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陽の光のなかで舞う雪

 

1

「山田優治。約束だ、一緒に昼食を取ろう」
その瞬間、陽子は椅子ごと後ろに倒れそうになった。
時間は昼休み。
陽子はいつものように優治の机に自分の机をくっつけて、
購買で買ってきたジュースと自作の弁当を広げているところだった。
このクラスには暗黙の了解がある。
すなわち、"陽子と優治の食事に同席してはならない"という鉄の掟が。
いくら二人が付き合っていない(と主張している)とはいえ、
昼休みのたびに展開されるストロベリー空間に割り込むほど野暮な人間は、このクラスにはいないのであった。
否。
いない、はずだった。
「一緒に食べよう」
優治の前に立つ鈴木雪は、そう繰り返した
「ちょ、な、いきなりやって来て何言ってんのよ!?」
思わず陽子は爆発していた。
だってだって、これから優治と一緒に昼食で、
今日のお弁当はわりと自信作で、それがなんでいきなりこんなことに!?
勢いよく立ち上がった陽子に、しかし、雪は冷ややかな一瞥をくれるだけだった。
「佐藤陽子、少し黙っていてくれないか。君に発言権は無いのだよ。
  彼は昨日、私と一緒に昼食を食べたい、と言ってくれた。先約は私の方なのだ」
憎らしいほど落ち着き払った声。
どことなく胸を張っているように思えた。ちなみにFカップだ。
貧乳もいいところの陽子は思わず気圧されてしまう。
「ちょ、ちょっとどういうこと、優治? 先約ってなによ?
  あたしと一緒の食事は不味くて食えないってワケ!?」
矛先を変えると、当の優治は腰を引き気味にしつつ泣き笑いを浮かべていた。
「……えーと、落ち着いて、陽子ちゃん」
「これが落ち着いてられるかってのよっ!」
ダンッ、と机を叩く。弁当箱が浮く。
「まさかアンタ、鈴木さんと付き合ってんの?」
「ふむ、いずれそうなるだろうな」
「な、ホントなの、優治!? どうしてあたしに言ってくれなかったのよ!」
優治と雪が? 付き合うって? だって、そんな素振り全然なかった!
一抹の寂しさと共に悔しさが込み上げてくる。
――この女が!
陽子は雪を睨みつけた。
「え、いや、僕の話も聞いて――」
「そういうわけだ。負け犬は引っ込んでいたまえ」
「誰が負け犬ですってぇ!?」
「貴様だ、佐藤陽子」
「アンタに貴様呼ばわりされる覚えは無いわよ、バカッ!」
「バカというほうがバカなのだ。統計的にも証明されている」
「どこの統計よ!?」
「あの……僕の話も聞いて……無視しないで……」
昼休みを喧騒の渦に巻き込む二人の少女に、その間でおろおろと惑う優治。
クラスメイトたちは遠巻きに、呆れたような視線を彼らに向けていた。
この日、クラスには新たな暗黙の了解ができあがった。
すなわち、"鈴木雪と佐藤陽子は混ぜるな危険"。

結局、雪は強引に優治を引き摺っていってしまった。たぶん食堂に行ったのだろう。
優治が陽子の作った弁当を持っていったことは唯一の救いだったが、
それでも面白くないことに変わりはなかった。
陽子は仲のいい数人の女子と一緒に、ようやっと食事を始めていた。
喚き散らしながら。
「むかつくむかつくむかつくー!」
「はいはい、陽子、口にモノ入れながら叫ばない。
  ってか、アンタ、山田君とは付き合ってないんじゃなかったの?」
「付き合ってないわよ! なんであんなバカとっ!」
「じゃあなんで怒ってんのよ。付き合ってないならいいじゃない」
「なんでかわかんないけどイライラするのっ!」
箸をブンブンと振り回して、陽子はいっそう声を張り上げた。
「むかつくーーーーーーっっっっっっ!!!!!!」
「うわ、ご飯粒飛んできた」
周囲の顰蹙を買いつつ、なおも陽子は不満を垂れ流す。
「鈴木さんもさぁ、……急に何? いつから優治のこと好きだったの?」
「あ、それ私も思った。そんな話、聞いてないよね」
「『昨日、彼と昼食を一緒にする約束をした』って言ってたっけ、たしか。
  授業中に接触はなかったはずだから、放課後になんかあったのかなぁ。陽子、なんか知ってる?」
陽子はむすっとした顔で、
「昨日は、優治はクラブがあるって言ってた。あたしは先に帰った」
「山田くん、逢引してたんじゃないのぉ? クラブはサボってさぁ」
「そんな! 優治があたしに嘘つくわけないじゃない!」
「わっかんないわよ〜。浮気されたくないなら首輪付けとかなきゃ〜」
友人たちは完全に面白がっている。
陽子はよく茹でられたアスパラガスを口に入れて、鼻から大きく息を吐いた。
いまごろ優治とあの女はなにしているのだろうか。
一緒に仲良く食事?
楽しそうに会話?
弁当の中身を交換しちゃったりして。
その弁当は陽子が作ったものなのに。
(このアスパラガス美味しいなぁ……)
優治と一緒ならもっと美味しかったかもしれない。
燃料の切れたロボットのように、陽子はぼんやりと青い空を眺めるのだった。

