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さよならを言えたなら



1

現代、金が無いとはいうのは仕方ない。ましてや時給九百円のレストランでバイトしてる
フリーターにとっては、家賃だけでも馬鹿にならない。
月二万。五畳の一部屋。それでトイレ付き、シャワー付き(バスタブなし)。結構な条件だと思う。
「まあ、家具は机だけっていうのは質素だがな。」
独り言もそこまでにし、さっそくもらった鍵を使い、ドアを開ける。中から出てきた空気には、
生活臭なんてものは全く無かった。というよりカビ臭い。
「換気、換気……」
いかんな。独り言が多い。ベランダ、廊下沿いの台所の窓を全開。次は……浴室か。
もしかしたら、もうこの時すでに、これから先の波乱過ぎる人生が始まっていたのかもしれない。
ガチャ
開ける、と。そこにはもちろんシャワーと………一人の少女が倒れていた……
「………」
バタン!
閉じる。
「やべぇな……いくらなんでもまだ脳はいかれてねぇはずだ。」
ガチャ
再度開ける。……やっぱりいる。このアパートの大家の誘拐を手伝った訳でもない。
となると……記憶を失う前の俺は極悪人だったのか………くそっ。この若さで………

「おい、女。どこの誰だかしらねぇが起きろ。」
「うう…ん」
声に反応するように身動ぎをして起き始める。見た目からして高校生だろうか。
19の俺とはそう離れてはいないだろう。とりあえず………
「んんっ……あ、あれ?ここ、どこ?…あなたは…誰?」
「ここは俺の部屋。……あんたこそ誰だ?勝手に他人の部屋で寝やがって。」
「んーっとね、私は……そうそう、喜瀬葵。アオイだよ。」
人差し指を顎のしたに当て、自問するように自分の名前を言い始める。見た目以上に仕草は幼い。
大人びた子供なのか、子供っぽい大人なのか……まあ、いい。関係のないこった。
「とりあえず、なんでこんなとこで寝てたんだ?鍵も無しにどうやって入った?泥棒か?」
そんなま抜けた泥棒も聞いたことないが。
「あわわわわ!ま、まってよぉ。そんなに一度に聞かれても思い出せないよぉ!」
混乱したのか、頭を抱えてウンウン唸り出す。
「えっとー…なんで、なんで、ここにいたのか…………なぁ?…なんでだろ?…うーあー。
だめ、思い出せないよぉ!なんにも覚えてないよ。」

「なんにもって……記憶喪失か?…お前?俺と同じ………」
いや、止めとけ。余計な同情は無意味だ。
「え?あなたもって……」
「いいから、関係ないだろ!さっさとここから出て……」
追い出そうと女の(名前はもう忘れた)腕をつかもうとした……が。
スウッ…ガン!
「っ?」
掴み損なったのか、俺の手は女を通り過ぎて壁に激突した。何がおこったのか分からず、
俺も女も呆然とする。おかしい。たしかに掴んだんだが。
「くそっ。」
もう一度女に触れようとするが……
スウ…
今度ははっきりとわかった……体に触れず、空気のように手応えがない………これはよくある、
いわゆる、ひょっとして……あの……
「あ、あれ?……私…この体…も、もしかして幽霊!?」
「………まさか、俺の脳が本当にイカれてたとはな…こんな幻覚をみるだなんて……
精神科にでも行くか……」
「わ、私は幻覚じゃないよぉ。本当にいるんだってば!」
それに加えて幻聴とは…末期だな。
「ねぇ、聞いてるの?おーいってば!」
「うるさい!幻ごときが話しかけんな!!」
「ううー。ひどいよぉ。私だって不安なんだから……」

「……ちっ、とりあえず、こっから出ろ。歩くことぐらいできるんだろ?」
「うん…」
幽霊のくせに浮かないでヒタヒタ歩きやがる。本当に触れないって事以外は人間と同じみたいだな。
まだ信じちゃいないがな……
「で、だ……とりあえず……」
「うん。」
「でてけ。それか成仏しろ。」
「ええー。なんでよ!無理だよぉ。」
そう言うとビービー泣き出す。涙まで流すとは……ほんっとに幽霊なんか?
「あ!そうだ!」
泣いていたかとおもうと、次はパァッと明るい笑顔になる。喜怒哀楽の激しい、疲れる奴だ………
「あなたが私を成仏してくれればいいんだよ。ほら、よく言うじゃない。現世に未練があった人は
化けて出るって。だから私にも未練があるんだよ、うん。」
「だったら俺じゃなくてもいいだろ。誰か他の奴に頼めよ。俺にとっちゃ、そんな面倒なことは
願い下げなんだ。」
「ううー。鬼!悪魔!」
そう怒鳴ると一目散に部屋をでていった。それはいいが、幽霊に悪魔呼ばわりされるのは不愉快だな………

〜一時間後〜

「…と、いうわけで、戻って来ちゃいましたぁ!」
「このっ……悪霊ガァ!」
本人(本霊?)曰く、誰も自分に気付いてくれない、とのこと。可視できるのは俺だけだとか………
なんでこんなことに…

2

「えーっと、とりあえず、また自己紹介。喜瀬葵です。」
「……秋沢晴也。」
「晴也さんですかー。良い名前ですねぇ。」
この野郎。幽霊のくせに社交辞令までしやがる。まぁ、悪霊ではないようだな。
しかしなんで俺が憑かれなくちゃいけないんだよ……
こっちの悩みなど考えもせず、自由気ままに壁や天井をすり抜けて遊んでいる葵。本当に精神年齢は低いな。
「とりあえず……どうすれば成仏できる?思い残した事はなんだ?」
「だからそれが思い出せないんだってぇ。」
ふわふわと浮きながら上からものを言う。なんかカチンときたな。
「てめっ!そんなところから見下してねぇで下に降りてこい!」
「ああ!ごめんなさい!」
床におり、正座をする。
「じゃあ、まずは質問だ。素直に答えろ。お前が消えるためだ。」
「うぅ、そんな邪魔者扱いしなくても……」
「幽霊なんざ邪魔者以外のなんでもない。じゃあ、生前についてだ。歳は?」
「17。」
……最近の17歳はこんなガキなのか……まあいい。
「学校は?」
「…わかんない。」
「家族と家は?」
「……わかんない。」

