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不撓家の食卓



前編

この話はいわば後日談です。
第八話以降に起こった諸問題は解決、大槻は怒りを取り戻し(と言っても肉親が殺された
並の激しい怒りが必要で、それ以外は大槻スマイルが出ます)、
不屈がまた行方不明になり、そして勇気と天野は晴れて恋人同士となった後のお話です。

不撓家の食卓 番外編

「温泉旅行!?」
それは随分と唐突な話でした。
「そう、箱根温泉旅行1泊2日の旅」
お母さんがとある旅館の無料招待券を貰ったと言うのです。
「私とお母さんで行くんですか?」
「それがねえ…私ちょっとこの日に出張が入っちゃったのよ」
「そうですか…」
「そんな顔しないの。この招待券は友美にあげるわ、4人まで行けるからお友達でも誘いなさい」
「良いんですか…?」
「良いの良いの」
「お母さん、ありがとうございます」
私は二人の友達と…恋人の姿を思い浮かべました。
あの人達とならきっと楽しい、そう思います。

「「「温泉旅行!?」」」
「私と同じ反応しますね…」
『Phantom Evil Spirits』が閉店時間になり、各々が一息ついた時の話だ。
天野がいつものメンバーで温泉旅行に行こうと言うのだ。
「天野様、兄上、大槻様、そして私ですか?」
「はい、きっと楽しいと思います」
そう言って微笑む天野は破滅的に可愛い。
「勇気君…口元が…」
いかんいかん、自分でもわかる位にやけていた。
「それで、日程は大丈夫ですか?」
日程を見ると、旅行は再来週の土日を使った1泊2日の旅であった。
「親父、行ってきても良いか?」
俺も英知も(たぶん大槻も)『Phantom Evil Spirits』以外に用事は無い筈だ。
「うん、行ってこい」
「用事は無し、俺は行けるぞ」
「私も是非とも御一緒させてください」
「私も…行っても大丈夫かな?」
「はい、みんなで行きましょう」
決定…再来週が楽しみだ。
しかし…いきなり大槻、英知、天野の主力メンバーとついでに皿洗い要員が抜けても大丈夫だろうか…

さて…待ちに待った土曜日だ。
俺達は鳳翼駅に集合していた。
ちなみに店の方は『2週間もあればいくらでも手は打てる』と親父が言っていた。
それに土日は全体の売り上げは平日より上だが、ピーク時の忙しさは平日の方が上だ。
たぶん…なんとかなってるだろう。
「それで、どうやって箱根まで行くんだ?」
たしか箱根ってのは神奈川県と静岡県の間に位置していた筈だ。
「えっと…ここから4駅位乗って…新幹線に乗り換えて…小田原から
箱根登山鉄道を使って箱根湯本に行きます」
天野が手元にあるメモを読みながら答えた。
「今日って新幹線に乗るの!?」
「はい、そうですよ」
騒ぐな田舎者、と言いたいのをぐっとこらえる。
良く考えると俺も新幹線は初めてだ。
「いや、私ってば新幹線に乗るの初めてだから」
どうやら大槻も初めてらしい。
「私は…羽田から不屈の兄上の所に来る時に使いましたね」
「羽田って…空港に何か用事でもあったのか?」
「お忘れですか、私は少し前まで中国に居たのですよ」
「ああ…」
そう言えばそうだったな。
確か…お袋と一緒に暮らしていたとか言ってた。
「天野はどうなんだ?」
「私ですか…天野友美として乗るのは初めてですが…乗った経験はありますね」
天野は苦笑しながら答えた。
そうなのだ…本来矛盾している話だが、天野はある人物の記憶と経験を
受け継いでいるため、時々こんな言い回しをする時があるのだ。
「そう言う勇気君はどうなの?」
「俺か?もちろん…無いっ!」
胸を張って答える。
「兄上、そんな事で威張らないでください」
冷静なツッコミが入る。
英知、流石だな。
  まもなく二番線に、各駅停車…
「みんな、もうすぐ来るみたいだよ」
「おう」
「しかし、この先夢のような温泉旅行が悪夢に変わろうとは…」
「天野?」
「ほぼ全員が…薄々感づいていたっ!」
「天野、頼むから不吉な事を言わないでくれ」
「はい、すいません」
俺達の場合…本当にありうる話だから。

さて、俺達の旅は今の所は順調に進み、今度は新幹線に乗り換えようって時に問題が起きた。
「みなさん、ちょっと聞いてください」
それを聞いて全員が天野に注目する。
「新幹線は指定席で取ってありますが…実はちょっと券を取るのが遅すぎまして、
席が二つづつ少し離れた場所に位置してるんです」
「そっか、じゃあ席順を決めないとな」
「ここはやはり私と大槻様が…」
「あいや待たれい」
英知がそう提案しようとした所、天野が時代劇口調で割り込んだ…
「さてさて、取り出したるは4枚のカード…2枚の市民、そして皇帝と奴隷が描かれています。
順番に引いて、市民を引いた人が前の二つの席に座りましょう。残りは後ろです」
「なんか、ちょっと回りくどい方法だね…」
「まあまあ、せっかくですし楽しみましょうよ。不撓さんから引いていってください」
結局…俺達は天野の提案を呑み、一人づつカードを引いていった。
俺としては天野と組みたいのだが…
「なんか勇気君と二人っきりってのも久しぶりだよね」
大槻と一緒に前の席だった。
まあ、単純計算して確率は3分の1だ。やむをえまい。

…思ったより上手くいきました。
「天野様、不束者ですがどうかよしなに…」
「…英知さん、そんなに畏まらないでください」
実は少し離れた席を取ったのはワザとです。
それと…先ほどは不撓さん、大槻さん、英知さんの順番でEカードを引いてもらいましたが、
実は最初にカードを見せた後ですり替えを行い、4枚全部が市民でした。
そして英知さんが引く時には、袖の下に隠しておいた皇帝をタイミング良く突き出す事で引かせました。
後はみんなにカードをあらためられる前にしまってしまえば完成です。
カードマジックの初歩ですが、知らない人には決して見抜けません。
さて、私に与えられた時間は約2時間弱。
今回は天野面無しでお話でもしましょうか。

