<4>
>2007年1月1日、午前11時
>須登丘神社
「わぁ、やっぱりお正月は賑やかだね!」
「いつもは全然、人がいないのにねぇ〜」
人ごみのごったがえす中を二人、腕を組んで歩く。
参道には露天が立ち並び、たこ焼きや大判焼の香ばしい匂いが漂ってきた。
姉さんの雑煮によって胃袋崩壊さえおこしていなければ、存分に食欲を刺激されていたことだろう。
……それでもまぁ、こういう雰囲気を見ているだけでも、なんだかウキウキしてくるものだ。
ホラ、あの人の晴れ着なんか、すごく艶やかだよねぇ。うわぁ、綺麗なひとだn
―――痛ッ!?
「ごめんね、秋くん。足ふんじゃった」
「……ううん、いいんだよ」
前見て歩いてなかった、僕が悪いんだ。
* * * * *
「んっ、んっ、ん〜〜っ! 前が、みえない〜」
姉さんが、一生懸命背伸びしている。
拝殿の前に人が群がっていて、とても近寄れないのだ。
ここから五円玉を投げようと思っても、お賽銭箱自体もなかなか見えない。
人の頭の波間から、お賽銭を握り締めた腕だけ突き出して、ふりふり振っている姉さん。
放っておくと、目の前のおっさんの後頭部に五円玉をぶつけそうだ。
そっと手の平からお賽銭をもぎとって、代わりに投げてあげる。ついでに自分の五円玉も投げる。
さてと。お願いごとは―――
そうだなぁ。やっぱり、『家内安全』だよな。
これしかないだろう。
二拝二柏手一礼して、今年も平穏無事に暮らしていけるよう、神様に祈る。
「秋くんが………て…………秋…………わた……………秋く………対………」
手を合わせて、とても真剣にお願いごとをしている姉さん。
ブツブツと漏れ聞こえる呟きが、明らかに僕の名前を指している。
――きっと、僕のことばかりを、色々とお願いしてくれているんだろうな。
……姉さんは……本当に弟想いの、優しい人だよな……。
いつも僕のことばかり、心配してくれて……。
きゅっと胸が締め付けられる思いと、『家内安全』ではなんだか申し訳ない想いが沸き起こる。
だから僕は、財布から二枚目の五円玉を取り出した。
お正月の神様は、これだけ沢山の人のお願いを聞いても忘れないほど記憶力がいいんだ。
もうひとつぐらいなら、なんとか耳の端にでも残しておいてくれるさ。
『姉さんが、しあわせになれますように』
……。
………うん。これで、いい。
さて、と。
「姉さん、そろそろいこうか?」
『――今年こそは秋くんに襲われますように。
今年こそは一線越えて、既成事実ができますように――』
「おーい、ねえさん。もういくよー?」
『――秋くんによその女が近づかないように。秋くんがお姉ちゃん以外に興味をもたないように。
秋くんがお姉ちゃん以外で自慰に耽らないように。あと、藤原里香がのたれ死ぬように――』
* * * * *
「あ、破魔矢買わなきゃ。秋くん、売店寄ってこ?」
参拝が終わるとすぐに、姉さんにずるずる引っ張っていかれた。
お正月は神社のかきいれどきだ。売店もなかなかの人だかりである。
……そうだなぁ。来年は僕も受験だから、学問のお守りでも買っておこうか?
「破魔矢くださーい」
姉さんは、売店の巫女さんにそう注文した。
「『学業成就』のおまもり下さい」
僕は、巫女さんにそう注文した。
「あ、『安産』のおまもりくださーい」
姉さんは、巫女さんにそう注……
…………。
……安産……?
???
「秋くん、呆けた顔してどうしたの?」
「え? あ、いや……」
……ふかいこと考えるのはよそう。
巫女さんが、お守り二つを小さな紙袋に包んでくれる。
この巫女さん、なんか大和撫子って感じだよなぁ。すごく清楚で可愛いらs
―――痛ッ!?