「……友達や知り合いは?」
「………覚えてない。」
「てめぇっ、成仏する気あんのか!?」
あまりの無意味さに、手が出る。が、やっぱり立体映像のようにスルリと抜けてしまう。今気付いたが、
体を通り抜ける時、少しだけ抵抗感がある。
「うわわ、そ、それやめてぇ。なんか体がぞわぞわするー。」
面白いから体に手を突っ込んで見た。なにやら不快な感じらしい。これが他人に見られて
いようものなら、即、犯罪者扱いだ。
……こいつは幽霊でも女だったんだ。それを思い返すと恥ずかしくなってきた。
「は、晴也さんは、私の事知らないんですか?」
話題を変えようと、葵から質問をしてくる。
「いや、知らん……知っていたとしても、忘れたかもしれんな。」
「忘れたって……ここ数年の知り合いの顔を忘れるなんて酷い痴呆ですよ?」
「……記憶喪失なんだよ。」
「え?」
「去年一年分の記憶が丸々消えてんだ。覚えてるのは今年の元旦から。だから、去年お前に
会ったとしても覚えてないんだよ。」
「へぇー。あ、じゃあ私と同類……」
「俺は死んじゃいねぇ!!」
「ふああ!つ、突っ込まないでぇ。」

そんなふうに葵をいびりたおしていると……
「あ、やっべ、もうこんな時間……そろそろ行くか。」
「え?どこ行くの?」
「バイト。アルバイトだ。親から仕送りもらって無いからな。ほぼ毎日バイトて埋まってんだ。
いわゆる、フリーターってやつだがな。」
「あ、私も……」
「憑いてくんな。仕事の邪魔だ。……ここにいろ。」
最後の一言は不満だったが、仕方ない。あのまま成仏しきれず悪霊になられたら最悪だからな。
半泣きの葵を置いて、外へ出る。ちょうど桜が咲き終わる季節。寒くもなく、暑くもない、
暖かいと言える気候だ。これぐらいが一番いい。
バイト先のレストラン、『Fan』へは、スクーターで15分ほどにある。雰囲気も明るくて、
働くにも苦にならないところだ。ただ、ここの店長の趣味でやっているため、店はかなり狭く、客も少ない。
店員も俺と店長と、あと一人だけだ。
「ちぃーっす。」
いつもの挨拶を済まし、ロッカールームへ。店長は大抵厨房に籠っているため、滅多に顔を見ない。
……いいのか?それで。
そして、もう一人の店員が……
「やーん!晴也ぁ!」
勢いよく抱き付いてきた……
「セレナ……」
相沢セレナ……クォーターなため、外人のような名前らしい。そのため、日本人と比べると
ずば抜けて美人だ…そんなセレナは…………俺の恋人…らしい。
消えた記憶の時に、俺の方から告白した…らしい。実はそれも全く覚えてないのだった。

3

「ハルー!昨日ぶりー!会えなくて寂しかった?寂しかったよね?私は寂しかったよ?」
やはり外人のノリというのはこうなのだろうか。美人でノリもいい……正直、自分にとっては
不分相応だと思う。記憶喪失以前の俺は何を考えてたんだ………
「ああ……昨日ぶり。元気してたか?」
「うーん…やっぱりハルがいないから寂しかったよー。…ということで、今日泊まりに行ってもいい?
新しい部屋に移ったんでしょ?」
「ん、ああ…いい、ぜ…」
前々から何回は泊まってはいたが…今は、あの悪霊が住み着いていやがった。
いくらセレナには見えないからといっても、俺としては嫌な感じだ。
それに、あのアホ霊のことだから空気も読まずに話しかけてくるだろう。
「いや、やっぱ無理だ。ちょっと片付けしなくちゃいけねぇからしばらくは入れな…」
「だったら尚更ヨ。私も片付け手伝ってあげるわ。」
「えーっと、いや、ほら。力仕事が多いから、女に手伝わせるのも情けねぇし。」
「だったら私ができる事をやるわよ。掃除ぐらいできるでしょ?埃もたまるだろうし。」

「いやぁ…えっとなぁ…」
まずい。こうなったセレナはなかなか引き下がろうとしない。決定的に来られない理由がない限り、
どうしても来るだろう。
「それとも……」
「え?」
「誰か、私以外の女でも呼んでるの?」
ギクッ
半分正解なのだが、半分はずれ。まさか女の幽霊が住み着いてるだなんて信じちゃくれないだろう。
なんとか冷静を装い、返事をする。
「……わかったよ。泊まれよ。」
「うれしい!だから好き!ハルは。あ、でも浮気チェックはするよ?」
お好きにどうぞと手をヒラヒラさせる。別に新しい部屋だし、なにもやましい事はないんだ。
幽霊ごときに浮気とはならないだろ。
と、すっと入口に人が入るのが見えた。セレナは……いないか。仕方ない。
あまり営業スマイルは得意じゃないんだがな。
「いらっしゃいませぇ……」
「あ…晴也さん………」
「…………」
……なんで…こいつが…葵がいるんだよ!!
「てめぇっ、何憑いて来てんだよ!部屋で待ってろつっただろ!!
俺はお前に纏わりつかれる筋合いはねぇんだっての!!」
「ひぁっ…ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいぃ!!」

