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River of Tears



1

 いつもの学校のいつもの退屈な授業の風景。
  クラスの真ん中辺りで自分の一つ前のポツンの空いた席。一週間近くその席に座る女の子を見ていない。
  その子のことがクラス、いや学校内でちょっとした噂となっていた。
  ――レイプされたんだって。
  噂好きの子達も決して大声で語ったりしないものの小声でしっかりと囁きあっていた。
  彼女の家は自分の家からそう遠くない。幼馴染という奴だ。待ち合わせをするような仲でこそないものの、
  学校へはよく一緒に行ってた。先週彼女が休んだ時は風邪ぐらいに思っていたが、その日家に帰ってから母さんが
  「彼女乱暴されたんだって」と言った。
  彼女とは別に一緒に何処かに行くとか特別親しい関係ではない。子供の頃は一緒に遊んだが今では部活動も
  違うことがあり、それほど一緒に遊んではいない。ただ学校に来るときは殆ど同じだったしクラスが
  同じ事もあってよく話はしていた。

「ユウ、今日お見舞い行くんだけど一緒に行かない?」
  つまらない授業が終わり、机の上の片付けを行い、いつものようにSF研へ行って適当にだべったり、
ゲームしたりしようと思った矢先に広子から声をかけられた。
  広子も幼馴染である。そして可奈とはよく遊んでいた。
「オレ行っていいのか?」
「はぁ?何言ってんの?」
「いや、男性恐怖症って聞いたから」
  少なくとも母さんはそんな事を言っていた。そしてオレにはしばらく落ち着くまで会いに行かない方がいい言っていた。
「大丈夫だって、昔から一緒に遊んだ仲だし、あんた体は大きくても男って感じしないし」
  前半はともかく後半は何かトゲを感じる言い方だ。
  その言葉にムスっとした顔をした自分の手を半ば強引引っ張られて、広子と一緒に教室を出た。

「今調子どうなの?」
「先週より少しマシになったかな、でもまだ部屋から出れないって……」
  広子と一緒に歩いているがそれで会話が止まってしまった。
  そういえば可奈と会って何を話せばいいんだ。『気にするな』『犬に咬まれたとでも思って』。いくつか言葉が浮かんだが、
そういう言葉って軽がるしくかけていいものじゃないよな。
  そんな事を考えていると胃が重くなってきた。
  ――可奈の方が辛いはずなのになんでオレの方が胃を重くしてどうするんだ。
  意味がないかもしれないが自分にそう言い聞かせることにした。
「ユウちゃん見つけた」
  そういって誰かがオレの背中に抱きついてきた。
  ――背中に感じる誰かの肉付きのいい体。
  いや、誰かではない、少なくとも学内でこんな風に抱きついてくるような人間は一人しか知らない。
「赤井先輩いい加減にそれ止めてくださいよ」
  そう言いながら先輩の体を剥がす。最初の頃こそ赤面していたが毎日のようにやられてはいい加減なれる。
このやりとりは挨拶の延長程度に日常の一部となっていた。
「じゃあ、お姉ちゃんと部室行こう」
  先輩はいつものように人の良さそうな顔をニコニコさせていた。
「私たちこれから用事があるんですけど」
  既に袖を引っ張っていた先輩を広子が止めた。
「ユウちゃん、この子彼女?ひょっとしてこれからデート?」
  いつもの屈託ない笑顔で無邪気に尋ねてくる。
「違いますよ、友達のお見舞いです」
「えー、せっかくユウちゃんに彼女出来たかと思って喜んでいたのに」
  人の手を掴んでぶんぶん振り回しながらそんなことを言う。
「じゃあ、またね」そう言って先輩は部室の方へ行った。
  いつもの事ながら小さな台風のようだ。
「オレ達もいこう」
  そう言って広子の方を向くと顔を真っ赤にして俯いていた。
「相変わらずその手の話に免疫ねえな」
  真っ赤になった顔を覗き込みながら声をかける。こいつは小学校の頃がずっと好きとかそういう話があると
何時も顔を真っ赤にしていた。
「あんたなんかと違って私は純真なの。そういうのは冗談でも恥ずかしいんだから」
  顔を真っ赤にしながら言う。
「はいはい、そうだな」
  軽く笑いながら歩いていった。

 電車で揺られている間、通り雨が街の汚れを気持ち程度落とそうとしていた。そんな雨を見ながらこの雨も
可奈の心を洗い落としてくれるのだろうかと思っていた。
「先輩と仲いいんだね」
「悪ふざけが過ぎるけどな」
「ところで、なんで『お姉ちゃん』なの?ユウのお姉さんってもっと年上だったよね」
  先輩はもちろん実の姉でもない、従姉でもない。近所のお姉さんでもない。姉が結婚して出来た義姉とか、
親の再婚相手の連れ子とか、歳の近い叔母とか姪とか、間違っても生き別れの姉とかいうものでもない。
「SF研の新歓の時に寝ぼけて先輩に姉ちゃんって言ったら、そのまま周りから公認になった……」
「何よそれ」
  笑うだろうなと思っていたがやっぱり広子は電車の中だというのに大声で笑った。