「ごめんね、秋くん。破魔矢刺さっちゃった」
「……ううん、いいんだよ」
ぼやっとしていた、僕が悪いんだ。
<5>
「あれぇ? 亜由美ぃ!?」
帰ろうとした矢先、姉さんが名前で呼び止められた。
振り向けば、茶髪のおねえさんがカラカラ笑っている。
「さゆり……」
この人は姉さんの大学の友達、さゆりさん。
サバサバした感じの、気持ちのいいおねえさんだ。
一度だけ家にも来たことがあるが、その時に初めて会って以来、
姉さんは二度と連れてこようとはしない。
「あけましておめでとうございます、さゆりさん。お久しぶりですね」
「あ〜、秋人君……だっけ? ちょっと見ない間に、身長が伸びたねぇ〜。
―――――……って、亜由美。人が会話している間に、割って入らないでよ」
僕の前に立ち塞がって、わたわたと手を振る姉さん。
仲、悪いのかな……?
「うんうん、イイ男になってきたねぇ〜。よし、18歳になったらお姉さんが相手をしてあげようっ!
―――――……って、亜由美。今の冗談だから、その顔はやめて」
通りがかりの参拝客のみなさんが、怯えたような表情をしている。
姉さんの顔に、何かついているのだろうか……?
「さゆり。わたしいま、忙しいんだけど」
「忙しいってアンタ……弟と腕組んでただけでしょーが。向こうに、エミもみいもトーコも来てるよ?
アンタ付き合い悪いから、ちょっとぐらい顔出してきてやんなさい。
―――――……って、亜由美! 露骨に嫌そうな顔すんな!」
……。
どうやら姉さんの友達が、揃って参拝に来ていたようだ。
「姉さん、お友達に挨拶していきなよ? 僕はそのへんブラブラしてるから」
姉さんは僕の世話をすることに時間を割きすぎて、自分のことに関しては無頓着なきらいがある。
弟にとってそれは、姉を犠牲にしているようで、心苦しさを感じることでもあるのだ。
……優しすぎるんだよ、姉さんは。
もっと自分の友達付き合いとかも、大事にして欲しかった。
花の女子大生なんだから、もっともっと自由に遊べばいいと思う。――そ、その、オトコ遊び以外で。
「ん……。でも、せっかく秋くんと……」
「いい弟さんじゃないの〜。安心なさい、しばらくの間、あたしが秋人君の相手しといてあげるから」
「――駄目ッ!!! さゆりも一緒にくるのッ!!!」
さゆりさんをずるずる引っ張って、ぷりぷりしながら姉さんが行く。
…
……
………
「もうっ! みんなどこにいるのよっ! せっかくの二人きりの時間を邪魔してぇッ!!」
「アンタいつも二人きりで暮らしてるんでしょうが! ……ってゆーか、マジで弟を狙ってたの!?」
「だから! マジも大マジだっていつも言ってるでしょうがッ!!」
初詣で賑わう喧騒の中、何を言っているのかは聞こえないが、
二人は言い争いをしながら消えていった。
* * * * *
……さて。
そんじゃ僕は、時間つぶしにお御籤でもひいていこうかな。
さっきの巫女さんのところに戻って、御籤筒を振らせてもらうことにする。
『末凶』
………。
ブービーだ。ドン底である『大凶』よりは一歩だけマシだから、良かったとしておくべきなのか?
どれどれ、内容は……。
『女難の相あり』 ―――女難……? はて、心当たりはないけど……。
『待ち人来まくる』 ―――なんだこれ? こんな記述って、普通のお御籤にあるのか?
『白刃に遭う凶相あり』 ―――なんだよこれはッ! こ、こわいじゃないかッ!?
