不吉な予感に引きずられて伊星先輩の家に着いた時には、既に何もかもが終わっていました。
切断された扉からこぼれている血の匂い。
室内の明かりがはっきりと、倒れ伏している御三方を私に見せてくれました。
その内の女性二人、新城先輩と木場先輩は、事切れていました……。
木場先輩の胸を貫通している日本刀、床に散らばっているダーツ。
何が起きたのかは、概ね想像できました。
二人の争いは殺し合い、という形で終結したのです……。
後日、その事件は新聞の一片に載りました。
本物の新聞沙汰になり、私が記事を書くどころではありませんでした。
一人気を失っていただけの伊星先輩は、現場からすぐに警察署に引っ張られて、
もう何日も姿を見せません。
もちろん、学校やその周辺では大騒ぎです。
冬休みが終わってからも校門前で新聞記者が、出入りする生徒を捕まえては、
何だかんだと質問責めにする、という光景が繰り広げられました。
ワイドショーによくある、被害者はどういう人だったのか、と云うやつですね。
私は答えるのが嫌なので、集団に紛れてこっそりと、目立たぬようにして回避しました。
記者に根掘り葉掘り尋ねられることがいかに不快か、この立場に来て強く感じます。
卑怯ですね。
しかし、あまり心苦しい、等とは思わない自分がいます。
二人の相打ち、共倒れは、私の理想とするところではありませんか。
伊星先輩に固執する二人が一気に消えたことにより、私の狙いはずっと外れにくくなったのです。
理解を得るためのテクニックとして、感情の共有、というものがあります。
強いショックを受け、苦しんでいる人には、同じように苦しんでいる人に気持ちが解りやすいのです。
今回は全て同じではありませんが、親しい人を失って辛い伊星先輩と、
己を偽って生活している私の心に共通点を見出し、
繋ぎ合わせることによって深い理解が得られるようになるはずです。
そしてそれは、伊星先輩の立ち直りを早める効果も期待できるでしょう。
先輩が学校に復帰したときには、私がすぐに秘密を打ち明ければいいのです。
互いの利に沿った、最良の展開ですね。
頭痛を引き起こすノイズは無視です。無視。
事件の日から二ヶ月あまり。
ついに伊星先輩が、学校に復帰したとの情報を得ました。
早速、休み時間に直撃しようとした……のですが、やはりと言うべきか、
教室内は気まずい空気が漂っており、私がずけずけと入っていける気がしませんでした。
かつて新城先輩と木場先輩が下駄箱前で対峙していた時とは、質が違います。
一触即発という感じではなく、むしろエネルギーが根こそぎ吸い取られているかのようでした。
二つの机にそれぞれ置かれた花瓶、それによるものだったのでしょうか。
仕方なく放課後に出直したら、肝心の伊星先輩は教室から姿を消していました。
もう帰ったのかと思いつつ捜して回ったら、意外な所で見つけました。
――剣道場。
そこで伊星先輩は、女子剣道部部長と向き合っていたのです。
何事かと入って尋ねようとしたら、部員に竹刀で叩き出されてしまいました。
うう……先輩は中に入れるのに、私は追い払うなど不公平です。
それから部活終了まで、先輩は出て来ませんでした。
夜になり、部長たちと一緒に出てきたところで、ようやく私は先輩を捕まえるのに成功しました。
「お久しぶりです、先輩」
「屋聞か。何をしにきた?」
あまり重さを思わせない声でした。しかし何をしに来たとは、何かしに来ると想定していたのですか。
まあいいでしょう。
「復帰との事らしいので、顔を見に。ついでに少し話したいことがあるのですが」
「お前に見せるほどの顔ではないよ」
なぜか先輩は苦笑しました。
……はて、今何か、違和感が……。
「伊星、別件か?」
「そのようです」
一度先輩は剣道部部長と目を合わせて、また私のほうに向き直りました。
「部長さんはお先にどうぞ」
「わかった。お前も……しっかりな」
剣道部部長は先に帰るようです。残ったのは私と伊星先輩の二人。
「話したいことって、取材だろ?」
「違います」
これは本当に、新聞部とは全く無関係です。そんなものより持った大事な、
未来が掛かった話……などと言って引かれては困りますから、少しずつ。
「場所を変えてもいいですか?」
無人の教室に移動して、私と先輩は適当な席に座りました。
電灯はつけません。時間的に、全生徒は下校していることになってますから。
「話が見えないな」
「まだ何も話していないから当たり前です」
事件があっても、その不可解な部分は変わりないようです。
では、始動します。
「直球で言います。私、女なんです」
「……」
先輩のリアクションはありません。
続けて、私は男の振りをしている理由、過去についてざっとシンプルに説明しました。
「……」
先輩は口を閉ざしたままです。
「女である証拠、見せましょうか?」
「それはいい」
否定的なニュアンスで即答でした。こういう時だけ早いですね。
「……」
「……」
さすがにこっちも深い事情を持ち出しているので、うまく口が回りません。
というか、そんなほぼ無反応では、私が間抜けではないですか。
「……何故、俺にそんな話を?」
「それは……」
馬鹿正直に理由は言えません。ここからが勝負です。
うつむいてから上目遣いで先輩を捉えます。
「先輩に、何か慰めになればと思って……」
本来、私が女である事と先輩への慰めは、何の脈絡もないのですが、繋ぐポイントがあります。
席を立ち、先輩の前で私は服に手をかけます。これで気付くでしょう。
