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赤色



本編補足 by ◆tTXEpFaQTE様
朔の年の事ですが、シンが屋敷を出る頃は彼女は中学生で、
メイド見習いをしていた事にしときます。
それで今は正式に屋敷のメイドになっている、という感じでお願いします。
だから今、二十前半といった所でしょうか。
1

「ここを、今日から再び、お兄様の御部屋とさせて頂きます」
そう言って案内された部屋は、驚くほど広かった。
今まで住んでいた家からすると、眩暈が起きそうだった。
――――けど、懐かしかった。

シンは頭の中で計算した。
十年。
十年ぶりに、この屋敷に帰ってきたのだ。

感慨にふけっていると、顔を覗き込まれた。
「どうしました?何か、不審な点でも?」
「え、あ、いや、何でもないよ」

先程から屋敷内を案内してくれている女の子。
彼女も、シンにとっては懐かしい。
十年ぶりに会う妹。セリ。

駅まで、付き人を従えた彼女が迎えに着た時は、妹だとは気がつかなかった。
シンの記憶の中で、セリはもっと幼く、弱々しい印象だった。
それが今では、こうやって向かい合っていると、何だか息苦しさを覚える程の圧迫感が
あった。

それも、当然かもしれない。
セリは、屋敷でお嬢様として育てられてきたのだ。
屋敷を出て、一般階級人として育ったシンが、上級階級の人間と接する事で感じる
居心地の悪さがあるだろう。

それと、もう一つ。
シンには、セリを捨てたと言う罪悪感があった。

シンとセリの母親が、十年前に屋敷を出て行ったのだ。
一般階級の出身の彼女に屋敷での生活は耐えれるものではなかった。
母は、シンを連れて逃げるように屋敷を出て行った。
セリを置いて。
セリは、病弱で、屋敷での手厚い保護がなければ生きていけないかもしれなかった。

シンを連れて母は故郷へと帰った。故郷に帰ると、母は良く笑うようになった。
屋敷にいるとき、シンは母の笑顔を見た記憶がなかった。
母の笑顔が嬉しくて、シンはそこでの生活を受け入れた。

だが、いつだって、二人の心には刺が刺さっていた。
置いてきた、セリの事。

故郷に帰ってから三年後、母が再婚した。母の、高校の時の同級生だった。
シンに、新しい父親が出来た。
それと同時に、新しい妹も。新しい父の連れ子だ。

新しい妹は、鈴音といった。
鈴音はピアノが得意で、彼女のピアノを聞くのが、シンは好きになった。
そのピアノを聞くと、シンはいつも鮮明にセリを思い出すことが出来た。

シンと鈴音は、すぐに仲良くなった。
鈴音は何時もシンの後を「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、追いかける様になった。
鈴音が好きなのは、シンと一緒に河原で遊ぶ事だった。
かくれんぼ、鬼ごっこ、水遊び。

逆に鈴音が嫌いなのは、シンがセリの事を話すこと。
自分以外、見たことのない女の子が、ずっと前からシンの妹だと言う事が、嫌だった。
シンの、「セリに会いたい」その一言を聞くと、鈴音は嫌な気持ちになった。
お腹が重くなって、苦しくなった。

シンが宝物にしている、セリの写真を見せて貰うと、とても可愛らしい女の子だった。
そのことが、更に嫌だった。

後で、シンに内緒でその写真を捨てた。

またある日、シンがセリに出す手紙を机の上に出しっぱなしにしていたのを、破いて捨てた。
シンがセリに手紙を出そうとすると、ついでだから、ポストに入れてきてあげる、と言って受け取り、
そのまま街中のゴミ箱に出した事もあった。

セリからきた手紙を、捨てた事もあった。

シンが、いつか、セリの所に行ってしまうかもしれない。
そう思うと、鈴音は怖くなった。
想像すると、おしっこをするところが、キュウ、と縮こまる気がした。

鈴音にとって、会ったことも無い、セリと言うシンの妹が、世界で一番、嫌いな人になった。

2

「はあ、疲れた・・・」
そう呟くと、シンはドッとベッドに倒れこんだ。
そのベッドが、また大きい。
その事で、また自分が屋敷に帰って来た事を実感する。

本当に、この家は大きい。お金持ちの家だ。
こんな所で、自分が七歳まで育っていた事が不思議でならない。
どうしても、自分がここにいることが不釣合いな気がしてならない。
……十年間、一般階級で育ったせいだな。
この広さが、落ち着かない。