な、なんかやだなぁ……。
このお御籤、向こうの木に結んでおこうっと。
悪い結果のお御籤は、利き手じゃない方の手で木に結ぶと“困難を克服できる”んだ。
…
……
………
沢山の白い紙に纏わりつかれたご神木は、甚だ迷惑そうに境内の一角に佇んでいた。
僕と同じように、それぞれの作法でお御籤を結んでいる参拝客たち。
絵馬に想いを書き綴っている人たちもいる。
『祈願、根取川大学現役合格!』『無病息災。妻の安産を願ふ』『あの泥棒猫に死を……許さない』
色んな想いの篭った絵馬が、ところ狭しと掲げられている。
――そんな中。
ふと、見知った姿を見かけたんだ。
濡れるような長い黒髪。燃え立つほどに赤く瑞々しい唇。
寒空の下でうっすらと頬にさした紅が、その純白の肌をより一層引き立たせている。
この人ごみの中でさえ、人目を惹き付けざるを得ない美少女っぷりは、間違いない。
「あずっ!」
山本梓。僕のひとつ年下の従妹だ。
ごそごそ絵馬にペンを走らせていた彼女の肩を、ポンと叩いた。
「ココで会うとはぐうぜんだねぇ! あけまして、おめでと――――お?」
振り向いた梓の顔は、ゆでだこ状態に真っ赤で。
さっきまで書いていた絵馬を、さっと後ろ手に隠してしまって。
いつものクールビューティーもどこ吹く風、あわあわとしどろもどろに口を開いた。
「――あっ、あ、あっ、秋人さんっ!? お、おはよ、じゃない、おめでとう、ご、ございますっ!」
「……あ、うん……。ごめん、邪魔しちゃったかな……?」
「い、いえぇッ! も、もう帰るところでしたから!」
そんな梓に、僕もそれ以上の追及ができない。
――チラと。
梓が振り向く瞬間に覗いた絵馬の文字が、僕の胸に突き刺さっていたから。
『お兄ちゃん』
それだけが。
その文字だけが、目に焼きついている。
なにを……書いたのだろうか……?
……『お兄ちゃん』とは、僕のことなのだろうか……?
彼女は決して教えてくれないだろうけれど………気になって仕方がなかった。
あずは……
あずはまだ、僕のことを、『お兄ちゃん』と呼んでくれるのだろうか……?
* * * * *
「おまたせ秋くん〜! ………って、ええええええええええッ!?」
「あ、姉さん。そこで偶然、あずに会ったんだよ」
「あけましておめでとうございます、亜由美さん」
「……あ、あけまして、おめでと……」
カチンコチンに固まっている姉さん。お友達とお話しが盛り上がって、疲れちゃったのかな?
なら、そろそろ家に帰らないと。
「あずは一人なのかい? 一緒に帰ろうか?」
「あ、はい! ちょうど初詣の帰りに、秋人さんの家へ伺おうと思っていたんですよ」
「そっか」
「父から伝言なんです。ご馳走を用意するから、今日は家に夕飯を食べにきてくれって。
久しぶりに、お二人の顔を見たいそうですよ?」
お正月にさえ日本不在の父母に代わって、僕たち姉弟の保護者代わりをしてくれているおじさん。
自宅が近所で僕の家から歩いて行けるのだが、肝心のおじさんが多忙なので会えない時の方が多い。
でもさすがに元日ぐらいは、家でのんびりしているみたいだった。
……それなら年賀参りをしておかないとな。いつもお世話になっているし。
「そっか。じゃ姉さん、このままおじさんの家に直行しようよ。夕ご飯の心配もしなくていいし――
―――――……って、姉さん。まだ固まっているの……?」
神社の一角に佇む、お地蔵さん。
それが姉さんだった。
<6>
>2007年1月1日、午後3時15分
>叔父さん邸
「あーーーーーーーっ! 秋人くぅぅううううううううううんっ!!!」
「こ、こんにちわ」
「やあぁぁぁぁぁぁん、ひっさしぶりぃいいいいいいいいっ!!!!」
「あ、や、ご無沙汰してます……」
抱き締められた。
張りのある大きな胸の中に、むにゅうっと顔が埋められる。
あわ、わわわわ。
「――――――オバさん」
「――――――お母さん」
背後から、底冷えするような二人の声が聞こえてきた。
…
……
………
この人は、山本茜さん。僕の叔母にあたる人だ。
梓のお母さんだけあって大変お綺麗な、まだまだお若い35歳である。
「秋人くーん、うしろの人達が睨むよぉ」
「あっ、やっ、それは」
「――――――オバさん、おじさんの前でふしだらですよ……」
「――――――お母さん、年を考えてください……」
……どうしたことか。
豪邸であるこの叔父さん宅の照明が、少しずつ暗くなっていくような気が……。
暗雲が、まわりに立ち込め始めていた。
「あ、あの、叔母さん。ちょっと、離してもらえませんか?」
なんとなく身と周囲の危険を感じて、そっと叔母さんを窘める。
「……つれないなぁ〜。秋人くんが赤ちゃんの頃は、よくおむつを代えてあげたのに……。
麻美ちゃん以外で、最初に秋人くんのおちん○ん触ったのは、叔母さんなんだよぉ?」
「で、でも今はですねぇ――」
「おっぱいだって、麻美ちゃんが居ない時は、叔母さんのを飲んでいたんだよ?
