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ぶらっでぃ☆まりぃ



7 『彼の理由、彼女の起点(前編)』

「どうぞ、たんとお召し上がりください」
  シャロンちゃんが料理を盛大に盛った皿を俺の前に置いた。

「え…と、あはは……ありがとう…」
  常識を上回るその物量にどう返答すれば良いのか困ってしまい、
とりあえず苦笑しながら謝辞だけ告げる。

「おいおい!シャロンちゃん!またウィルだけエコ贔屓かよ!
  その量は幾らなんでも差がありすぎだろ?」
  同僚の非難の声――いや、冷やかしとしての意味合いの方が強いか――には目もくれず、
他の皆とは明らかの量の違う皿を俺の前に置いて去って行った。

……食べられるかな、こんな量。
  大量に盛られた料理に、少しだけ胃が軋んだ。

 

 新米の騎士だけを集めた訓練部隊。ここに配属されてどれくらい過ぎただろう。
とかく毎日が訓練、訓練の日々で皆の疲労もたまり気味だ。
  食事の時間は数少ない心休まる時間。このときだけは皆の表情も柔らかだ。
貴重な憩いの時間をそれぞれ楽しんでいる。
もっとも俺にとって訓練が厳しいのは寧ろ有難いくらいで、自分の技が日に日に磨かれているのが
つぶさに感じ取れた。
一人でも多く隣国の奴らを殺せるのならこれくらいの苦労、なんでもない。
  ただ、ひとつ欲を言えば現在戦況は睨み合いを続けている状態で、
戦闘が殆ど起こっていないのは少し心配だ。
もちろん、戦いがないのは犠牲者が出ないということなのでそれ自体はいいことなのだが。
ただ……このまま奴らとの戦争がうやむやになって休戦する、なんてのはご免こうむりたいのだ。
あの虐殺事件の責を不問にして和解などしようものなら、この国の王も殺してやる。
それくらいの腹積もりだ。
  ……と。このところ、どうも思考が暗い方向に行きがちだ。自重しないと。

 

「そういや、そろそろだな」
山盛りの料理と格闘していると、不意に隣の同僚が話しを切り出した。
さっき俺たちを冷やかしていた騎士―――エリオット=ジュダスだ。

「あーっと……いつ発表だったっけ?」

……なんの話かと思えば。
そうか。もうすぐ俺たちも正式にそれぞれの部隊に配属される。
その配属先を、近々ラモラック部隊長が発表することになっていた。
きっとその事を言っているんだろう。

 

「確か……この週末だった、かな?」

「あぁ、そうか。そういえば隊長がそんなこと言ってたっけか。
にしても配属先はどこになるんだろうな……。ウィル、お前はどこ志望よ?」

「んー、別に何処だっていいよ。前線に出してもらえるなら」

「……。お前、夢もなんもないのな…」
  呆れが混じった声を上げるその同僚。
実際、何処だっていい。俺が騎士になろうと決めたのも、傭兵をやってるよりは
重要な配置で戦えると思ったからだ。
俺は騎士の名誉も、団員に支給される安定した給与も興味ない。大切なのはどれだけ苛烈な戦場で
戦えるか……その一点のみだ。
敵兵を一人でも多く殺せる場所なら何処だって構わない。

「うるさいな〜。じゃあ、何処がいいんだよ?」
  あまりそのあたりを深く突っ込まれたくなかったので、今度はこちらから話を振った。
「んなの決まってるだろ。あの戦姫が隊長やってる、第零遊撃隊よ!」
  ビシッと俺を指差しながらはっきり告げた。……ってかなんで自慢げなんだ。
「少数精鋭、一般兵が所属できない騎士のみの部隊で、数々の伝説を打ち立てた国内最強の集団!
それに騎士なら一度は戦姫と一緒に戦ってみたいだろ!」
  高らかに宣言しているエリオットに苦笑しながら。
「まぁ、確かに戦姫が本当に噂どおりの強さか見てみたい気はするけど」
  俺はスプーンから今日のメニューであるオートミールを口に含み、よく味わった。

「そうだろ〜、そうだろ〜。やっぱ騎士なら一度は会ってみたいよな。そして騎士以前に
男なら戦姫が美人なのかどうかも知りたい。
嗚呼…、美人なら是非顎でこき使われたいもんだ……」
  人が夕飯を楽しんでる横で、何やら良からぬ妄想を始めた。
……戦姫が噂どおりの人間なら美人なわけないだろ。砦の門を素手で開けるとか言われてるんだぞ?
それが真実なら戦姫は大女に決まってる。目の前のこの夕食を賭けたっていい。
  同僚の夢を壊したくはなかったので、その言葉を口にするような無粋なマネはしなかったけど。

「あ、テメ、信用してねーな!言っとくけどな、俺の知り合いが戦姫を見たって聞いたんだぞ!
すっげ可愛いって言ってたんだからな!本当だぞ!マジで!」
  口に出さなくとも顔には出ていたらしい。
俺が呆れているのに気付いたエリオットは、戦姫が幼顔で綺麗な銀髪の少女だと説いて聞かせた。
『知り合いが戦姫を見たって聞いた』――つまりは知り合いが聞いたことを更にまた聞きした話
なのだろう。イマイチ信用ならない。
とりあえず確実なのは、こんな身近なところにも戦姫を崇拝している者がいたということだけだ。

「わかった、わかったから……」
  捲くし立てる同僚を落ち着けようと彼の皿に少しだけ料理を移してやる。

 

