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不撓家の食卓



6 『幸せになるために(前編)』

…さて、俺達は鳳翼駅まで戻ってきた。
今日は色々とあったが、時計は正午を示していた。
そう毎回毎回起床シーンで始まると思ったら大間違いだ。
それはそうとして、今からどうしようか?
急げば午後の授業に間に合うだろう、だがその前に腹が減ったな。
なにせ今日は朝食を抜いて出てきたからな、腹が減るのも仕方が無いだろう。
「天野、どっかで飯でも食わねえか?」
「そうですね、私さっきからお腹が空いてて…」
「なんだ、天野も腹が減ってたか?」
「はい、お腹の音が聞こえやしないかとヒヤヒヤしてました」
そういって天野が少し照れる。
可愛いじゃねえかコンチクショウ…
「何処が良い?『Phantom Evil Spirits』以外なら何処でも良いぞ」
あそこは勘弁。知り合いは多いし、混んでるし…
「はぁ、そうですね…」
「………」
「うう〜…ん…」
「………」
「えっと…」
「………」
やっぱり俺が決めた方が良かったかな…
「天野」
「はい?」
「とりあえず適当に歩きながら決めるか」
幸いにしてここは駅前だ、飲食店はたくさんある。
「そうですね、そうしましょうか」
「決まりだな」
まあなんだ、今日は天気が良いからな、散歩も悪く無いだろう。

 

天野と一緒に駅前を歩く…のどかな雰囲気だ。
「麺類も良いですよね」
「空腹に不味い物無し、てか」
「ち…違いますよっ!」
うむ、からかいがいのある奴だ。
「最近は暑いからな、冷やし中華ってのも良いな」
「そうですね」
「暑い日に食べる物と言えば他には…」
「あえて激辛マーボーとか」
「良いんだな?」
「えっと…」
「ほんっ…と〜っに、良いんだな?」
「ごめんなさい」
「うむ、正直でよろしい」
こう言っては何だが、今日のように暑い日に激辛の名を冠する物を食べる人間の気が知れない。
ジャンパー着てなくて本当に良かったと思う。
「そういや、俺のジャンパーはどうした?」
「ああ、あの時は助かりました」
そう言って天野は頭を深く下げる。
「いや、別に大した事じゃない」
「ちゃんと汚さずにとって置いてありますよ」
ちょっとホッとした。
なんだかんだ言って愛着があるからな。
「そっか、なら返せる時に返してくれ」
「なら、明日の学校に持って行きましょうか?」
「そうだな、そうしてくれ」
…しかし、そろそろ俺の腹も限界に近いな。
ちょうど視界に中華料理屋が入った所だ、いい加減に何か食べなくては体がもたん。
「天野、さっき話題にのぼった事だし、今日の昼は中華にしないか?」
「良いですね、ちょうどマーボーもあるみたいですよ」
「…食えよ」
「ごめんなさい」
まったく…確かに看板にはマーボーの文字があるが、激辛なんて何処にも書いてないぞ。
まあ、たまにはマーボーも良いか…普通の辛さなら。

辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い…
「不撓さん、ちょっとした冒険ですね」
天野の冷やし中華が輝いて見える。
油断した…まさかここまで辛いとは思いもしなかった。
やはり初めて入る場所で警戒を怠ったのが拙かったか…
周りを見渡すと、天野以外の全ての客は全身から尋常じゃない汗を流している。
しかも俺のように苦悶の表情をしている奴は一人も居ない。
もしかしてここは、そうゆう店なのか?
「天野…知ってたのか?」
「割と有名ですよ…辛さで」
しれっと言われるが、俺は初耳だ。
つまり何だ…この店ではこれが普通の辛さで、だから激辛の文字が書いてなかったのか。
うんうん、納得…
「…て、何で天野だけ涼しい顔してんだよ」
「一応普通のメニューもありますから」
頼むからもう少し早く言ってくれ…
そんなこんなで天野は冷やし中華を食べ終わったようだ。
俺のは…あと半分以上残っている。
もう金輪際この店には来ない…
「ところで、不撓さん」
「な…何だ?」
天野が急に真面目な顔になる。
俺は今過去最大の敵と戦っているのだが…
「不撓さんの目的は何なんですか?」
「俺の?」
「目的と言うか…望みと言うか…」
「…良くわからんな」
「とにかく、不撓さんが一番手に入れたい物を聞きたいんだす」
「そうだな…」
なんとなくだが、質問の内容はわかった。
確かに今の状況が悪いとわかっていても、具体的にどう改善すれば良いのかがわからなくては
手の打ちようが無いだろう。
しかし、最終的にどうしたいのかと言われてもな…
そりゃあ英知がおとなしく手を引いて、大槻がもう少しおしとやかになれば嬉しいが…
最終的な目標は…強いて言うなら、天野とこうしている時間かな。
…いや、流石に今の思考をそのまま口に出すのは拙いだろう。
「…平穏な日常だな」
結局そんな答えに落ち着いた。
まあなんだ、天野との時間は平穏な学園生活を象徴するような物だし、嘘はついてないだろう。
「わかりました、私も微力ですけど手伝います」
「そいつは心強いな」
うん、きっと天野が居れば百人力だ。

「それと、もう一つ聞いても良いですか?」
「うん?」
辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い…
不味い、このマーボーは食いきれないかも知れない…
「不撓さんはあの二人の事をどう思っているんですか?」
「あの二人?」
「大槻さんと英知さんですよ」
大槻と英知か…
さて、どう答えるべきか…
まあ、俺の性格上そのままズバリ答えるのだろうが。
「英知は…まだ未知数だな」
「未知数…ですか」
「まあな、あいつとは出会ってからまだ何日も経ってねえからな」
「そうですか…」
「で、陽子の方は…」
どうだろうな、正直に言って大槻に対する感情なぞ考えた事も無い。
「守りたい…かな」
「はあ…」
あれ?そう言えばこれと似たような状況が前にも在ったような…
「あ、兄上っ!探しましたよっ!」
噂をすれば…か。
間の前にワンピース姿の英知が居た。
「英知、いつから居た?」
「たった今兄上を見つけた所です」
とりあえず未知数発言は聞かれてないようだな。
「てかお前、学校サボってるだろ」
今の時間帯は昼休みの筈だ、英知が私服でいるのはおかしい。
「兄上の危機に呑気に学校など行ってはいられません」
「危機って…」
兄として喜んで良いのやら、嘆いて良いのやら…

「とにかく兄上、あまりを心配させないでください」
拙いな、だんだん英知に怒気が宿ってきた…
ただでさえ激辛マーボーという強敵が居るのに、この上に英知の相手まではしてられない。
そこで俺は、手にしたレンゲでマーボーをすくい…
「あーん…」
英知に差し出す。
「あっ兄上!?こんな所で…」
英知が真っ赤な顔で抗議らしき声を出す。
「あーん…」
問答無用…逃がさん。
「あ…あーん…」
観念したのか、英知が口を大きく開ける。
…心なしか、少し嬉しそうだ。
  パクッ
「………」
「………」
「…っ!!!」
苦笑する天野、にやける俺、そして悶える英知。
当然、水は前もって英知の手の届かない場所に配置してある。
「くぁwせdrftgyふじこlp…」
理解不能な言語が飛び出す。
『英知は混乱している』て感じだ。
「どうだ俺の力を思い知ったか…」
「不撓さん…恐ろしい子」
ちなみに五分後、英知の怒気は倍加したと追記しておく。

