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Bloody Mary 2nd container



21A

『だからっ!ウィルにそんなもの食べさせないでくださいっ!』

『そんなものとはなんじゃ!これはれっきとしたポトフじゃぞっ!』

 日々の日常。今日も今日とて団長と姫様が言い争っている。

『それのどこがですか!花瓶の花を見てみなさい!臭気で枯れてしまったでしょう!
  そんなおぞましいモノ、ウィルの寿命を縮めるだけですっ!早々に捨ててきなさい!』

『やかましいわっ!それは花が軟弱なだけじゃっ!ウィリアムはこれしきのことで
  食べるのを躊躇したりせん!』

 ―――あー…姫様?そういう問題じゃない気が……

『ウィルもウィルです!この毒物製造機にはっきり言ってあげたらどーですか!』

 ―――えーと…いえその…姫様がいつか美味いポトフを作ってくれるなら我慢できるかなぁ、
  と思ってるんですが。

『ほれ、見たことか。ウィリアムはこう言っておるぞ?
  だいいち、料理の全くできんヤツが逆恨みでそういうことを言っても見苦しいだけじゃがな』

 ―――ちょっと!?姫様!そうやって火の中に油注ぎ込まないでください!

『ふふふ……言ってくれましたね、王女。……いいでしょう。
  私が本気を出せば味王すらも唸らせる料理を作れるということを証明してあげます』

 ―――団長も挑発に乗らないでください!ってか味王って何ですか!

『ほう?食材を粉のように切り刻むしか能のないおぬしが、料理をか?』

『ふ、ふん!馬鹿にしないでください!
  …ウィル!姫様の毒物を食べられるんですから、勿論私のも食べてくれますよね?』

 ―――は、はぁ……でもその言い方だと団長のも毒料理だと言っているように聞こえるんですけど…

『よかろう。そこまで言うのならどちらがウィリアムを昇天させられるほど美味い料理を作れるか、
  勝負しようではないか』

『わかりました。媚び媚びロリ王女ごときが相手では役不足ですが受けて立ちましょう』

 二人が肩を怒らせながら厨房へと歩き出す。

 ―――ちょっと、お願いですから厨房を破壊しないでくださいよっ!?

 嫌な予感がして俺も二人の後を追いかけた。

 ……実のところ俺もこんな毎日が楽しい。騒がしくて、二人に振り回されることばかりだけど。
  それでも今の俺にとっては。
  こんな日常が幸せでたまらないのだ。
  いつまでも。いつまでも。どっちが好きなのかはっきりしろと言う二人には悪いけど。
  いつまでも、こんな楽しい日々が続けられれば。
  大切な人たちと騒がしくて取り止めのないこんな日を過ごしていければ。そう思う。

 

 彼女たちの背中を見つめながら今ある幸福を強く噛み締める。

 ―――ははっ。

 この状況で唐突に何を考えてるんだと思うとちょっと可笑しくなった。

 ―――あれ?

 厨房へとさっさと歩いていく二人を見ながら違和感に気付いて首を傾げる。
  いくら走っても、前を歩く二人に追い付けない。そればかりかどんどん距離が離れていく。
  どうして?

 ―――待ってください。団長、姫様。

 俺の声が届いていないのか、二人は更に遠ざかっていく。

 ―――待って!

 それが凄く不安で。自分だけが取り残されるような気がして。俺は力の限り叫んだ。

 ―――置いていかないでくれ!俺を独りにしないでくれ!

 もう二人は遥か向こう。
  怖い。寒い。痛い。悲しい。ありとあらゆる負の感情で、心が押し潰されそうになる。
  お願いだ……俺を、置いていかないでくれ……

 ―――待って!待って!待って!待って!待って!待って!待って!待って!
  待って!待――――――

 

 

 

「――――って!!!」
  突然世界が一変し、気が付けば俺はベッドで横になっていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
  きょろきょろと部屋の中を見渡す。
  ここ数週間、幾度となく目覚めたいつもの部屋だった。
「ゆめ、か……」
  良かった。ただの夢か。そりゃそうだよな。ちょっと疲れてたからあんな夢見ただけだ。
  にしても、ずいぶんタチの悪い夢だったなぁ、ははっ。