そんな自分に比べて、セリは驚くほど、この屋敷と調和している。
…お嬢様って単語が、しっくり来る。
なんというか、自分の実の妹がお嬢様であることがどうにも納得いかない。

「十年、だものな。お互い、変わるはずだよなあ」
一抹の寂しさが、胸をよぎる。
それと同時に、もうひとつの寂しさの理由も。
もう一人の妹、鈴音のこと。
「どうしてるかな、鈴音のやつ…
  ちゃんと、飯食ってるかな」

「ふう、ちょっと、疲れたわね」
そういうと、セリはベッドに倒れこんだ。
すこし、目を閉じる。
頭がくらくらしていた。
理由は解っている。興奮しすぎた。
でも、しょうがない。
なんといっても、今日は十年来の夢がかなった日なのだ。
お兄様と、一緒に暮らせる日々の始まりなのだ。

十年前、母とシンが屋敷を出て行った。
その事を知らされたとき、セリはショックのあまり、寝込んでしまった。
父やメイドたちがどんなに手を尽くしても、セリはうつろな目を変えなかった。
屋敷の住人すべてが、このままセリは死んでいくのではないかと慄いた。

母とシンが屋敷を出て行った三週間後、セリの元にシンから最初の手紙が来た。
手紙が来た事をメイドが知らせると、セリは跳ね起き、どこにそんな力が残っていたのかと
思わせる程の速さで、メイドの手から手紙を奪い取った。

食い入るように手紙を読むと、セリは急いで返事を書き始めた。

その日から、セリにとって、シンからの手紙を待つことが何よりの楽しみになった。
たまに添えられる、シンの写真が宝物になった。

だが、ある時から、その手紙は喜びだけを運んでくるだけの物ではなくなってしまった。
手紙の中で、頻繁にある人物の事が書かれるようになったのだ。

シンの新しい妹、鈴音。

その女は、腹立たしいことに、送られてくる写真の中で、常にシンと一緒にいた。
さらに、シンの手紙から、どれほど新しい妹を大切に思っているのか、愛しているのか、
嫌になるほど伝わってきた。
悔しさのせいで、何度泣いたか数え切れない。
シンの事を、どんなに恨んだかも、忘れられない。

セリにとって、会ったこともない、鈴音というシンの妹が、世界で一番嫌いになった。

眩暈も治まってきたので、セリはベッドサイドのモニターをつけた。
そして、パスワードをうち、画面が切り替わるのを待つ。
五秒もたたないうちに、シンの部屋が映し出された。
シンはベッドで横になっていた。

心の底から安堵感がわいてくる。お兄様は、やっと私のところに
帰ってきた。
もう、ほかの女のお兄様ではない。
私だけの、お兄様になったんだ。

私だけのお兄様。
なんて心地よい言葉。
これから、ずっと、この生活が続いていくのね。

ウットリとした心地のまま、セリは眠りにつく。
十年ぶりに、幸せな夢が見れそうだった。

3

「シン様、シン様、起きてください。起きてください」
耳元で声がする。優しい声だ。
「朝ですよ朝なんですよ」
起きる様に促しているようだが、その声の心地の良さにまたトロトロと眠りに落ちそうになる。
「……起きないんですか、そうですか。
  …………じゃあ、とっておきの方法で起こさせて頂きますからね。
  …………………うふ…初日から、ついてますね、私。
  …………………いただいちゃいますからね」

そう言うと、声の主はシンの布団にもぞもぞと手を入れてきた。
そして、シンの寝巻きを探り当てると弄り始めた。

体への刺激に、シンの意識は猛スピードで覚醒し始めた。飛び跳ねるシン。

「あ、起きられましたか、シン様」
シンの体を弄っていた、メイド服を着た女性がにっこりと微笑んだ。
「な、なにすんだよ、あんた!てっか、誰だよ、あんた!?」
「何って、シン様を、起こしに来ただけですが」
さも当然、といった顔で答える。
「だからって、あんた、何も、あんな事しなくても!」
「でも、このとおり、シン様は起きてくださいましたよ?」
そういってメイド服の女性が首をかしげると、栗色のウェーブがかった髪が
ふわふわと揺れた。

そうなのか、屋敷では、こういうのが普通なのか?
…そういえば、屋敷を出る前は毎朝こうやって、メイドさんに起こしてもらって
た気がする。毎朝、くすぐられて起こされてたな。