「はい、それじゃあ英知さんが思い浮かべたカードを当てて見せましょう」
「そ…そんな事が可能なのですかっ!」
「もちろん可能ですよ。この山札の一番上のカードは…」
  ピラッ
「…愚者、残念ながらこのカードではありませんね?」
「はい」
「ですがこのザ・フールは変幻自在、こうやって指で弾くとあっと言う間に…」
  パチンッ!
「吊られた男…なかなか渋いチョイスをしますね」
「あっ!」
「どうですか?先ほど英知さんが思い浮かべたカードはこれですね?」
「はい、魔力も霊力も感じられないというのに…素晴らしいです」
当然です、これは種と仕掛けで行うマジックですから。
そう言えばお母さんも(今は亡きお師匠様の方です)こうやってマジックを披露してくれましたね。
気が付けば、あの時と同じマジックをしていました。
まあ、流石にザ・フールの件は私の創作ですが。
お母さんがマジックを見せてくれる時はいつも同じ、私が泣いていた時でした。
私も英知さんを…気丈に振舞うのが上手なこの子を…
いえ、きっとできるハズです。
なぜなら今の私とお母さんは…同一人物だから。
到着までの時間も1時間を切りました、そろそろ核心に迫りましょう。
「英知さん」
「なんでしょうか?」
「寂しく…ありませんか?」
そう…それが今回、こんな策略を練った理由。
「そんな事…ありません」
英知さんの目が一瞬泳ぎました。
「嘘です。吊られた男の暗示は中ぶらりん…感情と行動が乖離していませんか?」
英知さんは一瞬だけハッと眼を見開き、私を見ました。
「驚きました、占いとはそこまで見通せる物だったのですね…」
「いえ、これに関しては占いを必要としませんよ」
ほんの僅かですが、あの修羅場をくぐり抜けてから英知さんの元気が無いように感じました。
「そんな事が…」
「なら、今度は英知さんが何を求めているかを当ててみせましょう」
原因は…たぶん推理できます。
あの時まであって、あの時から無い物を探せば良いのです。
「不屈さん…ですね?」
「…はい」
英知さんは静かに頷きました。
不屈さんはあの日、敵陣の真っ只中で行方不明になりました。
生死は不明…それは一ヶ月経った今でも。
きっと英知さんは、私達の想像以上に不安で寂しい思いをしているのでしょう。
英知さんは必要以上に気丈に振舞うのが上手です。
その英知さんが外面に現れる程の寂しい思い…絆の深さの裏返し…
でも…絆の深さなら…
「友情は成長の遅い植物である。それが友情という名の花を咲かすまでは、
  幾度かの試練・困難の打撃を受けて、堪えねばならぬ…」
「…ジョージ・ワシントンの言葉ですね」
一瞬それを否定したい気持ちになりますが、これも試練・困難の打撃だと思って堪えます。
ここからは立て板を流れるような会話が必要ですから。
「思えば、よくあれだけの困難を乗り越えられたとは思いませんか?」
「はい、天野様にはいくら感謝しても足りません」
本当は逆です。
私は英知さんがいなかったらきっと死んでいました。
きっと不撓さんへの想いを封印していました。
ですが…今必要なのは感謝ではありません…
「恩を着せるようで悪いんですが…それなら一つだけ私の頼みを聞いてくれませんか?」
「私にできる事でしたら、是非」
英知さんが身を乗り出します。
私は心の中で謝罪をし、言葉を足します…
「この旅行中だけ…私の事をお姉さんだと思ってくれませんか?」
「お姉さん…」
英知さんの表情が固まりました。
一応わかっているつもりです…あなたが『兄上』という言葉にどんな想いを乗せているのかは。
ですが…
「絆の深さなら決して負けない…そう思っているのは自惚れでしょうか?」
少しの沈黙の後…英知さんは観念したかのように喋り始めました。
「天野様…私のために私に頼みをするのはおかしいです…」
「そうですか?これは私のためなんですよ」
「嘘を言わないでください。貴方は私を元気づけるために…」
「友達が寂しそうにするのは辛いでしょう」
「………」
「………」
「不屈の兄上を忘れるなんてできません…」
「忘れてほしいなんて言いません、むしろ…いつまでも帰りを待ってあげるべきだと思います」
「………」
「………」
「お姉様と…呼んでも構いませんか?」
英知さんは…聞こえるギリギリの声量で呟きました。
うつむき、顔を真っ赤に染めながら。
「はい」
不屈さんの代わりは誰にもできません。
でも…どうか少しでも、この子の寂しさを忘れさせてあげられますように…

 がららっ…
「お姉様、綺麗な部屋ですね」
「本当に…驚きました」
「………」
「………」
襖を開けると、そこは小奇麗な和室であった。
四人部屋としては平均的な広さで、ご丁寧な事に和菓子までサービスされている。
窓から見える外界の景色も悪くない。
どうやらそれなりに良い温泉宿に当たったようだ。
さて、それはそうとして…
「ねえ勇気君…天野さんと英知ちゃんに何があったのかな…」
「わからん…」
そうなのだ、新幹線を降りた辺りから天野と英知の仲が妙に良いのだ。
今も腕を組んで…おまけに英知は天野をお姉様と呼びだす始末…
うう…天野の浮気者、そして英知の裏切り者。
「それじゃあ、早速温泉に浸かりに行きませんか」
天野がそう提案する。
「お姉様、お背中をお流しいたします」
そう言って英知が天野に抱きついた。
「ひゃっ!?」
天野の胸が…あの小振りだが形の整った胸が…英知の顔に…
「待て、それは俺の役だ!」
「ゆ…勇気君!?」
「そしてそこは…俺の指定席だああぁぁっ!!」
英知に飛びかか…ろうとしたが何者かに阻まれた。
いや、それどころか関節技を極められていた。
「へー…」
まあ、何者かと言っても大槻以外に考えられんのだが。
「パ…パロ・スペシャル…」
天野がそう呟く。
いや、技の名前なんてどうでもいいのだが…
「勇気君は普段からそーんな事をしてるんだー…」
怒ってます…大槻さん本気で怒ってます…
たぶん後ろを見たら大槻スマイルが拝めるだろう。
まあ、そんな余裕は無いが。
「そりゃあねー、勇気君と天野さんは悔しいけど恋人同士なんだしねー。
でも、もう少し学生らしい交際しようねー…」
恋人同士という単語を聞いて天野が赤面する。
普段なら微笑ましく感じる所だが…今は助け舟が欲しかったり…
  ぎりぎり…ぎり…
やばい、関節が軋む音が聞こえる。
このままだと確実に両肩が外れるだろう。
だが俺の体で自由になる部分はほとんど無かった。
単純な力比べなら俺が勝つだろうが…こんな無理な体勢では勝てる訳がない。
  …ごんっ
さらに体勢が崩れ額が畳と衝突した。
両肩に掛かる負荷もさらに増していく…
「清く正しく美しく…OK?」
「お…おーけい…」
「ならよろしい」
そう言ってようやく俺は解放された。
「兄上、何をやっているのですか?置いて行きますよ」
なんか最近英知が冷たいような気がする…

