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リボンの剣士



38

愛しい人のために全てを賭ける女剣士って、カッコ良くない?

そんな空想にちょっと酔いながら、やっとあたしは最後の敵、木場春奈のいる部屋に着いた。
扉を斬って、真っ直ぐ進んだ突き当りのドアを開けてみれば、コタツに人志と木場が座っている。
見てすぐ分かった。人志は、まだ木場の毒牙に掛かっていない。
良かった、間に合った。
「明日香……?」
目を丸くする人志の向かいで、木場は顔に焦りを浮かべている。
甘かったわね。あたしが泣き寝入りすると思ったら大間違いよ。

「どう……したんだ?」
人志の疑問の答えとして、あたしは刀の先を木場に向けた。
木場をよく見ればサンタのコスプレをしている。クリスマスだからなのね。
真っ赤な服――――服だけでなく、血の赤もまき散らしたい。
「クリスマスプレゼントに、あんたの命をもらいに来たのよ」
シャレを利かせて言ってみたけど、人志は真剣な表情で立ち上がった。
「何を言ってるんだ。性質の悪い冗談はやめろ!」
「あたしが冗談を言ってると思う?」
シャレなら言ったけどね。人志だったら、あたしの本気くらい、わかって当然だと思うけど。
あんまり時間を無駄にしたくないし、さっさと話を進めとくわ。

「そこの女の陰謀で、レイプされたのよ」
あたしには、こいつを殺す理由がある。
「金でその辺の男を操って、ついさっきあたしを……ね」
こいつを殺して、人志を助け出す義務がある。
ううん、義務じゃない。使命よ。人志を狙う女は斬る。
「そんなの、私……知らない!」
木場が急に、声を上げた。
「私じゃない! そんなことやってない!」
あーやかましい。泣きそうな顔、儚いっぽい声、
濡れ衣着せられた悲劇のヒロインを上手に演じてるわ。
初めにあたしと目があったときは、『ちっ、しくじったか』って顔してたのに。
ムカつく。うざい。早く殺したい。

「あんた以外に!!」
もっと大きな声で、わめき散らす木場の声に割り込んだ。
「誰が金を払ってまで、あたしを犯したりするのよ!!」
もう我慢できない。殺そう。
木場の方に一歩進んだら、間に人志が入ってきた。
「明日香……やめろ」
両腕を広げて、木場を隠すように。
……それが、人志の気持ち?
いくらなんでも残酷すぎるわよ。全てを投げ打つ気で助けに来たのに、敵に情が移っていたなんて。
「その女を庇うの?」
タチの悪い冗談を言ってるのは、人志のほうでしょ?

「そうじゃない! ただ、殺すというのはいけな――」

「レイプされるのはいいんだ」

「っ…………」

「殺すのはいけないから、レイプされても話し合いで解決しましょうと、そう言いたいの?」
人志らしくない。話が通じない、暴力ばかりのヤツもいるのを、人志は知ってるはずなのに。

「……」
「……」
「……」
「……どいてよ」
「……それは、出来ない」
「そう……」
騙されてる。人志は、あの女に騙されてる。
人志の目を覚ますには――――こうするしかない。
刀を構えて、刃を横にして、人志の頭に水平に振るう。
――峰打ち。

「――っ!?」
反応できないまま、人志は打たれて気を失い、倒れた。
ごめんね。これも人志を助け出すためだから、我慢してね。
改めて木場の方に向き直ると、冷ややかな視線に迎えられた。
「最低」
心の底から軽蔑している感じの低めの声で言い、目を細めている木場。
「自分の事?」
あたしの返しに答えないで、木場は手を大きな袋に伸ばす。
もちろんあたしのする事は一つ、さっさと斬る!

「死ね!」
最高のスピードで踏み込んで、木場の頭めがけて縦に斬り下ろす。

捕えた!