その後俺達は天野と別れ、『Phantom Evil Spirits』まで戻って来た。
別れ際に英知が天野に何やら話しかけていたようだが、内容は教えてくれなかった。
「おお、懐かしの我が家よ…」
「まだ一日も経っておりませんが」
何故か英知は不機嫌そうだ…
今の時間なら昼休みは終わっている、ピークはもう過ぎた筈だ…
  カランッ カランッ
「いらっしゃいませ…」
出迎えてくれた人は、目が死んでいた。
「鈴木さん、疲れてますね…」
「流石に二日連続はキツイよ…」
良く見ると、他の店員さんも似たり寄ったりだ。
二日連続で働いているのは親父と鈴木さんだけだが、店内で一番タフだった鈴木さんがこうなるとは…
てかこの店大槻に頼りすぎだろ…
「陽子はどうしたんです?」
「あの方ならまだ兄上を探している筈です…」
英知が遠い眼で彼方を見つめる。
まさか大槻までサボっていたとは…
「連絡しろよ…」
「無理です、方法がありません」
はぁ…なんか頭痛くなってきた…
俺はおもむろに携帯を取り出す…
  ピッ…
  トルルルル…トルルルル…
「もしもし?」
「陽子か?俺だ」
「勇気君!?今何処なの?」
「『Phantom Evil Spirits』だ」
「ええっ!本当に?」
「とにかく一旦帰って来い」
「わかった。勇気君、そこ動いちゃ駄目だからね!」
  …ピッ
とりあえずはこれで良し。
戻って来たら一度お灸を据えてやらねばな…

「勇気か…」
「親父…」
厨房には、親父が居た。
それも一目でわかる程に怒ってる親父が。
  パンッ!
まずは無言で平手打ち。
親父は滅多に手を上げたりしないが、必要な時は躊躇しない。
今回に関しては俺が悪い。だから避けない、弁明もしない、眼を逸らさずに受ける。
そして…次の瞬間には抱きとめられていた。
「お前の事だ、きっと大切な理由があるのだろう」
「………」
「だがな勇気、お前は私の家族なんだ…勝手に居なくなって、勝手にくたばるなんて事は
決して許さない…」
「…親父、泣いてるのか?」
「私はお父さんなんだ、我が子の心配だってするさ」
「そっか…」
「だからな、『いってきます』と『ただいま』位はちゃんと言ってくれ」
「ごめんな…」
  パンッ!
もう一度叩かれた。
「勇気、お前はこうなる事を覚悟して出たのだろう?」
「ああ」
これは即答できる。
「ならば安易に謝るな、そして次も己の信念に従って行動しろ」
「ああ」
「なら許す。先ほどバイトが一人倒れた、手伝ってくれ」
「ああ」
なんだかんだ言っても、親父は親父だった。
「親父、もう少し陽子に頼らない編成を考えた方が良いぞ」
「…考えておく」

「英知、そろそろ閉店の札を掛けてきてくれ」
「はい、父上」
ようやく閉店時間となった。
店内にはもう客はおらず、フロアーに居るのは大槻と英知だけだ。
…よくよく考えると少なすぎる気がするよな。
「勇気君」
大槻に呼ばれる、いつものアレだ。
「おう、そろそろ行こうか」
「兄上、どちらへ?」
「ああ、陽子を家まで送ってく、暗い夜道を女の子だけで歩かせられんだろ」
かれこれ三年近く続いている、これはいつも俺の役目だ。
「その方が変質者ごときに後れを取るとは思えませんが」
「お前な…だからって放っておく訳にはいかんだろ」
「兄上はお休みになってください、付き添いなら私が参ります」
「駄目だ」
「兄上…」
「それだと行きはともかく、帰りは英知一人になるだろ。絶対に駄目だ」
まあ、英知に勝てる変質者なんて滅多に居ないだろうがな。
「………」
英知が黙り込む。まだ納得はしてないようだが、説得は帰ってからにしよう。
「陽子、準備はできたのか?」
「うん、もう終わってるよ」
「じゃあ親父、行ってくるぞ」
「紫電さん、また明日」
「気をつけて行ってこい」
「………」
  カランッ カランッ

「ねえ、勇気君」
夜の帰り道で、大槻が口を開いた。
「なんだ?」
「今日は何処に行ってたの?」
まあ、当然の疑問だとは思う。
「兄貴に会ってきた」
「兄貴…不屈さんに!?」
「まあな、元気そうだったぞ」
大槻は動揺を隠せていない。
感情の起伏が激しいのは大槻の長所だが、同時に短所でもある。
昨日戦闘中に動揺したのが良い例だ。
「それで、何をしてきたの?」
「悪いが、そっから先は黙秘する」
流石に不撓家の裏事情を独断で話す訳にはいかないだろう。
それに『いざとなったら、お前等を取り押さえられるように鎧を…』などと言ったら何が起こるか…
「そう…」
珍しく大槻はあっさりと引き下がった。
普段ならもう少し食い下がるのだが…
「ねえ、勇気君」
「今度は何だ?」
「天野さんとは、どんな関係なの?」
それはむしろ俺が知りたい…
「たぶん…ただの友達だと思うぞ」
「本当に?」
「たぶんな…」
確証は持てんが…そう心の中で付け加えておく。
「………」
「………」
沈黙が場を支配した。
三年間も一緒に居ると、表情も読めるようになってくる。
特に大槻は他の人間よりも表情の変化が激しいからな…
大槻もまた、何らかの悩みを抱えているのだろう。

 

「陽子、悩みがあるなら聞くぞ」
「………」
「………」
「ねえ、勇気君」
「どうした?」
「私さ…勇気君の事が、大好きだよ」
「なっ…!?」
完全に不意をつかれた、俺もまだまだ修行が…などと言ってる場合か。
「勇気君は私の事好き?」
拙い、こんなの想定外だ。
心臓がバクバク鳴ってる…
そりゃあ俺だって考えなかった訳じゃないが、まさか現実に大槻から…
いかん、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け…
「勇気君?」
どうする不撓勇気?このまま付き合うのか?
確かにお買い得かもしれん。美形だし、料理は旨いし、成績も悪くないし、それに何より…
「………」
「………」
…いや、やはり俺に損得勘定は似合わん。
何より大槻は…守りたい人だから。
「俺は大槻の事を愛している…」
「本当に!?」
大槻の顔が一気に明るくなる。
ごめんな大槻…俺は今からその笑顔を壊すよ…
「だがな、それはきっとお前の持つ感情とは大きく違う」
「えっ…?」
「俺は大槻を…英知以上に妹として見てる」
「そんな…」
もうすぐ大槻が泣き出す、俺は直感に近い物で察知していた。
今からでも嘘だと言えばどんなに楽だろうか。
だが駄目だ、俺は大槻を泣かせたくないが…それ以上に今の大槻に嘘を言いたくない。
だから止まらない、俺の信念が決して止まる事を許さない。
「それが…たぶん俺の本心だ」
「ぐすっ…うえぇぇ…」
大粒の涙がアスファルトを湿らせていた。
大槻の涙を見たのは随分と久しぶりだと思う。
俺は無意識の内に、大槻を抱きとめ頭を撫でていた。
それはまるで…兄が妹をあやすかのように…

「…落ち着いたか?」
「うん…」
大槻の眼は既に真っ赤になっていた。
「本当に大槻は泣き虫だな」
「そっ…そんな事ないよっ!」
うん、どうやら落ち着いたようだ。
「ねえ、勇気君」
「おう」
「私さ…まだ勇気君の家に行っても良いのかな?」
「馬鹿野郎、当然じゃねえか」
「良いの…?」
「当たり前だろ、お前は俺にとっては…」
その瞬間、特大の違和感が襲ってきた。
「………」
「………」
「勇気君?」
妹として…
俺の中でパズルの断片が重なっていく。
それはたぶん、兄貴の診療所を出た時に感じた違和感…
いや…それとは少し違う感覚だ。
だがしかし…
「わかった…」
「な…何が?」
「何故英知が本気で俺を手に入れようとしているのかが…わかった」
「ええっ!?」
そうだ…この仮説なら、英知と俺が出会っている必要は無い。
「どうゆう事なのっ!?」
「すまん、軽々しく話せる内容じゃ無いんだ」
気がつけば大槻の家はすぐそこであった。
「大槻、ここまでで良いか?」
「えっ…うん、良いけど…」
「じゃあまた明日な」
「えっ、ちょっと…」
俺は居ても立ってもいられず、駆け出していた。
今の仮説を武器に、英知から全てを聞き出すだめに…