そういって土下座をする葵。必死(死んでるが)で謝る。
「えっと…その……別について来ってわけじゃなくてぇ。…は、晴也さんがいなくなった途端
寂しくなっちゃったから、町の中を見てみよーかなぁーって思って散歩してたら………
ほんと、ただなんとなーく、このお店に入っちゃっただけなの………なんか、引かれる感じがして……」
確かに、こいつにはここで働いているなんて教えてねぇし、スクーターについてこられるほど
早くもなさそうだし……
「はぁ……本当に呪われたかもな、俺。」
「ハルー?お客様でも来たの?」
や、やばい!奥からセレナが来やがった。こいつを見られたら何て説明すれば……俺の部屋に
居座ってるなんて知られたらタダごとじゃねぇ!
「おら!早く帰ってろって!」
そういって押し出そうと思ったが、また体をすり抜けてしまう。
「いやぁん。く、くすぐったいよぅ。」
……そうだった。見つかるも何も、こいつは幽霊だったんだ。セレナに見えないんだから、
完全に無視を決め込めてればなんの支障も………
「き、キャァーーー!!!」
その時だった。店内に叫び声が響く。

他に客もいないし、葵は俺が突っ込んでる手にくすぐったそうに悶えている。
となると……その叫び声は……
「せ、セレナ?」
「な、なな、なな、何!?どうなってるの!?その娘は、だって…そ、それにハルの腕、
突き抜けちゃてるし……」
まるで幽霊でも見たような顔(ていうか見てる)をして、驚きを露にしている。
まてよ…セレナがそんなに驚いてるってことは………
「セレナ!…お前、こいつがみえるのか!?」
「み、見えるのか?って……あた、当たり前でしょ?この娘がこんなところに……でも、なんで……」
どうやら相当ショックを受けているらしい。とりあえずセレナを落ち着かせてイスに座らせ、
水を飲ませる。呼吸も安定してきたとこで、話始める。
「えっとな、セレナ……こいつは、その……幽霊なんだ。」
「え?」
それから葵の事を最初から話した。新しい部屋に寝ていた事。なんで幽霊になったのかわからないこと。
生前の記憶がなく、心残りがなんなのか探している事。
最初は信じられない顔をしていたが、ふわふわと浮いたり、通り抜けるのを見て、だんだん信じてきた。

「そうなの……あなた、本当に幽霊……」
「そうだ、セレナ。こいつに見覚えないか?何か知ってたら、成仏の手助けになるんだが……」
「え!?う、ううん。全然知らない。……うん、知らないよ」
「そうか……チッ、消える手掛かりが見つかると思ったんだがな………」
「ぶう。また邪魔者扱いして………」
「邪魔だ。お前なんかが周りに纏わりついてたら、俺の精神が異常をきたしちまう。
早く天国へ召されろ。それとも地獄か?」
「うあーん!!また、またいじめるぅ!」
「……そうなんだ……なにも覚えてないんだ……良かった……」
葵がまたギャアギャア泣き出してうるさい。セレナもまだ幽霊を見たのが信じられないのか、
一人でぶつぶつ呟いている。
「だぁーー!黙れ!客が来たら迷惑だろ!」
「ぐすっ、いいもん。他の人には見えないんだから!」
開き直ったかのように、またビービー泣き出す。仕方なく隅っこに追いやり、少ない接客をこなしたが、
五月蠅いせいで何度もミスをしてしまった。……ちょっと御札でもかって強制的に消し去ってやろうか……

4

「で?……今日は家に泊まるのか?」
店も閉まり、ロッカールームで着替えながらセレナに尋ねてみる。葵の事があったせいか、
ヒドく疲れたような顔をしている。
「ううん。…やっぱりやめとく。また今度にするわ。」
そりゃそうか。幽霊の住む部屋になんか泊りたくはないだろう。本当にどうしたもんかな。
「……ごめんな。」
「んっ!」
そう言って優しくキスをする。どれぐらいだろうか。かなり長い時間、そのままでいた。
「ぷは……お、驚いたわ。まさかハルの方からキスしてくれるなんて……うれしい!」
そのまま抱き付かれる。そして次のステップへ……といきたいところだが、今日は本当に疲れたため、
また今度だ。睡眠欲の方が強い。
「じゃ、また明日。」
「うん……は、ハル!」
裏口から出ようとして、呼び止められる。振り替えると、セレナがヒドく切なそうな顔をしている……
そんなに葵の事がショックだったのか?
「私たち……恋人だよね?…愛し合ってるよね?」
「当たり前だろ。変な心配すんなって。」
「うん……ありがと。」
それを聞き、裏口が出ていった。

薄暗いロッカールーム。もう時計の短針は11を指している。閉店は九時……
それから二時間も経っているのに、まだ電気は点いている。
「うぅ……う…」
そのロッカールームに、セレナは一人、蹲っていた。泣きはらして赤くなった目、ぼろぼろに乱れた髪。
「なんで……なんでよ…せっかく、せっかくハルと恋人になれたのに。」
まるで呪いを呟くように、話し相手もいないのに、ぶつぶつと独り言をはいっている。
その目には生気が宿っていない。
「あの女……もうやめてよ……死んでまでハルを取らないでよぉ。……消えて…よぉ。」
ガンッガンッ
激しくロッカーをたたく。それは一度も使われていないものなのだが、ボコボコにへこんでいた。
「でも…大丈夫よね。あの女も記憶が無いって言ってるし、ハルも私を好きだって言ってくれたし。」
それでも不安は積もるばかり。ここでキスしたあと、抱いてくれなかった。言葉だけでは安心できない。
ましてやあの霊は、晴也の部屋に住み着いていると言うのだ。
「ハル…お願い。もうあの女を見ないで……私だけ……私だけをみてぇ……」

春が終わるとは言え、まだ夜は少し肌寒い。スクーターで切る風は肌身に染みる。
「ふう…着いたっと。」
いつもの癖で前のアパートの道を走ってしまい、遠回りになってしまった。いつも帰りに道では、
去年の記憶を思い出そうとするが、相変わらず無理である。
無理に思い出そうとすると、気分が悪くなり、頭痛がする。
「ただいまっと……」
人間。誰もいないのに部屋に帰るとただいまとぼやいてしまうのは何故なんだろうか。
「あ、おかえりなさーい。」
「………」
そうだ、こいつがいたんだった。まだ慣れてないな……それに………おかえりだなんて言葉、
とても久し振りに聞いた。
「あれ?どうかしたんですか?ぼーっとして。」
「な、なんでもねえっつの!俺の周りに纏わりつくな!」
「うー。まだバイト先に行った事怒ってるんですか?そりゃあ、私が悪かったですよぉ。
だから謝ったじゃないですか。」
「もう怒ってない。」
「本当?やったぁー!」
ただいまと言っておかえりて返してくれる。久々の家での会話………なんとなくこいつの存在を
良く思ってしまった。

