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教授の狂詩曲、ロリコンの二重奏

第1部
第2部


第10話 『アメリカからのライホウシャ』

チバ県にある成田国際空港。ここは

航空旅客数が約3000万人

を誇る日本最大の国際空港である。
その空港に1人のアメリカ人が降り立った。
すれ違う男性の視線を独占し、女性の羨望と嫉妬の視線を受けるその人は

ややウェーブの掛かったセミロングの金髪
大理石を思わせるような白い肌
モデル顔負けのスタイル
そして一番印象的なのが、虹彩異色症によって左目がアイスブルー、右目が漆黒という
左右非対称な妖しくも美しい瞳であった。

勝手知ってるかのように迷うことなくターミナルを出て、懐かしそうに目を細めて
深呼吸をして日本の空気を堪能し、
タクシーを拾って中に乗り込むと、運転手に行き先を告げた。

既に10月に入り、若干肌寒くなり人が恋しくなるこの季節、
本来なら恋や読書など秋に相応しい事があるはずなのに、
ある実験棟に集まった三人には今は関係無かった。

「教授?これでデータ取りは終わり?」

今弥生は椅子に座って血液の採取をしていた。これまでにも身長、体重、レントゲン、心電図、
CTスキャンやスリーサイズなどなど「氷室弥生」という1人の人間の
ありとあらゆるデータを集めてきた。

「うむ、これでほぼ終わり……いや、あと最後に問診があるからそれで終わりだな」
「教授、そういえば今日アメリカから教授が来るんですよね。そろそろじゃないですか?」

時計を見ると、午後の2時になろうとしていた。

「お?もうこんな時間か。じゃあさっさと問診をしちゃうか」

弥生の前にある机に教授は書類を置いて

「それじゃ幾つか質問するが、弥生くん、エッチは週何回シている?」
「……………は?」
「うん?よく聞こえなかったかな?樹くんと週何回セックスしたかと聞いたんだが。」

ちょっとちょっと教授!!何てこと聞くんですか!大体10歳児ぐらいの
体じゃやろうとしても無理ですよ。……そもそも挿入るのか?
ん?や、弥生さん!怒りで握っていたボールペン折ってるよ!

「あらあら教授、随分と言ってくれるわね。樹とはエッチなことはまだ何も無いわよ(ニコニコ)」

怒りで頬を引きつらせながら、暴れたい衝動を何とか押さえて笑顔で答えた

「何だそうなのか。樹くんも幼女趣味があると思ったんだが……。
私だったら「いただきます」しちゃうんだがな」
「樹を教授のような変態と一緒にしないで!!」

弥生さん、興奮して机を叩かないで!壊れちゃいますよ!

「ふむ……エッチの経験は無し……と。では次の質問だが、弥生くん、生理は順調かな?」
「な?」

教授……そんなに弥生さんに殺されたいんですか?ほら弥生さんはもうリミッター外れてますよ。

「あはははは、教授随分とセクハラ全開な質問ですね。あら教授肩にゴミが。取ってあげますね」

そう言って弥生は教授の肩を掴み、少し捻った。

「ギャ――――――!!か、肩、肩が外れた!いたたたた!!」
「あら、教授どうなされました?肩をだらりと下げて。うん?バランスが悪いわね。
反対側の肩もついでに……えいっ♪」



「で、教授。一体なんでまた弥生さんにそんなセクハラまがいな質問したんですか?」

腕を組み、教授を睨んでいる弥生と、肩を押さえて涙ぐんでいる
教授の間に樹は入って聞いた

「いたた……うむ、もうまもなくアメリカから教授が来るだろう?
少しでも弥生くんのデータを取っておいて、治療の役に立てようと思ってな……」

それを聞いた弥生は少しだけ怒りが収まったのか、表情が和らいだ。

「それにしたってあの質問は何なのよ!大体」
「ダーリン!アイタカタヨ!!!」
「え?きゃ!!」

 

