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血塗れ竜と食人姫

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外伝6 『怪物姉乱戦記(前編)』

 季節は初秋。
  帝都は四季の変化がそれほど激しくない地域なので、秋になったという実感は湧きにくい。
  しかし、辺境の方では季節に応じた特産品が出てくるので、流通の中央となる帝都にも、
  秋らしいものが出そろい始める。
 
  特に食材は、夏の間に栄養を溜め込んだ野菜が、店頭にたくさん並んでいる。
  料理好きの者にとっては、腕の奮い甲斐のある季節だった。
  心なしか商店通りを歩く人々も、どこか浮ついた気分が広がっていた。
 
  セツノ・ヒトヒラも、そんな一人である。
 
「――あ、いいのが入ってるなあ。今晩のメインはこれにしよっかな」
  るんるん気分で食材を見て回る。
  その足取りは軽く、今にもスキップを踏んでしまいそうなくらい。
 
  それに対し、ユメカ・ヒトヒラは論外だった。
 
「……えー。まだ買うのー? ちかれたー。帰りたいー。ユウキさんとはぐはぐしたいー」
  両手には多数の紙袋。中には食材が一杯で、いつ積載量オーバーしてもおかしくない。
  その足取りは重く、表情はだれにだれきっていた。
 
「うっさい馬鹿姉。日頃全く家事しないんだから、荷物持ちくらいは手伝ってよね」
「えー。それを言うならユウキさんはー?」
「お、お兄さんはいいの! お仕事してるし、手伝ってくれようとするし」
「仕事なら私たちだってしてるじゃない。しかもユウキさんより高給」
「……私たちのは後ろ暗いお金じゃない――っと、これもいいなあ。
  あーでもさっきのも捨てがたいし……むむむ」
「もー。材料なんか何だっていいじゃない。セっちゃんなら美味しく料理できるんだからあ」
「黙れ」
 
  姉の文句を一蹴する。
  料理に関してはちょっぴりこだわりのあるセツノだった。
 
  と。
 
「――お。ねえねえセっちゃん」
 
  料理に関しては全くこだわりのないユメカが、
  何かを発見したのかセツノの裾をくいくいと引っ張る。
 
「なに? 可愛い猫でも見つけたの?」
「猫じゃなくて、ユウキさんがあそこに」
「っ! ……ん。は、話しかけたい気持ちはわかるけど、多分お仕事中だろうから、
  余計なちょっかい禁止」
「あ……喫茶店に入ってった」
「…………ち、ちょっと休憩しよっか。姉さんも疲れたでしょ?」
「やったー」

 

 帝都の喫茶店は、ただ茶を飲んで休憩するだけのところから、
  社交場の役割を果たすところまである。
  ユウキが入っていった喫茶店は、上の下クラスの、高級といって差し支えない店だった。
  単に休むだけなら、もっと別の店を選ぶだろう。
  ということは――
 
 
「……ねえ、セっちゃん。あれって」
「……うん。とりあえず、私たちも離れた席に座ろっか」
 
 
 
 
 
「すみません、お待たせしました」
「ああ、待った待った。ここお前の奢りな」
「……あの、待ち合わせ時間まで、まだ余裕ありますよね?」
「アタシは待ったぞ。それで十分だろ」
「……理不尽だ……」
 
  項垂れながらも、ユウキは席に着いた。
  学院生の頃から、目の前の人物はこんな感じだったので、今更どうこう言う気はない。
  とはいえ、なにかと難癖付けてこちらの奢りにするのであれば、
  もう少しランクの低い店にして欲しかったりする。
 
「いやー、しっかし久しぶりだなユウキ。元気してたか?」
「おかげさまで何とか。……アマツ先輩も変わりないみたいですね」
「ばっかお前、アタシの方は色々大変なんだぞ。
  就任してすぐなのに遠征任されるし。しかも戦闘あったし。マジ疲れたわ」
「ああ、噂は聞いています。任務お疲れ様でした。しばらく帝都に滞在されるんですか?」
「んにゃ。明日には向こうに戻らなくちゃいけない。
  色々面倒な手続きがあるのよ――っと、注文がまだだったな」
 
  ユウキの先輩にして元学院執行部長、アマツ・コミナトは、指を鳴らしてウェイターを呼びつけた。
  相変わらず偉そうな仕草が似合ってるなあ、という感想を、ユウキは心の裡に留め置いた。
  見た目こそ、流麗な金髪と整ったプロポーションが周囲の男の視線を集めるが、
  その実中身は、誰よりも男らしいという、非常に希有な人物だった。
  普段は騎士という立場上、騎士服や甲冑を身に纏っているのだが、
  今はオフだからか、落ち着いた女性らしい、シックなドレス調の服装をしていた。
 
「ほれ、ここはお前の奢りだ。好きなの頼め」
「……はい。えっと、紅茶をひとつ」
「んじゃアタシはマルクス産の珈琲と、サーモンチーズのサンドイッチ、
  クリームスープをスティック付きで。
  あとはそうだな……子羊のローストとアップルパイを2つずつ。こんなもんかな」
 
  さようなら僕の財布の中身。
  と、ユウキがぼんやり儚んでいたところで。
 
「ほら、お前も好きなもん頼め。コイツの奢りだから何も遠慮しなくていいんだぞ?」
 
  と、アマツはユウキではない人物に、そう声を掛けた。

 

「…………」
 
  第一印象は、白い、の一言に尽きる。
  そんな女の子だった。
  輝くような白銀の長髪。
  飾り気のない、薄い色彩の長袖シャツと膝丈スカート。
  年の頃は10代前半か。育ちの良さそうな上品な姿勢で、ちょこんと椅子に座っている。
 
