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甘獄と青



Sideナナミ

 食品店を出て向かった先は、裏通り。その奥には非合法な店が立ち並ぶ裏商店街と
いうべきものがあります。正直こちらには近寄りたいとは思いませんけれど、
個人の我が儘を通す訳にはいきません。自分の意思よりも尊重すべき御主人様の安全が、
私の体をそちらへと突き動かします。
  するべきことは幾つかあります。
  まずは昨日砕かれた白杭のスペアを買うこと。青様はSSランクの罪人ということもあり、
悪いことを企んで近付いてきたり、酷い手合いになると何を勘違いしたのか名声を得ようとして
命を狙ってくる方々もいらっしゃいます。基本的にこちらの都市は根の良い方が殆んどなので、
そこまでの方は滅多にいらっしゃいません。しかし全く居ないという訳でもないので、
こうした装備品は必要ないとは言えないのです。恐らく起こらないとは思いますが、
サラ様やリサ様が青様に危害を加える可能性を見捨てておける程馬鹿ではありません。
  二つ目は、リサ様についてのことです。こちらは武器を買うのとは違い、必ずしも必要ということは
ありません。しかし無視する訳にもいかず、調べておいた方が良い気がするのです。
幼いと思っていたこともあり、昨日の夜までは自己申告である3000人殺しや、
SSランクであることが引っ掛かりつつもそのままにしておきました。
しかし昨日の舞を見て一つの疑念が生まれました。
リサ様の為に、そして何よりリサ様を可愛がっている青様の為に
確認をする必要があると判断しました。情報屋は好むところではありませんが、
唯一他人の過去が買える場所なのです。SSランクともなれば監獄に入る前のことは
分からないかもしれませんが、それでもこちらの都市に来る前のことくらいは分かります。

 そして最後は、感情回路のことです。こちらは最早習慣のようになっているもので、
特に意味があるという訳ではありません。しかし、必要なものなのです。
青様と共に屋敷を出る決意をしたときから壊したままであるそれは、今でも私の中に残っています。
きっと今後もそうなると思いますし、そもそも付け変えようとは思いません。
その筈なのに思考の奥底では、もう一人の私が付けるべきだと言うのです。
  それらの意味を考えながら進んでゆくと、まばらに人影が見えてきました。
監獄都市の中でのスラム、といったところでしょうか。視線を回せば様々な方々が見受けられました。
小柄なのが特徴の第四惑星人ですが、それとは無関係に幼いと分かる少女の売春婦。
薬が切れたのか、青ざめた顔をして路上に転がっている男性。ぼろきれを纏った老人の集団。
薄暗い空間を照らすように光る下品なネオンが、違法店舗だということを主張しています。
先程スラムと表現しましたが、しかし言葉のイメージとしては、
こちらの方が監獄都市という感じがします。監獄都市と言うよりも、
罪人都市という方が正しいのでしょうか。
  一歩踏み出す度に、独特の空気がまとわり付いてきます。
「お姉ちゃん、その食べ物くれたら二人でなんでもするよ?」
  不意に、スカートが引かれました。視線を向けてみれば幼い女の子が私の顔を見上げています。
二人で、と言ったのは背後の壁に寄りかかってしゃがんでいる少女も一緒に、ということでしょう。
薄汚れているせいで分かりにくいですが、双子らしく、二人で助かりたいと思っているのでしょうか。

「おねがい、おねがいです」
  このような目的で亡くした訳ではないのですが、やはりこうした場合は感情がない方が
良かったと思います。してはいけない、という判断が罪悪感というものになり心を襲ってくるのは
分かります。例え行動は正しいものだとしても、です。その辛さがないだけ、私は幸せなのでしょう。
  私は見下ろすのではなく、しゃがむことで視線を合わせました。青様ならば、そうするでしょう。
感情がない私でも、そうすることで自分の意思を伝えることは出来ます。少女は自分の言葉を
聞いてくれる者が出来たのが余程嬉しかったのか、はにかむように笑って抱きついてきます。
「あのね、そのね、がんばるから。リーちゃんもがんばるよね?」
「……うん」
「牛乳は重いですよ」
「だいじょうぶだよ!」
  この機械を逃したくないのか、少女の視線には強い光があります。
「卵は割らないで下さいね」
「……だいじょうぶ」
  リーちゃんと呼ばれた少女はどこか体調が悪いのか、くぐもった声で返事をしました。
大丈夫でしょうか、と思いながらも取り敢えず信用することにして荷物を預けました。
私は踵を返しながら、
「着いてきて下さい」
  奥へと向かいました。普段はしないようにわざと音をたてて歩くと、背後から二人分の足音が
ついてきます。屋敷に居た頃から侍女として誰かの後を追っていた私にとっては、初めての体験です。
もし私に感情があったのならば、こうした今の状態をどのように思うのでしょうか。
嬉しいと思うのか、誇らしいと思うのか、それとも悲しいと思うのか。

「どちらにせよ、今の私には関係のないことです」
「どうしたの?」
  私は軽く首を振り、安心させるように笑みを作って二人の頭を撫でました。
青様が普段リサ様にしているようにすると、気持ち良さそうに目を細めました。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「何でしょう?」
「なまえ、おしえて?」
  そういえば、まだ名乗っておりませんでした。
「ナナミです、名字はありません」
  少女はこちらを見上げると、
「あたしたちと同じだね。あたしはユン。で、こっちがリーちゃん。妹なの」
「……よろしく」
  先程は弱い声だと思いましたがよく聞いてみれば声が小さいというだけで、
確かな強さが存在します。ただ単に、大きな声を出すのが苦手なのでしょう。
体が多少揺れていますがそれは栄養失調による未発達が原因らしく、速度はあまり早くないものの
二人とも確かな足取りで歩いています。品物の入った袋を地面に擦らないようにしている辺りに、
必死な部分が伺えました。失礼な言い方になりますが、この様な生活をしていなかったのならば
誰もが彼女達を愛していたでしょう。
  その努力に応える為、私は歩みの速度を落としつつ、
「急ぎますよ」
  矛盾をしています、と思いながら呟きました。
  数分。
  非合法の機械類や情報を扱うお店、『SHOPオリハマ』に辿り着きました。この辺りまで来るのは
初めてらしくリー様やユン様は物珍しげに周囲を見回していますが、
少々強引に店内へと押し込みます。教育上、付近のお店を見せるのはよろしくありません。

「お、久し振りだねナナミちゃん。いつものかい?」
「はい、1ダース程お願いします」
「今日は活きの良いのが入ってるよ」
  店主様は笑って返事をすると、カウンターの下から大根の束を取り出しました。
「活きが良いというのは魚に使うものでしょう。それに大根を白杭というのには多少無理があります。
それと急いでいるので、真面目にお願い致します」
  店主様は顔を青ざめさせると、急いで奥へと歩いてゆきました。
  手持ち無沙汰になった私が見るのは、入口のすぐ左にある感情回路です。非合法のものらしく
市販品よりも感情の度合いが高いそれは、私の目を強く引き付けます。買いたいと思うことは
ありません。経済的な部分で見れば十個単位で買えるものですが、
「必要のないものですから」
「……ほしいの?」
  不意に、リー様が尋ねてきました。
「どうして、そう思うのでしょうか?」
「……機械でも、ロボットでも、心がなくても、大切だと思うものはあるよ?」
  私が機械人形だということは既に分かっていたようです。しかし、少し考えれば分かるのも
納得出来ます。この都市で産まれた子供だとしても、何かの施設を利用する為には、
身分証明が必要になります。機械人形ならば証明書、お役人様なら指輪、
罪人なら首輪がそれに当たり、0ランクでも着けるのは必須条件となります。
指輪も首輪もない私は誰の目に見ても機械人形だと分かります。しかし会って間もない、
しかもまだ幼い子供にそのことを見破られるとは思いませんでした。
「リー様は賢いですね。しかし、賢いからこそ分からないものもあるのですよ」
  言って頭を撫でると、不思議そうな顔でこちらを見てきます。
「待たせたね、お代は後でいつもの口座に振り込んでくれ」
「かしこまりました。それと、SSランクの少女の情報をお願いします」
  私に白杭の入ったケースを渡すと店主様は目を細め、首を傾げつつ顎を撫でながら、
「時間かかるよ?」
  これは、了承の言葉を頂けたということでしょう。
「後でまた来ます。そちらはその時に」
  言って背を向け、
「あ、待ちなさい。これ持ってって」
  振り替えると、大根を渡されました。
  お得です。

Take8

 皆でホットサンドを食べ終え、ニュースを見ているとノックの音が響いた。
何年も聞き慣れているリズムと音程はナナミのものだ、聞き間違う筈がない。漸く帰ってきたと思い、
出ようとするリサちゃんを制して玄関に向かう。ナナミに礼を言う場合、親しい者だろうと
他人が同席することを嫌がるからだ。僕の為にしてくれたことだから、
ここはナナミの意思を尊重したい。
  扉を開くと、
「あれ?」
  ナナミが居るのは良い。しかし、その足元には見知らぬ幼女が居た。しかも二人もだ。
服が少し汚れているものの、それを補って余りある顔立ちをしている。子供特有の低い背や
無邪気な表情、何よりも綺麗な瞳が僕の目を強く引き付けた。幼女達は顔に満面の笑みを浮かべると、
手に持った袋を手渡してくる。入っているのは卵や牛乳、野菜が幾つか。
ナナミが買ってくると言っていたものだ。
「ええと、ありがとう」
  何と答えて良いのか分からなかったが、無難な答えを返しておいた。
  取り敢えず台所へと運ぼうと思い、踵を返した直後、
「いけません!!」
  何かしただろうかと思い振り向けば、ナナミが二人の頭を押さえて睨んでいた。
どんな理由があるのか分からない僕は、黙って見守るしかない。しかしナナミは意味もなく
他人を責めたりしないのは分かっているし、一番良いだろうと思ったことをするので、
問題はないと思う。やけに厳しく見えるのも、きっと必要なことなのだ。