「あ、そうそう、晴也さん、晴也さん。」
「ん?」
嬉しそうな声で呼ばれたため、振り向く……と。
バキッ
「がっ?」
一瞬何が起こったのかわからなかった。振り返ると同時に、右頬に強烈な一撃が食い込んでいた。
それほど痛くは無かったのだが、不意打ちだったため、膝を突いてしまった。
「あははー。やっぱり成功です!見ました?見ました?こうやって頑張れば一時的にだけど
体を具現化できるんです!」
「……ろす…」
「へ?」
「殺す!二度と化けて出れないように殺し切ってやる!!!おら!俺に殴られる瞬間に具現化しろ!」
「あああ!!こ、ごめんなさい!こうしないと証明できないかなぁって…ああん。
だ、だから体に腕を突っ込まないでぇ。く、くすぐっいんだってぇ。」
前言撤回だ。こんな悪霊、一日でも……いや、一秒でも早く成仏しちまえばいいんだ!





ひとしきり騒いだあと、幽霊と戯れあう事が空しいと気付いたのは、帰宅してから
一時間も経ってからの事だった。
「シャワー浴びるからな。絶対に覗くんじゃねえぞ!覗いたら本当に成仏するの
手伝ってやんねぇからな!」
「うーん……それは、それでいいかもしれないけど……やっぱりイヤ、かな?うん、覗きません、絶対。」
本当に今日はくたびれた。たった一日だけだが、目茶苦茶長いようなきがした。
さっさと寝よう……バイトも午後から出し、昼間で寝続けよう。

5

「さてと、寝るか……」
布団を買う金がなかったので雑魚寝。まあ畳だから大丈夫だろ。
「あれ?もう寝ちゃうんですか?」
「ああ、疲れたから。」
「あー。バイトですか。お疲れ様です。」
「…それもあるが、第一にお前の存在に疲れた。ま、朝起きたら消えてるってこともあるかもな。」
それはそれで寂しいかもしれんが……って何考えてんだ、俺。こんな奴、百害あって一利なしだ。
「うぅ、ひどい…」
「いいから、お前もさっさとねれ。」
「はぁーい。」
そう言うと、なんの迷いもなく俺の隣りで横になる。………セレナとこういうことは何回か
したことあるが、何故かこいつがいると緊張する。
「お、おい。離れて寝ろよ。うっとおしいだろうが。」
「え?そうですか?別にいいじゃないですかぁ。」
そう言うと丸くなって寝る態勢になる。……もうめんどくさい。好きににさせればいいか。
それから数十分経ったが、まだ寝れないでいた。体は疲れているのだが、いかんせん、
こいつが隣りに居るせいなのか、寝れない。
つーか、幽霊って寝るのか?

「晴也さん、起きてます?」
そんな考えを見透かされたように声を掛けられ、ギクリとしてしまった。
「ああ……寝れねぇ。」
「……ごめんなさい。私がいると、寝れないですね。……あ、夜の間は、外へ出てますから。
朝になったら戻ってきていいですか?」
この馬鹿幽霊が。なに珍しく気を使ってんだ。らしくない。
「んな気の利いたことしたいなら、でてかねぇてここに居ろ。」
「え?」
「俺が眠くなるまで話し相手でもしてろってんだ。その方がよっぽど効率がいい。」
「…は、はい!」
それを聞いた途端、背中を向けていた体を、こっちへ向かせる。心なしか、その顔は嬉しそうだった。
そんなに話事が嬉しいってのか?
「えっと、そうですね。何を話そう……えーと、えーーとぉ。」
「……お前。」
「へ?」
「今日、なんで俺のバイト先にこれたんだ?…教えてねぇはずだ。」
「あ、うーん。なんで、でしょう。誰か他に私を見れる人が居るかなぁ、
と思って散歩してたんですけど、やっぱり誰も見れなくて………」
話していく度に、葵の声が悲しみを帯びていく。

「それで……寂しかったから、晴也さんに会いたいなぁなんて思ってたら……
あのレストランに着いちゃったんです。」
……そうか、こいつは今のところ俺とセレナ以外からは見られないし、
存在にも気付いてもらえないんだ。もし、俺がこの部屋にこなかったら……
ずっと独りぼっち。周りに人は居ても、世界で一人っきりだというのと変わりは無いんだ。
「でも、本当に嬉しかったんですよ?あそこで晴也さんに会えて……私に声を掛けてもらって………」
そう言うとまた一段と声が明るくなり、笑顔になる。不覚にもその表情にドキドキしてしまった。
「ああ……そ、そういや、セレナの奴も、お前の事が見えてたな。やっぱり、俺以外にも見えるんだな。」
「そういえばそうでしたね………あのぉ、晴也さん。」
「あ?」
「…えと、その。……あんまり聞きたくないんですけどぉ………セレナさんと晴也さんて……
つ、付き合ってるんですか?…恋人として。」
何を聞いて来るかと思ったら……突拍子も無い。
「ああ……そう、らしい。」
我ながら自信の無い答え方だ。セレナが聞いたら怒るだろうな。

「らしいって……あはは、変な答え方ですね。」
「……俺に去年の記憶が無いって知ってるだろ?」
「ええ。大型記憶喪失。」
「その記憶の無い去年に、俺の方からセレナに告白した……って、セレナに教えられたんだ。」
「へぇー……それって、本当なんですかね?」
「そうなんじゃないか?確かにセレナは魅力的だし、告白したっつっても不思議じゃ無い………それに、
セレナが嘘ついてたとしても、そこまで俺みたいなのと付き合いたい理由もないだろ。」
自分でも、このぶっきらぼうな性格は人に不快感を与えるぐらいだと思う。
まあ、だからといって治すのも癪に障るわけだが。
「……そんなこと無いと思いますよ?……晴也さんは、自分で思ってるほど、
きつい性格じゃないですよ。それは確かに……口は悪いですけど………
でも、やっぱり優しいと……ううん、初めて会った時より優しくなったと思います。」
こいつはいきなり何を………
「だって、最初の頃の晴也さんだったら、セレナさんが私を見れるってわかった途端、
『こいつに成仏手伝ってもらえ!』って言ったはずですもん。」

