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不撓家の食卓



1 『嵐の前の・・・』

「不撓君、お弁当できたよ」
「おう、ありがとな」
「勇気、玄関に置いてあるコーヒー豆を運んでおいてくれ」
「おう」
「店長、カレーの仕込み終わりました、味見をお願いします」
「……うん、これなら大丈夫だろう。」
「親父、豆運んでおいたぞ」
「そうか、なら机を拭いてきてくれ」
「まかせろ」
「あっ不撓君、今何時かな?」
「7時58分だ、間に合いそうか?」
「多分大丈夫だと思うよ。…あ、店長うどんの仕込み終わりました」
「……ん、合格。残りは私がやっておくから君はそろそろ支度をしなさい」
「はい、よろしくお願いします」
「大槻、悪いんだけど二階の俺の鞄取ってきてくれねえか?」
「いいよ、ちょっと待ってて」
  ドタドタドタ…
「勇気、お前もそれが終わったら学校に行きなさい」
「あと四つだ、すぐに終わるよ」
  …ドタドタドタ
「不撓君、持って来たよ」
「おう、こっちも今終わった」
「お弁当は中に入れておいたから」
「ありがとよ。親父、行ってくる」
「紫電さん、行ってきます」
「気をつけて行ってこい」
  カランッ カランッ

俺の名は不撓勇気(ふとう ゆうき)、17歳。
親父が経営している喫茶店『Phantom Evil Spirits』を手伝いながら私立不死鳥学園に通っている。
少し家庭環境が複雑なのを除けばごく普通の高校二年生だ。
「大槻、時間は?」
「8時6分、まだちょっと余裕があるね」
これは大槻陽子(おおつき ようこ)、16歳。
こいつは毎日毎日弁当作りと『Phantom Evil Spirits』の手伝いに来てくれる奇特な方だ。
通学路上にあるとはいえ徒歩25分の道のりを歩いて約三年間もである。
最初は皿洗いや掃除しかできなかったのに、今では厨房に接客にと大活躍である。
最近では大槻目当てに来店する客も増えてきており、
『Phantom Evil Spirits』には無くてはならない存在である。
約10メートルの道のりを歩き、正門をくぐる。
「でも、ちょっと近すぎると思わない?」
…と、大槻が独り言の様につぶやいた。
「何が?」
「学校までの距離だよ」
「そうか?立地条件としては悪くないと思うぞ」
「それはそうだけどさ…」
「何より遅刻が減って助かる、あの場所でなければ俺は遅刻王なってた」
「うん…そうだね」
『Phantom Evil Spirits』の開店準備を親父一人でこなすには無理が生じる。
それ故に俺と大槻は毎日手伝っているのだが、その量はそれなりに多く、
気がついた時には遅刻寸前という事が多々あるのだ。
「じゃあ、また後でな」
「うん」
大槻は二年A組、俺はD組。
去年は二人ともC組だったのだが、偶然は二度も続かない物らしい。

 ガララララッ
HR約15分前。いつもこの位の時間に到着すれば言う事は無いのだが、
残念な事に今日はどちらかと言うと例外である。
さて、それはそうとしていつもその辺にたむろしている友人Aと友人Bは…
教室を見渡すと、なぜか友人Aの席は謎の毛玉によって占拠されていた。
…理由なんて考えなくともわかるがね。
「天野」
「…く〜…」
返事が無い、もう一度。
「あ〜ま〜の〜」
「…す〜…」
ダメだこりゃ
不意に寝顔を覗きたくなる衝動に襲われたが、ここはぐっとこらえて友人Bを探すことにした。
「見〜た〜ぞ〜…」
「どわあああぁぁぁ!!!」
探すまでもなかった。
「いきなり何しやがる馬鹿野郎!」
「浮気良くない、格好悪い」
「なんで俺が浮気している事になってるんだよ!!」
「…うんんっ…」
「わ!?…」
まずい、起こしたか?
「………」
「………」
「…く〜…」
OK、冷静になって整理しよう。
どうやらいつの間にか友人Bに背後を取られていたらしい。
そして俺の先ほどの行動を見られていたらしい。
…て、待てよ。俺は言われるほどやましい事はしたか?
…してない。間違い無くしてない。(しようとはしたかもしれないが)
「番場、ちょっと来い」
「言い訳なら署で聞くぞ」
「ちげーよ、いいから来い」
そう言って俺は友人Bを教室の隅まで連行して行った。

こいつの名は番場茂(ばんば しげる)、野球部所属。
バントで一塁に進む男である。
そして悔しい事に俺の幼馴染である。
幼稚園で知り合ってからはまるで示し合わせたかの如く同じ学校に通い続け、
それは高校受験を経ても変わってはいないのである。
だがこいつは世間一般における理想の幼馴染像とは真逆の位置にいる男であると断言できる。
そしてさらに残念な事にこいつも二年D組なのだ。
「…で?何の話なんだ?」
「あんまり浮気していると恋人が泣くぜ」
「俺に恋人はいねぇ…」
さらにさらに残念な事に、去年の夏に甲子園に出場して以来(一回戦で敗退したが)
こいつには恋人がいたりするのだ。
「じゃあ大槻は何なんだ?」
「友人、それだけ」
「あの人もかわいそうにねぇ…」
「何でそう思うんだよ」
「毎日一緒に登校して」
  グサァッ
「確か弁当も作ってもらってるんだろ」
  グササァッ
…やはりこいつに弁当の事を話したのが運の尽きだったか。
「明らかに友人の範疇超えてるだろ」
たしかに一見正論に聞こえる、だがここはしっかりと反論せねばなるまい。
「あのな番場、一つ言わせてもらうがな…」
「何だ?」
「あいつは三年ほど前から親父が料理を教えているんだよ」
「…それで?」
「それ以来あいつは妙に料理に凝り始めてな。あの弁当は新しく覚えた料理の実験で、
俺はある意味モルモットなんだよ」
「なるほど」
どうだ、これなら反論できまい。
「じゃあ聞くが…」
…あれ?
「何で大槻は料理に凝り始めたのかねぇ」
「………」
「………」
「俺が知るか…」
「女心のわからん奴め…」
「やかましい!」
  キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
「…予鈴か」
まったく…番場が居ると時間が早く感じるな。良くも悪くも。

 キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
随分とあっという間だった気もするが、昼休みになった。
今日の授業中に特筆すべき点は無かった。
しいて言うなら天野がとても眠たそうに船を漕いでいただけである。
ふと窓を覗き校庭を見ると、走って校庭を横切る外食組の姿があった。
外食組とは昼食を求めて校外に旅立つ連中の総称で、その中には大槻も含まれている。
…いや、正確に言うと大槻は校外に旅立ってはいるが昼食を求めている訳では無い。むしろ逆である。
あいつは最も忙しい時間帯の『Phantom Evil Spirits』に現れる強力な助っ人なのだ。
『Phantom Evil Spirits』は喫茶店の看板を掲げているがランチにも力を入れている、
具体的には分量のある料理を採算の取れるギリギリの安さで提供しているのである。
それ故に昼休み中は数多くの学生が詰めかけ、それこそ嵐のような忙しさとなるのだ。
そのせいで大槻は3時間目と4時間目の間に食べるようにしているらしい。
ちなみに俺は手伝いに行っても皿洗い位しかできないので相当に暇な時意外は学校に居る。
薄情と言う事なかれ、俺が行くとむしろ煙たがれる事すらあるのだ。
しかしここまで公然と外食やらバイトやらをしているにも関わらず、学校側は特に何も手を打ってはいない。
懐が広いのか、それとも単に面倒なだけなのか…まあ、どうでも良いか。
…さて、俺も弁当を頂くとしますかね。
俺は席を立ちいつもの所へと向かう事にした。
教室で食べると番場の様にカンの良い奴が大槻の弁当とメニューが一緒だと気がつく可能性があるのだ。
  ガチャンッ
旧校舎の屋上に人影は無い。故に俺は安心して大槻の作った弁当を広げられる。
新校舎の屋上には時折静かな環境を好む連中が訪れるのだが、わざわざ旧校舎にまで来るのは
よっぽどの物好きだけである。
俺の知る限りそんな物好きは俺と…
  ガチャンッ
「…不撓さんですか?」
…こいつだけだ。

こいつは天野友美(あまの ゆみ)。
二ヶ月ほど前に知り合った…多分友人。
もっとも俺が勝手にそう思い込んでいるだけで向こうはどう思っているのかはわからん。
できれば友達くらいには思っていてくれると嬉しいのだが…て、何を考えているのだ俺は!?
とにかく落ち着け、落ち着いて話しかけるんだ不撓勇気。
「大丈夫か?天野」
「はい?」
俺の方こそ大丈夫か?これで理解できるのなら天野は超能力者だ。
「いや、朝から眠たそうにしていただろ」
「ああ、その事ですか」
「そうそう、大丈夫なのか?」
「いえ…実は二時間目は寝ていました」
「そうか、日本史じゃあ仕方ないな」
「伊藤先生には悪いですけど話が単調で…」
そう言って二人で苦笑する。
嵐の中で翻弄されている大槻には悪いが、この穏やかな空気はそう易々と捨て去れる物では無い。
俺は手作り弁当を、天野は購買のサンドイッチを広げる。
特に打ち合わせをしている訳では無いのだが、最近はこうして二人で食べる日が多い。
「そういえば、そもそも何で天野は眠たそうだったんだ?」
「はい、昨日は遅くまで星を見ていました」
「…そっか」

天野はよく空を見上げる。何をしているのかと聞くと、必ず星を見ていたと答える。
太陽が輝いていても、空が雲に覆われていてもだ。
それでも天野には見えるらしい。
…イマイチ信じられないが。
「なあ、天野」
「はい」
「楽しいのか?それは」
「うーん…どうでしょうか」
「なんだ、楽しい訳じゃあないのか?」
「そうですね、あれは毎日の日記と同じなんですよ」
「星を見てからじゃないと私は安眠できないんです」
「…そっか」
なぜ天野が星にこだわるのかは俺にはわからない。
だけどその事を話す天野の姿は、どの天野よりも輝いている気がする。
「だが安眠のために睡眠時間を削ってたんじゃあ本末転倒だろ」
「そうなんですけどね」
そう言って天野はまた苦笑した。
「不撓さん、一つお願いしてもいいですか?」
天野は早くもサンドイッチを食べ終っていた。
天野は小食ではあるが、食べるのは早い。俺の弁当はまだ半分弱残っていた。
「何だ?」
「はい、五時間目が始まる少し前に起こしてもらいたいのですが」
そう言う天野の目つきは半分閉じかけていて、今にも倒れそうだ。
「ああ、わかっ…」
  ドサァッ
「…お疲れ様」
俺が返事をするのと同時に、天野は自分の腕を枕代わりにして眠り始めていた。
一体何が天野を夜更かしさせたのであろうか。まあ、そんな事はどうでも良いか。
今の俺にとって重要な事はただ一つ。
「風邪ひくぞ…」
いくら6月とはいえ屋上で寝ていたら風邪をひくかもしれない。
「…す〜…」
起きる気配は全く無い。
とはいえ今俺が持っている物の中で掛け布団の代わりになりそうな物は…上着しかなかった。
少しだけ躊躇したが、結局俺は上着を天野に提供する事にした。
天野の寝顔は…なんと言うか、うん、ノーコメント。
ただ思わず襲い掛かりそうになった事だけは追記しておく。
昼休みが終わるまであと30分近くある。もう少しくらい天野を寝かせてやっても罰は当たらないだろう。
そういえば…もうすぐ夏服の季節だな。
そんな事を考えながら俺は再び弁当に箸を進めた。

「起立、礼」
随分とあっという間だった気もするが、HRが終わり放課後になった。
さて今からどうするか、天野は寝てる(授業中はなんとか持ちこたえていた、偉いぞ)、番場は部活。
  ガララララッ
「不撓君、居る?」
大槻が現れた、どうする。
・戦う  ・呪文
・逃げる ・道具
…疲れているのかもしれないな、俺は。
「アンキモ、アンキモ、アンキモ!」
…何だ今のは?
天野の声だったような気がするが…寝言か?
「不撓君、どうしたのボーっとしちゃって」
「いや、なんでもない」
天野も疲れているのだろう、俺はそっとしておく事にした。
「一緒に帰らない?」
と大槻は聞く。しかし平日でこのセリフを聞かない日はほとんど存在しない。
「近いけどな」
「良いじゃない、近くても、」
いつものパターンだと大槻は『Phantom Evil Spirits』の手伝いに行くつもりだろう。
俺は…まあ少し位なら手伝ってやらんでもない。
「OK、帰ろうか」
「うん」
そうして俺達は再び10メートルの道のりを歩いていく事となった。
  カランッ カランッ
「いらっしゃいませ…っと、勇気君か」
「こんにちは、繁盛してます?」
「それなりにね」
この人は鈴木正成さん(すずき まさなり)。
近所の大学に通いながら『Phantom Evil Spirits』で働いている。
特徴は…えーっと…特徴が無いのが特徴だ。
「店長、勇気君と陽子ちゃんが来ましたよ」
「じゃあ私も着替えてきますね」
さて、俺も少しは親孝行でもしますかね。
俺は厨房で皿洗いをする事にした。

手伝いを始めてから二時間ほど経過した。
『Phantom Evil Spirits』の客の入りも落ち着き、皿洗いにも余裕のような物が出てきた。
鈴木さんも先ほど帰り、この店で働いているのは俺と親父と大槻だけとなっていた。
「不撓君、お客さんだよ」
「大槻、客が来ただけでいちいち報告するなよ」
さすがにそこまで『Phantom Evil Spirits』は落ちぶれてはいない。
「そうじゃないよ、不撓君に会いたいって言ってる子が居るの」
「俺に…一体誰が?」
「ううん、知らない人。不死鳥の制服着ていたけど」
不可解だ、俺の倍以上の交友関係を持つ大槻が知らなくて、
かつ俺に用事がある人間が居るものか居ないものか。
「親父、行ってきても良いか?」
俺は一応厨房の親父に確認した。
「大丈夫だ、行ってこい」
OK、許可は出た。
「大槻、その子はどこだ?」
「9番席」
「了解、それと紅茶を一杯頼む」
「うん、わかった」
さて…鬼が出るか蛇が出るか。
「勇気、バイト代から天引きしておくぞ」
いちいち細かいぞ、親父。
「…あ、不撓さん」
9番席に座っていたのは俺にとっては良く知る人物だった。
「なんだ…天野か」
とか言いつつちょっとだけ嬉しかったり…と、いかんいかん。
放課後に爆睡したせいか、顔色は良い。
しかし初めて来る場所故なのか、少し緊張している様子だった。
「で、どうしたんだ?」
「はい、実は…」
「お待たせいたしました、紅茶のお客様」
大槻が営業スマイルで乱入してきた。てか早すぎるんじゃあないか!?
大槻は一見普段通り、しかし気のせいか機嫌が悪いような気がする。
とりあえず迷惑客撃退用の大槻スマイルになってないので良しとしよう、うん。
「…て、天野は何も頼んでないのか?」
「はい、あんまり長居をすると迷惑でしょうし…」
「誰もそんな事は思っちゃいないよ、なんなら奢ろうか?」
ちなみに俺には金のかかる趣味は無いので、基本的にバイト代は全て貯金してあるのだ。
「いえ、流石にそれは悪いですよ。じゃあアイスコーヒーをお願いします」
「御注文を繰り返します。アイスコーヒーが一点、以上でよろしいでしょうか?」
なんだか今日は寒いな…なんでだろう?
「は…はい、お願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
「………」
「………」
「不撓さん」
「…何だ?」
「なんだか大槻さんが怒っていたような気がしたんですけど…」
「奇遇だな、俺もだ」
とにかく紅茶でも飲んで落ち着こう。
この妙な緊迫感の中では話ができん。