さて、俺達は旅館の一階にある大浴場までやって来ていた。
これで少しは先ほどの傷が癒えると良いのだが…
  ガラララッ…
…お、思ったよりも綺麗に手入れが行き届いてる。
「不撓さーん、居ますかー?」
隣から天野の声が響いてくる。
隣は…女湯か。
「この手の話のお約束道りなら、ここは混浴なんですけどねー」
「そんなお約束が守られてたまるかー」
他に客も居ないようなので、正直な感想を天野に返す。
別に期待してた訳じゃないからな…本当だぞっ!
「不撓さーん」
「何だー?」
「英知さんは成長期ですよー」
「どーゆー意味だー!?」
やばい、股間が不埒な想像に反応し始めた…
本当に混浴でなくてよかった。
英知という同居人が増えたせいか、ここしばらく精を放った記憶が無い。
そんな俺にこの会話は酷だ…
「お姉様、そのような事を…」
「えいっ」
「…あっ…やぁ…そんな…」
先ほどより小声で…それでもしっかりと聞こえる声で、英知のくぐもった声が聞こえてきた。
「そんな所を…急に吸っては…」
「よいではないか…よいではないか…」
すでに俺のアレは抜き差しならない状況になり、全身が金縛りにあったかのように硬直していた。
右良し…左良し…もう一度右良し…
「勇気くーん」
…大槻の声で我に返った。
右手が俺の意識を離れ、俺の竿をしごいていたのだ。
「こ…今度は何だー?」
あわてて返事をする、声が裏返っていた。
「さみしいよー…」
泣くな大槻、気持ちはわかる…気がするぞ。
「駄目…あっ…あぁん…」
さらに英知のエロ声が辺りに響く…
落ち着け…静まれ…
ここで自慰行為をしたら、俺は一生英知の顔を直視できなくなるぞ…
「あ…あぁ…ああぁーーー!!!」
正確な時間はわからんが、長い長い時間の後に英知が達したと思われる声がした。
…途中で他の客が来なくて本当に良かった。
とにかく俺は耐えた、耐え切った。
てか俺は…何をしにここまで来たんだろう…

「第一回…温泉卓球トーナメントーっ!!!」
風呂から出た俺を待っていたのは、何故か元気一杯の天野と何故か上気して
ややおとなしくなった英知であった。
大槻は…いつも通りに周りの環境に流されている。
「はい、それじゃあ組み合わせを決めますよ」
そう言って天野が待ちだしたのは先ほどのと同じカードだった。
卓球か…言われてみれば実際にやるのは初めてだが、まあなんとかなるだろう。

第一回戦 勇気and陽子ペアVS友美and英知コンビ

「…て、もはやトーナメントですらねぇ!」
「いえいえ、タッグトーナメントですから」
天野はそう言うが、違いが良くわからん…
そもそも二回戦以降があるのか…
「勇気君、付き合いの長さの差を見せつけてあげよう」
「大槻様、私とお姉様の絆を甘く見ないでください」
大槻も英知も既にやる気満々だった。
「勇気君、ルールはわかる?」
「要はダブルスだろ、こうなったらやってやるよ…」
まあ、せっかくの旅行なんだ。
こうなったらとことんまで楽しませてもらおう。

…結局、タッグトーナメントとやらは友美and英知コンビの優勝に終わった。
卓球のダブルスにおいて、利き腕が同じコンビは連携がとり辛い。
俺は両方の腕を同等に動かせるように訓練してあるが、その点天野と英知は二人とも右利きだった。
それに俺と大槻はこのメンバーの中では一番付き合いが長い、故に呼吸も合わせ易かった。
こと連携においてはこちらの方が確実に上だったのだ。
だが…俺達の敗因は二つあった。
まず二人とも考えが表情に出易く、またフェイントの類も苦手だった。
天野はああ見えて他人の表情から感情を読み取るのが上手い。
天野は事前に察知した攻撃ポイントを的確に英知に伝え、確実に守りを固めていたのだ。
もう一つの敗因は天野の悪魔殺法であった。
悪魔殺法とは…要は人道に反する戦法の事である。
余所見をしながらサーブを打つ、天野が打つと見せかけ英知が打つ、
まるでテニスの如く全力でラケットを叩きつける…
ここまでは良い、ここまではまだ許せる。
ピンポン玉を二つに増やす、卓球台を揺らす、他人の顔面目掛けて全力で玉を飛ばす…
これは確実にルール違反だと思う。
砂を投げる、玉と一緒にラケットを飛ばす、ついでに魔術で火を放つ…
ここまでくると逆に感心してしまう程の卑怯っぷりだ。
大槻などは途中から大槻スマイルを浮かべてプレイしていた程だ。
試合が終了した瞬間に、俺達はリアルファイトに突入していた。
ちなみに…二回戦以降は存在しなかった。

「不撓さん」
夕食後、俺が売店でみやげ物を物色していた時、天野が声をかけてきた。
「天野か、どうした?」
久しぶり…という訳でもないが、二人きりの状態はまだ緊張する。
「デート…しませんか?」
ましてや、上目使いでこんな台詞を言われたら尚更だ。
「デート?」
思わずオウム返しのようになってしまう。
「はい、ここから少し山を登った所にも温泉があるらしいんです。良かったら一緒に行きませんか?」
「そっか、なら行くか」
二つ返事だった。
なるべく冷静を装って答えたのだが…どうせ天野にはバレバレだろうな。

