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白き牙



31

 薄暗くカビ臭い地下牢のような場所。
  固い床の上、毒で未だ意識の戻らないクリスが横たわって――いや、無造作に転がされていた。
  それを見下ろすはコレットと、そして先ほどクリスに一蹴された男達の中で
比較的ダメージの軽かったものたち。
  男達はおのおの手には斧や大ぶりの剣が握られている。
  コレットが指示を出すと其の中のうちから特に屈強そうな4人が
クリスを囲むように歩み出、いっせいに武器を振り上げる。

 そしてコレットは歪な笑みを口元に浮かべ腕を掲げ、合図を出すように
其の腕を振り下ろした。
次の瞬間男達の武器がいっせいに振り下ろされ鮮血が舞った。

「があああっっ?!!」
信じ難いほどの激痛にクリスは無理矢理意識を引き摺り戻される形になる。
一体何が起こったのかと激痛の源たる手足に目をやれば――
肘と膝の先が切断されおびただしい血を溢れさせていた。
自分の手足が喪失してる事にクリスは最初自分の状況が飲み込めず、
やがて其の顔に絶望の色が浮かぶ。

「キャハハハハハハハハハ! いい様ね!」
その時クリスの頭上から甲高い笑い声が響く。
声の主は誰あろう、コレットだった。
「き、貴様ぁ……」
クリスはうめくように声を洩らし睨みつける。
だがコレットは怯みもせず睨み返す。
「あら、怖い顔。 でもね、いくらそんな顔したって怖くも何とも無いわよ。
だって、そんな姿じゃ何も出来やしないものね! キャハハハハハハッ!
それでね、ここにあの泥棒猫を呼んでやったらどうなると思う?」
「な、何だと……」
「今のあんたの姿見せたらどんな顔するかしらね?」
「ふざけるな! そんな真似――がはぁっ?!」
叫び返そうとしたクリスは重たい一撃を打ち込まれ言葉を遮られる。
「吠えてんじゃねぇぞ、糞餓鬼が」
男の一人が棍棒で力任せに殴りつけたのだった。
万全の状態であればものともしないはずの打撃。
だが手足を斬られ、出血も激しく、床に転がされた状態では堪えるものだった。
それを皮切りに他の男達もいっせいにクリスに殴る蹴るなどの暴行を加え始める。
なす統べなく蹂躙されるクリスの姿にコレットは其の顔に益々狂喜の色を深める。
そして切り落とされた手を拾い、男の一人に何かを命じた。
命じられた男は腕を持って外へと出て行った。

 そして男が戻ってき、それからほんの僅かに間を置いて扉が乱暴に開け放たれる。
「キャハハハハハハハ! 来たわね、この泥棒猫が!」
そう言ってコレットは扉を開けた人物――セツナに向かって語りかけた。

 扉を開けて入ってきたセツナは呆然と立ち尽くしていた。
己の目に映る光景が信じられないと言った風に其の顔に絶望の色を浮かべ。
そう、彼女の目に飛び込んできたもの。
それは彼女にとって命にも等しいほどかけがえが無く、大切で、愛しい妹分――
クリスの無残な姿。
両手両足を無残にも切断され、血に塗れ、男達に嬲られ蹂躙される見るに耐えない姿。
そんなクリスの姿に呆然とするセツナに向かい男の一人が鉄の槍を打ち下ろし殴りつけた。
クリスの無残な姿に釘付けになり放心してたセツナはまともに其の一撃を受けた。
殴られた頭部からは血がほとばしる。
そして他の男達もそれに続くようにいっせいに鈍器を手に殴りかかった。
鉄や硬い木の鈍器が肉や骨を打ちつける鈍い音が響き渡る。

「キャハハハハハハハハハハハ!! やった! やったわ!!
遂にあの泥棒猫に鉄槌を下してやったわ!! これで! これで邪魔者はいなくなる!!
これでリオは私のところに戻ってくる!! キャハハハハハハハハハハハハハハハ――
?!!」
勝ち誇ったかのように狂ったように笑っていたコレットの笑が止まった。
セツナを殴りつけていた男達が突然血飛沫を上げバラバラの肉片になリ崩れ落ち、
其の様子にコレットは何が起こったのか理解できず動きを止めずにいられなかった。
そして驚きから意識も戻らぬうちに次にはクリスを嬲っていた男達が肉片に変わり果てた。
目の前で起こった事が理解できずにいたコレットは突然足元の力が抜け床に崩れる。
コレットは直ぐに自分の身に起きた異変を理解できなかった。
足元の力が抜けたのではない。 足が切断され、それで崩れ落ちたのだった。