夜の街を走る…
  たったったったったっ…
迂闊だったな…俺とした事が、尾行者に気がつかないなんて…
いつから居るのかはわからんが、俺の後ろには確かに尾行者が居た。
とにかくこのまま真っ直ぐに帰るのは危険だな。
そう判断した俺は道を曲がり、公園へと移動した。
相変わらず人気の無い場所だ。
尾行者の気配は…まだある。
立ち止まり、気配を探る。
敵はおそらく一人、どうする…片付けるか?
いや…まだ英知って可能性もある、下手な先制攻撃は危険だな。
「さっきからそこに居る奴、出て来い…」
気配は…動かない。
ハッタリだと思っているのか、それとも何か策があるのか…
  ガバッ!
「なっ…!?」
突如俺の体は拘束され、口には布らしき物が押し当てられる。
馬鹿な、気配は移動していないってのに…まさかもう一人居たのか!?
それにこの匂いは…睡眠薬か!?
咄嗟に息を止めたが、急激に視界が霞んでいく…
拙い、このままじゃ…とにかく距離を開けねば。
俺はカカトで背後に居ると思われる相手の足を…
  ガッ!
…無いっ!?
俺の足はただ地面を蹴るばかりで、相手の足は見つからない。
今度は体を拘束している物を振りほどこうと…
「これは!?」
俺を拘束していたのは茨であった。
これでようやく合点がいった…やはり英知だったか。
だが、俺の思考はそこまでであった…
  ドサァッ…

「………」
「兄上、目が覚めましたか?」
英知の声が聞こえた。
頭に霧がかかったような気分だが、とにかく俺は起き上がり…
  ガシャンッ
「…ん?」
ふと上を見あがると…そこには手錠と、それに繋がれた俺の両手…
「何ぃ!?」
…一瞬で意識が覚醒した。
そして俺が意識を失う直前の光景も思い出す。
すぐに自分の置かれている状況を確認する。
どうやら俺はベットに仰向けに寝かされていて…そのベットの金具をまたぐように手錠が伸びている。
そして手錠に繋がれた俺の両手。
部屋はやや古びた六畳一間っぽい部屋、とりあえず兄貴の診療所ではなさそうだ。
そして俺のすぐ横に、ネグリジェ姿の英知が座っていた。
「英知…何の冗談だ?」
一応聞いてみる、たぶん冗談じゃ無いと思うのだが。
「冗談ではございません」
…やっぱりか。
「何が目的だ?」
「兄上に、愛していただきたいのです」
うん、俺の貞操大ピンチ。
まあなんだ、いくらカッコつけても所詮俺は童貞だ。
むしろこんな美少女に相手をしてもらえるのなら喜ぶべきだ…
などと考えられればどんなに楽か。
イマイチ実感は湧かないが英知は妹だ、こんな事は間違っている。
だが…そんな俺の思惑とは無関係に、英知は既に全裸になっていた。

「兄上、力を抜いてください」
「無茶を言うなっ!」
幸いにして足は拘束されていない。
俺はそれを利用して時間を稼ぎつつ、何とか手錠を外す手段を考える…
だがしかし…脱出は少し難しそうだ。
「生命の息吹よ…」
英知が呪文を詠唱すると、辺りに奇妙な匂いが撒かれた。
「なっ…にぃ…!?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
だがその匂いは俺の全身の筋肉を弛緩させ、逆にただでさえ興奮していた俺の男性器は
痛い程に怒張し始めた。
「英知、何をした?」
「媚薬の一種です。私もほら…こんなに」
それは、まるでこの間の再現であるかのようであった。
ただしその時と違って俺は動けない。
「兄上…身も心も、私を愛してください…」
英知が俺の上にまたがる。
やばい、流石にこの光景は興奮する…
…こうなれば唯一自由になる舌で、この場をなんとかするしかない。
「何故…ここまでする?」
それはきっと、最後のピース。
これがわかれば、この事件の全容が見える。
そうすれば…あるいは。
「ここまで…?」
「兄貴から聞いた、陰陽師の事をな」
「そうですか…」
英知の顔に動揺は無い、まだ想定の範囲内なのだろう。
「だが、本当に代々続いた義務が理由なら、英知がここまで本気になる理由としては弱い…」
「………」
「英知、お前は…」
これが俺に残された最後の切り札…
外れれば終わり、当たってもこの状況をひっくり返せるかどうか…
だがそれでも、俺にはこれしか残ってはいなかった。
「お前は俺と兄貴を重ねているんじゃないのか?」

「…っ!!!」
当たった…どうやら当たったようだ…
ならばここは…畳み掛けるっ!
「不撓の家の性質上、後継者は兄に肉親と思われては拙い筈だ。
ならば本来、英知が俺の事を『兄上』と呼ぶのはおかしい…」
「そんな…」
わかる…明らかに英知が動揺しているのがわかる。
「そして『兄上』という呼び方では、俺と兄貴の区別がつかない。
そんな呼び方をわざわざ使う理由は何故か…」
「………」
振り向くな…躊躇うな…
多少強引でもかまわない、根拠が無くても良い、立ち止まるなっ!
「聞けば兄貴と英知は11年前に出会っているらしいな…その時に英知は兄貴に惚れた。
だが不撓家の事情により、英知は兄貴と一緒になる事は許されない。ならばどうする…」
「………」
「全てに辻褄が合う答えは一つ…英知、お前は俺に兄貴の面影を求めているんだっ!」
「………」
「………」
長い…沈黙であった…
「…不屈の兄上から聞いたのですか?」
「半分はな、残りの半分は単なる当て推量だ」
しかし12歳に惚れる4歳ってのも強引すぎるよな…まあいいや、兄貴だし。
「確かに私は、不屈の兄上に憧れていました」
英知は、観念したかのように話し始めた…
「強くて、物知りで、私には無い物をたくさん見せてくれました…」
「英知…」
「ですが勘違いをしないでください、それと同時に私は勇気の兄上にも憧れていました」
「俺に…?」
「はい、不屈の兄上はいつも『自分には良くできた弟が居る』と言っていました」
今明かされた衝撃の新事実!信じられねぇ…
兄貴が俺を褒めた事なんて一度も無いぞ。
「今から一月程前から、私は不屈の兄上の所に滞在し、兄上の事を調べていました」
そういえば兄貴もそんな事を言っていた気がする。
「驚きましたよ…私のイメージがそのまま飛び出したような方が居たのですから」
「そんなに俺はいい男か?」
イマイチ実感が湧かないのだが…
「はい、兄上なら私を幸せにしてくれる。そう思いました」
「俺を買い被りすぎだぞ…」
「不屈の兄上は言っていました、『お前はもう、幸せになっても良い』と」
「兄貴が…」
「いくら言葉を並べても、結局私はただ幸せになりたいだけなのかもしれません…」
「英知、それは…」
次の言葉を言うよりも早く、英知の唇が俺の口を塞いでいた。

「英知っ!?何を…」
  ジイィィィ…
ズボンのジッパーが降ろされ、俺のモノが天に向かって屹立する。
「兄上、愛してます…」
再び俺達は唇を合わせる。
媚薬のせいか、それとも俺の本性からなのかはわからない。
だが悔しい事に、頭ではともかく体は英知の肉体を欲していた。
そして思考も鈍化してゆく…
  くちゅ…
英知の入り口に触れた…だが今の俺にこれ以上の抵抗はできなかった。
「私の事を愛してください…」
「英知…」
  ずずず…
俺のモノは…ゆっくりと英知の中へと割り込んでいった。
それは想像以上の強さで俺を締め付け、快感を生み出す…
「つぅ…」
「英知?」
英知の顔は苦痛で歪んでいた。
「媚薬で誤魔化そうとしましたが…甘かったですかね」
「おい、これ以上は…」
「大丈夫です、続けますよ…」
  ずず…
俺のモノに何かが当たったような気がした。
「兄上…」
『…と…さん…』
その時、一瞬何かが俺の頭を掠めた…
だがそれは、英知の苦しそうな声にかき消された。
「くぅ…」
「おい、大丈夫か!?」
「はい…」
全然大丈夫そうには見えなかった。
だが…今の俺にはどうする事もできない。
「動きます…よ…」
  ぐちゅ…ぐちゅ…
英知がゆっくりと上下する…
今まで知識の上でしか知りえなかったSEXと言う物だが、それは想像の遥か上を行く物であった。
自慰とは比べ物にならない圧倒的な快感だ…
気がつけば俺は、英知と共にうめき声を漏らしていた。
  ぐちゅ…ぐちゅ…
だがそれも長くは続かない、俺は自分の精が込み上げてくるのがわかった。
「英知…離れろ…」
かろうじてそれだけは言う事ができた。
だが英知は離れない…
「構いません、私の中に…」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭は真っ白になった…
何かが…英知の姿と重なった…
  びゅく、びゅく、びゅく…