突然ドアが開き、椅子に座っていた弥生を突き飛ばして何者かが乱入してきた。

「おおーキャサリン教授着いたか!!」
「ン〜サミシカタ!モウハナサナイ!チュッチュッ!!」

アメリカ式の過剰なスキンシップでラブワールドを展開していた二人だったが、
突き飛ばされた弥生が

「ちょっと!あんた誰よ!入ってきていきなり突き飛ばすなんて何様のつもり!!」

真っ赤になったおでこを擦りながら弥生が叫んでいたら、
キャサリンが面白くない物を見るような目で

「フーン。「コレ」ガ「モルモット」ネ」
「!!!」

その言葉を聞いた瞬間、弥生は「人」としての理性を失った。
今樹の隣にいるのは「弥生」ではなく、怒りで我を忘れた獣だ。

「ガアアアアアッ!!」

人ではありえないほどの俊発力でキャサリンに飛び掛かった弥生だったが、
当のキャサリンはさして驚いた様子もなく

「オーコワイデスネ。デモ」

飛び掛かってきた弥生をキャサリンは空中で捕まえ、床に叩きつけた。

「がはっ!!」
「モルモットフゼイガ…」

キャサリンが床に叩きつけられた弥生を踏み付けようと足を上げたその時

「やめろ―――!!」

樹が足を上げたキャサリンを突き飛ばして、床に倒れていた弥生を抱き抱えた。

「キャサリンさん!何でこんなひどい事するんですか!一体何しに来たんですか!」

鼻から血を出して気絶している弥生を抱えて訴える樹に、
突き飛ばされたキャサリンは

「オーカンチガイネ。「ソレ」ガムカッテキタカラハンゲキシタダケ。キタリユウハ……」

隣にいた教授に抱きつき

「イトシノダーリンニアイニキタダケ♪」
「え?会いに来ただけ?弥生さんの治療は?」

教授に頬摺りしていたキャサリンは面白くない物を見たような顔をして

「チリョウ?イッツアジョーク!ソンナツモリナイワ!」

 

キャサリンの余りにも人を馬鹿にしたような発言に、さすがの樹も
堪忍袋の緒が切れかかったが、胸に抱いた弥生を見て、我に帰った。

落ち着け、俺。ここで暴れてどうする。この千載一遇のチャンスを逃したらもう
弥生さんは一生このままかも……。弥生さんを元に戻すためなら何だってやる!

樹は弥生をソファーに寝かせてから、額を床に擦り付けるように土下座をした

「キャサリンさん!もしあなたが弥生さんを元に戻せるのでしたらお願いします!!
何でもします!俺はどうなってもかまいません!
ただただ弥生さんには幸せになってもらいたいだけなんです!だから……」

樹の必死の願いにキャサリンは暫く無言だったが、ゆっくりと樹に近づいて

「イツキ、アナタヤヨイスキ?」
「へ?好き?ええ好きですよ。」

キャサリンは顔を上げた樹の目を見てさらに聞いた

「コンナ「ワガママ」デ「オモイコミガハゲシク」テ「サミシガリ」デ
「ランボウ」ナヤヨイガスキ?」

樹は答えた。迷いのない、そしてはっきりと

「それらを全部入れて弥生さんなんですから。」

キャサリンの左右非対称な瞳が樹の目の奥、心を見てるような
真剣な眼差しだった。

「ワカッタワ」

すっとキャサリンは立ち、教授の方を向き

「ゴウカクヨ」
「そ、そうか!よかった……。」
「ソレジャ……」

キャサリンは軽く自分の頬を叩いて気合いを入れた。その顔は先ほどまでの
人を小馬鹿にしたような顔では無かった。
左右違う色をした目はこれまでになく輝き、表情は真剣そのもの。
空気が変わった……正にそれだった。

「それじゃ稲本教授、機械工学の吉岡教授を機械棟の特別実験室に呼んで!
私もすぐ行くわ。あ、樹くん。弥生さんとここにいて。後で全部説明するわ。」
樹はぽかんと口を開け、ただ成り行きを見守った。



「あのキャサリン教授はな、樹くんと弥生くんを試したんだよ。二人の絆をな。」
「どうゆうことですか?」

あらかた準備を終えた教授が、キャサリンに代わり樹とついさっき目覚めた弥生の二人に
事情を説明した

「あの若返り薬……つまり弥生くんに飲ませたあの薬は未完成なのだが、
もし完成して商品化したらその利益は莫大なものだ。でもキャサリンが発表した論文から、
完成品どころか未完成とはいえある程度作れるのは世界中でもキャサリンか私のどちらかだろう。」
「…………………。」