「ほら、何でもいいから。腹減ってるだろ。
  好きなの指させ。この字体は読めるだろ?」
「あの……アマツ先輩? その子……」
「ん? ああ、こいつ、喋れないんだ。実はコイツのことでお前を呼び出したんだが――」
 
  アマツは少女に選ばせるのを諦め、適当に、年頃の女の子が好きそうな甘味をいくつか注文した。
(……おや?)
  ふと、ユウキは気付いた。
  アマツが少女の注文を決めた瞬間。
  ほんの少し。決してアマツに悟られないように。
  少女が、残念そうな表情を、していた。
 
 
  注文したメニューが届き、まずか互いの近況報告を済ませてから。
  アマツは、改めて本題に入ろうとした。
  が、その前に。
 
「すみません、その前に注文させて下さい」
  言いながら、下手くそな指鳴らしでウェイターを呼びつける。
「? 別にお前の奢りだから構わないけど」
「えっと、子羊のローストと、ウィンナーの盛り合わせ、あとは渋めの紅茶を適当に見繕って下さい」
「うん? 珍しいな。お前がこんな時間にそんな重いもの頼むなんて」
「えっと、まあそれはそれとして、お話をどうぞ」
「ん、ああ。それで、さっきも言ったが、今日の用件はコイツについてなんだ」
 
  アマツはそう言って、傍らの少女を手で示す。
 
「コイツ――名前は、ホワイトっていうんだけどな。ホワイト・ラビット。
  アタシの遠縁の親戚なんだが、ちと困ってる状況にあってだな」
「? はあ……」
 
  剛胆な先輩にしては、妙に遠回しな話の進め方だな、とユウキは微かに首を傾げた。
  ユウキのよく知るアマツだったら、余計な前情報なんてすっ飛ばして、
  単刀直入に結論から言い始めるのだが。
 
「さっきも言ったが、こいつ、ちと訳ありで、しかも喋ることができないんだ。
  そんな感じだから、ここんとこ、誰とも打ち解けることができなくてだな。
  最近じゃ私しか構う相手がいないって始末なわけだ。で、えっと……」
 
  もごもごと、何か言おうとしては止める、を繰り返すアマツ。
  こりゃあ本格的におかしいぞ、とユウキが思い始めたところで。
 
「――お待たせしました。こちら、ご注文のお品になります」
 
  ユウキの追加注文したメニューが、届いた。

 

「お、来たみたいだな。話の前に、先にそれ食ってもいいぞ?」
「――いえ、すみません、これらはそちらの女の子に」
 
  ユウキはそう言って、少女の方を示した。
 
「かしこまりました」
 
  言われたとおり、少女の前に料理を置くウェイター。
  アマツも少女も、不思議そうな顔をしていた。
  もっとも。
  アマツの方は“どうしてコイツに?”という、ユウキの行動を理解できていない表情だったが、
 
「どうぞ。こっちも食べたかったんでしょ?」
  ユウキはそう言い、にっこりと微笑んで見せた。
 
  少女は、“どうしてわかったの?”という、心底驚いたような表情を、していた。
  しばらくユウキが笑顔を向けていると、はっとしたように我に返り、
  ユウキに対し、はにかむような笑顔を見せた
 
 
 
  美味しそうに肉料理を食べる少女を横目で見ながら。
  アマツは恐る恐る、ユウキに向かって訊ねてきた。
 
「……どうして、コイツが肉食いたいって、わかった?」
「いえ、何となくですよ。
  それより――この子が周囲と上手く打ち解けられないって話ですけど、大体察しは付きましたよ」
「へ?」
「この子、凄く頭が良いですよね。会話は出来なくても、周囲の状況をよく見ています。
  だけど、自分なりに状況は整理できても、他の人と言葉を交わすことができないから、
  周りは周りで、勝手にこの子の状態を決めつけて、色々押しつけることに
  なっちゃってるんじゃないですかね。 この子にとって、それは大きな重圧になって、
  周りに積極的になれなくなってるんじゃないでしょうか」
 
  自分が思ったこととは別のことを、周りから勝手に決めつけられるのだ。
  それを否定しようにも、言葉は出ず、常にコミュニケーションは一方通行。
  これで社交的になれと言う方が間違っている。
 
「だからまずは、近くの人が、この子の話をじっくり聞いてあげることが必要なんだと思います。
  別に言葉を話せなくても、仕草や視線を、時間を掛けてじっくり見てあげればいいんですよ。
  ――っと、別に君が悪いって話をしてる訳じゃないですよ。
  それより、ゆっくり味わって食べて下さいね。あ、口の周り、汚れちゃってますよ。ほら」
 
  食事の手を止め、こちらの様子を伺っていた少女に、
  ユウキは声を掛け、身を乗り出して口の周りをハンカチで拭ってやった。
  少女は嫌がる素振りもなく、目を細めてそれを受け入れていた。
 
 
「……ふむ」
 
  それを見て。
  アマツは何やら、ひとり頷いていた。

 

「しかしアレだな。お前は歩く託児所か。このロリコンめ」
「褒めてませんよね。というか非道いですね」
「まあそれはともかく、これなら大丈夫そうだな」
「?」
 
  アマツは隣の白い頭をぽんぽんと撫でながら、
 
 
「コイツ、住むところがないんだ。
  できれば中央に置いておきたいんだが、私は明日からまた出なくちゃいけない。
  というわけで、ユウキ。
  ――お前が、コイツを預かってくれ」
 
 
  そう、言った。
 
 
「…………はい?」
「お前、今は省庁の個別寮に入ってるんだろ。
  一人二人増えても問題ない広さだから大丈夫だろ?」
「い、いえ、その、いきなりそんなこと言われても」
 