俺達は山道を歩く…
天野との間に会話は無い。
天野も緊張しているのか、それとも単に話したくないだけか…いかんいかん、
思考がネガティブになっているな。
実は俺は天野とデートをした事は無い。
正式に恋人同士になってから日も浅いし、天野が『Phantom Evil Spirits』を
手伝うようになってから忙しくなったからだ。
つまり…初デートという事になる。
そう考えると余計に緊張してしまう。
いっそ他の事を考えるか…
「なあ、天野」
「はい?」
気が付けば天野に話しかけていた。
こんな時に言うのも何だが、ちょっと引っかかる事があったのだ。
「新幹線の席が離れてたの…あれ、わざとだろ?」
「あら、バレちゃいましたか…」
天野は少しだけ照れくさそうに笑った。
「英知と二人きりになったのもわざとなのか?」
「はい」
「そっか…」
まあ、半ば確信めいた物があった。
天野は善良そうに見えて実は抜け目が無い、その天野があんなミスをするとは思えなかったのだ。
もっとも、それに気が付いたのは英知が天野を『お姉様』と呼んだ時だったのだが…
「…ありがとな」
「えっと…何がでしょうか?」
「英知の事を元気付けてくれたんだろ?」
天野は抜け目が無いが人が良い、きっと少し元気の無い英知を気遣ってくれたんだろう。
「それもそうなんですけど…本当は、もう一つ動機がありました」
そう言って天野は足を止めてこちらに振り向いた。
「動機?」
俺も釣られて足を止める。
すると天野は少し背伸びをして…キスをしてきた。
「だって不撓さんが嫉妬する所を見た事ありませんから」
「お前な…」
まいった、完全に不意打ちをもらった。
「だからって普通英知を相手に選ぶか?」
停止した思考を再起動させて、俺は天野に文句を言う。
「だって不撓さん以外の男性に興味ありませんから」
「なっ…!?」
また…とんでもなく恥ずかしくて、とんでもなく嬉しい言葉を天野は言う。
きっと俺はとんでもなく赤面している事だろう。
「不撓さん、着いたみたいですよ」
俺達は…秘境と呼ぶにふさわしい寂れた温泉を見つけた。

「ふぅ…」
湯船に浸かりながら、先ほどの言葉を反芻する。
『だって不撓さんが嫉妬する所を見た事ありませんから』
まったく…ずいぶんと面白い事を言ってくれる。
天野は美人さんなんだから、きっとこれから男が言い寄って来るだろう。
俺はきっと…その度に嫉妬して、その度に不安に思うだろう。
はたして俺は耐えられるのだろうか?
はたして天野は俺を選んでくれるのだろうか?
今でさえこんなに不安なんだ、その時が来たらどうなるかわからない。
そこまで考えた時、ふと背後から人の気配を感じた。
先客だろうか?そう思って振り返ると…天野が居た。
「あら、見つかっちゃいましたか」
「天野!?ここは男湯だぞ」
「だから…です」
一糸も纏わぬ天野が近づいて来る…
俺は一歩も…いや、指一本たりとも動けなかった。
「人が来たらどうするんだ…」
「大丈夫、来ませんよ…」
俺は天野から目が離せなかった。
少し赤く紅潮している天野の顔を…
白い肌を…薄っすらと浮き上がる鎖骨を…
水面近くに見える胸を…
「血…頂いても良いですか…」
「ああ…」
かぷ…と、天野が首筋に噛み付く。
針で刺したような小さな痛みの後、まるで首筋が性感帯になったかのような感覚を覚える。
それはいつもと同じ行為…だが、いつもの何倍も興奮していた。
吸血鬼が欲するのは生命力、それは精液を介しても集められる。
それ故に一部の吸血鬼は他者の血を吸う際、その者に強い性的快感を与えるらしい。
その方が血も精も集め易いからだ。
俺としてはそう易々と天野を襲う訳にはいかない。そこは気力と根性で耐えている。
だが…今の俺にはこの光景は魅力的すぎた。
「天野…」
俺は天野を強く抱きしめていた。
俺がこの世で最も愛しく感じる者を…より近くで感じていたいから…
「不撓さん…良いですよ…最後まで…」
その言葉は俺の理性にトドメを刺した。
「天野っ!」
俺は天野の胸にむしゃぶりついた。
手のひらに収まる程小さいが…しっかりと弾力を感じる胸に…
「あんっ…」
乳首をしゃぶった…もう片方は手で揉みしだいた…
初めての感覚に酔いしれる…
傍から見れば幼児退行を起こしたように見えるだろうが、そんな事はおかまいなしだ。
「んんっ…」
今度は天野の唇を奪い、舌を貪った…
天野の舌はどこまでも柔らかく…少しだけ鉄の味がした…
水中で天野の指が俺のモノを扱き始めた…
「「…ぷはっ」」
二人同時に息継ぎをする。
水中で感じる天野の手の動きはより早くなってゆき…俺に快感を与え続ける…
「気持ち良いですか…」
「ああ…」
生返事しか返す事ができなかった。
その微笑みは限り無く卑猥で…その動きは洗練されていた…
もはや俺は数秒と保たないだろう…
「天野…もう…」
すると、天野は手を止めた。
「中で…出したいですか?」
俺はその微笑に心を奪われていた…
もっと近くで…より近くで天野を感じたかった。
すでに俺のモノは臨戦態勢に入っており、今にも弾けんばかりに誇張している。
この温泉は透明度が高く、天野の秘所がしっかりと見て取れた。
入れたい…出したい…天野を感じたい…
俺にはこの欲望を抑える手立ては無かった。
「天野…良いか?」
確認…これは最後の確認…
俺の理性を決壊させる言葉を…俺は待った。
天野の白銀の目は…真っ直ぐにこちらを向いていた。
「…はい」
もはや一瞬たりとも待てはしなかった。
俺はすぐさま竿の先端を天野の割れ目にあてがい、腰を突き出した…
「んんっ!」
人生で二度目の膣内の感触は…俺に絶対的な快感を与えた…
柔らかく…それでいてきつく締め付けるそこは…快感と共に俺の精神を溶かしていく…
「あ…あんっ…」
天野が抱きついてくる…
天野の匂いも…肌の感触も…俺を絶頂に導いていく…
  びゅく、びゅく、びゅく…
達した…僅かな時間しか保たなかった…
天野の膣はそれだけ破壊的だった…
「不撓さん…美味しいです」
…天野は再び妖艶に微笑んだ。

