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血塗れ竜と食人姫

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外伝7 『怪物姉隠形記(表)』

 
 
  ある晴れた昼下がり。
  サラ・フルムーンは不機嫌だった。
 
 
「……まったくユウキの奴……!」
 
  むすーっと唇を尖らせながら、任された書類を片付けていた。
  執政官秘書となってから一年が過ぎ去ろうかという頃。
  流石に仕事にも慣れ、関係ない考え事をする余裕もできていた。
 
  考えているのは憎き(本人主観)同僚のことである。
 
  今日は懐が暖かいので、昼食を奢りつつ色々話をしようと思っていた。
  ――主に、半年前の旅行で偶然会った泥棒猫さんのことについて。
 
  しかし、ユウキときたら、のらりくらりと避け続けるのが上手いの何の。
  流石に学院生時代、最も激務と謳われた執行部の仕事を手伝っていただけはある。
 
「……まあ、それがユウキの格好いいところでもあるんだけど――じゃなくて!
  格好良くない格好良くない! あんな八方美人、誰が格好良いと思うもんか!」
 
  うがー、と握っていたペンを放り投げる。
  ペンは放物線を描いて、開け放たれた扉の方に――
 
 
  きん、と鋭い音が、響いた。
 
 
「――えっ!?」
  サラが音に驚いて振り返ると。
  つい今しがた、自分が放り投げた万年筆が、宙に浮いていた。
 
  否、浮いているのではない。
 
  廊下の方から現れていた小剣に、刺し貫かれている。
 
  小剣の持ち主は、サラにとって見覚えのあるもので。
 
  つい、
 
「うげっ! アマツ先輩!?」
 
  と、本音丸出しの声を漏らしてしまった。
 
 
 
 
 
 
「……任務を終えて執政省に報告に来たら、いきなり不意打ちを食らうとは思いませんでした。
  しかも下手人が、学院の後輩だったとは。世も末ですね。悲しくなって抜剣してしまいそうです」
「ご、ごごごごめんなさい!」
「しかも第一声があんな蛙の引きつったような声だなんて。
  ――そんなにアタシに会いたくなかったのか、コノヤロウ」
「そそそ、そのようなことは!」
 
  近衛隊准隊士、アマツ・コミナト。
 
  サラの学院生時代の先輩で、これでもかというくらい、嘘くさい伝説を残している強者である。
 
  曰く、武装した自治会員50名を木剣で全員叩きのめしただとか。
  曰く、中央騎士を一対一の決闘で半殺しにしただとか。
  曰く、寄ってくる百合の純潔を片っ端から散らしてしまうだとか。
 
  とまあこのようなものが腐るほどあった。
  男女問わず目を惹かされる美しさに加え、剣の腕も立ち弁も立つ。
  家柄も良く、20歳という若さで、准隊士とはいえ近衛隊への入隊を許されている。
  羨み妬みで、有ること無いこと言われるのは仕方のないことかもしれない。
 
  サラとしては自分より美人で自分より腕が立つ、この先輩は苦手3本指に入るのだが。
  学院生時代は何故だが顔を合わせる機会が多く、そのたびにネチネチと虐められていたりする。
  ちなみに理由はさっぱりわからない。
  アマツのような人間に嫌われるようなことなど、終ぞした記憶はないのだが。
  毎回仲裁してくれるユウキがいなかったら、
ひょっとしたら自分はストレスで胃に穴が空いていたのではなかろうか。
 
  まあそれはそれとして。
  そんな苦手な先輩が、偶然職場に現れるなんて。
  今日の自分は不運だなあ、とサラは内心嘆くしかなかった。
 
「……あの、本当に申し訳ありませんでした。
  墨の出が悪くなっていたので振っていたらすっぽ抜けてしまいまして……」
 
  本当は苛々して放り投げたのだが、
  実物は小剣に刺されて確認不可なので、問題ない。
 
「ああ、すまんすまん。アタシの方も長期任務明けで鬱屈としてたからな。
  別に、お前を虐める気は、今のところは全くない。
  ――それより、少し聞きたいことがあるんだが」
 