――昨日の放課後。

雪はいつものように校庭を横切って下校していた。
サッカー部と野球部の境界を縫うようにして歩くのだ。
もちろん両側から注目を浴びるのだが、雪は意に介していなかった。
――もう日が暮れそうだな。
夕日を見て思う。
図書館で過ごした時間は思ったよりも長かったようだった。
少し足を速めようとして、雪は行く手に誰かが倒れているのに気付いた。
いや、大の字になってグラウンドに寝そべっているのだ。
仰向けになったその顔に見覚えがあって、雪は呟いた。
「山田優治か」
臥していた体が傍目に分かるほどビクッと震えた。
慌てたように優治は体を起こしてきょろきょろと周囲を見回し、
そして雪の姿をみつけてにっこりと微笑んだ。
「なんだ、すごくびっくりしたよ」
――それは私に話しかけられたことに対してか?
内心苦笑したが、表情にまで出ずにそれは消えていった。
「なにをしていたんだ?」
「えーとね、寝転んでたんだ。疲れちゃってさ」
あはは、と優治は笑った。
疲れていると口にしながら、それを疑わせるような笑顔だった。
「真面目に励まなくてもいいのか?」
「いいんだよー。監督だって、あんまり頑張るなよって言うしね」
「なんだ、それは」
馬鹿馬鹿しい。雪は思った。
優治はどうしてこのクラブに入っているのだろう。
練習に励まないで、なんのための部活なのか。
「あ、笑った」
「え?」
優治は雪の顔を指差して、
「鈴木さんの笑った顔、はじめて見たよ。これって自慢できるね。なんか嬉しいなぁ」
――笑っていた? 私が?
雪がきょとんとしていると、彼はそんな雪を見てさらに笑った。
本当に楽しそうな、心の底からの笑顔だと思った。
優治の傍にいれば、自分もこんな風に笑えるのだろうか。
そう思ったとき、雪は口を開いていた。
「明日の昼食、一緒に食べないか」
なぜそんなことを言ったのかわからなかった。
このまま、ただのクラスメイトに戻ってしまうのが惜しくて、
だから何らかの繋がりを求めたのかもしれない。
優治は一瞬あっけに取られた顔をして、すぐにまた笑った。
「いいね」
ちょっと驚いた。
もう少し渋ると思っていたからだ。
「本当にいいのか? 佐藤陽子と約束しているんだろう」
山田優治と佐藤陽子の仲はクラスでは有名だ。
こんな浮気のような真似をすれば、後々面倒なのではないかと思った。
けれど、優治の答えは明快だった。
「うーん、いいんじゃないかな。陽子ちゃんとはいつも一緒だし、たまにはね。
  って、よく考えてないだけなんだけどさ」
そう言ってはにかむ優治を見ていると、それだけで頬が火照ってくるようだった。
さよならを告げて、雪は再び帰宅の途についた。
明日が楽しみだった。