秋人くん、ちゅっちゅっ、ちゅっちゅって。すごい勢いでしゃぶりついていたんだから」
――な、なにぃッ!?
おむつの話はよく聞いていたが、おっぱいまで貰っていたとゆーのは初耳だったッ!!
「そうだったんですかぁ!? ……姉さん、知ってた?」
姉さんはどういうわけか、僕の背後でまたまた石化を始めていた。
「…………乳兄妹…………」
あずがぼそっと、何かを呟いた。
………
……
…
「やー秋人君、久しぶり久しぶり! おぢさんとビール飲もう?」
「おじさん! あけましておめでとうございます!」
赤ら顔で出てきた、でっぷりとしたこの人が僕の叔父さん。山本篤志さん。
大手不動産会社で重役をしている、えらい人なのだ。
「男の子がいると、酒を酌み交わせるのがいいねぇ。さぁさぁ、おぢさんとビールを飲もう」
「あー、僕まだ未成年ですから……」
「正月ぐらいいいよいいよ。保護者であるおじさんが許す! さぁ、おぢさんとビール飲もう」
酒気を漂わせながら、おじさんが僕の背中に手を回し――
――突き放された。
僕の右腕に姉さんがしがみつき。僕の左腕をあずが引っ張って。
僕の腰に抱きついた叔母さんが、おじさんから思い切り引き離す。
「駄目ですッ!! 秋くんがビール腹になったら困りますッ!!」
「……お父さんの息、お酒臭いからアッチいってください」
「あなたは手酌酒がお好きでしょうにぃ? 一人で飲んでてくださいねぇ?」
「………」
「お、おじさん……」
一家の家長は、ひとりショボンと居間に戻っていく。
男性側の権力が極端に弱いのは、山本家の伝統だった。
* * * * *
「いいお肉があるから、今日はすき焼きにするからねぇ!」
「……あ、ちょっと! 秋くんの分はわたしが作るからいいですっ!」
「なぁにぃ、亜由美ちゃん? 今日ぐらいは主婦しなくてもいいじゃない〜」
「かまいませんっ! 秋くんの好みは、わたしが一番知っているんですから!」
「あん、亜由美ちゃん邪魔しないでよ〜」
「――ほら、このネギなんか! これじゃ駄目ですっ!