「青様、二人に荷物を返して下さい」
  言われた通りに返すと、ナナミは台所へと向かっていった。先程までは泣きそうな顔を
していたものの、二人は嬉しそうな顔でそれに着いてゆく。
  何が起きたのかさっぱり分からなかったけれど、無意味に玄関に立っているのも
どうかと思ったので、リビングに戻る。ソファに座って台所に視線を向ければ、騒ぐ二人を叱りながら
冷蔵庫に大量の大根をしまっているのが見えた。
「ブルー、どうしたのあの娘達は?」
「きゃはっ、可愛いねぇ」
  それを聞き付けたのか、ナナミは二人を足元にまとわり着かせながらやってきた。
「暫くこの娘達をここに置かせて頂きます。良ろしいでしょうか?」
  経済的にも余裕はあるし、それは構わない。しかし一体どのような過程で拾ってきたのだろうか。
基本的にこのようなことを一番嫌がるのはナナミ自身だった筈だが、
どのような変化が起きたのだろう。
「二人とも、挨拶しなさい」
「ユンだよ。よろしく、お兄ちゃん」
「……あたし、リー。よろしく」
「あたしはリサ、二人のおねーさんだね」
「わたしはサラ、よろしくね」
「よろしく!」
「……よろしく」
  見るからに双子なのに、随分と温度差があるものだ。しかしそんなことを気にしているのは
僕だけらしい。ナナミは普通に二人を見ているし、リサちゃんやサラさんも微笑んで
二人を眺めている。女性同士だから、というのは関係あるのだろうか。

「リーちゃんとユンちゃんだね、よろしく」
「お兄ちゃんは、ナナミお姉ちゃんとけっこんしてるの?」
  不思議そうな表情でこちらを見上げて、尋ねられた。これにどう答えを言えば良いのかと考えて
ナナミを向けば、いつもの無表情で首を振っている。否定しておけ、ということなのだろう。
僕はしゃがんで二人に目を合わせ、
「残念だけど、してないんだよ」
「ふーん、そうなんだ。せっかくパパとママができたと思ったのに」
「……ユンちゃん、我慢して」
  どんな理由で二人がここに来たのか、なんとなく分かった。首に填められた0ランクの首輪や
薄汚れた衣服、親が居ないことを示す発言。これはつまり、捨て児ということなのだろう。
希にではあるけれど、子供を育てることが出来ない親が捨ててしまうことがある。
この娘達はその被害者なのだ。そう思うと、胸が痛くなった。
「同情は無用です、青様。この娘達は自分で働くことを選び、ここに来たのです。
第二の人生を歩むことは、きっと幸福に繋がります。二人とも、まずは体を洗いますよ」
  そう言うと、ナナミは二人を連れて風呂場へと向かっていった。
  働く、ということはナナミと同じように僕の使用人としてということだろうか。
複数の使用人が出来たことで屋敷でのことを思い出し、先程とは別の理由で心が痛くなる。
幸いにもここにはリサちゃんやサラさんが居るので何とか耐えることが出来るけれど、
もしも一人だったのなら礼も言わないままに再びナナミの世話になるところだ。

「おにーさん、どうしたの?」
「ブルー、顔色が悪いわよ?」
  そんなに酷い状態になっていたのだろうか。
「大丈夫だよ、ちょっと風邪気味で」
「わ、ごめんなさい。あたしが昨日おにーさんのベッドで寝たから」
  勢い良く頭を下げて、リサちゃんが謝ってくる。
「なら、ウイルスだけ体から追い出しましょうか?」
  サラさんが普通に尋ねてくるが、確率システムでそんなことまで出来るというのに驚く。
勿論本人の技量や専門の器具も必要なのだろうが、まるで肩を揉んで凝りでも取るような軽い態度で
言われると大したことがないように思えてくる。悪い意味ではないが、改めてサラさんが
化け物じみた存在であることが思い知らされた。
  気持ちはとてもありがたいのだが実際に風邪気味な訳でもないし、どんな処置をされてしまうのか
少し怖い。だから僕はサラさんに向けて笑みを浮かべ、
「遠慮しておきます。ほら、僕は不死じゃないし、抵抗力が落ちると困りますから」
「そう、残念ね」
  サラさんは本気で残念そう、と言うか悲しそうな表情をして呟いた。
僕は悪いことは何もしていない筈なのに、心が痛む。さっきから辛い想いをしてばかりだ。
  気持ちをずらすように僕は笑みを強くして、
「そう言えば、サラさんは子供好きなの? リサちゃんを見るときもそうだけど、
さっきあの娘達を見てたときも嬉しそうだったし」
「えぇ、大好きよ」
「あたしもおねーさん大好きー」
  リサちゃんの言葉にサラさんは目を弓にして、髪を撫でた。

「残酷なところもあるけど、皆純粋で可愛いわ」
  純粋なところというのは、やはり差別のことなんだろうか。サラさんは立場上、
長い間そんな辛い目に何度も遭ってきたのだろう。
だからこそ、そんなことは関係なしに接してくる子供に惹かれるのだろう。
僕もSSランク罪人として実際に何度かそんな目に遭っているので、本人程ではないけれど
なんとなく気持ちが分かった。
「確かに、そうかもしれませんね」
「えぇ。残酷なのも悪意がないのは分かるけれど」
  サラさんは僕とリサちゃんを見て、吐息を一つ。
「昨日のおデブ発言は効いたわ」
  そっちか。
  これはどうフォローすれば良いのだろうか、思わず黙り込んでしまう。
  数秒。
  静寂を崩すような高い声が聞こえてきた。
「ふー、さっぱりした」
「……気持ち良かった」
「二人とも、走ってはいけません」
  三人分の足音が聞こえ、振り向いた。目に入ってきたのは
いつも通りのメイド服に身を包んだナナミと、ナナミのものだろうYシャツを着たユンちゃんと
リーちゃんだ。下には何も穿いておらず、目に毒という歳ではないけれど目のやり場に困る。
裾が膝まで届いているのでワンピース状態になっているのでこれ以上は要らないと
判断したのだろうけれど、
女の子にこのような服装をさせるのはどうかと思う。
「青様、いかがなされましたか?」
「何でもない」
  二人は下着を見せながらリサちゃんやサラさんにじゃれついていた。

Take9

 夜も更け、欠伸が漏れてきた。時計を見るとまだ十時を少し過ぎたところだが、
今日はもう寝た方が良いかもしれない。僕にじゃれついてばかりなのですっかり忘れていたが、
ユンちゃんもリーちゃんも僕の世話をする為に来ている訳だ。それはつまり生活時間も
僕に合わせなければいけないということ、僕が眠るまでは彼女達も眠ることは出来ないということだ。
夜型なのか眠そうな様子はなく、寧ろ元気になっているような気はするけれど、
子供の成長にとってそれは良くない。リサちゃんよりも更に幼い子供ならば、それは尚のことだ。
第二の人生を歩ませる為にここに連れてきたというのなら、僕もその辺りに注意を
しなければいけない。
「そう言えばナナミ、この娘達のベッドは?」
  ナナミは基本的に眠らないし、仮停止状態になるにしても椅子に座った状態だ。
なのでこの家にはベッドが一つしかないのだが、どうするつもりなのだろう。明日買いに行くとして、
今日はまさかソファに寝かせるつもりなのだろうか。流石に床に雑魚寝させることは
ないのだろうけれど、そのくらいはやりそうだ。ナナミの教育方針を見ると、
使用人として働かせていることを自覚させるのが先のように思える。
恐らく主人である僕のベッドを使わせることはないように思えた。
  思考がまとまれば判断は一瞬で、ナナミが何か言う前に僕は二人の背を抱いた。
「今日は二人と一緒に寝るよ」
「いけません」
  僕は笑みをナナミに向け、
「命令だよ」

 あまりこういうことは言いたくなかったけれど、初日から大変な目に遭わせるのも良くない。
適度な救いがあった方が仕事も人生も楽しくなるのは、屋敷で使用人として働いていた頃に
学んだものだ。この娘達にもそうして生きてほしいと思う。
  奴隷券を出されたらどうしようかと思ったけれど、杞憂だったらしい。
嬉しそうに足に抱きつきながらこちらを見上げてくる双子の頭を撫で、寝室に向かった。
  ベッドに腰掛けると、左右に二人が座ってきた。ユンちゃんが鼻唄を歌いながらこちらを見上げて、
もたれるようにして腕を掴んでくる。手が細い太股に挟まれ、少し低い温度が伝わってくることで
Yシャツ一枚だということを再確認させられた。
「あのね、ありがとうございます」
「ん、何が?」
  幼女愛好家でもないのに何故か意識してしまったが、声に出ていなかっただろうか。
「……ちゃんとした御飯食べたり、寝るときの心配がなくなったの……久し振り」
  そう言って、リーちゃんもユンちゃんと同じように腕を抱いてくる。
「……お礼、するから」
  言うなりリーちゃんもユンちゃんも腕を放し、僕に向かって倒れ込んだ。二人とも僕の股の上に
頭を乗せ、器用にも口で噛んでベルトを外す。ジーンズのボタンも同じよう口で外し、
ジッパーや下着を下げてくる。あまりの展開に思考が追い付かず、手慣れているだとか器用だとか、
そんな場違いな言葉しか浮かばない。
  やがて股間が露出し、ぬめる感触が来たことで状況を理解した。

「二人とも、なに、やって」
  漸く絞り出した声はかすれ、途切れ途切れに言うのが精一杯だ。
「お礼だよ?」
  ユンちゃんはこちらを上目遣いで見ながら言うと、再び僕のものを舐め始めた。
体格差が有り過ぎるせいで口に含むことは不可能らしいけれど、その代わりに二人という
利点を活かして広い範囲で責めてくる。背徳的な光景もさることながら複数の箇所を舌で
同時に責められるという初めての体験に加え、ツボを知り尽くしたような技術に背筋が凍る程の快感が
背を駆けてゆく。二人が腕に抱きついたときに意識してしまった理由が分かった。
いや、最初から分かっていて目を背けていただけかもしれない。
  これは立派な、娼婦の動きだ。
  思い至らなかったのではなく、思いたくなかった。小さな子供が男を相手にこんな行為を
しているという現実を、認めたくなかった。可能性は幾らでもあったし、気付く機会も何度もあった。
そもそも力も何もない子供が路上生活をしていく方法なんて、殆んどこれに限定されてしまう。
この娘達だけは例外だなんて都合の良い現実は存在しない。それを分かっていたから、
心は逃避の手段として気付かないという方法を選んだのだろう。
  そうして思考を彼女達から反らしていても、体は正直だ。小さな手や唇、舌など幼い体全体を使って
与えてくる刺激に反応して、股間のものは痛い程に屹立している。
認めたくないけれど、細いながらも子供特有の柔らかさが本当に気持ち良い。
  しかし、ここで流されてはいけない。