……と思ったら、木場の動きが急に早くなって、よけられた。
刀を振った直後に、少し離れて転がるサンタが視界に入っている。
大きな白い袋が開かれ、木場はその中から何かを取り出した。
それをあたしに向かって投げつける。
飛んできたのは、細い針と風を切る羽がついた小さな棒。

――ダーツか!
顔を狙ってくるダーツをかわしている間に、木場はさらにあたしと距離を取っていた。
すでにその手には、何本かのダーツが握られている。
へぇ、そんな武器――いや、
「そんなオモチャでやる気?」
あんなもの、オモチャでしかない。
ダーツの針は短い。刺さればそれなりに痛いだろうけど、胸に刺した所で心臓には届かないし、
投げるよりも手に持って直接刺したほうがまだ強い。
狙うとしたら、目とか額とか、つまり顔。
でも、そこに来るのが分かっていれば、あたしは当たらない。
武器と呼ぶには、あまりにもお粗末。
飛び道具を使うなら、マシンガンくらい用意しなさいよ。

「殺しておけば良かった……っ!」
さらに木場はダーツを投げる。左手の一本。
軽くよけると、今度は右手の指の間に挟んだ三本を同時に投げてきた。
三本とも、散らずに平行して顔めがけて飛んでくる。
……ふん。
まとまって来た所で、もう少し横に動けば当たらない。残念でした。
「死んでよおっ!」
取り乱してきた木場、次は両手で六本投げ。
次――もう最後にしよ。
焦らせて、足掻かせて、狂わせて、それから殺してやるのもいいけど、
やっぱり問答無用で一撃必殺が一番ね。
この六本も顔狙いだから、低い姿勢を取ってやり過ごして、同時に地面を蹴った。

あたしの殺り方は一つ、あの頭を真っ二つにする!
次の構えを取らせる間も与えずに、木場の懐に飛び込めた。
あんたはいつも、防御がなってないのよ!
鳩尾に膝を突き出す。
「ぁぐっ!」
入った。木場の身体がくの字に曲がって、頭ががら空きになった。
それじゃあ――――死ね!!!
打ち下ろした刀は今度こそかわされない。

髪が、
額が、
眉間が、
鼻が、
口が、
顎が、
頭蓋骨が、
脳が!

あたしの剣で、きれいに、縦に、二つに断たれた。

刃は首の辺りで止まり、血が吹き出す。
割れた頭蓋骨の間から、汚い色をした脳が、糞みたいに垂れ流れた。
木場は、光の消えかけた目であたしを見ている。
何を言いたいのか知らないけど、あたしからは、特に語りかける事は無い。
刀を引き抜いて、さらに血を出させてやるだけ。

終わった。

これで人志は大丈夫。木場は殺したから、もう近付く女はいない。
……あたしも、あんな女とはいえ人を斬ったし、リボンも処女も失ったから、
もう人志とは一緒に居られない。
でも、人志は大丈夫なの。
もう目が覚めてるから。ああいう女には、もう騙されないから。

人志。

刀を放り投げる。あたしのすべきことは、全部終わった。
気を失っている人志を仰向けにして、あたしはその上に覆いかぶさる。
あたし、ちゃんと守りきったわよ。
自分の身体を、人志の身体に擦り付けて――。

――!?

鼻を突く、この匂い……。

木場春奈の匂い――!!

まさか、木場は殺したのに、もう手遅れだったの?
いや、まだ分からないわ。
あたしはすぐに、人志のズボンと下着を下ろしてみる。
やったかどうかは、ここを見れば……。
……。
見てもわからなかった。

これは……えーと、まだ、だったらムケてないんだっけ?
あ、でも“これ”には、あの女の匂いは付いてない。
ということは……匂いは服だけに付いてたって事で……セーフね!
良かったわ。人志はまだ……そう、まだなのよ。
もうすぐ、あたしは人殺しの罪で捕まってしまう。本当に、人志とは離れることになる。
だったら、最後に……。

よく見れば、人志の“これ”も結構やる気っぽいし、何より愛し合ってるんだから、いいわよね?
生唾を飲み込んで、大きくなっているこれを、そっと口に含んだ。
人志……これから、気持ちよくしてあげる……。

39

「んむっ……」
凄い、これ……。
あたしの口の中で、どんどん大きく、熱くなってる。
気持ちいいのね、人志……。
「……っ」
びくっ、と人志の身体が震える。
今のが良かったの? それなら、もっとしてあげる。
カサの部分まで口に入れて、先っぽを舌でつついて……。
入ってないところは、手で擦る。
「……。……!」
リズム良く、人志の身体が反応した。
皮の中まで舌を進めると、少し苦い味が入ってくる。これが人志の味……。
「はぁ……はぁ……」
人志の息が荒くなってる。胸が上下して、顔には汗が浮かび始めた。
「ん……」
額の汗を、失礼してぺロリ。
思ったよりしょっぱくなかった。舐めた部分が、汗の代わりにあたしの唾液で湿る。
もっと、ツバつけたい。