秋くんはおネギが苦手なんですから、もっと小さく切らないと食べられないんですっ!」
「じゃあ切るわよぉ〜」
「わたしが切るからいいですっ!」
「それなら叔母さんは、お味噌汁を……」
「このお味噌汁、駄目ですッ! 秋くんは、夕食には合わせ味噌って決まっているんですッ!」
あ、あのぉ……。
僕は別に食に拘りがあるわけではなくて、姉さんに出されるままの物を食べているだけなんですが……。
……ま、まぁいいか。
台所に突撃して、叔母さんと奪い合うように料理を始めた姉さん。
お正月から、働き者だよなぁ。
「秋人さん秋人さん」
「はいはい?」
あずが僕の服の袖をつまんで、ちょいちょいと引っ張っている。
「お暇でしたら、ちょっとお願いしたいことがあるのです。……宜しいですか?」
<7>
巨大な液晶テレビと、5.1chのホームシアターシステム。
棚には処狭しとDVDソフトが並び、壁には防音素材使っているこの部屋は、
あずの家のAVルームだ。
完全無欠に豪華仕様である。
「これなんですよ」
「こ、これはッ!?」
あずが手に取って差し出した、少し大きめの白い箱。
「――これは、仁天堂の『Wee(うえぇ)』じゃないかッ!!」
『うえぇ』とは、昨年末に発売されたばかりの仁天堂最新型のTVゲーム機だ。
リモコン型のコントローラーを振り回して、身振りや手つきで体感型のゲームを楽しめるという。
孝輔の奴が欲しがっていたけど、バイト代が入った頃にはどこも売り切れ御免で、
悔しがっていたもんだ。
「買ったの!?」
「いえ、頂きものなんです。父が取引先の方から頂いたそうで」
へぇ〜。
やっぱえらい人になると違うんだな。貰えちゃうのかぁ。
「でも、どうして箱の中に入ったままなんだい? 遊ばないのか?」
「繋げ方とか使い方とか、全然分からなくて……」
おじさんの家は、こう見えて家族全員機械音痴なんだ。
この部屋の家電を買う時も、街の個人経営の電気屋さんに注文して、
配線から設置まで全部お任せらしい。
大手量販店のチラシを見比べるのが楽しい庶民とは違う、ブルジョアな買い方である。
「折角頂いたものを一度も使わないのは、先方に失礼ですし……。
秋人さん、なんとかなりませんか?」
「セットアップすればいいんだね? ようし! お兄ちゃんにまかせとけいっ!」
「………お願いしますね」
さりげなく、“お兄ちゃん”にアクセントをつけてみた。
あずの変わらない反応に、また寂しさが募る――
………
……
…
「――よっ?」
「わあぁっ! すごいすごい!」
難なくTVと無線LANに繋がった『うえぇ』。
とりあえず、一緒に置いてあった『うえぇスポーツ』というソフトを起動させている。
色んなスポーツのゲームを遊べるようだが、僕が得意なスポーツといえば中学までやっていた野球だ。
なので、まずは“ベースボール”を選んだ。
「――はっ!」
「すごーい! すごーいっ!」
……なるほど。
この『うえぇ』というゲーム機の仕組み、だいぶ分かってきたぞ。
要するに振った時のタイミングと向きが重要で、振る勢いなどは感知できないらしい。
逆に言えば、そこにさえ気をつければ、手首のスナップだけでもホームランが出せる。
正確なフォームで気張って振ると、流すつもりがセンター返しになったりして、
思惑が外れるようだった。
ウーム……。どうせなら、肘と腰と膝にもセンサーをつけたらいいのに。
プレイヤーのスタンスとバッティングフォームまで感知して、打球の動きを計算してくれたらなぁ。
理想的なバッティングゲームになりそうなんだが―――仁天堂さん、なんとかしてくれないかねぇ?
……まぁ、でも。
「すごいすごいっ!」
目をキラキラ輝かせて、無邪気にはしゃいでいるあず。
ゲームに慣れていない彼女には、このゲーム機の仕組みなんかには考えが及ばないのだろう。
実際に野球が上手くなければホームランが出せないとか――そう思っているに違いない。
そして純粋に、“格好よくバット(に見立てたリモコン)を振る僕”を見て感動しているのだ……。
……だから。
姑息にホームランを出すテクニックよりも、
彼女を喜ばすパフォーマンスの方がずっと重要だと悟った。
ぶった切り打法やらフラミンゴ打法やら、特に見栄えのするスタイルを色々と試してやる。
本当に野球をしているように、大袈裟にバッティングをした方が、彼女は喜んでくれるのだから。
「わぁっ! またほーむらんだぁっ!」
こんなにも無防備で、無邪気で……。昔の、あの頃のように笑ってくれるあず。
こんな彼女に会えたのは、ほんとうに、ほんとうに、
ひさしぶりだから……。
「お兄ちゃん、私もやるっ!」
「ハハ。はい、それじゃ交代。……………………………ぇ?」
「……………………………ぁ」
……今、なんて言った……?