 
 
 
 
 
 
 
  日も傾き、空が赤みを帯びてきた頃。
  帝都中央の鮮物市場は、夕餉の食材を求める者達で、ごった返していた。
  その一人である白い少女は、人混みの中で、覚えのある声を聞いた。
 
「……?(きょろきょろ)」
 
  立ち止まり、辺りを見回すと、
 
「おい、こんなところで何やって――って、買い物か?」
「……!」
「久しぶりだな……えっと、ホワイト。どうだ、ユウキの所は住みやすいか?」
「……(こくん)」
 
 
  本当に、久しぶりだった。
  白はこんなとき、どのような顔をすればいいのかわからなかったので、ただぼんやり見上げるのみ。
 
  ――自分を“保護”した女性。
 
  ユウキの所に預けられてから、白は彼女――アマツとは一度も会っていない。
  とても忙しい人間だということは、ユウキから聞いて理解はしている。
  白とは“色々”あったものの、それは既に白的には過去のこと。
  特に会いたいと思える相手でもなかったので、白としては存在を忘れかけていた。
  とはいえ、声を出すことができないので、わざわざ言う必要もない。
 
  ――セツノお姉ちゃんだったら、きっとすぐにばれちゃうんだろうけど。
 
  と、仲の良いお姉さんのことを思い出し、ちょっぴり感慨に耽ってみたり。
  まあそれはそれとして。
 
 
  ――今は、お買い物の途中なのに。
 
 
  しかも、はじめて、一人での。
  セツノに認可を受け、ユメカに応援されて、意気込んで挑戦していたところだったりする。
  まあ、買い物もあと一品だけ、と順調に進んでいたところなので。
  それほど気を張る必要はないのかもしれないが。
 
 
 
 
 
「…………」
 
  そういうわけで。
  白としては、早く買い物を済ませて、セツノに褒められたいと思っていた。
  故に、このようなところで時間を取られるわけにはいかないのだが。
 
  流石に、自分の保護監督者となっているアマツを、そうそう無碍にするわけにもいかず。
  仕方なく、アマツの言葉を待っていた。
 
 
  とはいえ、せいぜいこちらの近況を確認する程度だと思っていた。
  アマツは忙しい人だから。
  ユウキの所に預けられて、ちゃんと生活できてるかどうか、確認したいだけなのだろう、と。
  白の頭の中は「はじめてのおつかい」で一杯一杯。
  だから、アマツのその言葉を受け入れるのに、数瞬ほど必要だった。
 
 
「ちょっとこれから、ユウキの家に行くからな。
  お前がちゃんと家事とか手伝えてるかどうか、確認するぞ。
  いやなに、一応お前を任せた身としては、偶のオフにそれくらいはしないとな」
 
 
 
  それは困る。
 
 
 
  はじめてのおつかいで一杯だった脳内は、驚きで完全に吹き飛ばされた。
  ユウキの家にはセツノとユメカがいる。
  以前ユウキが、彼女らのことを秘密にして欲しい旨のことを言っていたのを憶えている。
  少なくとも、アマツに姉妹の存在がばれるのは、困るはず。
 
  だというのに、どうすることもできない自分が情けなかった。
 
  たとえここで、体を張ってアマツを止めたところで、大した時間稼ぎにもならないだろう。
  適当な言い訳をでっち上げて、訪問を後日に延ばすことも不可能だ。
 
  もし。
  白にできることがあるとすれば。
 
  くい、とアマツの袖を引く。
「ん?」と首を傾げるアマツに向かって買い物篭を掲げ、その後市場の中心を指さした。
 
「ああ、買い物の途中だったってことか。
  構わないぞ、どうせだから荷物持ちくらいしてやるさ」
 
  時間稼ぎ成功。
  あとは、セツノとユメカが、こちらの異変に気付いて、何らかの策を取ってくれることを祈るのみ。
 
 
 