 アリマテア王国騎士団第零遊撃部隊の隊長、マリィ=トレイクネル。
戦争が始まってすぐ、噂になった女性騎士だ。勇猛果敢な戦い振り、敵を全く寄せ付けないその強さは
国内でも有名だ。
傭兵だった頃も何度か噂を聞いたが、騎士になって城内を歩いていると
彼女の話をよく耳にする機会が増えた。
  だが、第零遊撃部隊は戦場をあちこち転々としているので、実際に戦姫の姿を見た者は少ない。
一月前のフォルン平野の戦いに戦姫が参加していたらしいのだが、俺が彼女に出会うことはなかった。
後で噂を聞くと、相変わらずその戦いでも笑ってしまうくらいの活躍ぶりを見せていたそうだが。
  なんでも彼女の太刀を受け止めることができた者は只の一人もいないらしい。
いくらなんでもそれは眉唾だと思うが……逆に言えばそんな噂が出るくらい
強いということなんだろう。
もし会う機会があったなら、どうすればそこまで強くなれるのか是非訊いてみたいものだ。

 そういえば。戦姫の血筋であるトレイクネル家はトリスタン家と双璧を成す騎士の名家だったな。
もしかしてマリカなら戦姫に会ったことがあるんじゃないか?

「なぁ、マリカ」
  向かいに座っていたマリカに声を掛けた。

「……なんだ?」
……うひっ。なぜかすごい形相で睨まれた。
理由は不明だが今日はすこぶる機嫌が悪いらしい。
出しかけた質問を引っ込めようか迷ったが、このまま何も言わなかったとしても
マリカは更にヘソを曲げるだろう。
一瞬の逡巡ののち、結局マリカに尋ねることにした。

「い、いや。戦姫ってトレイクネル家の出身だろ?マリカなら会ったことあるんじゃないか?」

「知らん」
  にべもない。たった三文字の返事で彼女との会話は終了した。
本当に機嫌が悪いらしい。なんでだろう?
どうにか機嫌を直してもらえないかと頭を捻った挙句。

「マ、マリカはどうなんだ?配属先にどこか志望なんてある?」

 話題を変えるのが精一杯だった。
だが、思ったよりその効果は覿面だったようで。
彼女の表情から不機嫌さが消え、こちらを見つめている。

「わたしに志望先など、ない」
  俺の質問が何かマズかったのか。
スプーンを持っていた手の動きが止まり、今度は自嘲ぎみに笑った。
「わたしの意志がどうだろうと配属先はとうに決まっている。……第一近衛部隊だ」

「凄いじゃないか、近衛隊ってエリート中のエリートがいくところだろ?」
  やはりどの国でも一番の花形と言えば近衛隊だ。
第零遊撃隊も精鋭と言えば精鋭だが、身分や所属騎士の性格、諸々の問題を無視した
強さだけに特化した急造の部隊。
一方で近衛部隊は騎士としての忠義心や気高さも必要だと言われている。
俺では背伸びしても届かないような部隊だ。

 

「近衛隊か…。なんというか、マリカらしいな」
  騎士としての気品や誇りを、この中の誰よりも持っているのはマリカだ。
彼女にはまさに打って付けの配属先だと思う。
そのつもりで言ったのだが。
当のマリカにはそう聞こえなかったらしい。

「馬鹿にしているのかッ!」

 ビィィンと食堂に響くマリカの恫喝。
ついさっきまでざわめいていた空気が、シンと静まり返る。食事をしていた他の騎士たちも
何事かと俺たちに注目していた。
俺の方はと言うとマリカのいつもの癇癪とは違う怒りに満ちた表情を、
ぽかんと馬鹿面を下げて見つめているだけだった。

「あ、いや。……その、申し訳ない。
今日はどうも調子が悪いようだ。すまないがこれで失礼する」

 いきなり怒鳴り散らしたことでバツが悪くなったのか、俺に頭を下げると早足で食堂を出て行った。
マリカを見つめていた騎士たちも彼女が去ると雑談を再開し、再び食堂内が喧騒に包まれる。

「うへぇ。いつになく機嫌悪いな、トリスタンのやつ。
……ま、あんまり気にすんなよ、ウィル」
  茶化す他の同僚の言葉を聞き流しながら、俺はマリカが消えた方向をじっと眺めていた。
今日のマリカは本当に様子がおかしい。確かに彼女がカリカリしてるのはいつものことだが、
さっきのあれは違う。
たとえどれだけ怒っていても口調の端々にいつも感じられる余裕――――今回はそれが無かった。

………気になるな。

「ごめん。ちょっと俺も」
  エリオットにそう断ってから、俺も食堂を後にした。

「…っておい!ウィル!待…!
―――――この三人分の食器、オレが片付けるのか…!?」

 

 

 

 

 

 城の中庭。城中の捜せるところを探し回り、やっとそこでマリカを見つけることができた。
無心で剣を振り続ける彼女に、俺は声を掛けながら近づく。

「マリカ、ここにいたのか」

「…ケノビラック」

 横目でチラリと俺の姿を確認する。やっぱり…お世辞にも機嫌がいい顔とは言えない。
食事を終えてからそう時間は経っていないはずなのに、彼女の額はびっしょりと汗ばんでいた。

 

「わたしに何か用か。悪いが見ての通り訓練中でな…。大した用でないなら後にしてくれ」
ドス、と土に剣を突き立て額を拭う。

「…だったら俺も付き合うよ。二人でやる方が効率的だろ?」
「いや、わたしは――――」
  彼女がどう返答するかは解っていた。だから。
マリカが言い終わるよりも早く、俺は腰にぶら下げている一対の剣を抜いた。

 

 

――――………

 

 

