INDEX > SS > 義姉

義姉 〜不義理チョコ パラレル〜



1

姉ちゃんと部屋で別れた事で泣き言愚痴ってたら、ちょっと話がそういう方向にいったんだよ。
んで、突然姉ちゃんが、「どうせ全部エロ本からの知識なんでしょ、童貞のくせに」
とか言い出して、俺は腹立ったから「うるさい、寝込み襲うぞ」
って怒ったら、姉ちゃんは「そんな度胸無いくせに〜」って笑ってんだよ。
ムカついたから怖がらせてやろうと思って、押し倒して両腕押さえつけたら、
驚いたような顔で俺のこと見てるんだよ。で、俺が冗談で顔を近づけたら、
「あんた覚悟できてる?」って言われて睨まれて、ちょっとヤバイかなーと思ったら、
「こ・・・こっちはできてるから・・・」って小声で囁かれて、
俺悪戯のつもりだったのに、すげードキドキして
___

         *        *        *
『士郎』

 いつもの帰り道の筈だが今日は都合よく周りには同じ学校の人間が見当たらない
  ――今隣にいる彼女を除いて。
  チャンスかもしれない。
「――なあ三沢、ちょっといいかな?」
「え、なに?」
  彼女はいつもの顔で尋ね返してくる。
  その顔を真っ直ぐ見つめていると改めて今言おうとしていることが恐ろしくなってくる。
  いや、絶対オレの事悪く思ってないはずだ。二人きりで遊びに行ったこともある。
  ――よし、友達以上恋人未満の関係を終らせるんだ。
「あのさ、前恋人いないって言っただろ……その……よかったらオレと付き合ってみないかな。
  ……いやほら、オレ達結構気が会うし」
  言ってしまった。体が熱い。立っているだけなのに苦しい。
  三沢は黙り込んでいた。長い沈黙が不安と恐怖を募らせていく。
  ヤバイ――この展開はノーなのか。
  言わなかった方がよかったかもしれない。まだ今なら冗談で済むかもしれない。
「あの……ゴメン……実は私も――」
  ゴメンて――
  そうか――
  気がついたときには走り出していた。
  背中から三沢が何か言いかけている。どうせ、『いいお友達でいましょう』
  とかそんな慰めの言葉だろ。そんなこと言われたらもっと惨めに思えてくる。
  聞きたくない、言われたくない。
  逃げるしか出来なかった。

 明日から何て顔すりゃいいんだよ――

        *        *        *
『涼子』

 私が帰ってきた時シロウの部屋には灯りが灯っていなかった。
  てっきりまだ帰ってきていないのかと思ったが、いつものように漫画を借りようと
  部屋に入ったら布団の中ですすり泣いていた。
「どうした、苛められでもした?」
  返事はなく布団の中で啜り泣くだけ。
  確かいつも一緒に遊んでいる友達は居たからクラスで孤立してるってことはないと思う。
  大体、子供じゃあるまいし、よくある泣くような事態といえば――
「ふられた?」
  返事の代わりに布団の中の泣き声が大きくなった。
  ――図星か。
「話ぐらい聞いてあげるけど?」
  返事どころか布団の中から顔すらだそうとしない。
  今日ぐらいは泣きつかれるまで放っておいた方がいいか――
  溜息を吐いて、出て行こうとすると声がした。
「……行くの?」寂しそうな声だった。
  顔も見せないくせに誰かに傍に居て欲しいか。結構我侭な奴。
「大丈夫、すぐ戻ってくるから」
  まあ月並みだが、アレしかないか。
  ――世話のかかる弟だ。

「酒。お約束だけど飲んで忘れなさい」
「……うん」

 そういえば、こいつと酒飲んだのなんて初めてだ。
  そして気づいた、こいつ結構酒強いかもしれない――
  いや失恋の思いを少しでも紛らわそうとしているのかもしれない。
  さっきからこいつは飲むかツマミ食っているか、彼女との思い出を語っているかのどれかだ。
  遠めから話しているのを見た感じじゃ、三沢って子もシロウの事悪く思ってない気がしてたんだけど。
  ――いや、直接話したことなんて一度もないから、よく知らないんだけど。
「少し飲むペース落としたら?」
  多分、このまま放っておいたら絶対急性アルコール中毒起こしそうな気がする。
「――それでさ二学期最初の席替えの時、隣の席になれなくて」
  人の忠告を無視しながら、ようやく夏の思い出編が終り、二学期編に入ったらしい。
「悪いこと言わないからさっさと忘れなさい。友達で居られるなら友達続けて、
  無理なら綺麗さっぱり縁を切る。
  まー、その辺はあんたが思っているより結構なんとかなるもんだよ」
  愚痴の垂れ流しを聞くのもさすがに飽きてきたから、ちゃんとアドバイスしておく。
「――恋人いないだろって言ったら、お前も居ないだろって……」
  また人の話無視している。
「……人の話聞いている?」
  少しカチンと来た。
  いつもなら一発ぶん殴っているところだが、さすがにこんな時ぐらい大目みなきゃいけない。
「やだよ……忘れられないよ……」
  ――また泣き出していた。
「忘れなさい。ふられた相手を想ってたからって何にもならない。傷の治り悪くするだけ」
  少しキツメに言っておく。
「やだよ……」
  泣きながらも小さな声で人の忠告に対し拒絶の意志を言葉にする。
  こいつ変なところで頑固だな。
  苛立ちが高まってくる。
  酒の回った脳がある結論をはじき出す――最終手段に出よう。

「ちょ、姉ちゃん?」
  今ベルトを外した。
「一発やって忘れなさい」
  あんたみたいなタイプは一発やれば色々変わるのよ。
  四つんばいになって逃げようとしているシロウをズボンごとパンツを引き下ろす。
「姉ちゃんヤメヤメ!酔ってるって!」
  あたりまえじゃん、こんなことシラフで出来るわけないじゃん。
  後ろから覆いかぶさり手をシロウの股間へ伸ばす。なんだちゃんと勃起してる。
  口では嫌がってても体は正直じゃん――いけない、なんかエロ親父っぽい。
  そう思いながらも手はスピードを上げる。
「ううっ!!」
  なんだ、こいつ結構可愛い顔するじゃない。
「大丈夫だって。悪いようにしないから」
  耳元でそっと息を吹きかけ囁く。
  最初がこのまま最後まで手ってのも可哀想か――
  ――そういえば忘れていた。
「あんたゴムは?」
「へ?」
  一瞬シロウの動きが止まっていた。
「コンドーム! どこ?」
「いや、あの、持ってないけど……」
「あーもう……。あんたも年頃ならちゃんと準備しておきなさい!」
  せっかく人がその気になりかけていたのに。
  苛立ちの余り一発頭をぶん殴った後、部屋を後にした。

「……助かったのか、オレ?」

        *        *        *
『モカ』

 極々普通のコンビニのバイト。
「あ、涼子」
  涼子挨拶を無視したまま棚に向い目的のものを引っつかむと、そのままレジへ向かってきた。
  何故かその背後の空間が歪んで見えるの気のせいかな?

「あのさ、さっきメールで知ったんだけど――」
  いつものようにこちらの会話に乗ることなく、涼子は無言で乱暴に手に持っていたものを叩き付けた。
  コンドームだ。
  えーと、これってあれだよね。
「新しくカレでも――」
「――レジ早くしなさい」
  声が滅茶苦茶低い。
  なんか着乱れている気がする。目も血走っている。
「普通、そういうのは男が用意しているものでしょ!」
  涼子は酒臭い息とともに隠せない苛立ちをぶつけてくる。
「そん……そ、そうだよね」
  そんな事知らないよ――そう言いかけたが言葉を飲み込んで同意した。
  怖い――気圧されている。何か下手な事言ったら噛殺される、そんな予感がしていた。
「――財布忘れた。立て替えといて、明日学校で返すから」ポケットを弄っていて、気づいたようだ。
「あ、うん……」
  返事を待たずして涼子は背を向けていた。
  なんだかよくわからないが野獣は去った。

 えーと状況から察するにカレといざコトに及ぼうとしている時になかったって事かな?
  なんか鬼気迫るって感じだったけど――

        *        *        *
『智子』

 体が熱い。告白されてから随分時間が立つというのにまだ動悸が納まらない。
  神埼――ううん、もう恋人になるから士郎って呼んでもいいんだよね。
  折角告白してくれたのに。ちゃんと聞こえたのかな私の言ったこと。
  だってしかたないよね、士郎が言うだけ言ったら走っていっちゃうんだもん。
  おかしいな、今まで何度も電話かけてきたのに指先が震えてかけられない。
  明日、学校で会ったらちゃんと言おう、ゴメンなさい、今まで言えなかったけど私も好きでしたって――

 

        *        *        *
『士郎』

 座っているはずなのにやたら大きく上半身が揺れている。
  かなりアルコールの回った脳味噌でもさっき起こったことはわかる。姉に襲われ貞操を奪われかけた。
  こういう時の為ちゃんとゴム用意しとかないとな。いや、なんか違うよ。
  とりあえず一難去った。それだけは事実だ。
「三沢――」
  愚痴る相手がいなくなった事により今日の出来事を思い出し始めていた。
  明日から友達としてでも話してくれるのかな。でもオレは友達として話せる自信がない――
  また止まっていた涙が溢れかけていた。
  寝よう。寝て全て忘れてしまおう。
  コップに残った酒を一気に喉に流し込んだ後、そのままベッドに潜り込んだ。

 

 ――気分が悪い。
  頭痛と吐き気とやたらと強い渇きで起こされた。
  布団から抜け出て部屋の中で見つけたコップの中の水を流し込む。
  ――酒じゃん、これ。
  なんでオレ、今裸なんだ――ようやく気づいた。
  熱いから脱いだのかな。

 ――なんでオレの部屋の中にオレの衣類以外に女物の下着まで混ざっているだろう。

 記憶を遡る。
  確か昨日は三沢にふられて――
  いけない、また泣きかけている。
  その後自分の部屋で泣いてて、姉ちゃんが帰って来て、酒飲まされて、愚痴ってて――
  なんか記憶がその辺から凄く曖昧だ。

 背後のベッドで誰かが寝返りをうった。さっきまでオレが寝ていたベッドでだ。
  両親とも家にいなかった。消去法ではオレ以外の人間なんて一人しかいない。
  何か凄い嫌な予感がする。予感というより推論だ。これでもかって状況証拠がそろっている――
  確認の為、恐る恐る背後を振り返るとやっぱり居た。姉ちゃんがオレのベッドに。
  姉ちゃんの服も脱ぎ散らかされているって事は――
  ――オレ、ひょっとして酔った勢いで滅茶苦茶ヤバイ事しました!?