 ちゅば…ちゅば…
俺達は湯船から上がり、再び行為を再開した。
天野が俺のモノを咥え…指は袋を弄んでいた…
俺のモノは一瞬にして硬さを取り戻し、再び天野を求めて怒張する…
「元気でましたね…」
その顔は…なんて艶かしいのだろう…
天野はゆっくりと俺を押し倒し、今度は上に跨ってきた…
「いきますよ…」
  ずずず…
天野の熱が…再び俺のモノを包み込んだ…
駄目だ…この快感は強すぎる…
俺にはただ惰性のように腰を揺さぶる事しかできなかった…
「あんっ…あんっ…」
天野の喘ぎ声が聞こえる…
俺はその声だけを頼りに…ただ腰を揺り動かす…
「あっ…ああっ…」
いつか夢に見た光景…だが現実はそれを遥かに凌ぐ…
  びゅく、びゅく、びゅく…
二度目の絶頂…だが勢いは全く衰えていなかった…
「ああんっ…」
だが俺は止まらない…
俺は天野を強く抱きしめ…そのまま抱き合うように揺さぶりを再開した…
「んんっ…ああっ…」
天野の膣内の感触は…一瞬で俺のモノを復活させる…
「あっあっああっ…」
天野の嬌声が速くなる…俺の動きもそれに釣られる…
少しでも…少しでも天野に感じさせてやりたかった…
それと同時に…少しでも天野を感じたかった…
「ああっ…ぐっ…」
天野がこちらに寄りかかり…首筋に先の感触が蘇る…
「んっんっんっんっ…」
全身のあらゆる場所で天野を感じていた…
特に股間と首が感じる快感は…俺の語彙では表せない…
「んっんっんっんっ…」
天野天野天野天野天野天野天野天野…
「んっ…あああぁぁぁっ…」
  びゅく、びゅく、びゅく、びゅく…
その瞬間…俺の視界は白く染まった…

「不撓さん…」
眼が覚めると、そこは更衣室であった。
「天野…か?」
「はい」
隣には天野が居て…俺も天野も服を着ていた。
「天野が着せてくれたのか?」
「はい、風邪を引いちゃいますから」
「そっか…ありがとな」
起き上がり壁に掛けてある時計を見る…気絶していた時間は意外と短かった。
「じゃあ帰るか」
「はい」

建物を出ると、扉には来る時には無かった張り紙がしてあった。
『清掃中』
何故かとても見覚えのある文字だった。
天野が素早くその張り紙を剥がし、俺達は帰路についた。
どちらからでもなく俺達は手を繋いでいた。
天野の温もりが感じられた。
「なあ、天野」
「なんですか?」
「なんか…妙に手馴れてなかったか?」
少しだけ聞くのが怖かった。
だが…俺の性格上、聞かずにはいられなかった。
「当然でしょう、経験…ありますから」
天野は無表情に答えた。
ガンッと、頭が殴られたような気がした。
俺の不安は…的中した。
天野は過去に…誰かに体を許していたのだ。
「マジ…か?」
すると…天野は急に微笑んだ。
「大丈夫ですよ、経験はありますがこの体は今日まで処女でした」
「へっ…?」
「でも、不撓さんって嫉妬するとそんな顔をするんですね」
まいった…どうやら天野にまんまと一杯食わされたようだ。
「…この野郎」
  こつんっ
「痛っ…ひどいですよ…」
天野が抗議の眼を向ける。
「やかましい、恋人をからかうんじゃありません」
「はーい…」
やっぱり駄目だ…俺はどうしようもない位に天野に惚れている…
「天野」
「はい?」
「大好きだぞ」
「私もです」
俺達は宿に着くまで、手を繋ぎ続けた…

後編

長い長い道のりを天野と一緒に歩き、ようやく部屋へと戻ってきた。
「あの……不撓さん」
「どうした?」
「流石にちょっと恥ずかしいですので……」
そう言われて自分達が手を繋ぎ続けていたのを思い出す。
俺も天野も一瞬にして顔を真っ赤に紅潮していくのがわかった。
だが……それでもその温もりは消えない。
逆に手にどんどん力が入っていった。
「なんだか、名残惜しい気もしますね」
「そうだな」
部屋の前で立ちすくむ、できる事ならずっとこのままでいたい。
天野も同じ事を考えていると思っても良いのだろうか?
「不撓さん」「天野」
……同時だった。
まるで一昔前のドラマのようだ。
「どうしたんだ?天野」
「えっと……もしかして、不撓さんも同じ事を考えているのかな……と思いまして」
なんだ……悩む必要も考える必要も、聞く必要だって無いじゃないか。
「ああ、きっと同じだよ」
迷わず答えた。
これ以外の答えは何も思いつかなかった。
「不撓さん……」
きっと……天野も同じ気持ちだと思う。
俺のうぬぼれだろうか?
いや、それでも俺は天野を信じていたかった。
「……浮気は絶対に許しませんよ」
「待て天野、何を考えていた?」
……台無しだった。

 ガチャ……
ドアを開けた瞬間、妙に甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐった。
「天野っ!」
「不撓さんは離れていてください、毒物の可能性があります」
部屋と靴置き場を隔てる襖から距離を取る。
迂闊だった……大槻が狙われる可能性は0になった訳じゃない。
こうなる事も予測しておくべきだった。
「どうする、襖に穴を開けて流出させるか?」
「離れていてください、私が突入します」
「大丈夫なのか?」
「対人間用の毒は吸血鬼には通用しません、たぶん大丈夫です」
そう言うと天野は素早く襖の陰に移動し……手をかけた。
アイコンタクトをとる……わかっている、何かあったらすぐに行動できる。
「……んっ……はんっ……」
妙な声が聞こえた。
もう一度アイコンタクトをとる……天野にも聞こえていたようだ。
……って待てよ、今の声は聞き覚えがあるんじゃないか?
それにこの匂いもどこかで……
「なんだか嫌な予感がするのだが……」
「この声……大槻さんですよね……」
……ああ、どこかで聞いた声だと思ったが。
言われてみれば確かに大槻の声だった。
そして4年以上の付き合いなのに言われるまで気づかない俺。
「やんっ……駄目……これ以上……はうんっ……」
よくよく耳を澄ませれば英知の声も聞こえてきた。
ついでにこの匂いの正体も思い出した。
これは確か以前英知から逆レイプされた時に嗅いだ匂いだ。
曰く『媚薬の一種』だとか。
……だんだん中で何が起きているのか想像がついてきたな。
「突入……しても良いんでしょうか?」
「大槻が英知に襲われてる可能性もあるからな。一応、助けに行った方が良いんじゃないか」
「でもお楽しみ中だったら……」
「英知はともかく大槻が両刀って事は無いと思うぞ……自信は無いが」
英知に関しては今更どんな性癖があったとしても俺は驚かん。
天野はそれでも何秒か躊躇し……そして意を決して襖を開けた。