2

「それではこれより〜第一回〜山田優治攻略会議を〜開始しまぁ〜す」
――ヒューヒュ〜 ――ドンドン〜 ――パフパフ〜
「はい、そんなわけで主賓の佐藤陽子さんでーす。みなさん拍手〜」
――パチパチパチパチ ――いよっ、待ってました! ――パチパチパチパチ
なんだろうこれは。
ドアを開けた瞬間のまま、陽子は固まってしまっていた。
狭いカラオケルームにはぎっしりと、陽子の友人たちがすし詰めされていた。
すでにテーブルには飲み物やケーキが並び、中にはビールっぽいのも持ち込まれていて、
まあつまり早い話が、彼女たちはすっかり出来上がってしまっていた。
「遅刻だよ陽子ー、あんたが主役なのにさぁー」
「そのパフェ一口食べさせてー」
「もっとどんどん歌うべー」
「あたしmyマイク持ってきてるんだけど」
「ちょっとあんたら、本題分かってんの?」
「陽子ーここ座りなー」
指差されたところには、ちょうど一人が座れるくらいの空間がぽっかりと空いていた。
勧められるまま、安っぽいビニル張りのつるつるしたソファに、陽子はおずおずと座った。
いったいなにがなんだか、陽子には理解できなかった。
今日は何人かでカラオケをするだけじゃなかったのか。
どうしてクラスの女子の半分くらいが集まっているのだろう。
「さて、佐藤陽子さん」
カラオケ用のマイクを陽子の方にぐいっと突き出してきたのは、
面倒見が良いことでクラスでは"姉御"として知られる少女だった。
「ズバリ直球で訊くよ。あんた、山田君のこと好きなんでしょ?」
直球過ぎた。
陽子は一瞬呆気にとられて、次におもしろいほど狼狽した。
「な、なななななな、なに言ってんのよ? 違う。違うって。違います。何回言ったらわかるの?」
「違わないでしょ。寂しいんでしょ、陽子。最近はずっと彼と話せてなくて、すっごく落ち込んでるもんね?」
「だから、それは……」
それは、の次の言葉が出てこなくて、陽子は俯いてしまった。
うまい言い訳が思いつかなかった。
言い訳?
なにを言い訳する必要がある?
なにを誤魔化す必要があるんだ?
「正直になりなよ、陽子」
「もう、いい加減に――」
と顔を上げて、陽子はハッとした。


姉御の厳しい瞳が、じっと陽子に向けられていた。
いや、他のクラスメイトたちだって、驚くほど真剣な顔つきだった。
姉御が続ける。
「例えばさ、陽子。このまま鈴木さんが山田君をゲットしちゃったらさ。
あんたますます山田君と話せなくなっちゃうんだよ?」
「…………」
「二人が話してるところとか、抱きあってるところとか、もしかしたらキスとかだって、
見ちゃうのかもしれないのよ?」
「…………」
「そういうの、どう思うの?」
わからなかった。
わからなかったけれど、陽子の口からは自然に言葉が出てきていた。
「……いやだ」
なぜだかとてもリアルに想像できた。
鈴木さんとこんなことを話したんだ、と笑う優治。
明日は雪さんとデートなんだ、何を着ていこうかな、と笑う優治。
雪が弁当を作ってきてくれることになったから、君のはもう要らないよ、と嗤う優治。
「……それは、いやだ」
「だったら頑張りなよ。みんな応援してるんだからさ」
部屋にいる全員が、陽子に微笑みを向けていた。
それがとても温かくて、陽子はいつのまにか泣き出していた。
「いやだよ、……っ、あんな女に、優治を取られるなんて、ひくっ、いやだよぅ……」
「はいはい、だったら一緒に頑張ろうね」
「わたしたちはみんなアンタを応援してるからさ」
「あんな冷血女に負けちゃいけないよー。陽子なら絶対いけるってー」
「ほらほら、泣いちゃダメでしょう。笑ってないと山田君に嫌われちゃうわよ」
口々にかけられる励ましの声。
陽子は思った。
彼女たちの想いを無駄にしちゃいけない。
そして、彼女たちによって気付かされたこの想いも、大切にしなきゃいけない。
――明日、優治に告白しよう。
陽子は決意した。
「みんな、ありがとう。ありがとうね」
狭い室内の中で、その「ありがとう」は何度も繰り返された。
何度も、何度も……。