「もう、止めなさい」
  僕は擦っている両手を剥がそうとするけれど、二人ともしっかり掴んで決して離そうとしない。
怪我をさせたくないので弱めていた力を少し強くするが、それは変わらなかった。
どこにこんな力があるのか、下手をすれば僕のものが折れそうなくらいに強く握り、
頭を押さえられても無理に舌を伸ばして舐めてくる。何故かは分からないけれど、
どんな理由があろうとこのまま放っておいて良い訳がない。本格的に力を込める。
「ごめんなさい。でもおねがい、さいごまでさせて」
「……おねがい、します」
  ついには泣き出したが、しかしそれでも僕への奉仕が止むことはない。一生懸命と表現するよりは、
どこか脅迫観念に捕われているような、病的な必死さだ。こんな場合は僕の方が折れて
気の済むまでさせて、それから話を聞くしかない。下手に押さえ付けでもしたら
余計に悪化してしまうのが目に見えている。
  僕が諦めたのを見ると、二人は安心したような表情を見せた。そして下着を脱いで
二人で割れ目を押し付け、竿全体に密を塗りたくる。今や僕のものはユンちゃんとリーちゃんの唾液や
愛液でべとべとで、挟んだまま二人が腰を上下に動かせば淫媚な水音が部屋中に響き渡る。
吸い付くような感触で全体を擦られれば、射精感が込み上げてきた。
「お兄ちゃん、気持ち良い?」
「気持ち、良い」
「……嬉しい」

 二人で僕の頭を抱え、唇を重ねてくる。舌を伸ばして僕の唇や舌を舐める。
それだけで収まらず顔全体を舐め、吸い、味わい、熱い吐息をかけてくる。
「もっと、気持ち良くなってね」
  腰の動きが止まり、糸を引いて二人の割れ目が離れた。リーちゃんが僕の体を押すと、
力の入らなくなっていた僕はあっけなく姿勢を崩される。リーちゃんが僕の顔の上に
腰を下ろしてきて、目の前に無毛の割れ目と尻の穴が現れた。そこから密が細い糸を引いて、
僕の顔にゆっくりとした速度で降ってきた。ユンちゃんは股間に跨って、
僕のものを自分の割れ目に押し付けている。
「……舐めて」
  リーちゃんの割れ目に舌を這わせ、拭うように密を舐めとる。音を立てて吸い、
膣内に舌を差し込んで掻き混ぜ、割れ目の上部にある充血した突起を指で擦る。
リーちゃんは更に快感を求めるように割れ目を顔に押し付けて、身をよじらせた。
「お兄ちゃん、入れるよ」
  物理的に不可能だと思ったが、狭いながらもユンちゃんの股間は僕のものを飲み込んだ。
食い千切られそうな強い圧迫感があり、少しでも動かせば途端に裂けてしまいそうだ。
「動く、ね」
  しかしユンちゃんは粘膜や愛液のぬめりに任せ、強引に身を振ってくる。どんな表情を
しているのかは見えないが、頭上から聞こえてくる苦しそうな声で辛そうなのが分かった。
「……大丈夫」

 リーちゃんの声が聞こえ、続いて水音が聞こえた。舌を絡めるキスをしているのだろう、
小さく二人の体が揺れている。それが止み、ユンちゃんの喘ぎ声が聞こえてきた。
僅かに身を離したことで出来た隙間から見てみれば、リーちゃんがユンちゃんの胸を吸っているのが
確認出来た。それで一気に絶頂が近付いてきたのか、ユンちゃんの膣が小さく痙攣を始める。
僕ももう限界だ。
「ッ、出すよ」
  言葉と共に膣内へとぶちまける。
  ユンちゃんは膝立ちになり、言葉もなしに僕のものを引き抜いた。荒い息を吐く度に、
割れ目から白濁液が漏れてくる。
「……いただきます」
  リーちゃんは四ん這いになり、ユンちゃんの股間を吸いたてた。ユンちゃんは目を閉じ肩を震わせて
リーちゃんの頭を押さえながらも、拒否することもなくそれを受け入れる。
寧ろもっと吸ってほしいように腰を突き出した格好だ。
  リーちゃんは口を離すと音をたててそれを飲み、こちらをむいて笑みを浮かべて、
「……ごちそうさま」
  体を半回転させて、僕の腹の上に上体を押し付ける。
「……今度は、あたしの番」
  軽く馴染ませるように何度か擦り、僕のものの上に腰を下ろしてきた。

Take10

 結局あの後、何度も放出してしまった。そのせいなのか体は少し重く、朝には強い筈の僕なのに
思考も上手く回らない。薄く目を開くと、二人が僕に抱きついているのが見える。
良い夢でも見ているのか穏やかな寝顔を浮かべ、背は長い呼吸に合わせて緩やかなリズムで
上下している。勿論シャツは着ているし、下着も履いている。行為が終わるや否やすぐに
寝てしまった彼女達の股間やシャツを拭い、更には衣服を着せるのは妙な気分だった。
「しかし、こんなに可愛いのに」
  あんなことをするなんて。
  拭ったとはいえ、シーツやシャツに未だ強く残っている匂いは仕方ない。慣れているのだろう、
気にした様子もなしに普通に眠っている様子を見れば彼女達の日常に昨晩の行為が含まれていることが
分かる。理解していても心は重く、目が覚めた今では尚辛い。
  理由は、行為の最中にリーちゃんが話してくれた。食事などを受け取る代わりに
二人の体を差し出す、簡潔に言えば娼婦の行為を長い間続けていたせいで、こうした恩を受けた後は
行為をしないと眠れなくなったこと。仮に眠れたとしても夜中に目が覚めてしまい、
吐いてしまったりすること。リーちゃんが話した後、ユンちゃんは悲しそうな顔で謝っていた。
幼い体に刻まれた傷は、多分僕が想像しているよりもずっと深い。

「これから、治していこう」
  眠っているので聞こえる筈もないが、二人に向けて呟いた。
「ん」
  髪を撫でていると、不意にユンちゃんの体が動いた。ゆっくりと目を開き、
こちらの顔を見上げてくる。どうやら起こしてしまったらしいが、ユンちゃんは特に
不快そうな様子もなく、笑みを浮かべて胸に顔を擦り付けてくる。子犬のような愛くるしさがあった。
「お兄ちゃん、おはよう」
「うん、おはよう」
  挨拶を返すと、体を抱く力が強くなった。
「リーちゃん、朝だよ。起きなきゃ」
  僕から体を離して、次にリーちゃんの体を揺する。それなりに激しくしているのだが、
リーちゃんは朝が弱いらしい。瞼を一瞬痙攣させただけで、再び穏やかな寝顔に戻る。
「ごめんね、リーちゃんおねぼうさんなの」
  苦笑をこちらに向けて、先程よりも更に強く揺する。しかしリーちゃんは揺すられまいと、
僕の体を強く抱き締める。ここまでするくらいならば起きた方が楽なのではないかと思ったけれど、
そこにはリーちゃんのこだわりがあるのだろう。先日引っ越した罪人友達で、
他人に起こされたり自分の決めた時間以外に起きるのを酷く嫌がる奴が居た。
それの亞種のようなものだろうか。
  しかし、今起きないのは不味い。もう暫くすれば定時報告やスケジュールの確認をしに
ナナミがやってくるし、そうなれば強制的に叩き起こされた上に説教がくるだろう。
甘やかし過ぎかもしれないが、それは少し可哀想に思う。

 どうすれば良いのか。
  考えた直後、快音が響いた。
  空気を裂くような高い音が一つ、そして一拍置いて連続で響いた。目覚まし時計なんかとは
比べるべくもない大音量のそれは、リズムを持って打ち鳴らされる。何が起きたのかと
音のする方向に目を向ければ、リサちゃんがフライパンとおたまを持って立っていた。
どうやらそれは、リサちゃんが出した音だったらしい。リズムは昨日ソードダンスのときに
歌っていた曲のものだと思い出した。
「おはよう、リサちゃん」
「おはよ、おにーさん」
「何で、さっきみたいなことしたの? ナナミに怒られるよ?」
  あんなに五月蝿かったのだから、ナナミもすぐに気が付いて飛んでくるだろう。
近所に住んでいる人は他に誰も居ないので近所迷惑にはならないけれど、それ以外にも叱るべき部分は
山程ある。おまけに、リーちゃんを起こす時間制限が短くなった。
「う、ごめんなさい。昨日テレビでやってたから試したくなったの」
  確かにニュースのランキングコーナーで『人を起こす方法第1位』だったが、
実行するのは良くない。それに、最終手段としてのみ使って下さいとの注意があったように思う。
  しかしそう言うだけあって、効果は抜群だった。
「……うるさい」
  漸く目が覚めた。
「何の騒ぎですか?」
「あらあら、随分賑やかね」
  声と共に、ナナミとサラさんが入ってくる。サラさんは相変わらず笑みを浮かべているが、
ナナミは眉根を寄せた表情だ。せっかくナナミが来る前にリーちゃんが起きたというのに、
どうしてこんな状況になるのだろう。
「おまけに、モテモテじゃない。羨ましいわ」
「良いなぁ、おにーさんと一緒に寝て」
「今日からは、そのようなことは控えて下さいませ」
  三人とも何故かおかしな方向を向いているが、どうしたことだろう。僕は三人の視線を追って
自分の股間に目を向けた。そこにあるのは膨らんだ股間だが、これは朝の生理現象だから仕方がない。
昨日の夜には酷いことになったものの、これはまだ言い訳が効く筈だ。
  しかし皆は声を揃えて、
「「「ロリコン」」」
  リサちゃんまで言うことはないだろうに。