 ぐちゅ…ぐちゅ…
「あぁ…あぁん…」
媚薬の効果故か、だんだんと英知の口からうめき声以外の物が出てきた。
対する俺は、既に三度も精を放ち、だんだんと冷静な思考が戻ってきた。
  ぐちゅ…ぐちゅ…
いや、冷静になっても打開策は見つからないのだが…
「やぁ…だめぇぇ…」
英知の表情は恍惚とした物へと変わっている。
もしかして…感じているのか?
  ぐちゅ…ぐちゅ…
だが、英知が純潔であった証拠がベットを紅く染めている。
そんな事がありうるのだろうか?
「いっちゃう…よぉ…」
…素人だからわかりません。
「あっあん…あぁぁ…」
拙い、そろそろ俺も限界に近い。
今なら、これから抜け出せなくなる者が居るのも納得できる。これには正常な男は抵抗できない。
「ああぁぁぁっ…」
その瞬間、英知の膣がぎゅうぅぅっと俺を締め上げた。
今の俺にはそれに対抗する術は無かった…
その時…天野の顔が浮かんだ…
  びゅく、びゅく…
達した…のか?…俺は達したが。
英知は一頻り体を反らせた後、ぐったりとして俺の体に寄りかかってきた。
「英知、大丈夫か?」
「兄…上…」
どうも英知の意識はハッキリしてないらしい。
「よっ…と…」
  ぬちゃ…
俺は自由になった下半身を動かし、英知からアレを引き抜いた。
気が付けば、あの妙な匂いも消えていた。
「英知…」
「………」
英知は眠っている、まるで15歳の少女のように…いや、15歳の少女なんだけどな。
…俺はSEXの最中に、確かに天野と英知を重ねていた。
目の前に居るのは確かに英知、こんな俺を愛していると言った少女だ。
だが…どうやら俺は本物のアホゥのようだ。
こんなに大切な事を、こんな状況にならないと気が付かないなんてな。
どんなに切羽詰まった時でも、俺の意識の片隅に天野は居た。
どんなに苦しい時でも、天野にだけは笑っていてほしいと願っていた。
俺がここまで天野を気にするのは何故か…アホゥにもわかる。

「英知、悪いが起きてくれ」
「うっ…んん…」
悪いとは思ったが、英知を起こす。
これは何としても言わなきゃいけない…例え英知に殺される事になっても。
「兄上…?」
「悪いが、俺には英知の想いには答えられない…」
「兄上!?」
こんな事になってから言うのは卑怯なんだろうな…
だけど…ここまできたら避けられない。
「俺は天野が…好きだから」
  ガバァッ
英知が飛び起きる。
「今…何とおっしゃいましたか?」
英知の声は震えている。
だが…ここで折れる訳にはいかない。
「俺は、天野が好きだ」
「………」
「………」
…重苦しい沈黙が辺りを支配する。
英知の体は…震えていた。
「また…天野友美ですか…」
「英知?」
妙だ、英知の様子がおかしい。
「天野友美さえ…居なければ…」
「おい、英知!?」
「ふふふ…そうですよ…そうですとも…」
「どうしたんだ!?おいっ!」
「殺してやる…」
「えっ…?」
  ダッ…
「英知!?」
英知が走り出す。
俺は慌てて英知を止め…
  ガシャッ…
…手錠によって阻まれた。

 ガチャンッ
ドアが閉まった音がした。
まさか英知の奴…天野を殺す気か!?
拙い、非常に拙い…
天野は一般人だ、英知ならその気になれば易々と殺せるだろう。
だが止めようにも俺には手錠が繋がっているのだ。
なんとか脱出するしかない…
俺は渾身の力を込めて手錠を引っ張る…
…が、その程度で壊れる訳が無かった。
ならベットの方を破壊するしかない。
俺は後転の要領で両足をベットに叩きつける…
  ガァンッ…
「秘技…逆半月蹴り」
…意外と頑丈だな、このベット。
何度か試すが…手錠もベットも破壊は不可能だった。
拙いな…完全に手詰まりだ。
俺にはこれ以外に脱出の方法は思い浮かばない。
手錠を破壊するか。
ベットを破壊するか。
…を破壊するか。
思いついた…たった一つだけ脱出の方法が…
正直あんまり使いたくは無かったが、他の方法を考えてる時間は無い…
それに天野の命には代えられない…
「即席秘技…手錠殺し」

6-5
昔々、ある所に、小さな村が在りました。
その村には長い間日照りが続き、作物が次々と萎れていきました。
そんな時、その村に一人の巫女が現れました。
その巫女が祈れば雨が降り、巫女が踊れば作物が生き返りました。
人々は大変喜び、その巫女に感謝しました。
ところが、巫女が起こした奇跡は奇跡ではなく、陰陽術を利用した必然とも言える現象でした。
人々は怒り狂いました。
「この者は神を愚弄した」「八つ裂きにしろ」「生贄にしろ」
とうとう巫女は牢獄に入れられてしまいました。
可愛そうな巫女は処刑の日を待つばかりです。
そこに一人の武人が現れました。
武人は巫女に言いました。
「貴方ならここから逃げ出す事もできるでしょう、何故そうしないのですか?」
巫女は答えます。
「逃げる事はできても、一人も傷つけずに逃げる事はできません。
故郷の人を助けたいと願ってここに戻って来たのに、どうして村人達を傷つける事ができましょう」
武人はさらに言います。
「ここの村人は貴方に命を救われた、それなのにどうして村人によって
貴方が殺されねばならないのですか」
すると武人は剣を引き抜き、見張りを殺して言いました。
「見張りを殺したのは私です。これなら貴方は一人も傷つけずに逃げられます」
巫女は武人と共に逃げ出しました。
怒った村人は追っ手を出し、二人を追いかけました。
武人は巫女を守るために、戦い、殺し、逃げました。
そしてとうとう二人は遠い隋の国まで渡ってしまいました。
それから二人がどうなったのかは誰も知りません。
武人は、村の人々からこう呼ばれていました。
『決して折れざる者』『不撓の者』と…
7 『幸せになるために(後編)』

「英知は…まだ未知数だな」
「未知数…ですか」
「まあな、あいつとは出会ってからまだ何日も経ってねえからな」
「そうですか…」
ちょっと安心しました。
ですが、まだ油断は禁物…
「で、陽子の方は…」
「………」
緊張の一瞬…
「守りたい…かな」
  ドオオオォォォ…ン
  K・O!
「はあ…」
終わった…見事に終わりましたよ、私の初恋は。
少し前に、不撓さんが大槻さんと付き合っている事を匂わせる発言がありましたが…
最後の希望も今ので打ち砕かれました…それこそ完膚無きまでに。
残念な事に不撓さんの心には私の入り込む余地は無さそうです。
不撓さんはきっと、大槻さんの事を愛おしく思っているハズです。
不撓さんの表情や話し方を見れば…なんとなくわかりました。
そう言えば誰かが『初恋は実らない物』と言っていました。
不撓さんと大槻さんは相思相愛なんでしょう、きっと私が出会うよりも前から。
既に出来上がってるカップルを引き裂いてでも幸せになりたいとは思いませんし、
私なんかでは引き裂くのはきっと無理です。
だから…
「あ、兄上っ!探しましたよっ!」
私はさっき『私も微力ですけど手伝います』と言いました。あの気持ちは嘘ではありません。
だから私は全力を尽くしましょう…不撓さんの平穏な日常を取り戻す為に。
私は不撓さんが大好きな…友達だから。
きっとそれが…不撓さんが一番幸せになる方法ですから…
「英知、いつから居た?」
「たった今兄上を見つけた所です」
ならば…英知さんを何とかせねばなりません。
どんな事情があるにせよ、他人の恋路を邪魔する奴は…馬に蹴られてもらいますっ!

