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過保護



1

いつも私は満たされなかった。
親の勧めで日本舞踊を習った。
大会に出場し、常に上位入賞できる腕前になった。
けど…これは私が執着できる物ではなかった。
先生の勧めで友達を作った。
いろんな人と話すように心がけ、今ではアドレス帳には3ケタの登録がある。
けど…これは私が執着できる物ではなかった。
友達の勧めで部活に入った。
高校の部活で私に並ぶ人は無く、私は部長に任命された。
けど…これは私が執着できる物ではなかった。
別の友達の勧めでストリートファイトに出た。
と言っても、近所の不良に喧嘩を仕掛けるだけのものだ。
我流の格闘術とはいえ、やっぱり私の相手ができる者は無く、最近では『踊る黒い死神』と呼ばれ恐れられている。
けど…これは私が執着できる物ではなかった。
だけど喧嘩はストレス解消にはなった。
実を言うと親にも教師にも内緒で時々やっている。
そしてまた別の友達から恋人を作る事を勧められた。
そう言えば私には何度か告白された記憶がある。
けど…どれも断った。興味が無かったからだ。
その矢先、私は学校の後輩から呼び出された。
「僕と…付き合ってくださいっ!」
そう言われた。
少しだけ興味が湧いた。
恋人とはどんな物だろうか?
だから答えた。
「いいよ」と。
期待はしていなかった。
私が何かに執着する姿なんて想像がつかなかった。
けど違った…私に必要なのはこの子だった。
私はこの子を愛してしまった。

最初は料理、次に裁縫。
覚える事は多すぎた、それでも時間は少しでも多くあの子と過ごしたかった。
初めて作ったお弁当はとても食べられる出来ではなかった。
けれどあの子は食べてくれた。
それが嬉しくて…同時に美味しい物が作れない事を悔しく思った。
私は今まで何ができても嬉しくなかったし、何ができなくても悔しくなかった。
今まではそんな事はどうでも良いと思っていたが、今はそれが誇らしく思えた。
私は今悔しい思いをしてるんだぞ、と世界中に宣伝したい気分だった。
私は今までになく頑張った、母親に師事し、足りない分は自主練と読書で補った。
一ヶ月もすると、あの子は引きつった作り笑いをしなくなった。
ある日あの子のボタンが取れかけていた。
私は上着を借り、ボタンを付け直そうとした。
だけど次の日のあの子の上着にそのボタンは付いてなかった。
私は再び悔しい思いをし、もう一度母親に御教授を願った。
一週間後…ボタン付け程度なら楽にこなせるようになった。
友達の勧めで編み物を習う事にした。
手作りのマフラーをプレゼントすればあの子が喜ぶらしい。
秋の間に完成させる必要があるので、少し早めに始めた。
だけど私はあの子の事を考えると居ても立ってもいられず、寝食を忘れて編み続けた。
完成した日に、私は嬉しくなってあの子にあげた。
けどその日は夏至を少し過ぎた頃の話だった。
それでもあの子は、嬉しいよと言ってくれた。
あの子が不良からカツアゲを受けているとの噂を聞いた。
私はすぐさまあの子と同じクラスの不良どもを呼び出し、痛めつけた。
しかし、どうやら目標はその中にはいないようだった。
私は痛めつけた不良から新たな情報を聞き出し、走り出した。
相手は上級生だったが、負ける戦いではなかった。
7人ほど病院送りにした時、また新たな情報が得られた。
カツアゲをしたのは…あの子と名前の似た別人だったらしい。
大晦日の日、私はあの子の家にお邪魔して大掃除を手伝った。
いや、手伝うつもりだったが逆に妨害してしまった。
私は悔しかった、だからいつものように特訓を開始した。
家の中を故意に散らかして、それを素早く所定の位置に戻した。
模様替えも頻繁に行った。
今なら役に立てる自信が有る。
もっとも、今の所はその機会は無い。
除夜の鐘はあの子の部屋で聞いた。
それなりに良い雰囲気になったと思うが、一線は越えなかった。
気安く越えるなと先生に言われたからだ。
私は全身全霊を賭けてあの子を愛した。
だから…どうか嘘だと言ってほしい…
「お互いに…もう別れた方が良いよ…」
そんな事…言わないでくれ…
「じゃあ先輩、さよなら…」
私は病室で一人泣いていた…

2

あれは今から二週間前の話…
あの日の私は少々イライラしていた。
あの子が一緒に昼食を摂るのを拒否した、たったそれだけの事だ。
『たまには先輩以外の人とも付き合わないと…』そう言っていた。
良いではないか、たかが一度や二度疎遠になった位で離れるような友人など放っておいて。
私は…誰よりも健斗を愛してる、誰よりも健斗のためを想っている。
昼食時位は一緒に居ても良いではないか…
頭の浮かぶのはそんな言葉ばかりであった…
私は少々ライラしていた。
たとえ放課後に一緒に中間試験対策をしても、帰りに一緒に寄り道をしても、このイライラは収まらなかった。
だから私は適当に良心の痛まない人種を見つけ出して…病院送りにしようと思っていた。
その日は少し遠出をして、隣町にやって来た。
「黒崎栞(くろさき しおり)だな…悪いがここは通行止めだ。この町の治安が悪くなるのを快くは思わんのでな」
裏路地で、見知らぬ男からそう声をかけられた。
重複するが私はイライラしていた。
誰でも良いから叩きのめしたかった。
今になって思えば…イライラを発散させる手段に喧嘩を選んだのも、いつもより遠出をして隣町まで出向いたのも、
そして相手の実力を測らずに向かって行ったのも…どれか一つでも欠ければ、今の私は病院などには居なかっただろう。
「うるさい…文句があるならかかって来い…」
もしも私が相手の実力を知っていたら…私は恥も外聞も捨てて逃げ出していただろう。
私は『踊る黒い死神』の異名を付けられて、少し慢心していた。
だから…『不死鳥のキラーマシーン』と呼ばれる不撓不屈(ふとう ふくつ)の事なんて知らなかったし、知ろうともしなかった。
  ドンッ!
「…えっ?」
そんな素っ頓狂な声しか出なかった。
何をされたのかがわからなかったのだ。
「まず足だ…」
そう言われて、ようやく私は足を撃たれた事に気がついた。