2

        *        *        *

 二人が初めてあった時、突如現れた歳の近い異性を無条件で姉弟と認めるには早すぎもあり、
  少し遅すぎもあった。
  新しい親については何とかやっていけるかとは思っていた。
  相手は大人だ、そう心の中で割り切ることによって。大人と子供、無意識下で住み分けることによって。
  しかし姉弟としてはそうではなかった。歳も殆ど変わらなければ背も殆ど同じ。
  同じ空間を共有し割り切ることも住み分けることもできなかった。
  当然の如く一緒に暮らし始めて間もなく初めてのケンカをした。お互い人生初めての姉弟ゲンカだった。
  決着はあまりにも簡単についた。一つしか違わないとは言え女の子が男の子に馬乗りになって、
  ほぼ一方的なタコ殴り。
  皮肉にもこれがお互いの力関係、立場を明確にした。
  男の子は半ば畏怖をこめて女の子を姉と、女の子は下僕として男の子を弟と――
  不器用だが、お互いを姉弟として認めた日だった。

 

        *        *        *
『士郎』

 さっきから狂ったように台所で水を飲み続けている。
  胃のムカつきを流す為。何か現実から目を引き剥がす為。
  時計は四時前を示していた。もちろん普段起きているような時間ではない。
  起きても二度寝をするような時間だ。
  でも出来ない。何故だかよくわからないがオレのベッドに姉ちゃんがいる――多分裸で。
  さすがにもう水は飲めなくなってきていた。むしろ吐きそうな気がしてきた。
  落ち着け自分、もう一度よく思い出そう。
  部屋で泣いてたら姉ちゃんが帰って来て、酒持ってきて、それ飲んでてなんか喋ってて、
  ズボンズリ下ろされて――ヤバイ、ヤバイかもしんないオレ。
  なんかその後姉ちゃんが一発ぶん殴った後部屋出て行った――
  そうだ、うんそれでその後オレ寝たんだ。
  ズボン下ろされたりしたのはアレだが酒入ってる状態ならギリギリセーフ、
  性質の悪い悪戯ですむレベルだ――多分。

 じゃあ、なんで姉ちゃんがオレのベッドで寝てたんだ?

 ――うん、そうだ性質の悪い悪戯だ。
  起きたら腹に枕でも仕込んでいて責任とれとか何とか言うつもりだ、きっと。
  そう考えると精神的には少し落ち着いてきた――かといって二日酔いが抜ける訳ではなかった。
「……胃薬どこだったかな」

 結局二度寝するには目が冴え過ぎたので、この間借りてきていたビデオを見ていた。
「――おはよう」姉ちゃんの声がした。
  何故だか知らないが体がビクッと跳ねた。
「お、おはよう」何でオレは怯えているんだ、アレは悪戯の筈なのに。
「……あんた昨日の事覚えている?」
「や、し、知らないけど」
  落ち着け自分、大体の事は想像つくはずなのに。
「ふーん、そう……。 じゃあもう一度言うけど、ふられた事なんてさっさと忘れなさい」
「へ? あ、うん、わかった……」
  想像を二週半して余りにも普通のアドバイスだった。
  そうだ、オレは昨日ふられたんだった――
  姉ちゃんはいかにも気だるそうに体を動かしていた。
  目を合わせるのが怖くなってテレビに視線を戻した。しばらくしてシャワーを浴びる音がしていた。

 

 いつもより随分早く家を出ていた。
  同じ学校に行っているからって元々姉ちゃんと肩並べて学校行っているわけじゃない。
  いつもの時間に家を出なかったのには別の理由がある。
  三沢の奴と顔会わせたくないから――
  朝電車の中で会わないからって学校に行けば、教室に行けば嫌でも顔を会わせなきゃいけない。
  辛い――
  苦しい――
  失恋の苦しみと二日酔いの苦しみが二重に体を襲う。
  忘れろって言われても、簡単に忘れられない。
「士郎君、調子悪そうだけど大丈夫?」
  駅のホームでレールを延々と眺めていたら声をかけられた。
  姉ちゃんの友達、モカさん――ずっとそう呼ばれているので本名は知らない。
「いや、ちょっと調子悪いだけですよ」
  原因は半分が二日酔い、半分は失恋で。
「そう? 辛いなら無理せず休んだほうがいいよ」優しい声がした。
「……ありがとうございます」
  モカさんは別にオレがふられたことなんて知らない、ただ親切心だけで言ってくれている。
  今、誰かに優しい言葉をかけられるのは心地よかった。少しだけ泣きそうだった。

 

        *        *        *
『涼子』

 少しヤッバイかな。酔った勢いとはいえ弟襲うなんて。
  昨日ゴム買って帰って来たらグースカとイビキかいてたから一発蹴りいれて叩き起こした後
  しっかり一発やったなんて。
  今朝のあの感じからして多分覚えている気がする。
  でも士郎は知らないふりをしていた。ならば私のするべき態度は決まっている。
  いつも通りに接しいつも通りに話す。あれは夢みたいなもの、ひと夏の思い出とかそんなもの、
  それっきりの関係。

「ねえ、涼子、新しいカレって誰?」
  朝の教室でモカは興味津々で尋ねてくる。
  そういえば昨日コンビニ行ったときちょうどモカがいたんだった……
「カレとかそういうんじゃなくて……うん、あれ、酒の勢いでその気もないのにうっかりって言うか……」
「今度こそちゃんと付き合った方がいいよ。涼子っていつも長続きしないじゃん……
  あのさ、言いたくないんだけど、まだあの――」
  幼馴染というのはこれだから嫌だ。相手のことを知りすぎている、わかりすぎている。
「――モカ、それ以上言ったらぶっとばすよ。あの事はふっきった、忘れたの!」
「……ごめん」
  二年も前だというのに忘れていない、ふっきれていない。だから声を荒げる。
  あいつと一緒にとった写真、あいつから貰ったもの、忘れる為に全部処分したっていうのに。
  ――ううん、まだ少し残っている。未練がましい。
  シロウには散々忘れろって言っておきながら自分は――

「そういえば士郎君――」モカが思い出したように口を開いていた。
  私の体がピクッと跳ねた。
  ヤバイ、ばれているかもしれない。やっぱ不味い、弟襲っちゃうなんて。
「今朝会った時調子悪そうだったんだけど何かあったの?」
「あー……あいつ昨日告白してふられたらしいから」
  落ち着け私。いや、今は弟の問題じゃない、シロウの問題だ、シロウの。

 

        *        *        *
『モカ』

 私の知る限り涼子とは一人を除いて一ヶ月以上付き合っていた男を知らない。
  別に男遊びが過ぎるとかそういうものじゃない。そんないい加減なつもりで付き合うような子じゃない。
  ――でも、無理やり忘れようとして付き合っている気がする。
  忘れたふりしていつも無理してる。見ている方が痛々しくなってくる。
  どうにかしてあげたくてもどうにもならない――もういない人だから。

「どうしたものかな」
  私一人悩んでたってどうにもならないのはわかっている。
  柔らかい秋の陽光が中庭を照らしている。そこでベンチで座っている一人の男の子を見つけた。

 士郎君は一人グビグビとお茶を飲んだ後、大きく溜息を吐いていた。
「士郎君、隣いい?」
「へ? ああ、いいですけど」
  今朝と比べると随分顔色はいいけどまだまだって感じ。
  ついこないだ、失恋した相手にそういう事聞くのって結構失礼かな、でも知っておきたい。
「んーと……昨日の夜、誰か涼子に遊びに来ていた?」
  なるべく傷ついた心を刺激しないように言葉を選んでいた。
「昨日はさっさと寝ちゃったんであんまり覚えてないないですけど、多分誰も来てませんよ」
  家には来ていない――か。じゃあ近くの家の誰かかな。
  士郎君ってあの事知っているのかな。涼子っていつも強がって自分の弱いところ見せたがらないから、
  多分話してないんだろうな。
  それに家族だからって気楽に話せるような話ではない。それに勝手に言ったらきっと涼子は怒る。

「あ、そうそう。朝辛そうだったけど、もう大丈夫?」
  涼子の話はこの辺にしておこう、そう思い話題を切り替えた。
「半分のうちの八割はなんとかなったかなって感じ……かな」
  士郎君は鼻先をかきながら上を見上げていた。そんな顔見ていると少し可愛いかなって思えてくる。
「よしよし。辛いときは胸に溜め込まず吐き出しちゃいなさいよ。
  私でよかったらいくらでも相談にのってあげるから」
  なんとなく頭を撫でてみたくなったから、お姉さんぶって撫でてみる。
「ちょっとやめてくれません……」
  恥ずかしがっている、恥ずかしがっている。そんな顔が少し面白い。
  私も可愛い弟欲しかったかな。

 

        *        *        *
『智子』

 きょう士郎はずっと授業が終るとすぐさま教室を出て行き、
  授業開始直前にならないと教室に戻ってこない。
  あいつの席は一番後ろのドア側、私の席はその対角線上。すぐ逃げられる距離。
  うまく話せるタイミングが見つからない。
  ……なんか避けられている。
  なんかというより確実に避けられている。勘違いされている。ちゃんと言いたいのに。
  朝は正面きって向いてたのに、私が言おうとして口が回らない時にそそくさと逃げ出した。
  それから今日はずっとチャンスを逃しっぱなしだ。
  本当は両思いなのに……
  大丈夫。まだまだチャンスはある! 士郎だって言えたんだから私だって言える!