「天野様」
激辛専門店『ギルティ』を出た時に、英知さんから呼び止められました。
「何ですか?」
考え事をしていたせいでしょうか、少し投げ遣りな返事になっていました。
「…これ以上、兄上に近づかないで頂けませんか」
あちゃぁ…やっぱり気を悪くしたようです。
今の英知さんの言葉には殺気が込められていました。
「どうゆう意味でしょうか?」
今度は極力優しそうな声で聞き返します。
たぶんこれなら…
「これ以上兄上をたぶらかすな、とでも言い換えましょうか?」
…何故か逆効果っぽいです。
英知さんは一見笑顔に見えますが、むしろその笑顔が怖いです。
ですが、不撓さんの平穏のためにいつかは対峙しなければならない相手です。
不撓さんをたぶらかす気はありませんが、離れた場所からではお手伝いに支障が出ます。
その…友達としては避けるべき事です。
ここは心を鬼に変えましょう。
天野面…冷血!
私の顔は瞬時に感情から離脱し、極めて無表情に固定されます。
「お断りします」
「…くっ!!」
逆に英知さんの形相が一気に変化しました。
正直に言って果てしなく怖いです…まるで親の仇にでもなった気分です。
ですが…この程度で私の表情は崩れません。
こんな所で引いてしまったら、私はきっとこの人に一生勝てなくなりますから。
「いい気にならないでくださいよ…今は証拠が無いのでこのまま引きますが。
動かぬ証拠が見つかり次第、貴方を八つ裂きにします…」
引きません…ええ引きませんともっ!
…今ちょっとだけ決意が揺らぎましたが。
とにかく…ここは後々のために少し挑発しておきましょう。
「八つ裂きですか…面白い事を言いますね」
こっちにとっては冷や汗モノですが。
「脅しだとでも…?」
さらに殺気が強まりました…
天野面…笑い。
「いいえ、その点英知さんはとてもわかり易い人ですね」
極めて挑発的に、限りなく嫌味ったらしく言い放ちます。
これに関しては自信満々に言えます。
この人が本気で私に殺意を持っているのなんて、手に取るようにわかりますから。
…悲しい事に。
「………」
「………」
少しの間黙り込んだ後、英知さんは黙って不撓さんの元へ向かいました。
とりあえず挑発してみましたが…成功でしょうか?
たぶん当分の間、英知さんは冷静な思考はできないハズです。
隙が無いのなら隙を作る…セクシーコマンドーの極意です。
さて、私もそろそろ帰りましょうか。
  ペタッ…
「…あれ?」
…と、ここで私はようやく、自分の腰が抜けてる事に気が付いたのでした…

ガチャン…
「ただいま…」
お母さんは…居ないみたいですね。
私の家は三人家族です。お母さんとお父さん、そして私。
両親は共働きでお父さんは昔から仕事一筋。
ですから今は実質上お母さんとの二人暮らしです。
ですが昔…今からだいたい三年前は…いえ、今は気分が暗くなる事は避けましょう。
それはそうとお母さん…友美は産まれて初めて学校をサボりました、だが私は謝りません。
この行為がいつか誇りに変わると信じているからです。
…良し、気分転換終了。
お母さんは基本的に家事をしない人です、今の内に買い物と洗濯をして夕御飯も作っちゃいましょう。
今日はお母さんが帰ってからは、家事をしたくありませんので…

 ガチャン…
「たっだいまー」
…お母さんが帰って来たみたいです。
「良い匂いするじゃない、今日のご飯は何なの?」
「お母さん、飲みましょうっ!」
「…へ?」
「今日の分の家事は終わらせました。お酒もおつまみも用意しました」
はっきり言って…今日は酒でも飲みたい気分です。
「………」
「………」
「…何かあったの?」
「失恋記念日ですっ!」
「良し、今日は飲むわよっ!」
「はいっ!」
…こうして私は産まれて初めてお酒を口にしました。

 ジリリリリリリリ…
私はお布団から手だけを出して、目覚ましを探します…
  パチンッ
六時四十五分ですか…そろそろ起きて朝御飯を作らなくちゃ…
  ガバッ…
昨日は確か…お母さんとお酒を飲んで、二人で不撓さんの悪口を言って、
その後ペンタゴン(アメリカ国防総省に非ず)の美しさについて議論して…
意外な事に頭はスッキリしています、一応は昨日ベットに横になった記憶もありますし。
…本当に私はお酒を飲んだのでしょうか?
まさかと思い食卓に向かいましたが、やっぱり酒瓶が何本か散乱していました。
…とにかく片付けてしまいましょう、話はそれからです。
「友美、おはよ」
「お母…さん?」
一瞬、不思議時空にでも迷い込んだかと思いました。
普段は私が起こさない限り決して起きないお母さんが、私よりも早く起きているのです。
「外道照身霊波光線っ!…汝の正体見たり、前世魔人っ!」
「ば〜れ〜た〜か〜…って、何やらせるのっ!」
「このノリの良さは本物のお母さんですね…」
「あたしゃ偽者かいっ!」
お母さんの場合は本当にありそうで怖いです。
「それはそうとして、どうしてこんなに早いんですか?」
「酒よっ!」
お母さんらしき人はビシッと決めポーズをとりました。
この偽者さんはお母さんの真似が上手です。
「………」
「………」
「冗談はさて置き、どうしてこんなに早いんですか?」
なんだか最近、お母さんをあしらうのが上手になってきたような気がします。
「だから私ってばお酒が入ってる日の方がさ、安眠できる分だけ朝はシャッキリさんなのよ」
「…そうなんですか?」
かなり疑わしいのですが。
「そうよ〜、酒臭くなって帰ると友美が怒るから、あれだけ飲んだのは久しぶりだわ」
確かに…ずっと前に小一時間ほど説教した記憶があります。
「友美、頭は痛くない?」
「いえ…大した事はありませんが」
「友美、あなたは強いわ…下手したら私よりも…」
そう言いながらお母さんはどこか遠い場所を見据え始めました。
どうせお酒の話でしょう、なんだか嬉しいような嬉しくないような…
でも確かに噂ほど二日酔いはありません。
いえ…はっきり無いと断言できる程です。
「どうしたの、そんなに複雑な顔しちゃって?せっかくお母さんが褒めてあげたのに…」
「むしろ褒められない日の方が少ないのですが…」
「はうぅ…お父さん、友美が不良になっちゃったよ…」
「はあぁ…」
思わず深いため息がでます…
どうして私はこんな親の元に産まれたのでしょうか…
  ピーンポーン…
「お客さん…でしょうか?」
お母さんがジェスチャーで心当たりが無い事を伝えます。
妙ですね…こんなに朝早くから家に訪ねてくる人なんて、新聞配達さん位なんですが…