…少し前に、改造エアガンを持った連中と戦った事がある。
なるほど、あれによって射程距離は大幅に伸びるが、それ以上ではない。
構える、狙う、引き金を引く、概ね銃にはその三行程が必要とされる。
だが素手は、接近しながら撃つ、回避しながら撃つ、撃ちながら構える、そんな事が日常だ。
そして鍛え抜かれた手刀は防弾チョッキすら貫く。
銃は攻撃の動作で攻撃し、防御の動作で防御する。
だがある程度まで訓練された者の体術においては、攻撃の動作と防御の動作は常に同一の存在である。
故に私は、銃を恐れた事は無かった。
だけど違った。不撓不屈の動作に構えは無かった、狙いも無かった。
10mは離れた距離をただの一撃で貫通してみせた。
その動作は、その攻撃は…視認できなかった。
「腕だ」
  ドンッ! ドンッ!
「肩だ」
  ドンッ! ドンッ!
「ぎゃああぁぁぁ…ああぁ…」
私が攻撃の正体がわからず戸惑っていると、今度は4発ほど続けてもらった。
やはり何をやられたのかはわからなかった。
ただ…あの時の衝撃(あまり思い出したくはないが)から考えるに、
何かが高速で飛んで来て私の四肢を貫いたのだと思う。
もっとも…あくまで想像に過ぎないが。
「さて次は…頭か?」
その時私は死を覚悟した。
いや…違うな、死の予感に恐怖した。
もう私は動けなかったし、動く気力も無かった。
そしてあの時私は…不覚な事に失禁してしまっていたのだ。
手足が火傷をしたかのように熱くて、あの部分に生暖かい感触が広がって…ああ、思い出したくない。
それを見たあいつは、まるで家に忘れ物をしたかのような感覚で言った…
「しまった、やり過ぎたか…」
そしてそれと同時に殺気が消えた。
私はそれで気が抜けて…失神した。
次に眼が覚めたのはそれから二日後、今私が居る病室であった。
…ちなみに、当時の私はこんな思考をしていた訳ではない。
確か…痛い、怖い、助けて、以外の単語は消え失せていたと思う。
あくまでこれは回想だからできる考察だ。

3

そんなこんなで私は入院した。
医者が言うには全治一ヶ月だそうだ。
正直に言ってあれだけの傷が一ヶ月で治るとは信じられなかったが、とにかく3週間ほどで
退院できるそうだ。
それも嬉しいが、特に傷跡も後遺症も残らないと聞いた時はもっと嬉しかった。
それと私が発見されたのは病院の玄関前だったそうだ。
それも…本職の眼で見ても見事な処置を施されていたらしい。
まあ、正直に言ってそんな事はどうでも良い。
医者から怪我をした状況を尋ねられたが、知らぬ存ぜぬで押し通した。
そんな事もどうでも良い。
重要な事は一つ。
眼が覚めた次の日に、私の恋人である倉田健斗(くらた けんと)が見舞いに訪れた事だけだ。
それはもう嬉しかった。
思わず飛び上がりそうになる位嬉しかった。
まあ、飛び上がろうにも私の四肢は言う事を聞いてくれなかったが。
「黒崎先輩、大丈夫ですか…」
その言葉は千金にも勝ると私は信じて疑わない。
「大丈夫、この位どうって事はないよ」
「聞きましたよ、全治一ヶ月じゃないですか」
そう言って健斗は腰に手を当て、全身で怒りを表現する。
いや…呆れに近いか。
「すまない、君には心配をかけた…」
「別に…良いですよ…」
そう言う健斗の眼はどこかに泳いでいるかのようだ。
なにか用事でもあるのだろうか?
だが、私は少しでもこの時間を長く感じていたかった。
「やはり、一人は寂しいよ…」
ずるい手だとは思ったが、情に訴えるような言葉を使った。
この子は思いやりがあって、やさしいから…
「あの…すいません、この後用事があるんですよ」
「えっ…?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
「その…先輩、おだいじに」
…ガチャン
我に返った時には、既にあの子は逃げ去るように病室から出た後だった。
何故か…どこか余所余所しく別れを告げたあの子が…

様々な思考が頭の中を交錯した。
あの子に何かがあったのだろうか?
それとも私に何か落ち度があったのだろうか?
まさかあの日かっ!?
…いや、それだけは無い。あの子は男の子じゃないか。
だけどあの子があんな態度をとった時があっただろうか?
そう…良く良く思い出せば心当たりがあった。
あの子が舞踊部に入部して間もない頃はあんな感じだった。
あれから…もう1年と3ヶ月。
まるで大昔のように感じるが、思えば恋人同士になってからまだ3ヶ月しか経っていなかった。
あるいは…飽きられたのだろうか?
いや、そんな事はないっ!
信じるんだ…健斗を…
コンッコンッコンッ…
「健斗!?」
迂闊な事に…私はその一瞬あの子の顔を思い浮かべていた。
あの子が部屋から出て行って数分しかたっておらず、忘れ物でもしない限り戻って来る筈が無いと言うのに。
「失礼する」
  ガチャ…
期待は最悪の…いや、最悪に程近い形で裏切られた。
それは私をここに連れてきた本人…
「お前は…」
…今一番見たくない顔だった。
「その様子では大事には至らなかったようだな」
などと冷静に言われるが、私は到底平静を保ってはいられなかった。
あの時の恐怖が…私の頭の中でフラッシュバックのように蘇っていた。
「何しに来た…」
そう言うのが精一杯の強がりだった。
「なに、お前にどうしても言っておかねばならない事があってな」
静かにそう言った。