 ガラッ……
むせ返るような汗の臭いと共に、甘い匂いが一段と強さを増す。
それと同時に視界に飛び込んできたのは、案の定互いの性器を擦り合わせ
少しでも多くの快楽を得ようともがく二人の少女であった。
「あっ、あっ、あんっ……」
「くっ、あんっ、はうぅっ……」
こちらに気づいた様子も無い、よっぽど夢中になっているのか。
だが散らかった布団、はだけた浴衣、焦点の合わない眼……やべぇ、凄くやらしい。
「どうします……」
「とりあえず窓を開けてくれ、この匂いの効果は意外とすぐに切れた筈だ」
すぐに天野が窓を全開にする。
逆に俺はドアを閉める、この匂いが他の客を襲い始めたら厄介だからな。
息を止め窓に近づく、幸いな事に今回は全身が脱力したりはしなかった。
「はんっ、はんっ、ああううぅぅっ……」
「やぁっ、駄目、駄目ぇぇっ……」
だが媚薬としての効果なのか、それともこの二人を見ていたからなのか、
俺のアレは痛々しい程に勃起してしまっていた。
「……不撓さん」
「不可抗力だ、許せ」
睨むな、低い声を出すな、そして殺気を放つな。
「一気に空気を入れ替えます、伏せていてください」
「天野?」
「吹けよ無情の野分の風よ……」
……聞いてねぇし。
「竜巻地獄っっ!!」
  ブワァッ!!!
凄まじい勢いの旋風が部屋中を駆け抜け、一瞬にして甘ったるい匂いを雲散させる。
「あっ……兄上!?いつからそこへ?」
その突風を受けてようやく英知がこちらに気づいたらしい。
「英知、これはどういう事だ?事と次第によってはレッグ・スプリットだ」
「やっ、駄目です……ちょっ!?そこは……ああっ!!」
やれやれ、まだ返事をする余裕は無さそうだ。
英知は耐性でもあるのか、多少はこちらを気にしている様だ。
「あんっ、あんっ、はあぁっ……」
だが大槻は完全に眼がイッてしまっている。
口も眼も大きく見開きながらただ身体を揺らすその姿を見ると、
どうしても4年前の公園を思い出してしまう。
四年前の……パジャマ……いかん、思い出したらまた興奮し始めた。
「……不撓さん」
「だから不可抗力だ」
睨むな、低い声を出すな、そして殺気を放つな……頼むから。
どちらにせよこれ以上ここに居るのは得策ではなさそうだ。
英知からは話を聞ける状況ではないし、大槻は半狂乱だし、それにこれ以上ここに居たら
俺の理性が保たん。
理性……と言うよりはむしろ神経と心臓が保たん。
「ところで、今の内に不撓さんとゆっ……くりとお話がしたいんですけど」
「いや、だから不可抗力なんだって」
もしこの状況下で下半身が何の反応も示さない男が居るとすれば、そいつは不能か
精も根も尽き果てている奴だろう。
「それもありますけど、別件の事もゆっ……くりと」
そう言うと天野は俺の手を掴み、そのまま問答無用で連れ去られるのであった。
……情けないと言う事なかれ、単純なパワーなら天野の方が上なのだ。
こうして俺達は再び互いの手を繋ぐ事となったのだが、二度目は別の意味で緊張するハメに
なるのであった。

 ……翌日……
「「サンダーウイングリュウケンドーライジン!
サンダーウイングリュウケンドーライジン!
サンダーウイングリュウケンドーライジン!」」
箱根温泉旅行二日目の朝はそんな訳のわからない声で始まった。
いつの間にか眠って……いや、気絶していたらしい。
あの後天野に人気の無い場所に連れて来られ、そのまま気力と体力が尽きるまで
イカされ続けたのだった。
どこで覚えたのかは知らんが、手や口はもちろん素股や足、脇、文字通り身体のあらゆる部分が
俺に襲いかかってきたのだ。
結局俺が数十回の絶頂を迎え精も根も尽き果てるまで、俺は天野をイカせる事はおろか
主導権を握る事も挿入する事も無かったのであった……
ううぅ……思い出したら劣等感が蘇ってきた。
一晩分回復したとはいえ、未だ気だるい体を起こす。
「……何やってるんだ?」
そこには食い入るかの様にテレビに注目する天野と英知が居た。
天野は昨日と同じく浴衣姿、英知は始めて見る姿……パジャマ姿だった。
英知と関係の深い植物を連想させる淡い緑を基調とし、所々にやや濃い緑色の水玉模様が
描かれたパジャマだ。
家では常にネグリジェを愛用し、決して見る事のできなかった英知のパジャマ姿。
それは俺にまるで破城鎚のような衝撃と感動を強要した。
英知と言えばネグリジェ、その既成概念を打ち破るばかりではなく、その姿はその姿単体で見ても
十二分に破壊力を秘めていた。
常にやや大人びた……いや、背伸びをした言動をし続けていた英知。
しかしその英知が時折魅せる子供っぽさの持つ破壊力を改めて確認したような気がする。
眼を輝かせテレビを食い入るように見つめる英知、ほんの少しだけ大きめのパジャマを身につける英知、
今この瞬間だけは年相応の少女をやっている英知。
それら全てが英知のアンバランスさとでも言うべき物を演出し、昇華させているのだ。
それはどんなに小さき欠落もゆるさない絶妙なるアンバランスのバランス。
まさしくパジャマ・オブ・英知だ。
「兄上、泣いておられるのですか?」
「……ん?いや、別になんでもない」
英知から声をかけられ正気を取り戻す。
いつの間にやら番組はCMに入ったようだ。
天野は……まだテレビに見入っている。
  鍵の数だけサウンドが楽しめる。全魔弾キー対応、DXザンリュウジン。
……CMがそんなに面白いのかね?
まあ良い、昨日気絶するほど絞り取られたと言うのに男の生理現象……
朝立ちはしっかりと起こっている。
昨日の様に妙な焼きもちを焼かれる前にトイレにでも行って収まるのを待つとしよう。
「……えい」
……甘かった。
天野の両足が浴衣越しに俺のモノを挟んでいた。
そのまま昨晩の様に圧迫と開放を繰り返し、ゆっくりと……だが確実に快感を蓄積させてくる。
まずい、このままでは俺はまたなす術も無く一方的にイカされる。
しかも相手はよそ見をしながらでだ。
天野よ、昨日も思ったがどこで覚えたんだこんなテクニック。
……が、幸か不幸かじきに天野の足は動きを止めた。
なんて事はない、CMが終わり天野の注意がそっちへ向かったのだ。
てか……俺よりもテレビの方が大事なのか?
かなり複雑な心境だが、俺は再びCMが始まる前に大浴場へと避難する事にした。