「おはよう、お兄ちゃん」
  ベッドに同衾していたマローネが俺に目覚めの挨拶をした。
  この数週間毎朝、俺が一番初めに見る光景だ。

「おはよう、マローネ」
  俺が笑顔で答えると、彼女は俺の頬に口付けした。
「さてと。お兄ちゃんも起きたことだし、ご飯作るね」
  そう言って、ベッドから這い出て服を着始めた。
  マローネの裸。この数週間、見慣れた光景だ。
「…ん?」
  俺も支度するためベッドから立ち上がろうとするが腕が縛られていたのでそれは叶わなかった。
  この数週間、毎朝毎朝支度しようとしてから縛られてることに気付く自分に苦笑した。

「なぁ、マローネ。いいかげん、このなわ、ほどいてくれないか?」
  いつもの台詞。そしてそれに対するマローネの回答はいつもこうだ。
「ダ〜メ。お兄ちゃんが完全にあたしのものになるまでずっとそのままなんだから」
  なんのこっちゃ。毎度同じことを聞くがわけがわからない。
  俺が初めてこの部屋で目覚めてから、ずっと縛られたままなので
  此処がいったいどこなのかも解らない。
  おまけに腕がこの状態のおかげで俺はずっと裸のままだ。……ん?なんで俺裸なんだっけ?
  えーと……っつ!
  思い出そうとすると頭痛がするので考えるのはやめた。まぁいいや。
  それより団長たちはどうしたんだろう。今朝あんな夢を見たせいか、無性に二人に会いたくなった。

「そういえば、だんちょうとひめさましらないか?」
  俺が尋ねるとゆっくりマローネが振り返った。
  彼女の顔は笑顔。背筋が凍るくらいの、笑顔。

「いないよ」

 ただそれだけ答える。ぞわりと寒気が全身を襲った。

「は?」

 さっぱり意味がわからない。どこか出かけてるんだろうか。

「いるわけないよ」

 なにを、いってるんだ…?

「ここにいるのはあたしたちだけ、っていつも言ってるのに……」

 いつも言ってる?そうだっけ?
  あ、れ………記憶が酷く曖昧で、此処に来る前の記憶を掘り起こそうとすると目眩がした。

「あの二人に会いたいの?お兄ちゃん」

 ああ。会いたい。すごく、会いたい。どこにいるんだ?

「無理だよ」

 なんでだよ。遠くにいるとしても俺は一目散に飛んでいくぞ。二人に会えるのなら
  それくらいの苦労、なんてことない。

「だって――――」

 ……だって?

 

「二人とも、もう死んでるんだもん」

 

 ――――――――あ。

 そして、今日も俺の心は壊れた。

 

 

 いつもだ。いつもこうなってから思い出す。
  この部屋で暮らすようになってから毎朝毎朝俺はマローネとこんな不毛なやりとりをするのだ。
  朝目覚める度、俺は団長たちのことを訊いて。
  マローネがその問いに何度も同じ返事をして。
  その答えを聞く度に絶望に心を砕かれて。
  二人がもういないことを思い出す。
  そして翌日にはそのことをもう忘れて、再びマローネに二人のことを尋ねるのだ。
  来る日も、来る日も。

 此処に来る前の記憶は曖昧だけど、二人がもういないことだけは深く俺の心に残っていた。
  どうせならそれも忘れていればよかったのに。そうすればこんな思いをせずに済んだ。

「あぁ、そうか。ふたりともしんだのか……」

 その事実を口に出して、砕かれた心がさらさら零れていくのが解った。
  ただ天井を見上げるだけの俺の目には涙すら浮かばない。そんなもの、とうの昔に枯れ果てている。

「しんで、るのか……」

 不安、安堵、絶望。毎朝、それの繰り返しだ。

 どうして俺がこんな目に合うんだ。俺のいったい何がいけなかった?
  キャスを見殺しにしたから?戦争で罪のない人をたくさん殺したから?
  姫様と団長を助けられなかったから?
  だったらいくらでも償う。どんなことでもするつもりだ。
  だから、もうやめてくれ。これだけは辛すぎる。他のことならなんだってするから。

 

「お兄ちゃん」
  黙って様子を見ていたマローネが俺の手に触れた。
  マローネに目を向けると、まるで彼女が聖母に見えて少しだけ気持ちが楽になる。
「辛い?」
  痩せこけた俺の頬を優しく撫でるマローネ。

「うん。とても、つらい」
  自分の声がしゃがれているのに今更気付いた。

「楽に、なりたい?」
  やさしく語りかけられる。

 ――――ああ。楽になりたい。どうすればいいのか知ってるのか?