「ユウちゃんまで悪いわね」
  久しぶりに会ったおばさんはそう言ってオレ達を迎えてくれた。
「可奈ちゃん、広子ちゃんとユウちゃんが来てくれたわよ」
  そういっておばさんは可奈の部屋のドアを開いた。
  可奈の部屋の中はまだ日が高いというのにカーテンは締め切られ暗かった。
  その部屋の主は薄暗い部屋でベッドの隅でうずくまっていた。
「可奈、元気?」広子は部屋の中の可奈の前でそう声をかける。
  元気な訳がない。どう見ても活力のある顔をしていない。
  何て言ったらいいのかと思いつつオレも部屋へと足を踏み入れていた。
「ほら、今日もユウを来てくれたんだよ」
「よお」何言ったらいいか分らず適当に挨拶で濁した。
  可奈と視線があった。その体を震わせあとずさる。
  ああ、そうか――
  彼女の目の奥には恐怖の色があった。
「大丈夫だって、可奈。ユウだって」広子は可奈を抱きしめながら言い聞かせていた。
  こういう時ってどういう顔したらいいんだろうな。
  わからなかったから、その場では背を向けるしかなかった。
「悪い、オレ今日はもう帰る」
  ――今オレはここにいるべきではないのかもしれない。
「ごめんね、ユウちゃん。あの子ずっとあんな感じだから……」
  おばさんは済まなそうな顔をして謝っていた。
  母さんの言ってることは正しかったか。
「別にいいですよ」
  そう言って可奈の家を出た。
  何か出来るとかは思ってはいなかったが、やっぱり何も出来なった。それどころか傷つけたのかもしれない。
訳もなく空を見上げれば虹が出ていた。
  携帯がなる。広子からだ。
「よお、どうかした?」
「ごめんなさい……」
  電話越しの声は広子の声ではなかった。
「可奈?」
「ごめんなさい、ユウ君のこと嫌いになった訳じゃないから……」
  その声は電話越しとはいえ泣いているのがわかった。
「ごめんなさい。今日せっかく来てくれたのに……」
  女の子に泣きながら謝られてると、なんかオレが一方的に悪い気がしてきた。
「気にしてないからもう泣くなって」
「ごめんなさい……」
  ――また謝られた。
  多分このままのペースだと電話が切れるまで謝られ続けそうな気がしてきた。
「電話越しなら大丈夫?」
「……うん」
「窓――開けられる?今虹出ているんだけど見る?」
  そう言ってからしばらくして二階の可奈の部屋の窓が開いた。
「虹なんて久しぶりに見たね……」
  窓からは遠くの虹を見つめている可奈と広子がいた。
  こちらに気づいたらしく二階の窓から可奈は遠慮がちに手を振ってきたのこちらも手を振った。
「……今日は本当にありがとう」
「だから気にすんなって」
「……明日も来てくれるかな?」
「いいけど」
「……ありがとう」
  ――また声が少し泣いていた。
「じゃあ、また明日な」
  そういって電話を切った。それでも可奈は窓から手を振っていた。しばらく自分も手を振っていたが、
流石にどこで打ち切ったらいいのかわからず、見えなくなるまで腕を振らされた。

 家に帰りほどよくくつろぎ始めた頃再び携帯がなった。着信は広子からだ。
「可奈か?」
「私だけど」声の主は広子だった。
「なんだお前か」
「なんだは何よ!?なんだは」
「お前だから『なんだ』なんだよ」
  電話越しで二人して笑った。
「まあ、それはそうと今日はありがとうね」
「別にオレ何もしてないじゃん」
「昨日までだとカーテン開けただけでもビクビクしてたんだよ。立派な進歩だよ」
「――そうなんだ」
「明日はちゃんと話すんだって言ってたから、また行こうね」
「また明日な」

 昨日と同じように広子と一緒に可奈の家へと向かっていた。
「なあ、お前確か陸上部だろ?」
「そうだけど」
「陸上部って二日続けて休みなのか?」
  SF研なんて基本的に適当に遊んでいるから出ようが出まいが別にどうこう言われない。
しかし陸上部ってそうそう休みってなかった気がする。
「ここんとこ朝練だけ出て放課後はサボり中。親友の方が大事だからね」
「友達思いなんだな」
「なんか照れる言い方だよ、それ」
  そういって広子は顔を赤くしていた。

「今日はカーテン開いてるね」
  広子に言われて気づいた。確かに開いている。多分今日は調子がいいんだろう。
  インターフォンを押した時出迎えたのは可奈だった。
  調子がいいとは想像していたが、出迎えに来るまでは思っていなかった。
「今日は元気なんだな」
  昨日の怯えていた雰囲気とは違って、少しだけやつれているものの、いつもの――自分の知っている可奈がいた。

 近所のファミレス。
  目の前によく知っている少女二人。そしてその二人の前にチョコパフェ。
「ありがとうね」そういって可奈は屈託ない顔で笑いながら食べていた。
  ついさっき彼女の家で元気になったら何か奢ってやると言った。まあ軽い励まし程度の気持ちだったが、
彼女の口からは「じゃあ今すぐ」という言葉が出た。そして今に至る。
「悪いわね、奢ってもらって」
「広子、オレはお前にもおごってやるなんて一言も言った覚えないんだけど」
「こういう時、男が奢るのは常識でしょ」
「断固として拒否する」
  クソッ!今すぐ全力ダッシュでこの店から逃亡しちまおうか。
「ユウ君も頼めいいのに」そんなやり取りを見ながら可奈はクスクス笑った。
  オレの目の前には水しかない。
「そういう甘ったるいの駄目だからね」
  チョコパフェなんか見ているだけで胃の中がムカムカしてくる。
  結局オレはチョコパフェ二つ分キッチリ払わされた。

「じゃあ、明日学校でね」
  ファミレスから家まで可奈を送った際に彼女は確かにそう言った。
「あ――うん」
  可奈が家の中へ消えた後、その言葉に意味にしばらく広子と顔を見合わせていた。

 