あの時のメイドさん、どうしてるかなあ。
もう、顔も思い出せないけど、大好きだったなあ。俺の初恋のひと。
はあ。

「シン様?」
急に溜息をついたシンをみて、メイドさんが顔を覗き込んだ。
「どうしました?低血圧になったんですか?」
「いや、違う違う。大丈夫だよ」

ベッドから立ち上がり、新鮮な空気を吸うため、窓をあけるシン。
朝の爽やかな空気が心地いい。

窓から屋敷の庭が一望できた。
左には竹やぶがあり、右には大きな池があった。

―――大きな池。
昔お世話になってたメイドさんの事を思い出していたせいか、ずっと忘れていた記憶が蘇ってきた。

シンは屋敷を出る前、よく遊んでいたのは、その大きな池だった。
中で泳いでいる金魚に餌をやったり、アメンボを観察することがとても好きだった。

ある日、いつもの様に池を覗き込んでいたら、何かの拍子に滑ってしまい、池で溺れてしまった。
池の中でもがいていたが、誰も助けに来てくれず、死を意識し始めたとき、
そのメイドさんが助けに来てくれたのだった。

池からあげられ、そのメイドさんに抱っこされたとき、シンはメイドさんのおでこから
血が出ていることに気が付いた。
後から聞いた話だが、シンが池の中で暴れたため、池の中の岩で頭を打ってしまったらしい。

その時の、メイドさんの髪の栗色と、血の赤色のコントラストを、
シンははっきりと思い出していた。

ん?栗色の髪?
シンが後ろを振り返り、起こしに来てくれたメイドさんも栗色の髪だ。
シンがまじまじと見ていると、メイドさんはにっこりと微笑み返した。

もしかして、いや、ひょっとして、多分、ええと、たしか、
あのメイドさんの名前は、確か……
「…………朔、さん?」

キョトン、とした顔を見せるメイドさん。
あ、やっぱり人違いか、シンがそう思っていると、

「……ふぇ」
と変な声がメイドさんの口から漏れた。
次の瞬間、メイドさんの瞳から涙がボロボロ溢れてきた。

「ちょ、ど、どしたんですか!」
あわててシンが駆け寄ると、メイドさんは泣きながら、微笑んだ。
「だって、だってね、シン様がね、なん、何にも、私が言う前からね、
  ひっく、わた、私のこと、おぼい、思いだだぢで、ひっく、
  くれるん、うううううああっっぅううぅぅぅぅぅ」

メイドさんが―――朔さんが泣き止んだのは、数十分たった後だった。

4

シンと朔、二人ともベッドに腰をかけて、他愛も無い事を話し続けた。
シンが離れていた間の屋敷の出来事。シンが暮らしていた町のこと。
それに、鈴音のこと。

「じゃあ、その、鈴音さんも、シンちゃんにとって、大切な妹なんですね」
「うん、血こそ、繋がってないけどね。それでも、鈴音がいたから、セリや朔姉ちゃんに
  会えなくなっても、寂しさはまぎれたよ。
  …大丈夫かな、鈴音。
  今頃、寮生活で大変だろうな。泣いてなけりゃいいけど」
「うふふ。そんなに心配してもらえるなんて、鈴音さんは幸せですね」

何だか、自分のシスコンっぷりをからかわれた気がしたので、シンは話題を変えた。
「そう言えば、朔姉、昨日屋敷を見て回ったとき、いなかったよな?休みだったの?」
その質問に、朔はうふふ、とだけ笑い、
「あら、いけない。もうこんな時間。そろそろ、怖い人がやってきちゃいますね」
と答えた。

怖い人?だれのこと?
そう聞こうとした時、シンの部屋のドアがぶち破られた。
ドアの向こうにいたのは、セリ。

「朔っっっ!!!!」
そう叫びツカツカと2人が座るベッドによってきた。
じろりと朔を睨み、シンを睨むと、
「朔、あなた、何をしているのかしら?」
地獄の底から響いてきたような声だ。
だが朔は気にすることも無く、
「シンちゃんを、起こしにきました」
と、あっけらかんと答えた。
「………あなたに、それを命じた覚えは無いわよ?
  第一、あなたには二週間の休暇を与えといたはずよ!
  なんでここにいるのよ!!
  そ、そ、それに、シ、シンちゃんですってぇ?
  あ、あなた、メイドの分際でなれなれしすぎるのよっ!」
セリがまくし立てるのを朔は聞き流し、
「ええとですね、まず何で私がシンちゃんを起こしに来たかと言えば、
  それがずっと私に仕事だったからですよー?シンちゃんが帰ってきたら、
  やっぱりそれが私の仕事になると思いますのよ、はい。
  あと、私の休暇の件ですが……これについては、ちょっと、抗議したいことがあるんですよ」
微笑みながら、しっかりとセリを見据え、朔は続けた。

