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ぶらっでぃ☆まりぃ



6 『フォルン村の面々』

「…うちの家族構成?」
「そうだ」
  今や毎日のように申し込まれるマリカとの"果し合い"を終えて。
二人で休憩していると、突然マリカが俺の家族について尋ね始めた。

「…なんでまた急にそんなことを…」
「ほら、わたしはトリスタン家の生まれだから、私の家については城内でも有名だろう?
なのに私はお前の生い立ちについて何ひとつ知らない。…これは不公平ではないか?」
  彼女の言うとおり、トリスタン家はアリマテアでも屈指の名家だ。
同じ騎士の名家であるトレイクネル家と比較されたり、トリスタン家の下世話な噂を耳にする…
  なんてこともあった。
だけど。そこでどうして俺のことになるんだろう。不公平だというなら、他の同僚たちも同じなのに。

「……………」
「あぁ、いや、駄目なら無理に言う必要はないぞ。興味本位で聞いているのには違いないのだからな」
  黙っている俺の顔を見て、嫌がって言い渋っていると勘違いしたらしく、
すまなそうな顔でそう言った。

「別にそういうわけじゃないよ」
  とはいうものの。
正直な話、俺は困っていた。
同僚のみんなには俺がフォルン村の出身だということは伏せてある。
今の戦争の発端となったフォルン村の虐殺事件は、この国の人間なら誰でも知っている周知の事実だ。
男は虫けらのように殺され、女は兵たちの慰みものにされたことも。
そのことで奇異の視線を向けられたり、他の騎士たちに腫れ物のように扱われるのは嫌だったから、
生まれについては隠している。

……だけど、まぁ。村のことは隠して家族のことだけを掻い摘んで話せばいいか。
幸い、俺の家族と言っても病死した母だけだ。それほど難しいものでもない。

「母が一人だけ。
俺に兄弟はいなかったし、父親の顔は見たこともないよ」

「……そうか。お前の母君は…騎士になることに反対はしなかったか?」
  真剣な顔で俺に尋ねる。
……恐らくは、マリカはこれが訊きたかったのだろう。
今の彼女の瞳はそれをはっきりと物語っている。
今日の試合、彼女の剣にいつものキレがなかったのはそういう事か。

 

「いや。母さんはもう死んでいたから、反対する家族なんていなかったよ」

―――傭兵旅団の皆も『家族』だとするのなら、猛反対した"妹"が一人だけいたけど。

「あ、済まない。……亡くなられていたのか…」
「何謝ってるんだよ。今時親のいないヤツなんてそう珍しくないだろ?」
  今は戦争中だ。いくら優勢とは言え国内に戦災孤児などいくらでもいる。
だけど良家のお嬢様だったマリカは、それをどう返すべきが解らずに困っていた様子だった。

「…それに母さんが死んだのは戦争じゃなくて病気だよ。
もともと身体の弱い人だったから、肺を病んでそのまま…ね」
  マリカの沈んだ気分を少しでも和らげようと、俺は話を進めた。

「……? では、母の敵討ちのために騎士になったのではないのか?」
  …なるほど。戦災孤児たちがそういう理由で義勇兵に志願することはよくある。
俺はもともと傭兵だったから、マリカは俺もそのうちの一人だと思ったらしい。
事実を言えば、確かに"敵討ち"のために騎士になったのではあるが。
  思案の末、結局嘘にならない程度に、騎士になった動機を話すことにした。

「フォルン村の事件があっただろ?それでヤツらを許せなくてさ。だから騎士になったんだ」
「あぁ、そうか。そういえばあれが原因で騎士を志した者が多くいると
何処かで聞いたことがあったな」
  マリカも思うところがあったらしく小さく頷く。
多分マリカは俺が義憤で騎士になったと、そう勘違いしているんだろう。
実際には凝り固まった私怨が動機だけど。マリカにそのことを話す気にはなれなかった。

「一人身だったし、多少の無茶を見咎める人なんていなかったから、
傭兵になるのは俺の意志ひとつで決めたよ」

「一人身?では……父君も…亡くなられているのか?」
「さあ…どうだろう?俺が物心ついた頃にはとっくにいなかったからね。
生きているのか、死んでいるのか―――母さんにも詳しく訊かなかったから、
父親については何も知らないよ」

 父親のことは本当に殆ど何も知らなかった。
小さい頃、母さんに訊いてみたことはあったが、
そのとき酷く悲しそうな顔をされたのを今でも覚えてる。
それ以来俺は意識的に父の話題は避けるようにしていた。
母さんが父のことでいつも寂しそうにしていたのを、子供心に何となく気付いてしまったから。
結局、母さんが死ぬまで訊けずじまいで、俺は父の名前すら知らない。