怖かった、どうしようもなく怖かった。
この状態が長く続けば、私はもう一度失禁してしまうかもしれなかった。
それだけに…
「すまなかった」
…この落差は大きかった。
私よりも何倍も大きく感じるこの男が…腰を直角に折り曲げて謝罪をしていたのだ。
「なん…で…?」
我ながらあほらしい声が出ていた。
私は自分の置かれた状況が理解できなかったのだ。
「正直に言おう。あの日の俺は少々イライラしていた、その故に必要以上にお前を痛めつけた。
すまなかった、謝罪する」
こいつは頭を上げずに言った。
恐怖は…雲散していた。
「とりあえず頭を上げて…」
「うむ」
たぶん…初めて真正面からこいつの顔を見た。
不思議な事に、怒りも恐怖も浮かばなかった。
それだけこいつの謝罪が意外だったのだろうか?
「とりあえず…名前は?」
「不撓不屈、偽名のようだが本名だ」
驚くほど現実味の無い名前であったが、驚くほど違和感も無かった。
それだけ…こいつの存在自体が現実離れしている証拠なのだろうか。
少しだけ…興味が湧いた。
「じゃあ…不撓」
「何だ?」
「なんでそんなにイライラしてた?」
「ああ…それか…」
不撓の目が泳いだ…
なんとなくバツが悪そうだ。
「実はな…弟がな…兄離れをだな…」
今まで浮かんでこなかった怒りが一気に噴出した。
「お前…そんな事で私に…」
「いや、すまない。本当にすまなかった」
手が思い通りに動くのならひっぱたいてただろう。
そのくだらない理由もそうだが…こいつの表情には既視感があったからだ。
「いや、しかしだな…母さんに二人を頼むと願われた手前、たとえ来るなと言われても
後をつけたくなるのが兄としての…」
そうそう、こうやって何かとつけては理由を作りたがる姿とか…
「たしかに行き過ぎた面もあろう、だからと言って弟にああも拒絶される必要も無かろう…」
そうそう、こうやって非を認めそうになって結局は全然反省してない姿とか…
「第一、あいつはまだまだ子供だ。見ていて危なっかしくて仕方がない」
そうそう、こうやって相手を子供に、自分は大人だと決め付ける姿とか…
ついでに聞いてもいないのにペラペラと喋りだす姿とか…
お父さんに似ていたのだ。
早い話が…こいつは過保護なんだ。
「もういいよ…」
「ああ、すまない。とにかく俺にできる限りの償いはやらせてもらおう」
「それももういいよ…」
もう興味は無くなっていた。

4

恋の始まりに理由は存在しない。
誰かがそんな事を言っていたような気がする。
小学校の頃、一人の男の子と席が隣同士になった。
出会ってみてわかった。その子はとても優しいが、とても筋が通っている。
正確には、いつも筋を通そうと努力している。
自分が正しいと思う時は決して退かない、自分が間違っていると気がついた時は一生懸命謝る。
当然の事だけど、私が知る限りそれを貫いているのはその子だけだった。
それでいてその子はとても優しい。
昔の私は割と物忘れが多い、失敗も多い、要は鈍臭かった。
その子はいつでも少しだけ怒って、そして最後には必ず笑ってくれた。
教科書を見せてくれた事もあった、一緒に謝ってくれた事もあった。
私は少しでも恩を返したかった。
一生懸命に失敗を減らしていって、男の子が喜ぶような事をなんでも学んでいった。
そしたらその子は、ちゃんと褒めてくれた。
私がその子を好きになるのに、そう時間は必要無かった。
恋はいつだって理不尽だ。
私はそう思う。
私の想い人には…倉田健斗には…恋人がいる。
三ヶ月前から、部活の先輩と付き合っている。
倉田君に好きな人がいると知ったのは、それよりもずっと前だった。
はっきり言って私は油断していた。
その理由は二つある。
倉田君の見た目は割と平凡だし、その良さを見極めるには相当注意深く見ていないとわからない。
勉強もスポーツもかなり目立たない。
現に過去において倉田君に告白を慣行した女子は一人もいなかった。
もう一つの理由は、好きになった相手がかの有名な黒崎先輩だった事だ。
噂によれば、黒崎先輩は異性同性を問わずとてつもなくモテる、だが一度たりとも恋人を作った事は
ないらしい。
彼女に告白して玉砕しなかった人間は一人もいないのだ。
以上二つの理由から、私は油断していた。
どうせ玉砕するのなら、手出しをする必要は無い。
いっそのこと失恋した直後に上手く立ち回れば、倉田君との関係を今度こそ改善できるかもしれない。
そんな事を考えていた。
でも…現実は非情だった。
倉田君は嬉しそうに…本当に嬉しそうに私に報告してきた。
「恋人が…できたんだ」

なんでもっと早く倉田君に告白しなかったんだろう。
私は嘆いた、そして大声で泣いた。
まるで全身が涙で浸されたかのように私は泣いた。
後で聞いた話だと、家中に私の泣き声が聞こえたらしい。
いっそのこと学校をやめてしまおうかと思ったが、それはできなかった。
これ以上倉田君との接点が減るのは耐え切れなかったし、倉田君はいつものように笑ってくれていた。
そんな微笑を見ている間は、私はどんな時よりも嬉しく感じる。
でも…倉田君と会える時間は大きく減った。
休日に遊びに行く事はできなくなったし、昼食を誘う事もできなくなった。
もっとも、昼食を一緒にする事なんて滅多に無い。
私の女子高生としての面子のような物が邪魔したからだ。
高校生にもなると男子と二人っきりになるのは恥ずかしいし、下手をすると友達が減るかもしらない。
そんな事情が私を躊躇させていた。
もしこんな事になるとわかっていたら…恥も外聞も捨て去っているだろうに…
私にできる事は後悔する事だけだった。
あの時にああしていれば…
あの時にああしていれば…
幾多の妄想が産まれた。
幾多の後悔が産まれた。
幾千万の…夢を見ていた。
私にできる事は嫉妬する事だけだった。
教室まで迎えに来る黒崎先輩を。
倉田君にお弁当を渡す黒崎先輩を。
照れ隠しに関節を捻る黒崎先輩を。
あんなにも倉田君の近くに居る黒崎先輩を。
私はこんなにも惨めな立ち位置に居るのに…
黒崎先輩は何もしていないのに…
ただ告白されただけ、ただ好かれただけ。
私と違って…
でも…天は私を見捨てなかった。
二ヶ月もした頃、倉田君がなんとなく黒埼先輩を避けているような気がした。
最初は気のせいかと思った。
だけどそれは少しづつ確信に変わっていった。
早い話、私は倉田君を諦めてはいなかった。
だから私は今までと同じように…いいえ、今まで以上に倉田君の挙動に注目していた。
だからわかった、倉田君の顔から少しづつ…本当に少しづつ嬉しそうな顔が消えていってた事に。
私は今更ながら決心した。
もう恥も外聞も関係ない、私は倉田君が欲しい。
そしたら胸のモヤモヤが嘘のように晴れ渡り、気がついた時には言っていた。
「倉田君、たまには私と一緒にお昼を食べない?」
倉田君は少しだけ驚き…少しだけ悩んだ後に…こう言った。
「うん、良いよ」

