけだった榊さんが、割って入るように申し出てきた。
「悪くはないだろ。そりゃ、こいつとは幼稚園のころからずっと一緒だったけどな」
榊さんに答える。
鮭の切り身の塩加減が絶妙すぎるのを感じながら。
「ずっとだったんですか?」
「ああ、幼なじみらしいことはひととおりやってきてるぞ」
「ひととおりって、孝人っ……」
なんとなく晴海が赤くなっているところから、俺はさらにそっち方向に話を進めたくなった。
「一緒に風呂入ったのは一度や二度じゃないぞ。
家の庭でゴムプールするときの生着替えも見せ合ってやってたし、
クラスもずっと同じだったから、小学校低学年のころは身体測定も同じ場所だったよな」
「な、孝人、恥ずかしいことばかりいわないでよぉ……」
晴海が完全にゆでだこになっているのをほうっておくことにする。
その話を聞いた榊さんのリアクションを待つために。
彼女は、さして表情を変えることなく俺のほうに向き直るように、膝の居座りを変えた。
「長い時間にたくさんの思い出があったんですね。うらやましいです」
「そうか?」
「はい。私は……大好きな孝人さんに出会ってから、1週間も過ぎていませんし」
ひとくちひとくち、小さな口で噛み付いて稲荷も巻きも胃に入れながら、
榊さんはじっと俺を見つめて言葉をつむいだ。
その瞳の羨望から、俺はしばらく目を離せない。
「でもきっとこれからは……たぶん、いえ、孝人さんにちゃんとお付き合いしていいと
許しを貰わなければいけませんけれど、でももしそうなったら、村崎さんにはたくさん、
お礼をしなくてはいけませんね」
「お、お礼?」
晴海は、自分の弁当に手をつけるのを忘れてじっとこっちを見ていた。
昼休み終わるのじきだと思うんだが……
「はい。孝人さんを支えてくださった村崎さんに。孝人さんという素敵な人を連れてきてくれた、
村崎さんに」
榊さんの視線が、俺から移って、晴海を見据える。
膝の隙間が開けるように、榊さんは体をよじった。
「それは、どういうふうに受け取るといいんだろう」
「そのままの意味と、思っていてもらえるといいと思います」
じりじりと、二人の視線がぶつかりあっているように思える。
さっきまでの平穏さはどこへやら。
そういう火種を持ち込んで、どうにかしようとしていたのは晴海のほうだからとはいえ……
ちょっとこれは怪訝に思いすぎなんじゃないか?
晴海もそれほど表情に怒りは感じられなかったが、その心の奥に渦巻く灼熱を察せずにはいられない。
「そうね。でも、お礼を言われるようなことはないんじゃないかな。
そういうことになるとは思えないし」
「それはとんだ考え違いですよ。いくらずっとそばにいたからといって、
いえそれがむしろあなたの枷ですよ」
「そうかもしれないね。でも、降って湧いたこにほいほい孝人を任せるわけにはいかないもの。
お料理はできるの?」
「料理……」
「掃除、洗濯、孝人に付き合うなら、ひととおりの家事はこなせないとだめだよ」
「それは、今から勉強してがんばるつもりです。孝人さんはできないからって嫌いになりません」
「ふうん、いろいろ楽しみにしておくね」
お互い冷静に冷静に務めようとしているのはわかるが、
ぶつかり合う視線がどんどん二人の口調に憤りを含ませてきた。
もう、止めようにも止められない。
何か、きっかけはないか。
完成美の晴海。
知性美の榊さん。
この二人が、かちあって争うのは、見ていられなかった。

「二人とも熱くなるのはいいが……お互いに下着の色の答えを出してどうする」
実際は見えてないんだが、いや、榊さんのはその白みがかった布地がわずかに覗いた気がしたが、
気がするだけで自信があるわけじゃない。
それを指摘すると、慌てて二人とも膝を閉じてスカートを抑えた。
「た、孝人、見たの!?」
「晴海のは薄紫か……榊さんは、っと、いわないでおくか」
と、けたたましく俺に突っかかる晴海に対し、
榊さんはうつむいたままぶつぶつと何かをつぶやいているようだった。
「……別に、いっても……い、いえ、なんでもありませんっ」
ただそのひとことだけ、俺の耳に飛び込んできたように思えたが。
その目に妬きついた彼女の白っぽい布地は、そこに包まれているであろう大事な部分のことは、
完全に脳裏に完全に焼き付いていた。
「孝人のばかぁ……なんでいっちゃうの……」
「おい、もしかして」
「……ぅぅぅ、孝人にお嫁に貰ってもらわないと貰い手ないよ……」
「おいおい」
もっとも、そんな榊さんの太ももの内側の事情よりも、
あてずっぽうで言った色が図星になってしまったことを気にしていた。
俺はつついてはいけない藪をつついてしまったことを後悔していた。
晴海のような、できすぎた人を貰うのはやぶさかではないんだが、な。
なんだか、それを思い切れない俺もいた。
榊さんの手前、だからだろうか。
考えをまとめながらも、今の一言で俺はここで二人をなだめたつもりでいた。
もっともそれはあくまで「つもり」であり、逆に、火に油を注いだなどとは。
「それは私も一緒です……見られてしまったんじゃ孝人さん以外に嫁げません……」
「さ、榊さんまで」
「だ、だめっ、それは私、私なんだから」
「いいえ、孝人さんのお側にいるのは私がふさわしいんです」
思いもよらなかった。
雲行きが、一気に怪しくなった。