 

        *        *        *
『士郎』

 結局今日は一度も三沢と話すことが出来なかった。むしろ自分から逃げていた。
  どんな顔してどんな話をしていいのかわからなかった。
  独りきりの部屋でベッドに横になっていると、あいつと一緒に話して、遊んだ事ばかり思い出す。
  こんな事なら言わなきゃよかった。
「あんた、また泣いている?」
  いつの間にか姉ちゃんが帰って来ていた。
「――泣いてないよ」
  でも泣きそうだった。
「姉ちゃん、オレやっぱり忘れられない。学校行けば嫌でも顔あわせなきゃいけないし……
  あいつのこと、頭から離れなくて……」
  頭の上に姉ちゃんの手が置かれた。何故かその手がとても暖かく感じられる。
「あんたの頭の上に何がある?」
「姉ちゃんの手……」
  だから何だって言うんだ。
「忘れられないなら私の手の事でも晩御飯のおかずの事でも何でもいいから別の事考えてなさい。
  そのうち――少しはマシになるから」
「……姉ちゃん、優しいけどなんかあったの?」
「なにいってんの? 私が優しいのは昔からだって」
「そんな事ないって」
  少し笑えた。
「――辛いからって自殺なんかしないでよ」
「いくらなんでもしないって」
  でも辛いのは事実だ。

3

        *        *        *

 生まれて初めての姉弟ゲンカから間もない頃だった。
  気恥ずかしさもあってか弟はまだ姉を姉と呼べずに名前を呼び捨てた。
  それに対して姉の対応は極めてシンプルだった。一発ぶん殴った後、一言「お姉ちゃんと呼びなさい」
  弟はそれに対し、その場は先ほど一方的に殴られた恐怖より素直に従う以外手はなかった。
  その後、弟のささやかな反抗と共に似たようなやりとりが数回あった後、
  いつのまにか「姉ちゃん」の呼び方が定着していた。

        *        *        *
『士郎』

 姉がオレの腰の上で跳ねている。
  形のよい胸が上下に揺れている。たまらず勝手に手が伸びていた。
  腰の動きに合わせて姉が鳴く。長い間ずっと一緒にいるが、
  こんな顔をしてこんな声で鳴くなんて初めて知った。
  姉の上半身が倒れこむ。唇を重ね、舌を絡ませあう。背中に手を回しより密着しようとする。
  でも腰の動きはとまらない。

 ――なんかすげえ夢を見た。いいようで悪いような凄く微妙な夢。
  ベッドを確認――よしオレ一人。
  パンツの中を確認――よし大丈夫。生理反応として立ってはいるが出てはいない。セーフ。
  しかしおかしいよなあ、姉ちゃんが下着姿で家の中うろついていても平気なのにあんな夢見るなんて。
  多分昨日の悪戯のせいだ。昨日あれから何もしかけてこない、その事が却って奇妙だった。

 ――普通、こういうのって姉ちゃんの役目じゃないかな。
  朝、出汁をとりつつ思う。
  別に当番制とかそういう訳ではない。
  母さんが留守がちだったので自分で作る習慣が出来ていたのはいいが、
  以前自分の分だけ準備してたら姉ちゃんにぶん殴られた。
  それ以来母さんが居ない時の食事当番は半ば自分の役目となっている。
  そういえば、ここんとこ落ち込んでいる間、姉ちゃんが代わりにやってくれたんだよな。
  ありがとう――って今までツケ考えたら全然割りが合わないや。

 朝の食卓で同席しててふと思う。
  ――今まで全く意識した事ないけど、こうして見ていると姉ちゃんって結構美人な方なのかもしれない。
「……私の顔なにかついてる?」
  こちらの目線に気づいたらしく問いかけてくる。
「い、いや、別に――」
  慌てて目線をそらした。
  変な悪戯されて、変な夢を見たせいだ。

        *        *        *
『涼子』

 そういえば、あいつと私の初めても半分酒が入った上での冗談みたいな感じからだった。
  ――まただ。思い出している。重ねている、比べようとしている。

「智香いる? ノート返しに来たんだけど」
「モカなら、さっき教室出て行ったけど。あ、席そこだから」
  そういえば、いつも昼は私と一緒にいるのにどうしたんだろう。
  昨日ちょっと怒ったりしたけど、そんな事気にしている様には見えなかったけど。

 昼が終った頃ようやくモカは帰って来ていた。
「モカ、何処行ってたの?」
「ふっふー、秘密秘密」
  何やら楽しげな顔。ひょっとして男でも出来たのかな。
「そうそう、士郎君って何か好きな映画とかある?」
  あっさり話題を切り替えられた。
「好きって言うか苦手なものなら、今はそれ程でもないけどホラーとか怪談が凄く苦手だったな」
  テレビの前で無理矢理見せたりしたらビクついて一人じゃ寝れない、とか言ってきて可愛かったな。
「うんうん」
「夏場なんか新聞で確認してから間違っても心霊番組にチャンネル合わせたりしないように
  頑張ってたから、テレビのタイマー機能使って途中で突然に心霊番組に切り替わるようにしたりしたな。
  それ以来心霊番組が裏番組にあるときはテレビ見ずにビデオとるようにしてたらから
  ビデオ録画予約を――」
  いやー、今思い出してもあいつがビデオ再生し始めた時の顔は傑作だった。
「……私、あなたの妹として生まれなかった事、天に感謝するよ」

        *        *        *
『モカ』

 今日も士郎君は中庭で一人でいた。
  少し頭を捻って後ろからこっそり近づいて、乱暴に頭を撫でる。
「うわっ!」
  びっくりしてる、びっくりしてる。可愛いな、この反応。
  士郎君の手元にあるサンドイッチはまだ封が切られていない。
「お昼まだでしょ? 一緒に食べよ」

 そういえば、昔から士郎君は知っていたけど、あんまり話したことはなかった。
「士郎君ってどんな趣味ある?」
「……編み物かな?」
  ちょっと考え込んだ後に言葉が出てきた。
「へー、男の子なのに珍しいね。何時頃から?」
「確か中一の冬。姉ちゃんが編んだの見て、見よう見まねでやったら姉ちゃんより上手くできたからかな。
  昔から色々と負け続けていたけど、あの時の姉ちゃんの悔しがる顔が忘れなくてね」
  そっか……ちょうどあの頃からか。

 士郎君はさっき来たメールの返信をやっているみたい。
「彼女から?」からかい半分に尋ねてみる。
「違いますよ……只の友達からです」少し辛そうな顔していた。
  あっちゃー、軽い冗談のつもりだったのにNGワード言っちゃった。
  ついこないだふられたばっかりの子に言っちゃいけない言葉だよね。
「えっと……週末空いてる?」話題をかえよう、話題を。
  少し携帯を見た後に一言「空いてますけど」
「じゃ、一緒に映画でも見に行かない?」
「いや、別に――いいですけど、何でオレがですか?」
「んー、友達と見に行く約束してたんだけど、キャンセルされちゃって急に暇になっちゃったから」
  本当はそんな事ないんだけどね。少しぐらい勿体つけた方がいいかな?

        *        *        *
『田中』

「――という訳だから……」
  深刻そうな顔で三沢は相談してくるが話は凄く簡単。
  告白したはいいが恥ずかしがってお互い避けているだけ。
「あんたらようやく告白したの?」
  その言葉で三沢は恥ずかしそうに俯いていた。
  こいつらひょっとしてお互いが好きなの隠しているつもりだったのだろうか。
  私はてっきりとっくに付き合っているけど皆に言い出す機会がなくて恥ずかしがって
  隠しているものとばかり思っていた。
「で、私にどうして欲しいわけ?」
「一緒に遊びに言って、ちゃんと言いたいんだけど……」
「ふんふん、自分で言い出すの怖い。代わりに私に誘ってくれと。
  で、お邪魔者達は勝手にドタキャンしろって事か」
「いや、別にそこまでは――」

 ふふん、何だかキューピットになった気分だ。
  あいつ昨日今日とはぐれメタル状態で捕まえられないから、とりあえずメールでっと。
『週末遊びに行こう』
『三沢も一緒?』
  すぐさま返事が返ってきた。
『そ、いつものメンバー』
  さあ食いついて来い、食いついて来い!
『パス、用事が出来た』
  ――わお、選択肢ミスった。

「えっと……ごめん。あいつ行けないってさ」
  多分今私凄い引き攣った顔している。

        *        *        *
『智子』

「うー……」
  凄くタイミング悪い。チャンスの女神には前髪しかないって本当だ。
  前世ででも何か悪いことしたのかな私。

 トボトボと一人駅へ向かう。いつもなら一緒なのに。
  少し顔を上げてみると遠くに士郎の背中が見える。何だ、まだまだツキが向いてるジャン私。
「誰、その人?」
  隣を歩いている女の人と楽しげに話している。
  うちの学校の人だ。でも私のよく知らない人。二年か三年の人。
  入学してからいつも一緒だったから士郎の知っている人なら私も知ってなきゃおかしい筈なのに――

        *        *        *
『士郎』

 ちょっと遊びに誘われて、一緒に帰ろう、とか言われたぐらいで期待しちゃいけないんだよな。
  うん――三沢もそうだったし。

「姉ちゃんって明日予定あるの?」
  学校では大抵姉ちゃんと一緒だった筈だから相手ってモカさんの言っていた相手って姉ちゃんなのかな。
「ないけど。どうかしたの?」
「いや別に――。なんでもない」
  考えすぎだ、考えすぎ。
「そういう、あんたはあるの?」
「――一応は」
「それは良かった」
  何故か姉ちゃんの顔は安堵した笑みを浮かべていた。
  やっぱり姉ちゃん妙に優しい気がする。いつもなら嬉々として人の傷口に塩塗りこみそうなのに。
「何が?」何が良いのかわからないから聞き返してみる。
「あんた週末に独りうじうじしてたら、また勝手に落ち込んで腐ってるでしょ」人を少し馬鹿にした口調。
  なんだ、あんまり変わってない。気のせいだ。
「うっせーな」
  ――間違っちゃいないだろうけど。