5

密会の場所は校舎裏を選んだ。
「はぁ…やっぱり持つべき物は料理の上手な友達だねぇ…」
「倉田君は相変わらず大げさだねぇ…」
でも…こんな光景は何年ぶりだろう…
私の隣に倉田君が居る。
たったそれだけで心が躍る、たったそれだけで胸が燃える。
それに倉田君は最近笑顔が少ない。
私に向ける笑顔は元より、私以外の人に向ける笑顔もだ。
だからこそ…こんな些細な微笑が何よりも尊い。
「ねぇ最上…ちょっと愚痴を言っても良いかな…」
倉田君がそっと呟いた…
私はもう一度思った…天は私を見捨ててはいないと。
実は最初からこの話題に持って行けない物かと考えていた。
倉田君から笑顔が消えた理由を聞いてそれを何とかすれば…
いいえ、場合によっては聞くだけでも、私の評価は上がるハズ。
そんな自分でも呆れる程に利己的な事を最初から考えていた。
それが私は何もしていないのに倉田君から喋り始めた…私は天の意思を感じずにはいられなかった。
いいえ…もしかしたら初めから倉田君は私に愚痴を聞いて欲しかったのかもしれない。
私に救いを求めていたのかもしれない。
助けなきゃ…私が…
私にしかできないから…
あんな女には…できないから…
「私で良かったら…力になるよ…」
「うん…ありがと…」
倉田君は…ゆっくりと言葉を紡ぐ…
「実は…先輩がね…」
案の定と言うか…その内容には黒崎先輩が関わっていた。
でもそれは決してノロケなんかじゃない。
やっぱり倉田君は黒崎先輩に不満を抱いているんだ。
やっぱり黒埼先輩じゃ役不足だったんだ。
そう思うと闘志が湧いてきた。
「本当はこんな事言っちゃいけないと思うんだけど、最近ちょっと重圧みたいなのを感じてるんだ…」
「そうなの…」
顔では心配そうな表情を作りつつ…本当は大笑いしたい気分でいっぱいだった。

「例えば毎日作ってもらうお弁当」
「美味しくないの?」
「いや…前はともかく今はそうでもない」
…ちょっと残念。
「じゃあ何が不満なの?」
そう、それが(私にとっては)一番重要なのだ。
倉田君はかなり深刻な顔をして…
「おかずが僕の嫌いな物を狙い撃ちしてくる…」
「うわぁ…」
それは…かなり切実だと思った…
自分で言うのも何だけど、私は倉田君の好みは熟知している。
だけど黒崎先輩はそんな基本的な事すら心得ていないみたいだ。
「行きも帰りも一人歩きさせてくれないし、寄り道もできないし…」
さらに愚痴っぽくなってきた…
「なんか電話とかメールとか多いし…しかもほとんど意味無いし…」
な…なんか倉田君のキャラが変わってる気も…
「急に他人の部屋に押しかけるし…勝手に掃除を始めるし…あまつさえエロ本の隠し場所を暴くし…」
痛い…理由は不明だけど胸が痛い…
「しかも全部が日を追う毎にエスカレートするし…」
倉田君が私にこんな発言をするのは初めてだった。
それだけ…追い詰められてたんだ。
「………」
「最上…」
私は…倉田君を抱きとめていた。
「ごめんな…こんな話聞かせちゃって…」
「謝らなくて良いよ…」
「………」
「………」
「最上…」
「どうしたの?」
「この体勢恥ずかしんだけど…」
「わっ!?」
慌てて体を引き剥がしてしまう。
どうも未だに私のプライドと面子が邪魔をしているらしい。
まあ…いいや。
勝負を急ぎすぎるのも良くない。

…次の日。
私は黒崎先輩を打倒する策を導き出すために、必死に頭を回転させていた。
そんな時だ、友人が私にとんでもないニュースを伝えてくれた。
「ねぇ可奈、知ってる?」
「何の話?」
「3年の黒崎先輩がね、大怪我して入院したんだって」
「それ…本当にっ!?」
「本当だって、何週間か学校も休むらしいよ」
この時、私は確信した…天は我に味方せり。

6

「倉田君っ!!」
「なっ…何、いきなり!?」
「今こそ飛躍の時、我が志は千里に在り!」
「いや、だからさ…」
…倉田君が引いている。
いけないいけない、どうやら地の文が言葉になっていたらしい。
「まあ、冗談はさておき」
「冗談ですか…そーですか…」
良し、とりあえず誤魔化せた…と、いう事にしておこう。
「倉田君の祈りが天に通じたんだよっ!」
「祈り…?」
…駄目だ、わかってないこの人は。
「黒崎先輩、入院」
「へっ?」
「大怪我、意識不明」
「ええええぇぇぇぇっ!?」
…どうやら知らなかったらしい。
「最上、一応聞くけど本気なの?」
「えっと…私も他人から聞いただけなんだけど…」
「そういえば、昨日は珍しく先輩から何の音沙汰も無かったな…」
「珍しいんだ、それって…」
「そうだ、一応こっちからでも連絡は…」
そう言いながら倉田君は携帯電話を取り出して…
  ピッ、ピッ、ピッ…
「………」
「………」
「どう…?」
「電源が切れているか、電波の届かない場所にうんぬんかんぬん…」
「決まり…かな?」
「たぶんね…」
どうやら噂は本当だったらしい。
後はこの状況をいかに利用するかだ。
「まあ、あの人はああ見えて生傷が絶えない人だからね…」
「倉田君、遊びに行こうっ!」
「ええええぇぇぇぇっ!?」