「お料理ができないで孝人の側にいたって、孝人が苦労するんだよ、だから私が」
「それは思い上がった言い分だと思います。分業すればいいと思うんですが」
「そんなふうにして孝人に倍の苦労させる気?」
「倍じゃありません、平等分配です」
「できることをお互いにするのが分業だと思う。孝人と私、ずっとそうしてきたんだから」
「じゃあ私がお付き合いしたら、孝人さんのために必死で頑張ります」
「それはご大層なこと、でも結局榊さんは家よりお仕事をとっちゃうタイプでしょ?」
「違います、孝人さんに望まれれば、家に入っても……」
「そんなこと孝人は優しいからさせないよ。自分から進んでやれないんじゃ、孝人はあげられない」
「あげるあげないって、孝人さんはあなたの所有物ですか?」
「幼なじみとして、しっかりした人に任せなくちゃって思うのは当然の気持ち。あなたは不合格っ」
「合格か不合格かは孝人さんが決めることです。あなたがどうこういうことではありません」
「いいえ、孝人があなたを選んでも、絶対私は認めないっ」
「そのときはせいぜい悔しがっているといいです。
孝人さんのお側にいられるようになったのは私で、あなたは部外者」
「そうは絶対ならない、だって孝人はあなたのような人は選ばないから」
「決め付けないでください、孝人さんの気持ちも聞かずに」
「いいえ、決め付けじゃない、ずっと見てきたから、ずっとそばにいたからわかるの。
孝人の好きそうなこも、そうじゃなさそうなこも」
「でも、それはあなたの思い込みかもしれませんよ?」
「違う、違う違う違うっ、絶対そんなことない!」

 

じっと聞くと、榊さんの怒りは静かなもので、晴海のほうが取り乱しているようだった。
晴海が感情的になるのを榊さんがいなしにいなして、
揚げ足をとったりして晴海を転ばそうとしていた。
落ち着き払う榊さんに、晴海はだんだん追い込まれていた。
そのうちに、だんだん言葉を失い、ただ意地だけで張り合っている苦しげな晴海を見て。
俺はそっと立ち上がる。
「認めない、絶対あなたに孝人は」
「そういう問題ではなくなっていますよ、孝人さんは……」
「そのくらいでいいだろ、晴海」
「え……」
「……孝人さん……」
晴海の後ろについて、両肩を抱いた。
そっと、今の晴海の押しつぶされそうな心を、その手に乗せて癒してやるような気持ちで。
ずっと、晴海を押しつづけていた榊さんが、俺の行動に凝り固まり、口をつぐんでしまった。
「まだ俺は、はっきりと答えを出してないんだ。そんな中途半端な状態のまま、
理屈を走らせてどうする」
「そんなこといったって……」
「おちつけ晴海。それに榊さんも。まだ榊さんは恋人じゃないんだからな。
俺の恩人をそんなふうに振り回したら、認めたくても認めてやれないぞ?」
「……っ!?」
「おん、じん……」
今かち合っても始まらないじゃないか。
咄嗟のことばかりだが、俺にこの二人を取り持てるだろうか。
俺は、そっと晴海の耳元から、二人に呼びかけた。
「小さい頃からこいつ、なんだかんだで俺の世話焼いてくれてるんだ。
うちの両親ってなんだかんだで出張が多くてさ、こいつの両親や、
こいつにはまるで家族同然に大事にしてもらってたんだ。
そういう恩を忘れて仇で返すようなことをして、榊さんと付き合うつもりはない」
「孝人さん……」
「孝人……」
「でも、榊さんからあの手紙貰って、そろそろ晴海から卒業しなけりゃなと思っていたが……
まだ何も返せてないんだよな。つか、卒業する必要があるのかすらもまだわからない。
だから、二人には、争って欲しくないんだ。それは、俺のわがままか?」
本当に、二人がこのまま争いつづけるようなことがあったら、どっちを選ぶにしろ、
お互いの関係にとって絶対いい結果にはならないと思った。
ほうっておいたら、昼ドラなんか目じゃないような、悲しい結末になったりしないだろうか。
二人が争う理由が、俺であるとはっきり分かる以上、俺は二人の争いを止めなければならないのだ。
「うん……ごめんね、孝人」
「わかりました。孝人さんのお望みですから、従います」
「よし、仲直りは、握手だよな」
そっと、俺は二人の真ん中に陣取る。
彼女らの右手をそっと差し伸べ合わせ、しっかり、握り合わせる。
取り交わす握手を見届けて、俺は二人がこれで変なかち合いを避けると踏み。
「よし、じゃあさっさと残りの飯食うぞ。あと5分だからな」
「もうそんな時間? 食べるよりしまって移動しないといけないよ」
「じゃあ、私はこれで失礼しますね」
「うん、今日はごめんね」
「いえ、こちらこそ……」
予鈴の5分前、ではあるが、半分も終わっていない弁当を前に、
俺はその手に握っていた榊さんの寿司パックの割り箸に、視線を落とした。

デート、明日だったよな。
ふと思い出したことが、新たな火種になることは疑いなく。
そのお昼が終わって俺の頭の中に残っていたのは、榊さんの内股の中身のことがほとんどだった。

2006/08/01 To be continued....

 

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