「そういえば、あんたの父さんって何してたの?」
「へ? 今、単身赴任中だろ?」
「違うって、生みの親の方」
  そういえば、そんな話今までしたことなかった。小さな頃は親の目もあってか遠慮して、
  気がついた頃には完全に忘れていた。
「――多分、農家かな……」
「多分って何よ、それ」
「小さな頃に離婚してから一度もあってないから……正直住んでた場所もよく知らない」
  五歳のとき別れてそれっきり。電話も手紙のやりとりもない。写真は殆どお母さんが処分した。
  顔も声もうまく思い出せない。
  でも、覚えている顔はある。怒鳴りつけている顔。本当は優しく頭を撫でてくれた事もあったのに、
  その時のことは随分とぼやけてしまっている。
「――姉ちゃんのお母さんは?」
「こっちは普通の主婦。それで交通事故で死別。八歳の時」姉ちゃんは天井を見上げていた。
「ふーん」
  義理の姉弟であることすら半分忘れかけていたけど、
  オレ達本当の両親は全く別で本来なら何の縁もゆかりもないんだよな――

4

        *        *        *

 中々慣れない土地。中々抜けない他所の土地の訛り。中々出来ない友達。
  子供達のいじめの対象となるには十分な条件だった。
  そして姉はある日その現場を目撃した。第三者から見てもはっきりと分る形、リンチで。
  姉はその場にいた者を片っ端からのした――弟もその例外なく。
  その場で弟に対しては説教しながら叩いていた。一通り説教が終った後無言で乱暴に頭を撫でた。

 次の休みの日に近所の子供達の輪の中に姉は弟を無理矢理蹴り入れて放り込んだ。
  不器用ながらも輪に馴染みはじめた弟を眺めると姉はさっさと帰って行った。

        *        *        *
『士郎』

 ――三十分経過。
  モカさんとの約束の待ち合わせ時間を過ぎてもまだ現れない。
  確か駅の南口の広場と言っていたが、ひょっとしたら聞き間違えたのかもしれないと思い
  一旦北口も見てきたがいなかった。
  一度電話かけた方がいいかと思い携帯を開きメモリを呼び出したところで重大な点に気づいた。
  ――オレ、モカさんの番号もメアドも知らないじゃん。
  会うときは大抵姉ちゃんと一緒だったから全く意識してなかった。
  一旦姉ちゃんに電話入れて番号聞いて――いや、そんな事したら何か凄い勘違いされそうで怖い。
  何処で何するか根掘り葉掘り聞かれた後、その後にあること無いこと吹聴されたりして。

「とぉー!」
  困って辺りを見回していたら背中から誰かに体当たりくらわされた。
「ごっめーん。待った?」
  後ろにいたのはモカさんだった。遅れたことに何ら悪びれることなく笑っている。
「……ええ、物凄く」
「ダメだなー。こういう時は『今来たとこだよ』って言わなきゃ」
  ――そんな事言うと物凄くカップルっぽい。

「あれ、男連れ?」
  途中でばったり呼び止められた。オレの知り合いではないがモカさんの知り合いらしかった。
「ふっふー、どうかな、どうかな。ちなみに涼子の弟だから」意味ありげに笑って見せていた。
  相変わらず人の頭を撫でる。モカさんってこういうのが好きなのか?
  オレは子ども扱いされているようであまり好きではない。
「ふーん。あ、人待たせているから、じゃあね智香」そういってさっさと彼女はさっていった。
  モカさんの本名って智香だったのか――あいつの下の名前は智子だったよな……
  ――何考えているんだろうオレ。

「士郎君、どうかした?」
「……いや何でもないですよ」
  自分の頭が無意識に下がっていたので持ち上げた。
  そして偶然、少し離れた喫茶店の中で見知った少女を捕らえた――三沢智子、オレが好きだった子。
  こちら側には背中しか見えなかったがわかる。ずっと一緒にいたから。よくわかるから。
  しばらく固まっていると、智子の隣に座っていた女の子がこちらを指差し、
  あいつもこちらに気づいたらしく振り返った。
  見ないでくれ。付き合っている訳でも何でもないのに別の女の人といるだけなのに罪悪感を感じる。
  薄れ掛けていた心の傷がまた開きそうだった。
「士郎君、早く行こ」
  気がついた時にはモカさんに手を強引に引っ張られていた。

        *        *        *
『洋子』

「そしてね、今度は二人きりで行こうって話しになったんだけど、見事台風が直撃して――」
「……トモ、それもう三度目なんだけど」
  三度目というのは今まで三度言った話というものではない。今日この喫茶店に入ってからで三度目だ。
  話したいことがあるからってミカ共々来て見れば、これだ。
  延々と彼との思い出語り。下手すれば只の惚気話のようでもあるがちょっと違う。
  告白されたはいいがまごまごしている間に返事が段々しづらくなって、
  ついでに別の女の人と仲良くしていた――まあそのぐらい。
  ミカは少し困った顔で目線でそろそろ何とかして欲しいと促していた。
  ――うん、こっちも愚痴聞くの飽きたから切り上げにかかる。
「あんただって世間話ぐらいする男友達なんていくらでもいるでしょ、気にしすぎだって」
「私あんまりいない……」
  ――ミカ、あんたは少し黙ってて。
「だって私の知らない人だよ……」
  好きになった相手のことは一から十まで知ってなきゃダメってタイプだったの、トモ。
  溜息を吐いた後視線を一旦外に向ける――タイミングよくトモの意中の人がいた。
  そしてタイミング悪く女連れで。
「どうせ部活とか委員会とかの先輩でしょ? 気にしすぎだって」
「あいつ、そんなの入ってないし――」
  ヤバ、かなりネガティブ思考に入っているよ。
  間違っても今あなた後ろの方を歩いているなんて言える状況ではない。
「――私のこと避けているし……」
「どうせ向こうも恥ずかしがっているだけだって、首根っこ捕まえてでも
  ちゃちゃっと返事しちゃってバカップルでも何でもなりなさいよ」
  何とか話の方向を戻すべく奮闘する。何かの間違いで後ろを振り返らないことを祈りながら。
「ねえ、トモちゃんがさっきから言ってる人って確かあの人だよね?」
  ミカはトモの後ろを指差していた。
  ――ミカ、あんたはどうして気がつかなくていいときに気がつくの!
  頭が痛い。
  トモが慌てて振り向き、二人の視線を交差して固まる。
  意中の彼は一緒にいた女性に強引に引っ張られるようにして人ごみの中へ消えていった。
  ――少しヤバイ展開かもしれない。
  意中の彼が去ってしばらくしてもトモはまだ固まっている。
「ねえ……誰なのよ……」うわ言の様に口を開いている。
「ほ、ほら、お姉さんとかそういうのかもよ?」
  ちょっと自分で言ってて苦しすぎる気がした。

        *        *        *
『智子』

「うんうんうんうん! そうだ!」
  馬鹿みたいに自分の首を縦に大きく何度も振る。
「士郎にお姉さんいるって言ってたし」
  すっかり忘れていたけど昔一度だけお姉さんだって言って、遠くからあの人の方指差したことあるし!
「でも、あんまり似て、いっ――!」
  何故か口を開きかけていたミカが悶えていた。
  そんな事どうでもいい。私凄い勘違いしてたんだ。
「ゴメン、私今すぐ追いかけてくるから」
  そう口に出した時には既に走り始めていた。

 ――見つかんない。
  息は切れどれだけ走ったか忘れた。
  本当に私タイミング悪すぎ。昔読んだ不運なすれ違いばかりする少女漫画のヒロインみたい。
  何故か視界の隅にラブホテルの看板が入った。
  いや、まさかね。お姉さん相手なんだから関係ない場所だよね。

 

        *        *        *
『涼子』

 シロウはもう放っておいても大丈夫だろう。
  後は勝手に時間が心にこびりついたモノを落としていくだろう。
  ついでだから私も心に深く根をはりこびりついたモノを落とすにはいい機会かもしれない。
  そう思い外に出かけていた。

 潮風の匂いのする海と美術館に隣接した公園。
  休日のせいもあってかカップルの数は決して少なくない――
  きっと私も昔は周りからはあんな風に写っていたのだろう。
  今でも残っている数少ないあいつの思い出の品。表側に猫、裏側は削られた銀色のコイン。
  お守りの様に懐に忍ばせておけば落ち着く。そして時々苛立ちと不快感の温床にもなるもの。
  ――裏は削ってるから絶対出ないコイン。
  コイントスで決める時使うと投げようと決めた時には答えはもう決まってるんだよ。
  とてもじゃないけど真面目に聞いていられないような臭い台詞。
  ここは初めてデートの場所。思い出捨てるには十分すぎる出来た場所だ。
  海にコインを投げ捨て――れない。
  何度目だっけ、同じことやろうとして失敗したの。
  結局しまいこんだ。

 ――未練たらしい。

        *        *        *
『モカ』

 さっき士郎君が見てた女の子――たしかいつも士郎君と一緒にいた、三沢さんだったかな?
  たしか振られた相手については聞いてなかった。あの子かな?
  あの子とはいい感じっぽい気はしたけどココ最近一緒にいないって事はそういうことかな。
  それなら心配しちゃって少し損した。
「あの、モカさん……」
「んー、何?」
  少し恥ずかしそうにこちらの手を見てる。
  やっぱり可愛いなこういう表情。
「ああ、ごめんごめん」

 