  だいたい、既に二人居候してるし――とは言えないが。
 
「生活費の心配はしなくていいぞ。ちゃんとそれなりの額を払うから。
  家事とかの手間も、気にするな。コイツ、物覚えが凄く良いから、
  教えれば一通りできるようになると思うし」
「と、とは言ってもですね、勝手に僕たちの都合で決めるのは良くないというか」
「なあホワイト、お前はコイツ――ユウキのところで住むの、嫌か?」
 
  アマツの問いかけに。
  少女は、ふるふる、と首を横に振った。
 
「ま、そりゃそうだよな。今の寺院に押し込めてられるよりは数百倍マシだろ。
  というわけで決まりな、ユウキ」
「ちょ、そんな一方的に――」
 
  ユウキは抗議しようと声を荒立てて、
 
  少女の表情を見て、ぴたり、と止まってしまった。
 
 
  少女は。
  ――私、行っちゃダメなの?
  と、目で訴えかけていた。
 
  今住んでいるところがそんなに嫌なところなのか。
  それとも自分のことをそれなりに気に入ってくれたのか。
  わからないが、少女のそんな“声”を聞いてしまっては。
  ユウキが断ることは、できなかった。

 

 それからは、話の流れは激流の如き速さだった。
  あれよあれよという間に、少女を預かる上での手続きについて確認させられ、
  気付けばアマツから纏まった額の生活費を渡されて、
  引っ越しに当たって、少女の荷物がまとめて置かれている場所を教えられ、
  最後に、きっちりと店の伝票を押しつけられていた。
 
 
(……ユメカさんとセツノちゃんに、何て説明しよう……)
 
 
  アマツは、既に店の外。
  向かいには、美味しそうに肉料理を食べている白い少女。
 
  ユウキは、誰にもばれぬように。
  こっそりと、溜息を、吐いた。
 
 
 
 
 
「――あ、お兄さん、溜息吐いた」
「お人好しだもんね――じゃなくて! これは一大事よセっちゃん!」
 
「え? 何言ってんの姉さん?」
「私とユウキさんの愛の巣(+お邪魔虫)に、刺客が送り込まれるってことじゃない!
  どうしてそんなにのほほんとしてられるの!?」
 
  憤慨するユメカだが、セツノは落ち着いた表情で、
 
「誰がお邪魔虫よ誰が。
  ……っていうか、ユウキさんの部屋なんだから、私たちが口出せることじゃないし」
 
  余裕たっぷりに、そう言った。
  それに対し、ユメカは納得がいかない模様。
  ――と、何か思い当たったのか、はっとした顔になる。
 
「そうか……!
  セっちゃんには家事というアドバンテージがあるけど、私には何も無い……!」
「姉さんには(胃もたれしそうな)豊満な体があるじゃない」
「あ、脂っこくなんてないもん!
  ……というかセっちゃん、最近たくましくなってない?」
「気のせい気のせい。
  しっかし、あんな可愛い子と一緒に住むことになるのかあ。
  楽しみだなあ。物覚えがいいって言ってたから、料理も教え甲斐がありそうだなあ」
「ああっ!? セっちゃんがお姉さんモードに!
  そういえばイナヴァ村でも、小さい子の面倒をよく見てたよね……!
  くうっ! たとえセっちゃんが裏切っても、私は負けないからね!」
「あーはいはい。がんばってー」
 
「ふんだ! こうなったら私だけでも戦い抜いてやるんだから!
  ――あんな小さな女の子に、ユウキさんは渡さないもん!
  ユウキさんをロリコン道に堕とそうとする小悪魔は、私がこの手で成敗してやるんだから!」

中編

「えっと、もうすぐで僕の家に着くんですけど、約束して欲しいことが2つあります」
「……?」
 
  夕闇時の帰路。
  真剣な表情で、年の頃は十前後の少女に語りかけるのは。
  自宅に諜報員を2名囲っている執政官秘書、ユウキだった。
 
  学院生時代の先輩に押しつけられ――もとい預けられた少女を家に連れて行く途中。
  どうしても、少女――ホワイトに言っておかなければならないことがあった。
 
「ウチで見聞きしたことは、アマツ先輩には秘密にしておいて欲しいんです。
  えっと、その、言われたら困るものがあるというか、いるというか……。
  あ、別に怖いモノとかがあるわけじゃないし、君に嫌な思いはさせないと思います!
  でも、えっと、うーむ……」
「……(きゅ)……(ふるふる)」
 
  言葉に悩むユウキの裾を少女は掴み、顔を見上げて首を振った。
  それはとても小さな仕草で、普通なら意図も読みとれず困惑するしかないかもしれないが。
 
「……大丈夫、ってこと?
  僕がひどいことしないって信用してくれてるのかな?
  ――きみ、いい子ですね。偉い偉い」
「……(むみゅ)」
 
  少女の意図をあっさりと汲み取ったユウキは、その頭をぽふぽふと撫でた。
  いきなりの行為に、少女は少し面食らった表情を見せたが、
  嫌がる素振りは欠片も見せず、ほんの少しだけ、頬を赤く染めていた。
  それを誤魔化すかのように、ぐいぐいとユウキの裾を引っ張り始める。
 
「わわ!? な、何……って、ああ、もうひとつの約束か。
  えっと、もうひとつ約束して欲しいのは――」
 
  ユウキは少しだけ考え込んだ後。
  諦めのような溜息を吐き、こう言った。
 
 
「――驚かないでくださいね」
 
 
  少女は不思議そうに、首を傾げた。

 

 
 
 
 
