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合鍵


1

「うん、これから毎日起こしにいってあげるからね」
藍子は合鍵を、それをまるで宝物の様に、大切そうに、受け止めた。

その合鍵の元鍵の持ち主、元也は一週間程前から独り暮らしを始めた。両親が
ブラジルに転勤したのだ。その日から遅刻を繰り返してる。彼は寝起きが悪いのだ。
それでも両親が居た時は、藍子が部屋まで上がってきて強引に起こしてくれていた。
しかし両親がいない今、彼女は家に上がれず、インターホンを鳴らすだけしか出来ない。
インターホンの音程度で元也が起きれるはずも無く、結果、毎日遅刻することになる。

この状況を打破すべく、元也が思いついたのが、藍子に合鍵を渡し部屋まで起こしに
来てもらう、というなんとも情けない方法だった。

 合鍵を渡した翌日。藍子の声で眼が覚める。寝ぼけ眼で彼女を見ると、セーラー服の
上にエプロンを羽織っていた。
藍子「さあさ、早く下に降りましょうよ」
どことなく嬉しそうな彼女について一階に降りると、そこには朝ごはんができていた。
しかも豪華。いつもトーストだけな元也だが、今日はトーストに加え、目玉焼きにサラダまで
ついていた。
藍子「さ、食べましょ。私もまだ食べてないから、ご一緒しましょう」
二人で、向かい合ってその朝ごはんを食べた。おいしかった。

 合鍵を渡してから3日の放課後。
元也は独りで帰路に着いていた。いつも隣にいる藍子の姿が見えない。今日、部活に
行く前、「今日は私、先にかえるね」と藍子に言われたのだ。その時はなんとも
思わなかったが、こうして独りで帰っていると、ひどく寂しい。
思えば、幼稚園の頃から、ずっと一緒に帰っていたのだ。そしてその頃から、ずっと
藍子に頼りきっていたなあ、いや、今もだなあ。
そんな事を考えながら、とぼとぼ歩いていると、後ろから声をかけられた。
「あら、元也君、お独りなの?」

2

「あら、元也君、おひとりなの?
  いつも着いてるあの娘はどうしたの?」
声に振り返ると、そこには美術部の先輩、サキさんがいた。
元也「そんな、いつも一緒って訳じゃないですよ」
つい先ほどまで、藍子に頼りきっていた自分を情けなく思っていたとこなので、
わざとぶっきらぼうに答えた。が、
サキ「あら、そうっだたかしら、ねえ?」
からかう様に、サキは言う。
  なんだか恥ずかしくなった元也は早歩きになる。
サキ「ああ、待っててばあ。そんなに怒ることもないでしょうに」
サキも釣られて早歩きになる。だが、元也の素直な反応が可笑しかったのか、クスクスと笑っている。
元也「ああもう、なんか用ですか?」
先輩にからかわれている事が分かっているので、元也の言葉も荒っぽい。
サキ「用?……ああ、そうだったわ、あなたも独り暮らしの身でしょう?
    どう、予定が無いのなら、同じ境遇の身同士、夕飯食べていかない?」

場所は変わって、ファミレスの中。
元也は鉄火丼を、サキはとろろ定食をたべている。
サキ「じゃあ、あの娘に晩御飯を作って貰ってる訳じゃないんだ」
元也「流石に、そこまで面倒をかけてる訳じゃありません」
……毎朝、起こしに来て貰ってる事は伏せておく。
サキ「ふーん…そっかあ、まだ、そんな仲じゃないわけか……ふーん」

サキ「やっぱりねえ、御飯と言うものは、誰か食べてくれる人がいないと作る張り合いって
    言うものがないわけよ」
ファミレスを出た後、サキは話続けた。元也に自分で御飯を作れないのかと聞かれた
ことにカチンときたらしい。
元也「はあ、そういうものですか」
料理を全くした事が無い元也にはピンとこない話だ。
サキ「…元也君、あなた、明日の晩御飯の予定はあるのかしら?」
元也「明日?…いえ、何も」
サキ「じゃあ、丁度いいわ。明日、私の家に来なさい。私の手料理、食べさしてさげるわ」
元也「…ちゃんと、食えるものですか?」
サキのチョップが飛んできた。

3
藍子「ごめん、あのね、今日も私、先に帰るね」
そう言われた時、元也は内心ホッとしていた。昨日サキから食事に誘われていたのだ。
それを藍子に言うのは、やはり少しためらいがあった。
藍子「……どうか、したの」
内心の安堵を見透かしたかのように、藍子が顔を曇らせる。
藍子「……なんで、嬉しそうなの……」
元也「そんなこと、無いってば!」
藍子の鋭さに内心冷や冷やしながらも答える。声は裏返ってはいない。良かった。