「……それって、俺の真似か?」
「ええ、自分でも似てると思いますよぉ。」
「ば、馬鹿にしてんのか!そんなんだったら本当にセレナに引き渡すぞ!」
「ああー。嘘、嘘ですよぅ。冗談ですって。」
そう言って胸をバシバシたたいて来る。こんにゃろ、適度に具現化しやがって。と、その時。
「………」
「どうかしました?…本当に怒っちゃったんですか?」
「お前……香水なんか、つけてない、よな?」
「え?…い、いぇ、それは無理だと思いますけど……」
「だよな。」
葵が胸を叩く度に香る、甘い香り。これはどこかで嗅いだことのある香水の匂いだった。
……どこで…誰の匂いだったか。……ああ。これは、消えた記憶の中にある………
「……大丈夫ですか?辛そうな顔してますよ?」
「あ、ああ。大丈夫。」
またか。どうも思い出そうとすると心身ともに辛くなる。もうやめだ。寝よう。
「眠くなった。そろそろ寝る。」
「うん、私も。…ふぁーあ…眠いです。」
そう言ってまた丸くなって、眠りに入る。
「……おやすみ。」
「!……はい、おやすみなさい。」

6

「ん……んあ…」
不意に目が覚める。目覚ましがまだ鳴っていないところをみると十二時前か。鳴る前に起きるなんて珍しい。
「…おお……?」
何か違和感があると思ったら、横では葵が幸せそうな顔をして爆睡していた。
……本当に幽霊のくせに寝やがる。
「……生意気な……」
ちょっとムカついたので起こしてやろうかと思ったが、寝てる方が静かで助かる。
起きないようにそっと着替え、コンビニへ出かける。ちょうどお昼だ。
「……お、これ……」
昼飯を買うだけのつもりが、つい興味のある本を立ち読みしてしまい、気付けば三十分も経っていた。
店員からは怪しい目で見られまくりだ。
結局本は買わず、おにぎりだけ購入。しばらくはあの店にいけないな………
散歩がてらに歩いてあると、商店街へ。この道は遊園地へと続いており、商店街は一日中車の通りが多い。
……何故かこの商店街に入ろうとすると、悪寒が全身を襲い、気分が一気に悪くなる。
多分この道に記憶の鍵があると思うのだが、この不快感を我慢してまで思い出したくねぇ。
踵を返し、アパートへと帰っていった…………

夢を見ていた。これは生きていた時の夢なのだろうか。よくわからなくて不思議だけど、
悪い夢じゃなかった。
とても大切な人と、楽しい時間を過ごす、そんな夢……心が暖かくなる……
でも、いつかは覚めてしまう。そう考えると怖くなり、一気に夢は覚めていく………
「んん……」
目が覚める。そうだ、隣りには晴也さんが………
「あれ?……晴也さん?…晴也さん?」
いなかった。脱ぎ捨てた服と、片付けていない布団を残したまま、いなくなっていた。
靴も無い……どこかへ出かけたのだろうか………そう思い、しばらく待ってみる………





「帰ってこない……」
三十分ほど待ってみたが、帰ってこない。…もしかして私を捨てて逃げてしまったのだろうか……
いや、でもここは晴也さんの部屋だし……
そんなとく、ふとセレナさんの顔を思い浮かべる。彼女家に行っちゃったんだ………
私に本当に愛想を尽かして………
「いや…そんなのいやだよ!!」
晴也さんがいなくなっちゃったら私、独りぼっちになっちゃう!………だめ、帰って来てよ…晴也さん……
「晴也さん……晴也さん…晴也……さん…」

「あー…久しぶりに歩いたな。」
あれから体調が良くなるまで歩いたら、部屋をでてから一時間は経っていた。
まあバイトは三時からだから余裕だな。鍵を開けて部屋に入ると……
「おう?」
部屋中が目茶苦茶になっていた。テーブルはひっくり返り、布団や服はあちこちに乱れ飛んでいた。
そしてその部屋の中央には葵が背中を向けてたたずんでいた。
「おい、なにやってやがんだ………」
またしょーもないことしやがってと怒鳴ってやろうとしたが……
「晴也…さぁん…」
振り向いた葵は俺が怒る前にすでに泣き崩れた顔になっていた。
そして俺の姿を確認するやいなや駆け寄り………
ドン!
「うぉ!?」
思い切り押し倒された。その勢いでドアに背中をぶつけた。
「ってぇなぁ……いきなりなにしや…」
「晴也さん、ごめんなさい。ごめんなさい。」
「え?」
急に謝られ、困惑する。葵はまだ泣きながら俺に縋り寄ってくるのだ。
「今までしてきたこと、全部謝りますから……見捨てないで…私に愛想を尽かさないで……
晴也さんしかいないんです…だから、戻ってきてぇ……」

なにがなんだかわからん。なにを言ってんだ。
「戻ってきてって……ちょっと帰るのに時間かかっただけじゃねぇか。」
「…え?……本当ですか?セレナさんの家に行ったんじゃないんですか?」
「どうしてセレナが出て来る……」
「……だって、朝起きたら晴也さんいなくて……待ってても帰ってこなくて……
昨日一日だけで嫌われちゃって捨てられたかとおもったから……」
なにを大きな被害妄想を。本当に捨てるならとっくに捨ててる。
「わかった、わかった。俺が悪かったよ。だからもうグズグズ泣くなよ……幽霊のくせによ。」
「…ぐすっ……えへへ、はい。……それと、その……もう一つお願いがあるんですけど……」
「ん?下らない事なら即却下だ。」
「う…あのですね……今日もバイト先に行っていいですか?」
「………」
きっと一人になるのが寂しいのだろう。さっきの今だ。そう言うのも無理はねぇな。
「……迷惑にならないように、見てるだけでがまんできるってんならな……」
「は、はい!それだけで十分ですぅ!」
……俺もなんだか甘くなったな………