ががががががががっ……
「あ”あ”あ”あ”あ”〜〜〜」
温泉にゆっくりと浸かった後のマッサージ器ほど日頃の疲れを癒せる物が他にあるだろうか?
思わずやや険悪になっている天野の機嫌の事を忘れてしまう気持ち良さだ。
いや……全然忘れてないか。
さて、天野の機嫌を直す良い方法でもないだろうか?
生理現象を抑える方法などわからんし、それで不機嫌になる天野も理不尽だとは思う。
まあ英知にレッグ・スプリット……別名股裂きをかけようとしたのは少々デリカシーに
欠けていたかもしれない。
別にレッグ・スプリットに深い意味は無かった、ただ一番最初に思いついた技がそれだっただけだ。
とは言え、仮にも女性……しかも妹にあんな格好を強いる技をかけようとしたのは
責められて当然の行為だろう。
……昔師匠にあの技をかけた事は言わない方が良いんだろうな。
当時は師匠を女性と意識した事は無いとは言え、確かあの時はスカートをはいていた記憶がある。
その後で師匠から卍固めをかけられた時に、スカートの中に俺の頭が完全に入っていた事も
良く覚えている。
……て、良く良く考えたらとんでもない事をしてるな、俺って。
あの頃は師匠に限らず恋だとか女性だとか考えた事なんてなかったからな。
ここ一年ばかり師匠とは会っていない、最後に会ったのは去年の正月だった。
最後に手合わせをしたのは……もう一昨年の事になるか。
あの時も師匠が女性だって事を全く考えずに技をかけてたっけな。
今の俺がやったら……どうなるだろう?
師匠はともかく、今の俺に体を密着させる技をかける事ができるだろうか?
はっきり言って自信が無い。
なんか……思春期やってるな、今の俺。
そんな事を考えていると、急に師匠に会いたくなってきた。
この旅行が終わったら会いに行くのも悪くない。
どうせ隣町だしな。
いつの間にかマッサージ器が停止していた。どうやらタイマーで停止するような構造に
なっているらしい。
壁に掛けられた時計を確認する……8時42分、あれからもう一時間以上経っている。
番組はもう終わったのだろうか?
いや、関係ないか。
どちらにせよ天野の機嫌を直す手段を思いついていない以上、まだ顔を合わせる気は起きない。
もう一度マッサージ器のスイッチを入れる、もう少しだけここで時間を潰す事にしよう。
……だが、すぐにスイッチを切った。
今視界を横切った人物……大槻だったような気がした。

大槻が居た。
早朝のまだ電源の入れられていないゲームコーナー。
大槻はただ暗闇のみを映す画面に囲まれていた。
だが俺には声をかける事ができなかった。
ただ大槻に見とれていた。
今朝、部屋に居た時は気がつかなかった。
四年前から大きく成長した……大槻のパジャマ姿。
成長した、これほどまでに今の大槻に合う言葉があるだろうか?
出るべき部分は出て、引き締まるべき部分はしっかりと引き締まった肢体。
そしてその恵まれた肉体を逆に隠すように纏われたやや大きめのパジャマ。
そのある種チラリズムとでも言うべき物が俺の好奇心を大きく揺り動かしているのは明確だ。
パジャマはピンクの無地、シンプルだが大槻の魅力をストレートに引き出す最良の選択だ。
大槻は元々小細工を好まない性格、その大槻の基本とでも言うべき物をより印象付けるには、
やはりシンプルかつストレートに衝撃を与えるピンクの無地こそが最良の選択であると断言できる。
……だが、一つだけマイナスポイントがある。
それは大槻の表情、暖色であるピンクに憂鬱顔は似合わない。
それはこの四年間で何度も見た、嫌な事があった後の大槻の顔であった。
「大槻、どうした?」
やっと声が出てくれた。
大槻は無言で視線をこちらへ向ける。
そして少しだけ悲しそうな眼をして……すぐにいつもの大槻の眼になった。
「勇気君……私、汚されちゃったよ……」
言葉とは裏腹に大槻の語調はいつもと殆ど変わらない、悪ふざけを考えてる時の大槻の声だ。
だが俺には大槻が無理をしているような気がしていた。
まるでそう……きっと無理矢理話題を変えている、きっと無理矢理何かを思考の隅に追いやっている。
放っておいた方が良いのかもしれない、そっとしておいた方が良いのかもしれない。
それでも……やっぱり気になってしまう。
己惚れかもしれないが、俺がなんとかしなくてはいけないような気になってしまう。
そっと頭の上に手を置く。
大槻の髪は少しだけ湿っていた、風呂上りの感触だ。
「勇気君?」
大槻の抗議も無視して、俺はただ願っていた。
「泣ける時に泣いておけよ」
……そう願っていた。
すると大槻は少しだけ悲しそうな顔をして、少しだけ嬉しそうな顔をして……
涙を見せる事無く、優しい笑顔に戻っていた。