「うん。知ってるよ。とても、とっても簡単なこと」

 ――――それって何だ?教えてくれよ。早く楽になりたいんだ。

「それは、ね」

 ――――早く教えて。

「二人のこと、忘れちゃえばいいんだよ。そうすればすぐに楽になれるよ?」

 ………は、はは。何を言い出すかと思えば。

「むりだよ、そんなの。ふたりのことをわすれられるわけないじゃないか」
  忘れられるわけがない。今の俺にとって大きすぎる存在なんだ。だから忘れられない。

「できるよ。お兄ちゃんがあたしのことだけを考えればいいんだよ。…あたしのことだけを」
  俺を舐るようにキスするマローネ。彼女から漂う甘ったるい匂いが俺の思考を除々に奪っていく。
「そうすれば二人のことを忘れられる」

「おまえのことだけを?」

「そう、あたしのことだけ」
  言いながら、俺の身体の隅々まで唇を這わせる。それがとても心地いい。

「そうしたらおれもらくになれるかな?」

「なれるよ」
  まるでぬるま湯に浸かっているかのように気持ちがいい。
  ぼんやりとマローネの言っている意味を咀嚼する。
  確かにマローネの言うとおり、忘れられるかもしれない。

 だけど。

「……でも、わすれるなんてふたりにわるすぎるよ」
  俺が拒絶しようとするとさっきまでの苦痛が再び身体を襲ってきた。

「二人はもう死んだんだよ?お兄ちゃんが辛いのなら、さっさと忘れた方があの人たちも
  きっと安心すると思うな」
  どういうわけかマローネが俺に声を掛けている間だけは苦痛も薄れる。

「そうかな?」
  マローネの言葉がとても魅惑的で。

「そうだよ」
  彼女の声が辛いばかりの俺を優しく癒してくれているように感じた。

「……うん――――」
 
  辛さを忘れられるのなら。ずっとこんなぬるま湯に浸かっていられるのなら。

「――じゃあ、そうする」
  マローネにそう返事をした瞬間、二人の顔が不意に浮かんだけど、彼女たちのことを
  思い出すのはもうそれっきりだった。

 俺が決意した途端、急速に二人の顔が思い出せなくなっているのが分かった。

 彼女たちの姿形が蟲に喰われるように記憶から消えていく。

 

 ――――すいません。団長、姫様。でも………もう俺は。

最終話A

「ねっ!お兄ちゃん、あたしのこと、好きっ!?」

 噎せ返るほど匂いが充満する部屋の中で、あたしはお兄ちゃんにそう訊いた。
『二人のことを忘れる』と言う前に比べると随分お兄ちゃんの顔色が良くなっている。
  ……良かった。

「あ…ぁ、すき、だ…」

 拙い言葉遣いで答えながら、馬乗りになっているあたしをひたすら突き上げる。
  その動きに合わせてあたしも腰をくねらせ始めた。 快感がより一層強くなり、
  全身が歓喜に震えるのを抑えられなかった。

「え、えへっ……嬉しい。あふっ…!もっと、言って!」
  擦り合わせる股間の隙間から、ぴゅっと飛沫が飛んだ。
「すきだっ、すきだっ、すきだっ、すきだっ、すきだっ、すきだっ、すきだっ」
  何度も繰り返しながら腰を振る勢いを強くするお兄ちゃん。
  興奮が高まるのに比例して、生殖衝動が理性を侵食していく。

 ぱちゅっ、ぱちゅっぱちゅっ、ぱちゅんっ…ぱちゅっ

 部屋の中に響き渡る不規則な水音。窓の外はもう既に西日が射していた。
  今日は朝からずっとお兄ちゃんとまぐわい続けている。

 お兄ちゃんと此処で暮らし始めて早二ヶ月が過ぎた。
  今暮らしているこの家は人里から離れた森の中にあるので人が訪れることは殆どない。
“看病”するにはうってつけの場所だ。お兄ちゃんとの時間を誰にも邪魔されたくないし、ね。
  この森自体、帝国領側の国境に位置しているのでオークニーからも離れている。
  近くの街まで半日以上かかるのは凄く不便だけど、お兄ちゃんとの二人きりの生活を
  守るためには仕方ない。