「ユウ電話よ」
  風呂上りに母さんからそう言われた。電話って誰からだろう。友達は大抵携帯の方に電話をかけてくる。
「もしもし、ユウですけど」
  電話の相手は可奈のおばさんだった。
「あの子、明日から学校行くっているんだけど――」
「それは今日聞きましたけど」
「まだ一人じゃちょっと心配でね、あの子の送り迎えとか頼めるかしら」
「別にいいですけど」
  別に今までもよく一緒に行ってたから別に大して変わらないだろう。
  ――そう思っていた。

 

 朝、少々遠回りにはなるが可奈の家へ行くこととなった。
  別に何が変わる訳ではないと思っていた。少なくとも電車に乗るまでは――。
「大丈夫か?」
「大丈夫だから……大丈夫だから……」
  とても大丈夫には見えない。酷く落ち着かない様子で体を震わせ、瞳に涙を蓄えていた。
  まだ朝のラッシュ時の人ごみの中では相当緊張するのだろうか。
「女性専用車両行ったらどうだ? それとも今から帰るか? 今日はここまでこれたんだから、また明日にでも――」
  そう言ってたら可奈に抱きつかれた。
「おい――」
「しばらく、こうしてれば落ち着くから……落ち着くから……」
  そう自分に言い聞かせるように呟いていた。
  いつも先輩にしているように引き剥がそうと思ったが、その言葉を聞いては手を止めるしかなかった。
  頼られているのかな――オレ。

「ごめん――」
  結局彼女のいった『しばらく』は結局学校前の駅まで続いた。
「気にするなって」
  抱きつかれるのは誰かさんのお陰でなれている。
「あと――手繋いでくれるかな……」
  彼女は恥ずかしそうに下を俯いていた。
  もう勝手にしろ――そう心の中で呟いてから手を差し出した。
  そうして結局教室まで手を繋いで行くはめになった。
  そういえば手を繋ぐなんて小学生の頃以来だな。そんな事を思っていた。

 いつものように売店でパンを買ってSF研の部室へ遊びに来たところ、いつものようにアニソンが流れて、
いつものように清水と佐藤先輩がカードゲームをやっていた。
  可奈はまだ学校に落ち着けてない感じだったが、まあ広子もいるし問題ないだろう。
「ようフタマタ」
  いきなりそんなことを佐藤先輩に言われた。
「なんですかフタマタって?」
「何白々しく言ってるんだ。お前今朝電車で別の女の子と抱き合ってただろ」
  フタマタ――ああ、二股のことか。って何でだ。
「今朝いた子は別に付き合っている訳じゃないって。それに何で二股なんだよ。オレ誰とも付き合っていないって」
「ウソこけ、お前赤井とつきあってるだろ。同好会内でその知らない奴いないぞ」
「違いますって。赤井先輩とはそういう関係じゃないですよ」
  いつの間にそんな風になってなっていたんだろうか。別にそういう関係はない。
  それに身に覚えは――そういや何かに付けてベタついてくる。勘違いされても仕方ない気がした。

「修羅場が来るかな」今まで黙っていた清水がボソッと吐いた。
「ユウちゃん彼女出来たんだって」
  なんというか、凄くいいタイミング渦中の人が入ってきた。
「赤井、お前もいい加減付き合ってるって認めろよ」
「わたしお姉ちゃんだもん。弟の恋愛はちゃんと見持ってあげるよ」
  そういっていつもの笑顔でオレの頭を乱暴気味に撫で回した。
  清水の方はなにやらつまらなそうな表情をしていた。
「佐藤先輩、そういう訳です」自分でも、もうどうでもいいって感じの声だ。
「ところでユウちゃんの彼女ってこないだの子?」
  こないだの子、多分広子のことか。
「違いますよ。それに先輩達の言って子だって彼女じゃないですよ」
  多分今頭の上にある手を払ってもすぐまた頭の上に来る気がしたのでそのまま放っておくことにした。
「好きなら好きってちゃんといいなさいよ。ちゃんと言わないと後悔するよー」
  頭の上の手の動きが強くなった。頭も揺れる。
「あれは、可奈のおばさんに頼まれているだけで……」
「もう親公認なんだ。変な言い訳はやめた方がいいよ」
  頭をゆらす赤井先輩の手のせいか、少し気分が悪くなってきった。
「……前ちょっと噂になったでしょ、一年三組の子……。その子……」
  あんまり言いたくないけど言った。言ってしまった。
  部室の内部が水を打ったように静まり返った。頭の上の手の動きもとまった。
「ごめん……でもユウ君優しいんだね」
  暫く止まっていた頭の上の手はまた動き始めた。やっぱりこの手は払った方がいいかもしれない。

 帰り道では一言の断りもなく、まるで当然のように勝手に手を繋がれていた。
「あのね、ユウ君、ちょっと寄りたいトコあるけどいいかな?」
  別に用事があるわけでなし、このまま真っ直ぐ家に帰ったところで暇をもてあますだけだったから断る理由はなかった。
「寄りたかった所って喫茶店か?」
  どこにでもある普通の喫茶店だ。普段は気にもとめないような場所の。
  向かい合うように座っている可奈はなんだか笑っている。
「こういうトコ、男のコと二人っきりで来たかったんだ」
  そういうのは恋人相手にでもしろよ、と心の中で呟きながら視線を窓の外へと向けカップを口にした。
  これ美味い――コーヒーなんて何処で飲んでも大して変わらないと思っていたのに。
「隣の席行っていい?」
「いや――別に構わないけどさ」
  断る理由はなかったが、隣の席に来る理由はもっとわからなかった。
  頬杖をつき視線は窓の外に向けながら答えた。
  別に外に何がある訳ではない。ただなんとなく外を見ている。
「ねえ――」
  何か言ってくるので渋々顔を向ける。
  直ぐそこに顔があった。内気そうな顔が。
  そして近づいてくる――不自然な距離までに。
  ――唇が触れたのがわかった。
「こうしてると恋人同士みたいだね」
  顔を離した後、隣の席の彼女は少し恥ずかしそうに笑っていた。