「勇気君って、割と嘘つきだよね」
冗談とも本気とも解釈できる不思議な笑顔を見せながら大槻は言う。
「なんだ?俺は大槻に嘘を言った記憶は無いぞ」
「昔さ……勇気君が私の着替えを覗いた時の事、覚えてる?」
……少しだけ記憶を探る。
ああそうだ、確か天野と出会う前に大槻が俺の家に泊まりに来た時があったっけな。
すぐさまあの時に見せてもらったパジャマ姿を思い出す。
色は今日みたいな薄いピンクで、白いラインが何本か引かれたタイプだった。
それは無地以上に大槻の体のラインを強調するが、残念ながらやや不自然な強調となってしまい
全体としてのバランスを損なってしまった感がある。
まるで視線を体型に固定するかのようなあの感覚は俺の趣味には合わない。
だがあの時に見せた大槻のいつも以上にリラックスした表情、あれがマイナス点を帳消しにしていた。
パジャマとは本来眠りにつくための存在、即ち休むための存在だ。
故にリラックスした表情以上にパジャマとマッチする表情は存在しないと断言できる。
それになにより……
「勇気君、顔が溶けてる……」
……いかんいかん、つい本題から脱線してしまった。
「あの時の事なら良く覚えている。それこそビデオよりも鮮明にな」
「なんか釈然としないけど……まあいっか。その時もさ、私汚されちゃったよ……
なんて言ったのも覚えてる」
言われてみれば……そんな事もあった。
「あの時の大槻、兄貴に泣きついてたな。一発でわかるような嘘泣きで」
「もうお嫁に行けないよ」
「その時は俺が貰ってやるから安心しろ」
「良かった……覚えててくれたんだ」
大槻は……今、何を考えているのだろうか?
優しい笑顔……悲しい訳じゃない、怒っている訳でもなさそうだ。
それでも俺には、大槻が表情通りの感情を持っているとは思えなかった。
「嘘つき」
「ぐっ……」
「嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき」
「あ〜……悪かったな」
俺としては深い意味を込めたつもりはなかった。
大槻は表情を変えない、俺を怨むようなそぶりはなかった。
「勇気君が大好きな女の子としてはね、嬉しいって思うし信じたいとも思うんだよ。
勇気君はきっと軽い気持ちで言ったんだろうけどね」
「そうだな……俺もガキだったしな」
「嘘つき」
「悪かった」
こんな時、俺は大槻に決してかなわない。
いつもこうやって謝る以外にない。
だが……こんな時、大槻は優しい笑顔をしなかった。
怒っているのか、からかっているのか、そのどちらかだ。

「勇気君……」
「どうした?」
「天野さんの事幸せにしてあげて、絶対に」
「おう」
言われるまでもない。
その言葉を聞いた大槻は少しだけ悲しそうな眼をして、少しだけ寂しそうな眼をして……
やっぱり優しい笑顔に戻った。
「私は天野さんが嫉妬するくらい素敵な人と出会うから。だから……寂しくなんてないよ」
「そっか……」
「だから……勇気君は天野さんのための勇気君でいてあげて」
「なあ、大槻」
「なに?」
「俺の前で泣くのはもう嫌か?」
大槻はまた少しだけ悲しそうな眼をして、少しだけ寂しそうな眼をして……すぐに優しい笑顔に戻った。
「うん……嫌だよ」
何かあるとすぐに大泣きをする少女は、もう居なかった。
いくら俺が鈍感でももう察しはついていた。
「そっか……」
もう……何も言うべきではない。
俺はゆっくりと大槻から離れていった。
大槻もそれ以上は何も言わなかった。
どうやら……俺にはもう、大槻の表情は読めないらしい。

ゲームコーナーの入り口の影に、天野が立っていた。
眼が合うと、お互い無言で歩き始めた。
ただなんとなく外の空気が吸いたくなっていた。
「……不撓さん」
最初に天野が沈黙を破った。
俺は……まだ、何も言わない。
「浮気は大槻さんまでにしてくだい」
まだ……何も言わない。
「私だって女の子ですから、焼きもちも焼きますし嫉妬もします。
ですけど……大槻さんまでだったら、きっと我慢できます」
まだ……言わない。
「私が不撓さんの一番ならきっと我慢します。
でも……やっぱり……不撓さんがどこかへ行ってしまうのは……怖くて……」
それだけ、それっきり……
また全てが沈黙した。
俺はもう……落ち着いた。
ようやく現実を理解した。
目の前に寂しそうな顔をした天野が居る。
俺はどうするべきか?そんなのはわかりきっている。
だって俺はもう……
「俺はもう、大槻のための不撓勇気にはなれなかったんだ」
「不撓……さん?」
「読めなかったんだよ、表情が」
「………………」
「あいつも俺の前で泣こうとしなかった」
天野は……もう何も言わない。
その表情は曇っている……でも、わかる。
天野は俺の行っている事の意味……きっと誰よりも心で理解していると。
「俺はもう天野のための不撓勇気にしかなれない。だからもう浮気もできない」
「不撓さん……」
天野の表情は変わらない……でも、わかる。
「俺は天野の笑顔が好きなんだが、俺には見せたくないか?」
「不撓さん、不撓さん……」
天野の顔が急に崩れた、まるで決壊したダムの様に。
天野が泣きじゃくっている……でも、わかる。
「本当は……こんな事……思ってはいけないんでしょうけど……でも……」
わかる……今の俺にはわかる。
だって俺はもう……
「でも……嬉しいっ!!!」
だって俺はもう……天野のための不撓勇気になると決めてしまったのだから。
「そろそろ行こうか。もう朝食の時間だ」
「……はいっ!」

「英知さん、英知さん」
「お姉様、どうなさいましたか?」
「いろいろあって聞くのを忘れてましたけど、昨日私達が居ない間に何があったんですか?」
「ええっと……答えなければ……まいりませんか……」
「ええまあ、個人的興味で」
「あ〜……昨晩は……チャンネル争いをしていまして……」
「はい、それで?」
「乱闘になりまして……それから……持ってきた薬瓶が……」
「割れたんですか?」
「………………」
「………………」
「……はい」
「コメントしづらいですね、それは……」
「何も言わないでください……」
「第一、どうしてこんな所にまで持ってきたんですか?」
「黙秘します」
「英知さん?」
「黙秘します」
「あの……」
「黙秘します」
「いえ、ですから……」
「黙秘します」
「…………………」
「黙秘します」
「話は変わりますけど……」
「はい、何でしょうか?何でもお聞きしますよ」
「そんなに話題を変えたいんですか?」
「黙秘します」
「その……どうしてお姉様なんですか?」
「はい?」
「呼び方です。どうしてお姉様って呼ぶのか、気になっちゃいまして」
「お姉様はいずれ勇気の兄上と結婚なさるのでしょう。それなら早かれ遅かれ
お姉様とお呼びする事になりますので」
「それはそうですけど、それなら姉上にならないですか?」
「それは……まぁ……」
「英知さん、どうなんですか?」
「お姉様では……いけませんか……」
「………………」
「………………」
「可愛いので許しますっ!」
「お姉様、大好きですっ!」
(不撓さんごめんなさい。今一瞬だけ英知さんに手を出しかけてしまいました……)
(昔からお姉様にという存在に憧れてただなんて……言えませんよね……)

2006/09/04 完結

 

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