3

学校からの帰り。
夕暮れの道を、陽子と優治は二人で歩いていた。
陽子がそれを久しぶりだと感じたのは、高校になって優治が部活に入ってしまったのと、
最近は、部活がない日の優治の下校時間を、鈴木雪が占有しているからだった。
久しぶりに一緒に歩いている。
けれど、先ほどから二人のあいだには会話がなかった。
陽子はずっと考えていた。
――どう切り出そうか。
昨日からずっと心に決めていたことだ。
何を言うか思いつかないというのもあったし、踏ん切りがつかないというのもあった。
ふと、優治の声が聞こえて、陽子は我に返った。
「……ごめん、聞いてなかった」
「だからさ。鈴木さん本当に大丈夫だったのかな。やっぱり一人で教室を掃除するのは大変だよ」
「あ、ああ……うん、大丈夫じゃないの?」
努めて笑顔でいようとする。
陽子の口元が引きつっているのに、目の前の男は気付いているだろうか。
「本人だって、『他の人間がいたってわずらわしいだけだ』って言ってたでしょ」
「そうだけど、でも、まるで周りの人たちに押し付けられたみたいだったじゃないか。
僕たちも、なんだか追い出されちゃったし……」
「……みんな気を使ってくれたのよ」
「え?」
「なんでもないわ」
陽子はにっこりと微笑んだ。
そう、ここが正念場だ。陽子は思った。
あの女の足止めをしてくれた上に、優治と二人きりなる機会をくれたみんなに感謝を。
彼女たちのためにも、ぐずぐずと迷っていてはいけない。
陽子は立ち止まった。
言うんだ、言うんだ、言うんだ。
前を行く彼に呼びかける。
「あ、あのさ、優治」
その声に振り向いた優治の顔を、陽子は直視できなかった。
これから告白するのだと思うと、思考がまともに働かなかった。
「なに? 陽子ちゃん」
「あ、あのね? あたしさ、アンタのこと、す、……す、す、す」
「『す』? ……もったいぶるなぁ」
の、能天気な顔しやがってっ!
心臓がバクバクと脈打つ。全然頭が回らない。
陽子は沸騰寸前だった。
「す、す、す、鈴木さんと仲良いよね? ……最近さ」
「え? ああ……うん、良い子だよね」
えへへ、と嬉しそうに笑う優治。
思わずムカッとくる。
優治のにやけた顔にもムカついたが、もちろん、言うべきことを言えない自分にも苛立ちを覚えていた。
「……あたしと鈴木さん、どっちが好き?」
「ええっ? ……なにそれ、なんか恥ずかしいなぁ」
冗談としか思っていないらしい。
優治はあごに手を当てて、たっぷりと悩み始めた。
「うーん……やっぱり陽子ちゃん、……かな?」
「ホントにっ?」
「やっぱり付き合いの長さが違うからね。なんか、鈴木さんには悪いけどさ」
それって――

「だからさ、陽子ちゃん、鈴木さんと仲良くしてあげて?」
「――え?」
わけのわからない言葉を聞いた。
陽子が呆気に取られたのを肯定の表現だと受け取ったのか、優治はさらに言葉を継いだ。
「鈴木さん、あんまり友達いないでしょ? 彼女、なんだかいっつも一人でいるじゃないか。
  だから陽子ちゃんが友達になってくれればいいなって思うんだ」
こいつは何を言ってるんだろう。
こわばった声が、陽子の唇から漏れた。
「……なに言ってるのよ。あたしとあの子が喧嘩したところ、見てなかったの?」
「もちろん見てたよ。そりゃ、陽子ちゃんと鈴木さんって何故だか仲悪いけどさ、
  でもほら、喧嘩するほど仲が良いって言うし、鈴木さんは他の子たちとは喧嘩すらしないわけだし、
  陽子ちゃんなら、きっと仲良くなれるんじゃないかなって思うんだけど。
  ああ、僕の方からも話しかけるし、……そうだ、今度三人で――」
「……わないでよ」
「え?」
「バカ言わないでよっ!」
陽子の瞳からついに涙がこぼれた。
ドロドロに溜まった感情をすくって、目の前の男に投げつけてやりたかった。
「いい加減にして! アンタはどうしてそんなにバカなのよっ!?
  いっつも自分の勝手ばかり言って、あたしの気持ちなんて全然考えてくれない!
  『きっと仲良くなれる』って? なれるわけないじゃない!
  アンタはそういうところが全然っ、全然っ、わかってないのよっ!」
呆気に取られる優治に背を向けて、陽子は走り出した。
一拍遅れて優治の呼び止める声が聞こえたが、そんなものに構うわけがなかった。
「……優治っ……優治っ……優治っ!」
陽子は走る。
彼の名前を呼びながら。
どうしてあんなに鈍いんだろう。
どうしてあんなに察しが悪いんだろう。
どうしてあんなに空気が読めないんだろう。
「……優治なんて、大嫌い」
けれど、大好きなのだ。
鈍いところも。
察しの悪いところも。
空気が読めないところも。
全部全部、大好きなのだ。
「だから、信じてもいいよね、優治。
  ……あたしの方が好きだって言ってくれたこと」