「そういえば、天野は何でここが俺の家だって知っているんだ?」
「はい、時々朝にここから出てくるのを見てますから」
「そっか…」
「………」
「………」
いかん、まだ妙な緊張感が残っている。
「不撓さん」
天野が何かを決心したかのような顔になった。
「何だ?」
自然とこちらも顔が引き締まる。
「本当はお昼に言おうとしていたんですけど…」
まさか…これはもしかして…
「お待たせいたしました、アイスコーヒーのお客様」
再び大槻が営業スマイルで乱入してきた。
心なしかさっきよりも体感温度が下がっているような気がする。
大槻スマイルには辛うじてなっていないが、なんか怖い。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「…は、はい」
大槻よ…天野が引いているぞ。
「………」
「………」
「不撓さん」
「…何だ?」
気のせいか天野は泣きそうになっている。
「私、大槻さんの気に障る事しましたか…」
「…わからん」

そのまま五分ほど経過した。
俺も天野も注文した飲み物を飲んでどうにか落ち着いたようだ。
「不撓さん」
天野が先ほどのように神妙な面持ちになった。
「おう」
こちらもとにかく頭を切り替える。
「不撓さんにとって良くない事が近い内に起こります」
最低でも愛の告白ではなかった。
「…どういう事だ?」
天野の発言に対して、俺はこれしか言えなかった。
「おそらく人間関係のもつれから、不撓さんは何らかの騒動に巻き込まれると思います」
「………」
「………」
それは、にわかには信じられない話であった。
信じられない話ではあったが、天野はまっすぐに俺の目を見ながら話している。
あくまで俺のカンだが、これは嘘や冗談の類では無い。
だが真実かどうかを判断するにはまだ情報が少なすぎた。
「なぜそう思った?」
天野は少し躊躇して、答えた。
「昨日の夜に、星が教えてくれました」
「星か…」
普通に考えれば変な宗教か怪しい占いの類だと考えるべきだろう。
「私は少しですけど占星術が扱えます。
だから、星の動きから他人の未来がある程度まで予知できるんです」
「………」
「あの…信じてくれなくても良いです。自分でも、変な事を言っているんだってわかっていますから」
「まあ、普通は信じないだろうな」
こう言うと、天野は少しだけ落胆したような表情になる。
当然と言えば当然の話だ。だけど…
「わかっています。でも、せめて自分の周りの人に注意を払ってください」
天野はただ俺の心配をしているだけなんだと思う。
そのために夜更かしをして、そのためにこんな信じてもらえないような話をしている。
天野は自分のためではなく、他人のためにこんな事を言っているんだ。
だから俺は…
「あの…私、帰ります。聞いてくれてありがとうございます」
「俺は天野を信じたいと思う」
「…え?」
なんだよ、そんなに意外そうな顔をしなくても良いじゃないか。
「近い内に人間関係のもつれから騒動が起きるんだな?」
「あ…はい、そうです」
そんなに俺の一言が意外だったのか、見ていて面白い位に今の天野は混乱している。
「わかった、気をつけるよ。ありがとう」
「あ…あの…、あり…ありがとう…ござ…」
…て、あれ?
「おい天野、泣くなよ」
「だって…ぐすっ…だってぇ…」
天野は泣いていた、これでもかってくらいに泣いていた。
「泣くなって、ほら。イナイイナイ…バアァー」
俺達は二人仲良く面白い位に混乱するのであった。

「不撓さん、ありがとうございました」
「おう、また来いよ」
「はい、必ず来ます」
  カランッ カランッ
結局、天野が泣き止むまでに15分の時間を要した。
今にして思うと天野の神妙な表情は恐怖から来る物だったのかもしれない。
もしかしたら天野は以前にも似たような事があって、
それが原因で友人を減らす事になったのかもしれないな。
しかし、人間関係のもつれから起こる騒動とは…
「不撓君、今の人誰なのかな?」
もうこの時点で起きているのではないだろうか。
俺の眼前には大槻スマイルを浮かべた修羅が立っていた。
「大槻さん。店は閉めた、存分にやりなさい」
いつの間にか親父は本日貸切の札を玄関に掛けていた。
まだ閉店時間まで1時間はあるってのに…良いのか?
「店長、ありがとうございます」
  カチャッ
そう言いながら大槻は伝家の宝刀ベアークローを両手に付けていた。
「駄目だよー、あんなに可愛い女の子をたらしこんだ上に泣かせるなんてー…」
「いや…おい、ちょっと待てって」
「しかも私が知らない間にどーやって仲良くなったのかなー…」
「いくらなんでもソレは洒落にならんぞ、大槻」
「そうだよねー、いくら私が頑張っても全然気がつかないしねー…」
「待て大槻、何の話だ」
  ドンッ
後ろには壁、もはや退路は無かった。
・戦う  ・呪文
・逃げる ・道具
「………」
「………」
「アンキモ、アンキモ、アンキモ!」
「殺!!!」
「ギャアアアアァァァァッッッ………」
しかし、俺の予想に反して事件はまだ始まってすらいなかった。
全ての元凶となる者は、現在は隣町である黄道町に居る事は…
この時点では誰も知る由もなかったのである。

2 『帰還』

夢の中で、俺は天野を蹂躙していた。
これが夢である事なんて一瞬でわかる。
天野と俺は恋人でも何でもないのだから。
だが一糸纏わぬ天野が四つん這いになっている姿を見れば、
健康で文化的な最低限度な男は皆同じ行動をとるだろう。
俺とて、天野にこんな願望を抱いている事は否定できない。
天野は…美人さんだからな。
  じゅく…じゅく…
気のせいか、肉が擦れ合う音が聞こえたような気がした。
それになんか…感触がリアルすぎやしないか?
手でさすった時の感覚を遥かに凌駕しているこの感覚は…
  ちゅば…ちゅば…
「怪しい、おかしい、変だ!?」
  ガバァッ
「…あっ」
「………!!?」
眼前に広がるは俺の部屋、そして俺のアレに舌を這わせている見知らぬ少女であった。
「おはようございます、兄上」
「俺に妹はいねええぇぇっっ!!」
何が悲しくて俺は朝っぱらから絶叫しなくてはならないのだろうか?
俺は何もしていない、断じてしていない。(願望はあったが)
だが、この少女は全く動じてはいなかった。
それどころか、ゆっくりと…まるで未だに夢の中に居るのではないかと錯覚させるほど
艶かしい動作で俺の上に伸し掛かってきたのだ。
「兄上、私の方は準備ができております」
「なっ!?」
そう言って見せられた女性器は、確かに見てわかるほどに濡れていた。
初めて見るモザイクの無いソレは、一瞬にして俺の脳に焼き付き興奮を促す。
…て、今気がついたがTシャツ以外何も身に着けていないじゃないか!
「…いきます」
  くちゅ…
天に向かってはち切れんばかりに怒張しているモノが、入り口に触れた。
俺がこの子と一線を超えるのにもはや1秒の時間すら必要としないだろう。
この時点で俺は、考えるのをやめていた。
「いくなあああぁぁぁっっっ!!!」
  ゴッ!
「はぐっ…」
はっきりと言おう、俺はこの時追い詰められていた。
だから俺がこの少女のアゴを目掛けて全力で拳を放ったとしても、
一体誰が俺を責められるのであろうか?
…ごめんなさい、動転していました。
後に残ったのはぶっ倒れて目を回している半裸の少女と、もはや取り返しのつかない程に
勃起している俺だけであった。
なんと言うか…なんとなく惨めな気分だ。
とりあえず俺は少女の言っていた『兄上』の真偽を確認するために、親父の姿を探す事にした。

「親父、居るか」
居た、親父は店内の椅子を定位置に運んでいた。
「おはよう。勇気、驚くのは良いが悲鳴を上げるのはほどほどにしてほしいのだが」
…と、親父は眉一つ動かさずにこんな事をのたまいやがった。
「聞こえていたなら助けろよ…」
「なんだ、何か妙な事でもあったのか?」
ここでようやく親父の表情が変わった。絶対何か知っていやがるな、こいつ。
「親父、知っている事を全部話せ、残らず話せ」
「英知から何も聞いてないのか?」
「えいち…?」
はて…どこかで聞いた事があるような気がする。
「なんだその顔は、まさかとは思うが忘れたのか?」
昔…それこそ気が遠くなる程の昔に聞いたような気がする。
「わ・す・れ・た・の・か?」
思い出せ…思い出すんだ不撓勇気、たしか俺が幼稚園児だった時に…
「…あっ!」
「ようやく思い出したか…」
そうだ、なぜ忘れていたのだろう。
「お袋の名前!」
「全然違うっ!!!」
…あれ、おかしいな。
「………」
「………」
「まあいい、忘れたのならもう一度話そう」
「…ごめんなさい」
「英知はお前の妹だ、もっとも実際に会うのは初めての筈だがな」
「妹…?」
そう言われればそんな事を聞いたような気がする。
「そうだ、今から15年前に英知は産まれ、そして今まで楊貴と共に暮らしていたらしい」
「楊貴ってのは?」
「…一度お前の頭を切り開いてみたい」
「…ごめんなさい」
親父、冗談だよな…背筋が寒くなったぞ。
「不撓楊貴(ふとう ようき)、こっちがお前の母親の名だ。二度と忘れるな」
ああ、それでようやく思い出した。
俺が今まで写真ですらお袋の顔を見た事が無いのは、お袋が妹と共に家を出て行ったからだったんだ、
…いや、正確に言うならば妹が産まれるまでの約2年間はお袋の顔を見て育ったらしいのだが、
残念な事にその頃の記憶は非常に曖昧だ。
「親父、それならなぜ今頃になって英知がこの家に来たんだ?」
「………」
「…親父?」
「それは…本人から聞いた方が良いだろう。私とて全容を知らされている訳では無いのだからな」
「英知に…?」
どうやら、親父から聞き出せるのはここまでらしい。
「…兄上」
いつの間に目覚めたのか、そこには先ほどの少女が立っていた。

「英知…なのか?」
「はい…兄上」
15年ぶりの兄妹の再会、だが俺にはイマイチ実感が沸かなかった。
当然か…実際に会うのはこれが初めてらしいからな。
まあ、そんな事はどうでもいい。
今は英知に聞かなければならない事がある。
だけど…なんとなくだが、聞いてはいけないような気がした。
聞いてしまっては二度と戻れなくなるような、大切な何かを失ってしまうような、
そんな嫌な予感がした。
だがしかし…聞かなければ何もわからない、何もわからないまま終わらせるのはもっと嫌だ。
随分と長い思案のを経て、俺は意を決した。
「英知…」
  カランッ カランッ
「おはようござ…い…」
大槻よ…前々から思っていたのだがお前はタイミングが悪すぎやしないか?
今になって思い出したのだが、英知の身を隠す物はTシャツが一枚あるのみであった。
  カチャッ
それになぜ一介の高校生がそんな危ない物(ベアークロー)を持ち歩いているんだ?
「このっ…ド変態っ!!」
最後にもう一つ、なぜ俺を攻撃するんだ…
俺はそんな事を考えながら、意識を手放した…
「くぅ…このっ…」
…あれ?
「兄上に手を出す事は私が許しません」
それは、まさに信じられない光景であった。
英知の右腕からまるで茨のような物が伸び、大槻の右腕を拘束しているのだ。
「あなた…何者なの?」
「兄上の…不撓勇気の婚約者です」
『いつ婚約したんだ!』と、言いたいがぐっとこらえる俺。
「ふざけないでっ!婚約者は私よっ!!」
『お前も対抗するなよ!』と、良いたいが口が裂けても言えない俺。
「兄上っ!」「不撓君っ!」
今度はこっちに矛先が向いてきた、てかもう勘弁してくれ。
「「いったいどうゆう事→→ですかっ!」
            ↓→なのっ!」
お前ら実は仲良いだろ。
「………」
「………」
「………」
嫌な沈黙が辺りを漂う。
いったい何なんだこの二者択一っぽい雰囲気は。
だいたい俺は婚約を交わした記憶は全く無いぞ。
まあ流石に2歳の頃に交わした約束は覚えてはいないが、その頃の英知は0歳だ、覚えている訳がない。
大槻の方は…たぶん英知の言い分をブラフだと考え、それに対抗するために自分も同じ手を使ったのだろう。
そう考えると、まず俺は英知からできるだけ多くの情報を引き出すべきだな。

「英知…」
「なんですか?兄上」
  カランッ カランッ
「不撓さん、大丈夫ですかっ!」
天野…お前もか。
「………」
「………」
「………」
「………」
「大丈夫…ですか?」
流石の天野も状況が読みきれないらしい。
まあ当然な話だ。ベアークローを構えた大槻とそれを茨のような物で拘束している半裸の英知、
その二人に睨まれている俺、さらに黙々と開店準備を進める親父。
そして最後にパジャマ姿の天野。
この場面を見ただけで事情が理解できる奴は本物の超能力者だ。
…って、パジャマだとおおおぉぉぉっっっ!!!
「不撓…さん?」
い…いかん、思わず叫び出しそうになったしまった。
だが、それほどまでに天野のパジャマ姿は破壊力抜群であった。
全身真っ青でなんのプリントもされていないシンプルな物だが、その質素さが天野にマッチし、
かつ清楚さを引き立てている。
さらにやや大きめのサイズが天野の小柄な体を強調しているが、
決して嫌味の域に入らない絶妙なバランスを保っている。
そう、まさしく絶妙なバランスだ。大切なのは本人、服装はあくまで本人のための引き立て役である。
その点天野のパジャマは、引き立て役に終始しつつ、それでいて決して無視できない存在感がある。
天野…本年度のMPP(モースト・パジャマ・プレイヤー)は君で決まりだ。
「不撓君、何をジロジロみているのかな?」
いかん、大槻と英知の事をすっかり忘れていた。
しかも間の悪い事に俺の服装もパジャマ、つまり万が一アレが勃起してしまうと俺にはそれを誤魔化す術は無いのだ。
「兄上、どうしたのですか?」
いかん、これ以上天野のパジャマ姿を見ているのは非常にまずい。
なんでもいい、何か別の物を考えるんだ。
別の物…別の物…別の物…
だからって天野の全裸を想像してどうするんだあああぁぁぁっっっ!!!