 

  泣きながら泥水で口をすすぐ
   「実はお前のこと……」
   「実は先輩が……」
   「実は広子が……」
   「穢れた女がベタベタするんじゃねえ!」
> 元気になったな……
   お前アッサリ変わりすぎ。本当ならもっとイベントあるものを……
   トリビア:嫉妬の女神ヘラは結婚の女神でもある

2

 別にそういう関係とかじゃないよな――オレ達。
  喫茶店を出てから半ば無意識で口元を隠していた。
  キス――だよな。唇の感触はあった。こいつって冗談でそんなことするような奴だったか。
  ――冗談か?
  違う。昔から知っている可奈は内気な方で、広子ほどじゃないにしても奥手な方で――
  可奈の方を向けば少し恥ずかしそうな笑みを浮かべる。一方の手は相変わらず勝手に繋がれていた。
  結局考えても結露には行き着きそうにないので思考を打ち切ることにした。
「じゃあ明日もお願いね」彼女はやはり少し恥ずかしそうに笑っている。
「――ああ」
  可奈の家の前でそういって別れた。

 

 今朝、迎えにいったが彼女は昨日の事を何一つ言わなかった。以前と同じように話しかけてくる。
ただ、手を繋いで歩いて、電車の中で抱きつかれていることを除けば。
  彼女も普通に接しているのだから、それに自分も合わせることにした――心に妙な引っかかりが残っていたが。

 昨日のキスはなんだったんだろう。昨日考えるを止めたはずの問題が再び頭を支配しようとしていた。
退屈な授業中ずっと可奈の背中を見ながら考えてみた。もちろん答えなど出なかった。
  授業に集中していようが寝ていようが時間は流れる。そうして時計と鐘は昼を告げていた。
「じゃ、オレ、パン買に言ってくるから」そういっていつもと同じように外にでようとしていた。
「ちょっと待って」
  既に歩き出そうとしていたところを可奈に呼び止められた。
「えーと、これ。昨日のお礼というか……お母さんから……」
  恥ずかしそうに目の前に一つ余分に弁当箱が出されていた。
「オレの?」
「――うん」
  食費が浮くので断ることもない、素直におばさんの好意は受け取ることにした。
  広子達と三人で机を並べる。そういえばこういう風に一緒に食べるなんて随分久しぶりのことが気がする。
  弁当箱を開ける塩の匂いがした。唐揚げを一つ口に放り込んでみる。
  ――塩辛い。超をつけていいぐらい塩辛い。
  自分は味にうるさい人間ではない。むしろいい加減な方な人間だと思っている、がこれは塩が多すぎる。
「なあ、オレを成人病にでもしたいのか?」
「それ弁当もらってて言う言葉?」一緒に机を並べていた広子が口を挟む。
「じゃあ、一口食ってから言え」
  広子の前へ塩弁当を差し出す。。
「――ごめん、フォロー無理」
  広子も一口で塩弁当に敗北し、お茶を買いに出て行った。
「でも、ユウ君、前に甘いの駄目だって……」
「味は普通でいいんだって。人間の食い物じゃないぞ。ためしにお前も食ってみろって」
  可奈の方へ塩弁当を差し出す。恐る恐る箸を伸ばし、口へと運んでいった
「……ごめん、私ちゃんと味見してなかった」
  そういいながら可奈の瞳には涙が溜まっていた。そして静かに泣き出していた。
  ――なんか気まずい。
  なぜかクラスメイト達の視線が痛い。
「なんで泣かせているんだ?」
  そんなヒソヒソ声が耳に入ってくる。
  ――今オレ悪者になっているのかもしれない。
  クソ!ヤケだ、
  諸悪の根源であるべき塩弁当を処分すべく一気に口に放り込む。口の中がヒリヒリする。
ご飯まで十二分に塩が利いている。口の中で漬物が作れそうな気がしてきた。
  空になった弁当箱を叩きつけるように置き、塩分濃度が限界にまで達した口の中をどうにかすべく
教室を飛び出そうとしたところに広子がいた。都合よく手にはお茶のペットボトルを持っている。
「一大事だからよこせ」
  それだけ言って広子の持っていたお茶をひったくって一気に口内に流し込む。
  少しだけ口の中が落ち着く。
「助かった」
  空になってしまったペットボトルを返そうとしたら広子は顔を紅潮させ俯いていた。
「ん?どうした?」
「間接キス――」
  確かに空けた時、抵抗はなかた気がする・
「まあ、気にするなって」そういって笑いながら軽く広子の肩を叩く。
「私は――するわよ」
  相変わらず彼女の顔は赤かった。

 

 口の中の塩漬け感は放課後になっても残ったままだった。
  広子のお茶以後、何度も口をゆすいだが抜けきることはなかった。
  昨日同様、可奈と一緒に帰路につこうと校門へ向かっていた。
「ユウちゃーん」後ろから抱きつかれた。
  先輩だ。いいかげんコレは止めて欲しいと何度も言っているが今に至る。
  無駄になれしまった手つきで先輩の体を引き剥がす。
「じゃあ、今から一緒に行こうか」いつもの人の良さそうな笑顔で部室へ誘っていた。
「いや、今からコイツ家に送っていかないといけないんで、今日は無理です」
  そう言って隣の可奈を指そうとしていたら――いない。あわてて周りを見渡したら自分の背中に隠れるようにいた。
「よろしくね」先輩は相変わらずにこやかな顔のまま可奈に挨拶した。
  一方可奈は恥ずかしいのか、小さな子供のように黙って俯いた。
「おい、可奈――。すみませんね先輩。コイツ昔から人見知りするトコあって――」しかたなく頭を下げる。
「いいって、いいって。――ところでその子が前言っていた子?」
「ええ、まあ」
「ふうん、一緒に遊べないの残念だけど、ちゃんと送っていくのよ」
「はーいっと」
  オレ達二人を見送る先輩のは本当に残念そうな顔だった。