 ガチャ…
「あっ天野さん!?」
玄関を開けると、そこには大槻さんが居ました。
それも…何故か驚いた表情で。
「大槻さん!?どうしてここに?」
  ガシッ!
「勇気君は何処っ!」
「………」
何が起きたのかを理解するよりも早く、天野面冷血が発現していました。
私は…どうやら大槻さんに胸倉を掴まれているみたいです。
そして大槻さんの言葉から察するに、不撓さんが行方不明になったのでしょう。
「………」
「………」
…いけない、思考が停止していました。
不撓さんが行方不明…マジですかっ!
いや…落ち着きましょう、不撓さんが生きているのなら星が居場所を教えてくれるハズです。
それよりも今はこの場をなんとかするべきです。
「………」
「………」
凄まじく険悪な雰囲気です…
さっきから天野面冷血が発現しているせいで、大槻さんと睨み合いになっています。
卓を囲っている時は役に立つ技ですが、こんな時はむしろ邪魔です。
「聞こえなかったのかな…隠すと為にならないよ…」
大槻さんの顔が奇妙に歪みました。
全身が怒りを表現していると言うのに、顔だけが笑い始めたのです。
その顔は…普通の怒りよりもむしろ怖いです。
どうして私の周りには下手なやくざよりも怖い人が集まるのでしょうか。
「………」
「………」
駄目です、いいかげんに限界です。
天野面…笑い。
「すいません…ちょっといいですか?」
「………」
とりあえず、大槻さんを刺激しないように腕を外します。
相変わらず凄い勢いで睨まれてますが…
…で、とりあえず天野面を解除します。
この顔のままじゃ本気で喧嘩になりますからね。
…しかも私の腕っ節じゃ勝ち目ありませんし。
「…?」
…案の定、大槻さんは怪訝の眼をしてます。
当然でしょう、自分でも気味が悪い程の百面相ですから。
…え?今の私はどんな顔をしてるかって?
普段の私がこんなプレッシャーを跳ね除けれる訳がありません…
…当然、泣き顔です。
「わわっごめん、私そんなつもりじゃ…」
  ペタッ…
もう駄目です、緊張の糸が途絶えました…

「天野さん、落ち着いた?」
「はい…なんとか」
まさに地獄の一時間でした。
お母さんを送り出して(追い出しての方が近い)。
天野家内の人間一人隠せそうな場所を全て案内して。
そして今、ようやく落ち着いて二人でお茶を飲んでます。
現時刻はきっかり八時、この際遅刻は仕方が無いですね。
「一応確認するけど、今回の件に関しては天野さんはシロなんだね?」
「私が言うのも何ですが…そうです」
「………」
「………」
ううっ…なんかまだ疑われてるっぽいです。
「天野さん、昨日は何処に行ってたの?」
「昨日…ですか」
さて…どう答えましょうか。
今は大槻さんと敵対するのは得策ではありません。
まあ…これから敵対する予定も無いのですが。
とにかく、一つでも大槻さんが持つ情報と矛盾する事を話すのは危険です。
しかしこんな状況になった以上、私が持ちうる手札はせいぜい三枚。
『占星術』『結界封じの魔剣』『不撓家の裏事情』…
この限られた手札を軽々しく開く事は避けねばなりません。
「不撓さんと一緒に黄道町に行っていました」
「そう…」
ここまでは大丈夫そうです。
反応から察するに、不撓さんもここまでは大槻さんに話していたのでしょう。
「そこで何をしていたの?」
ここは正直に話すべきか…それとも…
いえ、ここは軽々しく話すのは危険です。
不撓さんがどこまで話したのかがわかりませんし、私の独断で話せるほど軽い話でもありません。
ならばそれを疑われずに正当化できる理由は…
「すいません、不撓さんから口止めされていますので…」
多分これがベスト…あの話は軽々しく話せる内容じゃありません。
それ故に不撓さんが話していても話していなくても矛盾は生まれないハズです。
「まあ、それはそうよね…」
ここもセーフ。ただどこまでかは断定できませんが、大槻さんも何かを知っていそうです。
もっとも、今はそれを追及する場ではありません。

「じゃあ最後に、どうして勇気君と一緒だったの?」
さて…多分これが最大の難関です。
なんとか占星術を伏せながら大槻さんを納得させねばなりません。
しかし下手な事を言って、不撓さんと大槻さんの仲に亀裂を走らせてもいけません。
…本当に難問ですね。
ですが迷っている時間もありません。ここから先は話しながら考えます。
「実は、不撓さんから一緒に来て欲しいと頼まれたんです」
「勇気君が?どうして?」
当然のように聞かれます。
ここが生死の分かれ道、どうにか矛盾の無い理由は…
「不撓さんは…心配だったんだと思います」
「心配?」
「はい、大槻さんを余計な事に巻き込むのがです」
「私を…!?」
大槻さんの思考が疑惑から少し外れました。
ですが油断は厳禁…
「ですが一人では客観的に物事が判断できないかもしれない…そう考えたのではないでしょうか?」
「そうなの…かな?」
かかったっ!
「はい、あくまで推測ですが…」
あくまで推測ですので、後で何と言われても当方は責任を負いかねます…
「勇気君…水臭いよ…」
「………」
なんとか誤魔化せたようです。
「その…ごめんね天野さん、疑ったりして」
「いえ、平気ですよ」
大槻さん…あなたはむしろもう少し他人を疑う事を覚えるべきです。
絶対に口には出しませんが…
「それで…話してくれませんか、今の状況を」
「うん…」
とにかく情報を引き出しましょう、手札は多い方が有利ですから。

「なるほど…」
「うん、だから一緒に居なくなった英知ちゃんが何か知ってると思うんだけど…」
おそらく英知さんが誘拐したと考えるのが自然ですね。
流石にちょっと挑発しすぎたかもしれません…
ごめんなさい不撓さん、責任の一端は私にあるかもしれません。
「わかりました、私も探すのを手伝います」
「本当に!?」
大槻さんは意外そうな顔をしましたが、私も関係者です。
ここで傍観する選択肢はありません。
「まあ、着替えてからですけど…」
ちなみにパジャマ姿で探しに行く選択肢もありません。
「ありがとう、じゃあ私はもう行くね」
「はい、見つけたら連絡をください」
「うん、わかっ…」
…と、急に大槻さんが考え込み始めます。
「どうしました?」
「どうやって連絡しようか?」
「あっ…」
そうでした。私も一応携帯は持っていますが(アドレス帳登録数4件、『自宅』『母』
『ヤの付く職業の事務所』『近所の雀荘』以上)、
大槻さんの番号は知りません。
大槻さんも携帯を持っている可能性は高いとは思いますが、私の番号を教えた覚えはありません。
「天野さん、携帯持ってる?」
「はい、一応は」
かなり旧式ですけどね…
「せっかくだし番号教えてくれない?」
「あっ…はい」
あぁ…初めてまともな番号ゲットです。
と…とにかく落ち着いて…変な印象与えないように…
「天野さん…手、震えてるよ」
「そそっ…そんな事なかとですっ!」
「大丈夫かな…」

「じゃあ、何かわかったら連絡をお願い」
「はい」
  …ガチャンッ
さて、ようやく一人になれましたし、そろそろ始めますか…
私の家の屋根の上には、足場が増設されています。
私がこの場所に来る理由は二つ。
一つは洗濯物を干したい時。
もう一つはもちろん…星を観る時。
『占星術師にとって、星空は地図…運命地図とでも呼ぶべき代物』
昔お師匠様がよく言っていた言葉です。
『友美、私の弟子になってはくれないかい?君ならきっと…どんな能力を得ても決して道を誤らない』
物知りで…優しくて…暖かくて…それなのに決して曲がらない人…
『海は昔から苦手でね…日光は厳しいし、先ほどからやらしい視線をかんじるよ…』
綺麗で…背が高くて…胸が大きくて…それなのにキュッと締まってて…うぅ…
『私は所詮血を吸う鬼だよ、人の…ましてや母親の真似事なんて決してできないよ』
それで…意外と照れ屋さんでした。
『ゆっ…友美の…母親ですっ!』
そういえば授業参観に参加してもらった事もありましたね。
あの時は本当にお母さんが二人になったみたいで楽しかったです。
『なにおうっ!友美のお母さんは私よっ!』
まあ…ちょっとした手違いで本当に二人になってたんですが。
たった一年間でしたが、それはとてもとても楽しかった日々で…
『私が…私が死んだりするものか』
…やめましょう、まだお師匠様が死んだとは限りません。
それに今は感傷に浸っている場合でもありません。
私は天を仰ぎ…星を観る。
無論普通に見る訳ではありません。
『感覚としては、霊魂や魔力を観る時に近い』
お師匠様はそう言っていました。
人が持ちうる感覚は全部で8つ、占星術師に最も必要とされる感覚はその内の一つ『第六感覚』。
星を観るのに必要な物は可視光線ではなく、その輝き。
ですがここまでは比較的簡単な訓練で身につきます。
本当に難しいのは、その輝きが司る運命を見極める事です。
人の運命は絶えず流動しています、それ故に星が持つ運命は非常に曖昧かつ不安定、
未来を予知する事はそれだけ大変な事なのです。
これが超一流と呼ばれる占星術師ですら、その的中率はせいぜい6・7割と言われている理由です。
ですが、現在を見通す事はそこまで難しい話ではありません。
最低でも『おおよその位置』『体調』『運気』程度なら今の私にも知りえるハズです…
ハズなんですけど…