 カチャッ
「不撓くーん、どーしてそんな場所が急に元気になるのかなー…」
わーい、大槻スマイルand二刀流だー。
二日連続で見られるなんてラッキーだなー。
「兄上、溜まっていらっしゃるのなら毎日私がお相手いたしますよ」
とか言いつつ英知の腕から出ていた茨は大槻の拘束をやめ、まるでドリルのように寄り集まっていた。
「ごめんねー、最近私忙しかったから不撓君溜まってたんだよねー…」
大槻はあくまでブラフ攻勢を緩める気は無いらしい。
だがな大槻、いくらなんでもお前がそんな事できる訳が無いだろう。
「私なら毎日何度でも兄上の溜まった欲望を満足させてあげられますのにねえ」
ナイスだ大槻、お前のお陰で英知の矛先が俺から外れた。
「こーやって胸で挟むの大好きだったよねー、貧相な誰かさんには無理だろうけどねー…」
勝手に俺の過去を捏造しないでくれ、俺は無実だ。
「私はまだ若いですから、兄上が協力してくださればいくらでも大きくなれますよ」
お前らたしか2歳差だったよな?
俺の記憶が正しければ二年前の大槻の方が大きかったぞ。
「そんなの不撓君は待てないよねー、それに貧乳はなにをやっても貧乳だよー…」
大槻、今の言葉で全ての女性の半分を敵にまわしたぞ。
「あんまり無駄に大きいと垂れるのが早いですからね、あなた10年後に鏡を直視できます?」
英知、それはいくらなんでも禁句だ。
「あ…あの…不撓さん」
「違うっ!断じて違うっ!ブラフだっ!ハッタリだっ!」
「………」
「………」
「………」
「………」
まずい…非常にまずい…
このまま何のフォローも無いと天野はこの二人の言葉を信じかねんし、大槻と英知は今にも暴れ出しかねん。
何か無いのか…何かこの状況を打破する方法は無いのか…

「勇気…遅刻するぞ」
「「「…え?」」」
現在8時10分、正門が閉まるまであと10分。
「て…て…店長!どうしましょう、開店時間が…」
「やむをえまい、今日は一時間遅らせて9時に店を開けよう」
「ご、ごめんなさい。私のせいで…」
「かまわんよ、そんな事より早く学校に行きなさい」
さっきまで大槻スマイルを浮かべる程に怒り心頭していた大槻であったが、
親父の一言で一瞬にして冷静になり、今度は逆に狼狽し始めた。
だが状況は俺も同じ。いや、既に登校準備を全て終えている分だけ大槻の方が遥かにマシだ。
天野にいたっては一度自宅に帰らなくてはならないのだ。
天野の家がどこにあるのかは知らないが、おそらく遅刻は確定だろう。
「え…っと、お邪魔しました」
「待った。天野、ちょっとだけ待っててくれ」
「…え?」
  ドタドタドタ…
そう言うや否や俺は二階への階段を駆け上り自室に駆け込む。
えっと…これでもない、これでもない、これでもない、あった!
  …ドタドタドタ
「天野、これ羽織って行け」
私服用のジャンパーだ、洋服掛けに無造作に掛けてあっただけだったので探すのは簡単だった。
「あ、ありがとうございます」
「勇気、それに…天野さんだったかな?」
「はい、天野友美といいます」
のんきに自己紹介してる場合かよっ!
「これも持って行きなさい」
  シュッ
「わ…とっと」
そう言って親父は俺達に銀紙で包まれた物を投げてよこした。
「あの…これは?」
「おにぎりだ、休み時間にでも食べなさい」
「ありがとうございます、頂いていきます」
気のせいか…親父の方が感謝されてないか?
  カランッ カランッ
天野は走り去って行った。
結局何のために来たんだか…
「不撓君、遅刻しちゃうよっ!」
「わっ…そうだった」
「兄上、制服と鞄を用意しておきました」
そう言ってワンピースを着た英知が制服と鞄を持ってきた。
「サンキュー」
俺は速攻で受け取り自室へ…
「…て、ちょっと待て」
「はい?」
「何でお前が制服と鞄の場所を知っているんだ?」
あれは脱衣所に置きっぱなしだったはずだ。
「はい、今朝偶然見つけました」
そう言って英知はえっへん、と胸を張る。
良かったな天野…僅差でお前の勝ちだ。
「不撓君っっ!!」
「わぁー、ごめんなさいごめんなさい」
  ドタドタドタ…

 キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
四時間目が終わり昼休みとなった。
…しかし今朝は酷い目にあった。
大槻と英知の対立もそうだが、そのせいで俺は駆け込み電車のごとく正門に挟まれたのだ。
しかも大槻は俺が当直の先生の注意を引き付けている隙に、まんまと塀を飛び越えて突破していたのである。
結局大槻はセーフ、俺はアウト。
天野に至っては学校に到着したのが一時間目の中ごろの話である。
だが今は嘆いても仕方が無い、今の俺に必要な物は購買である。
当然の話だが今日の大槻は弁当を作ってはいない。
すると俺が昼食を調達する方法は二つしか無い。すなわち購買か外食かだ。
最後に俺のカンが購買に行けと伝えてくるので、今日の昼食は購買の弁当かパンに決定したのだ。
  ガヤガヤガヤガヤ…
購買に到着。
番場が言うには、外食組が居る分だけ購買は他校に比べて空いているらしいのだが。
しかし正直に言って、これのどこが空いているのかと番場を問い詰めたくなる。
だいたいどこが最後尾なのかわからんし、そもそも列になっているのか?
よくもまあ天野は毎日ここで買い物できるものだ。
…などと思案していると、最前線から見知った顔が這い出してきた。
「天野」
「あっ…不撓さん」
「もう買い終わったのか?」
「はい、不撓さんも今日は購買ですか?」
「まぁ、今日はいろいろあったからな」
そう言うと天野は、笑っているような困っているような複雑な顔をした。
「ところで、何か天野のオススメはあるか?」
「そうですね…私はこのサンドイッチが気に入っているんですけど」
そう言って天野は自分が買ってきたサンドイッチを見せてくれた。
「そっか、じゃあ俺もそうするかな」
  ガヤガヤガヤガヤ…
「………」
「………」
「…不撓さん?」
「…なんだ?」
「もしかして、買い方がわからないんですか?」
「………」
「あの…私が買ってきましょうか?」
「…スマン」
情けない男が一人居た。
「はい、まかせてください」
そう言って天野は俺から小銭を受け取ると、再び人混みの中に潜り込んでいった。
いや、突き進むと言った方が正しいかもしれない、明らかに何人かを押しのけていたと思う。
「フライング摂政ポセイドンッ!」
「うわらばっ」
…何だ今のは?
片方は天野の声だったような気がするが…気のせいだよな。
その数秒後、天野は無事サンドイッチを手に入れ俺の前に舞い戻ってきた。
「お待たせしました」
「大丈夫だったか…?」
「はい、慣れてますから」
…やめよう、さっきのは聞いちゃいけないような気がする。
俺達は購買を後にした。

 ガチャンッ
旧校舎屋上に到着した。
適当な場所に腰をおろし、先ほど購入したサンドイッチにかじりつく。
「なるほど…なかなかいけるな」
「でしょう、お気に入りなんですよ」
そう言う天野の顔は本当に嬉しそうだ。
さて、せっかく二人きりになれたのだ。今の内に押し倒…もとい、あの事を聞いておこう。
「なあ天野、なんであの時あのタイミングでやって来たんだ?」
そう、英知が帰ってきた理由も気になるが、これも聞いておくべきだ。
天野のあの時の行動は、あたかも俺の危機を察知していたかのようだった。
そうでなければ開口一番『大丈夫ですか』などと言える訳がない。
「…昨日、不撓さんに良くない事が起きると言いましたよね」
「ああ、言ったな」
記憶力に自信は無いが、流石に昨日の事は覚えている。
もっとも、危うく植物人間になりかけたがな。
「あの時は近い内に、と言いましたが、私の見立てではあと一週間前後の事だと思っていました」
「ま、まさか一週間後にこれ以上ややこしい事が起こるのか?」
いくらなんでもこれ以上立て続けに事件が起きたら俺の気力が持たんぞ。
「いえ、起こらないとは限りませんがその可能性は低いはずです」
「本当か!?」
「はい、私が予知した災いは今朝すでに始まっていました」
「そうか…」
とすると、昨日天野は英知の帰還を教えてくれていた訳か。
「そういえば、なんで天野は今朝パジャマ姿だったんだ?」
「あの、お恥ずかしい話なんですが…今朝、星が不撓さんの危険を教えてくれた時に
頭が真っ白になってしまいまして…気がついたら不撓さんの家に向かって走り出していました」
「そ、それは災難だったな…」
おかげで俺の目の保養にはなったが。
「天野、この騒動がいつ頃収まるのかはわからないのか?」
「すいません、いつかは収まるはずなんですけど、それがいつ頃なのかはちょっと…」
「そっか…ごめんな、無理言って」
天野は少しだけうつむいたが、すぐにまた俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「不撓さん、これだけは覚えておいてください」
それは昨日と同じ眼だった。天野がこの眼をしている時は、どうしても何かを伝えなければならない時だ。
「『今は嘘になんかならない』と言う言葉が有ります。ですが、予知は嘘にする事ができます。」
「どうゆう意味だ?」
「人の運命は絶えず流動しています。ですから、どんなに精巧な予知でも必ず綻びが出ます。
その人に強い気持ちがあれば、予知は嘘にだってなるんです」
一つだけ昨日と違う点があった。今の天野に恐怖は無い、あるのはきっと…強い決意。
「わかった、絶対に忘れない」
だから俺には、こう答える以外に思いつかなかった。

サンドイッチを平らげてからも、俺達は話し続けた。
だけどそれは、本当にどうでもいい話だった。
試験の話、天気の話、この町の話、思い出話。
本当にどうでもいい事だったけれど、本当に大切な話だと思った。
天野が笑って、俺がからかって、天野が少し怒って、俺が謝って、今度は二人で笑って。
それはいつもの昼休みだった。
この時だけは、俺は自分の身に起こっている災厄を忘れ去っていた。
「ところで不撓さん」
急に天野がずいぃっと身を乗り出してきた。
「な…なんだ?」
顔が近い、顔が近い、顔が近い…
「大槻さんが言ってた事は本当ですか?」
「な…んな訳ねえだろっ!」
距離を取るために後ずさる。
かなりなさけない姿だが四の五の言ってはいられない。
「本当ですか…」
「あたりまえだ。仮に俺と大槻が愛し合っていたとしても肉体関係になる事は無えよ」
「えっ…」
やばい、今とんでもない事を言ったような気がする。
「い…いや、違うぞ、別に俺と大槻は恋人でも何でもないんだからな」
馬鹿か俺は…自分で言っておいて自分で白々しいと思っている。
  キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
なんてタイミングが悪い、こんな時にチャイムが鳴るなんて。
「ごめんなさいっ!」
「おい、天野…」
  ガチャンッ
行ってしまった…
「何をやっているんだよ、俺は…」

「性交渉恐怖症?」
「そうだ、今の大槻陽子は性交渉に対してトラウマを抱いていると思われる」
「そっか…まあ無理も無いよな」
「今の所は吐き気を催す以外の症状は確認できていないが、それ以上はどうなるか予測がつかん」
「治らないのか?」
「俺も何個か手は打ってあるが、半年では完全に治すのは無理だろう」
「そんな…」
「そんな顔をするな勇気、完全には治らんが日常生活に支障が出ないようにはなるだろう」
「本当か!?」
「当たり前だろ、俺は医者だぞ。もっとも、あの件に関しては当たり前の日常を繰り返す他に無いがな…」
「なら、俺はどうすれば良い?」
「勇気、お前は大槻陽子をどうしたい?」
「どうゆう意味だ?」
「お前はこれ以上大槻陽子を守るつもりなのか?」
「そんなの当たり前だろ」
「勇気、人間一人守ろうと言う事は言葉ほど簡単な事ではない。
そいつが抱える全ての物をまとめて背負っていくだけの覚悟が必要だ」
「………」
「もう一度聞く、お前に大槻陽子を守る覚悟はあるのか?」
「………」
「………」
「わからない…だけど俺は、あの子を守りたい」
「………」
「………」
「不合格だな…だが追試くらいは受けさせてやろう」
「追試?」
「いつか必ず、この問いをもう一度受ける時が来るだろう。その時までに答えを考えておけ」
「…わかった」
「それともう一つ言っておく、大槻陽子を守るのなら自分から手を出してはならない」
「………」
「経過が順調なら、大槻陽子はいずれ自分から性交渉へと手を伸ばす日が来るだろう」
「わかった」
「忘れるなよ、いつか必ず追試を受ける日はやってくる」
「わかった、その日までに…必ず答えは出す」

 キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
  ハッ!
いかん、どうやら眠っていたようだ。
既に五時間目は終わり休み時間に入っている。
流石は伊藤、催眠教師の名は伊達ではないのか。
…と、そんな事はどうでもいい。
今は天野に話を聞いてもらわなくては。
  ガララララッ
「不撓君、ちょっと来てっ!」
大槻、実はわざとやっているんじゃないのか?
しかも天野はもう居ねえし…
やむをえず俺は大槻の居る廊下へ行くのであった。
「で…何の用だ?」
「不撓君、口裏合わせて」
「…頼むからもう少し詳しく説明してくれ」
それでわかったら俺は超能力者だ。
「疑われてるの、あの自称妹に」
自称もなにも、たぶん本物だと思うぞ。
「疑われてる…て、何が疑われてるんだよ?」
いかん…ちょっとイライラしてるな、俺。
「朝に言ってたハッタリ」
「そのまま真実を暴露してしまえっ!」
「………」
「………」
あ…流石に言い過ぎたか。
大槻が滅多に見られない泣きそうな顔になっている。

「…それで、俺は何をすればいい?」
「う…うん、えっとね…」
駄目だ、全然辛気くさい雰囲気が消えない。
さっきから俺は何をやっているんだ。
「とりあえず、店にいる時だけでも名前で呼んで欲しいかな」
「つまり…偽装恋人か」
少しありきたりだが、効果はあるかもしれない。
問題は…天野に更なる誤解を与える可能性がある、て所か。
「なあ大槻、何もそこまでやる必要は無いんじゃねえか?仮にも俺と英知は実の兄妹なんだぞ」
「駄目だよっ!」
「ちょっ…大槻、声が大きいぞ」
一応ここは天下の往来、平たく言えば廊下だ。
現に大槻の声を聞いて振り返る人がちらほらと見えていた。
「あの子は本気だよ、女の子だからわかるよ」    
「本気って…」
「あの子は本気で不撓君を手に入れようとしてる、それでもいいの?」
「それは…非常にまずい」
どんな事情があるのかは知らないが英知は妹だ。
今の俺に近親相姦を容認する理由は無い。
「私だってそんなの嫌だよ。だから…お願い…」
大槻の泣きそうな顔は久しぶりに見る。
三年前に失って…大槻が日常の中で取り戻していった感情だ。
何をやっているんだ不撓勇気…三年前のあの日に、俺は大槻を守りたいと言ったじゃないかっ!
「俺からも頼む…」
「えっ…?」
「偽装恋人を…やってくれ」

「起立、礼」
放課後になった。
六時間目の授業も、ハッキリ言って全く聞いていなかった。
天野にどんな言い訳をすれば良いのだろう?
そんな事ばかりが頭に浮かんでいた。
とにかく天野に偽装恋人の件も含めて事情を話そう、さもなくば間違い無く誤解を深めてしまうだろう。
「天野…」
  ダアッシュッ!
逃げられた…
全く、一体何がどうなっているんだ?
  ガララララッ
「不撓君、一緒に帰ろう」
やむをえん、天野が『Phantom Evil Spirits』に来ない事を祈りつつ…
今は先に英知の方をなんとかするしかあるまい。
天野の件はまた明日にしておくしかないな。
俺は意を決して大槻と共に帰路についた。
  カランッ カランッ
「勇気君、それに陽子ちゃん、お帰り」
鈴木さんが出迎えてくれた。
微妙に肩透かしをもらった気になるが、ここで気を抜く訳にはいかない。
「鈴木さん、あの子は?」
「あの子…英知ちゃんの事かな?」
「はい、そうです」
「うーん、あの子はピークを過ぎてから外出してるからな…ちょっと僕にはわからない」
「「外出!?」」
どうやら大槻も初耳らしい。
「そうだよ、店長も行き先は知らないみたいだけど、何処に言ったんだろうね?」
「すいませーん」
「おっと、仕事仕事…」
鈴木さんはレジへと向かった。
微妙どころか…完全に肩透かしをもらってしまったな…
「………」
「………」
「…陽子、一応聞くがどうする?」
「とりあえず、仕事しよっか…」
「そうだな…」
結局、閉店時間が過ぎて大槻が自宅に帰るまで英知が帰って来る事はなかった。