 
 
 
 
「流石に学生寮よりはこっちの方が大きいな。
  ユウキも就職したってことだよなあ。狭い部屋で酒盛りしたのが懐かしいな」
 
  執政省の個別寮に着き、アマツはぽつりとそう漏らした。
  ちらり、と頭上の表情を窺うと、何故だか儚げな印象を受けた。
 
  ――この人凄く強いのに、変なの。
 
  とだけ思い、白はさてこれからどうしようと頭を悩ませた。
  買い物では、無事に引き延ばし作戦が成功した。
  最後の一品の他にも、自分のなけなしのお小遣いを駆使し、不要な物まで多数買い込んでいた。
  具体的には無駄に大きい布袋とかネズミ駆除道具一色とか。
  密かに串焼きの買い食いを楽しみにしていたのだが、しばらく先になってしまった。
  まあそれはそれとして。
 
  あとは、セツノとユメカが見つかりそうになったら、
自分が何とかしてアマツの気を逸らすしかない。
  そう決意し、白はアマツと一緒に、ユウキの部屋に入っていった。
 
 
「――流石にユウキの部屋だけはあるな。一年目で忙しいだろうに、ちゃんと片づいてる」
 
  部屋に入り、軽く辺りを見回しながら、アマツは感心の溜息を吐いた。
  白の方は、セツノたちの痕跡が残っていないか、その優れた観察眼で即座に視線を巡らせた。
 
 
  ――よかった。殆ど残ってない。
 
 
  つい安堵の溜息を漏らしそうになる。
  しかし、流石白の尊敬するセツノというべきか。
  数刻前にはあったはずの、彼女らの痕跡が、綺麗さっぱり消えて無くなっていた。
  私物だけではない。
  彼女らの趣味を反映させた置物も、目立たない場所にさりげなく移動されていた。
  これなら、どう見ても「ユウキの部屋」である。
  セツノたちがアマツの来訪を知ったのがいつかはわからないが、
  それでも時間は殆ど無かったに違いない。
  だというのに、この対応。見事としか言い様がなかった。
  やっぱりセツノお姉ちゃんは凄いなあ、と改めて思う白。
 
「さて、ユウキが帰ってくるまで待たせてもらうか」
「……(こくこく)」
 
  白はアマツの提案に何度も頷いた。
  いくら玄関が完璧とはいえ、全ての部屋もそうとは限らない。
  家捜しされる前に、アマツを椅子に釘付けにしなければ。
 
 
 
 
  というわけで最初の一手。
 
“お茶を淹れて一服させる”
 
  紅茶の淹れ方についてはセツノに仕込まれているので、それなりに自信があった。
  ただ、問題があるとするならば。
 
「……!(わたわた)」
「? どうした? 気分でも悪いのか?」
 
 
  上手く意志が伝えられない!
 
 
  これは由々しき事態だった。
  仕草で伝えようにも、この場には紅茶やカップを連想させられる物が置いてない。
  かといって、何も言わずに席を立ったら、アマツが付いてくる可能性が高い。
  このままアマツの前で怪しげな踊りを踊り続けなければならないのだろうか。
  それはかなりイヤだった。
 
 
  と。
 
「しかし、喉が渇いたな」
「!」
 
  アマツの方から、こちらの望む話題を振ってくれた。
  これで「ちょっとお茶でも淹れてくれ」と言われれば何の問題もない。
  なかったのだが。
 
「それじゃあ、ちょっとお茶を淹れてやるよ。
  なに、やり方は大体わかるから気にするな」
 
  それは困る!
 