 電車の中はさほど混んでもいないのに、やはり可奈に抱きつかれていた。
「ユウ君――」
「なんだ」
  抱きついたまま上目づかいで名前を呼んで来た。
「……ずっとこうしてくれるよね」
「まあな――おばさんにも頼まれているし」
  可奈は顔を俯けた後、その日は家につくまで何も言わなかった。

|> とりあえず現状維持
   「そろそろ一人で大丈夫じゃない?」
   「明日はチキンブロスがいいな……」

3

 目を覚ますと激しい雨音がしていた。カーテンを開ければ、もちろんそこに朝日はなく、
どんより黒く厚い雲に覆われた空があった。多分今日一日は全力で降り続ける――そんな気がした。
  いつものように朝食をとり、いつものように家を出る。
  傘を叩く雨の音がいつになくうるさく感じる。多分今日も手を繋いでとか言われるのだろうか。
いや相々傘にしてくれと言われるかもしれない。
  可奈の送り迎えは続いている。弁当も毎日もらっている。
  ――あの人を腎臓病にさせたいが為に作られた塩弁当は一日限定であったのが心底ありがたかったことだが。
  ここ数日の可奈の自分への接し方についてはいくつか思うことはあったが、
自分の中では単に頼れる友人ということで片付けている。無理やりにでもそう思い込むことにした。
  ――一体どうしたいんだよ、オレもあいつも。

 可奈の家の前にはいつも様に可奈は待っていなかった。代わりに広子がいた。
多分雨で朝練がなくなったから一緒に行こうと思ってたのだろう。
「おはようさん。可奈はまだ?」
「ああ、可奈ね、今日調子が悪いからって」
「ふーん、そう」
  昨日は割りと元気そうに見えていたのに風邪でもひいたのだろうか。
  足は駅へと向け始めていた。
「最近可奈とどう?」
「どうって、お前達学校でいつも一緒じゃん」
「なんていうかさぁ……最近ずっと一緒にいるじゃない?」広子は短い髪を弄る。
  そうは言っても広子がいない時に可奈と一緒なのは部活のある放課後ぐらいしかない。
「最近って言ったって昔から一緒に行ってたし、最近変わったのは弁当もらってるから
一緒に食ってるぐらいと、帰りに送っていくぐらい――」
  そう言ってから自然と手は口元を隠していた。そういや帰りに送っていった途中でキスされたんだよな……。
「――まあ結局大して変わってないって」
  それは半ば自分に言い聞かせるように言った。
「ふーん……」
  広子は何か言いたげそうな顔をしていたが結局何も続けて言おうとはしなかった。

|> To Be Continued
   「今度あいつと一緒に弁天様のお参りでも行こうかと……」
   「これ以上本当の気持ちを黙っていられないんだっ!」
   「実はこないだ……夜這いに来たんだ……」

4

 可奈がいないということもあってか久しぶりにSF研で放課後を過ごしていた。
  カタンの開拓が一回終った辺りで時計を見る。そろそろ時間か。
「オレそろそろ帰りますんで」
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒に帰ろうよ」
  赤井先輩とはいつものやりとりだ。でも随分久しぶりな気がした。

 帰ろうとしたら下駄箱で少々困っていた。
  傘がない。きっちり自分の名前まで書いていたのに間違われるはずがない。誰かに盗られたのかもしれない。
  おまけに外は雨が叩きつける轟音。冗談じゃない。
「ユウちゃん早く帰ろうよ」
「傘ないッス……」
「じゃあ、傘入れてあげよっか?」
「ああ、ありがとうございます」
  いつも笑みを絶やさない顔が女神の笑顔に見えてきた。
「でも頼み方ってあるよねー。例えば『優しいアイお姉ちゃんお願いします。傘に入れてください』とか」
「へ?」
  女神の笑顔が何か別のものに思えてきた。
「さあさあ、『優しくて綺麗なアイお姉ちゃんお願いします。傘に入れてください』」
「なんか形容詞が増えているんですけど……」
「『優しくて綺麗で大好きなアイお姉ちゃんお願いします。相合傘で一緒に帰ってください』」
  人のツッコミを無視したまま形容詞は増えて、なんか一部変更されていた。
  羞恥プレイか、これ?
  外は土砂降りの雨。傘も持たずに出ようなんて思わない天気だ。
「や、優しくて――」
  背に腹は変えられず人生初めての羞恥プレイに挑戦した。

 雨の中一緒に肩を並べて歩く。並べて歩くというか既に肩はくっついている。
  理屈で考えれば抱きつかれ慣れているので別に意識する必要はないのに何故か意識してしまう。
「ユウちゃん、もっと寄らなくちゃ濡れるよ。
  でも、こうしているとねえ――」いつも笑っている顔が意味ありげに見えた。
「なんスか?」
  ――こうしてると恋人同士みたいだね。
  先日可奈が言ってた言葉頭の中で再生される。少しだけ期待してみる。
「姉弟みたいだね」
  ――期待したオレが馬鹿でした。
  期待を裏切られてちょっとだけガックリしつつ信号待ちをしていた所、思いっきり目の前を車が横切った。
  避ける暇すらなく濡れ鼠と化していた。
「ついてないッスね、先輩」
  そう言って先輩の方を見ると同じく濡れ鼠になっていて、透けて見えていた――その下着とか……
  慌てて視線を前に戻す。
「私の家すぐそこだから、着替えれるよ」先輩はいつもと変わらない声だった。
  気づいていないのか、男として全くみてくれていないのか――多分両方の気がした。