 

「…ケノビラック、お前は―――」

 

「トリスタン。此処にいたのか」

 不意に背後からお呼びが掛かった。
俺たちと同じ訓練部隊に籍を置いている同僚の一人だ。
「わたしに何か?」
  話に水を差されて少しムッとした表情で同僚に振り向いた。

「あー…その、隊長が呼んでる。すぐに来てくれって」

「……わかった。今行く」
  バツが悪そうに頭を掻く同僚から目を離し、
ひとつ大げさにため息を付いてから面倒臭げに立ち上がる。
そのとき、一瞬だけ疲れた表情をしたのが印象的だった。

「すまんが、ケノビラック。わたしはこれで失礼する」
「ん…ああ……」
  やっぱり何か悩みでもあるんだろうか。
短い付き合いだが、彼女のこんなに疲弊した顔色は今まで見たことがなかった。
何となく心配になって、気付けば立ち去る彼女の背中を呼び止めていた。

「マリカ」
「……ん?」

「ごめん。あんまり参考にならなくて……」
  呼び止めたのはいいものの、気の利いた台詞は何も思いつかず。
結局、それだけ口にした。

「…………」
  マリカは一瞬目を見開いたが、やがて。

「ありがとう」
  やはり疲れた笑顔でそう答えて、城内に続く回廊を歩いていった。

「ホントに、どうしたんだろう…?」

 小さくなる彼女の背中を眺めながら呟いてみたが、その答えが見つかるはずもなかった。

 

 

 

「父親―――――ね」
  ぼけっと空を眺めながら、ブーツから小振りの果物ナイフを取り出した。
マリカともう一戦交える予定の時間が空いてしまい、手持ち無沙汰でナイフを玩ぶ。

 ここ一年、色々なことがありすぎて考える暇もなかったけど。
本当に俺は父親について何も知らないんだなぁ、と今更になって感慨深くなってしまった。

 顔も出身も、名前すら知らない俺の父親。母さんが愛した人。
幼いころはあれこれ想像してみたが、俺が持っている父の情報は全くと言っていいほど無い。
俺が父について知っているのはふたつだ。
  先ずひとつ。どうやら母さんは父と死に別れたわけではないらしいこと。
これはあくまで俺の予想だが、当時の母さんの様子を見ていると
二人は何らかの事情で離れ離れになったらしい。

 母さんが死んだのは俺が十三のとき。まだ二十七だった。
つまり母さんが俺を産んだのは、まだ十四歳だった計算になる。
父親は同年代の子供か、あるいはとんでもないロリコンだったか。
まあ、どちらにしてもあまり喜ばしい話ではないが。

 病弱だった母が年若くして俺を産んだ経緯は、
かなり込み入った事情があったってことは想像に難くない。
まだ赤子だった俺を抱いて殆ど荷物を持たないままフォルン村にやって来たと
村長から聞いていたから、
そのときには既に父親とは離れ離れになっていたのだろう。
……村長が初めて見た母の姿は酷く痩せ細っていたらしい。

 正直言って俺は父親に対してあまり良い感情を持っていない。
如何なる理由があろうとも、病弱なうえに子持ちの…それも十四歳の母を一人置いて
姿を眩ましたのだから。

 そして、もうひとつ。
たとえ俺が父親を嫌っていようがいまいが、親子というのは必ずどこか似てしまうらしい。
確かあれは、俺がまだ十にも満たない頃だったか――――

 

 

 

「……できたっ。ウィル、ちょっと味見してみて」
「…ん。――――美味しい」

 キャスに差し出された小皿から一口舐め、感嘆した。
キャスがうちの台所に立つようになってから彼女の腕はメキメキと上達している。

「えへへ」
「…でも母さんにはまだまだ遠く及ばないけどなっ」
  嬉しそうに微笑むキャスの顔がなんだか照れくさくなって嫌味ったらしくそう返したが、
キャスの表情は崩れることなく、くすくすと笑っていた。

「…なんだよ、気持ち悪いな」
「ウィルがマリアさんを引き合いに出すときは結構いいところまで来てるってことだもん」
「……調子に乗るなっ、この」

「いたっ、いたっ、いたっ。わかった!わかったからやめて〜」
  キャスの頭を両拳で挟んでグリグリ。いつもの俺の制裁の加え方だ。
そのときの俺の顔は、図星を突かれて真っ赤だったに違いない。
幼かった頃の俺はこうしてよく照れ隠ししていたものだ。
  一見すると俺とキャスの力関係は俺の方が上のように見えるが、
実際はキャスが俺の手綱を握っている。