「……!(ふるふる) ……!(自分を指さす)」
「え? ああ、お前がやってくれるって? いいって、気にするなよ。
  流石にいきなり押しかけた身だからな、これくらいはやらないと」
 
  いきなり押しかけたのだから大人しく座っていてほしい!
  と言えない己が恨めしい。
 
  その後何度も白はアマツを席に釘付けようと頑張った。
  頑張ったのだが。
 
  結局、止めることはできなかった。
 
 
 
 
 
 
  結論から言うと。
  アマツは自由人過ぎた。
 
 
  立ち入ったのは炊事場に留まらず、客間や寝室にまで立ち入る始末。
  収納にまで手を出さなかったあたり、一応ギリギリのラインでの常識は残していた模様。
 
  とはいえ。
  全ての部屋にて、その痕跡を隠してあったのは、正直凄いと思った。
  セツノは魔法か何かを使ったのだろうか。
  そう思っても不思議ではないくらい、部屋の偽装は完璧だった。
  隠しきれない物は、意識の死角に入るよう巧妙に配置されている。
  セツノに対する尊敬がますます強まった白であった。
  ちなみにユメカがやったとは欠片も思ってないあたり、白もこの家に順応しきっていたりする。
 
  途中、寝室でユウキの下着だけ落ちていたのには首を傾げたが、まあ些細な問題だろう。
 
  また、それを拾われたときに、微かに物音がして白的には冷や汗ダラダラだったのだが、
  先程買った物の中にネズミ駆除道具が含まれていたので、
アマツがネズミと思ってくれたのは幸運だった。
 
 
  そんなこんなで。
 
  ユウキが帰ってくるまで、無事、セツノとユメカの存在がばれることは、なかった。
 
  ちなみに、ユウキが帰宅してからは、アマツにこれでもかというくらい絡まれているが。
  まあ、アマツの注意が彼に向いている限りは、大丈夫だろう。
 
 
「……?(あれ?)」
 
  ふと。
  どうでもいいことが、気になった。
 
 
 
 
「……(きょろきょろ) …………?(とてとてとて)」
 
「おや? 白?」
「ほっとけほっとけ、お子様はもうお眠の時間だろ。
  いいからお前はもうちょい付き合え。
  なに、明日も仕事だろうし、日付が変わるくらいで許してやるよ」
「このペースでその時間までいくと、確実に響きそうなんですけど……。
  ――まあ、構いませんよ。できる限りお相手します。お疲れ様です、アマツさん」
「……ん。お前も相変わらずだな。嬉しいぞ」
「え? どういう意味――むごっ!?」
「いいから飲め飲め。アタシの武勇伝をたくさん聞かせてやるからよ!」
 
 
  盛り上がっている二人を背に、白はユウキの寝室へと向かった。
 
「……?(はてな)」
 
  やっぱりだ。
 
  先程落ちていた、ユウキの下着が。
 
  いつの間にか、無くなっていた。
 
 
  一体、どこにいったのだろうか?
 
 
 
 
  後日改めて探したが、下着は終ぞ見つからなかった。

外伝7 『怪物姉隠形記(裏)』

「ねえねえセっちゃん」
「――ああっ!?
そっちの出店は質が悪いことで有名だから伝えておけば――っと、
ちゃんと回避した! えらい!」
「セっちゃんってばー」
「――そうそう、大根を選ぶときは葉っぱを見て。
教わったことは必ず覚えている辺り、流石白ちゃん」
「……お姉ちゃん、拗ねちゃうぞー?」
「――む。あの客引き鬱陶しいなあ。
姉さん、ちょっと行って排除してきて」
「りょーかい! ……あれ? 私ってパシリ?」
「――よし、ここまでは順調ね。
この調子で行けば、日が落ちる前には帰れるかな」
「……セっちゃんセっちゃん! この卵凄いんだって!
一個で3回はできるって! ユウキさんに十個くらい食べさせようね!」
「って姉さんが引っかかってどうするのよ!?」