藍子は表情を曇らせたまま、帰っていった。何度も元也の方を振り返っていた。
ひょっとしたら、一緒に帰ろうと着いて来て欲しかったのかもしれない。
けど、今日は先輩の家に行く約束があるのだ。美人な先輩の手料理が食えるのだ。

所変わってサキの家。
リズミカルな包丁の音が聞こえる。なかなか馴れた手つきだ。人を誘うだけあって、
料理は上手らしい。
今日は部活を休んで料理をしている。その内、こちらはちゃんと部活に出た元也が
来るはずである。

時計を見ると、六時十五分。そろそろ元也が来てもいい頃だ。準備も終わり、することが
特に無くなると、なにやら落ち着かなくなる。しまった、料理を始める前にお風呂入っとく
べきだったかしら、いや、何も今日中に、一日やそこらで、ねえ、そんな…いや、
今からでも、シャワー位なら……!
インターホンがなった。飛び上がるほど吃驚した。
ドアの覗き穴をみる。元也だ。
玄関横の鏡を見る。料理をする時につけたヘアバンドをしたままだった。慌てて
ヘアバンドを外す。よし、笑顔。

元也「お邪魔します」
元也「あ、これ、つまらない物ですが、どうかお納め下さい」
そう言って元也が出したのは、苺と林檎だった。
その、妙な紳士的な言い方が面白かったようで、サキも
サキ「これはこれは、ご丁寧に、さ、大したおもてなしも出来ませんが、
ごゆっくりなさっていって下さい」
と、不自然に丁寧な答え方をする。

サキ「じゃ、あとお茶入れるから、おこたで待ってて」
御飯も食い終わり、アルコールもいい感じで回っている。普通なら、のんびりとした
いい気分だろう。
だが今、元也の頭はフルスピードで回っていた。帰るタイミングのことだ。
サキの家のコタツは一人用サイズで、それを見た瞬間、この家に居るのが自分とサキだけ
ということを今更ながら、強烈に思い出した。
コタツの前で立ち往生していると、サキがおゆのみと元也が持ってきた果物をもってキッチンから
出て来た。
サキ「どうしたのよ、座りなさいな」
そう言うとサキは先にコタツに入った。元也も腹を括って、コタツに入った。
一人用のコタツだけあって、二人で座ると困るほど顔が近い。


元也とサキが、二人でコタツに入っている頃、藍子は、元也の家のキッチンの隅で座っていた。
コンロの上には、彼女が作ったのであろう、白菜の煮物と海老のチリソースがあった。
藍子「…どうしたんだろ、もとくん、遅いな…
せっかく、御飯、内緒で作って驚かせようと想ったのにな…」
4

藍子「…どうしたんだろ、もとくん、遅いな…
    せっかく、御飯、内緒で作って驚かせようと想ったのにな…」

そうポツリと呟きながら、藍子は今日の自分の行動を思い出し、顔を真っ赤にする。
あんな事をするつもりは、全く無かったのに……

話は昨日にさかのぼる。
昨日、彼女としては珍しく元也をおいて先に学校を後にした日、彼女が何をしていたかと
言うと、実は元也の家の食料品を買いに行っていたのだ。
合鍵を受け取ってから、毎日朝ご飯を作るようになり、色々と足りないものがあるのが
気になった。例えばインスタントコーヒーや塩、胡椒、いざという時の冷凍食品。
そういったものだ。
本当を言えば、元也と一緒に買い物に行きたかったのだが、彼を部活の後、連れ回すのは
気が引けたので、彼女は独りで買い物に行くことにした。

スーパーの袋を手に下げたまま、合鍵を使い、元也の、主のまだ帰ってきていない家に入る。
そのままキッチンへと向かう。手早く、馴れた手つきで物を収めてゆく。
荷物の中には、野菜や肉もあった。今晩、料理をするつもりだろう。

荷物も全てしまいきった後、藍子はリビングに出た。
一息つこうと、ソファーに向かった。そこに、元也のコートがほうりっ放しのまま
置かれていた。これではシワが付いてしまうだろうと、元也の部屋のクローゼットに
掛けに行った。

ドアを開け、元也の部屋に入り、コートを掛けた。
その時、はたと思った。そう言えば、この部屋にもとくんが居ない
状態ではいるのは、今までなかった、と。
そう気がつくと、急に落ち着かなくなった。
用も無いのだから、出て行かなくちゃ、とは思っても、藍子が出て行くそぶりは見えない。