 一方、お兄ちゃんの方は快方に向かっている。
  あの女たちに騙されていた後遺症のせいか、最初のころはかなり塞ぎこんでいたけれど。
  今ではもうすっかり“あたしの知ってるお兄ちゃん”に戻った。
  あの三人のことは頭から完全に消えている。今お兄ちゃんの頭の中にあるのはあたしだけ。
  あたしだけを見て。あたしだけを考えて。あたしだけを愛してくれる、最高のお兄ちゃん。
  …えへ。これも愛ある看病の賜物だね。

 でもちょっと甘やかしすぎたかな?
  今じゃこうやってあたしを抱いていないと落ち着かないみたい。
  あたしが側にいないとお兄ちゃん、発狂しちゃうんだ。えへ。

 それが解ったのはお兄ちゃんが「忘れる」と言ってから初めて隣町まで買出しに行ったとき。
  帰ってきたら、お兄ちゃんが部屋の隅でガタガタ震えていた。
  いったいどうしたのか訊いたら「マローネがいなくなったとおもった」だって。
  ほんとにもうあたしがいないと生きていけなくなったみたい。うれしいなぁ。
  ――――試しにあたしが死んだらどう思うか訊いてみようか。

「ねぇ、お兄ちゃん?………もし…あたしが死んだら、どうする?」
  うねらせていた腰の動きを止めてお兄ちゃんの顔を覗く。
  呆けていたお兄ちゃんの顔が、目に見えて蒼くなっていくのがはっきりと判った。

「いっ…!いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!」
  突然狂ったように腰を振り出す。ガンガンと最奥を突き上げられる度に目の前がスパークした。

「ひっ!……ひゃうっ!?……お、おにぃ……はひっ、は…激し、ふぐっ!!?」

 繋ぎ止めるようにあたしの腰を掴んでいる手に力が入っている。
  …爪が食い込んで少し痛かったけど、痛い分だけお兄ちゃんの愛を感じることが出来た。

「ぜったいにいやだっ!おまえがしんだらおれもしぬからなっ!!」

 涎を垂らしながら必死で突き上げるお兄ちゃん。あたし以外、何も視えてない。
  ……あはっ。もうお兄ちゃんは完璧にあたしのもの。

「うんっ!うんっ!…ずっとっ、はぅっ!…ずっと一緒…っ…だよ!!」

 絶頂へ向けてあたしも激しく腰を動かした。うまく呼吸ができず視界が狭まる。
  なんとかお兄ちゃんの顔を確認すると、恍惚とした表情をしていた。
  お兄ちゃんも限界が近いみたい。

「うぅっ、あはっ!い、イク……お兄ちゃっ、あた…ひぅ!…あたし、イッちゃ……ふっ!!!?」

 お兄ちゃんが一際強くあたしの子宮口に押し当て、硬直した。
  ぶくっ、とお兄ちゃんの矛先が膨れ上がる。
  それを感じ取った膣が粘液を全て吸いだそうと勝手に収縮し始めた。

 ――――あたしの体内にお兄ちゃんの子種が放出された。

「あああぁぁっっっっ!!」

 痛みすら伴う快感が全身を暴れまわり、意識がぶちぶちと引き千切れた。
  ――――――あ、あっ、射精てる……お兄ちゃんがあたしに種付けしてる………
  微かに残る意識の隅で理性と本能の両方が喜びに震えているのが解った。

「あ゛…あ゛ぅ゛……っ」
  未だ残滓を放つお兄ちゃんの暖かさに反応して、小刻みな痙攣を繰り返す。
「………ぁ…………」
  とうとう快楽に耐え切れなくなった意識が薄れていく。
  全身が弛緩してお兄ちゃんの胸に身体を預けると、そのまま深い眠りに着いてしまった。

 

 

 

――――――――・・・・・

 