 正直映画の内容はどうでも良かった。
  でも映画館の中ではちょっと手が触れただけでビックリしてたみたい。
  その表情見れただけでも十分収穫だ。
  やっぱりホラーにしたら良かったかな。キャーって抱きつかれるの――あれ、普通逆?
「さて、もう一遊びしよ」
  映画が終った後にゲーセンやらをハシゴしている。なんか連れ回していると楽しいな。
「いや、そろそろ帰って飯作らないと姉ちゃんに怒られるから……」
「むー……じゃあね」
  二人が学校とかじゃ殆ど話しているの見た事ないけど、ひょっとしたらお姉さんっ子かな?
  まあ、他に意中の子とかいそうにないから慌てず、
  しばらく思わせぶりな態度を取り続ける年上の人として遊ぼうかな。
  戸惑ってる士郎君見てて面白いし。
  あ――涼子が苛めたがる理由がよくわかった。

        *        *        *
『士郎』

 家に帰って来てみると、姉ちゃんは何か苛立っていた。
  理由はわからないが、こういう時は自分からは下手に話しかけない事に決めている。
  そのまま会話らしい会話はないまま夕食を終えた。

「シロウ、お風呂空いたから」
  振り返るとバスタオルを巻いただけの姉ちゃんがいた。
  見慣れているはずなのにドキリとする。
「……うん、わかった」
  なんか最近おかしいのかな、オレ――

 自分の部屋で紙くずをゴミ箱目掛けて放り投げるが外した。
  しかたないので立って紙くずを拾い上げゴミ箱に入れようとした時に気がついた。
  ゴミ箱の中で見覚えの無い薄いゴム製の袋を発見した。
「なんだよ、これ?」
  いや、これが何であるか、何のためのものかは知っている。
  コンドーム――避妊または性病予防の為に用いられる。
  でも何でそれがオレの部屋のゴミ箱の中にあるのか、それも使用済み――
  自分はこんなものもっていない筈。使用した覚えがない筈。
  でも、たった一つだけ思い当たる節がある。
  ――あんたゴムは?。
  歯がガチガチと音を立て震えていた。

5

        *        *        *

 姉弟ゲンカだった。
  お菓子の取り合いという極めてよくあるの理由で。
  手が出れば勝者はほぼ間違いなく確定する。
  ただ、この日は先に母の雷が落ち、ケンカ両成敗となった。
「いいかげん仲良くしなさい」母が言った。
  しぶしぶ姉は弟に「あんたの事好きになるように努力するから、あんたもしなさい」と言った。
  弟は頷きながら、「好きになる努力って何だ?」と思った。

        *        *        *

 ベッドの中に入り込んでだいぶたつが混乱したままだ。
  頭が中でぐるぐる回る。
  そういう関係があったのに姉ちゃんは何一つその事に関しては言ってこなかった。
  なんでそういう事あった後平気な顔していられるんだ。オレが子供なだけなのか?
  それとも姉ちゃんも酔って忘れていたのか? あの状況だ、少し考えれば簡単にわかるに決まっている。
  最近ある種の感情を姉に対して僅かばかりだが抱き始めている。
  それを自覚してしまうのが怖かった。姉は異性である、女であることを。
  その感情を肯定されているともとれる行為があった。
  明日の朝からどんな顔をして話せばわからなかった。

 結局その日は外が白くなってくるまで寝付けなかった。

 

「そろそろ起きないと遅刻するよ」
  誰かに布団越しに蹴られた。
  被っていた布団を無意識で跳ね除けていた。
  ――そこにいた。
  いや、起こされたのだから、いなきゃいけないのはわかっている。
「い、いや、別に――」
  オレは姉ちゃんの顔を直視できなかった。

 

        *        *        *
『涼子』

 シロウが私に対する目つきが最近少し変わってきていることに気づかない程私は鈍感ではない。
  男の子からこういう目線を送られたことは今まで何度もあった。
  しかし弟から送られてきたのはつい最近のことだ。
  理由は大体検討つく。初めての相手だからってことだろう。
  今朝など初めて家に来た日のように酷く落ち着いていない様子だった。
  禁断の関係? 馬鹿げている。
  でも、シロウのことだ、どうせ胸の奥に閉じ込めたまま終らせてしまうだろう。それでいい。
  だから私もあえて口に出して警告を促すようなことはしない。
  そんなこと口にしたらよけい意識してしまうから――

 

「そういえば、モカって急に付き合い悪くなったけど男でも出来たの?」
  昼休みに先週あたりから昼には必ず姿をくらますようになっていたモカを教室から抜け出す前に
  捕まえてみた。
「んー、ま、まあ似たようなところかな」
  少し歯切れの悪い返事。なんだ隠しておきたい相手か。
「で、相手誰よ? 紹介しなさい」言いたくないのをわかりつつ聞いてみる。
「いや、まだ付き合っているとかそういうんじゃなくて、ちょっといい感じってレベルで。
  あ、うん――涼子も知っている相手だから心配とかそういうのしなくていいよ」
  誰だろう? 同じ学校の奴か中学の時、もしくはバイト先の人間か。
  でも最近いい感じになったのって誰かいたっけ?
  そんな事に思考を巡らしている間にモカはそそくさと教室から逃げ出していた。

        *        *        *
『モカ』

 セーフ。あの感じだと士郎君とは話してもいなければ気づかれてもいない。
  涼子って時々滅茶苦茶勘が鋭くなるから冷や冷やしたよ。
  いや、まあばれてもいいけど、友達の弟ってちょっと恥ずかしいかなって。
  それに話すならちゃんと付き合いだしてからでも遅くないかな。

 いつもどおり、士郎君は中庭にいた。
  でも、さすがに二度目になると後ろから突如頭撫でるだけでは反応が薄い。
  もう少しインパクのある登場のしかた考えてないとな。
  そんな事を考えながら士郎君の顔を見ると少し元気ない。
「何か悩んでいる? 前にもいったけどドーンと相談してきなさい」
  士郎君の前だと体は小さいけどお姉さんぶって行動しているな、私。
「いや、別に――ただの寝不足です」
  ふむ、それなら私がしてあげる行動は一つだ。
「ヘイ、カモン!」私の太ももを軽く叩いてみせる。
「へ?」
  この顔はわかってないな、私が言いたいこと。
「ほら、膝枕してあげるって言ってるの」
「い、いいですよ、そんなの……」
  ちぇ。恥ずかしがっているのはいいけど、少しぐらい「じゃ、じゃあ……」なんて言いながら
  甘えてくれたらもっといいのに。
  まあ、ライバルが居る訳でないから、慌てず急がす程よく恋は進めていこうか。

 

        *        *        *
『智子』

 ――放課後はダッシュで追いかけろ私、
  今日も今日とて士郎は私避けているし、私も臆病になって中々言い出せない。
  このままだと、この状態のまま数ヶ月が過ぎてしまいそうな気すらする。
  だから今後こそ勇気だす。がんばれ私。

 本日最後の授業が終ると駆け足気味で士郎は教室を出て行った。
  よし無理矢理捕まえてでもちゃんと言うんだ。
  でも――無理矢理捕まえちゃったりしたら嫌われるかな……
  あ、そんな事考えていると士郎が逃げていく。
  慌てて体を動かし始めた。

「待って!」
  どうにか校門前で呼び止めれた。
  士郎はこっちは向いているけど視線は合わせてくれないし、何も言ってこない。
  こっちからちゃんと言うんだ。
「あ、あの、あのね、私……」
  緊張して舌がまわらない。全身が小刻みに震えている。

「シロウ、早く帰るよ」
  ――うん、そう。前みたいに一緒に帰ろうよ。
「ね、姉ちゃん?」
  アレ? アレアレ? 何で士郎は女の人に襟首掴まれて連れて行かれているの?
  頭が混乱して体が動かなかった。

        *        *        *
『士郎』

 電車から降りた後も姉ちゃんはオレの襟首を掴んだままムスッとしたまま歩いている。
  はっきり言って偶々帰り道で一緒になった時ぐらいしか一緒に帰ったりはしなかった。
「普段普通にしていても、あの子に顔あわせるどころか、考えるだけでも辛いんでしょ!」
  ようやく姉ちゃんが口を開いた。
「――うん」
  だから、さっきだって辛かった。
「全部忘れて最初から無かったことにしてしまえば楽になるんだよ」
  姉ちゃんの口調が何故かいらだっている。
「でも――」
  もう恋人にはなれなくてもいい。
  でも――前みたいに一緒にご飯食べたり遊んだり出来る関係にだけにでも戻りたいんだよ。
  そう考えるだけで少し涙ぐんでいた。

 しばらく黙って歩いていた後、強引に頭を下げさせられ胸に押し付けさせられた。
「ねえ――」
「あんたマザコンの癖に甘えるの下手で――辛い時ぐらい少しは素直に甘えなさい……」
  ――姉ちゃんが泣いてる?
  何で姉ちゃんも泣いているんだ? 分らない。
  いつも強気で勝気な姉ちゃんが弱音や泣いているのは見たことがない。
  いや、一度だけある確かオレが中二の頃三年の人が亡くなって、
  姉ちゃんがその葬式から帰ってきた時しばらく泣いていた。
  抱きしめられているはずなのに姉ちゃんがやたら小さく感じられた。
  背はオレより低くてももっと大きく感じていたのに。

6

        *        *        *
『涼子』

 クソッ! 最近のシロウを見ていると昔のあいつとの事ばかり思い出す。
  ずっと昔、心の奥底に沈めたはずなのに、断りなしに勝手に浮かび上がってくる。
  あいつそのままだ。告白断ったはずなのに、いつのまにかそういう関係になってしまっていた。
  おまけに今日シロウの奴に泣いているのに気づかれたかもしれない。よりにもよって、
  あいつなんかに弱いところをみられるのは嫌だ――
  忘れてしまえ、全部――

        *        *        *
『士郎』

 ――自己嫌悪。
  自慰をした。日常的にやっている行為そのものが嫌悪の対象ではない。
  夢とも現実ともはっきりしない姉と交わった感触、今日抱きしめらた時の感触を思い出してやっただけ。
  一瞬の快楽の後に来たのは重い不快感だけ。
  ――何やっているんだろう、オレ。
  こんなのならまだ、振られた相手を思ってやった方がまだマシだ――