「いやさ、流石にこの場はお見舞いに行くべきだと思うんだけど」
倉田君は正論を言う。
セオリー通りなら正論には勢いで対抗すべし。
とは言え倉田君はそう簡単には考えを曲げたりはしない、それが正論ならなおさらだ。
だがしかし…私には倉田君が揺れているのが見える。
そして私は今、上り坂に居る。
倉田君に考える時間を与えない事…とにかく即効で勝負をかけるしかないだろう。
「今行ってもまだ寝てると思うよ」
「いや…まあ…それはそうだけど…」
「良い?倉田君、ストレスを溜め込んでほっとくと後でとんでもない事になるんだよ」
「それは…まぁ…」
「だったら遊びに行こう、このままじゃ倉田君にとって良くないよ」
「えっと…」
「黒崎先輩と別れるにしてもこのまま付き合うにしても、ちゃんと息継ぎくらいはしておかないと
溺れちゃうよ」
もっとも、後で是が非でも別れさせるけどね…
「………」
「遊びに行こう、息継ぎしよう、発散させよう」
「でも…先輩に悪いし…」
「仮にも恋人にストレスを感じさせる人の方が絶対に悪いっ!」
「………」
「………」
「良いの…かな?」
折れた…
倉田君の良い所は人の話はちゃんと聞く事、聞いて理解した後でちゃんと考える事。
普段の倉田君が相手ならともかく、迷いを持つ倉田君が相手なら言い包める手はあるのだ。
「明日の…いいえ、今日の放課後に…宝瓶水族館で良い?」
「用事は…無いけど」
まだ迷ってる。
もう一押しが必要らしい。
「倉田君、黒崎先輩が怪我をしたのは誰のせいなの?」
「えっ…と…」
倉田君は本気で考え込む…
私個人としては天が私に味方したせいだと思うけど…
まぁ、そんな事はともかく。
「断言しても良い、倉田君のせいじゃないよ」
「最上…」
「そんな暗い気分のままじゃお見舞いに行っても先輩は喜ばないし、それどころか倉田君にも良い事ないよ」
「かもね…」
倉田君はまだ納得していなさそうだ。
まぁ…ある程度は仕方ないか。
「午後3時、宝瓶水族館で待ってるから」
とりあえず言いたい事はだいたい言った、ならば倉田君にゆっくりと考える時間を与えてあげるべきだろう。
私は倉田君の教室を後に…
「ありがと…」
「…えっ!?」
振り向いた時には、倉田君はもう自分の席に向かっていた。

7

「結局…来てしまった…」
黄道町の宝瓶水族館と言えばデートスポットしてそれなりに有名な場所だ。
仮にも恋人の居る僕がここに来る事は本来不自然な話ではないと思う。
でも…他の女性と一緒に来る場合は話は別となる。
「でも…断れないよなぁ…」
思わずぼやきが口に出る。
不覚にも最上の言葉に一理有ると思ってしまった。
僕は昔ほど黒崎先輩を好きじゃないのかもしれない。
そう、まるで…まるで…なんだろ?
あんまり漠然としすぎる考えで、今の僕には言い表せない。
けれどなんとなくわかる事もある。
黒崎先輩と僕は対等ではないという事だ。
そりゃあ向こうの方が年上だし、部活での先輩後輩の関係でもある。
けど…何と言うか…その格差が僕の想像を遥かに超えていたんだ。
いや、格差と言うのは適当じゃない。
言うなれば…黒崎先輩はまるで姉のような、母のような、そんな保護者の目で僕を見ているような気がする。
そう、つまり…
ああ、ようやくわかった。
さっきはわからなかった漠然とした考えがまとまった。
要は過保護すぎるんだ。
でも断れなかったのはそれだけじゃない。
もう一つの原因、それはもちろん最上だ。
小学校からの腐れ縁で、でも全然嫌だとは感じなくて、昔はまるで妹のように僕を慕ってくれて、
僕自身もなんだか放っておけなくて、そして今ではこんなにもしっかり者になった…
恋してる…と決め付けるのは早合点だろう。
でも、最上が昼食に誘ってくれた時に嬉しいと感じた。
最上には安心して愚痴を言えた。
最上が遊びに行こうと言った時に嬉しいと感じた。
そして、今も最上を待ち望んでいる。
僕は…壊れてしまったのだろうか?
僕には最上の誘いを断る事ができなかった。
本来ならば絶対にしてはならない…人道に反した行いを承諾してしまった。
だって最上が…自分が最上の世話を焼く事はあっても、自分が最上の世話を受ける事は無いと思っていた
最上が…
あんなにも僕の事を真剣に考えてくれたのだ。
僕にそれを止める事などできやしない。
だから受けよう、甘んじて受けよう。
たとえ人から後ろ指を指されようとも…
さて、難しい事を考えるのはここまでにしよう。
僕の待ち人が…最上可奈が…来たようだ。

「ごめん、待った?」
「ううん、今来た所だよ」
「本当にごめんね、待たせちゃって」
「良いよ、その代わりたくさん楽しませてね?」
「ううぅ…なんて良い子なんだろう…」
「そんな、大げさだよ」
「最上…いや、可奈。僕は実は君の事が…」
「くっ…倉田君!?そんな…まだ心の準備が…」
  ゴゴゴゴゴゴゴゴ…
「きゃっ…何なの!?」
「地震だっ!!」
  ゴゴゴゴゴゴゴゴ…
「きゃあああぁぁぁ…」

 ゆっさゆっさゆっさ…
「可奈〜、いい加減に起〜き〜な〜さ〜い〜」
「…むにゃ?」
「おはよう、そこで寝られると掃除の邪魔なんだけど」
「………」
「………」
「夢えええぇぇぇっ!!!」
「元気ね、あなた…」
「今何時っ!」
「えっと…3時4分」
「いやあああぁぁぁっ!!!」
  ダァッシュッ!
「本当に元気ね…」