口の中で、唾液を溜め込む。
その間も、手でしごいてあげるのは忘れない。
ある程度溜まったところで、人志の顔の真上で口を開け、唾液をたらす。
ぴちゃ、って音がして、まとまった液が頬に乗った。
そしてそれを、舌を使って広げる。人志の顔に、あたしの唾液を塗る。
この行為に、背中はぞくぞくして、自分でもうるさいくらいに息が上がる。
「っ……」
微かに震えて、人志の目がゆっくりと開いた。王子様のお目覚めよ。
ぼんやりとした感じの瞳が、次第にはっきりと光を点して、あたしを見据える。
もちろん、あたしは人志から一瞬も目を離さない。
口を開こうとした瞬間、あたしの唇を人志のそれに押し当てる。
言葉は……いらない。気持ちは通じ合っているから。
舌を出して、人志の口の中にも唾液を送り込む。
すぐに、人志の舌で迎えられた。口の中での、熱い抱擁。
そこに加えてあたしたちの吐息で包まれるのだから、
その熱さはさらに増して、狂っちゃいそう。
そうだ。あたしも準備しないと……。
人志の背中に回しているほうの手を戻して、自分のところを弄って――。

あれ?

急に、あたしの身体が軽くなった。
かと思うと、体の向きが反転して、背中から床に落とされる。
人志が、あたしの上に覆いかぶさった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
血走った眼が、あたしの体を頭から足先まで、這い回るように視ている。
まるで、これから獲物に牙を立てる獣のよう。
人志の手が、あたしの肌に触れた。
邪魔だとばかりに、乱暴に服を剥ぎ取られる。
あたしが取りやすいように体を少しでも動かさなかったら、引きちぎりそうな勢いだった。
普通の状態じゃないのは分かってる。多分木場に、そんな風になる薬を盛られたのよ。
あの女のことだから、それくらい平気でやってもおかしくない。
「明日香……!」
でも人志は、あたしだけを見ている。今やってる事だって、女だったら誰でもいいのとは違う。
元々、木場のことなんてそういう目ですら見てなかったってこと。
残念だったわね、唯一の武器が効かなくて。
下着も全部脱がしたら、即座に人志はあたしの胸に吸い付いた。
その頭を抱きしめる。
人志の欲求、全部あたしが受け止めてあげるわね。
木場は隅で転がりながら、あたしたちが愛し合うのを眺めてればいいのよ。

人志と一つになってから、どのくらい時間が経ったのか分からない。
時計を見る余裕も無かった。
それくらい、人志の欲求は底抜けてて、激しい。
中で何回も出してるのに、太さも硬さも変わらないまま、一度も抜かずに暴れ続ける。
初めこそ、準備が出来てないまま突っ込まれたから少し痛かったけど、段々痛みは弱まって、
代わりに快感が沸き上がって溢れた。
声もはっきり出せなくなって、ただ人志にしがみ付くしかできない。
人志はあたしの体を軽々と持ち上げて、前から後ろから横から、
上も下も分からなくなるくらい、攻め続けた……。

人志の欲求が落ち着いたのは、明け方になった頃だった。
朝までずっと、あたしと愛し合っていた。
今は服も着て、座った人志の膝の上に丸まりながら、頭や髪を撫でられている。
夜は激しく、朝はそっと優しく愛してくれる人志。
幸福感に満たされる。
心も体も通じ合ったこの時間を、あたしは一生、生まれ変わっても忘れない。

外が明るくなってきて、出歩く人の声がぽつぽつ聞こえ始めた。
このままずっと人志と一緒にいることが、あたしの幸せ。
だけど、それよりも優先しないといけないのは、人志の幸せ。
外が少し騒がしくなった。