4

朝から陽子は口を利いてくれなかった。
優治は放課後の教室で、てきぱきと掃除が行われていくのをぼんやりと眺めていた。
きっと陽子は怒っているわけじゃないのだろう。
長年の付き合いから、優治にはそれがわかっていた。
あれは――恥ずかしがっているのだ。
「終わったぞ」
その淡白な声に顔を上げると、至近距離で雪が優治の顔を覗き込んでいた。
恐ろしく深い瞳は、彼女の思考がそこに表れるのを阻む。
優治は、雪が何を考えているのかわからない。
「掃除、手伝わなくて大丈夫だったの? 鈴木さん、昨日もやってたじゃないか」
「昨日やった掃除がイレギュラーだったんだ。今日が本来の当番の日なのだから、私がやらなくては意味が無い」
「だって、当番は他にも何人かいるはずじゃないか。どうして鈴木さんが一人でやらなくちゃいけないんだよ」
優治が唇を尖らせると、雪はふっと笑った……ような気がした。
それは微かすぎて、すぐに溶けて消えてしまったけれど。
「私のことを心配してくれるんだな。……そういうところが実に好ましい」
「え? いや、そんな面と向かって言われると……」
照れてしまう。
雪はこうやって感情をストレートに伝えてくる。それ自体はいいことだ。
けれど、雪の表情は、まったく感情を表していない。
その言葉を疑いなく信じるには、雪はあまりに無表情なのだった。
彼女の真意を知りたいのは、彼女の好意を信じたいからだ。
放課後のグラウンド。
あの時の笑顔を、信じていたいからだ。
でも、それは何故?

「でもやっぱり、あいつらは許せないな。サボってばっかりで、ぜんぶ鈴木さんに押し付けて」
「ふむ、どうやら裏でいろいろと画策しているようだが……」
雪がそっと、優治の机の上に手を置いた。
「……そろそろ勝負を決める頃合か」
そうやって、優治の方に身を乗り出すような格好になる。
漂う雪の香りに、優治の鼓動は自然に高まる。
雪の視線は優治を見据えていた。
「なあ、山田優治。君は、わたしのことが好きか?」
「……え?」
思わず優治が見上げても、雪は目を逸らそうとしない。
「そ、そりゃ好きだけど」
「友達として? ……恋人として?」
「……わかんないよ」
優治は俯いてしまう。
自分の気持ちなんて、わかるはずがない。
「佐藤陽子と私なら、どっちが好きだ?」
「はは、同じようなこと、陽子ちゃんにも訊かれたよ」
動揺を隠そうとする。
けれど、きっと見抜かれているだろう。
「鈴木さんには悪いけど、やっぱり陽子ちゃんかな。幼馴染だしね。ちっちゃい頃からずっと一緒にいるんだもん。
  陽子ちゃんの考えてることはだいたい分かるし、陽子ちゃんと一緒にいると楽しいし、
  あ、これがもしかして恋ってやつなのかも――」

「嘘だな」

その言葉は、ストンと優治の心の奥に刺さった。
「君は私に惹かれ始めているはずだ。いや、はっきりと、惹かれている」
ゆっくり、ゆっくり、優治に近づいてくる鈴木雪。
漆黒の瞳、滑らかな頬、艶やかな唇。
そこに浮かぶ微笑。
……ぺろり。
頬が舐め上げられると同時に、氷の塊が優治の背筋を這い上がった。
「正直になれ」
驚くほど妖艶な表情。
これが、あの鈴木雪なのだろうか?
さっきまで何を考えているか分からなかった鈴木雪?
その悪魔的な誘惑に、優治は引き込まれていた。
――そうか。
優治はようやく気付いた。
「僕は、君のことが好きなんだ」