 
「……姉さん、なにしてんの?」
「あらセっちゃんいいところに。ちょっとここ押さえててー」
「いや、罠仕掛けるの止めなさいよ。
  っていうか扉に雑巾仕込むとか、姉さんの将来が本気で心配なんだけど。主に諜報員的な意味で」
「私は戦闘と癒しが専門だからいいのー。
  そんなことより刺客撃退装置3号さんの設置を手伝ってよう」
「ツッコミどころが多数あるけど、差し当たって一番重要そうなのを。
  ――1号と2号を片付けてきなさい」
「えー」
「夕飯抜きにするわよ!」
「ちぇー」
 
  妹に罠の設置を咎められ、しょんぼりするユメカだった。
  ――と。
  その顔をはっとさせ、きょろきょろと周囲を気にし始める。
 
  そしてそのまま台所へダッシュ。
 
  逃げたのか、とセツノは思ったが、どうやら違った模様。
  台所の入り口でユメカは立ち尽くしていた。
 
「――せ、セっちゃん?」
「ん?」
「この張り切りっぷりは一体全体どうしちゃったの!?」
 
  心底驚いた様子で叫ぶユメカ。
  台所には、調理中のものから準備が済んだものまで、所狭しと手料理が並べられていた。
  どれもがセツノの得意なメニューばかり。
  その秘めたる威力は、見ただけで唾液だだ漏れになっているユメカから推して知るべし。
 
「……え? 別に普通でしょ。普通」
「嘘だー! このエビのクリーム煮、この前私が作ってって頼んだときは
“めんどくさい”の一言で切って捨ててたのに!」
「……そだっけ? 姉さんの発言は記憶に留めてないからなあ」
「なにげにヒドッ!?
  ……ま、まあ、それはそれとしてっ!
  セっちゃん、貴女――」
 
「あの小娘が来るからって、気分良くしてるんでしょ! このロリコンめ!」
「誰がロリコンよ誰が。
  それに、べ、べつに張り切ってなんて……ないからね」
「嘘だっ!」
 
  ぎゃあぎゃあと喚くユメカ。
  何とか誤魔化そうとしているセツノ。
 
  そんな二人は、同時に。
  ユウキと少女の帰宅の気配を、察知していた。

 

「「――ッ!」」
 
  初動は同時だった。
 
  刺客撃退一号の起動を図るユメカ。
  具体的には天井から垂れた不自然な紐を引っ張ろうとした。
  その手が全力で蹴りつけられる。
  常人なら骨が砕けてもおかしくない一撃を受け、しかし平気な顔で
「妹が反抗期に!?」とか言っている。
  続いて豪快にスライディングし、床に不自然に備え付けられていたスイッチを押そうとする。
  その手を容赦なく踏み付ける妹。
  常人なら以下略。今のセツノには容赦というものが存在しなかった。
 
  そうこうしているうちに、気配は玄関の前まで到達し――
 
 
「しまった! 一番馬鹿っぽい罠を外すのを忘れていた!」
「馬鹿っぽいとは何よー!」
 
  自信作を貶されたユメカは、怒り顔でセツノに迫る。
  最後の罠を守るために、妹にタックルして動きを止めるつもりのようだ。
  しかし、そこは流石にユメカの妹。
  姉を止める術は嫌というほど身に付けていたりする。
 
「ていっ!」
「ああっ! それは私の大好物の、ササミのチーズ――ふがっ!?」
 
  料理名を言い切る前に、その顔に皿が押しつけられた。
  ただ顔を押さえられただけでは、ユメカの突進は止まらない。
  しかしそこに、彼女の好物が挟まれると――
 
「……やっぱり食べてるし……! なんでこんなのが姉なんだろう……」
 
  ちょっぴり鬱になりながら、セツノは罠の解除へ向かう。
  仕掛けられているのは扉の上部。
  僅かに開けられた隙間には、嫌な感じに湿っている雑巾が鎮座坐していた。
  時間に余裕はない。
  セツノは鍛え上げられた脚力で跳躍し、ダイレクトに回収を目指した。
  ――間一髪、扉が開かれる直前に、雑巾はセツノの手によって回収される。
 
  その、瞬間。
  扉は開かれて。
  セツノは跳び上がっていて。
  膝が丁度、帰ってきたユウキの鳩尾の高さと同じくらいで。
 
  結果。
 
  見事なまでのニードロップが、炸裂した。

 

 
 
 
 
 
  その後。
  激しく土下座するセツノと、後ろで「作戦通り……!」と嘯いているユメカを。
  新しい居候の少女は、少し怯えた様子で見つめていた。
  それもそうだろう。
  自分を引き取ってくれた優しそうな人が、扉を開けた瞬間、
  空中飛び膝蹴りをお見舞いされたのだから。
 
  ちなみにユウキは応急処置を受けてぐったりしていた。
  本当ならば何かしらのフォローをして、
  少女が新しい環境になれる手伝いをしなければならないのだが。
  セツノの膝蹴りは思いの外威力が高く、まともに動くことすら困難だった。
 
  戦闘訓練を受けているセツノならば、直前で蹴りを止めることもできたはずなのだが。
  新しい住人を迎えるために、少々浮ついていたのと。
  姉との馬鹿なやりとりで集中力を乱されていたのが。
  惨劇を引き起こす要因となってしまったのかもしれない。
 
  まあそれはそれとして。
 
  常人で在れば発言に困難を示すであろうカオスな空間の中で。
  誰も常人と認め難い人物が、場を仕切ろうと口を開いた。
 
「――これは、悲しい事件だと思うの。
  ひょっとしたら、避けることができたかもしれない。
  でも現実に事件は起きてしまって、私たちはそこから目を逸らしてはならない。
  だから、だからね――」
 