「人志……」
「ん?」
「あたしのこと、好き?」

見たことも無い人がこの部屋に入ろうとしたけど、すぐ出て行った。

「好きだ」

はっきりと、人志は答えてくれた。

「じゃあ、約束してくれる?」

あたしの、最後のお願い。

「その気持ち、ずっと忘れないで」

一生の、お願い。

「忘れるものか」

人志の手が、また優しく髪を撫でた。

サイレンの音が聞こえる。

良かった。これであたしの思い残すことはない。

入ってきた警察には、何も言わなかった。
連れて行かれる直前に、人志の方を見る。
本当に、これが最後。

「さっきの約束、守ってね」

この世で一番伊星人志を愛してる、新城明日香より。

40

花瓶が置かれた机と、何も乗っていない机。
これに座る者は、もういない。

クリスマスイブのことだったか。明日香が、木場を日本刀で殺害した事件。
当時の俺の記憶は、他人からの説明によって形作られた。
突然明日香が押しかけて来て、刀を突き付けて、木場の命を貰う、と。
それを俺が止めようとして、頭を打たれたのは憶えている。はっきりしていなかったのはその後だ。
夢でも見ているのかと思った。あの状況で、明日香と体を重ねるなど。
ずっと夜明けまで、明日香と肌を触れ合わせるなど――。

だが、現実だった。

明日香がレイプされたのも。
明日香が木場を殺したのも。
明日香が俺と体を重ねたのも。
そして、明日香が逮捕されたのも……。

さらに、明日香のレイプは、本当に裏で木場が糸を引いていたことも知らされた。
証言を元に、実行犯の自宅からその写真が見つかったという。
写真を見たくなくて、見られたくなくて、検証していた警察官に掴みかかって怒られた。
どれほど辛かっただろうか。どれほど苦しかっただろうか。
俺も事件の容疑を掛けられたが、殺人の動機に関わるとはいえ、
実行とは無関係ということで、数日拘束されただけだった。
それで済んだのも、明日香の懇願によるところが大きい。

泣いた。何日も泣いた。

明るい道を歩んでほしかった明日香は、全てを失った。
木場は、ただ一人のために間違った道に踏み込んで、二度と帰って来ない。
こうなってしまった原因は何処にある?
……此処にある。
全部、自分の不甲斐なさが引き起こした事。
それなのに、表面上は、俺は無罪。

何かしなければならないと思いつつも、何をやっても取り返しがつかない現実に押される。
警察から釈放された後、明日香の家に行った。
出迎えたおばさんは、俺から目を逸らす。

「……もうここには来ないで。でないと、人志君に言いたくないことまで言いそうだから……」

ドアが閉まりそうなところを、手で止める。
俺はその、『言いたくないこと』を出させようと粘った。
無理やり閉めようとしているのを力を入れて踏ん張り押さえる。
溜まっているのを俺にぶつければ、おばさんやおじさんの気休めくらいにはなるかと思った。
そうなって欲しかった。
おばさんの手が顔を覆う。

「お願いだから、変な事はしないで……。人志君に八つ当たりしても、何にもならない……」

涙声だった。
違うんだ。明日香のことは、俺のせいなんだ。おばさんは文句を言って当たり前なのに……。
逆に気遣われてしまった。
俺は閉められたドアをしばし見つめた後、その場を立ち去った。

学校に復帰できたのは、冬休みなどとうに終わった後だった。
多くの人は無関心。元々関わりのなかった人からは特に何もされなかった。

しかし教室に入ると、一斉に放たれた冷ややかな視線に射抜かれる。
その中の一人、木場のスタイルについてプールで語っていた奴が、俺に掴みかかった。
木場が死んで、その怒りを、原因である俺に向けている。
何を言われても返す言葉がない。たとえ殴られても、蹴られても、反撃など出来ない。
だが、間に数人の女子、明日香の友達が入ってきて、俺とそいつを引き離した。

結局事無きを得たわけだが、友達の一人は俺に言った。
「本当はお前ぶっ飛ばしてやりたいけど、明日香が嫌がるからな」
その目つきは、さっきの奴と何ら変わらない。

俺の身は、今も明日香に守られている。

守られていながら明日香を欠いた学校生活は、色を失った世界と化した。
部長さんや屋聞が何か俺に言った気がするが、その内容は欠片も頭に残っていない。
そもそも、学校で何をしていたのだろうか? 家に帰った後、一番に湧いてくる。

記憶が、途切れ途切れになっている。

明日香と過ごした部分はカラー映像なのに、
現実に目から入ってくるのはモノクロの映像でしかなかった。
そんな日々が続く。
……気が付けば卒業していた。
いつの間に卒業式をやったんだか。まあいつでも良いのだが。