“女”“慰め”“服を脱ぐ”、この三つから生み出されることは……。
「やめろ」
よく通った声が教室内に響きました。
私は服を直して座ります。実は、これで上手くいったと言えるのです。
ほんのわずかな時間の出来事ですが、それによって流れは急に変えられました。
親しい人を失った先輩への新たなショックを与えて強引に苦しみをやわらげ、
且つ私が女だという意識を持たせる。だからここは、誘いを蹴るほうが正解なんです。
まあ先輩はすぐ女に手を出すような人ではないですから、始めから私の計算通り。
足掛かりの場、獲得です。
「剣道部で、何をしていたんですか?」
「……マネージャー登録をしてきた」
一度悪くなった空気を時間を待って立て直し、話の再開です。
「男子剣道部ではなく、ですか」
「明日香がやってた剣道……」
先輩は言葉に詰まった、のでしょうか。少し溜めか何かの後、言葉が続きます。
「……を、支えたくなった。支えなくてはいけないと言うか……」
……ふむ。
伊星先輩にとって、新城先輩の剣道とはどういうものなのか、気になります。
聞きたいですが、あまり深入りしては危険な予感がします。
私の目的の初期段階も達成されましたし、控えたほうがいいですね。
「そう思うなら、そうするしか無いですね」
何かしなければならない、と思っている限りは、必ず何かしらの目的を探し続けますから、
即ちそれが落ち込んだ状態からの回復とも取れるでしょう。
先輩の精神が立ち直ったようで、安心しました。
安心、してしまいました。
「女なのに、男としてやっていくとなると……」
教室を後にした校門までの道、珍しく先輩から話し掛けてきました。
「体育はどうしてるんだ?」
「見られないように、こっそり着替えてるんですよ」
「プールは?」
「見学です」
「……別にそのままでいってもバレないと思うが」
「それはどういう意味ですか」
「こういう意味だ」
先輩はペンを持ち、その先で私の胸を突きました。
「っ……」
確かに私は、あの先輩方のように女性としての体躯に全く恵まれていません。
だからこそ、男の振りをしていけるのですが……。
帰り際に少し嫌な話題ですねぇ。
「別にいいではないですか。人それぞれですよ」
「そうだな」
先輩に胸を触られたのは二度目です。ペンだからといって、ノーカウントには出来ません。
後でまた、何か責任を請求しておきましょう。
「では先輩、また……。あまり気を落としませぬよう」
問題ないとは思いますが、精神的な慰めというのは一応。
「部長さんも似たようなことを言っていたな」
……部長さんだって、新城先輩と言う部員を失って、辛いでしょうに。
「俺は大丈夫だから、そっちもあまり気にするな」
「わかりました」
私は先輩に背を向けて、自転車を飛ばしました。
そして翌朝。
先輩は、自ら命を絶ちました。
情報に寄れば、先輩が自分の部屋で死んでいるのを母親が発見したそうです。
その死に様は、体を何箇所もためらいもなく包丁で刺し、
左右の首の血管を切り、部屋を血の海にしていたとの事。
他殺ではないかというくらい、自分でするには残酷すぎると言った人もいるとか。
遺書は無かったそうです。
クリスマスイブの事件が落ち着き始めた頃にこれですから、再び周辺は騒がしくなりました。
通夜には私も行きました。
新城先輩と木場先輩のときと比べて、人は少なめです。
主に集まったのは、今の同級生と、かつての旧友でしょう。
しかし。
何ですか。目の前に広がるのは、旧友と再会して喋りあう、和気藹々とした光景。
まるで同窓会です。
あちこちで話し声と、笑い声が上がっています。
……今まで生きていた中で、これほど人を殺してやりたいと思った時はありません。
「生きてても死んでてもウザいなあいつ」
今の言葉は、聞かなかった事にしてあげましょう。
そんな中、剣道部部長のあの人は、目から一筋だけ涙を流しながら焼香をしていました。
私は後に続きます。
焼香のとき、ふと見た先輩の遺影が、酷くぼやけていました。
駄目ではないですか。私も部活柄……写真には……うるさい、もので……。
「……っ」
ぼやけているのは遺影だけでなく、周りの物、人、全てでした。
「っ、うぅ……」
ああ、
ああ――――。
あの振る舞いは、全て偽りだったというのですか!?
剣道を支えなければならないという思いは、嘘だったのですか!?
大丈夫だと口で言いながら、奥底では死ぬことしか考えていなかったのですか!?
……死にたいならせめて、それを言ってもらえれば、何が何でも止めたのに……。
――後の調べでわかったことですが、先輩の家庭環境は悲惨なもので、
あの事件以来、母親からはいらない息子だ疫病神だと、毎日のように罵られていたそうです。
また、中学では虐めを受けており、それを助け、支えとなっていたのが新城先輩でした。
それならば。
争いを煽って、間接的に二人を消した私は――――!
通夜から帰った私は、まとわりついてくる妹を払って部屋に入り、机から万年筆を取り出しました。
家で新聞や原稿を書くときには、いつも使っているものです。
「……、!!」
意外にも簡単に、手で万年筆はへし折れました。
それは屑籠に放り投げ、ベッドに横になります。
……いくら嘆いたところで、死んだ人は帰ってきません。
それに私は、元々利用するのが目的だったではないですか。
利用しようと思ったけど、死なれておじゃんになった……それだけです。
それだけ……。
もし、利用するだけでなかったら……。
伊星先輩も、救われることがあったのでしょうか……?
(無残) |