「妙ですね…」
さっきから不撓さんの運命が全く観えません。
いくらその時の調子によって観え方が左右されるとはいえ、この状況は異常です。
まさかとは思いますが…死んだのでしょうか?
いえ…そんな不吉な事を考えるのは止めましょう。
仮に生きているとすれば…考えられるのは遮断結界ですね。
遮断結界とは結界の一種で、主に盗聴や遠視を防いだり身を隠す目的で使われます。
使用者は主に『魔術師』『退魔士』そして『陰陽師』。
ためしに英知さんの方も占いますが…得られた情報はゼロ。
いくらなんでも不自然すぎます。
ですが本来遮断結界とは出来うる限り自然を装う物、不自然を感じた結界なら探す方法はあります。
私は机から地図を持ち出し、今度は町について占います…
すると…案の定、町の一角に位置するマンションの情報が不自然に抜け落ちていました。
とりあえず場所はほぼ確定しました。後は救出作戦を練るだけですが…
普通に助けても…また同じ事を繰り返すだけです。
それに英知さんも馬鹿では無いでしょう、おそらく回を重ねる毎に手口は巧妙になっていきます。
ならば今の内に事件の元凶を…断つ!
…もっとも、そんな方法があればの話ですが…
とにかく考えましょう。私が持ちうるあらゆる手札を駆使すれば、あるいは…
あるいは…
………
駄目ですね、英知さんに身を引かせる策なんて浮かびません。
私が英知さんよりも勝っている面なんて、それこそ占星術位の物です。
ですが英知さんが外界から遮断されている以上、占星術は役に立ちません。
せめてヒントでもと、先ほどから何度も天を見上げているのですが…
…あの星は!?
見慣れない星が観えました…いえ、見慣れなくとも私はあの星を知っています。
知っていて…頭が理解するのを避けているだけ。
あの星はたしか…
『英知には実戦経験が圧倒的に少ない。奇襲を用いれば、あるいは届くかもしれんな…』
見つけた…一筋の光明が。
名づけて、『巨雷鬼作戦』。

 ガリッ…ガリッ…
魔石を削り…粉にします。
お師匠様から頂いた大切な品ですが…この際四の五の言ってはいられません、
次に粉にした魔石を私の血と混ぜ合わせます。
血は回路、魔石は電池の代わりとなり、一つの魔術を形成する…
これが…最も簡単な魔法陣の描く墨汁。
起動のスイッチは…本来は魔法陣を描く際に設定するらしいのですが、私はその方法を知りません。
ならば私に出来る起動方法は二つ。
魔力を流し込むか、誰かの血を浴びせるかです。
生きている者の血には生命力とでも言うべき物が宿っているそうです。
魔法陣はそれらに反応し、魔術を発動させます。
簡単な…それこそ見よう見真似が通用するほど簡単な魔法陣を書き込んでいきます。
テストは先ほど済ませました、これで全ての準備が終ったハズです。
  ガチャ…
私は…家を出ました。
  怖い…逃げたい…
さっきから頭のどこかがそう喚いています。
ですがこの策は逃げ腰では決して成り立たない策。
いえ…策と呼ぶのすら似合わない必殺技。
ふと…不撓さんの顔が思い浮かびました。
占星術の話を聞いて、初めて笑わなかった人で…
実は去年の体育祭の時から気になっていた人…
けど、決定打になったのはほんの数日前の事。
お師匠様は言っていました。
『私の居る世界はね…知っている人はとことんまで信じて、知らない人はとことん信じない、
そんな世界なんだ。
占星術のように、明確な証拠を見せれない物は特にね…』と。
ですが不撓さんは違っていました、知らずに信じてくれたのです。
『俺は天野を信じたいと思う』
その言葉を聞いた瞬間、世界が崩れ落ちるような感覚を覚えました。
『私が今までやってきた事は間違ってなかったのかもしれない』『この人は天野友美を信じてくれたんだ』
そんな声が聞こえたような気がしました。
変な事を言う人だと邪険にされた事、自作自演だと疑われた事、訴えれば訴えるほど孤立していた事…
そんな記憶がフラッシュバックのように蘇って…気が付いたら私は大泣きしていました。
私の初恋の人を…私が初めて好きになった同年代の男の子を…
不撓さんを…助けたいっ!
たとえ女の子として好きになってもらわなくても良い。
だけど…せめて嫌いにだけはならないでほしい。
私が心から安寧できる人を再び失ったら…私は今度こそ駄目になるかもしれません。
だから…
  いやだ…いやだよぅ…
だから異常にならなきゃ駄目、狂気にならなきゃ駄目です。
私が失う物は…何も無いじゃないですかっ!
気が付けばギュッ…と、不撓さんのジャンパーを強く掴んでいました。
不撓さんから借りて…たぶんもう返せないジャンパー。
ほんの少しで良いです、どうか私にLUCKとPLUCKを…
「見つけましたよ…天野友美…」
天野面…冷血!
マンションからほど近い空き地にて遭遇…
英知さん…勝つのは知略走り、他人を出し抜ける者…
その事を…教えてあげますっ!

「死合い…ませんか?」
「死合い?」
「はい、負けたら不撓さんから手を引いてもらいます」
まずは予定通りに切り出します、英知さんとて考えなしに受けるとは思えません。
ですが、私は既に英知さんを挑発する文句を考え付く限り考えてあります。
後は…出たとこ勝負ですっ!
「ふっふっふっふっふ…」
…笑った?
「ええ…良いでしょう…」
英知さんの殺意が膨らんでいるのがわかります…
ですが…引く訳にはいきません、恐れる分けにもいきません。
この莫大な殺意を…逆に利用しなくてはなりません。
逆に考えるんです、感情に支配された人間は…むしろ先の行動が読み易い。
「ちょうど貴方を…」
…来るっ!
「八つ裂きにしたかったのですっ!」
  シャッ!
「くっ…」
英知さんの腕から茨が伸び、私の体に掴みにかかります。
初撃は回避…ギリギリでしたが。
想像以上の速さ、想像以上の迫力…ですが、想定内の一撃でした。
一昨日の昼に新校舎の屋上からあの攻撃を見ていなければ、きっと今ので殺されていたでしょう。
「このっ!」
2撃目…回避。
やはり戦闘能力において天野友美は一般人、反撃に移ろうとした瞬間に捉えられるでしょう。
…ですが、そう考えているのはおそらく向こうも同じです。
「はあぁっ!」
3撃目…回避。
占星術師の本分が星を観る事なら、天野友美の本分は人を観る事。
英知さんの視線が、表情が、汗が、仕草が…私に心を見せてくれます。
「あああぁぁ…」
4撃目…回避。
故に…感情に支配された人間は、決して私には届かない。