「…で、結局英知は何処に行ってたんだ?」
夕食時、俺は英知に尋ねてみた。
「はい、不死鳥学園に転入手続きをしに行ってました」
…What!
「明日からは私も兄上と同じ学校に通いますので」
なんですとっ!
「………」
「………」
「………」
…あっ、親父も固まってる。
「…て、ちょっと待て、お前確か15だったよな?」
「はい、戸籍の事なら既に偽造済みです」
「………」
「………」
「………」
戸籍を偽造できる奴なんて一人しか居ない。
しかも英知と知り合いでも何の疑問も無い。
「マジか…?」
「マジです」
俺も親父もこれ以上何も喋れなかった。
この騒動は、当分の間は収まりそうもないと…俺は悟った。

2-5
 カランッ カランッ
「お客さん、まだ準備中ですよ」
「父上、ただいま帰りました」
「…父上?」
「はい、お懐かしゅうございます」
「…英知か!?」
「はい」
「英知、楊貴は…」
「………」
「………」
「そうか…」
「父上…」
「謝らないでほしい、実の娘を恨みたくはない」
「…はい」
「………」
「………」
「父上、兄上はいらっしゃいますか?」
「勇気の事なら奥の階段を上って左の部屋だ」
「はい、では…」
3 『3 years ago』

「おばあちゃんっ!」
「………」
「嫌だよ、私…おばあちゃんが居なくちゃ嫌だよっ!」
「………」
「笑ってよ…いつもみたいに笑ってよ…」
「………」
「やだよ…ぐすっ…やだよ…」
「………」
「陽子…おばあちゃんはね…」
「違うよっ!」 
  ガチャンッ
「陽子っ!何処に行くの!?」

「違うのに…違うのに…」
「お譲ちゃん」
「………」
「何か嫌な事でもあったのかい?」
「ぐすっ…おばあちゃんが…おばあちゃんが…」
「なら…俺達が忘れさせてやるよ…」
「えっ…?」

それは、まだ不撓家に長男が居た時であった…
その日の俺は、番場が入団している草野球チームの試合を観戦し、何故か代打として出場し、
何故かそのまま勝利の宴に紛れ込み、俺が帰路に着いた時にはあたりはすっかり暗くなっていた。
「…ハハハ…」
「…ん?」
笑い声…それも女性の笑い声が聞こえた。
ふと振り返ると、そこにあったのは公園であった。
まあ、おおかた恋人同士が愛の語らいでもしているのだろう。
この公園は昼も夜もほとんど人が居ない。
逢引にしては少し寂しすぎるような気がするが、まあそれは各人の自由であろう。
そう結論づけると…俺は再び帰りを急いだ。
「…ヒヒヒ…」
「…んんっ?」
今のも同じ人の声だったが…愛の語らいにしては少し違和感がある。
なら麻薬あたりか。
公園で麻薬をやっていたり、人生に絶望したりで気をおかしくした人が居るのだろう。
そう結論づけると…俺は再び帰りを急いじゃ駄目だろっ!
なんだか嫌な予感がする…一応、覗いておこう。
もし恋人同士の愛の語らいだったら、覗いた事を心の中で謝りつつ退散しよう。
万が一、麻薬か人生に絶望した人に出くわしたら、その時は2・3発引っ叩いてから退散しよう。
そうと決まれば話は早い、俺は早速公園の茂みの中を匍匐前進で進んでいった。

まず発見したのは二人の学生、それも一瞬で不良だと判断できるほどわかりやすい男たちであった。
制服は…兄貴の物とは微妙に違う。
しかしこの辺りで学ランを制服としているのは不死鳥学園と隣町の昇龍高校だけだ。
そういえばこの間、
兄貴が『昇龍に不良嫌いの生徒会長が就任したおかげで、向こうの不良がこっちに流れて来ている』
と言っていたような気がする。
まあ不良の出所はこの際関係無いか。
俺はもう少し近づき、二人の話声が聞こえる位置まで移動した。
「なあ…あの女やべえんじゃないか?」
「そうだな…今まで何回か女をまわした事はあるが、たいてい泣き喚くか無言になるかだったしな」
「キレてんじゃねえのか?あの女」
「かもしれんな…」
「なあ…もうずらかろうぜ、仲間もほとんど気持ち悪がって帰っちまったしよ」
「そうだな…俺達もそろそろ退散しよう、確かにこのままここに居るとヤバイ気がする」
なるほど…大体理解した、どうやら居たのは蛆虫だったようだ。
今なら向こうが気がついてない分だけこちらが有利な筈だ。
よし、まずこいつらから情報を聞き出そう。
敵の位置は…それならっ!
  ガサササッ
「なっ!…」
俺は匍匐の体制から逆立ちをし、そのまま両手で思い切り地面を押し、バク転の要領で空中に跳ぶ。
そして敵が驚いている間に両足のカカトを振り下ろす…
  ゴッ!
「ぎゃぷっ…」
手ごたえあり!
最後に着地…よし、奇襲は上手くいった。
「秘技…半月蹴り」
まずは一匹目、二匹目は尋問…いや、拷問するために気絶は避けないと…
「貴様っ!」
まだあいつは冷静になりきれていない、あの構えているのだか構えていないのかわからない
姿勢がその証拠だ。
ならばこの勝負は速攻で終わらせるっ!
俺はドロップキックの要領で跳び、右足を脇の下に、左足を肩の上に差し込む。
その体勢のまま重力で体が落下するよりも早く相手の手首を掴み全力で引っ張る…
  ゴキリッ!
「ぐわあぁっ!!」
「秘技…空中腕ひしぎ…」
相手の腕が下に垂れると、俺は両手を地面に着き今度は両足で首を挟み、そのまま体を捻る…
  ゴンッ!
「がっ…」
「…Withヘッドシザース」
二匹目も潰した…って、潰しちゃ駄目だろっ!
「お〜い…生きてるか〜…」
返事が無い、少しうっかりしていたようだ。
二匹目には空中腕ひしぎで戦意を喪失させれば十分だったのだが、うっかり追撃を入れてしまったようだ。
…まあいい、過ぎた事は仕方が無いしゴミに情けを掛ける必要も無い。
俺が考えるべき事は何処かに居る女の人を助け出す事だけだ。

「あはははははは…」
なんだよ…これ。
現場は拍子抜けするほどに簡単に見つかった。
場所は男子トイレ、男が三人、女性が一人…女の子と言うべき幼い子であった。
だが、それより問題とすべきはその異様な光景である。
「ひひひひっひっひ…」
笑っていた、歓喜の表情と共に笑っていた。
一瞬俺は薬でも飲まされたかと思ったが、すぐに却下する。
先の二人の会話に薬の存在は無かった、それに見張りと思われる男は明らかに恐怖に怯える表情をしていた。
なにが何だかわからんが…今は一刻も早く少女を助けなければ。
ここは奇襲で行こう、前後から少女を犯している二人はすぐには戦闘体制には入れない筈だ。
  チャリンッ チャリンッ
公衆トイレの天井の上に登り、五百円玉を入り口付近に落とす。
犯している奴らは腰を振るのが忙しくてそれどころではないだろうが、見張りは別だ。
拾うためか、あるいは異常を感知したためかは知らんが、のこのことやってくる。
そして辺りを2・3度見回し…拾ったっ!
その刹那、俺は全体重を両足に乗せ下を向いた奴の後頭部を目掛けて落下する…
  ズンッ…
「ぐわっ…」
「秘技…マリオキック」
これで三匹目、あと二匹だ。
「なっ…何だてめぇは!」
…チィッ、気づかれたか。
だがここで引く気は全く無い、ここまで来たら真正面から叩き潰すまでだ。
残る二人はあわてて少女の体から離れ、俺に対処しようとするが、
それを待つほど俺はやさしくはない。
ここからはスピードの勝負だ、近い方から叩くっ!
大地を蹴って加速し、その勢いのまま空中で体を捻る…
  ドガァッ!
「はがぁ…」
「秘技…ローリングソバット」
手ごたえはあった。俺の足は男の顔面を捉え、そのまま後頭部を壁に激突させた。
…あと一匹だ。
「てめぇ…」
最後に残った男がナイフを構える。
俺の頭の中でスイッチが入る。
奴の殺気を感じ取り、俺は始めて殺意を呼び覚ます。
恐れるな…俺の名は何だ?
不撓勇気だ…決して折れない…勇気を持つ者だあああぁぁぁっっっ!!!
「死ねぇっ!」
「遅いっ!」
全速で前進しながら左手で奴の右肩を掴む、右足で奴の足を払い、同時に右肩を逆方向に押す…
「なにぃっ!?」
「秘技…」
奴の体がバランスを崩し横向きになる、その機を逃さず右手を奴の頭に乗せ、
全体重をもって奴の頭を加速させる…
「岩・盤・砕きいいいぃぃぃっっっ!!!」
  ズウゥゥンッ…
ラストワン…撃破。

気がつくとタイルにヒビが入っていた。少しやり過ぎたかもしれない。
まあ、人間は意外に頑丈に出来ている物だ、しばらくは起き上がれないだろうが死にはしないだろう。
そんな事より…
「くくく…くくく…」
この子をどうしようか…?
その子は湧き水の如く流れ出る血液を見ても、なお笑い続けていた。
「あ…りが…と…」
…えっ?
今の言葉は礼を言った様に聞こえた。
正気を保っているのか!?この子は。
「あはははは…」
その顔に変化は無い、ただ歓喜の表情があるだけだ。
どっちにしろ俺にはこれ以上はどうしようも無いな。
そう判断すると俺はこの子を背負って…いや、それは拙いか。
この子は裸だ、一番大事な箇所はスカートによって辛うじて隠れているが、
それ以外はニーソックス位しかその身を隠す物が無い。
流石にこのまま外に連れ出したら非常に拙い事態になるだろう。
それに意外と胸が大き…いや、関係無い関係無い。
かと言って使えそうな物は…上着位しか無いようだ。
「ほら…自分で着れるか?」
そう言って俺は着ていたジャンパーを脱いで差し出してみる。
「あり…が…」
「無理して喋らなくてもいいぞ」
動きはぎこちなく、手は震えていたが、その子は確かにジャンパーを着ようとしていた。
確信した…この子は正気を保っている。
こんなにも惨い仕打ちを受けながら、この子は確かに正気を保っているのだ。
俺も少し手伝って、彼女にジャンパーを着せた。
俺のジャンパーは新調したばかりで、数年間は使えるように大きめの物を選んでいた。
今回はそれが幸いし、女の子をしっかりと覆う事ができた。
まあ、少々ブカブカなのとノーパンなのは我慢してもらう他に無いが…
「とりあえずここを出るぞ、おぶされ」
「ははは…ふふふ…」
返事は無かったがその子はしっかりと俺の体につかまってきた。
それを確認して、俺達は精液と血液の臭いのする男子トイレを後にした。
どうか職務質問されませんように…

ピピピピピ…ピピピピピ…
男子トイレから出て、これからどうするかを思案していると、不意に俺の携帯電話が鳴り始めた。
  ピッ…
「もしもし…」
「勇気、状況を説明しろ」
「…兄貴か?」
こんな物言いは兄貴以外にはありえないのだが、咄嗟にそう答えた。
「そうだ、その娘は何者だ?」
「え…っと、この子は…って、何でわかるんだよ!?」
いくら兄貴が人間離れしているとはいえ、ここまで来ると超能力者の域だ。
「First Brightness Hotelの屋上から見ていた」
そう言われて見上げると『First Brightness Hotel』は確かにここから確認できた。
もっとも、この公園から2kmほど離れているのだが…兄貴なら見えるのかもしれない。
「…なんでそんな所に居るんだよ?」
「あまりにもお前の帰りが遅いのでな、町の全域が見渡せるこの場所から探していた」
…頼むから普通に電話してくれ。
「そんな事よりトイレの中で何が起きた?」
流石の兄貴も透視能力は持ち合わせていないらしい。
しかし…そんなに軽々しく話して良い物なのだろうか?
よし、ごまかそう。
「実はかくかくしかじかでな…」
  …ピシィッ!
凄まじく不吉な音がした。
振り向くと…案の定、男子トイレに必ずある紳士を模した絵の眉間に十円玉が突き刺さっていた。
「すまん、小銭を落とした」
もはや説明不要、兄貴の十八番である指弾であった。
いつも思うのだが、指弾でこの精度は有り得ないのではないだろうか?
「あわわ…」
ほら見ろ、この子も怯えているじゃないか。
しかし兄貴は一応『医者』を名乗っている。(無免だが)
最低でも俺よりはどうするべきかを知っているかもしれない。
「わかったよ、真面目に話すから聞いてくれ」
この場は素直に状況を話す事にした。

「…なるほどな」
随分とあっという間だった気もするが、説明は終わった。
とりあえず俺の知っている事は全て話した筈だ。
「勇気、その娘を家まで連れて来い」
「家に!?…どうして?」
医者に診せるのなら逆方向…そうか、兄貴も自称医者だったな。
「その娘にも親にも世間体があろう、下手に真っ当な医者に診せるのは考え物だ」
「大丈夫なのか?」
「似たような患者なら何度か診た事がある、正気を保っているのなら尚更だ」
兄貴は時折ふらっと行方不明になる。長くて一年、短くて一ヶ月ほどだ。
特に義務教育の期間は居ない時の方が長かった程である。
もっともそれが原因で兄貴はすでに二回留年し、いまだに不死鳥の三年生らしい。
しかし今年の春以降は、行方不明にならずにしっかりと登校しているようだ。
そんな訳なので、今更兄貴にどんな過去があろうと俺は驚かない。
事実、兄貴は本職にすら迫る医療技術や知識を垣間見せる時があるのだ。
「わかった、今から家に向かう」
「うん、俺は先に帰って風呂でも沸かしておこう」
…ピッ
この場所よりも『First Brightness Hotel』の方が遥かに家の遠くに位置しているのだが、
今更その事実にツッコミを入れるのは野暮だろう。
「とりあえず俺の家に行くぞ、いいな?」
「くくく…」
その子は軽く頷いた。なんとなく、さっきよりも笑いが収まってきたような気がする。
俺はその子を背負って帰路についた…

 カランッ カランッ
家に到着した時には、その子の笑いは収まっていた。
「おかえり、風呂はもう沸いているぞ」
なぜか兄貴が居た。
ウチの風呂は沸くまでに約10分かかる、そこから逆算すると兄貴の移動時間は約5分。
『First Brightness Hotel』の屋上から約5分。
正直『First Brightness Hotel』から出るだけで終わってしまうような時間である。
「どうしたんだ?」
「いや…別に」
考えるな、兄貴はもはや別次元の生物なんだ。
心の中で必死にそう言い聞かせる、そうでも考えないと兄貴の弟はやってられない。
「まあいい。その娘を風呂に入れるぞ、話はそれからだ」
確かに、精液の臭いがこびり付いたままでは教育上あまり良くない。
「一人で入れるか?」
その子は再び軽く頷いた。
「そういや、着替えはどうするんだ?」
「その件に関しては心配は無用だ、帰り道で調達しておいた」
と兄貴は言う。
『First Brightness Hotel』の屋上から約5分、しかも途中で服を調達して約5分。
…超人登場、あなたは本当に人間ですか?
「勇気、さっきからどうしたんだ?」
「いや…別に」
『超能力者』『テレポーテーション』『THE WORLD』『サイボーグ』『加速装置』…
そんな単語が頭によぎっていた。