 数分。
  手早く身支度を済ませ、ナナミを除いた全員が揃っていた。これからリーちゃんとユンちゃんの
衣服やベッドを買いに行く為だ。僕はナナミにも来てほしかったのだが、二人の部屋を確保する為に
物置の整理をするということで断られた。ナナミが埃に塗れながらも一生懸命働いているというのに、
こんな風に遊んでいて良いのだろうかと思う。それこそ何百年も繰り返していることなのに、
今更になって意識してしまうのはユンちゃんとリーちゃんが来たからだろうか。
「ブルー、どうしたの?」
「おにーさん、何か辛そうな顔してる」
  肩車していたリサちゃんが、体を丸めて覗き混んできた。バランス感覚が良いのか
頭に負担がかかるようなことはないが、その代わりに落ちないようにする為に首を太股で
締めつけてくる。昨日の行為の始め、僕の手を挟んできた双子の太股の感触が脳裏に蘇って、
思わず反応しそうになった。気付かれないようにと笑みを浮かべた。

「ところで傍目から見たらわたし達、どう見えるのかしら」
  僕を気遣ってか、サラさんは話題を変えてくれた。
「親子連れ、かな?」
  そういえばユンちゃんが僕に初めて会ったとき、親になってほしいようなことを言っていた。
リサちゃんも口には出さないが、たまにそんな反応を見せるときがある。やはり親に会いたいの
だろうか、それとも本物の親は嫌いで誰か他の人になってほしいのか。
  両手に捕まって歩いているリーちゃんとユンちゃんに目を向けると、手を握る力が強くなった。
朝からのことで気が付いたことだが、彼女達は気持ちを伝える場合は言葉よりも
行動でそれを示すことが多い。抱きついてきたり手を握ってきたり、その力を強めたり弱めたり
することで伝えてくる。その辺りの要領が分かってくれば、何が言いたいのか
言葉がなくても分かるし、逆に僕が示すことで気持ちを伝えることも出来る。
「……パパ」
  不意に、リーちゃんが呟いた。
「パパ!」
  ユンちゃんもそれに乗ってくる。
「おとーさん」
  リサちゃんもだ。
「じゃあわたしは?」
  三人は顔を見合わせ、
「「「パパじゃない奴!」」」
「これは、ママとして扱われているのかしら?」
  どうなんだろう。
  微妙に落ち込んでいるサラさんを慰めながら、僕達は洋服屋に入った。

Sideナナミ

 予想以上に埃が多かった為、物置の掃除を終えた私は浴室に向かいました。
  服を脱ぎ、何気無しに鏡を見ると私の裸体が見えてきます。人工的に設計された黄金比の体は、
基本的に作り物であるが故に形を崩すことはありません。しかし映っている私の姿は、
僅かに歪んでいます。普通に見ているのならば気付かない程度、
気付いたとしても気にならない程度の歪みです。しかし黄金比だと知り、
そうした目で見ている私にはそれが酷く醜いものに思えてきます。
正確には、不良品だという認識です。
  その原因は、
「傷、ですね」
  青様と共に在ろうと決めたとき、私が自ら貫いた部分。まだ感情があった頃の判断で、
皆様はかなり面食らっておられました。しかし心で考えた結果そうしたことは事実で、
今も後悔はしておりません。回路を貫き、感情を失ってしまった今でも、それは変わりません。
  指先で、傷口を撫でてみます。
  軽音。
  どうしたものかと右手を見ると、表面が僅かに熱変形しています。それが傷口と擦れて
音をたてていたのでしょう。何故こうなったのか思考し、すぐに理由に思い至りました。
青様の誕生日会の準備のときに、うっかり火傷してしまったのでした。日常の仕事に支障はなく、
普段は手袋をしているので失念しておりました。青様はこうした傷を嫌がります、
リサ様の情報を聞くついでに直してもらいましょう。

 右手を見ながら考えます。
「賑やかになったのは」
  その日からでしょう。
  その日にサラ様が来られ、翌日には私がリーとユンを連れて来ました。リサ様を含めて
基本的に三人で居たところに三人増え、僅か二日間でその数は倍になりました。
  喜ばしいことです。
  青様の笑みを思い出しながら洗い場に入り、シャワーの蛇口を捻ります。雨に似た音を出しながら
お湯が降り注ぎ、タイルからは青様が好きだと仰っていた音が響きました。
「そう言えば」
  本当に久し振りに青様の夜伽をしたのも、この場所でした。お湯に塗れていたので真偽は
分かりませんが、きっと泣いていたように思います。辛かったからなのでしょう、
私を求めてきたのは。この都市に入る直前、青様は自分は弱いと仰られました。
無理に作った笑みを浮かべ、だから自分はここに入るのだ、と。
  液体石鹸を手に取り、擦って軽く広げて体を洗うと汚れが落ちてゆくのが実感出来ます。
腕、首、脚、腰、股間の割れ目、隅々まで洗えばいつもの清潔な私に戻ります。
  残る部分は一ヶ所、
「傷跡」
  普段は体を洗う順番は決まっておりませんが、最後に洗う部分はいつも同じです。
  溝には汚れが溜りやすいので少し多目に石鹸を取り、体の前面に塗りました。
撫で擦るように広げると、先程脱衣所で鳴ったものと同じ音が響きました。音が響くこの場所では、
それはより鮮明に聞こえてきます。
  最後に泡を流せば、隠れていた傷が再び見えてきました。

 不意に、思い出します。
『どうしたの、この傷?』
  ユンとリーを洗っていたときに尋ねられたことです。
『……痛い?』
  リーが傷跡を撫でながら見上げてきますが、もう何百年も昔の傷なので
痛みが存在する訳がありません。感情があるのなら幻痛と呼ばれるものがあるのかもしれませんが、
私にしてみればまるで縁のない話です。誇りというものは存在にのみ価値があるもの、
なので私は敢えて口に出さず首を降ることで意思を示しました。それが一番良いだろう、
という判断です。賢いこの娘なら、それだけで分かるでしょう。
  しかしリーは尚も首を傾げ、
『……辛い?』
  尋ねてきます。
  本当に分かっていないのか、分からないふりをしているのか。
それとも、何かの答えを私に言わせたいのか。
リーがどのような言葉を期待しているのか分かりませんが、
展開に着いてこれずに首を傾げているユンの頭を撫でながら、
『これは、青様が望むことですから』
  言葉にして出しました。
『……じゃあ、お兄ちゃんが付けてって言ったら付ける?』
  これの答えは決まっています。
『付けません』
  どんなに期待されようと、その相手が例え青様であろうと、私は感情回路を付ける訳には
いかないのです。仮に一時喜んだとしても、時間が経ってしまえば、青様がお辛い目に遭うのは
分かっています。
『よく分かんないけど、今のままのナナミお姉ちゃんが一番ってことなの?』
  幼い表情で、ユンが尋ねてきます。

『お兄ちゃんは、今のナナミお姉ちゃんが大切なの?』
『大切、なのでしょう』
  大切、という概念が私から失われて久しいですが、言葉として表現するのならば
それが一番ふさわしいのでしょう。扱いとしてのものではなく、必要だという理由ではありますが、
青様は私を大切にして下さっているという自覚はあります。
『……ナナミお姉ちゃんにとって、お兄ちゃんは大切?』
  大切、というよりは、
『失ってはいけないものです』
『……なら、二人にとって感情がないことは……大切?』
『答えの出るものではありません』
『……コッペリアって、知ってる?』
  日常ではまず聞かない単語ですが、私は瞬時に思い至りました。私達機械人形ならば、
誰もが記憶層に刻み込んでいるものだからです。それは第ニ文明のドイツという国で作られた
古い歌劇で、心を持った人形が人間になってゆく過程を唄ったものです。
出来るだけ人間に近付けようと作られ、更には感情回路を乗せられた機械人形は、
正にコッペリアと同じようなものでしょう。
  ユンは真剣な表情になると私を見上げ、
『……コッペリアは最後、笑っていたよ。幸せになって……そして笑った』
  望んでいたものになったのだから、笑みを浮かべることは当然です。しかし私の立場で考えてみれば
まるで対極。私はそうなることを望まずにここに居て、何の感情もなく青様の隣に要ることを
望んでいます。それが最大の幸せだと、感情があった頃のかつての私は判断しました。
会話のきっかけになった傷跡が、その証です。

 突然、ユンが鼻唄を歌い始めました。何度か試すように始まりの部分を繰り返しますが、
しかし上手くいかないらしく眉根を寄せてこちらを見上げてきます。
『ね、ナナミお姉ちゃん。歌って? 人間になれるかも』
『今度、練習しておきます』
  ユンの言葉に、私はそう答えました。本当は練習の必要などありません、
私に搭載されている機能の一つを使えば完璧な歌を歌うことが出来ます。
しかしその言葉を返したのは意味がないと分かっているからです。肝心な部分が抜けていれば、
それは意味のないものになると分かっているからです。
  それは、
「心、ですね」
  コッぺリアは歌い、踊り、そして人間になったといいます。私と同じ人形の身ですが、
違う部分が只一つあります。それは、心です。彼女と私の最大の違い、決定的な差というものは
やはり感情があるかどうかなのです。心が存在する歌だからこそ意味があり、
人間になったのだと思います。勿論、感情回路を取り付けることで心を持つことは可能です。
そうすれば同じ意味でコッペリアの歌も歌えるでしょう。
  しかし、
「青様」
  心を持った私を、大切にして下さるでしょうか。
  そして、
「人間に、なれるのでしょうか?」
  否定だったものは、何故か疑念へと変わっています。
  答えはありません、勿論私の中にもです。

Take11

「どうかな、これは?」
「……嫌」
「無理!」
  リサちゃんが手に取った服を見て、ユンちゃんとリーちゃんが首を降る。
もうかれこれ一時間は選んでいるが、決まったのは僅か数着。意外にも好みが激しいらしい二人は
皆のセンスをことごとく否定しつつ、楽しそうに服を物色している。因みに僕は開始して数分で
粉々に打ち砕かれ、その十分後にはサラさんも床に崩れ落ちた。今サラさんはここには居ない、
虚ろな笑みを浮かべてふらふらとフリルが多い衣服のコーナーへ歩いていった。
お陰で青年一人に幼女三人という構図が産まれてくる、しかも女性ものの衣服売り場でだ。
傍目から見て父や兄のようなら良いだろうが、特殊な性癖の犯罪者に見えるかもしれない。
少しの可能性でも恐ろしくなり、なんとなく周囲の視線がこちらに向いているような気がしてきた。
助けを求めるようにサラさんの消えた方向に目を向けると、ゴスロリ風の服を持って
幸せそうにしているのが見える。そう言えばサラさんはそのような服ばかり選んでいたが、
意外に少女趣味なのだろうか。
  不意にシャツの裾を引かれて、振り返る。
「ねぇ、おにーさんはどう思う?」
  差し出されたのは大胆にも肩口から上のないシャツ、サイズからしてリーちゃんや
ユンちゃんのものではなくリサちゃんのものだろう。首が見えないように、というのは諦めていたが、
これはどうも頂けない。僕は黙って首を振った。