 先輩の家は駅と学校の間にある。
  そういえば家の前まで来たのは何度もあったが家に上がるのは初めてだ。
「はい、タオル。
  ユウちゃん、着替えるよね。背格好同じぐらいだから、きっとヨウちゃんの服合うと思うよ」
  ヨウちゃんって弟さんかな。そういえば余りそういうのは聞いたことない。
「いや、いいです。今日体育の授業あったから一応着替えはあります」
「えー、絶対似合うと思うのに」心底残念そうな声を出す。
  人様の服を着るってのはどうも抵抗がある。自分の服を誰かが着るってのも抵抗がある。
「お茶ぐらいは飲んでいくでしょ?」

「ユウちゃん、紅茶よりコーヒーだよね」
「あ、はい」
  コーヒー豆のいい匂いが漂ってくる。
  そういえば今までインスタントと缶コーヒー以外ロクに飲んだことなかったんだよな。
  でも、この匂いは結構好きになれそうだ。
「冷蔵庫にシュークリームあるけど……ユウちゃん甘ったるいの駄目だよね?」
「ええ、まあ」
「わらび餅用意しておけば良かったかなー。ユウちゃん好きでしょ?」
「そうですけど……」
  確かにわらび餅は好きだけど、そんな事言ったことあったっけ?
  甘ったるいのが駄目だとかコーヒー派だとかは言ったかもしれないが、わらび餅のことまで言った記憶は全くない。
  というか今まで好物として人に喋った記憶すらない。
「ねえユウちゃん、私の弟になってよ」
  いつの間にか自分の背後にまわってい先輩に抱きしめられていた。
  後頭部に胸の感触がある。年頃の男の子なら気が気でないはずなのに不思議と落ち着いている。
  慣れって怖い。
「イヤっス」
  何度目かもう忘れかけた程繰り返したやり取りだ。
「んもう」少しだけ怒ったふりをする声がする。
  今は顔が見えないが、いつもならこんな声をしていても笑っている。
「しかたないな、ユウちゃんは」
  そう言った後、耳が少し生暖かくなって何か固いものがふれて――耳が甘噛みされてる。
「うわっ! 何するんですか?」
  そのことに気づいたら思わず引いた。
「スキンシップ。姉弟ならするでしょ?」
  先輩はいつもの笑顔だった。
「いや――しないでしょ、普通?」
「ユウちゃんのお姉さんとは仲良くないの?」
  少し考え込んでみる。
  姉とはあまり仲良くない。歳が離れすぎているので共通の話題が少なすぎる。
  こっちがようやく小学校に上がったと思ったら向こうはとっくに中学で、
  こっちが高校に上がったと思ったら既に働きに出ている。
  しかし、抱きつきまでならともかく、耳の甘噛みとかはしないだろ、普通。
「ほら、私がお姉ちゃんになってあげるから、お姉ちゃんって呼んでよ」
「イヤっス」
  条件反射で答えていた。

「はい、傘」
  先輩は家を出ようとするオレに傘を渡してくれた。
  これを忘れたらきっとまた戻らなきゃいけないという恥ずかしい目に会うのに忘れかけていた。
「じゃあ、また明日学校で」
  外に出て傘を開いてみると柄の部分にマジックで赤井洋平と名が書かれていた。
  ヨウちゃんって言ってたから弟さんのかな、多分。
  しかしちゃんと借りてきたものとは言え、
  人の名前が入っている傘を使うというのは何故か盗んできたもののようで少々使いづらかった。

 雨の中、歩き出して気づいた――甘噛みされた耳がかゆい

        *        *        *

「ユウちゃんってやっぱりヨウちゃんと似てるね。
  ねえヨウちゃん、ひょっとしてお姉ちゃんにヤキモチ妬いてる?
  駄目だよユウちゃんが弟になってくれたらヨウちゃんとは兄弟だもん。
  兄弟喧嘩はお姉ちゃんが許さないからね」

        *        *        *

5

 ぼんやりと教室から外を眺めながら、つい昨日先輩に甘噛みされた耳をかいている。
  悪ふざけ――だよな。いつもお姉ちゃんだって言って抱きついてくるし――
  いや、待て。赤井先輩ってオレ以外に誰か抱きついている人っていたっけ?
  ――いない。少なくともオレの知る限り一人もいない。
  だから佐藤先輩はオレ達が付き合っていると思ってた。
  先輩、オレの事好きなのかな――自然とそんな考えに行き着く。
  弟というのは、遠まわしにそういう関係になってくれと言っているのかな。
  オレは――どうなんだろう。少なくとも嫌いじゃない。
「――ユウ君、じゃあ明日ね」可奈がなんか言っている。
「んー……」
  無駄に唸ってみる。
  恋愛対象として意識し始めたせいか、先輩に初めて抱きつかれた時の記憶が頭によぎっていた。
  あの時は照れと恥ずかしさで一杯だった。しかし連日のようにやられて、いい加減なれてたはずだ。
  でも今日抱きつかれた時は初めての時の感覚だった。
  オレは好き――かもしれない。
「聞いている?」
  気がつくと広子の少し怒った顔が目の前にあった。
「え、なにが」
  全く聞いていない。
「可奈と一緒に服とか買いに行くから付き合ってってさっきから言ってるんだけど」
「オレ別に服なんていらねえし――」
  正直服は事足りてる。人からは地味だとかダサイとか言われているが十分だ。
「あんたのじゃなくて、あたし達の!」
「……だから何で?」
「荷物持ち兼虫除け」
  広子がさらりと言う。虫除けって事は男避けか。
「あー、お前なら大丈夫。お前がズボン穿いとけば問題ないだろ」
  それを聞いて可奈は苦笑を漏らしている。
  広子は女の子にしては背が高い方なのに、それに反比例する胸。短い髪に、男っぽい感じもする顔。
  自分の記憶では中学時代で少なくとも二回は男に間違われた記憶がある。
「なにか言い残すことあるなら聞くけど」
  あれ、オレの首に何故広子の両手があるんでしょうか。
  心なしか、その手に力が感じられるのは何故でしょうか。
「可奈、待ち合わせ場所どこだ?」
  目の前の顔を見ないように可奈に尋ねていた。