普段のおちゃらけた態度とは違い、真剣な姿勢に樹と弥生は静かに聞き入った

「自分の研究を盗んで利益を得ようと考える人間が現れても不思議じゃない。
私がいくら「それはない」と説得しても私自身がもしかしたら騙されているかもしれない。
……で、キャサリンは一芝居したんだよ。本当に金儲けじゃなく元に戻るためだけなのかどうかを
見るためにな。」
「じゃあ何で流暢に日本語を話せるのに片言だったり、あんなに弥生さんに
辛く当たったんですか?……」
「片言しか話せないアメリカ人が散々弥生くんをいじめてその結果樹くんがどういう行動をするか、
見たかったんだそうだ」

教授は煙草に火をつけて一息ついた

「誤解しないで欲しいんだが、キャサリンは自分の研究で得た利益を
独占したいわけじゃないんだよ。完成したらその全てを公開して世の役に立ちたい……
ただそれだけなんだ。」

そこまで聞いて黙っていた弥生が口を開いた

 

「事情は分かったわ。何はともかく元に戻れるなら文句はないわ。
そして私がその一連の薬を完成させるためのデータの塊ってこともね。」
「弥生さん……」
「誤解しないで樹。別にあの教授を恨んでいるわけじゃないわ。まあ最初は怒ったけど。
それでもね私自身にある薬のデータで薬が完成し、元に戻れるのなら……」

 

全ての準備は整った。キャサリンが弥生と教授から手に入れたデータを
元に、三日三晩徹夜してついに元に戻る薬が完成した。そして完成したその日の内に
弥生は全裸でベットに寝かされ、血管から点滴のように薬が注入された。

「弥生さん、この薬がすべて注入され、暫くしたら体に異変が起きます。
たぶん筆舌に尽くしがたい激痛が全身を駆け巡りますし、幻影や幻聴などもあるやもしれません。
宜しいですか?」

弥生は静かに頷いた

「痛みが無くなった時、弥生さん、あなたは以前の姿に戻っています。
……いいですか?アナタが一番愛する者の言葉、行動を信じなさい。……それじゃ」
「あ、ちょっと待って」

弥生は部屋から出ようとしたキャサリンを呼び止めた

「……ありがとう」

 

キャサリンはちょっとだけ驚いたが、すぐ笑顔で

「お礼を言うのは私よ。アナタの協力で薬が完成したんだから。
本国に帰ったら全世界に発表して医学の進歩に使わせてもらうわ。
そうすれば人はあらゆる可能性に挑戦できるわ。……それじゃ」

「ところで教授、あのキャサリンさんとはどういう関係なんですか?」

治療が終わるまで、樹と教授は外の廊下で待っていた。

「うん?キャサリンか?……まあ愛人みたいなもんだな。大体私は16歳以下じゃないとな。
それでもキャサリンは私のことを愛しているようだから、……遊びだ」

教授…………後ろから刺されますよ。

「ダ〜リ〜ン!終わったよ。早くホテルへ行こう♪」
「ああ。……それじゃ樹くん、明日また来るから弥生くんのことは宜しく頼むよ。」

教授を見送った樹は物音一つしない廊下で立ち尽くしていた。

弥生さん…頑張って。

どれぐらいの時間がたったのだろう。時間はもう日付けも替わり、
待ちくたびれた樹は座り込んでうとうとしていた。
しかし、ついに始まった。長く辛い戦いが……

「キャ――――!!!!!!!」

夢と現実を行き来していた樹は考える前に部屋へ入っていた。
「弥生さん!!」

 

カツン、カツン……
とある病院の地下を一人の女性が歩いていた。
薄暗く長い廊下にはドアがいくつかあるが、何年も使っていないのか錆だらけだった。
その廊下を歩く女性はある一つのドアの前で止まった。
周りのドアと違い、ここだけオートロックで施錠されていた。

「ん〜んっん〜ん〜♪」

かなりご機嫌な女性は暗証番号を入力した。
ロックが外れた音が廊下に響き、女性は部屋へ入って行った。
部屋は窓が無く、ベットと時計があるだけだった。そのベットに一人の男が寝ていたが、
来るのが分かっていたのか