「どうして?」
「子供の内から、そんなに肩やら鎖骨やらが見えるのは駄目です」
  リサちゃんは文句を言いながらも服を棚に戻す、その辺りは良い娘だ。しかし選ぶものが
どれも露出の多いものなのは少し問題だと思う。確かに動きやすいだろうし、活動的なリサちゃんが
それを選ぶのは当然だと思う。先程はあんなことを言ってしまったが、否定する訳ではない。
寧ろ、ごく個人的な揺らぎから言ってしまっただけだ。僕にとって昨日の夜のことは、
それだけ衝撃的だった。
「……お兄ちゃん、これは?」
  リーちゃんが差し出してきたスカートを彼女の腰に合わせる。少し短い気もするけれど、
辛うじて大丈夫な範囲だろう。その後皆が選んだものの代金を払い、先に店を出る。
子供のものとはいえ下着売り場にはさすがに入れなかったので、今は一人で待つ状態だ。
  自動販売機で珈琲を買い、道行く人々を眺めてみる。首輪を隠すこともなく晒している人や、
恐らく他人には絶対に見えないような服装の人まで、様々だ。それはランクは関係なく、
高くてもリサちゃんのように出している人も居れば、隠した襟から低ランクの首輪が
見えることもある。そこには性格が現れていて、何度眺めても飽きることはない。

 それに、
「どこでも同じだな」
  首輪が填められている、ランクごとに住む場所が決められている。違いはそれだけで、
監獄都市も外の都市も大した差はないと思う。そもそも監獄都市のシステムはそのことを考えられて
作られたそうなのだから、そう思うのは当然かもしれない。罪人だからという理由で
危険な場所や不衛生な場所に送ってしまったら、サラさんが過去に犯した罪の一つ、
人類総数不変化のシステムによって片っ端から死んでしまうだろう。だから僕は今、
ここで呑気に珈琲を飲んでいるのだが、これは良いことなのだろうか。
こうしていることは、サラさんのお陰と言えないこともない。
しかし、そもそもサラさんの罪が原因でもある。
  数秒間思考し、出た結論は、
「どうにも出来ないな」
  答えが出ないのもまた答えの一つであると、まだ屋敷に居た頃に旦那様に言われたことを
思い出した。その頃は今と似たような内容のことで悩んでいて、
同じ悩みを持つ旦那様に相談した結果だった。上手く行っているのかいないのか分からない、
上手く行くことと行かないことのかどちらが正しいのかも分からない。そんな状況での答えは、
これが一番だと苦笑を浮かべて言っていた。
  昔のことを思い出しても胸が痛まなかったのは、旦那様のことだったからだろう。
両親に捨てられた僕を拾ってくれ、屋敷で働かせてくれた旦那様は父のような人だった。
ユンちゃんやリーちゃんからしてみれば、今の僕やナナミがそう見えているのだろうか。

「性格は大分違うのに」
  呟き、珈琲を飲み干したところで皆の姿が見えた。
「きゃはっ、これを見たらおにーさん驚くよ?」
  手に持っているのは紙袋、中が見えないようにしてあるのを考えると下着だろうか。
「凄いよ、お兄ちゃん!」
「……かなりエロい」
  勘弁してほしい、見ることはないようにしたい。しかし、どうして子供服を売っている店で
エロ下着が置いてあるのだろうか。甚だ疑問だったが敢えて訊くような真似はしない、
その薮には蛇が潜んでいるのは分かっている。
「おにーさん、次はどこ行くの?」
「ベッドを買いに行きたいけど、先に食事にする?」
  ユンちゃんは首を降る。
「ベッド買いに行く!」
「……御飯は、ナナミお姉ちゃんの方が良い」
  余程気に入ったのだろうか、昨日も沢山お代わりをしていた。ナナミに懐いているだけ
というだけでなく、家庭的な味に飢えているのかもしれない。
  僕は頷くと、家具屋に向かう。
「ねぇ、お兄ちゃん。ナナミお姉ちゃんは、どうして心が無いの?」
  不意にユンちゃんが尋ねてきた。
「……昨日お風呂のときに、お腹の傷が痛そうだった。でも心がないから平気だって……
そう言ってた。大切だからって、なくしちゃ駄目だって」
  幼さ故の質問に、頭を撫でることで返した。
  二人はこちらを不思議そうな目で見上げ、
「ナナミお姉ちゃんと同じことしてる」
「……心が無いのに、同じだね」

 同じことをナナミもしたということに、僕は僅かな安堵を覚えた。他人と関わってないときは
本当に機械的だからすっかり忘れていたが、根本の部分は心がない状態でも変わりないらしい。
何百年も昔のことが、蘇ったのかもしれない。
  ナナミは昔から、そんな部分は無器用だった。
  それは僕が屋敷から出る前の晩のこと。機械人形を含めて屋敷に居る全員を呼び出した旦那様は、
申し訳なさそうな顔をして僕に向かい言った。
『許してほしい。その代わり、私が全てを保証する』
  そして屋敷の金を自由に引き落とすことの出来るカードを差し出し、
『これがあれば、生活に不自由しないだろう。屋敷でも機械人形でも、好きに買ってくれ』
  そして周囲を見渡し、
『個人的な頼みですまない。この中で、青と共に行きたい者が居たら出てきてくれ。
私は一人で行かせたくない、だから青を助けたい者が居るならそれに協力してほしい』
  有難いことに、殆んど皆が申し出てくれた。人数が多かったから、理由は様々だ。
今回の理由が気に入らなかった者、僕と中の良かった侍女、常に自由を求めていた使用人仲間、
人の数だけの理由があった。
  しかしその中で一人だけ出てこない者が居た、それがナナミだ。
  当時はまだ感情があったものの、それを表に出すのが苦手らしく常に無表情な娘だった。
誰も積極的にナナミと関わろうとせず、またナナミも誰にも関わろうとしない。
僕は失礼ながら今回もナナミはそうだろうと思っていたが、正反対の結果だった。

 轟音。
  広間に飾ってあった短剣を自分の胸に突き刺し、一歩前に出たのだ。
皆が、普段は驚くという感情を見せたことのない旦那様までもが驚く中で、ナナミは僕を見た。
『私を連れていって下さい』
  一拍置き、
『どんなに辛いことでも、こうして感情がなくなった私なら支えることが出来ます。
感情が理由で今のことが起きたのなら、無感情の覚悟が隣に居れば良いと判断します』
  数秒。
『いかがでしょうか?』
  僕の気持ちは、そこで固まっていた。
『お願いするよ、僕はナナミがほしい』
『ありがとうございます』
  ナナミは初めて見せた表情、微笑を浮かべると倒れ込んだ。
  それが僕とナナミの始まり。
  僕と、無器用だけれど誰よりも優しい機械人形との生活の始まりだった。
「お兄ちゃん、笑ってる」
「……嬉しいの?」
「嬉しいんだよ」
  僕は再びユンちゃんとリーちゃんの頭を撫でた。

Sideリサ

「リサお姉ちゃん、あっちで遊ぼ!」
「……あの滑り台、楽しそう」 思っていたよりも早く終わったらしく、時間を潰すためにあたし達は
公園に来ていた。
ユンちゃんもリーちゃんも初めてのことらしく、嬉しそうに目を輝かせている。
「早く早く!」
  ユンちゃんとリーちゃんに手を引かれ、駆けてゆく。勢いが着きすぎて転びそうになり、
体勢を立て直すときに横目で青さんを見た。こちらを微笑ましい目で見ながら、
隣に座っているサラさんと話をしている。だが見えるのはそれだけではない。その穏やかな空間に
僅かな違和感を与える、あたしから見れば巨大な剣を抱えているのが分かる。
大事なものだということを分かってくれているらしく扱う手や腕の動きは丁寧で、
預けているこちらとしても安心することが出来る。
  それは姉であり、あたし自身でもあるからだ。
  あたしは演技をしている、だからこそ今は剣を大切にしてほしいと思う。
昨日もあまり青さんに触らせなかったのはそういうことだ。死んでしまった姉を生き返らせる為に
犠牲にしてしまったあたしの心は、今はそこにしか存在しない。ソードダンスをしてしまったのも、
きっと寂しかったからだろう。死ぬべきだったあたしを殺し、生きるべきだった姉を生かし、
関係のない青さんを親に見立てることで自分が消えてゆくのが。洋服屋に入る前に青さんのことを
パパと呼んだのは、半分は冗談ではない。本当に父親になってほしいと、そう思ってしまったからだ。
双娘はどうなのかは分からないが、少なくともあたしの心の中の姉はそう思っていた。

「リサお姉ちゃん、どうしたの?」
「……ヤキモチ?」
  そうかもしれないが、
「違うよ!」
  敢えて逆の言葉を発した。
  姉は自分の父が母以外の女の人と話をしただけでは、少し仲良くなっただけでは
嫉妬をしたりしない。父が家族を誰よりも愛していることを知っているからだ。
それにサラさんを母にすることだって出来る、そうすれば今の状況は
あたしが望んだものになるだろう。
  しかし、それでも違うと思うのは、
「ヤキモチ、かな」
「やっぱり!」
「……嫉妬、してる」
  そうなのだろう。
  姉を生かすと決めて数十年程、今度こそ大丈夫だと思っていた。青さんは優しい人だし、
ナナミさんも感情はないらしいけれど良く接してくれている。典型的な軍人一家だった、
厳しく、過酷な両親とは違う。優しく、暖かな理想の家庭がここにはある。
姉も、辛さを殆んど知ることなく幸福に育ってゆくだろう。
  しかし、それに反するあたしが居るのもまた事実なのだ。
  冷たく辛い生活を送ってきたのはあたしも同じで、だから青さんと毎日接していく内に
惹かれていってしまう。殆んど残っていないあたしの心の中で、青さんが好きだというものと、
嫉妬が残っている。いつも青さんの隣に居るナナミさんや、普通に接して恋をしてゆくことの出来る
サラさん、無邪気に青さんに接しているリーちゃんとユンちゃん。
  そして自分で選んだとはいえ、これからも青さんの隣に居れるだろう姉に。
  その想いが強いから、つい迷ってしまうのだろう。