本棚を見る。漫画と小説が同じ位ある。CDはサントラが多い。半年ほど前に流行った
アルバムがあった。
なんとなく、元也の椅子に座る。椅子をクルクルと回す。
ふと目に入った引き出しを開ける。結構綺麗に整理されてた。日記でもないかと思ったが、
そんな事しないであろうと、誰よりも知っていた。

ベットが目にとまる。毎朝あそこで元也が寝ているのを見ている。
時計を確かめる。まだ、元也の部活が終わる時間ではない。もう一度、時計を見る。
うん、大丈夫、まだもとくんは帰ってこない。

ゆっくりと、藍子は元也のベットに横になる。深く息を吸い込む。元也のにおいが感じられた。
毎日毎晩、彼がここで寝ていると思うと、全身がこそばゆく感じる。
二度三度と寝返りを打つ。
その時頭に閃くものがあった。たしか、こういうベットの下には……
あった。そういった本が。うわ、あ、ああ…
そうなの、もとくんは、こんなのが、こういったのが………
それで、こういったので、じぶんで、やちゃってるの、ね、

そう思うと、この写真の女の人に怒りが湧いてきた。マジックで塗りつぶしてやりたい。
切り裂いてやろうかしら、燃やしてやりたい、シュレッダーにかけたい。ガソリンを
つけて燃やしたい。

だが、それをしたら、さすがにもとくんが怒るかも、いや、そもそも、もとくんが悪いんだから、
胸に沸き立つ怒りをとりあえず押さえ、本を戻す。

布団を被り直す。元也のにおいを感じてる内に怒りが収まっていく。
その代わりに湧き上がってきたのは、ここで、元也が、そういったことをしていたという事に
対する微熱のような湿った感情だった。

ひょっとしたら、昨日も…ここで…?
そう思うと徐々に頭が茹って来る。顔が熱くなる。呼吸が大きくなる。

「ひゃん!」
じぶんの声に驚いた。気がつくと、セーラー服のスカートを捲り上げ、自分で触っていた。
無意識の自分の行動が信じられず、パニックになる。
混乱したまま、急いで部屋を出、そのままの勢いで元也の家からも飛び出した。

その日、料理するつもりで買っておいた食材のことを思い出したのは、自分のうちに
ついてからだった。

5

そして翌朝、藍子の部屋。
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。パジャマがやけに肌にまとわりつく。
昨日、元也の家から帰った後も、彼のベットに寝た時の熱が体の奥に残っていたが、
それを無視して強引に寝付いたのだ。そのせいだろう、じっとりとした、体に纏わりつくような
汗をかいてしまったのは。
そして、その熱はまだ体の奥でくすぶっていた。

シャワーを浴び、汗を流す。
セーラー服に着替え、外に出る。朝御飯は元也の家で取るつもりで、家では食べなかった。

トーストをオーブンに入れ、コーヒーを沸かす。その間にハムエッグを作る。
用意も終わり、元也を起こしに二階へあがる。
起きていない事が分かっているのでノックもしない。
元也を起こそうと声をかけようとした時、昨日の自分の行動が思い出された。

瞬間で、体の中にくすぶっていた熱が燃え上がる。
昨日、私が、あんな、あんな事を、その、やちゃった、いや、やりそうになちゃった
とこで、もとくんが、寝てる、いや、当然は当然なんだけど、でも、あ、あああ、
セーラー服のスカートの中で、ふとももが閉じられ、もじもじと動いていた。

元也の部屋から飛び出し、洗面所に向かう。深呼吸。冷水で顔をザブザブと洗う。
鏡を見る。
腰の辺りに熱い強い疼きは残っていたが、顔色はなんとか平常に戻っていた。

改めて、元也を起こしに行った。

その日、学校に居る間、彼女は落ち着きが無かった。妙に頬が赤く、瞳は潤み、肌は汗ばみ、
元也を密かに追うその視線はいつもより熱っぽかった。

そして放課後。
藍子は昨日元也の家に置きっぱなしにしてきてしまった食材のことが気になっていた。
白菜の方はともかく、海老の方はタイムサービスで買ったものなのだ。早いうちに
調理をしておきたかった。

昨日に続き、2日も連続で元也と一緒に帰れないのは物凄く、物凄くイヤだったが、
先に帰っておき、元也が帰ってくるまでに料理を済ませておき、彼を驚かせるのは
とても楽しい想像で、彼女は先に独りで帰ることにした。

藍子「ごめん、あのね、今日も私、先に帰るね」
元也にそう告げたときの、彼の反応はおかしかった。
明らかに、なにかホッとした様子なのだ。私と帰れないのに、その反応は何?
寂しく、ないの?
藍子「……どうか、したの」
藍子「……なんで、嬉しそうなの……」
思わず、詰問口調になる。
元也「そんなこと、無いってば!」
不自然な大声で答える元也。
ますます胸の中で疑心暗鬼の心が膨れ上がる。