  また馬鹿姉がトチ狂ったことを言おうとしてる。
  そう確信したセツノは、ユメカを止めるべく、土下座の姿勢から反転、鋭い蹴りを見舞おうとした。
 
  が。
  その前に。
 
 
「…………(ぺこり)」
 
 
  女の子が、思い詰めた表情で。
  深々と、頭を下げていた。

 

 それは、どう見ても謝罪の仕草で。
  慌てたのは、セツノとユメカだ。
 
「え? え? そんな、謝って欲しいわけじゃなくてね、
  というかこれをネタにセっちゃんをいじめようとしただけだから、その、気にしないで?」
「あ、あなたが謝ることじゃないのよ!?
  悪いのはそこの頭の悪そうなお姉さんで、っていうかむしろ謝りなさいよ馬鹿姉!」
 
  二人の、いつもの言い争いが始まった。
 
 
 
 
 
  ぎゃあぎゃあと言い合う姉妹。
  それを、少し離れたところから、悲しそうに見つめる少女。
 
 
  ――やっぱり、ここも駄目なのか。
 
 
  そんな諦めが、少女の胸を支配しかけていた。
  寺院でもこうだった。
  少女の生まれが、とある名家の傍流だったこともあり、
  本人とは関係ない部分で、周囲の諍いが生まれていた。
  聡い少女は、それが遠回しに責められているようで、辛かった。
 
  ――お前がそんなだから、私は悲しくなるのよ。
 
  もう言われなくなった言葉。
  それを思い出し、自分自身が嫌いになる。
 
  そんな自分を直したくて。
  たとえ話せなくても、周囲の人を不快にさせない人間になりたくて。
  はじめて、自分と“会話”できた青年の家に行くことを、勇気を出して、決意した。
 
  だけど。
  彼の家に同居する女性達は。
  そんな少女の意志とは関係無しに、激しく罵り合っている。
 
  やはり、青年が特異な例だっただけで。
  自分のような人間が、周りと楽しく穏やかな時間を過ごすことなんて不可能なのだろうか。
 
  そう、思っていたら。
 
 
「――あの二人、別に喧嘩してるわけじゃないんですよ」
 
 
  そんな言葉が。
  横から、聞こえてきた。

 

 びっくりして振り返ると、そこには苦笑いをしている青年の姿があった。
 
「あれ、とても仲悪そうに見えますよね?
  でも実は違うんですよ。しばらくしたら、何事もなかったかのように元通り。
  彼女たちにとって、あんなの、喧嘩でも何でもないんですよ」
 
  嘘だ、と少女は思った。
  だって、あんなに激しく言い合っているのに。
  自分があんな風に言われたら、きっと立ち直れないだろう。
  それが、喧嘩じゃない? そんなことは、信じられなかった。
 
「……きみは、色々なものが見えすぎてしまうのかな。
  でもね、見えるものだけが絶対、なんてことはないんですよ。
  あの二人にはあの二人のルールがあって、それさえ破らなければ、二人はずっと仲良しのまま。
  そういったルールは、人によって様々なんですよ。
  ――ほら、さっき約束したじゃないですか。“驚かないで”って。
  自分が見えるものだけを絶対と考えるのではなく、違うものを受け入れる努力を、
  少しでいいからしてみましょう。
  そうすれば、きっと、きみも少しは楽になれますよ」
 
  そう言って、微笑んでくれた。
 
  青年の言葉は、少女の胸に自然と染み入る。
 
  と、青年の言葉を聞いていたのか、姉妹が少女の方へと近付いてくる。
  少女は微かに身を竦める。自分のせいで喧嘩になったから、何か言われるかもしれない。
  そう、思ったのだが――
 
「あはは、お客様をほったらかしにしちゃって、ごめんね?
  さっきのは喧嘩してたわけじゃないの。だから、気にすることなんてないんだよ?」
「……ちょっと、悪ふざけが過ぎちゃったよね。ごめんなさい。
  セっちゃんには後で厳しく言っておくから。
  だからその見返りとして、チーズ入り厚揚げは譲ってほしいなーなんて」
「子どもにたかるんじゃないっ! ……はあ。姉さん用に厚揚げはたくさん作ってあげるから」
「ふふふ。これが交渉というものよ。お子ちゃまには少し難しかったかな?
  まあ、そーゆーわけだから、私とセっちゃんは喧嘩なんてしてないのよー」
「まあ、本気で喧嘩なんて、まだまだ姉さんには敵わないしね。
  ――それじゃ、お料理の途中だから私はこのへんで。
  美味しいごはん、たくさん作ってあげるから! 楽しみにしててね!」
 
  直前までの剣呑な空気は何処へやら。
  姉も妹も、何事もなかったかのように、少女に優しい声をかけてきた。
 
  というか、あんな激しい口喧嘩が、厚揚げひとつで治まってしまうとは如何なることか。
  少女は呆然としながら、二人の言葉を聞いていた。

 

「ほらね、こんな感じなんですよ」
 
  そう言う青年の口元には。
  楽しげな笑みが、浮かんでいた。
 
「あの二人なら、きっときみを受け入れられますよ。
  僕だけじゃなくて、あの二人も。そしていつかは、他の人たちとも。
  きっと、楽しく話せるようになる。それは僕が保証しますから」
 
 
「――だから、悲しそうな顔はしないで。一緒に暮らしましょう」
 
 
  少女は俯く。
  どんな顔をしていいのか、わからなかった。
  ただ、先程までの嫌な気持ちは消え去っていて。
 
  ――ここに、いたいな。
 
  そんな気持ちが、生まれていた。
  だから。
 
「……(こくり)」
 
  一度だけ。
  少し熱くなった頬を見せないように。
  頷いて、みせた。
 
 
 