 

+     +     +     +

「クリス! クリス!! ねぇしっかりしてクリス!!」
私はクリスの体を抱き起こすと喉が張り裂けんばかりに叫び、声を上げた。
「姉……さん……」
「うあああああああっ! 何で! 何であんたがこんな酷い目にあわなくちゃいけないのよ!」
「泣か……ない、で……」
クリスが私の頬を濡らす涙を拭おうと手を伸ばそうとするもそれは叶わない。
何故ならその腕には肘から先がなくなっていたのだから。
「いやああぁぁぁぁ!! どうして?!! どうしてよ?!!」
「ゴメ……ン。 こん……な体に……なっちゃって……」
「クリス!!」
「もっと……一杯……姉さんと旅……したかった……けど……」
「やめて! そんな……お別れみたいな事言わないで!!」
「分か……るんだ……。 ボクは……もう、駄目だ……って」
「そんな! そんな事……!!」
――そんな事無い。 そう言いたかった。 でも言葉が出てこなかった。
クリスの肌の色が、辺りを染める血の量が……徐々に冷たくなっていく体が
それらが物語っているから……。
「最……後に、おね……がい……。 キス……して……」
力なく微笑むクリスの唇に私は唇を重ねる。
重ねた唇から体温が、命が失われなくなっていくのが分かる。
私がそっと唇を離すとクリスは力なく口を開く。

「大……好き……だよ。 姉……さ……」

 それがクリスの最後の言葉だった。

「クリスーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

 私はクリスの体を――亡骸を抱きかかえたまま慟哭した。
耐えがたいほどの悲しみと喪失感だけが次から次へと広がっていく。
心が軋みバラバラに砕け散ってしまったかのように痛い。
まるで自分の体を切り刻まれ引き裂かれたかのよう。
失われた命。 戻らない時間。 喪失した未来。
計り知れない絶望と悲しみにその身を苛まされながら
尽きる事の無い涙が私の頬をとめどなく零れ落ちる。
絶望と悲しみで潰れそうなまま私は泣き叫び続けた。

 その私の耳に微かに届いた這い蹲る様な物音とうめき声。
首を廻らせ滲む眼で音のした方を見れば、そこにいたのは――。

「許……さない……」
私はコレットを睨みつけながら言葉を吐き出す。
「よく……も、よくも……私の、大……切なクリスを……こんな……!
こんな目にあわせてくれたわね……!!」
私に睨まれたコレットは脅え、這い蹲りながら無様な姿をさらし逃げようとする。
私はそんなコレットに向かって刃を振り下ろした。
コレットの手が切れ飛び血が噴出し、口からは悲鳴声が漏れ出す。
「痛い……? 苦しい……? でもね……でもね……クリスと! クリスを失った私は!
私はもっと辛いのよ?!!」
私は感情のままに刃を振り回す。 其のたびに鮮血が舞い肉片が切れ飛び悲鳴声が響き渡る。

 そして――。
気が付いた時にはコレットは原形を留めぬ程バラバラに切り刻まれた肉片に変わり果てていた。

 それからのことは良く憶えていない。
只々辛かった。 クリスがいないことが。
クリスがいない旅を続けることが。 それが、苦痛で辛くてたまらなかった。
何をしててもクリスを失った辛さは、クリスがいない寂しさは埋まらなかった。
まるで心に大きな穴があいてしまったかのような、
生きながら体の半身をもぎ取られてしまったかのような喪失感。
それはモンスターとの死と隣り合わせの戦いに身を投じようとも紛れる事は無かった。
リオと肌を重ね合わせても、その寂しさが埋まることは無かった。
何をしても私の心にあいた穴を、喪失感を埋めてはくれなかった。
癒してくれる事は無かった。
いや、拒んでいたのかもしれない――癒される事を。
癒されてしまえば――癒される事でクリスのことを忘れてしまいそうで。
其の方がよっぽど辛いから。 其の事が余計に私の胸を苛んだ。

 だから――死にたかった。 死んでしまいたかった。
死んでこの苦しみから逃れてしまいたかった。
でも、死ねなかった。
リオがいたから。
リオを残して死ねなかったから。
私が死んでしまえば魔王を倒す術は失われる。
それでもリオは旅を、戦いを止めないだろう。
それはリオを死地に向かわせる事になる。
それだけは出来なかった。
私が死んだせいで其の後リオが命を落とすなんて耐えられなかったから。
其の想いだけが、私をかろうじてこの世に踏みとどまらせてた。
でもそれは言い換えれば――。

 

 