 寝たのか横になっていただけなのかよくわからない一夜を過ごした。
  朝食時姉ちゃんは何かに苛立っていて一言も喋ろうとはしなかった。
  自分もその雰囲気に飲まれて何一つ喋ることが出来なかった。
  ――自分でも言いたいことがよくわからないけど。

 昨日姉ちゃんは忘れてしまえって言ってた。でも本当に忘れてしまった方が楽になれるのかな。
  実の父の顔が上手く思い出せない。怒っている顔しか思い出せない。
  楽しいこともあったはずなのによく思い出せない。
  あいつと一緒に遊んだ思い出、あいつが本当に好きだった気持ち、
  そんな事もいつか忘れてしまうのが怖い――

        *        *        *
『モカ』

 よし、と。士郎君はいつも通り中庭にいる。
  こっそり背後から忍び寄って耳にこっそり息を――あれ? 反応なし。
  よく見ると熟睡している。ちぇ、せっかくインパクトの強そうなの考えたのに。

 これってチャンス? 悪戯しちゃおうかなー。
  っと、その前に。こっそり士郎君のポケットから携帯を抜き出し番号確認っと。
  番号ってなまじ知っている人間からだと特別用事でもないと聞きづらいからねえ。
  私の携帯に士郎君の番号登録よし。
  ついでだから士郎君のにも私の登録しちゃおうかなー。あ、これはちょっとやめとこ。
  私からだと涼子にでも聞いたことにすればいいけど、
  勝手に登録されてたら気味悪がるかもしれないからね。

 さて、どういう悪戯しようかなー。あ、そうだ昨日の続き。
  起こさないようなるべく慎重に士郎君をゆっくりゆっくりと横に、男の子だけあってちょっと重い。
  よし、膝枕完成!
  起きるかなーっと思ったけど相当眠り深いみたい。話できないけど、たまにはこういうのもいいかな。
  なんか寝顔見ているだけでもいい感じになるね。何か私お姉さんかお母さんって感じかな。

 あれ? 周りの視線が妙に気になる。えーと、いわゆるバカップル状態?
  自分でやっておいてなんだけど、ちょっと恥ずかしいな。
  その中で特に気になる目に気がついた。彼女――三沢さん、ちょっと前まで士郎君と一緒にいた子。
  他の人は横目で盗み見るような感じなのに彼女だけが遠くからとはいえ真っ直ぐこちらを見ている。
  逃がした魚は大きいとか思って今頃仲直りしようと思っているのかもしれない。
  あれ、付き合ってて別れたんだっけ? それとも告白して振られたんだっけ? どっちだったかなー。
  いや、そもそも相手って彼女だっけ?
  こういうのって一度聞くタイミング逃すと中々聞きづらいからなあ。
  少なくとも今一緒にいないってことは、まあしばらくは大丈夫な気がする。
  どっちにしろ、ちょっと困ったな。結構いい感じになっているのに。

「おはよう」
  士郎君がうっすら目を開けていたので挨拶をする。
  あれ、そういえばこんにちは時間だ。
「……あ、おはようございます。
  えっと……
  ――!」
  士郎君は状況に気づいたらしく慌てて起き上がろうとしていた。
  でもさせないもんね。起き上がろうとする顔に手で押し、無理矢理太ももに押さえつける。
「照れない照れない、もう少しこのままこのまま」
  そういいながら手に力を込める。
「あの、やめてくれません……」
  口では嫌がっていても体は抵抗らしき抵抗はしない。
「ふっふー、ダメダメ」
  士郎君の顔に手を乗せて視界をふさいだまま。ちょっと向こうから送られてくる視線が気になるから、
  その視線を士郎君に見せたくないから。

 少しそんなやりとりがあった後、士郎君はあっさり観念してまな板の上の鯉となった。
「あの、モカさん――昔好きだった人の事ってスッパリ忘れた方が良いと思います?」
  これは脈ありか、そうでないか微妙――
  こっちの事わかってて言っているのかな。別に気づかれていてもいい、
  というか気づいて欲しいんだけど、士郎君なんだがわかってそうで、
  全然わかっていないところあるっぽいからなあ。
「んー、忘れちゃった方がいいんじゃないかな」
  なるべく当たり障りのない返事をしてみる。
「……どうやって忘れたらいいんですか」」
「そうだね、他の人好きになるとか」
  ――ほら、今すぐここにいる子とか。
「……」
  あれ? 士郎君黙り込んだ、これは脈あり?

 

        *        *        *
『涼子』

 ふーん、そうか――
  たまたま通りかかった中庭でシロウとモカが見えた。最近モカが昼にいない理由、
  それとなくシロウの事を聞いてくる理由がようやくわかった。
  大体二人がどういう関係かは察しがつく。少なくとも告白して付き合ってはいない。
  シロウの奴はそんな事があれば隠し通せる程の面の皮はない。
  モカは昔から知っているが悪い奴じゃない。シロウにとっても悪い話じゃないに決まっている――
  ふーん、よかったじゃん、おめでとう――私はそうでも言って軽く笑いながら
  背中を押してやるべき立場なのだろう。しかし心は別の感情を湧き上がらせ苛立つ。
  さらに少し離れたところに、前にシロウをふった三沢さんが見えた。
  シロウとモカを見つめている――後悔と未練のたっぷり、その目が気に入らない。
  更に苛立ちが激しくなる。
  ふったんならふったで、さっさと忘れてしまいなさいよ。
  半ば無意識に近くの壁を殴っていた。

 この場所にいると苛立ちが強くなる一方だ。さっさとこんな場所から去ってやる。

7

        *        *        *
『智子』

 最近避けられている――
  それはきっと私と同じように恥ずかしがっているから、それとも何か勘違いしているから――
  そう思ってたし、そう思うようにしていた。
  でも、最近よく知らない先輩とよく一緒にいるのを見かける。
  お姉さんと思い安心した。
  でも昨日、襟首掴んで歩いてた別の人を「姉ちゃん」と言っていた。
  多分その人は士郎のお姉さんに間違いない。
  今日偶々廊下で見かけたとき名札で同じ姓だったのを確認した。
  じゃあ、あの先輩とはどういう関係なのだろう。
  仲良さそうだった。膝枕までしてもらって、多分親しい関係に違いない。
  もしお姉さんなら変な心配した、と胸を撫で下ろして終わり。でも、あの人は違う。
  ただの友達って雰囲気でもなかった――
  士郎は私が好きだから告白してくれたんだよね、私と同じ気持ちだから。
  でも、あの人は誰? 私より好きな人? 私なにか嫌われるような事でもしたのかな……

 臆病だ――
  自信がない――
  踏み出せない――
  聞けない――
  言えない――

 今、士郎は私の事どう思っているかわからない――
  そして聞くのが怖い。もし他に好きな人がいるって言われたら――

 士郎に近づくのが怖い。
  ――少し前まであんな一緒にいて、一緒にいたかったはずなのに。

        *        *        *
『士郎』

 自分の部屋でゴロゴロしている。そろそろ寝ようかどうか考える時間帯だ。
  ――今日はモカさんにされるがままだった。
  自分って何でああいう時なんで強くでられないんだろう。
  でも膝枕なんてされたの何時以来だろう。確か婆ちゃんの家にいた頃、
  婆ちゃんにしてもらったぐらいかな。
  ――いや、他にも一度だけある。
  確か小六ぐらいだったか左手の骨が折れたことがあった。
  まあ右手じゃなかったのが不幸中の幸いで日常生活には少々不便な事はあったが
  それ程困ることはなかった。
  しかし物凄く困ったことが一つ生じた――耳掻きだ。
  左手の指先までガチガチにギプスで固められていた。
  だから右手で耳掻きをつかい頑張って左耳を掻こうとするが上手くいかない。
  そんな光景を見て姉ちゃんが歯がゆく思ったらしく「かしなさい、私がやったげる!」と一言。
  嫌な予感がしたので素直に遠慮の言葉を発したが、それは意味なく「いいから、いいから」の言葉で
  頭を太ももの上に押さえつけられて力いっぱい耳掻きされた。
  左のついでに右耳も力いっぱい――

 ――嫌な予感は見事的中し、力加減なしで耳掻きしてくれたお陰で、しばらく耳が痛かった。

 そんな事を思い出していたら耳掻きしたくなってきた。
  耳掻きのあるリビングへと足を向けていた。

 リビングには姉ちゃんが寝ていた。
  それと缶の山――酒の。
  いくら親不在だからってこんなに堂々と未成年が飲むなよ。
  そう思いながらも一応は放っておけない。
「姉ちゃん、もう夏じゃないんだから、こんなところで寝ていたら風邪引くよ?」
  肩を揺さぶってみるが返事はない。
  困ったな。いくら女の子でも担いで二階まであがるのは面倒くさい。毛布とってくるか。
「――ごめん」
  なに? 姉ちゃんがオレに謝っている?
「……信じてなかった……全部……」
  しかも泣いている。こういう風に泣いている顔を見たのって初めてだ。
  でも、寝言か。
  なぜだか、そっと優しく頭を撫でてやりたくなった。
  ――でも、そんな事してて起きられたら半殺しの目に会うんだろうな。
  そんな考えが頭をよぎった為伸ばしかけた手を引っ込めた時を見計らった様に
  姉ちゃんは気だるそうに頭を動かした。
「……あんた、なんかしようとした?」ボソリと問いかけてくる。
  慌てて首を振って否定する。別にエッチなことをしようとしていた訳ではない。
  でも何故だか少し後ろめたいのものがあった。
  オレの方をつまらなさそうに見た後、ゆっくりと体を起こしていた――が動きが妖しい。
  真っ直ぐ立っていない、グネグネ揺れている。完全に酔っている。
  見ているこっちの方が不安になってくる。
  たまらず倒れかけた体を半ば無意識で受け止めていた。
  ――柔らかい体。女の体。
  最近強烈に意識し始めたそれだった。
「離しなさい――」
  こちらの僅かばかりかの下心を見透かした様な声で強がりとも警告とも取れる言葉を発していた。
「――あ、うん」
  慌てて体を離したら姉ちゃんはそのまま千鳥足でリビングを出て行った。
  怪しい動きを背後から姉ちゃんが自分の部屋に着くまで見送った。
「……何か私に言いたいことでもある?」自分の部屋のドアを開ける前、こちらには振り向かず尋ねてきた。
「――いや、別に」
  何と言いたいのだろう、本当は。