胸に黒いモノを持ったまま、元也のもとから離れる。
ひょっとしたら、今からでも、私のこの気持ちを感じ取って、一緒に帰ろうと言って
くれるかもしれない。
そう思って何度も元也の方を振り返ったが、彼はこっちに来てはくれなかった。

所変わって元也の家。
藍子は昨日作るつもりだった白菜の煮物と海老のチリソースを作り上げ、ソファーに
足を抱えて座っていた。
学校で別れた時の元也の態度がずっと気にかかっていた。
何か、すごく嫌な感じが収まらなかった。
そして、その気持ちと同じように、昨日から続いている体の熱と、腰の辺りの熱い疼きも
収まってはいなかった。

黒い気持ちと熱い体をもてあまし、彼女は考えることを止める。
すると自然とその足は元也の部屋、元也のベットへと向かっていった。

開いていたカーテンを閉める。
ベットに横に鳴る前、
藍子「これは、シワになっちゃうと、いけないから、だから、
    そうなの、こうしなくちゃ、いけないの」
顔を真っ赤に、いや肩の辺りまで真っ赤にさせながら、そう呟く。
自分に言い聞かせているのだろう。

スカートのファスナーに手をかける。ゆっくりとおろし、スカートを脱ぐ。
上もスカーフを取り、そろそろと脱ぐ。

そして、下着姿で元也のベットに潜り込んだ。
大きく息を吸い込み、元也のにおいを感じ取る。
昨日の何十倍も、体が熱く疼いた。
そして、今日は自分から、意識的に自分に触れた。声が漏れる。

玉のような汗が体中から出て来た。
それを気にする事もせず、むしろ意識的に汗を元也の布団に染み込ませる。

そして今、彼女はキッチンの隅で座っていた。
セーラー服も元通り、ちゃんと着ている。
昨日から続いていた体の熱い疼きが収まると、あれほど沈んでいた気持ちも
収まっていた。
むしろ、けだるい幸福感にも包まれながら、彼女は元也の帰りを待っていた。

藍子「…どうしたんだろ、もとくん、遅いな…
    せっかく、御飯、内緒で作って驚かせようと思ったのにな…」

6

藍子が独り、元也の帰りを待っている頃、元也とサキは…
サキ「じゃあ、明日も来てくれる?
    やっぱ、誰かと食べた方が寂しくなくて、おいしいな」
元也「ありがたく、お邪魔さして貰います。
    ……先輩がそんなに寂しがり屋とは知りませんでしたよ」
意外そうに、元也が言った。
サキ「そう、私、寂しがり屋さんなの。構ってくれなかったら、寂しくて死んじゃうから。
    せいぜい可愛がってあげてね」
クスクスと笑いながらサキは答える。
元也「分かりました。その内、頭なでてあげますよ。
    ……じゃ、ご馳走様でした!」

冷たい空気の中、帰路に着く元也。
…結局、何も起こらなかったな…
そのことに、ホッとするような、残念な様な、何かしなくちゃ駄目だったのか、色々な
考えが浮かんだ。
思い浮かぶのは、サキの華やかな印象だ。人を惹きつけ、自然と人の中心になるような
雰囲気の持ち主だ。

一人の女性に思いをはせると、自然と、自分に一番近い女性と比較してしまう。
藍子。幼馴染の女の子。いつも世話になっている。あんなに可愛らしい女の子が自分の
面倒を見てくれている事に、ありがたく、申し訳ないとも思う。
サキとは対照的に、目立つ人柄ではない。おとなしそうな、柔らかい印象を受ける。
サキがひまわりなら、藍子は…白い朝顔というところか。

家に着き、鍵を開けて入る。
サキの家でアルコールを呑んだ為、喉が渇く。キッチンに、冷やしてあるウーロン茶を
取りに行く。キッチンの蛍光灯を点ける。
驚いた。
そこに、藍子が足を抱えて座っていた。
な、何でこんな所に?
理由はすぐ分かった。コンロの上に料理が出来ていた。これを作って待っていてくれたのだろう。
胸が痛んだ。
もう、先に食べちゃったんだと言おうと、藍子の方を振り向いた。そして気が付いた。
待ちくたびれたのだろうか、彼女が眠ってしまっている事に。

藍子はそもそも、年よりも幼く見える。それが、こんな風に無防備に寝ていると、更に
幼く、あどけなく見えた。
足を抱えて、寂しそうに寝ている藍子を見ると、いつもあんなに面倒を掛けていると
言うのに、藍子が手間のかかる、寂しがり屋で甘えん坊な妹のように思えてきた。