 

「おい、ユウ。ちょっといいか」
  いつも通り授業は終わり、可奈と帰ろうとした時、クラスメイトの村上に呼び止められていた。
「ん、なんだ」
  村上は可奈の方をちょっと見た後、二人きりで話したいといってきた。
「どうせすぐ終るって」
  心配そうな可奈にそう声をかけてやった。

 男子トイレの中。アンモニア臭に混じってニコチンの匂いがしていた。
「愛の告白なら手短にな」
「いや、違う――いや半分そうか」村上は少し照れていた。
  冗談のつもりで言ったのに。
  体が勝手に二歩ほど引いていた。今まで知らなかったけど、そんな趣味があったのか。
  これでも一年ちょっと前まで空手をやってた身だ。手がかってに上がり構えていた。
「オレ、同性愛の趣味ないからな」
  構えながらも、きっちり自分の意思表示を出した。
「いや、そうじゃなくて……香川のことなんだけど」村上はボソボソと喋っていた。
「ん? 広子がどうかしたのか」
「……お前と仲いいよな」
「まあ、一応――ああ、そうか」
  こいつ、あいつの事の好きなのか。勝手に納得して一人で大きく頭縦に振った。
「付き合っている人とか好きな人いるとか、そういうの知らないかな」
  物心つく前から一緒に遊んだ仲だが、今はよく知らないところがある。
  陸上部の友達とかになると殆どわかんないし。
  ――まあ、下ネタどころか恋愛絡みの話でする赤面する性格だから
  付き合っている奴なんていないと思うが。
「――ん、その辺よく知らないから今度聞いとく」
  あんな奴でも好きなってくれる人がいるんだな。そう思うと自然に顔に笑みがこぼれていた。
  オレは先輩が好きなのかな――自然と耳をかいていた。

「ユウ君早く帰ろう」
  トイレの直ぐ前で心配そうな顔して可奈は待っていた。
「悪い、もう一つ用事あったの思い出した。こっちは直ぐ終るから」
  先輩から昨日借りた傘、わざわざ学校まで持ってきていたのに放課後になるまで返すの忘れていた。

「赤井先輩います?」
  アニソンをBGMに流れているSF研の部室を覗いてみるが先輩の姿が見当たらない。
「今日はドラマ再放送のビデオ録画忘れたからってさっさと帰ったぞ」
「そうッスか」
  家まで傘持っていかなきゃ駄目か。まあいいか、そんなに距離あるわけじゃないし。
「悪い、可奈。帰りに寄るとこが出来た」

 先輩の家には傘返しにきただけなのに、何故か家に上げられて、
  コーヒー出されて一緒にドラマの再放送を見た。
  ついでにドラマが終った後も先輩とペチャクチャと喋っている。
  オレやっぱり先輩好きなのにかな――いつもと同じように喋っているはずなのに
  やっぱり昨日のことがあるせいか意識してしまう。
  お互い気が会う方だとは思う。
  ――先輩はどう思っているのかな。

 トイレに行った際、ある匂いで掛けられているものに気がついた――ドライフラワーだ。
「――ほら、女の子はもっと笑った顔して」
  居間に戻ってくると先輩が可奈に何やら言っている。
  そういやオレと先輩ばかり喋っていて可奈が蚊帳の外だった。
  そういえば、この前来た時にはあまり意識していなかったが、
  部屋のあちらこちらにドライフラワーが飾られている。
「ドライフラワー好きでしょ?」
「いえ、別に――」
  ドライフラワーに目が言っていたのに気がついたのか、先輩が楽しげに問いかけてきていた。
「ヨウちゃんは結構好きだったんだけどなあ……」心底残念そうな声だ。
  正直花はともかくドライフラワーってのは好きにはなれない。
  瑞々しさが全くない。実を結ぶこともなければ散ることも許されず、
  ただゆっくりと朽ちていくだけの存在。

「ねえ早く帰ろうよ」耳元でオレに聞こえるだけの声で可奈がそっと囁く。
  さっき先輩と話している可奈は正直楽しそうな顔ではなかった。先輩が苦手なのかな、こいつ。
「あ、先輩。オレ達そろそろ帰るんで」
  あんまり無理矢理付き合わせるのも悪い気がしてきたので、そろそろ切り上げることにした。
「じゃあ、ユウちゃん、また遊びに来てね」
  いつもの笑顔だ。この顔は好き――かもしれない。
「んじゃ、また遊びに来ます」

「なあ、お前、ひょっとして先輩苦手?」
  帰り道に先ほどの考えを可奈にぶつけてみる。
  可奈はその問いに小さく頷いた。
  先輩って嫌われるタイプとは思わない。
  でも可奈みたいに内気な人間にとっては馴れ馴れし過ぎるのが苦手なのかもしれない。
  なんか、こいつに悪いことした気になっていた。
  ――でも、また先輩の家に遊びに行きたいな。