「くっ……わたしの、負けだ…」
  首筋に添えられた太刀を忌々しげに睨んで、マリカは剣を収めた。
それに倣い、俺も剣を手放す。

―――――明らかにおかしい。
  さっきの手合い…マリカとは思えないくらいお粗末な剣捌きだった。

「いくら子供の頃から訓練を積み重ねていようと……所詮わたしも温室育ちのお嬢様か」

 諦めに似た笑みを浮かべ、己を嘲る。全く以ってマリカらしくない。
前に手合わせしたときもそうだったが、今日はそれにも増して剣のキレが鈍っていた。
民間人に剣を握らせた方がまだマシな動きをすると思えるほどに。

「単に調子悪いだけだろ。いつものマリカならもっと善戦してたはずだよ」

 と、口ではそう言いながら、実のところ俺でも解っていた。
本当にただ調子が悪いだけならここまで酷くはならない。
あの緩慢とした動きはそれだけマリカの精神が草臥れている証拠だ。

「いや…解っている、ケノビラック。これがわたしの限界なのだ」

 マリカの口から出た言葉とは思えない、卑屈な返答だった。

「何言って――――」
「慰めの言葉など聞きたくないッ!」

 マリカの激昂。毎日のように聞いてきたが、今日ほど覇気のないものは今まで耳にした事がない。
情緒不安定な今の精神状態と、さっきのお粗末な動き。マリカが何か隠しているのは明白だ。

「いったいどうしたんだよ…マリカ」

「……」
  俺の問いから逃れるように俯くマリカ。
いずれは答えてくれるのを信じて我慢強く待っていると、
彼女はやがて根負けしたように重い口を開いた。

「……わたしが近衛隊に配属されるとさっき言ったな」
「う、うん。それは、聞いたけど…」

 

 マリカとは一月ほどの付き合いとはいえ、今の彼女の姿を見たのは初めてだ。
こうも打ちひしがれた表情を目にするとこちらも戸惑いを隠せない。
彼女は決して自信家というわけではないが、自分を卑下するようなことは
絶対に口にしない性分のはずだ。
少なくとも――――俺たち同期の騎士の中で最も騎士たる者は何なのかを心得ている。
その彼女が「限界だ」などと……。

「お前は近衛隊がエリート集団などと言ったが、それは間違いだ」

 鞘から華美な真剣―――確かトリスタン家の宝剣、だったか―――を引き抜き、刀身を晒す。
そこに映りこむマリカの瞳は酷く疲れているように見えた。

「…間違い?」
「いや、半分は確かにその通りだ。現騎士団長も近衛部隊長を兼任しているし、
隊の中にも優秀な騎士が数多く所属している。
――だがな、ケノビラック」

 俺の名を呼ぶと、マリカは地面に深々と剣を突き立てた。

「優秀さを買われて配属される騎士たちとは別に、ある理由でたいして"優秀でない"連中が
入隊することがある」
「…………?」
「高貴な家柄の跡取りを戦争で失わないように、防戦以外戦場に繰り出されることのない
近衛隊に閉じ込めておく……。
そんなフザけた理由で配属先が決められる者がいるのだ」

 きゅっ、と唇を結んで俯いた。
その直前、チラリと見えた彼女の目尻に、涙が浮かんで見えたのは俺の錯覚だろうか。

「…じゃあ、まさか……マリカが近衛隊に配属されるのって…」
「察しの通りだ。どうやら父上は意地でもわたしを戦争に行かせたくないらしい」

 その場にしゃがみこんで、マリカはゆっくり身の上話を始めた。

「わたしの父、グレイ=トリスタンは根っからの文官でな。騎士の名家と言われてはいるが、
ここ何代かは政治的分野の椅子に席を置くことが多い。父も例に漏れず、その中のひとりだ」

「そういえば前に聞いたことがあるな…。トレイクネル家は軍務、
トリスタン家は外交に重きを置いてるって」
「……そうだ。
そのせいか、昔から父はわたしが騎士になることを反対していてな。
幼い頃から鍛錬を積むことを許していたのも、所詮子供のママゴト程度で
本気にしていなかったらしい」

 突き立てた剣を眺めながら、自らの膝を抱える。
それはマリカにしては珍しい、やもすれば迷子の少女と見間違えるほどに淋しげな姿だった。

「だがな、この戦争が始まったせいで父が焦り出したのだ。
どうせ飽きると思っていた娘がいつまでもママゴトに熱中し、
おまけに戦争に駆り出されようとしている。
父としては何としても娘を妨害したいだろう?」

「……それなのによく十五で騎士になれたね」
  基本的にアリマテア王国騎士団の正式な入団は十八歳からだ。
俺のように有力者の目に止まってスカウトされたり、または特殊な経緯で入団した戦姫みたいな
特定の例外を除けば、基本的に満十八を以って入団する。
  マリカが若くして騎士になっているのも、父の力が影響しているのだとばかり思っていたが……。

「父への反発かな。今ここにいるのは。
ケノビラック。……出来ればこの話は内密にして欲しいことなのだが―――」

 そう俺に前置きしてから、マリカは話を続けた。

「此度の戦争、どうも父が大して外交努力をしてなかったように見受けられるのだ」
「外交努力……って。無理だろ、あれじゃあ。
不意打ちで始まった戦争じゃないか。どうしようもないよ」
  そう言いながら、俺もマリカの隣に座った。
今までは話題に上ることもなかった話に少しだけ俺の心がざわつく。

「……だがフォルン村の事件の後、即戦争になっただろう?隣国と何の交渉すらもせず、
それどころか、あの虐殺事件の大した調査もなしに宣戦布告したのだ。
……それ以外にも軽率な行動の数々。
それがどうにもわたしには"父は戦争を待ち望んでいた"と思えてならない。
……開戦当時のわが国の状況を知っているか?作物の不作で国力が低下していたのだぞ?
そんなときに戦争などすればどうなるか―――。
今でこそ帝国からの物資援助のおかげで何とかなりそうだが、
本来なら戦争どころではなかったはずだ」