 数限りない死闘の果てに今私達はこの世界に君臨する最強のモンスターと戦っていた。
すなわち――魔王。
そして今、其のピリオドが打たれる。
傷だらけになり、自身の血と魔王の返り血に塗れながら私は止めの一撃を叩き込む。
断末魔の悲鳴が上がる。 刃越しに伝わってくる。 確実に魔王の心臓を刺し貫いたのが。
其の魔王が心臓を貫かれながらも其の巨大で鋭い爪を振りかざす。
それは蝋燭が最後の一瞬一際激しく燃え上がるのにも似た、そんな最後の足掻き。
傷を負ってる身とは言え私の身体能力なら十分かわせる一撃。 だが――。

 私は目を閉じた。

 もう、いいよね?
私、頑張ったよね?
クリス――。 あなたのところに逝ってもいいよね?

 そして振り下ろされる魔王の爪によって私の命が幕を閉じる――そう感じる直前。

 ――声が聞こえた。 クリスの声が――

 それは幻聴だったのかもしれない。 でも――。
私はその場を跳び退き魔王の攻撃をかわした。
最後の一撃をかわされた魔王は其のまま崩れ落ちる。

「セツナ!!」
その時リオの声が耳に飛び込んできた。
「魔王が倒れた事でこの城は間もなく崩れ落ちます! 早く脱出しましょう」
そして私達は崩れ去る城から脱出した。

「終わり……ましたね」
城を脱出した後、崩れ去った魔王城の跡を見つめる私の耳にリオの言葉が届く。
「リオ……」
「最後までおつかれさまでした。 そして――」
リオは私の体を優しく抱きしめ言葉を継ぐ。
「よく無事生きていてくれました」
優しくそう囁いてくれたリオの顔には安堵の色と、瞳には涙が浮かんでいた。
「ずっと、心配してたんです。 クリスが……あんな事になってしまってからと言うもの
あなたはまるで死に急いでいるように見えましたから……いえ、
先ほどの最後の戦いで死のうとしてませんでしたか?」
私は応えられなかった。 其の通りだったのだから。
「いいのですよ。 実際にはこうして生きていてくれたのですから」
そう言ったリオの顔は優しく私を慰めるように微笑んでいた。

「あのね……リオ。 確かに私あなたが言った通りこの戦いで死ぬつもりだった……。
けどね、声が聞こえたの」
「声……ですか?」
「うん。 クリスの……声が。 空耳かも、幻聴かもしれない……。
でも、確かに聞こえた気がしたの。
『生きて』って」
私がそう言うとリオは優しく微笑んだまま頷き口を開く。
「信じますよ。 あなたがそう言うのなら、きっとそうなのでしょう」
「ありがとう。 それにね……」
「それに?」
「ううん……何でもない」

 私の耳に届いたクリスの声。 それは『生きて』そして――
『また逢えるよ』
後日私はその言葉の意味を知ることになる。

 

 

 

 魔王を倒した事で世界から魔物の脅威が去り、世界の様相は平和なものへと変わっていた。
人々の顔には笑顔が戻り、復興した町並み等が時の流れを感じさせる。
そして、気が付けばあれから十ヶ月近い時間が流れていた。
そんなある穏やかな昼下がり。

「セツナ。 調子はどうです?」
「えぇ、とっても良好よ。 私も、そしてお腹の子も」
私は大きくなったお腹を愛しげに撫でながら応えた。
「触ってみる?」
私が声を掛けるとリオはそっと私のおなかに手を触れる。
私の体に新たな命は宿ってたのに気付いたのは魔王を倒した其の直後の事だった。

「あ、今動きました?」
リオが驚きと嬉しさを含んだような声を発した。
「分かる? うん。 この子とっても元気で今みたいにしょっちゅう動き回るの」
私は微笑んで答えた。
臨月を向かえお腹の子は順調に育ち数日中にも生まれてくるだろう。

「そう言えば名前は決まりましたか?」
リオが顔を上げ私に問い開けてくる。
そう。 私は産まれてくる子の名前は自分に付けせてくれと頼んでいたのだ。
「ええ。 実はね、ずっと前から決めてたの。 この子がおなかに宿ったのが分かった時から……。
この子の名前は――」

 あの日耳に届いた声―― 
『また逢えるよ』
そして直後分かった懐妊。
だから私には思えてならないのだ。
この子は私にとって誰よりもかけがえの無かったあのコの。
いつも私を支えてくれてたあのコの生まれ変わりだと。
そして私は其の名前を口にする。

「――クリス。 それが生まれてくるこの子の名前よ」

the end

2007/03/14 route A 完結 Go to route B

 

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