 
 
  と。
  ここで終われば、何の問題もなかったのだが。
 
 
「――ってすっかり忘れてたーっ!」
 
  おもむろに、ユメカが声を張り上げた。
 
「よく考えたら、この子刺客だったんだ!
  いけないいけない。その場の流れで受け入れてしまうところだった……!」
「え? あの、ユメカさん……?」

 

「ユウキさん! ロリコンはいけません!
  まだ体のできてない子にそーゆーことをしちゃうと、あとあと後悔することになりますよ!」
「は? ちょ、ひょっとしてまたいつもの暴そ」
「なんかこの子可愛いから、追い出すのはやっぱり止めにしますけど!
  でも! だからといってユウキさんを渡すわけには! 絶対!」
「せ、セツノちゃん! またユメカさんが――」
「だから、ユウキさんに大人の女性の素晴らしさを叩き込んでおきたいと思います!
  セっちゃんの準備状況から考えて、あと1時間は余裕があります!
  とりあえずハイペースでこなせば8回は大丈夫ですよね! というわけでいざ!」
 
  言うなり。
  ひょい、とユウキの体を担ぎ上げるユメカ。
 
「ごめんねー。ちょっとユウキさんを借りちゃうね。
  とりあえずこの家のことはセっちゃん――
  さっきの、私の劣化版みたいなお姉さんに聞いておいてねー。
  それじゃあ、夕飯までには帰るから!」
 
  目を白黒させている少女に、それだけを言い残して。
  ユメカはユウキを担いだまま、外へと駆け出していった。
 
「やめ、ていうか1時間で8回は流石に、だ、誰か助けてー!?」
 
  ユウキの悲鳴が響いていたが。
  超展開に付いていけなかった少女は、
  ただ呆然と、連れ去られるユウキを見送ることしか、できなかった。
 
 
 
 
 
  ちなみに。
  丁度夕飯が完成したときに帰ってきた二人は。
  片方がとても満足げで、もう片方が異常なほどやつれていた。
  一時間でどうしてここまで変わってしまうのか、少女はとても不思議がっていたが。
  それはまた、別のお話。

後編

 中秋となり、空気もだんだんと冷たくなってきた頃。
少女がユウキの家に住み始めてから、一月が経っていた。

「――あ、白ちゃん。その青物の盛りつけはね」
「……(こくこく)」
「お腹空いたー」

セツノから料理を教わる少女。そしてそれを寝転がりながら眺めるユメカ。
少女の表情は真剣そのもの。セツノもついつい指導に熱が入ってしまう。

「そうそう。この前言ったこと、ちゃんと覚えてたね。偉い偉い」
「……(てれてれ)」
「セっちゃんー。ごはんまだー?」
「あー、料理教えるのって楽しいなあ。別に難しいこと何てあんまり無いのになあ。
どっかの誰かさんも少しは料理を覚えようって気になってくれないのかなー」
「……?」
「あ、しーちゃん。そこのチーズ取ってー。
……そうそう、それそれ。投げて投げてー……はむっ。ないふひゃっひ」
「――白ちゃん。アレに餌はあげなくていいんだからね?
というか付け上がるだけだから無視しちゃって。無視」
「しーちゃん。そんなイジワルおねーさんの言う事なんて聞かなくていいからねー。
……あ、今度はそこのスナックパンを――ふごっ!?」
「はいお姉様。ご所望の品ですあっち行ってなさい」
「……(おろおろ)」


“白”というのは、少女の名前を異国風に言い換えたものである。
ふとユウキが思いつき、姉妹が「そっちの方が可愛い」と評したので、
この家限定の少女の渾名と相成った。

怪しげな諜報員姉妹と、身元不明の幼き少女。
最初は戸惑いながらも次第に打ち解け、今では仲良し三姉妹のような日常を送っていた。

初めのうちは、少女をライバルと見なして敵対的だったユメカだが。
少女に月のものが来ていないことを知ると、あっさりと掌を返してしまった。
曰く「それなら頑張っても手と口と、少し頑張って足くらいだし」とか何とか。
ちなみに、最後まで言い切る前にセツノの拳が叩き込まれたので、
どういう意味なのかは不明である。

 

 まあそれはそれとして。
少女――白も、居候としてユウキの家に慣れ始めてきた。
特にセツノと白は仲睦まじく、セツノは白に料理を教え、白も喜んで教わっている。
そんな、ある日のこと。




「――しまった! 寝坊しちゃった!?」

起床して、窓の外から差し込む陽光の角度にて、現在時刻を把握したセツノは。
本来の起床予定時刻を絶望的に過ぎていることに気が付いた。

「昨日は任務上がりで疲れていたとはいえ――不覚!」

毛布を天井まで蹴り上げて、寝間着を脱ぎ捨て、枕元に置いてあった着替えを身に付ける。
手櫛で髪を軽く整えて、鏡で顔色をチェックして、寝室から飛び出ていった。
ばふ、とユメカの顔面に毛布が落ちたときには、セツノは既に部屋の外。

「ふがっ!? ――え? なになに? 心霊現象!?」

寝ぼけ眼できょろきょろした後、再び夢の世界に旅立とうとするユメカだったが。

「……? ……すんすん……。……!」





一瞬、目の前の光景を受け入れられなかった。

テーブルの上に、所狭しと並んでいる料理。
どれも完成度が高く、料理が得意なセツノから見ても、思わず唸らされるものばかり。
一体誰が、こんな垂涎モノな朝餉の支度を――