「………」
  ……なんだ。
酷く。酷く喉が渇く。

「で……でも…まぁ、あんな事件があれば、国民感情としては戦争になっても仕方ない、
んじゃないかな…」

 乾く喉の痛みを堪え、何とか声を絞り出す。
嗚呼。…何故。なぜ今、脳裡にキャスの顔が浮かんだんだろう。

「そうだな。確かにわたしも個人的な感情を言えば許せん。だが、理性的に考えれば
戦争をするべきではなかった。
不作で食糧がないあの状況の中戦争などすれば、民は飢えと殺戮で苦しめられることに
なっていたはずだ。
父はすべきことを怠った。わたしはそう思っている。
その父に対する嫌がらせみたいなものかな、わたしがこの時期に騎士団に入団したのは。
あ、もちろん立派な騎士になるという志は本物だぞ。この戦争がなくても何れは
入団するつもりだったから―――」

 慌てて何か釈明しているマリカの声が耳に届かない。
気付けば喉の渇きだけでなく、胸ヤケまで催していた。

「じゃ、じゃあ…マリカは。
この戦争はすべきではなかったと。事件のことは堪えて、隣国と和平して、
戦争は避けるべきだったと。そう思っているんだな?」

 声が震える。身体が異様なほど熱い。

―――何を考えている、ウィリアム。
今はマリカの相談に乗るつもりで話をしているんだろ。その質問は既に論点から大きく外れている。
お前がこれから言おうとしている"それ"はマリカには言わなくていいことだ。
彼女には何の関係もない。

「うん?まあ……平たく言えばな。たとえ陰惨な事件があろうと、
それだけのために全国民を危険に晒すわけにはいかない。
それが国民感情に反する結果になったとしても、だ」

 

 マリカの言うとおりだ。
帝国の援助がなければ、いまごろ戦争は泥沼化して犠牲者の数が今の比ではなかったろう。
フォルン村だけじゃない。もっと沢山の村や町が、あの日と同じ運命を辿ったかも知れないのだ。
それを考えれば戦争は避けるべきだった。個人的な感情をドブに捨ててでも。
勝手に怒り狂って剣を振り回す俺なんかより、よっぽど先を見据えた考えだ。

――――じゃあ。それじゃあなぜ。
  さっきから頭に五月蝿いほど鳴り響いてるキャスの声はなんだ?
その彼女を玩具のように犯した挙句、面倒臭そうに殺したあの男の嗤い声は、なんだ。

「たとえ事件を水に流すような結果になろうとも、戦争だけは避け―――」

「……る、な…」

 よせ。

「――――ケノビラック?」

 今ならマリカは何も気付いてない。
引き返すなら、今だ。彼女はあくまで政治的な立ち位置でああ言っているだけだ。
お前が今抱えているその感情とは、また別の話だろう。

「……けるな…」

 やめろ。
マリカにそれをぶつけても、何の意味もない。
彼女は仇でもなければ、敵兵でもない。相手を間違えるな。

「あれだけのことを、しておいて………和平、だと……?」

 だけど、止まらない。
喉の渇きも。込み上げる嘔吐感も。キャスが泣き叫ぶ声も。
気が、狂い、そうだ。

「おい、ケノビラック……。お前顔色が――――」
  マリカが俺の肩に触れようと手を伸ばす。……そこまでが俺の限界だった。

「ふざけるなよッ!!」
「ぐっ…!?」

 ガンッ!!

 彼女の鎧の胸元を乱暴に引っ掴み、その場に押し倒す。
そのときには既に、制御できない怒りのせいで理性が完全に溶解していた。

「あれだけ殺しまくって、あれだけ犯しまくってッ!!それを許せ、だとッ…!!」

 彼女の上に馬乗りになって問い詰める。……答えなど返ってくるはずがないのに。
暫く戦いがなかったせいで知らず知らずのうちに溜まった黒い感情が許容量を超えたのか。
一度吐き出した塊を元に戻しようもなく、俺は勢いに任せて恨み言を垂れ流し続けた。

 

「ケノビラックッ…?」
「不作でも何とかみんなで頑張ってこれたんだ!今年も乗り越えられそうだね、
って皆安心してたところだったんだ!!
それをッ…!それをたった一晩であんなにしやがって…!!」

 あの日フォルン村を染めた赤、紅、朱。
時間と共に色褪せるはずの思い出は、その色だけが今も鮮明に脳裡にこびりついている。

「"あれ"を許せ!?
助けを乞う老人の首を刎ね飛ばして、子供を抱いた母親をまとめて串刺しにして、
泣き叫ぶ少女を無理矢理犯して――――
それを、水に流せって言うのかッ!?」

 彼女の鎧を掴んでいる腕の筋肉が、小刻みに痙攣する。

「みんなの前で言ってみろ!!『あれは水に流すしかない』ってキャスたちの墓前で言ってみろよ!!
マリカッ!!」

 ささくれ立った殺意が膨れ上がる。目の前が滲む。血が上りきった脳は沸騰して
機能を果たしていない。
師匠の言うとおりだ。"こんなもの"持っていたって良いことなんか何もない。
あれほど自戒しろと何度もきつく窘められたのに。結局マリカを傷つけてしまった。

…嗚呼。それでも。
  それでも止められない。俺にはこれしかないから。
キャスを失って。村のみんなを失って。帰る場所もなくなって。
今これを捨てたら、俺はきっと生きていけない。