学校に行く必要が無くなったと言っても、体感的に変化があるわけじゃない。
どうせ学校での出来事など、あの時以来ほとんど憶えていないのだから。
しかし家から出る用が無くなると……ああ、これを引き篭もりと言うのか。
流石にそれではいけないと思い、今日は外を少し歩いてみることにした。
卒業から、まだそれほど日は経っていないはずだ。多分。

外を歩く。ただそれだけのことで、神経が磨り減るとは思わなかった。
ふとした拍子に気が抜けて、車に轢かれそうになったり、自転車とぶつかりそうになったり、
電柱に激突しそうになったりした。
加えて、特に意識もしていないのに、我に返ればすぐ近くに明日香の家、なんてこともある。

……あそこにはもう二度と近寄らないと決めたんだ。
おばさんと鉢合わせするかもしれないから、商店街と、そこまでの道のりに入ってもいけない。
注意する事がこんなに多いとはな……。

「……先輩?」
どこかの道で、誰かとすれ違った直後に、後ろから声がした。
さっきすれ違った人、女が、戻って俺の前方に来た。
顔と声は憶えている。
屋聞だ。

――!?

急に、周りは一斉に色が塗られた。
モノクロが、カラーになる。
近くの通りを走る車の音が、スピーカーの音量をぐいっと上げたが如く、
極めて五月蝿いものになった。

「ここで会うとは奇遇ですね」
「……そうだな」

まさか屋聞に出くわすとは思わなかった。きっと向こうも同じだろう。
しかしまあ、こいつの今の服装は……。
「女の格好をしてるから分からなかった」
スカート履いてるし、妙に似合っている。
すると屋聞は腰に手を当てて俺を睨みつけた。

「あのですね、前にも言ったでしょうが」
「前?」
「ちょっと訳有りで、男の振りをしていたんですよ」

……聞いた覚えがない。

「学校で二人のときに話したでしょう。卒業する前ですよ」
「忘れたな」

あの事件以来、学校であったことは穴が開いたように記憶が抜けている。
はあ、こいつ女だったのか。
屋聞はため息をついた。

「全く……。それにしても先輩、少し疲れているのではないですか?」
「いや?」
神経は磨り減っているかもしれんが、別に足の筋肉は疲労していない。

「先輩の家に鏡はないんですか? ぱっと見がバイオハザードですよ」
「何だと」
文句の一つでも言ってやろうとした時だった。

体が……動かない!?

まるで金縛り、金属の鎖で縛られているようだ。
「顔色が非常に悪いですよ。外に出歩いて大丈夫なんですか?」
屋聞が、眼前まで来る。

すぐ後ろに、誰かがいる。

「熱はないようですね……」
額に屋聞の手が当てられる。と同時に、首筋に冷たいものが当たる。

刀だ。

刀が俺の首筋に、ぴたりと当てられている。
視界が次第にぼやけて、屋聞の顔が分からなくなった。
この刀を持っているのは……。

――ねえ、約束、憶えてる?

後ろから聞こえる、幼馴染の声。
青いリボンに竹刀がトレードマークの、大切な幼馴染の声。

――破ったら、許さないからね……。

「わかってる」
「は?」
ぼやけて色しか分からない風景は、青と白だけに変わった。
俺に出来るのは、明日香との約束を守ること。
青と白の視界は、上から下へ黒く染まって――――。

……
…………
………………

今、俺は病院のベッドの上にいる。
屋聞と話しているうちに、道端でぶっ倒れてしまったそうだ。
とはいえ、さっき医者と少し話してからしばらく休んで、意識もはっきりしている。

  「…………問診の……ですが……神に異常………………です」

ある程度、気持ちの整理というか、構えのようなものも出来てきた。

  「……から………………セリングの……を付け………………………」

自分がどうなろうと、俺をいつでも守ってくれる明日香が、

  「今日の………………安定剤……………………」

リボンの剣士が俺の側についているから、恐れてはならない。
・・・・
隣にいる明日香の手を握ると、やる気が出てくる。

  「………………先輩は……………ですか」

握った手の暖かさは、全身を巡る。
これからだ。これから、明日香に色々と返していかなければ。

明日香の穏やかな視線を体で感じながら、俺はもう一眠りすることにした……。

(これより先の話は無い)

2007/01/07 RouteA完結 RouteB

 

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