人気のない路地裏にて。
黒髪の姉妹が、完全に気配を消しつつも、ちょっぴりはっちゃけながら。
大通りを行く白い少女を、見守っていた。

ただいま、はじめてのお買い物中。
少女の一大冒険を、心配しすぎて家で待てない姉貴分と、
何となくノリでついてきて、退屈を持て余している(ダメ)姉貴分。

白い少女がその任務を半ばまで達成してもなお。
安心して離れたりせず、主に妹の方がハラハラドキドキしながら見守っていた。
ちなみに姉は野良猫とにゃあにゃあ会話して楽しんでいた。
まあそれはそれとして。

ふと。

「――セっちゃん」

姉――ユメカが、冷たい声を発していた。
いつものとろけた姉ではないことを瞬時に悟った妹セツノは、
少女の監視を一時中断し、姉の方へと向き直った。

「近くに、手練れがいる。――逃げよう」


 
姉の言葉を受け、数秒ほどセツノは迷った。
自分は、そんな気配を感じなかった。
技能としての索敵なら、セツノの方が優れている。
しかし、それはあくまで技術の問題。
ユメカの動物的な第六感には、何者も敵わないことをセツノは知っていた。

「……別に任務中じゃないし、放っておいても大丈夫じゃない?」

言いながら、さりげなく大通りの方へと視線を走らせる。
それらしい人影は――


――白に。金髪の女性が、近付いていた。


すれ違うとかそういった類ではない。
明らかに、白に向かって歩いていた。

まさか、


「……姉さん。ひょっとして、あいつのこと?」
「うん。あいつ。この前見たときは気付けなかったけど、たぶん、私より強い」
「……確かに、何だか今は、雰囲気が黒いというか、自分を抑えきれてないというか」
「この距離なら気付かれることはないと思うけど、念のため」
「でもあいつ、白ちゃんに……」
「たしか、しーちゃんを保護したり、ユウキさんに預けたりしたのも彼女でしょ?
なら、滅多なことじゃ危害を加えたりしないよ。きっと」

普段の姉らしからぬシリアスな言動。
人間兵器のような姉がここまで恐れるとは。
あの女――そこまでの手練れということか。

 

 
改めて、女性の素性を思い返す。
アマツ・コミナト。近衛隊准隊士。ユウキとは帝都中央学院で知り合った女性。
剣術謀術に長けており、敵対した者は全て屈服させられている。
剣の腕に関しては、直接見たことはないが脅威に値する可能性が高い。
――以上、ユメカ作「泥棒猫さんリスト」より。

……確かに、敵に回したくない類である。
特に貴族というのがヤバイ。ユメカとセツノの立場上、最も関わりに配慮が要る人種である。
もし自分たちの所属がばれてしまったら、個人だけではなく村全体の問題になりかねない。
姉の言う通り、白が危害を加えられる可能性は皆無だろう。
ならば、自分たちは余計な波風を立てぬよう、対峙を避けて隠密に徹するべきだ。
そう判断し、姉に同意を示そうとした、瞬間。
半ば無意識に唇を読んでいたセツノは、アマツがこう言ったのに気付いてしまった。

――ちょっとこれから、ユウキの家に行くからな。



それは困る。


現在ユウキの家には、自分と姉の生活跡がこれでもかというくらい残されている。
白い少女との二人暮らしと言い張るには、少し苦しい。
というか姉の下着や自分の恋愛小説を、ユウキの物と言い張るには苦しすぎる。
となれば、すべきことはただひとつ――

「姉さん! 家に戻ろう!」

――限られた時間の中で、自分たちの痕跡を隠す!