 このまま演技を続けていくのか、
  本当の気持ちを出すのか。
「……リサお姉ちゃん、ブランコ、押して」
「あ、あたしも」
「良いよ、並んで座って」
  言われた通りに並んで座った二人の背中を押した。うっかり落としてしまわないように、
適度な強さで押すのは難しい。あたしも姉もまだ幼かった頃、軍の仕事で全く構ってくれなかった
両親の代わりにブランコの背中を押してくれた教官のことを思い出しながら、体を動かした。
最初は弱く、加速が着いてきたら次第に強く。腕で押すのではなく、体全体で押す。
腕はあくまでも押すための道具で、寄り掛るようなイメージで押す。
教官は姉とあたしにそう教えてくれた。
「すごーい」
「……高い」
  加速していくことと増してゆく高度に、二人は歓喜の声を上げる。姉とあたしも、
昔はこうして喜んだものだ。今はなくなってしまったこの無邪気さが、とても羨ましい。
自分に向けられた笑みに応えるように、押す力を強めてゆく。すると、二人は笑みを強いものにした。
上体を僅かに傾げてバランスをとりながら、宙に身を踊らせる。ときには捻りを入れ、
足をばたつかせて楽しんでいる。
「「ララ、ラ、ラララ、ラ、ララ、」」
  突然、歌声が聞こえてきた。二人が声を揃えて歌っている曲は、あたしの耳に馴染んだもの。
姉も好きでよく歌っていた、独特のテンポの民謡だ。第四惑星で一番有名なもので、
ことあるごとに聞いていたような気がする。この娘達も、親から聞いて習ったのだろうか。
あたしは親に習ったものではなく教官や仲間に教えてもらったのだが、
それでも感慨深いものであることには違いない。気が付けば、口ずさんでいた。

「ライラ、ライ、ライ、シャクム・ラスヤ・ジダ・ズヤ――」
  音に合わせて、ブランコを押す。
「何の歌?」
  どうやら歌うことに夢中になっていたらしい、サラさんが寄って来ていることに気付かなかった。
横目で確認すると、青さんが居るのも見える。楽しそうに目を弓にしていて、
純粋に今の状況を喜んでいるのが分かった。少し嫌なのは、ごく自然にサラさんがその隣で
同じ表情を浮かべていること。
  まるで、夫婦のように。
  しかしこんな場所で怒ってはいけない。そんなことをしたら、姉が生きていけなくなる。
それだけは、絶対に嫌だ。想いを殺し、感情を押さえ込み、澱を打ち消すように歌う声を高くする。
空に響けと、姉に届けというように。
  もうすぐサビだというところで、視界が暗くなった。一瞬遅れてブランコを押す感触も消え、
危うくバランスを崩しそうになる。どうしたのかと振り向けば、こちらを見下ろす笑みがあった。
「疲れてない?」
「大丈夫だよ」
  しかし押すことが出来ないので、黙って離れた。青さんは器用にも二人が離れた瞬間、
剣を手渡してきた。あたしがしっかりと抱えたのを確認して、そこで手を離す。
何気無いその気遣いが嬉しかった。
「踊ってよ」
  一瞬、迷う。

 皆の前で、踊っても良いのだろうか。姉は踊りたいだろうし、あたし自身も踊りたいと
思ってはいる。けれど大切なものをそう簡単に出してはいけない、という心もある。
出し惜しみをしている訳ではない、体も心も踊りたいと思っている。最近はこうなることが多いし、
その度に踊ってきた。今までは一人でそうしてきたが、ナナミさんに見られたし、
昨日は青さんにも見せた。それも自分から。しかし、誰にでも見せて良いものではない。
この二人だから、とも思える。
  どうしよう。
  数秒。
  踊ろうと決心し、剣を構えたところで突風が吹いた。それは木々を揺らし、
葉が擦れる快い音が耳に入ってくる。
「許せない」
  不意に、背後に声を感じた。ともすれば聞き逃しそうになる程の、小さな囁く声。
風や木の音によって殆んどかき消されていたが、何故かはっきりと聞こえた。
「どうしたの?」
  どうやら他の皆には聞こえていなかったらしい。
「何でもないよ」
  一瞬振り返り、安心させるように青さんに笑みを向けた。
  目を閉じ、双娘の声に合わせて踊り始める。
  しかし翻る長い黒髪は強く目に焼き付いたまま、離れなかった。

Take12

「それじゃ、着替えてシャワー浴びたらすぐに行くね」
  公園で二人の世話をしながら遊んでいたので、リサちゃんの服は砂で汚れていた。
このまま入ると客人とはいえナナミも容赦はしないと分かっているので、一旦体を綺麗にする為に
リサちゃんは自分の家に戻っていった。シャワーだけならこちらでも良いと思うが、
流石に服は置いていない。先程買ってきた中にはリサちゃんのものもあるが下着は
買っていなかったらしく、それも買っていたのなら迷わずこちらに来たいような目をしていた。
部屋数の問題があるので今は無理だが、いつかリサちゃんも僕の部屋で暮らせれば良いと思う。
それはナナミとたまに話題にする問題だ。
  名残り惜しそうにこちらに手を振るリサちゃんに別れを告げ、玄関に入る。
サラさんも後半はリサちゃん達に付き合っていたので汚れていたものの、システムか何かで
普通に汚れを落としていた。今は砂埃の一粒もなく、それどころか服に皺一つない状態だ。
「面白かったね」
「……また、行きたい」
  家に入るなり、双娘は走ってソファに飛び込んだ。結構な距離を歩いた上に、
公園でも走り回ったのだ。疲れているらしく服が汚れているのも気にせずに寝そべって
ごろごろと動き、その柔らかさに幸せそうな笑みを浮かべている。こうした表情をしているのは
良いことだとは思うのだが、ナナミが見たら叱るだろう。拾ってきたナナミからしてみれば、
二人はまず子供である前に使用人なのだ。ナナミに怒られない内にソファから引き剥がし、
風呂場へ向かわせた。

 僕の場合は昨日のようなことになる可能性があり迂濶に着いてゆくことは出来ないので
ナナミに頼もうと思うが、どうやら居ないらしい。申し訳ないがサラさんに頼もうと思い、
数秒考えてそれを止めた。サラさんは使い勝手が分からないだろうし、
システムで周囲を適当にいじられても困る。普段の行動で気付いたのだが、
彼女は面倒だったり思い通りにならないことがあると何かと確率システムで
それを解決する癖があるようだ。作り出した本人なので当然といえば当然かもしれないのだが、
それで妙なことになっても困る。誰も見ていないとユンちゃんが暴走してしまう気もするが、
リーちゃんは賢い娘だからそれを食い止めてくれるだろうと判断し、そのままにしておくことにした。
リーちゃんも一緒にソファの上を転がっていたのは、きっと何かの間違いだ。
「だから大丈夫」
「ブルー、何故苦笑を浮かべて言っているの?」
  いかん、顔に現れていたか。
「気にせずに寛いでて、僕も今着替えてくる。用があったら寝室まで」
  そう、今から僕は着替えにいくのだ。決して不安だという訳ではない、
しかしシャツを脱ぎに洗濯機のある脱衣所に行ったついでに注意をするのは
保護者として当然の行動だ。
二人を信用していないのではなく、ついでに様子を見るだけだ。
  数分。
  無駄に泡塗れになった洗い場をドア全体を開いて見せ付けられたり、昨夜のようなことをされそうに
なったりと頭が痛いことが続いたものの、取り敢えずは注意をして事なきを得て寝室に入る。
まさか洗濯物を出すついでだけで、こんなにも疲れるとは思わなかった。
ベッドに倒れ込むと、皺のないシーツと石鹸の良い匂いが僕を出迎える。
昨日の夜、双娘としたことの痕跡は全く見当たらない。しかしそれは、ナナミがそれを確認した、
という証明でもあるのだ。匂いや染みを確認したとき、ナナミはどう思ったのだろう。

 幼女を襲う馬鹿だと思ったのか。
  僕が幼女に誘われたと思ったのか。
  もしかしたら、後者かもしれない。双娘くらいの年齢の子供でもそういうことを普通にする場所から
連れ出してきたのだから、お礼にあんな行為をしてくるとナナミは気付いていたのかもしれない。
その後に僕がこんな心境になることも分かっていて、だから二人と寝ようとするのを止めたのだろう。
それに気付かなかった僕は馬鹿だ。
  軽音。
  ノックの音と共に、サラさんが入ってきた。
「何かあった?」
「んー。あるのは、これからよ」
  笑みを浮かべたまま後ろ手でドアを閉め、続いて金属が噛み合う音がする。
鍵をかけたのだと理解し、人には聞かれたくない話だと推測した。それにしては少し妙な感じがする、
浮かべているのは相変わらずいつもの笑みなのだ。どういうことかと考えている間に
サラさんがゆっくりとした足取りで近付いてくるのが、部屋に響く足音で分かった。
  数秒をかけて寝そべる僕の隣に腰掛け、
「ねぇ、ブルー」
  覆い被さってきた。
「顔、近くない?」
  疑問に言葉で答えることなく、唇を重ねることで示してきた。
「何、するんだ」
「意味、分からない」
  されたことが示す意味が分かるからこそ、混乱した。どうしてサラさんがこんなことをするのか、
それの意味が分からない。しかし僕の思考に構うことなくサラさんは再び唇を重ね、
更には舌を割り込ませてくる。口内をねぶり、僕の舌を絡めとり、唾液を流し込み、
またこちらの唾液を吸ってくる。慣れていないのか動きはどこかぎこちないものの、
その真剣さは昨日の双娘に通じるものがある。ただしこちらは双娘とは真逆で、
僕を楽しませようとするのではなく自分の存在を認めて貰いたがるような、
自己を必死に主張するもの。
数十秒かけて繰り返したサラさんは、とろけた表情で僕から唇を離した。
引き抜いた舌と僕の唇の間に、透明で細い橋がかかる。