 

「あれ…?母さん?」
  キャスとじゃれ付いていたせいで今まで気付かなかった。
ベッドで寝ていたはずの母さんが自室を出て、後ろからこちらの様子を見ていたことに。

 いつからそこに居たのだろう。あまり長時間立たせておくのは体に障る。
見た限り――――今はまだ大丈夫そうだけど。

「あ、マリアさん。もうすぐ夕食できますから」
  キャスも母さんに気付き、弾んだ声で振り返った。……が。

 

「…………」

 

「…?母さん?」
  キャスの言葉に何も返さず、黙って俺たちを見据えていた。
もしも母さんの存在を知らない者がこの場に居たとしたら、幽霊と見間違っていたかもしれない。
そう思えるくらい虚ろな表情だった。
……どうしたんだろう。
さすがに幼い俺でもすぐに母さんの様子が少し変だと気付いた。

「…あ、ああ…大丈夫よ。ちょっとぼうっとしちゃっただけだから」
「そ、そう…?」
  苦笑する母さんの返事に煮え切らないものを感じた俺はただ眉根を顰める。
この頃の母さんはどこか様子がおかしかった。
ときどきさっきみたいにぼうっとして返事がなかったり。
俺やキャスを少し離れたところから眺めていたり。
  だが、当時の俺はせいぜい首を捻るのが精一杯でそれ以上のことは何も分からなかった。

「キャスちゃん。後は私がするから今日はもう帰った方がいいわ」
  俺が訝しげに見つめる中、母さんがキャスの方ににこやかな笑みを浮かべる。

「え?あ、いえ大丈夫ですよ。後もう少しですから、マリアさんは座って待っててください」
「でももうすぐ日も落ちるわよ。いくら家が近いと言っても夜道は危険だし…」
  確かにもう西日が射し、間もなく周囲は闇に落ちる時間帯だ。
だけど。
夜になってからキャスが家路に着くのは今までにも何度もあった。
そういうときは大抵、俺が家まで送り届けている。
  最近じゃあ南東の帝国で『剣帝』が亡くなったとかで、ちょっと治安が荒れ気味だって言うけど。
その国とはひとつ小国を挟んでいるからこっちにはそれほど影響はないし、
第一こんなド田舎に悪漢なんて現れようもない。
  なぜ母さんは今更そんなことを心配するのだろう。

「そうですけど、でも…」
「ほら、キャスちゃん。早く帰らないと村長さんも心配するわよ?」
「え?あ、え?マリアさん?」
  キャスの言葉を遮り、彼女の背中を押して急かす。
俺はというと、さっきから繰り広げられている母の奇怪な行動に目を丸くしていた。

「え、と…じゃあウィル。あっ、後はよろしくね?」
  追い出されるように外に出て行くキャスが、最後に振り返り様、俺にそう告げた。
「あ…う、うん…」
  果たして俺の呆けた返事が彼女に届いたのか否か。
それを確認する間もなく母さんはキャスを家に帰してしまった。

「…ふぅ」

 キャスが家路へと着くのを途中まで見届けると、母さんは後ろ手に扉を閉めた。
ひとつ大きなため息を付くのは多分病気のせいじゃないだろう。母さんの顔色からそんな気がした。
だけど、そんな憂いの表情は一瞬で笑顔に変わった。

 

「さ、ウィリアム。ごはんにしましょーねー♪」
「はいはい。わかったから母さんは大人しく座っててよ。こっちはいつ倒れやしないかって
気が気じゃないんだから」
「えー。大丈夫よ。母さん、今日は調子いいもの」
  そう言って肘を曲げて力こぶを作ってみせる母さん。……そこには細い腕しかなかった。
「いーから。後は俺がやっとくから。そこに座ってて、ほら」
  どうせ言っても聞かないので、無理矢理背中を押して椅子の座らせる。

母さんの様子がおかしいのは、さっき言ったぼうっとしていることが多いだけじゃない。
俺と二人でいるとき、いやに明るく振る舞うようになったのだ。
元来そういうところがある人だったが、この時期は違和感を覚えるくらい
無理に明るくしていたように思う。
今でもその理由は俺には解りかねるが。

 その日の夕食は特に何の変わりもない、いつもの晩餐だったと記憶している。
それまでと少し違っていたことと言えば、腕を上げたキャスの料理が本当に美味かったことくらいだ。
  問題はその夕食の後。