 ――もう寝よう。そう思い自分もベッドに入った。
  心にモヤモヤが残っていたが、最近あまり眠れてなかったせいか直ぐに瞼が重くなってきた。
  程よく深い眠りにはいりかけた頃、携帯から鳴る。これはメールじゃない、電話だ。
  もういいオレは寝る。そう思い携帯から発する音を無視し布団の中に潜り込んだ。

        *        *        *
『モカ』

 ふっふー、士郎君の番号ゲット! 入手手段はどうあれゲットしたことには代わりないもんねー。
  自室のベッドでゴロゴロ転げまわってみる。あー、なんか幸せ気分。
  あー、随分昔から近くにいたのに何でもっと早く気づいて、早く手をつけなかったのかな私。

 さって、何て言って電話かけようかなー。
  『ちょっと話したかったから』
  『ちょっと声聞きたかったの』
  んー、友達以上恋人未満にかけるのには凄く微妙な気がする。
  いつも友達に何気なくかけている電話に理由と呼べるようなものなんて殆どないのに
  今は凄く理由がなくちゃいけない気がする。
  さりげなく、それでいてグッとくるようなかける理由。

 『この間付き合ってくれたお礼に今度は私が付き合ってあげるけど何処がいい?』

 これだ! これだよ!
  お礼を言っているようで、ついでに週末のデートの約束も取り付けれる一石二鳥。

 恐る恐るボタンを押し、単調な呼び出し音を聞きドキドキしながら待つ。
  あー! 呼び出し音ってこんなに長いのだっけ、早く出てよ。待ち遠しい。
  足が勝手にバタつく。

 ――散々待ったが出てくれなかった。
「もう寝ちゃったのかー」
  仕方ないから私も寝ようっと。

8

        *        *        *
『士郎』

 朝起きてみると携帯には知らない番号からの着信があった。
  誰か友達の携帯の番号でも変わったのだろうか、用事があればいずれまたかかってくるか、
  直接言ってくる――でも最近クラスの友達とは話していない。
  それ以外は普通の朝だった。姉ちゃんとは特別会話はなかった。適当な朝の挨拶だけ。
  用事でもない限り、毎朝色々喋っている訳じゃないし、別に気にする事ではない。
  友達も姉妹とは似たような感じだと言っていた。
  いつも通り朝食を作って飯を食っていつも通り学校へ行く。
  ――いや、先週から家を出る時間が変わっていた。
  前までどおりの時間に家を出れば、あいつと同じ電車に乗ることになる。
  教室に行けば必ずいるのはわかりきっているから、授業直前まで図書館で時間を潰す。
  休み時間になればすぐさま教室を出て行く。

 よくわからない。
  どうしたらいいかわからない。
  会うのが怖い。
  話すのが怖い。
  だからずっと逃げている。

 昼にはよくモカさんと一緒にいる。最近なんとなく思わせぶりな態度で少し勘違いしそうになってくる。
  何故モカさんがいつも一人で中庭にいるのかは知らない。
  いつもの様に教室にいれば、あいつと顔をあわせなければいけない。
  どうしたらいいかわからなくなってしまうから、逃げるようにここに来ている。
  モカさんは前々から中庭で昼を過ごしていただけかもしれない。オレが中庭で過ごし始めたのは、
  つい最近のことに過ぎない――逃げるために。
  それからモカさんはよく人の頭を撫でたりする。これは好きになれない。
  お前は子供だって言われている気がして。いや、実際にまだまだ子供なのかもしれない。
  だけどそれを認めたくない自分がいる。
  でもモカさんと一緒にいるのは、それ程嫌いじゃない。柔らかい感じっていうか、お姉さんって感じ。
  姉ちゃんとは違う。一応姉ちゃんにもあるが、そこの部分を取り出し大きく広げてみた感じ。
  いや、姉ちゃんも物凄く優しい時期があった。何もないのにニヤけたり、
  オレの好きなおかず分けてくれたり――いつもの姉ちゃん、問答無用で人のおかずをとったり
  するのを知っている自分には正直言ってかなり不気味だった。
  ひょっとしたらオレ死ぬのかなとすら思った。何故だかわからないけど、
  しばらくして元に戻ったけど。今思えばあの状態が続いていれば自分の人生はもっと幸せだった気がする。

 そう思いながらいつも通りモカさんと並んで座っていると遠くに三沢が見えた。
  向こうもこっちを見ていた。何故だかわからないが心臓が縮み上がった。
  向こうはただの友達――いや今もそう思っているかどうか定かではない。
  とにかく、あいつとは特別な関係ではない。モカさんともそういう訳ではない。
  でも何だろう、まるで悪いことでもしたみたいな今胃の中のモヤモヤは。
  彼女から目線を直ぐに外した。間もなく隣に座っていた人は立ち上がり手を引っ張っていた。
「――ほか行こうか」

 モカさんに引っ張られるままに校舎裏まで来ていた。
「何ですか、こんなところまで引っ張ってきて」
「んー、なんでかなー?」
  モカさんはとぼけたふりをして見せていた。理由はわからないが三沢の視線から逃げる口実には
  よかったのかもしれない。
「あ、そうそう、士郎君って私の電話番号知らないよね?」さっきまでの話題をはぐらかすように
  話を切り替えていた。
「いや、まあそうですけど――」
  この間そのせいで待ちぼうけを喰らった。
「うんうん、今から番号教えるから。えーと――」
「じゃあ、今から――」
  メモリに登録完了し後はこちらからかけてお互い登録完了――のはずだが
「ちょっと待ったー!」
「は?」
  何故だかわからないが止められた。
「士郎君は私の番号知っているけど、私は知らない。ふっふー、この意味ってわかるかなー?」
「へ?」
  本気でわからない。なんだかよくわからないがとにかく向こうは笑っている。
「あの――前も言いましたけど」なんだかわからない展開から抜け出す為、
  今心に圧し掛かっている問題の一つを浮き上げた。
「無理してでも振られた相手って忘れた方がいいんでしょうか」
  モカさんは少し考え込んだ後「がんばりって忘れなよ、力になってあげるから」と
  笑いながら思いっきり背中を叩いた。痛いぐらいの強さで――

 頑張って忘れるってどうやればいいんだろう。でも心の奥底で一つの行動が浮かんでいた。
  多分この行動をとったからって忘れられるわけがない。
  しかし、それ以外自分の気持ちに区切りをつける方法が思いつかなかった。

 

 もう振り切ろう、全部。
  自室で震えながら携帯のメモリから彼女の番号を呼び出す。本当は放課後に言うつもりだったが
  出来なかった。顔を見ると怖くなって逃げ出していた。
「あの――私だけど……」呼び出し音は殆どなく繋がった。
「うん、オレ……」自分の声が震えている。手が震えている。体全体が震えている。
  電話越しとはいえ彼女の声を聞いたのが随分久しぶりの気がする。
「この前は変な事言ってごめん……。オレが前言った事全部忘れていいから……」
  それだけ言って一方的に切った。
  そんな風にしか言えなかった。
  でも本当は別の事が言いたかった。まだ好きです。友達としてでもいいから、また――

 一人きりの部屋が孤独感を煽る。気がついたら声を出して子供の様に泣きじゃくっていた。
「シロウ入るよ」珍しくノックして姉ちゃんが部屋に入ってきていた。
「……また何かあった?」こちらを見下ろしながら問いかけてくる。
「あいつに謝った……変な事言って……ごめんって……忘れてくれって……」
  言葉がうまく口から出せない。
「忘れろとは言ったけど、誰もそんな事までしろって言ってないんだけど。
  さすがに、あんたみたいな馬鹿には付き合いきれない――」
  そう言い捨てると姉ちゃんは部屋から出て行った。
  ハハ、姉ちゃんにまで見捨てられた。ドン底のダメダメじゃねえかオレ。
  また一人ぼっちで泣き始める。

 階段を下りていく音がして、またしばらくして階段を上ってくる音がする。
  また姉ちゃんが部屋に入ってくる。ついさっき付き合いきれないって言ったくせに。
「今酔っているんだけど――」
  姉ちゃんはテーブルの上に缶を乱暴に置いていた。

9

        *        *        *
『モカ』

 ――かかってこない、かかってこない。せっかく今日のお昼教えてあげたのに。
  思わせぶりに言ってるだけじゃわかんないタイプかな。
  ちゃんと「士郎君の電話番号知らないからそっちからかけてね」って言わないと。
  んー、こっちからグイグイ押していかないと駄目なタイプかな、やっぱり。
  こっちから電話かけちゃおーっと――って、私まだ表向き士郎君の携帯番号知らないんだった。
  こんなことなら普通に番号交換しとけばよかったかな。
  もどかしい、もどかしい。足がバタバタ布団を叩く。
「うー、寝よ……」

 

 いつもより少し早く起きたから、少し早く家を出てみた。早起きするといいことあるもんだね。
  駅前にて士郎君発見。
「おっはよー!」
  一気に駆け寄り背中を叩く。
「――!」士郎君の全身に電流が走ったかのように跳ねた。
  あれ? そんなに滅茶苦茶強く叩いたつもりないんだけどな。
「あ……あの、おはようございます……」
  声、顔を見てみると、なんだか元気が無い。
「前にも言ったけど、私でよかったらいくらでも悩み事の相談にのるよ」
  頭を撫でてあげながら、よく見ると震えている。悩んでいるっていうより怯えている感じすらする。
  ああ、私よりずっと体大きい筈なのに、なんだか小動物みたい。このままギュッとしちゃたいぐらい。
「――いや、別に人に話すようなことじゃ……」
  昨日の夜に怖い映画でも見たとか?
  後で涼子からそれとなく聞こうかな。