「やっと来たか……怪我を治してくれたと思ったら、
こんなとこに閉じ込めて、どうするつもりだ。」

女性は何も答えず、一つの包みを投げた

「?なんだこれ。……開けろって?……!!これは…」

袋には一丁の拳銃と地図が入っていた。

「うふふ、あなた氷室弥生に恨みがあるんでしょ〜。今アレは大学のとある部屋で苦しんでるわ。
殺るなら今よ〜。拳銃には弾は三発。地図に場所を書いといたから〜。
後は貴男の自由よ〜。頑張って〜。」

部屋を出た女性は薄く笑っていた

弥生さんの近くには必ず佐藤さんがいるはずだわ。
あの男、佐藤さんにも恨みがあるから殺っちゃうわね。
ついでに弥生さんが死んだほうが佐藤さんも淋しくないかも。
そしてそれを知った晴香ちゃんはショックで落ち込み、
その心の隙間を私が埋めて晴香ちゃんげ〜っと。そしてハッピーエンド♪
……うん!完璧ね。それもこれも「アノ」教授に感謝しとくか。……仕方ない、
お礼にこの監禁部屋、要望どうり貸してあげるか。

次回第十話「夢とゲンジツ」

第11話 『夢とゲンジツ』

なぜか気が付くと弥生は小さな個室にあるベットに拘束されていた。
両手両足を手錠でベットに拘束され、まったく身動きがとれなかった。

「あ、あれ?いつのまに?」

辺りを見渡してみると、ベットの横に一人の女性が静かに立っていた。
弥生を見下ろしているその顔は無表情で、顔色からもまったく
生気が感じられなかった。

「晴香……何でここに……」

弥生が聞いても晴香は何も答えない。そのかわり部屋の隅から何か持ってきた。

バットだった

ただそのバットはすでに血糊で真っ赤に染まっていた。
そして晴香は無表情のままバットを頭上高く振り上げ、弥生の左腕に狙いを定めて
一気に振りかぶった!!

「ギャ――――――――!!!」

二度、三度と晴香は弥生の左腕めがけてバットを打ち下ろした。
鈍い音とともに弥生の左腕はドス黒くなり、歪に変形した上に骨が露出して
ベットどころか晴香自身も返り血で赤く染まっていた。

「はあはあはあ……ぐっ……」

左腕の感覚が薄れていき、もう指一本動かすことも出来なかった。

「………はは、はは、はは」

何度目かのバットでの攻撃が終わった時、初めて晴香の表情に変化が表れた。
残忍な薄ら笑いを浮かべ、弥生を睨み付けた。

「泥棒猫の末路としては妥当ね。」
「…………」
「愛しの樹さんに手を出した泥棒猫は今まで幾人かいたけど、
ここまで頑張ったのは貴女が初めてよ!」

弥生は左腕の激痛に耐えるので精一杯で、答えられなかった。

「でもそれも今日でお仕舞いよ。」

晴香の目は瞳孔が開き、その表情は残忍極まりない物になった。

「左腕……右腕……左足……右足……」

晴香はバットで弥生の四肢を指し

「まずこの四つを破壊し……次に唇……乳房……子宮……膣全体……」

バットで乳房や下腹部を突き

「樹さんが喜ぶこれらを破壊し……最後に」

弥生の顔を見て

「視覚……聴覚……味覚……触覚……嗅覚……これを全部破壊するわ」

弥生は晴香の言ってることが理解できなかった。

「ちょっと晴香!!あんた自分で何言ってるか分かってるの?そんなことし」
「うるさい!!!」

晴香は弥生の頬を張り倒し、黙らせた。

「泥棒猫の分際でえらそうに!!だけど安心しなさい。殺しはしないわ」

残忍な顔はさらに歪み、完全に自分の世界へ入っているようだ。

「体の自由を奪い、五感の全てを失い、暗闇の中で這いつくばって
生きればいいわ。寿命が尽きるまでの数十年をそうやって孤独に生きなさい!!
「死」なんて許さない!!「人」を捨て、家畜以下の存在に貶めてやるわ!!!!」

床に置いたバットを手に握り、再び大きく頭上に振りかぶった!