どうしてなんだろう。

なかなかやってこない待ち人。
下駄箱に靴があることと、部活に出ていないことは確認していた。
まだ校内にいるはずなのだ。
昨日のことがあったから、ちゃんと話をしておきたかった。
教室で会った時は、気まずくて陽子の方から避けてしまったけれど、
それでも自分の想いを告げておきたかった。
「……優治、まだ教室にいるのかな」

そして陽子は、見てしまった。

「どうして……」
ドアの隙間から、優治が愛を囁いているのが漏れ聞こえる。
陽子が覗いているのも知らず、二人は抱き合っている。
接吻が交わされ、舌が絡み合う。
雪の腕が優治の背中に回され、優治の右手が雪の胸に添えられ、
くちづけの音をくちゃくちゃと響かせながら、吐息の音を響かせながら、
雪がショーツをずらし、優治の左手はそこを撫でる。
どろどろに溢れた雪の中に、優治はゆっくりと挿入していく、
雪の甲高い悲鳴と、快感を堪える優治の呻き声。
陽子の目の前で、二人が愛し合う。
陽子は、その二人の姿を、しっかりと脳裏に焼き付けている。

――どうしてアイツなの。

「鈴、木、さんっ……っ……鈴木さんっ……はぁっ……鈴木さんっ……!」

――ひどいよ。ひどいよ、優治。

「好きだよっ、鈴木さんっ、鈴木、さんっ」

――あたしのこと、好きだって言ってくれたじゃない。

熱に当てられたのか。
自然と、陽子の指は自らの蜜壷を掻き回していた。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
一本、二本、三本……
優治のソレを想像しながら、陽子はひたすら指を出し入れする。
空いた左手で胸を揉みしだく。だって、優治はそうしている。

――優治、優治、優治、優治、優治、優治、優治、優治、優治。

優治のモノが自分の中に入れられている満足感に、陽子は浸る。
優治が陽子の乳首を捻る。
優治が陽子の肉芽を摘む。
痺れるような快感が思考を焼き尽くしていく。
「優治……優治ぃ……」
その声は、決して想い人には届かない。
涙を流しながら、陽子は達した。

 

優治と雪が教室から出る頃には、廊下には誰の影もなかった。

5

私、鈴木雪は、朝起きればまず顔を洗う。
鏡に映る自分の姿はまるで幽鬼のようだと思う。
目が隠れるほど伸びた前髪、胸に届くほど長い黒髪。
けれど、その表情は決して暗くはない。
昨日のことを思い出すと、自然と頬がほころんだ。
彼を想うと、世界中が光に包まれている気がする。
……大げさだと思うか?
顔を洗ったあと、私は台所へと向かった。
いまのうちに弁当を作ろうと思ったのだ。
"鈴木雪"という人間からすればかなり異常な行動かもしれないが、
なに、これも「恋は人を変える」というやつだ。
ご飯にふりかけを混ぜ、茹でた野菜を並べる。
彼と一緒に食べる光景を思い浮かべ、またニヤついてしまう。
……いけない。集中しないと。
野菜を切るとき手元が狂わないか心配だったが、なんとか弁当は完成した。
うん、なかなか良く出来たと思う。
その弁当を、私はいそいそと鞄に詰めた。
「朝ごはんは?」母親が訊ねてくるのに「いらない」と返す。
まったく食欲がない。
早く学校に行きたい。
鞄を引っつかむと、私は玄関へと向かった。
手早く靴を履いてドアを開ける。
途端に、冷たい朝の空気が流れ込んでくる。
一気に駆け出した。
早く、早く会いたい。