7

「ちーっす。」
結局葵はついてきた。スクーターと同じスピードで飛んでるのを見ると、
なんだかリアルスーパーマンを見てるみたいだった。……うらやましいだなんて死んでも葵には言えねぇな。
調子乗りやがるから。着替えようとすると……視線が気になる。
「おい、葵。」
「!…え、え!?ええ!?」
声掛けられただけでなにそんなに慌ててやがる。
「……出てけ。」
「…え?あの、や、やっぱり私……邪魔者なんじゃ……ご、ごめんなさい!
なにかしたんなら本当に謝りますから。」
「着替えるから出てけつってんだよ!!!」
「あ、はいい〜〜」
ようやくどやされてロッカールームからでていく。隣りのロッカーを見るともうセレナはいるみたいだ。
着替え終わり、ロッカールームを出ようとノブに手を掛けると、部屋の外から声が聞こえる。
セレナと葵だ。やっぱりセレナも干渉できんだな。
「…ねえ、葵ちゃん?……昨日はハルの部屋に泊まったの?」
「はい、そうさせてもらいました。」
「そう……ね、ねえ。よかったら今日から私の部屋に泊まらない?私なら構わないから。」

「えっと…あの……い、いえ、大丈夫ですよ。セレナさんに迷惑かけたくないですし。」
俺なら良いのかよ、と心でつっこむ。散々部屋を荒らしておいて、本当にいい迷惑だ。
「ううん。本当に大丈夫だから。それより、ハルに迷惑かかっちゃうじゃない。
ほらー…ハルって、すぐ怒るから、居辛くない?」
……別に見境なく怒ってるつもりはないが……基本的には葵の奴が怒らせてるんだからな。
「……それでもいいんですよ、セレナさん。」
「え?」
「たとえ怒られても……そうすることで、晴也さんにかまってもらえるんです……。
晴也さんがいるだけで、独りぼっちだっていう悲しみも和らぎます。」
「……ねぇ、ハルの事好きなの?」
何を聞いてんだ……セレナのやつ。んなわけねぇって……
「うん……好き…なんだと思います。まだ一日しか経ってないけど……なんだか、
初めて会った気がしなくて……」
なんなんだよ……あんなやつと…会ったことは無い、はずだ。
「…そんな……もう、やめてよ……やめて……」
セレナの声が心なしか震えている。見えはしないが、泣いているのだろう……

「もうやめてよ!……死んでまでハルを取らないでよぉ!!…そこまで…私の邪魔したいの?」
「え?…セレナさん?」
「ハルはね、私の恋人なの、愛し合ってるの。……死んだあなたが割り入っていいわけないじゃない!
…ふざけないでよ!」
なにを…セレナは感情的になってんだ。いくらなんでも変な心配しすぎだろ。俺と葵が?ありえねぇっての。
「死んでまでって……セレナさん、私が生きていた時のこと知ってるんですか?」
「う……」
「ねえ、教えてくださいよ!私と晴也さん、前に会った事あるんですか!?」
「……ない!ないわよ!!……あなたの事なんて…知らないわよ……」
そう言ってセレナの立ち去る音が聞こえる。その気まずい雰囲気に、しばらくロッカールームから
出られずにいた。
しばらくしてバイトが始まり、客が入る。今日はセレナが何度もミスをしていた。
よっぽどさっきの会話で動揺したのか。終わった時には疲れ切っていた。
……恋人としてはこういうときは一緒に居てやるべきか。
「セレナ……」
「あ、ハル……ごめんね、今日はミスばっかりしちゃって……」

 

「気にすんなって……そんな事より、今日家に泊まりにくっか?」
「え?…でも…」
「葵は…まあ、なんとかしてもらうさ。さすがに一緒に居るほど野暮でもないだろ。」
あいつの場合野暮というか天然で居座りそうだが。もう葵は先に帰っていた。仕方ない、
帰って説明しなくちゃいけねぇな。スクーターの後ろにセレナを乗せて帰宅。
…違反?知ったことか。
「…えへへ、なんだか久しぶりだな。ハルの家に泊まるの……」
「…そうだな。」
鍵を開け、部屋を開けると案の定……
「あ、おかえりなさぁい!晴也…さん…」
「あ……」
やっぱりさっきの事があったせいか、二人の間に気まずい雰囲気がまた流れる。
「せ、セレナさん…今日、泊まるんですか?」
「まあね……」
「あはは…じゃ、じゃあ、私はお邪魔虫ですね。…今日はぶらぶらと過ごします。」
「ああ…ワリィな。」
「や、やだなぁ。謝らなくて良いんですよ。私が悪いんですから。」
そう寂しい声を出し、すっと壁を抜けて出ていってしまった。何故か悲しくて、
その抜けていった壁を触っても葵の温もりは分からなかった……

8

「じゃあ、シャワー浴びるから……」
「おう。」
葵がいなくなってから、しばらく世間話をしていた。なんだかセレナと久しぶりに
よく話したような気がする。というか、つい一昨日まで普通の暮らしをしていたのさえ疑えるぐらいだ。
「………」
セレナのシャワーを浴びる音だけが響き、葵のいない静かな部屋。……たった一日だけなのに、
やたらと長い気がした。葵の心残りが消えない限り続くとなると、うっとおしいのだが……
「はぁ……」
少し期待している自分がいる。あれだけ馬鹿騒がしいのが、いまでは苦痛では無くなっているのだ。
でも葵は幽霊……ある種、異端の存在。そしていつかは消えて………
「くそっ!」
ドンっと葵が消えていった壁を叩く。ここまで誰かに心を掻き回されるのは初めてだ。
悔しいのか悲しいのか……中途半端な感情だ。
落ち着けずに、部屋をうろうろしていると、セレナがシャワーから出てきた。
「ハル…でたよ。」
「………」
セレナはバスタオルを巻いただけの姿だった。体はほんのり赤みを帯び、濡れた髪がまた扇情的だった。