「……ん……あ、あれ?」
  目を開けてもまだ視界は暗い。

 目が覚めると既に陽は落ち、窓から見える三日月が夜の時を告げるように煌々と輝いていた。
  となりにはお兄ちゃんがあたしに寄り添うように寝息を立てている。
  あれからすぐにお兄ちゃんも眠ってしまったらしい。

「夕食の準備しなきゃ……」

 だるい身体に鞭を打ってベッドから出た。
「あ……」
  もそもそと服を着ながら、竈にくべる薪が切れていたのを思い出した。
  ……外まで取りに行かなきゃ。
  窓の外は真っ暗。蝋燭を持って行かないととても歩けそうにない。
  ちらりとお兄ちゃんを見ると安心した顔つきで熟睡していた。

「愛してるよ、お兄ちゃん」

 額に口付けをして、あたしは薪を取りに外へ出た。
  扉を開けると広がるのは、闇、闇、闇。
  森の中は真っ暗で木々の輪郭が月の明かりで辛うじて見える程度にしか光が入ってこない。
  あたしは蝋燭の火だけを頼りに薪置き場まで歩いていった。

「んー、今度からは夜になるまでに薪用意しとこ」
  足元に気をつけながら歩くのは日がな一日交わって疲れている体には酷だ。
  自分の性欲の強さに半ば呆れながら、薪を一束手に取った。

「でも…やっぱりご飯の匂いで目覚めるのは男の子の夢だよね。えへへ」
  あたしが夕食を作っている間に起きてくるであろうお兄ちゃんの表情を脳裡に浮かべながら、
  顔が綻んだ。

 

「やっと、見つけました」

 

 突然暗闇の向こうから聞こえる誰かの声。

「…っ!?」
  瞬時に幸福感が引っ込み、振り返った。慌てて蝋燭の火を消す。
  まだ暗闇に慣れていない目を細め、闇の向こうを射抜く。
  辛うじて女のシルエットが見えたが、それ以上は解らなかった。

「ずいぶん苦労しましたよ」
  だけど、その声でシルエットの正体が誰なのかは一目瞭然。
  間違いなく、あの侍女だ。

「何処に逃げ込んだのかと思えば―――――よりによって帝国ですか」
  月の光を受けてそのシルエットの手元が光った。
  ……まったく気付かなかった。
  こっちに来てからお兄ちゃんがこいつは暗殺術を身につけていると言っていたけど、
  こんな簡単に背後を取られるなんて。

「え、えへへ……意外に見つけるの早かったね」
  光沢を放つ手元に全神経を集中させながら体術の構えを取った。
  マスケット銃は部屋の中。今は自分の身体だけが武器だった。

「えぇ。情報収集は私の十八番ですので」
  少しずつにじり寄ってくる女のシルエット。まだ目は暗闇に慣れないまま。
  死がそこまで迫っている。

 

 ―――――この女には勝てない。
  短かくともそれなりの修羅場を潜り抜けてきた傭兵としての勘があたしに警告している。
「……っ」
  もともと、銃を扱う人間が単独で勝つなんていうのは無理のある話。
  今まで勝ててこれたのも、ある意味幸運に恵まれていたから。
  小娘の王女のときは単純に対象が普通の人間だったうえに奇襲を掛けられたおかげ。
  元騎士の売女のときなんて偶然前もって対策を立てられたから。。
  あの女には明確な弱点があった。本人も気付いていないみたいだったけど。
  山道で賊に襲われたとき、あたしはすぐに解った。
  あの女はしきりに飛び道具を使う弓兵とお兄ちゃんを気にしていた。
  自分に襲い掛かってくる敵をも視界から外して。
  ―――――この女は何故かお兄ちゃんに矢が当たるのを異常に恐れている。
  その弱点に気付いたおかげで上手くあの女を殺すことができた。
  そうでなければ決死の初弾を弾かれた動揺であの女に距離を詰められていたと思う。

 だけど。今対峙している女にはそういう情報が全くない。
  弾込めに時間を割かなければならない銃が得物では最初の一撃が勝敗を分けると言っていい。
  そのためには相手を奇襲してイニシアティブを取らなければならない。
  こちらが先手を打てなければ敗北が決定してしまうも同然。
  なのに最後の相手に、“殺し屋”を残してしまった。この女がただの侍女ではない
  ということも知らずに。
  この侍女が暗殺術を持っていると知っていたなら先ず真っ先に殺さなければならなかった相手。
  思えば一番最初にこの女を殺さなかった時点であたしの敗北は決まっていたのかもしれない。
  気配を殺せる者から先手を打つことはほぼ無理だから。
  事実、たった今その先手を奪われたところだ。