「なかったことになんて………できる、もんか……。許せるわけ……ないだろ」

 爆発した感情は時間が経つにつれて冷却されていく。
同時に湧き上がる、「やってしまった」という後悔。

「ウィル…?お前、泣いているのか…?」

 全然マリカは関係ないのに。感情を剥き出しにしてマリカに乱暴したのに。
――――彼女はまだ、俺を心配してくれていた。

8 彼の理由、彼女の起点(後編)

「マリカ=トリスタン、貴殿を○月×日付で第一近衛部隊への転属を命ずる。
…マリカお嬢様、おめでとうございます」

 訓練部隊長のラモラック卿にそう激励されてから、わたしは後ろに下がった。

 今日は部隊全員の転属先が知らされる。
結局わたしは近衛部隊の配属が決まった。いや、幽閉先と言うべきか。
近衛隊にいれば、恐らく戦場での経験はできないだろう。王都まで敵が攻めてこない限り。
アリマテア王国騎士としてそんなことを望むことなど許されぬし、
現在の戦況を考えれば先ずそんなことはあり得ない。
  なんだか、酷く疲れた。こんな状態で戦場に送られても他の騎士たちに迷惑をかけるだけだ。
これで、良かったのかも知れない。
だが。
  欲を言えばあいつと共に戦いたかった。あいつの隣で戦いたかった。
あいつと同じものを見、同じ経験をして。あいつと同じ――――

「ふっ…」

 なんと未練がましい。わたしは何ひとつ彼のことを分かっていなかったというのに。
何十と剣を交えても、何時間と彼と過ごしても。
あいつの心の奥にあるものに全く気付いていなかったのに。
これから先一緒にいても同じだ。わたしに彼の何が分かる。

「…………」

 ちらりとウィリアム=ケノビラックを盗み見る。
思い返せば、彼は最初に出会ったころから他の連中とは何処か違っていた。
いや、わたしとは……というべきか。
  入団した者の中には親族や大切な友人を戦争で亡くし、
それがきっかけで騎士を目指す平民はいくらでもいる。
たとえそれが隣国への憎しみ、または早く戦争を終わらせたいという前向きな思い如何に関わらず。
  あいつが他の連中と違っていたとすれば、その辺りの事情を全く匂わせていなかったことだ。
彼と同じ境遇の者であれば気付いたのかもしれない。
あいつの訓練への没頭の仕方は尋常ではなかったから。
  だが、わたしは気付かなかった。
理由は簡単だ。わたしが、ぬくぬくと温室で育てられたお嬢様だからだ。
彼がここに至るまで、何を見、誰と出会い、どんな経験をしてきたかなど想像だにできない。
わたしには食べる物に苦労した覚えも、大切な者を亡くした経験もないのだ。

 だけど。それでもわたしは。

 

「おおおぉ!?マジかよ!おい、ウィル!お前いったい何したんだよ!?」
「―――?」

 突然、隣から騎士たちのざわめく声が聞こえた。
気が付けばもう全員分の配属先はすでに知らされたらしく、隊長の姿はもう何処にもなかった。
代わりにケノビラックが他の騎士たちに囲まれ、揉みくちゃにされている。
そういえば…ウィルの配属先、聞いてなかったな…。

「ウィル……」
  結局わたしは、彼に近づくのが怖くて離れたところから彼らの話し声に耳を傾けていた。

「教えろよ、騎士団長様に認められたり、知らない間に戦姫の目に止まったり……。
  本当、お前何モンだ?」

「痛い、痛いって。……別に何もしてないよ。だいたい俺、戦姫に会ったことすらないのに」

「馬ッ鹿。前代未聞だぞ、最初の正式配属先がいきなり第零遊撃隊なんてよ。
おまけに戦姫直々の申し出だって言うじゃねーか。フツーじゃないって、これ」

――――な、に…?

 世界が暗転する。
「また、あの女か――」と、脳裡に嫌味なほど穏やかに笑うあいつの顔が浮かんだ。
幼いころから、出会う以前から、物心つくよりも前から。
常に比べられてきた、あの女。

――第零ゆうげき…?いくさ、ひめ…?マリィ=トレイクネルが彼を指名した?
なんで。どうして。
  何故いきなりあの女が出てくるんだ。
ウィルは、あの女と共に戦うのか…?あの、女の……と、と、隣で…。
どう、して……?

「あ……え、あ………」

 彼に聞きたい。何故そんなことになったのか。どうしてあの女と一緒に戦うことになったのか。
聞いて確かめたい。わたしが一緒に戦ってはダメなのか。あんなことを言ったわたしでは駄目なのか。

 だけど伸ばした手はウィルにはとても届かず、ただ空を掻く。
いつもはあんなに近くに感じていた彼が、今はとてつもなく遠い。
同じ部屋にいるはずの彼と、眩暈がしそうなほどの距離を感じる。

なんと無様。これが今期最高のホープと言われたマリカ=トリスタンの実態だ。
これでは……好きな者に告白すらできない町の小娘と大して変わらないではないか。

(はっ…)

 なんだ、その表現は。
彼の背中が滲みそうになるのを堪え、わたしは大袈裟に鼻を鳴らした。

「…どうしたよ、トリスタン。お前らしくない」
「ッ…!?」
  息が切れそうになったとき、背後から聞こえた声にわたしは身を強張らせた。

「何迷ってんだよ。ウィルに訊きたいことがあるなら、とっとと行って訊いてくればいいじゃねえか」
  わたしに軽くため息を吐いて首を竦める、同じ訓練部隊の騎士――――エリオット=ジュダス。
やや軟派なところもあるが、今期、ケノビラック以外で唯一実戦経験のある同僚の一人だ。

