どうしてこんな、いや今は生きていたことを喜ぶべきだろうか。
「どうしたの、蒼」
「何で、生きてるんだ?」
「蒼は嬉しくないの?」
悲しそうな目をしてシャーサが見つめてくる。
嬉しくない訳がない、死んだと思っていた人が生きていたのだ。僕は思わずシャーサを抱き締めた。
これは擦り込みのようなものだ、もう何とも思っていない筈なのに懐かしく思えてしまう。
八百年以上の年月を通り越しても変わらない体温が、とても気持ち良い。
忘れようもない程に深く体に馴染んだ感触は、心を溶かしてゆく。
「嬉しい」
それに応えるようにシャーサも僕を強く抱き返してきた。細い腕が伝えてくる力は弱い
ものだが、精一杯力を込めてくる。離れたくない、離したくもない、一人になりたくない、
ずっと二人で居たい、こうして抱き合っているときによくシャーサが言っていた言葉だ。
今は言っていないけれど、その気持ちは痛い程に伝わってくる。
「でも本当に、どうやって生き残ったんだ?」
「ナナミには聞いてなかったみたいね」
ナナミに目で問掛けると、気不味そうに視線を反らされた。
「うふふ、蒼だから特別に教えてあげる。あのね、これ、機械の体なの。オリジナルには悪いことを
しちゃったけど、これも蒼の為だもの。それに、今は私が本物よ」
何を言っているのか、さっぱり分からない。本物が死んだとか、機械の体だとか、
その体が本物であるとか、思考の容量を軽く越えてしまっている。
今僕の前に居るシャーサが偽物ではないということは辛うじて理解することが出来たけれど、
それ以上のことは全く理解出来ない。まるで異国の言葉を聞いているようだ。
詳しく訊こうと思ったが、視線で制されて何も訊けなくなる。
「そんなことはどうでも良いじゃない。大切なのは、これからのことよ」
これからのこと?
「私は一度死んでしまったんですもの、これからは自由だわ。今はもう誰も私を束縛することなんて
出来ないわ、だから自由に蒼と愛し合うことが出来るの。一緒に暮らしましょ、
蒼が望むことなら何でもしてあげる。二人だけの世界が、すぐそこにあるのよ」
言いながら襟を下げ、白く細い首筋を見せ付けるように晒してきた。そこには罪人の証である首輪が
存在せず、この都市では不自然な自由を表している。相手が誰であろうと、
例えその相手が僕であろうと縛られることを何よりも嫌う彼女の性格を誇示するような、
そんな意思を分かりやすく表現していた。
「昔から望んでいたことがついに叶うのよ、嬉しくないの?」
「うれ、しい?」
僕はどう思っているんだろう、自分のことなのに分からない。過去の僕であったならば
手放しで喜び、何の疑いもなく着いていっただろう。愛する人と何の邪魔もなく二人きりで
幸せに暮らしてゆく、それは今のシャーサが言うように甘美で素晴らしいものだ。
認められる筈のない恋愛をしていた僕達だから尚のこと、
そんな普通の人がするようなことを望んでいた。
今も僅かではあるが、それに心を惹かれている自分が居る。久し振りのシャーサの体温が、
甘く楽しかった時代の僕を呼び起こしているからだ。だが、簡単に肯定をすることが出来ない自分が
壁を作ってしまっているのだ。これを倒して乗り越えてしまったら、後は楽だろう。
だが、巌として通してくれはしないのだ。
「僕は、それに応えることが……」
出来ない。
迷った末に、その答えが出てきた。先程まで何とも思っていなかったから、
などという理由ではない。過去を切り捨てていたことなどは、上辺だけの理由にすぎない。
ならば、本当の理由は何だろう、自分の心に問掛けても答えは返ってこない。
だが、それで良いのか?