 

「そもそもですね、何だか怪しいと思っていたんですよ。
  突然に休暇を下さったのは有難いのですが、その理由がこれですか。
  ……随分と姑息な事を」
「こ、姑息ですって」
「ええ、もう、大姑息。私に知らせないで、シンちゃんを屋敷に戻されて、
  しかもその時に私を外に追い出しとく腹積もりとは。
  私だって、シンちゃんが帰ってきたら嬉しい事ぐらい知ってるでしょうに。
  そんなに、私をシンちゃんに会わせたくなかったのですか」
「な、何よ。なんで、メイド風情に、お兄様が帰ってくること知らせとかなきゃならないのよ。
  あんた、分をわきまえときなさいよ」
「嫌です。これだけは譲れません」
「な、生意気な口きくのね。解雇しても、いいのよ、こちらは」
「構いません。と言うより、あなたにその権限はありません。
  私は、シンちゃん専用のメイドになりましたから」

へ?そんな話、聞いてないよ。
そうシンが首をかしげていると、
「……………お兄様?」
セリがギロリと睨んできた。

シンが朔の方を見ると、朔は自分のおでこを撫でていた。
「あ」
思い出した。

池に溺れて朔に助けられてしばらく、朔は頭に包帯を巻いていた。
数日たって、やっと包帯が取れたが、おでこに傷が残ってしまった。
その傷を見せながら、朔はシンにとうとうと語った。

「見えますか、シンちゃん?これは、あなたを助けるときにできた傷です。
  …こんな傷ができては、私、もうお嫁にいけないんです。どうしてくれます?」
お嫁にいけない。シンは幼いながらに、自分のせいで、朔の人生がだめになったのかとおののいた。
「…ご、ごめんなさい」
「本気で、あやまってくれてますか?」
「ほ、本気だよ」
「じゃあ、責任、取ってくださいね」
「せ、責任?」
ごくりとつばを飲む幼いシン。

朔はシンの手をとり、
「では、ずっと、私をお側においてください。
  シンちゃんが大人になるまでずっと、大人になってもずっと、
  結婚してもずっと。
  たとえ、この屋敷が潰れ、路頭に迷うようなことになっても、ずっと
  ずっと、永遠に、死が2人を分かつときまで、その後生まれ変わっても、
  ずっと、ずっと、ずうっと」
シンはコクコクと頷いた。
罪悪感と、朔の雰囲気に飲まれて。

 

そんなことを思い出していると、
「…お兄様?」
セリが迫力のあるまなざしで睨んできた。

「あー、うん、そういえば、そうなんだ。朔姉、俺の、メイドさんなんだよ」
「…はあ?おれのぉ?俺の、ですって?」
口をパクパクさせながら、セリがまなじりを吊り上げる。
「そうなんです。私ってば、シンちゃん専用になっちゃったんです。いやん」
「か、…は…」
ぶるぶると全身を振るわせるセリ。

「あの…セリ?」
おずおずとシンがセリに声をかけると、セリは引きつった笑顔で、
「何でしょうか?お兄様?
  ああ、そうですか。これから、専用のメイドと、用があるから
  出てってくれと言うつもりですか。わかりましたわかりました。
  ああ、そうですか。出てきますよ出てきますよ。
  でていきますよ!」
それだけ叫ぶなり、セリはきびすを返して部屋から出て行った。

あとには、ぶち破られたドアだけが残っていた。

5

セリに蹴破られた部屋のドアをシンがみていると、
「あらあら。あんなにお怒りになられて。
  ほんと、セリ様にも困ったものです」
ぜんぜん困ってなさそうな口調で朔が呟いた。
「ではシンちゃん、ここは一つ、あなたがセリ様の機嫌を直してきて下さい」
「はあ?俺がぁ?」
ギョッとして、シンが朔を見ると、
「ええ。このままセリ様の機嫌が悪いままだと、あの方周りの人やら物やらに当り散らすんですよ。
  …それに」
そこまで言うと、急に朔は顔を曇らせて、
「それに、セリ様、ああやって興奮するとすぐに体調を崩してしまうんですよ
  ……セリ様、本当に体が弱い方なんです」