それから一時間以上が過ぎていた。
あの子を風呂に入れて、親父に事情を話して、兄貴が『診察する』と言って部屋に連れ込んで…
現在はその結果待ちである。
「勇気」
「どわあぁっ!」
慌てて振り向くと、いつの間にやら兄貴が背後に立っていた。
「なんだ、兄貴か」
「診察はひとまず終了した」
「それで、結果は?」
「とりあえず大槻陽子の現状は理解できた」
「大槻陽子ってのはあの子の名前か?」
「そうだ、大槻陽子の肉体は感情が昂ると本人の意思に関係なく笑い出す。無論それが恐怖でもな」
「そうか、それが…」
「勇気の見た異常な光景の原因だろう」
なるほど、それならあの光景も説明がつくかもしれない。
「なら、その原因は何なんだ?」
兄貴は少し思案して…話す。
「これは推測でしか無いが…自己防衛本能の一種であると考えるべきだな」
「自己防衛本能…?」
「そうだ、おそらく精神の変調を防ぐために大槻陽子が無意識の内に行った措置だろう」
「そっか…」
まあ無理も無いだろう、普通の人間が不良どもに寄って集って犯されたら、気を変にするかもしれない。
だがそれでは半分しか説明されていない。

「それで、治す方法はあるのか」
俺はある意味最も重要な事を聞いた。
「気の長い方法で良ければな」
それを聞いて少し安心する、あの子はまだ再起不能では無いのだ。
「大槻陽子の肉体に感情の変化を思い出させる事だ」
「…もう少し具体的に言ってくれないか」
「なに、簡単な話だ。当たり前の日常を繰り返してやれば良い」
…本当に簡単な話だな。
思わず不安になってくる。
「本当にそれで治るのか?」
「本人の意思と長い時間があればの話だがな」
「いや…十分だ、ありがとう」
治る、時間をかければ治る。それもこんなに簡単な方法で。
それだけでも俺の気は幾分か軽くなったのを感じた。
「勇気、しばらく俺は出かけるぞ」
そう言いながら兄貴は外出用の外套に身を包んでいた。
「どうしたんだ急に?」
「大槻陽子の身元を調べてくる」
「一人で大丈夫なのか?」
そうゆう調べ物なら人手が多い方が良い筈だ。
「当たり前だろ、俺は医者だぞ」
それとこれとは関係無いと思う。
「正確に言うなら闇医師だ、ツテなら複数存在する」
…今更ながら兄貴の恐ろしさを思い知ったような気がする。
「しばらくの間は大槻陽子の面倒は任せる」
「わかった、任せてくれ」
そう言って兄貴は出て行った。
まあ兄貴の事だ、言ったからには絶対に見つけだすだろう。
俺は俺のやるべき事をやるだけだ。

 ガチャッ…
「よう」
「…あっ」
今は落ち着いたのか、その表情は普通の女の子の物であった。
兄貴が調達してきた服とは、一言で言うならパジャマだった。
黒を基本とし、所々にデフォルメされた猫がプリントされたパジャマで、
まるでこの子のために作られたかのような錯覚さえ覚える出来栄えであった。
その姿は天使のような清楚さと小悪魔のような妖しい魅力を併せ持っている。
矛盾しているようだが…そう感じてしまったのだから仕方が無い。
兄貴…良い趣味してるじゃねえか。
…っと、いかんいかん、今は黒い欲望は捨てなければ。
「陽子ちゃん…だったか?」
陽子ちゃんはコクっと頷いた。
「大丈夫だったか?」
俺の方こそ大丈夫か!?あれで大丈夫な奴が居るものか居ないものか。
「あ…くくく…」
陽子ちゃんの顔に再び笑みがこぼれ始めた。
馬鹿か俺はっ!あんな事を思い出させたらこうなるに決まっているじゃないか。
「すまん、今のは俺が悪かった」
「くくく…あはは…」
徐々に笑い声が大きくなっていく。
それに対して俺にはオロオロする事しかできない。
「ごめ…なさ…」
「無理して喋るなっ!」
もう一度言おう、馬鹿か俺はっ!この状況下で怒鳴ったりしたら…
「あはははっはっはっは…」
こうなるに決まっているじゃないか…
俺は自分の愚かさを嘆きつつ、陽子ちゃんをただひたすらなだめ続けた…

「ごめんなさい…」
「気にするな、あれは俺が悪い」
何とか収まったか…これからは言動に気をつけよう。
「あの…なまえ…」
「名前?」
まあ、名前位なら陽子ちゃんに悪影響は与えないだろう。
「不撓勇気だが…」
「勇気くん…ありがと…」
そう言って陽子ちゃんは少し微笑んだ。
…反則じゃないのか、これは。
パジャマ姿で、しかもこんなにも可愛い女の子にこんな事を言われては反撃不能だ。
やばい…自分でもわかる位に赤面している。
「勇気くん…?」
「寝よう。疲れただろ、疲れたよな」
てかこれ以上は俺の理性が耐え切れん。
「う…うん…」
「そっか、一人で寝れるか?」
「くく…くくく…」
あれ、俺また変な事を言ったか?
「おい、今度はどうしたんだ?」
俺は再び慌ててしまう、自分で言うのもなんだが情けない姿だ。
「こ…わい…」
途切れ途切れだが、何とか聞き取れた。
「一人が怖いのか?」
そう言うと陽子ちゃんは頷いた。
その顔は笑ったままだが、おそらくその心は恐怖に染まっているのだろう。
まあ、あれからまだ何時間も経っていない、一人が怖いのも当然か。
さてどうする…一緒に寝るという選択肢もあるが、それだと俺の理性が持つかどうかは五分五分だ。
俺が陽子ちゃんの傷を深めては元も子も無い。
「ふふっ…くくく…」
だが…このまま放って置く訳にもいかないか。
「なら、一緒に寝るか?」
「えっ…?」
どうやら俺には元から選択肢など無かったらしい。

 ジリリリリリリリリ…
6時になり目覚まし時計が鳴った。
隣では陽子ちゃんがすやすやと眠っているが、俺の方は一睡もしていない。
己の心との闘いが、ここまで辛く苦しく…そして険しい物だとは思いもしなかった。
しかし俺は勝った、俺の心に巣食う黒い欲望に勝ったのだ。
「勇気、起きたのならちょっと来い」
ドアの外から兄貴の声がした。
いつの間にか戻って来ていたらしい。
俺は陽子ちゃんを起こさないように部屋から出た。
  …ガチャンッ
「兄貴、何かわかったのか?」
兄貴は普段通り抑揚の無い声で話し始めた。
「昨日の6時39分、Death Queen総合病院内にて西村理江(にしむら りえ)が死去した」
「…何の話だ?」
なんだか酷く嫌な予感がする…
「大槻陽子の祖母に当たる人物だ」
「………」
なんだよ…それは。
「大槻陽子は西村理江の死に立会い、恐慌状態に陥りそのまま失踪した」
「………」
冗談だろ…
「おそらく町をさまよっている内に例の不良と出会ったのだろう」
「………」
陽子ちゃんに…そんな…
「ちなみに現在西村理江の通夜の真っ最中らしい、なんなら見てくるか?」
「………」

何も言い出せなかった。
ただ陽子ちゃんの事を考えていた。
ただひたすら、神を呪っていた。
陽子ちゃんが何をした?ここまで非道な事をしたのか?
なんでまだ年端もいかない女の子をここまで苦しめる必要があるんだ?
「くっくっく…」
…えっ!?
そこには…陽子ちゃんが、居た。
「大槻陽子か、その様子では留守中に妙な事は起こらなかったようだな」
「陽子…ちゃん」
まさか今の話を聞いていたのか?
「おばあ…くくっ…ちゃん…」
まずい、陽子ちゃんは聞いていた。
今の陽子ちゃんは精神が不安定になっている、そんな時にこんな話を聞かせたら…
  ダッ!
「陽子ちゃんっ!」
  ドタドタドタ…
陽子ちゃんは走り去ってしまった…
何をやっている…何をやっているんだ不撓勇気ぃっ!!!
なぜもっと気をつけなかった?
目覚ましの音で目覚めた可能性をなぜ考えなかった!?
なぜこんなに陽子ちゃんから近い場所で話を聞いた?
いくら小声でも…聞こえる可能性はあっただろうがっ!!!
「兄貴」
「俺は葬儀場へ先回りしている、勇気はその他の場所を探せ」
「わかったっ!」
  ドタドタドタ…
一秒でも早く…見つけだすんだ。
俺は自分の知っている場所を手当たりしだいに回った。
不死鳥学園…居ない。
そもそも正門はまだ閉まっている。
鳳翼駅…居ない。
一応交番で尋ねてみたが、大した情報は無かった。
Death Queen総合病院…居ない。
広い敷地内を探すのに時間が掛かってしまった…急がなくては。
市民球場…居ない。
ランニングをしていた番場に呼ばれたような気がしたが、軽く無視しておいた。
居酒屋…居る訳無いだろっ!
馬鹿か俺は。
First Brightness Hotel…
居ないとは限らないが遠すぎる、あの子の足でそこまで行くとは考えにくい。
後は…公園位しか無いじゃないか。
陽子ちゃんがあの場所に居るとは考えにくい。
だが、今の俺には他に考えられない。
俺はそう考えるよりも早く公園に向かって走りだしていた。
頼む…居てくれ…俺は…

「ふふ…ははは…」
…居た。
「あーっはっはっはっは…」
「陽子ちゃん…」
陽子ちゃんは笑っていた、ただひたすら笑っていた。
「あははははは…」
「陽子ちゃんっ!」
陽子ちゃんがこちらに気づいた。
笑いはまだ止まらない。
「陽子ちゃんっ!」
おれは陽子ちゃんに駆け寄る。
俺にはきっと何も出来ない、だけどそんな事は関係無かった。
「泣けない…よ…」
笑っている、確かに陽子ちゃんは笑っている。
「悲し…いよ…」
だけどそれは…なんて悲しい笑顔なんだろう。
「あばあちゃん…」
「陽子ちゃん、陽子ちゃん、陽子ちゃんっ!」
気がつくと俺は陽子ちゃんを抱きしめていた。
「なんで…涙が…」
「大丈夫、大丈夫なんだっ!」
「泣け…ないの…」
俺はきっと…この子を守りたかった。
「あははははは…」
出会いは偶然、こんな事をする義理も無い。
だけど俺は…この子を守りたい。
「ゆっくり…やっていこう」
「くくくくく…」
「いつか取り戻せる…泣く事も、怒る事も…」
「勇気…くん…」
「そしたらさ…腹の底から、思いっきり笑おう…」
「ふふ…ふふふ…」
「大丈夫だ、俺が居る…俺が一緒に居るから…」
「勇気くん…」
公園にはいつまでも陽子ちゃんの笑い声が響いていた…
俺は…この子を守りたい。
強くそう思っていた。

 

あれから三年…
兄貴は家を出て、大槻の病気は完全には治っていない。
だけど大槻は日常の中で少しづつ表情を取り戻していった。
最初に涙を、次に照れを…そこから先はいちいち覚えていない。
いつもいつもきっかけはごく簡単な物だった。
時には大槻も俺も気づかない内に取り戻した表情すらある。
大槻が最後の表情を…『怒り』を取り戻して、今度こそ腹の底から笑える日は…きっと近い筈だ。

3-5
「大槻陽子」
「はい…?」
「力は欲しくないか?」
「えっ…?」
「俺は半年後にこの街を出る、だが逆に言うと半年間は暇でな」
「………」
「お前なら半年でそこいらの不良なら軽く蹴散らせる程に強くなる。俺はそう思っている」
「なぜ…?」
「なに、ただの暇つぶしだ」
「………」
「いつまでも勇気に守ってもらう訳にもいくまい」
「勇気くんに…」
「勇気とて全能では無い、あるいは逆に勇気が窮地に立たされる時が来るかもしれん」
「………」
「どうする、やるのか?やらないのか?」
「…やります」
「そうか…」
「私は…強くなりたいです」
「了解した、半年間みっちりと鍛えてやる」
「はい」
4 『侵略者英知』

 ジャーン ジャーン
「伏兵かっ!?」
  ガバァッ
「…あっ」
「………」
「………」
思い出した。
確か英知の夜這いを警戒して、昨日の夜に対侵入者用の仕掛けを施したんだった。
具体的にはドアと窓に軽い力で切れる糸を張り、振り子の原理を応用して糸が切れると
銅鑼が鳴るようにしたのだ。
ちなみに作ったのは俺じゃない、兄貴だ…念のため。
「おはよう、英知」
満面の笑みで挨拶をしてやる。
「お…おはようございます、兄上」
英知は見ていて面白い位に困惑していた。
まあなんだ、これ以上英知の好きにさせておくと兄としての威厳が保てないからな。
英知は昨日と違いちゃんと身を隠す物を着ていた。
だがな英知…ネグリジェは邪道だ。
俺は内心、英知のパジャマ姿を期待していたのだが…正直に言って少しガッカリした。
そんな事よりも時間は…5時6分か。まだ起きるのには少し早いが、親父はもう開店準備を始めている筈だ。
「さて、行くかな」
「兄上、どちらへ?」
「親父の手伝いだ、昨日は悪い事しちまったからな」
昨日の騒動は俺の責任では無いとはいえ、親父に迷惑を掛けてしまった。
できるだけ早めに罪滅ぼしはしておくべきだろう。
  ガチャッ
「あっ…待ってください、私も行きます」
そう言って英知が慌てて付いて来る。
やれやれ…どうしてそこまで俺にこだわるのかね…

「じゃあ親父、行ってくるぞ」
「紫電さん、行ってきます」
「父上、行ってまいります」
「気をつけて行ってこい」
  カランッ カランッ
「………」
「………」
「………」
何故か息苦しい上に、周りから視線を感じる。
まあ、原因など初めからわかってはいるのだが…
「勇気君、今日のお弁当も一生懸命作ったよ」
家を出てからずっと大槻と英知が俺と腕を組んでいるのだ。
それが原因で周りから限りなく冷ややかな視線を感じる。
天野が居ないのがせめてもの幸いか…いや、これだけの人数に目撃されては
天野に伝わるのも時間の問題だろう。
「兄上、私学校に行くのは初めてですので、よろしければ色々と教えてください」
お前今までどんな生活してきたんだ?
てかそれで大丈夫なのか?授業とか、テストとか。
「英知ちゃん、いい年してお兄ちゃんにそんなにくっついて恥ずかしくないのかな?」
最初に仕掛けたのは大槻だった。
「久しぶりに出会った兄妹にすら嫉妬するなんて…小さい人間ですね」
おっと英知のカウンターパンチだ、大槻怯んだか!?
「ちょっと、あなたの方が年下でしょうっ!」
大槻はあくまで粘る、しかしそれはおそらく地雷だ。
「人間性の問題です」
「ぐっ…」
地雷を踏んだ大槻は黙り込んでしまった。
ここで正門通過、教室まで後少しだ。
…できれば早く終わってほしいのだが、両手に荷物を抱えているせいで歩く速度は遅い。
「勇気様、私も今朝料理に挑戦してみたのですが、後で試食して頂けませんか?」
今度は英知が仕掛ける、大槻はどう出るか…
「勇気君は私のお弁当があるから、そんなの食べられないよね?」
その台詞は一見疑問形に聞こえるが、実際には断定形である。
「はい、貴方にそう言われると思いまして、量を少し減らしておきました」
そう言って英知が取り出した包みは、確かに大槻の弁当よりも小さい。
なるほど、これなら両方とも食べても問題は無いだろう。
「違うよ、味の問題だよ」
大槻はここぞとばかりに反撃する。
たぶんさっきの意向返しのつもりなんだろう。
「それを決めるのは勇気様です」
うん、今回ばかりは英知に軍配が上がったようだ。
などと言っているとD組の表札が見えてきた。
どうも大槻も英知も俺のクラスまで付いて来るつもりらしい。
いや、できれば勘弁してほしいのだが…
「なあ陽子、それに英知…」
  ギロッ!!
両側から睨まれました。
二人とも『こいつが引くまで引きませんっ!』とでも言いたげだ。
せめて天野が居ませんように…