私は坂を駆け下りていく。
冷たい風が耳元を通り抜けていく。
学校まで伸びたこの坂道。
私は駆け下りていく。
前方に彼の姿を認めたとき、私はその勢いのまま飛びついていた。
「うわっ」
驚いて振り返る彼の顔を、たまらなく愛しく思う。
腕にしがみついたまま、とりあえず挨拶を。
「おはよう、山田優治」
「な、なにやってんだよ?」
「む? 愛するもの同士が腕を組んでおかしいか?」
「なっ……!」
絶句する彼の腕を引きずるように、私たちは校門へと向かう。
彼はしばらく黙り込んでいたが、
「……ねぇ、今日、なんか変じゃない?」
恐る恐るといった様子で、私の顔を覗き込んできた。
「変だろうか?」
「うん、変だよ」
「どこがだ?」
「どこがって……なんか、まるで……」
「まあいい、恋は人を変えるというやつだよ」
お決まりのフレーズで、反論を封殺する。
「……恋?」
「そうだ。君と私は恋人同士だろう?」
「さっきも愛する者同士とか言ってたね……冗談にしては性質が悪いよ」
「冗談? 冗談であるものか」
どうして冗談だなんて言うのだろう。
私の中に懐疑の念が芽生える。
――もしや何かあったのではないか。
可能性は十分にある。
ただでさえ彼は優柔不断なところがあるのだ。
昨夜、あの女に言い寄られて、あっさりと押し倒されてしまったのではないか。
彼は不安げな目で私を見ている。
胸騒ぎがする。
そんな目で見るな。見ないでくれ。
「……忘れたのか? 昨日、あんなにも愛し合ったことを。君は私は抱いてくれたではないか。
  君は私のカラダを貪って、あんなにも満たしてくれたではないか! 忘れたのかっ!?」
最後の方は、もはや絶叫に近かった。
通りすがりがチラチラとこちらを見ているのを感じる。
けれど、そんなものを気にしてはいられない。
「私は――」
「なにをやっている」
ぴしゃりと、私の声を遮るように、背後で声がした。
冷たくて厳しい声だ。
振り向くと、
そこには、
――鈴木雪が立っていた。

「なにをやっている」
鈴木雪がもう一度、繰り返す。
いや違う。こいつは偽者。
鈴木雪の、偽者。
「手を離せ。君が掴んでいるのは、私の恋人だ」
少し焦ったような声で、偽者は言った。
へぇ、彼女でもこんな風になるんだ。
「優治は私の恋人だ。……なあ、そうだろう?」
私が訊ねると、優治は困惑した表情で、私と偽者のあいだに視線を彷徨わせた。
どうして即答してくれないんだ。
言ってくれ。私を愛してるって。
「……僕を好きだって言ってくれるのは嬉しい。でも、僕が好きなのは鈴木さんなんだよ」
「あはっ。あははっ。ほら、聞いたか? 優治は私の方を好きなんだって言ってる」
おかしくてしかたがない。
偽者は呆然としている。
おかしい。笑ってしまうくらいおかしい。
……何がおかしいのだろう。
何もおかしくない。
なのに、どうして優治は怯えているの?
「……おまえは、誰だ?」
私?
私は――
「鈴木雪。私は鈴木雪」
「……違う。おまえは佐藤陽子だ」
偽者がなにか言っている。
負け犬の遠吠えってやつ? ……惨め。
「行こう、優治。もう授業が始まる――どうした?」
私は優治の腕を引いたけれど、彼は動こうとしなかった。
優治はじっと私を見つめていた。彼の瞳は、怯えているけれど、真剣だ。
頭が、ずきりと痛む。
「それはこっちのセリフだよ。どうしちゃったんだよ、陽子ちゃん。君は、陽子ちゃんだろ?」
……頭が痛い。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
優治はどうしてこんなことを言うんだろう。
優治を惑わせているのは誰?
……あなた?
「そうよ。そうよね。偽者がいるから優治が迷うんだわ。偽者さえいなければ、優治は『あたし』しか見ない」
「……陽子、ちゃん?」
「優治、今日もお弁当作ってきたの。昼休みに一緒に食べようね」
にっこりと笑って、優治の腕から離れる。
ポケットを探りながら、あたしは偽者に近づいていく。
偽者は怯えた顔で後ずさりする。
あたしが近づく。
偽者が後ずさる。
いつもの冷静ぶった態度はどうしたの?
情けない顔で、あたしから逃げようとしてる!
ざまあみろ! ざまあみろ! ざまあみろ! ざまあみろっ!
私はナイフを取り出し、振りかざした。
偽者の顔が恐怖に歪む。
ああ、楽しい。ああ、楽しい。
「――これで、本物になれるわ」

2006/02/16  完結  

 

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