ドアを蹴破る人間の体がよわいだなんて信じられないが、それでも昔のセリの事を考えるに、
やはりセリの体調の事は気遣うべきだと思い、シンはセリの部屋まで行くことにした。

「うわ。こりゃ酷い」
セリの部屋につながる廊下のオブジェがほとんど全て壊されていた。
どれもこれも高価そうなものばかりだ。
おそらく、セリが叩き壊しながら歩いていったのだろう。
それらをメイドさんたちがせっせと片付けている。
「お世話様です」
メイドさん達に謝りながら、シンはセリの部屋に向かっていった。

「…やって来たとは言え、どうしたもんだか」
セリの部屋までたどり着いたが、正直言えば、セリに会うのが怖くなっていた。
ここに来るまでに見てきたセリの暴れっぷりに、シンはちょっとビビッていた。
引き返そうかなと思い、来た道を振り返ると、破壊されたオブジェを片付けているメイドたちの、
「何とかしてください!」
と言う視線にぶつかり、恐々セリの部屋のドアをノックした。

「あのーセリ?ちょっと、いいかな?」
恐る恐る声をかけたが、返事は無い。
「セリー?」
再度声をかけたら、
ガシャン!
と、ドアの内側で音がした。恐らく、セリがドアに花瓶を投げつけたのだろう。
「うへえ…」
セリのあまりの癇癪っぷりに溜息をつく。

 

 

そう言えば、屋敷を出る前はこうやって、セリの癇癪に悩まされてたっけなあ。
そうだ、セリは体が弱くって外で遊べなかったから、俺が朔姉と遊んでるのを見ると、
すごい機嫌が悪くなったんだよな。
で、それを持て余したセリのお付きのメイドさんが、俺に泣きついてくるんだよな。
それを聞いた俺が、セリの部屋までいって、セリの文句を聞いてやるんだよな。
一通りセリが言いたいことを言うまで喋らせて、たくさん喋ったセリが疲れて眠るまで、
手を繋いでやってたなあ。

そんな昔の事を思い出していると、シンは自然と笑い出していた。
なんだか、今の状況と全然変わっていない気がしたのだ。

そう思うと、セリの癇癪もかわいく思えてきた。
シンはもう一度、セリを呼んでみた。

「あら?何が可笑しいんですか、シンちゃん?」
気が付くと、朔が近くに立っていた。
シンの部屋のドアを直す手配を整えていた彼女が来たのだから、結構な時間、
シンはセリの部屋の前にいたのだろう。

「まだ、セリ様出てきてくれないんですか?」
「うん、結構本格的にすねちゃったみたいだ。
  ほんと、小さい頃から機嫌曲げやすいよな。
  大変だったでしょう?あいつの面倒見るの」
シンが頭をかきながらそう言うと、
「いいえ。そんな事ありませんよ。セリ様、本当はとても優しい方ですし、
  いつもはもっと、この屋敷の当主として、立派な振る舞いをなされてますよ」
「ええ、ちょっと、信じられないなあ。あいつ、小さい頃と変わって無いじゃん」
シンがそう言うと、朔はフフッとわらい、
「そうですね。あの方の唯一の欠点が、シンちゃんのことですからね。
  他の事なら、本当に理性的な方なんですが、シンちゃんの事になると、
  すぐに頭に血が上っちゃいますからね。
  その当人であるシンちゃんからすれば、いつも興奮状態のセリ様しか
  見る事が無いのかもしれませんね。 …ふふ、愛されてるじゃあありませんか」
なんとなく、シンは照れてしまった。

 

「まあ、お話はこれぐらいにして、そろそろセリ様に出てきてもらいましょうか」
「でも、どうやって?」
「ふふ、名づけて、北風と太陽。もしくは押して駄目なら引いてみろ」
そう言うと、朔は自分のブラウスのボタンを上から三つ目まではずした。
ギョッとして慌てて眼をそらしたシンの手をつかみ、
「失礼します」
とだけいい、シンの手をブラウスの中に導いた。
「な、な、何?」
パニックになるシンにニッコリと微笑み、
「どうですか?柔らかいでしょう?もっと、弄ってもよろしいんですよ?
  何せ、私はあなた専用のメイドなんですから」
いや、もう、いいから、ちょっと、はずしてッ、
あ、でも、ふにっとしてて、
ちょとだけ、ちょっとだけ、
混乱しながら、ちょっとだけ、シンは手のひらに力をこめた。
むにゅっと、朔の乳房がかたちをかえた。
ああ、至福。