元也「ほれ、起きろって」
声をかけても、藍子にいまいち反応が無い。完全に寝ぼけていた。
やれやれ、とため息をつき、
元也「ほら、抱っこしてやるから、つかまって」
そう言うと、素直に身をあずけて来た。

藍子を抱え、彼女の家へと向かう。藍子を前に正面を向いて抱えているため、彼女の白くて細い
首筋が目に入る。妙な気分になって来た。そこに、藍子が抱っこの姿勢を直そうとしたのか、
体を摺り寄せるような動きをした。うお、ヤバイ。
この、やましい気持ちが藍子に伝わらないように祈る。無邪気に寝ている彼女に、
申し訳なくなる。きっと、こいつはこんな感情を持ったこと無いんだろうな、と思い
自分が情けなくなってきた。
 
ふと気が付くと、元也に抱っこをされていた。
ああ、そうか、もとくんを待っている間につい寝ちゃったのか、と理解した。
もう起きたよ、と告げようかと思ったが、そのまま寝たフリを続ける。
元也にこれ以上はないというほどに密着しているのだ。こうやって甘えられている事に
深い安らぎと幸福感を感じた。もうちょっと、このままでいたかった。

首筋に元也の吐く息が当たった。
とたん、体が熱く疼いてきた。
元也のベットで、あれだけ自分で触ったというのに、また腰の辺りが熱を持って来るのが
感じられた。
抱っこの姿勢を直す振りをして、体を擦り付ける。擦り付けた場所から、また新しい
疼きが生まれてきた。その感覚が心地よく、何度も何度も擦り付けた。

そうしている内に、藍子の家にたどり着く。
元也は助かったと、藍子はまだまだ抱っこされていたいと、両者別の感情を持ちつつ、
家の門をくぐる。
元也に起きろと言われたが、藍子はまだ寝た振りを続けた。
ため息を付きつつ、藍子の家のインターホンを押す。藍子の母が鍵を開けてくれ、
そのまま元也は二階の藍子の部屋に行く。
 
彼女をベットに寝かせつけた。しかし、首に巻きつけた藍子の腕は、元也を放さなかった。
これ以上は俺がヤバイ。
煮詰まりつつある頭の中でそう判断すると、寝ている人間に悪いと思いながら、強引に
引っぺがした。

相変わらず起きる気配が無いのでしょうがなく、元也は藍子に掛け布団をのせてやった。
制服のままで悪いと思ったが、着替えさせるわけにもいかないので、そのままにしといた。

そして最後に彼女の顔を見つめた。あどけない、幼い寝顔だ。
頭をなでて、お休み、と言って、部屋から出て行った。

部屋から出て行く元也を見送ると、制服を脱いだ。シワが付かないよう、丁寧にたたむ。
だが、下着のみになっても、体は熱く疼いていた。
我慢できなかった。吐く息が荒い。
目を瞑り、抱っこされている時の元也の体温とにおいと、頭をなでてくれた時の
くすぐったさをおもいだしながら、彼女は自分を触り始めた。

7

サキ「じゃあ、明日も来てくれる?
    やっぱ、誰かと食べた方が寂しくなくて、おいしいな」
元也「ありがたく、お邪魔さして貰います。
    ……先輩がそんなに寂しがり屋とは知りませんでしたよ」
意外そうに、元也が言った。
サキ「そう、私、寂しがり屋さんなの。構ってくれなかったら、寂しくて死んじゃうから。
    せいぜい可愛がってあげてね」
クスクスと笑いながらサキは答える。
元也「分かりました。その内、頭なでてあげますよ。
    ……じゃ、ご馳走様でした!」

元也を見送り、サキは家の中に戻る。
ふう、と一息つく。急に疲れを感じる。ガラにも無く、相当緊張していた様だ。

使ったお皿を洗いながら、今日の事を振り返る。
結構な量を作ったのだが、元也には丁度いい量だった様だ。
おいしい?と聞くと、おいしいです!と元気に答えてくれた。
ああ、そんな真っ直ぐ、笑顔で見られると、おねえさん、困っちゃうわ。

特に何も起こらなかった。そのことが残念のような、ホッとしたような、年上の私から
何かしなきゃいけなかったのだろうか、頭はグルグルと回っていた。

その時、目に付いたのは、元也が使っていたお箸だ。洗い物の手が止まる。
…ちょっと、舐めちゃおうか…
そんな事を思いついてしまった頭をブンブンと振る。
何考えてるのよ、私ってば。リコーダーをこっそり舐める小学生じゃあるまいし、
そんな事しない、しない!
そう心の中で言っても、何となくそのお箸を洗うのを後回しにする。