やばい、本当にやばい…
宝瓶水族館までの道のりを私は全力疾走していた。
昔からそうだ、重要な局面であればあるほど失敗が増える。
学校から水族館まで急ぎに急いで15分はかかるから、仮に倉田君が時間通りに来たとすれば
20分も待たせる事になる。
もちろん、倉田君が時間ピッタリに来るなんてありえない。
あの人は伊達に無遅刻無欠席を誇ってはいない。
どうか帰っていませんように…帰っていませんように…居た!
「ごめん、待った?」
「ううん、今来た所だよ…って、最上、どうしたのそんなに落ち込んで?」
「いや…なんか既視感が…」
しかも台詞が逆だし…
「倉田君、実際の所どのくらい待ったの?」
「大丈夫、たいした時間じゃないよ」
嘘だ…絶対に嘘だ…
倉田君の性格から言って、最低でも30分は待たせているような気がする。
「まぁ、そんな事はどうでも良いよ。行こう、今日は楽しまなくちゃね」
「ご…ごめん…」
「謝らない、謝らない」
はぁ…今日は倉田君を楽しませて、あわよくば好感を持たせようとする予定だったけど…
大丈夫かな…これで。

結果…駄目でした。
鮫の水槽の前で抱きついたら、姿勢を崩して倉田君の頭を水槽に強打するわ。
その場面を係員に目撃されて注意されるわ。
イルカのショーで水を被って、結果的に倉田君の制服を奪ってしまうわ。
アイスクリームを借り物の制服の上に落とすわ。
高校生にもなって迷子になるわ。
売店で売り物のマグカップを見事に割るわ。
財布を落とすわ。
そのおかげで壊したマグカップ代を倉田君に負担させるわ。
もう一つおまけに財布を捜すのを手伝わせるわ。
好かれる要素は一つも無い。
そしてわかった事が一つ…普段はともかく、緊張すると失敗が多くなる癖は全然治ってなかった。
私は楽しかった。
久しぶりに倉田君と遊びに行ったんだ、楽しくない訳が無い。
けど、今日の本来の目的は倉田君の息抜き…その点で言えば、駄目駄目だった。
「今日は本当にごめんね…」
「最上?」
「倉田君…楽しくなかったよね…」
「いや、そうでもないよ」
「気を遣わなくても良いよ…」
私の目には大粒の涙が溜まっていた…
悔しくて…悔しくて…
そんな時、視界に青い布が入ってきた。
「泣いてても良いよ、そしたら僕はハンカチを差し出すだけだから」
「倉田君…」
私はそのハンカチをひったくるように奪った…
私にはそれしかできなかった。
「ごめん…ごめんね…」
「実はさ、僕もけっこう楽しんでたんだ」
倉田君は誰に聞かせるでもなく、独り言のように言った。
「こうしてると、誰かに必要とされてるんだなって思えるし。こんな事を言うのも何だけど、
失敗する最上もけっこう可愛いし」
「倉田君…」
「それに嬉かった」
「嬉しかった…?」
「うん、だって自分の事を真剣に考えてくれる人が居るんだよ、こんなに嬉しい事は無いと思うよ」
「そんなの…」
私はそんなに偉い人じゃない。
私は倉田君が思っているほど純真じゃない。
私はすごくたくさんの下心でいっぱいなのに…
そんな事は言い出せなかった。
「だから…ありがとう」
「倉田君…」
私はこの日、倉田健斗に惚れ直したのだった。

8

僕は今、白羊病院に居る。
黒崎先輩のお見舞いをするために。
混沌と言う言葉がある。
今の僕の心境を表すのにここまで適切な言葉は無いだろう。
あれから妙に最上が僕に構ってくるような気がする。
一昨日は人馬遊園地、昨日は双魚商店街。
一度受けた手前、僕は最上に誘われるままに遊びに行った。
まあ、その度にけっこう酷い目にあったような気もするけど、それでも楽しかった。
不覚にも、許される物ならもっと味わっていたいと思ってしまった。
でも許されはしない、人道からも僕の良心からも…きっと黒崎先輩からも。
いや、今のは正確じゃない。
僕の良心は…少しづつ、本当に少しづつ呵責を弱めていた。
それでも僕の良心は今の所は健在だった。
本当は…今日も最上から誘われていた。
けど今日は断った、今日だけは断りきれた。
昨日の夜に黒崎先輩の意識が戻ったと連絡があったからだ。
僕の良心は、黒崎先輩への想いは…まだ完全に死んだ訳でもなかったみたいだ。
最上は少しだけ悲しそうな眼をして…ただ一言、『待ってるから』と言った。
僕の足は…僕の腕は…辛うじて止まってくれた。
いっその事あの時あの場で最上を抱きとめてしまえばどれだけ楽になれただろうか?
でも僕には恋人が居た、どんなに想い離れていても恋人が居た。
曲がりなりにも僕の方から告白して恋人になってくれた人が居た。
そんな訳で僕は今、白羊病院に居る。
黒崎先輩への想いが本当に死んだのかどうかを確かめるために。
良し、考えはまとまった。
僕がここに来た目的も定まった。
もういつまでもドアの前に立っている意味は無い。
僕はもう一度ドアの上に取り付けられたプレートを読む。
『黒崎栞』たしかにそう書いてあった。
ご丁寧な事に個室であった。
僕は軽く深呼吸をして…ドアをノックした。
コンッコンッコンッ…
「はい、どうぞ」
声が聞こえた…何日かぶりに聞く黒崎先輩の声だった。
「黒崎先輩、入りますよ」
「健斗か!?ちょ…ちょっと待ってくれ、まだ髪に寝癖が…」
「怪我人が余計な事を考えないでください、入りますよ」
  ガチャッ…
「健斗…」
「おはようございます、先輩」
先輩が居た、頬を赤らめ先輩あからさまに慌ててるが…普段は絶対に見る事のできない慌てている先輩が…
不覚にも…可愛いと感じてしまった。