結論から言おう。
ユメカは駄目人間過ぎた。

戦闘特化型なのだから、隠密技能の多少の不得手は許されるかもしれない。
しかし、だからといって。

「片付けの途中に発情って、何考えてるのか本気でわかんないんだけどっ!?」
「やだなあセっちゃん、ユウキさんのこと考えてるに決まってるじゃない☆」
「考えた結果が自慰ってのが意味不明なんだけど!」
「いやほら、性欲はヒトの三大欲求のひとつだし」
「うわあ蹴りたい。すっごく蹴りたい。
今の私、性欲より馬鹿姉蹴たぐり欲のが強いけど――でも我慢! 私常識人だし!」
「なにようセっちゃん。それじゃあまるで、私が常識ないみたいじゃな」
「いいから黙って気配消してなさい。そろそろ来るんだから」
「はーい」

屋根裏の空間にて。
諜報員姉妹は息を潜めていた。

自分たちの痕跡を隠した後は、少し離れた場所で待機するのが最善だったが。
セツノの心配性とユメカの縄張り根性が、少しだけ影響した結果だったりする。

(……白ちゃん、無理しちゃ駄目だからね)
(もしあいつがユウキさんのこと強姦するようだったら、私が出て行ってやっつける!)

セツノの心配性も大概だが、ユメカはユメカで先程までのシリアス調は何処へやら。
いつもの馬鹿姉モードに戻っていた――が。

(……あれ? 何か忘れてるような懐が寂しいような?)

 

 

気付いたときには手遅れだった。
というか姉のことを信用していた自分が愚かだった。
そもそも、重要な片付けの最中に自慰を始めるような馬鹿姉が、
まともに片付けていたと思い込んでいた己の不明を恥なければなるまい。

――部屋のど真ん中に自慰ネタの下着を放置。

空前絶後のお間抜けさんを問い詰めると、
「だってーセっちゃんがいきなり呼び付けるからびっくりしちゃって置きっ放しに」
云々と言い訳を。
回収しに行きたくとも、既に白とアマツは家の中。
気配を察知される危険を鑑みれば、このまま放置するほか手はない。
不幸中の幸いか、放置された場所はユウキの寝室。
脱ぎっぱなしにしていたと見るのが自然だろう。
あとは運を天に任せ、見過ごされるのを祈るのみ。

「……っていうかそれ以前の問題として、寝室に何の遠慮もなく入ってくる客人なんて、
そうそういるはずもないし」
「あ、入ってきたねセっちゃん」
「…………ユウキさんの知り合いって、変な女しかいないのかな?」
この女騎士といい、以前の喧嘩ふっかけお姉さんといい。
「セっちゃん……そんな自己卑下しなくても……」
「筆頭が何を言うか」

おもむろに入ってきたアマツと、慌てて追ってきた白。
二人は大した時間もかけず、不自然に放置された下着に気付いた。
白の方は、はてなと首を傾げるだけの、至極当然な反応を示していた。
それに対し、アマツの方は――

「――あ、拾った」
「…………ッ!」
「ちょ!? 怒るところじゃないでしょ姉さん!」
「でも私、まだイッてないし……!」
「いやそれかなり意味不明」

よくわからないところで憤慨するユメカと、いつものように突っ込むセツノ。
どう見ても、油断しきっているようにしか見えない。
――が、その実、欠片も気配を漏らしていなかったりする。
索敵の訓練を受けた者でも、今の二人に気付くのは難しいだろう。

二人はそう確信していたため――



さりげなく。
本当にさりげなく、隣の白には気付かれないよう周到に隠された。

アマツの殺気。

当てられた瞬間、思考が硬直してしまった。
女騎士がそんなことをする理由はひとつしかない。


気付いているぞ、という警告。


行動の選択肢は3つ。
息を潜め続けるか、即座に離脱するか、あるいは。
この場で、殲滅するか。

セツノが選ぼうとしたのはふたつめ。
ユメカが選ぼうとしたのは、みっつめ。

選ぼうとした理由に、気質如何は無関係。
それぞれの戦闘能力によって決まっていた。
セツノは己が逆立ちしても敵わないと肌で感じ、とかく逃げの一手と判断した。
対してユメカは、逃げきれる可能性を冷静に分析し、戦闘に入るしかないと決断した。

姉妹は言葉を交わしていない。
互いに最善と思える策を選び、実行しようとしていた。
体重が僅かに移動し、踏みしめた天板が軋む。
隠しようのない、確かな音。もう、動くしかない――