「………余計な、お世話だ…」
  彷徨わせていた手を引っ込め、そっぽを向く。
わたしの迷いを見透かされてる気がして、誰かに当たり散らしたい気分だ。
「……どうも、最近のお前ら変だと思ってたけど……喧嘩でもしたのか?」
  わたしとケノビラックを見比べ、探るような視線を向けてくる。
……やめろ。わたしを見るな。頼むからわたしの心を覗かさないでくれ。

「べっ、別になんでもない。ただ、此処のところウィルに相手をさせすぎたからな……。
  少し、自粛しているだけだ」
  なんとか作り笑いを浮かべてそう言った。うまく笑えていないのが自分でもよく分かった。
無論、そんな顔をしながら慌てて紡いだ言葉では、ジュダスを騙すことなど到底できず。
「……嘘だね」
  たったその一言で、急ごしらえした心の壁は瓦解した。
「なっ…!?」
「あのなァ……お前分かり易すぎ。もうちょっと粘れよ」
  驚きの声を上げたわたしに呆れるようにかぶりを振るジュダス。
しまった、と思ったが勿論そのときにはどうしようもなく。
「…ッ」
  わたしはただ明後日の方向を向いて黙っていることしかできなかった。

「どちらにしても……お前には関係ないことだろう。……放っておいてくれ」
「ほっとけ…って言われてもな」
  頭をボリボリ掻きながら、言いよどむ。
いつもはあまり首を突っ込んでこないくせに―――今日はヤケに絡むな。
「お節介は勘弁してくれ」と言いたかったが、
余計なことまで口にするのが怖くてわたしは黙っていた。

「おまえがあいつのことを"ウィル"って呼んでるときは大抵何かあるときなんだよな。
  普段はファースト・ネームで呼ぶことも呼ばせることも嫌っているくせに」
  わたしに構わず話を続けるジュダス。
彼の視線は、仲間たちに揉みくちゃにされているケノビラックに注がれていた。

「う、うるさい」

「何があったのか知んねーけどさ。関係を修復したいんならとっとと済ませといた方がいいぞ」
「…言われなくとも解っている。わたしたちがこうやっていられるのも今週いっぱいだからな」

 この訓練部隊も、後数日もすれば解散だ。
わたしは近衛隊の配属だから王都を離れることはないが、
殆どの騎士たちは各地の駐屯地へ赴かなければならない。
恐らくウィルも配属先―――先ほどの話からしてマリィ=トレイクネルの部隊だろう―――
に飛ばされ、そう簡単には会えなくなるだろう。
この数日のうちに問題を解決しなければ、ギクシャクした関係のまま別れてしまうことになる。
だから、そうなる前に話をしておけ。ジュダスはそういう意味で言ったのだと思ったが。

 

「そうじゃない」
  彼はゆっくりかぶりを振った。
「そういう意味じゃねぇって。
……いいか、トリスタン。今は多少落ち着いてるとはいえ、この国は間違いなく戦争中だ。
なのに此処にいる連中は―――オレも、お前も、ウィルも……全員な。
オレたちはこんなクソ最悪な時期にわざわざ人殺しでオマンマ食っていこうっていう、
ド変態共の集まりなんだ」

「ド変―――って…。そういう言い方はないだろう。
戦時中でも…いやだからこそ騎士になりたい…そう思うに足る理由を持っているから、
みんな此処にいるのではないか」
  ジュダスに倣ってわたしも他の騎士たちを見回す。
皆、何かを成し遂げようと此処にいるのだ。
騎士になって貧しい家族を養いたいという者。わたしと同じく『騎士』に憧れ、その道へ進む者。
国を助けたいという純真な愛国心で騎士になった者。そして……。
そして。隣国に殺された同胞の仇を討つため、戦場に身を晒そうとする者。

「ま、事情はそれぞれあるんだろうさ。でも、自分から進んで戦場に出ようってことには違いない。
そういう連中がいつまで生きられると思う?一月後にはここの全員が死んでたっておかしくないんだ。
オレたちにはどんなときでも、明日の朝日を拝めるって保障はどこにもない。
俺たちの解散が近いからとか、そういうのに関係なく……俺たちはいつ"最後"が来るか分かんねぇ。
だからさ……心残りは早いうちに解消しとくべきだ。
でないと気付いたときには一生それが叶わなくなってるかも知れない」

 ジュダスは遠くを眺めるように言った。
視線の先にいる仲間たちはそんな離れた場所には居ないというのに。
彼とて何度も戦場で剣を振るった身だ。きっとそう考えるに至る経験をしたのだろう。
  そういう者の意見はよく聞いておくべきだと言っていたのは何処の誰だったか。
よく覚えていないが、わたしもその考えには賛成だ。
………だけど。

「だが、わたしは……」

 白状すれば、ウィルに話しかけるのが怖い。
あのときのあいつの激昂ぶりから考えれば、わたしは間違いなく触れてはならない部分に
触れてしまったのだろう。
だけど、それでもわたしの答えは今も変わらぬし、発言の内容そのものは間違っていたとは思わない。
……が。
  それ故に思うのだ。
わたしはもしかすると彼とは相容れぬ立場にいる人間なのではないか。
彼の隣に立ち、共に戦うなど一生無理なのではないか。
そもそも、彼はあんなことを言ったわたしに失望してるに決まっている。

 思いつく限りのネガティヴな感情が脳裡を過ぎり、一歩を踏み出せない。
怖いのだ。烈火の如く叱責した彼にではない。
己が抱いている願いは一生通じることがないのか否かを知るのが、わたしは怖い。

 