あんなに魅力的なのに、何を躊躇うことがあるのだろうか。あれだけ大切にしていて、
それ故に一度は諦めたものが再び手に入ろうとしている。それをまた諦めて良いのだろうか、
良い筈がない。普通に考えて、普通にそんな答えが出てくる筈だ。今の機会を逃してしまったら、
もう後戻りするなんてことは出来やしない。現実は、そんなに甘いものではない。
起きたことは、絶対に消すことが出来ないのだ。
例えば、シャーサが大統領を殺してしまったこと。
例えば、僕が罪人になったこと。
例えば、リサちゃんやサラさんが殺し合いをしたこと。
打ち消すことは出来ずに僕や皆の心にしっかりと残り、深い傷を付けている。
一生かけても消えないものは存在し、続いてゆく。不老になった僕に限って言うのなら、
それこそ永遠のものだ。見えないようにすることは可能だろう、辛く大変だろうが現実を忘れて
夢に酔ってしまえば良い。そちらを現実にしてしまえば、今度は過去のことが夢となり
意識をしなくなる。シャーサの申し出は、そんな意味も持っている。
「青様」
突然のナナミの声に、誘惑に駆られそうになった心が引き戻された。
そして、どうして素直に答えを出すことが出来なかったのかも分かる。過去を切り捨てることで
未来を切り開くのは可能だが、それが嫌なのだ。リーちゃんやユンちゃんが親に捨てられたように、
犠牲を生むことが嫌だからだ。かつて僕が要らないと言われて両親に捨てられたように、
残していくものの気持ちが痛い程に分かる。だからこそ、僕の周りの皆には、
絶対にそんなことをしてはいけないのだという強い意識がある。
「シャーサ、僕は」
「あら、もうこんな時間だわ。またね、蒼」
シャーサは僕の答えを聞くことなく唇を重ね、踵を返して去ってゆく。
呆然とした。
それも一瞬のことだが、気が付いたらシャーサの姿が見えなくなっていた。
いや、今はそんなことはどうでも良い。
過去を切り捨てることを拒否したことで、新しい疑問が沸いてきた。
それは、今抱えている問題の本質のようなものだ。僕は誰を選ぶのか、それが分かれば、
きっと答えを出すことが出来る。過去を見て絶対に誰も後悔しない選択をして、やっと未来が見える。
だがそれと同時に不甲斐ない気持ちが沸いてきた。
「情けないな」
こんな簡単なことに今まで気付かなかった自分が腹立たしい、皆を大切だと思い、
見ていたつもりだったが、それは勘違いだった。
今まで見ていたようでいて、何も見えていなかったのだ。馬鹿の中の馬鹿、本物の大馬鹿野郎だ。
「青様」
「ごめん、少し静かにしてくれ」
自分で言っておきながら、何て身勝手なんだろうと思う。僕がはっきりしないでいるのが
原因なのに、半ば八つ当たりのようにしてしまっている。それなのに言うことを聞いてくれて、
黙って静かに隣に居てくれるナナミの存在が嬉しかった。
ナナミの肩を抱き寄せ、髪を撫でる。黙っていてほしいという願いがどこまでその効力を
持っているかは分からないが、ただ無言で僕にされるがままになっている。本当の心は分からない、
感情を再び持ったことで感情が無かったときよりも余計に分からなくなった。
どこまで僕を信じてくれているのか、従ってくれるのか。
どう思っているのか。
そして、いつまで隣に立っていてくれるのか。
改めて思えば、いつも隣に居た筈のナナミが酷く遠く感じる。
「ナナミ、一人は寂しいな」
隣にナナミが居るのに、不思議な言葉だ。
「私は昔、いつもそう思っておりました」
数秒。
「それを打ち消してくれたのは青様です。それ程機会は多くありませんでしたが、
その時はとても嬉しいものでした。今、青様が寂しいと仰るのであれば、私が隣に居ます」
素直な言葉に、嬉しく思う。
僕はナナミを強く抱き締め、目を閉じた。
*******時系列表(屋敷のお仲間編)*******
『青の使用人時代』
・青とシャーサが恋人として過ごす
・ナナミ(感情有)が青に惚れる
・シャーサが大統領と結婚
・初夜にシャーサが大統領殺害
・シャーサの親族の謀略やシャーサ父の願いにより、シャーサを守る為に罪を被る青
・青がSSランクの罪人認定を受け、不老化する
・シャーサ父の意向により、監獄都市内での補助役を選ぶことになる
・ナナミが立候補、青が辛い想いをしないようにと自らの感情回路を破壊する
・二人で監獄都市へ
・シャーサが青が居なくなったショックで寝込む
『八百余年』
・シャーサ、治療の為に不老化
・シャーサが計画を練り、大統領を殺害
・機械の体に意識をコピー
・いざ監獄都市へ
『青の監獄都市生活編』
・過去を引きずりながらの生活
・リサが隣の部屋に越してくる
・サラと出会う
・ナナミ(感情無)が双子を拾ってくる
・サラの勘違いにより、サラとセックス
・気不味い生活
・シャーサ(旧)がSSランクの罪人として登場、修羅場の後でサラとリサに殺される
・双子の言葉により、ナナミが再び感情回路を取り付ける
・シャーサ(新)の言葉により、ナナミが青のところへ
・殺し合い
・ナナミ(感情有)が納めるも、体が大破
・問題抱えた日常
・シャーサ(新)が青の前に登場 |