「…そうだ、母さん」
「んー?」

 俺は空になった容器を、水桶で洗いながら話を切り出した。
洗い物はしたまま。背後からは母さんの声だけが聞こえる。
多分、テーブルでお茶でも飲んでいるんだろう。

「さっきは何でキャスを追い出したりしたのさ。あの時間帯ならいつもは一緒に夕食取って行くのに」
「どうしたの、突然。………ははぁん、なるほど。そういうことか」

 何かに気付いて、思わせぶりな口調で言葉を切る母さん。
いつも俺をからかうときの口調だ。それをわかっていた俺は母さんに背中を向けたまま、
僅かに身構えた。

「…な、なんだよ」
「ごめんね〜ウィリアム。母さん、気が利かなくて。そりゃあキャスちゃんと一緒に
ご飯食べたかったわよね〜。
ウィリアムはキャスちゃんが大好きだもんねぇ」
「ばっ…!べっ、別にそんなんじゃないよ!俺はただ…!」

 予想はしていても、ダメだった。からかわれるのが分かっていても、
結局俺は冷静でいられなかった。
俺は否定しようと慌てて母さんの方を振り返った。だけど。

 

「うわっ!!」
  驚きのあまり一歩後ろに飛びのいてしまった。
テーブルに座っていると思ってたのに、母さんは俺のすぐ後ろに立っていたのだ。

「あはははっ。顔真っ赤よ、ウィリアム」
「かかっ、母さんが脅かすからだろっ!」

 激しく動悸する心臓に落ち着け落ち着けと言い聞かせても余計に酷くなるばかりで。
そのせいだろう。
それまで、母さんが泣いているのに全く気付かなかった。

「嘘が下手なところは、お父さんに似たのかしらね」
「……え?」

 ハッとして母さんを見上げる。
母さんが自分から父の話をしたのはこのときが初めてだったから。
聞き返すように見上げた母さんの目には、うっすらと光るものが見えた。

「…かあ、さん…?」
  狼狽する俺を他所に、母さんは、そっと俺の頬に両手を添える。
母さんの手は少し冷たかった。

「最近、特に似てきたものね。目元なんかそっくり」
  今、母さんは何を見ているんだろう。
瞳には俺の顔が映っていたけど、母さんは俺よりももっと向こうを見ているような気がした。

「……泣いてるの?」
  心配になって尋ねても、母さんは答えず。俺の背中に手を回して優しく抱きしめる。

「ダメねぇ。母さん、キャスちゃんにウィリアムを取られるんじゃないかって、
あの子に意地悪しちゃった。
こんなだから村長さんにも子離れできないなんて言われちゃうのね」

 いよいよ母さんの声が震え出す。

「な、何言ってるんだよ、母さん」
「“また”わたしだけ置いていかれるんじゃないかって思っちゃった。ほんと、バカね」
「……そんなこと、出来るわけないだろ。母さん、ちょっと目を離したらすぐ無茶するんだもん。
ほっとけないよ」

 母さんの背中を軽く擦る。
いつもは、ベソを掻いた俺に母さんがしてくれていることだった。
  上手く出来ているだろうか。あまり自信がない。
必死で母さんがしてくれたことを思い出すけど、どんな感じで擦ってくれていたか
いまいちよく憶えていなかった。

「うん。うん……。うん――――」

 ああ。やっぱり、上手く出来てないんだな。ちっとも泣き止んでくれない。
幼心に何も出来ない自分を忌々しく思いながら、それでも俺はひたすら母の背中を擦り続けた。

――――結局、母さんが泣いているのを見たのは、これが最初で最後。
母さんは死に間の際さえも、俺の前で涙をみせることはなかった。

 

 

 

「――――はぁ」
  気付けば、持て余していた時間はもうすぐ過ぎようとしていた。

 手の中の果物ナイフの、訳のわからない紋様が彫られた柄を眺める。
  これはキャスの形見でもあるが、元々は母さんのものだった。
母さんが亡くなった際、遺品のひとつとしてキャスに譲ったものだ。
母さんの死後、キャスはよくこれで林檎を剥いてくれてたっけ。

「さて、と」

ひとしきり眺めてから、ナイフをゆっくりブーツの中に戻した。
――――そろそろ戻った方がいい時間だな。
  のっそりと腰を上げて、訓練部隊の宿舎に足を向けた。その拍子に、少し西日が目に染みる。

……今なら分かる。
多分、母さんはずっと待っていたのだ。父が帰ってくるのを。
俺には決して見せることのなかった涙。きっと俺の知らないところでは何度も泣いていたんだろう。

 父が母さんと別れたのは、何らかの事情があったに違いない。それは分かっている。
………だけど、理解していてもなお、俺は思うのだ。

――――どうして、母さんの最期を看取ってやってくれなかったのか、と。

2007/01/10 完結

 

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