「どうして、こんなこと?」
  再度の疑問に、サラさんは眉を寄せた。
「こんなこと? ナナミちゃんともしているでしょ?」
  それは、そうだが。
「ただ、あの娘達の前でするのは感心しないわね」
  何を、言っているんだ。
「匂い、残っていたわよ」
  やっと意味が分かった、サラさんは勘違いをしている。朝僕の部屋に来たときに匂いに
気が付いたらしいのだが、それはナナミとの行為ではなく双娘との行為で出来たものだ。
しかしそれを言うのは躊躇われた。言ってしまったらサラさんは悲しむだろうし、
上手く皆とやっていくことは出来なくなる。下手をすればサラさんだけでなく、
僕の周囲の皆が悲しむことになってしまうだろう。二人のそれは治していくにしても、
治らない内に自らそれを露呈させるようなことはしたくない。結局、僕は黙り込んでしまった。
「それは、わたしが代わりになることは出来ないのかしら?」
  腰を僕の股間に擦り付けながら、吐息がかかる距離で語りかけてくる。
「ナナミちゃんの位置に、わたしは立てない?」
  ナナミよりも大きな乳房が、僕の胸に押し付けられる。
「お願い、ブルー」
  真摯にこちらを見つめてくるサラさんの顔は、綺麗だなと思った。
  僕の方から、唇を重ねる。
「ブルー、大好きよ」
  手を伸ばし、サラさんの双丘を揉む。セーター越しだというのに尚柔らかく、少し力を込めるだけで
思うように変化して僕の掌を受け止める。形を変えてゆく度にサラさんの口からは
熱を持った吐息が生まれ、首筋を擽ってくる。
  僕は身を起こすとサラさんはの肩を掴み、仰向けに押し倒した。見下ろしながら乳房を揉み、
反対の手でタイトスカートのボタンを外す。デニム素材なので少し引っ掛かったが
力任せに太股の半ば辺りまで引くと、細かい刺繍の入った黒の下着が見えた。
いやらしい雰囲気のそれは、スタイルの良い彼女によく似合っている。

「や、あんまり見ないで」
  自ら仕掛けてきたというのに恥ずかしがるサラさんは、とても可愛いらしい。
セーターの裾から手を滑り込ませて胸を直接撫でつつ、股の割れ目の部分を指の腹で擦る。
僅かに手指を震わせながら上方へと移動させてゆくと、固いしこりのようなものとぶつかった。
円を描くように親指でそこを撫で、クロッチ部分を指でずらして穴に指を侵入させる。
「気持ち良い?」
「駄目、そこ、弱い、から」
  指にまとわりつくようにしてくるヒダに対抗するように中を擦ると、サラさんは目尻に涙を浮かべて
首を振った。セーターを捲り上げ、揺れて出現する乳房に舌を這わせ、
固くなった先端の突起を口に含む。舌で押し潰すようにして転がし、音をたてて吸う。
赤子のようだとおもいながらも、サラさんの喘ぐ姿の前では止まらない。
  僕はスボンのジッパーを下げ、自分のものを取り出した。それを濡れそぼったサラさんの股間に
当てがい、一気に挿入する。声をかけずに入れるのはマナー違反かと思ったが、
心は既に我慢のきかない状態になっていた。ナナミのものとは当然違うが、こちらも背を抜けるような
強い快感がある。貪欲に呑み込み、決して離そうとしないのはナナミ以上。
もしかしたらあの双娘よりも上かもしれない。

 夢中で腰を降り、その度に肉を打つ音や擦れる水音、もしかしたら浴場に居る双娘にも
聞こえるのではないかと思う程の声が響く。えぐるように突く度にサラさんはそれに合わせて
腰を降り、打ち込む力が強くなる。更なる快感を得ようと腰の動きは益々激しくなり、
責めているのに責められているような感覚がある。
  より深く突くように僕は上体を伏せ、乳房を責めていた舌を鎖骨に這わせた。
滑らせて首筋に舌を動かし、眼前にあった首輪を噛む。ロングのタイトスカートを穿いているせいで
足が広げられず若干苦しそうではあるものの、それでもサラさんは僕に笑みを向けた。
「食い千切ってくれれば良いのに」
  歯を立てるが、金属制のそれは当然千切れる訳もない。
  代わりに耳を甘噛みすると、おかしそうに声を漏らした。それが嬉しくなり、少し強めに、
ときには唇ではなく歯を使って何度も噛む。その度に膣内は小刻みに震え、僕を刺激してくる。
幾らもかからず、射精感が込み上げてきた。
「中に、出して」
  胴に脚が絡み付き、柔らかく締めてくる。
  出す。
  引き抜くとクロッチ部分が戻り、そこから精液が染み出すのが見える。
「どうしようかしら、これ?」
  頬を紅潮させながら、眉根を寄せて見上げてくる。
「どうしようか」
  せっかくしてあったベッドメイクを崩してしまった上、ナナミの下着を勝手に借りたり
したら怒られるだろうか。
  衣服を整えることなく、乱れた姿勢のサラさんを見てどう説明しようか考えた。

Sideサラ

 ブルーと二人で並んで歩く、それだけで安心できる。妙な目で見てくることなく、
自然な笑みを向けられるのがとても嬉しい。一秒ごとに、久しく忘れていた感覚が
蘇ってくるのが分かる。楽しい、嬉しい、快い、人間の良い感情が心の中で沸き上がり、
自分が生きているのだと実感できる。
  しかし、それとは逆の感情もある。
  罪悪感。
  今日もわたしを送ってゆくと言ってくれたのは、きっと良い感情だけではない筈だ。
「後悔してる?」
  わたしと情事を行ったのは、脅した結果のようなものなのだ。
  わたしの問掛けに、ブルーは首を振る。
  気遣い、なのだろう。
  誰にでも優しくするブルーだから、そんな答えを出すのは分かっていた。
分かっていてそんな質問を出すのは卑怯なのだろうか、自分に問掛けて苦い笑いが漏れてきた。
そんな事は訊くまでもない、わざとそれをはぐらかそうとしているだけだ。
その意味を分かっているからこそ、ブルーに対してあんな行動をしてしまったのだ。
「サラさん、辛くない?」
「平気よ、ブルーが居るから」
  嘘だ。
  辛くない訳がない、今にも心が押し潰されそうだ。良いもので満たされている筈の心が、
裏からの重圧で軋んでいる。良い部分を見せようとすればする程に、それの真逆のものが
押し寄せてくるのだ。感情を動かすのは、心を持つというのはそういうこと。
それを常に行ってきたブルーは、いつもこんな痛みを味わっていたのだろうか。それこそ何百年も、
こんな痛みを受け止め続けてきたのだとしたら、それは想像を遥かに超える苦行だ。

 いや、よく考えれば違う、ブルーにはナナミちゃんが居た。感情のない宿り木は、
自分の感情を気にせずに留まることが出来る。それは以前にも辿り着いた結論、しかしわたしは
それをついに破ってしまった。それも殆んど最悪と言える形、感情の発露というもので。
「ごめんなさい」
  もう何度目かになるか分からない謝罪の言葉を口にする。
  だけど、止められなかったのだ。
  朝、ブルーの寝室に入った直後に感じた匂い。それは間違いなく情事をした後のもので、
それがわたしに向けられたものではなかったというのが悲しかった。正直、相手はナナミちゃんでも
誰でも気にならなかった。ブルーとの行為を始める前に言ったことは、嘘ではない。
けれど、誰が相手でもわたし以外の誰かとしたことが嫌だったのだ。会ってから、
まだ幾らも経ってはいない。それでもわたしの心に強く食い込んだ楔は、それを良しとはせず、
嫉妬という醜い感情で埋め尽していった。ブルーが相手に愛情を持っていたかすらどうでも良い、
しかしわたしを見ていないということが嫌だった。
  それに、僅かな希望もあった。
  抱かれることで、もしかしたらわたしを見てくれるようになるかもしれないと、
そんな風に思ってしまった。愛情が向けられることを望み、隣に居てほしいと願った。
ブルーがわたしをちゃんと見てくれているのは分かっている、昼間に公園で過ごした一時は
本当に楽しかった。けれどそれは皆に向けられるものだとも分かっているから、
特別な別のものがほしくなってしまった。それを手に入れたいと、強く想った。

 例えるのなら、それは光。
  暗闇を切り裂いてくれる光の存在を知った昔の人間は、自然の炎では飽き足らず
自ら火を起こす方法を学んだ。それだけでは不満になり、更には自然とは無縁な人間だけの灯りを
手に入れる方法を必死に考え、結果として電球が作り出された。だが底知らずに貪欲に、
最終的には蛍光灯というものまで作り出した。他には決して奪われない、人間だけの甘美な光。
常に闇を打ち消してくれる、苦さのない光。
  わたしもそれと同じだ。
  孤独と差別の闇に襲われながらも、強く振る舞ってきたつもりだった。それがどうだ、
ブルーという光が現れた瞬間に砕け散った。優しくれたことで一旦ひびが入った堤防は
水の量に負けて崩れてゆく、もっともっと愛が欲しい。公平に扱ってほしいという願いは、
わたしだけを見てほしいというものに変わり、更には他の人を見ないでほしいというものへと
変わっていった。2000年以上に渡る寂しさは、そこまでわたしの心を枯渇させていたらしい。
昼の公園で見た砂場などではとても表しきれない、例えるのなら無限に続く広大な砂漠。
それが水没しても尚余る程の水を注いでほしい。
  異常かもしれない、それは自分でも分かっている。
  会って高々数日の相手にここまで依存し、それを独占しようとしているのだ。
常識的な考え方をしてみれば、馬鹿げているにも程がある。それでも求めてしまうのは、
わたしが狂ってしまったからなのだろうか。