「――って、白ちゃん!?」
「……(そわそわ)」

部屋の端にて。
セツノ手製のフリル付きエプロンを身に纏った白い少女が。
緊張半分達成感半分の表情で、落ち着かなさげに立っていた。

 

 

「えっと……これ、白ちゃんが作ってくれた、の……?」
「……(こくり)」
「……むむむ……!」
「? ……? ……(あわあわ)」

唸るセツノ。それを見ておろおろする少女。
少女の料理は、どれも完成度が高く、端から見れば、セツノのそれと比べても何ら遜色ない。
セツノが教えたことを、完璧に身に付けて、それを一人で実践してみせた。
その学習能力には、目を瞠るものがある。
自分がこれだけの料理を作れるようになるまで、どれだけ時間がかかったか。
少しばかり、もやもやする気持ちを禁じ得ないセツノだった。
だが、まあそれはそれとして――


「……えらいっ! 流石白ちゃん! これは教えた甲斐があるなあ!」

部屋の隅で不安そうにしていた少女を抱きしめて、かいぐりかいぐり頭を撫でた。
――頑張ったのだから、しっかり褒めてあげなくては。
セツノは常々そう思っているし、きっと彼女が尊敬している青年もそう思っているだろう。
だから、いつものように早起きして、いつもとは違う状況に立たされながらも頑張った少女を。
心の底から、賞賛してあげたかった。
いきなりのことで少しだけ吃驚した少女も、すぐにそれを受け入れて、照れくさそうにはにかんだ。

「あーもう、可愛いなあ! ぎゅーってしちゃうぞ! このー!」
「……!?(あうあう)」

軽くどたばたと、仲睦まじい姉妹のようにじゃれ合う二人。
と、そこに。

「――うわー! 良い匂いがすると思ったらー!」

ひゃっほう、とユメカが飛び込んできた。
寝起きの筈だが、美味しそうな匂いで急激に覚醒した模様。
この女性の三大欲求への飽くなき突進力も、目を瞠るものがあった。

「……はむ。――おいしー! あ、これもおいしそー!」
「ちょ、待ってよ姉さん!
なにいきなりつまみ食いしてるのよ! 料理は逃げないんだから大人しく待っててよね!」

「料理は逃げないけど、はらぺこ虫からは逃げたいのー!
――いやはや、それにしても、しーちゃんってば、お料理上手になったよねー」

その言葉に。
セツノは、違和感を覚えた。

「やっぱりしーちゃんはお料理の才能があるねー。
これなら私も安心して、炊事を任せられちゃうなあ。
あ、私は夜のおかず担当ねー」
「変な役職自称してる暇があったら、もっと家事をしなさい馬鹿姉。
――っていうか姉さん、なんで白ちゃんが作ったって、わかったの?」

 

 

 そう。
ユメカは今起きたばかり。
なのに、今朝の料理は、白が作ったと思っている。
普段はセツノが作っているのに、どうしてそう思ったのか。

セツノの些末な疑問に対し。
ユメカはあっさりと。



「え?
だってセっちゃんのご飯より、美味しいし」


ぴきり、と。
――空気が、凍った。


「いやはや、しーちゃんがここまでお料理上手になるとはねー。
もうここまでできるんだったら、セっちゃんより余裕で上だとお姉ちゃんは思うなあ。
むしろ、セっちゃんがしーちゃんにお料理習ったらー?」
「……で、でも、まだ白ちゃんはレパートリーも少ないし……」
「おお? なんか弱気なセっちゃんだー。
……ふふふ、ホントはわかってるんでしょー?
今でこそ対等の関係でいられるけど、そのうち白ちゃんが家事を全部マスターしたら、
自分が下になっちゃうって!」
「そ、そんなこと……!」

ない、とは断言できないセツノだった。
そしてそれを見てほくそ笑むユメカ。
ちなみに少女は“そんなことない!”と必死に首を振っていたが、二人とも気付いていなかった。

「私のように家事というアドバンテージがない方が、対しーちゃん的には有利なの。
教えたら教えた分だけ上手になっちゃうなんて、もう、しーちゃんってば怖い子!」
「怖い子なんて言わない! 白ちゃんは頑張ってるだけなんだから!
――ん? ちょっと待って?
それを言うならまず何も頑張ってない自分を恥じてよ姉さん!
……ごめんね白ちゃん。私、下らない嫉妬なんかしちゃって、駄目なお姉さんだよね?」
「……(ふるふる)」
「だめよしーちゃん。そこは素直にならないと。
もうしーちゃんはお料理でセっちゃんを超えたんだから、
『お前のような絞り滓に教わることなんてない!
理想の女性であるユメカお姉様に私は忠誠を誓います』
ってはっきり言ってあげなさい」
「……(えー)」
「あれっ!? 何故か退かれている!?」

 

 と、いつものように騒いでいたところで。

「おはようございます……って、ユメカさんが起きてる!?」
「ふふふ……今日の私はひと味違いますよ? とりあえず味見してみます?」
「とりあえず驚かれたことは気にならないんですね……この馬鹿姉は……」

「あ、セツノちゃん、今日も食事の支度、ありがとう。
最近任せっきりで申し訳ないんだけど、何か手伝えることってあるかな」

「あ、その、えっと……実は今日の朝ご飯は――」




朝食は、豪華すぎず少なすぎず、がセツノの信念である。
人間の体、特に脳は、午前中に最もよく働くようになっている。
食べ過ぎて思考を鈍化させることなく、栄養不足で活動しにくくならないように。