「はァ……何をそんなに迷ってるのかしらないけどよ。
多分無駄な心配だぞ、それ。オレに言わせればウィルが今のところ一番信用してるのは
お前だと思うんだけど」
  呆れたように嘆息するジュディスを、わたしは鼻で笑った。
「はっ…。何を根拠に」
「だってよ。ファースト・ネームで呼ばれるとお前無茶苦茶怒るのにさ。
それでもまだ懲りずにお前のことずっと『マリカ』って呼んでるの、ウィルだけ―――おっ」
  途中で何かに気が付いたらしく、話を中断した。

「オレがわざわざお節介しなくても、向こうから動き出したみたいだな」
「……?向こう…って――」

 …なんだ。そう尋ねる前に。

「えーと、マリカ。ちょっといいかな…?」

 背中から声。わたしはその声につられるように振り返った。

「……あ、え?」
「その…さ。話があるんだけど、今いい?」

 少し躊躇しながら頬を掻くウィル。
その顔をぼけっと見ていたわたしは、彼に返答できずにうろたえていた。

「ああ。こっちの話はもう終わったから。んじゃオレはこれで」

 ジュダスが最後にわたしの背中をポンと叩いてその場を離れていく。
一人にするな―――とヤツに言いたかったが、ウィルの手前、口を開くことはできず。
ジュダスの背中とウィルの足元の間を、何度も視線を行き来させるだけだった。

いったい、何と切り出せば良いのだろう……僅かに残る理性で考えを巡らせていたのだが。

「その…ごめん!」

 考えが未だまとまらないわたしに向かって、ウィルはいきなり頭を下げた。
開口一番にそんなことをされれば、わたしは益々混乱するばかりだというのに。

「えっ、あぅ…い、いきなり…えと」

 そんな状態で言葉を紡いでも結局吐き出されたのは意味を成さない単語と呻き声だけで。
ウィルがこうべを垂れているのをただ眺めていることしかできなかった。

「いきなり掴み掛かるなんて大人げなかったよ、本当にごめん……。
その、マリカは何も知らなかったのに…あんな酷いこと言って。
ほんと勝手だけど……できれば許して欲しいんだ」

「いや、わ…わたしは、別に………あ」
  ウィルにどう答えるべきか解らず瞳を彷徨わせていると、
向こうの一角で不自然にたむろしている同僚たちが目に付いた。
……誰一人としてこちらを見ず、異常なほどの違和感を漂わせながらそれぞれ談笑している。
そのくせ実際は、話をしているというのに揃いも揃って無表情で、
全ての神経を聴覚に集中させているのは明らかだった。
多分みんな気を遣って聞こえてないフリをしてくれているのだろうが、
どうせならもう少し解らないようにやって欲しい。
こちらの会話に耳を欹ててるのがバレバレだ。

「ウ、ウィル。先ずは場所を変えよう。此処だと少し……」
「え?あ、うん……」
  ウィルはまだ気付いていないようだったが。
わたしは気恥ずかしさのあまり、彼を連れ立ってスタスタとその場を後にした。

 

 

 

「えと……マリカ?」
  わたしの意図が解らずに人気のない場所に連れて来られたせいか、やや不安そうにこちらを窺う。
「………」
  よし。此処ならば問題なさそうだ。
まわりを確認しながら、わたしは軽く頷いた。

「…ウィル」
  場所を移したことで少し考える暇ができたからだろう。
さっきに比べれば少しだけ気持ちを整理することができていた。

「……うん」
「……その、なんだ。お前が謝る必要はない。わたしの方こそ済まなかった。
軽率な発言だったと思う。…許してくれ」
  彼に頭を下げる。
…大丈夫。わたしは落ち着いている。

「で、でも…!
それは…単に俺が隠してたから……なのに、勝手に独りでキレて…俺は――」
「…頼む。ウィル、お前が謝るのはやめてくれ」

 まだ納得できないらしいウィルを、わたしは手で制した。

「―――お前は、フォルン村の生まれだったのだろう?」
「え…?う、うん……そうだけど…」
  質問の意図が掴めないようで、さっきまでの勢いを萎ませておずおずと頷いた。

 

「それを今まで誰にも話さなかった……そうだな?」
「え…と、うん。ごめん。傭兵隊の皆は行きがかり上知ってるけど、此処に来てからは……」

「謝らなくていい。
隠していたけど、わたしだけには話してくれた。結果的に見ればそうだろう?」
  できるだけ、ウィルのヤツが安心できるように笑顔を作る。
そう、ウィルはわたしにだけは己の過去を打ち明けてくれたのだ。

「それをわたしは嬉しく思う。それで、いいじゃないか」
  彼が怒りのあまりわたしにしたことなど些細なことだ。
自分の辛い過去をわたしに打ち明けてくれたことを考えれば、充分にお釣りがくる。

「だけど…」
  まだ食い下がろうとしてくるウィルの台詞に重ねるように、話を続ける。

「…わたしは。
わたしは"あの意見"を曲げるつもりはない。お前にあれほど言われた後でも、だ。
それでも―――お前はわたしを許せるか?」

 これは、わたしが今最も危惧していることだ。
ここでウィルがかぶりを振ればきっとわたしたちの道はもう永久に交わることがないだろう。
  きっとウィルとわたしとではあの事件に対する見方が全く違う。
わたしにとっては単なる戦争の一要因に過ぎないが、
彼にとっては悪夢と呼ぶことすら生温い出来事だったはずだ。
共通することと言えば、どちらから見ても忌まわしいものだということくらいだろう。