慌てて口元を押さえたあず。
僕の手からリモコンをもぎ取るようにして、液晶テレビに向い合う。
……あず……。
* * * * *
「――やあっ!」
『ストライクッ!』
「――たあーっ!」
『バッター、アウツッ!』
なんとなく微妙な、気まずい雰囲気が漂う中。
ゲームに専念しているあずが、ひたすらに三振を続けていた。
才媛である従妹だが、ゲームとかスポーツとかは少し苦手らしい。
ピッチャー(というか画面)に対して正面向いて構えているし、
バット(というかリモコン)の握りも右手左手逆だったりする。
本人は真剣に、打席に入っているつもりで構えているのだろうが―――まぁ、ご愛嬌というやつだな。
リモコンを振るタイミングも、まるで狙っているかのように正確に、
ボールが通り過ぎた半秒後である。
「できませんよぉ……」
柄にもなくしょぼくれた態で、泣き事をいう従妹。
とはいえ僕にとっては、コッチの方が昔ながらの梓だった。
なにかあるとすぐにぴいぴい泣いては、僕の背中にすがりついてきた少女――。
どこにも隙がなくて、どこか張り詰めていて、
どうにも無理をしているあずを見ている方が、本当は辛い。
「どれどれ。まずバットの持ち方が違うんだよ。―――こう、ね?」
……まぁ、バットじゃなくてリモコンだけどさ。
「野球のバットってさ、腕じゃなくて下半身で振るのがコツなんだよ。もっと腰を落として――こう」
梓の背中から手を回して、そっと手を添えて「野球」の素振りをしてみる。
ハッキリ言って、このゲームの攻略に「野球」のコツなど全く必要ないのだが。
……それでも僕は、彼女に教えてあげたかったんだ。
僕よりずっとずっと頭が良くなってしまった今の梓に、
それでも教えられるのはこんなことぐらいだから。
「腰の軸は動かさないように、お腹から投手に向けるようにして――こう、振るんだよ」
「こ、こうっ、ですか!?」
「……うん。あ、顎を少し引くと、もっとサマになるかな?」
真剣そのもので、僕の指導に聞き入っているあず。なんだか可笑しくなってきた。
「――とおっ!!」
『ストライクッ!』
……だって。
どんなにフォームが良くたって、タイミングが全てのこのゲームでは何の意味もなさないから。
「すこーし、振るのが遅いのさ。ほら、タイミングを合わせてあげるよ」
背中からあずに手を添えて、一緒にリモコンを振ってやることにする。
柔らかなシャンプーの香りが、ふわりと鼻腔を刺激した。
3、2、1、せーのっ!
「今だ!」
「――やああああーーーーーーーーーーっ!」
うわっ、とっ、とっ!?
予想以上に気合を入れて、力一杯に振りかぶったあず。
その勢いに、背中を支えていた僕のバランスが崩れて。
脚がもつれあって。
――とすん、と。
背後のソファーに、倒れこんだ。
『ストライクッ! バッター、アウツッ!』
………
……
…
気がつけば、芳香の中。
目の前の絹のような肌に、恥ずかしそうに生えているうなじの産毛。
僕の胸の下に押し倒されている、記憶にある以上に柔らかな、細身の美少女――
叔父さんのAVルームの高級ソファーは、まるでベッドのようにふかふかで――
「……あ……」
長い睫毛の奥の、うっすらと濡れそぼった瞳が、見上げるように僕を覗き込む。
黒のハイソックスとプリーツチェックのスカートの合間から覗く、シミ一つない真っ白な太股。
「………あ、ず………」
「――――――――――――秋くん―――――――――――――」
飲み込んだ唾が、自分でもギョッとするほどに、大きな音を立てた。
みじろぎするように、太股をずらした、あずのスカートが、捲れあがって、アズの……隙間から……
「――――――――――――秋くん―――――――――――――」
……二人して、顔を上げた。
防音ルームの戸口に、立っていた。
「――――――――――――ごはん―――――――――――――」
そこに、立っていた。
少し大きめのエプロンをつけて、お玉を片手に持った――
「――――――――――――できたんだけど―――――――――――」
――姉さんが。 |