「あはははははは!!!」

弥生に抵抗の術はなかった。ただ最後に思い残すことがあった。

せめて最後に元の姿で樹に抱いてもらいたかった……

晴香のバットが左足に当たる瞬間、バットが止まった。表情が残忍な笑顔から何かに驚いたような、
驚愕の表情になっていた。

「……ん、……ん、……さん、……さん」

どこかで誰かが誰かを呼んでいるようなか細い声が聞こえてきた。
それとともに感覚の無くなっているはずの左手が暖かくなってきた。
誰かに握られている、そんな暖かさだった。

この感覚、もしかして!!

「止めろ!止めろ!それ以上名を言うな!!叫ぶな!!思いをぶつけるな!!!
ウワーーーー!!!」

晴香が苦しみだし、頭を抱えて蹲って倒れてしまった。
そして呼ぶ声ははっきり聞こえてきた。

「……さん、……さん、…生さん、弥生さん!!」

それは紛れも無く樹の呼ぶ声だった。何処からか樹が見て、呼んでいる。
そう思っただけで弥生は心が温かくなった。ベットに拘束されていた手錠は消え、
弥生は立ち上がりその名を叫んだ!
湧き上がる想いをこめ、自分が愛するその名を!!

「樹ーーーーーーーー!!!!!!」

弥生が想いを込めて叫んだ瞬間、部屋が溶け出した。四方を囲んでいた壁はすべて溶け、
後に残ったのは弥生と蹲った晴香とただ真っ白な世界だった。

周りすべて白の世界になり、呆然としていたら晴香が立ち上がった。

「自分の想いを出すことが出来たわね。」
「え?」

先ほどまでの晴香だと思っていたら、その顔は晴香ではなかった。
うりふたつの弥生がそこにいた。まるで鏡で写している自分と話しているような、
そんな気分だった。

「私はあなたが押さえてきた思いの塊、まあ抑圧された心って所かしら」
「はあ……」

この女っていうか私は何言ってんだ?抑圧された心?いきなり言われても……
でも嘘は言ってない。何となくそれは分かるわ。あの静かな表情、この清浄な空気。
私の中にこういう想いがあったんだ。

「あなた今の今まで本心で話さないで仮面を被って生きてきたでしょう?
それが積もり積もって私という存在が生まれたのよ」
「仮面……本心……確かにそうね」

思い当たることはいっぱいあった。家庭…学校…友人…いつだって本音を隠し、
仮面を被って生きてきた。

「早くに母を亡くし、父に厳しく育てられ、相談しようにも父を恐れて皆から無視され……
そうやって今の今まで生きてきたらそりゃこんな人格の一つくらい生まれるわよ」

そうだった。何度父を恐れ、恨んだことだろう。あいつさえいなければ、と何度思ったことだろう。

「でもそんな父から逃げるようにこの大学に来て、初めて本音で話せる大切な人ができた……
それが樹。」
「ええ……こんな私に気を使ってくれて……泊まる所が無い時は泊めてくれたし、
襲われた時は命懸けで守ってくれたし……海に行った時は二人で遊んで楽しかった……」
「もう一つ教えてあげる。先月あなたが作ったマフラー、樹が大事に持っているわ。
「ありがとう」って言ってたわ」

それを聞いた瞬間、弥生は信じられない、といったような表情をしていた。

「嘘!嘘!嘘!嘘よ!樹があんな不細工なマフラーを喜ぶわけないわ!
だって晴香は完璧なセーターを渡していたし、それに比べたら私のマフラーなんて……」
「まったく……別に樹は見た目で判断しないわよ。一生懸命、心を込めて作った
マフラーだったから喜んで受け取った。ただそれだけのことよ。晴香は関係ないわ」
「そ、そうなの?」
「はあ……あなたって本当に晴香が苦手なのね」

内なる私が言った何気ない一言……「晴香が苦手」。
しかし私はその一言がトゲのように刺さった。

「気付かない?晴香ってあなたとは正反対な存在なのよ。何時でも体当たり、
本音で語り、愛に一直線。邪魔者は論理じゃなくて力で排除し、樹を手に入れるためなら
姑息だろうが何だろうがあらゆる手段を厭わない。そんな晴香にあなたは嫉妬した。
妬んだ。憎んだ。……そして恐れた。」