 

 ガララララッ
…居るし。
「あっ…!」
天野がこちらに気づいた。
天野、普段のカンの良さで察してくれ…いや、無理か。
  ガララララッ
天野はなるべく自然を装って、しかし限りなく不自然な動作で足早に去って行った。
なんてこった…間違い無く誤解が深まった。
「勇気君、聞いてるの?」「勇気様、聞いていますか?」
…勘弁してくれ、俺は今それどころじゃないんだ。
「てか英知、いつの間に俺への呼び方を変えたんだ?」
と、英知に小声で聞いた。
「はい、兄妹で婚約者であると知られれば兄上の評判が悪くなりますので」
英知も小声で返す。
「勇気君、何をコソコソと話してるのかな?」
やばい、今の会話で大槻の機嫌が悪くなったようだ。
…と、ここで番場を発見した。
やむをえん、気は進まないがここは番場に助けを求めよう。
「バ・ン・バ・タ・ス・ケ・テ・ク・レ」
俺は口パクで番場に伝えようとする。
頼む、通じてくれ…
すると番場が何かを口パクで伝えてきた。
なになに…
「オ・レ・ウ・マ・ニ・ケ・ラ・レ・タ・ク・ナ・イ」
…薄情者。
周りを見渡しても野次馬に徹している奴と他人のフリをしている奴しか居ない。
どうやら俺は、孤立無援らしい。
俺はせめて早くHRが始まるようにと願っていた。

 

「勇気様」
「な…なんだ?」
「私はそろそろ担任の先生の下へ行かねばなりません」
大槻は露骨に嬉しそうな、英知は凄く残念そうな顔をする。
「そっか、残念だね」
大槻、その顔でその台詞はありえんぞ。
「はい、では勇気様、また後でお会いしましょう」
「おう、じゃあな」
「バイバーイ」
英知は去って行った。
ようやく静に過ごせそうだ。
  ガララララッ
「…あ、それはそうとして」
…と、英知はドアから顔だけ出して話しかけてきた。
「無理してそんな性格の悪い女と付き合うフリをする必要はありませんよ」
  ガララララッ
最後にとんでもない事をのたまって行きやがった。
「………」
「………」
「…大槻、バレてるぞ」
「…陽子」
「…え?」
「よ・う・こ!」
大槻はまだ続ける気らしい。
「…陽子、バレてるぞ」
「うーん、ちょっと想定外だったかな…」
どうやら英知はそんなに甘い相手では無いらしい。

 

「さて、HRを始める前に今日は転校生の紹介をする」
  …ゾクッ
なんか物凄く嫌な予感がする…
まさかな…いくら兄貴でも俺と同い年にする訳無いよな…
  ガララララッ
クラスの中から僅かに感嘆の声が上がる。
「皆さん初めまして、不撓英知と申します」
兄貴…次に会ったら覚えてろよ…
英知はよりにもよって俺と同じクラスに転入してきた。
戸籍を偽造した(と思われる)兄貴も随分と思い切った事をするものだ。
…無論、悪い意味で。
「そこにおります不撓勇気様の親戚で、婚約者でもあります」
  ざわ… ざわ…
そうですか、今回はそんな設定ですか…もうどうでも良いよコンチクショウっ!
「勇気様共々どうかよろしくお願いいたします」
そう言ってペコリと頭を下げる。
天野は…駄目だ、ここからじゃ表情を伺えない。
「うむ、それでは一番後ろの席が空いているのでそこに座ってくれ」
「はい」
英知はすれ違う時に軽くウインクをして後ろの席へと移って行った。
なんとなくだが理解した、大槻の言う通り英知は本気で俺をモノにしようとしている。
…だが俺達は実の兄妹だ、英知がなぜ兄である俺にこだわるのだろうか?
「よし、それでは朝の連絡を伝えるぞ」
…そんな声が聞こえたような気がした。
だが俺はふと浮かんできた疑問の答えを探すことに集中する。
俺と英知は昨日初めて会った筈だ、英知が俺に惚れる機会など在ったのか?
あるいは…惚れた訳ではないが、何らかの理由で俺を必要としているのか?
もしそうだとするのならその理由は何だ?
考え始めると疑問は次々と湧いてくる。
15年前に英知とお袋が家を出て行った理由は何だ?
そしてなぜこの時期に戻ってきたんだ?
英知が戻ってきて、お袋が戻ってこない理由は何だ?
昨日見た、英知の腕から伸びる茨は何だ?
そもそも英知は…何者なんだ?
今は答えを導き出すには情報が少なすぎた。

 

 キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
どうやら一時間目が終了したらしい。
結局あれからずっと考え事をしていたのだが、全ての疑問に辻褄が合う仮説は立てられなかった。
とにかく情報が少ない、これでは仮説を立てても検証は不可能だ。
まずは英知から何か情報を聞き出す事だな。
ちらりと英知の居る方向を見ると、転入生に付き物の質問責めに遭っていた。
今は何も聞けそうにないか…なら先に天野に今の状況を説明して、可能なら協力を依頼しよう。
占星術がどこまで有効な物なのかは知らないが、あるいは真実に到達する決定打となるかもしれない。
まあ、占星術以前に天野の誤解を解きたいってのもあるがな。
幸いな事に、天野はまだ席に座っている。
今すぐに行けば話し位はできるだろう。
…と、ここで気づいたが見知らぬ男子生徒が目の前に立っていた。
しかも見るからに不機嫌そうな顔だ。
「おい、不撓っ!」
  ギロッ!
秘技…不機嫌オーラ。
「………」
「………」
「…ごめんなさい」
悪いな、今は時間が惜しいんだ。
さて、天野は…もう居ねえし。
  ガララララッ
俺の眼に映ったのは教室を出る天野の後ろ姿だけであった。
もしかして俺は避けられてるのか…
  ゴゴゴゴゴゴゴゴ…
「ひいぃっ…」
…いかん、無意識の内に不機嫌オーラMAXパワーを放出していたようだ。
この技は時折暴発する時がある、簡単な技だが扱いが難しいのだ。
  ガララララッ
「勇気君、居る?」
教室に入ってきたのは、大槻だった。
「おう、居るぞ」
慌てて不機嫌オーラを収めて返事をする。
「勇気君、さっきD組に転校生が来たって聞いたんだけど、もしかして…」
噂が広まるのって意外と早い物だな。
「そのもしかしてだ…」
「………」
「………」
まあ、そりゃ固まるよな…
「じゃあ…あそこの人だかりって…」
「…英知だ」
「………」
「………」
再び大槻は固まった。
今は比較的静かだが、あの質問責めが落ち着いた時に何が起こるのかは…正直、想像もつかなかった。

 

 キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
結局、午前中に大きな動きは無かった。
天野は捕まえられないし、大槻は休み時間になる度に様子を見に来るし、
唯一変化があった所は、英知への質問責めがもうすぐ収まりそうな所のみだ。
たぶん、五時間目の終了時に来るな…
「すいません、ちょっといいですか…」
英知が野次馬を掻き分けて出て来た。
…前言撤回、もう来ました。
「兄上…」
英知がそっと耳打ちをしてくる。
吐息が当たっているのだが…
「な…なんだ…?」
もはや何が起こっても不思議は無い、俺は万全の覚悟をして聞き返した。
「…父上の手伝いに行ってまいります」
…え?
そう言うと英知はスタスタと教室を去って行った。
…俺の覚悟は何だったんだ?
「勇気くーん…」
…再び前言撤回、俺は今度こそ死ぬかもしれない。
振り向くと大槻スマイルの悪鬼が見えた。
「あんなに近づいてなーにやってたのかなー…」
やった三日連続、新記録達成だ。
などと、思わず現実逃避がしたくなるような光景であった。
「どーして実の妹とあんな事するのかなー…」
…ようやく理解したが、先の英知の行動はこれを狙った物だったらしい。
「一応言っておくが…誤解だ」
まあ、これで通じる大槻じゃあないがな…
「殺!!!」
ほら来た…

 

「生命の息吹よっ!」
  ビシィッ
「また、あなたなの…」
昨日と同様に茨によって俺への攻撃は阻止されていた。
大槻も少しは冷静さを取り戻したらしい。
「勇気様、このような性格の悪い女とは手を切るべきです」
「そ…そんなのあなたに関係無いでしょうっ!」
まずいな…大槻は再び冷静さを失ってきた。
「些細なきっかけですぐに暴力を振るい、その被害者は常に勇気様です」
「…ぐっ」
大槻の言葉が詰まる、思い当たる節があるのなら自重してくれ…
「貴方など勇気様にとっては、百害はあっても一利もありませんっ!」
「そ…そんなの…」
再び大槻の顔が歪む…大槻が本気で怒った証、大槻スマイルに変わった。
「関係ないよっ!」
  ドンッ
大槻の蹴りが英知を捕らえる、だが左手から伸びた茨がそれを防御する。
だがその衝撃で二人の距離は離れ、大槻を縛る茨が外れる。
「ここではやりにくいですね…ついて来なさいっ!」
そう言うが早いか、英知は窓から飛び降りた。
「待てっ!」
大槻もベアークローを装着しつつ英知を追う。
二人の戦いの舞台は校庭へと移った。

 

「そもそも…あなたには関係無いでしょうっ!」
英知が茨を伸ばし、大槻はそれを断ち切る。
「関係ありますっ!」
大槻は間合いを詰めようとし、英知は逆に離そうとする。
「私はあなたよりも、勇気君を知っているっ!」
双方に決定打は無い、今の所は二人は牽制に徹している。
「そんな物はただの思い込みです」
だがここで大槻は障害物にぶつかり、英知との距離が大きく離れる。
「まだまだぁっ!」
殺到する複数の茨、だが大槻は一瞬たりとも怯まない。
逆に間合いを離し、今度はベアークローを中心にキリモミ回転をしながら英知に突っ込む。
「…くうぅっ」
ベアークローが英知を掠めた。英知を守る防壁となっていた茨が一気に弾け飛ぶ。
「だいたい、あなたは勇気君の何なの?」
既に二人の制服は血に染まり、多量の土埃が付着している。
それでも二人は戦いを止めない。
「私は、勇気様の婚約者ですっ!」
大槻は攻勢を緩めない、間合いを詰め畳み掛ける。
「そんなの…そんな事を誰が決めたのっ!」
だが英知も冷静にその攻撃に対処する。
「私と勇気様は…産まれた瞬間から婚約者なのです」
「…えっ!?」
  ガシィッ!
大槻が動揺した一瞬に、英知が放った茨が大槻の首に巻き付く…
「しまっ…!」
「終わりです…大車輪投げっ!」
次の瞬間には大槻は、まるでハンマー投げの如く宙を舞っていた。
…まずい、流石にアレは洒落にならん。
そう考えるよりも早く俺は窓から飛び出していた。
二年D組は地上三階、俺は迫ってくる大地を強制的に意識から外し、ただ大槻の軌道を計算する。
次の瞬間に大槻と茨が分離した。
着地点は…あそこかあぁっ!!!
  ドンッ!
落下中に校舎を全力で蹴り俺の軌道を変える、目指すは大槻の落下予想地点だ。
壁が砕ける感触がしたが気にはしてられない。
大槻はかなりの速度で刻一刻と地面へと近づいて行く。
間に合うか…いや、間に合えっ!
  ドガアァァッッ…

 

…間に合った。
ギリギリだったが、俺の体をクッション代わりにした。
とりあえず多少はダメージを軽減できた筈だ。
「陽子、動けるか?」
「ごめん…ちょっと無理っぽい…」
そう言う大槻の顔は笑っていた。
だが…これはただの痩せ我慢だと俺は知っている。
「そっか…なら、ゆっくり休んでろ」
「何故そこまで、その女をかばうのですか…?」
「英知…」
もう大槻に戦う余力は残っていない。
もし英知がまだ大槻と戦う気なら、俺は大槻を守らねばなるまい。
「その女は勇気様を傷つける、何故それがわからないのですか?」
体の状態をチェックする…大丈夫、大した傷は無い。
「それは違うな、英知」
大槻と英知の戦力はほぼ互角だった。
それこそ大槻が動揺していなければ勝負がわからなかった程に。
「違う…?」
さらに英知の間合いや攻撃方法は先ほど測っておいた。
「陽子が暴れるのはな、俺達にとってはスキンシップみたいな物なんだよ」
「スキンシップ…?」
それならば、英知にこれ以上の切り札さえ無ければ…勝てる。
「そうだ、だから俺は何度陽子が暴れても、嫌いになったりはしないよ」
「勇気君…」
腕の中で大槻が潤んだ眼でこちらを見つめている。
あれ?そういえば俺、今なんか言ったか?
「…それでも私は、貴方を許せません…」
そう言って英知は校内に戻って行った。
…どうやら俺が考え事をしていた間に事態が急変したらしい。
「………」
「…勇気君、どうしたの?」
…駄目だ、全然覚えてない。
まあ、良しとするか。
そう頭を切り替えると俺は大槻を保健室へ運ぶ事にした。

 

「勇気、お前に言っておかねばならない事がある」
「どうしたんだ、急に?」
「大槻陽子の事だ」
「大槻の…?」
「悩みを抱えている人間は大抵塞ぎ込む物だ」
「…それで?」
「だが人間とは本来行動する生物、それでは肉体的にも精神的にも良い結果を生まないだろう」
「………」
「俺は今まで修行と称して大槻陽子の体を動かさせていたが、それも今日までだ」
「最近大槻の挙動が変わってきたのはそのせいか…」
「ああ、あれは俺が思っていたよりも意思が強い」
「…それで、俺はどうすれば良い?」
「多くは望まん、ただ感情を押さえ込ませる事は避けろ」
「…すまん、もう少しわかり易く言ってくれ」
「簡単な話だ。怒りたい時に怒らせ、悲しみたい時に悲しませろ」
「俺にできるかな…」
「もう一度言う、多くは望まん。大槻陽子の経過は今の所は順調だからな」
「わかった、出来るだけやってみるよ」

 キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン
  ハッ!
どうやらまた眠っていたようだ。
周りを見渡すと生徒の半分以上が眠っていた。
…あ、良く見たら天野と英知も眠ってる。
伊藤よ…俺が言うのもなんだが、もう少し生徒を眠らせない努力をしたらどうだ?
まあ今週の日本史の授業はこれで最後だ、今週中はもう伊藤とは会わないだろう。

 