「ハル……悩むのは止めようよ。あの娘は……幽霊なんだから。もともと、私達とは
関係なかったんだよ……」
「関係……ない?」
カチンときた。セレナの無責任な言葉に。普段からこういう事を言うが、今回ばかりは…
「っざけんなよ!関係なくないだろ?…あいつを助けてやれんのは、俺達しかいないんだよ!」
怒りを捲し立てながら、セレナに歩み寄る。セレナ曰く怒りやすい俺が、本気で怒っているのに、
本人も動揺している。
「な、なにそんなに怒ってるの?本当の事じゃない!?」
「本当だろうがな、俺はもう見捨てられるようには思えないんだよ。
せめて…せめて心残りを解消してやりたいんだよ!」
「なんで?…あの娘のためにそんなにまでしようとするの?死んでるんだよ?…恋人でもないのに、
無意味な事しないでよ!!」
「無意味なもんかよ!」
「だからなんで!?」
「好きだからだよ!葵が!」
「っ!…そんな…だって、私はハルの…恋人だよ……」
「死んでたら関係ないんだっつっただろ?なら死んだ奴を好きになっても関係ないよな!?」

「だめよ……」
セレナが俯き、肩を震わしながら、声を絞り出す。その表情は、ここからではうまく読み取れない。
「そんなのダメ!私がこんなにハルが好きなんだから、そんな死んだ娘の事を好きだなんて
言って欲しくない!!」
そう叫ぶと、バスタオルを外し、その豊満な体が露になる。クォータによる物のせいか、
やはり同い年の日本人とは格が違う。
「うっ……」
やはり男の性か、その体に釘付けになり、男としての反応もしてしまう。その裸のまま迫り寄られ、
押し倒された。
「んふっ……ふぅ…」
そして熱い口づけ。よく考えると、最近はこういう行為はしていなかった。
最後にしたのは何時だっただろう……
「ね、ハル。エッチしよ?最近してなかったから、溜まってるんだよね?
ふふふ…あんな体のない幽霊となんかじゃできないもんね。私がたっぷりしてあげる。」
「うあ…」
そう言って堅くなったズボンの上から擦られるGパンの生地をも突き破りそうなほどに、
痛々しく腫れ上がっていた。
「ほら、ね?気持ちいいでしょ?あんな幽霊なんかより、私の方がいいでしょ?」

うまく抵抗できないまま、ジッパーに手が掛かる。すると……
「やめて!もうやめて下さい!!」
妖しい部屋の空気を、一人の声が切り裂いた。その声の主は玄関に立っていた……
「あ、葵!?」
「あなた……なんでここへ……あはは……まあいいわ、あなたと私が違うってこと……
ハルに出来ないことを、私がしてあげるのをしっかり見てなさい……」
葵の叫び声が入ろうとも、セレナは行為を止めない。それどこれか見せつけるためか、
激しさを増していく。
「やめてって……やめてっていってるんです!!!!!!もう見たくない!!!!」
ゴウッ!
鼓膜が突き破れるほどの大声が聞こえた瞬間、物凄い衝撃が襲ってきた。強風というより、
もはや衝撃波といえるような物が、部屋に叩き付けられた。
「ぐあ!」
「きゃあ!?」
それに耐えられずに吹き飛ばされる俺とセレナ。家具や食器も部屋中に飛び散る。
痛みを堪えて立ち上がると、葵が部屋を飛び出そうとしていた。
それを追いかけようと、俺も部屋を出ようとした。その時………

ドスッ
なにか鈍い物が刺さるような、そう、まるで刃物にでも刺されたような音がした。
「え?」
自分の体を確認してみる。頭、首、胸、腹、足。どこも異常はない痛みも出血も……
「あは、あはははははは……ほら、ハル〜……」
振り替える。そこには血がたまっていた。大量の血。セレナから……セレナの腹から溢れていた。
そのセレナの手には……真っ赤に染まった包丁が握られていた。
「あははは……ハル…痛いよぉ。私も死んじゃうよぅ…あは、私も死んじゃったら、
ハルに愛してもらえるのかなぁ?…アッハハハ、ハハハハハハ……
だめ、だよ。あんな女じゃなくって、わたしのしんぱい、して、ね?
……タ、ス、ケ、テ、ヨ。ハル?」
「あ、あ……ぐ、あ」
血、血、血、血。真っ赤な血。血の匂い、血の味、血の色。思い出される。たくさんの血。血の池。
いけない、血はいけない。それは……それはっ!
「う、うああああああ!!!!!!あああああ!!!!」
その光景に全てを思い出した。去年の記憶を全て。そして……葵の事も。

9

昨年、三月……
俺は高校を卒業した。特に将来の夢や希望もなく、大学へはじめっから行く気が無かったため、
自由登校はほとんどバイトに費やし、気ままな日を送っていた。
親も特に何も言わず、一人暮らしを認めてくれた………。まあ、全部自分の金で済ませろ、
というのが条件だったが。
その時借りたアパートはとにかくぼろかったが、寝て起きられればそれで満足だったため、
安くて助かっていた。
そしてバイト先……それが今の『Fan』だった。面子も今と変わらず、セレナ、店長だけだ。
そこで俺は……葵と会ったんだ………







「お先。」
「あーあ。いいなぁ、ハルは。もう上がりかぁ。」
今日は早番で午前の開店から居たため、セレナは遅番で閉店までだ。待っててなんて言われたが
四時間も待つ気力は無い。今日はやたらと疲れたのだ。
着替えてロッカールームを出て、裏口から店の外を一周し、ゴミのチェックをする。
これは帰る時の決まりらしい。
そのまま正面の入口まできた時、一人の少女が財布を覗きながらうんうん唸っていた。