手の動かせない先輩の代わりに髪を軽く梳かす…
こうやって僕が先輩の世話を焼くのなんていったいどれだけ昔の話だっただろう?
最近はともかく、昔は私生活に関しては限り無くズボラだったな…
…っと、いけない、口元がにやけそうになっていた。
いくらなんでも怪我人の前で妙な顔はできない。
それに…僕の頭に最上の顔が浮かんでいた。
仮にも恋人である人の目の前で、僕は最上の事を考えていた。
だから僕は…僕は思いっきり顔を引き締めて言った。
「黒崎先輩、大丈夫ですか…」
「大丈夫、この位どうって事はないよ」
それはあからさまな強がりだとわかった。
現に先輩の両腕にはギブスが取り付けられているし、先ほどお医者さんからも容態を聞いたばかりだ。
「聞きましたよ、全治一ヶ月じゃないですか」
そう言うと今度はしゅん…とした顔になり、しおれてしまった。
こんなにも弱々しい先輩を見るのは初めてかもしれない。
僕はまた…胸が熱くなるのを感じた。
いつか…そう、いつか感じた感覚を覚えた。
「すまない、君には心配をかけた…」
しゅん…として、顔を下に向けたまま言った。
昔は…先輩と付き合い始めた頃は、こんな顔を頻繁に見ていたような気がする。
もう遥かな昔のように感じる日々が蘇ってきていた。
「別に…良いですよ…」
そう答えるのが精一杯だった。
僕にはそれしかできなかった。
一瞬でも気を抜けば今すぐにでも抱きしめたい衝動があった。
それでも僕の想いがそれを止めていた。
僕が最上に対して抱いている想いが…おそらく昔の黒崎先輩に対して抱いていた物と同質の想いが…僕を拘束していた。
だから逃げた…
「やはり、一人は寂しいよ…」
…先輩がそう訴えた。
僕を必要としているのがわかった。
今更ながら気がついた、僕は誰かから必要とされるのに弱い。
僕は助け舟を求められるのに弱い。
…とても弱い。
最上からも…黒崎先輩からも…これは僕の己惚れなんだろうか?
だから逃げた…
「あの…すいません、この後用事があるんですよ」
「えっ…?」
僕は呆気に取られる先輩にそう言い放ち、逃げた…
「その…先輩、おだいじに」
…ガチャン
逃げた…僕は逃げた…紛れも無く逃げた…
最上を想っていた、黒崎先輩を想っていた…僕にはその違いがわからなかった。
良心が最上への想いを捨てろと言った、良心が先輩への想いを捨てろと言った…僕にはその違いがわからなかった。
「先輩…なんで今更…そんな顔をするんですか…」
僕はそう呟いていた。

9

「はぁ…」
思わずため息が出ていた…
さっきからずっとこんな感じだ。
「ごきげんよう」
「えっ…?」
そんな時、誰か…聞き覚えの無い声が僕に呼びかけた…ような気がした。
「ごきげんよう、倉田先輩」
いや…どうやら僕を呼んでいるらしい。
声がした方向を向くと…そこに居たのはやっぱり知らない女の子だった。
「えっと…僕?」
「他にどなたがいらっしゃるのですか?」
やっぱり僕が対象だったらしい。
でも…やっぱり僕の記憶にこの子はいない。
…いや、本当にそうか?
「どうかなされましたか?」
「ごめん、ちょっと待ってて…」
黄金の髪、ターコイズブルーの瞳。
月並みな表現だけど、まるでフランス人形のような佇まい。
昇龍高校の制服、頭に巻かれた赤ハチマキ。
そしてハチマキに筆文字で書かれた『不殺』の文字。
ここまで特徴的な人物を僕は忘れたのか?
いや…確か…この間校内新聞の写真で…
「新生徒会長…」
「あら、光栄ですわ」
その瞬間、僕の全身が凍りついた。
「なっ…なんで生徒会長がこんな所に!?」
「あら、少し考えればすぐにわかると思いますけど」
言われてみれば…今度の生徒会長は不良撲滅政策を推し進めているって噂を耳にした事がある…
考えてみると、黒埼先輩の素行はお世辞にも良いとは言えない…そしてここは病院…
とすると…
「まさか…傷ついた黒崎先輩にトドメをっ!」
「………」
「………」
「「………………」」
うわ…嫌な沈黙だ…
「…聞かなかった事にしておきます」
「…違うよね…やっぱり…」
そしてこの状況下で最後まで笑顔を絶やさなかった会長も立派だ。
「怪我人か見舞い目的以外に病院に足を運ぶ方がおりますか?」
「もしかして…誰かのお見舞いかい?」
「どちらかと言えば敵情視察ですわ」
「はぁ…」
なんか不思議な子だな…

で…途中で妙な人物と出会ったが、僕はそのまま帰路についている。
僕には考えなければならない事が山ほどある、生徒会長に構っている時間なんて本来は無いんだ。
そう…頭に浮かぶのは…
先輩と最上…二人の人物が同時に浮かび上がってくる。
胸が熱い…この感覚は…そう、僕が今まで恋だと思っていた感覚…
もしこれが恋ではないとすれば、僕は今まで黒崎先輩を何だと思っていたのだろう。
もしこれが恋だとすれば、僕は最低の人間だ。
まだ日が高い。今からでも駅に行けば最上が待っているだろう。
今回はお金をかけずに駅前を散歩がしたいらしい。
でも…さっきまでならともかく、今の僕にそうする資格は無い。
いや、先輩との関係を清算していない点においては、さっきも今も同じかな…
僕は一体どうしたんだろうか?
最初に先輩を好きになって、だけどそれは段々と冷めていって、そして最上に惹かれて、
かと思ったらまた先輩に惹かれ始めている…
僕は…なんて節操の無い人間なんだろうか…
これから…どうしようか…
自分の心のままに行動したら…まず間違い無く先輩の恐怖の整体フルコースが待っているだろう。
最上からもきっと嫌われる。
かと言って、このままの気持ちで先輩と付き合い続ける自信も無い。
なら…どうしよう…
「先輩」
後ろから例の生徒会長の声が聞こえた。
振り向くと…案の定、赤ハチマキが見えた。
「君は…もうお見舞いが終わったの?」
「いいえ、先客がいらしたので日を改める事にしましたの」
「へぇ…じゃあ、君もこっちが帰り道なの?」
「それも違いますわ。先輩に言い忘れた事がありまして、それで急いで後を追ってましたのよ」
「僕の?」
「ええ」
なんだろう…この子が僕に用事って…
「それで、言い忘れた事って何?」
「ええ、私とて生徒会長の端くれです、悩み事があるのならいつでも相談をお受けいたしますわ…と」
なるほど…どうもこの子にはバレバレだったらしい。
意外と洞察力があるんだな。
でも…この問題は僕が僕自身の手で解決すべきだろう。
「ありがとう…でも、気持ちだけ貰っておくよ」
「あら、悩みは話すだけでも多少は楽になる物ではなくって?」
「それでもだよ…」
「将棋やチェスでは当事者よりも傍観者の方が良い手を思いつき易いそうですわよ」
「かもね…」
でも…この問題に関しては他人の手は借りられない。
「わかりました。ですが、本当に困った時は必ず私を頼ってください。いつでも相談に乗りますわ」
「ありがとう…」
そう言うと会長は上品に頭を下げ、立ち去って行った。
当事者よりも傍観者の方が良い手を思いつき易い…それなら、一度距離を置いて冷静になるのも手かな…
少しだけ頭が軽くなったような気がする。
もしそれが狙いだったとするなら、あの小さな生徒会長は大変な大物なんだろうな。
そんな事を考えながら、僕は再び帰路についた。