「死ねぇっ!」
5撃目…回避。
隙を見て少しづつ前進します…
実力差は歴然…故に勝負は一瞬、故に勝負は短期決戦。
英知さんが警戒を始めるのが早いか…勝負が終わるのが早いか…
「ちょこまかと…」
6撃目…回避。
見ていたんですよ…あなたは遠・中距離では茨を伸ばし絡め取り、
近距離では茨をドリルのように集め、突き刺す動きで応戦する。
そう…ちょうど今のように。
「するなあああぁぁぁっ!!!」
茨は寄り集まり、正確に私の胸を目掛けて肉薄します…
…私の予定通りに。
7撃目…避けない。
「えっ…!?」
英知さん…あなたの敗因は4つ。
事前に戦い方がわかっていた事。
…これが無ければそもそも作戦が立てられませんでした。
実力差が開き過ぎていた事。
…時に奴隷は皇帝を刺す、覚えておいた方が良いですよ。
あなたが感情的になり過ぎていた事。
…おかげで攻撃が読み易かったです。
そして…私の占星術が、私自身の死を告げていた事。
  ドンッ…
これで終わり…
確実に完全に…私の心臓に突き刺さりました…
「何っ!」
刺した方が驚き、刺された方が笑う。
当然でしょう。今まで完璧に回避し続けた相手が、今になって急に回避を止めたのですから。
私の血が辺りに飛び散ります…当然、ジャンパーの裏に書き込んだ魔法陣にも。
構成された魔術が発動し、魔法陣が浮かび上がります…
「しまったっ!?こいつ魔術師…」
今更気が付いても遅いです…
  ゴオオオォォォ…
火柱が上がる…私と英知さんを巻き込んで…
ですが、熱さは感じません。
それも当然、これは非生物にのみ作用する…非殺傷性の炎ですから。

「何を…何を考えているのですかっ!貴方はっ!」
炎が収まり、立っているのは英知さんただ一人。
ですが…勝ったのは私です。
お互いにみっともない格好ですが…まあ、良しとしましょう。
「自分の命と引き換えに…非殺傷性の炎を浴びせる為に…」
泣いてる…英知さんが泣いてる…
良かった、この子はまだ狂っていない。
「でも…負けたとは…思ったでしょう…」
まだ…喋れました。
「それは…」
そう…狂っていたのは私の方…
狂気の策…暗黒の策…
愛する人を思う余り…狂っていたのは私の方…
「だからって!」
「命はもっと…粗末に…扱う…べきです…」
「貴方はっ!」
「丁寧…に…扱い…すぎ…ると…澱み…」
「喋らないでっ!」
私の言葉は…叫びによって遮られました…
正直…もうそろそろ口が動き辛くなってきた所です…
「こんな勝ち逃げ、許しませんからっ!」
そう言うと…英知さんは私の胸に手を置き…
「生命の息吹よ…」
手から…光が漏れ始めました…
でも知ってますか…私は他人の心を推し量るのが…得意なんです…
そんな顔じゃ…患者さんが不安になりますよ…
「死んでは駄目です…私が許しません…」
そうだ…謝らなきゃ…この人の幸せを…邪魔した事を…
「………」
なんだ…もう口が動かない…
急激に…感覚が希薄になっているのを…感じます…
「お願い…お願い…神様っ!」
でも…こんなに優しい子に…看取ってもらえるのは…きっと幸せな事です…
…欲を言えば…不撓さんに…
…真夜中の…海に…漂っています…
…とても冷たくて…とても広くて…ゆらり…ゆらり…
…誰かが…私の…手を…取った…ような…気が…しました…

7-5
「そろそろ約束の時間かな…」
「お師匠様?」
「友美、今日の魔術の講義はここまで。私は少し出かけてくるよ」
「あの…どちらへ?」
「そうだね…友美と同じ位の女の子が危険な目に遭いそうなんだ、私はその子を守りに行くよ」
「そうですか…」
「そんな顔をしないでほしい、行き辛くなるよ」
「あのっ、お師匠様」
「なんだい?」
「お師匠様の運気が良くありません。きっと何か悪い事が起こります」
「………」
「………」
「友美にも感じられたか…」
「あの…あくまで私の占いですから…」
「いや、友美はもう一人前の占星術師だよ」
「そう…ですか」
「そうだ…友美、これを渡しておこう」
「これは…?」
「魔力が込められた石…『魔石』と言うんでけどね、それを使って作られたイヤリングだよ」
「これって、お師匠様の…」
「いいんだよ、それは卒業証書の代わりなんだ。そんな物しか私には用意できないけどね…」
「いえ、とても嬉しいです」
「さあ私はもう行かなくては。待ち合わせの相手が不機嫌になる」
「あの…どうかお気をつけて…」
「友美、あまり感情的になりすぎるのは…」
「やめてもらおうか師匠ヅラするのは」
「友美…?」
「言ったはずです、今の私達はただの師弟ではなく…」
「………」
「私の…もう一人のお母さんです」
「…そうだったね」
「だから…心配するのはいけない事でしょうか?」
「いや…そんな事は無いよ」
「本当にお気をつけて…帰って来てください」
「そういえば私は、君に名前すら教えていなかったね…
マリー・クロード・ジェンティーレ。どうか覚えておいてほしい」
「…はい」
「それじゃあ、行ってくるよ」
「帰りを…待ってます」
「そうか…なら大丈夫だよ、満月の夜は吸血鬼の力は最も強まる」
「それでも…」
「私が…私が死んだりするものか」
8

何度か試すが…手錠もベットも破壊は不可能だった。
拙いな…完全に手詰まりだ。
俺にはこれ以外に脱出の方法は思い浮かばない。
手錠を破壊するか。
ベットを破壊するか。
…俺を破壊するか。
思いついた…たった一つだけ脱出の方法が…
もう一度確認するが、手錠の輪はわりと大きい。
これなら手があと少しだけ小さければ簡単に脱出できるだろう。
あと少しだけ…小さければ。
そして…今の俺にはそのための手段がある。
正直あんまり使いたくは無かったが、他の方法を考えてる時間は無い…
それに天野の命には代えられない…
「即席秘技…手錠殺し」
  ゴキッ…
左手の親指を力任せに捻る…
身を焼くような鈍痛が走ったが、構っている暇は無い。
だが…この程度では抜け出せないようだ。
ここからは…覚悟の勝負っ!
俺は左手を慎重に触り、骨が外れた部分を探し当てる。
そしてその部分に…渾身の力で噛み付いた…

 

 …ガチャッ
少々時間が掛かってしまったが、何とか脱出に成功した。
外は既に明るく、ようやく俺は日付が変わっていた事に気づく。
左手の指が一本減ったが…その程度で使えなくなる技は全体のごく一部。
まだ戦える…英知を止められる。
英知を…止められる!?
まただ…また特大の違和感を感じた。
落ち着け、俺は特に変な事を考えていた訳じゃない。
以前の戦いの際、英知の茨は確かに脅威ではあったが、いま一つ反応速度が遅い。
立ち回り方にもよるが、俺なら大した危険を冒さずに鎮圧できる筈だ…
『英知には不撓の秘術がある、通常の方法では打倒は困難だ。
だが…英知には実戦経験が圧倒的に少ない。奇襲を用いれば、あるいは届くかもしれんな…』
これかっ!
まさしくこれは診療所を出る時に感じた違和感だった。
…待て待て。
違和感の正体はわかったが、一体これが何を意味するんだ?
兄貴が俺の実力を過小評価したのか、それとも英知の実力を過大評価したのか…
まさか英知にとんでもない切り札があるのか!?
いや、大槻との一戦はわりとギリギリだったからな…
切り札があるのならあの場で使わない理由がわからん。
考えろ…兄貴の真意を…
  ゴオオオォォォ…
…すぐ近くで火柱が上がった。
  …ドクンッ!
心臓が…嫌な音がした。
まさか…いやまさかっ!
俺はすぐさま思考を中断させ、走り出していた…

 

早く…早く英知を止めなくては…
そうじゃなきゃ…そうじゃなきゃ…
さっき感じた嫌な予感が…現実になる!!!
…見つけたっ!
思ったよりも早く英知は見つかった。
「兄上っ!何故ここに!?」
「英知いいいぃぃぃっっっ!!!」
早く…早く…
その瞬間…何かが…視界の端に現れた…
  駄目だっ!見ちゃ駄目だっ!
俺の精神が必死にそう訴える。
だが…俺の頭は一瞬でそれを理解した。
そこにいるのは全身の大半を血で染めた英知と…
今なお血を噴出させ続けている…
横たわった…天野であった…

1・その瞬間…俺の中で何かが切れた…
2・落ち着けっ!まだ天野が死んだと決まった訳じゃ無いっ!

2006/04/26 To be continued...

 

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