 

「今更お兄ちゃんを奪いに来たの?」
  勿論、ただ指を咥えて死を待つつもりは毛頭ないけど。
  隙あらばその首、へし折ってやる。

「…奪う?……ウィリアム様を奪ったのはマローネ様の方でしょう?
  それに―――――私はウィリアム様欲しさに此処にいるわけではありません」

「説得力ないなぁ、それ」
  蝋燭の火に頼っていたせいか顔も姿形も全く見えない。
  ただナイフの刃だけが視界に捕らえることができた。

「私は別にウィリアム様が誰を選ぼうとも構いませんでした。
  ……マリィ様でも。姫様でも。それに、あなただったとしても。
  ただウィリアム様が幸せになれるのなら、私はそれで良かった。
  それなのに、あなたは自分の欲望を抑えきれずにウィリアム様を不幸にした。
  私はそれが許せないだけです」

 ろくに何も見えない暗闇の中でナイフだけがあたしの命を狙っている。

「おかしなこと言うね。お兄ちゃんは今幸せだよ?」
  そう。お兄ちゃんは幸せ。だって、あたしたちあんなに愛し合ってるんだもん。

「……あなたと議論するつもりはありません」
  ぎらりとナイフの刃が一段と強く光った。
  気に入らない。こちらが何を言っても感情の篭らない声が耳障りだ。
「あはっ。殺る気まんまんだね。いいよ、殺したげる」
  どういうつもりか解らないけど後ろから即座に殺さなかったのはあたしの好機。
  向こうが仕掛けてきたと解っているなら少しはこちらにも見込みがある。
  最初の一振りは片腕を犠牲にして押さえ込み、そのまま一気に頸椎を砕く。
  素早く殺ればもしかしたら。
  あたしは相手に気付かれないように重心を低く構えた。

「……あなただけは。
  あなただけは殺し屋の『シャロン』としてではなく『マリアンヌ』として殺します」

 意図の見えない決意表明を聞いた瞬間、今まで隠れていた侍女の殺気が爆発した。

 ―――――来る!!

 尋常ではない速さでシルエットが近づいてくる。
  あたしは唯一見えるナイフに意識を集中させた。後はあたしの瞬発力次第。
  迫る刃。半歩前に出していた左足に力を込める。
  ……狙うのはこちらにナイフを振るう一瞬。
  左腕の肉を盾にして刃物を止め、得物を使えなくなったところで首の骨を折る。

 その手筈だった。

 ……あれ?
  お互い手が届く距離まで後一、二歩というところであたしは違和感に気付いた。
  近くで見て初めて気付いたけど、光沢を放つナイフの幅が長さのそれに比べ広い。
  その違和感が全力で警鐘を鳴らしたが、もう体勢を変えることはできなかった。

 さらに違和感が重なる。
  侍女が奇妙にも刃が届くより早くナイフを振り抜いていた。

 ぶんっ

 小振りの刃物とは思えない、風を切り裂く重い音が耳に響く。
  ナイフの刃はあたしに届くわけもなく空を切っていた――――――はずなのに。
  振り抜いた体勢で、隙だらけの侍女の首に手を伸ばそうとするのに身体が反応しない。

「―――――え?」

 刃を受け止めようと上げた腕が、肘の先から切断され。
  綺麗に右肩から左脇腹にかけてぱっくり傷が開いていた。

 数瞬遅れて傷口から迸る鮮血。
その量を見て目がチカチカする。暗闇で見えないはずなのに血の赤だけが嫌に際立っていた。

「……どう、して…?」

 足腰の力が抜けて、その場にぺたんと座りこんだ。
………いったい何が起こったの…?
  まるで真空に切り裂かれたかのよう。今の斬撃は絶対にあたしまで届いてなかった。
  にも関わらずあたしはものの見事に切り裂かれた。これは何の手品?