10

妙だ…
私が入院してからもう二週間…あの日以来健斗が全くお見舞いに来ない。
最初は忙しいのかとも思っていたが、土曜も日曜も来ないのは合点がいかない。
嫌な予感がしていた、とてつもなく嫌な予感がしていた。
そしてそれと同時に嫌な妄想が私の頭に湧き上がった。
誰か知らない女に微笑む健斗。
誰か知らない女と手を繋ぐ健斗。
誰か知らない女と抱き合う健斗。
誰か知らない女に誘惑される健斗。
誰か知らない女とホテルに入る健斗。
誰か知らない女の××を×××て××××…
「駄目だっ!それだけは駄目だっ!」
「何を訳のわからん事を言っている…」
「不撓!?いつから居たんだ?」
いつの間にやらベットの側に不撓が立っていた。
「お前が悶えている間はずっとな。そんな事より何を考えていたのだ?」
「えっと…」
確かホテルに連れ込んだ後に…
「誰か知らない女の全身を強打してとどめを…」
「もういい…」
無論、主語は『私』だ。
「もういい…」
一週間の間に私の予想よりも多くの人が見舞いに来てくれた。
中には初対面の人物まで居た程だ。
それでも二度以上見舞いに来る人物は非常に稀で…それでも毎日見舞いに来てくれた人物が一人だけ居た。
「だいたい怪我人は怪我人らしく大人しくしていたらどうだ?」
…こいつだ。
不愉快な事に、こいつだけが何故か毎日ここにやってくる。
「私が五体不満足になったのは誰のせいだ?」
「…すまん」
最初は不撓の顔が見えるたびに恐怖が蘇ってきたものだ。
だが今は慣れたのか不撓が理不尽な暴力を振るう奴ではないとわかったからか、
どちらにせよ今の私は普通に不撓と話せるようになっていた。
まぁ、それが良いか悪いかはこの際置いといて…
「なんでわざわざ毎日現れるんだ?」
「前にも言っただろう、償いを済ませねば気分が悪いと」
不撓は何を今更、とでも言いたげに言う。
「だから何度ももういいって言っただろう、しつこいぞ」
「ほぅ…それは残念だな、病院食は不味かろうと思って軽食を用意しておいたのだが…無駄だったか」
「………」
「………」
  ぐうぅ…
「食べる…」
「そうこなくてはな」
不撓の言う通り、病院食はあまり美味しくない上に量が少ない。
それに誰が作っているのかは知らないけど、不撓の持ってくるお弁当は以外に美味しいのだ。
私はようやく少しづつ動かせるようになった両手でそれを受け取った。
蓋を開ける…うん、悔しいけど美味しそうだ。
「不撓、そういえばこれは誰が作ってるんだ?」
「俺だが…それがどうした?」
…は?
「不撓が作ったのか!?これを」
「そうだが…どうしたのだ?」
欝だ…
私の料理の腕はまだまだ発展途上だが、まさか男に負けるなんて…
「一応聞くけど、なんでこんな事までできるんだ?」
「学べる物は何でも学ぶのが俺の信条だからな」
「なぁ不撓…もしかして暇なのか?」
「さあ、どうだろうな」
「暇なのか…」

コンッコンッコンッ…
ノックの音が聞こえた。
「はい?」
「黒崎先輩…倉田健斗です」
「けっ…健斗!?」
拙い時に現れた…
来てほしいとは思ってたけど…よりにもよってこんな時に。
「知り合いか?」
「いやその…恋人…だけど…」
  ガチャン…
…あ。
「あの…お取り込み中でしたらまた来ますけど…」
「違うんだ、こいつとは何の関係も無いんだ」
「先輩?」
拙い…非常に拙い…
何が拙いかって?
私が冷静さを欠いている事が…
「どうやら俺はここで退散するべきのようだな」
「あのっ!本当にお取り込み中なら…」
「かまわんよ。そんな真剣な眼をした男の前に立ち塞がる事などできん」
「あ…不撓…」
  …ガチャン
そう言うと不撓は一度も振り向かずに去って行った。
気を利かせてくれたのだろうか?
私は健斗と久しぶりに二人きりになっていた。
「………」
「………」
駄目だっ!会話ができんっ!
健斗も私も会話ができる状態ではなさそうだった。
だが…この硬直を打ち破ったのは健斗だった。
「あの…先輩っ!」
「なっ…なんだい?」
お…落ち着け心臓、静まれ高熱。
体はすでに私の制御から離れていた。
健斗が居る…それだけで全身が震えていた。
それが…
「その…別れ…ませんか…」
「…えっ?」
…一瞬で静まった。

To be continued...

 

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