「おは……」
  朝の教室にていつも通り涼子に挨拶しようとしたけど脊髄がそれを止めた。
  オーラが出ている。強烈すぎる苛立ちと不快感をあらわにしたオーラ。
  こういう時は近づいちゃいけない。物心ついた頃から一緒に遊んでいる私の経験上
  このオーラが見えたら近づかない、話しかけない、話しかけられても無難な相槌ぐらいで済ませる。
  そうしないと寿命が縮む事になる。
  こうなったら最低でも三時間、最長記録で一週間近くこの状態が続く。
  この前の彼とは結局上手くいかなかったんだろう――相手は知らないけど。
  士郎君の事聞きたいんだけどこの調子だと聞けないな。

 

 昼休みになっても士郎君の調子は相変わらずだった。あんまり話してくれないからちょっと寂しい。
  普通怖い映画みたからここまで怖がるかな? 直後ならまだわかるけど、映画とかなら
  ここまで後引かないでしょ普通。
  涼子の八つ当たりの対象になったとか?
  これは同じ家で過ごしている分その辺の対処法についてはなれてそうな気がするけど。
  士郎君の目が私の腰やら胸やらに来ている。私と目線が会った瞬間慌てて目線を逸らした。
  んー、そういう事か。それならそうとズバーっと、ズバーっとアタックかけて来てくれてもいいのに。
  ほんと恥ずかしがり屋さん。
  試しにちょっと士郎君との距離を詰めてみる。士郎君は少し離れようとする。
  やっぱり楽しいなこういう反応。

 士郎君のそんな様子は数日続いた。それからしばらくして吹っ切れたというか、なれたというか、
  開き直ったというか、とにかくよくわからないけど結構調子は戻ってきた。
  自分から私に頼ってこなかったのはちょっと寂しかったけど。
  ちなみに涼子のオーラは引っ込みがつかないまま。むしろ増大している傾向あり。
  よくも悪くも現状維持。
  ――いや、実害はないんだろうけど一つ困ったことがある。
  彼女――士郎君と同じクラスの三沢さん、中庭で時々こっちを見てくる。
  その目で士郎君は困った表情になる。
  彼女の顔を見ていると何となくわかる。ああいう子は放っておくと胸の奥に色々と溜め込んで
  腐らせていくタイプ。本当は言いたいことあっても口を噤んでしまうタイプ。
  実際に以前廊下などで私に会った時に何かを言いかけて止めている。
  直ぐにどうこうって訳じゃないけど、士郎君は苦手っぽいし、それとなく避けといた方がいいかな。
「明日から屋上とか行ってみようか」

 

「……あの……いいですか」
  ある日廊下で呼び止められた。
「――士郎とはどういう関係なんですか……」彼女、三沢さんは今にも噴出しそうな色んな物を
  押さえ込みながら声を出していた。。
  はあ、動き出したか。一応放っておいても直接的な行動には出ないと思ってたけど、ちょっと計算外。
「多分見たままだと思うけど? 少なくともあなたよりは付き合い長いと思うよ。
  彼の家には何度も泊ったことあるし」別に前もって練習したわけでも考えていた訳でもないが
  口はすらすらと言葉を並べていた。
  嘘はついてないもんねー。士郎君はこっちに来て間もない頃から知っているし、
  涼子の家は士郎君の家でもあるからね。
  彼女は顔を俯け、両手をギュッと握り締め息を止め体を小刻みに震わせている。
  ほんと今にも泣き出しそうな顔。どこまでの関係だったかは知らないけど早く忘れて
  新しい恋でも探した方がいいよ、本当に。まあもうちょっと違う状況なら両者の背中押すぐらいは
  してあげてたんだろうけど。
「他に用がないのなら私もう行くけどいい?」
  返事はない。彼女は全身を振るわせたまま黙り込んでいる。
  その沈黙を返事とし私は再び歩き始めた。

 彼女から見えなくなった所で深呼吸。
  わざわざ私の方に聞きに来た、それに「私達は付き合っている」とか言ってこない事から
  未だ士郎君と上手くいっていないのは確かだ。
  でも何となくあの子無視し辛くなってきたな。士郎君とはもうしばらく程よく生温い感じの
  友達以上恋人未満の微妙な関係楽しんでいたかったのに。
  私から言っちゃおうか、もう思い切って。本当は向こうから告白してくれるのが
  一番よかったんだけどなー。

「士郎君の場合『それとなく』じゃ駄目だよね。ダイレクトにいかないと」
  決行は今週末。頭の中でどうやって行こうか作戦をめぐらせていた。

10

        *        *        *
『智子』

 前言った事全部忘れていいから――
  さっきかかってきた電話の言葉。
  どういう意味なんだろう、ついこの間付き合わないかって言われたのに。
  最近士郎と仲良くしている二年の人――恋人には別に私じゃなくて誰でも良かったのかな。
  なんであの時おいかけてでもちゃんと言うべきだったのかな。
  明日からなんて顔して会ったらいいんだろう。
『あの時私に言ってくれたことは何だったの?』
  そうメールを打とうとしたが全部消した。
『私達友達だよね? 私はまだ好きだから――』
  「好きだから」の続きを書こうとしたら指先が震えて何を書いていいのかわからない。
『私達友達だよね?』
  その文だけが残った。これを送ったらどうなるんだろう。怖い――
  その日は泣きながら眠った――
  結局メールは送れなかった。

 

 秋に落葉樹の下で掃除をすること程馬鹿げてるとしか思えない行為はない。
  掃いても掃いてもすぐに新しく落ちてくる。そのせいもあってか今掃除当番はもっといるはずなのに
  私を含めて二人しかいない。
  イノは動きを止めている私に目もくれず黙々と箒を動かしていた。
「ねえ、イノ、話あるんだけどいい?」
「いいけど」イノはこちらに向かず手を止めることなく返事をしていた。
「……あのさ、男の人って付き合ってくれるなら女の子って誰でもいいのかな?」
「俺の事知ってて言ってる?」ようやくこちらを向いたイノは苦笑していた。
「あ……ごめん……」
  忘れていた。彼が田中と昔付き合っていた事。そして今でも好きだと言う事。
「……よかったら教えてくれないかな、詳しく」
  知りたい。別れた相手だというのに何事もないかのように親しい友達として振舞っていられるのか。
  イノは少し考え込んで頭をかいていた。普段顔に出していないだけやっぱり気にしていること
  なのかもしれない。
「ごめん、言いたくないんだよね、やっぱり――」
「まあ、隠す程のことでもないから」
「中一の秋にあいつと同じ学校に転校して、あいつと隣の席になって、その日のうちに
  ワイワイ言える仲になった。まあ、あいつあんな性格だから誰だってそうしてたんだろうけど、
  初めての転校でうまくやっていけるか緊張してた俺には随分助かった。
  あいつのおかげで直ぐ友達できたしな」
  そういえば私が士郎と遊ぶようになったのは彼女に誘われるままついていったら、
  あいつが居たからだった――
「それから一緒に遊んだりしてて、中二の春ぐらいからこいつのこと本気で好きなのかなって
  思うようになって。二学期に駄目元で告白したら二つ返事でOKだった」
  笑っていた。前から思っていたがやっぱり笑い顔が様になっている。
「うん、それで――」
「女の子と付き合ったのなんて初めてだから何から何まで緊張しっぱなしで――変だろ?
  ついこの間まで一緒に遊んだり話していたりしてたのに。
  俺なりに精一杯気を使ってみてたんだけど、それがあいつには気に食わなかったらしくて、
  ある日友達に戻ろうって言われてな。あんたとはもっと自然体でいたいとか言われて――
  こっちは本気だったから一時間以上くらいついてたけど結局別れた……」
  そこまで言って一旦言葉を止めて空を見上げていた。
  泣いているのかな? やっぱり思い出すと辛いのかもしれない。
「友達に戻ろうって言ったって前みたいに話せるわけないと思ってたのにな、次の日学校で会ってみたら
  何にもなかったように挨拶してくるんだよ? 傑作で友達の中には数ヶ月たってもまだ 付き合って
  いるものだと思っていた奴がいたぐらいだよ……まあ、なんだかんだ言って未だに普通の友達やってる」
「イノって強いんだね……」
「――全然そんな事ない。ふられると胃薬が必要になるような神経細い奴だからな。
  今のところ告白は二勝四敗、またそのうち気が変わるかもって何処かで期待してて、
  それまでは友達でもいいかなって。……まあ良くも悪くも微妙な関係なんだけど」
「……そうなんだ」

 震える指先で未送信になっているメールを送った。
  激しい動悸を抑えながら返信を待っていると『友達だよ』と一言だけ帰ってきた。
  ――何故だか泣いた。

 返信はあったがそれっきり、それから学校で会ってもお互いおどおどして話せない。
  どちらからとなく避けている。
  前みたいに一緒にお昼を食べれない、士郎はいつもあの人と食べている。
  ――イノ、あんたやっぱり強いよ。

「……あの……いいですか」
  彼女――二年の先輩との関係は勘違いかもしれない。
  そんな僅かばかりの望みの元に勇気を出して廊下で偶々見かけた彼女に声をかけていた。
「――士郎とはどういう関係なんですか……」
  その言葉を吐き出すだけで心拍数が上がる。只の友達、従姉、そんな返事を期待しつつ、
  別の返事が返ってくる恐怖に怯えながら彼女を見つめる。
「多分見たままだと思うけど? 少なくともあなたよりは付き合い長いと思うよ。
  彼の家には何度も泊ったことあるし」
  彼女の方が背が低い事もあってか、自然と見下ろす形になっている筈なのに向こうの物怖じしない態度
  こちらが見下ろされている感じすらする。
  家に泊った――小学生じゃないその言葉の意味ぐらいわかる。
「他に用がないのなら私もう行くけどいい?」
  もう何も言える訳がなかった。
  ――全身が震えていることに気づいた。

To be continued...

 

inserted by FC2 system