INDEX > SS > 『自転車倶楽部』太一

『自転車倶楽部』太一



1

「ごめん、待った?」
「いや、今来たとこ」
  今の言葉で分かる通り、今日はデート。
「だったら良かったのになぁ」
  思わず溜息が溢れてくる。
  青い空、休日、二人きり。
  しかも相手は美少女ときたもんだ。
  それなのに、
「早く自転車の練習始めよ?」
  やっていることと言えば自転車の練習で、嬉しさは一杯、なのに色気の欠片ない。そもそも、
  高校生にもなった男が女の子に自転車を習っていること自体が何とも情けない。
  コトの始まりはとても単純で、今まで自転車に乗れず、乗る気もなかった僕は敬遠していた。
  けれども何故か最近たまったバイト代で買ってきてしまったのがきっかけだ。
  特に理由があったわけじゃない、本当にただの気まぐれだったのでほとほと困っていた。
  無理に理由を作るなら、今までそのことで僕を馬鹿にしていたいつきを見返す為だろうか。
  河原でぼんやりとそんな風に考え事をしていたら、そこにクラスメイトの梓さんが現れ、
『どうしたの?』
『持て余してる』
『暇を?』
『自転車、乗れないし乗る気もないのであったマル』
『寧ろバツじゃない?』
『天罰?』
『そんな感じ。練習すれば良いじゃん、教えるよ?』
  そんな安っぽい劇をして、二人きりの練習が始まった。

 太一くんとの二人きりの時間、少し妙な感じだけれども邪魔者が居ないことには変わりない。
  太一くんは最初に天罰などと言っていたけれども、あたしには神様からの贈り物のように思えた。
  それだけ素敵な、好きな人との時間。
  太一くんの周りには人がいつも居るし、二人きりになるのは難しい。特に邪魔だったのは
  幼馴染みのいつもちゃんで、いっつもくっついてまわっている。腐れ縁のよしみなのか
  いつも太一くんは我慢しているけれども、毎回毎回悪口ばかり言っては、困らせている。
  さっさと切り捨てれば良いのに、それともそうしたいのにあの人が寄ってくるのかな?
  ホントに、迷惑な人。
  でも今はそんなことすらどうでも良い、この時間が何より大切。
「あっ、惜しい」
  太一くんはコツを掴んできたらしく、結構乗れるようになってきている。それが嬉しいのか、
  あたしに笑顔を向けてきた。かわいい、ずっとその笑顔をあたしだけに向けてくれたら良いのに。
  あたしはいつもちゃんと違って、太一くんを幸せにしてあげれるのに。
  そんなことを考えている間に、また顔を戻して練習を始めた。その真剣な横顔も格好良くて
  更に幸せな気分になる。今までこんな顔を見てきたいつもちゃんが羨ましい。
  あ、乗れた。
  走ってる走ってる。「やったじゃん」
「ありがとう、これも梓さんのお陰だよ」
  思わず抱きついてきた太一くんを抱き締め返す。幸せ、なんて生易しいものじゃない。
  あまりの幸福感に、脳味噌がショートしそうになる。
「うわマジありがとう」
  何度もありがとうと繰り返す太一くんはとても可愛くて、離す気がなくなった。

 太一の家に遊びに行ったら、不在だった。聞けば自転車の練習をしているらしく、
  最近はそのことばかり話すらしい。今まで馬鹿にしすぎたのがいけなかったのだろうか、
  只の道具である自転車にすら嫉妬を覚えた。太一に握られるグリップ、足を乗せられるペダル、
  挙げ句の果てには尻が乗るサドル。羨ましいと言うよりも、妬ましい。
  自分でも壊れかけているな、と思いながら河原に向かう。
  そこに、
  太一と抱き合っている、
  クラスメイトが居た。
「太一に触るな、この泥棒猫!!」
  思考よりも先に、言葉が出た。
「あれ、いつき?」
「あ、こんにちわ。いつきちゃん」
「さっさと離れろ」
  間に割り込み、無理矢理剥がす。
「何してるんだ、太一」
「梓さんが手伝ってくれたお陰で、自転車に乗れるようになったんだよ。だから、嬉しくて
  ついこんな状態に」
  今まで馬鹿にしていたのを聞いていて、それに突け込んだのか。流石は薄汚い泥棒猫の考え、
  油断も隙もあったもんじゃない。
  睨みつけると、泥棒猫は薄笑いを浮かべた。
「乗れるようになったなら、もう用は無いだろ? 消えろ泥棒猫」
「そんな、泥棒猫だなんて。あたしは只の自転車好きな女の子ですよ?」
「だったら自転車と二人だけの世界に行け」
  自分でも信じられない程に冷たい声が出て、気が付いたら突き飛ばしていた。
「危なッ…」
  太一が声を出すのとほぼ同時、鈍い音と共に泥棒猫の体が宙を舞った。

 自分の目の前で起こったことが信じられなかった。
  よく笑う、現にさっきまで笑っていた女の子が車に撥ねられた。言葉にすれば、
  たったそれだけのこと。それだけなのに、信じられない。
「いつ、き?」
  こいつは何をした?
  何で笑っているんだ?
  いつきは笑ったまま僕に抱きつくと、
「おめでとう、これで一緒に遠くまで遊びに行けるな」
  先程のことがなかったかのように、当然のように気にした様子もなく、普通に話しかけてくる。
  殺人、ではなくあくまでも虫を踏み潰してしまっただけのように。
「どうした、そんな顔して」
  声は明るく、弾んだもの。
「それより、こうやって抱き合うのも久し振りだな」
「そうだね」
  いつのまにかいつきを抱き締め返していたことや、すんなりと答えが出たことに驚いた。
  いつきはさっき殺人犯になったのに、僕は素直に受け入れている。
「太一の温かさは昔と変わらないな」
  いつきも、変わらない。
  人を殺したからといって、やっぱり人間そうそう変わるもんじゃない。そう考えたら、
  少し心が落ち着いた。
  いつきは、いつきだ。
  何も変わらない。
「練習で疲れただろ、今日は帰って休もう」
「そうしようか」
  自転車を見るといつの間に倒れていたのか、梓さんに覆い被さるようになっていた。
「どうした?」
「なんでもない」
  もう息をしていない梓さんの上から自転車をどかす。血が付いてその分温くなっていたけれども、
  金属製のフレームはやはり冷たい。その無機質な感じが、いかにも道具という雰囲気だし、
  形もよく見ると結構グロい。
  だから自転車は嫌いだったんだ。

2006/06/18 完結

 

inserted by FC2 system