6

 ――やっぱり買い物なんて付き合うんじゃなかった。
  独りぼんやりと缶コーヒー片手に雲ひとつない空を眺めながら、改めて思った。
  なんで女の買い物って奴はこんなに時間がかかるんだろう。
  文句を言おうにも男一人に女二人、分が悪すぎる。
  今二人は女性下着専門店の中にいる。自分には女連れとはいえ、
  そんな店に乗り込むような度胸はない。だから独り店先で待っている。
  このまま、こっそり帰ってしまおうか――そんな考えが頭をよぎる。
  ホント綺麗な空だ。

「ユウちゃーん!」
  空を眺めているといきなり抱きつかれた。うん、先輩だ。
「へー、これがアイの弟クン?」先輩の連れの人が言った。
  ――いえ、ただの先輩後輩です。
  いや、ただの先輩後輩なのかな――中途半端に親しすぎる関係が却って
  そういう関係なのかどうか頭を狂わせる。
  いっその事、この場で思いをぶちまけてもいいかもしれない。
「んー、ここで荷物持って立っているってことは――うんうん、頑張ってね」
  先輩は何かに物凄く納得した顔で満面の笑みを浮かべ、大きく頷いていた。
  オレの背後には女性下着専門店。
  えーと、ようするにガールフレンド待ちの男の子って事ですか、オレ?
「いや、あの違うんですけど……」
「お姉ちゃんは邪魔しないからね、じゃあもう行くね」
  人の肩を思いっきり叩かれた後、言い訳も聞かず先輩は駆け足で去っていった。
  誤解、されたかな――
  頑張ってね、って事はオレに恋愛感情もっていないのかな――

「ユウ君、おもたせー」
  後ろから可奈の声がする。
「よーし次はユウの服買いに行こう。あたしが選んであげるから」続いて広子の声。
「ヤダ」服は間に合っている。
  ややオレのハートはブルー気味――

        *        *        *

 最近ユウは丸くなった。
  こう言うとまるで昔荒れていたけど今は随分おとなしくなったって感じがするがそうではない。
  精神的な意味ではなく物理的な意味合い――オブラートに包まず言えば太ってきている。
  この間修学旅行の写真を確認したのではっきり言える。こいつが空手を止めたのもこの頃からだ。
  そしてユウの服の趣味は地味を通り過ぎてアレすぎる。あたしはこいつが、
  この数年単色無地の飾り気も何もない服以外着ていたことを見たことがない。
  そんなに顔も悪くないし、これ以上太らなければ髪型とか服とかも気遣えば結構光ると思うのに――

「なあ、お前って付き合っている人とか好きな人とかいるのか?」
  帰り道に何気ない感じでユウがあたしに聞いてきた。
「……いない」擦れる声が出ていた。
  付き合っている人はいないけど、好きな人はいる。直ぐ手の届く距離に――
「……ユウは好きな人とかいる?」
  聞き返してから、自分の耳が熱くなっているのがわかった。
  ――これって遠まわしに告白しているのかな。
「んー、いるけど……。なんか中途半端に距離が近すぎるって言うか……。
  オレの事本気で兄弟ぐらいにしか思っていないって言うか……
  おまけに前に付き合ってるだろ言われて否定しちゃったから、
  今更付き合ってくれとか言いづらいというか……」
  上目づかいで見てみるとユウは耳をかきながら、少し困った顔をしていた。
  距離が近すぎる、兄弟みたい、物心ついた頃から一緒に幼馴染だから当然だ。
  確か前に先輩に『デートか?』って聞かれて違うって言ってた。
  ――完全にあたしのことじゃん……
  心臓の鼓動の間隔がどうしようもなく短い。今凄いタイミング。何を言ったらいいのか分らない。
  口はわずかに動くが、言葉はでない。いや今向こうから言おうとしているから待っていればいいのかも。
「――相手もユウ君と同じ気持ちだよ、きっと」
  ありがとう、可奈。フォローしてくれて、やっぱり親友なんだね。
「……だといいんだけどな」
  ――そうだよ。

        *        *        *

 ユウ君、小学校の頃言った事気にしてたんだ――いつも一緒だったから、
  皆から恋人同士だろって言われた時違うって言ったこと。
  私そんな事とっくに気にしていないのに。
  最近ずっと一緒にいるから、とっくにそういう関係だと思ってたけど、
  よく考えたらまだちゃんと言ってなかったね。
  うん、私待っているから。

        *        *        *

 さっきから広子は顔を真っ赤にしたまま俯いている。好きな人いるかって聞いただけでこれだ。
  こいつ告白された日にはどうなるんだ?
  一方可奈は幸せを隠し切れないって顔でニカニカしている。こっちは何が嬉しいんだろうか。

「うーむ……」
  別に今日は先輩に嫌われたとかそういう訳じゃないんだよな。
  むしろ励ましてくれたぐらいだから悪くは思っていないはずだ。
  でも、もし先輩が男の人と二人きりで仲良さそうにしてたら――ああ、これがヤキモチって奴なのか。
  オレやっぱり先輩のこと好きだ。
  先輩はヤキモチとか妬かないのかな……
「た、たた多分、ユ、ユウの、す、すすす好きな人……」
  今にも下を咬みそうな勢いで広子が口が震えていた。
  いや、広子お前まで無理して言わなくていい。お前にフォローされたとなると返って不安になる。
「――今度二人きりになった時にでも言ってみるかな」
  大丈夫だよな、きっと――

2006/03/29 To be continued..

 

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