舐めた。舐めて、しゃぶってから、自分の行動のアホさ加減に顔が赤くなる。これじゃ、
まるっきり変態じゃないの。止めましょう、こんな事。
 
お皿洗いは終了した。
お箸をくわえたまま、キッチンから出てくる。

リビングの炬燵に座る前、引き出しを開け、写真アルバムを取り出し、炬燵の上に置く。
その中から、一枚取り出す。その写真に写っていたのは元也とサキの二人だった。美術部で校外写生に
行った時に撮られた物だ。元也の絵を覗き込んでいる時に撮られたおかげで、二人が寄り添い合ってる
様に見える。

その写真を見ながら、つい先程まで元也が居た所に座りこむ。
そして、彼の事を考える。

 

はじめは、ただ、絵が上手い子だなあ、とだけしか思ってはいなかった。とは言っても、
彼が絵で食っていける位の才能があるかまでは分からない。ただ、自分よりはずっと上手だった。

絵を描いている時の彼の表情は、真剣そのものだった。絵以外の事は目に入っていないようだ。
けど、ふと一息ついて、サキが後ろから覗いていることに声を出して驚き、その後笑いながら
挨拶をする、その時の表情のギャップがなんだか面白かった。

気が付くと、部活の時はいつも元也の側にいるようになった。

彼と一緒にいる時間が増えると、すぐに気が付いたことが有る。
毎朝一緒に登校して、毎日美術部が終わるまで待っていて、元也と一緒に帰る女の子のことだ。

「あの娘、だれ?」
と聞くと、幼馴染との事。まあ、付き合っては無いらしい。

よくよく見ると、本当にいつも一緒にいる。部室以外、例えば移動教室のとき、偶然会うときや
図書館にいる時とか、など。そういった時、元也の側にはいつも彼女がいた。

すこし、あきれた。私なら、あんないつも一緒にいられたら、鬱陶しく思っちゃうだろうな、
それとも、あーゆーのが、幼馴染ってモノなのかしら、と。

だから、昨日、珍しく一人で帰っていた元也に声をかけた。
「あら、元也君、おひとりなの?
  いつも着いてるあの娘はどうしたの?」
そう言うと、彼はいつも一緒にいる訳じゃないと答えた。
その答えが嬉しく、ついからかってしまった。
顔を赤くして、歩調を早める元也。
その反応が素直で可愛らしく思い、ついつい笑ってしまう。
そしてその日、一緒に御飯を食べた。そして今夜は自分の家で、自分の手料理をおいしいと言って
食べていた。

アルバムから取り出した、二人で写っている写真を写真立てに写す。
それを持って、くわえていたお箸を流しに放り込んでから、寝室に移動する。
今夜はいい夢が見られそうだ。元也君が出てきてくれるといいな、と思いながら、
彼女は横になった。

8

藍子が元也に抱っこして貰い、サキが元也に手料理を振舞った日の翌日の朝。
今日も藍子は元也を起こしに行く。

昨日は結局、元也を待って、そのまま寝てしまい、抱っこされて家に帰ったので、夕御飯を
食べ損ねた。
おかげで、ひどくお腹は空いていたが、昨日の抱っこを思い出し、ついつい笑みがこぼれてしまう。
まだ、ふわふわとした陶酔感があった。

「おはよう、もとくん、朝だよ」
朝ご飯の用意もでき、元也を起こしに行く。
一回ぐらい声をかけた位では彼は起きない。いつもなら、ここで彼の体をゆさぶって
起こすところだが、今日はそうしない。

「ねえってばあ、朝だよう。起きてってばあ。」
元也の耳元に口を近づけ、甘えた口調で、囁く。それでも起きない。
「もーう、しかたないんだからあ」
元也の耳元に、更に口を近づけた。
はむっ、と耳たぶをあま噛みする。

元也「おうのわあっっ」
飛び起きる元也。
元也「な、何した!?」
藍子「んー?何の事ー?」
首をかしげる藍子。とぼけられて、自分が寝ぼけたのかと思う元也。ばつが悪そうに
耳をを擦っている。
藍子「ふふ、へんなもとくん」

元也「……まあいいや、下に降りようぜ」
先に部屋を出る元也。藍子もついて出て行くが、その前に、チラッとベットを見た。
あそこには、私の汗が染み込んでいる。
もとくんは、その、私の汗が染み込んだ布団で今まで寝ていたのだ。
そして、元也の後姿を見る。
体がゾクゾクッと震えた。
今まで感じたことの無い程の充足感があった。
元也「……?どうした?」
立ち止まってる藍子に呼びかける元也。
藍子「ううん、なんでもないよ、……ふふ」

 