「そんなこと!……そんなこと……」

「その証拠にさっきあなたをバットで攻撃した晴香、あれは「いつか晴香に殺される」
っていう恐怖の表れよ。……ずいぶん過激だったけど」

まさか……そんな……いえ、確かにそうね。晴香に対しては只の恋敵以上に何か別の思い……
ドス黒い物が私の中で渦巻いていたわ。晴香みたいにストレートに気持ちを表現出来たら……
何度そう思ったか。だから必要以上に挑発し、憎み、恐れた……

「それじゃ、そろそろお別れね。」
「え?」

もう一人の弥生がそう言うと、樹の声が段々と大きく、そしてはっきりと聞こえてきた。

 

「弥生さん!弥生さん!しっかりして!俺はここにいます!ずっといます!
だから目を覚まして!」

樹の必死の呼び掛けに反応するように、もう一人の弥生は少しづつ体が消えてきた。

「ちょとどういうこと!何で消えてくのよ!」

もう一人の弥生は優しい表情をして

「もうすぐあなたは目覚めるわ。その時私は消えてあなたの心と一つになるでしょう。
……そんな悲しい顔しないで。大丈夫。ずーーっと一緒にいるし、樹もいるから一人じゃないわ。
……それじゃ」

最後に幸せそうな笑顔を残し、もう一人の弥生は消え、次の瞬間光の世界に包まれて
弥生もまた消えていった。

(いい?あなたは一人じゃない!それだけは覚えててね)

「弥生さん!弥生さん!しっかりして!俺はここにいます!ずっといます!だから……
目を覚まして!」

弥生さんが苦しみだしてもう何時間たったんだろう。東の空が朝日で明るくなってきても
弥生さんが目を覚ます様子は無い。
くそっ!どうしたらいいんだ?こんなに苦しんでるのに俺に出来ることといったら
こうやって手を握って呼び掛けるだけなんて……でも弥生さんも頑張っているんだから、
俺も今できることをやるだけだ!!

永遠とも一瞬とも思えるほどの時間が終わった。弥生は夢か幻かそれとも両方か分からないが、
現実の世界に帰ってきた。
体の節々が痛み、体は動かしにくいが間違いなく弥生はついに元に戻った!!

やっと、やっと元に戻ったわ!

上半身を起こし、手を握ったまま寝ていた樹を起こした。

「樹、起きて。朝よ」
「う〜ん、はっ!!いつの間に寝ちゃったんだ?」

樹が寝呆け眼で辺りを見渡していた瞬間、弥生が上半身を起こして起きているのを見て、
半分しか開いてなかった目は完全に開いた

「や、弥生さん!その姿!遂に戻れたのですね!!」
「うん!!それもこれも樹のおかげよ!ありがとう!!」

感極まった弥生は裸なのも忘れて、樹を抱き締めた。

「弥生さん!ちょっと……」
「ずっと……ずっと……こうしたかった……小さいままじゃ何も出来なかったし……
樹、好きよ。大好き。愛してるわ。……もう離さない。ずっと……ずっと一緒よ」
「弥生さん……っと、ともかくまず何か着て下さい。このままじゃ……」
「え?ああ、別に樹だったら見てもいいわよ。何だったらここでシちゃっても……」
「ダメです!まだ病み上がりなんですから!着替えはここに置いておきますから。
その間廊下に出てますね。」

唇を尖らせて拗ねる弥生を置いて、樹は一度廊下に出てた。
廊下に出て一息付いた瞬間

「別れの挨拶は終わったか?」

その声は死神が発したかと思うほど冷たい声だった。
横に振り向いた瞬間、爆竹のような乾いた音がして、横腹に何かが命中した!!