 ウィルはどう答えるべきか少し迷っていた様子だったが、やがておもむろに口を開いた。

「その……うまく言えないけど。
許すとか、許さないとかの問題じゃないと思う。
マリカの言ってる意味はあのときにもう頭の片隅では解っていたし、
俺よりもよっぽど建設的な考えだと思った。
ただ――やっぱり俺は君のように考えることは……」

「―――よかった」
  彼の言葉を全て聞き終わる前にわたしは胸を撫で下ろした。
「え?」
「何もお前にわたしと同じように考えろと言ってるわけじゃない。
その様子だと、別にそういう意見を持っているわたしを認められないわけではないのだろう?
――わたしはそれで充分だ」

 ああ、よかった。と、心の底から安堵した。
わたしは身体が軽くなったのをつぶさに感じていた。

「…マリカ……」

「この話はもういいだろう。
わたしとしても不甲斐ないことをしてしまって、早く忘れたいのだ」
  とどめの一押し。
まだすまなそうな顔をしているウィルに、できるだけ気安く苦笑した。
できればこのことが尾を引いて後々まで関係に悪影響を及ぼすのだけは避けたかった。

 さっきとは考えてることが真逆だが、
わたしにしてみれば彼がわたしを避けていないことを知ってしまえば、
もう怖いものなどなかったのだ。

「……わかったよ。…ありがとう」
  ウィルもやっと解ってくれたのか、少し間を置いてから礼を述べる。

 

「ふふっ。…それでいい。
――――ところで、ウィル」

 話がひと段落したのを見計らって、わたしは早々に話題を変えた。
件の問題が事なきを得、少し浮かれていたのだろう。そのときのわたしはいつにも増して饒舌だった。

「お前、第零遊撃隊の配属になったそうだな?」
「え?……あぁ、隊長の話だと、戦姫直々から申し出があったって。よく解らないけど…」

「…ふむ」
  あの女。
何を考えているのだろうか。
ウィルとマリィ=トレイクネルの接点など、
あのフォルン平野の戦場で少し顔を合わせた程度のはずだ。
いや。ウィルに至っては彼女が戦姫だということすら気付いていない。
あの戦場で戦姫が何を見出し、彼を推薦したのかは解らないが――――気に喰わない。

 とにかく気に喰わなかった。

「遊撃隊ということはあちこち前線を廻ることになるのだろうな…」
「……らしいね。王都に帰ってくる機会も必然的に減るはずだから、
こうして先にマリカと話をしておきたかったんだ」
  そう平然とした顔で言うウィル。

―――身体が熱を帯びる。ますます浮かれてしまいそうだ。

 戦姫の部隊は単独作戦も多い非常に危険な部隊だ。
当然その分、所属騎士の死亡率も楽観できない。
それでも戦姫のおかげでかなり死者の数が抑えられているらしいが。
――もしかしたらこれが、ウィルと今生の別れになっても不思議ではないのだ。

 ならば。

「ウィル」
「……ん?」
  のほほんとした顔をしているウィルに。

「――わたしも第零遊撃隊に行くぞ」
  突飛とも言える決意を告白した。

「……は?」
  さらに珍妙な顔で訊き返してくるウィルにも、気分を削がれることなく続ける。

「こうなったら意地でも近衛隊になど行ってやらん。
たとえトリスタン家の一人娘という立場を利用してでもお前と同じ部隊に行ってやる」

 どうせ父親がコネで無理矢理入隊させようとしていた部隊だ。
あらゆる手段を使ってでもウィルと同じ部隊に配属先を変更させてやる。

 

「なっ、なんでまた急に!?
無理だよ…もう発表は終わったし、何より君の父さんが許すはずがない」

 困ったような顔をするウィルに向かって、「ふふん」と得意げに鼻で笑ってみせた。

「そのときはこの剣で父を脅せばいい。
また父の言いなりになるところだったが、もうわたしはガマンせんぞ、ウィル」

 落ち着きを払った声で答えてはいたものの。
わたしは内心異様な興奮を覚えていた。何か、足枷になっていたものが取れたような気分だ。
……今なら何でもやれる気がする。

「どうしてまた………遊撃隊なんて危険なだけだよ?」
「ふっ。何を今さら。戦争や死ぬことが怖くて騎士になど志願するものか」

 力が湧いてくる。
「物騒だよ」とわたしを止めようとしているウィルの声すら聞こえないほど、
わたしは気分が昂っていた。

「よし!先ずは手始めにラモラック隊長に直訴だ!
待っていろ、ウィル。すぐに済むからな」

「なっ…!?まさか隊長まで剣で脅す気じゃないだろうね!?」

 勇み足でその場を離れようとするわたしと、それを止めようと追いかけてくるウィル。
そこへ。

「――此処に居たのか!トリスタン、ウィル!
隊長が呼んでる!すぐに集合だッ!」

 同僚の一人が血相を変えてわたしたちを見つけた。
ツバを飛ばしかねん勢いで言葉を捲くし立てている。
  その滑稽な同僚の姿に、わたしたちは顔を見合わせて首を傾げた。

……まったく。今はそれどころではないというのに。

「…あれ?どうしたんだよ、そんな慌てて。
今日の日程はもう全部終わったろ?だいたいこんな時間だし―――」

 不思議そうな顔で外に視線を向けるウィル。
濃い黒に包まれた、松明と月明かりのみで視界が殆ど真っ暗な景色が見える。
確かに夜ももうかなり深い時間帯に差し掛かっていた。

「馬鹿ッ!! ンなこと行ってる場合か!!」
  それでも同僚の怒声は止まらず、わたしたちを一喝。
そして。

「―――城の中に賊が侵入したんだよッ!」

 あらん限りの声で叫んだ。

2007/03/10 To be continued.....

 

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