「起立、礼」
HRが終わった、ここからは放課後だ。
  ガララララッ
HR中に帰る準備を済ませていたのだろうか、天野は僅か数秒で帰って行った。
避けられてるのか、それとも単に用事が有るのか…まあ、たぶん前者だろうな。
昼休みの騒動の後で旧校舎の屋上に立ち寄ったのだが、天野はそこには居なかった。
結局、今日の俺は天野と一言たりとも喋っちゃいない。
  ぐううぅぅ…
…そういえば、まだ弁当を食べてなかったな。
俺は大槻の作った物と英知が作った物の両方を机の上に広げた。
大槻弁当は…サイコロステーキ・白米・ほうれん草の胡麻和え・卵焼き。
英知弁当は…唐揚げ・エビフライ・一口カツ。
英知よ…味はともかく栄養バランスで完敗しているぞ。
まあいい、とりあえず腹が膨れれば…
「あーん…」
「………」
「あーん…」
「英知、いつから居た?」
「最初からですが何か?」
隣には箸で唐揚げを掴んだ英知が座って居た。
「流石に恥ずかしいのだが…」
「はい、あーん…」
問答無用ですか、そーですか。
やむをえず俺は差し出された唐揚げを頬張る。
「お味はどうですか?」
「………」
「………」
ゆっくりと咀嚼する、味は…
「思ってたよりも美味いな…」
「本当ですか!?」
「おう」
まあなんだ、英知には悪いが俺はもっと酷い味を想像していた。
それこそ昔の大槻のような…やめよう、思い出しちゃ駄目だ。
「あーん…」
…今度は後ろから似たような台詞が聞こえる。
まあ、なんとなく来るとは思っていたが…
「陽子、いつから居た」
「勇気君が自称婚約者に迫られてた所からかな」
お前タイミング悪すぎだ…薄々予測してたが。
「あーん…」
「一応言っておくが、かなり恥ずかしい」
「あーん…」
やっぱり問答無用ですか。
「勇気様、こっちの水は甘いですよ」
などと言いながら英知も再び参戦してきた。
俺は蛍じゃ無いのだがな…
「「あーん…」」
結局この状況は、俺が弁当を食べつくすまで続いた。
心の中で量を減らしてくれた英知に少し感謝しておいた。

 

「勇気様、どちらがお口に合いましたか?」
帰り道、やっぱり俺は両側を固められながら帰宅していた。
「弁当の話か?」
「はい、ぜひとも今後の参考にさせてください」
「そうだな…」
どう答えれば一番被害が少ないか…
「勇気君、私とこの子じゃ年季が違うよね」
「勇気様、遠慮は要りませんよ。現実を知らない女をへこませてやってください。」
…やめた、やっぱり俺に謀略は合わん。
ここは正直に思ったまま話す事にしよう。
「陽子の方が美味かったな」
「………!!!」
「本当!?だよね、一朝一夕じゃ真似できないよね」
あ…いかん、英知が落ち込んでる。
今度は英知のフォローをせねばなるまい。
「たしかに陽子の言う通りだ…」
「どよね、やっぱり勇気君は…」
「悪い、できれば最後まで聞いてほしい」
「え!?…うん」
「英知、料理の勉強はいつ頃から始めたんだ」
「…先月からです」
「なら上出来だ。三年前の陽子の料理は、ホウ酸団子の代わりに使っていたからな」
あの時は実際にゴキブリがバタバタと死んでたな…
「本当ですか…?」
「そ…そうだったんだ…」
「料理は愛情、そして経験。そう親父も言っていたぞ」
「はい、精進いたします」
「ううっ…ショックだ…」
やれやれ、何とかこの場は収まったらしい。
俺ってジゴロの才能が有るかもな…有られても困るが。

 

今日も対侵入者用の仕掛けを取り付ける…
結局自宅に帰ってからは特筆すべき事は起こらなかった。
強いて挙げるならピーク時に人手不足に陥り、
親父と鈴木さんは疲労困憊し、それ以外の店員さん達の眼が、
まるで死んだ魚のようになっていた事位だろう。
大槻と英知が必死に頭を下げていたが…大丈夫だろうか?
まあいい、今はそれよりも重要な事がある。
もしも大槻と英知の争いがこれ以上エスカレートすれば、今の俺には止める事ができないかもしれない。
そして英知は『私と勇気様は…産まれた瞬間から婚約者なのです』と言っていた、
それは一体何を意味するのか。
どちらにせよ、このまま何の手も打たずに過ごす訳にはいかないだろう。
天野は…いや、この際天野の事は忘れよう。今はこの事態を何とかする方が先決だ。
全てが終わったら、きっともう一度あの屋上での平穏な一時が戻る…そう信じよう。
最後に俺は目覚まし時計に細工をし、いつもより早めに床に就いた。

4-5
「はぁ…」
「どうしたの?元気無いじゃない」
「お母さん…」
「友美、良かったらお母さんに話してみない?」
「………」
「………」
「私…好きな人ができたんです」
「ええっ!本当!?」
「はい…」
「ううっ…やっと友美にも春が来たのね…お母さん感動」
「でも、その人は二股をかけてたみたいなんです…」
「あら、友美が居ながら浮気してたの?」
「違います、二人とも私よりも可愛い子でした…」
「お母さんは友美も可愛いと思うけどね…」
「私は…どうしたらいいんでしょうか…」
「そうね…」
「………」
「こんな言葉があるわ… 何を迷う事がある、奪い取れ! 今は悪魔が… 」
「「微笑む時代なんだ!」」
「うん、それでこそお母さんの娘よ」
「わかりました、やるだけやってみます」
「頑張りなさい、友美」
  ドタドタドタ…
「………」
「我ながら無責任な事を言ってしまった…」
5 『黄道町へ…』

 バチッ!
「ぐあぁっ…」
突然の衝撃で強制的に意識を覚醒させられる。
  ガバァッ
「………」
注意深く辺りを見回す…どうやら侵入者の類は居ないようだ。
ふと時計を見る、4時ちょうど。そしてそこから伸びるコード。
いや、待てよ…思い出した。
俺は昨日の夜に、音を鳴らさずに目覚められるよう目覚まし時計に細工をしたのだ。
首筋に貼り付けてある電極を剥がし、すぐに外出着に着替える。
ジャンパーは…そういえば天野に貸したままだったな。
まあ必要無いだろう、最近は暖かいを通り越して少し暑いからな。
リュックは…持った。
サイフは…持った。
腕時計は…持った。
携帯電話は…持った。(一応バッテリーは抜いてあるが)
家の鍵は…持った。
最後に机の上に書置きを置く。
『しばらく家を空けます。
おそらく今日の日付が変わるまでには帰ってきますので、探したり心配したりはしないでください。
なお今日の学校は休むつもりです、担任には家出をしたとでも伝えておいてください。不撓勇気』
…まあ、こんな物かな?
普段よりも2時間ほど早い時間ではあるが、普通に出て行っては親父と鉢合わせになる可能性がある。
俺は対侵入者用トラップを外し、窓を開ける。
そして昨日の内に運び込んでおいた靴を履き、飛び降りる…
  トンッ…
秘技…足音殺し。
良し、成功。
とりあえず英知と親父にはバレてない筈だ。
俺は始発電車に間に合うように鳳翼駅へと急いだ。

夜明けのホームにて一人電車を待つ。
昨日の英知が夜這いに来たのは5時ごろ、今日の始発は4時52分、
そして家から駅まで全力で走って約15分。
英知が昨日のに懲りて今日は夜這いに来ない可能性もある。
大槻が家に来るのは6時ごろ、これは約三年間ほとんど変わらない。
とりあえず電車が来る前に邪魔が入る可能性は低いと考えるべきだろう。
では黄道町に到着した後はどうか…
大槻は黄道町に何があるのかは知らない筈だ。
英知はほぼ確実に知っていると思われる…問題は英知がどれだけ早く俺の行き先に思い至るかだな。
まあこればっかりは、できるだけ早く用事を終わらせるしか無いな。
  コツ…コツ…コツ…
人が…来たのか!?
俺は一瞬で考えを中断し、気配を探る。
誰だ…一般の客か?駅員か?
だが万一大槻か英知だった場合は、かわいそうだがしばらく眠っていてもらう他にあるまい…
  コツ…コツ…コツ…
足音が近づいて来る、息を潜め柱の影に身を隠す…
どうする…ここからでは確認はできない、かと言って迂闊に身を乗り出せば追っ手だった時に
取り返しのつかない事になる。
だが先制攻撃をしても、万が一無関係の人間だった場合はそれこそ取り返しがつかない。
ならば…このまま身を隠してやり過ごすしか無い。
そう考えると俺は細心の注意を払いつつ、柱の影に身を潜める…
「不撓さん…居ないんですか…?」
「天野!?」
思わず声を出してしまった…追っ手が天野の声を真似ている可能性を全く考えずにだ。
「不撓さん!?良かったぁ…」
「天野…なのか?」
だがしかし…そんな事を一撃で吹き飛ばすほどに俺は安堵していた。
もはや諦めていたと言うのに…天野が、ここに居た。
「不撓さん、探しましたよ」
ああ、俺は本物のアホゥだ。
ここに天野が居る、たったそれだけの事で…こんなにもホッとしている。

「不撓さん」
それは天野の眼。たった数度しか見ていないと言うのに、
まるで天野友美を象徴しているかのような…決意の眼であった。
「私も連れて行ってくれませんか」
それは質問ではなかった…まるで脅迫でもしているかのように天野は言った。
「天野…俺が今から何をしようとしているのかを知っているのか?」
「知りません」
即答だった。
「なら何で俺に付いて行こうとしてるんだ?」
まあ、当然の疑問だと思う。
天野は…2・3度深呼吸をして…言う。
「たぶん必要になるから、では駄目でしょうか…?」
まただ…また一瞬脅迫でもされているのかと錯覚した。
だがこれは俺にとっては重要な事だ。
あまり軽々しく連れて行くのは良くないだろう。
「学校はサボる事になるぞ…」
「はい」
「電車代は自分で出せよ…」
「はい」
「俺の邪魔をするなよ…」
「はい」
「正直、何が起こるかは俺にもわからんぞ…」
「はい」
「俺は止めたからな…」
「はい」
はぁ…駄目だ、早くもタネ切れだ。
今の天野は、たとえ神仏が相手でも一歩も引かないかもしれない。
それに…いや、もう何も言うまい。
「なら、一緒に行くか?」
「はいっ!」

時計を確認する…
幸いな事に、始発電車が来るまでにはまだ少し時間があるようだ。
今の内に天野に聞いておくべき事は無いか…
「ところで、最近俺の事を避けてなかったか?」
「あっ…」
「………」
天野の言葉が詰まる、聞いてはいけない事だったかもしれない。
「その…用事がありました…」
やっぱり言いたくないのか…
「そっか…なら仕方ないな」
そう言いながら軽く微笑んで見せる。
だがな天野、嘘をつく時こそ相手の目を真っ直ぐに見据えるべきだぞ。
まあ、これ以上この話を続けるのは得策では無いだろう。
「………」
「………」
空気が沈む、息が詰まる…だがフォローはしない。
今から話そうとしている事は、この位の雰囲気がお似合いだ。
「天野、この事態についてどこまで知っている?」
天野は少し躊躇して…話す。
「英知さん…でしたっけ?あの人が元凶だって事意外はさっぱり…」
そう、事件は英知の帰還から動き出した。
だが…それはそれはおそらく間違っている。
「この事件は英知の帰還から全てが始まった…昨日まではそう考えていた」
「昨日…ですか?」
どうやら天野は知らないらしい。
あの二人はかなり派手にやり合ったので、耳に位は入っていると思ったのだが。
「天野…お前、友達居るか?」
一応聞いてみた。
「………」
「………」
「ノ…ノーコメントです…」
居ないのか…
まあ良く考えたら、友達が居るのならわざわざ人気の無い旧校舎の屋上で昼食をとったりしないか…
天野は、意外と人付き合いが苦手なのかもしれない。
「天野…友達」
そう言いながら握手を求めてみる。
「地獄の九所封じですか!?」
前言撤回…たぶんこんな性格だから友達が減っていくんだ。

「天野、脱線して悪かった。真面目な話なんだ、聞いてくれ」
「はい」
俺はなんとか気を取り直す。
こんな事で貴重な時間を浪費するのは非常に拙い。
「さっきの話の続きだ、俺と英知の関係はもっと前から始まっていたのかもしれない」
「どうゆう事ですか?」
「英知は言っていた『英知と俺は、産まれた瞬間から婚約者である』とな」
「…本当ですか?」
「無論、ハッタリの可能性はある。だがそれにしては話が突飛すぎる」
「そうですね、確かにちょっと信じにくいです」
そう、信じられない話だ。だがそれ故に信憑性が出てくる。
「俺には英知があの状況下で、苦し紛れのハッタリを言ったとは思えない…」
「そうですか…」
天野はちょっと複雑な面持ちだ。何か考え事でもあるのだろうか?
いや、多分俺も凄く複雑な顔をしているだろう、この事件はこんなにも考える事が多いのだから。
「とにかく俺は、その真偽を知っているかもしれない人物に会いに行く」
「………」
  まもなく一番線に、各駅停車…
どうやら電車が来たようだ。
「行くぞ…黄道町へ…」
「…はい」
他力本願な方法だが…何も手を打たないよりは遥かにマシだ。そう信じて…
俺達は電車に乗り込んでいった。

 黄道町〜…黄道町〜…
黄道町は電車で3駅、その気になれば歩いて行ける距離だ。
「ここが目的地ですか?」
「いや、ここから少し歩く。はぐれるなよ」
今から俺達が行こうとしている場所は、かなり入り組んだ地形にある。
それこそ迷ったら行き倒れるかもしれない場所だ。
「お願いします、私この町に来たことありませんから」
「おう、行くぞ」
かつて黄道町は不良の聖地であった。
俺がまだガキだった頃に、昇龍高校にまるで示し合わせたこのように強力な人材が集まった。
かの有名な武芸高校に対抗できるとまで言われた猛者達である。
だがそれ以降、昇龍高校には幾多の不良がこぞって入学し、一時期この町の治安は乱れに乱れた。
俺が体術を学んだのもその頃、師匠は昇龍の生徒であった。
結局…大成はしなかったがな。
だがその状況も少し前に大きく変わった。
後に『昇龍の麒麟児』と呼ばれる人物が入学してからだ。
そいつは捕縛縄を扱った武術に長け、一年生にて生徒会長に就任した豪傑であったらしい。
…もっとも、当時は誰も生徒会長をやりたがらなかったらしいのだが。
とにかく、その人物は徹底した不良撲滅政策を採り、反抗する勢力を見事に退治したらしい。
そんなこんなで、現在の黄道町は至って平穏…に、見える。
だが…そんな筈は無い、そんな訳が無い。
なぜなら…
「天野、着いたぞ」
「ここ…ですか?」
そこは一軒のボロアパートに見える、だがここには住人が居ない。
ここはアパートに偽装された診療所なのだ。
一見住人用に見える部屋は病室、大家の部屋は診察室。
そしてここの持ち主こそ…
  コンッ コンッ コンッ
「不撓勇気だ、居るか?」
「…入ってこい」
  ガチャ…
「元気そうだな、勇気」
「兄貴もな…」
俺が知る中で最も平穏と縁遠い人物が、そこに居た。
会うのは…一年ぶりだ。