うふふ、樹ったら照れちゃって可愛い!でも残念だったわ。せっかくだからここで
エッチでもしようと思ったんだけどな……。まあ焦りは禁物ね。時間はたっぷりあるから
ゆっくりと確実に攻めていかなきゃ。……ああ、前着ていた服がピッタリだわ。
せめてちょっとでも痩せて元に戻れればな。んもうなんでこんな地味な下着なのよ。
こうなることがわかっていたら勝負下着買ってくればよかったな。

「弥生……さ……ん……」

ん?今樹が呼んだような。それに何か爆竹のような音がしたわね。何かしら。

ドクンッ

あれ?何で心臓の鼓動が上がるの?……何かが起きたってこと?でも一体……

ドクンッ

ハア……ハア……動悸が収まらない。何か危険が迫っているのかも……しれないわ。
樹を呼んですぐにここから出なきゃ

弥生は素早く着替えを終え、樹を呼ぶために廊下に出ようとした瞬間、出入口のドアが開き、
誰かが入ってきた。

「あ!樹、ちょうどよかった。今呼ぼうと……し……誰?」

部屋に入ってきたのは樹、ではなく目つきの鋭い、殺気を撒き散らしている
片手に拳銃を握る一人の男だった。

「お前が氷室弥生か」

底冷えするような声、色を失っている顔、痩けた頬、殺意に満ちた目。
どれ一つとっても尋常ではなかった。弥生は男を見てるだけで身震いがする思いだった。

「あの時ガキの姿がどうして大きくなったのかは知らねえが、おまえらのおかげで
仲間は警察の世話になり、辛うじて逃げた俺は逃亡生活中に怪我をしたりと
地獄の日々だったぜ」
「ガキの姿って、あなたは一体……あ!あなたまさか!!あの時私を拉致監禁した一味ね!」

男は何も答えず、ゆっくりと拳銃の銃口を弥生に向けた。

「本当は嬲り殺しにしたかったが、あまり時間もないんでな……それじゃそろそろお別れだ」

男が狙いを絞り、引き金を引こうとした瞬間

「やめろ―――――!!!」

廊下から脇腹を押さえた樹が走ってきて、男が拳銃を構えていた右手に向かって
飛び掛かり、取り押さえようとした。

「弥生さんには手出しさせないぞ!!」
「ちっ死にぞこないが!!離せ!!」

樹と男で拳銃の取り合いが始まったが、樹は先ほど脇腹に受けた傷のせいで
思うように力が出なかった。

くそっ、腹の傷さえ無ければこんなやつに……

「ふん、腹に当たってるんだ。無理するなよ!!」

男は樹を振り払い、怯んだ瞬間に樹の懐に飛び込み、銃口を胸に押し当てた。

「死ね!!」

再び乾いた、爆竹のような音が部屋に響き渡り、銃口からは硝煙の煙が立ち昇っていた。
撃たれた胸を押さえて身動き一つしなかった樹だったが、膝を落とし、倒れこんだ。

「樹――――――――――――――――!!!」

弥生は樹に駆け寄り呼びかけた。だが返事は無く、床は血の海と化していた。

「樹!!起きて!!目を覚まして!!やだ!!やだよ!!一人はやだよ!!
ずっと一緒っていったよね?私を置いて行くつもり?こんなのやだ!!」

男は泣き叫ぶ弥生に眉一つ動かさず、銃口を弥生に向けた。

「安心しな。すぐに会わせてやる。……あの世でな!!」
「ダメ!!これ以上はやらせない!!」

弥生は倒れた樹に覆いかぶさり、拳銃から守ろうとした。

「はん!健気だね!二人仲良く死ね!!」

男は拳銃の引き金を引いた。だがその瞬間、拳銃が真っ赤な閃光に包まれた。
拳銃から弾は発射されず暴発してしまい、男の右手全てが吹き飛んでしまった!!

「まさか……あの女……最初から……こうするつもり」

それが男の最後の言葉だった。

弥生は何が何だか分からなかったが、今は一刻も早く樹を病院に連れていかないと

「樹!しっかりして!今救急車呼ぶから!」

弥生は部屋に置いてあった電話で救急車を呼び、樹の上半身を起こして
必死に樹に呼び掛けているが、返事が無い。
銃弾を受けた胸と横腹からは出血は止まらず、どんどん顔色が悪くなっていった。
しかも体温が感じられなくなってきた。

「このままじゃ……このままじゃ……」

弥生は最悪の結末を予想してしまった

「死」という永遠の別れを
「樹」という最愛の人を失う恐怖を

「いやあああああああああ―――――!!!!!!」

部屋中に弥生の慟哭が響き渡った
「教授の狂詩曲、ロリコンの二重奏」完

2006/08/20 完結 Next Chapter

 

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