「――ん? 鼠でもいるのか?」


敵意の欠片も滲ませぬ声が、響いていた。

え? と固まるユメカとセツノ。
気付かないふり? そんなことをする意味があるのだろうか?
理解できず、二人はその場で動けずにいた。

「そういやお前、さっき鼠駆除の道具買ってたよな。この建物って鼠が多いのか?」
「……っ!(こくこくこくこく)」

アマツと白の何事もなかったかのようなやりとりを。
ユメカとセツノは、呆然と見下ろしていた。
芝居じみたやりとりを――

「――そう。そういう、こと」

ぽつり、と。
ユメカの呟きが漏れていた。

妹は姉を仰ぎ見るが、姉はそれ以上は何も言わず。
ただ、悔しそうに。拳を握り締めていた。







隊舎に着く頃には、空は既に明るくなり始めていた。
酒精でほどよく高揚した頭を、そのままベッドへ突撃させる。
ぼふ、と間抜けな音がして、シーツの上に金髪が広がった。

「……あー。ひっさしぶりに、気持ちいい酒が飲めたなぁ……」

むにゃむにゃと呟く。
柔らかなベッドに包まれてその表情は見えないが、きっと緩みきっていることだろう。
それほどまで、彼女の声は嬉しさに溢れていた。

「……変わってないなあ、ユウキのやつ。
馬鹿みたいにお人好しで、変な風に気が回って。
ホワイトのやつも良い感じで過ごせてるみたいだし、アイツに任せて正解だったな……」

……。
…………。
……………………。


「……うん、あのときはアレで正解だった。そうだ。そうに決まってる」

ふと。
こぼれた声は、冷たかった。

言っているのは、白い少女のことではない。
もっと、別のこと。

「――だって、ユウキの部屋を、血で汚すわけにはいかないもんな」

言いながら、懐から“戦利品”を取り出した。
何故落ちていたのかなんて、どうでもいい。
ユウキの匂いが残るものなら、何でもよかった。

数瞬躊躇った後、恐る恐る、匂いを嗅いだ。

自分はいつから変態に成り下がってしまったのか。
想い人の下着を顔に押し当て、匂いを嗅ぐだなんて。
実家の者が見たら、卒倒してしまうに違いない。



「栄えある近衛隊准隊士が、下着泥棒か。堕ちたな。ははっ」

笑う。しかし頬はいびつに歪む。
だって。
――残っているから。

「意図的に抑えられた体臭。……諜報員の類だな。
ユウキのやつ、変なことに巻き込まれてるんじゃないだろうな。
だとしたら――巻き込んだ奴は、殺すしかないよな」

想い人の下着、そこに残された女の香り。
その意味を察せられないほど愚鈍ではない。

離れていたのは自分なのだ。恨みに思うのは筋違いなのかもしれない。
でも。
だからといって。
簡単に諦められるはずが、なかった。

ずっと、ずっと我慢してきたのだ。
欲しくて、穢したくて、自分の色に染めたくて。

「……畜生ッ!」

衝動的に、下着を下腹部に押し当てる。
腹の底で猛る衝動を鎮めるには、もう直接的な手段しか残されていなかった。





「……4年越しで、下着一枚とは……笑うしかないよな……ははっ」

べとべとに汚れた下着をつまみ上げ、アマツは力無く苦笑した。

「ま、すっきりできたから、いいか。
下着の一枚や二枚で気にすることもないよな」

汚れた下着を放り捨て、アマツはベッドに寝転がる。
天井を見上げながら、何とはなしに呟いてみた。


「感覚からして、たぶん凄腕だ。下手なところに探りを依頼したら、裏目に出かねない。
……ここは散財を覚悟して、お高いところに探らせてみるかね。

――イナヴァ村だと、実家の伝手を辿るのがいいのかね」

2008/08/05 To be continued.....

 

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