「お兄さん…ですか?」
天野がそう尋ねた。そういやまだ説明してなかったな。
「不撓不屈(ふとう ふくつ)、偽名のようだが本名だ」
「えっと…ここは?」
「ここは俺の診療所だ。本業に医者、副業に用心棒の仲介をやっている。」
「はぁ…」
天野はどこか不思議そうな顔をしている。
その気持ちはわかる。部屋に入れば一目で医療施設だとわかるが、なにせ外見はボロアパートだ。
おまけに看板も何もありはしない。
「なに、俺は真っ当な医者ではない。何らかの理由で、真っ当な医者に掛かれない者を診る医者だ。
それ故にここには俺の事を知っている者しか来ない。だから外見もこれで良い」
「そう…ですか」
「まあいい、深く考える必要は無い。それより勇気がここに来た用件を聞きたい」
そうだ、俺はここに遊びに来た訳では無い。
「兄貴に聞きたい事が何個かと、返してもらいたい物がある」
おそらく兄貴には両方とも心当たりがある筈だ。
「英知か?」
「そうだ、戸籍を偽造したのは兄貴か?」
『戸籍を偽造…』のあたりで天野の表情が変わった。
おそらくここから先には天野にとって非常識な世界となるだろう。
「英知は3日前までここに泊まっていた。戸籍の偽造、情報収集、そして料理の特訓、
どれも少々時間が必要だったからな」
やはりな…
「何故そんな事をした?」
「俺がか?それとも英知がか?」
英知の方はもうわかっている、おそらく俺を手に入れるためであろう。
「兄貴だ」
「…妹の頼みを無下にはできんからな」
「あっ…あの…」
「天野っ!」
つい怒鳴り声が出てしまう。
一瞬だけ後悔の念が走ったが、すぐに言葉を足す。
「俺の邪魔をするなと言ったよな…?」
「は…はい」
自己嫌悪を起こすほどに冷徹な声だった。
「悪いが話が終わるまで黙っていてくれ」
「はい…」
だが…天野には悪いが、今は大事な時だ。
全身の力を抜き、意識を研ぎ澄ます。
時と場合によっては兄貴に一撃を叩き込めるように…
一瞬でも多く時間を稼ぎ、天野を逃がし易いように…

「兄貴は…誰の味方だ?」
俺は核心を突く。
ある意味、俺が一番知りたかった事で…たぶん最も恐ろしかった瞬間…
「俺は中立を保つ。英知の手助けをした分だけお前にも協力しよう」
兄貴は世間話でもするかのように答えた。
もっとも兄貴がこの口調を崩した所を見た事が無い。
だが…とりあえず最悪のパターンは消去されたようだ。
「なら、他にも聞きたい事が山ほどある」
そう、英知には謎が多すぎる。
ならばここでできるだけ多くの情報を引き出しておこう。
「英知は俺の婚約者だと名乗っていた、その真偽は?」
「真実だ」
英知のハッタリでは無かったのか…
「俺には身に覚えが無いのだが…」
「当然だ、教えていない」
「なぜ俺と英知が婚約者となっている?」
「…質問を質問で返すようで悪いのだが、お前は英知からどこまで聞いた?」
少しの間思案する…
考えてみれば、俺は妹の事を何一つ知らない。
仮にも実の妹だというのに。
「いや…残念ながら何も知らない」
「ならば初めから話そう、重複する内容があるかもしれんが許せよ」
「英知の秘密をか?」
「少し違うな…不撓家の裏事情だ。天野とやらも聞くが良い」
不撓家の…裏事情だと!?
兄貴は、いつものように抑揚の無い口調で語り始めた…

「そもそも実の兄妹を結婚させる理由は、その血筋にある」
「血筋…?」
「そうだ、先祖の血をより純血に近い形で残すためだ」
「それは何のために?」
「不撓家の女性は代々陰陽師である」
「陰陽師!?」
それを聞くと同時に、天野の顔色が変わった。
さらに兄貴は淡々と語り続ける。
「不撓の直系に産まれた女性は陰陽師としての才能が高い。そしてその女性は産まれてすぐに、親の仕事を引き継ぐために他の家族から引き離される」
「なら英知とお袋は15年前に…」
「そうだ、英知は1000年以上掛けて培われた知識と血統を受け継いでいる」
「………」
「………」
陰陽師など、古文の世界でしか聞いた事もないというのに…
それが…こんなに近くで…
「なら…お袋は今どこに居るんだ?」
「知識の引継ぎは不撓家の秘術を以って行われるのだが、
それはできる限り自分に近い存在でなければならない。
それが後継者が不撓の直系、かつ女性であるもう一つの理由だ」
「なら、お袋は?」
「最後まで聞け…だがいくら同じ血筋であるとは言え、両者は別人。当然の話だが多少のブレがある」
気のせいか…兄貴の語気が荒くなってきたような気がする。
「そのブレは誤差となり秘術の使用者を傷つける、だが後継者を傷つける訳にはいかない。
ならどうする?」
「まさか…」
勘違いであってくれ…もし俺の予想道りならお袋は…
「先代頭首は後継者を守るためにそのダメージを一手に引き受ける。そしてその結果…死に至る」
「そんな…」
「なんだよ…それ…」
何でこんな時だけ俺の勘は外れないんだよ。
俺は…顔さえ知らない内にお袋を失っていたのかよ…
「受け継ぎが終了した後継者は、ある程度の年齢になると次の後継者を産むために生家へと戻る。
それ故に後継者の帰還は先代の死と同意語だ」
「………」
もはや…俺も天野も声すら出なかった。
「そして英知は帰って来た訳だ。お前との間に子を産むためにな」

「待てよ…」
今の説明には足りない部分があった、それを確かめねば…
「どうした?」
「何故俺なんだ?兄妹で子を産むのが目的なら兄貴でも良い筈だろ」
そう、俺と英知は兄妹だが、兄貴と英知も兄妹の筈だ。
「後継者の教育は人気の無い秘境にて行われるのだが、その理由は大きく分けて二つある」
「理由…?」
「一つは不撓家の秘術を外部に漏らさないため、もう一つは兄妹を出会わせないためだ」
「どうゆう事だ?」
「大抵の人間は本能的に近親相姦を避けたがる傾向がある、それを避けるために後継者を肉親と思わせなくする必要がある訳だ。
具体的には…当人同士をある程度成長させてから、初めて対面させるのだ」
「………」
「しかし…万が一修行が終わっておらず、かつ物心が既についている者同士が出会った場合は話は別だ」
「それじゃあ兄貴は…」
「そうだ、俺は12歳の時、中国の奥地にて英知と出会っていた。
故にだ、今の英知にはお前しか居ないのだ」
「な…何だって…!」
個人的には兄貴の行動範囲の方がよっぽど驚きなのだが…
「兄貴、どうやって中国まで…?」
「なに、裏道や抜け道の類は少しばかり詳しいのでね」
嫌な小学生だ…
「…て、ちょっと待て。兄貴が12歳なら英知は4歳だぞ、そんな昔の事を英知は覚えているのか?」
「覚えているさ、確実にな」
何だ…この兄貴の自信は!?
「不撓流陰陽術の秘術は知識の受け渡し等では無い。不撓家が長い年月を掛けて研究してきた物とは、
成長の促進と老化の停止だ」
「なっ…それじゃあ…」
「不撓家頭首は代々その技術の実験台となり、通常の数倍の速度で成長し、ある程度の年齢からは
通常の数分の一の速さで老化する」
「英知が…」
「とにかく11年前に俺は英知と出会い、互いの事を知った。
故に残念ながら俺には英知の相手は務まらん」
それは果てしなく非現実的な話で…それ故に信憑性のある話であった。

さて…なにはともあれ、これで英知の謎はあらかた片付いた。
他に聞くべき事は無いか…
そう考えて、俺は兄貴に聞くべき事を一つ見つけた。
「これに明確な根拠がある訳じゃあないんだが…」
「どうした?言ってみろ」
「英知は…本気のような気がするんだ」
「ほう…」
そうだ、大槻は言っていた。『あの子は本気だよ、女の子だからわかるよ』と。
「本当に代々続いた義務が理由なら、英知があそこまで本気になる理由としては弱い。
兄貴は俺にまだ何かを隠してないか?」
「………」
「………」
「………」
初めて…兄貴が黙った。
どうやら俺は、黙り込む程に思案が必要となる事を聞いたらしい。
「…隠している」
それが、長い思案の末に兄貴が出した答えであった。
「何をだ?」
「もう一度言うが、俺は中立を保つ。故にこれ以上の情報は与えられん」
「………」
「………」
「………」
「そっか…なら仕方無いな」
こう言っちゃなんだが、兄貴が一度言った事を変えたり、嘘をつく事は滅多に無い。
たぶんこれ以上は聞いても徒労に終わるだろう。
「勇気、お前が返してほしい物はこれか?」
そう言って兄貴は古びた木箱を待ち出していた。
「ああ、そうだ。着けてみても良いか?」
「元々それはお前が譲り受けた物だ、聞く必要は無い」
俺は箱を開けて、中の物をあらためる。
三年前は少々大きすぎていたが、今はもうそんな事は無かった。
「聖衣…ですか?」
そう天野に尋ねられる。
「いや、そんなに上等な物じゃないよ。」
それは相手の攻撃を防ぎ、格闘の威力を倍加させる物…手甲・ブーツ・そして膝当て。
それらは霊石と呼ばれる物を削り出して作られた物であり、幽霊や妖怪の類ともある程度は戦える。
俺の師匠が、最後に俺に与えてくれた物だ。
「筋肉が…付いてきたな」
「まあ、成長期だからな」
「その様子では、鍛錬はずっとサボっていたか…」
「おう、時々型の確認はしてたがな」
「………」
「………」
「………」
「そうか…ならいい」

俺はしばらく試着をした後、鎧を元通り箱にしまって帰りの仕度をした。
「じゃあな兄貴、また来るよ」
「お邪魔しました」
今度はもう一度これを預けにな…
「今から俺は独り言を言う…」
「兄貴?」
…まだ何かを伝えようとしているのか?
「英知には不撓の秘術がある、通常の方法では打倒は困難だ。
だが…英知には実戦経験が圧倒的に少ない。奇襲を用いれば、あるいは届くかもしれんな…」
「………」
「………」
「………」
兄貴…独り言は一人で、もう少し小声で言う物だぞ。
「行こうか、天野」
「あっ…はい」
俺達は兄貴の診療所を後にした。

帰り道、俺達に会話は無かった。
天野はやや落ち込んだ顔をしているし、俺の方は考え事だ。
その理由は、診療所を出た時から頭の中に違和感があったからだ。
何かが引っかかる…だが何が違和感を引き起こし、その原因は何かとなると…さっぱりわからない。
だがしかし…
「不撓さんっ!」
  ドンッ!
「なっ…!」
俺は天野から体当たりを受けて…
その直後…
俺達の居た場所に魔法陣が浮かび…
火柱が上がった…
  ゴオオオォォォ…
敵の襲撃を受けたのか!
俺は急いで体勢を立て直し辺りの気配を窺う。
鎧は…拙いな、今のショックで手から離れている。
「うわぁ〜、けっこう良い眼をしてるのね」
背後から声…そして余りにも巨大な気配。
「英知か!?」
いや、英知ではない。
英知にはこんな気配は…いや威圧感は出せない。
まるで…天を覆うほどの巨大な滝を、間近で見ているかのような感覚であった。
圧倒的な…途方も無く圧倒的なエネルギーを感じる。
振り向けばそこには、薄汚れたマントを羽織った女が居た。
ややカールした黒髪に黒い眼、なのにどこか西洋人の雰囲気が漂う若い女性…
だが…間違い無く俺はそいつに気圧されていた。
「アルティメットアンサー?」
…威圧感が一気に雲散した…ついでに俺の気合も。
まさか真顔でこんな訳のわからない事を言われるとは思いもしなかった。
「やりますね…」
実力がか?ネタがか?
とにかく気合を入れなおす、ここで天野を危険にさらす訳にはいかない。
「いきなり何しやがるっ!」
再びその女に威圧感が戻る。
恐れるな…俺の名は何だ…?
「悪いけど少し試させてもらったわ、そこのお嬢ちゃんに興味が湧いたの」
「私に…ですか?」
「そうよ」
恐れるな…恐れるな…恐れるなっ!
「だからって…何故俺達を殺そうとしたぁっ!」
俺は天野達の間に割って入る、いざという時に盾となれるようにだ。

「あのねぇ…」
急に呆れ顔になり、またもや威圧感が雲散した。
こいつ…もしかして真剣な時しか威圧感は出せないのか?
「この魔法陣からは非殺傷性の炎しか出ないの」
そう言って女は空中に魔法陣を描く。
だが…残念ながら俺には魔術の事はわからない。
「だからドロンボーみたいに素っ裸になる事はあっても死ぬ事は無いわ」
天野の素っ裸…天野が素っ裸…天野は素っ裸…
「…お嬢ちゃん、この子スケベよ。やめた方が良いわ」
「ふ…不撓さんっ!」
い…いかん、大丈夫か?俺…
落ち着け…落ち着くんだ…特にアレ。
「まったく、可愛い顔しちゃって…そんな恋する乙女にプレゼント」
そう言うとその女は、まるで耳たぶでも引っ張るかのような手軽さで、
どこからか爪楊枝ほどの小さな剣を取り出した。
「それは…?」
「結界封じの魔剣よ、これを使えば術者に気取られる事無く結界に出入りできるわ」
その女は…とんでもない事をサラリとのたまいやがった。
「どうしたの?役に立つって事は保障するわよ」
「あの…いいんですか?」
「恋する乙女に説明は不要よ」
なんだか良くわからない思考回路だな。
天野は恐る恐るその剣を受け取った。
「ありがとうございます、スーパードクター…さん?」
「良く言われるけど違うわ…」
どうやら天野が一矢報いたようだ。
偉いぞ、天野。
「それじゃあ、頑張りなさいよ」
「はい、ありがとうございました」
そう言って天野は深く頭を下げる。
俺も釣られて頭を下げるが…なんか釈然としない。
とにかく俺達はその女と別れ、その場を後にした。
「負けちゃ…駄目だからね」
「…え?」
そんな声が聞こえ、振り向くと…
そこには…誰も居なかった。
ただ、天野の手の中に剣があるのみであった。

5-A
「魔剣王、何をしていた?」
「フクツ!?どうしてここに…?」
「診療所の近くであれだけ派手に花火をあげたのだ、気がつかない方がおかしい」
「ありゃりゃ…」
「魔剣王よ、気に入った陣営に過度に肩入れするのはどうかと思うぞ」
「そうかしら?私は私が正しいと思った事をしているだけよ」
「まあ、それも良かろう…」
「ねぇフクツ、誰があの子を手に入れるか賭けない?」
「…魔剣王がこれ以上ちょっかいを出さないのならな」
「決まり、フクツは誰に賭ける?」
「大槻陽子に10万円」
「じゃあ私はあの占星術師のお嬢ちゃんに10万ね」
「了解した」
「じゃあ結果を楽しみに…」
5-B
「…で、そっちには居たの?」
「いいえ、そちらには?」
「居なかったわ…」
(この自称婚約者、隠してたりしてないかな?)
(この方が嘘を言っている可能性は十分にありますね…)
「じゃあ、今度はどうするの?」
「そうですね…一度家まで戻ってみましょうか」
(こいつには黙ってるけど、あの天野って子も休んでるのよね…)
(この方には内緒ですけど、あの天野という方も休んでいたらしいですね…)
「じゃあ、一緒に行きましょうか?」
「そうですね、そうしましょう」
((抜け駆けをするとは良い度胸…))
(勇気君は誰にも渡さないんだから…)
(そちらがその気ならこちらにも考えがあります…)
「「フッフッフッフッフッ…」」
2006/04/08 To be continued...

 

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