生まれてはじめての感動に浸っていると、殺気を感じた。
「お  に  い  さ  ま  ?」
すごい表情のセリが、ドアから半分、顔を覗かせていた。

幸福な混乱がサアーっと引いていき、後に残るのは恐怖。
シンが口をパクパクさせていると、
「あん、シンちゃん、そこ、くすぐったい」
朔が小指を口にくわえながらもだえた。

「お            
                に
     い 
         さ
       ま?」

ギギーっとやたら軋む音を立てながら、ドアが開いていく。
「お           は   な 
    し            が       
   あ      り ま           す   」

ドアが完全に開け、仁王立ちのセリが姿を現す。
長い黒髪は逆立ち、その表情は般若の面を被っている様だった。

そしてシンの肩をつかみ、ズルズルと部屋に引き込むと、ドアがまた軋む音を
立てながら閉まっていった。

後に残された朔は
「作戦終了。後は、しんちゃん、お願いしますね」
手を合わせ、シンの無事を祈ると、彼女は片づけをしている仲間のメイドたちの方に
手伝いに行った。

6

「では、シン様、お乗りください」
そう言うと、初老の老人はリムジンのドアを開けた。

「あっ、こりゃどうも」
ぺこぺことお辞儀をしながら、シンはリムジンに乗り込んだ。

「お兄様。あんまり使用人に頭を下げないでください」
反対側のドアから乗り込んだセリが、ミネラルウォーターを飲みながら
シンに話しかけた。
「いや、でも、何か慣れないよ」
頬をかきながらシンが答えると、セリも苦笑した。

「あっ、待ってくださ〜い!」
リムジンを発車させようかと言うところで、呼び止める声が上がった。
シンが声の方を向くと、朔がこちらへ走ってきていた。

「よかった、間に合いました〜」
肩で息をしながら、朔はリムジンの窓に手をかける。
「何か用?」
ブスッとした声でセリが話しかける。
まだ昨日の事を怒っているらしい。

「ええ、今日からシンちゃん、セリ様と同じ学校に通う事になったので、
  私、お弁当作ってきちゃいました。
  はい、これはシンちゃんの。腕によりをかけて作りましたから、栄養も愛情もたっぷりですよ〜。
  で、こっちは材料が余ったから、セリ様の。よかったらどうぞ」

「うわ。ありがとう」
シンがお弁当を受け取ろうとすると、セリが横からひったくり、
お弁当の包みを開ける。

 

 

「……何かしら?これ?」
プルプルと震えながらセリが出したのは、朔の写真。しかも水着姿。
お弁当箱の中に入っていた。
「いえ、シンちゃんが学校で、『ああっ!朔姉に会いたい!寂しいよ、朔姉!』
  となったとき、その写真で自らを慰めていただこうかと。
  それとも、シンちゃんは水着ぐらいじゃ、自らを慰めるには出力が足りませんか?」
急に話を振られてなんと答えようかと困っていると、
「いいかげんにしなさいっ!
  お、お兄様があなたなんかを思って悲しむわけ無いでしょ!」
「ちぇ。まあ、せめてお弁当だけでも召し上がってくださいね」
「結構よ!今日のお昼は、私がお兄様を案内するんだから!
  じい!早く車出して!」
苛苛しながらセリが叫ぶが、シンは
「でも、折角作ってくれたんだしさ…」
と、お弁当を取ろうとする。
しかし、
「お に い さ ま ?
  昨日の、私の、話、聞いて、無かったの、で、しょう、か ?」
とすごい顔のセリに睨まれて、顔を青くして手を引っ込めた。

昨日の晩。セリの部屋に連れ込まれたシンは三時間ほど説教を受けた。
よくもまあこんなに口が回るものだと感心してしまうほど、セリはヒステリックな声で喋り続けた。

その事を思い出し、
「ああ、ごめん、朔姉。今日のところは遠慮さしていただくよ。
  また今度お願いするからさ」
シンはお弁当を朔にかえした。
「ふうん。お次が、あ る ん で す か」
セリがシンを睨む。
「あああ、ええと」
シンが答えに詰まっている間に、車は出て行った。

後に残された朔。
「あーあ。このお弁当どうしましょ。
  自分で自分の唾液やら何やらが入ったもの食べるのも間抜けだしなあ」

2006/08/20 To be continued...

 

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