 狂っているのだろう。
  でなければ、他には説明がつかない。
  狂気に身を任せてしまえれば、どんなに楽なのだろうか。
  それは駄目だ、そんなことをしてしまえばブルーにも見捨てられてしまう。
  でも、一度そうしてしまった。
  それでも、わたしはブルーと離れたくない。
  胸の中に葛藤が渦巻き、言葉が口から出てこない。
  無言で歩く。
「この辺りで限界だね」
「残念だわ、もっと二人で居たかったのに」
  前回送ってくれたときに別れた場所で、ブルーが立ち止まった。ここから先のエリアは
SSSランクの人しか入ることが出来ない、つまり世界でもわたし専用の道だ。
システムで設定されたこの場所は、他の者を強制的に排除するので絶対に立ち入ることが出来ない。
わたしと他人の差を物理的な方法で提示され、胸が痛くなる。
「サラさんは、高い場所は好き?」
  突然の言葉に、意味が分からなかった。単純に言葉の意味を汲み取り、考える。
確かに高い場所は好きだ、特に一人で下を見下ろすのは。自分だけの世界がそこにはある、
その高さには自分の他には誰も居ないということが安堵を与えてくれる。誰かに隣に立ってほしいと
願っているのにそう思うのは矛盾した話だが、嫌われているということを意識しないで済む時間は
わたしは大切だ。それに下を見れば人々の生活が見えて、わたしもその中の一員だということを
実感できる。だからその二つが揃う高い場所が好きなのだ。

「あの時計塔、景色がかなり良いんだよ」
  ブルーが視線を向けているのは、小高い坂の上にある巨大な建築物。この都市に越してきたときに
最初に目に付いたもので、この都市のシンボルの一つとも言えるものだ。
そこには行ってみたいとは以前から思っていたけれども、あの辺りは人が多くて行けなかったのだ。
もしわたしがサラだと知られてしまったら、一度に大量の人が驚き、脅え、拒絶する。
それが恐ろしくて行くことを諦めていた。
「今度、行こう。自分が普通の人間だってことが、よく分かる」
  僕も昔はよく世話になった、と言って苦笑を浮かべる。
  あんな場所、怖い筈なのに、何故か行きたくなった。隣にブルーが居てくれれば大丈夫だと、
そう信じてしまった。どんな問題が起きても平気だろう、そう感じた。
「約束よ?」
「約束は、絶対に守る」
  自然に笑みが溢れてくる。
「またね、ブルー」
「また、明日」
  軽い言葉を返して別れる。
  辛くはない訳ではない、このまま二人で居たいと思う。
  しかしまた明日、という言葉が明日も会えることを伝えてくれる。それを考えただけで
わたしの足取りは自然と軽いものになっていた。

Take13

「今日はお天気が良いので、お弁当を作っておきました」
「本当に、いつもありがとう」
  僕はナナミから弁当を受け取り、軽く頭を撫でた。他の皆は日が照っているのが気持ち良いらしく、
既に外に出てはしゃいでいる。誉められる様子を見る者は誰も居ないので、
ナナミは僕にされるがままになっていた。最近は賑やかだったので暫く味わってなかったが、
相変わらずナナミの髪は手触りが良い。
「青様、そろそろ行かれませんと」
「そうだな、じゃあ行くけど本当にナナミは来ない?」
「今日は大事な用がございますので」
  名残惜しいと思いながら手を離し、外から呼ぶ声に返事をする。
双娘を連れ初めて公園に行った日から、それは日課になっていた。
ユンちゃんとリーちゃんは遊んで歌い、リサちゃんは剣を持って踊る。
ナナミも希にではあるがそれに着いてきて、二人にせがまれて歌を歌っている。
そんな日々を二週間程続けていた。
  そしてサラさんは、全く変わっていない。
  あの日のことなどなかったかのように微笑み、皆と話をしては楽しそうに声を漏らす。
それは僕が相手でも変わらず、ごく普通に接してくる。時折寂しそうな目をするものの、
態度は皆へのそれと変わらない。だからこそ戸惑ってしまうし、もしかしたらあの日の事は
夢だったのかと思うことすらあるくらいだ。僕の方が、どう接して良いのか分からなくなってくる。
その結果、時計塔に行く約束を守れていないのが現状だ。

 今日もきっと、いつも通りに一日が終わってゆくのだろう。
  漠然とそう考えた。
「行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ」
  毎日見ている角度で深く礼をしたナナミの頭を再び軽く撫で、背を向ける。
人が他には居ないとはいえ、少し問題のある声量で呼んでくることに苦笑をしながら歩き出した。
「青様、もし」
  背後からかけられた声に振り向くと、ナナミと目が合った。顔はいつもと同じ無表情、
しかしどこかそれは真剣なものに見える。無感情故に躊躇うことなく
真っ直ぐにこちらを見つめてくる瞳だが、それ故に何を言いたいのかが読み取れない。
「どうした?」
「もし、わたしが再び感情を持ったとしたら。青様はどう思われますか?」
  言われ、考えてみる。何百年も一緒に暮らしてきたが、それは初めての問掛けだ。
  どうするのか、どう思うのか、自分のことながらそれは想像がつかない。大分昔のことになるが
僕は感情が有った頃のナナミを知っているし、明確な違いがあるとはいえ、
その頃の付き合いも覚えている。今のナナミがが僕に馴染んでいるというのもまた本当のことだから
最初は勝手の違い戸惑うかもしれないけれど、すぐに慣れていくと思う。
しかし、その過程が上手く想像が出来ないのだ。
  僕は首を振り、
「そのときにならないと分からない」
  素直な答えを出した。
  数秒。
「お時間を取ってしまいました、申し訳ございません」
  礼をして、ナナミは奥へと消えてゆく。

 どうしたのだろうか、と思いながら玄関に行くと、両脇腹に強烈な衝撃が来た。
双娘が飛び付くように抱き付いてきて、楽しそうに目を弓にしている。続く肩への衝撃は、
リサちゃんのものだろう。腹を押し付けるように頭を強く抱きながら、呑気に鼻唄を歌いつつ
体を軽く揺らしている。その度に背中に剣の鞘が当たり、中では軽い音をたてていた。
「あら、ナナミちゃんは?」
「来れないから、今日は皆で行ってこいって。その代わり、弁当を預かった」
  それを見てユンちゃんとリーちゃんは目を輝かせる。毎晩体を使った奉仕をされているので、
それを忘れさせてくれる普通の表情がとても嬉しい。必死に手を伸ばしてくるのを見て
弁当の包みを差し出すと、笑みを強くして受け取った。包みが二つに分けてあったのは
量が多かったということもあるが、きっとこうなることも予想していたのだろう。
二人は少しはしたなくも包みに鼻を埋め、漏れてくる匂いをかいで幸せそうな顔をしている。
「早く行こ!」
「……たくさん遊んで、美味しく食べる」
「おにーさん、早く早く」
  急かされて、歩き始めた。それを見てサラさんは小さく笑い声を漏らした。
「ブルーも大変ね」
  適度な距離をとり、サラさんも着いてくる。
  公園までは徒歩でも十分程、弁当の中身を話しながら歩いているとすぐに辿り着いた。
敷地に入るなりリーちゃんとユンちゃんは僕に弁当の包みを渡して遊具へと駆け寄り、
僕の方を見て手を振った。リサちゃんも僕から飛び降りると二人の方に向かい、
続いてサラさんも歩いてゆく。最近はブランコがお気に入りらしく、
どちらがより高く上がることが出来るのか競っているらしい。
押す係として僕が一番下手らしく、この勝負のときは専ら見ていることが多い。
寂しくはない、見ているだけでも充分に楽しい。

「幸せそうね、蒼」
「まあね」
  隣からの声に振り向き、
  硬直した。
  体だけではない、隣に座っている人物を見て思考までもが停止する。意味を理解しようとして、
何故ここに居るのかを考えて、頭を巡らせようとしても全く動かない。
この人は居ない筈だ、少なくともこんな場所に居ることはおかしい。
  何故なら、僕がここに居るからだ。
「お、嬢様」
  確認しようとした訳ではない、現実を把握しきれずに口から自然に漏れてきた言葉だ。
彼女はそんな言葉にすら反応して笑みを浮かべて、真っ直ぐに僕の目を覗き込んでくる。
その仕草は昔と寸分変わらない。いや、仕草だけではない。腰まで届く程の長く艶やかな黒髪、
少しでも力を加えてしまえば折れてしまいそうな程に華奢な体。そして切れ長の目の中心で光る、
僕と同じ青い瞳。記憶の中にある姿と変わらない、まるで当時をそこだけ切り出してきたような姿で
存在している。
「お久しぶりね、蒼」
  声も変わらず、僕が好きだった高く澄んだもの。
鈴の鳴る音に似た、硬質だけれど柔らかく涼やかなもの。僕を強く惹き付ける、魔性の声だ。
  そして彼女だけが呼ぶ『蒼』という呼び名、それが彼女だと知らしめている。
「お嬢様、何故、ここに居るんですか?」
「そう呼ばないでって、言ってるでしょ? 何百年経っても治らないのね」
  そんなことはどうでも良い、どうして僕の隣に彼女が居る。

「シャーサ、君は」
「大変だったのよ? 蒼が居なくなったショックで体を壊して、それを治すのに十三年。
ディーグリフ家の信用を取り戻すのに五百年、大統領と近付くのに三百余年。
失敗してはやり直しで、頑張ったんだから。誉めてくれる?」
  まさか、
「お揃いよ?」
  シャーサは襟を下げ、僕に首筋を見せた。
「……SSランク」
  鈍い光沢を放つのは、二つの黒い首輪。特例であるサラさんを除いては、
最高ランクの罪を犯したという証がある。
まさかシャーサは、僕に会う為に再び八百年前と同じ過ちを犯してしまったというのだろうか。
不老になってまで、監獄都市に来てまで、そんなに僕に会いたかったのだろうか。
それは最早執念という言葉すら生温い、本当の異常だ。
「どうしたの、蒼。昔は頑張った私をよく誉めてくれたじゃない。ねぇ、頭を撫でてよ。
どんなに辛い想いをしても、蒼に会えると思って努力したのよ?」
  言いながら、体を寄せてくる。
「あ、分かった。大丈夫よ、安心して。他の男には指一本触れさせていないから。だから
私は昔の体のままよ、私の体は全て蒼のものだもの。偉いでしょ? 誉めて誉めて」
  強い感情の勢いに負け、僕はシャーサの頭に手を伸ばす。
「愛してるわ、蒼」
  気持ち良さそうに目を細め、シャーサは呟いた。

To be continued....

 

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