藍子「はい、これ、お弁当ね」
朝ご飯を作りにキッチンに行くと、昨日作った晩御飯が手付かずで残っていた。
あんなに遅く帰ってきたので、やはり外で済ませてきた様だ。せっかく作ったのに
食べて貰えなかったのは残念だったが、捨てるのも勿体無いので、今日のお弁当に
再利用した。
お弁当箱は、幸い元也の家に二人分あった。
お揃いのおべんと箱に、お揃いの中身。

家を出て、学校に向かって歩く二人。
藍子「今日も晩御飯作っておくね、何がいい?」
そう聞かれ、そうだなあ、と考える元也。
しかし、思い出す。確か、昨日サキ先輩と、今日もお邪魔しに行くと約束していた。
元也「いや…今日はいいや」
藍子「え?…どうしたの?」
なにか、嫌な予感。
元也「それは、その、美術部の先輩と食べる約束しちゃってるんだ」
藍子「そっか、それじゃ、仕方ないや」
残念だが、部活の付き合いではしょうがない。
けど、安心した。
一瞬、誰か、私以外の女の子との約束が有るのではないかと思ってしまった。
そうじゃなくて、良かった。
そんな事、あるはず、ないのに。
そうだよね、もとくん。

9

元也「じゃあな、藍子、また明日」
授業も全て終わり、放課後。
いつもは部活が終わるまで待っていてくれる藍子を今日は先に帰らせる。
サキと一緒に帰る約束だからだ。
藍子「あ、待って!もとくん」
慌ててた様子で藍子が呼び止める。
藍子「ねえ、明日は?明日は予定、無いでしょう?
    明日は私の御飯、食べてくれるよね?」
振り返って藍子の方を見る。その表情に、すがりついて来るようなものを、一瞬、感じた。

元也「予定は無いから…じゃあ、お願いするよ」
その返事に、顔を輝かせる藍子。
藍子「うん、分かった。絶対だよ!
    そうだ!指切りしましょう、指きり」
なんだい、それは…と思っても、藍子の勢いに負けて小指を差し出す元也。
藍子「じゃあ、嘘ついたらハリセンボンだからね、指切った」
元也「はい、指切った」
指切った…と言っても藍子はその絡めた小指を放さない。
放せば、そのまま元也が何処かに行ってしまう気がした。

元也「こら、放しなさい」
そう言われて、しぶしぶ指を離す。
元也「それじゃ、バイバイ」
そう言うと、元也は去っていき、美術室に向かっていった。
寂しさが胸に残る。

そして美術室。
粘土をこねくり回している元也。表情は真剣そのものだ。そこに、後ろから忍び寄る影一つ。
「今日は、来るのが遅かったんじゃないの?」
元也に後ろから目隠しをして、声をかける影の主。その声に不機嫌さが混じっている。
元也「だ、誰だっ!貴様!」
その答えにムッとしたのか、押さえてる元也の目をググッと圧迫してきた。
元也「痛い!痛いってばサキさん」
サキ「ハイ、せいかーい。
    よくできましたー」
そう言うと、ご褒美とばかりに、後ろからギュウ、っと抱きしめてきた。サキの胸が当たる。
サキ「ところで元也君、今夜は何が食べたい?リクエストある?」
後ろから抱きついたまま、話しかけるサキ。
元也「特には!あ、ありま、せん」
サキの腕から逃れようと、もがく元也。逃がすまいと更に強く力をこめるサキ。

サキ「今日は中華にしたけど、どう?おいしい?」
元也「はい、とっても」
サキの家で、ガツガツと料理をたいらげる元也。
それを見て、微笑むサキ。
そして感じる。元也に対する強い感情を。

この子を手に入れたい。
昨日までは、自分の、この想いの強さが分かっていなかった。隣に、いつも女の子がいるなら、
諦めた方がいいかも、諦めもつくかな、と思っていた。
けど、こうして近くにいると、何であんな風に考えれていたのか分からない。
諦めれるはずが無かった。

いつからそうなったのか、分からない。
けど、昨日、はっきりと自覚した。この子を手に入れたい、と。
この子の隣に、女の子がいるというなら、いいだろう。しょうがない。
けど、これから先は許せなくなるであろう自分がいることを知っていた。

これまで、男の子をこんなに好きになったことは無かった。
そして気が付いた。自分は結構さばさばした性格だと思っていた。
けど、違った。
こんなに、元也に執着心がわくとは思いもよらなかった。

実を言えば、今日、授業が終わるとすぐに元也の教室まで彼を迎えにいったのだ。
すると、そこで見たのは彼と幼馴染の女の子の指きりシーンだった。
気に食わなかった。女の子を張り倒してやろうかと思った。髪の毛を引っ張って、
引きずりまわして、ええと、それから、どうしよう、
とにかく、気に入らなかった。そして、そこまで不快になる自分に驚いた。
自分がこんなに嫉妬深い事を、初めて知った。