当然の如く、教え子の少女も、セツノの考えを忠実に守っていた。

基本は、パンとスープ。
あとは二品、舌を楽しませる副菜が準備されている。
必要な栄養は主食で摂りつつ、美味しいものを食べたという満足を副菜で生じさせる。

「――うん、トーストの焼き具合も丁度良い。白ちゃん頑張ったね」
「……(にこにこ)」

料理の先生に褒められて、満面の笑みを浮かべる少女。
その笑顔に曇りはなく、純粋に褒められた喜びを表していた。
――そう、この娘は純粋なのだ。
混じりっ気が欠片もない。与えられた色は簡単に染みこみ、変化してしまう。
ひねくれた環境、腐った環境に放り込まれたら、一体どのような存在になってしまうのか。
想像すらしたくない。
少女がまだ純粋さを残したまま、この家に来られたのはきっと幸運だったのだろう。
人の優しさに包まれて育ちさえすれば、きっとこの白い少女は、
誰からも羨まれる、そんな女性になるだろう。

そう。
この、白には。
優しく暖かい環境こそが似合っている。
故に、黒い感情は決してぶつけてはいけないと、セツノは考えていた。
そんなことをするくらいなら、舌を噛み切って死んでやる。

そこまで、覚悟しているのに。

「――うん、このスープ、美味しいですね。白もすっかり、お料理上手ですね」
「……(てれてれ)」


どうしても。
言い様のない感情が、胸の裡に広がってしまう。

 

 

 今までは、ユウキさんが褒めてくれていた。
料理をしない姉。故に、料理に関しては自分だけ。

そう、自分だけ。

時折姉に、料理の大変さを愚痴として口にすることはあっても。
気遣ってくれるユウキの言葉で、報酬としては充分すぎるほどの充足感が得られていた。
それは、自分だけが独占できるものだから。
料理に関する賞賛。ほんの小さなことだけど、それでも、自分だけのもの。
セツノにとっては何にも代え難い、温かなものだった。


それが、今では、少女のものに。


――どうして、料理なんて教えてしまったのか。

――少女には適当な遊びを教えて、それで満足させていればよかったのに。

――ずるい。あの優しい言葉は。あの微笑みは。私が貰うはずだったのに……!





くい、と。
服の端を、引っ張られた。

横を向くと。
心配そうな表情で、少女がセツノを見つめていた。

「――ど、どうしたの白ちゃん?
せっかく白ちゃんが頑張って作った朝ご飯なんだから、ちゃんと食べなくちゃ。
じゃないと、そこの大食らいに、全部食べられちゃうよ?
ほらほら、この玉葱のスープだって、すっごく美味しくできてるんだから、冷めないうちに」

最後まで、言えなかった。

少女は一度だけ、セツノの前のテーブルを見て、そのあとセツノを真っ直ぐ見つめた。

その瞳には。
言葉など介さずとも。
明確に伝わる、想いが込められていた。



“お姉さんに、食べてほしい”



 

 ――ああ。
そういうことか。

一番、大事なことに、気が付いた。


この少女は、ユウキに褒められたいから、料理をしているのか?
自分は、楽をしたいから、少女に料理を教えているのか?
違う。
それは、セツノ自身がよくわかっていた。



白に料理を教えるのは、楽しかった。
きっと白も、セツノに教わるのは、楽しかった。

そう。
楽しかったのだ。

自分も少女も、普通の女の子のように。
余計なことは考えず、ただ、楽しんでいた。


今朝、白が料理をしたのも。
抜け駆けしたとか出し抜くとか、そういうわけではない。
セツノが寝坊して、いつもの時間に起きてこなかったから。
セツノが疲れているのを知っていたから、気遣って、一人で頑張ってみたのだ。


楽しさを共有し、時には助け合う。
セツノも、白も。今まで持つことが叶わなかったもの。


――ともだち、って、こういうものなのかな。


セツノは筋金入りの諜報員。
白は何やら訳ありの孤児。
どちらも、“普通の女の子”とは言い難いが。
きっと。今は。これからは――


「っと、ごめんね! 私もいっぱい食べるからね。
せっかく白ちゃんが初めて一人で作った料理。
先生の私が食べないで、一体誰が食べるのかって!」

 

 

「む、セっちゃんから何やら食い気のオーラが!?
でも甘ーいっ! こっちの大皿は渡しませ――んむっ!?」
「ふふふ姉さん。そんなに食べてばかりいると、牛になってしまいますよ?
とりあえずハンカチでも噛んで我慢してみれば?」
「……もにゅもにゅ。ぺっ。
――私にハンカチを食べさせたければ、ユウキさんの使い古しを持ってきなさい!」
「僕のだと食べるんですか!?」

「……(おろおろ)…………っ!(はっ)
…………!(ぎゅむ)」
「むむ? しーちゃんも私の妨害をするつもり?
でも残念ながら、愛によって鍛えられた私を止めるには――ってあれ?」
「……〜〜っ!(ぎゅー)」
「う、動けない!? 完璧に初動を押さえられた! こ。これが――真のロリ力!?」
「ナイス白ちゃん! それでは、いただきまーっす!」


大皿に盛られていた副菜を、豪快に平らげていくセツノ。
気遣いや我慢は欠片もなく、美味しそうに食べていた。
それを見て、ほっと安堵の溜息を吐く白。


「くっ! 強引に外したら怪我させそうで怖いし、かといって押さえは完璧だし……!
しーちゃんが押さえてセっちゃんが食べる! これが二人の力ということね!
――こうなったらこっちもタッグを組みましょう! ユウキさん!」
「えっと……白、そのまま押さえていてくださいね。
何だか離したらよくないことが起こりそうなので」
「そんな!?」


今日も今日とて。
ユウキとその居候たちの朝は、賑やかだった。

2007/12/02 To be continued.....

 

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