 今頃暗闇に慣れ始めた視線を彷徨わせ、侍女を見た。
  相変わらず何の感情も読み取れない無機質な瞳。
  人ひとり殺してここまで微動だにしない人は始めて見た。

「何、げほっ……したの…?」
  まったく言うことを聞かない身体で、なんとか声を絞り出すことが出来た。
  無理してしゃべろうとした拍子に胃から血が駆け上って咽てしまう。
  シャロンが黙ったまま、右手に持ったナイフを胸の前で指し示した。
  ナイフの割に少し重そうに持っているように見える。

「あ、あははは………そういうことか……」
  “それ”を見てあたしは力なく笑った。
  彼女が持っているものはナイフなんかじゃなかった。それは剣。
  根元部分以外の刀身をつや消しのために黒く染色した剣だった。
  黒くなっている部分が闇に溶け込んで、今まで気付かなかった。
  しかもよく確かめると、見たことのある剣。
  今は黒く塗り潰されているものの、その鍔には見覚えがある。
  お兄ちゃんを誑かしたあの女騎士が持っていた剣だ。

 月明かりで光っている部分だけを見て勝手にナイフだと思い込んでいた。
  けれどそれは剣。ナイフより遥かに広い間合いに気付かず、
  闇に隠れていた刃に腕と胴を裂かれ成す術もなく負けた。

 
「ひ、ひきょう…もの……」
  よりによってこんな負け方するなんて……サイアク……。
  血が大量に吹き出し、あたしが失血死するのも時間の問題。
  結局この女に勝つことは出来なかった。

 

 まぁ、でも。
  既に“保険”は掛けてある。本来の目的はとうに達成したのだから。
  あたしがこの女に殺されるのはむしろ筋書き通りだ。

「ウィリアム様を解放させて頂きます。……あなたはそこで、独り死んでいなさい」
  座り込んでいるあたしを見下ろして冷たく言い放つその女。
  誇らしげに勝鬨を上げている姿があまりに滑稽で、笑いが込み上げてきた。
  このまま黙って死ぬのもいいけど、最期くらいこの女に一矢報いてやろう。

「あ、あはは……残念だけど………あ、あたしは、独りじゃ―――ないよ」
  死に掛けのあたしに僅かに眉を顰める女。勝負が決まってから初めて女の表情が揺れた。
  少し離れたところにある小屋に顔を向けながら言葉を続ける。

「あんたが…どう逆立ち…したって、あたしと……お兄ちゃん、は……ず〜…っと、一緒。
  いまさら……あたしを、こ、殺しても――無駄、だよ?」

「………なに、を…?」

 言葉を紡げば紡ぐほど、無表情だった女が動揺する。えへっ、イイ気味。
  瀕死の身体で声を出すのは辛かったけど、この女の歪む顔が面白くてやめられなかった。

「もう、お兄ちゃんは…あたしの……。だって、お互い一人じゃ―――ぐっ……生きて、
  いけない…もの。
  え、えへへへへ……こ、これが…どういう、いみか…わかる?」

 楽しくて仕方ない。みるみる内に女の顔から血の気が引いていく。
  あっ、血の気が引いてるのはあたしも同じか。あははっ。

「ウィリアム様っ!!」

 とうとう不安に駆られて女が小屋に向かって走り出した。無様な後ろ姿。
  あはっ。せいぜい絶望しろ。お前にお兄ちゃんは渡さない。

「ば、馬〜鹿……」
  あたしは女の惨めな背中に嘲笑した。
  体内の血液が止め処なく外に溢れ、頭がくらくらする。

「――――――あっ……もう…――みた、い……」
  身体からはすっかり体温が抜けて、女の後姿を中心に視界が黒く染まっていく。

「え、えへへ……」

 意識がどんどん闇に落ちていく。死ぬ瞬間は独りだけど、ちっとも寂しくない。

 

 だって、これからはずっと二人。何があろうとも。死んでも、死んだ後も、生まれ変わっても。
  ずっと。ずっと。ずっと。ずっと。永遠に一緒。あはっ。楽しみ。
  誰にも邪魔されず、お兄ちゃんと二人きり。

 

 ―――――――――――――お兄ちゃん、先逝って……待ってるね。

 

                             END A 『共に逝く者』

2006/07/17 完結

 

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