元也「どうか、しました?」
サキが黙り込んでしまったので、元也が不思議がる。
ああ、なんでもないのよ、と答え、自分が今考えてたことを元也に言うとどんな反応を
示すのか、想像すると、クスクスと笑ってしまった。
驚いて、私から離れて行くかもね。冷静にそう思う自分がいた。

10

藍子「ねえ、明日は?明日は予定、無いでしょう?
    明日は私の御飯、食べてくれるよね?」
元也「予定は無いから…じゃあ、お願いするよ」
藍子「うん、分かった。絶対だよ!
    そうだ!指切りしましょう、指きり」
藍子がそう言うと、元也は少しあきれながらも、素直に小指を出してくれた。
小指を絡める。
その時、ふと、思った。
自分と元也は、この小指一本位で繋がっている程度なのではないだろうか、と。
そう思うと、足元が崩れていく様な、深い深い暗闇に飲み込まれていくような、そんな感覚に
襲われた。

その嫌な感情は、サキと会ってる事で元也の態度が微妙にかわった事を感じ取った
違和感が原因で湧き上がったものだ。しかし、藍子がそれを知る筈もなかった。

今朝の会話。
藍子「今日も晩御飯作っておくね、何がいい?」
元也「いや…今日はいいや」
藍子「え?…どうしたの?」
元也「それは、その、美術部の先輩と食べる約束しちゃってるんだ」
藍子「そっか、それじゃ、仕方ないや」

その時は、何とも思わなかった。残念だな、その程度だった。
しかし、時間が経過するごとに、何か違和感を感じ始めた。
元也が行ってしまうことが怖くなった。

不思議だった。今朝、元也を起こしに行くころは、とても幸せだった。抱っこの感触を
思い出すだけで、体が熱くなった。
それなのに、今、自分を支配しているのは、黒くて重い、寂寥感だった。

もとくんと一食、一緒に食べれないだけじゃないの、それに、明日は一緒に食べるって
約束したじゃない。
そうよ、明日は何作ろうか、もとくんの好きなシーフードカレーにしましょう、海老を
たっぷり入れて、隠し味にコーヒーとソースとミルクを入れて、
チーズを入れたサラダも出して、そうだ、ラッキョも忘れちゃだめよね。ラッキョが
無いと、もとくんコンビニまで買いにいっちゃうんだから。

明日の事を思い浮かべ、心を弾ませようとしても、上手くいかない。
なんで、こんなに心が沈んでしまったのか、分からない。

そうこうするうちに、自分の家に前にたどり着く。
門を開けようと手をかけたとこで、立ち止まる。そして、家の前を通り過ぎる。
それからほんの三分ほど更に歩いてから立ち止まったのは、元也の家の前だった。

 

今日は用事が無いのだから、立ち入る必要はない。
いや、用事が無いなら入ってはいけないだろう。いくら合鍵を渡されているとは言え、ここは
人の家なんだから。
そう思い、一度差し込んだ合鍵を抜いた。
しかし、この沈んだ心をどうにかするのは、自分の家よりも、この元也の家のような気がした。

元也の家に入る。だが、ここで自分が何をしたがっていたのか分からなくなり、途方に暮れる。
何か、することは?
辺りを見まわす。
もとくんのためにしてあげれることは?
ここに、わたしが、居ても、いい、理由に、なる、ものは?
なにか、なにか、なんでもいい、なんでもいいの!!ここに、ここにいてもいい理由!!!
半ばパニックになりつつ、そして泣きそうになりながら、藍子は元也の部屋へと駆け込む。

目に付いたのは、元也のベット。
それと彼が着ていた寝巻き。トレーナーとジャージ。
それを見つけると、泣きながら、セーラー服を脱いだ。
そして、涙をすすりながら、元也の寝巻きを着込んだ。
ベットに横になる。
そして、昨日と同じ様に、昨日より乱暴に自分で触り始める。

何度か、果てた。
元也の寝巻きも、自分の汗でぐっしょりとしている。
しかし、昨日のような陶酔感はまるで無かった。
むしろ、すればするほど、元也の不在感が強くなる。
それでも彼女は、この方法以外、この寂しさを埋める手段が思いつかなかった。
元也の名を、泣きながら囁き続け、彼女は、自分を触り続けた。

どうしようも無かった。
汗をつけてしまった元也の寝巻きを持ち帰る。
どうしようも無い寂しさを胸に抱き、泣きながら、彼女は家に帰っていった。
明日には、この気持ちが治っていますように。
そう祈りながら、彼女は今夜、眠りにつく。

To be continued... 

 

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