制服を見る限り、学生……それも俺と違う学校だ。財布、店、財布、店と、目を行き来させている。
おそらく店の壁に張ってあるメニューでも見ているんだろう。
そっと近付き、ゴミを拾うふりをしながら少女の様子を伺う。すると何やら独り言を
つぶやいているようだ。
「うーん…困ったなぁ………百円足り無い……あのチョコケーキ食べたいのに……
はぁ、今食べたいんだけどなぁ。」
なるほど、金が足りないと悩んでいるのか。この少女の言うチョコケーキというのは
意外に美味しく、隠れて好評となっているらしい。
……よほど悩んでいるし、あんなに食べたそうな目を見ているとなんとも可哀相に思えて来る、
まあ客なんだしいいか。
ポケットにあった百円を握り、そっと後ろから近付く。真後ろな立っても気付かないとなると、
相当悩んでいるみたいだ。
「お客さん、どうかなさいましたか?」
もうシフトから外れているのだが、一応接客モード。
「はい……チョコケーキ食べるのに百円足りなくて……って、ひゃあ!?」
一通り質問に答えてから驚く。なんだか面白い奴だ。

「え?え、えと…あのぉ……」
「俺、この店の店員。」
「あ、はぁ…や、やだ。聞かれ…ちゃた?」
可愛らしく小首をかしげる。しかしこれぐらいの年で一人でケーキをたべるだなんて珍しい。
友達連れが多いんだが。
それによく見てみると可愛いいじゃないか。おそらく俺のクラスにいれれば一番だろう。
そんな男の性か、はたまた店員としての客へのサービスか。
自分でもわからないまま、少女の手を取る。
「っ!?」
見てわかるぐらいに体をビクリと震わせる。どうやら行動の一つ一つが大袈裟らしい。
見ている側としてはおかしくなる。
「ほら。」
その手を開き、百円玉を一枚握らせる。帰りにジュースでも買おうかと思っていたが、
帰れば飲み物ぐらいあるし、大丈夫だろう。
「え?こ、これは?」
「百円。足らないで悩んでたんだろ?いいよ、別にそれぐらい。ウチのケーキ食べてくれんなら。
儲かるしな。」
「あ、あの。ありがとうございます!ほ、本当に…」
「いいって。その代わり、ちゃんと食えよ?」
「はい!」
パアッと笑顔になる。振り返って帰ろうとすると、店からはセレナのいらっしゃいませが聞こえた。

10

「ちーっす。」
今日も今日とてバイト漬け。今日はセレナが休みなため、一人でやることになる。
まあ一人だろうが、客が少ないから楽なんだが。
あまりに暇なのに見兼ねたのか、店長が新作の試食をしてみないかと聞いてきた。
見た感じへんてつのないショートケーキみたいだが………
「おお。」
なかに甘酸っぱいソースが入っていた。クリームの甘さと中和するようで、とてもうまい。
「うん、おいしい。」
素直な感想をいっていると………
カラン
客が来た合図の、ドアの鐘が鳴る。慌てて口の周りを拭き、接客に向かう。
「いらっしゃいま……あ。」
「あ、あの、どうもです。そのぉ…また来ちゃいました。」
その客は、昨日表で百円が足りないと悩んでいた少女だった。昨日の今日でくるなんて。
そんなリピーターでもなかったきがしたが。
「それじゃ、御席へご案内します。」
適当なところへ座らせてメニューを渡す。
「…今日はちゃんとお金持ってきたか?」
「あ、あたりまえですよぅ。そこまでボケてませんって。」
なんだか天然に見えるのは俺だけか。

「あ、それより昨日のチョコケーキおいしかったですよ。噂になってるだけはあります。」
「へぇ、噂にまでなってるのか。……っと、ちょっと待っててくれ。」
そう言って厨房へ戻る。店長に話してさっきの試作品を食べさせていいかきいてみる。
二つ返事でOKだった。
「はい、お待たせ。」
「え?これは…」
注文もしてないようなのがでたためか、少しこまっているようだ。
「これ、ウチの店の試作品なんだよ。今度メニューに加えるらしいんだけどさ、
まあ、美味しいかどうか感想を聞きたいわけよ。」
「ほ、本当ですか!?あ、でも…」
「大丈夫、試食なんだから、タダ。」
それを聞いて、そっと胸を撫で下ろす。フォークを手に取り、ケーキに差し込む。
……人が食べてるのを見てるってのも趣味が悪いな。
「じゃあ、俺厨房に戻ってるから、またなんか用があったらよんでくれ。」
そう言い残して振り返ると……
「あ、ま、待って!」
背中に声を掛けられる。
「はい?」
「そのー…良かったら、一緒に食べませんか?私だけ食べるのも気が引けるし………」

「いや、俺いまさっき食ったばっかなんだ。大丈夫だ。味の方は保証するから。」
そう言ってまた厨房へと向かう。
「あぅ……そうじゃなくって……一緒にいてほしかったんだけどなぁ。」
まだ何かつぶやいていたが、良く聞き取れなかった。
結局あの試作品とは別にケーキを食べ、帰るようになった。
「どうだった?あれ。旨かったか?」
「はい、私ああいう酸っぱいの好きなんですぅ。だからちょうど好みの味でした。」
「そら良かった。まずいだなんて言われたら店長ショックで寝こんじまうかもな。」
まあ、この娘の性格なら不味くても旨いと言いそうだが。
会計が終わり、帰る頃になると……
「あの、秋沢…さん?」
「?」
いきなり名前を呼ばれて驚いた。確かまだ自己紹介もしてなかったはずだが……
ああ、ネームプレートを見たのか。
「なに?」
「えっと…えっと…わ、わた、わた……」
「綿?」
この娘は吃り症でもあるのか。
「私、葵っていいます!喜瀬葵です。」
「…はあ。」
それが彼女の名前なのか。
「そ、それじゃあ今日はありがとうございました!」
そう早口で言うと、カァーッと顔を赤くして、出ていってしまった。
喜瀬葵……面白いやつだ。

To be continued...

 

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